天の仙人様

海沼偲

第35話 新たな家族

 昼食時のことである。家族全員が顔を合わせて食事をとるわけだが、今日は俺の隣に一人多く座っている。少女は先ほどまでの襤褸ではなく、フリルのついた可愛らしいドレスに身を包んでいる。おそらく、アリスが大きくなった時のための衣装であろう。丁度良く彼女の背丈に会うサイズであった。その少女は並べられていく料理を一品ずつ目を移していく。とても楽しそうに笑っている。俺もそれにつられて笑顔になってしまう。と、食器を鳴らす音が聞こえる。犯人はアリスである。むすっとした顔で俺のことを睨み付けている。俺の顔は再び感情を失ったものに変わる。彼女に対して笑顔を見せるとアリスが不機嫌になるのだ。だから、仕方ないのだ。でも、俺のほうを向いてにこりと笑ってくれると、俺の頬も緩んでしまう。そのたびに食器を鳴らすアリス。そしてついに母さんに怒られた。唇をかんで泣くのを我慢しているようだ。
 全てが並び終わった。八人が席に座って食事をとることになるわけだ。今までは七人なのであるのだから、八人というのは何とも新鮮である。空気が入れ替わっているとさえ感じるほどであろう。いいや、それは事実であろうか。彼女へと視線が真っ直ぐに向けられている。賑やかに談笑するわけではなく、ただ静かな視線であった。複数の人間がいながらも、全くの音がしない空間というのはあまりにも珍しいことこの上ない。まるで違う世界にいるかのようであった。

「アラン、これ美味しそうだね」
「そうだろう、家の自慢の料理人が作っているからね。絶品だよ。しっかりと味わって食べてほしいな」
「うん!」

 少女は俺に屈託のない笑顔を見せる。やはり、その顔には穢れなく清廉な美しさがある。ダイヤモンド、サファイア、エメラルド。彼女の笑みを宝石のどれかの比喩として表現しようとも、それは不可能であるということを深く認識されるわけである。どの宝石にもあるという品のなさが彼女の笑顔には見られない。俺はその笑顔に惚れているのだ。ぽーっと見つめている。しかし、みんなの視線が何とも痛いわけで、俺は視線を元に戻す。

「で、アラン。彼女はどういうことなんだい? どこから連れて来たんだい? 俺は彼女を見たことがないからな。少なくともここいらの村に住んでいる少女ではないだろう? 一応は森の中で出会ったからだそうだが……」

 父さんが俺に向けて言う。もちろん、俺の隣に座っている少女。ハルについてのことである。当然であろう。
 昼前には父さんたちも知っていた。だが、みんなして質問をするのはこの時間にしようと満場一致の結論が出ているらしく、何も言われることはなかったのだ。ハルは、この時間まで俺と同じ部屋にいた。その間には誰も入ってくることはなかったが、俺の胃はキリキリと悲鳴を上げていることは感じていたが。使用人たちはハルの姿を目撃しているわけだし、それを父さんたちに報告しないほうがおかしいからな。だからこそ、誰も来ないことが恐ろしかったのだ。しかし、これも予想していたわけで、覚悟してしかるべきなのである。
 そして、今は逆に俺を責め立てているかのように視線は真っすぐに向いている。ただ無感情に向けられているものは心臓を突き刺してくるかのように痛く感じる。今すぐにでも逃げ出したくなるわけだが、ここで逃げることは許されない。だからただ、座って何と答えればいいだろうかと戸惑っている。なにせ、ゴブリンの少女なのだから。ただ、これを言ってしまえば、今すぐにでも殺されてしまう可能性だってあり得る。

「お兄さま、アリスに何も言わないで他の女の子と仲良くするのはどうかと思います。私はとても悲しいです。わたしといるよりもその子といるほうが楽しいのですか。わたしとは楽しくないのですか?」

 アリスはとても不機嫌そうな顔をしたままである。そもそも、アリスにそのような許可をとる必要はないのであり、アリスが怒っている理由が一切ないのであるが。いちゃもんに近いものだ。誰もアリスの言葉に耳を傾けていないことからも、その発言に意味がないということはわかっているようであるが、アリスは先ほどから溜まっている涙があふれ出しそうになり、更に頬が膨れていく。

「……お兄さまはアリスのものだもん」

 アリスはぼそりと、誰にも聞こえないかのような細い声でかすかに呟いた。顔は下を向いており、鼻をすする音が聞こえている。ケイト母さんがチリ紙を渡している。それで鼻をかんだ。その様子をハルは黙ってみていた。何を考えているのかがわからないが、彼女に対して何かしら思うところでもあったのだろう。

