天の仙人様

海沼偲

第31話 友人の誤解

 俺は今だに外出許可をもらえていなかった。もうそろそろ、四歳になるというのだが、俺は家の中に隔離されている。1メートルちょっとしか高さのない柵が、恐ろしく高い壁のように感じられる。いや、恐ろしく高い壁なのだ。天井が見えないのである。俺はこのまま、この屋敷に飼い殺しになってしまうのではないか。そうとすら思えてくるほどである。
 いいや、そんなことはないだろう。だが、そう不安に思えてくる程度にはストレスが溜まっているのかもしれない。何とかしてストレスを解消したいのだが、この限られた空間しか出歩くことが出来ないという状況で発散するのは難しいだろう。甘えかもしれないが。

「どうしたの? 柵なんか見て。何かついている? ……虫とか」

 が、ルーシィがその代わりに家にまでよく来るようになってくれたわけだが。最初は申し訳なさそうに来ることが多かったので、俺も申し訳なかったのだが、今では自分の家のようにすんなりとはえってこれる程度にはなっている。これをどうとらえるかはそれぞれの勝手ではあるが、俺としては、ありがたかったりする。変に委縮してしまっては困ってしまうからな。
 とはいえ、ルーシィと何かをするとは言っても、庭で剣の修練を積むだけであるが。それでも、お互いに楽しんでいるところがあるので、問題はない。なんというか、剣を通じて語り合っているのだ。俺たちの友情はそこまで深くなっていると思う。きっと向こうもそう思っているはずだ。そうだと嬉しい。

「いや、なんでもないよ。なんとなく外を見ていただけだからさ」

 俺はどうも強がってしまうきらいがある。そのせいで、彼に対して悩みを相談しようとは思わなかった。それに、吐き出したとしても、すっきりしないような気がしてならないのである。外に出られないことで、溜まってしまうストレスがどれだけなのかが、わからない可能性だってあり得る。だから、変に相談して彼が無駄に頭を悩ませないようにという気遣いであった。
 他の人の悩みを俺が一緒に抱えることに対しての苦痛はないのだが、俺の悩みを他の人にまで背負わせてしまうのはあまり好きではない。そういう面もあるのだろう。

「そっか。……でも、アランが外に出られないからつまらないね。庭でおんなじことしているけど、使用人さんが見ているもんね。なんだか、他の人の視線がしっかりと感じてしまうと、ムズムズして仕方がないよね」
「確かに、見られている気配はあるけど……」

 別にみられて困ることはないだろう。俺は、彼が言うような気持にはなったことがない。昔から、人の視線を感じていたから、慣れてしまったのかもしれない。ならば、人の視線に慣れていないルーシィがそのむず痒さを感じてしまうのも仕方のないことかもしれない。
 ルーシィは、発情期が収まりいつも通りの触れ合いに戻ったわけだが、外出禁止される前はそれでも、たまに手をつなぐことが多かった。それも、無意識化であるらしく、誰かに指摘されてようやく気付くという始末。まあ、それがないのもなんだか寂しくはあるのだが、指摘されると慌てたように手を離すのだから、あまりする気はないのだろうというのは感じる。やはり、男同士で手をつなぐのは恥ずかしいのだろうか。俺は気にしたことがないが、ルーシィも気にしないとは限らないからな。
 夕方まで俺たちは、剣の動きを確認したりと軽く動いて体を柔らかく、しなやかにしている。兄さんたちは、外に出て剣を振るっていることだろう。あの広い場所で戦うのもいいが、庭で剣の基礎をしっかりと復習しながら、洗練させていくのも悪くはない。こういう時にしかできないと思ってしっかりとやっていくのが大事だと思う。
 と、門の前に二人の獣人が現れた。使用人が彼らへと近寄り、話を聞いている。腰が低く、ぺこぺこと頭を下げている。

「お父さんたちだ」
「へえ、初めて屋敷まで来たんじゃないか? 初めて姿を見たよ」
「お父さんたちは貴族の息子と遊んでいるって知っただけで、びっくりしていたからね。だから、緊張してこれなかったんだと思うよ。お母さんは貴族とかかわりを持っていることに喜んでいるみたいだったけれどね」

 彼の母親はどうやらしたたかな女性らしい。たしかに、自分の息子が貴族の友人であると知れば、将来は安泰だろうと思うことはおかしくはない。そういう人は少なからずいるだろうし、それを目的として、自分の子供を貴族の子息に近づけようと画策する人だっている。ルーシィはそうではないと思うが。一人で俺に話しかけてきたのだから。
 ルーシィの親が迎えに来るということはなかったのだが、どういう風の吹き回しなのだろうか。特に、緊張してこれないというのなら、どうして今になって来ようと思ったのか。疑問は尽きない。と、空を見たわけだが、俺はだんだんと太陽が昇っている時間が長くなっていることを思い出した。もしかして、結構遅い時間までルーシィを拘束してしまったのではないだろうか。いつもは、夕方ごろでよかったが、もうそろそろ空が赤くなる前に帰さないとダメな季節になったのだろうか。それはしまったな。たしかに、この時間まで拘束してしまえば、親が迎えに来たとしてもなにもおかしなことではない。それを忘れていたこちら側の責任でもある。

