リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●11 地の底を祓う天輪の風






 結論から言うと、謎の巨人はこちらに近付いてくる様子がなかったため、僕とハヌは迂闊な行動を控えることにした。

 念のため焚き火を消してからテントに潜り込み、そのまま〈イーグルアイ〉による監視を続けたところ、どうやら巨人は森の動物を捕食しているらしいことがわかった。

 あれがどういった生き物で一体どこから現れたのかはさっぱりわからないけれど、当然のことながら生きている限りは喰わねば飢え死にするわけで。時折しゃがみ込んでは何かを拾い上げ、口元へ持っていっていたのだが、その際、微かに悲鳴のようなものが聞こえてくるので、おそらくは森に生息する動物を食べているのだろうと推察できた。

 しばらく様子を窺っていると――こちらに向かって来るようならすぐに撤収するつもりで――、やがて鎧の巨人は、僕らがいるのとは逆の方角に向かって歩き始め、森の中へと姿を消した。

 しばらく待っても再び姿を現さなかったので、ほっ、と一息ついたのだけれど、しかしいつ巨人が戻ってくるかわかったものではないし、類似の個体が現れないとも限らない。なので、ハヌには先に休んでもらい、僕は引き続き周囲の様子を見張ることにした。

 夜も深まって冷え込みも強くなっていたけれど、焚き火は消したままにしておいた。幸い、テントの出入り口を閉じて毛布にくるまれば、寒さはしのげる。

 ハヌも疲れていたのだろう。サイズの合わない少し大きめの寝袋に入り、僕と手を繋ぐと、僅かもしない内に眠りに落ちてしまった。元々、幼いだけあって夜九時前に寝るのが習慣だったのだ。まだ日が落ちてから一時間ほどしか経ってないけれど、今日の出来事を考えれば無理もない。

 ――この調子だと早起きしてくれるだろうから、僕はそこからお昼まで六時間ぐらい眠れたらいいかな……

 短い睡眠時間で活動することは、エクスプローラーを志した時から覚悟している。実際、日帰りが容易ではない遺跡レリクスではみんなそうしているのだ。どうにか見つけた安全地帯で見張りを交代しながら休息し、それでもパフォーマンスを落とさずエクスプロールを続けられてこそ、一人前のエクスプローラーといえるのである。

 いざという時にはストレージに備蓄してある栄養ドリンクだってある。数日なら睡眠不足でも問題なく活動できるはずだ。

「それにしても……色々と大変だなぁ……」

 テントの隅に置いたランタンに薄く照らされる中、僕は小さな声でぼやく。まだハヌと手を繋いだままだけど、一度眠ったハヌはそうそう起きることはないから大丈夫だ。

 結局、この謎の無人浮遊島で夜を明かすことになってしまったけれど、恐ろしいことに状況は好転するどころか、悪化の一途をたどっている。

 まず、エイジャが用意したであろうこの浮遊島。前の〝ミドガルド〟同様、何のヒントもない為、どうすれば脱出できるのかさっぱりわからない。

 そんな島に、どうやら定期的に起こっているらしい大地震。原因は不明。おそらくだけど、島の中央にある山が発生源かもしれない。これまでのルナティック・バベルの設計デザインを省みるに、あれが火山だったら絶対噴火する。間違いなく噴火する。ここを作った人間なら必ずそうする。

 故に、地震がその前触れである可能性は非常に大だ。

 そして、僕達と同じくこの島に流された『探検者狩りレッドラム』のハウエル・ロバーツ。

 他の誰でもよかったのに、よりにもよってあの無頼漢の頭目である。彼に比べれば森の野獣などいっそ可愛いものだ。ひとまずは休戦協定なるものが結ばれているが、相手の生業が生業だけにまったく信用できない。

「……はぁ……」

 こうして整理して羅列するだに、自分の運の悪さを呪わずにはいられない。

 不幸中の幸いは、ここにいるのが僕一人だけではなく、ハヌが一緒にいてくれることである。そこだけは神様の――エイジャの?――気まぐれに感謝したいと思う。

 ――とはいえ、どうしたものか。

 改めて考えると、やるべきことはたくさんある。

 一番の目的はもちろん、この無人浮遊島からの脱出だ。

 だけどそのためには、いくつもの試練が僕達の前に立ちはだかることだろう。

 現在、僕らの手元にある手がかりは二つ。

 一つは、この島で起こる地震の秘密。

 二つは、さっき現れた鎧の巨人だ。

 これはアシュリーさんからの受け売りなのだけど、ルナティック・バベルに限らず、世界の遺跡には必ず設計者やデザイナーの『意図』が反映されている。あるいは個性や特徴と言い換えてもいい。

 そして、この軌道エレベーターにおけるそれとは、次のようなものだ。

『これ見よがしにと用意された、わかりやすい第一のヒント。しかしそこから類推されることを全て裏切るような、粘着的に深く掘り下げた悪辣な罠を用意する周到さ』

 これを一言で言えば、底意地がとことん悪い、となるのだけど。

 例えば、キリ番階層のセキュリティルームにある青白いバリアーや、『開かずの階層』で僕とフリムが突入せざるを得なかった黄緑色の光の膜なんかがわかりやすい。明らかに『何かあるに違いない』と思わせるもので、実際それはヒントの一つではあったのだ。だが、軽い気持ちで踏み込んだ先に待っているのは、混じりっけのない真正の地獄。

 さらに言えば〝ミドガルド〟で戦ったフロアマスターもそうだった。巨大な双頭の蛇の像。その前に置かれた黒曜石の祭壇。そこに刻まれた碑文は、設計者からのヒントのつもりだったのだろう。

