リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●19-1 伝説の勇者の戦い 前編








 打ちひしがれていた心に、その言葉は決して浅くない傷を刻みつけていった。

「目の前に立ち塞がるのなら――僕は神様にだって楯突いてやるッ!」

 そう豪語した〝神使〟の少年は、別の〝神使〟の大男――二番に遣わされた奴――を連れて、なんと女王の玉座へと飛び込んで行ったではないか。

 止める暇どころか、声をかける間すらなかった。

 あれは便宜上〝玉座〟などと呼ばれているが、実際にはこの浮遊島の〝核〟であり、つまり従来のマグマなどとは比べものにならないほどのエネルギーが凝縮されている。

 どうやら〝神使〟の少年ことベオウルフと、二番の〝神使〟の大男は、それぞれ自慢の鎧に身を包んでいたようだが、それでも自殺行為以外の何物でもなかった。

 いくら赤髪の神が地上に遣わした〝神使〟であろうと、あれは流石に死んだかもしれない。

 ――止めるべき、だったよなぁ……

 ベオウルフと大男が姿を消した、真紅に燃え上がる火柱を見上げて、一号は今更のように考える。

 だが同時に、自分には止められなかっただろう、とも思う。

 特に今のように、女王の新たな力を前に膝を屈するという、情けない姿を晒している自分には。

 ――だってよ、しかたねぇじゃねぇか……

 誰に向けてのものかわからない、言い訳じみた思考が泡のように心の水底から浮き上がってくる。

 そうだ、勝てるわけがない。

 何故ならあれは、あそこにいるのは――神なのだ。

 この世界を創造し、全ての命を育んだ、紛れもない『赤き髪を持つ神』なのだ。

 創造主に対して、創造された側の存在がどうして逆らえよう。下等な生物が、より上位の存在にどうして打ち勝つことができよう。

 思い返してみれば、これまでの自分は、相当に滑稽だったのではないか。

 敵(あいて)も知らなければ、自分(おのれ)も知らない、まさしく井の中の蛙だったのではないか。

 そう、さっきまでの自分は、倒すべき相手が創造神とも知らず、『女王を倒して〝王〟になるのは俺様だ』と愚かにも息巻いていた。

 それだけ己の腕に自信があった。二番や三等といった兄弟など比較にならない、選ばれし者としての天命が自分には与えられていると信じていた。

 だが、実態はどうだ。

 これまでずっと倒すべき障害だと思い込んでいた怪物は、実は言い伝えに聞く神そのものだった――そう判明しただけで、何もかもが崩れ去ってしまったではないか。

 自分なら戦えると、乗り越えられると、そう疑いもなく信じてこれたのは、あの女王が『試練の怪物』だと思い込んでいたからだ。

 もう顔も思い出せない父親が、二番や三等ではなく、自分をこそ島の所有者に任ずるために用意した『試練』なのだと――そう信じていたからだ。

 だが違った。

 そうではなかった。

 本当の姿を現した『女王』の力は、想像以上のものだった。

 なにせ、父親から直接譲り受けた自慢の剣ですら、飴のように溶かされてしまったのだから。

 一号は思う。

 いま、この身が無事であるのは『火除けの加護』の施された防具を身に纏っていたからに過ぎない。そうでもなければ、この巨人の肉体だけではなく〝核〟である御霊(みたま)ですらも消失していたであろう。

 父がくれた剣が創造主の炎に負けたということは、つまり、己が勝てないことは最初から決まっていた――ということでもある。

 規定事項だったのだ、これは。

 己が試練に打ち勝ち、王となる運命にあるのであれば、父が与えてくれた剣は、決して神の炎などに負けはしなかっただろう。

 そう、あの瞬間――剣と同時に、一号の心も折れてしまったのだ。

 ――あそこにいるのは神様だ。その神様に負けることが決まっていた俺様は、いや俺様達は……

 供物だったのだ。

 赤髪の神に捧げられる、生贄だったのだ。

 故に、これまで弟達と相争ってきた理由もよくわかってしまった。

 なるほど、納得である。

 生贄など、活きが良ければ良いほどいいに決まっているのだから。

 父はとうの昔に決めていたのだ。見限っていたのだ。自分達兄弟を。

 三人の内の一人に島の所有権を譲るなんてのは真っ赤な嘘だった。そんなつもりなど微塵もありはしなかった。ただの餌だったのだ。一号、二番、三等といった哀れな息子達をその気にさせるための。

 まさか生贄にされるとは露知らず、愚かな自分達はこぞってその餌へと手を伸ばした。

 そして、今日まで走り続けてきたのだ。目の前にニンジンをぶら下げられた馬のごとく。

 結果、とうとう生贄に足るだけの条件が揃ってしまった。三人の息子はどいつもこいつも己の〝異能〟を磨き、神に喰われる資格を得た。

 だから、〝神使〟が下界へと降りてきたのだ。

 一号達三人を、神の祭壇へ捧げるために。

 今日のこれは、そのための儀式だったのだ。

 だから、仕方がない。

 ここでこうして、膝をついているのは仕方がないことなのだ――



 本当にそうか?



「――!」

 不意に頭の片隅で囁かれた【自分の声】に、心臓が跳ねるほど驚愕した。

 錯覚なのはわかっている。だが、確かに聞こえたのだ。自分の声が、自分の聴覚に。

 本当にそうか、と。

 本当にそれでいいのか――と。

「…………」

 視線の先には、炎の髪を揺らす黒毛の獣神。『女王』だった時と比べて、フォルムが激変している。筋骨隆々とした肉体はもはや、『女王』よりは『皇帝』と呼ぶ方が相応しく思える。

 その皇帝は何故か〝玉座〟の近くから全く動かず、棒立ちになっていた。最後に動いたのは、〝神使〟ベオウルフが大男を引き連れて〝玉座〟へ飛び込んでいった時だっただろうか。

 まるで〝玉座〟に近寄るのを防ぐようにベオウルフに攻撃を加えてもいたのだが、それも軽く躱され、彼らが真紅に輝く火柱の中に姿を消すと、途端に大人しくなってしまった。

 そういえば、まだ『女王』だった頃もそうだったな――と一号は思い出す。

 自分や二番、三等の誰か一人でも〝玉座〟へ近付くと、あれは火柱の中から現れ、戦闘態勢に入っていた。そして、兄弟三つ巴+『女王』の戦いが膠着状態に陥ると、誰からともなく〝玉座〟から離れるのだが、そうするとあれは遊ぶのに飽きた猫のごとく火柱の中へと戻っていくのだ。

 今回も同じだ。

 まだ〝玉座〟の内部へ戻ってこそいないが、こちらはもちろんのこと、自分と同じように少し離れた場所で座り込んでいる二番や三等にも、赤髪の神は手を出そうとしてこない。

 まるで自分達の存在など、視界に入っていないかのごとく。

 ――あれは、一体何なんだ……?

 今更のように、そんな疑問が脳裏をよぎった。

 見た目は、言い伝えに聞く創造主〝赤髪の神〟そのものだ。まさか〝赤い髪〟というのが紅蓮の炎を指すものだとは思わなかったが、それだけに己の想像を超える存在として、その姿は胸に刻まれてしまった。

 神々しい姿に、圧倒的な力。

 神話の中から現れた、宇宙を統べる最高神。



 本当にそうか?



「――!?」

 再び脳内に響いた【己の声】に、一号は体を大きく震わせる。

 心なしか、今の疑念は最初のそれよりも大きく聞こえたように思えた。

 本当にそうか、と。

 お前は本当にそう思っているのか――と。

 そう自認した途端、またしても頭の中に響く声がある。

 今度は一号自身のものではなく、とある少年の声だった。



『見てください、一号さん! やっぱりこいつは神様なんかじゃありません! ほらっ!』



 そうだ。

 確かにあの少年は、ベオウルフはそう言っていた。必死に訴えていた。

 最初に彼の言葉を聞いたときは『何を言っているのか』と思った。馬鹿を言うな、〝神使〟であるお前が一番よく知っているはずだろう、あれはどう見ても赤髪の神様だ、見た目だけではなく、それだけの力を持っているのだ――と。

 だが、こうして冷静に考えてみれば、あの言葉はおかしい。

 あの少年は〝神使〟だ。神の使いだ。つまり、赤き髪持つの神の、直属の配下なのだ。

 そのベオウルフが、『あれ』は神様でないと、そう言い切ったのである。

「…………」

 大いなる矛盾だ。神の使いが、神を否定するなど。

 だが、待て。

 彼が〝神使〟であるなら、神の本当の姿を見たことがあるはずだ。言い伝えでしか神の御姿を知らない自分と違って、その目で直に創造主を見たことがあるはずだ。

 その彼が、あそこにいる存在を『神ではない』と言い切ったということは、つまり――

 ――違う、のか……?

 ゆっくりと、石臼が回るがごとく、停止していた一号の思考回路が動き始める。

 ――〝やっぱりこいつは神様なんかじゃありません〟……そう言っていたな。〝やっぱり〟ってことは……つまり、初見じゃあ確信を持てねぇから、何かしらの確認をとった、ってことか……?

 一号はベオウルフの行動を思い出す。あの台詞を吐く前、彼は何をしていたのか。

 ――赤髪の神様と戦って、あの巨体に傷を刻み込んでいた……?

 そう、傷付いていた。全知全能であるはずの神が、下僕であるはずの〝神使〟に傷付けられ、血を流していた。

「……!」

 あり得ない。そんなことは、あり得てはいけない。

 赤髪の神は〝絶対〟なのだ。

 神とは〝無敵〟の存在であるはずなのだ。

 決して傷付くはずがない。

 ――ってこたぁ、つまり……!?

