リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●21 幕間バカンス 2



 こうなれば無理矢理にでも気分を切り替えて、せっかくなのだからバカンスを満喫してやろう――というわけには、もちろんいかなかった。

 僕は、いつの間にか〝SEAL〟のストレージに収納されていた水着――おそらくエイジャが勝手に入れたもの――をひとまず着用することにした。

 ポップな感じのディープパープルを地にした、何の変哲もないデザインの海水パンツ。裾がやや長めで、両脇に深いポケットがついていて、エクスプローラーらしく機能的ではある。

 上には手持ちの薄手のパーカーを羽織り、さてハヌに合わせて水着姿になったものの、これからどうしたものか――と思っていたら。

 一体どこから聞きつけたのか、突然、離れた浜から二つの人影が近付いてきたではないか。

 しかも、信じられないほどの高速で。

 突然、バビュン! と凄まじい勢いで僕とハヌのいるパラソルの下まで文字通り『飛んで』きたのは、フリムとロゼさんだった。水着姿だというのに両脚に装備した戦闘ブーツ〝スカイレイダー〟の加速機能を使い、ロゼさんは蒼銀と紅銀の鎖でフリムの足に掴まり、二人揃って高速飛行してきたのである。

「――ハルト! アンタ目ぇ覚めたって!? 頭大丈夫!? 意識ははっきりしてる!? アタシよアタシ! アンタの恋人のミリバーティフリムよ! え? 君は恋人じゃなくてお姉ちゃんだったはずだ、ですって? そうね正解よ! よかった頭は大丈夫みたいね!」

「ラグさんの意識が回復したとエイジャから聞き、急いで駆けつけて参りました。早めに目を覚まされて本当に良かったです。詳しい話は小竜姫から聞きました。大変でしたね。こうして無事に合流できて何よりです」

 一気に近付いてきたフリムとロゼさんは、僕が何かを言うよりも早く矢継ぎ早に言葉をかけてくる。ちなみにフリムはいかにも僕と会話しているような台詞を吐いているが、僕は何一つ返答していない。完全に彼女の一人芝居である。

「フリム……ロゼさん……!」

 相変わらずのハイテンションなフリム、そして無表情かつ恬淡なロゼさんを前にして、僕が胸の奥から溢れる喜びが止められなかった。

 エイジャによって突如として離れ離れにされてから、まだ一日ぐらいしか経ってない。そう考えれば大した時間ではないはずなのに、もう何ヶ月も顔を見ていなかったような懐かしさを覚えるのだから不思議なものである。単に僕が寂しがり屋だけなのかもしれないけれど。

 じーん、と感動していた最中、はた、と気付く。

「……って、二人とも、その格好は……」

 さっきから目には入っていたはずなのに、意識では今やっと気付いた。

 当然ながら、二人もまた水着姿なのである。

「ああ、これ? ほら、例のエイジャくんちゃんから支給された奴よ。一体どういう理屈なんだか知らないけど、よくもまぁアタシの好みがわかったものよね、これ。今度買おうと思ってたデザインまんまよ、まんま」

 フリムはピュアパープルのスポーティーなビキニタイプ。泳ぐというよりは、ビーチバレーでもやりそうな形状だ。所々ポイントにペイズリー柄が取り入れられているその上に、純白のラッシュガードを羽織っている。また、自慢のツインテールは邪魔になるせいか、ある程度頭の両側で丸められ、団子になっていた。

「どうやら水着の色は、それぞれのフォトン・ブラッドと同じようですね。他の方々のもそうでした。ラグさんだけではなく、エイジャは私達のデータをも収集しているようです」

 同じく、いつもはふわふわのアッシュグレイを下ろしているロゼさんも、今回ばかりは髪を結っていた。髪質が違うのでシルエットがまるで違うけれど、ヴィリーさんと同じポニーテールである。

 そんなロゼさんが着ているのは、マラカイトグリーンのワンピースタイプ。正面から見る限りは露出度はさほど多くなく、楚々としたロゼさんによく似合っているのだが、気になるのは首の後ろにある大きなリボンである。胸元から伸びた二本のリボンがうなじのあたりで合流することにより、肩紐の役割を果たしているようなのだけど――

「ラグさん……そんなに、私の水着が気になりますか……?」

 やや疑念を込めて見つめていると、珍しくロゼさんが言いにくそうに尋ねてきた。

「え……?」

 何が? と聞き返しかけて、電撃的に気付く。

 僕の視線は、第三者から見るとロゼさんのふくよかな胸に注がれているように見えなくもなかったのである。

「ふわぁっ!? ち、違っ――いえそのあのっ!? ち、違うんですけど違わないっていうか、あのそのえっとだからええと!?」

 わたわたと両手を振ってどうにか誤解を解こうと足掻いたところ、こくり、とロゼさんが静かに頷いてくれた。

「ご安心ください、わかっております」

 ニコリともしないロゼさんだけど、こちらの心を見透かしたかのような琥珀色の瞳に、僕はほっと安堵しかける。よかった、僕がやましい気持ちで見ていたわけじゃないって、ロゼさんはちゃんと理解してくれている――と。

 が、

「後ろはこのようになっております。とくとご覧ください」

 くるり、とその場で身を回して、言葉通りに背中をこちらに向けた。一本結いされたアッシュグレイの髪が大きく躍り、振り子のように揺れた。

 そして、露わになる背中。

「――――」

 目を奪われた、なんてものではなかった。いっそ神々しいほどのその光景に、僕は魂を鷲掴みにされたかのようだった。

 正面からはただのワンピースに見えたロゼさんの水着は、しかし後ろから見ると、ほぼ全裸にも等しい形状をしていた。

 こうして背を向けている今、彼女の体を隠しているのは、お尻の部分の布だけで。

 肩紐がなく、水着を支えているのがうなじで結ばれているリボンだけだから、もはやトップスのないビキニ状態にしか見えず。

 だというのに、お尻を覆う布はやけに少なく、Tバックとまでは言わないが、限りなくそれに近い形状で。

 少しだけ、本当に少しだけだけど、お尻の割れ目の部分が見えるか見えないかぐらいで――

 ただただ、女神像の彫刻家と思うほど美しい背中が、そこにはあった。

「ッわぁ――――――――――――――――――――――――ッッッ!?!?!?」

 気が付いた時には僕は大声で叫んでいて、半ば自動的に自分のパーカーを脱ぎ捨てると、ほとんど投げつけるようにしてロゼさんの背中へ被せていた。

「――? ラグさん?」

 不思議そうに首だけで振り返るロゼさんに、僕は錯乱状態のまま声を上げた。

「だ、ダメです! これはダメです!! ――っていうか今までこの格好で浜辺にいたんですか!?」

 今更ながらその衝撃的な事実に気付き、僕はさらに動揺してしまう。すると、ぷーくすくす、と隣のフリムが笑った。

「あーそうそう、すごかったわよー、ヴィリーさんファンクラブなはずの『NPK』の男勢が、がら空きになったロゼさんの背中をチラチラ気にしてやがんのよ。いやぁー、やっぱロゼさんの色気ってすごいわよねー、今回ばかりは流石のヴィリーさんも形無しってところかしら?」