「アランは、私のことが好きなんだよ。だから、アランは私のものだし、私はアランのものなの。私もアランがだーい好き。ね? だから、あなたのものではないのよ。わかった?」

 ハルはアリスと対抗するように言った。そのあとに、俺の腕に自分の腕を絡ませてくるのもかなりポイントが高い。俺の親の前で密着しているのだから。これだけのことを親の前で見せるということはそれだけの関係はあるということであり、将来を約束された婚約者でもないとできない。では、今のこの状況なら、まあ将来を約束した仲であるだろうという予想は想像に難くない。実際、俺はそう思われても全然問題がないわけだが。ハルも、そう言ってくれているわけだし、俺の頭の中には数年後、数十年後の様子が思い描かれてしまうのも無理はない。未来のことを今から考えるのは、少し滑稽ではあるが、それだけ浮かれているともいえるかもしれない。
 だが、当然周りのみんなには驚かれるわけだ。こんなに堂々と人前で自分の好意をさらけ出せる少女がいるのかと。恥ずかしがって何も言えなくなってもおかしくないのだが、ハルは自然体のままでそれをさらけ出すことが出来るのであった。

「まあ、うん……。そういうことか。だから、アランは彼女を連れてきたのかい? だとしたらなかなかに行動力があるわけだが。誰に似たのか……まあ、いいや。でもね。二人はまだ成人していないということはわかっているよね。まあ、こんだけ仲がいいのだから、問題はないだろうけど。婚約者同士の仲が冷めていて良い夫婦生活を送れていない人たちよりはましだけど。まあ、アランは貴族の三男だよな?」

 父さんの目つきがわずかに鋭くなる。俺はの背筋はピンと伸びて、硬直する。久しぶりにここまでの威圧感というものを感じた。最後はいつだったか。お師匠様に感じたというのは覚えているが、二歳だったか、三歳だったか。それよりも恐ろしさはないが、貴族の当主というだけはある。それほどに空気が張り詰めたような、静寂が支配している。何かを言ったら、腕の一本でも飛ぶのかと思う。お師匠様は首が飛ぶと思ってしまうわけであるのだが。

「はい……」
「一応は貴族の三男が女遊びに興じているなどと思われるのは貴族の面子としてはよろしくないのはわかるよね。まあ、この歳で婚約者がいるのは別に珍しくはないが、少なくとも、彼女は貴族ではないよね」
「はい、そうです……」
「まあ、貴族ではないことを文句言っているわけではないからね。平民の女の子に今の歳から手を出していることが問題なわけだからね。まあ、しっかりと彼女を愛してあげるというのならば、別にいいのだけれども」
「それは、もちろん! ずっと、ハルのことはずっと愛し続けるに決まっている!」
「ならいいんだけどね。アランも、好きな女の子を口説き落として、ようやく恋人として紹介できるようになったから、わざわざうちに上げたんだろ? 俺が知らない女の子だから、おそらくどこかをふらふらとさまよっていた旅商人の娘か何かかもしれないわけだが……」

 そういうわけではないが、そういうことにしておくとしよう。俺は深く頷いた。ハルの顔が歪んでいる。嬉しさの歪みであろうか。顔を真っ赤にしながら目を潤ませてこちらを見ているのだ。これで、今日のピリピリとした空気を乗り切れたことに感謝である。
 ハルの唇の感触が俺の頬に伝わっている。こんなにも家族に見られている中で大胆なことをするものであるが、そうすることで俺たちが愛し合っているのだろうということをより明確に伝えることが出来たことは確かであろう。母さんたちは少し楽しそうに彼女のことを見つめているわけでもあるし。ただ、恥ずかしいことは確かである。俺の顔が赤くなっているであろうことは間違いない。ただ、それを出来るだけ考えないようにする。

「で、ハルちゃんでいいのかな? 君がここにいることは親御さんは知っているのかな? というか、親御さんはどこにいるんだい? 外で待っているんだったら、連れてこなくちゃあならないだろうからね」
「ううん、知らない」
「アラン?」
「いや、違うんだよ。あの、その、ハルの両親がどこにいるか知らないんだ。何せ、最初に出会った時からずっと一人でいたんだからさ。ね、そうだよね?」

 俺はハルに助けを求めるように聞いた。ハルもこくりと頷く。それを見たことで、俺の両親たちは、息をのんだ。おそらく、ハルの両親がどうなったのかを予想立てたことだろう。普通なら、死んでしまったのだろうと思うことだろう。実際はそういうわけではないが。しかし、それも後押しとなるのだ。俺は訂正はしない。

