天の仙人様

海沼偲

第139話

 あたりに充満している死の臭いを取り除くためにもこっそりと、気を巡らせていき、時空をつなげていく。そこからゆっくりと面倒くさそうな顔を見せながら一人の男が現れる。真っ白い肌をさらしている獣と一緒に。
 俺は、彼に外一面の掃除を頼む。いったん確認をした彼は顎が外れてしまったかと見間違うほどに大口を開けて放心していると、俺が生み出した歪みの中へと帰っていく。そして、しばらく経つとさらに追加で三頭の真っ白な獣を連れてきた。合計四体の獣で掃除をするのだろうか。たしかに、一体ですべてを処理できるほどの量ではないのだろうと思いつくのは当然である。

「外に放置されているめちゃくちゃになっている死体全部をこっちで処分しちゃって大丈夫なんすよね? それでしたら、あっしたちでささっと終わらせてもらいますが。まあ、そうは言いましても、どれだけの時間がかかることか……。一日中働きつめても、一週間でしょう。ならば、えーっと……ニ、三週間かかってしまうといったところでしょうかね。文句があったりはしませんよね?」
「ああ、そちらの働きに対しては一切の注文を付けたりはしないよ。最も効率よく働けるように調整してもらって構わないよ。なにせ、あれだけめちゃくちゃに飛び散ってしまっているのだからね。それなりの時間がかかってしまうのだろうということはわかっているさ」

