リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●20 本番の幕開け







 僕が見つけた時、ハヌは三等氏のベッドの真ん中辺りに横たえられていた。

 無論、巨人用のベッドであるため相対的に見ればハヌの小さな体躯はより小さく見え、まるで虫か何かのようであった。

 僕は自分にかかった支援術式を一つずつ解除しながら減速し、だだっ広いベッドの上で眠っているハヌへと駆け寄った。少しでも早く近付きたかったが、それでも慎重に動いたのは、〝アブソリュート・スクエア〟状態で下手に近寄れば、機動の余波でハヌのちっちゃな体を吹き飛ばしてしまいかねなかったからである。

「――ハヌッ!」

 彼女の顔が鼻の穴が見えるまで近付くと、勝手に喉から声が迸った。喜びや焦りといった、正負の混濁した感情が一気に噴き出し、まるで血反吐を吐いているかのような気分だった。

 速度が並に戻ったところで一気に接近し、ベッドの上に膝をついて小さな体を抱え上げる。

「だ、大丈夫っ!? 怪我はないっ!?」

 眠っていることはわかっているけれど、声をかけずにはいられなかった。そして、自分の言葉からハヌが怪我をしている可能性に気付き、慌てて彼女の手足を検分する。

 どうやら怪我はしていないらしい。ほっ、と息をつく。それから、

 ――って、僕はバカか! こんなに近付いてスイッチの接続も回復しているんだから、〝SEAL〟経由でバイタル要求のコマンドをキックすればよかったじゃないか! 前にも似たようなことをして恥をかいたことをもう忘れたのか……!

 と、内心で自分自身に突っ込みを入れる。どうにもいけない。毎度のことながら、ハヌの体調や健康が絡むと僕は冷静でいられなくなる。

 落ち着いて、〝SEAL〟からコマンドを送り、スイッチを介してハヌのバイタルを確認する。オールグリーン。ただ今は、薬か術式かで眠らされているらしく、こうして抱きかかえて大声を出しているのに、一向に目覚める気配がない。

 とはいえ、無事なことに変わりはない。

 そうとわかれば、こうしてハヌの小さな体が腕の中にあること、その体温が感じられている今この瞬間が、まるで奇跡のように思えてきた。

「――よかった……!」

 一度は離れたぬくもり。すごく近くにいたのに、油断したが故に連れ去られてしまった暖かさ。

 それが今、こうして再び僕の懐に収まっている――こんなに喜ばしいことが他にあるだろうか。

「本当に、よかったぁ……!」

 万感の思いで呟くと、両眼から止めどなく涙が溢れてきた。喉がひくつき、僕はしゃっくりのような嗚咽を繰り返す。

 眠っているハヌを、ぎゅっ、と抱きしめ、僕は絞り出すように思いを吐露する。

「本当に、よかったよぅ……!」

 こんなことを言うと大げさだと思われるかもしれないけれど、もう二度と会えないかと思ったのだ。もう二度と顔が見れないと、触れ合うことができないと――そういう可能性は十分にある、という想像力が、ずっと僕の中で猛威を振るっていたのだ。

 だから、そうなることが死ぬほど怖かった。もしハヌが無事じゃなかったらどうしよう、もしハヌが死んじゃったらどうしよう、もしハヌが二度と会えないほど遠くに連れ去られちゃったらどうしよう――と。

「ハヌ……ハヌぅ……よかったよぅ……!」

 ちっちゃな体を壊さないよう、だけど精一杯強く抱きしめる。ハヌの体温を感じる。ハヌの匂いがする。それだけでこんなにも、胸が張り裂けそうなほどの幸せを感じられるなんて。

 眠ったままのハヌを抱いて、どれほどの時間を泣きじゃくっていただろうか。やがて、もぞり、と腕の中の女の子が身じろぎした。

「……ほ……?」

 吐息のような声。何が何だかわかっていなさそうな小さなそれを、僕は耳聡く聞きつけ、密着させていた体を開いた。

「……ハヌ……?」

 ぽけっ、とした半開きの金銀妖瞳と目が合う。いや、ハヌの方はまだ焦点が合っておらず、目は開いているけど何も見えていないようだ。

 まだ半覚醒といったところのハヌは、寝ぼけ眼で周囲をゆっくりと見回し、

「……にゅ……?」

 何だか意味不明な鳴き声をこぼすと、やがて視線の先を僕の顔に固定させた。最初は見るともなしに見ていた蒼と金の瞳が、けれど徐々に焦点を合わせ始め――

「……ほぁ? にゃと……?」

 なんだか間抜けだけど、可愛い声で僕の名を呼んだ。

「ハヌ……!」

 僕はもう堪らなくなって、改めて大切な友達を抱きしめた。

「ごめん、ごめんね……! 助けに来るのが遅くなってごめんね……! でも、もう大丈夫だから……! もう何も心配はないから……!」

「……にゃの……?」

 未だに眠気が抜けきらないのか、ハヌは舌っ足らずな口調で僕を呼び、首を傾げる。

 が、数秒もすると意識がはっきりしてきたらしく、

「……? ラト……? お、おおっ? な、なんじゃ……? なにごとじゃ?」

 パチクリと目を瞬かせて、わたわたとハヌが慌てる。多分、まだ記憶の整理がついていないのだろう。いつものように目覚めたら僕に抱きつかれていた、というのが今のハヌの実感かもしれない。

 が、すぐに気を失う寸前のことを思い出したのか、ぴたり、と動きを止め、

「――そうか、そうじゃったの……妾は……」

 声が尻すぼみになって消える。失態を演じた、とハヌは思っているのだろう。強張っていた小さな体から力が抜け、僕に抱きしめられているハヌは、ふぅ、と残念そうに息を吐いた。

「……すまぬ、ラト……どうやら妾のせいで、おぬしにはえらく心配をかけたようじゃな……」

 忸怩たる思いを声に滲ませるハヌに、僕は彼女の肩に顎を載せたまま首を横に振る。

「ううん、ううんっ! ハヌのせいじゃないよ! 僕が、僕が君のことを守れなかったから……! 僕の力が足りなかったから……! ごめんね、ごめんね……!」

 そう、謝罪するべきは僕の方なのだ。一番近くにいたのに、むざむざとヤザエモンにハヌを攫われ、人質にされてしまった。その後も、すぐに助けることが出来ず、こんなところにまで連れ去られてしまった。

 不幸中の幸いか、ハヌはずっと眠っていたみたいだけど、もしそうではなく、意識があったとしたらどんなに怖くて寂しい思いをしていたことか。想像しただけで胸の真ん中が、ぎゅうっ、と絞られてしまうかのようだ。