 だが、あの程度のヒントで何をどうしろというのか。

 よもや双蛇の巨像に触れた途端、『下兵類トルーパー』の飛竜や駆竜の群れを付き従える『将星類ジェネラル』ドラゴン級の怪物が現れるなどと、誰が予測できるだろうか。

 挙げ句には、そのフロアマスターは〝ミドガルズオルム〟という名前で、双頭蛇〝ウロボロス〟から九つの首を持つ〝ヒュドラ〟へと変化し、それだけでもとんでもないというのに、さらにもう一回変身を残していたのだ。

 インチキにもほどがある。

 設計者が目の前にいたら絶対ぶん殴ってやるわ――と当時のフリムが激憤していたけれど、僕は今でも同じ気持ちであった。

 閑話休題。

 ともかく、ここルナティック・バベルにおいては、最初のヒントはわざとらしいまでにわかりやすいのが特徴だ。

 そのパターンに当てはめて考えると、やはり先程の巨人がめちゃくちゃ怪しい。

 あの巨人が去って行った先に何かがあるぞ――まるでそう言っているかのような登場と行動だった。もしかしなくても、地震の原因だってあの巨人が関わっているに違いない。

 そして同時に、前以上の地獄だって待っているはずだ。

「……………………はぁ……」

 溜息ばかり吐いていると幸せが逃げてしまう、というので我慢しようと思ったのだけど、やっぱり僕はガックリと肩を落として吐息してしまう。

 気が重いけど、行くしかない。

 ご多分に漏れず、結局は誘導される先に進んで必要な条件を満たさなければ、ここから街へ帰ることはできないのだから。

 と、その時、

「――ぅにゅ……りゃ、と……」

 もぞり、とハヌが寝袋の中で寝返りを打った。僕と繋いだ手はそのままに、横臥してこちらに体を向ける。むにゃむにゃした唇で口にしたのは、もしかして僕の名前だろうか。

「…………」

 こんな状況だと言うのに、ハヌは安心しきったように眠っていた。元から豪胆な性格をしているからなのか、それとも、こうして僕が手を繋いでいるからなのか。

 いや、別にどっちが理由でも構いやしない。

「ハヌ……」

 僕は空いている手を伸ばし、指先をハヌの髪に触れさせた。サラサラなのにピンと張った手触りが心地いい。

 そういえば、とハヌが昼間に言っていたことを思い出す。

『妾がラトを守る! 守ると言ったら守るのじゃ!』

 もうほとんど〝アブソリュート・スクエア〟で戦えないであろう僕を気遣っての言葉だ。

 これまではずっと『ラトよ、妾を守れ』と言っていた、あのハヌが。

 いくら現人神で、強大な術力を有しているとはいえ、眠ればこんなにもちっちゃくて可愛い女の子が、僕を守ると宣言したのだ。

 気持ちは嬉しい。もちろんのこと。

 だけど――それに甘えるわけにはいかない。

 僕が男で、ハヌが女の子だから――とかそんな理由ではなく。

 僕が、ハヌに守られるより、ハヌを守りたいから。

 心の底からそう思うから。

「……僕が、ハヌを守るよ。何があっても、絶対に……」

 ハヌの頭を撫でながら、僕は小さな声で呟く。

 たとえこの身が朽ち果てようとも――とは、流石に現状では実感が籠もり過ぎてしまいそうで、口にするのも憚られたけれども。

 でも、僕の気持ちは変わらない。

 多分、ハヌを助ける為にヘラクレスの前へ飛び出して行った、あの時から、ずっと。

 もし僕の寿命があと僅かだったとしても。

 どうせ死ぬなら、ハヌの傍がいい。

 それが、いまだ変わらぬ、僕の率直な気持ちだった。



 ■



 言っては何だが、大穴である。

 いや、賭博の話ではない。

 文字通りそのままの意味だ。

 僕とハヌの眼前に、巨大な穴が空いていた。

 それこそ、昨晩見た鎧の巨人が出入りできそうなほど、大きな穴が。

「――えっと、これって……」

「うむぅ……」

 あまりのことに二人揃って唖然とするというか、憮然とするというか。

 ちょっとだけ嫌な予感がする。

 どうして、これだけ巨大な穴を見落としていたのか。絶対おかしい。これほどの大きさなら、上空から見下ろした時に間違いなく目に入っているはずなのに。いくらつぶさに観察していなかったとは言え、これだけの規模の空白を見落とすとは、いくら何でも思えないのだけど――

「……む? ラト、何やらこのあたりには妙な〝氣〟が漂っておるようじゃぞ」

 僕と一緒に虚ろな大穴を眺めていたハヌが、ふと異変に気付いた。

 何やら術力の匂いを感じるのだという。

 これを受けて、いったん僕の〈レビテーション〉で改めて森の直上へ出てみたところ、こんなにも巨大な穴に気付かなかった理由が判明した。

 隠蔽術式だ。

 おそらくは永続的かつ光学的なものだろう。地上からは大穴を視認できるのだけど、森の上に出た途端、穴を隠すように幻影が現れるのだ。

 嫌な予感が見事に的中してしまった。

「もしかして……こういう隠蔽って他にもあったりするのかな……?」

「うむ。業腹じゃが、その可能性は高かろうな。楽はさせぬ、ということか……」

 だとしたら、昨日の下見ならぬ上空からの〝上見〟はてんで意味がなかったことになる。見たままが信用できないというなら、ここはもはや迷宮ラビリンスも同然ではないか。

 ――一体どこまでが本物で、どこまでが偽物なんだか……

 視覚が信用できないということは、そもそもここが浮遊島であるのかどうか、という時点から揺らいでしまう。

 疑い出せばきりがないのだけれど、もしかしたら僕のすぐ傍らにエイジャが立っていて、あの涼しげかつ楽しげな目線でこちらを観察しているのではないか――そう思うと背筋がぞっとするのであった。