 ベオウルフの言う通りだ。

 あそこにいる怪物は、神などではない。

 赤髪の神を彷彿とさせる、しかし【別の何か】だ。

「……!!」

 だからか。

 だから、ベオウルフはこうも叫んでいたのか。

『今です、一号さん! 奴は弱ってます! 攻撃を畳み掛ければ絶対に倒せます! だから――』

 あれは倒せる相手だ、と。

 決して〝絶対〟でも〝無敵〟でもないのだ、と。

 この手で倒せる相手なのだ、と――

 あまりにも今更すぎることだが、一号はようやく理解した。

 それ故、彼は求めていたのか、と。

『立ってください、一号さん! 僕一人だけじゃ奴を倒しきれません! あなたの力が必要です!』

 こんな自分の力を。

 情けなくも怖気づき、膝を屈した自分の力なんかを。

 だというのに、自分は愚かにも、彼にこう言い返してしまった。

『ひ、必要って言われてもよ……』

 そんなの無理だ、できっこない――そういう気持ちからこぼれた言葉だった。自信の源であったはずの愛剣は見る影もなく、もはや己に残っているのは『月夜見』――たかだか、〝よく見えるだけの目〟のみ。何が出来るはずもなく、何も出来る気がしなかった。

 そんな一号に、それでもベオウルフは訴えを重ねてきた。

『武器なんてなくても戦えます! 心が、戦う意思があれば、武器なんてどうにだってなります!』

 まるでこちらの心を見透かしたように、少年はそう言ったのだ。

 臆するなと。

 戦いに必要なのは武器ではなく、なにより〝意思〟なのだと。

 己の心が、戦う意思こそが、最大の武器なのだと。

 だが、そんなものは戯言だ――とその時の一号は思った。

 綺麗事は耳障りがいいものだ。それに、物質的なものではなく精神的なものを重視するのは美しいことだと、一号とて知っている。

 だが見ろ、あの怪物を。

 あれが例え神でなかろうとも、創造主でなかろうとも、絶大な力を持っていることに変わりはない。

 あんなもへ真っ向から立ち向かえば、自分は死ぬ。死ぬに決まっている。

 あんなものに戦いを挑むなど、生身で断崖絶壁から飛び降りるようなものだ。慈悲も容赦もない。ただありのまま、自分は死ぬ。一切の呵責なく、無情に殺される――

 そんな風に怯える自分を、しかしベオウルフは声を荒げて煽り立てた。

『次の王様になるのは俺様だって、そう言っていたじゃないですか! 諦めるんですか!? この島が爆発する時に一緒に死ぬっていうんですか!?』

 その挑発は、下手な激励よりも一号の心に響いた。

 情けないとは思わないのかと。

 大言壮語を吐いておきながら、お前の覚悟とはその程度のものだったのかと。

 そんな小さなプライドしか持っていないなら、いっそそのまま朽ちてしまえと。

 そう言われている気さえした。

 だがそれでも、一号の闘志に火は点かなかった。

 それほど炎髪の巨獣の力は圧倒的に思えたのだ。

 するとベオウルフは、こちらが夢にも思わなかったことを言い出した。

『――一人で戦うのが無理なら、みんなで戦いましょう! 武器がなくても、この場にいる全員が力を合わせたらきっと勝てるはずです!』

 それはあまりにも突拍子がなく、あまりにも荒唐無稽なことのように思えた。

 みんなで戦う。誰かと力を合わせる――そんな発想など、生まれてこの方持ったことさえなかった。

 それだけに、まるで理解できなかった。

 その考えが、というより、そんな考えを持つに至った思考回路そのものが。

 何故そんなことが思い付けたのか。何故そんなことを口に出せたのか。

 一号にとっては手がかりがなさ過ぎて、それは未知の生物の鳴き声にも等しい提案だったのだ。

 だというのに。

『――そうです、力を合わせるんです! 兄弟の皆さんで! 手と手を取り合って! 一緒に強敵に打ち勝つんです!』

 自信満々に、少年は力強く拳を握ってすらみせた。

 自分自身の提言こそ上策、とでも言うかのごとく。

 そして自らの台詞に会心の手応えを得たのか、ベオウルフはさらに調子づいた。

『皆さん三人が力を合わせればきっと勝てます! だから――』

 残念と言うべきか、なんと言うべきか。少年の口上はそこで途切れた。二番の下へやってきた〝神使〟の大男がベオウルフに襲いかかったからである。

 それ以降、戦闘に集中するベオウルフがこちらへ呼び掛けたり、煽動してくるようなことはなかった。

 だが、この場にいる唯一、一号だけが、少年の言葉を一言一句余さず耳にしていた。

 二番や三等には聞こえなかっただろう。何故ならベオウルフの声は、彼と一号との間に設けた専用線(ホットライン)を介してこちらへ伝わっていたのだから。

 そして。

 とうとう、【あの台詞】が耳に飛び込んできた。



「目の前に立ち塞がるのなら――僕は神様にだって楯突いてやるッ!」



 自分でも驚くほど、その少年の言葉は、一号の胸を強く打った。

 否、打ったどころではない。さらには爪を立て、引っ掻いていったと言っても過言ではない。

 雄々しく断言された宣言を最後に、少年は大男を伴って〝玉座〟の中へと姿を消した。

 決死の突入だった。

 おそらく、生きては戻るまい。

 だが、彼の姿が見えなくなっても、胸に残された傷跡は疼いたまま、一向に収まらなかった。

 少年が刻んでいった、決して浅くはない傷の疼きは、やがて鮮烈な痛みとなる。

 次いで、痛みは熱となり。

 いつしか、熱は炎となった。

「――……!」

 気付けば、一号の胸に強い火が灯っていた。

 もはや、本当にそれでいいのか、と問いかけてくる己の声は聞こえてこない。

 聞くまでもないのだ。

 何故なら、答えはとうに出ているのだから。

 ――いいわけ、あるかよ……

 心が震える。

 魂が熱を持つ。

 ――いいわけなんて、あるものかよ……!

 冷えた体に熱い血が流れる。循環する。血潮の熱量は瞬く間に上昇し、沸騰を始めた。

 一号の朱色の皮膚に黄緑の光線が浮かび上がり、幾何学模様を描く。手足に力が戻ってきた。両手を握り、腰に力を入れる。

 両目に青白い炎が灯り、一号の戦意を示すかのごとく火勢を増す。

 右足を立て、独り言ちるように己を鼓舞しながら、下半身に気合いを籠める。

「――やって、やろうじゃねぇか……!」

 立ち上がった。

 武器もなく、力も術もない。

 だが、一号は立ち上がった。

 燃え上がる魂の熱に、衝き動かされるように。

『に、兄さん……?』

『あんちゃん……』

 ただ生贄として破滅を待つだけの時間――暗黙の了解として共有されていた空白。そこで立ち上がった一号に、二番と三等の軽い驚きの念が送られる。

 二人の念に熱はない。当然だ。一号のようにベオウルフから煽られたわけでもなければ、元来覇気を多量に有する性格でもない。

 故に、彼らを立ち上がらせるのは、兄である一号の領分であろう。

『――よう、二番、三等。おめぇらは……本当にこれでいいのかよ?』

『『……?』』

 唐突な、しかも抽象的な問い掛けに対し、地面に膝どころか腰を下ろしていた二番と三等の二人は、怪訝そうに首を傾げた。

 一号は弟達には目もくれず、今も〝玉座〟の側で仁王立ちしている女王――否、もはや雌(めす)には見えず、神でもないなら、あれは王と、冥王とでも呼ぶべきか――をまっすぐに見据えている。

 一度覚悟が決まってしまうと不思議なもので、さっきまでの悲愴な気分はどこへやら、いっそ笑みすら込み上げてきた。一号は、へっ、と人間と比べて巨大な口元を歪め、

『どうやら俺様達は、あの化け物には勝てねぇらしい。あのクソ親父が仕組みやがったんだろうよ。まぁ、数え切れねぇほどの妾(めかけ)を囲ってやがんだ。俺様も、お前らも、お誂(あつら)え向きの生け贄だったってわけだ。息子を息子とも思わねぇ、実にクソッタレ親父のやりそうなことじゃねぇか、ええ?』

 自身をも含めた痛烈な皮肉に、我知らず頬の肉がひくついた。強がって軽口を叩く振りこそしているが、精神的な負傷は誤魔化しようもない。言葉を紡ぐ念も、底の部分では震えるのを止められなかった。

『……お父様……!』

『……とう、ちゃん……』

 一号の話から父親のことを想起したのか、二番と三等がそれぞれに表情を曇らせる。

 そんな弟達へ、今の自分の気分を伝染させるつもりで一号は舌を動かした。

『……だがよ、だからってあのクソ親父の思い通りになってやる義理もねぇとは思わねぇか? ああ、そうだぜ。気に喰わねぇよな。どう考えても気に食わねぇ。気に喰わねぇ、気に喰わねぇ気に喰わねぇ気に喰わねぇ……っ!』

 口にすればするほど、胸に灯った炎が熱く、そして大きく燃え上がっていく。まるで燃料を注がれているかのごとく。

 ――ああ、全くその通りだぜ、ベオウルフ様よ……! 気に喰わねぇことは、どうしたって気に喰わねぇよな!

 もうここにはいない〝神使〟の少年に向けて、一号は内心で呼び掛ける。

 どれだけ追い詰められようが、どれだけ実力差を目の当たりにしようが、あの少年は決して諦めなかった。戦うことをやめはしなかった。

 今ならわかる。彼の中にもきっと、【こんな炎】がどうしようもなく燃え上がっていたのだろう。故に、彼は止まらなかった。膝をつかなかった。

『――二番、三等。俺様はやるぜ。あの化物は赤髪の神様なんかじゃねぇ。それっぽい見た目こそしてやがるが、別に何かだ。さっきベオウルフ様が証明していただろ。あの野郎は倒せねぇ相手じゃねぇ。殴れば吹っ飛ぶ、斬れば血が出る。あれが神様だってんなら、ンなことにはならねぇだろうが。あれはニセモンだ。神様じゃねぇなら……【殺せる】。そうだろうが』

 ギチギチと音が立つほど両の拳を握り締め、一号は宣言する。その戦意を示すように、両目の『月夜見』が激しく燃え盛り、角のような火柱を立てた。

『…………』

 二番と三等からの返答はない。呆然と、あるいは呆れたように、一号の様子を窺っている。兄の正気を疑っているのかもしれない。ここにきて、とうとう本格的に頭がおかしくなったか――と。

 だが、知ったことか、と一号は吐き捨てる。

 そんなものは今更だ。三人兄弟の中で、自分一人だけがいつも除け者だったのだ。ここまで来て奴らの目など気にしていられるものか。

『おら、おめぇらも立てよ。立って戦うんだよ。なにボサッとしてやがんだコラ』

 二番と三等に一瞥ずつくれながら、一号は顎をしゃくって要求する。

『このままあのクソ親父の目論見通り、大人しく生け贄になってやるってか? あの化け物に勝てねぇなら抵抗するだけ無駄ってか? ふざけるんじゃねぇ』

 燃える瞳を真っ直ぐ冥王へ向け、一号は一気に感情を爆発させる。

『生温いこと言ってんじゃねぇぞ! 戦うんだよ、最後まで! ああそうだ、最後の最期まで戦うんだ! 立てよ二番、三等! おめぇらこんなとこで大人しく死んじまってもいいってのか!? 何もしねぇまま無様に喰われちまっていいってのか!? いいわけねぇだろうが!!』

 我知らず、握りしめた拳をそのままに両腕が動いていた。口を開き、喉をそらして、一号は咆哮を上げる。

「■■■■■■■■■■■■■――!!」

 鬼の口から迸るのは、戦意の雄叫びウォークライ

『俺様達は生け贄になるために生まれてきたんじゃねぇ! あんな奴に喰われるためだけに生きてきたんじゃねぇ! そうだろうが! ええおい!』

 脳裏に蘇るのは今日までの日々。毎日のように戦い、競い合ってきた。思い返せば、弟達の存在が、この狭い島での生活に張りを与えてくれていたようにも思う。そう、結果論でしかない上に逆説的だが、自分達兄弟は三人で支え合って生きてきたのだ。互いの存在があったこそ、成長し続けることが出来てきたのだ。

