天の仙人様

海沼偲

第85話

 今は、山の中腹ほどであろうか。上を見てもまだまだ先があるということがある。だが、ルイが疲れを見せ始めているのであるから、より、長く休憩をとるのを選択したわけである。ハルも、静かにしている。
 俺が休憩していると、この山に住んでいる小動物が、そろそろと集まってくる。俺の肩にはリスが乗る。俺の肩の上でわざわざ木の実をかじるのである。俺が触れても逃げるそぶりを見せずに撫でられるままとなっている。ルイは、その光景をじっと見ている。何か言いたいことがあるのだろう。たしかに、野生の動物にここまでなつかれるなんて、あり得ないのだろうな。だが、俺にとってはあり得ることなのである。ハルもよく見ているからこそ、何とも思っていない。羨んでいることはあったが。
 昔からそうなのである。俺はよく動物になつかれる。前世のことであったが、動物園で飼育されていたクロヒョウが逃げ出したことがあった。その時、逃げているヒョウが俺の目の前に現れたのである。俺は驚いたが、別に食われるということはなかった。顔は舐められたがそれだけであった。まるで、俺のペットであるかのように、べたべたとなついてしまったのである。それほどまでに俺はなつかれやすいのだ。
 近くの茂みが音をたてる。そして、そちらから猫がやってきた。その姿を見て、ピクリとハルが警戒心をあらわにするのだが、その気配を気にすることなく、猫は俺の膝の上に乗っかると、だらりと休んでしまった。彼女が恐れているコオニグライ。それは、ネコ科の生き物だった。姿もイエネコに似ている。そのせいもあって、彼女は猫の類がダメなのである。近寄ってきただけで、悲鳴を上げるほどである。それは、どれだけ強くなろうとも変わらない。茂みが音をたてることなく、突然現れていたのならば、彼女は気絶していてもおかしくはないだろう。それほどなのだ。わからなくもないだろう。自分を殺しかけた生き物によく似ているのだから。
 彼女はガチガチに固まったまま、動くこともできずにいる。俺に助けを求めようとも、俺のそばにその猫がいるために、近寄ることが出来ない。何もできずにただ、そこにいるだけしか出来なくて、彼女の瞳から涙があふれてきてしまう。彼女の猫嫌いは当然、救いようのないまでに、大きいのである。これほどまでに。それを見たルイは、驚きの表情のまま固まってしまうのだ。おそらく、どうして泣いているのか彼女はわかっていないだろう。まさか、猫を怖がって泣いているとは夢にも思わない。猫を見てなく少女なんぞハルぐらいしか存在しないだろう。猫アレルギーですら近くにいるだけで、そうはならないのだから。恐怖に顔が引きつって泣くなどあり得ないのだから。これは、元ゴブリンである彼女にしかわからないことであった。
 それとは逆に、ルイは俺に近づいてきて、膝の上に乗る猫の頭をなで始める。ハルに対しては驚きを隠せなかったが、それ以上に今この膝の上にいる猫の誘惑には勝てなかったようであった。その時の顔は癒されているようであった。愛おしいものを見るかのように穏やかな顔つきをしているのである。

「ルイは、猫が好きなのかい? その様子から察するようだと」
「そうですね。わたくしは、猫しゃんが好きです。ああいえ、わたくしの家は猫しゃん好きが多いのですよ。それとは逆で、犬好きの人はいないですね。おじいしゃんなどは、犬を見ると殺してやりたくなるほど、嫌いだそうです。ですから、家では猫を飼っていました」
「そうなのか。それもまた、過激な家だね。そこまでなってしまうほど犬嫌いがいる家なんて相当珍しいだろう。昔に犬に何かされてしまったのかもしれないね。ルイのおじいさんは」

 これは、ルイの種族もなにかしら、犬に対する嫌悪感がある種族なのかもしれない。だから、一族として犬が嫌いになるのだろう。少なくとも、角が生えている人族などはいないのだから。どの種族なのかは知らないが。
 彼女はひとしきり猫をなでると、満足できたようで手を離す。だが、それでも、猫の近くにいたまま、座っている。近くから猫を観察していたいのだろう。俺は適当に近くにある、野草を抜くと、それを猫の顔に近づける。それを見ると、口を近づけてむしゃむしゃと食べ始めるのである。猫は基本的に肉食性の雑食という扱いだが、これは、草食の猫である。面白いことに肉を一切食べない。基本的に、地面から生えている小さな草を食べて生活している。たまに、雑草を抜くのが面倒な家が飼っていたりもする。他の猫がネズミやゴキブリの駆除に飼っているのとは違う目的で飼われるのである。草食の猫は、この種類とあと一種類だけだったような気がする。歯をよく見ていればわかるが、草を食べるための臼のような歯をしているのだ。馬とか牛とかの葉を見ているかのような気持ちになること間違いない。どこで進化別れをしたのだろうかと非常に気になる。なにせ、草食性の雑食という道を捨てて完全に草食動物として生きる進化に進んだのだから。顔の骨格標本は、マニアから高く買い取られることもある。それがクサトリネコという種であった。正確には、ルーメルンクサトリネコ。この王国に住んでいる種の名前である。もう一種は、サバククサトリネコ。サボテンなんかを主食としている種である。当然砂漠地帯にしかいない。地面に穴を掘って生活する夜行性の猫である

