天の仙人様
第76話
今日は、パーティの日である。お披露目パーティだ。今年に入学する貴族の子女を国王陛下を含めた貴族たちに見せるのである。その時に、ついでに婚約も結べるとなおよしとなる。父親にとっても、子供たちにとっても、気を引き締めなくてはならない時期であろうか。もし、変なことをしてしまったら、貴族の社交界では生きていけなくなる。それほどに大事なパーティであるのだ。
俺は、今まで着てきた衣装の中でも、特に高級そう、そう言ってはあまりにも陳腐で、そして単純だが、生地から何から全てに男爵家の総力を挙げて見栄を張っていると、その限界を求めたかのような衣装に身を包んでいる。では、無駄に装飾されたごたごたとしたものであるかといえばそうではない。むしろ、装飾は少ない。とはいえ、装飾ではなく模様の類で煌びやかというものを表現している。俺に似合っているかはわからないが、父さんたちが、満足そうにうなずいているのだから、大丈夫なのだろう。俺は、父さんたちの感性を信じることにする。少なくとも、兄さん二人は問題なくこれを切り抜けているのだから。ならば、俺も変に心配する必要はないだろうさ。堂々としていればいいのだ。
俺は馬車から降りてパーティ会場へと入る。後ろには父さんがついてきている。その半歩後ろに母さんもいる。受付には成人したばかりであろうか、可愛らしいお嬢さんが立っていた。俺の身長ではどれほどの年齢なのかがわからないというのは非常に困りものである。なので俺は、ただ笑顔でこの場を済ませることにするのである。受付は父さんがやってくれる。子供に任せることは出来まい。当然であった。
会場に入るときも当然笑顔である。これが出来なければ、貴族としては二流もいいとこだろう。下手したら、鼻で笑われる。感情を表に出すことなく、ただ笑顔で腹の底を見せないのだ。そのための仮面替わり。俺は、そのための笑顔も当然できる。ただ、俺は基本的に笑顔が好きというのもある。自分の笑顔も好きだ。ただ、自分の最も愛している表情でいることなど何の苦もない。笑顔は仮面でもあるが、それ以上に、相手に対しての友好の第一手段でもあるのだ。あなたを愛していると、口で言わずとも語りかけられる。それはとても素敵なことだろうよ。
会場に入ればすでにいる人たちに顔を見られる。第一印象で最悪ならば、その時点でアウトだ。今の基準だと醜く肥え太っていると、その時点ではじかれる。その点で言えば、俺はそんなことはないだろう。標準的な体系をしていると言えるだろう。仙人の体は太ることがあるのかという疑問があるわけだが。奥様方は、俺の顔を一目見ると、息をのんでいるようであった。何かにとりつかれたかのように、俺から視線を逸らすことなく、じっと見つめている。そんなに見られるとさすがにむず痒くなってきてしまう。だがしかし、俺は笑顔を忘れることなく、笑うのである。
彼女たちは、自分の息子を見ると、明らかにショックを隠せないような表情を見せる。やはり、自分の顔立ちというのはいろんな男の顔を見てきた貴族の女性様方たちでも、見とれる程度には整っているようである。恐ろしい。自分で自分の顔が怖くなる。この顔を自分自身が見ることが怖いのである。鏡で見てみようかとも思っていたが、見るのをやめようかと思う。俺はたとえ、何があろうとも、自分の顔を鏡で見ることをしないと決意するのである。それほどに、周りの反応というものが、俺の顔の恐ろしさを物語っているのだ。一度見てしまうと、俺のことだ。自分の顔に見とれたまま一日を過ごす可能性だってないわけではない。