 それが、こんな怪物の生贄になるための準備だったと、全てが無意味な幻だったと、どうして言えよう。

 認められない。

 認められるわけがない。

 胸骨の内側で燃え滾る思いが、熱い言葉となって迸る。

『悔しくねぇのかテメェらは! どいつもこいつも俺様達を舐め腐ってやがんだぞ! 立てよ! 男だろうが! じっと頭を抱えて蹲(うずくま)っていても何も解決しねぇんだ! 立って戦うしかねぇんだよ! 俺様も、お前達もよぉ!』

 激情が昂ぶるままに吼え切ると、途端に頭の芯が、すぅっ、と冷えた。どうやら言いたいことを全て吐き出してしまったらしい。

 ふぅ、と息を吐き、一号は一転してトーンの落ちた念を放つ。

『……だがまぁ、どうしてもってんなら、おめぇら二人は逃げていいぜ。俺様がここで、あの化物を食い止めといてやる。その間におめぇらは地上に逃げちまえ。結果は変わらねぇかもしれねぇが、あんな化物にみすみす喰われちまうよかちっとはマシな最期が迎えられんだろ』

 一号にもわかっているぐらいだ、二番と三等もとっくに気付いているだろう。たとえこの地下空間から逃げおおせたとしても、ここは空に孤独に浮かぶ小さな島。本当の意味での逃げ場などありはしない。

 あの冥王が島の命脈を全て吸い尽くせば、やがてこの大地は崩壊し、空中分解する。その時は、自分達どころか森や川、海に生きるすべての生命が死滅するだろう。

『……そんな……それなら、兄さんだって……』

 ようやく口を開いた二番の念は、この期に及んでもなお消極的なものだった。致し方あるまい。二番は三等と違い、元々好戦的とは言えない性格だ。それは言葉遣いにだって現れている。

 一号は静かに首を横に振り、二番の提案を拒絶した。

『言っただろうが。俺様はここで戦う。戦って死ぬ。最後まで戦い抜いて、その上で死んでやるんだ。勘違いすんじゃねぇぞ、別におめぇらのためなんかじゃねぇ。どうせ戦うなら、ついでに逃げる時間を稼いでやるっつってるだけだ。戦いたくもねぇが逃げたくもねぇっつうんなら、そこに座ったまま俺様の戦いを見てろ。何にせよ、どこでどう死ぬかは自分で決めやがれ。俺様の知ったこっちゃねぇからな』

 けっ、と吐き捨て、一号は足を一歩前へ進ませる。

 ただの一歩。だが、覚悟がなければ踏み出せない、大きな一歩を。

『俺様はここで死ぬ。最後まで抗(あらが)って、抗って抗って、抗い抜いて死ぬ。それが俺様の生き様だ。俺様はそう決めたんだ。逃げねぇならよく見ておけ。一つ派手に、命の徒花ってやつを咲かせてやろうじゃねぇか』

 胸を張って不敵な笑みとともにそう宣言すると、一号は威風堂々と歩き出した。死ぬ覚悟さえ決まれば、もはや恐れるものなど何もない。無手のまま、傲然と胸を反らしてまっすぐ冥王に向かって歩みを進めていく。

『――ま、待って兄さん!』

『うるせぇ止めるんじゃねぇ! いまが俺様の一世一代の晴れ舞台なんだ! つまらねぇ横槍を入れるんじゃねぇ!』

 決意も高らかに宣言したせいかテンションが異様に上がり、一号はかっこつけて大袈裟に二番の制止の声を振り払った。頭の片隅で、二番が槍を得物としているだけに『横槍を入れるな』とは我ながら上手く言ったものだ、とほくそ笑む。

 が、しかし。

『違うわよおバカさん! 止めるんじゃなくてその逆よ! いいから待ちなさいってば、このバカ兄貴!』

『……は?』

 さっきまでの弱弱しい声はどこへやら、突然怒り出した二番の剣幕に、驚いたというよりは違和感を覚えて立ち止まった。

 この際、冥王がこちらから近付かない限り動かないのは幸いだったが、せっかくの気分に水を差された一号は、うんざりとしながら振り返る。

『……おい、逆たぁどういう意味だ、クソカマ野郎。――つかさっきバカって二回も言いやがったかテメェ!?』

『ンもうっ! せっかく見直しつつあるんだから、そのひどい侮辱はやめてくれないかしら! プンプン!』

『……俺様も大概だがよ、おめぇもおめぇだなオイ……』

 すっかりいつもの調子に戻った二番に呆れてしまうが、元気が出たのはよいことだと思うことにする。少なくとも、さっきまでの自分のように心が折れて意気消沈しているよりは、マシな気持ちで死ねるだろう。

『で、なんか用か。言ってんだろ、俺様はこれから最後の花道を飾ろうと――』

『だから待ちなさいって言っているのよ、最後なんだから可愛い弟の話ぐらい聞いていきなさいな。ねぇ、三等君もそう思うでしょ?』

『……うん。僕様ちゃんも同感だよ。二番ちゃん、こんな時だからこそ、あの【大事な話】……しておくべきだと思う』

 二番が話を振ると、やけに神妙な調子で三等が同調した。三男の常にない様子に面食らいつつも、一号は気になった言葉をオウム返しにする。

『……大事な話、だぁ?』

 冥王に喰われるか、島が崩壊するか、どちらにせよ全滅必至なこの状況で、一体全体どんな話をしようというのか。

 話を聞く体勢に入った一号に、二番は、うん、と頷きを一つ。

『……兄さんの覚悟、よくわかったわ。正直、私様(わたくしさま)はすごく驚いているの。まさか兄さんがここまで立派に成長していただなんて、露にも思わなかったのだもの』

『あ、そこも同感ー! 僕様ちゃんもあんちゃんが真っ先に立ち上がるなんて思わなかったしー! アッハハハハハッ! 珍し過ぎてちょっと気持ち悪いなぁー!』

 万感を籠めて言葉を紡ぐ二番とは正反対に、いつもの調子に戻った三等はケラケラと笑って一番を指差す。

『おいコラ……!』

 明らかに馬鹿にされている気がしたので怒鳴り散らしてやろうかと身構えた時だった。

『――だから【本当のこと】を話すわね、兄さん。私様と三等君は、実は……この島の所有権なんて狙ってなかったのよ』

『……は?』

 予想外過ぎる告白に、多少の苛立ちなどあっさり吹き飛んでしまった。

『ほら、お父様が決めたルールがあったでしょう? 〝一番最初に『女王』を倒した者が島の所有権をゲットできる〟っていうアレ。アレ、実は嘘なのよ』

 それはそうだろう、と真っ先に思った。何故なら、自分も弟達も生け贄に過ぎなかったのだから。島の所有権云々なんて話はとっくに嘘だと気付いているし、一号としてはその話をしたつもりでいたのだが。

『……いや、それはもうわかって――』

『いいえ違うわよ、兄さん。勘違いしているわ。私様が言いたいのは【そこ】じゃないの』

『ぁあ?』

 【そこ】でなければ【どこ】だというのだ、と顔をしかめる一号に、二番は順を追って説明を始める。

『兄さんと私様達とで、認識の違いがあるの。もう一度繰り返すけど、よく聞いてちょうだい。私様と三等君は、〝島の所有権に関する話〟が嘘だと【最初から知っていた】のよ。わかる? 兄さんと私様達との違いが』

『……は? え、いや、おい、だって、おめぇら……ぁあ? それじゃ、おい……んん?』

 明確な【ズレ】が提示されたことはわかったが、頭の中で上手く咀嚼できず、一号は混乱する。

 頭を捻って、単純に要約する。

 一号は、島の所有権に関する話が嘘だと、ついさっき気付いた。

 だが、二番と三等は最初から気付いていたどころか、【知っていた】という。つまり、確信を持って島の所有権云々がデマだとわかっていた、ということだ。

『――おい待て、それじゃつまり……あ? つまりなんだ……まさか……』

 緊迫した念を漏らす一号に、二番は、そうよ、と頷く。

『全部お父様から聞いていたのよ。だから、〝一番最初に『女王』を倒した者が島の所有権をゲットできる〟って話を本気で信じていたのは、一号兄さん……あなた一人だった、というわけなのよね。――うふっ♪』

 してやったり、とばかりに二番は肩をすくめ、茶目っ気たっぷりに微笑む。ほぼ同じタイミングで三等も『ニャハハ!』と悪戯好きの猫のように笑い声を上げた。

 空に浮かぶ太陽が実は巨大な電球だった、とでもいうかのような大前提の崩壊に、一号は目を剥いて驚愕する。

『――はぁああああああああああああ!? なんじゃそりゃあああああああああああ!?』

「■■■■■■■■■■■■■――!!」

 先程の戦声(ウォークライ)とはまったく種別の違う叫びが、赤き鬼の口から迸った。むしろ先の倍近いの音量だったせいか、〝玉座〟の側で棒立ちになっていた冥王が反応し、純白の双眸を一号に向けたほどである。幸い、振り向いただけでそれ以上の動きはなかったが。

『ど、どういうことだおいぃぃいいいいいいいいいい!?』

『だからさー、僕様ちゃん達は父ちゃんから、あんちゃんの邪魔しろー、って言われてただけなんだよねーアッハハハハッ!』

『はぁぁああああっ!? 俺様の邪魔をしろだぁ!? どういう意味だコラァ!?』

 同じく、ざまぁみろ、と言わんばかりに地下空間の天井を仰いで笑う三等に、一号は抑えきれない怒気を吐き出す。

 そこへ二番が割り込み、

『要するに、これまでの戦いは【一号兄さんのためだけの試練だった】、というわけなのよねぇ。一号兄さんはお父様の後継者になるため女王を倒さなければいけないのだけど、私様達はそんな兄さんの成長のために邪魔をする――要はそういう試練だったわけなの。もちろん、そうと悟られるわけにはいかなかったから、私様も三等君も兄さんと同じように〝女王を倒すのが目的〟って見えるよう演技していたんだけどねぇ?』

『えー、二番ちゃんそうだったのー? 僕様ちゃんは何も考えずに遊んでただけだったー♪』

『あらら、三等君ったら……まぁ、それでも兄さんも気付かなかったみたいだし、結果オーライというものかしら? うふふ』

『…………』

 天地がひっくり返ったような衝撃に、一号は言葉を失う。

 ずっと勘違いをしていた、というのだ。

 自分はもちろんのこと、弟の二番も三等も、島の所有権を求めて戦っているものだと思っていた。それが当然のことだと思い込み、疑いもしなかった。

 だが、真実は違った。島の所有権を求めていたのは自分一人だけで、弟二人はそんな自分の邪魔をするためだけに存在していたというのだ。兄である自分を出し抜いて覇権を握る気など全くなく、ただひたすら、こちらの道を阻むためだけに。

