リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●18-2 決死の突破口 後編








 自分で言うのも何だが、僕の戦いは結局のところ『頑強VS俊足』という構図になりやすい。

 ヘラクレス然り、シグロス然り、ミドガルズオルム然り。

 相手はその強靭な防御力を主体として、こちらの攻撃を防ぎきってから反撃してくるのが常で。

 僕の方はというと、身軽さにものを言わせて相手の懐に潜り込み、ヒット&アウェイを繰り返すのがいつものパターンだ。

 と言うのも大体の場合、相手が僕より強者であることが多く、非力な――そう、支援術式で身体能力を強化してもなお非力な――僕なんかでは、たった数発いいものを喰らえばそれで終わってしまうほどの実力差があるからなのだけど。

 今回のハウエルとの戦闘もそうだった。

「――はぁっ!」

 上にも下にも広い『女王の間』での空中戦。スカイソルジャーの機能で立て続けに立体機動を行い、僕はハウエルの頭上を飛び越えて死角に入る。奴の巨体は思いがけず高速で動くことが可能だけど、それもパワードスーツの各所についたスラスターのおかげだ。『速く大きく』は動けても『小さく細かく』動くことは出来ない。それ故、僕は容易にハウエルの背中を襲うことが出来る。

「――ッ!」

 右手に黒玄〈リディル〉、左手に蒼のナイフ――モンデンリヒト。リーチのちぐはぐな二刀流を、それでも無理に使いこなす。

 先程から僕が集中して狙っているのはハウエルの左脇腹だ。散々〈ドリルブレイク〉で穿った箇所をさらに攻撃して、少しでも装甲を破壊する確率を上げる目算である。

「ふッ――!」

 鋭い呼気と共に、左から右の切り上げを放つ。黒玄の実体剣による斬撃が狙った場所に命中し、甲高い金属音を響かせた。

『チィ――!』

 反応の遅れたハウエルが、恨みがましげに舌打ちをする。

 さっきまでとは打って変わって、ガラリと戦法を変えた僕にハウエルは対応しきれていない。狙ってやったわけではないが、正面から激突する猪突猛進スタイルだった僕が、突如として持ち前のスピードを活かしたスタイルへと豹変したのは、あちらにとってかなりのギャップがあったらしい。

『オルァッ!』

 スラスターを駆使して振り向き様に右フックを繰り出すハウエルの至近で、僕は深くダッキング。頭を下げるどころか、両足を大きく開いて限界まで身を沈めた。両手に剣とナイフを握ったまま、ブレイクダンサーのようにスカイソルジャーが作り出した力場に左右の拳を叩き付け――足下に力場を展開している時は、靴底でなくともこうして反発力を得ることが出来る――、両脚を振り回しながら逆立ちへと移行する。

「――でやっ!」

 カポエイラよろしく爪先に振り上げた遠心力を使って蹴りを放つ。両の踵が連続してハウエルの左頬と顎に激突し、ガガッ、と中身の詰まった重めの金属音を立てた。

「くっ……!」

 当然だが、この程度ではハウエルには何の痛痒も与えられない。それこそ鉄の塊に踵をぶつけたように、僕の方が足の痺れを感じる始末だ。しかし、相手が巨躯なら巨躯なりに上手く有効活用するだけである。

「だぁっ!」

 両足を勢いよく屈伸させて、ハウエルの顎を下から蹴り上げる。その反動を使って、僕は【真下へと跳躍した】。

 シグロス戦でもそうだったが、空中戦では緻密な機動(マニューバ)が肝となる。グレート・ブルーゲートを根城とするハウエルは水中戦を得意としているのだろうが、ここは抵抗の少ない大気圏内だ。水中内を前提とした出力には油断ならないが、逆に言えば爆発的なエネルギーに振り回されることにもなる。

 溶岩の細い川が無数に流れる地面へ激突する前に、スカイソルジャーで空気を蹴って横っ飛び。俊敏に体を回転させ、再び空中を疾走して距離を取る。

 さっきまでの僕は、なんだかんだで頭に血が上りすぎていたのだろう。思い返してみれば、支援術式による強化もないくせに直情径行が過ぎた。例え支援術式が封じられようとも、僕はエンハンサーなのに。

 ――エンハンサーならエンハンサーらしく、例え馬鹿にされようとも、みみっちい戦い方で勝利を引き寄せてやる……!

「〈ボルトステーク〉!」

 常にハウエルの死角へ入るよう移動しながら、左手のモンデンリヒトに攻撃術式を発動させる。活性化した僕の〝SEAL〟とフォトン・ブラッドが現実を改竄し、稲妻を発生させるよりも早く、エーテリニウムの刃が術力を吸収していく。

 残念ながら〈フォースブースト〉の恩恵のない僕の術力では情けなくなるほどの威力しか発揮できないが、このナイフを介してからの発動であれば、ハウエルの謎の術式防御を突破できる。流石にヴィリーさんの〝リヴァディーン〟やアシュリーさんの〝サー・ベイリン〟ほどの容量はないけれど、満タンまで充填させて一気に炸裂させてやれば、それなりの効果はあるはずだ。

「〈エアリッパー〉……!」

 さらには相乗効果を狙い、種類の違う攻撃術式も装填していく。

 天頂方向から俯瞰すると、僕はハウエルの真下から階段を上がるようにして上昇し、再び同じ高度へと戻ってきた形だ。この時、僕は極力ストレートな軌道は通らず、出来る限り曲線を描いて走っている。

 ハウエルの攻撃は良くも悪くも『真っ直ぐ』だ。ある意味、奴自身をボールとした剛速球と言っても過言ではない。水中戦仕様のスラスターを大気中で使用しているからこその超加速。先述したように制御は難しいだろうが、それだけに破壊力は一撃必殺レベルだ。

 単純に間合いの足し算や引き算をしていたら、その爆発的な加速で一瞬にして彼我の距離をゼロにされてしまう。そうされないためには上下左右に体を揺らし、ハウエルの照準から外れる必要があったのだ。

 奴はそう、まさしく『人間砲弾』。馬鹿げた威力の砲撃を撃たせないためには、射程内に入らないか、照準が合わせられないほど激しく動くしかない。

『おいおい……さっきからクソうぜぇぞベオウルフ! さっきまでの威勢はどこ行きやがった! いい加減――チョロチョロしてるんじゃねえっ!』

 姿勢制御のスラストで体を縦軸回転させつつ、常に僕を視界の中に入れていたハウエルが、出し抜けに動いた。

「――!」

 ドウッ! と全身のスラスターから海老色の輝きを猛然と噴き出し、ハウエルの巨体がゼロからマックスまで一気に加速する。

 その瞬間、冷えた頭の中に鋭い光が閃いた。

「――――」

 不思議なほど僕の心は落ち着いていた。自分でも意外に思えるほど平静な気持ちで、ハウエルの豪快な突進をつぶさに観察している。

 この感覚には覚えがある。あれはそう、ロムニックとの決戦の前日――最後の特訓の際、ヴィリーさんが稲妻のような不意打ちを仕掛けてきた時のことだ。ヴィリーさんは何の前触れもなく超高速のダッシュを行い、鋭い突きを放ってきた。僕はそれを、何故か最初からそう来ることがわかっていたように柳葉刀で受け止め、弾き逸らしたのだ。

『――ぉおおおおおおおおりゃぁああああああああッッ!!』

 胴間声を通信回線に轟かせて、拳を振り上げたハウエルが突っ込んでくる。青黒い巨岩がごときその姿を前にして、僕は冷静に空中で右サイドステップを踏み、進路上から脱出した。一切無駄のない、必要最小限の動き。突然の事態にも猛獣の唸り声がごとき咆哮にも、まったく動揺しない。機械のような正確さで。

 右の黒玄を下段に構え、再び奴の脇腹を狙う。

 交錯。

「はっ――!」

 すれ違う刹那に黒玄を切り上げ、構造上締めることができないハウエルの左脇腹を叩く。ガギィン! と金属音と重い手応え。ちょっとでも当たれば〈ステュクス〉の装甲は砕けずとも、その中にいる僕が激しくシェイクされるだろう威力を秘めた巨体が、唸りをあげて掠め過ぎる。

 だが安心などしない。嫌な予感がしたからだ。

 そして、それはものの見事に的中する。

『――ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおるぁあああああああああッッッ!!!』

 なんと、僕の側を通り過ぎた次の瞬間、ハウエルが盛大な逆噴射を行ったのだ。

「――ッ!?」

 無茶にも程がある。命知らずもいいところだ。強烈な加速に逆ベクトルかつ同程度の力をぶつければ、確かに計算上は相対速度がゼロになる。だけどいくらあのパワードスーツが頑丈とはいえ、中に入っているのは生身の人間なのだ。いくら装甲を重ねようと、たとえ支援術式〈プロテクション〉で防御力を上げようとも、慣性だけは帳消しにはならない。

 突進の時よりもさらに出力を上げたのだろう。ハウエルは何もない空中で、しかし壁にぶつかったかのように跳ね返ってきた。

『おおおおるるるるぁあああああああああッッ!!』

 体を半回転させ、右腕を豪快にスイング。空間そのものを削り取るような勢いで太い腕が大気を殴る。

 だが、僕はこれすら危なげもなく回避した。急激な加速からの急停止、そして再びの急加速。意外性はあるが、こんな極端な機動(マニューバ)では攻撃も単調なものにならざるを得ない。

 空中で倒れ込むようにして頭を下げ、膝を折る。ハウエルの豪腕が凄まじい勢いで僕のすぐ頭上を通り抜け、空を切った。

「――そこっ……!」

 そして生まれる、どうしようもない隙。狙いたいのは奴の左脇腹だが、今は体勢的にその反対側を突くことしか出来ない。

 一気に両足を開いて体勢を立て直し、すかさず左手のモンデンリヒトを突き出す。鮮やかな蒼に染まったナイフの切っ先が、薄汚く濁った青黒い装甲に牙を立てる。無論、一ミリトルも突き刺さりはしないが、接触するだけで充分だ。

「リリース・エンクロージャっ!」

 刀身に溜めに溜めた〈ボルトステーク〉と〈エアリッパー〉を解放する。途端、稲妻を帯びた巨大な風刃が発生した。

『グッ――ガッァアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!?』

 一気に展開した三日月形の風刃は、個体空気であるが故にその場に留まり、内包した〈ボルトステーク〉によってハウエルのパワードスーツに電撃を浴びせ続ける。雷光の弾ける音とハウエルの獣じみた悲鳴が混ざり、フルフェイスの兜を透過して僕の耳を劈いた。

 思いがけず強力な術式の発動に、僕は目を見開く。

 ――これって、まさか……!