それからも、次々に人が入ってくる。参加者の人数はある程度把握しているだろうから、それに合わせた会場を用意されているだろう。それでも、やはり多いと感じる。貴族の子女の数はそこまでではないだろうが、そこに合わせて親がいる。さらには祖父祖母までついてくる場合もあるのだ。うちは、両方とも亡くなっているから、そういうことはないが、存命で、なおかつ過保護な家だとついてくるだろう。何人か、年老いた人たちを見ている。よほど自分の孫が可愛らしいのだろう。彼らの気持ちを否定はしない。きっと、自分にも孫が出来たら、甘やかしてしまうのだろうとわかってしまうのだから。
国王陛下の挨拶によって、お披露目パーティは始まった。最初は、軽く料理をつまむ。数種類の料理を一口分ずつ取っていくのである。食いしん坊であることはあまり行儀のよくない行為として見られている。家ではともかく、こういうパーティで盛んに食べている姿を見せると、家でたくさん食べさせることが出来ない家だと思われることもある。だからこそ、食べたくとも、一度にたくさんの量を持ったり、続けざまに何度も料理を盛り付けたりはいけない。
最初は、親と子供で一緒に固まっているわけだが、ある程度の時間が経てば、それぞれ分かれて、グループを作り出す。親は親で、子供は子供で。親は同じ爵位の人同士で固まることが多いだろうが、子供はそういうことはない。むしろ、子供の時に色んな人とつながりを作っておくことは大事である。それは三男であろうとも変わらない。生きていく中で、誰と友人になっておいて得をするかなどわからないものだ。貴族の友人は何人いても、問題はないだろう。いろいろ祝儀を送るのは大変であろうが。
「ね、ねえ……そこの君」
と、俺の背後から声をかけられているような気がする。これで違っていたら恥ずかしいだろうが、ただ何となしに背後を振り向いたようなそぶりのままに、後ろに目を向けるのである。そうすれば恥ずかしくはないであろう。
と、確かに俺の方へと目を向けている少女が一人いる。目が合う。そして、近寄ってくる。どうやら、確かに俺の方へと声をかけたらしい。間違いではないことにほっと胸をなでおろした。
「どうしたんだい? 俺の背中にゴミでもくっついてしまっていたかい? もしそうならば、失礼した。お嬢さんを前にして汚らしい格好をしてしまったのだからね」
「あ、いいえ、そうではありません……よ。あなたも、お披露目パーティに参加している貴族の息子なのでしょう?」
「うん、そうだね」
「そうでしょ、だから。わたしと、友達になりません――」
「ねえ、あなた! そんな子よりも、わたしと友達になりましょう! そんなもじもじと話しているような子では務まらないわ!」
「そんなガサツそうな子よりもわたくしとはどうでしょう。絶対に幸せにして見せますわ」
と、何人かの少女が俺の周囲へと集まってくる。まるで人気者のようである。俺もまだまだ捨てたものではないなと、少しだけだが、鼻が高くなる。こんなことはあまり誇れることではないが、第一印象が良好であることは、嬉しいことだ。個人的にはね。
だが、彼女たちは俺のことなど放っておいて、彼女たちだけで話し込んでしまっているのである。ならば、俺は静かに、場所を離れるとしよう。それが最も正解であろうと思うね。女性の会話に男が入ってはいけないのであるのだから。
俺は一人でいる少年へと近づく。少なくとも、グループを作っている相手に一人で話しかけるよりも、二人以上のグループで話しかけたほうが、気持ちとしては余裕が持てるだろう。そういう打算的な思惑もあるのだ。
彼の肩を叩くと、ひどく驚いたようでびくりと震わせていた。それがひどくおかしく感じる。よほど、気が小さいのだろうと思う。それでは貴族として生きていくのは大変ではないかと、心配してしまうが、少なくとも、今思うことは彼と仲良くなろうということであり、貴族としての彼の将来を心配することではないということであった。まあ、彼と仲良くなれれば、いずれは彼の子の性格というか、本性というか、その質をどうにかしようと心配してもいいだろうけれど。
