天の仙人様

海沼偲

第47話 帰宅

 馬車が村へと近づいてきている。俺の部屋の窓からその光景がしっかりと見える。その馬車は兄さんを乗せて王都へと向かっていったものに似ていた。というよりも、そのものだった。つまり、父さんたちが帰ってきたのだ。父さんたちは、王都で少しの間滞在をして、帰ってくるということだった。だから、かなりの期間、俺は顔を合わせていない。むしろ、いない現状に慣れてきたころだった。毎回、食堂に入っても「ああ、そういえば父さんたちはいないんだったな」などと、感傷に浸るということがなくなってきたというところで帰ってきた。自分たちの不在が当たり前になってはならないようにという危機感からかもしれない。それを感じ取った可能性はなくはない。
 俺はすぐさま、玄関前へと駆け出す。廊下をかけるのは品がないが、俺の気持ちが体に現れているということでもある。抑えられないのだ。実際に、いないことに慣れつつあったわけだが、では、いないことを受け入れることは出来たのかと言えばそうではないのである。いないということを極力考えないようにしていて、だからこそ、慣れていたのである。そうでなければ、今もまだ、いないことに対して誰かしらの呟きがあったはずだろうから。
 玄関の前には、使用人たちやサラ母さん、カイン兄さんにアリス、あとはハルたちも集まっていた。やはり、みんなして父さんたちが帰ってきたことを確認でき次第、すぐに集まったようである。俺だけではないということで少しホッとする。もし、俺だけが変に浮かれているのであれば、少し恥ずかしい。
 ドアが開かれる。そこには、父さんたちが笑って立っていた。ほっとしたような、表情が混ざっているようにも見える。自分たちが、帰ってきたということを知っても平然としていたら、悲しいだろう。それを想像していた可能性もなくはないのだから、それを真っ向から否定してくれたことに対して、喜んでいるように見えるのである。

「父さん、おかえり! 待ってたよ!」
「おおっと、カインは寂しがり屋だなあ。そんなに父さんたちがいないことが悲しかったのか?」

 一番先に飛び出したのはカイン兄さんだった。おかげで、俺も飛び出さずに済んだ。父さんの腹に頭を押し付けている。それを見ている母さんたち二人は、ほほえましいものでも見るかのように笑みを絶やすことなどない。父さんんもまんざらではなさそうでニマニマと顔を緩ませていながら、頭をなでているのである。
 カイン兄さんのはしゃぎっぷりを見ているおかげで、俺はだんだんと冷静になっていくのを感じているのである。その点では言えば、カイン兄さんはなかなかに素晴らしい仕事をしているのである。あそこまで、理性を吹き飛ばすかのように、父さんに抱きつこうとするのは恥ずかしいなんて言う、ませた考えを持ってしまっているのだから。
 みんなして、その光景を温かな目でもって見つめているわけである。穏やかで、とても柔らかであり、平和であるのだと真に理解できてしまうような、そんな光景なのだから。この瞬間が永遠に続いてくれればどれほどに幸福なことなのだろうかと、皆が一つにして思っているのである。それほどまでの、美しさでもって彩られていることである。

「み、みんな、今戻った。ただいま」
「「「おかえりなさいませ」」」

 どうやら、俺たちの視線の色に気づいたようで、恥ずかしそうに咳ばらいをする。そして、威厳を保つようにしてキリッと顔を整えるのだ。ほとんど手遅れに近いものだが、誰もそれを言うわけではあるまい。男である前に、一人の親なのだから。ごまかす様な父さんの声を聴いて、使用人たちが一斉に頭を下げる。息ぴったりというほどに綺麗に下がった頭を見た父さんは満足げに頷いている。

「ねえ、父さん! 土産話! 土産話してよ!」
「ん? そうか? じゃあ、さっそくとしようか。みんな、食堂に集まってくれ。土産話はそこでしよう。それでいいだろう?」