「ラト……」

「ごめんね、ハヌ……! 今度からちゃんと守るからっ……! 僕が君をちゃんと守るからっ……! ごめんね、ごめんね……!」

 謝れば謝るほど、自らの不甲斐なさが情けなくて、次から次へと涙が溢れてくる。嗚咽も激しくなってきて、舌の呂律の徐々に怪しくなってきた。

 助けに来た方が子供のように泣いている、という状況のおかしさに気付いたのだろう。しばらくするとハヌが、くふ、と小さく笑った。

「……まったく、相変わらずの泣き虫じゃのう、ラトは」

「だって、だってぇ……!」

「これではどちらが慰められているのかわからぬではないか。少しは落ち着け。ほれほれ」

「うん……うん……」

 ハヌの小さな手が、ぽんぽん、と僕の頭を叩くように撫でるので、水っぽい鼻をすんすんと鳴らしながら、少しだけ体を離す。

 すると、口元に微笑を浮かべたハヌと真っ正面から目が合った。今度はしっかりと。

「……礼を言うぞ、ラト。よくわからぬが、おぬしがここにおるということは、面倒事は全て片付けてくれたのであろう? 随分と苦労をかけてしまったの」

 優しく労ってくれるハヌに、僕はジャケットの袖で涙を拭いながら首を横に振る。

「そんなことないよ……これぐらい……」

「うむ。詳しい話は後で聞かせてもらうが、よう頑張ってくれた。流石は妾の親友じゃな。頼りになるのう」

 くふふ、とハヌが笑って、両手で僕の頬を挟み込んだ。そのまま優しく、すりすり、と褒めるように撫でてくれる。

「ハヌ……」

 よかった、ここまで一生懸命頑張ってきてよかった――と思いかけたその時。

「――じゃがの?」

「へ?」

 ハヌの右手が頬から離れ、何故かいきなり僕の鼻をぐっと摘まんだ。

「ふぎゅっ――!?」

 突然のことに抗議めいた悲鳴を上げるが、ハヌはニコニコと笑ったまま手を離そうとはしてくれない。

「なに、これもよい機会じゃ。いつも妾が、おぬしのことをどれだけ心配しておるのか、これを機にしかと教えてやろうではないか」

「ふぇ、ふぇぇぇ?」

 いきなりの急展開に頭がついていかず、僕は変な生き物みたいな鳴き声を上げてしまう。

「覚えておるか? ラトがいつもいつもいつもいつも無茶をしでかして眠っている間、妾も今のおぬしのように心配して泣き通しておるのじゃぞ? 目が覚めた時にはいつも、妾の泣き腫らした目をその眼(まなこ)で見ておろう? ん? わかるか? その時の妾の気持ちが?」

「ふぅ、ふぅん、ふっ……!」

 くふくふ、と笑いながらハヌは摘まんだ僕の鼻を左へ左へと引っ張って、いいように遊ぶ。僕は抵抗することも出来ずに弄ばれるしかない。

「そうやって泣くほど妾のことを心配してくれるのはありがたいことじゃ。嘘ではないぞ? 妾はいま、心の底からおぬしに感謝しておる。じゃからの?」

「うぇ、うぇぇぇ……」

 くいくいっ、と僕の鼻を上に引っ張るハヌ。そうされると僕は、釣り上げられた魚のように上を向くしかない。

「おぬしも思い知ったであろう? おぬしが倒れて眠っておる間、妾がどれほど心を痛めておるのか。どんな気持ちでラトが目覚めるのを待っておるのか。無論、妾だけではないぞ? ロゼもフリムもそうじゃ。おぬしがいつも妾達にさせておる〝心痛〟とは、【これほどのもの】だということを、この際じゃ、じっくりと思い知るがよい」

 ハヌの顔は笑っているようだけど、目はあんまり笑っていない。悪魔的な微笑の陰に、本気の怒りの炎を見出した僕は、そのままの状態で謝罪を口にする。

「ほへん、ほへんははいっ、ほへんははいぃぃぃぃ……!」

 言われてみれば全くその通りで、これっぽっちも反論の余地がないため、僕は涙目で謝るしかなかった。

 ハヌの主張は至極もっともだ。今回、初めて逆の立場になってみて骨身に染みるようだった。

 ハヌが『いつもいつもいつもいつも』としつこく繰り返したように、毎度毎度危険なことに突っ込んでいくのは僕の方で、従って今回の僕のように死ぬほど心配する立場になるのは、ハヌやロゼさん、フリム達の方なのである。

 そりゃあ怒られるはずだ、と納得するしかない。僕が無茶をした代償にぶっ倒れて気を失っている間、ハヌ達はいつも、こんな心臓を握り潰されるかのようなストレスに晒されていたのだ。

 改めて、ものすごく申し訳ないことをやっていたのだな、と反省する。

「……ふむ。どうやら少しは思い知ったようじゃの」

 ひとしきり僕の鼻を引っ張り回して満足したのか、ハヌは不意に手を離してくれた。

「あうっ……」

 あまり強く引っ張られていたわけではないけれど、つい鼻に手をやって押さえてしまう。

「――して、今日はどんな無茶をしたのじゃ?」

「……え?」

「使ったのであろう? 〝アレ〟を」

 アレ、というのが〝アブソリュート・スクエア〟であろうことはすぐに察せられた。

「……うん……」

 あまり使わないようにする、という約束を木端微塵になるぐらい破ってしまっていた僕は、視線を下に落として頷く。

「……ごめん……」

 言い訳ならいくらでも並べられる。イザナミがどれほど強大な相手だったのか、とか、ハヌのことが心配すぎてここにくるまで全速力を出してしまったんだ、とか。

 でも、そのどれもが彼女の求めるものではないことぐらい、僕にだってわかる。だから、下手な言い訳は一切せず、素直に謝った。

「……仕方のない奴じゃ。まったく、これだからラトは……」

 ふぅ、と小さく吐息すると、ハヌは何故か、急に僕の体をベタベタ触り始めた。

「え、あれ? ちょ、ハヌ?」

「ほれ、どこか痛いところはないか? 苦しくはないか?」

 ハヌは僕の胸やお腹、脇の下などまさぐりながら、お医者さんみたいな質問をしてくる。こっちの困惑などお構いなしだ。

「え、えと……?」

「質問に答えよ、ラト。おぬしは大丈夫そうに見えても、いきなり血を流して倒れることがあるからの。少しでも異常があるのならすぐに言うのじゃ」

「あ……」

 そういえばミドガルズオルムとの戦いの後、目や鼻から血を出してハヌの着物を汚してしまったことを思い出す。ハヌからしてみれば、目の前で親友がとんでもない場所から血を垂れ流してぶっ倒れたのである。普通にトラウマものだ。もし僕が逆の立場だったらと思うと、背筋がぞっとする。その場で発狂していたかもしれない。

 ここまで心配してくれているハヌを相手に、適当に誤魔化すなど許されようはずがない。

「えっと……うん、怪我とかはないよ。一号さんのおかげで楽に勝てたし、その分〝アブソリュート・スクエア〟の使用時間も短めで済んだし。あ、でも、詳しくは後で話すけど、支援術式以外でかなり無茶なことしちゃったから、体は疲れちゃってるかな……傷は〈ヒール〉や〈リカバリー〉で治したんだけど、なにしろ全身大火傷だったから……」

 最後は流石に気まずそうに言うと、ハヌの動きが凍り付いたみたいに止まった。

「――ぜんしん……おおやけど、じゃと……!?」

 オウム返しにしてから、ばっ、と頭を上げて蒼ざめた顔で僕を見つめるハヌ。まるで未知の生物でも見るかのように、蒼と金のヘテロクロミアが震えている。

 めちゃくちゃ焦った。

「あっ、いやっ!? だ、だから、えと、その!? なっ、なんて言うか支援術式なしで勝つにはそれしかなかったというか僕にはフリムがリメイクしてくれた〝アキレウス〟があったし結構危なかったけど全然大丈夫だったというか!? むしろ相手の方のダメージが大きかったぐらいだしちょっと厳しかったけどおかげで勝てたわけだし!? た、大したことはないんだよ本当!? っていうか前の時の方が怪我が大きかったというかダメージきつかったっていうかそういえば今回は気絶してないしね僕!? 逆にすごいよね!? ね!?」

