天の仙人様

海沼偲

第125話

 卵が一つ落ちていた。その卵は普段目にするような調理に使われる類の卵ではないだろうということは一目見てわかる。丸っこい卵の形をしているのであった。その卵が草原にポツンと落ちているのである。さすがに、街中に落ちていれば、どこかの店が落としてしまったものだろうかと思うこともあっただろうが、ここに落ちているということであれば、落とし主は野生生物すらも入ってきてしまう。誰のものかが完全にわからなくなってしまうのである。
 ならば、今こうして手に取っているのは良いのだろうか。自然に放置されてしまったものに所有権など、ないと言ってしまってもいいに近いだろう。それにだが、もしかしたら、子育てをするタイプの生き物の卵の可能性だってある。その場合は、生まれた子供はすぐに死んでしまうだろう。俺はこれを見捨てるということを決断することは不可能に近いだろうと思っているわけである。今まさに生きている命を、俺はみすみす見捨てることが出来るかという話なのだ。
 この中で眠っている小さな命はどんな姿を見せてくれるのだろうかという興味がだんだんと湧いてきている。ここで放置して、そのままのありのままの運命に身を任せてやるというのも選択肢の一つとしてはありだろうが、それ以上に、俺がこれを育ててやることで一体どんな生を歩むことになるのだろうかということの方が気になって仕方がないという一面もあるのだった。
 しかし、この卵をどうやって育ててればいいのかがわからない。なにせ、卵によって温め方から何からが違うのである。間違った方法をすれば当然中の子供は死んでしまうだろう。たしかに、この中ではエネルギーが満ちているから生きていることは確かなのは確実であるが、これから先のことまでは保証できない。食用卵に使われるような種類の生き物を除いたとしても、何千、何万という種類の卵生動物がいるのだ。そのなかから、この子の親の種類などわかるわけあるまい。
 とはいえ、草原に捨てられているということは、そこに住んでいる種類なのだろう。それでも数の多さではまだまだ目が回るほどだが。つまりは、どうしようもないほどに途方な事だということであった。
 しかし、この子は俺が見つけなければほぼ確実に死んでいたのではないだろうかと思わなくもない。ならば、生き残る可能性がゼロから少しばかり増えたのであれば、俺のいる意味はあるのではないだろうか。俺はそう楽観的に考えることにした。そうでなければダメなのだ。無駄に命を散らしてしまう可能性はどちらにもあり、俺が育てたほうがその確率は減るのだとしたら、俺はそれを手に取ろうという話である。ただ、死んでしまったら俺は悲しむことだろう。割り切れたりはしない。だから、やめた方が無難な気もする。それでも、手を出してしまうのが俺なわけだが。
 部屋に持ち帰ってからは、自身の気で包み込んで死なないようにエネルギーを与えながら、どの程度の温度がいいかといくつかの温度で温めていた。それに加えて、定期的に回転させてみたり、中には魔力が必要な種類もいるために、魔力を流し込んだりもしてみたりしていたのである。
 一日中俺がついていることは出来ないので、そのわずかな時間で死んでしまわないことを祈りながら続けていることしかできなかったが。誰かと協力をしてしまうと、別々の質の魔力を与えることになってしまい、成長におかしなところが出来てしまうことだってある。だから、一人で進めるしかなかった。あらゆる種をカバーしなくてはならないのだから、そこまで気を回さなくてはならなかったのである。

「最近のアランって、なんだかよそよそしいと思うんだけど、何か隠していることでもあるの? 私が手伝えることだったら、教えてほしいのだけれど。私、アランの役に立ちたいからさ」
「そうか、ありがとう。だけど、これは俺一人で解決しなくちゃならない……俺一人しか関わっちゃいけないような難しい問題なんだ。だから、ハルがこうして俺のことを想ってくれているだけで、俺はとても嬉しいよ」
「そう? それならいいんだけど。何か手伝ってほしいことがあったら、いつでも言っていいからね? なにせ、私はアランの婚約者なんだから。あ、でも……浮気とかしていたら絶対許さないからね? その浮気相手の首をちょん切ってアランの前にさらしてあげるから」