「しかし、見事におぬしの見込み通りじゃったのう、ラト。お手柄じゃ」

 くふ、と笑ったハヌが僕を褒めてくれる。

 僕が『あの巨人がヒントなのではないか』とハヌに話したのは、今朝方のことだ。

 昨晩は早めに寝たおかげか、ハヌは夜明け直前ぐらいに目を覚ましてくれた。彼女が眠って以降、巨人はもう姿を現さなかった。また森の獣も近付いてこなかったようで、警報センサーや簡易地雷も稼働することはなかった。だから僕はもう一度ファイアクレードルに火を熾し、まだ寝ぼけ眼のハヌにインスタントだけどホットココアを作ってあげてから、見張りの交代をお願いして寝袋に入った。

 巨人の行き先について話を振ったのは、五時間後に目を覚まし、近くの川でハヌが捕まえてくれた野兎の解体をしていた時のことである。

『ふむ? 言われてみれば確かに……あの化生は〝撒き餌〟であろうな』

 幸か不幸か、野兎二羽は一度も目覚めることなく僕のナイフによって血抜きされ、捌かれた。肉は川に浸して綺麗に洗い、僕が持ってきた鉄串に通して、ファイアクレードルの鉄網に置き、じっくりと焼いてからありがたくいただいた。

『ではラト、食事を終えたらすぐに発つぞ。思い立ったが吉日じゃ。秘密基地ごっこは楽しいものじゃが、こう暑くては長居しとうない。早々に元いた場所へ戻るのじゃ』

 夜は風邪を引くかと思うほど寒かったのだけど、当然ながら日の出とともに島の気温はグングンと上昇していく。兎肉を焼くときは、たっぷり汗を掻きながらの苦行であった。

 その後、川の水で濡らしたタオルで汗を拭ったりして体を綺麗にし、服を着替えると、テントや椅子、テーブルなどの撤去作業に入った。取り出した時はそこそこ手間がかかったけれど、ストレージに収納する時はギンヌンガガップ・プロトコルを使えばいいので、さほど苦労はなかった。

 結局役立つことのなかった――むしろ良いことだけど――警報センサーや簡易地雷も回収すると、僕とハヌは野獣やハウエルの存在を警戒しつつ、森の奥へと足を踏み入れた。

 そして、現在に至る。

 何かあるかもしれない、とは思っていた。思ってはいたのだけど――

「……このレベルの隠蔽が当たり前にあるなら、地道に島全体を歩き回らないといけないかもだねぇ……」

 縁から大穴の中を覗き込み、僕は重い気分で呟いた。

 あの鎧の巨人の身長は、おそらく十メルトルを軽く超える。なにせ森の木よりも高い位置に、頭と思しき部分が突き出ていたのだから。僕がかつて戦った、そして今はロゼさんの手元にいるヘラクレスよりも遙かに大きい。

 そんな巨人が通れそうな大穴である。その巨大さは細かく説明するまでもないだろう。

 穴はまっすぐな縦穴ではなく、斜めに空いていた。多分、地下への入り口なのだと思う。穴というよりは、洞窟と呼んだ方が正しいのかもしれない。

「この中は化生の巣になっておるのかの? どうするのじゃ、ラト? 中へ入るか? それとも、他の場所を探してみるか?」

「うーん……」

 僕と同じように穴を覗き込んでいたハヌの問いに、僕は頭を悩ませる。

 あのサイズの巨人が入っていったと予想される洞穴だ。きっと中には広大な空間が広がっていることだろう。

 小さければ、熊の洞穴みたいに巨人の住処になるぐらいのサイズだろうか。

 だけど、これが逆に大きければ――例えば、他にも出入り口のある、蟻の巣みたいな膨大なネットワークを形成していたとしたら。

 その場合、中にいるのは、僕達が見た一体だけではなかろう。

 実際、この大穴は空からは見えないよう隠蔽されていた。自然にそうなったのではなく、【意図的に隠されていた】のだ。

 そう考えると後者の可能性の方が高いわけで、つまりこの中は、文字通りの『巨人の巣窟』なわけで。

 虎穴に入らずんば虎児を得ず、とは言うけれど、その虎を一口でペロリと食べてしまいそうな巨人の穴となると、流石に怖じ気づかないわけにはいかなかった。

 ――この間は『竜の巣』で、今度は『巨人の巣』か……

 本当に底意地の悪い仕掛けばかり用意してくれるものだ、とエイジャの顔を思い返しつつ、僕は苦虫を噛み潰す。

「……とりあえず、一度は中に入ってみよっか。他を探すにしても、多分見つかるのは別の出入り口ぐらいだろうし。前の時と同じで、何はともあれ先へ進まないとどうにもならないと思うから」

「うむ。ならば、そうするか。警戒を怠るでないぞ、ラト」

「うん、ハヌも気を付けてね」

 僕は両手に握った、実体剣を取り付けた黒帝鋼玄〈リディル〉と、白帝白虎〈フロッティ〉の存在を改めて確認する。切れ味と軽さでは光刃フォトン・ブレードの方が優れているが、あの状態では僅かずつとはいえフォトン・ブラッドを消耗していく。実体の刀身を取り付けているのは、そのほんの少しの消耗すら抑えるためだ。

 ハヌも正天霊符の扇子型リモコンを開き、周囲に浮遊させた護符水晶に術力を込め、自動防御モードを発動させた。

「じゃ、僕が先行するから、一定の距離を保ってついて来てね」

 ハヌに言い置いてから、僕は大穴の中に足を踏み入れり。ざり、とコンバットブーツの靴底が粗い砂利を踏んで音を立てた。

 三十歩ほど進むと、途端に視界が暗くなった。当たり前だ、穴の中には光源が全くないのだから。

『ハヌ、ちょっと待って。今、明かりを用意するから。足元に気を付けてね』

『うむ』

 僕の後方二メルトルの距離にいるハヌに、スイッチを介した念話を飛ばす。声を出さないのは、少しでも危険を呼ぶ可能性を排除したいからだ。

 僕は照明術式〈ランプボール〉×2を発動。僕の前方一メルトルと、ハヌの足元にベースボール大の白い光球を出現させ、明かりにする。〈ランプボール〉はこちらの移動に合わせて自動的に動くので、邪魔になるようなことはない。いざとなれば先行するよう操作して、遠い場所を照らしに行かせることも可能だ。