『……マジか……』

『あぁん、ごめんなさいねぇ、兄さん。――でもマジなの』

『うんマジマジー!』

 呆然と呟く一号に、二番も三等も容赦なく首肯する。

 だが思い返してみれば、合点がいくことも確かに多かった。島の所有権を手にした者は他の二人の生殺与奪の権利を握るにも等しいというのに、そういえば二番も三等も、決して真剣に戦おうとはしてこなかった。いつもいつも、一号が女王に接近する度にタイミングよく邪魔してきては、そのおかげで撤退せざるを得なかったのである。

 なるほど、納得だ。

 女王の首を獲るのではなく、【一号の邪魔をする】というのが最優先目標だったというなら、あのいやらしいほどの妨害の数々は確かに見事なものだった。道理で一号の持つ異能『月夜見』を駆使しても避けきれなかったはずである。

『というわけで、兄さんは勘違いしてみたみたいだけど、この島の所有権を受け継ぐのは一号兄さんで最初から決まっていたのよね。私様と三等君はお父様から直々にそう言いつけられていたの。〝一号がお前達の長として相応しい存在になるまで、奴の試練を邪魔してやるのだ〟――ってねぇ?』

『うんうん!』

『でも兄さんったら短気で無鉄砲だし口は悪いし声は大きいし足は臭そうじゃない? 私様達の上に立つ者としてはまだまだ認められないわぁ、と思っていたんだけど――』

 畳み掛けられる悪口のオンパレードに言い返したい気持ちがムクムクと湧いてくるが、どうやら話はいい方向へ転がっているようだと判断し、一号は口を挟むのを我慢する。

 はふぅ、と二番は意味ありげな溜息を吐き、

『――でも正直、さっきの兄さんには痺れたわぁ。なにアレ? ぶっちゃけかっこつけすぎとは思ったんだけれど、特に〝どうしてもってんなら、おめぇら二人は逃げていいぜ。俺様がここで、あの化物を食い止めといてやる〟――って台詞にはズッキュンバッキュン来ちゃったわぁ……そうね、抱かれてもいい、ってぐらいには』

『おい気色の悪ぃこと言うんじゃねぇよ……』

 度を超した【弟】の発言には、流石に突っ込みを入れざるを得なかった。

『ま、その前の啖呵もかっこよかったし、兄さんも意外と成長していたのねぇ……としみじみ思ったわけよ。これなら私様達の上に立ってもらってもいいわ――ってね。ねぇ、三等君?』

『わかるわかるー! あんま褒めたくないけど、さっきのあんちゃんはマジかっこよかったー!』

 肝心のその啖呵を切った時の緊迫感が、今ではすっかり台無しになってしまっているのだが、それを知ってか知らずか、二番と三等は同意し合って、うんうん、と頷く。

 とはいえ、褒められて悪い気がしないのも事実だ。とりわけ、これが兄弟で交わす最後の会話かもしれないと思うと、余計に感慨深い。

「……へっ、そうかよ……」

 だが生来の性格が邪魔してか、素直に礼を言えず、一号は右手の人差し指で鼻の下を擦ることぐらいしか出来なかった。

『……というわけで、正式に認めるわ、一号兄さん――いいえ、【一号様】。あなた様が私と三等の【上】になることを。今この瞬間から、私たち二人はあなた様の配下にくだります。どうかよろしく、お導きくださいませ』

『くださいませー!』

 唐突に改まったかと思えば、二番と三等が揃ってその場で居住まいを正し、さらにはこちらに向かって土下座までするものだから、一号としては仰天せざるを得なかった。

『お、おい……? な、なんだよ気持ち悪ぃな! 何が【一号様】だ!? お、おめぇら揃ってどうかしちまいやがったか!?』

 避けられ得ぬ死を前に正気を失ったか、と危惧する一号に、しかし青き鬼と緑の鬼は丁寧な姿勢を崩さなかった。

『あなた様には知らされていないことですが、これが我らが一族のしきたりです。一族の者はなべて一人の首長に付き従う……それが鉄の掟でございます。つきましては、今日この日までの全ての無礼をお詫び申し上げます。どうかお許しくださいませ』

『お許しくださいませー!』

『お、おい、なんだよ……い、いきなりすぎるだろ……』

 次男の言葉に追随して復唱しているだけの三等はともかく、ガラリと態度と声音を変えた二番がかなり気持ち悪い。長年の付き合いになる弟の初めて見る姿に、一号は戸惑いを隠せなかった。

『――それでは一号様、僭越ながら状況が状況でございます。私としてはあそこにおわす〝赤髪の神様〟にも畏れ多い立場ではございますが、あれは偽物だと断じて殲滅するというのであれば……どうかここで、我らが【角】をお受け取りください』

『お受け取りくださいー!』

『は? つの? ……はぁ?』

 一方的な急展開に一号の頭はついていけない。が、口振りから察するに、二番どころか三等までもが事の次第を把握しているらしい。

 二番が面を上げ、静かな語調で解説する。

『ご存じないのも無理はありません。が、よく思い出してください。我らが父上は無数の角をお持ちだったでしょう? あれは実は、生まれつきのものではなく、後天的に取得したものなのです』

 もうろくに顔も思い出せないが、父親の頭に、両手の指では間に合わぬほどの角が生えていたことだけは憶えている。

 角の数は力の大きさを表す。父のあれは生まれつきのもので、それ故に彼は一族の王となったものと思っていたのだが――

『こ、後天的っていうと……つまりなんだ……親父は他の奴から角をもらってた、ってことなのか……?』

『その通りです。歴代の長、そして王は皆、一族の者から角を譲り受け、あるいは強奪し、その力を強めてきました。一号様、あなた様にもそうする【義務】がございます』

『俺様の……義務……』

 権利ではなく、義務。二番はそう言った。となれば、今の彼の態度もまた、同系統の義務であろうことは容易に想像がつく。

 聞いたことがないので知らないが、首長の下につくものはその証として角を差し出さなければならない――といった決まり事でもあるのだろう。

 しかしだからと言って、いきなり〝角〟を――下手をすれば自らのアイデンティティーと呼んでも過言ではないものを受け取れと言われて、はいそうですか、などと頷けるわけがない。

『け、けどよ、そいつをもらっちまったら、おめぇらは……』

 躊躇う一号に、二番は厳しい口調で言葉を重ねた。

『一号様、これは父上が用意された試練です。つまり、あなたが王として君臨するために必要な〝道〟なのです。ここであなた様が私と三等の角を手になされば、きっとあそこにいる獣にも打ち勝つだけの力が備わるはず。全ては決まっていたこと……そう計算するのが筋というものでしょう』

 二番の言うことには一理ある、と一号は認めざるを得ない。

 先程、一号はこの状況を『自分達が生け贄だった』と推測したが、二番はさらにその先の『女王が冥王に変化したのは、弟二人の角を兄に渡さねばならないような事態を作るため』と考えているらしい。そして、話を聞くにその考察は正しいのだろう。

 まるで――どころか、完全に誂えられたこの状況。用意周到に準備された今この時こそ、一号が弟達から角を受け取り、長としての責務を果たす時なのだ。

『……本当に、お前らは、それでいいのかよ……?』

 答えのわかりきっている質問を、一号は敢えて口にした。

 あるいはそれは、一号の甘えであり、同時に残酷な〝宣言要請〟だったのかもしれない。

 弟達の口から直々に『イエス』を聞くことで、一号は安心し、同時に彼ら二人には『自らの意思で実行したのだから』と責任を負わせることになる。

 それを知ってか知らずか、二番は間髪入れずに答えた。

『愚問です。私は今日まで、そのためだけに生きてきたのですから』

 そして二番から視線を送られ、頷いた三等は答えた。

『僕様ちゃ――じゃなかった、僕ちゃん――でもなかった……えと、僕……ううん、私も答えは同じです、あんちゃ――一号様。他に生きる道がない以上、あなた様に我らが角を捧げるのは当然至極。どうかお気になさらずに』

『三等……』

 遅ればせながら口調を改めた三男に、一号は深い衝撃を受けた。よく言えば天衣無縫、悪く言えば傍若無人な性格だった三等が、まさかこんな言葉遣いをしようとは。信じられない。

 だがそれだけ、弟二人が背負ってきたものは重かった、ということなのだろう。長い間、事情を知らずにいた一号には推し量ることすらできないが、彼らの双肩にのしかかる重圧が並大抵のものでないことだけは、よくわかる。

 我知らず、一号は生唾を嚥下した。ごくり、と鈍い音が体内に響く。

『……わかった。受け取ってやろうじゃねぇか、おめぇらの……【魂】をよ』

 角を譲り受けること――それ即ち、持ち主の矜持や沽券といった、自尊感情【そのもの】を奪い取る行為に他ならない。渡す方にも覚悟が必要だが、受け取る側にはそれ以上の覚悟が必要だ。

 故に、一号はそれを〝魂〟と称した。お前達の命を背負う覚悟で受け取る――その意気を示すために。

 一号が顎を引くようにして頷くと、二番と三等は立ち上がり、ゆっくりと長兄のもとへ歩み寄ってくる。

 そういえば、と一号は気付く。三等の兜の上にいた黒い服の〝神使〟が見当たらない。散々妙な術で視界を塞いでくれたものだから印象に残っていたのだが、一体いつの間に姿を消したのか、影も形もなかった。

 だが、今となっては些細なことだ。ベオウルフも、二番の〝神使〟もいない。この上、三等の〝神使〟がいなくなったところで、何の支障があろうか。そう結論付けて、一号は黒尽くめの〝神使〟の存在を意識の外に弾き飛ばした。

『――それでは、どうか我らの角を……【魂】をお受け取りください、一号様』

『我らの全てを、あなた様に委ねます』

 かしこまった二人の弟は、もはや一号の目には別人のように映る。彼の側まで近付いてきた二番と三等は、再びその場に片膝をつき、うやうやしく頭を下げた。

『……どうすりゃいい?』

 角を受け取る方法など知らない一号がぶっきらぼうに問うと、二番は面を上げないまま答えた。

『その手で我らの角をお掴みください。そこからは、我々が儀を執り行い、あなた様へ角を献上いたします』

 さほど煩雑な手続きは必要ないようで、一号は内心ほっとする。小難しいことは苦手だ。それに、弟達の頭から力尽くで角を引き剥がさなければならないとしたら、それはそれでどうしようかと思っていたところである。

 言われた通り、やや背を丸めて、右手に二番の青い角の左側を。左手に三等の一本しかない緑の角を掴む。

 途端、青と緑の肌にライムグリーンの幾何学模様が浮かび上がった。兄弟揃って同じ色、そして同じ模様の〝SEAL〟の励起は、角を掴んでいる一号の肉体――正確には〝巨人態〟にまで波及した。三人の輝紋から迸る黄緑色の輝きが同調し、全く同じタイミングで明滅を繰り返す。

