リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●12 巨人の住処







 思い返してみれば、僕は〝天輪聖王てんりんじょうおう〟の術式を一度だけ見たことがあったのだ。

 あれは、そう――今では僕達『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』の拠点ベースとなっている、高級マンションの一室の賃貸契約を結んだ時のことだ。

 結論から言おう。あそこはいわゆる『ワケアリ物件』だったのである。

 ものすごく広くて部屋も多いのに、家賃が相場より安いのでおかしいなとは思っていたのだ。とはいえ、ハヌの希望に適う物件はあそこしかなかったし、ひとまず内見に行ってみようと訪れてみたところ――【出た】のである。

 何が、とは敢えて言うまい。

 僕達を案内してくれた不動産屋さんの担当さんは、ポルターガイスト現象の数々を全く意に介さないハヌと契約を結んだ直後、恐ろしさのあまりけつまろびつ逃げ出してしまった。

 僕も僕で、あそこまで本格的な【モノ】を体験したのは初めてだったので、それでもなお部屋を借りることに同意したハヌをエイリアンでも見るような瞳で見つめていたのだけど、その認識はすぐ改められた。

 ハヌには部屋に憑りついていた【モノ】を祓う力があったのだ。

 それが〝天輪聖王〟の術式。

 確か当時は〈天聖招来てんじょうしょうらい天魔覆滅てんまふくめつ〉という術だったと思うのだけど、今回の術とはやはり出力の違いでもあるのだろうか……?

 閑話休題。

 とにもかくにも、ハヌの聖なる風によって巨大ワームの群れを撃破した僕達は、その後も洞窟内に設置されていた無数のトラップを潜り抜け、どうにか『底』まで辿り着くことができた。

 詳しくは語らないが、道中の苦労は察して欲しい。あの後も結構な数の罠や仕掛けがあって、ワームの群れほどではないが冷や冷やする場面がいくつもあったのだ。特に最後の方の絨毯爆撃は、支援術式が無かったら間違いなく二人揃って死んでいたと思う。

 ――気のせいか、前の〝ミドガルド〟の時よりも容赦がなくなっているような……?

「……ラト……も、もう大丈夫なら……わ、妾を降ろして、たもれ……うっ……」

 長かった坂道がようやく終わり、足下が平坦になったところで、僕に抱きかかえられているハヌが暗い声をこぼした。

「え? だ、大丈夫、ハヌ?」

 どう聞いても具合が悪そうだったので、とりあえず希望通りにハヌを地面に降ろしつつ、声をかける。

 すると、ハヌはふらふらした足取りで近くにあった岩に手を突くと、

「――――――――」

 盛大に嘔吐した。

 敢えてどんな声だったかは描写すまい。ただそれは、とてもとても苦しげなものであった。

 さもありなん。強化係数五百十二倍の状態で、ピンボールみたいに飛び跳ねる僕にずっと抱きかかえられていたのだ。いくら彼女に〈プロテクション〉×10をかけておいたからと言って、三半規管の乱れまでが補えるわけでもない。

「ああっ、だ、大丈夫っ!? ご、ごめんね、ごめんねっ……!」

 僕は慌ててハヌに駆け寄り、うずくまって胃がひっくり返うような勢いで嘔吐えずきを繰り返す彼女の背中をさすってあげる。

 最初の内はそうでもなかったのだろう。極大術式の詠唱もスムーズにこなしていたのだし。そもハヌの操縦する正天霊符〝酉の式〟の飛行だって生半可なものではない。ヒュドラとの戦いで、何度も激しいバレルロールを繰り返していた記憶はまだ新しい。

 とはいえ、自分の意思で行う立体機動と、他人の手によるそれとでは大違いだ。〝振り回す〟と〝振り回される〟の違いだと言ってもいい。

 先述の通り、特に終盤のトラップの畳み掛けには本気でひどいものがあった。それをクリアするために僕は無茶苦茶なマニューバを何度も行ったので、ハヌにとってはジェットコースターよりもひどい状態だったはず。

 今更ながら、もうちょっと配慮することぐらいできたんじゃないのか、と後悔してしまう。

「……き、気にするでない……致し方のない、ことじゃ……うぷっ……!?」

 せっかく気遣いの言葉を紡いでくれていたのに、また発作が起こってハヌはマーライオンになる。

 結局、ほぼ消化されかかっていた兎肉の残骸と胃液のほとんどを吐き出して、ハヌの嘔吐はようやく止まった。

 僕はストレージからミネラルウォーターを取り出し、キャップを外してから一息吐いたハヌに渡してあげる。

「ほ、本当にごめんね、ハヌ……僕が無茶な避け方ばっかりしてたから……」

 んく、んく、んく、とペットボトルの半分を一気に飲み干したハヌは、ぷはっ、とこれまた大きな息を吐くと、じとっとした蒼と金のヘテロクロミアを僕に向けた。

「こりゃ、やめぬかラト。先も言うたであろう。これは致し方のないことじゃと。ラトは妾を守るために力を尽くしてくれたのじゃ。礼を言いえばこそ、文句をつける道理がどこにある。おぬしが謝る必要はこれっぽっちもないのじゃ」

 ちっちゃな人差し指が、つんつん、と僕のほっぺたをつつく。

「……じゃが、どうしてもと言うのであれば、妾も謝罪を受け入れぬでもない」

「え? と、というと……?」

 ジト目から一転して、くふ、と微笑むと、ハヌはやけに上機嫌な声でこう言った。

「桃の缶詰じゃ! 妾は甘い桃を所望するぞ! それを食わせてくれたのならば、先程のことは一切合切水に流してやるのじゃ!」

「あ、あはは……」

 まだ諦めていなかったらしい。さっきはトラップに囲まれている最中だったし、またぞろ巨大ワームの群れみたいなのが出てこないとも限らなかったので『それは後で落ち着いてからね!』と誤魔化していたのだけれど。

「……うん、でもそうだね。お腹の中が空っぽになっちゃっただろうし、ここが安全地帯なら、ちょっと休憩しておやつの時間にするのも――」

 と、そこで言いさして、僕は周囲をぐるりと見渡す。

 随分と長かった坂道の終端。地面が平坦になったところだけど、またいくらか進んだ先にはぼんやりと光る『穴』が見える。まぁ『穴』と言っても洞窟そのものが巨人サイズなので、『繋ぎ目』というか『境目』と呼んだ方が正確かもしれないけれど。

 あの向こうにはどうやら通路ではない空間が広がっているようだ。風の通りからそう感じられる。

 ――とか思ってたら、また坂道があったりして……

 ふと脳裏によぎった嫌な予感を、頭を振って打ち消す。いけない、いけない。暗いことばっかり考えていたら悪い運勢を引き寄せてしまう。こんな時だからこそ、ちょっとでも希望を持って楽観的に行かなければ。もちろん、油断しないよう慎重に、も両立させないといけないのだけど。

 ざっと見た限り、罠の気配はもうない。僕は斥候スカウトスキルに長けているわけではないので断言はできないけれど、壁や天井に、さっきまで無数に空いていた穴や砲塔がないのは確かだ。