「わ、わかってたんなら止めようよ! そこは!!」

 にゃはは、と暢気に笑うフリムに、僕は思わず大きな声を叩き付けてしまった。

「……もしかして、お気に召しませんでしたか? 私の水着は……」

「うぇっ!? い、いえ、そ、そういうわけじゃなくて……!?」

 急にロゼさんの声が萎れ、いかにも悲しげに肩を落とすものだから、僕はさらに慌ててしまう。パーカーを羽織らせたロゼさんの両肩が、しゅん、と落ちて、顔には出にくいロゼさんの落胆の感情がどうしようもなく伝わってくるのだ。

「あの、その――に、似合ってます! も、ものすごく似合ってますぅ……!」

 顔が真っ赤になっているのを自覚しつつ、僕は俯きながら必死に褒め言葉を紡いだ。

 そう、似合っているのだ。

 むしろこれ以上なく、似合ってしまっているのだ。

 先程フリムがヴィリーさんと比較していたけれど、まさにである。ロゼさんのがら空きの背中はほとんど凶器だ。ヴィリーさんがどんな水着を着ていたのかは幸か不幸かまったく覚えてないのだけど、ロゼさんの眩しい背中はそれに匹敵する威力である。ロゼさんとは同じクラスタの仲間として、拠点(ベース)で共同生活をしているからまだ耐性があるのだけど、そうでなければヴィリーさんの時と同じように失神していたに違いない。

「――で、でもでもっ、そのっ……に、似合いすぎてて……!」

 僕はロゼさんの背中を隠すだけだった黒のパーカーを、形を整えて彼女の肩にきっちりかけ、ずり落ちないようにする。

「なんというか、ぼ、僕には刺激が強すぎるので、その……! ど、どうか、僕ので申し訳ないんですが、コレを着ていていただけると……!」

 助かります、という意思を込めてロゼさんの両肩を、ぐっ、と握る。すると、ほんの少しだけロゼさんが息を呑む気配がした。

「……なるほど、了解しました。それでは、ありがたくお借りいたします」

 ロゼさんの手が、そっと僕のそれに重ねられた。相変わらずの無表情のまま、彼女は僕に羽織らされた薄手の黒いパーカーに袖を通す。

「……隠すのは、背中だけでよろしいのですか?」

 やや躊躇いがちに発せられたように思う問いに、僕はキョトンとしてしまう。

「――えっ? えっと……?」

 どういう意味だろう? 危険なのは全開の背中部分なのは明白だし、当然ながらそこだけ隠せば、もう問題はないと思うのだけど……?

「……は、はい、前から見る分には普通の水着だと思いますし……ッ!?」

 大丈夫です、と言いかけたところでロゼさんがこちらに体を向けた。途端、距離が近すぎたために彼女の豊満な胸部が圧倒的存在感をもって目の前に現れ、僕は思わず喉を詰まらせてしまう。

 ――い、いやいや、ロゼさんの胸は水着だろうが普段着だろうが戦闘用のバトルドレスだろうがいつも同じなわけで、これでおたついていたら僕は普段からまともに訓練の手合わせをすることすら出来なくなってしまうではないか。落ち着け、ラグディスハルト、落ち着くんだ……!

「……ッ……だいじょ、ぶ、ですっ……はいっ……!」

 ごくり、と生唾を嚥下しながら、それでも僕は言い切った。

 すると何故かロゼさんは、じっ、としばし僕の顔を見つめた後、

「……そうですか。わかりました」

 やや不機嫌そうな声で言って、視線を切ってしまった。

 ――あ、あれ……? 僕、何か間違えた……?

「????」

 わけがわからず頭に疑問符の花を咲かせまくっていると、

「アンタさぁ、さっきからロゼさんの水着にばっかり興味津々みたいだけど、〝お姉ちゃん〟の麗しい水着姿には何かコメントないわけぇ?」

 いきなり横からフリムの腕が伸びて、強引に僕の首へと絡みついてきた。

「わっ!? ちょちょっ……!? な、なにするのさフリム!」

 ぐいっと体重をかけてくるものだから、僕はたまらず腰を折って前傾姿勢になってしまう。僕をヘッドロックしたフリムはそのまま耳元で、

「ほーらお姉ちゃんの水着姿にも何か感想言いなさいよー、どうせ小竜姫には『可愛くてすごく似合っていると思うよ』とか、そういうベタな褒め方したんでしょー? どうなのよー? うりうり」

「ちょ――も、もうっ、苦しいってば!」

 にひにひと笑いながら空いた方の手で、僕のほっぺたに人差し指を押し付けるフリム。ちょっと怒ったふりをして誤魔化しているけど、言うまでもなく図星だった。どうして僕がハヌに言ったことがそのままわかってしまうのか。

 というか、さっきからその、フリムの胸が、ええと、ふにふに、って感じで僕の体に当たっているわけで。

「ああもう、似合ってるよ! フリムの水着もよく似合ってると思うから、早く離してよ!」

 早く離れて欲しいが為に投げやり気味で叫ぶと、フリムが唇を尖らせる気配があった。

「なぁによー適当ねぇ。ちょっとぐらいその『言わされてる感』、どうにかなんないのぉ?」

「……だって、実際に『言わされてる』んだもん……」

「――あら? 笑顔で聞くけどアンタいまお姉ちゃん的に不適切なこと言わなかった?」

「あだっ!? だだだだっ!? 痛い痛い痛いぃっ!?」

 ゴリッ、と音を立ててヘッドロックのパワーが上がったので堪らず悲鳴を上げた。ペシペシとフリムの背中を叩き、ギブアップを宣告する。

 ようやく溜飲が下がったのか、フリムは僕を解放してくれた。

「ま、いいわ。これぐらいで勘弁してあげる。まったく、アタシが地元で水着になったら、声をかけてくる男の数は一ダースじゃ足りないっていうのに、ほんと贅沢な弟分よねー、ハルトって」

「……むぅ……」

 どうせその全員をすげなく追い払ったり、場合によっては実力を行使して叩きのめしたりしているくせに――とは思ったけど、敢えて口にはしなかった。口は災いの元、沈黙は金である。

