天の仙人様

海沼偲

第37話 婚約者という存在

 ハルは、この生活に慣れたようで最初の方の緊張した様子はなくなっている。少なくとも、俺と常に一緒にいないと落ち着かないような様子は見せなくなっている。使用人と中よさそうに話している姿も見かけるし、非常に良好な関係を気付けていけていることであろう。まだ、アリスとはたまに睨み合う姿を見かけることはあるが。それでも俺がいなければ仲良くしているそうだ。使用人からの話ではあるが。俺の目の前でしてくれる方が個人的には嬉しいが、そうはいかないのだろう。難しいところである。
 今も、ハルと森へと出かけるわけだが、俺の服装は男というだけあって、運動するのに問題のない動きやすい格好ではあるが、ハルの場合はドレスである。そのため、外に出る、特に森の中へ入るというのは困難を極めるわけで、いまでは、外出用の服装として、少年のような服装でいることが多い。それでも、家ではドレスに着替えているわけだが。外出用の服は俺とおそろいの様に見えなくもないデザインであるため、ハルは気に入っているらしい。まあ、俺と外出するための服という理由だけで好んでいそうな気がしなくもないが。そのこともあってか、ドレスのハルを見ると、いまだに新鮮さが残るのか、ドキッとすることも多い。『うつくし』であり、『美しい』であるのだ。その二面性がハルの魅力であるだろう。子供の肖像画を見るような美しさが、一番近いかもしれない。だが、それでも遠く及ばない。それである。
 今日も朝は、森へと出かけており、昼はどうしたものかと考えているところである。ハルの剣の腕は父さんたちも十分に理解しており、ルイス兄さんよりも強いもんだから、兄さんはまた激しい特訓をすることになっている。兄さんが剣を真剣にやり始める前から生きるために振っていたのだから、そりゃ差が開くというものである。こればかりはどうしようもない事実として受け入れるべきなのではないだろうか。そう思いもするが、兄さんの性格でそんな納得が出来るわけがない。頑張ってほしい。
 では魔法はどうなのかというと、元魔物なせいか、魔力の扱いは目を見張るほどなめらかで、流れが止まることなく乱れなく、すらやかな動きを見せる。そして、詠唱をせずとも、補助動作などなしに魔法を放つことができ、同時に二つ以上の元素を混ぜ合わせることも容易にできる。人間的に見れば、神童といっても差し支えないほどの腕前である。エルフですら、これほどの才能はめったに表れないだろう。ルイス兄さんの自慢が吹き飛ばされた瞬間である。そのせいか、一日自分の部屋に引きこもっていた。次の日には出てきていたが。やはり、兄さんの自慢の一つであった魔法の技術を年下の少女に抜かされたというのはこたえたのだろう。ハルは、申し訳なさそうな顔を見せたぐらいである。

「まあ、いろいろとあるだろうね。まさか、僕の魔法の腕すらを軽く凌駕してくるような少女が目の前に現れるなんて誰が思うかという話だけれども。まあ、カインたちに剣の腕で負けてしまうことに関しては、それなりに納得がいくさ。ただ、それに合わせて魔法までも奪われたら……僕は何を誇ればいいのかがわからないということもまた、あるよね」

 ハルがいないところで、ルイス兄さんは愚痴るように呟いている。こうして不満というか嫉妬というか、そう言うような感情を俺にぶつけている間であれば、まだまだ大丈夫なのだろうと思っている。これが、暴力的な方向へと向かってしまうと、困ることになるわけだから。そうならないように気にかける必要があるのだろうが。少なくとも、俺にだけその感情をぶつけている間ならば、どうにでもできるのだから、俺もまた、兄さんを励ますとは少し違うが、静かに不満を聞いてあげているのである。ストレスは誰かに話すことで発散することだってあるのだから。一人でいると、少し度を超えた発散方法に行きかねないというのもある。そんなことがたまにあった。
 今、俺とハルの二人は庭に出ており、簡単に拳術で軽く運動をしている。まあ、あまり思いつかなかったというのもそうであるが、とりあえず、外にいようという思いが強いというのもある。書斎にある本は軒並み読破しているわけだし、ハルが興味を持たなければ行く機会はないかもしれない。そういうわけで、外に出ているが、適当なところでこれを終わらせて、地面の上に座る。ハルは俺の隣に腰を下ろす。大体右隣が定位置である。この程度では、汗も、息の乱れもない。静かに風の流れを感じている。
 ふわりと、ハルの匂いが漂ってくる。花々と共に。新芽が顔を出し、こちらを覗いている。それらの匂い、巡りが混ざり合い、心がすうっと晴れやかな気持ちになっていく。生き活きと、感じられる鼓動であった。そこに浸り続け、流されていたいと思うほどである。
 遠くから小鳥たちがこちらを見ている。鳴いている。リズムに合わせて歌う。いちにさん、いちにさん。それに耳を傾けている。そろそろ、春であるかを伝えているかのように、小鳥たちは歌っている。草花が起き上がるかのようだ。命の息吹を感じて仕方がない。