 心臓の鼓動を表すがごとく点いては消え、点いては消えを繰り返していた輝きが、やがて明滅の速度を上げ、ボルテージを高めていく。

 それが頂点へ達した時、二番と三番の口から肉声が紡がれた。



「「 ■■■■■■■■■■■■■ 」」



 二人の声は音ではあったが、しかし真っ当な言語ではなかった。

 少なくとも一号の聴覚には、意味ある言葉としては響かなかった。それは今の一号よりも小さい〝神使〟達のサイズでも、別の意味で同じことだっただろう。

 だが、重ねられた声は、一つのコマンドとしては確かに機能した。

『お、おお……!』

 一号、二番、三等の〝SEAL〟の輝紋から目を射んばかりの輝きが迸り、三人は数瞬、巨大な光の塊と化した。

『――……!』

 一号の主観においては、目の前が真っ白に染まったかと思えば、突如、自身の肉体に変調が襲い掛かってきたことになる。

『うぉ……!?』

 手が、熱い。

 二番と三等の角を掴んだ両手が、灼けた鉄の棒を握っているかのごとく熱い。なのに、痛みや不快感はまるでない。それ故、掌の筋肉は少しも委縮せず、手の握りもまったく緩まなかった。

 強いライムグリーンの光がやや弱まり、視力が回復する。目に映るのは、全身の輝紋だけではなく、頭部に備わった角すらも黄緑色に輝かせている弟達の姿。

 その光景を唖然と見つめる中、やがて一号の手に握られた二番と三等の角が、ほろほろと崩れ始めた。堅固かつ柔軟性に富む、一族の雄としての象徴が、あたかも光り輝く花弁がごとく分解され、大気に溶けるようにして散っていく。

 しかして二人の角は消失するのではなく、一号の体へと譲渡されていた。

『お、おおお……!?』

 頭部に違和感を覚える。頭の左右と、前方上部が焼け付くように熱い。灼熱感はやがて重さとなり、新たに増加した部位の触感が神経網に加わり、五感が拡張された。

『こ、こいつぁ……!』

 目の前にいる弟二人の頭部から都合三本の角が消え去り、しかし、それら全てが自分のものになったという実感がある。

 だが、譲渡されたのは角だけではない。

 わかる。

 これまで両眼にしか帯びていなかった〝力感〟が、今や耳や喉にも宿っている。二番と三等の〝異能〟が、角と共に一号へと譲渡されたのだ。

 それだけではない。体内にこれまでにないエネルギーの奔流を感じる。これは一人分の輝光血流(フォトン・ブラッド)の量ではない。まるで、二番と三等の分の血まで我が肉体に流れているかのような――

『――角の譲渡が完了いたしました。これより、我らが力は全て一号様のものです。どうか存分にお奮いください』

 二番の言葉が、一号の体感を肯定した。やはり、受け取ったのは角ばかりではない。角と一緒に、彼らの力の根幹すらも譲渡されたのだ。

 つまり、一つの身に三人分の力。それも、加算ではなく乗算で能力が向上している手応えすらある。

『……おいおいおいおい、マジか……!? す、すげぇじゃねぇか……!』

 体の奥底から湧き上る力に、四肢が震える。凄まじいまでの興奮と、ほんの少しの恐怖とが入り混じった昂揚感が、一号の全身を駆け巡る。恐怖は、有り余る力が我が身を滅ぼすかもしれないという、些細な怖れだ。

 ――勝てる。

 ――これなら、あの化物に勝てる。

 確信があった。

 身体中に漲る力を感じつつ、一号は拳を握りしめ、〝玉座〟の側にそびえる冥王の威容を見据える。

 今この身に宿る力に比べれば、さっきまでの自分は虫けらも同然だ。それこそ冥王の足元にも及ばなかっただろう。だが、それはもう過去の話だ。

 元々からしてよく見えていた目に、よく聞こえる耳、そして言霊を発する口がある。何より、皮膚の内側で滾る力が、それこそ野獣のごとく肺腑の中で暴れ回り、今すぐ解放しろと雄叫びを上げていた。

『――ぉおおおおおおおおおおおおおっしゃああああああああああッッ!! じっとしてらんねぇぇええええええええええええッッッ!!!』

 弟達の力を受け入れた〝巨人態〟が、今にもはち切れてしまいそうな衝動が湧き上がる。それを少しでも発散するため、一号は喉を反らして雄叫びを上げた。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!」

 大気がビリビリと振動し、一号達のいる『女王の間』全体を揺るがす震動と共鳴する。そういえば先程から徐々に地震の規模が拡大しつつある。この島の寿命はもう、さほど長くはあるまい。

『あんちゃ――一号様、父上があなた様に授けた剣を、今一度よくご覧ください』

 うやうやしい態度にも、未だギクシャク感を残す三等が、片膝をついたまま一号の手に残る紅白剣の柄を指差した。

『――あん?』

 言われた通り手元に視線を落とすと、しかしそこには刀身が溶けて消えてしまった残骸が一つ。だが――

『元より、普通の武器ではあの化け物は倒せなかったのでしょう。あなた様の〝神使〟様がそうされていたように、あのような【血の光】でしか攻撃は通らないものと思われます。――ですが、ご安心ください。父上は、【こうなることを知っていたのです】』

 付け加えられた説明を聞いて、一号の脳裏に、ここにはもういない少年の顔が蘇る。

『ベオウルフ様……』

 思えば、彼の遺していった言葉が一号の胸に勇気の炎を灯し、こうして弟達の力から受け取る運びとなり、あの黒き獣と互角に戦えるであろう力が手に入った。

 そう考えると、子供の頃から聞いていた言い伝えは、確かに正しかったと言える。

 ――〝ネノクニの女王を打倒する勇者に、赤髪の神から使いあり。使いは勇者に力を与えたもう〟。

 自分がベオウルフと小竜姫に語った伝承。かつては育ての母から、一号は何度も聞かされたものだった。

 想像していた形とはまるで違うが、しかし〝神使〟の存在があったからこそ、一号はこうして〝力〟を得ることが出来た。そういった意味では、伝承は正確だったと言える。

 ならば、その勇者である自分が、あの化け物を打倒するのもまた運命であるはずだ。

『残された柄に心を籠めてください。さすれば、一号様と我らが力、必ずや敵を討つ刃(やいば)となりましょう』

『――いいじゃねぇか、やっっっっっっっっっってやるぜぇえええええええええええええッッッ!!!』

 三等の説明があったからというわけでもなく、これからする行動には、不思議と確信があった。【こう】すれば、きっと【そう】なるはずだ――という理屈のない感覚だけがあった。

 果たして、それは正しく報われた。

 両手に握った剣の残骸、柄だけになったそれに意識を集中させる。

『でやがれぇぇぇぇえええええええええええええええええええッッッ!!!』

 喉から迸るはマグマのごとく赤熱した激情。

 すっかり軽くなってしまった剣柄に重ねるイメージは、もちろんベオウルフと名乗った少年が振るっていた武器と同じ。ディープパープルの光を巨大な刃と化し、象と蟻か、それ以上のサイズ差のある冥王の肉体を切り裂いていた、あの姿。

 今や頭部から六本の角――自前の二等辺三角形を描く三本、二番から受け取った水牛がごとき二本、そして三等のものだった長く太い一本――を生やした一号は、全身の輝紋からライムグリーンの光を力強く放出し、それをゆっくりと手元へ集中させていく。

 煌めく光輝が一号の手に握られた剣柄へと凝縮し、その明度を天井知らずに高めていく。黄緑色の光はやがて圧縮によって純白へと変化し、『女王の間』全体を照らし上げる疑似の太陽と化した。

 一号の掌の中に、何かが出そうで出ない感覚が生まれる。卵の中の雛が生まれようとして、しかし出てこれないような――そんなムズムズする感触を、いきり立った一号は一気に握り潰した。

『ずぉりゃぁぁぁああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!』

 弾ける。迸る。一号の手の中で圧縮されていた輝きが爆発し、間欠泉のごとく噴き上がった。

 瞬く間に伸び上がったそれは――まさしく【光の刃】。

 刀身を失ったはずの剣柄から、一号の身長よりも長く伸び上がった純白の刃。それはは確かに、冥王の巨体すら一刀両断できるであろう風格を放っていた。

 己の新たな力を目の前にして、一号は笑いが込み上げてくるのを我慢できない。

『は――ははははははははははははっ、はっはっはっはぁっ! いける、いけるぜッ! これならあの野郎をぶった斬ってやれるッ……!』

 呵呵大笑した一号は鼻っ面に獰猛な皺を寄せると、こちらを剥いて様子見している冥王を力強く睨みつけた。

 この手にある光の剣こそは、かの〝神使〟ベオウルフが奴を傷付けた刃と同じもの。冥王の炎でも決して溶けない、不滅の大剣。

 もはや負ける気がしなかった。

『――おっしゃ、行ってくるぜ! 二番、三等! おめぇらはここで待っていやがれ!』

 威勢よく宣言して、光の剣を携えた一号はのっしのっしと歩き出す。

『どうか赫赫たる勝利を、一号様』

『武運長久を祈っております』

 肩で風を切る一号は弟二人の応援に背中を押され、しかし不意に立ち止まった。

『…………』

 行ってくる、と言いながら突如として立ち止まった長兄に、二番と三等は首を傾げる。

『……どうされました、一号様?』

 次男として二番が問うと、一号は足を止めたまま、振り返らずにこう言った。

『……言い忘れてたぜ。二番、三等、おめぇらその気持ち悪ぃ言葉遣いやめろ。さっきから我慢して聞いてりゃ、【下手に出すぎだコラ】。そんなお上品な話し方を延々とされりゃあ、こっちのサブイボが止まらなくなっちまう。いつも通りに戻しやがれ』

 いい加減かしこまった態度をやめろ、と告げる一号に、二番は首を横に振って食い下がる。

『しかし、それでは他の部族への示しがつきません。あなた様は我らが長(おさ)となりました。であれば、我らが忠誠を誓うのも当然であり、それを態度に表すのもまたとうぜ――』

『うるせぇ! その俺様が〝戻せ〟つってんだろうが! おめぇらの長の言うことが聞けねぇのか!』

 二番の抗弁を荒々しく遮り、一号は怒声を叩き付けた。

 強引過ぎる命令に、しかし二番はしばしの沈黙を挟み、やがて頷いた。

『……わかったわよ。まったく……本当に強気でわがままなんだから、兄さんは。ほら、三等君も肩の力抜いていいわよ』

 不承不承を装いつつも、くすくす、と笑いながら立ち上がり、傍らの三等にも同様にするよう促す。すると三等は、ぱっ、と顔を綻ばせ、

『え、ほんとー!? やったぁー! あー肩こったぁー、僕様ちゃん、こういうの本当ニガテなんだよねぇー』

 わずかな躊躇もなく堅苦しさの鎧を脱ぎ捨て、腰を上げながら大儀そうに肩を回す三等。その態度に、さっきまでの丁重さは欠片も残っていなかった。

 弟達の掌の返しようを声音だけで確認した一号は、やはり振り向かないまま、口元に不敵な笑みを刻む。へっ、と唇の端をつり上げ、

『そうそう、それでいいんだよ』

 満足げにそう言い置くと、改めて前へと足を踏み出した。

 光の剣を両手に握り、徐々に足の回転速度を上げていく。やがて小走りになり、さらに一号は加速していく。

 これが最後の戦いだ。

 だが、もう『最期』とは思わない。

 あの化物を倒せば島の崩壊は防がれ、名実ともに自分は一族の長(おさ)となる。

 何より、弟達が力を分けてくれた今、自分を長だと認めてくれた今――一号には彼らを守護する義務がある。

 その役目を果たさずして、おめおめと死ねるわけがない。例えこの身が砕けようと、決して負けるわけにはいかない。

 ――守ってやるぜぇ、島も、おめぇらも!

