天の仙人様

海沼偲

第122話

 俺は今、キースと共に草原まで歩いてきていた。王都の中ではあまりやりたくはないことだったために、ここまで連れだしている。それと同じく、アリスにもついてきてもらっているのであった。アリスは、とても楽しみなようなそんな様子でるんるんと鼻歌を歌っている。スキップなども混ぜられているのであった。
 アリスはどうも、王都に来てからというものの、キースの存在に対して興味を持っているようで、今日は彼に無理を言ってここまで来てもらったのである。もしかしたら、彼の悩みをどうにかすることが出来るかもしれない。そんな思いが俺たちの中にはあるのだ。だからこそ、彼もこうしてここまで来てくれたのである。

「ねえ、アランくんの妹さんが、ぼくのこの悩みを解決できるっていうのかい? 確かに信じたいことだけど、今まで、君だって解決できなかったことなんだから、妹さんが出来るとはとても思えないよ。ああ、ごめんよ。君たちを信じていないわけじゃないんだ。でも、長い間、これに悩まされてきているからね」

 彼の考えももっともである。だから、俺たちだって絶対とは言えないのだ。言いたいが、それを言っても彼の心を悲しませるだけに終わってしまう可能性だってあり得る。だから、自身を持って言えない。だが、彼はこうしてついてきてくれるということは、どんなに可能性が低かろうと、信じてみたいという思いがあるに違いない。そうでなければ、ここまでついてきてくれるわけがないのだから。
 アリスは彼のことをじっと見つめているが、ほんのわずかに視線がずれたところを向いているような気がする。そして、その一点を見つめたままに固まっているのであった。おそらく、そこに原因があるのだろう。俺では見ることの出来ない何かをアリスは視認しているということは確かであった。なにせ、精霊と話をすることが出来るのだから。それだけアリスにはアドバンテージがあると言えた。

「すごい……ですね。一切の不純をため込まずに、ここまできれいに澄んだまま、瘴気が周りを覆っています。恐ろしい程の矛盾でありながら、それがまるで矛盾ではないかのように存在してしまっていますね。お兄さまは気づきませんでしたか?」
「瘴気が覆っているのかい? そんなことはあり得るのだろうか? 瘴気というものはそもそも、濁りよどんでしまっている醜い気だ。それに、不純性を存在させずに自身を瘴気であると定義づけていることは、不可能ではないのかい? それは、瘴気とは言わないと思うけれども」