「きれい……」
「ほんとうだ。鳥が笑い、風が歌い、木が踊っている。俺たちは劇場の観客だな。しかも特等席で見ている。いいや、独占しているのかもしれない。今彼らは、俺たちのために特別な演奏をしているのだろうかね」
「劇場ってこんなにも綺麗なものなのね。穏やかで、安らかで、とっても心地が良いところ。ずっとこうして、アランと寄り添いあって聞いていたい……」

 俺たちはうっとりと、それに酔っていく。冬から春にかけてのこの時期には命が生き返るのだ。俺たちはその瞬間を目に焼き付けている。それがどれほど素晴らしいことか。口にできるだろうか。いや、出来ない。どんな修飾語も意味をなさない。品がなくなってしまうのだ。陳腐なのだ。美しい。たったことの一言で表すことの、華憐さがある。それであった。それを守りたいと思ったのである。その感覚を二人で共有しているのである。心が一つになって、混ざり合って溶け合って。自分が彼女であり、彼女もまた自分であるかのようである。愛し合うからこそたどり着ける境地であろうか。
 と、門の近くに誰かが近寄っている。大人と子供がだ。身長差からそうであると考えた。大人は、男だろう。子供は……女であろうか。ドレスを着ていた。誰であろうか。
 ルイス兄さんの婚約者という説が頭に浮かんだ。が、その話を聞いたことはない。ならば違うのだろうか。でも、あの歳で婚約者がいないというのは珍しいほうなので、もしかしたら、本当に当たっている可能性もあるにはあるが。とはいえ、男爵家の跡継ぎ相手に嫁いでもいいというような貴族の少女はいないというのもうなずける。自由恋愛的なところは確かにあるが、兄さんであれば、見合いをする可能性だって低くはない。俺はもうあり得ないだろうが。
 使用人が門へと向かっていく。ここからでは、門に人がいることが分かっても、それが誰かまではわからないのだ。木が邪魔をしている。何とも見づらい。外から屋敷を見られないようにという気遣いが、今俺を妨げているのだ。
 二人は敷地内へと入ってきた。そのまま屋敷へ行くのだろう。と、少女が立ち止まる。こちらを指さしているのではないだろうか。そして、そのままこちらへ歩いてくる。だんだんと姿がはっきりしてくる。それで俺は気づいた。いや、気づくにしては遅すぎる。封印でもしていたのか。恐れていたのか。隠していたのか。むしろ、気づかないことに俺は気まずさを感じている。

「……おはよう、アラン。久しぶりだね」
「ああ、おはよう。ルーシィ。本当に久しぶりだね。数か月も前のことだろうかね」

 ドレスで着飾った少女はルーシィであった。彼女は俺を見てにっこりとぎこちなさそうに笑っていた。俺は手本でも見せるように柔らかな笑みを作る。笑顔を作るだけであれば、彼女以上の数を作ってきたという自負はある。だから、この場であろうとも少しのぎこちなさを出すことなく笑みを浮かべられるのである。
 今まで、会うことはなかった。親から、今は一緒に遊んではいけないと言われていた。それがどういう意味かは分からなかったので、仕方なくルーシィとはしばらく関わらなかった。ドレスを何着かケースに入れて屋敷の外へと出ていく使用人が見えたので、何をしているのだろうと思っていた。このためであったか。
 やはり、ルーシィはドレスが似合う美貌であった。綺麗であった。美しかった。その笑顔もぎこちなさが残るが、輝いてみえる。恥ずかしさからであろうか、顔がだんだんと赤に染まっていく。俺は彼女がドレスを着ている姿を初めて見たし、彼女もきっと、ドレスを初めて人前で見せたかもしれない。その初々しさが残っていた。

「綺麗だよ、ルーシィ」
「あ、ありがとう。うれしい」

 口を小さくして、ぼそぼそっとしゃべる。ちらちらと、俺の方を見ていると、その隣にいたハルに気が付いた。むしろ、俺の隣に座っている少女の存在が気づかないほどに俺のことしか見ていなかったということにわずかな驚きを覚えるわけでハルが。