「――いいかもしれないね。じゃ、ちょっと場所を移動して椅子を出そっか?」

 僕は『境目』に近い方を指差して提案する。やっぱり、すぐそこにハヌの吐瀉物がある状態でおやつ、というのもちょっとアレである。

 ぱぁっ、とハヌの顔が輝いた。

「うむっ! ならば茶も欲しいのう! ラト、火付けなら妾に任せよ!」

 昨日ハヌが集めてくれた枯れ枝の残りを、〝SEAL〟のストレージに収納するのを見られていたらしい。ハヌは当然のようにファイアクレードルを出すよう要求した。

 本来なら閉鎖された空間で火をおこすのはよくないと思うのだけど、これだけ広ければ、まぁ問題はないだろう。全体像はともかくとしても、通路の大きさだけなら、僕が以前に潜っていたキアティック・キャバンよりも遥かに広大なのだから。

 というわけで、ここでいったん小休止である。

 まだお昼過ぎなのでおやつの時間には早いけれど、プルリングを引っ張ってハヌ待望の桃の缶詰を開き、しばし甘味を味わいながら、淹れたての香茶を飲む。

 ハヌが喜び勇んで熾してくれた焚き火は、けれどひんやりとした洞窟内では、ほっ、と一安心させる暖かさがあった。さっきまで張り詰めていた神経の糸が、お湯に溶けるようにしてほぐれていくのを感じる。

 意外に思うかもしれないけれど、ハヌはこう見えてお茶もいける口である。甘い物ばっかりを欲しがるので誤解されがちだけど、お茶やコーヒーなどといった苦いものだって、好き嫌いせずに飲めるのだ。

 というのも、

『何事も釣り合いが肝心なのじゃ。甘いものに甘い飲み物では、せっかくの味が喧嘩してしまうでろう? それに舌が鈍ってしまう。じゃからの、甘いものにはやや苦めの茶がよい。茶で舌の状態をまっさらにしてから、改めて甘いものを食すのじゃ。さすれば、何度も新鮮な甘みを味わうことができる』

 とのことで、そういえば初めて『カモシカの美脚亭』で会った時もテーブルに香茶のカップが載っていたなぁ、と思い出す。

 ずずずっ、とマグカップから熱い香茶を啜ると――お湯を温め過ぎてしまったのである――、僕達は同時に息を吐いた。

「「はぁ……」」

 人心地つくとはまさにこのことで、さっきの巨大ワーム襲来と殺人トラップの道行きで得た緊張感が、熱したバターのように溶けていく。

「ひどいことが待ち受けているとは思ったけど、やっぱり想像以上だったねぇ……」

 僕はぼやきながらマグカップを口を近づけて、ふー、と息を吹きかける。すると湯気がもわりと立ち上がり、それを顔で受けると、目や鼻や頬が暖められて何だかほっこりする。

 同じように、ふーふー、と紅茶に息を吹きかけて冷まそうとしているハヌが、うむ、と同意してくれた。

「全くじゃ……特にあの虫共はいかん。妾はあのような虫は嫌いじゃ。ヌルヌルして気持ち悪いからの」

「僕は今日までそうでもなかったけど、さっきので一気に苦手になったよ……」

 背後から溢れ出てきた蠕虫の姿を思い出すと、それだけで背筋に怖気が走る。もしあれに追いつかれて押し潰されていたら、一体どんな感触の中、あの世に逝く羽目になっていたのだろうか。想像することすらはばかれる。

 しかし、出入り口の敷居をまたいだだけでこれである。家で言えば、ここはまだ玄関にしか過ぎないというのに。

 よって、この先に待っているのは、さっき以上の【何か】であるのは間違いないだろう。

 前へ進むしかないのはわかっているのだけれど、憂鬱な気分が頭の上に重く圧し掛かるのはどうしようもなかった。

 桃のシロップ漬けを完食し――無論そのほとんどがハヌの口の中に入った――、香茶の残りが少なくなってきた頃合いを見て、

「……じゃあハヌ、これを飲んだら次に――」

 行こうか、と言おうとした瞬間だった。

 ずしん、という震動がいきなり来た。

 もはやここまで来ると、ちょっとの揺れにだって敏感にならざるを得ない。

「「――!?」」

 僕もハヌも条件反射的に椅子を蹴って立ち上がった。

 音と震動がやって来た方角を凝然と見つめる。

 重苦しい揺れが伝わってきたのは、これから僕達が向かう先――平坦な道の先にある『境目』。

 ずしん、とまた震えが来た。

 このテンポと重さには覚えがある。昨晩聞いた、例の巨人の足音だ。

 ――まさか、この向こうにいるのか……!?

 あの『境目』の先には何か待っているだろうとは思っていたし、巨人とはいずれ遭遇するものと考えていたけれど、早速の登場とは恐れ入る。

『――ハヌ、いったん身を隠そう。こっちに来て』

『う、うむ、じゃが、これらはどうするのじゃ?』

 この場に出したファイアクレードルや椅子を指してハヌが念話で聞く。

 僕は勢いよく右足を振って、ファイアクレードルを蹴り飛ばした。火の付いた薪が散らばり、勢いよく燃えていた炎があっという間に小さくなる。

『これで大丈夫――だと思う。可能だったら後で回収しよう。最悪の場合は置いていくしかないけど、その時はまた買い直せるから』

『おお、なるほど。確かにそうじゃな。あいわかった』

 なにせ、今回のエクスプロールを無事に終えて拠点ベースに帰ることができたら、僕達『BVJ』は破格の資産を手にすることになる。ものは大事にしたいけれど、命や安全には代えられない。例えここで道具を失っても、どうせ後でもっといいものが買い直せるのだ――と自分に言い聞かせるしかなかった。

 僕はハヌと手を繋ぎつつ〈ランプボール〉×2をキャンセル。そして支援術式〈カメレオンカモフラージュ〉、〈アコースティックキャンセラ〉、〈タイムズフレグランス〉を発動。僕とハヌの姿を光学的にも音響的にも嗅覚的にも隠蔽する。

 そうしながら僕とハヌは、通路の壁際へと素早く移動した。『境目』から何が現れるかわからないけれど、もしやってくるのが巨人だとしたら、通路の中途半端なところにいたら踏み潰されてしまう可能性がある。

 ずしん……………………ずしん……………………ずしん……………………

 人間とはとても思えない歩幅、そして体重。まだ肉眼で確認してもいないのに、音と震動だけで途轍もない強大さが伝わってくる。

 果たして、そいつは通路の先に姿を現した。

「――うわっ……!」

「お、おおう……!」

 二人して思わず喉から声が出た。それぐらいの迫力だった。

 でかい。大きい。あり得ないぐらいゴツい。

 そんな言葉しか出てこない。

 というか、巨大過ぎる。やっぱり、どう見たってヘラクレスの二倍以上はある。身長十五メルトル前後だろうか。前に戦ったミドガルズオルムに比べれば小さいのかもしれないが、この場合、比較対象が大いに間違っている。