 しかし、アリスは間違いなく、自信をもって瘴気だと言っているのであった。ならば、俺はその言葉を信じるとしよう。そうすることしか出来ないのだ。なにせ、それを見ることが出来ているのはアリスだけなのだから。
 俺だって、瘴気を感じ取ることは出来るし、より濃い状態であれば、目で見ることだって可能である。だがしかし、今アリスの言う瘴気というものは、俺の目に見ることは出来ないのである。その時点で、俺の知っているものとは大きく違うのだろうということは予想ついてしまう。それならば、俺はこれについてこれ以上の言葉を挟むことなどできないのである。そこまで言いきれてしまえるだろう。
 瘴気というものは当然不純を含んでいる。そうでなければ、それが生まれることはないのだ。気に不純が発生してしまった状態、それらがとどまってしまうことで瘴気になるのが基本なのだから。だが、今キースを覆っているのは、純粋な瘴気ということになる。これがどれほどまでに矛盾を持っているのか。恐ろしさすらあることだろう。不純でなければ瘴気足りえないのに、生まれながらに瘴気であるということなのだから。
 キースは当然のように何が何やらわかっていないようで、ただ不思議そうに首をかしげるばかりであった。たしかに、俺たちですら少しばかり理解できない事態が起きてしまっているのだから、彼が余計にわからなくても無理はないだろう。仕方のないことだと割り切ることは出来る。
 俺はふと、アリスの方へと視線を向けた。当然、アリスの周りには聖気が溢れている。でなければ精霊が周囲を浮かんでいることが出来ないからである。今も確かに精霊が浮かんでいるのは確認できる。当然近くに手をやれば、聖気を感じ取ることは出来ることだろう。目に見えることはないが、そうでなくても肌で感じることは出来るのだ。
 それと同じように、キースの体に触れそうであるというところまで手を近づけてみるのである。もしかしたら、何か感じ取ることが出来るかもしれないだろう。今まではそれで何かに気づいたことはなかったが、今はっきりとそこに何かがあると意識している状態であれば、今までとは何かが変わっているかもしれない。そう思ったのである。
 もう少しで、彼の体に触れるだろうというところで、何かが俺の手のひらに当たった。ぺちぺちと、ほんのわずかな弾力を持ったなにかは、肌の上数センチぐらいのところにある。ためしにと、もう少しばかり手を押し込んでみると、どろりと、ヘドロの中に手を突っ込んだかのように、沈み込んでしまう。俺は、何かの危険性を感じ取ってしまったのかすぐさまにそこから手を離すのであった。そして、出していた手を見てみる。一見何の変哲もない。変わりなく確かにある。見慣れた手をしているのである。それに俺はほっと一息つくのであった。
 ではと、アリスの方に手を近づける。キースと同じくらいのところで同じように何らかの感触を感じる。ただ、感触の質は違う。彼のはどろりと粘っこいような感触であるのに対して、アリスのはさらりと溶けてしまうかのようなするするとした感触なのであった。この大きな違いが、確かに聖気と瘴気の違いなのかもしれないと思うのである。そもそもが、正気という呼称すらも便宜上のものに思えてくるのであった。

「だ、大丈夫かい? そんなに慌ててさ。たしかに、ぼくのこの悩みを解決してくれるのであればとっても嬉しいさ。だけど、君たちがそうやって危険な目にあってまでこれは解決したいとは思わないんだ。これは、今は僕だけの問題で片付くかもしれないけれど、解決しようと動いたら、君たちにまで問題が広がってしまうかもしれない。そんなことは、僕は嫌なんだ。だから、今すぐにでも止めてくれたってかまわないよ。いいや、むしろやめようよ。そうすれば、今までと同じで何も変わることはないだから」
「それじゃあだめだろう。それじゃあ、この問題が何かわからない。これをほったらかしにしていたら、気になって夜も眠れなくなるじゃあないか。そういうことにしよう。この問題がどうして起きているのかを知りたいからやっているってことにさ。そうすれば、これは、キースのためではなくて、俺のために行われていることになる。それならば、きみもが、心を痛める必要はないだろう?」

 彼は静かに、引き下がった。止めることは出来ないのだろうと、悟ったのだろう。本当に危険であれば、諦めるさ。だが、まだそれなのかどうかもわからない。首を突っ込んでも大丈夫だろうとサインを出しているのである。だから俺は、続けたいと思っている。彼の悩みの解決をおまけと考えている。そうすることで、俺の奥底に眠る罪悪感が目を覚ますことなどないのだから。
 しかし、俺は今たしかに彼の周りに何かが存在しているということをはっきりと知覚したところまでは来たのだが、それ以上に進むためには何をすればいいのかということが、わからない。
 だからだろう。俺はアリスへと目を向けるのである。彼女なら何か案でもあるのだろうというつもりではない。何か忘れていることはないかを思い出すために見ているのである。ずいぶんと前の話だ。だからこそ、何か忘れてしまっているかもしれない。それを思い出すためなのである。
 ふと、思い出した。そう言えばまだやっていないことがあったと。それと同じことが彼に起きるかはわからないが、アリスとキースに起きていることは、同じように見えているのである。だから、これも通用するのではないだろうかと思うわけであった。
 とはいえ、それを確認する為に、俺はアリスの瞳の奥ものぞき込んでみる。最終確認という奴だろうか。そうしてのぞき込んでみると、確かに、アリスの瞳の奥に魔力が流れているのである。これはキースと同じことである。今まで良く気付かなかったものだ。そして、俺はようやく確信することが出来たのである。だが、キースとアリスでは瞳に流れている魔力の質というか流れ方というか、そういうものの全てが違っていた。そこが気になったが、今わかることは、この二人には似たような魔力の流れがあるということだ。それだけでも十分だと思う。