 周囲を警戒しつつ、僕らはじりじりと坂を下る。背後の出入り口から差し込む外の光が、ゆっくり遠ざかっていく。

 当たり前だけど、巨人が行き来しているであろうことから天井は相当高い。それ故、洞穴特有の圧迫感はほとんどなかった。

『……涼しくなってきたね。多分、ここから先はもっと寒くなるかも。上着を着た方がいいと思う』

『またか。暑うなったり寒うなったり、せわしないことじゃな』

 外は真夏のような暑さだったけれど、大穴の中は進めば進むほど空気が冷えていく。正確に言えば冷えているのではなく、地中の気温が外気に関係なく、ほぼ一定に保たれているだけなのだけど。

 僕とハヌは再び、夜と同じ格好になって洞窟内の気温に備えた。というか、穴の中が暑くないのはこちらにとっては好都合である。戦闘ジャケットが着れて、防御力に不安がなくなるのだから。

 とはいえ、地中が涼しいということは、地熱が低いということでもある。つまり、この浮遊島の中央にある山は火山ではない可能性が高い、ということだ。これまでのパターンからすると、絶対に活火山で、噴火するものと思っていたのだけど。

 ――いや、それもやっぱりフェイクで実は噴火するって可能性も……

 ここの出入り口を隠蔽術式で隠していたみたいに、熱もカモフラージュしている可能性は充分にある。油断してはいけない。ここはこう見えて、ルナティック・バベルの中なのだから。

 慎重に慎重を重ねて坂を下りていくと、やがて通路の脇に石碑のようなものが置かれているのが見えた。

『――ハヌ、ちょっと待っててね』

『うむ。気を付けよ』

 何だろう、何かの罠だろうか――と警戒しつつ近付くと、それはやっぱり石碑で、〝ミドガルド〟で見つけた祭壇のように古い文字が刻まれていた。

 心の中でちょっとだけ『待ってました』みたいなことを思う。実は〝ミドガルド〟を脱出した後、アシュリーさんのように古代文字が読めるようになりたいと思って、いくつか辞書アプリや翻訳アプリを購入していたのである。

 これで僕も、一丁前のエクスプローラーみたいに古代文字を解読できる――!

 内心、喜び勇んで顔を近づけてみると、

「……あれ?」

 思わず肉声が出た。

 何故なら、そこに刻まれている文字列は古いフォントでも言語でもなくて、現代でも使われているものだったからである。

 つまり――翻訳アプリなんてなくても、普通に読めてしまう。

『どうした、ラト? 何かおかしなものでも見つけたか?』

『い、いや、おかしくないのがおかしいというか、せっかく身構えたのに拍子抜けだったというか……ごめん、何でもないよ……』

 我ながらつまらないことでがっかりしている自覚はあったので、ハヌにはお茶を濁した。いやまぁ、うん、せっかくの辞書とか翻訳アプリとかは、また別に使う機会があるよね。そう思おう。そうしよう。

 さて、気を取り直して碑文に目を通してみると、

『……ようこそ、ここはヨモツヒラサカ。わかりやすく言えば〝地獄への通り道〟だね。ここまで来た人はもう外へは引き返せないから悪しからず了承してくれたまえ。どうぞ諦めてどんどん奥へと進んで欲しい。この島の秘密が君達を待っているよ――って、これってまさか……』

 念話で読み上げていく内に脳裏に思い浮かんだのは、もちろんエイジャの顔である。輝くような赤毛、人形のように整った相貌に、コケティッシュな笑み。

 間違いない。この文章をここに用意したのは、僕達をここへ転移させた張本人、エイジャだ。

『碑文にしては随分と砕けておるの。何かの洒落か?』

『いや、多分、素が出ているだけだと思う……』

 不思議がるハヌに、僕は呆れの吐息を我慢しながら思うところを述べる。

 そうか。ここはエイジャの用意した空間だ。前の時のように見栄を張るつもりもないのだろう。実に気取らない――そして気の抜ける――ヒントの示し方であった。

『それにしても、黄泉比良坂よもつひらさかときたか。このような所で耳にするとはの』

『あれ? 知ってるの、ハヌ?』

『うむ。先程おぬしが読み上げた通り、死者の国へと通ずると言われておる場所じゃ。黄泉よもつが他界……つまりは〝地獄〟じゃな。そこへと繋がる坂道のことを云う。いや、細かいことを言えば少々違うのじゃが、この碑文を書いた者はそこまで気にしておらぬようじゃな』

 どうやらハヌの出身地である『極東』の伝承か神話のようだ。僕もあっちの血を引いているのだけど、流石にそこまでは知らなかった。

『……となれば、引き返せぬというのは事実であろうな。妾達が入ってきた穴は、石で埋められておるに違いない。このまま奥へ向かうぞ、ラト』

 どうもそういう言い伝えらしい。僕としてもエイジャが用意した文章を疑うつもりはなかったし、むしろこれまでのことを考えれば、戻って確認するだけ無駄な努力だということはわかりきっているので、ハヌの言葉に頷きを返した。

 するとハヌは、更にこう豪語する。

『なに、退路が断たれたのはむしろ僥倖じゃ。前にしか道がないのであれば、そちらへ進むだけでよい。迷わずに済む。そうであろう、ラト?』

『あ、あはは……確かに、それはそうなんだけど……』

 凄まじいまでの割り切りの良さに、僕は曖昧な笑みを浮かべるしかない。昨晩泣いていたあの女の子はどこへ消えてしまったのか。そこにはいつもの、いつも通り大胆不敵で豪胆果断な現人神がいたのであった。