「へえ、草だけを食べるのですか。そんな猫しゃんもいるんですねえ。初めて見ました。いろいろな猫しゃんがいるんですね」

 ルイが感心したように、クサトリネコの食事を眺めている。大きな町のペットショップなら、たまに扱っていることもあると聞いたことがあるのだが、彼女はどうも知らないらしい。猫好きの間では有名なものだと思っていたのだが、どうもそうではないようだ。そこまで知名度がないとは思わなかった。
 ハルは、肉ではなく草を食べる猫だということで、わずかな興味と共に、近づいてみようと努力しているが、やはり、トラウマというものがそんな食性程度で克服できるものではないので、顔をゆがめながら、元の位置へと戻っていった。自分が食べられないとわかっていようが、食べられかけたことがあるという、記憶はこれからも縛り続けていくことだろう。そればかりは、俺にはどうすることも出来ないのである。
 猫はだらりと体の力を抜いたまま、目の前に差し出される草をもそもそと食べることを繰り返しているようである。さすがに、毒性のあるものを差し出さないように手に取るものは慎重に選んでいく。
 俺たちの休憩が終わると、周りに集まっていた生き物はさっといなくなる。まだまだ、癒され足りないという様子を見せているルイではあるが、これ以上長引かせても意味がないだろう。休憩時間を取るのは大事だが、取りすぎるのは良くないのである。彼女は、残念そうな顔のままであるが、諦めてついてきてもらうしかないのだ。彼女は名残惜しそうに、消えていった方向の草むらを見ていたが、納得できたようで目的の場所へと視線を戻してくれたようである。
 一歩一歩、しっかりと進んでいくが、まだまだ先は長いだろうことはうかがえる。そこまで標高の高い山ではないのだが、やはり、ネックとなるのがルイであった。彼女は舗装されていない道を歩き続けるだけの体力はないのだ。夕方までに山頂に到着できればいいという、簡単な話だから、休憩をたくさん取ることは出来る。だからといっても、彼女の歩く速さが変わるわけではないのだ。

「皆さん、速いですね。羨ましいです。これでも結構体力があるほうだと思っていたのですが、どうも疲れてしまいます。山道を歩くというのは大変ですね。今までは、平坦な道ばかりを歩いていたつけなのでしょうか。ですが、山道なんてそうそう歩くものではないと思いませんか?」

 ルイは、疲れと共に不満も溜まってきているらしく、ぶつぶつと文句を垂れながら一歩一歩、歩いている。目は静かに落ち込んでいるかのように暗く光っているのであった。少しばかり美しさを感じる。だが、そう思っていることは一切顔には出さないように努めるのであった。

「いいや、違うさ。今歩いているのは道じゃないからね。道以外の場所を歩いたことがないのならば、疲れるのは無理ないよ。地面の硬さが一定じゃないっていうのは思った以上に体力が奪われてしまうのだからね。だから、気にしなくてもいいんだよ。そんなことは十分承知でいるんだからさ」

 彼女は、一つ頭を下げると、再びしっかりと後ろをついてくる。俺たちは、彼女の姿を見なくても確認できるから、彼女を一番後ろにして、二人でできるだけ地面を踏み固めながら歩いているのであるが、それでも彼女には足りないのであった。ハルだって、いつでも敵対をするわけではない。自分がすることはわかっている。ただ、俺が絡まなければいいのだ。ならば、この班に俺が入ってしまったということが一番の悪手であったと言えた。そう考えてしまうと、とても虚しく感じる。仲良くするためには俺の存在が一番の障害というのは。これ以上考えると、自身の存在を否定してしまいそうで、発狂するかもしれないと思い、考えるのをやめた。
 それでも、何度も休憩を挟み、少しずつ、山頂に近づいているというのがわかる。空を見れば一目瞭然である。木が不思議と生えておらず、視界が十分に確保できる場所へ出た。そこからは、景色がよく見える。綺麗なものである。俺たちが今まで登ってきたものがすべて見えるのだ。さらにその下には町が広がっている。この世界に来てから、町をここまで上から見たことはない。だからこそ、俺は感動しているのかもしれない。小さなミニチュア模型のような、町の姿に俺は心が安らいでいくようだった。あの町に俺は住んでいるのだと、模型のようなあの町で生きているのだと。とっても小さく見えてしまう町の姿を、感じ、そこに住んでいる俺自身の小ささも感じられるのである。とても素晴らしいだろう。良い。素敵なことである。
 彼女たちも見惚れている。上から見る景色というのはどんなものでも美しいのだ。それを彼女たちも味わえているのだ。俺たち三人は、同じものを見て、同じ気持ちを共有しているのである。それもまたうれしくある。言葉を交わさずとも、気持ちを共有しているのだから。それはなんて美しいものだろうかと思えてきて仕方がないのであった。この感覚をしばらく味わっていたいと願っても無理はないだろう。

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