天の仙人様

海沼偲

第63話

 エルフの女性はゆっくりと目を開くと、俺たちの顔を順番に見ていく。だんだんと自分がどういう状況であったのかを思い出していくかのように、目が開かれていく。そして、飛び起きると周囲を見渡して、大きく頷いている。その目は輝いているのだ。
 彼女は、今目の前にある光景を目に焼き付けようと皿のようにしながらじっと木の一本一本、草花の一本一本を見ていく。俺たちはその奇怪な行動を眺めていた。ハルたちはあまりにも突飛な行動なために少しだけ顔をしかめているが、その程度にとどまっている。
 そうして、何を思い出したかエルフの女性はこちらに向き直ると地面に座ってこちらの顔をうかがうように見ている。俺たちは、彼女とは違ってひどく落ち着いているのだ。むしろ、彼女の姿が滑稽であると思えるほどに取り乱しているようにも見えるわけであるが。
 彼女は俺たち……特に俺の顔を見ているわけだが、何か変なものでもあるのかとわずかに不安になる。そして、顔をしかめると彼女はさっと目を逸らした。そして、ちらちらとこちらに視線を投げている。その光景を俺はしっかりと見つめ続けている。すると、彼女は恥ずかしそうに顔を赤く染めていく。
 それを見ると、ハルたちはだんだんと怒りがわいてきているようで、拳に入る力が強くなってきている。歯ぎしりも聞こえないようにしているようであるが、俺の耳にはしっかりと聞こえている。彼女たちにとって、この人を置いておくのは危険なのだということがよくわかるのである。

「で、君は何者だい? なんで、どうやって、ここに入ってきたんだい? そもそも、ここがどういうところかわかっているんだろうね? 知らないようであれば、なにも見なかったことにしておとなしく立ち去るということをお勧めするよ」

 俺はらちが明かないと思い問いかけることにした。少なくとも、彼女がどういう存在なのかを知っておくことは重要なことであるのだ。
 その思いが通じたのか、エルフの女性はしっかりと俺のことを見つめ返している。自分が何をするべきなのかがわかっているようである。その態度の変化にわずかに、ハルたちも軟化した態度を示してくれるわけである。これで、すぐに爆発するような事態にはならずに済んだことにほっと一息つくことが出来る。

「わたしはエルフの探検家と言えばわかりますでしょうか。各地を転々と旅をして、希少な地形や自然を書き記し、後世に伝えることをしています。わたしはエルフですので、ここが聖域であること、そして、聖域にはいる方法を知っております。なので、聖域に入ってスケッチでもしようと思ったところ、突然力が抜けて倒れてしまいました。そこを、あなたたちに助けられたのでしょう。感謝します。ということですので、わたしの目的はここにある聖域の詳細をしっかりと見て、スケッチなどで残しておきたいということになります」

 彼女は一息に、知りたいことの大体を教えてくれた。エルフにも知的好奇心を刺激することはあるらしいということを知れたのはよかった。まあ、知性ある生き物だからな。そりゃ、知的好奇心ぐらいあるか。そして、彼女はこんなところまで来てしまったのか。確かに、聖域というのはそれだけで価値があるからな。どうなっているのかを確認しようとしたのだろう。そして、力が抜けたと。彼女がどういう事態にあったのかがすぐに予想できるのである。たしかに、この聖域は俺たち以外を侵入させたことはないから、反射的に、気絶させたのだろう。願わくばそのまま殺したとしてもおかしくはないだろうな。俺たちが毎日来ていなければ、彼女は確実に死んでいたのだろうと理解できた。
 俺は肩の力を抜いた。そして、呆れるように彼女の方を見る。彼女はどうしてそんな顔をされているのかがわからないようで首をかしげていた。少なくとも、ハルはわかったようで殺気を向け始めている。先ほどまでは、可愛げのあるものだったが、今度は不気味である。感情をそぎ落としたかのようにただ殺すという情のみが彼女に突き刺さっていくのである。それに気づいたようで、彼女がだんだんと萎縮していく。
 エルフは人間よりも上位の格を持つ存在である。だが、それ以上に仙人というものは格が大きい。そんなものに感情もなく見つめられて萎縮しないほうがどうかしているというものである。

「あ、あなたたちは……わたしよりも上位の存在なのですね。だ、だからそんなに……何と言いましょうか、神々しいお姿なのですね。初めて見ました。エルフは美しい姿かたちを取るものが多いといいますが、それすらもバカバカしいと思えるほどの顔立ちでしたので」