俺が挨拶をすると、彼もぼそぼそとした声で目を右往左往と散らせながら、必死に言葉を返してくれる。よほどの緊張しいなのであろうとすぐに思い至る。しかし、これほどまでに緊張でがちがちに固まっている人を見るのは初めてである。よほど、俺の周りには社交的な人間しかいなかったのだと思う。
彼は子爵だそうだ。普段はそうではないのだが、人がここまで多いと体が縮こまってしまい、言葉もはっきりと話せなくなってしまうそうだ。これは体質というほかないだろう。俺には治す方法はない。克服していくには、自分自身の気の持ちようでしかないわけなのだ。俺には一緒にいてあげることしかできない。
「そうか……君も大変だね。貴族として生活するには、今後はこういうようなパーティに呼ばれるような機会も多くなるだろう。そういう時にそのままでは、大変な苦労をあじわうことになってしまうだろうね。だけど、それでも、わかっていても、治せない。怖がってしまうのだろう」
「ああ、そうなんだ。とても、やっぱり怖いんだ。人間が怖い。わからないけれど、人間がたくさん見ると、まるでみんなが、他人をいつでも食い殺してしまうかのような恐ろしい目を向けているように感じてしまう。黒目なのがいけない。あれは闇だ。闇目だ。目の奥底まで黒くなっている。しかも濁っているわけではなく、黒く澄んでいるんだ。純粋に黒いんだよ。それがただただ恐ろしい。怖くて目を合わせられないんだ。ああ、ごめんよ。君とはだいぶ慣れてきているかとも思っているんだが、それでも、怖くて目を合わせられないんだ。目と目を合わせたら、ぼくを殺そうとしているのではないかと勝手に思い込んでしまって手が震えてしまうんだ。だからこうやって、視線を落として話してしまうのを許してほしい」
「ああ、かまわない。きっと、キースには俺たちには見えないような、何かが見えているのだと思う。だからこそ、俺たちが異様に怖く見えてしまうんだ。だから、その何かしらの恐怖を体現した存在をしっかりと見つめてあげることが出来れば、君だってしっかりと他人と向き合える。そういう日が来るんじゃないかな」
「……ありがとう、君は優しいんだね。他の人なら、貴族らしくないと一蹴されてしまうのに。たしかに、この恐怖心を何かに置き換えられたら楽だろうね。いつか、みんなと目を合わせて話してみたいよ」
彼は、心の底から望んでいるようであった。そうだろう。好き好んで、自分から心を閉ざしたり他人と関わるのを避けたりする人はいない。一人が好きだというのはある種の強がりなのである。一人という状態が生まれるためには他人がいなくてはならない。他人がいてこそ初めて一人という状態が生まれるのだ。だからこそ、彼にもいつか楽しく会話できるようになる日が来てくれることを祈るしかないのである。彼の奥底に巣食う何かが、彼から他人を遠ざけてしまっているのだから。
彼は、俺とたくさん喋れたことに満足しているらしい。ならば、他の人とも話してみないかと誘ってみるが、彼は手を震わせながら、辛そうに顔をゆがめているのである。やはり、まだまだ無理だろうか。俺一人と話した程度では心の奥底にある何かが壊れるわけがない。それは当然である。しかし、俺は非常に悔しかった。彼を一人にさせておくのが非常に悔しい。救いたいとかそういう高尚な気持ちではない。だが、胸の奥にしこりとして残ってしまう。だが、彼は今それを望んでいない。それをしても、ただ苦痛なだけに終わってしまうだろう。
俺は、彼に別れを告げて、他の人に話しかけるのだ。仕方のないことではあった。だが、彼の状態が良くなるように俺も手助けは出来るだろう。出来てほしい。だからこそ、彼が克服するように協力しようと心に決めるのである。
俺は静かに彼のことを見ていながら、手に持っていたサラダを一口食べる。とても美味しい。彼に進めてみる。まだ食事が喉を通らないのか、遠慮しているのか、皿になにも盛られていないのだ。逆にそうも極端であれば、失礼と取られてしまうこともあるだろう。だからこそ、無理やりにでも、何かを盛らせるのであった。