 嬉しい誤算だった。強化していない僕の術力では、一つ一つの攻撃術式の威力はほとんどないに等しい。だがモンデンリヒトに溜め込み、一気に解放することによって、〈フレイボム〉の連鎖効果にも似た現象が起きたのだ。

 一まとめにされた〈エアリッパー〉は巨大な風の刃に。凝縮された〈ボルトステーク〉は強烈な電撃に。しかも二つの術式が融合して、そのどちらでもない新しい術式効果を作り上げていた。

『アアアアアアアアアアアォオオオオオオオオオオオオッッ!?』

 野獣――というよりは化物じみた咆哮を上げたハウエルは、それでも〈エアリッパー〉の大風刃に吹き飛ばされず、スラスターを全開にして抗っていた。〈ボルトステーク〉の電撃は、装甲を介して内部にまで伝わっているはずなのに。

『――ォォオオオオオオルルルルルルルァァアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!』

「な――!?」

 雄叫びを轟かせたハウエルが両手を組み合わせ、大きく振りかぶった。全身どころか神経網を焼き焦がす電撃を受けながら、それでも動いたのだ。

 スレッジハンマー。

 合わせた両手を鉄槌のように振り下ろす攻撃。モンデンリヒトの切っ先から迸る雷風刃を維持していた僕に、それを避ける術はない。咄嗟に右腕を上げて頭を庇うのが精一杯だ。

 叩き落とされる衝撃。

 防御などまるで無意味だった。無慈悲な破壊力の前に、僕の右腕による防御など紙きれみたいなものだった。

 槍のような破壊力が体を斜めに突き抜けたと思った次の瞬間には、僕は地面に叩き付けられていた。

「――――――――!?」

 わけがわからなかった。自分の体が瞬間移動でもしたのかと思った。

 弾ける粘っこい水音と、視界を染める真っ赤な光。

 そこらを流れていた溶岩の太い流れの中に、流星のごとく突っ込んだのだ――と遅れて理解する。

「――がはっ……!?」

 さらに遅れて認識したダメージに、体のあちこちが軋んだ。肺の中の空気が叩き出され、呼吸どころか心臓までもが一瞬停止する。

 体中が赤熱する溶岩に塗れているが、熱くはない。フリムがリメイクしてくれた戦闘ジャケット〝アキレウス〟――その全身鎧モード〈ステュクス〉は、今も僕の肉体をマグマの高熱から守ってくれていた。

「――ぐっ……!」

 このまま追撃を受けて動きを封じられてはたまらない、と激痛の走る身体を無理矢理に動かし、素早くマグマの河から立ち上がる。

 だが意外なことに、追撃がないどころか、ハウエルはさっきと同じ座標にいたまま動かず、慎重にこちらを見下ろしているだけ。

 ――? どうしたんだ、なぜ追い打ちを仕掛けてこない? モンデンリヒトからの術式を警戒しているのか? だが、今のはそれを無視してもいいぐらいの絶好の機会だったはずなのに……?

 膝の辺りまでを溶岩の流れに浸したまま、僕は怪訝にハウエルの巨体を見上げる。青黒い装甲には〈エアリッパー〉による大きな擦過痕と、〈ボルトステーク〉の影響による帯電が僅かに残っていて、あちこちから白い煙が細く立ち上っている。こちらも痛打を受けてしまったが、奴にもダメージが通っているはずだ。

 ――もしかして……

 ふと脳裏に閃いた直感が、僕の次の行動を決定づけた。

 溶岩の小川から飛び出し、そのまま地面の上を駆ける。敢えてスカイソルジャーの立体機動は封じて、ごく単純な疾走を実行した。

 その途端だった。

『――おるぁああああああああああああああっっ!!』

 上空で待機していたハウエルが突撃を仕掛けてきた。

 スラスターを全開にして、彗星のような強襲。

「っ!」

 そう来るであろうことは半ば予想していた。僕は素早く横っ飛びして地面に身を投げ、落雷がごとき襲撃を回避する。

 爆音。

「――!?」

 位置エネルギーと加速エネルギーとが合わさって、ハウエルの拳が岩肌の地面に大きなクレーターを穿つ。若干だがさっきよりも破壊力が上がっている気がする。思い通りにいかない展開に苛立ち、肩に力が入っているのかもしれない。

 だけど、思った通りだ。

 ハウエルは僕が溶岩の流れから離れた途端、襲いかかってきた。明らかに焦っている上、もう一つの可能性が浮かび上がる。

 ハウエルは【熱を避けようとしている】のではないか。

 気のせいかもしれないし、勝手な思い込みかもしれない。だが、僕が溶岩の流れにいる間は追撃してこず、そこから出た途端、奴は無鉄砲な攻撃を仕掛けてきた。どう考えてもおかしい。あんな当たるかどうかわからない突撃をするぐらいなら、その前に追い打ちをかけていれば、今頃は僕を再び地面に縫い止めることだって出来ていただろうに。

『逃がさねぇええええええええええッッ!!』

 強襲に失敗したハウエルが、それでもなおスラスターを噴かせて追い縋って来る。一瞬で間合いを詰められ、体勢の崩れている僕は逃げ切れず、対応するしかない。

「アキレウス、トリプル・マキシマム・チャージ!」

『マママキシマム・チャージ パワー・ムーブメント』

 咄嗟にアシストモードを発動させ、右手の黒玄〈リディル〉を立てて防御態勢を取る。刀身に左手を添えて、猛然と肉薄するハウエルの拳を斜めに受け流した。

「ぐっ……!」

 衝撃が背骨を伝って全身に走るが、力負けはしていない。フェイントとして空っぽのモンデンリヒトを突き出すと、おもしろいぐらい俊敏にハウエルの体が引いた。そうして生まれた隙間へ忍び込み、奴の左脇腹へ切り上げの一撃を加える。やはり、ガギンッ! という硬い手応え。

『無駄だつってんだろ〝勇者〟のぉ! 諦め悪いのはみっともねぇぜぇっ!』

 鬱陶しい蚊でも払うようにハウエルが両腕を振り回す。さっきまで『ベオウルフ』に変わっていた呼び方が再び『〝勇者〟の』に戻っているのは、奴の余裕のなさの表れか。

『いくらやってもテメェに俺を傷つけることはできねぇぞ! 悪あがきはそろそろ終わりにして、とっとと降参したらどうだ! 今なら小竜姫と一緒に命だけは助けてやるぜぇっ!』

 ハウエルの連撃。もう二度と僕を逃がすまいと猛撃してくる。次々に繰り出される拳や蹴りを、モンデンリヒトを囮にしたフェイントや黒玄〈リディル〉の刀身を駆使して掻い潜り、僕は地上を飛び跳ねる。

「――ふざけるな……!」

 ハウエルの口からハヌのことを持ち出された瞬間、いったんは収まっていた怒りの炎が、一層激しく燃え上がった。

 勝手なことを言うな。僕からハヌを奪っておいて、何を恩着せがましく抜かしているのだ――!

 僕は片手剣とナイフの二刀流でハウエルの猛攻を凌ぎながら、怒声を叩き付ける。

「さっきも言ったはずだ! 僕はお前達を絶対に許さない……! お前らみたいな卑怯者なんかには絶対負けないッ!」

 豪風を生むハウエルの右ストレートをダッキングで躱し、その場で切り込むように体を半回転、背中を奴に向けた状態でダッシュする。ロゼさんから教わった靠法――いわば体当たりの一種で彼我の距離をゼロに。奴のパワードスーツの腹に背中をぴったりくっつけて、

「――〈ドリルブレイク〉ッッ!!」

 左のモンデンリヒトに剣術式を重複発動。右回転で振り返りながら、短い刀身にミルフィーユのごとく重なっていく〈ドリルブレイク〉×15を抉り込むように突き出した。

 剣の時と比べて短すぎる回転衝角の切っ先が、ハウエルの臍のあたりに突き刺さり、猛然と火花を散らす。

 来るかもしれない、と危惧していた術式の分解は発生しない。正確にはモンデンリヒトに封入してからの発動ではないが、どうやら媒介として用いることで奴の術式防御を無効にしているらしい。

「ぬぁあああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 左腕に渾身の力を込めて〈ドリルブレイク〉を突き入れるが、やはりハウエルの堅固な装甲は破れない。やはり奴の言う通り、僕にこいつを傷つけることは出来ないのか。

 ガシッ、と両肩に硬く重い感触。これまでにない雰囲気に視線を上げると、ハウエルが僕の両肩をその大きな掌で掴んでいた。

 これまでにない間合いの近さが、当然のごとく仇になった。

『――捕まえたぜぇ』

 先程までとは打って変わって、いっそ穏やかなほどの宣告。だが同時に、舌なめずりする肉食獣のような獰猛さも秘められている。その温かくて冷たい感触に、ぞっ、と背筋が捻れるほどの戦慄が走った。

 もう逃げられない。この拘束を解くには、僕の素の筋力では足りなさすぎる。このままハウエルがスラストを全開にすれば、凄まじい勢いで壁や天井に激突させられてしまうだろう。

『こいつが大人として、最後の情けだ。一応な』

 今なおグラインダーがごとき激音を立てて〈ドリルブレイク〉が火花を散らす中、ハウエルから最終通告が降ってくる。

『死にたくなけりゃもう諦めな。何度も言ったはずだぜ。【テメェは俺に勝てねぇ】。相棒の小竜姫を人質に取られた時点で、そっちの負けはもう決まってたんだよ。支援術式の使えねぇテメェみてぇなガキに、これ以上一体何が出来る。往生際が悪ぃにも程があらぁな』

 超加速による激突でなくとも、ここでハウエルが僕の身体を抱きしめ、その怪力でベアハッグされればどうなることか。

 もはや、僕の生殺与奪の権利はハウエルの手中にある。

 だからだろう。

『悪いこたぁ言わねぇ、降参しな。俺も鬼じゃねぇ。あそこのデカブツ共と違ってな。なんだかんだ言ったが、ガキを殺すのは流石に夢見が悪ぃからよ』

 ハウエルの声は静かで、僕を諭すように語りかけてくる。いつでも潰せる、いつでも殺せるという心の余裕が、奴にそんな態度を取らせているのだろう。

 だが、僕の答えなど決まり切っていた。

「誰が……っ!」

 降参などするものか、と瞋恚を込めて上目遣いにハウエルの顔を睨みつける。フルフェイスカバーの両目に灯る海老色の光と、〈ステュクス〉のバイザー越しに視線がかち合った。