『それにじゃ、こうも考えられよう。妾達を閉じ込めたということは、やはりここへ踏み入るのが【正解】であったということじゃ。つまり、妾達は確実に前へ進んでおる。脱出は近いぞ、ラト』

 くふ、と笑って両手を腰にやったハヌは、むん、と胸を張る。

 確かにハヌの言う通りだ。どういうつもりか知らないが、どうやらエイジャは僕達を地下深くまで誘き出したいらしい。この無人浮遊島へ転移させたことに何かゴールがあるのなら、それはきっと、この奥に潜んでいるのだ。

『うん、そうだね。じゃあ、ここから先も慎重に――』

 はた、と舌を止めたのは、足元からの振動を感じたからだ。

『――地震……!?』

『ラトっ!』

 昨日の大地震を思い出し、僕達は素早く身を寄せ合う。もし地震なら、僕がハヌを抱きかかえて浮遊術式〈レビテーション〉を、

『……ちょっと待って、これって何か違うような……?』

 おかしい。昨日の地震は、いきなり足元を突き上げるように、例えば地中で何かが爆発したかのごとく強烈だったのに。

 今の震動は小さな揺れが継続的に続いていて、だけど次第に大きく――いや、近付いてきているみたいな……?

「――! ラト、後ろじゃ!」

 突然ハヌが弾かれたように後方を振り返り、肉声で叫んだ。

「えっ!?」

 僕も慌ててそちらに顔を向ける。すると、僕の視線の動きに従って〈ランプボール〉が移動した。僕はそのまま光の球を飛ばし、さらに遠くの様子を確認しようとする。

 周囲を明るく照らす照明弾が飛んで行った先に現れたのは――

「「なっ……!?」」

 僕とハヌの驚愕の声が重なった。

 僕達の視界に飛び込んできたのは、洞窟全体を埋め尽くす巨大蠕虫ワームの群れだったのである。

 その勢いはまさに疾風怒濤。悪夢のような光景だ。ヌラヌラと濡れた気持ちの悪い表皮を持つ虫達が一つの塊となり、坂道を転げ落ちるようにこちらへ押し寄せてくるのだから。

「うなぁあああああああああああぁ――!?」

「ちょっちょちょちょっぇえええええええええええぇっ!?」

 僕とハヌは得も言えぬ戦慄に悲鳴を上げ、地震よりも恐ろしいものが現れたとばかりに逃走に入った。

 僕が下から掻っ攫うようにハヌの体を抱き上げようとすると、ハヌは僕の首に両腕を回して飛び付いてきた。非常事態だからだろう。アイコンタクトすら行わない、完璧に息の合った連携だった。そのまま僕は支援術式を起動。〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉を五つずつ発動させ、強化係数を三十二倍に。

 地面を抉るようにコンバットブーツの底を叩きつけ、撃ち出された弾丸のごとく走り出す。

「ななななな、なんじゃあれはぁ!?」

「わわわわ、ワームだと思うんだけどでもあれちょっとおかしいっていうか――大き過ぎるよね!?」

 僕にお姫様だっこされたハヌが、後方を見ながら怒鳴るように声を上げる。それに対し僕も頭の中にある知識を検索しつつ、そのデータを照合しない箇所を声高に叫んだ。

 そう、デカすぎるのだ。

 ああいった地虫というか蠕虫、回虫をモチーフにしたSBは確かに存在する。先日戦ったゲートキーパー、土蛇こと〝グローツラング〟がいい例だ。

 でも、あれはあくまで蛇をモチーフにした化物であって、実際にはあんな小山のようにデカい蛇など自然界には存在しない。

 存在しない――はずなのに。

「ど、どういうことぉ――――――――っっ!?」

 ズドドドド! と坂道を滑り落ちるように迫って来るワームの群れは、けれどSBにありがちな『GGGGGGGGOOOOOOOAAAAAAAAAAAAA!!』とか『KKKKKKKSSSSSSSYYYYYYAAAAAAAA!!』といった電子音を一切発していない。

 無論、あれらが生物ならそれは当然だ。ああいった種類の虫に発声器官はないのだから、無言で行動するのは至極当たり前の話である。

 ということはつまり、僕達を追いかけてきている群れは間違いなく自然生物なわけで。

 しかしだとしたら、あの巨大さは一体何だというのか。

 虫なんて次元をとっくに超えている。流石にグローツラングには及ぶべくもないが、それでも七割、いや八割ぐらいのサイズはあるのではないだろうか。そんなものが大挙して押し寄せてくるのである。

 しかも、奴らは横にも縦にも洞窟内を完全に埋め尽くしていた。巨人用の通路だというのに、隙間なんて全くない。奴らの頭上を飛び越えることさえできれば、そのままスルーすることだって出来たはずなのに。

 つまり、このまま追いつかれたら一斉に食い散らかされるか、そうでなくても押し潰されること間違いない。

『むぅ……よもやあれが〝黄泉軍よもついくさ〟のつもりか? 食い物を投げつければ止まるのかもしれぬが、今の妾達の手元には桃どころか果実がないからのう……』

『え!? どういうこと!? 果物があれば何とかなるの!?』

 舌を噛むことを恐れてかスイッチでの念話に切り替えたハヌに、ほぼ全力で走る僕は口早な思考で聞き返す。

『うむ、妾の知る伝承ではな。あやつらは食い意地が張っておる故、目の前に食い物、特に瑞々しい果実を投げつけるとむしゃぶりつき、互いに奪い合って争いを起こすのじゃ。それも果実が聖なる力を帯びておればなおよしなのじゃが……』

『も、桃の缶詰ならあるけどそれじゃ駄目かなっ!? 一個だけなんだけど!』

『ふむ? いや、無理であろうな。一つや二つであの数を止められるはずも――なんじゃと!? こりゃラト! そのようなものがあるなら、なにゆえ昨晩の内に出さなかったのじゃ! 妾が甘党なのはおぬしもよく知っておろう!』

『し、知ってるけどだって非常食だもん! っていうか今それどころじゃないからぁーっ!』

 僕は内心で叫びつつ、さらに支援術式を発動。〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉のフルエンハンス。強化係数を六十四倍に引き上げ、体感覚の変化に意識をチューニングさせる。

 ここまで強化係数を上げると流石に余裕が出てくる。群れをなして襲いかかってくるワーム達との相対距離がぐんぐん離れていく。

 ――それにしたってちょっと深すぎじゃないか……!? この穴、どこまで続いているんだ……!?