 威圧感に押しつぶされまいと、抵抗しながら無理やり言葉を発したようであった。どうやら、人間には格上の存在を見分ける力がないらしい。エルフだからこそ、俺たちがより上位の存在であるとわかるのだろうか。今まで、彼女以外の人間に神々しい姿と形容されたことがないのだ。一応、オーラのような何かを感じ取ることがエルフは出来るようだ。そうでなければ聖域などを知覚出来ないか。
 俺は、彼女が少しでも落ち着くようににこりと微笑みかける。すると、どうだろうか。彼女は突然硬直したようになり、俺に視線がくぎ付けになってしまった。俺がわずかに体を動かすとそれに合わせて目線が動く。俺の姿を目に焼き付けているかのようであった。ならば、仕方なしと俺は彼女が満足するまで見られつづけることにした。
 そうして、彼女は落ち着きを取り戻したかのように、息をゆっくりと吐きだした。そこで、ようやく俺は本題を切り出すことが出来るのだ。

「そうか……ならば、君は今すぐここから出ていくんだ。そして、ここになにがあったのかということをすべて忘れて、何事もなかったかのように旅に戻るといい。それが、君にとって一番いいことだろう。この忠告をしっかりと聞いておくことをお勧めするよ」

 俺は優しく、忠告するように語り掛けた。しかし、どうしてそんなことを言われるのかわかっていないようで、彼女は不満げな顔を見せる。たしかに、彼女のポリシーに反することだろう。この地の記録の一切を残すなと言っているのだからな。だが、それが最も誰も不幸にならない手段でもある。

「な、なぜですか! わたしの生きざまは、数多くの地を記録にとどめて、後世に残すことです! それの邪魔は誰にもさせません! たとえ、あんたたちのような存在であろうともです!」
「ならば、俺は君の命を消すことになるだろう。それは非常に惜しい。君は、とても美しい。人形のように整った顔立ちをしている。少なくとも、人間が一生かかったとしてもたどり着くことのない完全に近い美貌を持っているといっても間違いではないだろう。その顔が、死によって醜く歪んでしまうところなど見たくないからね。美しいものを汚すことは嫌いなんだ」

 彼女は、俺に向けられたわずかな殺意に怯んでいる。しかし、彼女の矜持というやつだろうか、きっと俺を睨み付ける。そこまで抵抗してくるとは魂もなかなか度胸があるようだ。非常に惜しい。とても綺麗だ。生きざまも何もかも。ただ、許されることかというと、違うわけではあるが。

「君がなぜ聖域で倒れてしまったか。それを教えるとしようか。答えとしては簡単なんだ。聖域自体が君を歓迎していないということだ。だから、君を殺すつもりで、君の体力を奪い取ろうとした。しかし、俺たちが回復させたことで、一旦は体力を奪うのをやめてもらっているだけに過ぎないのだよ。つまりは、君が心を入れ替えて記録を抹消しなければ、またいつでもこの地は君に牙をむいてしまうんだ。もちろん、嘘は通じない。わかるだろう。邪な気持ちに対して敏感なんだよ、聖域という奴は。聖域は陰を嫌うのさ。だからこそ、君には今すぐここに関するすべてを自らの手で消してもらうことをしてもらいたいわけだ」

 彼女は固まった。そうだろう。聖域はエルフに対して寛容的である。それは、エルフが自然を愛しているからだ。荒らされることがないとわかっているからこそ、聖域は彼らが入ることに対して抵抗はしない。だが、この場所は違う。自然に生まれているわけではない。俺が生み出した地だ。人為的に生み出されたと言えるだろう。ならば、他の場所とはまた別の価値観で動いていてもおかしくない。その一つとして、俺たちのような仙人以上の存在じゃなければ知ある者を受け付けないということかもしれない。例外はいくつかありそうではあるがな。すくなくとも、彼女はどの例外にも当てはまらないというわけである。

「そ、そんな……わたしが、聖域に歓迎されていない……。エルフなのに……? どうして? エルフは自然を愛しているのよ。それを受け入れないなんて……。いやだ、いやだいやだいやだいやだ……」