『……わからねぇな、ベオウルフ。お前さん、俺が裏で聞いた話じゃ、元々は〝ぼっちハンサー〟なんてぇ名前で呼ばれていたヘタレだったそうじゃねぇか。そんな奴がどうしてそこまで意地を張りやがる?』

 いっそ憐憫の響きすら織り交ぜて、ハウエルは心底理解できないとでも言う風に首を振った。〝ぼっちハンサー〟――かつて僕につけられていた蔑称を知っているということは、やはり最初から見くびられていたのだろう。思い返せば、奴はそんなことばかりを口にしていた。そうくるとは読めなかった、驚いたぜ――と。

 ハウエルの中で僕は所詮、たまさか偶然が重なって成り上がった一発屋、という認識だったのだろう。奴がいつも『探検者狩りレッドラム』として相手しているエクスプローラーのように、ある程度追い詰めればすぐに降参するものと見ていたのだろう。

 それはある意味、間違ってはいない。

 以前までの僕なら、きっとそうしていたと思う。ハヌと出会っていなかったり、あるいは今のように彼女を人質に取られてさえいなければ――命が助かるのなら、と降参していたかもしれない。

 だが、実際にはそのどちらでもない。僕はハヌと出会った僕で、そのハヌは今、ハウエルの手先であるヤザエモンの手によって連れ去られたままだ。

 故にハウエルの降伏勧告は、何があろうと呑み込むわけにはいかなかった。

 僕はハウエルの腹部装甲を抉る〈ドリルブレイク〉をそのままに、大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。

 この状況で、あくまで大人の男として温情を見せてきたことに対しては正直見直したし、感謝するべきなのかもしれない。〝追剥ぎ〟などと呼ばれる由来となった、相手の命を極力奪わないようにしている方針(ポリシー)は一周回って尊敬にすら値する。

 だから、僕もせめて、己の意志だけははっきりと告げようと思った。

「……僕は確かに、友達のいない〝ぼっちハンサー〟で、勇気も度胸もないヘタレだった。それは認める」

 視線は合わせたまま決して外さない。情けなくて恥ずかしい過去ではあるけれど、それだって僕の一部だ。なかったことには出来ないし、目を背けるつもりもない。全部受け止めた上で、僕は前に進むしかないのだから。

「――だけど、一人ぼっちでも、ヘタレでも……譲れないものがある……っ!」

 歯を食いしばり、僕は全身に力を込める。

 いつしかハヌに言われたことがある。『おぬしは本当に強欲じゃのう、ラト』――と。

 いつだってそうなのだ。僕はきっと欲が深い人間なのだ。だからいつも肝心な時に折れることが出来ない。妥協することが出来ない。

 嫌なことを嫌なまま受け入れるぐらいなら、死を選ぶ――そんな悪癖があって、未だにハヌにも、ロゼさんにも、フリムにも怒られている。

 でもきっと、それが僕の性(さが)なのだろう。

「お前は僕からハヌを奪った。卑怯な手を使ってあの子を連れ去った。何を言われようが、それを許す気にはならない……!」

 どれだけ燃えても尽きない炎。それこそ、この場にある溶岩のごとく煮え滾る感情。熱く鼓動する思いが、僕の全てを衝き動かす。

『……その小竜姫の命と一緒に見逃してやる、つってんのにか?』

「そんな言葉を信じるほど僕は馬鹿じゃない」

 慈悲深そうに聞こえるその言葉を、僕は間髪入れずに斬り捨てた。

 僕はまだ子供だ。けれど、そんな『いかにも』な言葉を信じるほど、純真ではもうない。大人は、特にエクスプローラーはよく嘘を吐く。そうでなくとも、こちらを騙そうとする。陥れようとする。そんな相手を僕はもう何人も見てきた。苦汁を舐めさせられてきた。

 だからもう、そんな見え見えの手には引っ掛からない。

「だから、僕はお前の要望通り公平な勝負をして――その上でハヌを取り戻す。降参なんてしない。僕は戦う。戦って、お前に勝つ……!」

 決然と宣言する僕に、ハウエルはしばし無言。僕の〈ドリルブレイク〉が奴のパワードスーツを削る音だけが、どこか場違いのように響き続ける。

 次に放たれたハウエルの念は、猛獣が唸るがごとく低まっていた。

『……本当にいいんだな?』

「ああ」

『……死ぬぞ、テメェ』

「構わない。それに、さっきも言ったはずだ」

『ぁあ? さっき?』

 いまいちピンと来ていないハウエルに、僕は歯を食いしばり、先刻と同じ宣告をぶつけた。

「――お前みたいな卑怯者には絶対に負けない、って……!」

 改めて口にした途端、ただでさえ熱くなっていた胸がさらに温度を上げた。

 僕の言葉を受けたハウエルは、やはり先程と同じように、ハッ、と笑った。

『――上等だ、クソガキ。それなら、俺もさっきこう言ったはずだぜ? この世は〝弱肉強食〟、綺麗ごとだけで生きていけるほど世の中は甘くねぇ――ってなぁッ!』

 とうとうハウエルが両肩を上げ、大きく身を乗り出した。僕の肩を掴んだ両手が万力のごとく締め付けられ、〈ステュクス〉の装甲がミシミシと音を立てる。フリムが改良してくれた全身鎧は奴のパワードスーツに負けず劣らず頑丈だけど、関節の可動範囲が広い分、こういった攻撃には弱い。可動部を強引に捻られると、鎧は問題なくとも中にいる僕の骨が折られてしまう。ハウエルはまさしく、僕を『捻り潰す』ことが可能なのだ。

 僕はハウエルがかけてくる強烈な圧力に全身で抵抗しながら、

「っ……そんなこと……言われなくてもわかってる……っ……!」

 共存共栄なんてのは所詮、理想論でしかない。そうあって欲しいとは思うけれど、実際の世の中はそうなってはいない。それぐらい僕だって知っている。

 普通に考えて、僕とハウエルとでは弱いのは僕で、やはり負けるのも僕だ。

「それでもっ……!」

 そんなことはとっくにわかっているのだ。

 そんなことはわかった上で、それでもなお退けないのだ。

 何故なら、

「――気に喰わないものは、どうしたって気に喰わないっ……!」

 ハウエルがエクスプローラーを襲う『探検者狩りレッドラム』であること。僕達やヴィリーさんの前に突然現れて、『放送局』を盾に脅迫してきたこと。あまつさえ腹心のヤザエモンを使ってハヌを誘拐したこと。

 その何もかもが【気に喰わない】――許すことができない。

「――だから、僕は絶対にお前を許さないっ! お前みたいな卑怯者に降伏するなんてクソ喰らえだっ! 僕は――!」

 激情に駆られて気炎を吐く最中、辺りに散らばせていた〈イーグルアイ〉の視覚情報が意識の端に引っ掛かった。そちらに映っているのは、冥王イザナミを前に膝をつく、三体の角持つ巨人達。

「――相手が誰だろうと自分が納得できないことには頷けないし、理不尽な暴力の前に膝を屈したりもしない!」

 その瞬間、一か八かの覚悟が決まった。僕は己の〝SEAL〟を全身全霊で励起させ、ありったけの術力を充填する。〈ステュクス〉の表面にまでディープパープルの幾何学模様が浮かび上がり、捻れた光が迸った。

「目の前に立ち塞がるのなら――僕は神様にだって楯突いてやるッ!」

 叫びながら〝SEAL〟の出力スロットに剣術式を多重装填。右手の黒玄〈リディル〉をストレージに収納し、両手でモンデンリヒトの柄を握る。

「〈ドリルブレイク〉ッ!」

 エーテリニウム製の刃を介して発動中の〈ドリルブレイク〉をさらに重ね掛けして、三十連に。手元の回転衝角が太さを長さを増し、背中から噴き出すフォトン・ブラッドの出力も上昇。

「〈ドリルブレイク〉ッ!」

 さらに重ね掛け、

「〈ドリルブレイク〉ッ!」

 さらにさらに重ね掛け、

「〈ドリルブレイク〉ッ!」

 さらにさらにさらに重ね掛け、

「〈ドリルブレイク〉ッ!」

 さらにさらにさらにさらに重ね掛けていく。

 都合九十連となった〈ドリルブレイク〉は、子供の頭ぐらいなら一瞬で砕けそうなほど肥大化していた。〝アブソリュート・スクエア〟状態でならハウエルのパワードスーツなど粉々にしていただろうが、今の僕の力ではやはりビクともしない。だが、それでいい。僕が欲しいのは攻撃力ではなく、推進力なのだから。

『ハッハァッ! 今更何のつもりだこのクソガキがぁッ! 散々やって俺の装甲は破れねぇってことがまだわからねぇか!』

 両手に力を籠めて僕の肩を握り潰さんとするハウエルが、勝ち誇ったように吼える。さっきまでミシミシと軋んでいた〈ステュクス〉の肩甲が、今はメリメリと変形していくのを感じる。だが同時に、僕の背中から噴出するフォトン・ブラッドの勢いに押され、ハウエルの脚が、ずっ、ずずっ、と後ろへ滑っていく。

「わかってるさ、それぐらい……!」

 そう、例えあと百回〈ドリルブレイク〉を重ね掛けしたところで、ハウエルのパワードスーツに穴は空けられまい。そんなことは先刻承知の上だ。

「だけど、装甲を砕く以外でお前を倒す方法ならある……っ!」

『ぁあ? 何をトチ狂ってやがる、んなものがあるわけ――』

 戯言(たわごと)と笑い飛ばそうとしたハウエルの言葉を遮って、僕は単刀直入に斬り込んだ。

「温度調節機能が壊れたか、オーバーロードしているんだろう?」

『――――』

 面白いぐらい率直にハウエルの舌が停止した。その致命的な隙へ、僕は獰猛に喰らい付く。

「僕の攻撃術式で壊れたのか、それとも元々の仕様だったのかはわからない。だけど、今のお前は明らかに高温のマグマを避けているし、排熱の多い大きな動きもしたがらない。こうして僕を捕まえたのが何よりの証拠だ。お前の戦闘スタイルは『殴って潰す』だろう。こんな風に相手を捕まえた上でのノウハウなんてほとんどないはずだ。実際、今みたいに握って潰すぐらいしか思いつかないんだろう?」