 父さんの掛け声で、俺たちは食堂へと向かった。久しぶりに、家族全員……いや、ルイス兄さんがいなかったな。ルイス兄さん以外の全員が集まれるのだ。やはり、嬉しいのだ。軽やかな足取りであった。別に、ルイス兄さんが嫌いというわけではない。だが、今までいない三人のうち二人が帰ってきたら嬉しいだろうというだけなのだ。ルイス兄さんも向こうで楽しんでいることに違いはないと思うし。なにせ、俺たちから逃れられるのだからな。俺だって、兄さんの気持ちを思えばそうなるだろうとは思う。なにせ、自分をぼこぼこにしてくる弟たちから離れて暮らせると思うと、わずかながらに心が落ち着くことだろう。そのすぐ後にホームシックになったとしても、その気持ちだけで、しばらくは保つことが出来ることだってあるかもしれない。
 俺たちはいつもの席に座って、父さんたちの土産話を聞いていた。王都での街並みや、最先端のファッションや技術。それらを聞いているだけで、王都への想像が膨らんでいき、早く行ってみたいと思うようになっていく。俺も学校に通うようになれば王都に行けるのだが、それまではまだまだ時間がある。我慢しなくてはならない。まあ、この村も好きなのだから、我慢するのは問題ない。ただ、王都の光景を見てみたいという欲求が膨らんでしまうというだけなのだ。やはり、前世とは別の意味の美しさを持った街並みは見てみたいと思うだろう。前世の世界は、美しさもあるが、それ以上の退廃へと向かっているような、不気味さがあった。ここには、それは見られない。ただ、明るい未来が光り輝いているわけなのだから。
 そうして、次はルイス兄さんの話になった。むしろ、それが本題ともいえるだろう。みんな気になっているのだ。兄さんがこの村に住んでいてどれだけ頑張っていたのかを。それは、使用人たちも例外ではない。むしろ、俺たちにボコボコにされている姿をより多く見ているというだけあって、どれほどのものなのかを気になって仕方がないのかもしれない。
 父さんたちはルイス兄さんのクラス分け試験と言われている、実力試験のようなものの結果を聞いてから、帰ってきたらしい。

「なんとな……ルイスは、その試験でトップの成績を収めたんだ。学年主席なんだぞ!」

 俺たちや、使用人から驚きの声が上がる。特に驚いていたのが、カイン兄さんだった。ひときわ大きく驚いている。やはり、ルイス兄さんの実力は、弟たちに負けてしまうようなものでしかないとみんなに思われていたらしい。だから、主席になれるというのはやはり驚いているようであった。たとえ、運がよくて主席になったのだとしても、一番成績がいいのには変わりがない。だが、皆はそれが運では絶対に不可能なことなのだと知っている。それほどに難易度の高い学校に通っているのだと理解できているのである。だからこそ、俺はそれが誇らしかった。自分の兄が王都の学校で主席なのだ。これに喜ばない弟などいないだろう。
 俺はにいと頬がつり上がるようなそんな感覚を覚えて、口元を隠した。嬉しさがついうっかり、表面に出てきてしまったのだから。それを誰にも気づかれないようにするわけである。ただ、ハルには気づかれたかもしれない。俺の口元をじっと見ているのだから。

「兄さんってそんなに強かったっけ?」
「ルイスはそこまで強くはない。でも、試験には学力試験や魔力試験というように、ルイスが得意な科目もある。そういうところでいい成績を収めることで、主席の座についたのだと思う」
「そっかー、兄さん、頭いいもんな。オレは剣ばっかりだけど、兄さんは魔法も勉強もできるから、主席になれるんだな。……じゃあ、オレは主席になれないのか?」

 ルイス兄さんの実力を思い出してうんうんと頷いていたカイン兄さんであったが、唐突に自分のことを振り返ってみて、不安になってしまっているようである。そもそも、ルイス兄さんが自分より弱いからと、過小評価しすぎであろう。総合的に見れば、主席を取ってもおかしくないのだ。実際に取ってくると驚いてしまうわけだが。それでも、それには評価はしていたと思うだろう。実力試験がなければそれぐらいも可能性はあるだろうと。カイン兄さん以外は。

「いや、カインだって主席を取れるようになるさ。ルイスみたいに勉強や魔法を一生懸命頑張ればな。逆に言えば、それ以外の方法では主席なんて取れないだろうな。ルイスはしっかり頑張ったから取れたんだしな」
「うっ……そうか。でも、オレだって主席取りたい! 頑張るよ、父さん! 一生懸命頑張って、主席になって見せるんだ! 一番、一番!」
「ああ、頑張れよ、カイン。父さんも協力するからな。これで、ルイスもカインも主席になったら、父さんも鼻が高いよ」

 父さんは嬉しそうに、カイン兄さんと話している。というか、二人で盛り上がっていた。俺は、カイン兄さんも主席なんかを取ったら、頑張ろうかな。さすがに、二人は取れて、俺だけとれないというのは嫌だからな。でも、あえてカイン兄さんだけトップの成績を修められなかったというのも面白そうではあるが。負けず嫌いな兄さんのことだから、今まで以上の努力をすることに違いない。だって、ルイス兄さんが主席だというだけでここまで対抗心を燃やしているのだからな。
 そのあとも、土産話を聞いたり、王都についての俺たちからの質問攻めを父さんたちは答えながら、楽しく食事が出来た。
 その次の日、俺は書斎に向かうと、カイン兄さんが本を読んでいた。俺は開いた口がふさがらなかった。それほどまでのことなのである。
 カイン兄さんが意識的に本を読むということをしないというのは常識ですらあった。一切ここに寄ることなどないのだ。使用人の誰一人としてこの周囲にカイン兄さんが来たということすら見ていない。その兄さんが、ここにいた。俺は驚きのまま、じっと兄さんの姿を見ていた。