彼も気に入ると思う。なにせ、国王陛下が用意した料理の数々なのだから。
俺は、今まで着てきた衣装の中でも、特に高級そう、そう言ってはあまりにも陳腐で、そして単純だが、生地から何から全てに男爵家の総力を挙げて見栄を張っていると、その限界を求めたかのような衣装に身を包んでいる。では、無駄に装飾されたごたごたとしたものであるかといえばそうではない。むしろ、装飾は少ない。とはいえ、装飾ではなく模様の類で煌びやかというものを表現している。俺に似合っているかはわからないが、父さんたちが、満足そうにうなずいているのだから、大丈夫なのだろう。俺は、父さんたちの感性を信じることにする。少なくとも、兄さん二人は問題なくこれを切り抜けているのだから。ならば、俺も変に心配する必要はないだろうさ。堂々としていればいいのだ。
俺は馬車から降りてパーティ会場へと入る。後ろには父さんがついてきている。その半歩後ろに母さんもいる。受付には成人したばかりであろうか、可愛らしいお嬢さんが立っていた。俺の身長ではどれほどの年齢なのかがわからないというのは非常に困りものである。なので俺は、ただ笑顔でこの場を済ませることにするのである。受付は父さんがやってくれる。子供に任せることは出来まい。当然であった。
会場に入るときも当然笑顔である。これが出来なければ、貴族としては二流もいいとこだろう。下手したら、鼻で笑われる。感情を表に出すことなく、ただ笑顔で腹の底を見せないのだ。そのための仮面替わり。俺は、そのための笑顔も当然できる。ただ、俺は基本的に笑顔が好きというのもある。自分の笑顔も好きだ。ただ、自分の最も愛している表情でいることなど何の苦もない。笑顔は仮面でもあるが、それ以上に、相手に対しての友好の第一手段でもあるのだ。あなたを愛していると、口で言わずとも語りかけられる。それはとても素敵なことだろうよ。
会場に入ればすでにいる人たちに顔を見られる。第一印象で最悪ならば、その時点でアウトだ。今の基準だと醜く肥え太っていると、その時点ではじかれる。その点で言えば、俺はそんなことはないだろう。標準的な体系をしていると言えるだろう。仙人の体は太ることがあるのかという疑問があるわけだが。奥様方は、俺の顔を一目見ると、息をのんでいるようであった。何かにとりつかれたかのように、俺から視線を逸らすことなく、じっと見つめている。そんなに見られるとさすがにむず痒くなってきてしまう。だがしかし、俺は笑顔を忘れることなく、笑うのである。
彼女たちは、自分の息子を見ると、明らかにショックを隠せないような表情を見せる。やはり、自分の顔立ちというのはいろんな男の顔を見てきた貴族の女性様方たちでも、見とれる程度には整っているようである。恐ろしい。自分で自分の顔が怖くなる。この顔を自分自身が見ることが怖いのである。鏡で見てみようかとも思っていたが、見るのをやめようかと思う。俺はたとえ、何があろうとも、自分の顔を鏡で見ることをしないと決意するのである。それほどに、周りの反応というものが、俺の顔の恐ろしさを物語っているのだ。一度見てしまうと、俺のことだ。自分の顔に見とれたまま一日を過ごす可能性だってないわけではない。
それからも、次々に人が入ってくる。参加者の人数はある程度把握しているだろうから、それに合わせた会場を用意されているだろう。それでも、やはり多いと感じる。貴族の子女の数はそこまでではないだろうが、そこに合わせて親がいる。さらには祖父祖母までついてくる場合もあるのだ。うちは、両方とも亡くなっているから、そういうことはないが、存命で、なおかつ過保護な家だとついてくるだろう。何人か、年老いた人たちを見ている。よほど自分の孫が可愛らしいのだろう。彼らの気持ちを否定はしない。きっと、自分にも孫が出来たら、甘やかしてしまうのだろうとわかってしまうのだから。