 さっきからすごい勢いで坂を下っているというのに、まだ底が見えない。というか、気が付けば通路が僅かながらに湾曲していることがわかってきた。もしかして大きな螺旋回廊になっていて、相当深いところまで続いているのではなかろうか。

 ――っていうかこのパターンだと、絶対これだけじゃ終わらないよね……!?

 僕の脳裏に思い出されるのは、〝ミドガルド〟で十体の飛竜に追いかけ回された際のことだ。

 あの時も今と同じように、アシュリーさんのエアバイク〝ゼーアグート〟の後ろにフリムと一緒に掴まって、ものすごい速度で逃げていた。飛竜の飛行速度は尋常ではなく、おそらくそれなりにチューンナップしていたであろう〝ゼーアグート〟の疾走でもなかなか引き離すことが出来なかった。打つ手がないまま背後から何度も強力なドラゴンブレスを撃ち込まれ、追い詰められた僕達は、自爆覚悟でフリムの〈フォトンプロバイダー〉をエアバイクのエンジンに叩き込み、超絶的な加速でドラゴンの群れから逃げ出すことに成功した――と言ってもいいのか微妙なところだけど、とにかくドラゴンブレスが届かない距離まで脱することが出来た。

 しかし、結局は自爆覚悟の手段だったため、直後に〝ゼーアグート〟のエンジンが故障し、僕達は近くにあった湖へ勢いよく墜落する羽目となった。

 しかしまぁ、何はともあれドラゴンからは逃げられたのだ――と水中で安堵していたら、なんと追い打ちのように湖の直上まで来たアイスドラゴン二体が、凍結のブレスを叩き込んできたではないか。

 そこから以降は知っての通り、アシュリーさんの〝サー・ベイリン〟の特殊能力で何とかなったのだけど――つまり僕が言いたいのは、この場面でも当時のような〝追い打ち〟があるに違いない、ということなのだ。

 例えば――

『――ハヌっ! 空を走るよ! もっと激しく動くから絶対僕から離れないでっ!』

 そう宣言してから僕は〈シリーウォーク〉を発動させ、宙に足を引っ掛けて不可視の階段を駆け上がる。

 その途端だった。

 いくらかも進まない内に、バンッ! と狙い澄ましたかのごとく【地面に穴が開いた】。

 ――やっぱり……!

 予想通りの展開に〝避けてやったぞ〟という気持ちと、同時に〝やりやがった〟みたいな悔しさが入り混じる。

 観音開きの落とし穴は載っていた土や石を下へ落とし、内部を露わにする。当然そこには、ズラリと並んだ槍衾。ギラリ、と鋭い刃物が〈ランプボール〉の光を反射した。

 ――落とし穴ときたら次は当然……!

 僕は〈イーグルアイ〉×5を発動させながら、周囲に視線を振りまく。見つけた。壁や天井に、いかにも怪しい小さな穴がたくさん。

『ハヌ! 目をつむってて!』

 ハヌからの返事はないけれど、彼女は僕の言う通りにしてくれている。そう確信した上で、僕は薄紫色の力場を蹴って立体機動に入った。

 次の瞬間、あちこちに空いた小さな穴から高速の矢が発射される。

「――~ッ!」

 四方八方から一斉に放たれた百本以上の矢を、五つの〈イーグルアイ〉の視野と自分の目で捉え、その軌道をまとめて戦闘演算して回避ルートを割り出す。同時にハヌに対して支援術式〈プロテクション〉×10、僕自身に〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉のフルエンハンスをもう一回ずつ。ハヌの防御を最大に、自身の強化係数を百二十八倍へ。

「――だぁあああああああああぁっ!」

 我知らず気合いの雄叫びを上げ、僕は加速する。全身の〝SEAL〟を励起させ、稲妻のように深紫のジグザグ軌道を宙に描く。雨あられと降り注ぐ矢と矢の隙間を縫うがごとく駆け抜ける。

 ――よし抜けた!

 と心の中でガッツポーズをとる頃には、落とし穴があった場所までワームの群れがやってきていた。

 これで少しでも足が止まってくれれば、と思ったのだけれど、当たり前というかなんというか、巨大すぎる奴らにとっては人間サイズの落とし穴など全く意味がなく、その速度はほんのわずかばかりも減少しなかった。

 だったら次の矢のトラップではどうか、と逃げつつその場に残した〈イーグルアイ〉の視覚情報で確認すると、天井や壁、地面に空いた無数の穴は巨体に埋められ、どうやら不発に終わったことがわかった。まぁ、たとえ新しい矢が発射されていたとしても、巨大ワームの表皮が分厚すぎてまるで痛痒を与えられなかっただろうが。

「はっ! やっ! たぁっ!? おっととっうわぁ?!」

 洞窟内に仕掛けられていたトラップが次々に発動していく。最初の静けさが嘘だったように、今やお祭り騒ぎだ。

 矢の次は、槍やら鎖鎌やら擲箭てきせんやら飛爪ひそうやら飛鐃ひにょうやらの数々。鎖や柄付きの武器が〝点〟ではなく〝線〟で僕達を邪魔する。しまいには榴弾まで撃ち出され、爆音が空中に連鎖して轟いた。

「こんっ、のぉ――――――――ッッ!!」

 設置型トラップのオンパレードに僕はたまらず支援術式を追加発動。フルエンハンスで強化係数を二百五十六倍まで跳ね上げ、さらには防御術式〈スキュータム〉で半透明のシールドを作り出し、死の風が吹き荒れる洞窟内をひた走る。

 ――これじゃキリがない! 罠はどうにかなるけど、後ろから追いかけてくるワームの群れだけは本当に何とかしないと!