「その子は?」

 ルーシィは指をさして俺に聞いてくる。無機質的な動きである。少しの不気味さを感じてしまうが、それはたまたまだろう。それに、知らない間に、他の少女と仲良くなっていると知って、ほんのわずかな嫉妬が芽生えたのだとしたら、それはそれで嬉しいのだから。可愛いものである。

「あなたこそ誰?」

 ハルも感情を落としたような顔をして、ルーシィに質問をしている。それに怯んだようにルーシィは一歩下がってしまう。彼女の言葉には、柔らかさと呼べるであろうものが一切存在しなかった。無感情に放たれるのである。ルーシィ以上の冷たさを持った言葉なのだ。
 俺は、冷や汗をかいてしまった。落ち着かなくてはならないのに。迫力であろうか。その強さに押されているのか。俺がまいた種であるというのに、怯えてしまっては意味がないだろう。気持ちを強く持つ必要がある。

「あたしは、アランの婚約者だよ」

 やはり、そのために来たのか。そうだろうと思っていた。覚悟は出来ていた。なんだかんだと、思い悩んでいたが、そうなるだろうという気はしていたのだ。ただ、もしもがあった。それを死ぬほど恐れていたのだ。だが、俺の予想していたものが現実となる。準備は出来ているのだ。だから、俺は取り乱すことはない。心臓が破裂でもするかのように暴れ狂っているが、俺の顔は冷静そのものである。

「変なの。アランの婚約者は私だよ?」

 ハルはそう返した。まあ、そうだな。変ではないが、ハルも俺の婚約者であることには間違いない。問題なのは、二人とも、自分一人が俺の婚約者だと思っていることであるが。これは、まあ、俺が悪いのだろうな。いや、悪くはないのだが。一夫多妻に罪はない。しかし、二人に婚約者が複数人いるということを知らせていないのだから、やっぱり俺が悪いな。

「三人方、こちらへ」

 使用人に呼ばれて、俺たちは屋敷へ入る。そこまでの話は一旦休戦だ。俺の右隣りにはハル。左隣にはルーシィがいる。俺は二人と手をつないで歩いていく
 使用人の後をついていくと、応接室へとたどり着く。使用人が扉を開けて、三人が入ると、俺の両親と、ルーシィの父親が座って待っていた。促されて、空いている席に三人横並びになって座る。

「さすがアラン様といったところでしょうか。もう一人、婚約者がおられるとは」
「ありがとうございます」

 複数の妻をめとる男は、甲斐性があり、懐の広い男とされる。少なくとも、自分一人で養える実力がなければ、妻をめとってはいけないのだ。要するに、俺は彼女たちが満足に生きていけるような稼ぎを出すことを義務付けられているわけだ。まあ、全力で幸せにさせようとは思っているため、文句はないが。そも、文句を言える立場にいないが。

「ルーシィ、ハル。君たち二人に伝えてなくてすまなかったね。でも、アランには君たち二人の婚約者がいるんだ。アランを一人占め出来なくて寂しい思いをするかもしれない。でもね、二人で協力してアランを支えてほしい。アランも絶対に二人を幸せにすると誓うよ。そうだよね、アラン?」
「もちろんです。二人とも、幸せに出来るように全身全霊、努力します」
「だそうだ」

 二人は、俺の顔を見る。そしてお互いを見る。そうして、俺を再び見る。俺は二人に順番に顔を向ける。気の弱い顔は見せない。自信をもって、二人と顔を合わせる。俺は出来ると。幸せにすると。全力で。

「私たちも教えてあげるわ。もう一人の婚約者との仲良くなり方を、ね?」
「そうねえ……いいわよ。そのほうが二人とも絶対に楽しいでしょうしね。教えてあげるわ」

 と、母さんたちが、二人を後押ししているかのようである。悩んでいるかのように下を向く。そう簡単に結論が出るものではない。だから、俺は待つ。みんなで待つ。とはいえ、反対だった場合はどうするのかがわからないが。しかし、二人が納得してくれることを祈る。

「……わかりました。二人で頑張ります」
「二人で、アランのお嫁さんになります」
「ありがとう、二人とも」

 俺は抑えきれずに、そう口に出した。二人は俺の顔を見ると、ニコッと笑った。その笑顔だけは絶対に守って見せよう。そう固く誓った。すると同時に、彼女たちが俺に抱きついてくるのだ。俺もしっかりと受け止める。その力は、少しの痛みを感じてしまうほどであった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品