「…………」

 慌てるあまり支離滅裂なことを口走るどころか、墓穴を掘りまくってしまう僕であった。ハヌのジト目が胸に深く突き刺さる。

 バタバタと両手を振ってボディランゲージ混じりに弁解していた僕の胸を、こつん、とハヌの頭が軽く小突いた。

 やがて、はぁぁぁ、と深く重い溜息。

「……もうよい。その話はロゼやフリムらと合流してからじゃ。あやつらなら、妾よりもよほど覿面(てきめん)におぬしを説教してくれるであろうよ。覚悟しておくのじゃな」

「……………………はい……」

 事実上の死刑宣告に、僕は頭に重しを載せられたかのようにうなだれた。

 特にフリムには、とんでもない勢いで怒られてしまうのが容易に想像できてしまう。武器や防具の扱いもそうだけど、それ以上に使い手である僕の身をないがしろにする行為を、彼女はものすごく嫌うし、怒るのだ。

「――まぁ、怪我もなく、調子も悪くないというのであれば重畳じゃ。妾の訴えも多少は意味があったということかの。……もうあの時のように、いきなり倒れるのは絶対に許さぬぞ、ラト?」

 僕の胸の真ん中に額を預けたまま、ハヌが小さな声で囁く。

「う、うん……」

 その口調のフラットさが逆に何かを溜め込んでいるようにも聞こえて、僕は漠然とした不安を覚えてしまう。

 が、そんな彼女が僕の胸元に手をやり、ジャケットの襟元を、きゅっ、と握り締めた。

「……言うても詮無きことはわかっておるが、あまり無茶をするでないぞ、ラト。妾はおぬしが心配じゃ。無理を重ねておると、ある日突然、命を落とすやもしれぬ。もしそうなったら、妾は……」

「ハヌ……」

 僕の胸元に顔を伏せているせいで、彼女がどんな表情を浮かべているのかはわからない。けれど、その声が微かに震えていることだけは確かだった。

「……頼む……妾を、一人にするな……おぬしがいない世界は、もう妾には耐えられそうにない……」

 蚊の鳴くような小さな声だったけど、確かにそう聞こえた。

「…………」

 やはり、全身大火傷のことは黙っておいた方がよかったかもしれない。ほんの一言で、ハヌをここまで怖がらせてしまうなんて。でも、嘘を吐いたり誤魔化したりしたら、それ以上に傷つけてしまっていたかもしれない。そう思うと、正直に話したのは正解ではあったのだろうけれど……

 ――いや、まぁ、僕が心配をかけてしまうような行動をとるのがいけないんだよね……

「……うん、ごめんね……」

 寒そうに震えるハヌの体を、僕は改めて抱きしめた。そして、あまり意味はないだろうけど、こんな言葉を付け足した。

「……僕も、そうだよ……」

 ヤザエモンにハヌが攫われた時に思い知った。

 僕も、もうハヌのいない世界なんて考えられない。これは多分、愛とか友情とかではなくて、依存と呼んだ方がいいレベルなのかもしれないけれど――もはやハヌを失うことは、魂の大半を失うことと同義だ。

 これは仮の話で、本音を言えば考えたくもない可能性ではあるのだけど――もしハヌが死んでしまったら、僕は正気を保てないかもしれない。それぐらい、ハヌの存在は僕という人間の奥深くにまで根差してしまっている。

 ハヌにとっての僕も、そういう存在になっているのかもしれない。

 ――もっと、強くならなくちゃ……

 頭の片隅で改めて決意を固める。

 もう二度とハヌに心配をかけさせぬよう、そして今回のように彼女を敵の手に奪われないよう、僕はもっと強くならなければならない。

 今よりももっと、ずっと、強く、大きく。

 もう次なんてない。

 何があろうと、この腕の中にいる女の子は守り抜いてみせる。

 そう内心で誓いながら、僕はハヌの震えが収まるまで抱き締め続けた。



 ■



 ハヌの様子が落ち着くと、僕らはいったん『女王の間』まで戻ることになった。

 この空間の要である〝フロアマスター〟を活動停止(シャットダウン)させて、そのコンポーネントを入手したまではいいのだけれど、しかし一向に元のセキュリティルームに還れる気配がない。

 なので、もしかするとエイジャのいた部屋への鍵がミドガルズオルムのコンポーネントだったように、イザナミのそれを使ってどこかの扉を空けなければならないのでは――という結論に至ったのである。

 その扉を探すためには、何はなくとも情報収集が肝要だ。一号氏はともかくとしても、二番氏と三等氏なら何か知っているかもしれない。

 というわけで、僕はいつものようにハヌをお姫様抱っこして、スカイウォーカーで空中歩行しつつ、来た道を戻ることになった。勿論、道すがらハヌにこれまでの流れを説明することは忘れない。

 しかし、本当に色々とあったものだ、としみじみ思ってしまう。

 ハヌがヤザエモンに連れ去られてから、一号氏と共に『女王の間』へ向かったこと。そこでハウエルおよびヤザエモンと再会し、奴らと手を組んだ二番氏、三等氏と対峙したこと。広い地下空間の真ん中に大きな火柱があって、女王イザナミがそこから現れたこと――等々。

 まさに怒濤の展開だったと言えよう。

 空恐ろしくなるほどの密度で過ごした戦いの時間をハヌに説明し終える頃には、僕の足は再び『女王の間』へと踏み込んでいた。

『――おっ!? ベオウルフ様! それに小竜姫様までいやがるじゃねぇか! おうこっちこっち! こっちだぜ!』

 ハヌの身が安置されていた三等氏の住処からの出入り口を出た途端、一号氏が目敏く僕らを見つけて念を飛ばしてきた。流石は魔眼の持ち主、とでも言うべきだろうか。

 一号氏は未だ、自分の〝巨人態(ギガンティック)〟の残骸の上に腰を下ろしていた。最後に見た時は全身にひどい火傷を負っていたようだけど、今ではほとんど完治しているようだ。回復術式を使ったのか、はたまた鬼人としての異能によるものなのかはわからないけれど、ともあれ無事で何よりである。

『えっと……すみません、一号さん。さっきはいきなり立ち去ってしまって……』

 ハヌをお姫様抱っこしながら空中を歩き、ゆっくり近寄っていく。最初にこの空間に来た時は、それはもうひどい高温の空気に満たされていたけど、今ではすっかり熱が引いてしまっている。むしろ地下だけあって、少し肌寒いぐらいだ。

 ただ、マグマの光だけが唯一の光源だったせいか、今では地下空間全体が闇に覆われてしまっていた。そんな中でも僕が一号氏達の位置を見いだせたのは、誰の手によるものか、彼らの頭上に大きな光の球があるおかげだった。僕の〈ランプボール〉のような術式かもしれない。

『なっはっはっ! そんぐれぇ気にしてねぇさ! おう、二番、三等! おめぇらも歓迎しろよ! 【勇者様】のお帰りだ!』

『……え……?』

 上機嫌な一号氏が、その周囲に立っている二番氏と三等氏の〝巨人態〟を仰ぎ見ながら紡いだ言葉に、僕は首を傾げる。

 ――ゆ、勇者様……?

 変だな、とまず思った。僕は確かに『ベオウルフ』という偽名を名乗ってはいたけれど、それが伝説の英雄である〝勇者ベオウルフ〟からとった名前だということを、一号氏は知らないはずである。というか、そもそも〝勇者ベオウルフ〟の名前自体を、彼は見たことも聞いたこともないはずだ。

 それなのに、どうして僕を勇者様などと呼ぶのだろうか?

『……? ねぇ、兄さん? あの〝神使〟様が勇者様って……どういう意味かしら?』

 僕と同じ疑問を抱いたのだろう。青い巨人の二番氏が、くねくねと腰を揺らしながら首を傾げ、一号氏に問うた。そういえば、その二番氏の頭からは水牛のように左右に伸びていた双角が消えている。もしや、と思って視線を転じると、緑の巨人である三等氏の一本角も同様だった。

 ――でもって、一号さんの頭に増えている角が……もしかして……?

