天の仙人様

海沼偲

第136話

 クジラオオツバメの突撃は速度を重視する為に、真っ直ぐ飛んでくる。狙いをつけやすいだろうという想像は容易に出来るため、大砲の照準は彼の経路に合わせられる。そして、偏差的に打ち出された砲弾は真っすぐに彼へと突き進み、そして、着弾。することはなかった。あと少しというところで、彼が大きく飛び上がったのである。急上昇したのだ。太陽を俺たちから隠してしまうほどに大きな巨体が王都の上へと向かったのだ。完成を無視するかのように直角に曲がるのである。そして、その速度を維持したまま上空へと飛び上がったのだ。そのあとは当然、急降下してくる。こちらが放つ大砲よりも素早い速度であるのだ。目標は、壁の上にいる兵士たちであった。
 彼らでは、今から逃げることは不可能だろう。だから、魔法による即席の壁を展開して、衝撃を少しでも和らげようとする。数多くの人間によって生み出された壁の強さはどれだけのものか。大砲では穴をあけることは永遠に不可能だとすら言われているほどに難くなる。それが、どこまで通用してくれるか、祈ることしかできない。衝撃が、爆音とともにこちらへと伝わる。いくつかの壁の破片と共に、相当な数の兵士たちが中空へと吹き飛ばされていた。中には、胴体のいくつかが欠損している者もいる。それどころか、肉の塊だけの場合だってある。赤い雨が俺たちへと降り注いできてもいるのだ。仲間の雨を浴びてしまうことにより、吐き気を催している人だっている。とはいえ、突撃の衝撃により、飛ばされてしまっただけの兵士たちも中にはいるようで、その場合は五体満足の姿だと確認できる。だが、あれほどの高さから落ちて助かる見込みはあまり大きくはない。
 クジラオオツバメが再び上空へと飛び上がったころに、地上にいる兵士たち、俺も含めてが、魔法で足場を作りながら空を駆け上がり、少なくとも、生きている可能性がありそうなものたちを地面に落ちる前に救出していく。そこで、指をくわえてみていることは決してあり得ないのだ。助けられるのであれば、可能な限り手を差し伸べなくてはならない。兵士の数は無駄に減らすことはしてはならないのだから。
 俺が救出した兵士は誰もが生きていたようで、飛ばされた衝撃の強さに気絶しているだけであったり、痛みに呻いていたりとしていた。俺の行為が無駄にならずにほっとしているが、このままでは壁の上にいる兵士たちはなす術もなく殲滅させられてもおかしくはない。それを、予見したのかすぐさまに、彼らは壁の上から飛び降りてこちらまで退却してくる。魔法の壁が通用しないのであればそうするしかあるまい。当然だが、自分の意思から飛び降りて、死ぬような軟弱な技術ではない。俺たちと同じような芸当は当然出来るのだから。
 俺が彼から目を離さないようにしていると、俺の方へと近づいてくる人の姿が感じ取れた。少しだけ視線を外して確認すれば、それはルイス兄さんである。どうやら、兄さんはまだ死んではいないようであった。壁の上にいたものだから、もし死んでいたとしても悲しみはすれども、驚きはしなかった。その覚悟はしなくてはならないのだ。だが、俺は兄さんがこうして生きて歩いていることに安どの息を漏らす。やはり、そういうところで他の兵士たちとは大きく違ってしまうのだろう。
 だが、兄さんの顔ばかりも見ていられないので、すぐさま大空に我が物顔で居座っているクジラオオツバメへと顔を向ける。どうやら、彼はこちらの様子をうかがっているらしくその場で羽ばたいているだけのようだ。だが、彼の羽ばたき一つでこちらまで突風がやってきている。風にあおられて服が羽ばたいてしまっている。俺たちは大丈夫だが、魔法職の人たちは、肉体を鍛えることが少ないために、風にあおられて尻もちをついてしまっている。魔法も肉体も両方を鍛えるという人間は隊長格クラスでしかない。一般兵士では両方に手は回らないのだ。とはいえ、それでも、どちらもそれなりにこなせなくてはならないが。
 このままどこかへといなくなってくれればありがたいわけではあるが、そんなことはないだろう。目つきはいまもまだ俺たちを殺したいという思いでいっぱいであることが窺える。あそこまでの憎悪に侵されている生物は見ることはないだろう。過保護というレベルを極限まで超えてしまっているのだから。だが、基本的に、子供は親の虐殺に加わらないおかげで、絶望感は少しだけ薄まっている。これに子供がいてしまうと、みじめに全滅することが頭に浮かぶことだろうから。

