天の仙人様

海沼偲

第80話

 この結果を踏まえて、成績をつけることになり、学年の順位が発表される。それは、数日後らしい。それまでの間は授業が出来るというわけでもないので、しばらくの間休みとなる。学校に入学して短期的な休養日が出来てしまうわけであるが、仕方のないことだろう。一日で百人を超える生徒の成績を出せるかといえばそうではないので、静かに待つこととなる。
 俺たちは入学は終わっているため、学生寮に入寮しているため、これからは、ここが俺の家になるのだ。ほんの小さな部屋である。故郷の自室よりも大きくはあるが、その程度でしかない。逆に言えば、貴族の一部屋よりも大きな部屋を確保してもらえているのである。文句はない。俺より爵位が上の貴族たちは、もっと広い部屋に住んでいるだろうから、文句はあるかもしれないが、男爵家出身である俺は豪邸のようなものであるのだ。食事は、食堂でとるため、ここでは寝ること以外では使うことはないだろう。窓の外には、この学校の敷地が見える。広い王都でも、この学校はかなりの土地を使っている。敷地の端から端を見渡せないと言われているほどなのだ。確かにそうだろうと思わざるをえない。
 俺は窓に腕を乗せて、外の景色を眺めている。王都でも空は変わらずに綺麗である。この先、向こうへ行けば俺の家があるのだろう。どれほど遠くだろうか。感慨深く感じるほどである。下を見下ろしてみれば、数人の生徒が歩いているのが見える。彼らもまた新入生である。上級生はまだ授業中なのだから。今をこうして、歩いているのは、新入生ぐらいだろう。
 ドアがノックされて、入ってくるように声をかけると、一人の少年がゆっくりと部屋の中に入ってきた。彼は俺のことを心配しているのだろう。顔にそう出ているのである。俺は、静かに笑顔を浮かべる。それを見ると、彼の顔もまたパッと晴れやかな顔つきになるのである。とても綺麗な顔をしている。
 彼は、ゆっくりと、俺の隣にまでやってきて、そっと俺の手を握った。人よりもわずかに冷たい。彼の種族は体温がそこまで高くないのだ。だからこそ、冷たく感じる。でも、彼が俺のことを冷たく思っているわけではないのである。この冷たい手から、そう感じ取るのである。冷たさの中のわずかな温かさを感じているのである。

「あの、アラン様。惜しかったですね。ルイス様も、カイン様も、主席で合格していましたので、アラン様も主席を目指していたと思いますが、決勝で負けてしまうなんて。相手が相手なのでより複雑ですよね……。わたしとしては、どちらを応援したものかと思っておりましたが。やはり、アラン様に優勝していただきたかったです」

 彼は正直者だ。どちらかを応援するか迷っていると言ってはいるが、その実は俺を応援することに心を決めているのはわかっていたのである。ただ、ハルをたてるために、そう言っているだけである。彼の気持ちは顔に出やすい。だから、俺もすぐにわかってしまったというものであろう。だが、彼がそれほどまでに俺のことを応援してくれたのだという思いは素直にうれしく思うのである。

「そうだな。たしかに、悔しい。悔しいが、俺の中では、あまり大きなしこりとして残っているわけではないんだ。主席が取れなかったということは、今ではどうでもいい。なにせ、ハルと全力で戦えたのだという達成感がある。それはとってもすがすがしく俺の心を駆け回っているんだ。それの方が上であるし、主席ではないだろうという予想は、塵の役にも立たない。今回は負けてしまったが、次は絶対に負けないと誓っている。ならば、この悔しさは、みんなが気にするような、大きなものとしては残っていないのだと思うわけなんだ」
「そうでしたか。ならば、心配しなくても大丈夫でしたね。アラン様が泣いていましたので、主席を取れないことをさぞ悔しがっているのかと勘違いしておりました。そう思っているのでしたら、大丈夫ですね。もし、悔しがっているのならば、わたしが慰めてあげてもよかったのでしょうが……」