 色こそ朱色に染まっているが、形状だけなら一号氏の頭部に増えた三本の角は、内二本が水牛のような双角で、一本が太く長い一本角である。

 もしかしなくとも、弟氏二人の角が長兄の一号氏の頭へ移動して――移植されて?――いるのは明白だ。

 あるいは、さっきからずっとそうだったのだろうか? 戦闘中はずっと目の前のことしか見ていなかったし、さっきはさっきで気を配る前にハヌを迎えに行ってしまったので、全然気が付かなかったけれど。

 角のない巨人になってしまった二番氏に、現在は〝巨人態〟を失って僕達と同じサイズになっている一号氏は、にかっ、と笑って応じた。

『おうっ! おめぇらも知ってんだろ、あの言い伝えをよ! ほれ、なんだ……あれだ、なんつうか……〝ネノクニの女王を打倒する勇者に、赤髪の神から使いあり。使いは勇者に力を与えたもう〟――的な?』

『ああ、アレ?』

 ピンときたらしい二番氏は片手の人差し指を立てて、視線を天井に向ける。その隣に立つ三等氏も、

『あー、アレだねー……っていうかあんちゃん、その堅苦しい口調全然似合わないよねーあはははは!』

 本筋に関係ないところで勝手にウケて笑い出した。

『……なんなんじゃ、あやつらは……?』

 兄弟だけあって一号氏と比べても遜色ないキャラの濃さを見せつける二番氏と三等氏に、ハヌがスイッチの専用回線(ホットライン)で唖然と呟く。一応ここへ来るまでに彼らの人となりは説明しておいたのだけど、やっぱり直に目にした時のインパクトは凄まじかったようだ。

『……ね? だから言ったでしょ? 変な人達だ、って……』

 もはや突っ込みどころが多すぎて『変な人』としか言い様がなかった。いや、ある意味では『人』ではないのかもしれないのだけど。

『うるっせぇ! 変な茶々入れてんじゃねぇぞ三等! ――それで、だ! 俺様はよ、気付いちまったんだよ!』

 何故か一号氏はウキウキとして、次のようなことを宣った。

『言い伝えの〝勇者〟ってのは、実は俺様のことじゃねぇ! そう……伝説に謳われる〝勇者〟とは、あそこにいるベオウルフ様のことだったんだ、ってなぁ!』

 ビシッ、と空中を歩み進んでいる僕――と抱っこされているハヌ――を指差して、一号氏は断言した。

 彼の指の動きに合わせて、二番氏と三等氏の顔がこちらへ向く。ついでに、お姫様抱っこされているハヌもつられたように僕の顔を見上げた。

『……え?』

 突拍子のなさ過ぎる発言と、集中する視線に、僕は変な声を漏らす。

 いや、まったく意味がわからない。さっぱり理解不能である。

 だが、一号氏は僕の反応などお構いなしに言葉を続けた。

『だってそうだろ!? さっきの『女王』つうか『偽神(にせかみ)野郎』を殺したのはベオウルフ様じゃねぇか! つまりよ、〝勇者〟が女王を打倒するんじゃねぇ! 女王を打倒した奴こそが〝勇者〟なんだよ! なっ!? そう考えりゃベオウルフ様こそが〝勇者〟で、言うなれば俺様の方が〝神使〟だったつう方がしっくりくるだろ!? なぁ、わかるか!? おい!』

 よくわからないが、えらい盛り上がりようである。一号氏は今にも『我気付いたりエウレーカ!』とでも叫び出さん勢いで持論をまくし立て、二番氏や三等氏に同意を求める。

 しかし、なるほど。そういうことなら、言わんとしていることはわかる。彼らの間に伝わる言い伝えとやらが本物だったと仮定した場合、結果論としては確かに一号氏の言う通りではあるのだ。

 最終的にイザナミを活動停止(シャットダウン)させたのは僕である。つまり、伝承にある『ネノクニの女王を打倒する勇者』というのは僕だった、ということになる。そして僕が勇者だとするならば、一号氏は『それ以外の何か』となるわけで、伝承内での『それ以外の何か』と言えば、これ即ち『赤髪の神から使い』しかいないわけで。

 いわば視点の逆転だ。

〝勇者〟である一号氏の下に〝神使〟である僕やハヌが現れたのではなく。

〝勇者〟である僕が、〝神使〟である一号氏と出会ったのだ――と。

 彼はそう考えているのだ。

『……それっていわゆる、結果論、ってやつじゃないかしらぁ?』

『あははははー! こじつけこじつけー!』

 ざっくり、二番氏と三等氏によってぶった切られる一号氏の主張。

 残念ながら、僕も同意であった。

『うるっせぇ! なんだおめぇら、人が下手に出てりゃあ調子乗りやがって! さっきの殊勝さはどこへ行きやがった!?』

『あらいやだわぁ、元通りの態度で接しろって行ったのは兄さんでしょお?』

『そうだそうだー!』

『うぐっ……そういやそうだった……!』

 何の話かよくわからないけれど、この様子を見るに、どうやら三人は仲良くなったらしい。一見すると喧嘩しているようにも見えるけれど、実際にはじゃれ合っているだけというのが、なんとなくだけどわかる。何というか、『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』のカルテット・サードのやりとりを見ているような、そんな感じなのだ。

 敢えて逆ベクトルで例えるなら、フリムとアシュリーさんが本気で口喧嘩している時のような険悪さを感じない、とでも言おうか。というか、あの二人の喧嘩は毎度毎度、何故か僕がダメージを受けることが多いので本当に勘弁して欲しいものである。

「……仲直り、したんですね。よかったです」

 距離が縮まり、目線の位置を合わせるために不可視の階段を降りながらそう声をかける。もう声が届く距離なので肉声で。すると、一号氏はものすごく嫌そうな顔をこちらに向けた。

「……おいおい、冗談はよしてくれよベオウルフ様……」

 心の底からうんざりしたような表情が、けれど僕はおかしくてちょっと笑ってしまった。

「――って、あれ……?」

 ふと気付いた違和感に、僕は思わず声を漏らす。何かというと、相対距離が縮まったことで一号氏の顔がよく見えるようになったのだけど――

「……ん? どうしたんだよ、ベオウルフ様? 俺様の顔に何かついてるってか?」

 凝視する僕の視線に気付いて、一号氏の表情が不思議そうなそれへと変化する。

「え、えと……あ、あれ? ……あの、一号さん……? もしかして……わ、若返ってません、か……?」

「わか……? あ? 俺様が?」

 キョトン、と自分の顔を指差す一号氏。それも、前に見た時と違って、ほとんど皺のないその顔を。

 そう、そうなのだ。どう見ても【若返っている】としか言い様がないのだ。

 面影はある。逆に言えば、面影しかない。仮に一号氏の息子だと自己紹介されたら、疑いもなく信じてしまいそうなほどに見た目が若返っている。この顔付きだと、僕より少し上――例えるなら、ヴィリーさんやカレルさんと同年代だと言っても過言ではないぐらいだ。

「んー? もしかすると、俺様の角が増えたせいか? ――ま、どうでもいいぜ! ベオウルフ様も気にしねぇでくれよな!」

 あっけらかんと切り替えて、にかっ、と笑う一号氏。いや、そんな気楽にスルーしていい問題とは思えないのだけど……この軽さは一体何なのだろうか。文化の違い? 人種の違い? もしかして一号氏の一族では割と普通なことだったりするのだろうか?