『…………』

 僕の指摘が次々とハウエルの図星を刺していくのが手に取るようにわかる。こんな体勢、ロゼさんとの散打(さんだ)で何度も経験した。あの人が相手だったら、僕はもうとっくに組み敷かれて地面と接吻させられているはずだ。そうなっていないのは、ハウエルに寝技の心得がないからだ。

「それに、お前の装備はグレート・ブルーゲート――つまり水中戦で使うことを想定しているはず。【海の中でなら効率的に排熱できる】んだろうな。でも、地上ではどうなんだ? ただでさえ水の抵抗ありきの高出力だっていうのに、こんな気温の高い空間であんな無造作に使い続けて、ただで済むわけがない。隠しても無駄だぞ。もう限界が近いんだろう? さっきから焦って苛立ってるし、変な説得をしてきたのもそのせいだ。【お前はもう、本当はこれ以上動きたくないんだ】。だから僕に降伏勧告なんて似合わない真似をしたんだ」

 ハウエルの心へナイフを突きつけるように、僕は冷酷な指摘を畳み掛ける。僕の舌鋒はこの時、どんな針よりも鋭かったに違いない。

『――ハッ! 仮にテメェの言う通りだとして、だからどうだってんだ? まさかこのまま根比べでもして、俺がオーバーヒートで倒れるまで粘るつもりじゃねぇだろうな?』

 肉食獣じみた笑み――フェイスカバー越しでも容易に想像できる――を浮かべたハウエルが、さらに肩を怒らせ重圧(プレッシャー)を高めてくる。僕の〈ドリルブレイク〉にじりじりと押されていた足が、ぐっ、と地面を掴んでそれ以上動かなくなった。青黒いパワードスーツの各所についたスラスターから、コォォォ、と吸気音が流れ出す。いざとなれば全力噴射を行い、僕を壁に叩き付けてやろうというのだ。

『――できると思ってんのか? ええ?』

 させるものかよ、とばかりに凄むハウエルに、僕はバイザーの奥の瞳をギラつかせて答える。

「――そんなものより、もっと確実な方法がある……!」

 ギリギリと両肩を締め上げる圧力に顔をしかめながらの言い返しに、ハウエルがさらに嗤う。

『ハッハッハッハッハァッ! おもしれぇじゃねぇか! いいぜ、やれるものならやってみやがれ! ――やれるもんならなぁッ!』

「――ッ!?」

 ガンッ! と額への唐突な衝撃。何事かと思えば、ハウエルが首を伸ばして頭突きをしてきたのだ。お互いのヘルム同士が激突し、震動が脳を揺さぶる。鼻の奥で血の味が広がった。

 ハウエルのアイレンズから海老色の光が迸り、奴の熱い意思を示すかのごとく、鬼火のように燃え上がる。

『どれだけ能書きを垂れようが最後に立っていた奴の勝ちなんだよ! 俺にグチャグチャにされてもまだ生意気を抜かせるか――試してやろうじゃねぇかッ!』

「っ……!」

 頭と両肩、三点に凄まじい圧力が掛かる。背中から噴出する〈ドリルブレイク〉のフォトン・ブラッドに挟まれて身体がぺしゃんこになりそうになる。

 だが、

「――勝つのは、僕だ……っ!」

 負けない。負けてたまるものか。こんな奴に絶対負けたくない――!

 歯を食いしばって重圧に耐える。僕はさらに〝SEAL〟を励起させ、剣術式を出力スロットに装填。そこへ、

『いいや勝つのは俺だッ! テメェみてぇなガキにゃあわからねぇだろうが、大人の男には意地がある! 誇りがあるッ!』

 ハウエルが怒鳴った瞬間、ごきり、と音を立てて僕の右肩が外れた。弾けるような激痛が走り、あまりの衝撃に悲鳴すら上げられなかった。心の中だけで呻きを上げ、苦痛に耐える。気温のせいではなく体温が上昇し、全身の毛穴という毛穴から脂汗が噴き出した。

『駄々をこねるだけのクソガキには――負けてられねぇんだよおぉッ!』

「ぐっ――うぅぅぅぅぅ……ッ!」

 重圧(プレッシャー)が天井知らずに増していく。右肩に火傷しそうなほどの灼熱感が集束する。骨だけじゃなくて筋繊維までもが千切られていく感触。もはや肩から先の感覚がほとんどなくて、右腕は身体にくっつくいているだけの付属物と化していた。

 激痛で目の前がチカチカと明滅する中、僕は血を吐くように剣術式を音声起動(コール)。

「――〈ドリルブレイク〉ッ!」

 現在の僕が同時発動できる出力スロットの最大数は二十。安定した処理なら十五ぐらいが堅実だけど、今はとにかく時間が惜しい。後先など考えず術式をスロットにぶち込んでいく。

「〈ドリルブレイク〉ッ!」

 さらに二十を上乗せ発動。これで百三十連〈ドリルブレイク〉がモンデンリヒトを介して稼働していることになる。繰り返し積み重ねられた深紫の回転衝角は、もはやナイフのそれではない。短い柄が頼りなく見えるほどの塊となってハウエルの腹を抉る。相変わらず擦過音ばかりが激しくて、僅かばかりも装甲を削れないが、それでも背中から噴出するフォトン・ブラッドの勢いは積み重ねただけ盛り上がっていく。

「――ぉおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああッッッ!!!」

 我知らず雄叫びを上げる。僕の全身を押すディープパープルの推進力は再びハウエルの抵抗力を超え、ブーツの底を滑らせ始める。

 まだだ。まだ足りない。

「〈ドリルブレイク〉ッ!」

 さらに〈ドリルブレイク〉×20を上乗せしたところ、とうとうハウエルの巨体ごと僕の身体が浮かび上がり、空中を飛翔し始めた。

「――〈ドリルブレイク〉ッッ!」

 そこへダメ押しがごとき追加発動。前代未聞の百七十連〈ドリルブレイク〉の推力は、もはや僕の身体よりも巨大だ。彗星の尾のようにも見える深紫のスラストによって、ロケットのように加速する。僕とハウエルの二人の身体が勢いよくかっ飛んでいく。

 目指す先は――『女王の間』の中央に屹立する、【巨大な火柱】。

『――!? まさかテメェ……!?』

 放たれた矢のごとく飛ぶ中、今更になって僕の目的に気付いたハウエルが色の失った念を放った。

『――おいおい正気かよ!? テメェ……自爆するつもりか!?』

 次いで、僕の頭を心配するようなことを言ったかと思えば、パワードスーツの全身から海老色のフォトン・ブラッドを噴出し、減速を試みる。

 本来なら水中を高速移動するためのスラスターによる全力噴射は、流石の百七十連〈ドリルブレイク〉の勢いすらを止めるものだった。僕とハウエルは急速に飛行速度を落とし、やがて空中の一点で静止する。無論、止まったのは互いの押し合う力が釣り合っただけであり、いつどちらに振り切れてもおかしくない緊張状態である。動的な静止、とでも言うべき状況だ。

 ギチギチと鬩ぎ合う、まるで鍔迫り合いのような状態で、僕は呻くように告げる。

「我慢勝負だ……!」

『ぁあ!?』

「お前と僕とで我慢勝負だ! このままあの中に突っ込んで、【上】まで突き抜ける……! 付き合ってもらうぞ……!」

 そう、ハウエルの洞察は正しい。

 僕はこのまま、ハウエル諸共あの火柱へ突っ込む。イザナミがマグマの力を吸収していたあの中へ飛び込み、遙か上方にあるはずの火口まで上昇し、突き抜けるのだ。

『――お、おいおい、おいおいおいおい! 気は確かかよ〝勇者〟のッ!? わかってんだろうが! んなことしてみろ――テメェも俺もただじゃ済まねぇぞッ!?』

 ハウエルの通信からは余裕などとっくに弾け飛んでいた。心中するつもりか、と必死にスラスターを噴いて全力で抵抗している。

 さっきまでの威勢はどこへやら、周章狼狽する大男に、僕は口元に笑みすら浮かべて首肯した。

「ああ、わかってるさ。【だからこそ】だ……!」

 我ながら馬鹿げた作戦だと思ってはいる。いや、作戦ですらないかもしれない。しかし、だからと言って自暴自棄になったわけでもない。

「僕の攻撃じゃお前の装甲は破れない。このままじゃ僕は負ける。だけど、お互いの防具の耐久性で勝負するなら話は別だ。僕はこの鎧を――この鎧を作ってくれた人を信じている。ここからあそこに入って、火口に抜けた先までお前が耐えられたのならお前の勝ちだ。でも、耐えられなかったなら――」

 歯を食いしばり、ただでさえ暴走状態にある〝SEAL〟をさらに活性化させる。〈ステュクス〉の表面で弾けていたディープパープルの電弧(アーク)みたいな輝きが、さらに激しさを増した。

「――僕の勝ちだ」

 既に体内のフォトン・ブラッドの底が見え、枯渇状態(イグゾースト)も間近なのは確実にわかっていたが、そんなことはどうでもよかった。

 絶対に勝つ。

 この瞬間、僕はそれだけしか考えていなかった。

「〈ドリルブレイク〉」

 一転して囁くようにして追加発動した剣術式によって、手元の回転衝角がより一層肥大化する。これにより僕とハウエルの間の距離は少しだけ離れるが、まだ奴の腕が届く範囲内に収まっているため、密着状態は崩れない。

 新たに発動した〈ドリルブレイク〉×二十により、都合百九十個分となった背中の推力は化け物じみたものへと進化した。頭の中では百九十人の僕が押し寄せる術式の処理に忙殺されている。それらそ全て高速並列処理している間に、ハウエルのスラスターの均衡が崩れ、再び僕の方が奴を押し始めた。

『――ううぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!』

 ハウエルが悲鳴じみた咆哮を上げた。既に全開かと思われていた海老色のスラストが、さらに勢いを増す。奴も必死だ。やはり僕の指摘は正しかったのだろう。ハウエルのパワードスーツの温度調整機構は故障しているか、既に飽和して十全な機能を発揮していない。あの中に飛び込んだら一溜まりもないのだ。それがわかっているからこその死に物狂いの抵抗なのだ。

 だがもう遅い。

「〈ドリル……ブレイク〉……ッ!」

 頭のどこかで、本能が警鐘を打ち鳴らしている。それをまるごと無視して、さらに剣術式を上乗せした。普段は〝アブソリュート・スクエア〟による身体能力の変化に意識を割かなければならないけれど、今はそのリソースすらも術式制御につぎ込めるのだ。

 その結果の、二百十連〈ドリルブレイク〉。

『ぬぅぅぉぉおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!』

 ハウエルの懸命な抵抗も、尋常ならざる積み重ねの果てに得られた〈ドリルブレイク〉の推力には勝てなかった。

 互いの力の拮抗は大きく崩れ、僕とハウエルは一塊となって一気に加速した。

 弾丸のごとく、中央の火柱めがけてまっしぐらに『女王の間』を飛翔する。

「――ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 気付けば僕も負けじと腹から声を上げていた。もうこれ以上の術式行使は出来ない。ほぼ枯渇状態(イグゾースト)に陥る直前で、言うなれば首の皮一枚で意識が繋がっている状態だ。あと一回でも術式を発動させたら、その後まともに動けるかどうか自信がない。

 ――だから、これで決める……!