 彼女は錯乱していた。これ以上何かを言ったら、壊れてしまうのではないかという不安がある。しかし、これは言わなくてはならないことだった。自己満足だろうか。それでもいい。それほどまでに、大事なことであると俺は思っていることなのだから。ならば、いうべきことであろう。俺は決意を固めて再び彼女へと向くのだ。

「知らないやつらに知られたくないんだよ。ここはとても恥ずかしがり屋なんだ。それならば、勝手に侵入してきたら排除しようとするだろう?」

 彼女はショックだったようで、何も言わずに空をぼーっと眺めていた。俺は彼女に近寄る。ハルたちに手を握られて、止められたが、にこりと笑って離してもらった。そして、彼女の息が顔にかかるほどまで近づく。鼻に彼女の吐息がかかる。わずかに甘く、心地のいい匂いである。
 俺は、彼女の頬に手を触れる。ゆっくりとさすっていく。彼女の肌はすべらかにさらりとしている。熱を持ったままに、柔らかく気持ちがいいのだ。彼女は熱っぽく吐息を漏らしている。成人の女性と幼児の男子。その二人が、熱のこもった視線を交わしているということに背徳的な気分を連想させてしまうが、そういうわけではないだろう。
 俺は、気を巡らせてゆっくりと彼女の体にも流していく。だんだんと、視線がふらふらとさまよい始めていき、首が揺れていく。眠りに落ちていくのかのように、まぶたがゆっくりと閉じていっている。
 気の巡りが泥のようにずるずると動きがぎこちなく歪みのように、凝り固まっていく。動きはなくなるのだ。力が抜ける。人形のようにくたりと眠りにつくのである。

「アラン? どうするの? この女の人、寝ちゃっているけど」
「彼女は、疲れているんだ。精神が悲鳴を上げているんだよ。それだけここにいることが苦痛ってこと。だから、楽にしてあげようと思う」

 俺は、再び気を流し始める。記憶を消すのだ。簡単なことではない。だが、俺が出来ないわけではない。できることは出来る。ただ、下手したら、彼女の人格事破壊することだってあるだろう。それはダメだ。俺は彼女を愛している。彼女の過去も含めて、今もあって、そのうえでの愛。たとえ、人格が破壊されて廃人となった後でも愛することは出来るだろう。だが、今の彼女を愛する機会は永遠の失われてしまう。それは悲しいことだ。ならば、そうならないように、慎重にやっていくべきであろう。
 ゆっくりと、脳に気を流しながら、聖域に関しての記憶だけを消していく。なだらかに、ゆるやかに。一歩一歩踏みしめて歩きながら、地面のわずかな土の感触を確かめるように。それだけに慎重に進めていくのである。
 肉体の記憶と精神の記憶。その二つを消していく。どちらかが残っていれば、フラッシュバックとして思い出す。それはダメだ。魔力も同時に流していく。魔力と気力の二重の力により、彼女から記憶を奪い破壊していくのだ。
 俺は彼女の頬に触れながら、目をつむり、のぞき込むようにして気を巡らせていく。だんだんと、距離が近づいていく。心であり肉体。それの壁が消失していくのだ。ゆっくりと統合されていく気分になる。
 俺は彼女の額に唇を触れさせる。肉体の接触がより深くなる。彼女のより深く、奥深くへと潜り込んでいけるのだ。そうまでして、慎重にするべきことであった。彼女はピクリと震える。だが、変に乱してはならない。彼女の反応に反応してはいけない。たどり着くのだ。そして消えていく。泡のように、優しく消していく。

「…………。おやすみ」

 俺は、彼女から離れる。妖精たちが彼女の体を持ち上げる。そして外へと運んでいくのだ。そこに意思の疎通などない。無意識の意識により行われている現象であった。

「終わったの?」
「ああ、終わったよ。彼女はこれで悩まなくて済んだよ。大きな苦しみの中にとらわれることなく、いつもの生を歩き続けられるんだ」
「それなら、よかったね。ここの記憶を持っていただけでも、彼女はひどくつらい思いをしたことはわかるもの。そうならないということはとても素晴らしいことだね」

 ルーシィはこちらへにこりと微笑みながら、俺の手を握る。そして、指で俺の唇に触れて、何かをぬぐうように動かした。その指は、何かを払い落とすかのように振られる。儀式であった。

「これで、終わりでしょ?」
「ああ、そうだな」

 憑き物でも取れたかのように、俺の体は軽くなるのを感じていた。

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