 こんな大きさの、しかも人型の存在が、本当に実在するだなんて。

 この目で見てもまだ信じられなかった。

「すごい、歩いてる……!」

「…………」

 僕は驚きのあまり当然すぎることを口にしてしまい、ハヌに至っては、もはや言葉を失っている状態だった。

 顔を見せたのはやはり、昨晩の巨人だった。

 僕の〈イーグルアイ〉で見た全体的なシルエットが酷似している。

「――って、あれは……!?」

 だけど、その時の印象を裏切る点がいくつかあった。

 その中でも一番特徴的なのが、頭部である。

 昨夜の僕は、奴を『鎧の巨人』と呼称したが、それは大きな間違いだった。

 鋭角的なシルエット――特に頭に兜でも被っているかのような形状から、そう類推したのだけど。

 違う。

 あれは、奴の頭から突き出している鋭いアレは――【つの】だ。

 昨日はいわゆる角兜ホーンヘルムを装着しているように見えたのだが、そうではない。

 黒灰色のざんばら髪と、鮮やかな朱色の肌の隙間から直に生えた、三本の黒い角。

 ちょうど真っ正面から見ると、横に長い二等辺三角形を描いている形で、太くて長い角が生えていたのである。

「お、鬼……!?」

 そう、ただの巨人ではなかった。

 あれは、巨大な鬼だったのである。

 となれば当然、体付きだって異形である。夜の森で、鎧を着込んでいるものと勘違いしたのも無理はない。肩や肘、膝や踵といった関節部分が異様に突き出ていて、まともな形状をしていないのだから。

 それだけではない。肉体の盛り上がりも尋常ではなかった。一流のボディビルダーのようにボコボコと盛り上がった四肢や胴体。あんなシルエットで見間違うなという方が無茶なのだ。奴は確かに鎧を纏っていたのだから。鎧は鎧でも、『筋肉の鎧』を。

『■■■■■■■■■――――――――!!!』

 突如、異様な吠え声が響き、洞窟内に強い風が吹いた。ビリビリと腹の底を揺らす振動は、もしかしなくても巨人の鬼――大鬼の咆哮なのだろうか。僕とハヌは揃って両耳を押さえ、吹き荒れる風に瞼を閉じる。

 音と風が止んだ頃にそろそろと目を開けると、大鬼が片足を振り上げ、こちらへ一歩を踏み出そうとしていた。

『ま、まずい、こっちに来るよハヌっ!?』

『み、見つかったのか!?』

 洞窟内は原則、暗闇に覆われている。それでもなお、僕達が大鬼の姿形を見て取れるのは、奴の手元にこれまたビッグサイズのカンテラが握られているからだ。一体何を光源としているのか判然としない黄色い光が、大鬼の姿を暗闇に浮かび上がらせている。

 だけど、そんな照明よりもなお強く輝いているのが、大鬼の双眸だ。

 青白く燃えるような眼光。まさしく『鬼火』と呼ぶにふさわしい輝き。ゆらゆらと揺れる炎が、どこを見ているのか判別できず、ひどく不気味だった。

 ずしん、とさっきよりも大きな音と振動が来た。

 焚き火は消した。僕とハヌの存在は隠蔽術式で感知できないはず。

 なのに、ずしん、とまた一歩、こちらへ近付いてくる。

『……ハヌ。まだわからないけど、いざとなったら支援術式と〈シリーウォーク〉で逃げようと思う。僕から絶対離れないでね』

 僕は壁に背をつけて、念話でハヌに囁く。

 相手が巨大すぎて何を考えているのか――こっちに気付いているのかどうかさえわからない。まぁ、もしサイズがこちらと同程度だったとしても、鬼の表情なんて見分けたことなんてないから、結果は同じだったかもしれないけれど。

 僕と同じように、並んで壁に背中をくっつけているハヌは、こくり、と頷き、

『うむ。じゃがラト、あれも魔性のものであれば、先程の妾の術式が通用するはずじゃぞ。あれならば崩落を心配する必要もないが……どうする?』

 さっき発動してくれたハヌの術式〈天聖招来・天魔調伏〉は、これまで見てきた〈天剣爪牙〉を始めとした破壊力満点のものとは違い、物理的な威力はほとんどなかった。そうでもなければ僕達は今頃、ワーム達と一緒に地中深くで生き埋めになっていたはずだ。

『うん、わかってる。もしあの鬼が敵だった時は……その時はお願いするね。でも、今はまだもうちょっとだけ様子を見たいんだ。もしかしたら、まだ他にも似たような巨人がいるかもしれないし……』

 そう。巨人があれ一体とは限らない。まだ奥に何体か――下手をすれば何十体、何百体と控えているかもしれない。迂闊な行動は死を招く可能性が高い。ここは慎重に行くべきだ。

 ずしん、とまた一歩、巨人が足を進める。

 体が大きいためテンポが遅いように感じられるが、サイズの比率的に考えれば、決して鈍間のろまとは言えないはずだ。

 それにしたって歩調に迷いがない。もしかしたら、僕達の存在に気付いているのかもしれない。さっきの焚き火が原因だろうか? でも、あいつにとってはマッチの火よりも小さかったはずだ。なら、匂いだろうか? 焦げ臭いのがあちらまで届いてしまい、様子を見に来たとか?

 いや――もしかすると、最悪の可能性だって有り得る。

 先述した〝変貌者ディスガイザー〟の『鬼人』だ。もしあの大鬼が、巨大な『鬼人』なのだとしたら。

 何かしらの生物へと変貌する、普通の〝変貌者〟とは違い――いや、こんな言い方も変なのだけれど。そも〝変貌者〟は存在自体が珍しいのだから普通も何もない――『鬼人』はいわゆる〝異能〟を持つとされる。

 獣や海洋生物などのそれとはまた違ったベクトルの、しかし異常に発達した能力――それが〝異能〟だ。

 例えばそれは、尋常ならざる五感であったり、はたまた第六感やら第七感と呼ばれるものであったり。あるいは術式によらず現実を改竄――つまり炎や冷気を操って攻撃術式のような現象を引き起こしたり。

 その中には眼、すなわち視力に特化したタイプがいると聞く。そういった〝異能〟は『魔眼』や『天眼』といった名称で呼ばれているのだけど、それらに共通する項目は一つ。

 即ち――【常人には見えないものが見える】。

 例えば、そう。隠蔽術式を併用して、光学的にも音響的にも嗅覚的にも隠れている僕とハヌを、それでもなお見通せたりするような――

「――!?」

 ゆらり、と大鬼の双眸が左右に振れた気がした。けど眼の光が、燃える炎のごとく常に揺らめいているので、本当に動いたのかどうか確証が持てない。

 だけど、大鬼が視線をこっちに向けた――そんな気がした。

 ずしん、とまた一歩。角持つ巨人がどんどん近付いてくる。さっきのワームの群れと違って速度は遅いけれど、だからこそ余計にプレッシャーがきつい。

 得も言えぬ焦燥が胸の内を焦がす。

 鬼火の輝きが僕とハヌを見つめている気がしてならない。

 どうする。下手に動けば、その瞬間に隠蔽術式が解けてしまう。かと言って既に見つかっているのなら、ここでじっとしているのは愚策の極みだ。

 ――どうする……!?

