天の仙人様

海沼偲

第44話 揺らぎ消えゆき力強く

 仙術の修行はうまくいっていない。今日もまたしても進展などなく、ただ時間だけが過ぎ去っており、家へと帰ってきていた。俺としてはそれに対して何か思うところはなく、ただそういうものだという認識でしかないが、それとは正反対であるように、ハルの顔色は悪い。俺はゆっくりと背中をなでながらそばにいるということをゆっくりと認識させていく。そうしなければ、変に憂鬱な空気を纏ってしまうのである。
 仕方ない。何度も言っているのだが、ハルはそれを受け入れられずに、俺に嫌われたくないという一心で焦りが見える。だが、その焦りで仙術など上手くいくわけもなし。ただただ、負のスパイラルというものそのものだった。
 俺の手に絡ませるように、ハルの手が触れる。熱がお互いの肌を行き来している。ハルは体全体を俺に近づけてくる。俺はそれを受け入れるように、手で寄せていく。息がかかる。お互いの息が混ざり合い、心臓が高鳴る。騒ぐ。わめく。猛るのだ。ハルから近づいてくる。触れる。交わる。交わす。お互いの熱が交換されていく。やわらかく、激しく、愛を混ぜ溶かしていく。
 ハルは、飢えているのだ。恐れているのだ。それが、行動で現れてしまっているだけなのだろう。だから、俺はそれを全力で受け入れ続ける必要があった。受け入れ続けなければ、彼女が壊れてしまうという思いがあった。彼女が過去に何をしてきたのかはわからない。恐怖するだけの何かをしてきた、されてきたのかもしれない。だが、俺は今の彼女を見ているのだ。過去ではない。だから、今の未来の彼女を愛し続けているのだ。だからといって、過去の彼女が嫌いになることはない。過去今未来、すべてにおいてのハルを愛しているのだから。それほどまでに深く、深く、愛というものがあるのだ。
 時間をかけてしっかりと愛を伝えるようにしている。それだけ深ければ深くなるほどに、お互いがお互いを認識できなくなるほどに、一つになってしまったのだと錯覚するほどに、境界線はだんだんと消えていってしまうかのように、囚われてしまうかのようで。

「ん……アラン……」

 ハルの体には愛をどれだけ注いでも、満たされることはない。俺はそれだけが心配だ。今俺たちが体を合わせていても、それでは満足できないのではないかと不安になってしまう。俺の愛にも限界がある。一度に与えられる愛には。時間をかければ無限に感じる愛を与えられるだろうが、瞬間では、限度があってしかるべきなのだ。そうでなければ、壊れてしまう。愛によって廃人にだけはなってほしくない。だからこそ、ゆっくりと時間をかけて愛し合わなくてはならないのだ。

「アラン様……。……あ」

 扉を開けて、使用人が入ってきた。女性であった。俺たちが舌を絡ませるように情熱的な行為をしているというところを見られた。まあ、いつか見られるだろうとは思っていたが、今日であったか。婚約者であるのだから、その行為自体に対して何かを言われることはないだろうが、ただ、見られてしまったというその事実が心に引っかかるように残ってしまうこと確かであろう。
 ハルは、隠すように離れる。顔が真っ赤である。やはり、人に見られると恥ずかしいのだろう。愛を見せることに対して抵抗がない俺にとっては、恥ずかしいと思うことはないが、愛を俺たちだけの個のものとして隠すという気持ちもわかる。愛し合う姿を俺たちだけの秘密として共有しておきたいのだ。それも愛らしい。だがしかし、後の祭りというやつだ。バレているものは隠し通せない。一応婚約者であるため、怒られることはないだろうが、幼児がこんなことをしていると知られたら、どうなるのか。

「お二人は、そんなにお熱いのですね。とても羨ましく感じてしまいます。しかし、今から燃え上がらせていると、炎はいずれ鎮火してしまいますよ。そうなったときは惨劇です。今までの全ての愛が仮初のものでしかなかったのではないかという恐ろしい程の、虚無感と恐怖に襲われてしまうことでしょう。ですから、今から少しずつ抑えていくことを助言しておきます。小さな炎をしっかりと燃やし続けることが長続きするコツです」
「アランと、私は永遠に愛し合うの! 絶対に! 消えることなんてありえない! 今も未来も来世も、世界の端まで愛し合うって誓っているの! たとえ、他の誰かの愛が消えるのだとしても、私たちの愛は消えない! ずっとずっと、これから先もあり続けるの!」

