天の仙人様

海沼偲

第62話

 俺たち三人は、いつものように森への道を歩いていた。ぞろぞろと森に向かって、昼頃に帰ってくるというのは、周りの人からはどう見えているのだろうかと思わなくもないが、日課としていると、おそらく周囲もいつものことだろうと大して気にも留めないのではないだろうか。そう思う。そのおかげであろうか、森の中は平和なのである。静かな生の巡りが出来ているのである。その美しさに俺は心を奪われてしまっているのである。願わくばそれが永遠に続いてほしいと思っている。無常であるが、常もあるだろう。それを俺は証明できる立ち位置にいるのだ。ならば、常を願うことが変であるという理由はないのであった。
 がさがさと、音を鳴らして近づいてくるのはオオカミであった。そして、俺の顔を舐めながら並んで歩いている。別に、何かこいつに優しくしたことはない。しかし、彼らもわかっているのだろうと思う。俺が生物の格としてより上位にいるということを。だから、親愛の情が彼らにわいているのかもしれない。もしかしたら、これでも忠誠の念かもしれない。どちらかはわからない。だが、俺たちは同じくこの世に生きている者同士という、特殊な仲間意識というものはわずかながらに存在していると感じているのであった。
 森の中は、危険でありながら、最も安全な場所へと変質しているのだ。少なくとも、普通に入ると危険性が跳ね上がるが、俺たちならば彼らに歓迎されるのだ。これもある意味防衛機構だ。聖域が生み出している防衛機構に他ならない。
 空気の質が変わる。がらりと変わる。汚れを落としたような清廉とした涼し気な風が俺の肌に触れる。息を吸う。体の中から異物がだんだんと浄化されていくような心地よさ、そして吐く。体の外に不純物が飛び出していく。洗浄しているのだ。毎日のように俺は生まれ変わっていく。より潔白となるのだ。だから、落ち着く。ここは落ち着くのだ。仙術がここでは数倍にもなって俺たちに還元していく。元は俺が生み出したようなものだ。彼らもそれを求めているのである。
 妖精たちがいつものように群がってきた。髪を引っ張っている。ついてきてほしいという意思表示とばかりに。それにつられてついていく。合唱のように空気に響き溶けていく音の集まりに耳を寄せれば、心が軽くなっていくのだ。

「ねえ、アラン。妖精たちは焦っているみたい。何か嫌なことでも起きたのかな? 助けを求めている気がするの。不気味で、醜い、そんな何かに怯えているようで、怒っているようで、不快な感情を隠そうとしていないの」

 ハルが顔をしかめながら言った。ふと確認してみると、確かに妖精たちの顔つきは優れたものではない。いやそうな表情を見せている。早く追い払いたいと願う気持ちが強く感じている。それを思うほどの何かが存在しているということだ。不気味である。小さなものたちが不快感を隠すことなくあらわにしており、すべてがそれであるのだ。身震いしてしまうのも無理はなかった。妖精たちにはそういう感情を前面に出すようなことはないと思っていたのだが。妖精の不快感を出す顔はわずかな恐ろしさを俺に与えているのだ。

「何があったんだい? 君たちがそんなに不快であることを表に出すなんてことはよっぽどのことなんじゃないか? 助けを求めているのかな? それにしては、正気を保ったまま発狂しているかのような顔をしているのはよくわからないけれど」
「――――――!」