 ハヌを抱きかかえたまま壁も天井も関係なく走り回りつつ、僕は打開策を模索する。馬鹿みたいな数のトラップは頭を両手で掻き毟りたくなるぐらいうっとうしくて邪魔だけど、実は致命的ではない。一番やばいのは僕達を追い立てるワームの群れだ。

 追いつかれたら死ぬ。それだけは間違いない。

 ハヌの正天霊符や〈フォースブースト〉で強化した僕の攻撃術式をぶつけることも考えたけど、相手の規模がでかすぎる。津波や雪崩に、小石を投げつけたところで止められるはずもない。焼け石に水とはまさにこのことだった。

 ――だったらいっそここで反転して、〝アブソリュート・スクエア〟で一点突破するしか……!?

 一瞬、そんな思考が脳裏をよぎる。早速ハヌとの約束を破ってしまうことになるけれど、このまま二人で押し潰されて圧死するよりかは何倍もマシだ。

 ――だけど、もしワーム達が僕達を狙っていて、背後へ抜けてもなお追いかけてきたとしたら……?

 後方、地上への出入り口は封鎖したようなことを、エイジャはメッセージに残していた。だとしたら、ここで〝アブソリュート・スクエア〟の〈ドリルブレイク〉でワームの壁をぶち抜いたところで、状況は変わらない。奴らもまた反転して、僕達を追いかけ続けるだろう。

『――ラト。妾はしばし詠唱に集中する。術の発動まで委細任せても構わぬか?』

 念話だというのに低く抑えた、どこか覚悟を秘めた声をハヌが発した。

『え、詠唱? で、でもここは地下だから下手すると僕達まで生き埋めに――』

『そうならぬよう考えておる。妾に任せよ。悪いようにはせぬ』

 くふ、と思考で笑って、ハヌは僕の横顔に軽く頬ずりをした。

 ハヌがここまで言うのだ。詳細はわからなくても、僕には信じる以外の選択肢はない。

『――わかった! 僕はどうしたらいいの?』

『いつもと同じじゃ。妾を守ってたもれ。ただ、詠唱に集中するためには雑念は少なければ少ないほどよい。あまり飛び跳ねられては術の完成が遅うなってしまうからの』

 巨大ワームの群れに追い立てられ、四方八方からトラップによる攻撃を受けている中、その注文オーダーは至難を極める。

 だけど、

『……うん、大丈夫。やってみるよ!』

 僕は胸を張って請け負った。ハヌが何とかすると言っているのだ。だったらこっちも何とかするのが、彼女の親友たる僕の使命だった。

『今から僕はまっすぐにだけ走るから! ハヌは遠慮なく集中して!』

『うむ、任せたぞラト!』

 僕は〈シリーウォーク〉を発動させたまま地面スレスレまで下降して、宣言通り真っ直ぐ走り出した。



「 あまねく大気に宿りし精霊よ 我が呼び声にこたえよ 」



 疾走が安定に入った途端、ハヌの詠唱が始まった。言霊の籠められた強い声が、洞窟内に反響して響き渡る。

 僕はさらに支援術式を発動させ、フルエンハンス。強化係数を五百十二倍まで引き上げる。ここまでがまともに動ける限界値だ。あと一回重ね掛けすれば、そこからは寿命を削るレッドゾーンへと突入してしまう。

 ――ここまでの力で何とか現状を打破しないと……!

 僕は術力を強化するため〈フォースブースト〉×9を発動。それから続けて〈スキュータム〉×20を発動させた。

 ディープパープルのアイコンが弾け飛び、二十枚の術式シールドが出現する。僕はそれらを少しずつ位置をずらしながら周囲に展開させ、身を守る『殻』を作った。

 全方位、どこから攻撃されても必ず防御するバリアーを。

 複数のシールドを無理矢理重ねているし、僕自身がハヌを抱えながら走っているせいもあって、隙間がないとは言えないが、しかし死角はない。どこから矢が飛んでこようが槍が突いてこようが、間違いなく〈スキュータム〉が守ってくれる。無論、足下だって大丈夫だ。そこに薄紫のシールドを展開させるため、〈シリーウォーク〉で地面との距離を空けているのだから。

 ――ここからは忍耐力の勝負だ……!

 僕は『殻』を纏ったまま攻撃術式〈エアリッパー〉×10と〈ボルトステーク〉×を〝SEAL〟の出力スロットに装填する。矢や槍といった飛び道具は〈スキュータム〉で弾き返せる。だけど爆弾や砲弾ともなると流石に抵抗が強く、真っ直ぐ走るための邪魔になりかねない。だから他は無視して、進路妨害になりそうなものだけ先に発射口を潰すか、空中で撃墜するのだ。



「 集え清浄しょうじょうの力 闇に迷いし荒魂あらたまを鎮めよ 悪しき魂魄こんぱく退しりぞけよ 」



 ハヌの詠唱が朗々と響き渡る。

 だけど僕達を包むのは轟音の嵐だ。

 トラップによる攻撃は進む度にその密度を上げていく。僕の作った『殻』の外はさながら集中豪雨の様相を呈していた。

 それでも僕は足を止めない。

 進路を揺らさない。

 ハヌの集中を妨げないため声を封じ、歯を食いしばって両足を回転させ、砲弾や爆弾が飛来したその瞬間を攻撃術式で狙い撃つ。

 畳みかけられる攻撃に術式シールドが砕ければ、次の瞬間には新しい〈スキュータム〉を発動させ、穴を塞ぐ。

 幸いなことに、今回の詠唱は一分と経たずに終了した。

 僕の左耳に、くふ、と笑むハヌの息づかい。

『――よくぞ保たせてくれたな、ラト』

『ハヌ!? も、もしかしてっ!?』

『うむ。完了じゃ。次の合図で足を止め、虫どもがいる方へ妾を振り向かせよ』

『わ、わかったっ!』

 返事をしながら、僕は間違っても術の発動が邪魔されないよう、砲弾や爆弾を吐き出しそうな穴にありったけの〈エアリッパー〉と〈ボルトステーク〉を叩き込んだ。ハリネズミみたいに体のあちこちから風刃と雷槍を発射させ、天井も壁も関係なく大穴を穿つ。