 鬼の巨人が魔眼ないし天眼の持ち主である前提で動くべきか。いやしかし、そうと断言できる材料はまだ乏しい。もし勘違いだったら藪蛇やぶへびもいいところだ。かと言って、奇跡的な確率で奴が〝眼の異能持ち〟だったら、僕達は逃げる暇もなく踏み潰されてしまうかもしれない。

 二択の選択問題だ。

 僕の直感は、巨人が魔眼の持ち主だと囁いている。あの鬼火のような双眸。あんなの見たことがないし、そういえば昨晩の〈イーグルアイ〉では見て取れなかった。つまりあれは魔眼、あるいは天眼が発動している証なのだ。自分たちは既に補足されている。あの大鬼はこちらめがけて歩んできているのだ――と。

 だけど僕の理性は、そんなはずがない、と腰を据えている。考えすぎだ。相手のスケールに飲み込まれて怖じ気づき、パニックになっているのだ。常識的に考えろ。そんな極小の確率に全てを賭けるのか。馬鹿げている。いつも通り、このままやり過ごせ。あの巨人が現れたのはたまたまだ。またぞろ地上へ向かうところなのだ。余計なことはしなくていい――と。

 そう、頭ではわかっている。考えすぎなのだと。しかし。

 ――だったら、この全身が粟立つ感覚は一体何なんだ……!?

 何よりも僕の体が警鐘を鳴らしている。今すぐ動け、いいから急げ、早く、間に合わなくなるぞ――と。

 ずしん、と鬼がまた一歩を進める。

「――ッ!」

 その瞬間に覚悟を決めた。理由は自分でもよくわからない。今の一歩で、鬼の首の角度がほんのわずかにこちらへ動いたとか。前に出した足の親指が、少しだけ斜めになっていたとか。細かい根拠ならいくらでも挙げられる。

 だけど僕は、最終的に自分の直感を信じた。

『――ハヌッ!』

『うむっ!』

 念話ですら多くを語ることなく、ハヌは僕の意図を汲んでくれた。

 ハヌがこちらの首に飛び付き、僕は彼女の小さな体を下からすくい上げる。

 それと同時に支援術式〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉を六回ずつ一斉発動。強化係数を一気に六十四倍にまで。激変する身体感覚に意識をチューニングしながら〈シリーウォーク〉を発動させ、僕は巨人に背を向けて不可視の階段を登り始めた。

 直後、僕達にかかっていた隠蔽術式がキャンセルされるのと、

『■■■■■■■■■■■――――――――!!!』

 大鬼の咆哮が大気を揺らしたのは、ほぼ同じタイミングだった。

 ――やっぱり見えていたのか……!?

 隠蔽術式が切れてから見つかったにしては、反応が速すぎる。どう考えても、僕達が逃げようとしていることに気付いての吠え声だった。

「――~ッ!」

 ハヌを抱きかかえたまま高速で両足を回転させて、一気に宙を駆け上る。その背中を、

 ドンッ! と砲撃がごとき轟音が叩いた。

 咄嗟に首だけで振り返る。

「――なっ……!?」

 さっきまで歩いていた巨人が、地面に勢いよく踏み込んでいた。前傾姿勢になって、カンテラを持つのとは逆の腕を前へ伸ばしている。まるで『待て!』と僕達を捕まえようとしているかのように。

 それだけではない。大鬼はそのまま、こちらめがけて走り出したのだ。

「くっ……!?」

 考えてみれば当たり前の話だ。人の形をしているのだから、歩くだけではなく、走ることだって出来るに決まっている。

 しかも速い。

 巨人故の歩幅ストライドによって一気に相対距離を詰めてくる。

 もはやこの迫力は言葉には出来ない。

 なにせ、全長十五メルトルもの人型がランニングフォームで突っ込んでくるのだ。巨大ワームが襲いかかってくるのが『壁』か『津波』だったのだとしたら、こっちは『弾丸』か『砲弾』である。

『――来るぞラト!』

『大丈夫まかせて!』

 僕の首に抱きついているハヌには、後方の鬼の様子がよく見えるのだろう。心配そうに僕を呼ぶ彼女に、僕は胸を叩くような気持ちで請け負った。

 支援術式〈プロテクション〉×10をハヌに。そして自分には〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉をさらに二回ずつ発動させ、強化係数を一気に二百五十六倍にまで急上昇させた。

 僕はさらに加速して、加速して、加速。〈シリーウォーク〉の足場を蹴っ飛ばすようにして洞窟内を上昇していく。

 そこへ、

「――っ!」

 僕達がさっきまでいた空間に大鬼の手が伸び、巨大すぎる手が何もない空間を掴んだ。そう、掴んだだけだ。それなのに、

「――わっ……!?」

 鬼の手がデカすぎて、それが握られただけでものすごい風が生じた。強烈な風圧に捲られ、吹き飛ばされそうになる。

 続いて、空を切った鬼の拳が、勢いそのまま壁に激突した。

 凄まじい破壊音。

 建物解体用クレーンの大鉄球がめり込むように、巨人の拳が壁面に深々と沈んでいく。ヘラクレスの倍以上のサイズは伊達ではない。かつてヴィリーさんが倒したゲートキーパー〝ボックスコング〟よりも強力なパンチ力だ。まともに食らったらそれだけでペチャンコになる。

『■■■■■■■■■■■――――――――!!!』

 悔しげな雄叫び。空気がビリビリと震える。大きく開いた顎にゾロリと並ぶ乱杙歯が見えた。

 あちらにしてみたら、羽虫を捕まえようとして逃げられ、壁に手をぶつけたのだ。怒りたくもなろう。

 だけど捕まってやるわけにはいかない。僕はさらに加速して、一気に天井付近まで上昇した。

 この洞穴は巨人サイズだから、天井がかなり高い。実際にあの大鬼を目の前にして計算しても、いくら奴が手を伸ばしても届かないぐらいの空間がある。なら、天井に張り付くぐらい上昇すれば、奴は僕達に手も足も出せないはず。

 ――どうにかして振り切って、とにかくあっちの『境目』を抜けないと……!

 このまま天井付近を突っ走って、あっちへ滑り込もうか。大鬼にとって僕達は羽虫やネズミのようなものだ。高速で逃げれば、いずれは見失ってくれるはず。あっちの空間に隠れる場所があればなおよしだ。

『ハヌ、反転して一気に突っ切るよ。とにかくあっちに入って――』

『待てラト! あやつが妙な動きをしておるぞ!』

 僕が次の行動について話そうとした瞬間、ハヌが眼下を指差した。細くて短い指が示すのは、僕達を見上げる鬼の巨人。ゆらめく鬼火の両眼が、じっとこちらを見つめたまま、だけどゆっくりと遠ざかっていく。下へ沈むように。

「……まさか!」

 我知らず声を出していた。僕達が見下ろして、奴は見下ろしている。なのに奴の顔が遠のくように見えるってことは――大鬼はゆっくりと【屈んでいる】のだ。

 ――まずい……!

