天の仙人様

海沼偲

第96話

 この鶏は、列が動いてもしっかりと俺の馬車の隣を常に陣取っていた。このままではおそらく、町の中へと入れてもらえないだろう。危険なのだから。そんな生き物をのこのこと街中に入れても許されるようなほどに、杜撰な仕組みではない。ならばと、どうしたものかと俺は頭を悩ませているわけである。彼が俺の言うことを聞いて、ここから離れてくれるということはないだろう。なにせ、そういうしつけを受けてきたわけではないのだから。たまたまに、野生のカンムリダチョウが俺に興味を持ったということなだけなのだから。むしろ、どうして今ここで俺に興味を持ってしまったのかを小一時間問い詰めたくなってくる。そのせいで、今こうしてこれからのことについて頭を悩ませなければならないのだから。知的好奇心を満たすことは出来た。それについては感謝をしているが、それとは話が違うのであった。
 彼は、じっと俺の目を見つめている。何か言いたいことでもあるのかと思わせるかのような真剣な目つきである。彼の言葉はわからない。彼の瞳からおそらく発せられているであろう思いというものすらもどうもわからない。やはり、まだまだ、俺と彼の間にはそれだけの時間がないということなのだ。たった今であったばかりの生き物の心のうちすらも理解できるかと言われて、出来ると答えられないのだ。こればかりはどうごねても不可能としか言えない。残念でならないが、諦めなくてはいけないことなのであった。ただ、その諦めなくてはならないということが悔しくてならない。時間さえあれば、必ず話がわかるようになっていると、言い訳をしたくはある。だが、今それは必要とされていないのである。残念でならない。
 とはいえ、ここまで初対面でありながら彼がここまでなついているというのは、俺個人としては相当に珍しいことであるために、ここで別れてしまうのは非常に惜しくて仕方ないわけである。ならばといって、彼が俺の言うことを礼儀正しく聞いてくれるかと言われるとそれに対しては、胸を張って言い切ることが出来ない。彼が俺をどう思って、何を感じて、今こうして俺の隣をとくとくと歩いているのかというのが非常に気になって仕方がないわけであるし、何度か話しかけてみるわけであるが、それに対しての一切の反応が帰ってきていないのである。つまりは、俺のこの言葉を自分自身に語り掛けるという意味で使われているのだと理解していないということになるのだから。このもどかしさの中でも無理やりに、諦めの心をもって、心優しく接し続けている自分自身の心の深さにも、わずかに感謝の念を抱くわけだが、それでもやはり、何も反応せずにただじっと俺のことを見たままに、何も言うこともせず、ただついてくるということに、彼のどんな意図があるのかを変な方向に考察せざるをえないのであった。彼らの生態が、実のところはもしかしたら、そういう方向に存在しているのではとすら考えが飛んで行ってしまえるのだ。これは由々しき事態ではないだろうかと、思っている。学会を無断にとんちきちんなところで混乱させてしまうことになるのだから。
 一歩、更に一歩と、段々として、外壁へと近づいていっているのが、窓の外から顔を出してみてみるとよくわかる。少し前では、外壁の全てが視界に入り込んでいたであろうというのに、今ではもう、すべてを見ようと思えば、首を動かさなくてはならない程である。もうこれほどまでに、近づいているのである。はやく、この事態に対する解決を導き出すべきなのだろうが、どうも、自分自身の頭の限界というものを超えてしまっているらしく、思いつかないわけである。
 諦めるべきだろうか。それが一番楽だろう。太陽も逃げている。一目散に隠れるようにしてだ。彼は答えを教えてくれないらしい。月に聞けとばかりに他人事だ。実際に他人事なわけだが、それでも失礼な奴である。薄情な奴である。そう罵ってやりたくもなるだろう。いつも誰のおかげで朝の目覚めが快適なのかを忘れて、侮辱してやりたいとすら思ってもいいだろう。何せ彼は誰も聞いていないというのに、ぴゅうっと、駆け足で逃げていっているのだ。わかっているさ。どうせ、彼も何もいい案は思いついていないのだということを。ただ、それを悟られたくないのだ。
 ならばそろそろ月が顔を出してくれるだろう。彼女に聞けばいい。彼女と二人で、考えを巡らせればいいだろう。それはとてもいい考えだと思わないかい。一人でダメだとしても二人で考えればいい。だから俺は月と考えよう。答えは月に聞くのだ。教えてくれるのではなく、教え教わり、そして導き出していくのだ。二つの頭で一つを生み出すのである。とても素晴らしいことだろう。さあ、顔を見せてくれまいか。一緒に考えるとしよう。
 だが、どうやら、月は出てこない。顔が見えない。恥ずかしがっているのかとも思ったが。今日は風邪を引いているらしい。涙と鼻水が止まらないらしい。それはそれは。気づかなかった俺が悪い。お大事に。祈るとしよう。明日にちゃんと顔を見せてくれることを。俺は祈っているさ。今日は、諦めるしかないのであった。つまりは、俺は一人で答えを出さなくてはならなくなってしまったのである。あらゆる希望から見放されてしまったようなのだ。今すぐに叫んでしまいたい。逃げてしまいたい。だが、それが許されないのだ。当事者だから。
 俺が他にも目をつけてみると、みんなして視線を外すようにして逃げているのがわかる。俺の近くを飛んでいた蝶々ですらも、関わり合いになりたくないとばかりに思い切り羽を動かしてこちらから遠ざかっているのである。口をあけて、唖然とすることしかできなかったのであった。俺にすり寄るようにして寄ってきていた蝶々さんのすがたは今はもう見る影もなくなっているのである。ばかやろうと言ってやりたくもなるだろうさ。だが、俺は笑うしかできなかったが。
 彼は唐突に俺が笑っているので驚いていた。まあ確かに、わからないでもない。だが、仕方のないことだろう。なにせ、とうとつに蜘蛛の糸をちぎられたかのように皆に見放されてしまったのだから。こうなってしまうことを許してほしいと懇願しなくてはやっていられないのであった。

