天の仙人様

海沼偲

第26話 キメラの本能

 キメラ。合成獣ともいうべき存在のことだ。
 生物的には魔物に分類される生物である。その姿かたちに一定の規格というものはなく、魚のようであり、トカゲのようであり、虫のようであり、鳥のようであり、獣のようである。そのどれらかの姿をしているのだ。キメラには決められた姿をしていない。だからこそ、キメラといえるだろう。
 そもそも、キメラという生物は自然界には存在しない。野生で生まれる生物ではないということだ。つまりは、人為的に作られる生物である。ベースとなる生物に、他の生物の要素を付け加えていき、完成させる。これ以外の方法でキメラが生まれたという話はない。たまに、奇形で生まれた生物をキメラと言われることがあるが、それは誤解である。複数種族、三種類以上なければならないのだが、その特徴を持っている生物のことを大きなくくりでキメラと呼んでいるのだ。
 キメラの製作には魔力的な術式がどうのこうので作っていくそうだが、基本的には最重要機密レベルの情報なので、俺が調べられることはない。そもそも、普通ならば一生の間に一目としてみることはなく終わりを迎えることが普通である。ただ、動物とか魔物とか関係なく素材にできる。魔石を体内に埋め込む必要があるらしいが。魔石が体内にあるから一応魔物。魔石による魔力の動きで無理やり体を安定させているのだろうか。
 俺の目の前にいるキメラは、獅子である。とは言うが、体の大きさが普通のライオンよりも一回りも大きいので、ジャンボライオンがベースになっているのだろう。所々に鱗が張り付いており、尻尾は蛇。たてがみは毛というよりも針のようなものである。これだけでも、四種類の種族を使われているのだろうということが分かる。
 血走った目を周囲に向けながらあたりに生えている木であったり、草であったりを荒らしまわっている。もがき苦しんでいるようにすら見える。じたばたと暴れまわっているのだ。たまに、足を滑らせて転んでしまい、その状態でももがいている。そんな異常行動をしているということに俺は、ただ見ているだけであった。そして、何かに気づいたようにこちらへと顔を向けた。

「がああああ……があああああああああああ!」

 キメラは俺のことをじっと見つめて、雄たけびを上げる。その声は引き裂くようなずれのある、雑音のようなものである。不快音だ。キリキリと音のみでダメージを与えているかのように金属のきしんでいるかのような音であるともいえるかもしれない。俺の体をむしばむように不快感が侵食していく。頭がねじ切れそうなほど気分が悪い。

「キメラよ。お前は……いや、お前たちはもう元の姿たちに戻れないんだな。わかっているか? お前たちは摂理から外れてしまったんだ。摂理から外れてしまった苦しみの中で暴れているのかもしれないが、お前を生きながらにして救う方法はない。それは、俺たち仙人でも存在しないだろう。わかっているか?」
「がああああああ!」

 キメラが言葉をしゃべることはない。少なくとも、人型のキメラというのは今まで存在したことがないからだ。でも、こいつは自分が今どうなっているのかがわかっていないようであった。痛みで暴れている。尻尾の一振りでどっしりと生えている木の幹がへし折られる。無様に倒れていく。全ての生き物が無力であると思えるほどに、力の差があった。
 なぜ、お前はここにいるのか。お前は捨てられたのか。逃げてきたのか。この村には戦略的価値はない、はずだ。だから、脱走して来たのか、捨てられたかして、ここに迷い込んできたのだ。笑える話ではない。怒りがこみ上げてくるのだ。誰かの都合によって、今この現状が成り立っているのだ。むかむかしてくる。怒りに任せて暴れてやりたいとさえ思えるほどだった。

「捨てられたのか? 誰に捨てられた? 国か? 個人か? お前たちを捨てた奴はどこにいるんだ? どうしてお前は捨てられたんだ?」
「があああ!」

 キメラは、我慢できないと言うばかりに、俺に向かって腕を振り下ろす。当たれば致命傷になる。下手すれば即死だろう。仙人が、それで死ぬのかはわからないが、わざわざ痛みにさらされる必要などない。
 地面が揺れる。さらに踏み込んで噛みついてくる。鼻を殴って距離をとる。下手すれば咬みちぎられるところであったが、俺の腕に傷はない。そして、キメラの方では鼻から血を流している。ドバドバと勢い良く噴き出しているが、それも数秒の出来事。少し経てば、ピタリと出血が止まって、何事もなかったかのようである。だが、鼻を殴られた痛みはあるのか、悶えるように唸っている。

「ぐううううう……」

 頭を振って、俺を再び見る。その瞳は狂気に彩られていた。生きるということではなく、殺すということに全てが向けられている、亡者の目だ。こいつは、動いているだけの、そして生きているだけの屍である。動いているだけ性質が悪い。アンデッドと同異議である。しかも、浄化することのできないアンデッド。この魂は永遠に苦痛を背負わされるのだ。罪もなく。俺の目頭がだんだん熱くなっていく。彼らに罪はなかったはずだろう。それなのに、どうしてこれほどまでの十字架を背負っているのか。

「貴様は、望んではいないのだろう。だが、お前たちは生きていちゃいけないんだ。安らかに眠れ。疲れただろう。死んでも動き続けるのは。止まっていい。動かなくていい。あるがままに、摂理のままに、巡りの中に預ければいい。俺が運んでやろう。船に乗せてあげよう。船頭が案内してくれるさ。苦痛かもしれない。辛いかもしれない。だが、今の方が辛いだろう。意味もなく暴れて、お前たちが愛したものが自分の手で壊されるのはつらいだろう。俺が助けてやる」