 僕は反転するために緩めかけていたアクセルを元に戻し、少しでも大鬼から距離をとるよう疾駆した。

 次の瞬間、爆音と共に鬼の巨人が【跳躍】する。

「お、おおおおおおお――!?」

 必死に走る走る僕のすぐ後ろを、大鬼の指先――というか爪の先が掠った。後方を見張っているハヌからは、ものすごい迫力の光景に見えたことだろう。太くて長い指が空を裂き、そら恐ろしい風切り音を響かせる。

 我ながら油断が過ぎた。歩くことも走ることも出来るのなら、ジャンプすることだって可能に決まっているではないか。だけど、今のでわかった。巨人も必死なのだ。奴はどうあろうと僕達を捕まえるか、潰そうとしている。

 もはやこれは、逃走劇などではない。

 一つの戦いだ。

 ――だったら、こっちだって……!

 巨人の体が重力に引かれ、落下する。あの巨体が飛び跳ねたのだ。着地しただけですごい振動が起きて、洞窟全体が衝撃に揺れる。もしかしたら昨日の大地震は、こんな巨人が大勢で一斉にジャンプしたからではないか、などと思ってしまう。

『ハヌ、今度はあまり真っ直ぐ走ることはできないと思うけど、それでも詠唱は出来る?』

『うむ、その場合はちと時間を要するがの。ラト、あやつを浄化するのじゃな?』

『あいつだけで済むかはわからないけど……とりあえず、いつでも術式が発動できるよう準備しておいてくれる?』

『うむ、任せよ』

 僕はハヌに〝転輪聖王〟の極大術式の準備をお願いしながら、ストレージから右手に黒帝鋼玄〈リディル〉を取り出す。実体剣をパージして剣柄に術力を流すと、ディープパープルに輝く光刃が飛び出した。



「 あまねく大気に宿りし精霊よ 我が呼び声にこたえよ 」



 ハヌの詠唱が始まった。

 その言霊が籠もった声を聞きながら、僕は天井付近を大きなカーブを描きつつ駆け抜ける。

 向きを変え、行き先を巨人のいる――否、巨人の背後にある『境目』へと変更する。

 とにもかくにも、あちらの様子を確認してみないことには何も始まらない。他に巨人がいないのなら、こいつをハヌの術式で消してもらえばいい。逆に、他にも複数の巨人がいるのなら、そいつらもまとめてハヌの極大術式に巻き込めるよう位置取りすればいい。

 そうと決まれば、まずは目の前の大鬼からだ。

 僕は左手でハヌを抱えたまま、右手の〈リディル〉を大きく振り上げ、最近インストールしたばかりの剣術式ソードアプリを起動させた。

「――〈レイザーストライク〉!」

 手の甲に深紫の術式アイコンがポップして、弾けて消える。

 ヴゥン、と〈リディル〉の光刃が震え、さらにディープパープルの輝きを強めた。

『■■■■■■■■■――――――――!!!』

 眼下の大鬼が天井に向かって吠える。鬼火の両眼が僕達を睨んでいるのがわかる。メチャクチャな速度で空中を走る僕と奴との相対距離が吹っ飛ぶようになくなっていく。

 大鬼がまたしても深く腰を沈めた。また跳躍して僕達をはたき落とすつもりなのだ。ふざけるな、と戦闘モードの僕は思考する。図体がでかいだけあって予備動作も笑えるぐらい大きい。見え見えのバレバレだ。何をするつもりなのかが数秒前に予見できる。ここまで来るともはや滑稽だと言っても過言ではない。

 そうだ。体の大きさに惑わされてはいけない。角を生やした異形は確かに恐ろしく、巨大さから生み出される破壊エネルギーは破格もいいところだろう。

 だが、その大きさこそが命取りだ。単純な話、サイズが大きくなればなるほど、動く速度は遅くなる。かつて僕が戦ったゲートキーパー・ヘラクレスは、巨体でありながら目にも止まらぬ速度で剣を振るえたからこそ、恐るべき強敵であり得たのだ。しかし、この鬼の巨人にはそれがない。速く動かない巨大生物など、所詮は【動く小山】に過ぎない。海中をゆったり泳ぐ鯨にも劣る。近付かなければどうということはないし、近付いたとしても素早く脇を抜ければいい。

 そして今、強化係数二百五十六倍の僕には、奴にダメージを与える力がある。

「これでも――喰らえっ!」

 右手の黒玄を上から下へ一閃。光刃が深紫の弧を描く。

 その瞬間、僕は〈リディル〉の刀身にスタンバイさせておいた〈レイザーストライク〉を発動させた。

 ディープパープルの斬撃の軌跡が、しかしそのままの形を保ったまま勢いよく発射される。

『■■■■■――!?』

 大鬼にとっては大した大きさではないが、それでも無視できないサイズの【飛ぶ刃】に驚きの声が上がる。奴は跳躍前の〝溜め〟を中止して、両腕で顔を覆い隠した。

 人間だって、羽虫が顔の近くを飛んだら本能的に防御してしまう。それほどまでに顔には敏感で脆弱なパーツが多いのだ。

 僕の飛ばした光の斬撃が丸太のごとき腕に命中し、弾け飛ぶ。朱色の隆々とした筋肉の表面だけは切り裂けたと見え、うっすらと黄緑色の線が大鬼の左腕に走った。驚くべきことに、あんな巨体にもフォトン・ブラッドが流れているらしい。刻まれた傷がぼんやりと光を放っていた。

 ――よし、今の内に!

 僕が使った〈レイザーストライク〉は、シンプルかつ使い勝手のよい剣術式として有名だ。効果は見ての通り『斬撃を飛ばす』という、実に単純明快な代物しろもの。近接戦闘を主とするフェンサーなどのエクスプローラーにとっては、数少ない遠隔攻撃手段の一つである。

 だが格段に射程が広がるのと引き換えに、威力は大幅に減衰する。通常の斬撃を『一〇〇』とするなら、〈レイザーストライク〉の威力は『六五』にまで落ちるのだ。

 だけど今の僕は、支援術式によって通常の二百五十六倍の能力を発揮している。例え半減したところで、普段の百倍以上の威力があるのだ。今この場で与えるダメージとしては、十分お釣りが来る。

 大鬼は両腕で顔を覆った。つまり自ら視界を遮り、僕達から目を離した。この隙に奴の頭上を抜け、一気に『境目』へ突入するのだ。

 ――と目論んでいたのに、

『――■■■■■■■■■■!!』

 巨人が叫び、なんと中途半端な姿勢から二度目の跳躍を敢行したではないか。

「――なっ……!?」

 しかも飛ぶ角度が正確すぎる。未だ両腕で顔を隠した状態だと言うのに、それでもなお僕達の姿を捉えているかのごとく。

 ――そうか、やっぱりあの眼の力……!