「森にいたのって、捨てられたからなの……! いや、捨てられた以外にも……それでも、なんて壮絶な人生を送っているのかしら……!」
「アランの嘘かと思ったけれど、本当に、森の中を一人でさまよっていたなんて……さぞかし大変だったことでしょう……」

 母さんたちは、涙を一筋流している。涙もろい両親であるが、それに救われている。しかし、俺の発言は噓だと思われていたのか。信用がキメラの一件以来落ちているな。どうやって修正すればいいのやら。ゆっくりと信頼を積み上げていくしかないのだろうな。難しいことである。だが、やらなくてはならないことである。
 父さんは、何かを考えるようにして天井を見ている。あまりにも衝撃的なことだったのだろうか。なんだかんだ言って親から無理やりに連れてきていたのかと思っていたのかもしれない。確かに今のハルはいいとこのお嬢さんに見える。ドレスのおかげでもあるだろうが、素の顔の美しさがそこいらにいるかのような美ではないのだから。どこかの国のお姫様だと言われた方が信用できることだろう。もしかしたら、没落してしまった貴族の娘だという設定が父さんたちの頭の中に広がっているかもしれない。

「襤褸で屋敷にきたというから、どういうことかと思ったが、そういうことだったのか。まさかの話だが、考えられないことではないか……。……ごめんね、嫌なことを思い出させて」
「ううん、大丈夫」

 ハルは、首を振って何でもないように言う。その後、俺のことを見て肩に頭をこすりつける。俺は頭をやさしく撫でる。それがまた、無理に我慢しているように思えてしまう。彼女は元から自然の中で過ごしていて当たり前な存在なのに、今この一つの仕草が、自分の悲しみを俺で癒そうとしているように見えてならないのである。母さんたちはより顕著にそう感じたことであろう。涙が止まらないでより溢れてしまっているのだから。

「ハルちゃん!」

 サラ母さんが、席を立ちハルの名前を呼ぶ。それに驚いてびくりと体を震わせた。それを見た母さんは謝ると、ハルのことを見つめ直す。

「アランのお嫁さんになるのでしょう? だったら、私たちの娘同然よね! だから、この家に住みなさい! それなら、ずっとアランと一緒にいられるわ!」

 サラ母さんは、名案を思い付いたかのように嬉々として話す。まあ、俺もその話に持っていこうとしたわけであるから、問題はない。むしろ、母さんたちからその話をしてくれて感謝したいほどである。いい方向に転がってくれている。
 テーブルの下で小さくガッツポーズを作る。誰にも見られないようにひっそりとしている。もし気づかれてしまえば、そこからボロが出てしまうかもしれないのだから。慎重にしなくてはならない。

「そうね! ハルちゃんもお家がないんだったら、うちに住みなさい。料理もおいしいし、使用人たちがお世話をしてくれるわよ。アランも喜ぶわよ。いいわよね、あなた」

 ここで、ケイト母さんの援護も入る。父さんも頷いている。ハルは俺のことをちらりと見た。俺は手を握って、ゆっくりと頷く。俺も、ハルと一緒に住みたいと、その意思を見せたつもりである。
 ハルは、パッと顔を明るくして母さんたちに振り返った。

「よろしくお願いします!」

 この日、家族が一人増えた。
 その夜、父さんが使用人たちと何やらひそひそと話している姿を見た。俺はその姿を見て、ハルに何か悪いことが起こるのではと少し緊張してしまう。と、父さんと視線が合った。気づかれた。

「アラン」
「はい、何でしょうか」

 父さんは、言うかどうか迷っているようであったが、決意を固めたような顔を見せる。何か嫌な予感がする。間違いであることを祈ることしかできないのであるが。

「アランは、父さんみたいにたくさんの女性と結婚するとなったら、どうする? まあ、ハルと結婚するということが決まってすぐに言うことではないだろうが。しかし、これは貴族として生まれてしまったのなら、ある意味義務のようなものだ。どうしようとも、必ず複数人の女性と婚約し、結婚する。わかってくれるな」
「はい、もちろんです。ですが、俺のお嫁さんとして俺に嫁いでくれるのであれば、誰であろうとも全員を愛します。いまは、ハルだけなので、ハルを全力で愛しますけど」
「うん、その気持ちがあればいい。まあ、刺し殺されないようにな」

 父さんは、不吉な言葉を残して去っていった。俺の頭の中にはその言葉が何度も流れてきて仕方がなかったのであった。

コメント

  • キャベツ太郎

    何故父親はsdayを知っているのかww

    0
  • ふなさん

    誠氏ね

    0
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