「《どうも、もうすぐ俺はあの壁の中へと入ってしまう。その時には君と離れ離れになることだろう。俺としては、それはとてもとても、悲しいことだ。君とはどうも、仲良くなれそうな気がして仕方がないのだが、それは運命というべきか、必然というべきか、どちらかはわからないが、そんな極悪人ともいえる存在が、自分たちの描いている未来を変えてはいけないと、突っかかってくるそうだ。こればかりは俺がどれだけ喚こうとも叫ぼうとも、変えることは出来ないだろう。ならば、別れは今だろう。限界ぎりぎりまで、顔を見ているよりも、すぐさま、別れた方が痛みは少ないと思わないかい。俺はそう思う。君がどうして、ここに並んでいる数ある人の中から俺を選んだのかはわからないが、俺は、このたった少しだけの時間をとても有意義に過ごすことが出来たと思うよ。だから、さらば。俺は忘れないさ。君も忘れないでくれると嬉しいね》」

 俺は語り掛けるのである。彼にも伝わるだろうと、そう信じて。今まで、何も反応しなかろうと、これがどの意味が込められているのかぐらいはわかるだろう。なにせ、彼は今まさに壁を向いたのだから。今まであたりとふらふらと視線をさまよわせて一点に集中したことがなかったのに。今まさに俺たちを引き離す、大きな石の塊をしっかりと目に焼き付けたのだから。
 これでようやく理解してくれたのだと俺は安堵したのだ。なにせ、誰であろうとも、あの壁の法には逆らうことが出来ないのだから。逆らってしまったが最後、死んでしまうことは避けられないのだ。死なないようにするには、自分を殺そうと動いてくるすべての存在を返り討ちにして殺すしかない。そんなのは不可能である。少なくとも、彼の力ではどうにも抗うことは出来ないのだ。
 だが、彼は首を横に振った。俺はその反応を見てまず驚いた。目をわずかに大きく開いてしまったことだろう。ようやく俺の言葉に反応してくれたのだという喜びと驚きが入り混じっているかのような、感情が全身をかけている。そして、悲しんだ。なぜ、そこで首を振るのだと、どうして、否定するのだと。俺の願いを聞き入れてはくれないのかと思わずにはいられないのだ。無理なのだ。不可能なのだ。それを無理に捻じ曲げようとは思わない。それは相当に危険なことなのだ。死んでもおかしくはないだろう。ならば、受け入れるべきだろう。そうすればいずれは会える。ならば、それを待てばいい。その方が双方が幸せではないのかと思う。だったら、それを選ぶべきであろうさ。なのに、彼はどうも、聞き分けがなっちゃいない。駄々をこねてしまっているのだから。