 じっと俺の奥底をのぞき込むかのような目つきで彼女は詰め寄ってくる。だが、俺はそれでも堂々としたままである。逆に、怯んでしまえば何かやましいことをしているのだと勘ぐられてしまうのだから。悪いことをしていないと思っていれば、それなりの態度を見せる必要があるだろう。俺はそれを実行しているのである。

「俺が浮気をするように見えるか? 婚約者が二人もいるというのに。浮気なんてこそこそしないで、堂々とハルにもわかるようにするさ」
「まあ、そうだろけどね。でも、一応言っておくわ。それに、そう言っておけば、こそこそとアランと交際しようなんて言うハエがたかってこないだろうしね。これは、予防策なのよ」

 ハルは俺のことを信じてくれている。本当に必要な時は自分を頼ってくれているのだと信じているのだ。実際、俺も彼女を頼るだろう。で、頼らないということは、むしろ、頼らないほうが助けになることだともわかってくれている。それはそう思っている。だから、あの程度の追及で止めてくれるのだ。
 実際のところ、俺が卵を孵化させようと頑張っていると知ったら、彼女たちはどうするだろうか。たぶん自分も混ぜてほしいというだろう。だが、それでは駄目だ。関わりたいと言い出すのは目に見えている。俺の言い分を理解してくれたとしても、混ぜてもらえないことに多少の不満は持つだろう。それを危惧して、混ぜてあげたとして、そのせいで死んでしまったら彼女たちの心に必要のない傷をつけてしまうことだってあり得る。だからこそ、何をしているのかすら知らせないというのが最善なのではないだろうかと思うわけである。知らなければ、それに加わりたいという願望すらわかないのだから。
 ヒビが入った。卵の殻にヒビが入ったのである。数週間もの後のことである。朝目を覚まして、見てみたら、確かに入っている。もしかしたら、それが子供が死んでしまったことの合図かもしれないと思って気を確認してみれば、ちゃんと生きている。しかも、これから卵を破って外に出てこようとしているところまでわかったのであった。何が正解だったかはわからないが、少なくとも、ちゃんと、孵化するまで育てることが出来たのである。たとえようのない達成感がこの体を駆け巡っているのであった。これを喜ばなければ何を喜べばいいのか。
 卵から頭が飛び出してきた。やはり、爬虫類の顔をしている。卵は硬い殻で出来ていたため、そうだろうとは思っていたが。実際に見てみるまでは自身はなかったのである。中には、硬い殻の卵を産むカエルだっているのだ。イワガエルという名前の種類のカエルで、その名の通り岩みたいに硬い表皮を持っているのである。人程度の重さであればなんてことなく耐えてしまえるのだ。生息地域には、大きな生物ばかりが住んでいたために、そのような進化をしたのだろうと考えられている。
 そうしていると、子供は、全身を体から出していた。姿は蛇である。目の上あたりに体の方向を向いて小さな突起がついている。俺は子供の時の姿というものをあまり知らないため、この蛇がどんな種類かはあまりわからない。突起がついているところから予想してもいいだろうが、これが成長過程で唐突に消えてしまうことだってある。だから、あてには出来ない。体の模様も同じである。
 俺としては蛇は可能性が低かった。なにせ、卵の形が蛇とは違うのだから。だから、少しばかり驚いている。とはいえ、丸い卵の蛇というのもいる。だが、俺が知っている種類では、今生まれてきた子供と同じ姿の蛇はいないが。ならば、この子はどんな種類なのだろうか。
 とはいえ、どれだけ考えてもわからないものはわからない。切り替えるばかりである。俺がためしにと指を出してみるとするすると絡みついてきた。可愛いやつである。くりくりとした丸い目でこちらを見ているのである。何とも癒される姿をしている。どの生き物も、子供のころは愛嬌のある顔をしているのだ。大人になったらこれがどう変化するかはわからない。