「――もうよいか? ロゼ、フリム。ラトの体調さえ問題ないのであれば、妾もそろそろ遊びたいのじゃが……」

 そこで間に割って入ってきたのは、むすっとした顔で片手を腰に当てたハヌだった。蒼と金のヘテロクロミアをジト目にして、ずっと僕達のやりとりを見守っていたのである。

 そういえば、他の皆がバカンスを満喫している間、どうやらハヌはずっと僕の側についてくれていたらしい。多分、というか間違いなく、水着に着替えてからまだ少しも遊んでいないのだ。それをさらにお預けしているのだから、機嫌が悪くなるのも至極当然である。

「あ、ご、ごめんね、ハヌ。じゃあ、僕達もあっちに行こっか?」

 手を繋ごう、と右手を差し出した途端、ぱぁっ、とハヌの顔が晴れた。

「うむっ!」

 向日葵のような笑顔を浮かべて、ハヌが僕の手を取る。その嬉しそうな表情がこちらにとっても心地よくて、僕も自然と口元を綻ばせていた。

「では、こちらは一度片付けてしまいましょうか」

 ロゼさんが、さっきまで僕が寝そべっていたレジャーシートとパラソルをストレージに回収し始めた。話を聞くと、これらはエイジャからの貸出品なのだという。

 というのも、フリムに言われて初めて気が付いたのだけど、僕に限らずこの場にいる全員の〝SEAL〟に、いつの間にかエイジャと連絡をとるための『専用アプリ』がインストールされていたのである。

 これには驚くと同時に合点もいった。

 つい先程ARスクリーンに現れていたエイジャは、なるほどその専用アプリを介して通信回線を構築していたに違いない――と。

 どう考えても皮肉としか思えないこの『Lコンシェルジュ』という名称のアプリを起動し、音声ないし文章によって要望を入力すると、エイジャがすぐに叶えてくれるらしい。

 例えば、それが軽量なものであれば直接データが送られてくる。今ロゼさんが回収したパラソルやレジャーシートなんかがそうだ。

 もしデータサイズが大きすぎて個人のストレージに入りきらない場合は、それが用意されている座標が転送されてくる――という仕組みになっているのだとか。

 また他にも、食事や宿泊施設の手配といった細々とした機能までこなすらしく、まさに微に入り細を穿ったアプリと言う他なかった。

 ――本当に無駄なところにばかり力が入ってるなぁ……

 そこまで親切にしてくれるのなら、いっそ僕達をもとの場所へ戻してくれればいいのに。まぁ、そんなこと言っても詮無いのだけれど。

「あ、ハルト。アンタ小竜姫と遊ぶのもいいけど、その前にちゃんとヴィリーさん達に挨拶しておきなさいよ? 特にアンタ、ヴィリーさんの顔を見た瞬間に気絶するなんて失礼ブチかましてんだから」

「あっ……!」

 フリムに言われて思い出した。そうだ、そういえばそうだった。

 別に顔を見て気絶したわけではないけれど、あちらにしてみれば似たようなものだろう。知り合いの、しかも女性と顔を合わせた途端にぶっ倒れるなんて失礼にも程がある。ちゃんと謝っておかなければ。

「わ、わわっ、どうしよう……ヴィ、ヴィリーさんは今どこにいるの?」

 やにわに慌て始めた僕に、ロゼさんが先程貸したパーカーの前を閉めながら情報を提供してくれる。

「確か先程、なかなか更衣室から出てこないアシュリーさんを迎えに行ってくる、と仰っておられましたが」

「ああ、あの子ね……なら、すぐに戻ってくるんじゃない? それなら、あっちに行って遊ぶ準備でもしながら待てばいいわよ。そういえば小竜姫、アンタ何して遊ぶつもりなの?」

 ロゼさんからの情報をもとにとっとと方針を決めてしまったフリムが、歩き出しながらハヌに尋ねる。

 同じく釣られるようにして歩き出していたハヌは、ふふん、と笑って胸を張り、

「決まっておろう、あの大魚(たいぎょ)の浮き袋じゃ!」

 ビシッ、とハヌが指差す先にあるのは、どうやら『NPK』メンバーの人達が使っているらしき、青い半透明なイルカの浮き袋。かなり大きめで、大人でも三人ぐらいは乗れそうなやつだ。

「あれが先程から気になっておってな、絶対にラトと乗ると妾は心に決めておったのじゃ!」

 ただでさえ宝石みたいなヘテロクロミアが、星屑のようにキラキラと輝いている。目にしてからずっと楽しみにしていたのだろう、小さな体躯に満ちた大きな期待が、ハヌの白い頬を紅潮させていた。

 なるほど、プカプカと海に浮かぶ様は船にも似て、あれに乗って水面を漂うのはいかにも楽しそうだ。確か子供の頃、フリムと一緒に似たようなもので遊んだ記憶がある。

「ああ、うん、いいね。楽しそうだね。あれもレンタルできるものなのかな?」

「おそらくは。調べてみましょう」

 砂浜を歩きながら、ロゼさんが率先して『Lコンシェルジュ』を起動させ、ハヌの希望する浮き袋を発注してくれた。もしかしなくとも、気を遣ってくれたのだろう。ハヌから詳しい話は聞いているはずだから、僕があまりエイジャと関わり合いになりたくないだろうと気持ちを察してくれたに違いない。

「……問題なくレンタルできました。空気入れ付きです」

 ストレージに配布されたデータを、ロゼさんが手元に具現化させる。空中に突如現れたマラカイトグリーンの光が収束して、大きなイルカの浮き袋と、足で踏んで使うタイプの空気入れとが現れた。

「おおっ! これじゃこれじゃ!」

 まだ空気が入っていないためペッタンコな浮き袋を前に、けれどハヌのテンションが爆上がりする。僕と手を繋ぎながらの状態で、ピョーン、と高く飛び上がるぐらいだ。僕が眠っている間、彼女がどれほど心待ちにしていたのかがよくわかる。

 そのまま『NPK』メンバーが集まっている場所へ移動しつつ、今度はあのあたりにパラソルを差して拠点にしよう、とか、イルカの次はボートで沖に出るのも楽しそうだね、などと四人で話していたら、