「キース……今も、君の近くに影のような何かがいたりということを前に言っていたよな? 今もどこかにいるのかい?」
「え? あ、ああ。確かに今もいるよ。そこら辺をふらふらと歩いている。恐ろしいからね。目を合わせないようにしているけれども。それがどうしたと言うんだい? そういえば、ぼくの目に何かしらの仕掛けがあるのだったっけか。そのせいで見えているんだったよね」
「彼に、話しかけてくれないか?」

 彼は固まった。確かにそうだろう。恐ろしい存在に対して話しかけるということが、どれほどのことか。俺にだってわかる。恐怖に立ち向かう必要があるのだから。だが、それが出来なければ、この恐怖から抜け出せることはない。そうも思えてならないのである。悩みの解決に楽な道など存在しないだろう。だからこそ、何かしらの苦を乗り越えるしか道はない。それが、これだと思うわけであった。
 彼は、じっと俺のことを親の敵でも見てくるかのように睨んでいるのであった。確かに、そう取られてもおかしくないことを言ったのだと自覚している。だが、それ以外の方法は今思いつかないので、それを勧めることしかできない。むしろ、姿が見えている相手に対して話しかけないという選択肢はないのであった。それならば、アリスよりも簡単だろう。アリスは、鈴の音のような音に対して話しかけていたのだから。それと比べれば、そんなのは楽勝だろう。

「よ、よく考えてみてよ。君たちは目の前に現れてこちらを睨んでいるのか憐れんでいるのかわからないような黒いだけの存在に対して話しかけることは出来るかい? ぼくにはとてもできないよ。恐ろしいんだ。なにせ、今まで人と話すことを恐れてしてこなかったぼくに、そんなことが出来ると思うかい? 思えないだろう。だから、お願いだから、違う案を考えてくれないかい? それ以外だったら、なんだってするから……」

 しかし、俺たちがあまりにも、堂々としているために彼はだんだんとしおらしく体を縮こまらせていく。そうしなくてはならないような雰囲気がここいらにはあるのであった。覚悟を決めるにはそれなりの時間を要することはわかっているために、俺は急かしたりはしない。そもそも、話しかけたからと言ってすぐさま、次の段階へと移行することはないだろう。しばらくの時間が必要である。
 だが、俺は手本を見せるとばかりに、彼から黒い影が立っている場所を教えてもらい、そちらへと歩き、その前に立つ。そして、適当な会話をするのだ。一切のコミュニケーションは取れてはいないが、彼の反応から見て、俺は黒い影と話しているなのは確かである。それを数分程していたら、何かしらかすかにぼんやりとしたものが見えたような気がした。だが、それはあまりにも一瞬のことで幻だったのか、現実だったのかがわからない。最後に、少しだけ頭を悩ませてしまうようなことが起きた気がしたが、俺は今はそれを気にしないことにして、にこりと微笑みながら彼の方を振り向いた。
 彼は、もう諦めたのだろうか。観念したのだろうか。そのように見える顔をしているのである。少しばかり、申し訳なく思うが、これも彼のためなのだと非常になる。なるしかないのだ。
 そうであるならば、ここで時間をつぶしていることに意味はなかった。むしろ、何か危険なものが暴れだしても大丈夫なように、王都の外まで来たのがバカバカしくすらある。今この瞬間で解決できていないということは、何の進展もしていないということに他ならないのだから。これから先は、キースが、恐怖に立ち向かうかどうかにかかっているであるから。
 俺たち二人は、それを見守ることしかできなかった。

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