 彼らはそれだけを聞くと満足したようでささっと外へと向かっていく。彼らの姿は仙人ではないと認識できないとわかっている。だから、外に散乱している生き物の死体が消えていく様に疑問に思うかもしれないが、今もこうして群がっている肉食獣に持っていかれたのだろうと勘違いするかもしれない。だから、俺はあまり慌てたりはしていないのである。
 大暴走からしばらくの日にちが経過しており、だんだんと復興が進んできていると感じている。それほどまでに、進みは早く、クジラオオツバメの襲来による被害を感じられなくなってきている。あの時の防衛戦で死んでしまった兵士たちの葬式も終わっているのだ。いずれは、そんな事実があったことなど忘れてしまうのだろう。それは少しばかり寂しく思う。だが、そういうことも仕方のないことなのだ。なにせ過去は、過去としてしか存在し続けることは出来ないのだから。
 その道をアオと二人して歩いていると、俺の前方から一人の青年の姿が見える。しかも、前に見た顔である。周りの男たちとは明らかに存在の格が違うと思ってしまうほどの高潔さを身に纏っているのであった。彼は、この国の第一王子、次期国王となる人だろう。俺は、彼が視界に入った瞬間にすぐさま、道のわきにそれて、頭を下げる。仕事中であれば、免除されるのだが、俺はここをただ通行しているだけである。だからこそ、礼を尽くす必要があるのだ。俺の失態は家の失態となる。それだけは避けなければならない。
 こつんこつんと靴音が響いている。あたりにはほかにも人がいてその話声もあるはずなのだが、俺の耳にはどういうわけだが、第一王子殿下の靴音しか聞こえてこないのである。どれだけ警戒しているのかと言いたくなるのだが、どんな時よりも緊張しているのかもしれない。ルイス兄さんを経由してつながりは生まれたとしても、男爵と王族であれば、そんなつながりなど一切ないといってもいいほどに大きな格差があるのだから。俺は根元には庶民臭さが存在してしまっているというのもそれに拍車をかけているのかもしれない。
 彼もおそらくは、このあたりの視察に来ているのだろう。つい少し前まではスラムなのかと疑ってしまうほどに荒れていたし、盗賊の類がひっそりと住み着かないように警備が数倍にも増していたのだ。それが、こうして、前と同じような街並みへと戻っていく姿を見たいと思うのは当然のことなのだ。特に、次期国王ともなればなおさらのことだろう。美しい街並みは未来永劫変わらないようにそっとそのままに、美しくしておきたいのだから。
 アオが俺の頬をぺろぺろと舐めている。少しばかりくすぐったく感じる。もうすっかり王子様の気配を感じないので、俺はこの場を離れる。まるで悪いことをしているみたいだが、そういうわけではない。少なくとも、王族のすぐそばにいると緊張してしまうから、心の安寧のためなのである。別に嫌っているわけではない。それに、彼らも一応は関係を持っている一族なのだ。どうにかしなくてはならないだろうが。どれだけの時間がかかるだろうか。バルドラン家が没落でもしない限りなさそうな気がしてくる。
 外に出ることはもう可能だ。初めの方では、あまりにも血の匂いが充満しており、それを目当てにやってくる肉食の獣がうようよしていたのだが、なんとか今は綺麗な状態へと戻っている。彼らの努力のたまものといえるだろう。呼び出した甲斐があったというところか。帰るときはホクホク顔だったのだから、彼としても収穫はあったのだろう。その綺麗に戻りつつある平原では、今日ものんきにカンムリダチョウがエサをついばんでいるのであった。のどかな一日だろうか。外はもう昔を取り戻しているのである。地面はまだかすかにえぐられている痕跡は残っているが、そこにも小さな芽が生えてきているのだ。新しい命はすくすくと育っている。
 俺はしゃがんでそれを見ていたら、こつんと腰のあたりをつつかれる。誰だろうと見てみると、そこにはカンムリダチョウがこちらを見下ろしていた。おそらくは、いつもの彼女なのだろう。俺は、まだまだ彼らの顔を見分けるだけの技術がないために、おそらくはそうだろうという推測でしか言えないのが残念だが、少なくとも、俺の方へ自分から近づいてきて来るカンムリダチョウを一体しか知らない。
 軽くひと鳴き。再開を喜んでいるのかもしれない。俺も同じだ。彼女は壁の外にいたのだ。もしかしたら、あの大暴走に巻き込まれて死んでしまったのではないかなどと嫌な予感がよぎったものだ。たしかに、大前提として俺たちが生き残る、そのための作戦をとるのは当たり前だ。だから、彼女たちを犠牲にするような作戦だろうとも、それは仕方ないことだ。だが、それでもこうしてお互いの気持ちがかすかにでも通じ合っているように思えるこの関係が消えてなくなってしまうのだと思えば、それは体が震えるほどに恐ろしいだろう。
 俺は笑顔を見せる。彼女も鳴いている。楽しげである。その音を聞いて迷惑そうな顔を見せながら、アオがフードから顔をのぞかせている。それを見た瞬間に、彼女の顔が固まったのである。一切の感情が抜け落ちてしまったかのように、しんと静まり返った表情を俺たちに見せつけているのである。その迫力というのはさすがカンムリダチョウといったところだろうか。ほんのわずかに俺の肌を震えさせるだけの圧力をぶつけているのだ。瞳の端から水滴がこぼれている。泣かしてしまったのかもしれない。その様子に気づいたようで、周囲のもの達もぞろぞろと囲むように集まってきている。しかも、彼女が種族で相当な位置にいる別嬪なのだということも俺は知っている。だから、その彼女を泣かせている、不幸にさせている男がいるということで、彼らもまた殺気立っているのだ。ちょっとしたミスで俺の首が飛んでしまうだろう。災難を乗り切ったと思ったら、またしても新たな災難が降りかかってきたのである。しかも、今度は俺一人だけにである。
 アオは自分のせいで俺に迷惑をかけてしまったのだろうかと思い悩んでしまったのか、必死にあちらへ此方へと顔を振り回しており、落ち着きを見せてはいない。だが、仕方のないことでもある。この場面で落ち着けるほどに、アオはまだまだ成熟できていない。子供のようなものである。数年たっても子ども扱いされる爬虫類を俺はあまりにも多く知らないし、そのわずかな種類ですらアオの特徴とは当てはまらないために、俺はもう、彼の種族を考えることを諦めた。
 しかも、そのアオの挙動がどうやら、彼らの琴線に触れているようで、暴れるたんびにどんどんと怒りが膨れ上がっているのだ。びりびりと震えているかのような錯覚を起こすほどの怒りが俺に突き付けられている。さすがに、この数を相手にして無傷では生還できない。死なないだろうが、本当に死なないということしか保証は出来ないのである。それほどまでに、彼らが危険なのだということは重々承知している。群れているカンムリダチョウは絶対に怒らせてはいけないのだから。今まさに、その禁忌を平気で破ってしまった阿呆が存在するのだが。
 しゃりんしゃりんと音が鳴る。鈴の音のように聞こえるそれは、段々とこちらへと近づいているようにも取れる。この場にいるすべてのものがその音を聞き取ったようで、一斉にそちらへと顔を向ける。きっと、傍目で見ていればあまりにも滑稽な姿なのだろう。だが、今この状況であまりにも場違いなほどに綺麗に響いた鈴の音を気にならないものなどいないのである。俺たちを惹きつけるに十分な場違い感を与えてくるのだ。
 向こうから歩いてくるその人だろうか。確かに二本の足でしっかりと地面を踏みしめてこちらへと向かってきている。だんだんと輪郭がはっきりとしてきており、そしてその全貌がしっかりと俺たちが認識できる距離まで来たところで、ピタリと立ち止まったのであった。
 彼は、鳥の頭をしている人である。鳥人だろうか。だが、それにしては恐ろしい格の違いを目の前の人から感じている。お師匠様に対するときの畏れ多さ。それに近いかもしれない。俺が敬意を払いたいと思うほどの格上に二人も鳥頭が現れるとは。しかも、物理的な意味で鳥の頭なのである。この世界の上位者は鳥なのかと勘違いしてしまいそうである。そんなことはないと知っているはずなのだが。
 彼は、鈴の音を鳴らしながら、段々と波をかき分けるように中心へと入ってくる。そして、俺の目の前までやってくるのであった。俺は何も言えずにいる。言葉を発することが不可能なほどに、今彼の雰囲気に飲み込まれてしまっているのだから。ニッと笑みを浮かべるように顔をゆがませている。俺もそれにつられてしまうかのようで、頬がつり上がった。

