クラウンクレイド

さたけまさたけ/茶竹抹茶竹

[零4-4・聖域]

0Σ4-4

 その部屋は、20畳程の広さであり、やはり清潔で明るいものだった。部屋の内装の殆どは白く、天井は壁の節々からは光が漏れている。壁面内に照明を埋め込むのは、この時代では一般的な装飾らしい。部屋の奥には骨ばった金属製の椅子があって、此方に向けて深く腰掛けている老人がいた。彼の横にウンジョウさんが立っている。
 その老人がラセガワラ氏であるようだった。髪だけでなく、眉と髭までも白く、その毛は弱々しく縮れ気味である。広い額には深い皺が数本横たわり、それに倣う様に目尻からも長い皺が走っており、その生きてきた年月を感じさせた。鉤鼻から顎にかけては、肉が削げ落ちてしまったかのように細り骨ばっている。その老いた顔付きの奥に潜むその瞳には、しかしながら確かな力強さがあった。
 彼が口を開くと、しゃがれた声が響いた。

「状況についてはウンジョウから聞いた」
「はい」
「この区画は、あなたを歓迎するには十分すぎる程の余裕がある。生活の全てを保証しよう」
「ありがとうございます」

 ラセガワラ氏は、くっくっ、と喉の奥を鳴らす様な笑い方をした。彼の声はしゃがれているがよく通る。ゆっくりとした語り口には、威厳めいたものを感じた。

「2020年から来たというには、確かに老婆には見えんな。あまりにも若く、可憐な少女だ」

 私は何と答えたものかと返事に窮するも、彼は気にせず続けた。

「60年、あなたがいた時代と現在にはそれだけの時間の隔たりがある。空を目指し塔を打ち立て、人の足が地上を踏み締める必要もなくなったこの世界においても、未だそれだけの時間は個で認識するには長すぎる時間に変わりはない」
「だとすれば?」
「肉体の不可逆性の解消もその連続性の無視も出来ない。若返りも冷凍睡眠なんてものもないのだ、もちろん時間を跳躍する技術もあろう筈が無い」
「未来は案外夢がないですね」

 私の返事に、ラセガワラ氏はまた喉の奥を鳴らして笑う。

「故に、あなたが2020年の世界から来たというのは俄かに信じ難い。それは最早、魔法の如き奇跡なのだから」

 魔法、という言葉に思う所はあったが私は頷いた。60年、それだけの年月があれば大抵の事は進歩していて、生活様式の根底から変わっていても十分あり得ることで。しかし、不老不死の薬もタイムワープのマシンもこの時代にはないらしい。

「もっとも、あなたの言葉の真偽は重要ではない。あなたが何者であれ、何故、あの建物の中に居たのかが、今この場に居る者達にとっての最大の関心事と言える」

 出会った当初、レベッカもそれについて執拗に聞かれた覚えがある。目が覚めたら何故かあの場所に居た、という回答では許して貰えないようだ。そもそも、あの施設が何であるのかも私は知らないのだ。何を聞かれようとも答えられる筈もない。
 ラセガワラ氏がウンジョウさんの方にチラリと視線をやる。ウンジョウさんが言葉を引き継いだ。

「今、この世界は感染者、通称ゾンビによって上層と下層の世界に分断されている。世界の殆どはゾンビによって埋め尽くされ、地上に安息の地は無い。これを全て滅ぼす前に、人類のリソースが先に尽きる。だから、生存者はビル上層部へと逃げ込み、そこで生活圏を形成した」
「私の目には無理があるように思えますが」
「幸いにもゾンビの身体能力ではビル下層部に形成したバリケードを突破出来ない。奇妙に見えるかもしれないが、安全な生活圏を形成できているのだ。各区画ごとには」
「各区画ごとには?」
「このダイサンの様に、生存者のコミュニティが旧東京都内には三つ存在している。それぞれが、この場所の様にハイパービルディング群であり、そこに存在するビル同士での行き来しか出来ない。区画内であれば安全な生活は可能だが、一歩でも外の世界に踏み出せば、そこはゾンビに埋め尽くされた地獄だ。そもそも、そこに辿り着く術がない、此処より外は『オフライン』だ」

 つまり、ビル下層域によるバリケードで世界は上下に、そしてビル密集地とそれ以外で左右に分断されている。ビル上層部間はビルとビルを橋渡ししている空中通路によって移動が出来るものの、下層の世界はゾンビに埋め尽くされて、なおかつこのハイパービルディング群から離れるルートはない。
 徐々に話が見えてきた。私の何がイレギュラーな事態であるのかを。
 ラセガワラ氏が口を開く。

「そして、あなたが居たのはこのダイサン区画から15km離れた場所にある施設。通称U34と呼ばれている施設なのだ。其処へのアクセスは、現状AMADEUSによる空中からの侵入経路以外存在しない。ゾンビに襲われずに行くには、という前提ではあるが」

 ゾンビが蔓延る世界。地上を埋め尽くす彼等。それから逃れ、この時代の人間は生活圏をビルの上に、空に近い場所へと移した。ビルとビルの間に、空を渡る橋を渡した。それは、バリケードで作った聖域。其処から外に出る事は不可能であり、その為に疑似的に人間は空を飛ぶシステムまで作り上げた。
 その聖域の外に、私はいた。まるでこの世界のものではない私が其処に。

「どうして、そしてどうやって。あなたがあの場所にいた理由を知りたいのだ」

コメント

コメントを書く

「SF」の人気作品

書籍化作品