 絶大な決意を胸にひた走る一号の両目から二本の青い火柱が燃え立った。魔眼『月夜見』の炎だ。次いで、鋭く尖った耳からも同色の火炎が揺らめき立つ。三等から引き継いだ異能だ。

『――WWWWWRRRRR……!』

 真っ直ぐに距離を詰めてくる一号に対し、とうとう冥王が動き出した。真っ白に灼熱する双眸で睥睨し、肩を上げて迎撃態勢をとる。黒毛の全身を覆う紅蓮の炎が、逆立つ毛のごとく、ぶわり、と燃え盛った。

『行くぜ行くぜ行くぜ行くぜ行くぜ行くぜぇぇええええええええええええええええええッッ!!』

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!」

 己に言い聞かせるように声を上げ、勢いよく突進する。長大な光の剣を大上段に構えて、ほぼ捨て身の突撃だ。

『――WWWWWWWWWOOOOOOOOOOOOORRRRRRRRRRWWWWWWW!!』

 冥王が応じるように高らかに咆哮した。獣の顎(あぎと)から炎のよだれをこぼしつつ、豊かな炎髪を波打たせる。その両腕が猛然と振り上げられ、

『WWWWWRRRRRROOOOOOOOO!!』

 ×印を描くように交差しながら振り下ろされた。

「――!」

 ベオウルフと戦ったときと同じように、冥王の腕が通った空間には劫火が生まれ、怒濤と化す。

 巨大な火炎弾が撃ち出された。

『WWWWWWWOOOOOOOOOOOOWWWWWW!!』

 これを喰らってくたばれ、とでも言うかのように冥王が吼えた。――否、実際に奴はそう言っている。そういった意思を乗せて雄叫びを上げているのだ。

 ――わかる、わかるぞコラァ……!

 こちらに真っ直ぐ飛んでくる、自分よりも巨大な炎の塊を凝視しながら、一号は思考する。

 さっきまでは奴の吠え声など聞いても何とも思わなかったが、今ならわかる。三等がくれた耳の異能は、その声に含まれている感情や意思の微粒子を敏感に感じ取り、どんな意図が含まれているのかを教えてくれる。

 それだけではない。

 ――こっちかよ!

 研ぎ澄まされた聴覚は、冥王の放った火炎弾の飛ぶ軌道すらも教えてくれた。一号は走りながら左へステップを踏み、素早く直撃コースを避ける。どうせ『防火の加護』の施されたこの甲冑を身につけている限り、多少の火炎などあちらから勝手に離れていくのだ。回避運動は最小限でいい。

「――ッ!」

 実際、小山のような火炎弾が唸りを上げて一号のすぐ近くを通り過ぎたが、被害はゼロだった。もちろん巨大に過ぎる火の玉の端が、一号の全身を撫でるように掠っていったが、甲冑の『加護』が十全に働き、まるでそよ風か何かのようにしか感じられなかった。

 ――すげぇ、すげぇぞ、こいつは……!

 駆けながら、我が弟ながら凄まじい異能だ、と感心せざるを得ない。おかしな表現だが、【音が見える】――ないしは【音に触れる】という感覚が、今の一号にはあるのだ。

 そう、異能の力が発揮されているのは耳だけではない。体全体がそうだった。音とはつまり大気の震え、空気の振動だ。今や一号の全身の皮膚は、それ自体が優秀な音響センサーとなり、空気の流れすらも感知できるほどだった。

 ――道理で俺様の邪魔が上手ぇわけだぜ、三等コノヤロウ!

 あの三男はいつもこんな感覚で世界を【掴んでいた】のだ。得心がいくなんてものではなかった。ただ視力がいいだけの自分とは大違いだ。こちらは視界にあるものしか感知できないというのに、奴は全方位のあらゆるものを認識していたのである。それこそ背中に目があると同等か、あるいはそれ以上の知覚能力だ。得物に遠隔攻撃武器を選んだのも納得である。

 ――こいつに俺様の『月夜見』が合わさりゃ、読めねぇ攻撃なんてねぇぞオラァ!

『WWWWWWWWWOOOOOOOOOOOOORRRRRRRRRRWWWWWWW!!』

 渾身の一撃を避けられたことを知った冥王が、続けて両腕を振るう。左右の豪腕がめちゃくちゃな軌道で振り回される都度、猛火の塊が空間を食い潰す。

 連発だ。

 ちょうど後方で地面に炸裂し、深いクレーターを穿った火炎弾と同規模のものが立て続けに量産され、駆け寄る一号めがけて一斉に降り注ぐ。

『当たるかよぉおおおおおおおおおッダラァァアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』

 気合いの雄叫びを響かせて一号は地を蹴る。冥王の放った火炎連弾の軌道は全て『視えている』し『聞こえている』。無論、それらを完全に回避するルートすらも。

『おらおらおらおらおらおらおらぁぁああああ! どうしたへっぽこぉ! 悔しかったら当ててみやがれってんだコンチクショウがぁッ!』

 罵倒を飛ばしながら舞うように跳躍し、踊るように馳せる。余裕がある時はついでに光の剣を振るい、直径二十メルトルをも超える火の玉をぶった斬ってやる。物理的質量を持つかのごとく内圧の高い火炎弾は、両断された途端に形状を保てなくなり、自壊して爆発していく。

『ヘイヘイヘイヘイヘイィィィ! どぉこ見てやがるゥゥゥッ! 俺様はこっちだオラァアアアアアアアアア!』

 俊敏に飛び回り、槍のように長い光の刃を振り回す一号は明らかに調子に乗っていた。だが、それも無理はない。まるで生まれ変わったかのように体が軽いのだ。これも二番や三等の角を譲渡された効能だろう。羽毛のように身が軽やかだというのに、手や足はこれまで以上に強く、そして正確に一号の意思に応えてくれるのだ。

『WWWWWRRRRRRRRRROOOOOOOOOWWWWW!!』

 冥王の火炎の連射速度が目に見えて上がった。もはや両腕を車輪のように回転させて、決河の勢いで劫火の塊を撃ち出す。ただでさえ巨大なそれを連発し、密度の高めた結果、迫り来る炎の流れは『津波』と言っても過言ではなかった。

 しかし。

『うぉりゃぁああああああああああああああああああああああああああッッ!!』

 長大な壁が押し迫るがごとき火炎の怒濤へ、一号は真っ向から立ち向かった。

 両手に握った剣柄から伸び上がる光の刃。それを大上段に振りかぶり、一気に振り下ろす。

 斬。

 純白の剣光が縦一文字の軌道を描き、空間そのものを断ち切った。

 炎の流れが、割れる。

 まるで川が二叉に分かたれるように、一号の斬光が走った空間を起点として、冥王の火炎放射が真っ二つに引き裂かれた。斬撃の軌跡はしばらくそこに残り続け、それ自体が刃であるかのように炎の激流を断ち続ける。

 やがて炎の奔流が途切れると、そこには呆けたように動きを止めた冥王の姿が、棒立ちに。

 一号は両眼の『月夜見』をさらに燃え上がらせ、口を大きく開き、喉の奥からも青白い火炎がクジラの潮のごとく噴き上がった。

『 テメェは そこで 止まってろ ! 』

 言霊が走った。

 一号の喉から迸った不可思議な〝声〟は音と同じ速度で空間を駆け抜け、冥王に襲いかかる。

『WWWWRRRRR――!?』

 不可視の圧力が、一瞬にして冥王の全身を雁字搦めにした。白く燃える双眸を驚愕に見開いた黒き獣は呻き声を上げ、しかし指一本も動かせなくなる。体の表面を覆う紅蓮の炎までもが、強風に吹かれたかのように頼りなく揺れた。

 この力もまた弟、二番から受け継いだ異能である。己が身で何度も経験したからこそ、一号にはこの力のいやらしさも、そして絶大さもわかる。

 ――動けねぇだろ、鬱陶しいだろ! 俺様はいつもテメェの前でそれを喰らってたんだよクソがッ!

 ざまあみろ、と快哉を叫びたくなる。だが今この瞬間こそは千載一遇の機会。それを逃してたまるものか、とぐっと我慢して、一号は足を加速させた。

 一気に間合いを詰める。

 自分は巨人だが、冥王はそれ以上に巨大だ。身長だけでも倍以上の開きがある。奴の最大の急所であろう頭部は遙か上空にあるため、まずはその部分を地へ落とす必要がある。

 光の剣を下段に構え、地面を切っ先で撫でるような軌道で一気に振り上げた。

『オルァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

 ケダモノじみた雄叫びを上げて、大木がごとき冥王の片足を切りつける。純白に輝く刃は鉄のように固い毛を切断しながらすんなりと入り、豆腐かなにかのように冥王の肉と骨を断った。

『WWWWWWWWWRRRRRRRRRRRRRRRRRRROOOOOOOOOOOOOWWWWWW――!?』

 傷口から青白い液体が飛沫(しぶ)く。片足を半ばから斜めに切り落とされた冥王は、言霊に縛られたまま体勢を崩し、横向きに転倒し始めた。

 だが、

『――WWWWWRRRRRRRRAAAAAAAAA!!』

 このまま倒れてなるものか、と黒毛に包まれた体が膨れ上がり、かつて一号自身がそうしてきたように、力尽くで言霊の拘束を引き千切った。自由を取り戻した状態で手を転倒方向へ出し、地に寝転ぶことだけは避ける。

『――はっ、いい格好だぜクソ野郎ッ!』

 片足を失い、さらには腕の一本を犠牲にして巨体を支えている冥王は、もはや死に体でしかない。目的であった頭部は十分過ぎるほど剣の間合いに入っていて、このまま首を落とすなど一号の腕を持ってすれば造作もない。

 一号の立ち位置から冥王の首を切り落とせる場所まで、三歩ほどの距離がある。一号は大きく膝を曲げて、力強く地を蹴る。

 一歩、二歩、三

『WWWWORRRAAAAA!!』

 真紅。

 突如、一号の視界が紅蓮の炎に染め上げられた。

『な――!?』

 次いで、全身に走る強烈な衝撃。馬鹿な、あり得ない。身につけている甲冑には加護が施されていて、大抵の炎は避けて通るはず。

 なのに。

『――ッ!?』

 一号は宙を吹っ飛んでいる己を発見する。それも、全身火だるまになった状態で。甲冑の『防火の加護』がまるで効果を発揮していない状態だ。

 ――あ、あり得ねぇえええええええええええええ!?