「……おや、もう回復したのか、ラグ君。流石は〝勇者ベオウルフ〟と言ったところか。体力の回復も常人以上と見える」

「えっ……?」

 突如、海の方から声をかけられたかと思ったら、そこに見覚えがあるようでない人物がいた。

「――カ、カレルさん……!?」

 僕の声が上擦り、疑問形になってしまったのにはわけがある。

 どうやら海から上がってきたらしいカレルさんの姿は、僕の知るそれとは大きく乖離していたのだ。

「ん? どうしたんだ? 私の顔に何かついているかな?」

 いつもよりは若干軽い感じの口調で、カレルさんは濡れた髪を掻き上げながら小首を傾げる。水滴が弾け、陽光を反射してカレルさんの周囲がキラキラと輝いた。

 顔に何かついていると言えば、ついている。ものすごく小洒落た感じのサングラスが。

「えっと、あの……」

 僕は言葉に迷う。

 ヴィリーさんと比べるとややくすんだように見えてしまうサンディブロンドは、濡れて掻き上げたせいでオールバックみたいになっているし。身につけているのは、カレルさんのフォトン・ブラッドと同じ色――即ちルビーレッドのサーフパンツで、首元には銀色に煌めくネックレス。何より脇に抱えているのは――実にトロピカルなカラーリングのサーフボード。

 さらには、エクスプローラーらしく鍛え抜かれた体躯。余計な贅肉などまるでない、引き締まった筋肉質な肢体は、長身なのも相まって、博物館に並べられている英雄像か何かのようだ。

 これらを総合して、俗っぽく一言で言うと――チャラい、という言葉になるだろうか。

 そう、普段は堅く、真面目な雰囲気を身に纏っているあのカレルさんが、いかにも遊び人なオーラを放ちながら突然目の前に現れたのである。これで驚くなというのは無茶な話だった。

「その……サーフィン、好きなんですか……?」

 多分そうなんだろうな、と思いつつ、わかりきった質問をしてしまう。無論、無理に浮かべてみせた笑顔が若干引きつるのは止めようがなかった。

 しかし、明敏犀利なカレルさんは僕の心中を瞬時にして見抜いたらしい。端正な口元に、ふっ、と微笑をたたえ、

「ああ、すまない。普段の君に見せている私とは、大分違う姿だったな、今は。驚いただろう」

「あ、いえ、」

「もうホントですよー、一体どこのチャラ男かと思いましたもん♪ でもカレルさんに意外な一面があって好感度アップー、みたいな?」

 僕の声を遮断するように、いきなりフリムが間に入ってきた。しかも、妙にキャピキャピとしたノリで。ふと、浮遊小島で出会った二番氏と三等氏を思い出す。女性化したあの二人も、ちょうどこんな感じだった。

 何気に失礼なことを言ったフリムに対し、けれどカレルさんは気分を害した様子も見せず、瀟洒に肩をすくめてみせる。

「チャラ男……まぁ、どんな格好をしていてもよく言われるな、その手のことは。別段、そんなつもりはないのだが」

「えっ、どんな格好をしていても、ですか……?」

 意外すぎる言葉に驚いて、思わず聞き返してしまった。普段のカレルさんと言ったら、勤勉生真面目、礼儀礼節が服を着て歩いているようなものだと言うのに。

 カレルさんは空いている方の手で、顔にかけていたサングラスを額の上に持ち上げた。すると、これまで見たことがないほど、柔らかな翡翠の光を宿す双眸が露わになる。

「ああ、そうだ。どうも服装は関係なく、そもそもの顔付きが〝チャラい〟らしい、私は。だが残念ながら、これは親からもらったものだからな。手を入れるつもりもなければ、もちろん卑下するつもりもない。だから、その手の言葉は気にしないことにしている」

 とんとん、と左目の下にある泣き黒子(ぼくろ)を指差しながら嘯くと、さらにこう付け加える。

「言いたい奴には言わせておけばいい。所詮は遠吠えだ。まぁ、これはエクスプローラーに関係なく、人生において言えることだが。ちなみに、サーフィンは嗜む程度だ。好きというほどではないな」

 余裕の表情でそう告げたカレルさんは、驚くほど優しい表情で僕を見た。

 ――大人だ……

 真っ先にそう思った。これぞ、大人の余裕。オンとオフの切り替えがはっきりしているというか、それ故の激しい落差というか――僕にはまだ真似の出来ないテクニックに、ただただ畏敬の念を抱くことしかできない。

 カレルさんは背後の海を振り返りつつ、

「こんな状況だが、せっかくのオフでもある。君達も悔いのないよう遊び、心身を休めるといいだろう」

「えっ、で、でも……」

 カレルさんらしからぬ放言にまたしても驚き、思わず否定詞を口にすると、彼は軽く首を横に振った。

「どうせ何をしても敵――いや、まだ敵と確定したわけではないか――相手の掌の上だ。どういうつもりかは知らないが、あの少年はその気になれば私達を一息に始末することも出来るだろう。なら、結局はあちらの胸三寸次第だ。気にするだけ時間と気力がもったいない。今は状況に流されるしかないのだから、精々気楽に流されるのが一番だ」

「…………」

 唖然とした。あのカレルさんが、こんなことを言うなんて。

 いや、ある意味では頭が賢すぎると、最終的にはこういった結論に達するものなのだろうか。状況に対する、この冷たいまでの割り切りの良さは、ハヌの豪放磊落さに通じるものがある。智者は時として同じ橋を渡る、などと言うが、渡る時期や経路は違えど最終的に到達する場所は同じ、ということなのだろうか。

「――ああ、そういえばラグ君。よかったら君もサングラスのレンタルを希望するといい。この後、団長に会うのだろう?」

「あ、は、はいっ! ――って、サングラス……?」

 急にカレルさんが話題を変えて、しかもそれが今一番気にしていることだったので反射的に背筋を伸ばしてしまうが、どうしてここでサングラスが出てくるのかがわからない。

「団長も君のことを気にしていてな。なにせ、顔を合わせた途端の昏倒だ。自分が何か悪いことしてしまったのだろうか、と心配していた。しかし、君が倒れたのは団長が何かしたからではないのだろう?」

「――っ……!」

 流石は男同士、カレルさんもまた僕が失神した理由を看破しているようだった。全てを見透かしたような翡翠の瞳が、すっ、と細まり、どこか遠くを見つめる眼差しになる。

「私が言うのもなんだが、団長のあの格好は【刺激が強い】……正直、ナイツのメンバーの幾人かも【君と同じ理由】で病欠して、あちらのホテルで休んでいるぐらいだ。だから悪いことは言わない。少しでも【ダメージを減らすためにも】サングラスでもかけておいた方がいい」

「は、はい……! わかりました……!」

 僕は冗談抜きで、拳を握って大真面目に首肯した。そう、これは深刻な問題なのである。かつてはヴィリーさんからダイレクトメッセージを受け取っただけで意識を失ったことのある僕だ。かてて加えて、ハヌからの頬へのキス、ロゼさんの耳打ち、フリムの額へのキス、そして他でもないヴィリーさんからの頬へのキスで、僕は例外なく失神している。