「アラン達も、どうやら無事だったようだね。まあ、そう簡単に死ぬような弟たちだとは思っていないから、最悪の想像なんてする気はさらさらなかったけれどさ。とはいえ、いまだに状況は最悪なままだね。あの鳥を地面に叩き落して全員で叩き殺すことしか勝ち目がないだろうが、その状況に持っていく案の全てが存在しないと来ている」
「なあ、兄さん。あいつは魔法が特別効かないというだけで、体の頑強さに関してはそこいらの動物たちと同じなんだろう? 俺たち近接職が無理やりに、魔法で空をかけながら、接近して武器でもって叩き落す。で、叩き落したその瞬間に、残りの全兵士で殴り掛かれば大丈夫なんじゃないのか?」
「いいや、それはダメだよ、カイン兄さん。そんなことをしたら、あいつの最も得意とする戦場で戦わなくちゃいけなくなってしまう。空で戦うとなれば、最も優位なのはどうあがこうともあの魔物なんだ。そして、その状況で俺たちが敵う可能性は限りなくゼロに近い。ただ無駄に人を死なせるだけだよ。もしかしたら、無駄に人が死ぬという表現すらも生ぬるいかもしれない。もっと恐ろしい犠牲を出す可能性だってあり得る」
「そうか、さすがに賛成されないとは思っていたけれども、そこまで言われてしまえば引き下がるしかないだろうな。どうにかしてあいつを自分たちの戦場で戦わせたいのだが、そのいい案も思い浮かばないし……。魔法でも無理やりに乱すことが出来てしまえば、大丈夫なんだろうけど、あれだけの巨体に流れている魔力に対抗できるだけの魔力量を持っている人間なんていないしな」

 もし作戦の決行が可能であり、なおかつ成功する見込みがあるのならば、俺だってその作戦でいいだろう。だが、相手は空を主戦場にしているのだ。それ相手に、こちらが向こうの舞台へと行ってはならない。兄さんも、これ以上は話していても何かしらの妙案が思い浮かぶということはないと思ったようなので、それ以上は何も言わない。だが、正直なところを言ってしまうと、先ほど兄さんが提案してくれた以上の素晴らしい案といえるものがないのだから、玉砕覚悟でそれを試すしかないのでは、と思うのも事実。とはいえ、誰がこの作戦を実行してくれるというのか。特攻にしかならない。無駄死に以上になることがほぼ確定している作戦を。彼らはロボットでも、人形でもないのだから。
 再び、こちらへと急降下してくる。カイン兄さんはその瞬間に自分の手に持っている槍を彼に向って投擲した。さすがに、上空へ投げてしまうと、威力が弱まってしまうが、彼が突進してくるために、それなりの威力で当たったのだろうか。ほんのかすかに肉を裂いただろうということが確認できる。そして、そのほんの僅かばかりの痛みに驚いたようでほんのちょっとの減速が起きた。あれでは、最大威力が出ないだろう。彼もそう思ったらしく再び、空高くへ舞い上がる。今回の突撃では、兄さんのおかげで何とか誰も怪我をすることはなかった。考える時間をさらに増やすことが出来たのである。これは非常に大きな成果であるといえる。
 だが、先ほどの攻撃は通用しないだろう。一切予想していないケガなら、たとえどんなに小さくても、その痛みに驚愕はするが、覚悟しているうえでのケガならば、どれほどの痛みだろうともこらえることが出来る。だからこそ、これは一回しか通用しない。先ほどの攻撃を軸にした作戦は不可能であると言える。たとえ、槍を投擲する数を増やしたとしても、その全てが小さな傷を作るだけにとどまってしまうのであれば、相手にとってみれば、なんてことのない傷でしかないのだから。それに、真上に槍を投げることは非常にもったいないのだ。落ちてきた槍は落下の衝撃で壊れる。あれでは使い物にはならないだろう。
 兄さんも、やり投げで負った傷の程度を確認して、無意味だろうということを確信しているようで、悔しそうに歯ぎしりをしている。やはり、体格が大きいということはそれだけで、生物においては圧倒的な力を持っているのだ。生まれながらの上位者なのである。それを見せつけられているのである。今まさに。どうにかして、この状況を変えなくてはならないのだが、いかんせん確実ともいえる作戦が思い浮かばない。どれだけの数の兵士が死のうとも、確実に相手を倒すことが出来るという作戦すらもないのだ。お手上げだと、白旗を振ってしまうような状況であった。
 だが、今ここで俺が弱音を吐いてはいけない。それは士気にかかわる。誰か一人の弱音が連鎖反応的に全体に広がる。それでは、絶対に勝利はつかめない。だから、俺が最初の一人になってはいけない。それは許されることではない。俺は、最後の一人であったとしても弱音を吐いてはならないのだ。
 少し浮かび上がり、その反動でほぼ垂直に急降下してくる。最も人が多いところへと向かっているのがわかる。俺たちの方向ではなかったが、放置していたら、どれだけの数の死人が出るかわかったものではない。俺たちは、簡単に発現させられる魔法を放ち、それを彼の顔に当てて、視界を隠す。そのために、爆発であったり、着弾と同時に煙を出したりと、視界を妨げるだけの魔法が多用される。その隙に、着弾地手の兵士は可能な限り全力で離れる。彼は視界がふさがれてしまっているせいで、正確な狙いは付けられないだろう。だから、適当な場所に突撃するしかない。そして、最高速を出すために、余計な角度調整などはしない。そのおかげで、逃げることが可能なのである。
 ぶつかった衝撃は地面を揺らし、あたりの建物が倒壊する。立っていることすら相当に困難で、少しでも気を抜けば倒れてしまうだろう。しかし、今まさに地面に彼もいる。チャンスなのである。それに全員が気づいているために、可能な限りすぐに体勢を立て直して、彼の足元に集まり、そのまま自分の手に持っている武器で斬りかかる。だが、その数はあまりにも少ない。種族的な特質のおかげで、バランス感覚が異常に発達していなければすぐに斬りかかれないのだ。俺が一番早く立て直すことが出来たようではあるが、それでも、クジラオオツバメが体勢を立て直すまでの間にギリギリ剣先が届くところまでしか入り込めないのだ。足元の敵に対しては視界が取れないため、逃げるために彼はすぐに空に飛び立ってしまう。その間に斬りかかれたものはほんの数名。確かに、足から血を流してはいるが、あれが致命傷になることはないだろう。できれば、足で立つことが困難になるほどの怪我を負わせたかったが、それは出来なかったようである。
 その時のことである。俺と同じくして彼の足に斬りかかっている数名の中に蟲人がいたのである。しかも、彼は蜘蛛の蟲人である。それを見た時に、少しばかり作戦が思いついたのである。しかし、これが成功する可能性は高いとは言い難い。そして、死者が出てしまうような可能性だってある。だが、戦場で死者が出てしまうのは仕方がない。それに、思いついた作戦ならば、わざわざ相手の主戦場に飛び込む必要はないのだ。