 彼は安心したように息を吐き出すと、俺の腕に抱きつくようにして腕を組んでくる。どうやら、彼はこうしたいがために、俺の部屋までやってきたのだということにすぐさま気づいた。明らかに、先ほどまでと顔色が違うのである。俺が落ち込んでいるようであれば、慰めるが、そうでないなら、抱きついてもいいだろう。自分の欲を満たしてもいいだろう。そういうような思いでこの部屋の扉をたたいたのであろう。なんと自分に素直なのだろうか。俺は、彼の頭をなでる。彼は静かに目を細める。
 俺は、彼の肩を抱き寄せるようにして、より密着する。男子寮には女子は入ってこれない。逆もまた同じである。つまりは、俺は寮にいる間は、ルクトルとしか一緒にいることは出来ないのである。ならば、彼とは更に距離を縮めたいという思いが働いていても仕方がないのである。ハルがいれば、ここまでべったりと近寄っていることに腹を立てて、無理やりに引き離すだろうが、彼女はいないのであった。
 彼の種族的本能か、俺の首筋を舐め始める。消毒液を塗っているかのように、しっかりと、舐めている。それと共に、彼の発する息遣いがだんだんと荒々しくなっていくのである。俺は彼の方をじっと見ると、彼は、寂しそうな顔を見せている。エサを与えられるのをお預けされているペットのような顔を見せているのである。ああ、ペットという表現は失礼かもしれないな。だが、そう捉えられても仕方がないような物欲しそうな顔を見せてくるのだ。

「あの、ダメでしょうか。わたしは、アラン様の血が飲みたくて仕方がなくなってきてしまっております。疼いてきてしまっているのです。アラン様の血を飲みたいと体がわめいてきているのです。これを治める方法など私にはアラン様の血を飲むこと以外、思いつきません」
「治める気が元からないのだろう。他の人の血などはどうだ。俺以外にも美味しそうな血を持った人がいるかもしれないぞ。探してみようとは思わないのか? 俺一人だけではいづれ困ることもあるかもしれないし」

 と、俺が何となしに行ってみると、ルクトルは眉間にしわを寄せて、目つきを鋭くしてこちらを見ているのである。何か大変なことでも行ってしまったかと、撤回しようと思ったのだが、唐突に腕に痛みが走る。そちらを見ていれば、彼がぎゅっと俺の腕を握っているのであった。しかもその強さは俺が痛みを感じるほどなのだから、他の人にやれば、明らかに腕がちぎれてもおかしくない程の力なのだ。それほどまでの怒りをあらわにしているのである。

「いやです! アラン様以外の人間の血など体にいれたくありません。この体は頭の先から足の先まですべてがアラン様のものなのです。ですから、この体全てをアラン様色に染め上げたい。それならば、血を飲むのなら、アラン様以外の人間の血を飲んではいけないのです。そうすれば、わたしの中に巡っているものは全てアラン様で出来ていることになるのです。この髪も爪も、肌も、すべてがアラン様からいただいたものになります。とても素敵です。愛おしい。わたしの体がわたしだけのものではなくなるのです。この全てがアラン様からできているのだと思うと、もっともっと好きになっているのです。わたしの体をこれほどまでに愛していられるのも、アラン様から血をいただいているからなのです。ですから、絶対に他の人間から血をもらうなんてことをしません。汚らわしい。アラン様のみから作られたこの体を他の人間で汚したくありません。アラン様が許せたとしても、わたし自身が許せないのです」
「そうなのか。なるほどな。ルクトルがそこまで深く、俺のことを想ってくれている結果として、俺の血しか飲まないということなのだな。ならば、俺は喜んで差し出すとしよう。そこまで言われたら、差し出さないわけにはいかないからな」