 先程は不意打ちにも近い突発的事態だったから仕方ないが、本来なら『ヴィリーさんの水着姿を目にする』というのは、事前に入念な準備をして徹底的な対策を施してから見るべき、いわば『視覚および脳に対する暴力』なのである。

 そう考えるとサングラス程度ではバリケードにもならないとは思うけれど、たった一つのバリケードの陰がオアシスになる時だってある。それが極限状態というものだ。

「団長は今、ホテルで休んでいる団員の様子を見に行っているが、もうそろそろ戻ってくるはずだ。今度は倒れないように気をつけて欲しい。あまり団長の心が傷付くと……」

 そこまで言いかけて、はた、とカレルさんは舌を止めた。妙な間が空き、そこへ、

「……? 傷付くと、何じゃ?」

 ハヌが素直に問いを放った。すると、カレルさんは、くっ、と唇の端を持ち上げた微苦笑を浮かべ、

「……いや、失言だった。だが、ここまで言ったのならもう取り返しはつかないな。素直に最後まで言おう。あまり団長の心が傷付くと――そのケアをする私の面倒が増える。だからまぁ、ほどほどにして欲しい。そういうことだ」

 はは、とカレルさんは爽やかに笑った。

「――――」

 思うに、カレルさんがこんな風に笑うのを見るのは初めてかもしれない。いや、何度か含み笑いだったり、笑いを堪えて肩を揺らしているところは見たことがあるのだけど、まるで心の鎧を脱ぎ捨てたかのごとく破顔するところを見るのは、きっとこれが初めてだ。

 恐るべきは海辺の陽気か。あのカレルさんをして、ここまで開放的にさせるだなんて。

「では、私は少し休憩させてもらおうかな。――ああ、ラグ君。例の少年の言う〝ゲームのルール〟というものが配布されたら、改めてミーティングを行おう。よろしく頼む」

 そう言い残して、カレルさんはサーフボードを脇に抱えて去って行った。その向かう先にある大きなパラソルの下から『NPK』メンバー数人が出て来て、カレルさんにタオルやドリンクを手渡す。やっぱり慕われているんだなぁ、と当たり前すぎることを朧気に思った。

「こりゃ、ラト! 何をぼんやりしておる! ヴィリーめが来る前にはようその大魚を膨らませるのじゃ!」

 ついに焦れたハヌが僕の手を強く引っ張り、ぷんすかと怒り出した。ついさっき目覚めたばかりの僕と違って、ハヌはけっこうな時間を我慢している。そろそろ『遊びたい欲』の限界が近いのだ。

「あ、ごめんね、ハヌ。じゃあ、あのあたりで空気を入れよっか」

「うむっ!」

 僕がビーチの空いたスペースを指差すと、我が意を得たり、とばかりにハヌは頷いた。

 斯くして海で遊ぶ準備を始めた僕達だったが、ロゼさんがレンタルしてくれたイルカの浮き袋を膨らませるのは、なかなかに骨だった。なにせ空気入れが自動ではなく手動。しかも浮き袋はかなりのサイズと来た。

 最初に僕、次に見ている内にやってみたくなったハヌ、そして「震脚の鍛錬になるでしょうか」とロゼさんが延々と空気入れを踏んでも、まだ半分ほどしか空気が入らないという始末だ。

 僕はふと思い付き、軽い気持ちでフリムに声をかけてみた。

「そうだ、フリムがやればすぐに空気が入るんじゃない?」

「は? なんでよ?」

 僕達三人が浮き袋に空気を入れるのを一歩引いて見ていたフリムは、僕の提案に怪訝な顔をした。

「だってほら、フリムってよく僕とか敵対する相手に『踏むわよ?』って言うでしょ? ならこういうのも得意なんじゃないかなー、って……………………ご、ごめん、なんでもない……」

 理由を説明している内に段々とフリムの顔が、にこーっ、と朗らかな笑みへと変化してきたので、僕は怖くなって途中で舌を止め、素直に謝った。

「――ねぇ、ハルト?」

 ものすごい猫撫で声。恐怖しか感じない。

「は、はい、お姉ちゃん……」

 余計なこと言わなければよかった、と後悔しかない僕。

 見た目だけなら天使の笑顔を浮かべたフリムは、小首を傾げ、ひどく可愛らしく作った声で言う。

「アンタの顔でよかったらいっぱい踏んであげるわよ?」

「いえ、遠慮しておきます……」

 姉貴分らしく僕の軽口を威圧だけで封殺したフリムは、けれど最終的には空気入れを踏むのを手伝ってくれた。

「行くわよレイダー! ここがアンタの力の見せ所よ!」

 いやぁ、それはどうだろう――などとは口に出さずに見守っている僕の目の前で、イルカの浮き袋が見る見るうちに膨らんでいく。戦闘ブーツ〝スカイレイダー〟の機能をフルに使っての高速スタンピング。あまりに高速すぎて右足の先がぶれて見えないほどだ。

 果たして、浮き袋が膨れ上がるのが先か、それとも空気入れが壊れるのが先か――そんなチキンレースじみた様相を呈し始めた頃、

「――あら、目が覚めたのね、ラグ君。よかったわ、大丈夫そうで」

「ッ!?」

 背後からヴィリーさんの嬉しそうな声がかかって、電流を流されたように僕の肩と背中が跳ねた。同時に、精神の緊張度が一瞬でレッドゾーンへと突入する。

 ――いや落ち着け、大丈夫だ。カレルさんのアドバイス通り既にサングラスを入手してあるしちゃんと装備もしているし……!

「心配していたのよ、急に倒れるから。そうそう、詳しい話は小竜姫から聞いたけれど、あなた達のところは大変だったみたいね」

 ヴィリーさんの声は段々と近付いてくるし、サンダルが砂浜を踏みしめる音も聞こえてくる。と、おや? 足音が一つだけではない。複数だ。一人、二人、三人……?

「? どうしたのかしら? 聞こえてる、ラグ君?」

 声をかけているのに固まったまま一向に振り返らない僕を、ヴィリーさんが不審に思う。まずい、早く振り返らないと。

 胸の鼓動はとっくに最高速だ。今にも口から飛び出しそうな勢いで跳ねる心臓の音に聴覚の大半を支配されつつ、僕は手足にぐっと力を込めた。

 ――大丈夫、視界はやや暗め。さっき見たフリムとロゼさんの水着姿で肌色にも多少慣れた。既に一度直視して倒れているわけだし、いくらか免疫だって出来ているはずだ。いける、恐れるな、ラグディスハルト……! 行け――!

