クラウンクレイド
『16-3・Dear』
16-3
梨絵は確かに兄と呼んだ。大型ゾンビのその外見はともかく、顔付きに関しては人相が残っている様に見える。しかし、それを兄と見分けて外に出てきたというのか。前に進んでいってしまおうとする梨絵を掴んで引き留めたまま、弘人は「それ」から目を離せなかった。
体長はやはり2m近い。全身の筋肉が激しく隆起しており、皮膚が裂けそうなほどである。筋肉質のその四肢は太く、男性のそれと比較すれば倍近い。全身の衣類は破損してか欠片も無く、露出している皮膚は何処も青白く、その下に太い血管が通っているのが見えた。左胸には心房が露出しており、通常の数倍のサイズにまで巨大化している。そして、その手にはコンクリートの瓦礫の塊を持っていた。
以前、遭遇した時の大型ゾンビには、その痕跡を隠し待ち伏せをするという知性があった。そして大柄な鷹橋を一撃で吹き飛ばすだけの力も持っていた。
大型ゾンビがその手にしていたコンクリートの塊を振り上げる。そして思い切り腕を振り下ろした。弘人は咄嗟に身を屈めるも、コンクリートの塊は明後日の方向へ飛んでいき、乗用車の瓦礫の山を崩したのみであった。激しく音を立てて、崩れ落ちていく。その轟音に弘人は動揺したものの、拍子抜けもしていた。投擲武器とするのかと思っていたが、そこまでのコントロールは無いのかもしれない。
そう思っていた。
「くっそ!」
瓦礫の山が崩れた箇所からゾンビが溢れ出してくるのを見るまでは。大量のゾンビが押し合いながら、雪崩れ込んで来た。
ホームセンターの駐車場は簡易的な迷路と、バリケードの役割を果たしている。乗用車と、それが事故によって重なりあって生じた瓦礫の山。ゾンビの運動能力と知性では、ホームセンターまで到達できないようになっているのだ。
その入り組んだ通路を進むことが出来ても、乗用車同士の隙間や、車体の上を通って行かなければ進めないような造りになっていた。だが、それが崩れた。ゾンビでは通れない筈の箇所を無視して、瓦礫の山を崩すことで「穴」が開いた。
今の大型ゾンビの一撃が偶然ではないとするのなら、進行ルートを塞ぐ瓦礫の山を理解し、そこを狙って崩したと言う事になる。つまり、3次元的な空間把握と予測。そして何よりも。一人で獲物を狩ろうとしていない。ゾンビに無かった知性と社会性を獲得している。
弘人は梨絵の手を思い切り引く。
「梨絵ちゃん! こっちだ」
「お兄ちゃんが!」
梨絵の手を引くも、梨絵は激しく抵抗した。無理やり車体を乗り越えさせようとするも、梨絵は暴れて大型ゾンビの方へ向かおうとする。その瞬間、ゾンビの群れから抜け出した一体のゾンビが勢いよく駆けだしてくる。弘人は梨絵から手を離しバットを握り締めた。駆け込んでくるそのゾンビへと、思い切り振り抜いたバットを打ちあてる。側頭部を叩き付けゾンビは、駆け込んできた勢いのまま崩れ落ちた。
「スプリンターか!」
もう一体。乗用車の山を飛び越えながら向かってくる姿があった。飛び掛かってきたそれの脳天へと、弘人はバットを叩き込んだ。沈み込む様な柔らかい感触と、頭蓋骨を叩いた硬い感触が、混ざり合って手の平に染み込む。赤黒い血が零しながら、ゾンビは地面に倒れ込んだ。
「ぃやぁぁぁぁぁっ!」
梨絵の悲鳴に振り返る。先程打ち倒した一体のゾンビがまだ生きており梨絵へと掴み掛っていた。弘人がそこへ駆け寄ろうとした時。目の前に飛び込んで来た影があって。鷹橋の後姿だった。彼は梨絵へ掴み掛っているゾンビの脇腹を、勢いよく蹴り上げる。ゾンビの身体が宙に一瞬浮き、吹き飛んだ。
「ホームセンターまで戻るぞ! お前が抱えていけ!」
ゾンビの群れが迫ってきていた。それを見て鷹橋が怒鳴る。バットを投げ捨てて地面にうずくまる梨絵の身体を抱え上げ、身体の前で抱く。梨絵は泣きわめくばかりで、弘人は梨絵を抱えたまま後退る。
その瞬間。
派手な音と共に、大型ゾンビが弘人の側へと着地した。その巨体を感じさせる着地音。そしてその目に射貫かれて、弘人の足は止まる。目の前にして、やはりその大型ゾンビの異様な雰囲気に圧倒される。
鈍く空を切る音が鳴った。大型ゾンビの身体に金属バットがぶつかる。その筋肉に弾かれ、バットは地面に落ちて、大型ゾンビはゆっくりと頭を動かした。バットを投げたのは鷹橋で、大型ゾンビを睨み付けている。
「弘人、先に行け!」
「けど!」
「行け! 俺に構うな!」
鷹橋に怒鳴られれても、弘人は動けなかった。大型ゾンビと戦うのは無理だ。しかも、ゾンビの群れが迫りつつあった。此処で見捨てていけば、それは即ち彼の死と直結していた。
「鷹橋さん!」
「誰かの為にってのも悪くねぇって気分なんだ、水を差すんじゃねぇ!」
弘人が梨絵を抱えて走り出したのを見て、鷹橋は鼻を鳴らす。大型ゾンビの視線が動き出した弘人の方へ向いたのを見て、鷹橋は大声を上げる。拳を握り締め、肩の力を抜き、脇を締める。軽いステップを踏みながら、中指を立てた。
「やろうぜ、『アダプター』!」
鷹橋は確かに知っていた。今目の前にしているモノを。その力を。真正面から相手にしても、勝てる様な相手ではないことも。
しかし、それでも。今、自分の身体が震えているのは決して恐怖ではなかった。激しく脈打つ鼓動は決して恐怖ではなかった。
それを昂りだと、鷹橋は確かに知っていた。
この絶望の世界でやりたいのは、生き残ることではなく。
この狂った状況でやりたかったのは、こういうことだった筈だと鷹橋は自分に言い聞かせる。
「ホームセンターで助けを待つなんてしみったれたのを、やりたいんじゃねぇんだ。こういうのを待ってたんだよ、俺は!」
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