 乾坤一擲の覚悟をもって喉元までせり上がってきた恐怖を呑み込む。僕にだってわかっている。ハウエルの言う通り、これは正気の沙汰ではない。マグマの煮え滾る火山の中枢へ飛び込もうというのだ。フリムがリメイクしてくれた〝アキレウス〟の性能を信じているとは言ったが、別に彼女から絶対の保証をもらったわけではない。むしろ、後でばれたら死ぬほど怒られるに決まっている。それほど馬鹿なことを、僕はこれからやらかそうと言うのだ。

 しかし、迷いはこれっぽっちもなかった。躊躇もなかった。こうでもしなければハウエルに勝てないのは自明の理だった。

 ならばやる。

 それが僕の選べる唯一の選択肢だから。

「いっっっけぇぇえええええええええええええ――――――――ッッッ!!!」

 逆ベクトルに噴射する海老色のフォトン・ブラッドの圧力を押し潰し、瀑布を昇る龍のごとく押し進む。

 視界の中、目指す紅玉(ルビー)がごとき火柱がぐんぐんと近付いてくる。

 そこへ、

『――WWWWWWWWWOOOOOOOOOOOOORRRRRRRRRRWWWWWWW!!』

 冥王イザナミの雄叫びが耳を劈く。僕達の急接近に反応したのだ。

 結局のところ僕とハウエルが戦っている間、こいつは何もしてこなかった。それどころか、戦意を失った一号氏達にすら見向きもしていなかった。

 つまり、中央の火柱からエネルギーを吸収することがイザナミにとっての最優先事項なのだ。だからそこへ近付いてくるものは何が何でも排除するし、逆に言えば近付いてこないものには手出ししない。あのヘラクレスの初期状態と同じだ。

 だが、今はこいつの相手をしている場合じゃない――!

『WWWWWWWWWWWOOOOOOOOOOOOOOOORRRRRRRRRRRRRAAAAAAAA――!!』 

 立ちんぼだったイザナミが俊敏に振り返り、豪奢な鬣(たてがみ)にも見える炎髪を振り乱しながら両腕を上げ、戦闘態勢に入った。巨大な建物そのものが動くような壮大さには改めて目が眩みそうになるが、それでも僕は各所に散った〈イーグルアイ〉の視野情報も含めて奴の動きを観察する。

 猛火をまとった黒い腕が空間を削り取るようにして振るわれる。長い爪が大気を裂き、そこから新たに爆炎が生じた。

「――ッ!」

 炎の壁――否、怒濤が僕とハウエルめがけて押し寄せてきた。巨大な怪物が放つ、点ではなく〝面〟での攻撃。決して中央の火柱――言うなれば奴の居座る〝玉座〟へ近付けまいとする意思を感じる。

 だが、これから地獄へ飛び込まんとしている人間に、どれほどの意味があるのか。

 構うことはない。

 突っ込んでやれ。

「はぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 どうせ僕の前にはハウエルがいる。最初に劫火の津波に突っ込むのは奴の背中からだ。ましてや青黒いパワードスーツを熱で焼くのが僕の目的なのだから、むしろもってこいの展開である。

 物理的な圧力すら有する火炎の波に勢いよく突っ込んだ。僅かな抵抗、しかしすぐに振り払い、突き抜ける。

『WWWWWWWWWWWRRRRRRRRRRRRRAAAAAAAAAA――!!』

 次なる冥王の動きは速かった。最初から炎だけでは僕達を止められないとわかっていたのかもしれない。津波のような猛火を抜けた先へと移動し、鋭利な爪を備えた手を振り下ろしてくる。奴にとっては羽虫がごとき僕達を、その手ではたき落とそうというのだ。

「くっ……!」

 タイミング的にはドンピシャ。こちらの速度を見切られている。でもこれ以上の加速はできないし、かといってハウエルが全力全開で抵抗している限り、僕も減速はできない。というか、〈ドリルブレイク〉のスラストに出力の加減なんてプロパティは存在しない。『0』か『100』かのどっちかだ。

「――このっ!」

 咄嗟の判断で僕は両脚を後ろへ跳ね上げ、スカイソルジャーの機能で見えない壁を蹴っ飛ばした。急激な方向転換。僕とハウエルは軌道を鋭角に曲げ、下に向かって落ちる。まるでフォークボールのごとく。

「――ッ!?」

 予想とはまるで違う軌道の変化に焦る。多分、ハウエルの噴かしているスラスターの影響が大きい。ほんの少しだけタイミングをずらして、イザナミの手のすぐ下をくぐり抜けようと思ったのに。これでは火柱に到着する前に地面へ激突してしまう。

「――――!」

 この速度で下に向かっているベクトルを上向きへ修正するためには、かなりの反動が必要となる。さっきと同じ要領でスカイソルジャーで力場を蹴るしかないが、今の僕には身を守る〈プロテクション〉はかかっていない。結果として足が骨折するだけならまだいい。下手をすれば下半身の骨が全部砕けてしまうかもしれない。

 だが、

「――さ、せ、る、かぁぁああああああああああああああッッッ!!!」

 さっきも言った通り選択肢など他に存在しない。やるしかないのだ。

 僕は左足だけを下へ叩き付けるように下ろし、スカイソルジャーの靴底に展開した力場を全力で蹴った。

「ッ!?」

 爆発する激痛。踵から脳天まで衝撃が突き抜ける。もはや『痛い』とか『熱い』とかではなく、はっきりと『砕けた』という感触だけが光のように神経を走った。左足はもう使い物になるまい。

「うぁあああああああああああああああああああああああッッッ!?」

 悲鳴なのか雄叫びなのか自分でも判然としない声を上げて、僕は再度の方向転換に成功する。やはりハウエルの抵抗により希望通りの軌道には乗らなかったが、それでもこのまま直進すれば火柱へ突っ込むコースだ。

 結果として僕とハウエルはバウンドボールのような軌跡を描いてイザナミの懐をかいくぐり、真っ赤に燃える広間の支柱へと肉薄する。

『――クッッッソガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!』

 獣の咆哮がごときその大音声が、僕がこの場で聞いたハウエルの最後の声だった。

「――っ!」

 ハウエルの背中が火柱へ突っ込む直前、両腕を釣り竿を振り上げるようにして持ち上げ、さらには生き残っている右足で大気を蹴り、進行方向に修正を加える。

 畢竟、僕とハウエルは『J』形のカーブを描いて溶岩の柱へと飛び込んだ。



 巨大な滝に突っ込んだような感覚。

 全身が膨大な熱に包まれる。全方位から暴力的な重圧が押し寄せてくる。



「ぐっ……!?」

 フロアマスターが身を浸してエネルギーを吸収していた溶岩は、想像以上の熱量を有していた。『女王の間』のそこらを流れていた小川とは比べものにならない。火山の真下、おそらく火口に直結しているであろう『主流』の熱だ。支流と違って生半可であるはずがない。

 それでも。

「――づぁあああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 自分にしか聞こえない叫びを〈ステュクス〉内部に響かせ、僕は溶岩の流れの中を突き進む。真上に向かって上昇を続ける。

 真っ赤に染まった視界にハウエルの姿は見えない。だが奴の存在が目の前にあることだけは明白だ。両肩を掴む手の力は先程よりも強くなっていて、絶対に僕から離れるまいとしていることがわかる。然もありなん。こんなところで僕と離れれば、むしろ奴の死はその瞬間に確定する。これが我慢比べである以上、必ずタイムオーバーの瞬間はやってくる。火口を突破して地上へ飛び出すまで、ハウエルは何があっても僕から離れるわけにはいかないのだ。

 粘性の液体の中を泳ぐ中、しかし皮膚に大した熱は感じられない。鎧の外側が相当まずいことになっているのは何となくわかる。だが〈ステュクス〉の装甲が僕の身を守り、また体温調節機能が全力で稼働してくれているのだ。

 これなら大したダメージもなく火口まで行けるかもしれない――と、そう考えたのが浅はかだった。

 考えてみれば当たり前の話だけど、鎧の内部が熱くないということは、本来そこにあるべき熱量をどこかへ排出しているからであって。そして、それは熱帯地域や炎の中といった高温の環境での使用を考慮して実装されたものであって、決して溶岩の海の中を泳ぐための機能ではなく。

 つまり、限界はすぐに来た。

 最初は皮膚にまとわりつくような僅かな熱気だった。クーラーの効いた部屋の外から入ってくるような、生暖かい風のような。

 それが火傷しそうなほどの熱風に変わったのは、ほぼ一瞬のことだった。

「……!」

 熱い。暑い。痛い。灼ける。汗が噴き出る。嫌な圧力を感じる。生きたままオーブンの中に入れられたロブスターのような気分。全方位から押し寄せる熱気がジリジリと皮膚を焼いていくのを感じる。

 火柱の中に突っ込んで、まだ十秒と経っていないのにこれだ。

 ――こんなにも早く……!?

 我ながら愚かしいことだが、正直言って想像以上だった。全身を包む〈ステュクス〉の装甲があっという間に熱を持ち、体温よりも熱くなる。こうなると身を守るはずの鎧が逆に肌を焼く鉄板と化した。ファラリスの雄牛もかくやという状態だ。

「――ぐぅ……!」

 身体のあちこちがヒリヒリする。このまま火口に到着する前に熱さで溶けてしまうかもしれない――そんな不安が鎌首をもたげる。鎧が溶けて内部にマグマが侵入し、生きたまま焼け死ぬ――あるいは、鎧は無事でも中身の僕が茹で上がってしまい、肌は赤く、眼は真っ白になって――

 今更ながら無謀すぎたのかもしれない、と後悔が押し寄せてきた。下手をすれば、ハウエルに勝つどころか、ここで二人して野垂れ死ぬ可能性だって――

「――~ッ……!」

 次第に脳裏を占め始めた不吉過ぎる想像を、僕は頭を振って追い払った。

 何を情けないことを考えているんだ、僕は。既に賽は投げられたのだ。ここまで来て後悔しても意味がないではないか。

 突き抜けるしかないのだ。このまま最後まで――!