 じいっと見つめ合っている。何か見透かされているような気がしないでもない。心の奥底までのぞき込まれてしまっているのかと少しばかり不安になる。それを敏感に感じ取ってか、この子もまた不安そうに頭を下げるのであった。俺はすぐさま笑みを浮かべて、不安げな心をかき消すようにふるまう。
 と、少しばかり気持ちが戻ったところで俺は、この子の性別を確認する。確認しないで適当に性別を決めてはいけないからである。俺の正答率があまりにも良くないというところも、それをする必要があると言っているわけでもあった。どうやら、オスである。何度も確認をして、間違いではないということが分かるまで見てみるが、やはりオスだ。これで、実はメスだったという事態にはならないだろう。これで、そんなことが起きたら、俺の目は腐ってしまったのだろうということになってしまうことは間違いないのであった。
 それからは、学校にいる間は部屋で留守番をしてもらって、休みの日であれば、草原まで出向いて彼が好きなものを与えたりとしている。小さな虫が好きらしい。だから、少しばかり弱らせて、目の前に置いてみたりとしている。ちょっと過保護かとも思わないではないが、実際、どこまで俺が手助けしてあげればいいのかわからないのであった。難しいさじ加減であるのだ。
 俺が気を巡らせるために足を組んでいると、その隙間に収まるようにこちらへと近づいてくるのである。やはり、気の巡りをしている中での清浄な気配というものは彼らは好きなのだと感じるわけである。それに集まったものたちは、争うことなくみなして穏やかに、その空気の中で安らいでいるのだから。だからだろうか、彼が危険になることはほとんどないといってもよかった。瞑想するそぶりを見せれば、すぐに此方へ近寄ってくるのだから。放し飼いのような状態でいても楽に飼育することが出来るのであった。
 しかし、俺は彼が大きく育ち、大人になった時にどうするべきかというものを考えていた。そのまま育てていくか、それとも野生に帰してあげるべきか。それが悩みどころであった。大人になれば、どの種類かがわかる。そうすれば、本来の生息地へと返してあげることが出来るだろう。だが、今こうして育てていることによって、危険察知能力が劣ってしまうのではないかという懸念があるのだ。今は良いだろうが、将来帰してやるとなったら、その差は大きい。すぐに殺されてしまうことになってもおかしくはない。そうなってしまえば、俺は果てしない虚無感に襲われることだろう。だから、このままにするべきなのではないかという思いもまたあるのであった。
 いづれはぶつかるだろう。彼をじっと見ていると、そのまま育ててもいいのではないかと思わなくはないが、それはいいことなのか、悪いことなのか。どちらなのかがわからないのである。生きているものに、関わるということは俺の頭を悩ませて仕方がない。会話が出来るのならば、その時になって、彼の口からきいてみたいわけだが。俺は、彼の言葉がわかるわけではないのだ。
 この悩みにぶち当たるだろうとわかっていて、育てようと思ったのである。ならば、今はいくらでも悩んでいいだろうか。いつか答えが見つかるだろうか。その時には答えがあるのだろうか。気にはなる。未来の俺がどのような選択をしているのかが気になる。だが、それは今の俺には関係ない。しかし、それで今の俺が頭を悩ませているのであった。俺は口元を緩ませて笑うのであった。彼は驚いたかのように此方を見ている。不思議そうな、そんな表情に見えなくもなかった。
 俺は、彼へと手を伸ばして頭をなでる。気持ちよさそうに目を細めているように見えなくもない。蛇の顔に表情があるのだろうか。それはわからない。舌をちろちろと出しているばかりである。だが、そのしぐさがたまらなく愛おしいのである。
 俺は窓を開けてみる。外の景色を見たいと思ったのだ。枠に膝をついて眺めている。その隣に這って、彼が寄ってきた。名前はまだ付けていない。愛着をこれ以上沸かしたくないのである。だから俺は、別れのその瞬間まで、それから先も、彼に名前を付けることはないのではないだろうか。そう思うのであった。

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