覇王の息子 異世界を馳せる

チョーカー

どうせ死ぬなら桜の下で

 キメラ。あるいはキマイラ。
 体は獅子。体は山羊。尾は毒蛇。
 複数の生物が交じり合い、一体の生物として存在している。
 その点は西行法師が言う通り、日本の妖怪である鵺に近い。
 どうして、このような生物が誕生したのだろうか?
 進化の過程の最中、既存の生物が、自然と一体化していったのか?
 あり得ない。
 その存在は、進化の否定だ。
 長い年月が、虫を恐竜に変えたと主張する進化論。
 進化論そのものに疑問を抱く研究者は多いが……
 間違いなく、キメラという存在は、長い年月によって変化した生物に当てはまらない。

 
 闇夜の中、青年は剣を抜く。
 相手は、猫科大型猛獣の頭部を持つキメラ。
 夜目は利く。いや、猫の目以上に厄介なのは、蛇の頭だ。
 蛇の口。その上の辺りには生物の熱を感知する器官が存在している。
 おそらく、この闇夜でも視界に不自由を感じていない。


 もしかすると、こちらの存在に気づいて無視をしているのかもしれない。
 (ならば逃げるか?)
 そう思考し、足を引く。
 しかし、それに合わせてキメラは距離を詰める。
 逃がすつもりはないらしい。
 戦うしかない。青年は覚悟を決めた。 
 青年の心情には、
(せめて、客人だけは無事に返さなければならない)
 と使命感が生まれる。

 だが———
 次の瞬間、キメラの姿が消滅した。
 その巨体に似合わぬ跳躍。山羊の肉体だからこそ、成し得る速度を青年は認識できない。
 刹那な時間が過ぎ、青年は熱を感じる。焼けるような熱を腕から。
 それが痛みに変わり、ようやく青年は、自身の腕が喰われたと気づく。
 気づいた瞬間、青年が見たのは、自身の頭部に向かってきている蛇の咢だった。

 夜空に吸い込まれていく鮮血と余った肉片。
 その光景を見て、西行法師は狂乱する。
 「おぉ、これか、これが死か。なんと背徳的な美を見せるのか」
 西行法師は叫ぶ。これから行われる自身の死。
 山から下りてきた獣に食い殺されるという現実を、叫ぶことによって、自らの死を芸術に昇華させようとしているのか?
 キメラは、なおも叫び続ける西行法師に近づく。
 西行法師に脅威はないと感じているのか、ゆっくりとした足並みで近づく。
 ゆったりと近づき、ゆったりと口を開く。
 後は捕食するだけ―――
 それを待つ時間、西行法師の口が自然と動いた。 

 「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」

 願うのならば、桜の下で、春に死にたい 釈迦入滅の頃
 何時か、どこかで、詠んだ歌が自然と口から零れ落ちた。

 ―――その瞬間、変化が起こる。

 

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