 揺らめく炎の瞳。まさか隠蔽術式を見破るどころか、遮蔽物をも見通すとは。一種の透視能力か、それとも――いや考えている場合ではない。今はとにかく奴の腕を回避しなければ。

『ごめんハヌ! かなり動くよ!』

 ハヌを案じる余裕すらない。申し訳ないけれど僕は一方的に宣言すると支援術式〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉でフルエンハンス、強化係数を五百十二倍に引き上げてから跳弾がごとき立体機動に入った。

 大鬼の巨体が上昇してくる。

 転瞬、僕はハヌを抱えた状態で宙返りを打つ。天地を逆転させて天井を蹴っ飛ばした。大鬼がこちらへ腕を伸ばしてくる。僕は何もない空間を壁のように蹴って横っ飛び。軌道を鋭角にねじ曲げた。さっきまでいた空間をデカい手が唸りをあげて通り過ぎていく。僕は〈スキュータム〉を数枚並べて発動させ、余波の豪風を防ぐ。このまま腕の横を通り抜けようとした瞬間、しかし大鬼はそれを予測していたかのように腕の動きを変えた。伸ばして掴む動きから、横薙ぎへ。すぐ横にある巨腕が怒濤のごとく近付いてくる。

「――〈ヴァイパーアサルト〉ッ!」

 僕は新たに剣術式を起動。〈リディル〉の刀身が蛇のように伸長する。下に向けていた切っ先を跳ね上げながら、

「〈レイザーストライク〉ッ!」

 さらに剣術式を重ねた上で、二つの術式を同時発動させた。

 何が起こるか。

 先程も言った通り、〈レイザーストライク〉は遠隔攻撃を可能とする代わりに、威力を犠牲にする。それ故、通常は牽制や陽動に使われたり、敵が空中や遠方にいる際に仕方なく使われるのが普通だ。また副次効果として『飛ぶ斬撃』の大きさが実際の刀身よりも大きくなり、攻撃範囲が多少広がるというものがあるが、これはあまり知られていない。

 だけど、遠隔攻撃をするだけなら〈エアリッパー〉や〈ボルトステーク〉があるのに、僕がわざわざ〈レイザーストライク〉を購入してインストールした理由はそこにある。

 斬撃を飛ばす剣術式――その斬撃が大きければ大きいほど攻撃範囲が広がるのであれば。

 こうして〈ヴァイパーアサルト〉で刀身を伸ばせば、その斬撃は通常の数倍と化す。

「づぁああああああああああああッ!!」

 光り輝く深紫の円弧。僕が切り上げで描いた弧線の長さは、一瞬にして四メルトルを軽く超えた。

 撃ち出される。

『――■■■■■■■■■■■■■■!?』

 大きさだけなら、かつてヘラクレス戦で使用した〈大断刀〉の一撃にも匹敵する〈レイザーストライク〉が、巨人の腕に炸裂する。硬質的な見た目の皮膚が今度こそ深く切り裂かれ、黄緑色のフォトン・ブラッドが激しく飛沫しぶいた。

 同時、〈レイザーストライク〉の衝撃によって大鬼の腕が弾き飛ばされる。

 返り血を浴びないよう〈スキュータム〉のシールドを移動させ、血飛沫を防ぐ。

 僕は剣を振り上げた勢いに逆らうことなく、そのまま空中で一回転。再び〈シリーウォーク〉の力場を蹴って跳躍。斜め下方向へ飛び、重力の力を借りて加速。高度を大鬼の肩の下あたりにまで落とすと、空中に足をつけて再び弾丸のごとく駆け出した。

『■■■■■!?』

 短い悲鳴。併せて洞窟内がいきなり真っ暗になった。何事かと思いながら〈イーグルアイ〉×5を発動させ、暗視機能をキックする。

 五つの複合視野で見ると、大鬼は〈ヴァイパーアサルト〉と〈レイザーストライク〉の合わせ技によって、空中で体勢を崩していた。それで慌てたのだろう。手に持っていたカンテラを変な風に振って、光を消してしまったのだ。

 もはや鬼の巨人はまともな着地も出来なかった。反射的に体を丸めた状態で、左半身から地面に落ちていく。

 だからと言って、僕はもう安心しない。油断はしない。僕がこうして支援術式によって暗視能力を獲得しているのだ。奴のあの目にそれができないわけがない。実際にどうかは知らないが、少なくともその前提で僕は動く。

 ズゥン……! と地揺れの音が響く。大鬼が不格好な体勢で地面に落ちたのだ。



「 集え清浄しょうじょうの力 闇に迷いし荒魂あらたまを鎮めよ 悪しき魂魄こんぱく退しりぞけよ 」



 そして僕の走行姿勢が安定した途端、ハヌの詠唱が再開された。だけど、ちょっと声が苦しそうだ。さっきの回避機動で、かなりのGがハヌの小さな体にかかったはずだ。無理もない。

 けれど、今は彼女のことを気遣うより、少しでも速く『境目』の向こう側へ行く方が先決だ。

 僕は照明術式〈ランプボール〉×3を発動させながら、同時に〈イーグルアイ〉の暗視機能をオフにする。三つの光球の一つを先行させ、一つを近くに置き、最後の一つを大鬼の方へ飛ばす。どうせ奴の目は誤魔化せない。なら、こちらも相手をよく見えるようにして監視するまでだ。〈イーグルアイ〉の一体を大鬼の方へ飛ばし、奴の様子を観察し続けるよう設定する。

 疾風の速度で宙を駆ける僕は、もはや大鬼の妨害を受けることなく、勢いそのまま『境目』へと飛び込んだ。

 先行させた〈ランプボール〉が洞窟の奥を照らし上げる。

「――! ここって……!」

 長い洞穴の底。平坦になった場所のさらに奥にあったものは――

「……部屋……?」

 光球が映し出す光景を見渡しながら、僕は徐々に足の速度を緩める。

 そう、部屋としか言い様がない。

 テーブルに椅子。ベッドに物置棚。奥にあるのはもしかしてトイレの扉だろうか。灯りがなく、こんなにも暗いのは、さっきのカンテラがこの部屋唯一の照明だったからかもしれない。

 ただ、この部屋が普通のそれと違うのは、やはりスケールだ。

 どれもこれも、上に馬鹿がつくぐらい大きい。

 そう、ここは巨人サイズの部屋なのだ。

 多分こうして空中から見なければ、すぐにはそうとわからなかっただろう。

「……まさか、本当にここに住んで……?」

 通常の約十倍の大きさの生活空間。多分、比率的に考えて、僕が前に一人暮らししていた部屋と同じぐらいの狭さだ。

『――よいぞ、ラト。妾の準備は整った』

 そうこうしている内にハヌの詠唱が完了した。まだ時間がかかるようなら、部屋のどこかに隠れてやり過ごそうと考えていたのだけど、その必要はなくなったらしい。

『――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!』

 部屋の外から大鬼の凄まじい怒声が届く。それはそうだろう。あちらにしてみれば自分の敷地内に変なネズミ二匹が侵入してきて、それを排除しようとしたら手痛い反撃を受けたのだ。怒り心頭になるのも無理はない。

 ――あれ? もしかして僕達……ものすごく失礼で悪いことしてるんじゃ……?