 別に、なんとなく、冗談半分に行ってみただけなのだが、彼が真剣に他人の血を飲みたくないと言っているので、こう返すことで、怒りを治めてもらおうとしてみる。どうやら、彼は満足しているようで、再び俺の首筋を舐め始めるのだ。しかし、それにしても今日は入念に舐めていると思う。いつもなら、数秒ですぐに噛みついているのだが、何か意識の違いでも生まれたのだろうかと気になってしまう。くすぐったいのだから、早くして欲しいところではあるが、彼がただ何もなく、舐めているわけではないだろうということはわかっているため、静かに待つことしかできない。
 とうとう彼は俺の首筋に歯を立てる。噛みついている。俺の首筋から血が溢れてきていることを感じる。それを飲んでいるのだと、よくわかる。彼は俺の血を飲むときは、俺の前から抱きつきながら飲むわけである。俺も彼の背中に手を回して、さすりながら、彼が満足するまで、血を飲ませ続ける。それと同時に、血がなくならないように、気を巡らせていき、血を生成する速度を速める。そうでもしないと、飲み終わったときに、貧血で倒れかけてしまうのだ。だから、飲まれながらも、作り続けていないと、追いつかないのである。吸血鬼の食欲というのは、放置していると恐ろしいものだと思わずにはいられない。これは、彼も隠していたのも納得というものだ。血を飲まれることを快く受け入れるだけの覚悟が出来ないことだろう。なにせ、血を吸われるたんびに貧血に会うのだ。仙人だからこそ、どうにかなっているだけなのだから。そうでないのならば、やはり、嫌われてしまうことも多々あるだろう。
 そう思えば思うほどに、彼は俺に出会ったことが吸血鬼としてはどれほどの幸福なのかということを理解できるのだ。彼の幸福を俺も理解できることがたまらなくうれしく思っている。彼と心が通っているのだと感じることが出来るのだ。
 彼は、口を離す。それと同時に俺に付けられた傷口はすぐに消えてしまう。そうすると、彼はわずかに頬を膨らませているのを俺は知っている。吸血鬼としては首筋に傷をつけるという行為、その痕が残るということに何かしらの意味があるのだろうということはわかる。だが、残していると、それはそれで問題があるだろう。吸血鬼が俺の血を吸っていると知ったら、彼女たちは血眼になって犯人を捜すことだろう。それはわずかながらに危険だと思う。だから、彼の期待には応えられないことに申し訳なさを感じつつ傷痕を消すのである。
 彼は、俺の胸に頭をうずめるようにして、体を預けてくる。俺はそれをしっかりと支えてやる。ぐりぐりと、頭を俺にこすりつけてくるのである。俺はゆっくりと彼の頭をなでてやるのだ。
 しばらくそれが続いていたことだろうか。夕方へと向かうにつれてだんだんと日の光が赤く染まっていくとともに、ルクトルが俺の顔をじっと上目遣いで見ているということに気づいたのである。何かしら言いたいことがあるようであるが、それを言っても大丈夫なのだろうか、というような不安げな心を隠しているかのような、目つきをしている。目じりを垂らすかのような目つきなのである。少なくとも、彼はそう思っているときはこういう目つきをしていると思う。だからこそ、俺は静かに彼が吐き出しやすい方向にもっていくだけである。何を言っても大丈夫だというような環境を作り上げていくのである。

「何か言いたいことがあるんだろう。言いたいことがあれば言うといい。俺はルクトルが何を言おうとも、それに対して嫌悪感を抱くことなんてありえないのだから。そうであったら、そもそも血をのませることを許可しないだろうね。だから、安心して話してくれるといい」

 彼は安心した顔を見せる。やはり、何度も言ってあげないと怖いのかと思う。自分が今まで何をしてきたのかを考えれば、わかることだろうと思う。だが、こうやって口に出していれば、俺自身も彼のことを絶対に軽蔑しないのだという意思を忘れずに済むことが出来る。これはたぶんであるが、大事な儀式なのだろう。俺個人の心の中でしっかりと残り続けるための儀式なのだ。
 俺は彼が話してくれることを静かに待っていたのである。

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