天の仙人様

海沼偲

第118話

 ユウリと共に王都へと向かう街道を歩いている。彼女が俺へと手を伸ばしてきて、手をつなぎながらであった。こうして、お互いの体温を感じ取っていることが好きでたまらないということをよおく知っているために、俺は特に何も言ったりはしなかった。数か月前に生き返ったというべきか。今まで魂のみでこの世にいたことは間違いないのだから。それを考えれば、この肉体は新鮮に違いないだろう。そして、その肉体の感触を確かめるように、そしてその相手を俺にしているのを俺がとやかくは言わないのだ。これは大切なことなのだから。
 門が見えている。これをこえれば、俺たちは別れる。彼女は少しばかり寂しそうな顔を見せているわけだが、彼女はこっそりと俺にあっているのである。そう思っている。彼女は自らの意思での発言のせいで、こうなってしまったのだから。俺には手を指し伸ばすことは出来はしない。それは、すべてを裏切るように思えてならないのである。そういうこともあって、だからこそ、ここまでしか一緒にいられない。これは、彼女が自分自身で選んだ……選んでしまった道なのだから。これもまた、俺は何も言わないのだ。言ってはならないことなのだから。
 門をくぐった。俺は手を離すが、それでも彼女は、ユウリは手を離してくれそうにはない。俺はじっとその手を見ている。ようやく気付いたらしい。パッと手を離した。ごまかすように笑顔を作っている。俺もそれに応えるように、笑みを浮かべる。それだけであった。静かな時間が続いているだろう。しんと草木すらも静まり返っているようにすら感じられる。不気味だと表現してしまうほどの無音である。一歩足を踏み出して、この場から離れようとする。と、目の前に一人の少年が現れた。
 彼は、こちらをじっと睨みつけている。俺たち……いいや、ユウリのことを睨み付けているのである。絶対に逸らさないという意思が見られるほどである。恨みがこもっているその瞳でしっかりと彼女のことを睨み付けていて話すことなく、そしてこちらへと一歩一歩確実に近づいてくるのであった。幽鬼的にずるずるとしたようなそんな足取りに感じられるのだ。そして、またしてもというべきだろうか。彼女の頬が叩かれるのであった。
 だが、彼女は何も言えなかった。自分が悪いのだと思っているのだから。今この場で自分が何か言い返すことが出来るような立場にはいないのだと思っているのだから。そして、それはほとんど真実に近いのである。だから、口を開くことをせずに黙ったままに、彼にされるがままになっているのだ。下を向いて、口を閉じてしまっているのであった。
 じいっと、目下からのぞき込むかのように彼は見ている。我慢比べとでもいうのだろうか。いいや、我慢ではなかった。少なくとも、ユウリは今まさに恐怖で立っていることがやっとなのである。命の危機に瀕しているとでもいうのか。それぐらいのことを言ってもおかしくはないと断言できるのだ。それほどの恐怖が今まさに彼女の目の前に存在してしまっている。

「はあ……いやあ、さすがにあり得ないと思いましたよ。そうそうないだろうと思っていましたよ。楽観視していたわたしが悪いというならば、悪いでしょう。最悪の事態という奴を一切考慮していませんでしたからね。まあ、普通は考慮しませんけれどね。だって、格が違うのですから。だから、あなたは命欲しさによりついてこないだろうと考えていましたよ。それすらも甘かったのですから、まあ、笑うしかありませんけれど。なにせ、あなたがそれほどまでに惨めにアラン様に縋り付いてくるとは思いませんからねえ。自分で、アラン様から離れると言ったくせに、それをすぐさまにでも破り捨てて、まさかのうのうとアラン様と秘かに合っているなどとは誰が思うでしょうかね。くく……惨めな女ですね。ああ、元男でしたっけ。まあ、どちらでも構いませんが。どちらにせよ、あなたはわたしたちを恐れて、自分という存在を恐れ、アラン様から逃げてしまったというのに、それでも、アラン様のやさしさに包まれたがっている。あははは……バカなんですかね? ああ、バカでしょうね。わたしでしたら、アラン様に会えないことは死ぬことよりも嫌なので、たとえ、死ぬことになろうが、アラン様と離れたくないとわめき叫ぶことが出来るというのに、あなたは出来なかった。だから、こうして惨めに生き恥をさらしているというわけでしょうにねえ。それでも、こうしているのは恥ずかしくないのでしょうか? あなたはいつから、アラン様があなたごときにもやさしさを与えてくれるものだと勘違いされているのでしょうか?」