 一瞬だけそんな思考が脳裏を過ぎる。が、発端は何であれ、さっきの大鬼の行動は間違いなく僕達を押し潰す勢いだった。あれだけの殺意を向けられて、無難にやり過ごすなんてどう考えたって無理だ。

 かと言って、今更話し合いなど出来るはずもない。第一、言葉が通じないではないか。今だって奴の叫んでいることがどんな意味なのか、さっぱり分からないのだから。

 ――やるしかない、やるしかないんだ……!

 逆の立場になって考えてみよう。もし僕の部屋にネズミ、ないしゴキブリの類が出現したらどうするか? 悩むまでもない。話し合いなど最初から選択肢にないだろう。自分のテリトリーで安心して過ごすために、害虫は殲滅あるのみだ。つまりはそういうことである。

『――ハヌ、この部屋の奥まで移動するから、あの鬼の巨人がここに入ってきたら、その時に』

『うむ、心得た』

 あの大鬼には悪いけど、覚悟を決める。エイジャのメッセージが本当ならば、ここには『島の秘密』とやらがあるはずなのだ。そして、それこそが僕達がここを脱出するための、唯一の手がかりなのである。

 ずしん、ずしん、と大鬼がこちらへ走って来る音がする。

 僕はハヌを抱えた状態で、部屋の中央に置かれている巨大テーブルの上へと降り立った。テーブルは木材で出来ていて、言っては何だが形はよくない。丸テーブルを作ろうして、微妙な楕円形になってしまったらしい。卓上に置かれているのは空の皿が数枚と、マグカップが一つ。こちらも木製で、どこか素人くさい出来だ。

「…………」

 心の奥底から湧き上って来る罪悪感を、苦心して押し殺しながら、体を部屋の出入り口へと向ける。

 ――迷うな。今はそんな場合じゃない。ここには僕だけじゃなくて、ハヌだっているのだ。僕の迷いがハヌを殺すことだってあるのだ。守るべきものを間違うな……!

 鬼の巨人が駆けてくる音は激しく、奴の感情が大分荒れていることをストレートに伝えてくる。そこの出入り口に姿を見せるのも、もうすぐだ。

『――カウントダウンいくよ、三、二……』

 奴につけてある〈イーグルアイ〉がもたらす視覚情報と、音と震動の大きさからの逆算を併せて、ジャストなタイミングを弾き出す。

 今か今かと迫る瞬間に、僕の腕の中、ハヌがぐっと全身に力を込めたのがわかった。

『一……ゼロ!』

 ここだ、と僕が指定したタイミングで見事、大鬼の巨体が視界に現れた。

 ぶわっ、とハヌの全身から、泥のように質量を持った術力が噴き上がる。



「 〈天聖招来てんじょうしょうらい天魔調伏てんまちょうぶく〉 」



 風が吹く。

 さっきの巨大蠕虫ワームの群れを掃討した時は、僕もいっぱいいっぱいだったから気付けなかったけど、ハヌの放つ濃密な術力はまず空間を埋め尽くし、その場の道理を完全に支配していた。

 澄んだ清らかな風が、広い室内の大気を撹拌させる。ここは地下なのだから空気が澱んでいたはずなのに、不思議と清涼感を帯びた聖なる風が吹く。

 僕の懐に抱かれたハヌが、小さな両手で素早く印を結んだ。

 刹那、スミレ色の輝きが迸り、爆発的に広がる。

 超極大の術式アイコン。

 未だ見慣れぬ不思議な紋様で描かれたそれが、一瞬にして飽和し、部屋の外へと飛び出していく。

 ここからではよくわからないが、もし仮にこの浮遊島を遠くから観察する者がいれば、小さな島から巨大な円形の術式アイコンが、瞬く間に膨張していく姿をその眼で見ることが出来ただろう。

『■■■■■■■■■■■■■■――!?』

 突然のことに驚愕の咆哮をあげる大鬼。両手で顔を庇い、眩しさに顔を顰めているのがわかる。

 次の瞬間、室内を完全に二分した術式アイコンから豪風が噴き出した。

 濃縮された聖なる風が、怒涛のごとく鬼の巨人に襲い掛かる。

『■■■■■――』

 恐ろしさのあまり上げてしまったような悲鳴は、けれどすぐ尻窄みになって消えた。

 大鬼の全身が、ガチッ、と硬直する。先程のワーム達と同じだ。時が止まったかのごとく、指先に至るまで完全に静止する。

 荒れ狂う風は瞬時に通り過ぎ、洞窟の奥へと消えていった。

 やがて術式アイコンの光が、ふっ、と消失し、室内は再び薄暗さに占領される。残った光源は、僕が出した〈ランプボール〉×3のみ。

 少しすると、鬼の巨体のあちこちから青い炎が上がった。日輪の火炎だ。聖なる火は音もなく燃え上がり、やがて鬼の全身を包み込んでいく。

 まるで、奴の双眸の鬼火が、身体中に広がったかのようにも見えた。

「…………」

 やっぱり悪いことをしてしまったな、と今更ながらに思う。さっきのワームに対しては何ら悪びれることはなかったというのに、人間に近い形をしている生き物には罪悪感を抱くなど、勝手もいいところだとは思うのだけど。

 彼か彼女かはわからないが、この巨人にも生活があった。暮らしがあったのだ。その流れを、突然やって来た僕達が力尽くで断ち切ってしまった。

「……どうしたのじゃ、ラト? 浮かぬ顔をしておるようじゃが……」

 思考が顔に出ていたのだろう。僕にお姫様抱っこされているハヌが、横から心配そうな声をかけてくれた。

「……ううん、大したことじゃないよ。ちょっと、良心の呵責がね……」

 僕は誤魔化すように愛想笑いを浮かべながら、内心で、どうしようもなかったのだ、と自分に言い聞かせる。

 ここがたとえ、エイジャの作った架空の空間で。

 たとえこの鬼が、虚構の生命だったとしても。

 僕は、このことを忘れないでいよう、と思う。あくまで自戒として。

 ――と、燃え続ける大鬼の肉体を見つめながら、心に誓いを立てていると、

「――こりゃ、何を深刻な顔をしておるか、ばかもの」

「ほへ?」

 むにゅう、とハヌに両頬をつままれてしまった。

 キョトンとする僕に、ハヌが唇を尖らせる。

「おぬしが何を考えているのかは大体わかるぞ、ラト。どうせ益体もない感傷を抱いておったのじゃろう。顔を見れば丸わかりじゃ」

「……ハヌ……」

 痛めつけようとする意図ではなく、僕の表情筋をほぐすように両手で揉み揉みしたハヌは、はふぅ、と溜息を吐いてから手を離す。次いで、ぴっ、と右手の人差し指を立てて、

「よいか、よく聞くのじゃ。妾の術が効いたということは、つまりこの鬼めも魔性の存在だったというわけじゃ。よって、勘違いするでないぞ? 妾はあやつを〝殲滅〟したのではなく〝浄化〟したのじゃ。わかるか、この違いが?」