 語り掛けることに意味はない。聞こえていない。理解もできない。暴れ狂うだけである。木々が折れ、地面がえぐれる。先ほどまでの姿はない。俺が何度も見てきて、そしてしっかりと記憶の中で再現されるような風景はそこには一切残っていないのである。そして、彼らもまた好き好んで破壊活動をしているわけではないのだろうということも感じなくてはならないのだ。
 生き物の知性というのは別々の価値観で考慮しないといけないわけだが、それでも、理性的に行動をとっており、よく考えられた戦略というものを持っている。しかし、これにはそれがなかった。ただ壊すだけだった。本能? いや、そんなものすらない。破壊することが本能の生物などいない。呪いである。兵器である。生き物でありながら、生き物として扱われることのない存在。その末路なのだ。俺はそんな存在を生き物として認識なんてしない。絶対にしてはならないのだ。
 俺が避けると、周囲に被害が及ぶ。だとしたら、それを受け止める必要があるわけだが、危険なことだ。やるしかないのだが。やらなければ、どれだけの命が消えてしまうのだろうか。彼の行動には自然選択としても、自然闘争としての価値もない。ならば、俺はそれに介入をしなくてはならないのである。
 俺は足を止める。避けない意志を示した。あいつは、すぐさま前足を振り下ろしてくる。その前足に拳を振り上げる。重力に逆らう攻撃と、重力に逆らわない攻撃は後者のほうが強い。だが、自然の恩恵を受けているだけの生き物と自然そのものが殴りあえば、後者が強い。さらに、相手は自然から離れた存在である。自然の援護はもらえない。自然は全面的に此方の見方をするのだ。彼らも言っているのだ。救ってあげてくれと。呪いから解放してやってくれと。俺はその想いに全力で答える必要があるだけなのだ。全身全霊をもって、キメラに立ち向かうだけなのだ。
 キメラの前足が吹き飛ぶ。それに合わせて体が浮き上がる。目の前にはがら空きになっている腹が見える。ならばそこに全力の拳を叩き込む。威力は逃がさない。後ろに飛ばさせない。その場に固定して、すべての力を体に吸収させる。俺の全力が全力のままに、キメラの体を破壊していくのだ。
 腹には鱗がある。鱗の大きさからしてドラゴンとかそこら辺の大型の爬虫類の鱗だと思うが、それにひびが入った。割れる小気味よい音が聞こえる。しかし、それだけである。拳は体の表面で止まっており、そこからさらに奥に進むことはない。岩よりも硬い何かを殴っているのではないかと錯覚してしまうほどである。少なくとも、なにであればこれだけの硬度を持たせられるのかがわからない。

「ダメージは全くないってところだろうな。どんな体になっているんだよ、お前たちは。俺の全力を平気で受け止められたら、何も出来ないぞ」

 俺はすぐに距離をとる。キメラがどの程度の強さなのかいまいちわかっていなかったが、この世のものではないだけあるというところだ。
 しかし、触れた感触を信じる限りでは金属ではなかった。しっかりと肉であった。しかし、あそこまで硬い肉というものは見たことがない。食べたこともない。何で出来ている。鱗だけではなく中身もいじくられているであろうことは分かったのだ。
 仙術の修練が足りないのであろうか。いや、お師匠様からのお墨付きはもらっているはず。気の爆発力は常人とは比較にならないはず。俺の一撃は津波の衝撃と同等とまで言われていたと思っていたのだが、それを余裕で耐えられるとなると、相当苦しい。

「《水よ》」

 今度はどうだ。
 俺は、瞬間で間合いに入り、顔面に拳を打ち付ける。顔には防御のための鱗の類は存在せず、先ほどの一撃で頭を振っていたころから、ダメージが通るということも知っている。気と魔力を混ぜ合わせた、一撃は先ほどのとは位が一つも二つも変わるほどのものだ。
 キメラは、足を滑らせて後ろに下がった。威力が飛んだか。体に上手く残せなかったみたいだ。
 頭を振るとじっとこちらを睨み付ける。いわゆる闘争心というものが燃え盛っているかのように見える。だがそうではないだろう。闘争は生き物同士でなければ発生しない。生き物ではないキメラには存在しない概念なのだから。

「効いていないな。そんなに弱いのか? それとも、お前らが強すぎるのか。どっちにしろ、大変だな。お前たちを救えるか怪しくなってきたな。もし、救えなかったとしても恨まないでほしいところではあるな。まあ、救えなきゃ仙人として失格なのだけれども」

 俺は、視線を逸らすことなく、呟いた。ゆっくりと構えをとり、精神を集中し、抑え、平静にして落ち着かせる。
 まだ見えていないことがあるはずだ。キメラはもともと、どういうものなのかわかっていないことが多い。戦略兵器だからだ。国の偉い立場の人間にしか詳細な情報はない。それに、国ごとにキメラの弱点が違うという話もあり、このキメラがどういう弱点を持ち、どういう手順なら倒せるのかが謎である。ミンチにすれば倒せるだろうが。
 俺が出来ることは、これ以上被害が出ないように殴り合うことしかなかった。ただ真っすぐ、キメラを見据えるだけだった。

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