 ルクトルは、彼女を見下しているような目をしていた。あきらかに、格下の生き物を見ているときの目つきなのである。彼にとってみれば、今彼が言った言葉の全てが本心で包まれてしまっているのである。それがよくわかるのであった。彼女もまた、それを深く感じ取っているのだ。
 何も言い出せないように辛く苦しいという表情を見せながら、だが、このままだ待っていたら殺されてしまうだろう。それもわかっている。だからこそ、精いっぱいの勇気を振り絞るかのようにユウリはか細い声を無理やりに出すのである。あまりにも弱々しく、すぐにでも折れてしまうのではないかと心配してしまうほどに。

「で、でも……友達としてなら、会ったとしても許されるとおもうから……。べ、べつに友達どうしで会うことはおかしいことじゃないはずだから。そう思って……。だから、こうしてあってもいいと思うんだけれども……」
「あはっ、友達ですか。はあ、友達だったんですねえ。いやあ、驚きましたよ。あなたのアラン様に対する想いは友達に対する想いと同じだというのですか。へえ、それはそれは。ならば、他の人でもいいですよね。他の人と友達になればよろしいのではないでしょうか?そちらの方が少なくとも精神的には楽になると思いますが? それならどうして、アラン様に執着するんですか? 見てごらんなさいよ。アラン様以外にも人はいます。それなのに、わざわざ、アラン様を選んで、そして、近寄ってくるのですか、すり寄ってくるのですか。汚らしい。汚らわしくて仕方がないと思いませんか? わたしは思いますよ。ええ、なにせ、友達なんて言葉で逃げようとしているのですからね。ここでもそうして逃げるのですからね。弱い弱い、羽虫みたいに。はあ、そんなことわたしが許すわけありませんよね。卑しい雌がいっちょ前に、友達なんて言葉を使っているのですからね。それは相当に罰を与えなければ気が済まないとは思いませんか?」

 ルクトルの腕はユウリの頬を掴んだ。じっと瞳の奥底でも見透かすように、感情が抜け落ちてしまったかのような瞳を見せているのであった。彼の瞳がただ、人間的な美しさを持たずに、その物質そのものの輝きを美しさのみを身に付けているのであった。
 だが、その美しさは同じほどに、恐ろしさというものを内包しているのである。彼女はただ体を震わせることしかできずに、怯えたような目を見せるだけなのである。これは罰なのだろうか。誰に対してのだろうか。受け入れた俺に対する罰なのかもしれない。その側面もあってしかるべきなのだろう。彼は、俺も非難しているのである。それがよおくわかるのだ。だから、俺もまたこの罰をただ素直に受け入れることしか出来ないのである。そう思ってしまうのである。だから俺は、この罰を受け入れるために、ただそれを見ることしか許されていない。一切の贖罪を許されていない。それがわかっていることなのであるのだから。
 しかし、ルクトルは俺がその悲痛な顔を見せているということに気づくと、すぐさま彼女を離してこちらに寄ってくる。俺の顔を覗き込むように目と鼻の先にまで近づいてくるのであるのだった。そして、彼の手のひらでもって俺の頬が撫でられる。その温かさを俺は感じるのである。
 その顔は真に俺のことを案じている様子が見られるのである。俺は嬉しくなる。ダメなのはわかっているのだが、彼が俺のことを考えてくれているのだということが分かるのだ。それに喜びを感じてしまうのである。人を嫌いになれない。人を愛さないということが出来ない、俺という人間の大きな欠点なのであると言えた。だから、今こうしているときもにこりと笑みを浮かべてしまうのだ。今まさに一人の女性が苦しんでいるのに、その隣で愛されている喜びに震えているのだ。
 彼は顔を赤くしてこちらをじっと見つめている。ふとユウリの方を一瞥すると、すぐに此方へ向き直り、唇を重ね合わせた。愛を絡み合わせるようにお互いを求めているのであった。吐息がこぼれるように、お互いがお互いを貪り合うかのような獣のような愛であると言えたのであった。今まで以上に激しいと感じさせるものであった。だが、俺はそのすべてを受け入れるのである。それが俺なのだから。自分という人間がどういうものかは自分自身がよくわかっているのである。
 離れる。そうして、彼は再び彼女の方へを目を向ける。勝ち誇ったような目を向けるのである。それは全て自分が許すことの出来ないただ一人の人間に向けられているのであった。だが、その目つきに、体に、そして心に余裕があるようには見えなかったのであった。何かに焦っているかのような怯えているかのような、そんな感情が渦巻いているように思えてならないのであった。

