リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●9 底を見せない男






 不運ここに極まれり。

 僕とハヌ以外の人間がこの島にいる可能性は充分に考えられたし、さっきの救難信号が届かない相手――つまり同じルーターを共有していない人間となれば、敵か味方で言えばもちろん敵に分類されるに決まっている。

 最善でロゼさんやフリム、次善でヴィリーさん達『蒼き紅炎の騎士団』のメンバーがいてくれれば――と願っていたのだけれど。

 世の中そんなに甘くないどころか、今の状況で想定し得る最悪の人物が現れてしまった。

 ハウエル・ロバーツ。

 僕達の前に突如現れ、第一一一層の一番美味しいところを横から掻っ攫おうとした――『探検者狩りレッドラム』の頭目。

「……!」

 あまりのことに言葉もない。僕は光刃フォトン・ブレードを展開させた黒玄と白虎を手に、さっと身構える。

「おうおう、随分と物騒な雰囲気を出すじゃねぇか、〝勇者〟の。挨拶もなしに身構えるたぁ、ひでぇ話だ。まぁ、俺の普段の行いが悪いってんなら仕方ねぇ話だがな? ハッハァッ!」

 警戒する僕とは真逆に、ハウエルは武器を手にしようともせず、軽口を叩いて大声で笑う。

 ――大きい。ただそこに立っているだけなのに、なんだこの重圧感は……?

 藪の中から現れたハウエルは、さっきまでの気配のおぼろげさが嘘のように、強烈な存在感を振りまいていた。

 筋肉質な体躯のせいだろうか。やたらと巨体に見える。

 だが、上背うわぜいだけで言えば長身のカレルさんには及ばないはず。それでも圧迫感を覚えてしまうのは、カレルさんよりも横幅があって、広がりのある服を身に纏っているせいだろうか。

 そう、例えるならヴィリーさんやカレルさんを『剣』とした場合、ハウエルは『鉄槌』だ。

 剣ほどスマートではなく、鋭くもない。

 だけど――【重い】。

 こうして相対しているだけでも、尋常ならぬ実力者であることが肌に伝わってくる。

 僕はいつの間にか口内に溜まっていた生唾を嚥下し、

「……どうしてお前がここにいる」

 短い問いを口にした。

「あぁ?」

 楽しそうに笑っていたハウエルが途端に顔を顰め、不機嫌そうな声を出す。

 奴は太い人差し指で左の耳穴を掻っ穿りながら、

「おいおい〝勇者〟のよ、つまらねぇ冗談を言っている場合か? そいつは俺が一番知りたいぜ。一体全体どうして、俺ぁこんなところにいるんだ? ええ?」

 耳穴を弄っていた指先を唇の前へ持ってきて、ふっ、と息を吹き付ける。

「…………」

 武装して身構えた僕を前にして、この態度。単に僕を舐めくさっているだけなのか。それとも、僕がどう動こうとも適切に捌き切る自信があるのか。あるいはその両方か。

「逆に聞きたいぜ、〝勇者〟の。お前さんこそ、どうしてここにいる? つうか、ここはどこだ? そっちこそ知っていることを洗いざらい話してくれや。なに、困っているのはお互い様だろう? 今だけは仲良くしようじゃねぇか。なぁ?」

 ニィ、と悪い笑みを浮かべながらの提案を、僕はほとんど直感だけで判断した。

「断る」

「…………」

 僕の即答に、ハウエルが笑みを引っ込めた。眉根を寄せ、軽く睨んでくる。

 即断で拒否したのには、特にこれといった理由もない。奴のザラついた声が神経を逆撫でにしたのかもしれないし、浮かべた笑みが悪党のそれ過ぎて生理的に受け入れられなかったのかもしれない。ただ、

「――いきなり出て来て他人のものを奪おうとする相手と、仲良くする理由なんてどこにもない」

 やや遅れて、理性がその判断に追いついた。

 そうだ。いくら異常事態とはいえ、相手はあの『探検者狩り』だ。ましてや〝追剥ぎ〟などと呼ばれている人物。そんな輩と手を組むだなんて、絶対にあり得ない。

「……へぇ、なるほどな。ガキはガキでも、伊達に〝勇者〟と呼ばれているわけじゃねぇ、ってわけか。やれやれ、お前さんといい〝剣嬢〟のといい、今時の若ェもんはよぉ……」

 まったくまったく、とぼやきながら、大仰な動きで肩を竦めるハウエル。ごつい体格の割にその仕種はどこか剽軽で、一瞬だけど親しみやすさを感じてしまう。

 ――って、何考えてるんだ僕は。相手は有名な『探検者狩り』だぞ。親しみやすさなんてどうだっていい……!