国王陛下の挨拶によって、お披露目パーティは始まった。最初は、軽く料理をつまむ。数種類の料理を一口分ずつ取っていくのである。食いしん坊であることはあまり行儀のよくない行為として見られている。家ではともかく、こういうパーティで盛んに食べている姿を見せると、家でたくさん食べさせることが出来ない家だと思われることもある。だからこそ、食べたくとも、一度にたくさんの量を持ったり、続けざまに何度も料理を盛り付けたりはいけない。
最初は、親と子供で一緒に固まっているわけだが、ある程度の時間が経てば、それぞれ分かれて、グループを作り出す。親は親で、子供は子供で。親は同じ爵位の人同士で固まることが多いだろうが、子供はそういうことはない。むしろ、子供の時に色んな人とつながりを作っておくことは大事である。それは三男であろうとも変わらない。生きていく中で、誰と友人になっておいて得をするかなどわからないものだ。貴族の友人は何人いても、問題はないだろう。いろいろ祝儀を送るのは大変であろうが。
「ね、ねえ……そこの君」
と、俺の背後から声をかけられているような気がする。これで違っていたら恥ずかしいだろうが、ただ何となしに背後を振り向いたようなそぶりのままに、後ろに目を向けるのである。そうすれば恥ずかしくはないであろう。
と、確かに俺の方へと目を向けている少女が一人いる。目が合う。そして、近寄ってくる。どうやら、確かに俺の方へと声をかけたらしい。間違いではないことにほっと胸をなでおろした。
「どうしたんだい? 俺の背中にゴミでもくっついてしまっていたかい? もしそうならば、失礼した。お嬢さんを前にして汚らしい格好をしてしまったのだからね」
「あ、いいえ、そうではありません……よ。あなたも、お披露目パーティに参加している貴族の息子なのでしょう?」
「うん、そうだね」
「そうでしょ、だから。わたしと、友達になりません――」
「ねえ、あなた! そんな子よりも、わたしと友達になりましょう! そんなもじもじと話しているような子では務まらないわ!」
「そんなガサツそうな子よりもわたくしとはどうでしょう。絶対に幸せにして見せますわ」
と、何人かの少女が俺の周囲へと集まってくる。まるで人気者のようである。俺もまだまだ捨てたものではないなと、少しだけだが、鼻が高くなる。こんなことはあまり誇れることではないが、第一印象が良好であることは、嬉しいことだ。個人的にはね。
だが、彼女たちは俺のことなど放っておいて、彼女たちだけで話し込んでしまっているのである。ならば、俺は静かに、場所を離れるとしよう。それが最も正解であろうと思うね。女性の会話に男が入ってはいけないのであるのだから。
俺は一人でいる少年へと近づく。少なくとも、グループを作っている相手に一人で話しかけるよりも、二人以上のグループで話しかけたほうが、気持ちとしては余裕が持てるだろう。そういう打算的な思惑もあるのだ。
彼の肩を叩くと、ひどく驚いたようでびくりと震わせていた。それがひどくおかしく感じる。よほど、気が小さいのだろうと思う。それでは貴族として生きていくのは大変ではないかと、心配してしまうが、少なくとも、今思うことは彼と仲良くなろうということであり、貴族としての彼の将来を心配することではないということであった。まあ、彼と仲良くなれれば、いずれは彼の子の性格というか、本性というか、その質をどうにかしようと心配してもいいだろうけれど。
俺が挨拶をすると、彼もぼそぼそとした声で目を右往左往と散らせながら、必死に言葉を返してくれる。よほどの緊張しいなのであろうとすぐに思い至る。しかし、これほどまでに緊張でがちがちに固まっている人を見るのは初めてである。よほど、俺の周りには社交的な人間しかいなかったのだと思う。