 やはり、何を言っているかはわからないが、音にわずかながらの不協和音が生まれている。キイと金切り声が混じってしまっているのだ。それがすべての妖精から発生する音に混じっており、なおかつ、すべての音階が点でバラバラなのだ。ハーモニーというものを喪失したかのような吐き気を催す奇怪音であった。そんな音など今まで一度も聞いたことがない身からしてみれば、よほどの事態だと思わずにはいられない。ハルたちに合図を送って、俺たち三人は妖精の向かう先に向けて走り出すのである。
 聖域の広さはまるで歪んでいるかのように広がっている。ここだけは地理が少し変わっていることだろう。別時空への扉であり、そのものなのだ。外は変わらない円であるが、中はその数倍もの地形が広がっているようであった。聖域自体が自然を生み出している。そうとも考えられるのだ。だから、俺たちが来るたんびに聖域は広がらずに広がり続けている。それを実感するように想像以上の時間を走っているのだ。世界は、ここを中心に歪んでしまっているのだが、その歪みが正常であるのだ。聖域というものの恐怖がわずかに芽生えてしまった瞬間であった。
 そうして、目的地へとついた。妖精たちがピタリと止まったのだ。ならば、ここが終わりだろう。目的の場所はここなのだろう。俺はその先を見てみる。いるのだ。何かがいる。人だ。紛れ込んだのか。なぜ。どうやって。今の聖域には幻惑の結界が張られている。普通の人間にはそもそも認識すらできないはずだ。しかし、現にこうやって入り込んでいるのだ。今はその事実をしっかりと見ることが大事であろう。
 その人は、うつぶせに倒れており、ピクリとも動いていないようであった。死んでいるのかと思ったが、気が流れているためにまだ生きているのだと思う。ならば気絶しているのだろう。と、俺はその人をあおむけにしてみる。胸がゆっくりと上下に動いている。呼吸は止まっていないようである。綺麗な寝顔である。醜悪な面を少しは思っていたために、美しい顔であることに少しほっとする。が、それを見たハルたち二人は明らかに警戒の色を強めた。
 その人は女であった。顔つきは明らかに女顔であるし、髪も長くなっている。これで男だというのならば、生命の神秘という奴の恐ろしさの片りんを見ることになるわけだ。俺は胸のあたりに手を触れてみると、わずかながらのふくらみを確認し、彼女にも乳房があることが分かり、やはり女だということを確認できた。
 すると、ハルが俺の胸ぐらをつかんで立ち上がらせて思い切り平手で叩かれた。そしてそのまま尻もちをついてしまった。それほどに彼女の平手は力強かったのだ。手形が残るのではないかと思う衝撃の中で、この痛みを反芻しながら、彼女の愛情の爆発を感じざるをえなかった。俺は視線を彼女に向けると、怒りを持ちつつ、俺を叩いてしまったことに対する罪悪感をわずかに感じているようであった。彼女が罪の意識を感じることはないというのに。その行為は愛ゆえの好意であり、俺はそれを受け入れているのだ。それならば、それに罪など生まれることはない。お互いの愛が重なり合いぶつかり合っただけの話である。気にするだけバカバカしいものなのだ。
 俺は立ち上がると、そのままハルを抱きしめる。彼女の愛に負けないように力強く抱きしめる。わずかな痛みを伴う抱擁であった。少し顔をしかめてはいたが、顔をほころばせながら抱きしめ顔してくれる。またその強さで体が悲鳴を上げているわけだが、それだけの強さを実感できることに対する喜びの方が大きいのだ。

「ねえ、愛してる?」
「もちろん、愛してるよ。俺は独占欲が強く、嫉妬深いんだ。一度愛し続けたら、永遠に愛し続けるさ。世界が変わっても命が終わっても、そのまま輪廻を回ってその先を。存在する限り愛しているのさ」
「私も、愛しているわ。これからも、この次も。永遠のその先の終わりなきそのままに。愛があり続けるの。アランが、私のことを何かの間違いが起きて、愛せなくなったとしても、愛し続けるよ。嫌って言ってもずっとずっとね。これに終わりなんてないの。いいえ、始まりすらなくなったわ。私の魂が存在するはるか昔から、この運命は定められていたの。だから、私はアランを愛し続けるわ。絶対に、永遠に」
「嬉しいよ、ハル。愛してる」
「私もだよ、アラン」

 と、そこまで言うと俺たちは離れるのだ。これ以上するとルーシィがふくれる。機嫌を直すのが大変なのだ。だが、俺たちが誰彼の前でも愛を確かめ合う。だからこそ、この関係でいられるのかもしれない。隠すことなどないのだ。愛するということは、美しいものなのだから。芸術とは違う、別種の美があるのである。愛を隠す必要など、どのような理由があろうともないのであった。特に、俺たちのような間柄であるのならば。むしろ、隠すほうが彼女に失礼であると言える。