『――あっ! つうかおめぇら、おい何してやがる! 勇者様がいらっしゃったんだぞ! おめぇらもそんなデケぇ図体してねぇで、本来の姿で出迎えしねぇか!』

「え……? あ、一号さん、別にそんな……」

 困惑している僕をよそに、一号氏が何だか大げさなことを言い出したので、慌ててそれを制止しようとしたのだけど、それよりも早く、

『ふぅん……まぁ、そうねぇ? 私様のところに来なかったとは言え、仮にも〝神使〟様なわけだし、礼を失してはいけないわよねぇ。ね、三等君?』

『だねー、そうだよねー、あれ? そういえば僕様ちゃんの真っ黒クロ助くんはどこ行っちゃったんだろ?』

 二番氏が頷いて、三等氏もそれに同意してしまった。しかし、ついでのように存在が思い出された『真っ黒クロ助くん』というのは、もしかしなくてもヤザエモンのことだろうか? そういえば確かに、ハウエルと地上へ飛び出して以降、僕も奴の姿を見ていない。一体どこへ消えたのだろうか。

 ――まさか……!?

 あるいは、またぞろ陰に隠れてハヌを人質に取る隙を窺っているのかもしれない――その可能性に思い至り、僕の警戒レベルは一気に急上昇した。

「――? どうした、ラト? 急に顔が険しくなったぞ?」

「え? あ、いや……」

 腕の中にいるハヌに小首を傾げられて、僕は言葉に迷う。

 客観的に考えたら、もはや勝ち目なしとみて逃げ出したか、僕によって強制的に連れ出されたハウエルを追って地上へ移動したか、そのどちらかだとは思う。故に、妙なことを言ってハヌにいらぬ心配をかけるのも心苦しい。

 そう、もう勝負はついたのだ。僕とハウエルの一騎打ちも、この島の『女王』を巡る戦いも。もはや覆すことが出来ないほどに。

「……ううん、何でもないよ。ちょっと気になることがあったんだけど、多分思い過ごしだから」

「……? さようか。じゃが、何かあったらすぐ妾に言うのじゃぞ?」

「うん、大丈夫だよ。今のところ体調に異変はないから」

 心配そうに僕を見つめるハヌに微笑み返してから、とはいえ周囲への警戒は怠らずにいよう、と心に決める。

 と、そうこうしている内に二番氏と三等氏に変化が訪れていた。

「おお? 見よ、あやつらの色が変わっていくぞ、ラト」

 ハヌの言う通りだった。

 青の二番氏、緑の三等氏の〝巨人態〟の色が急速に抜け、灰色へと塗り変わっていく。始点は頭の天辺から。そこから徐々に下半身へと及び、ついには足の爪先にまで至った。

 そして、足の親指あたりに集束した色が、そのままスライムのように柔らかく変形したかと思うと――

「――ふぅ、久しぶりね、この体で外へ出るのも」

「いつぶりだっけー? もー憶えてないけど、十年ぐらい以上前じゃないかなー?」

 青と緑のスライムが急速に人型へと集束し、実際に人間サイズの生き物と化したのである。

 知らなかった。一号氏が僕達と同サイズになった際はハヌの術式によって〝巨人態〟が灰になってしまったからだったけど、そうでない時はこんな風にして本体を排出するとは。

「おっしゃ! じゃあ改めて挨拶と行こうぜ! ほれ、ベオウルフ様と小竜姫様も下へどーぞどーぞ!」

 いつまでも空中にいるのも何だから、みたいな感じで一号氏が己の〝巨人態〟の残骸から飛び降り、地面へと降り立つ。僕も合わせてスカイウォーカーで透明な階段を下り、二番氏と三等氏と合流した一番氏の下へと歩み寄る。

 が、しかし。

「――ぁぁああ!? なんだおめぇら!? だ、誰だ!?」

 一号氏がこれまた訳のわからないことを叫びだした。それも、自らの弟であるはずの二番氏と三等氏を指差して。

「あらやだ、兄さん。もう耄碌(もうろく)しちゃったのかしら? 若返ったのは見た目だけってことかしらぁ? うふっ」

「あはははははははー! 誰だって言われても僕様ちゃんは僕様ちゃんだしー? 何言ってるのかよくわからないんだけどーおばかだねー」

 当然ながらサイズは変わっても、二番氏は二番氏で、三等氏は三等氏だ。相変わらずの言動を繰り返し、クネクネと動いてケラケラと笑う。

 が、しかし。

「――あ、あれ……?」

 僕も一号氏同様、我が目を疑うことになった。

 何故かというと――【女性】、なのである。

 誰が? と思うかもしれないが、それはもちろん――二番氏と三等氏のことである。

「い、いやいやいやいや!? ねぇだろねぇだろそれはねぇだろ!? おいおめぇら!?」

 驚きの光景に、一号氏は目を剥いて首を大きく横に振る。声の震えの大きさが、その動揺の程を表していた。

 彼の困惑は計り知れない。おそらく僕で言えば、ずっと女性だと思っていたフリムが、久しぶりに会ったら男性になっていたのと同じぐらいの衝撃だろう。控えめに言っても、驚天動地の大事件である。

「……ふむ。性別が変わるとは、また面妖な奴らじゃの」

 おそらくはこの場における正解を、ハヌが淡々と口にした。ここで彼女は僕の腕から下り、自分の足で地面に立つ。

 そう、人間サイズの二番氏と三等氏は、肌の色こそあり得ないが、どこからどう見ても普通の女性だったのである。

 二番氏は青い肌を持つ妙齢の美女。服も一号氏の腰巻きと同じ虎柄ではあるが、ナイトドレスにも似たワンピース。〝巨人態〟と同じく角はないが、ウェーブの掛かった黒灰色の長い髪はサラサラで美しい。一号氏と違ってきちんと手入れされている髪質だ。

 三等氏は緑の肌を持つ幼い少女のように見えた。虎柄のビキニタイプの水着を身につけていて、ちょっと露出度が高い。兄弟――いや、〝兄妹〟揃っての黒灰色の髪はどうやら癖っ毛らしく、あちこちがピョンピョン飛び跳ねたショートボブ。全体的にしっとりとした二番氏とは正反対に、三等氏にはひまわりにも似た活発な印象がある。にひ、と歯を見せる笑顔が特徴的だ。

 と、ここまで観察してから、二番氏と三等氏の声音はいつから女性のものになっていたのだろうか、と気付く。少なくとも初対面の段階では、彼らというか彼女らとの通信においては、男性的なテノールあるいはバリトンの響きだったと思うのだけど。いつの間にやら、それはメゾソプラノないしアルトな声音へと変わっていた。

「な、なんでだぁ!? なんでおめぇら女になってんだぁ!? おかしいだろ!? ええ!?」

「やぁねぇ、兄さん。ちょっとは考えてみてよ。ほら、さっき私様(わたくしさま)達、男として【大事なもの】を兄さんに譲っちゃったじゃない?」

 うふん、と妖艶に微笑み、ちょいちょい、と自分の頭を指差す二番氏。そのジェスチャーで『大事なもの』イコール『角』というのがすぐに理解できた。

「お、おう、け、けどよ!? そ、それとこれとがどう関係するってんだ!?」

「だからぁ、ちょっとは考えてみなさいってば。男として大事なものを失う……それってつまり――『オンナになる』ってことだとは思わない?」

「はぁああああああああああああああああッッッ!?」

 二番氏の提示する超理論に、抗議の意を込めた一号氏の絶叫がこだまする。

 声にこそ出さないが、僕もかなり驚いている。

 詳しいことはよくわからないが、聞いた話から察するに、鬼人にとっての角はいわゆる『男性』の象徴でもあるようだ。故に、それを譲渡することは自らの『男性』を引き渡すことに他ならず、よって渡した方は『男性』を失ったからには『女性』になるしかない――と、そういうことなのだろうか?