「うーん……」

 眉間に指を当てて、悩んでいるようだった。一応字は読めるはず。だから、何が書かれているのかわからないということで悩んでいるわけではないだろう。であれば、書いている内容が理解できないという理由で悩んでいるはずだ。カイン兄さんが理解できない内容の本を理解しようと一生懸命読んでいるのである。もしかしたら、絵本かもしれないなんて思っていたのだから、そんな学術書を突然に読み始めるなんて誰が思うというのか。
 そもそも、あの本はルイス兄さんみたいに相当に地頭がよくなければ何を言っているのかが理解できないと思ったのだが。カイン兄さんは本選びから間違ったことをしているのである。しかし、それをいちいち指摘するのはやめておいた。兄さんは、こういう空回った努力をしてもいいのだろう。特に勉学においては。今まで失敗がなければ、こういうところで失敗することも悪くはないだろう。いづれ気づくさ。もしかしたら、理解できるかもしれないが。それもまた、それである。

「兄さん……頑張ってね」

 俺は、わずかに漏れ出た声を残して、魔法についての本を持ち出すと、二人のもとへと向かう。今日は魔法の修練をしようとしていたのだ。俺もまた、兄さんに感化されてしまったのかもしれない。王都という遠い地で頑張っている人がいると、しかも身内だと、それを身近に感じてしまうと、俺もより頑張らなければなるまいなんて、思ってしまうわけであった。
 俺は、二人が待っている場所へと到着する。そこには、座禅を組んで瞑想しているルーシィとそれを見ているハルがいた。ハルは、魔法に関してはルイス兄さんよりも優れている。しかし、仙術の修行で息詰まる思いをしているだろうということで、こちらに連れてきているのだ。
 仙術も魔術も、やはりというか、心の調子にも左右されるのだ。仙術はより肉体よりではあるが。しかし、精神の不安定さが肉体の不安定さを誘発させてしまうというのもまた事実。だからこそ、焦ることなく落ち着いて、軽くそこから目を離してストレス発散させるということがより重要になってくるのである。それに、俺はハルが苦しんで悩んでいるような姿よりも、明るく笑っている姿の方が好きだ。愛らしいし、愛おしいのである。

「お待たせ」
「あ、遅いよアラン」

 どうやら、結構待たせてしまったようで、ハルたちにじとっとした目を向けられてしまった。やはり、兄さんの姿に驚いてしまったために、遅れが生じてしまったのだろうか。それでも、言い訳はしない。素直に謝るのである。それに、彼女たちはすぐ許しってくれる心の広さを持っているのだ。
 俺たちは、その教本を使いながら魔法の修行を開始する。その時に、なんとなくカイン兄さんの様子を話した。その変化には二人も驚いているようで、目を大きく開いていた。それだけ、二人も兄さんがどういう人なのか理解しているということでもある。

「昨日言ってたもんね。主席になるって。だから頑張っているのかなあ」

 ルーシィは腹に手を当てて、魔力の動きを確認しながら呟いた。そのせいで、魔力が乱れる。慌てて、流れを戻していく。俺は、その乱れを元に戻す手助けをするために、手を重ねる。だんだんと魔力の流れが丁寧に均一になっていく。俺は手を離す。また少し歪が出来るが、これを自分で修正できないとダメだから、俺は手を出さない。

「すごいね、カインさん。嫌いなものでも、やろうと決めたら一生懸命だよ。あたしだったら、逃げ出しちゃうかもしれない。嫌いなものには出来るだけ触りたくない、近づきたくないしね」
「そうだな。俺だって、いきなり大きな壁を乗り越えて見せようなんて思いはしない。途中で力尽きるだろうなんて、考えてしまうからね。でも、兄さんはそれでも登ろうとするんだ。恐ろしい程の胆力のなせる業なのかもね。しかも、兄さんだってセンスはあるわけだし、きっとルイス兄さんと同じか、それ以上の成績を出すかもな」
「あー、ありそうなことね。負けず嫌いだからね。カインさん」

 この日以来、俺たちのカイン兄さんに対する認識が変わっていくのは言うまでもないことだった。それほどまでの衝撃であったということなのであろう。

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