クラウンクレイド

さたけまさたけ/茶竹抹茶竹

[零8-4・死別]

0Σ8-4

 レベッカは部屋の隅で小さくうずくまっていて。その表情を蒼白とさせていた。その金色の髪は乱れており、衣服も所々汚れている。
 レベッカが何故、此処に。そんな疑問を抱く暇はなく。
 ギインは咄嗟に、組み付いている隊員の膝関節をライフルで狙い撃つ。体重を支えられなくなり床に勢いよく崩れ込んだ感染者を引きはがすと、噛み付かれていた女性は既に痙攣を始めていた。いや、それよりも。
 それはギインの妻の姿だった。

「こんな……!」

 首元には噛み跡があり、そこからは血が流れ出している。眼球は白濁し、全身は激しく痙攣し、口の端から泡を吹いている。
 それは間違いなくギインの妻であり、発症しつつある感染者の姿でもあった。此処にレベッカと共に逃げ込んできたのか、そんな問いは誰に向けられるわけでもなく。
 頭の中が真っ白になる。思考が纏まらない。目の前で妻が人ならざる者に変わるその瞬間が起こっていて、一体誰が冷静な思考を持てるというのだろうか。

「パパ!」

 レベッカの叫び声がして。咄嗟にギインは振り返る。ウンジョウがライフルの銃口を妻に向けていて、引き金を引く寸前だった。
 ウンジョウの言葉が脳裏を過る。この世界の現状を思い出す。しかしギインの身体は咄嗟に動いてしまっていた。

「駄目だ!」

 ギインは咄嗟に妻を庇うようにウンジョウの前に立ち塞がった。彼の引き金を引く指は止まらず、咄嗟にウンジョウは銃口を明後日の方向へと向ける。銃声が鋭く轟いて、レベッカの悲鳴が混ざる。壁に当たった弾丸が穴を穿つ。ガラスの弾け飛ぶ音が響いた。
 ウンジョウがその顔を歪ませて、それでもギインは感染した妻を撃つなど出来よう筈もなく。

 銃口を向け、そして向けられたまま沈黙が一瞬交差して、しかしその静寂は一瞬で破れた。

 ギインの肩に突然重圧と激痛が走る。皮膚に突き刺さる痛みと出血の感覚が皮膚を撫でる。ギインは肩を掴む何かを咄嗟に振りほどこうとするも、それは妻の姿だった。もう既に人ではなくなってしまった姿で勢いよく噛み付かれて。痛みよりもショックの方が大きくギインは咄嗟の判断に遅れた。

「くっそ!」

 ギインは妻を振りほどくも、急激に視界が眩むのをハッキリと感じた。体内の血液が沸騰している様に熱く、そして中で何かが暴れまわっている様な感覚。喉を灼き内臓と脳が何度も違和を訴える。
 内部から湧いてくるのは吐き気と渇望と飢えと渇きと衝動と欲望と食欲と。

「パパ!」
「撃て! ウンジョウ!」

 手放しかけた意識の中で、レベッカの声が聞こえて。一瞬状況を把握し直しギインは吠えた。だが、その言葉にウンジョウは動かず。その引き金にかけたままの指を動かせずにいて。視界が白く染まっていく中でギインが見たのは、見た事のないウンジョウの歪んだ表情で。
 それではきっと、駄目だと。ギインは声を振り絞る。

「レベッカを……頼む」

 振り向いた先にはレベッカがいて。必死な表情で、目を腫らして。今何が起きているのかを幼い頭で理解していた。
 部屋の隅にいたレベッカが父の元へ駆け寄ろうとした瞬間、ギインがその意識を失う瞬間。
 銃声が轟いた。

 ウンジョウの撃った弾丸は、正確に二人の頭を撃ち抜いた。部屋には二人の死体が出来上がり、ウンジョウは何度も込み上げてくる慟哭を噛み締める。レベッカの泣き声がその代わりにずっと続いていた。
 部屋の隅で泣きじゃくるレベッカに手を伸ばす。しかし何度もウンジョウの手は払いのけられた。

「パパも! ママも!」

 泣きじゃくる声は、それ以上言葉にならず。レべッカが顔中を涙でぐちゃぐちゃにして、それでも必死な表情で。
 ウンジョウはその一瞬で感じ取ってしまった。この幼い少女の言葉にならない悲痛な叫びの中に、手を払いのけられた時に触れた小さな手のひらに。
 憎悪と呼ぶべき感情だった。しかし当然とも言えた。目の前で両親を撃ち殺された相手に対して抱くのは当然の感情。
 しかし、たった10歳の少女が、恐怖や嘆きや混乱や哀しみの中で憎悪という感情を一番に露わにした事にウンジョウは驚きを覚えた。

「……レベッカちゃん」

 自分の手で撃ち殺した同僚から託された娘に向けて、ウンジョウは静かに言葉を選ぶ。謝罪でも慰めでもなく、今の幼い彼女には早すぎるであろう言葉。

「……君は強くなれ」

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