「……っ……!」

 背中から噴出する〈ドリルブレイク〉のスラストが僕とハウエルを加速させ、溶岩の中を押し上げていく。マグマの激流が全身を洗うように流れ去っていく。その都度、新しい熱が〈ステュクス〉の装甲を熱くさせて内側の僕を焼き蒸す。

 ハウエルは既に抵抗を止め、フォトン・ブラッドの噴射を止めているようだった。あるいはスーツの噴射口が故障したのかもしれない。それ故、僕とハウエルの体はさらに速度を増し、灼熱の濁流の中を凄まじい速度で進んでいく。

「……ッ! くっ……ぅぅぅ……!」

 とうとう身を包む熱さが手足を痺れさせるほどになってきた。鎧の内部は既にサウナよりも熱気に満ちている。枯渇状態(イグゾースト)寸前なのもあって、いつ意識が途切れてもおかしくなかった。

「――ぅぅぅぅぅ……!」

 全身を襲う激痛に呻き声しか出せない。僕は今、焼かれている。全身を火で炙られているかのように。手足を包む装甲から伝わる熱が、熱した鉄板のごとく皮膚を直に焼いている。フライパンの上に載せられた食材の気持ちがわかるようだ。もはや『熱い』というよりは『痛い』という感覚しかなく、それが体の至る所に発生しすぎてもはや場所を特定できない。痛みは頬や耳、首元にまで浸食し、鼻には肉の焼ける匂い――【僕の灼ける匂い】が入ってくる。それが、生きながら焼け爛れていく自身の肉体を想像させて、より一層の恐怖を誘った。

 ダメだ。死ぬ。このままじゃ遠からず焼け死ぬ。だけど、今更戻るわけにはいかない。戻ったって間に合わない。でも、このまま進み続けたところで大丈夫な保証もない。

 もはや目も開けていられなくなった。目を瞑って、暗闇の中で歯を食いしばって痛みに耐える。

「――――」

 それから、どれほどの時間を耐えていたのだろう。

 気が付けば、僕は真っ暗闇の中にいた。

 僕は今、どこにいるのだろう。火山の中の、どのあたりまで来ているのだろう。僕とハウエルの体はまだ、ちゃんと火口に向かって進んでいるのだろうか。わからない。わからない。わからない。頭の天辺から足の爪先まで熱に炙られすぎて、五感がまともに働いていない。熱い。暑い。あつい。アツイ。

 思考能力がどんどん削られていく。体温が上がりすぎて脳みそが茹だっている。意識が朦朧として、うっかりすると術式制御が乱れそうになる。

 ――いや、ダメだ、しっかりしろ! こんなところで〈ドリルブレイク〉がキャンセルされたら、それこそ死亡確定(オダブツ)だぞ!

 落ちかけた意識に活を入れるが、それだって長続きはしない。それほどまでに身を包む熱量は凄まじかった。

 さっきまで耳に届いていた、汗の蒸発する音や肉の焼ける音さえもが急速に遠ざかっていく。火傷の痛みが常態化して、もはや全身が丸焦げになっているような気がする。自分がまだ生きて思考しているということ自体が信じられない。

 ――だ……め、だ……もう……な、にも……かん、が……え……

 自分が今どうなっているかもわからなくなって、自分が今何をしているのかもわからなくなって、自分がどうしてここにいるのかもわからなくなって、もう何もかもがどうでもよくなって、全部投げ捨てて、諦めて、意識も心も閉ざしてしまおうとした、その瞬間――



 声が、聞こえた。



「――……?」

 自らの内側に響いたその声に、けれど自身の理解が追いつかない。

 けれど、かろうじて生き残っていた理性の一欠片が、その声の分析を始めた。

 聞こえる。

 ラト、と僕を呼んでいる。

 負けるな、と僕を応援している。

 その声が誰のものかなど、誰何する必要なんてない。

 ハヌ。

 あの子の声が、耳に響いているのだ。

「――――――――ッ!!!」

 脳髄に雷撃が走り、僕は弾かれたように意識を覚醒させた。

 ――ハヌが、僕を呼んでる……!

 勿論、幻聴であることぐらいわかっている。今頃あの子はここではない別の場所にいるはずだし、そもそもこんな溶岩の中に声を届けられようはずがない。

 だけど、聞こえる。

 確かに、僕を鼓舞するあの子の声が聞こえるのだ。

 それは、ヘラクレスと戦っていた時に聞こえてきた声。

 僕を『ラト』と呼んで、『負けるな』と声を枯らして必死に応援してくれた、あの時の声。

 思い返せばひどく昔のように思えるけれど、しかしハヌの声は、僕の魂の奥深い場所にしかと刻み付けられていたのだ。

 生きるか死ぬかの極限状態。眼前にまで近付いてきた死の瀬戸際――それを撥ね退けるかのごとく、心に聞こえてきたハヌの声。

「――ぐっ……ぅぅぅぅうううううううう……!!!」

 再び歯を食いしばり、僕は重い瞼を開いていく。

 何をしているラグディスハルト。諦めている場合か。あの子が、ハヌが待っているんだぞ。僕が助けに行くのを心待ちにしているんだぞ。

 こんな場所で死にそうになっている場合か――!

「がぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!」

 血反吐を吐くように誓いの雄叫びを上げる。

 ハヌを守る、ハヌを助ける――それはかつて友達も仲間もいなかった〝ぼっちハンサー〟が、胸の中に広がる不毛の荒野に立てた、聖なる誓いだ。

 あの子だけは何があっても守る。絶対に守り抜く。あの子を死なせてしまったら、僕は死んでも死にきれないのだ――!

 僕は励起させたままの〝SEAL〟にコマンドを送り、ほとんど空っぽになっている術力を最後の一滴まで搾り出して、最後の剣術式を無音声発動させる。

 ――〈ドリルブレイク〉。

 そして起動音声(コール)の代わりに、己を奮い立たせる叫びを喉から迸らせた。

「負 け る か ぁ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ ッ !」

 たった一回の、けれど更なる術式発動によって速度を上げ、溶岩の海を貫き、ひたすら真っ直ぐに上昇していく。

 後に確認した〝SEAL〟の意識下ログによれば、僕とハウエルが溶岩の中に浸かっていたのは僅か三十七秒ほどの間だったという。

 だが、地獄のごとき苦しみを味わっている間は、そのたかが三十七秒が、永遠かと思えるほど長かった。

 おそらくあと十秒も溶岩の中に居続ければ、僕は間違いなく熱にやられて死んでいただろう。

 しかし、終わりは唐突に来た。

 暗く深い地底から、島の中央に鎮座する火山の火口まで一直線に上昇した僕とハウエルは、巨大な水柱――ではなく溶岩柱と共に宙へ飛び出した。

 もし遠くからこの島を見ている人間がいれば、いきなり火山が噴火したものと勘違いしたかもしれない。それほどの勢いでもって僕達は火口の地盤を突き破り、真紅のマグマを跳ね上げ、大きく飛び散らせた。

「――――――――ッ!!」

 灼熱地獄から通常の大気中へと戻ってきた瞬間の開放感と爽快感、そして安心感と達成感といったら、とても言葉では言い表せない。

 余熱はまだ残っているし、未だ〈ステュクス〉の装甲は空気に触れただけで真っ白な煙を噴き上げるほどの温度のままだけれど、新たな加熱がないというだけで、ここまで体感が変わるとは。あるいは目に映る光景から得られた錯覚かもしれないが、今の僕の五感は狂っているに違いないので、どちらでも大した違いはないように思えた。

 そう、外へ飛び出した瞬間から僕の視界は回復していた。

 青い空、目映い太陽。眼下一面に広がる森や川、海、島の全景。この浮遊島へ来てすぐの時に〈シリーウォーク〉で俯瞰した時と同じ光景が広がっている。

 そして、僕のすぐ目の前には、青黒かった装甲を赤熱させたパワードスーツ姿のハウエル。未だに両手を僕の肩にかけ、密着している状態だ。

 危機的状況を脱したばかりのせいか、時間が間延びしているように感じられる。一秒間がやたらと長い。そんな中、スーツの内側からオレンジ色の光を放っているかのようなハウエルは、微動だにしない。

「…………」

 耳を聾する轟音は下方の火山から。沈静化していたはずの火山は、当たり前だけれど、僕とハウエルが真下から衝き上がってきたことで【スイッチ】が入ったらしい。僕らが空けた穴が、つまりは文字通りの『蟻の穴から堤も崩れる』になったらしく、俄然勢いを増して活性化し、激しい噴火を始めていた。

 さっきまで僕達が泳いできた煉獄のマグマを地鳴りと共に噴き上げる。

 まだ僕の〈ドリルブレイク〉はフォトン・ブラッドの噴射を続けていて、巨大な尻尾のようなそれは、僕とハウエルを遙かな蒼穹に向かって上昇させている。灼熱の濁流から飛び出した僕ら二人の鎧は、高空の冷たい空気と高速で触れ合うことによってどんどん冷却されていく。温度差によって生じた白い煙が空に向かって真っ直ぐ伸びる雲を作っていく。

 と、不意に眩暈がした。頭がくらっときて、一瞬だけ意識が遠ざかりかける。

「……っ……!」

 フォトン・ブラッドの枯渇状態(イグゾースト)だ。さっきの〈ドリルブレイク〉で正真正銘の燃料切れになってる。早くブラッド・ネクタルで現実改竄物質を補給しないと、遠からず僕は気を失ってしまうだろう。そうなったら一定量が回復するまで、意識はまず戻るまい。

 ――もう少し熱を冷ましたら、いったん地上へ降りて……

 回復術式で体を癒し、それからもう一度、一号氏の部屋を経由するルートを通って『女王の間』へと戻り、今度こそ〝アブソリュート・スクエア〟を使ってでも冥王イザナミを倒す。それまで一号氏達が無事でいればいいのだけど――