彼は子爵だそうだ。普段はそうではないのだが、人がここまで多いと体が縮こまってしまい、言葉もはっきりと話せなくなってしまうそうだ。これは体質というほかないだろう。俺には治す方法はない。克服していくには、自分自身の気の持ちようでしかないわけなのだ。俺には一緒にいてあげることしかできない。
「そうか……君も大変だね。貴族として生活するには、今後はこういうようなパーティに呼ばれるような機会も多くなるだろう。そういう時にそのままでは、大変な苦労をあじわうことになってしまうだろうね。だけど、それでも、わかっていても、治せない。怖がってしまうのだろう」
「ああ、そうなんだ。とても、やっぱり怖いんだ。人間が怖い。わからないけれど、人間がたくさん見ると、まるでみんなが、他人をいつでも食い殺してしまうかのような恐ろしい目を向けているように感じてしまう。黒目なのがいけない。あれは闇だ。闇目だ。目の奥底まで黒くなっている。しかも濁っているわけではなく、黒く澄んでいるんだ。純粋に黒いんだよ。それがただただ恐ろしい。怖くて目を合わせられないんだ。ああ、ごめんよ。君とはだいぶ慣れてきているかとも思っているんだが、それでも、怖くて目を合わせられないんだ。目と目を合わせたら、ぼくを殺そうとしているのではないかと勝手に思い込んでしまって手が震えてしまうんだ。だからこうやって、視線を落として話してしまうのを許してほしい」
「ああ、かまわない。きっと、キースには俺たちには見えないような、何かが見えているのだと思う。だからこそ、俺たちが異様に怖く見えてしまうんだ。だから、その何かしらの恐怖を体現した存在をしっかりと見つめてあげることが出来れば、君だってしっかりと他人と向き合える。そういう日が来るんじゃないかな」
「……ありがとう、君は優しいんだね。他の人なら、貴族らしくないと一蹴されてしまうのに。たしかに、この恐怖心を何かに置き換えられたら楽だろうね。いつか、みんなと目を合わせて話してみたいよ」
彼は、心の底から望んでいるようであった。そうだろう。好き好んで、自分から心を閉ざしたり他人と関わるのを避けたりする人はいない。一人が好きだというのはある種の強がりなのである。一人という状態が生まれるためには他人がいなくてはならない。他人がいてこそ初めて一人という状態が生まれるのだ。だからこそ、彼にもいつか楽しく会話できるようになる日が来てくれることを祈るしかないのである。彼の奥底に巣食う何かが、彼から他人を遠ざけてしまっているのだから。
彼は、俺とたくさん喋れたことに満足しているらしい。ならば、他の人とも話してみないかと誘ってみるが、彼は手を震わせながら、辛そうに顔をゆがめているのである。やはり、まだまだ無理だろうか。俺一人と話した程度では心の奥底にある何かが壊れるわけがない。それは当然である。しかし、俺は非常に悔しかった。彼を一人にさせておくのが非常に悔しい。救いたいとかそういう高尚な気持ちではない。だが、胸の奥にしこりとして残ってしまう。だが、彼は今それを望んでいない。それをしても、ただ苦痛なだけに終わってしまうだろう。
俺は、彼に別れを告げて、他の人に話しかけるのだ。仕方のないことではあった。だが、彼の状態が良くなるように俺も手助けは出来るだろう。出来てほしい。だからこそ、彼が克服するように協力しようと心に決めるのである。
俺は静かに彼のことを見ていながら、手に持っていたサラダを一口食べる。とても美味しい。彼に進めてみる。まだ食事が喉を通らないのか、遠慮しているのか、皿になにも盛られていないのだ。逆にそうも極端であれば、失礼と取られてしまうこともあるだろう。だからこそ、無理やりにでも、何かを盛らせるのであった。
彼も気に入ると思う。なにせ、国王陛下が用意した料理の数々なのだから。
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