「まるで、アラン達は恋人が離れ離れになるときの演劇でもしているかのようだね。その鶏は、彼女なのかい? それとも彼なのかい? 僕には、カンムリダチョウの性別を見分ける方法なんて知らないから、どちらなのかが一切わからないわけだが。もし、彼なのであれば、その鶏はどうも女々しい。男らしく堂々としたまえと、言って聞かせてやればいいと思うわけだけれども」

 ルイス兄さんは俺たちのやり取りを見ていたらしい。手で顔を覆ってみていないようにしているのかと思っていたが、途中からそれをやめていたようであった。しかもその言葉には呆れているかのようなため息が紛れ込んでしまっている。行間に確かに存在しているのであるのだ。
 俺だって、彼の性別がどちらかなどわかるはずもない。ただ、なんとなくで彼と呼んでいるだけに過ぎないのだから。
 と、彼の頭を見るわけだが当然カンムリダチョウの名にふさわしく、りりしい鶏冠があるわけなのだが……そういえば、ない。なんとなくで頭をなでていたが、気にしていなかったが、鶏冠がない。いや、あるにはあるのだがどうも小さい。大体の外見から、カンムリダチョウであることはわかるわけだが、それでも一般的な絵で見るような姿に比べれば、やはり小さい。
 鶏冠がでかいのは雄であるというのは当然の事実として存在するわけだが、ならば、彼は雌ということになる。俺はまたしても、彼女の性別をとんちきに誤解してしまっていたようであった。俺は、性別あてクイズをまともに成功できていないのではないのかと思っている。節穴の次元がかなり上の方で高いらしい。
 ならば、彼女が女々しく離れたくないとばかりに駄々をこねているというのもわかるというものであるが。そもそも、彼女たちの種族は、そういうような特徴があったものかとふと考えたくなるわけだが。
 まさか、俺が彼女に惚れられているというわけはあるまい。そうだろう。だと言ってほしいが。さすがに、鳥に惚れられるのは、想定していないから、相当に心の準備が必要なわけであるが。……よし、大丈夫だ。俺は彼女を愛せるだろう。たとえ周りから気が狂っているかのように扱われたとしても、彼女を愛し尽くせるであろう。覚悟を決めればどうということはない。今ならばカエルの王女さまですら愛し合えることに違いないだろう。たとえ、呪いが解けることはなくても、彼女を愛し続けられると誓えるのである。
 いいや、そうだとしても俺たちはここで離れなくてはならないのである。どれほどまでにあの壁が憎くとも、あれを壊すことは出来ない。こればかりは、俺が人間である限り逆らえない宿命とでも言うべきであろう。だから、彼女にも理解してくれなければ困るのだ。わかってくれと、何度も頼むわけであるのだ。
 彼女はわかってくれたのだろうか。涙を流しているのだ。ああ、申し訳ない。彼女を泣かせるつもりなど一切ないのだ。どうしてこんなに苦しい思いをしなくてはならないのだと、思う。彼女も苦しいだろうが、俺だってそれだけ苦しいのだ。女性を泣かせることなど好き好んでするわけがないのだから。だが、俺は彼女を泣かせてしまっているのである。この罪悪感をどうしたものかと胸を締め付けられてしまっている。
 彼女は、泣きながら、そして、鳴きながら、とぼとぼいう足取りで去っていった。兄さんたちからは冷たい目で見られているが、だから何だというのだ。こればかりは、俺にだってどうしようもないのである。許してくれと願うばかりであったのだから。

「僕は、アランが女性を泣かすところを初めて見たよ。いやあ、珍しいものが見れた。僕だけではないのだと安心することが出来たよ」

 なんと陰湿な安心の仕方だろうか。だが、今の俺は笑われても仕方がないだろう。ならば、笑うといいさ。そんな思いでいるのであった。
 と、しばらくすると、どだどだと、足音が複数聞こえてくる。それは、カンムリダチョウの群れである。それが、大声張り上げてこちらへと向かってきているのである。ああ、何をしたのか。俺のせいか。俺が彼女を泣かしたから、親が怒ってきたのかと、俺の顔からはありとあらゆる感情が抜け落ちていくのが感じられた。

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