 ある意味、強敵との戦闘に臨む時よりも緊迫した心持ちで、僕は勢いよく背後を振り返った。

「――さ、先程はすみません、ヴィリーさヴぁふぁぅっ……!」

 覚悟を決めて振り向いたはずなのに、早速変な声を漏らしてしまった。慌てて口元を手で覆い、挙句には視線を逸らしてしまう。誰がどう見ても、最悪の謝罪であった。きちんと最後まで言えないだなんて。

「だ、大丈夫、ラグ君っ? いますごい勢いで舌を噛んだみたいだけど……!」

 今度は倒れなかったにせよ挙動不審なリアクションをした僕を、ヴィリーさんが心配して駆け寄ってきてくれる。いやいや待って待って揺れてます揺れてます何がとは言えませんがとにかく揺れてますひぃいいいいいいい……!

 ふよんふよんと動く物体には人の視線を釘付けにする物理法則でもあるのだろうか。僕は頭の中で『早く、早く目を逸らさなければ!』と高らかに警鐘を鳴らしながらも、体は全く言うことを聞いてくれずヴィリーさんのとある部分を凝視したまま固まってしまっていた。

「――――。」

 心の底から僕は思う。

 人は本当に眩しいものを目にした時、例えサングラスをつけていようとも、光輝(ひかり)に目が眩んでしまうものなのだな――と。

 ヴィリーさんの身につけている水着は、いっそ簡素とも言えるほどシンプルなビキニスタイルだった。色はもちろんライトブルー。パレオなどもなく、トップスとボトムス、本当に二枚の布地だけが胸と股間を隠しているだけ。装飾といえば、左胸に刻印された『蒼き紅炎の騎士団』の紋章ぐらいだろうか。

 もしここにカレルさんがいれば『究極とはシンプル。そしてシンプル・イズ・ベスト。本物に余計な飾りなど不要だ』なんて解説してくれたかもしれない。

 そう、元々からしてヴィリーさんの美しさは完璧だった。これは僕の主観ではなく、全世界の〝剣嬢ヴィリー〟ファンが揃って頷くであろう客観的事実である。

 思い違いをしていた。僕がこれまで目にしてきたヴィリーさんの普段着や戦闘服は、決して着飾っているわけでもお洒落をしているわけでもなかった。

 あれらは結局のところ〝封印〟に過ぎなかったのだ。あるいは〝拘束具〟と言い換えてもいい。有り余るヴィリーさんの美しさが周囲に影響を及ぼし過ぎないよう、その破壊力を抑えていたのだ。

 しかし水着姿である今、その抑圧はない。ビキニスタイルという肌の露出面積が大半を占めるスタイルは、すなわち美しさの全開放状態であり、カレルさんが言っていたように近くにいるはずの『NPK』メンバーですら倒れるのもわかる話で、なるほどこれは確かにサングラスでもかけていなければ瞬殺されていただろうことがよくわかる。

 光り輝くようなプラチナブロンドのポニーテール。蒼穹よりも澄んだアイスブルーのビキニ。それらによって自然に飾られ、そして強調されるシミ一つない健康的な肌。明るい色合いの中に、ぽつん、と置かれた双眸の深紅が印象的で、もはやその美しさが魔性の域に到達していると知る。

 女神――いや、女神を越えた【何か】。

 この世ならざる美に触れた僕の心に、得も言えぬ感動が嵐のごとく吹き荒れる。

 ――うん、まぁ、自分でも何を言っているのかよくわからなくなってきた。

「ラグ君、あまり無理はしちゃダメよ、自覚はないだろうけれど、かなり消耗しているのだから。もう、何をしているの小竜姫。ラグ君の体調管理は相棒であるあなたの仕事じゃない。一緒に遊んでいる場合ではないでしょう?」

 僕が二の句が継げずにいると、何故かヴィリーさんはハヌに舌鋒を向け始めた。

「むっ? 遊んでおる、とは誰のことじゃ? 妾はまだ一片たりとも遊んでおらぬぞ」

「遊ぼうとしているじゃない、そこの大きな浮き袋を膨らませて」

「ふんっ、これは遊ぶ準備じゃ。遊んでおるわけではない」

 ヴィリーさんに対してはハヌは誰よりも反抗的で意固地になる。腕を組んで対応しているのが何よりの証左だ。支離滅裂なことを言って聞く耳を持とうとしないハヌに、ヴィリーさんは辟易とした溜息を吐く。

「それは屁理屈というものよ、小竜姫」

 と、ここで僕は我に返る。いけない、このままでは無駄な喧嘩へと発展してしまう。止めなければ。

「――あ、あのっ、すみません! ぼ、僕が一緒に遊ぼうって誘ったんです、だから、その、ハヌは悪くないんですっ……!」

 慌てて二人の間に入り、矛先を僕に向けるよう誘導する。よかった、口と体がちゃんと動いてくれた。これで何もできなければ本当に情けないことになるところだった。

 僕がハヌを庇ったことで、ヴィリーさんは矛を収めることにしてくれたらしい。胸の前で腕を組み――柔らかいそこが絶妙に形を変え――って何じっと見てるんだ僕!?

 咄嗟にサングラスの陰で目線を横へ逸らす。

「……仕方ないわね。あなたがそういうのなら。でも、無理は禁物よ? さっきも何でもなさそうだったのに、いきなり倒れたのだから」

「あっ、は、はいっ! というか、あの、先程は本当にすみませんでしたっ!!」

 剣を引いてくれる代わりに軽く注意を受けたので、これ幸いとばかりにその話題へ飛び付き、僕は先刻の出会い頭の非礼を詫びる。頭を深く下げて、

「あのそのっ、あの時は本当に疲れていたといいますか、ヴィリーさんの顔を見たからというわけではなくて、緊張の糸が切れてしまったというか、安心して気が抜けてしまったというか、と、とにかくっ! ヴィリーさんが悪いわけではないのでほんと気にしないでくださいっ! 本当に、本当にごめんなさいっ!!」

 まくし立てている内に段々と罪悪感が重くなってきて、僕の頭はどんどん下へさがっていく。

「――もう、謝りすぎよ、ラグ君」

 優しい言葉と共に、僕の肩にヴィリーさんの手が当てられた。さらに下がっていこうとする頭を止め、面を上げさせようとする動きだ。

「言ったでしょう? あなたは〝勇者ベオウルフ〟。そう軽々と他人に頭を下げてはいけないわ。ほら、特にそこにいる〝怖いお姉さん〟があなたを睨んでいるわよ?」

「……え?」

 怖いお姉さん、という気になるワードに思わず顔を上げてしまう。

 僕にとって『お姉さん』と言えば筆頭がフリムで、次点がロゼさんだ。フリムは言わずもがな、最近は一緒に生活しているせいか、仲間であり格闘術の先生でもあるロゼさんにもどこか〝姉的存在感〟を感じている今日この頃なのである。