 いや、単純な足し算引き算としてはなんとなくわかるのだけど、実際問題、そんなことが可能なものなのだろうか? 現実はそんなに単純ではないと思うのだけれど。

「……は……? いや、は……? いやいやおいおい……ちょ、ちょっと待ってくれよ……い、意味がわからねぇ……!?」

 頭を抱えて愕然と固まる一号氏。さっきから開いた口が塞がらないほど、深いショックを受けているようだ。

 さもありなん。僕もハヌやロゼさん、フリムが同じことになったら、これ以上ひどい状態になる自信がある。

 しかし、二番氏と三等氏にとってはその一号氏の反応こそがおもしろいのだろう。クスクス、ニヤニヤしながら長男の慌てふためく様子を見守っている。

「……ま、知らないのは兄さんぐらいだと思うわよぉ? 私様達の一族はね、【こうやって】繁殖しているんですもの。だって私様や兄さん、三等くん……ああ、もう『ちゃん』かしら? 三等ちゃんのお母様達もみーんな【元男】だったのだし。ねぇ?」

「そーそー! みんなそーだって言ってたから、僕様ちゃんもいつかこうなると思ってたしー」

 衝撃的な事実を告げる二番氏に、三等氏が追従する。

 つまりは、そういうことらしい。

 細かいメカニズムは不明だけれど、彼ら彼女らの一族は、生まれた時はみな男で、その内の一部ないし大半が後天的に女性へと変化する。その条件こそが角の譲渡であり、何が理由かはわからないが、一号氏が二人の角を受け取った結果、こうして二番氏と三等氏は女性になってしまった、というわけである。

 どしゃっ、と一号氏が膝から崩れ落ちた。両手をつき、四つん這いになる。

「……マジか……初めて知ったぞ……」

 長年生きてきて、その価値観を根底からひっくり返されたのだ。脱力するのも無理はなかった。

 頭から生やした立派な六本角をうなだらせて落ち込む一号氏に、二番氏と三等氏が歩み寄り、目線を合わせるように屈み込んだ。

「えっとねー、あんちゃん? 驚いているところ悪いんだけどさー? 実は、僕様ちゃんと二番ちゃんは――」

 すっかりあどけない少女と化してしまった三等氏はそこまで言いかけて、ちら、と隣の二番氏に視線を向けた。すると、二番氏はその語を継いで、

「――そう、驚かずに聞いて欲しいのだけど、私様と三等ちゃんはね……」

 そこで言葉を切り、一拍の間を置いて、同時にこう言った。



「「お嫁さんになります」」



「……は?」

 もはや衝撃が走りすぎて何も感じられないのか、実に普通な動きで一号氏が頭を上げた。

 それに対し、二番氏は、うふ、と嬉しそうに笑って、

「だからぁ、私様と三等ちゃんは、兄さんのお嫁さんになるのよぉ?」

 続けて、にひ、と三等氏が楽しそうに笑って、

「そ、あんちゃんと結婚するんだよー! 僕様ちゃん達みんなで結婚して、子供作るんだってさー!」

 いかにも天真爛漫な調子で言い放たれた言葉に、

「……………………は?」

 木のうろを風が通り抜けるような、そんな声が返された。

 あまりと言えばあんまりな話に、僕は思わずハヌと顔を見合わせてしまう。

 次の瞬間、

「な――っんっじゃそりゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?」

 喉を引き裂かんばかりの悲鳴が上がったのだった。



 ■



 結局、詳しい話を聞いていくと『伝統』ということでオチがついた。

 僕が予想したことは大して外れておらず、やはり一号氏の一族――鬼人全てがそうなのかどうかはわからないけれど――は、生まれたときは全員が男で、頭の角を他者に譲るという行為をもって後天的に女性へと変化するのだという。

 また、その際に角を渡した相手こそが生涯の伴侶――つまりは結婚相手ということになり、さらには彼らの一族は一夫多妻制なので、男は手に入れた角と一緒に、お嫁さんまでもらうことが義務づけられているのだとか。

 兄妹でそれはどうなのか、と思わないでもないけれど、二番氏曰く『ま、兄妹といっても腹違いだからね?』と、納得できるようなできないようなコメントで流され、まったく問題にならなかった。

 まぁ、あちらにはあちらの文化、決まり事があるのだろう。外様の僕達が口出しするようなことではないように思われたので、敢えて言及はしなかった。

 ともあれ『知らねぇ……俺様は聞いてねぇ……嘘だろ……』とすっかり話が出来る状態ではなくなってしまった一号氏はいったん脇に置き、優先するべきは僕とハヌの帰還方法である。

 せっかくフロアマスターであるイザナミを倒したというのに、いつまで経っても帰還プロセスが始まろうとしない。以前の仮想空間では、ミドガルズオルムを活動停止(シャットダウン)させた後、間もなく通常空間へ戻ったというのに。

 そのあたりの話を二番氏に振ってみると、

「……もしかして、アレが何か関係しているんじゃないかしら?」

 艶っぽい声で言った二番氏の指が指し示すのは、地下空間の中央。ちょうどイザナミ本体である火柱があった方向である。

 言われて視線を向けてみると、頭上の光球以外に光源のない暗闇の中で、チカチカと瞬く青白い輝きが確かにある。炎が消え、石の塊と化した柱の中央あたりだろうか。心臓が鼓動を打つように、静かに明滅を繰り返している。

 他に手がかりもないので、僕とハヌは地面に蹲っている一号氏と、その頭を撫でている三等氏、同じく背中をさすっている二番氏にいったん別れを告げ、青白く瞬く光へ近付くことにした。

 僕は再びハヌをお姫様だっこして、スカイウォーカーの機能で宙に登る。その最中、

「……のう、ラト。ちと思ったのじゃがな?」

「うん? どうしたの?」

 移動中の無聊を慰めるためか、僕の腕の中にいるハヌが雑談を始めた。

「あの鬼共……いや、〝元〟鬼か。あやつらが言っておったであろう、頭の角をあの鬼猿めに渡して、自身は女になったと」

「うん、びっくりだよね。生物学上そういうことってないわけじゃないけど、よく聞く話でもないから驚いたよ」

「うむ。妾もそうじゃ。しかしな……おかしいとは思わぬか?」

「えっ……? な、何が?」

 急に神妙な声を出すものだから、僕も思わず生唾を嚥下してしまう。

「あやつらの格好が、じゃ。話を聞くに、あの青いのと緑のが女になったのはつい先刻のことであろう? だというのに、何故あやつらは【女物の服】を着ておったのじゃ?」

「あ……」

 愕然として、思わず足を止めてしまう。

 言われてみれば、確かにそうだ。おそらくだけど、二番氏と三等氏が角を譲渡したのは、僕がハウエルを道連れに溶岩の中へ飛び込んでいった後のはず。本当につい先程のことだ。