「ねえあんた。どうして、アランとキスしているの? いつ、私がそんなことを許可したのかしらね。全く記憶にないのだけれども。あなたの腐ってしまったかのようなふざけた頭にはあるのかしら? おかしいわ、とてもおかしい。少なくとも、私が許可した一切のものの中にはアランとキスをしていいというものはなかったはずなのだけれど」
「これは、あの女にわたしと、アラン様がどれだけ愛し合っているのかということをわからせるための儀式のようなものですよ。ほら、見てくださいよ、この女の顔。自分の自称友達が他の女とキスをしているというだけで大きな傷を負ったみたいな顔を見せているのです。弱虫にはふさわしい罰だと思いませんか? だからこそ、これほどまでに愛し合っているための口づけを人前にさらすことが出来るのです――」

 ルクトルの視線は、唐突に現れた人物へとむけられる。そして顔が固まった。彼もまた逆らえない人物がいるのであるということなのだ。その人に来られてしまっては、自分もまた、彼女と同じ立ち位置に立ってしまうのだということなのである。
 俺は彼女へと視線を向ける。そして、そこにはハルが仁王立ちでこちらを見ているのであった。ほんのわずかに怒りをためているようで、その矛先は俺の目の前にいて、先ほどまでキスを交わしていたルクトルに向いているということであった。

「あなた? アランの何? いつから、アランの妻に、恋人に、婚約者になったのかしら? 教えてほしいわね。もしかしたら、私がついうっかり度忘れしていただけなのかもしれないから。そうでないのならば、あなたはどうして私のアランに淫らな行為を求めたのかしらねえ。ちゃんと教えてほしいわ」

 何も言えずにいた。静かに口を閉じて。目をつむる。助けてくれと言わんばかりに怯えているのであった。だが、俺はどうしても助け舟を出せないのである。俺の本性がそういうものだからなのである。誰の味方でもあり、誰の敵でもないということは、つまりはこういうことなのだから。だから、黙ってこれを見届けることしかできない。一切の口を挟まずに見届けることしかできない。これは、非常に苦しいことだ。並大抵ではない。だが、俺はそれを選んだ。だから、まっとうしなくてはならないのである。
 ハルは、彼らを見回した。そして、鼻で笑う。呆れているのか、馬鹿にしているのか。そのどちらかはわからない。

「あなたたちは、どちらも似た者同士ね。だから、嫌いあう。嫌いあうというよりは、ルクトルが個人的に嫌悪していると言った方がいいかしらね。まあ、どちらも、アランの妻になる資格はないのだけれども。だから、どんぐりの背比べみたいなものね。くだらないわね、とっても。だから、そんな争いなんてやめなさい。あなたたちにはどちらにも与えられるものではないのだから」

 彼女は俺の手を握ると引っ張るようにしてこの場から離れるのであった。俺はそれに何も言わずについていくばかりである。それが正しいことだと信じることしか俺には出来なかったのである。

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