「え、えっと……?」

 そう言われても、目の前で起こった現象はワームにしても大鬼にしても、燃え上がって灰になるというものなわけで。結果として命を奪っているのであれば、そこに違いはない気がするのだけど……

 と、そんな風に考えているのが顔に出ていたのだろう。ハヌが、やれやれ、と言った感じで首を横に振った。

「魔性の存在とは、つまるところ『正の想念』を核とした『負の想念』の塊じゃ。本来であれば均衡を保っておるはずの正と負の想念の関係が崩れ、負の力が強まって魔と堕ちるのじゃ。じゃが、妾の術はその負の力を祓う。負の想念を弱まらせ、核となっていた正の想念を解放するのじゃ」

 ハヌの説明を僕なりに咀嚼して、自分的にわかりやすいモデルを提示してみる。

「……??? えと、プラスとマイナスの話だから……原子核と電子みたいな感じ……?」

「げん……でん、し……? ??? なんじゃそれは?」

 すると今度は、ハヌの方が僕の言っている意味がわからなかったらしく、二人して頭を捻るという間抜けな状況が発生してしまった。

 僕はここで『原子は、正の電荷を帯びた原子核と、負の電荷を帯びた電子で構成されているから、それに近いと思った』などと無駄な話はせず、素直に話を進めることにした。

「あ、ごめん、何でもないから気にしないで……えと、それで正の想念を解放するんだよね?」

「うむ。解放された正の想念はあるべき場所へと旅立つ。つまり、成仏するのじゃ。天に召される、とも言うかの。それが〝浄化〟じゃ」

「……ということは、悪いものを良いものに変換して、苦しい状態から解放してあげる、ってこと?」

 要約してみると、ハヌは我が意を得たりと頷いた。

「うむ、然様じゃ! 故にラト、おぬしが気に病むことなど何もない。あの鬼の魔性は妾の術によって救われたのじゃ。喜ぶことはあっても、悲しんだり悔やんだりする必要はない」

 くふ、とハヌが微笑む。それが言外に、元気を出せ、と言っているようで、胸の中がほっこりと暖かくなった。

「……そっか……うん、ありがとう、ハヌ」

 細かい理屈はやっぱりよくわからないけれど、とにかくハヌが僕を励ましてくれているのはよくわかった。だから僕は努力して笑みを浮かべて、ハヌに頷いて見せた。

 その時だった。メラメラとウィッカーマンよろしく燃えていた大鬼の体が、突然、芯を抜かれたかのごとく、どしゃあっ、と一気に崩れ落ちた。巨体の大部分が灰となって、自重を支えきれなくなったのだろう。

 濛々と砂埃ならぬ灰埃が立ち昇る。

「ふー……とりあえず、何とか乗り切ったね」

 鬼の巨人が灰の山になるのを見届けると、途端に肩の荷が下りた。僕は安堵の息を吐いて、支援術式の効果を一斉キャンセル。ノーマル状態に戻ってから、ハヌを下に降ろした。いや、下と言ってもテーブルの上なのだけど。

 ころん、とぽっこり下駄の音を立てて着地したハヌは、ぐるり、と首を巡らせて周囲を見やる。

「ふむ、穴はここで行き止まりか? 取り立てて珍しいものはないようじゃが……」

「んー……ある意味では珍しいものしかない気もするけど……」

 なにせここにある何もかもが、十五メルトルもの巨人の私物である。椅子やテーブル一つとっても、下手な建物より大きいのだ。道具としてはごく当たり前のものしかないが、サイズに着目すると、観光名所になるのではないかというレベルで珍しかった。

「じゃが碑文にあったであろう。この島の秘密が奥にある、と。ここにそれらしきものがないということは、まだ奥があるということか?」

「もしくは……さっきの大きな鬼が秘密を知ってた、とか……?」

「いや、それはなかろう」

 ちょっとだけ脳裏によぎった嫌な予想を口にしてみると、ハヌに即断で否定された。

「先程の虫どもと同じじゃ。ただの障害にすぎぬ。秘密を語るような知性があるのならば、いきなり襲い掛かっては来んであろう?」

 それもそうである。肝心の情報源がいきなり襲い掛かって来て、うっかり倒してしまったらミッション失敗などと、いくらここがルナティック・バベルとはいえ意地悪が過ぎる。

「ということは……じゃあ、あっちの奥の扉を開けたら、まだ先があるのかな?」

 部屋の間取りから考えるとトイレないしは浴室、あるいはその双方がありそうな感じなのだけど。

 然り、とハヌが首肯する。

「それしかあるまい。すまぬがラト、もう一度妾を抱き上げ」

 てたもれ、と続けようとしたハヌの言葉を、突然の怒声が遮った。



「オラァアアアアアアアアアッッ!! いきなり出て来てよくもやってくれたじゃねぇかぁああああああああッッ!! もっかい勝負しろやゴラァアアアアアアアアアアアッッッ!!!」



「「――~ッ!?」」

 雷鳴のごとく唐突に響いた大音声に、僕もハヌも揃って身を硬くした。

 しゃがれた、でも野太い男の声だった。一瞬ハウエルかと思ったが、違う。奴の声はいかにも荒くれ者という感じがあったけど、今のはどこか格下の――そう、まさに【チンピラ】っぽい声音だったのだ。

「だ、誰……!?」

 慌てて周囲を見回しても、それらしき影は見当たらない。〈ランプボール〉を動かして声の主を探すけれど、物陰が多くてすぐには特定できなかった。しかし、

「――ラト、あそこじゃ!」

 声の飛んできた方角からあたりをつけたのだろう。ハヌがテーブルの端近くまで走って、下方向を指差した。

 まさか、と思った。

 ハヌが指差した先にあったのは、つい先刻〈天聖招来・天魔調伏〉によって崩れ落ちた、大鬼の灰がある場所だったのだ。

 ――でも、もしかしたら、もしかして……!?

 と予感に胸を馳せながら、僕もテーブルの端に寄って〈ランプボール〉を灰の山近くへと移動させる。

 すると――いた。

 うずたかく積もった灰の山、その頂上付近に――なんと人間の上半身が生えていたのだ。否、下半身が埋まっているのか。

 黒灰色のざんばら髪、漆塗りのようにつるりとした朱色の肌、鬼火のように揺らめく光を放つ双眸――そして、頭に生えた三本の角。

 間違いない。



「どうしたゴルァアアアアアアアアアアアッッ!! 下りてこいやぁあああああああああッッ!! かかってきやがれってんだよドチクショウめがぁああああああああああああッッ!!」



 筋骨隆々の体付き、普通の人間とは思えない形状で飛び出した関節や骨、やや年老いた容貌。やけに目につく乱杙歯。

 そこにいたのは、まさについ先程ハヌの術式で〝浄化〟されたはずの鬼の巨人――そのミニサイズであった。

 僕達と同じぐらいの人間大になった鬼が、今度はこちらにも理解できる言葉で、しかし猛り狂っていた。



「俺様はまだ負けてねぇぞぉお――――――――ッッッ!!!」



 ただでさえ赤い顔を、さらに真っ赤にして。







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