 なのに、二番氏の本体は女性用のワンピースを着ていたし、三等氏はビキニタイプの水着みたいな格好をしていた。

 おかしい。

 性別が変わる前からあの服装でいたというなら、まるで最初からそうなることがわかっていたかのような用意周到さだ。

 いや、それとも、もしかして――

「――さ、最初から女の人、だった……?」

 それしか考えられない。

 つまり、角を譲渡することで女になる、というのは真っ赤な嘘で。

 本当は最初から二番氏も三等氏も女性だったが、一号氏を騙してからかうために一芝居打ったのだとしたら……

「……うむ。真相はわからぬが、その可能性もあるじゃろうな」

「うわぁ……」

 あまりのことに呻きながらも、僕は歩みを再開する。

 一応、理屈は通るのだ。おそらくだけど、一号氏が二人の弟というか妹さんと別れたのは、幼少のみぎり。小さいときは男と女の肉体の性差なんてほとんどないから、一号氏が二人のことを『弟』だと誤認していた可能性は十分になる。さらに言えば、腹違いの兄妹なので一緒に暮らしていなかったのかもしれない。だとすれば、さらに誤解の可能性は高まる。

 そのことを知ってか知らずか――否、間違いなく知っていた二番氏と三等氏は、敢えて今日まで『弟』のふりをしていた。まぁ二番氏は口調が完全に女性のそれだったし、三等氏は中性的な雰囲気をしていたから、どう考えても騙される一号氏の方がおかしいのだけれど。

「でも、ということは……角を一号さんに渡すのは、最初から決まっていた、ってことなのかな……?」

「であろうな。長男が家督を継ぐというのは、どこの土地でもよくあることじゃ」

 にわかには信じがたい。ドッキリにしては時間が掛かりすぎている上に、手も込みすぎている。まさか、とは思うが、しかし『角を譲渡したら男が女になる』という話よりかは、まだ【ある】と思えるのだから不思議だ。

「まぁ、どちらにせよ妾達には関係のないことじゃ。真相がどうあれ、あの鬼猿めは妹御を嫁にとらねばならぬのじゃろう? 嫌そうにしておったが、あのような高慢ちきにはよい重石じゃ。せいぜい尻に敷かれればよかろう」

「…………」

 むべなるかな。これも一号氏の運命だったのだろう。女性の尻に敷かれる、というあたりは僕も思うところある立場なので同情を禁じ得ない。

 ――強く、生きてくださいね……

 心の中で、地面に蹲っていた一号氏に励ましの声をかける。勿論、何の意味もないのだけど。

 さて、そうこうしている内に青白い光の点滅が近付いてきた。

 この浮遊島における、現時点での最大の敵――イザナミ。その残骸である大樹がごとき石の柱。

 果たして、その中央あたりで明滅を繰り返していたのは、どこかで見たような石の祭壇だった。

「これは……?」

 石柱に穿たれた大きな穴。そこにはめ込まれるように設置された、黒曜石の祭壇。

 既視感に記憶を刺激され、脳裏にその時の光景がフラッシュバックする。

「――あ、あの時の……!」

 そう。フリムやアシュリーさんと一緒に落ちた仮想空間――〝ミドガルド〟で双頭の蛇の像の前にあった祭壇と同じ形をしている。

 ということは、これはおそらくエイジャが用意した、オリエンテーリングで言うところのチェックポイントだ。

「ということは……」

 あの時の祭壇しかり、そして地底に入ってすぐのところで見つけた石碑しかり、僕達が近付くなり触れるなりすれば、きっと何かが起こるはず。

 ――まぁ、きっと碌なことではないんだろうけど……

 嫌な予感はするけれど、しかし何もせず手をこまねいているわけにもいかない。

 僕はハヌと目線を合わせ、アイコンタクト。言葉もなく意思を交わし、互いに頷き合う。

 意を決して、青白い光を明滅させる祭壇に手を伸ばした。

 途端。

 祭壇の放っていた青白い光が一際強くなり、真っ白な閃光が迸った。

「「――ッ!」」

 二人して瞼を綴じ、顔を逸らす。

 が、強い光は一瞬だけのことだった。瞼の裏からでも光が収まったのがわかると、僕は恐る恐る目を開け――

「……は?」

 さっきの一号氏と似たような声を漏らしてしまった。

 僕達の目の前に現れたもの。それは、短いメッセージが並んだARスクリーンだったのである。

「……ふむ? なんと書いてあるのじゃ? ……こ、こんぐ……らつ……?」

 僕と同じく、瞼を開いて宙空に浮かび上がるARスクリーンに目を止めたハヌが、身を乗り出してメッセージの内容を読み取ろうとする。

 一部、ハヌには読めない言語が混じっていたので、僕が代わりに読み上げてあげる。

「……コングラチュレーション。君達は見事、第一の試練を突破した。おめでとう、本当におめでとう……」

 続く言葉を読み上げかけて、僕はいったん絶句する。

 こうして読み上げなければ、もしかしたら消えるんじゃないか、時限性で文章が変化するんじゃないか、という淡い期待をするが、当然そんなことは起こり得ない。

 だから、意を決して続きを読み上げる。

「……さぁ、【ここからが本番だ】。次はもっと楽しいお祭り騒ぎにしよう。どうか存分に暴れ回って欲しい。こちらも盛り上がるよう精一杯頑張るのだから、是非ともご期待いただきたいものだね……」

 それは、絶望的な宣告としか言い様がなかった。

 よりにもよって〝本番〟と来たものだ。それに、〝第一の試練〟とも。

 つまり、これまでの全ては【前座】に過ぎなかったというわけである。

 無論、ハウエルという強敵がいたからこその苦労だったのだけど、それにしたって――と思わざるを得ない。

「……つまり、なんじゃ。【まだ続く】というわけか、この茶番劇は」

 はぁ、と僕にお姫様抱っこされているハヌが呆れた様子で息を吐く。ARスクリーンにじとっとした目線を突き刺し、憤懣やるかたない様子だ。

「……みたいだね……」

 登山中にひどく険しい峰をやっと超えたかと思えば、目の前にさらに峻険な山並みが広がったような気分であった。僕の同意も言葉少なにならざるを得ない。

 その瞬間だった。

 突然、地下空間全体が地鳴りを上げて震え出した。

「――な……!?」

「なにごとじゃ!?」

 僕とハヌは空中に立っているおかげで揺れの影響を受けないが、震動の規模が並ではない。目の前にある黒い祭壇の姿がブレて見えるほどの激しい揺れだ。下手をすると、さっきイザナミと戦っていた時以上の地震かもしれない。

 巨大な瀑布がすぐ近くに現れたかのような轟音が鳴り響き、耳を劈く。

 ――まさか崩壊が止まってなかった……間に合わなかったっていうのか……!?

 最悪の可能性が脳裏を過ぎる。今まではたまさか小康状態が続いていただけで、イザナミはとっくにこの島のエネルギーを吸収しきっていたのか。

 このままでは、島が空中分解して落下するのもそうだが、その前にこの地下空間が崩れて圧死してしまう。

 ――今すぐ一号さん達のところに戻って……いや、駄目だ! 流石に全員は助からない! なら、ハヌだけでも僕が守り抜いて……!