 心の中で叫びながら、四肢は着地体勢を整えるために動く。バタバタと空中で踊るように姿勢を制御し、どうにか無防備なまま地面に激突することだけは避けた。

『――っだぁッコラァアアアァッ!』

 両脚を踏ん張って着地し、足裏を滑らして慣性を発散させる。体幹が整ったの同時に、喉奥から青白い炎を吐き出し、言霊を放った。

『 消えやがれ ! 』

 対象は身を包む炎だ。強い言霊は使い手のイメージをそのまま具現化させる。一号の朱い〝巨人態〟を覆っていた猛火は、甲冑の内側から吹いた風に散らされるようにして消失した。

『ええいクソッタレ! 何だってんだチクショウがッ!』

 体のあちこちが黒く焦げ、白い煙を立ち上らせる一号は、頭を振ってから自分を吹っ飛ばした相手を睨み付けた。

 冥王は片足を切断され、地面に片手をついた状態のままだ。たださっきまでと違うのは、その頭部――髪かと見紛うほどに豊かだった炎の束。

『ぁあ……?』

 変形している。さっきまでは獅子の鬣のごとく広がっていた炎髪が、幾房にも分かたれ、タコの足のようにそれぞれ違う動きを取っているのだ。

 あれが自分を吹き飛ばしたに違いない、と一号は当たりを付ける。

『……はっ、そいつが両手両脚の代わりだっつうわけか?』

 気取って鼻で笑い飛ばそうとした一号の目の前で、言った通りのことが起こった。

 冥王の炎髪が伸長して、半分が足の代わりになり、奴の巨体を立ち上がらせたのである。

『な……』

 まるで炎が〝実体〟を持っているかのごとき挙動であった。ここにベオウルフと名乗った〝神使〟の少年がいれば、同質の蒼い炎を操る女剣士を想起したであろう。熱量の具現である火炎にあるまじき振る舞いだった。

 一瞬、呆気にとられた一号ではあったが、すぐに気を取り直して光の剣を構えなおす。

『……へ、へへっ! いいぜぇいいぜぇ、上等じゃねぇか! 生半可じゃねぇのは望むところだ! こいつが最後の戦いなんだからよぉ!』

 相手がどう出てこようが必ず勝つ――その覚悟があるからこそ、一号は気炎を吐いた。今更こんなもので臆してなるものか、気圧されてなるものか、と。

『WWWWWWWOOOOOOOOOOORRRRRRRRRRYYYYYYYYYYY――!!』

 冥王の放つ電子音の音階が微妙に変化する。それに応じて、頭部から生える炎髪だけではなく、背中から生えた鋭い翼や、全身至る所に灯った猛火が触手と化し、増殖した。しかもそれぞれの長さがさらに大きく伸長する。

 その姿はもはや〝黒毛の獣人〟などとはとても言えない。

 あれはそう、真紅に燃える幾本の脚を持つ――蜘蛛だ。

『WWWWWWWWWWWWWRRRRRRRRRRYYYYYYYYY――!!』

 炎の脚を持つ蜘蛛と化した冥王は、自らの肉体を高い位置へと引き上げつつ、長い脚で器用に駆け出した。本体を上空に持ち上げるのは、一号の持つ光の剣を警戒してのことだろう。刃が届かない高さまで逃げているのだ。

『うっっっっぜぇぇえええええええええええッッ!! 逃がすかよボケがぁああああああああああああッッ!!』

 さらには空中で切断された片足の再生に入った冥王に、一号は滾る感情を喉から迸らせ、こちらに向かって突進してくる蜘蛛への迎撃態勢をとる。

 蜘蛛の長脚によって彼我の距離はあっという間に削られ、

『WWWWWWWWWWOOOOOOOOORRRRRRRRRRYYYYYYYYY!!』

 一号の頭上から炎の脚による踏み潰し攻撃が連続で降り注いだ。冥王は最低限三本の脚さえ残していれば体勢を安定させられるため、それ以外の全ての脚が攻撃用に転化されている。

『ンな適当な攻撃が当たるかボケェ――――――――ッッ!!』

 手数は多いが所詮は大振り、視界の悪い上空からの攻撃とは言え、今の一号には三等から貰った〝耳〟がある。ヒラリヒラリと舞い遊ぶように真紅の踏み潰し攻撃を避け、むしろカウンター気味で斬りかかった。

 光の剣がまさに一閃し、続けざまに炎の脚を切り裂く。しかし、冥王の超重量を支える実体を持ちながら、炎は炎。切っても切っても蜃気楼のごとく手応えはなく、すぐに再生してしまう。

『チィ――ッ!』

 一号は早々に炎の脚を攻撃する愚を悟り、バックステップで距離を取った。雨あられと降り注ぐ炎の脚を、柳に風のごとく軽やかに避けて逃げる。その俊敏さはまるで低空を飛ぶ燕がごとし。

 十分に間合いを取ったところで、一号は刹那の思考をする。

 こちらの攻撃を当てるためには、とにかく冥王の本体に接近しなければならない。が、どうやら光の剣はこれ以上長くは伸びないようだし、奴が自ら降りてくる気配もない。おそらくはこのままチクチクと攻撃を繰り返して、まぐれ当たりを期待するに違いない。

『――そういうことならよぉ……!』

 やることは先程と変わらない。頭が届かない位置にあるのなら、引き摺り下ろすまでだ。

 すぅぅぅぅ、と一号は地面の上を駆けずり回りながら大きく息を吸う。言霊の強さに声の大きさが関係あるのかは知らないが、大きくて悪いことはあるまい。

 ここだ、という位置で足を止め、腹の底から声を出す。

『 吹っ飛べ ! 』

 炎の脚に向かって全力で言霊をぶっ放した。

 言霊とは、輝光血流(フォトン・ブラッド)と共に使用することで、現実を改竄する力の源となるもの。本来であれば、正式な手順を踏まえた上で使用しなければ大した効果は得られないはずなのだが、一号の場合、巨大な図体と有り余る輝光血流(フォトン・ブラッド)の量にものを言わせて、力尽くでその効果を増大させていた。

 音と光のない爆弾が炸裂したかのように、空中の一点が爆発した。冥王の体を支える炎の脚の全てが、爆風を受けて雲散霧消する。

『WWWWWWWWWRRRRRRRRRRRYYYYYYYY――!!』

 しかし、そう来るのはわかっていた、とばかりに冥王が新たな炎の脚を生成し、落下しながら一気に地面へと突き立てた。しかも、その内の何本かは一号を狙うのを忘れない。

 が、

『――だと思ったよクソがぁッ!』

 往生際の悪い反撃を回避しながら、一号は怒声を上げる。

 一号の方こそ冥王がそう出てくることを読んでいたのだ。例え足を消し飛ばそうとも必ず抵抗してくるに違いない――そう予想していたからこそ、次の一手を考えていたのである。

『 弾けてぶっ飛べ ! 』

 続けて言霊を放つ先は、しかし冥王ではなく一号自身の足元――マグマの小川が流れる地面。

 先程の大気の爆発と同じく、力任せの言霊を叩き込まれた地面が一瞬にして膨張する。急激に空気を詰め込まれた風船のように膨らんだ地面は、間を置かず破裂した。

 爆音。

『ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!』

 膨れ上がった地面の真上にいた一号の足元が、爆風によって地面事捲り上げられる。次いで、自分の体が浮かび上がった瞬間に合わせて、一号は大きく跳躍した。

 つまり、炎の脚が一瞬でも吹き飛んだことで冥王の位置は下がっており、一号はその座標へ向けて、尋常ではない手法で大跳躍を敢行したのである。

『往生ぉぉぉぉぉ――!』

 矢のように真っ直ぐ上昇しながら、一号は光の剣を大きく振りかぶった。相対距離は見る見る縮んでいき、ほぼ一瞬で刃の届く間合いに入る。

 ここだ、と見極めた刹那、

『――せいやぁぁあああああああああああああああああッッ!!』

 裂帛の気合いと共に剣光が走った。

 光の剣の鋭すぎる切れ味に、手応えなどない。

 しかし流星のごとく宙を駆けた閃光は、過たず冥王の右肩から入り、左腰から抜けていた。

 青白い液体が盛大に溢れ、土砂降りの雨がごとく飛散する。

『WWWWWWWWWWWWWWRRRRRRRRRRRRRRRRRRKKKKKKKKKKKKKYYYYYYYYYYYYY――――――――!?』

 冥王の口から甲高い悲鳴が奔波となって飛び散った。

 完全に二分された冥王の肉体は、それ故にバランスを保てない。再生した炎の脚は全て健在ながら、【片側】だけではどちらも直立し続けることは叶わなかった。

『見たかコルァ――――――――ッッッ!!!』

 空中でガッツポーズを取り、快哉を叫びながら一号は自然落下する。

 一号が深く両脚を折り曲げて着地するのと、【二つ】になった冥王の体が崩れ落ちるのは、ほぼ同時だった。

『――まだまだまだまだまだまだまだまだぁぁああああああああああああああッッ!!』

 ここで手を緩めるほど一号は甘くもなければ楽観的でもない。致命傷を与えた手応えはあったが、相手は次々と形態を変化させていく異形の怪物だ。更なる変化をする前に殺さねばならないし、もう手札が尽きているにしても、やはり徹底的に殺しておいて間違いないはないはずだ。

 追撃を仕掛ける。

 狙うはもちろん、二つに分かたれた内の一つ――頭部が残っている上半身側。

 激しく向上した脚力を用いて一瞬で間合いを詰め、光の剣を大上段に振りかぶる。

『ミンチにしてやるぜぇえええええええええええええええッッ!!』

 初撃を兜割りを叩き込んだ後は、体が滾るままに剣を振り回す。

『ドララララララララララララララァッッ!』

 滅多切りだ。まともに動けない冥王を、牛肉を捌くかのように切り刻んでいく。

 胴体を両断されたせいだろう。冥王はろくな抵抗どころか呻き声一つ立てず、瞬く間に微塵切りにされた。

『……ん?』

 そう、この化物が【何もせずに解体された】という違和感しかない状況に、一号は遅れて気が付いた。

 見れば奴の肉体を包んでいた紅蓮の炎は跡形もなく消失し、黒毛に覆われた肉は青白い液体の海に沈んでいる。

 死体だ。

 こいつは一号が追い打ちをする前から既に死んでいたのだ。

 つまり――

『おい、マジか……!?』

 慌てて逆方向へと振り返り、冥王の残り半身――下半身の落ちた方へ視線を飛ばす。まさか、と思いながら。

 そのまさかだった。

『――WWWWWWWWWRRRRRRRRRRRYYYYYYYY……』

 冥王の急所が頭部にある、というのは一号の思い込みだった。以前、奴が『女王』だった頃に、頭部への攻撃をひどく嫌っていた記憶があり、それに引っ張られてしまった。

 頭もないのにまだ生きている冥王の腹から下が、体表を覆う火炎の量を増やしている。一号がそのことに気が付いた時にはもう手遅れだった。

『……GGGGGGGGGGRRRRRRRRRRRRRRRRAAAAAAAAAAAAAWWWWWWWWWWWW――!!』

 再び冥王の放つ電子音が明確に変化した。口もないというのに、どこから音を出しているのかさっぱりわからない。ただ一号にわかるのは、追撃の手を向ける先を致命的なまでに間違えてしまったということだけ。

 あれほどの化物が、またしても新たな変化をしようとしている。

 それは、これまで以上の【何か】であるのは間違いなく、下手をすれば弟二人の力を受け取った一号ですら敵わない【何か】である可能性が高かった。

 ――させてたまるかよぉ……!!