「あたしもとして欲しいのだけど、ダメ?」
「ダメじゃないよ」

 俺は同じようにルーシィも抱きしめる。彼女は少し優しく抱きしめる。ハルとはまた違った表現が必要なのだ。少なくとも、彼女に対してはこういった方がいいのである。あたたかさとぬくもりのままに俺たちが溶け合うような柔らかな抱擁。それが俺と彼女の愛であるのだ。
 それは終わった。二人ともしっかりと愛を確かめ合うことは出来たと思う。彼女たちも満足できているようであり、俺の両手は二人によってふさがれている。ゆっくりと気が混ざり合うように循環していくのを感じるのだ。俺たちがゆっくりとつながり合い、また別々であることを認識されながら、目の前で倒れている人をじっと見ている。
 その人は、耳が特徴的であった。ハルに似ているといってもいいだろう。つまり、エルフと呼ばれる存在の可能性が高いのだ。ならば、ここにいる意味もわずかにわかるというものだ。エルフというものは聖域に住んでいるともいわれているのだからな。それならば、今この場に倒れているのも理解できなくはない。どうやって、ここにたどり着いたのかという疑問は残ったままであることには変わりはないのだけれども。
 今度はハルたちに触れてもらって状態を確かめてもらう。俺は我慢した。彼女は美しい。だが、ハルたちに向ける愛情とはまた別のものがある。いうなれば、彫刻を見た時に対する美意識と、その愛に近いのである。俺が、女性に対する性愛ともとれる、愛情を持つのは彼女たち二人だけなのだ。ならば、それ以外の女性に対してはそういう想いを抱くわけがない。とはいっても、肉体的な接触をすることを彼女たちが禁止しているのだから、俺はそれに従うというのもまた愛であろう。信頼されていないというわけではない。俺を守る意味でも禁止なのだから。

「アラン、この人……弱っているよ。近づいてみたらわかったけれど、気の巡りがわずかに濁っているみたい」
「栄養失調ってやつかな。お腹が鳴っているよ。何日食べていないのかなあ。相当大変な目に遭ってきたんだろうね」

 ならばと、俺は妖精たちに手伝ってもらいながら、周囲の果実をとってくる。そして、魔法を使って一口サイズに切り分ける。それを無理やり口を開けさせて、中に少しずつ入れていく。のどに詰まらないようにしっかりと注意を払いながら。その間も、彼女たちには気を循環させてもらって、ゆっくりと体力を回復させていく。そうすれば、自然と食べられるようになるだろう。
 それはしばらく続いた。彼女の唇から果実の汁がこぼれてしまうが、それを綺麗にぬぐい取る。彼女の匂いと果実の匂いが合わさって、独特のものとかしているその液体をじっと見ていると、妖精がものほしそうに見ているため、俺は彼らに指を指しだした。そこに群がっていく妖精たち。それほどまで興味がそそるものだったのだろう。妖精たちの舐め残しを、俺も一口。甘い。ただの果実の甘さだけとは違う、甘さがそこにはあった。情熱的で、涼やかな甘さであった。
 俺は果実を食べさせながら、彼女の頭をゆっくりと撫でていく。キラキラと光り輝いているかのような金髪は俺の手になじむようにふわりとした感触を伝えている。

「綺麗だな……」

 俺のぼそりとしたつぶやきを聞こえていたらしく、ルーシィがこちらにやってきて、俺の唇をふさいだ。あまりのことに少し驚いてしまったが、静かに心を落ち着かせていく。

「ダメだよ?」
「もちろん、安心してほしい」

 俺はにこりと微笑んで、ルーシィの唇に触れた。それで満足してくれたようで、彼女は再び作業へと戻る。
 その後しばらくして、ようやくエルフの女性は目を覚ましたのである。

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