「すまんな、長くつき合わせちゃって」
「大丈夫だよ」

 ルーシィは気にしていないようであった。むしろ、俺と入れることを喜んでくれているかのように笑顔を見せてくれる。俺もそれにつられてしまうかのように微笑みかける。無意識的に彼の指先が俺の手に触れる。別に指摘はしない。彼が触りたいと思ったのであれば、俺はそれを受け入れるだけなのだから。
 ルーシィの両親が俺の目の前まで歩いてきた。一応自分の息子と遊んでいるからか挨拶をしに来ているのだろうか。俺は、彼の親の顔を知らないからな。いい機会であると思うことにしよう。友達の両親の顔を覚えておいて損はないだろう。むしろ、今まで知らなかったことの方が問題な気がしないでもない。だが、彼は絶対に家に招待してくれないのだから、知らなくても仕方のないような気もしないでもない。

「こんにちは」
「初めまして、アラン様」

 深くお辞儀をするルーシィの両親。俺は年上の人間にこんなに深く頭を下げられたことがないため動揺してしまう。軽く頭を下げることはよくあったが、俺のような貴族の三男坊にまで、深々と頭を下げる人は初めてである。それに、この村では貴族の子息であろうとも子供は子供だからと、自分の息子のように接してくる大人も少なくはない。だから、こうして彼らみたいな姿勢の低い人たちは新鮮であるといえるだろう。

「あ、頭を上げて大丈夫ですよ。そこまで畏まらなくたって、何も罰が与えられるわけではありませんし。もし、そんなことがあったりしたら、この村の人間の大半は罰則を食らっていることですから」
「そうですか、ありがとうございます。貴族の御子息ということもありまして、さらに、領主さまの家の敷地内に入るなんてことはなかったものですから緊張してしまって……」

 彼は、頭を掻きながらはにかむような笑顔を見せている。もしかしたら、この人の代からこの村に移住してきたのかもしれない。それならば、この対応も頷けるというものである。だが、この村ではそこまで畏まる人なんていないのだから、もう少し気楽でもいいと思う。それを聞いた彼は、少し緊張が和らいだようにほっと笑みを浮かべた。
 にっこりと笑う姿はどこかルーシィに似ていると思う。親子だとより深く感じる。ルーシィは俺に頭を下げる親の姿が恥ずかしいのか早く上げるように催促をしている。それを見て、親たちは何とも温かい視線を向けている。

「いつも、うちの娘と遊んでくれてありがとうございます。親同士でのつながりが他の家と比べて希薄なものですから、もしかしたら寂しい思いをさせてしまったのかと思っていたので、こうして一緒に遊んでくれているのはありがたく思っています」

 と、母親が俺に向かって微笑みながらそういった。……ふむ、娘。だれが? どこに娘がいるのかと周囲を見るが、いない。俺は、いつの間にかれらの娘とやらと遊んでいたのだろうか。記憶を探るようにしているが全く思い浮かばない。

「むすめ? 誰のことですか?」
「へ? いや、ルーシィのことですよ」
「いやいや、ルーシィは男でしょう。自分でそう言っていますよ。それに、ついていましたよ。確認しましたからね」
「え? いつ確認したの!」

 俺の発言にルーシィが飛び上がる。目玉をまん丸にして驚愕していた。たしかに、自分の知らない間についているかどうか確認されたというのは驚きだろう。だが、あまりにも無防備にしていたものだから、確認し助かったというのもある。

「木陰で休んでた時があったろ。その時にぐっすり眠ってたから、ついているのかなと思ってな」
「ルーシィ? お前、アラン様に男だと言ったのか?」
「え? あ、うん」

 今思えば、なかなかに大事なことをしているが、男同士だし問題はなかったと結果的に思ったわけだ。もし女だった場合は発狂ものだが、彼は男と言っていたし、実際ついていた。だから、男で安心したものだ。そも、疑問を持つなというかもしれないが。発情期であそこまで官能的な雰囲気を発していたら、疑問を持つのも仕方ないと言えるだろう。実際に触ってみて男だとわかり、そういうものだと理解できたのだからいいだろうさ。
 もし、ついていなくて女の子だとわかってしまったら、俺は責任を取ってルーシィと結婚することになっていただろう。たとえその方向に話が転がったとしても、俺としては問題なかった。彼がどう思うかは知らないが。だから、そういう大胆な確認方法を行えたのかもしれない。少なくとも、その時の俺は何とかなると思っていたのである。