 故に、奴の変化を許してはならない。冥王の戦闘力がまだこの手の届く範囲にある間に、殺してしまわねばならないのだ。

 一号はカッと両眼を見開き、牙の生えた顎を大きく開いた。双眸と喉奥から、これまでとは比較にならないほどの青白い炎が噴き上がる。

『 動くんじゃねぇ ! 』

 一号の放てる最大級の言霊が走った。拘束力の概念が音速で飛翔し、生物であればとても生きているとは言えない状態の冥王に襲いかかる。

 否、それだけではない。一号は己の目からも【何か】が飛び出して行くのを感じた。二番と三等の異能を受け入れたことで、自身が元々持つ魔眼『月夜見』が進化したらしい。一号の意思に則り、青白い炎を灯す両眼からも拘束の力が発射され、言霊と併せて冥王の体を二重に捕縛する。

 ――何しようとしていたかはしらねぇが、そこまでだぜ!

 予期せぬ己が力の覚醒に会心の手応えを得て、一号は内心で悦に入る。もはや冥王の下半身は指先一つ動かすことも叶うまい。それほどの拘束力が言霊と『月夜見』にはあった。

 しかし。

『――GGGGGGGGGGGGGGGRRRRRRRRRRRRRRRRRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAWWWWWWWWWWWWWWWWWWW――!!』

 冥王の甲高い雄叫びが大気を揺るがしながら響いた。

「!?」

 一号は目を剥く。馬鹿な、あれだけの拘束を受けていながら、どこから声を出しているのだ。あり得ない――

 だが迷っている暇などなかった。一号は本能的に足を踏み出し、駆け出した。何事かはわからない。が、とにかく今すぐ【あれ】を攻撃しなければまずい――そんな直感に突き動かされたのだ。光の剣を振りかぶり、今度こそ冥王をバラバラにしてやる、という決意を持って一号はひた走る。

 しかし。

 その一手が、わずかに遅かった。



 純白の光が炸裂した。



『ぐわっ!?』

 冥王の肉体が放った強烈すぎる閃光に、一号の目がやられた。片手で顔を覆い、足を止める。魔眼で下手によく見えすぎるせいもあって、余計に被害が大きかった。

『――って、今更見えねぇぐれぇがなんだぁゴルァアアアアアアアアアアアッッ!!』

 一瞬だけ怯んだものの、しかし今の一号には高性能の〝耳〟がある。全身のセンサーがある。例え目で見ずとも〝耳〟で音を聞き分け、周囲の状況を〝識る〟ことが出来るのだ。

 目にこそ見えないが、音の反響で冥王の存在がそこにあることがわかる。一号の脳裏に、〝耳〟から得た情報だけで構成した立体映像が浮かび上がる。冥王は先程と同じ位置にいたまま少しも動いていない。否、動けないままだ。

『――シャアァッ! そこ動くんじゃねぇぞテメェエエエエエエエッッ!!』

 目を瞑ったまま冥王の気配がする方へ再び走り出す。

 が、

『――~ッ……!?』

 不意に、心臓を大砲で撃ち抜かれたかのような戦慄が走り、一号はわけもわからず足を止めた。

 何故かはわからない。わからないが瞬間的に、途轍もなく嫌な予感がしたのだ。

 動物的本能によって危険を察知した一号の行動は、間違いではなかった。だが、正解でもなかった。

 彼は足を止めるべきではなかった。

 そのまま無理を押してでも、冥王にとどめを刺すべきだったのだ。

 次の瞬間、高精度の〝耳〟と皮膚の触感だけで認識している一号の世界の中で、〝冥王の気配〟に不思議な変化が起こった。

 突然、存在感がぼやけ始めたのだ。

 確かにそこに感じている〝冥王の気配〟が、時間を追うごとに薄くなっていく。

『お、おい……!?』

 一号は混乱する。彼の〝耳〟が捉えるのは、地鳴りの反響や空気の流れに生じる微妙な変化だ。それらをソナーのように感知して、総合的に周囲の状況を認識しているのである。

 だが有り得ないことに、そこにいるはずの冥王の体が次第に音の波を反響しなくなり、一号の感覚下において【透明】になりつつあった。

『な、何が起こってやがる!?』

 視力さえ無事なら目視で確認できただろうが、今の一号にはそれ以外の五感を頼りにする他ない。そうしている間にも〝冥王の気配〟は霞に包まれるように消えていき、曖昧になっていく。

 ――ええい落ち着きやがれ俺様! あの野郎は今も言霊でふんじばってるんだ! そう易々と逃げられるわけが……!?

 焦慮の炎に胸骨の内側を焦がされながらも、一号は平常心を取り戻すため、己に状況の優位を言い聞かせて呼吸を整えようとする。しかし、そんな内心を見透かしたかのように、ふっ、と〝冥王の気配〟が消失した。

『――!?』

 風に吹かれて消える蝋燭の火がごとく、忽然と。

 あまりの唐突さに愕然として、一瞬だけ一号の思考は真っ白に染まった。

 しかし〝冥王の気配〟が消えるのと同時に、入れ替わるようにして現れたものがある。

 ――火、か……?

 さっきまで冥王がいた空間から聞こえてくるのは、炎が燃える音――酸素が喰われて燃焼する波動である。

 元より冥王は紅蓮の炎を纏っていた。だから炎の音が聞こえてくるのは問題ではない。だが、おかしいのは【量】だ。

 音量や空気の燃焼率からいって、そこにあるのは膨大なほどの劫火の塊。

 そう、まるで――【冥王そのものが炎の塊に変化したかのような】……

『――~ッ!?』

『GGGGGGGGGGGGGGGGGRRRRRRRRRRRRRRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAWWWWWWWWWWWWWWW!!』

 一号が正解に気付いた瞬間、冥王の怒号が大気を爆発させた。炎の熱が膨れ上がり、高熱の空間にあってなお熱さを感じる豪風が吹き荒れ、一号の巨体が浮かび上がる寸前の嵐が起こった。

 刹那、一号はその場できびすを返し、一目散に逃げ出した。

『――じょ、冗談じゃねぇッ!』

 何が起こったかはわからないが、とにもかくにも目が回復しないことにはどうにもならない――そう悟ったのだ。故に、目が光に潰されている今だけは逃げる。とにかく逃げ回る。

 幸い、冥王の追走はなかった。そのおかげで、ある程度走ったところで一号の両眼は少しずつ回復し、視界にかかった白い膜が溶けるように消えていく。

 そして、見た。

 先程の推察を裏切らず、【完全に火の塊となってしまった冥王を】。

『…………』

 シルエットは変わっていない。獣が人型になったような輪郭に、頭や背中から飛び出した蜘蛛のような長い足が何本も。

 だが、今となってはそれら全てが紅蓮の猛火で構成されている。おそらく、実体はないくせに、一方的にこちらへ物理攻撃を仕掛けてくることが出来るのだ。その理不尽な火炎によって。

 当然、先程細切れにした上半身とて再生していた。否、再生したというより、【再現した】と言った方が正しいだろう。表面上の形をなぞっているだけで、その本質は完全に別物へと変貌していた。

 長い足の先が、しかし地に着かず、その身が宙に浮いているのがその証拠だ。

『……おい、おいおいおいおいおい……どーすんだよ、こいつはよぉ……』

 その姿があまりに絶望的過ぎて、逆に笑いが込み上げてきた。

 炎を固めた脚に切りつけても、まるで意味がないことは先刻確認済みだ。であれば、同じ状態になった冥王本体にこの光の刃が通用しないのも自明の理である。

 つまり――せっかく手に入れた力と武器は無意味と化し、一号は再びふりだしへと戻ってしまったのだ。

『……クソッタレがぁ……!』

 打つ手のない状況に牙を擦り合わせて歯噛みする。

 だが同時に、目の前の逆境を打破するため、一号は猛烈に思考を回転させていた。

 この手にある光の剣で奴を斬れないことはないだろう。だが、おそらくは何の痛痒も与えられまい。ならば先程のように言霊で吹き飛ばすという手段もあるが、結局のところダメージにならなければすぐ再生されてしまうのがオチだ。

 ――何か、何か手はねぇのか……!?

 燃え盛る炎そのものとなった冥王が、ぐるん、と首を回して純白に輝く瞳で一号の方を見やる。

『っ……!?』

 その非生物的な動きに、一号の心臓が冷たい手で撫でられた。思わず短い悲鳴を漏らしてしまう。

 これまで冥王の行動にあった感情的な部分が、今の形態になった途端、ぽっかりと抜け落ちたようだった。それだけで、これから行われるであろう攻撃の呵責のなさが、ありありと想像できてしまう。

 しかし。

『――やるしか、ねぇだろうが……!』

 己に言い聞かせるように、一号は押し殺した声で呟いた。

 どのみちやるべきことは変わらないのだ。命を捨てる覚悟ならとっくに決まっている。今更怖じ気づくことに何の意味があろうか。この程度の絶望がなんだ。弟達から角を受け取るまでは、その絶望の海を溺死するまで泳いでやろうと腹をくくっていたではないか。

『やるしか、ねぇんだよ……!』

 だから、一号は小刻みに震える手足に力を込め、無理矢理に押さえつけた。光の剣を構え、炎の濃淡で描かれた冥王の顔を睨み返す。

『そうさ、ここが俺様の一世一代の晴れ舞台……最後の最期まで足掻ききってやるぜコンチクショウがァッ!』

 力強く吼え、悲壮な決意を胸に一号は走り出す。

 退路などどこにもない。

 彼の後ろには弟達がいる。

 戦って勝つか、戦い抜いて死ぬか――選択肢は、そのどちらか一つだけだった。




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