 それはともかく、この流れでフリムやロゼさんが僕を睨むとは考えにくいし、それ以外の『お姉さん』的な人と言えば、目の前にいるヴィリーさんぐらいなのだけど――

「――はっ……!? ア、アシュリーさん……!?」

 視線を巡らせた先にいたのは誰あろう、ヴィリーさんの側近にして幹部の〝カルテット・サード〟が一人、アシュリー・レオンカバルロさんであった。

「…………」

 無言の圧力。

 赤金色の髪をいつもと同じシニヨンにしているアシュリーさんは、他と違わず海辺に相応しい出で立ちをしていた。

 まず目に付くのは、僕と同じく顔にかけたサングラス。度の入っていない墨色のレンズの向こう側から、本来なら瑠璃色に見えるだろう双眸が針のごとく細められ、さながら剃刀にも似た視線が放たれている。

 身に着けているのは水着――とは断言しがたい。何故なら、肩から太腿のあたりまでをすっぽり覆い隠す、オレンジ色のラッシュガードを身に着けているからだ。

 前のファスナーをきっちり閉めているため、中身は杳として知れず。ただ、ラッシュガードの下から覗く白い脚は何も身に着けておらず、サンダルを履いている以外は素肌を晒しているため、内側にて水着を着用している可能性は高いといえるだろう。

「はいはーい、私もいますでありますよー! ベオさーん♪」

 鋭すぎる目線を向けるアシュリーさんの隣には、ほぼ彼女と相棒と言っても過言ではないゼルダ・アッサンドリさんがいた。にっこり笑って、ひらひらと手を振ってくれる。

 ネイビーのウルフカットが特徴的な彼女は、印象通りのスポーティーな水着を着ていた。デニム生地を大雑把に切った感じのツーピース。トップスには中央のもの以外は用途不明なファスナーがいくつもついていて、ボトムスはホットパンツ型をしている。活発で陽気なゼルダさんにはとても似合っているデザインだ。

 アシュリーさんの言葉のない威圧に硬直した僕の目の前で、くすくす、とヴィリーさんが楽しそうに笑う。

「ほら、ね? アシュリーはいつも、私達の前でこんなことをこぼしているのよ。――まったくベオウルフはあの気弱なところがいけません、戦いの時のようにいつも凛としていれば、まだしもかっこよく見えないこともな「よよよよ余計なことをおっしゃらないでくださいヴィクトリア団長ッッッ!!!」

 ヴィリーさんが僕の知らないアシュリーさんを――物まねを交えて――語ろうとしたところ、当の本人が凄まじい勢いでそれを遮断してしまった。あまりに慌てて大声を出したせいか、顔にかけたサングラスがずれるほどである。

 見ようによってはかなり失礼千万な行為だと思われるのだけど、制服を脱いでいる間は無礼講ということなのか。

「はいはい、わかったわよ、もう。落ち着いて、アシュリー」

 ヴィリーさんはクスクスと笑って、部下の不作法を水に流す。それから、綺麗な掌を僕へ向けて、アシュリーさんに『さぁ、何か言いたいことがあるのでしょう?』と促した。

 はた、と再び僕と、耳まで真っ赤に染めたアシュリーさんとの目線がかち合う。

 ここで気付いた。そう、一緒だ――と。

 僕は今、カレルさんのアドバイスでサングラスをかけている。そして、アシュリーさんも同じように、言っては何だが似合わないサングラスをかけている。

 これは推測にすぎないが、しかし――きっとそうだ。アシュリーさんも【ヴィリーさんの水着姿の威力を少しでもやわらげるために】サングラスをかけているに違いない。

 故に、僕は彼女の視線からその意思を汲み取る。

『……そのサングラス。さてはあなたもですか、ベオウルフ』

『……ええ、はい。耐衝撃対閃光防御、という感じです』

『わかります。私も同性ながらヴィクトリア団長の魅力には空恐ろしいものを感じます』

『なればこそ、男である僕にとってはもはや凶器にも等しいわけで』

『ええ、他の男性団員も一網打尽でした。戦わずして勝つ――よもや剣の極意がこんな形で実現しようとは』

『あにはからんや、武の深奥が海辺のバカンスに秘められていたなんて……』

 ほんの一瞬の視線の交錯で、僕とアシュリーさんはこのような意思交換を行った――のかもしれない。あくまで言葉を用いないコミュニケーションであり、僕の主観でしかないため、断言はできないのだけれど。

「……ベオウルフ」

 今度こそ現実の肉声で、アシュリーさんが僕を呼んだ。彼女は本気で僕を叱ったり説教したりする時は『ラグディスハルト』とたまに本名で呼んでくれるのだけど、基本的かつ対外的にはずっと『ベオウルフ』と呼ぶ。

 サクサクサクサク、とサンダルの底が砂を噛む音を軽快に響かせて、いきなりアシュリーさんが僕に接近してきた。

 問答無用な速度に、僕は反射的に両手を上げて身構えてしまう。

「あっ、ごっ、ごめんなさ――あっ、いやちがっ、これは違くてそのっ!?」

 軽々しく頭を下げるなと言われている端から謝ってしまって、僕の動揺はさらに悪化の一途を辿った。そうこうしている内にアシュリーさんの顔が息のかかりそうな距離まで近付いてきて、大きなサングラスの下にある唇が開口一番、

「――なにをジロジロとヴィクトリア団長の肢体を見ているのですか鼻の下が伸びていますよ恥を知りなさい恥を」

 ものすごい早口でそう言われた。

「……………………は、はい……?」

 怒られるとは思っていたけれど、あまりにも予想外の角度から切り込まれたことで、僕の頭は一時的にフリーズしてしまった。

 ずい、とさらにアシュリーさんが近付き、声を高める。

「で、ですから……!」

 目の前、視界いっぱいにアシュリーさんの顔のどアップ。距離が近すぎて、もはや彼女のサングラスしか目に入らないというか、あともう少しで互いのサングラスがぶつかるぐらいの至近である。

「え、あの、ア、アシュリー、さん……!?」

 思いがけない急接近に僕は二の句が継げなくなった。サングラスの裏で目だけをパチクリさせて、しかし身動きが取れなくなる。

 カチンコチンになってしまった僕を見て、アシュリーさんは焦ったらしい。

「――そ、その破廉恥な視線を私達の団長に向けてはいけないと言っているのです! な、なんですかその似合ってないサングラスは! どうせいやらしい視線を隠すためなのでしょう!? ヴィクトリア団長が許してもこの私が許しません! いいですか、此度のヴィクトリア団長の水着姿は私達ひいては『蒼き紅炎の騎士団』の関係者のみが見ていいものであって本来ならば部外者のあなたが見てよいものでは――!」