「――ハヌっ、僕にしっかり掴まってて!」

 いざとなれば〈ドリルブレイク〉で地表へ飛び出す覚悟を決めた僕に、

「待てラト! あれを見よ!」

 ハヌの鋭い制止がかかった。

 彼女の短い指が示すのは、この揺れの中でも微動だにしないARスクリーン。

 さっきまでお祝いというか【お呪い】のメッセージを表示をしていたARスクリーンが、いつの間にか、どこか見覚えのある風景を映し出していた。

「これって……島の遠望……?」

 見覚えがあるのも当然だ。ARスクリーンに映っているのは、僕達がいるこの浮遊島だったのだから。ここへ来た時に空へ昇り、高空から見下ろした時の光景とほぼ一致する。

 いかなる手法で撮影しているのか、どうやらリアルタイム映像らしく、激しく揺れ動いている島の様子がスクリーンいっぱいに映っていた。

 が、数秒後にはカメラが上昇を始め、ゆっくりと島から遠ざかっていく。スクリーンの中の浮遊島がどんどん小さくなっていく。

 一体どういうつもりでこんな映像を見せているのかわからないが、しかし僕とハヌはスクリーンに釘付けになってしまう。

 やがてカメラは島から大きく離れ、俯瞰する位置でストップした。スクリーンの九割を蒼穹と白い雲が占め、下の方にポツンと浮遊島が映っている。こうなると島が揺れているかどうかもわからない縮小率だ。

 意味がわからないが、しかし何か意図があるはず――とARスクリーンを見つめていた僕達の前で、とんでもない変化が起こった。

 何もなかったはずの、空の青しかなかったはずの場所に、空間から染み出るように新たな島が出現したのだ。

 それも、一つや二つではない。

 僕達のいる浮遊等の左右に一つずつ。それらの姿がくっきりとすると、さらに左右に一つずつ。まるで数珠のように増えていく。

 ドミノ倒しのように順番に姿を現していく、同サイズの浮遊島。それが連続していくと、やがて大きな円を描く形になった。

 そう、先程ちょうど〝数珠のように〟と例えたが、まさにである。十数個の島があたかもネックレスのごとく、一つの丸を描いて空に配置されているのだ。

 複数の浮遊島による完全な円が形成され、不可思議な群島が出来上がったかと思えば、それだけでは終わらなかった。

 円のど真ん中に、これまでとは比べものにならないほど巨大な島が出現し始めたのである。

 幽霊のごとく忽然と現れ、徐々にその輪郭を確かにしていく大島。僕らのいるこの浮遊島の十倍、いや、それ以上の大きさだ。流石に浮遊都市フロートライズほどはないと思うけれど、それでも半分近くはあるのではなかろうか。

 異世界からこの世界へ転移してきたかのように、何もない空間から忽然と現れた大島は、その外縁を多くの小島に囲まれ、まるで王様のように君臨する。

 例えるなら、大島が一つの惑星だとすれば、僕らのいる小さな浮遊島はさしずめ衛星だ。

「そんな……何もない空間から、こんなに大きなものが……? いや、違う……まさか、最初から位相差空間にあった……?」

 真っ先に思い浮かんだのは、僕達をここへ送った張本人――エイジャの顔と声だった。

 彼は特別セキュリティルームへと侵入した僕らとヴィリーさん達『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』と、そしてハウエル達の一味とを、それぞれ違う位相の次元へと案内し、まったく同じ空間にいるというのに顔も合わせられず、声も聞こえないという状況を作り出していた。

 おそらく、この島々もそうだったのだ。多分、全ての島は最初からそこにあった。ただ、見えなかっただけで。次元の位相をずらし、互いに認識できないようにされていたのだ。

 それが今、解除された。だからこうして目に見えるようになったのだ。

「……ふむ。茶番にしては随分と大がかりじゃのぅ……」

 エイジャの意図が透けて見えた途端、ハヌの声から力が抜けた。呆れるのを通り越して、もはや感心すらしているらしい。

 僕達が感想を述べる間にも映像は進み、やがて各島を繋ぐ〝架け橋〟すら現れた。

 隣の島へ行く橋はもちろんのこと、中央の『本島』へ渡るためのものまである。

 ここまで来れば、この映像を見せた魂胆など聞かずともわかった。

 来い、と言っているのだ。

 橋はそこにある。渡って来い――と。

 渡った先――すなわち中央の本島において、先程のメッセージにあった【本番】が待っている、と。

「……行くしかないようじゃな、これは」

「うん……あんまり乗り気はしないけど……」

 溜息交じりに言ったハヌに、僕が消沈しながら頷くと、周囲を轟かせていた地震が緩やかに収まった。全ての島を位相差空間から現出させ、もう用事は済んだとばかりに。

 次いで、巨大な浮遊島と、その周りを囲む小島の群れを映し出していたARスクリーンに新たな変化が生じる。

 それだけ見れば幻想的な光景を壁紙として、追加のメッセージが浮かび上がったのだ。

 柔らかい印象のあるフォントで描かれた文字列を、ハヌが声に出して読み上げる。

「わくわくどきどきの本番は、真ん中の本島にて開催予定さ。予選を通過した人はいつでも好きな時にこちらへおいで。首を長くして待っているよ。さぁ、【ゲーム】を楽しもう……か。呆れたものじゃな。これだけのことをしでかしておいて、そのくせ何がしたいのか全くわからぬ。一体何なのじゃ、このエイジャという輩は」

「うーん……」

 それは僕も知りたい。

 元はと言えば、エイジャが僕と〝契約〟を結びたい、というところから始まったはずだ。彼の言葉を信じるのならば、ここまでの全ては〝契約〟のための〝手続き〟だという。けれど、僕以外のみんなを巻き込んでまでする〝手続き〟に、一体何の意味があるのだろうか?

「まぁよい。いずれ最後には相まみえることになるであろう。その時にでも締め上げて、魂胆を吐かせるまでじゃ」

 いま考えても仕方がないと悟ったのか、豪胆なハヌは物騒なことを嘯いて話を切り上げる。

 とにもかくにも、これで次の行き先は決まった。

 目指すは、浮遊群島の中央大島。

 そこでこの謎の空間における【本番】が、僕達を待っている。

 もしかしたら、そこでロゼさんやフリム、ヴィリーさん達と合流できるかもしれない。

「じゃあ、早速向かおうか、ハヌ。あ、でもその前に一号さんたちに挨拶をして――」

 いこうね、と言いかけた僕の耳に、ピコン、という軽くて高い音が響いた。

「――? 何じゃ、今の音は?」

 ハヌにも聞こえたらしい。彼女は音の発生源を探るように、辺りを見回す。

 すると、視界の右上あたりに妙な光が見えた。

 チカチカと点滅する、蛍光イエローの煌めき。

 何かと思って顔を向けると、しかし小さな光は視界の右上に固定されたまま、僕の動きに合わせて一緒に移動した。

「……あれ?」

 首を傾げてから、すぐに気付く。

 これはAR表示だ。それも視界内固定型の。

 何かと思ってよく見てみると、それは何らかのステイタスの表示のようだった。



 HP:■■■■■■■■■■

 MP:■■■■■■■■■■



「…………」

「ほ? 何じゃこれは?」

 どうやらハヌの目にも見えているらしい。彼女は手を伸ばし、掴めるはずもないAR表示を掴もうとする。もちろん、小さな手は虚空を掻くだけで何も捕まえられない。

 しかし、これは――僕の認識が間違っていなければ、このステイタス表示には、ものすごく見覚えがある。

 最近はあまりやっていないけれど、子供の頃は〝SEAL〟にインストールして、よく遊んだものだ。

 でも、何故【それ】のような表示が、今、ここで出てくるのか。

 嫌な予感が背筋を上がったり下がったりして、何往復もする。

 だけど、他に考えられる可能性などほとんどない。

 だから、僕は思わずその名を口にしてしまう。



「……【ゲーム】を楽しもう、って……もしかして、本当に【RPGゲーム】が始まるってこと……?」




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コメント

  • ノベルバユーザー74205

    最初の数話で用語が多過ぎて萎える
    コメントで用語の解説なりすれば良いのに

    0
  • 蒼羽 彼方

    ここにきてまさかのRPGは予想外ww
    よくこんなの思い付きますね?

    8
  • ノベルバユーザー185904

    最高です、次の更新期待してます!

    6
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