「……ほう、仙人ですか。この世界をいろいろと旅したものですが、なかなかに面白い人がいるものですね。しかも、鞍馬そっくりの気の巡り方をしております。仙術は師に似るとはよく言ったものです。とはいえ、こんなに小さな仙人などと言うのは、ずいぶん久しぶりですね。……でして、どうして今しがたあなた方は争い合う寸前まで来ていたのでしょうか?」

 しゃらりと透き通るような声でその人は話した。引き込まれるような声である。そして、その声色で男だともわかった。父でありながら、すべてを包み込んでくれるかのような圧倒的な器の大きさと母性のような何かを感じ取ってしまったのだ。俺の顔をみて、ふわりと柔らかく微笑んでくれるのだ。俺はこの人にはどんなに天地がひっくり返ろうとも勝てることはないと悟るほどであった。
 カンムリダチョウの一体が、こけこけと鳴いている。どうやら、こうなってしまった理由を聞いているのだろう。というか、彼らの鳴き声にはそれほどまでの意味が存在していたのだろうか。いいや、もう少し簡単な感情表現くらいしかなかったはずである。極限まで簡略化された表現を使っているのだろう。
 その人は、ただうんうんと頷き続けて、彼らの言葉を聞いていた。ただ、流しているとは絶対に違う。しっかりと、彼らの言い分を聞いているのだとわかる。確信的な何かを感じるのだ。その目つきにも態度にもてきとうなところは見当たらない。しっかりとした態度なのである。たったそれだけでも、証明する根拠には十分である。
 彼は、その言い分だろうか、それを聞き終わると、俺の目の前にいるカンムリダチョウへと話を聞き始める。彼女もまたこけこけと鳴き始める。俺はそのやり取りとただじっと見ていることしかできない。だが、どこかへ行くことなどできないだろう。だから、あまりにも奇妙に映るこの光景を見続ける必要があるのだ。たとえ、どれほど滑稽に映ろうとも、これは大切なことに違いない。そう思い続けるのである。ただ、それがどれほど長く続くのかはわからないが。

「そうですか、そうですか。大体のことはわかりました。ならば、この話は一旦わしに預けてくれませんでしょうかね。いづれ、解決すると約束しましょう。だから、わしの顔に免じてこの場は収めてくれると助かるのではありますがね……。まあ、無理というのであれば、それなりの対応をさせてもらうことにはなりそうですがね。わしはそういうことは好きではないのですよ」

 彼にそう言われて、剣をしまわないものなどいないだろう。それほどまでの絶対的な存在だと思うのだ。だから、俺たちはバラバラに解散していく。感情的に不満を抱えていようともそうしなければならない絶対的な魔での強制力がある。俺もできるだけこの近くへと寄らないようにする。しばらくは王都の中で活動しようと誓うのであった。

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