 と、頭の中でこれからのことを考えつつ、〈ステュクス〉が冷えるのを待っていた時だった。

 刹那、目の前が暗くなかったかと思えば、ガツン! と脳天に強烈な衝撃が生まれた。

「がっ……!?」

 額から後頭部を貫く矢のような衝撃に、目の前に火花が散る。ただでさえ朦朧としていた意識が、膝の裏を蹴られたように落ちかける。

『……まだ、だぁ……!』

「――ッ!?」

 通信を介して響いたザラついた声に、戦慄が走った。ぶわっ、と全身の肌が粟立つ。

「お、まえ……っ!?」

 目の前で起こっていることなのに、どうしても頭の理解が追いつかない。

 ハウエルがまだ、生きている。いや、それどころか意識すら失わず、さらに言えばこの期に及んで、戦意を衰えさせてもいなかった。

『まだだ! 〝勇者〟のぉ!』

 もう一度、ガンッ! と額にハンマーを叩き付けられたような衝撃。

 遅れて理解する。僕の両肩を決して離さないハウエルが、その体勢から頭突きをしてきているのだ、と。

「こっ――のっ……!?」

 怒りよりも驚愕と困惑が先に立った。信じられない。奴のスーツ内部は僕の〈ステュクス〉以上の炎熱地獄だったはずだ。まだ生きていることにも驚きだが、こうして反撃を開始するほどの元気が残っていること自体が、まるで理解できない。

『言ったはずだぜぇ、俺は……!』

 まだ装甲に溜まった熱を吐き出しきれていないパワードスーツは、各所がオレンジ色に光っている。中身はそれこそオーブンか何かでそうするように、丸焼きになっているはずだ。

 それなのに。

『大人の男って奴にはよ、意地があるんだ……! 誰にも譲れねぇ誇りがあるんだ……!』

 よもや気合いだけで――〝根性〟だけで意識を繋ぎ止め、動いているというのか。物理的な限界などとうに超えているはずのその肉体を、精神力だけで駆動させているというのか。

『テメェみてぇなガキにはよぉ……!』

 グン、とハウエルが頭を上げて、力を溜める。僕の両手が握るモンデンリヒトには二百を超える重層〈ドリルブレイク〉。あれだけの熱を喰らっても変形すらしないパワードスーツの腹を未だに擦っている。僕の両肩にはハウエルのでかい両手が食い込み、万力のごとく締め上げている。

「……!」

 逃げられない。

『負けるわけにはいかねぇんだよぉおおおおおおッッ!!』

 三度、猛烈な頭突きが落ちる。鐘突きがごとき威力に脳髄が痺れる。

「ぐぁ……っ!?」

 驚異的な生命力を発揮するハウエルの反撃を一方的に受ける僕は、どうにか自分の意識が飛ばないよう歯を食いしばるのが精一杯だった。

 グリグリと〈ステュクス〉のヘルムにフェイスカバーを押し付けるハウエルが、荒い息もそのままに、地獄の亡者が吐く怨嗟がごとき言葉を紡ぐ。

『見たかクソガキィ……! 最後に勝つのは、この俺だぁ……! 最後に生き残るのは、この俺なんだぁ……!』

 勝利への執念。それだけが、今のハウエルを衝き動かしていた。アイレンズから漏れ出る海老色の光の揺らめきが、何よりも雄弁にそれを物語っている。

 メキメキと〈ステュクス〉の肩甲が歪んでいく。ここに来てさらに増強するハウエルの握力に負けているのだ。だが僕も僕で、全身の感覚がほとんど死んでいる。両肩がひしゃげて力が抜けていく、という事実だけをただ丸呑みにして、戦闘に適した思考を研ぎ澄ませていく。

 ――こいつはもう死に体だ、こんなものは火事場の馬鹿力でしかない……!

 そう、冷静に考えろ。これは所詮、蝋燭が消える直前の最後の燃え盛りにしか過ぎない。残り滓を必死に搾り出しているだけに過ぎない。ハウエルのダメージはどう見たって致命的だ。奴はこのままエネルギーを使い果たしてしまえば、自ずと止まらざるを得ない。

 故に、ここさえ耐え抜けばハウエルは自滅する――

『戦いはどんな手を使おうと、最後に立っていた奴の勝ちだ……! 最後まで生き残った奴が勝ちなんだ……!』

 ――はずなのに、目の前にいるこいつは全くそうなる気配がない。むしろ、ここからがスタートだ、と言わんばかりの迫力を感じる。

 だから僕は――

『その最後の一人になるのは、この俺だ……! 誰にも文句は言わせねぇ……!』

 ハウエルが再び、グンッ、と頭を仰け反らせる。反動をつけて更に頭突きを放つつもりだ。この体勢でいる限り、そして体の動く限り、奴は僕の意識が砕けるまで頭突きを繰り返すことだろう。

『――勝つのは俺だぁあぁあぁッ!』

 叫びながら襲い来る砲弾のような頭突きに、僕は逃げるのではなく自分から突っ込みに行った。

 ――させるものか……!

 ズガァン! とヘルム同士が衝突し、激音を打ち鳴らす。僕達が飛翔する高空に金属音が響き渡る。

「……ッ!!」

 最高の衝撃力を発するタイミングより早くぶつかったおかげで、半分ほどの威力を霧散させることが出来た。

 ――引くな、引いちゃダメだ……! 気持ちで負けたら、臆したらこっちが死ぬぞ! 今こそ、こっちから攻めるべき時なんだ……!

 これ以上ない至近から、僕とハウエルの視線が真っ向からかち合う。

 無音の一瞬。

 僕とハウエルは互いに睨み合い、ぶつかる視線が火花を散らす。

『最後まで残った【俺】が勝つんだよッ! そいつこそが――【俺の道理】なんだよぉおおおおおおおおおおッッッ!!!』

 己が主張をぶつけるように、そしてこれが最後の一撃だと告げるように、ハウエルが大きく頭を引いて喉を反らせる。

 それに対し、僕は思考ではなく直感で反応した。

「アキレウス――……!」

 咄嗟に戦闘ジャケットにパワーアシストのコマンドをキックしようとして、フォトン・ブラッドが底を突きかけていることを思い出し、一瞬だけ躊躇した。

 だけど、それも一瞬だけのこと。

 もはや僕は細かい計算など擲(なげう)って、適当極まるワードを叫んでいた。

「――全部持ってけチャージッッッ!!」

 もうどうにでもなれ、とばかりに突っ込まれたコマンドを、戦闘ジャケットのAIはどう判断しただろうか。驚いたにせよ訝しんだにせよ、しかしエラーは不思議と起こらず、

『マクスウェル・チャージ パワー・ムーブメント』

 聞いたことのないチャージを開始した挙句、これまでにない倍率でのパワーアシストが発動した。

「――!?」

 ――え、なんだこれ……!?

 知らない機能だった。少なくともフリムからはこんなチャージメニューがあるだなんて話は聞いていない。しかも驚くべきことに、それは【僕のフォトン・ブラッドを一切使用しないチャージ】だった。

 僕の〝SEAL〟を介して視界にAR表示されるパワーアシストの強化倍率は〝100倍〟。十連(ディカプル)チャージでも全然届かない、破格の数字だ。

『――グ、ガァアァッ!?』

 突然、頭突きを放とうとしていたハウエルが獣のように苦しみだした。仰け反らした喉をそのままに、天を仰いだままガクガクと震え始める。

 この時、僕の手元で展開している〈ドリルブレイク〉は二一〇――否、二一一個。それら全てが連鎖して回転数を上げ、ハウエルのパワードスーツの腹部を唸りを上げて攻め立てていた。無論、奴の装甲が堅固過ぎるというのもあるが、支援術式による身体強化のない素の僕の筋力では、いくら重ね掛けしているとはいえダメージは与えられない。

 ――まさか……!

 しかし、今この瞬間だけは、〝アキレウス〟のパワーアシストによって僕の筋力は百倍にまで高められている。さっきまでは最大で数十倍程度ぐらいだったのが、今だけはまさに桁違いの力を発揮しているのだ。そしてそれは、二百十一回も重ね掛けされた〈ドリルブレイク〉によって少しずつ乗算を繰り返し――

 ピキッ、と硬い音が耳朶に触れた。

「『――ッ!?』」

 その刹那、僕とハウエルは同じ驚きを共有した。

 どれほどの加護を付与されていたのか、これまでいくら剣術式を重ねようともビクともしなかったパワードスーツの装甲が、ついに音を上げ始めたのだ。

 多重層〈ドリルブレイク〉はグラインダーがごとき音を立て、火花を散らし、ずっと常識外れの回転で青黒い装甲の表面を擦り上げていたのだが、その中に金属の削れる音が混ざり始めていて――

『グォ、ォォオオオオオオオオオオオオオオオッッ!?』

 スーツを揺らす衝撃にハウエルが悲鳴を上げ、攻撃行動が完全に中断された。今にも腹を食い破らんと牙を剥く〈ドリルブレイク〉に意識を割かざるを得ないのだ。

 ――いける、これなら……!

 予想外の展開に驚きつつも、この好機を逃すほど僕はもう甘くない。

「――だったらッ!!」

 叫びながらまだ無事な右足で大気を蹴りつけ、ハウエルと共に宙返りを打つ。反動で今度は右足の骨が粉砕してしまうが、そんなものは後回しでいい。

 高い空、蒼穹のど真ん中で僕とハウエルはぐるりと回転し、上下を入れ替えた。

 即ち、僕が上で、ハウエルが下。さっきまでとは正反対に、背中から噴射する〈ドリルブレイク〉のスラストが太陽へと向かう。

 転瞬、僕はスラスターに背中を押されるようにして頭を突き出し、仰け反っているハウエルの顎に額をぶつけに行った。

 ――【どんな手を使おうが最後まで生き残り、勝者となる】――それがお前の【道理】だと言うのならば――!