 次の瞬間、

『――今じゃ!』

『りょう――かいっ!』

 術式シールドで風を避けているからわかりにくいが、強化係数五百十二倍の僕はかなりの速度で疾駆していた。それを急停止させるのだから、その反動もまた凄まじかった。

 僕は〈シリーウォーク〉を解いて地面に飛び降り、足首を回しながら着地。コンバットブーツの底が砂利や土を噛み、爆発的な衝撃が生じた。

 間欠泉のごとく土砂が舞い上がる。

 僕はさらに左手でハヌの腰を支えたまま、右手に実体剣の黒玄を取り出し、切っ先を地面に突き刺した。

「――~ッ!!」

 ズガガガガガガガッ!! と両足と刀身が土埃を巻き上げながら坂道を滑り落ちる。僕は靴底をドリフトさせながら体の向きを反転させ、胸に抱いたハヌを後方――ワームの群れが迫り来る方角へと向けた。

 速度を上げていたおかげで結構な距離を離すことが出来ていたのだけど、こちらが減速すると奴らはあっという間に追いついてきた。坂道を下りているだけに、あちらも加速を続けていたのだ。

 巨大な地虫の群れが猛然と迫る。

『いいよ、ハヌ!』

『あい任せよ!』

 急停止が見事成功して僕の足が止まった瞬間、ハヌが溜めに溜めた術力を一気に解放した。



「 〈天聖招来てんじょうしょうらい天魔調伏てんまちょうぶく〉 」



 冷たい風が吹いた。

 それは僕達の背中を撫で、四肢にまとわりついては離れていく、前へ向かって吹く風だ。

 いや、正確に言えば冷たいのではなく――【清らか】なのだ。

 そう、ハヌの詠唱から察せられた通り、今ここに吹くのは澄んだ聖なる風。

 バババッ、と複雑に変化したハヌの手印からスミレ色の輝きが迸り、一斉に広がる。

 無論、ハヌの術式アイコンがこんな狭い空間に収まりきるわけもなく、いっそ桃色に見えるほど薄い紫の光が洞窟の天井や壁、地面に吸い込まれた。

 次の瞬間、ほんの数パーセントしか見えないハヌのアイコンから、膨大な量の風が噴き出した。

 もはや洞窟を塞ぐ壁のごとく立ちはだかったアイコンから、濁流にも似た勢いで聖なる風が吹き荒れる。

 全ては一瞬だ。

 巨人すら通り抜ける広大な通路を聖なる風が埋め尽くし、途轍もない規模で襲い来るワームの群れに襲いかかった。

 風は流体だ。瞬く間に隙間を通り過ぎ、ワーム達の後ろへと抜ける。

 それだけだった。

 聖なる風が、あっという間にワーム達の全身を撫で、通り過ぎた――ただそれだけ。

 ただそれだけのことで――ワームの群れの動きが止まっていた。

 時の流れがそこだけ凍ったかのごとく、唐突に。

 ピタリと。

「……止まっ……た……?」

 ハヌの術式アイコンが消失した後も一向に動き出す気配のないワームの【壁】を見上げ、僕は我知らず呟く。

 変な言い方だけど、完全に静止しているところ以外におかしな点はない。逆に言えば、いつでも動き出しそうなのにまるで微動だにしない。

 超絶技巧で彫り出された巨大な像がそこにある――そんな光景だった。

「ハヌ、今のって……?」

 お姫様抱っこしているハヌに視線を落とすと、彼女は満足げに頷き、

「うむ。我が化身〝天輪聖王てんりんじょうおう〟の力じゃ。こやつは破魔だの聖浄だのと言った〝日輪〟の力を持っておってな。実体を持たぬ化生であれば消し飛ばすだけじゃが、此度のように肉の体を持つものには――ほれ、あの通りじゃ」

「えっ?」

 ぴっ、とワームの群れを指差すので再び顔を上げると――

 ぼっ、と音を立てて青い炎が燃え上がった。

 燃えだしたのはもちろん、彫像と化したワーム達である。どこからともなく至る箇所から、自然発火のようにヴィリーさんの蒼炎にも似た火炎が発生し、徐々に燃焼範囲を広げていく。

「こやつらが〝黄泉軍よもついくさ〟なのであれば、つまりは魔性の存在じゃ。我が〝天輪聖王〟の風を受ければたちまち浄化され、その身は日輪の炎に焼かれ灰となる。あやつらに桃をやるのはもったいないからの。こうしてやるのが一番じゃ」

 くふ、と楽しそうに笑ったハヌは、しかしはたと表情を変え、片手の人差し指を僕の胸に触れさせる。

「じゃ、じゃからの、ラト?」

 何か後ろめたいことでも告白するような声音に変えて、僕の胸元に指先で『の』の字を書くように動かしつつ、上目遣いで、

「その、桃の缶詰とやらは……妾が食べても、よいとは思わぬか……?」

 と、信じがたいことに、今まさに怪物めいた所業をしてのけた現人神は、けれどまるで幼い女の子みたいに、桃の缶詰を僕にねだったのである。

「。」

 あまりのスケールのギャップに僕が絶句した直後、全体に青い炎の回ったワームの壁が、砂の城のごとく、ざあっ、と波にも似た音を立てて崩れ落ちた。





「リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く