 使用人の言葉に、声を震わせて反論をする。俺は背中をさする。俺がそばにいると教えるために。消えないと伝えるために。ここに残り続け、彼女の魂と肉体の両方へと語り掛けるように。ゆっくりと落ち着かせていかねばならない。それだけ、彼女は追い困れているのだ。俺にはどうすることも出来ないほどに深いところで、悩んでしまっているのである。俺のアドバイスが届きそうにないのだ。であれば、どうすればいい。ただ、彼女の近くに寄り添うことしかできない。俺の力のなさに呆れ果ててしまう。自分自身が自分自身に対して失望してしまいそうだ。だが、それはしてはならない。しっかりと自分をもっていなくては。そうでなければ、彼女を励ますなんてことは決して出来るわけがないのだから。
 使用人は、申し訳ないことを言ったと顔をわずかにゆがめている。それを無理やりに押さえつけようとしているのだから、より質が悪く顔に表れてしまっている。いっそのことただひたすらに悪いことをしたという思いを表情に出してもいいのかもしれないが、ハルは、それを望んではいなかった。今の彼女にありとあらゆる同情を向けてはならない。敏感に嫌悪してしまうことは間違いないわけであるのだから。だから、その表情の変化など気にすることなく、何か言うこともなく、ハルの涙をためている顔を落ち着かせる方が大事であった。

「アラン、いなくならないよね。ずっと一緒にいるよね。今も、これからも、ずっとずっと、世界がなくなっても、一緒にいるよね。だって、私と約束してくれたもんね。決して離れることはなく、つながり続けるって、愛し続けてくれるって……」

 彼女の言葉には、あまりにも覇気がなく弱々しくなっている。今にも消えてしまいそうなほどである。不安でしかないのだろう。俺がどれだけ言おうとも、何度も言おうとも、それを再び口にして、俺の口からもう一度聞くことによって、心を落ち着けさせていることは違いないのだから。であるならば、俺はいうだけである。その言葉を何度も伝えるだけなのであるのだから。

「大丈夫。ずっといるさ。生まれ変わったって、一緒にいるよ。これから先もずっと先も、永遠であろうとも。絶対にな。俺たちが愛し合う限り、永遠に離れ離れになんてならないさ。それが、この世に生まれた俺とハルとの絶対にして確信的な誓いだろ」

 俺は、不安を取り除くように優しく声をかける。しかし、これでいいのかという思いもある。これだと、ハルは俺なしでは生きていけなくなる。どんどん俺に依存してしまうだろう。それはいいことなのかという思いがないわけではない。だが、今のハルから俺が離れると、何をするかわからない。絶望してしまい、自分の命を絶ってしまう可能性だってないわけではない。それだけは絶対にダメだ。自殺だけはしてはいけない。どんな逃げの手段を持っていても、自殺という手段だけは持っていちゃいけないんだ。それをしてしまえば、俺はハルに対する愛が揺らいでしまいそうですらある。自殺を憎むあまりに、彼女自身までも憎んでしまいそうなのだ。だから、俺は彼女を憎みたくないから、その道へと行かないように優しく、手を取り合って、隣を歩いてあげるのである。
 ハルは、俺にうずくまるように体を寄せる。俺は頭をなでる。絶望しないように、優しく。ハルはゆっくりと俺に全てをゆだねるように体を預ける。そして、気の流れが緩やかに変わっていく。だんだんと、呼吸もゆっくりとしたものへ変わる。肺が大きく膨らみしぼんでいくのだ。俺は、ハルの頭をやさしく撫でている。それだけで十分だろう。むしろ、そこから先を無理にする必要はない。出来るすべてでもって、ただ愛しているということを伝えればいい。むしろ、それだけは欠かさずにしなくてはならない。絶対条件である。