「あ、あの……アラン様」

 と、使用人は震える声で俺を呼ぶ。俺が振り向くと手招きをしているので、俺は近くまで寄る。すると、俺の耳元に手を当ててひそひそと小さな声で話し始めた。遠くではルーシィも親に何か耳打ちをされている。

「……ハイエナの獣人には、他の種族の女性とは違い、女性にもついているのですよ。正確には男性についているものとは違って、疑似的なものですが」

 ……あ。そうだ。そうだ。そうだ。ハイエナにはあるんだ。どっちにもある。その獣人であるルーシィにもどっちの性別だろうとついているのは当たり前ではないか。それなのに、その大事なことを忘れているなんて、俺は阿保ではないだろうか。
 いや、そうじゃない。俺は気づいていたんだ。全部気づいていた。当たり前だ。でもそれを認めたくなかっただけの話だ。認めないで、目をそらして、ついているからと、女はないからと、それだけを糧にして、勝手に納得して心を落ち着かせていただけなのだ。何を怖かったのか。性別を偽る理由を重く考えているからだろう。本当の性別を知ったら壊れると思ったからだろう。だから、恐れたのだ。浅いところで見つけた解で満足できたのだ。
 さっと顔が青ざめているのだと見なくてもわかってしまう。触らなくても血の気が引いているのだとわかるのだ。頭が真っ白に染まって、何も考えられなくなっているような気がしてならない。どうすれば、彼……ではなく彼女との関係を壊すことなく続けられるだろうか。そんなことなんて思いつくわけがない。だけど、どうにかして言葉を出さなければと思った。

「あ、あのさ……ルーシィ……」

 なんとなくで、とりあえず場をつなげるための言葉でしかない。だが、そこから先が続かない。謝ればいいのだろうか。いいやそれは違う。謝ってしまえば、俺は悪いことをしたのだと相手にまで伝えることになる。そうなれば、これはより大きなものとなって俺にのしかかる。ただでさえ、大きな枷としていきなり現れたのだから、これ以上重みをもたせてはならないのである。
 どうあがいても、これはまずいことなのである。彼女が必死に隠していた性別がバレたのだ。普通の関係ではいられないだろう。しかも、女性の股間を触っているのだ。救いようがない。畜生道へと落とされても文句は言えない。だが、なんとかして謝罪の言葉だけは口から出せるはずだ。さあ、出すんだ。今すぐに。
 しかし、そこから先の言葉が出ない。言葉が詰まっているのだ。喉の奥に絡まって出てくる気配がない。このままでは嫌われてしまう。声が空気が、かすれて出てこれない。震えてしまっているのである。

「あ、アラン!」
「はい!」

 死んだ。俺は死んだ。後悔の少ない人生でした。しかし、最後に公開したことが永遠不変に俺の心をえぐり続けることでしょう。私は、この十字架を百年、二百年、千年、万年と背負い続けていくことでしょう。

「ごめんなさい! 実はあたしも自分のことを男だと思っていたの!」
「……へ?」
「あの、その……女の人にもついていると思わなくて……」

 俺たちが話している言葉は人称に個性はない。英語みたいなもんだ。だから、ルーシィが女だとわかると俺の中での人称の印象を変えたわけだが……。

「ああ、うん。でも謝らなくていいんだよ。ルーシィは。謝るのはこっちだから。男だと思って接してきてごめん」
「あ、でもやめないで」
「なにをさ」
「あたしが女だと知って友達じゃなくなるのは悲しいから、これからも友達でいよう?」
「友達でいいのか?」

 口を挟む、ルーシィの父。今そんなことを言ってもどうにかなるわけがないのだから、少し黙っていてくれないかと、願った。こちらが明らかに悪いのだが、より混乱の種をまくようなことをしてほしくはない。あとでならいくらでも考えられるが、今では無理であった。

「いいの!」
「あ、ありがとう……」

 俺はそれしか出てこなかった。そもそも、感謝をするべきなのかもわからなかった。謝罪をするべきなのか、感謝をするべきなのか、俺の頭は混乱していた。
 ルーシィたちは帰っていった。後姿を俺は一瞬も逃すことなく見ていた。

「……アラン様、ルーシィさんの股間を触ったのですから責任は取ってくださいね。今は友達かもしれませんが……まあ、将来もそれではいられないでしょうね。なにせ、女性の秘部に触れたのですから」

 使用人の言葉が心臓の奥深くへと突き刺さっている。今のうちから覚悟を決めることにしよう。

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