「すみません! あなたたち、兵士の中で糸を放出することが出来る種族の方はどれだけいらっしゃいますか! 大体の数でもいいので教えてください!」

 彼は、クジラオオツバメから目を離さないように上を見ていた時に、下から声をかけられたために、驚いたような表情を見せたが、俺が真剣な顔をしていたおかげで、すぐに質問の内容について答えてくれた。今何人が、立ち上がっているかはわからないが、どうやら百人程度の数はいるそうだ。それなら、少しぐらいは何とかなるだろうか。むしろ、予想以上に多くいてありがたいところではある。

「あなたたちの糸を、クジラオオツバメの目元、後は羽の付け根などに放出してほしいのです! 弱い糸は目元に、強く頑丈な糸は羽の付け根に放出してください! そうすれば、飛行能力は大きく低下するはずです! それさえ奪うことが出来れば、俺たちが勝つことはそこまで難しいことではなくなるはずです!」
「いいや、ダメだ! そんなことは我々だって考える! だが、絶望的なまでに距離が遠いのだ! あれほどの上空にいてしまっては、我々の糸は届かない。風で流されることもあるだろうが、そもそもの威力では飛距離がない! だから、彼らが相当近寄ってこないと……まさか!」

 否定している途中に何かに気づいたようである。そして、その考えはおそらくではあるが、俺が思いついた作戦と合致するのだろう。彼は顔面を青白く染め上げる。気づいてしまったのだろうか。自分たちが危険なことをしなくてはならない、死んでしまうかもしれない作戦なのだということに。

「ええ、そのまさかです! 彼が再び突撃してきた後に、全員でもって、糸を放出してほしいのです。バランスを崩していて、動けていなくても、放出は無理やりに行ってほしいのです! 正直なところ、クジラオオツバメのどこかに糸がくっついてくれれば成功のようなものです! 人にさえ当てることがなくなれば!」
「それでは、届く距離にいるためには、我々はほぼ敵の攻撃のほんのわずかに外れたところにいることになるぞ! ほとんど目の前にあの化け物が飛んでくるということになる! 下手したら、腕一本どころか死んでもおかしくはない!」
「ですから、それから回避しやすいように、我々弾幕を張って、彼の攻撃の命中精度を著しく下げます! 今思いつく中では最も可能性のある作戦です! ですが、嫌なら構いません! もし、賛同してくれるのであれば、今すぐにでも全兵士に伝達してほしいのです! 俺も手伝いますから!」

 彼の判断一つでここにいる兵士の命全てが変わってしまうだろう。これは非常に難しい判断である。俺の作戦であろうとも、これは一つの案でしかない。却下してもらえれば、再び考え直す。だが、これ以上の作戦が出るかといえば、そうも言えない。だからこそ、彼も頭を抱えているのだ。
 彼は覚悟を決めたような目つきを見せている。先ほどまでの恐怖におびえているようにも見える表情ではない。一人の兵士なのである。その顔つきは多くの戦場を潜り抜けてきたつわものであると表現するにふさわしい美しさを放っていた。

「……よし、貴様の作戦に命を懸ける! これ以上はこちらの気力が持たない! 長引けば長引くほどに、死者が出てしまうことだろう! ならば、死ぬかもしれぬと怯えるのではなく、覚悟を決めて立ち向かうしかあるまい! 絶対に成功させるぞ!」
「もちろんです!」

 彼は、俺に命を預けてくれたのである。それだけの価値があると……いいや、それにすがるしかないかもしれないと思ったのかもしれない。だが、それでも十分なのだ。その覚悟の強さがあれば、作戦は成功するだろう。俺はそんな期待を持ってしまうのである。

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