「ハル様は、アラン様しかいないのでしょうか。でしたら、なんて虚しい。空虚な人生なのでしょうか。救う手立ては、あるのでしょうか。いや、このままでいることも正解かもしれません。間違いかもしれません。わたしには何一つ思い浮かびません。わたしはアラン様ではありません。これは、アラン様、あなたにしか、解決する術を持てないのかもしれません。ハル様を絶対に幸せにしてくださいね。同じ女としての願いです。よろしくお願いしますね」
「……ハルは空虚ではないさ。虚しくはないさ。幸せにすることは間違いないが、彼女が俺だけを愛し続け、俺以外を愛せなくなったとしても、それに対して虚しい人生だったと彼女が思わないようにするのが俺の役目ではないかね。であれば、俺はそれを実現するだけだろう。それ以外には何も必要ないという思いすらある」

 俺の言葉に使用人はただ、はっとしたように息を呑んでいる。気持ちの強さを理解できたのだろうか。だからこその、その反応だろうか。であれば俺としては嬉しい。そうでないとしたら悲しい。ただ、彼女には俺がどれだけ彼女のことを想っているのかということを理解してほしいところである。

「さすがでございます、アラン様。そこまで強い気持ちであれば、ハル様は決して恐れずに、空っぽにもならずに、ただ満たされた人生を送ることは出来そうです。それはきっと、素晴らしい事でしょう。どれだけ、愛を求めても、それが叶わない人は数多く存在します。その中に置いて、彼女は、たった一人に、この世の全ての愛をもらうことが出来るのですから。羨ましいです。アラン様。決して彼女を不幸にしてはなりませんよ」
「ああ、ハルは俺が絶対に幸せにするさ。いや、ハルだけじゃない。ルーシィだっている。二人とも、絶対に幸せにするさ。お前が心配しなくてもな」
「ふふ、そうでございました。では、わたしはこれで」
「待ちなさい」

 俺は、使用人を呼び止める。彼女は疑問に思っているらしく、首をかしげて俺の方を向いた。きょとんとした顔で、見ている。呼び止めたことが間違っているかのように思えてきてしまう。

「どうして、ここにいるのですかね。九尾様」
「おやあ、わらわが憑依していると気づいておったか。なかなかよのお」
「まあ、気の巡りが二つもあれば、馬鹿でも気づくというものですよ。普通はそんなことがありませんあkら、それほどまでに露骨でしたからね」
「そうか。やはり、適当ではさすがに気づきよるよ。であっても、わらわを気にするでない。意味など存在しない。人が生まれ死ぬことに疑問を持たないように、わらわが今どこにいるのかも疑問に思わなくてよいのだ」

 使用人は、部屋を出る。それと入れ違いで、ルーシィが入ってきた。ルーシィは俺と視線が合うと、顔を明るくしながらこちらへ駆け足で近づいてきた。

「ただいま」

 ルーシィの唇は俺の頬に触れる。ルーシィは、年相応な愛らしさがある。ハルは、幼児的でありながら女性的な性格を持っているために、俺に対する接触が絡みつくようであるのだが、ルーシィはさらりと、水のような触れ合いに止まっている。というのが、普段の状態である。
 彼女は、発情期に入ると、ハルよりも積極的である。断り切れずに、一緒に風呂に入った時なんて、体中をキスされた。その時に首筋に着いたキスマークを親に発見されてひと悶着あったのだからな。

「ところで、アラン」
「なんだ?」
「あたしのことも、永遠に愛してくれる? 今も、未来も、あと過去も。あたしの全部を愛してくれる?」

 ……どうやら、扉越しに、あの会話でも聞いていたのだろうか。でなければ、この話題を今出すわけがない。そうなのだろうな。だとしたら、言うことは一つだけだろう。

「もちろんだ。ルーシィの全てを永遠に愛し続けるさ。ずっと好きでい続けるよ。世界が変わってもね」
「あたしも」

 お互いの唇が触れ合う。愛情の表現としては陳腐なもの、しかし、もっとも単純で、最も伝わりやすい愛情表現であるのは間違いなかった。あたたかさが、愛が、唇から俺に伝わってくるのだ。だからこそ、ハルは確かめるように何度も求めるのだろう。口づけというものの力というのはそれだけのものがあるのだ。

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