「あら? それは困るわよ、アシュリー。それじゃ私、ラグ君達と一緒に遊べなくなってしまうではないの」

 がー、とマシンガンのごとく長口上を畳み掛けようとしたアシュリーさんを、今度はヴィリーさんの声が遮った。

 ビキッ、と音を立てて――僕の気のせいかもしれないが――アシュリーさんの動きが急停止する。しばしの間を置いてから、ギギギギ、と油の切れた機械のごとき動きで後ろを振り返り、

「……団長、今、なんと……?」

 低い声で恫喝するかのようなアシュリーさんの問いに、ヴィリーさんはしれっと答える。

「――? だから、ラグ君が私の水着姿を見るのを禁止すると、私がラグ君と一緒に遊べなくなるじゃない。せっかくの機会なのだし、それは困るわよ、と言ったのだけど……?」

「な……ッ!?」

 なんてことはないかのごとく、首を傾げながらひどく自然にそう宣ったヴィリーさんに、アシュリーさんは驚きの呻きを漏らした。

 気持ちはわかる。というか、僕も驚いている。

 今はとにかく予定になかったイレギュラーな事態で、さらには強制的なバカンス期間である。

 エクスプローラーの常識的に考えれば、仕方なく遊ぶにしても、せめてそれぞれのクラスタ単位で寄り集まり、行動するのがセオリーだ。

 何より、僕とヴィリーさんの間には【先日の件】もある。そう、ヴィリーさんが『放送局』の前で爆弾発言をしてくれたばかりに、アシュリーさんを初めとした『NPK』メンバーは未だに帯電した剃刀のような状態で僕を【監視】しているのだ。実際、今だって何人かが遠巻きにこちらの様子を窺っているのを感じる。

 当然ながら戦闘の際は四の五の言っている場合ではないため、みんな私心を封じて一緒に戦ってくれるし、僕の支援術式を文句も言わずに受け取ってくれる。

 だけど、ひとたび戦場を離れれば話は別だ。

「な――なりませんッ! 何を考えているのですかヴィクトリア団長ッ!」

 言うまでもなくアシュリーさんは大いに反発した。彼女はすっかり僕の視界を塞ぐことも忘れて踵を返し、自らの上司に食ってかかる。

「今がどういう状況かわかっているのですか!? 非常時ですよ!? 余所のクラスタと遊んでいる場合とお思いですか!?」

「そうは言っても、カレルレンが言っていたように現状は何も出来ないでしょう? 大人しく遊ぶしかないのなら、精々楽しく過ごすのが一番だと思うのだけど」

「そもそもからして遊んでいる状況ではないと言っているのです私はッ!!」

 キョトンとした顔で返すヴィリーさんに、アシュリーさんのテンションは天井知らずに上がっていく。しかしながら長身のヴィリーさんに対し、アシュリーさんの身長は平均程度。軽く頭一個分は身長差があるため、どうしても『妹が姉に文句を言っている』というか、『小型犬が大型犬にキャンキャン吠えている』みたいな絵図に見えて仕方がない。

「だというのに百歩譲って遊ぶにしてもクラスタメンバー同士で親睦を深めるならともかく他のクラスタの人間しかもよりにもよってベオウルフと一緒に遊ぶだなんて何を考えていらっしゃるのですかッッ!!」

 ハヌやフリムも時々そうだけど、アシュリーさんも肺活量がすごい。一息に言葉の波を浴びせかけて圧倒する、この勢い。あるいは怒りが原動力だからこそなせる技なのか。

 あまりの剣幕に流石のヴィリーさんも驚いたのか、やや腰を引きつつ両手でバリケードを作り、

「お、落ち着いてアシュリー、私は別にあなた達をないがしろにしているつもりは――」

「そういうことを言っているのではありません! 私達が好きなのは私達のことを気にせず我が道を行くヴィクトリア団長ですッッ!! 私達のことはいくらでもないがしろにしても構わないのですッッ!!」

 制動させようとしたヴィリーさんに対し、アシュリーさんがなんだかとんでもないことを言った。

「? ……? ――? ……え? ちょ、ちょっと待って、気にせずないがしろ――え、わ、わからないわアシュリー、あなたは一体何を言っているの……?」

 ものすごい勢いで理解不能な主張を叩き付けられたヴィリーさんは、珍しいことに激しく混乱しているらしい。目を白黒――じゃなくて白赤させて、血気に逸るアシュリーさんを言葉の通じない異邦人を見るかのように見つめる。

「で・す・か・ら!」

 なかなか自分の思いを受け止めてもらえないアシュリーさんが、子供みたいな地団駄を踏んだ。

 その時だ。



「あああああああああアシュリーィィいいいいいいいいいいいい――――――――!!!」



 出し抜けに横合いからとんでもないスピードでアシュリーさんを呼ぶ声が飛んできたかと思うと、それ以上の速度で声の主が駆けてきた。

 言っちゃあなんだが、超高速である。

 目にも止まらなかった。

 ほぼ音と一緒にここまでやってきた金色の人影が、矢のような勢いでアシュリーさんの横っ腹に突っ込んだ。

 体当たりタックルである。



「おぅふ」



 そんな、ちょっと間抜けに聞こえるような、気の抜けた吐息だけをその場に残し、アシュリーさんの体が視界の外へ吹っ飛んだ。

 それはあまりにも突然で、あまりにもいきなり過ぎた。

 もしかしたら当のアシュリーさんは、気が昂ぶりすぎて突っ込んでくる人影に気付いていなかったのかもしれない。

 超高速の突進(チャージ)を仕掛けたのは、小さな金色の影。動きがあまりに速すぎて細部は見えなかったけど、その正体には大体察しがつく。

 やや間を置いて、体当たりをした人物とアシュリーさんが渾然一体となって海の水面を突き破り、ドボン、と沈む音がした。

 数秒。

 再び、ザバァ! と海面を突き破る音がしたかと思うと、次の瞬間にはアシュリーさんの悲鳴みたいな怒鳴り声が響いていた。



「い――いきなり何をしてくれるのですかッユリウスッッッ!!!」





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コメント

  • Kouki

    キタキタキタキタァァーー
    更新お疲れ様ですそして、ありがとうございます!

    2
  • かな

    久々の面白い作品です!
    ゆっくりでいいので更新よろしくお願いします!

    2
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