 ガンッ、という短い衝撃の後、僕は目の前の男に、喉から迸る声を叩き付けた。



「――【ハヌのためなら僕が勝つ】ッッ!! それが――!」



 両肩は潰れ、腕にほとんど力は入らない。両脚の骨は砕け、回復させるまで経って歩くことも出来ない。

 そんな僕に出来る最後の一押しは、自らの意識を捨てる覚悟でさらなる剣術式を発動させることだった。



「それが――【僕の道理】だぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!」



 正真正銘、最後にして最終の〈ドリルブレイク〉。

 斯くして212連という空前絶後の剣術式は、僕とハウエルを流星に変えた。

 否、それは流星よりも速く、流星よりも激しく、流星よりも光り輝いていた。

 軌道は一直線。

 一号氏の住まう地下空間へと繋がる洞穴、その近くに広がる森。

 僕はそこへ、ハウエルの腹に重層〈ドリルブレイク〉を突き刺したまま、一切の減速なく突っ込んだ。

 激突の瞬間は、後に僕の記憶から綺麗さっぱり消えてしまった。

 それほどの衝撃だった。



 ■



「――はぁ……はぁ……!」

 目が回る。腹が苦しい。体のあちこちが痛すぎて信号を受け取る頭が破裂しそうだ。空と地面がぐるぐると回転しながら入れ替わりを繰り返す。三半規管がぐちゃぐちゃになっていて、まともに機能してくれない。

 凄まじいまでの酩酊感と吐き気の中、僕は地面に横になって、喘ぐように荒い呼吸を繰り返していた。

 いつ解除したのか、戦闘ジャケット〝アキレウス〟はモード〈ステュクス〉から通常状態へと戻っており、全身を苛んでいた熱は嘘のように消えていた。

「……! ――!? ……! ……??」

 記憶の繋がりがおかしい。何が何だかよくわからない。どうして自分がここにいて、さっきまで何をしていたのかすら判然としない。

 ただ一つわかるのは、

 ――は、早く、ブラッド・ネクタルを飲まなきゃ……!

 ということだけ。この気分の悪さの原因が枯渇状態(イグゾースト)であることだけは、頭のどこかで理解していた。

 上下の感覚も定かではないため、自分がどんな体勢でいるのかもわからない。どうにか寝転がり、グニャグニャに歪む視界の中、光の明るさだけでどちらが空なのかを判別し、仰向けになる。

 ストレージから自分専用のブラッドラッドを取り出し、右手に――いや、肩から先が全く動かない。というか、感覚がない。両腕とも。

 どうしようか、手が使えないとネジ式キャップを開けられないな――と考えてから、もういいや、口に咥えて噛み砕いてしまえ、と思考回路がショートしている僕は単純に考える。

 一度は出したブラッド・ネクタルをまたストレージに収納し、再び口元に具現化させた。宙に現れたその細長い透明な管を、歯で噛んで受け止める。ブラッド・ネクタルの容器は少し固めのプラスチックで出来ている。僕は歯にぐっと力を入れて、力ずくで管を噛み潰した。途端、口の中にドバッと、果汁のような深紫の液体が溢れてくる。

 自分の血液と特殊媒体を混ぜて熟成させたものを、コク、コク、と喉を鳴らしながら飲み下す。同時に〝SEAL〟の出力スロットに回復術式〈ヒール〉と〈リカバー〉を適当に突っ込み、発動させた。

 現在の僕の姿は、多分、目も当てられない。四肢がグチャグチャになっているのはもちろんのこと、〈ステュクス〉越しに受けたマグマの熱であちこちが焼け焦げているはずだ。流石にそんな自分の状態をつぶさに観察する気にはなれなかった。

「――はぁ……はぁ……はぁ……!」

 中途半端に中身の抜けたブラッド・ネクタルの管を口に挟んだまま、僕は全身を鞴(ふいご)のように動かして呼吸する。

 意識を失っていないだけで、体はとっくに枯渇状態(イグゾースト)に入っていたのは間違いない。だというのに、無理して術式を発動させた反動だろう。ものすごい疲労感だった。体力の消耗が著しくて、傷が治ったところで立ち上がれる気がまるでしない。

「――くっ……!」

 ズキン、と頭痛が走る。フォトン・ブラッドの補充が出来たおかげか、徐々に意識がまともに戻ってくる。視界の揺れが徐々に小さくなり、思考能力がゆっくりと回復していく。

 ――そうだ、ハウエルはどうなった……!?

 真っ先に思い出したのは、敵の存在だった。

 かなりの高空から地面に向けて真っ逆さまに落ちた――いや、あれは落下なんて生易しいものではなく、急激すぎる降下だった――ところまでは憶えているが、その後にどうなったのかがわからない。

「――ッ……!」

 まだ奴は動けるかもしれない――そう思った途端、矢も盾もたまらず僕は跳ね起きていた。頭を上げた瞬間から目眩や吐き気がいや増すけれど、気合いでそれらを無視する。そうとも、もし戦いが継続されるなら、そんな甘っちょろいことなど言っていられないのだ――

「……――」

 ようやっと視力が回復して、膝立ちのまま周囲を見渡すと、とんでもない光景が目に入った。

 僕がいるのは、まるで見たことのない場所だった。

 大きな穴の底――とでも言うべきだろうか。流石に世界最大の大穴である〝キアティック・キャバン〟とは全く比べものにはならないけれど、少なくとも僕の身長よりは深いすり鉢状の盆地である。

「こ、こは……?」

 この浮遊島を俯瞰したとき、こんな場所なんてあっただろうか――などと馬鹿なことを考えてから、やっと答えに気付く。

 この巨大な【くぼみ】は、僕とハウエルの墜落痕だ。

 あまりの高速、そして重量による破壊力により、島の一部にクレーターを作ってしまったのだ。

 ――ということは……

 僕がいるのはクレーターの中心ではなく、そこから少し離れたところ。まるでそう、中心に落ちてから反動に吹き飛ばされ、慣性を殺しきるまで転がってきたかのような――ちょうどそんな場所だった。

 故に、僕はクレーターの中心へと目を向ける。焦げ茶色にめくれ上がった地面の中央に見えるのは、こんもりと盛り上がった、熊のような形状の何か。

 それが、青黒いパワードスーツを身につけたまま、地面に仰向けにめり込んでいるハウエル以外の何に見えるだろう。

 奴の自慢のパワードスーツには稲妻のような形のヒビ割れがいくつも生じていて、ほぼ半壊状態なのが見て取れた。隙間から湯気のような白い煙が立ち上っては、風に吹かれて霧散していく。

 そして、大の字になった大男は、微動だにしない。

「…………」

 死んだか、それとも気絶しているのか。どちらにせよ僕の〈ドリルブレイク〉と、アキレウスの『マクスウェル・チャージ』という謎のパワーアシスト――否、パワーブーストとでも呼ぶべき力によって鎧を砕かれ、その上でこれほどのクレーターを作る勢いで地面に叩き付けられたのだ。間違いなく、再起不能だろう。

 とにもかくにも、これで勝負はついた。

 僕の勝ちだ。

「……なら、つっ、ぎは……っ……!」

 ブラッド・ネクタルがゆっくりと胃の腑に染み渡るように、思考の明晰さも戻ってくる。記憶は連鎖して復活し、ほっと一息ついている場合ではないことを僕は思い出す。

 そうだ。この島の地下空洞には、まだ冥王イザナミや一号氏達、そしてヤザエモンがいる。巨人の三兄弟やヤザエモンは置いておくにしても、イザナミだけは絶対に倒さなければならない。

「……?」

 立ち上がろうとして、微妙に上手くいかないことに気付く。両の膝が、映像記録に残してハヌに見せてあげたいぐらい笑っていた。無論、力を振り絞り過ぎて体力が尽きかけているのもあるが、それだけではない。

「――ゆれ、てる……?」

 地震だ。さほど強くないが、どうやらずっと続いているらしい。まるで意識していなかったけれど、意識下ログには大分前から島全体が震え出していることが記録されている。

 ――いや、違う。僕はずっと前からこの揺れに気付いていた。

 これは確か、イザナミが四足歩行を止め、二足歩行に移行したあたりから始まっていたはず。島が、というより、『女王の間』こと『根の国』が核となって揺れていて、浮遊島はその煽りを喰らっているのだ。

 ――多分、島の【寿命】が近いんだ……

 先程感じ取った直感を、僕は胸の中で反芻する。

 これまでずっと地底に蹲ってエネルギーを蓄えていたイザナミが、今回の戦闘において、これまで長年矛を交えてきた一号氏達ですら知らない形態へと移行した。

 これを『本気を出した』と捉えるのはきっと早計で、『次のステージに移行出来るほどエネルギーの蓄えができた』と見た方が、おそらくは正しい。

 つまりイザナミが成長すること、完成体へ近付くことは、イコール『島の終わり』と見るべきなのだ。

 十中八九、この島の寿命はもう、そう長くはない。

 勿論、現在進行形で活火山としての本領を発揮している噴火活動は、僕とハウエルの戦いの余波によるもので、僕ら二人が島の寿命を縮めることに寄与してしまったのは間違いないのだろうけれど、しかしそれとて些事に過ぎまい。

 このままイザナミを止めることが出来なければ、あと数時間――いや下手をすれば数十分で、この浮遊島は崩壊してしまう。

「いそが、ないと……!」

 改めて足に力を入れて立ち上がろうとした瞬間、カクン、と膝が抜けた。

「あ、れ――?」

 そのまま糸の切れた操り人形のように前のめりに倒れてしまう。音を当てて土砂の上を滑り、目の前が真っ暗になった。口の中に少し湿った土の味。どうやら顔が地面に埋まっているらしい。

 それきり、指一本動かせなくなる。

 ――って、何をしているんだ、僕は。こんなところで寝ている場合じゃないだろ……

 鉛のように重い倦怠感が脳の真ん中に居座っている。このまま思考を止めて、まどろみに身を任せたらどんなに気持ちいいだろうか、と一瞬だけ考えてしまう。

 ――ダメだ。一号さん達が……いや、それ以上にハヌが、僕を待ってるんだ……

 が、すぐにそう思い直し、全身に力を籠める。この重苦しい疲労感は、まだブラッド・ネクタルの成分が全身に回り切っていないからだろう。時間が経てば、少しずつマシになっていくはずだ。

 ――待ってて、ハヌ……僕、あいつに勝ったから……今度は支援術式でスピードアップして、すぐに迎えに行くから……

 そう誓う心とは裏腹に、しかし体はピクリともしない。脳からの信号がどこかで断線しているのか、手足がまったく応答してくれない。

 とっくにフォトン・ブラッドが底をついていたのに、無理に最後の〈ドリルブレイク〉を発動させた反動かもしれない。

 このままじゃまずい、と頭の片隅で警鐘が鳴り響く。意識が閉じないよう、僕は心の中で必死にあの子の名前を呼ぶ。

 ――ハヌ、ハヌ……ハヌ……

 けれど、そこが限界だった。

 僕の意識は、プツリ、と――

 遮断されるように、闇に引きずり込まれた。




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「リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

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コメント

  • A:o

    ずーっと読んできましたがホントに展開に展開で読んでて飽きないです。
    続き楽しみにしてます!!

    10
  • ノベルバユーザー137512

    続きが気になり過ぎる

    4
  • ノベルバユーザー185904

    次も楽しみにしてます!

    3
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