 脳裏に過ぎった軟弱な思考を、頭を振って払いのける。そして、眉間に力を込めてハウエルを睨めつけると、その視線に奴が気付き、軽く両手を上げた。

「はいはいわかったわかった、降参だ、降参」

 投げ遣りな感じで手をプラプラと振り、ハウエルは白旗を上げる。もちろん、そんな適当な態度でほだされるほど僕の警戒心は脆くない。

 ハウエルは、はー、と疲れたように息を吐き、

「なぁ〝勇者〟の、ちょっくら聞いてくれや。俺ぁ別にお前さんを襲うために出てきたわけじゃねぇんだぜ? ほれ、見ての通り手ぶらだろ? 何だったら、腰に下げた武器をあっちへ放り投げてやってもいい。どうだい? そうしたら俺とまともに話してくれる気になるってもんだろ?」

「…………」

 今度は、若干だけど声音を柔らかくして、僕を説得しようとしてくる。

 魂胆はわかりきっている。こちらを懐柔して、有益な情報、あわよくばそれ以上のものを手に入れようとしているのだ。

 無言で拒否の目線を返す僕に、ハウエルは後頭部に大きな右手をやり、ボリボリ、と掻く。

「……わかった、じゃあこういうのはどうだ? まずは俺から話そうじゃねぇか。といっても、有益な情報なんて持ってねぇわけだがよ。それでもブレインストーミングぐれぇの意味はあるだろうさ。それで、お前さんはそれを聞いて対価を出す価値があると思ったのなら、手持ちの情報を分けてくれりゃいい。ないと思ったのなら何も話さなくていいぜ。どうだ、お前さんには損のない話だろう?」

「…………」

「頷きもしねぇ、ってか。やれやれ、さっき会った時はオドオドしているように見えたんだがよぉ。お前さん、ひょっとしてアレか? 身内がいなくなった途端、気合いが入ってしっかりするタイプってやつか? いるんだよなぁ、そういう人間。意識してるのかどうか知らねぇが、とんだ猫被り野郎がよ」

 グサリ、とハウエルの言葉が胸に突き刺さる。

 割と図星であった。

 確かに、ハヌやロゼさん達がいない時は『ちゃんと自分でしっかりしなきゃ』と思って、背筋が伸びている気がする。逆に言えば、みんながいる時はそれを頼りにして甘えているということにもなるわけで。

 ――色々な意味でハヌがここにいなくてよかった……というか、あの子が帰ってくる前にこの状況を何とかしないと……!

「まぁいいさ。お前さんが仕掛けてこねぇんなら、こっちは勝手に話すだけだからよ」

 へっ、とシニカルに笑ると、ハウエルは左手を腰に当て、僕が剣の切っ先を向けているにも拘わらず余裕のある態度で語り始めた。

「それじゃあ聞いてくれ。俺ぁよ、手下どもを引き連れてお前さんらより先にセキュリティルームへと入った。そいつは見ていたから知っているよな? で、だ。中に入ったはいいが、ふざけたことにもぬけの殻でよ。ゲートキーパーもいなけりゃ、お宝もねぇときたもんだ。だというのに出入り口は完全に封鎖されていて、帰ることすらままならねぇ。結論から言えば、とんでもねぇ罠だったわけよ」

 ハッ、と自嘲の笑みを浮かべるハウエル。僕達もハウエルらを追いかけるようにセキュリティルームへ突入したから、その光景は容易に想像できる。全員が狼狽したに違いない。あの何もない、キラキラと輝くパールホワイトの空間に。

「もちろん、そんな状況で出来ることなんざ何もねぇわな。手下どもも大騒ぎだ。で、うるさくて仕方ねぇから力尽くで黙らせてやろうか、と思っていた矢先よ。頭の中に妙な【声】が聞こえてきやがったのは」

 右手の人差し指でこめかみを、トントン、と叩く。

「男だか女だかわからねぇ声でな。そいつがいきなり、そう、確か――『突然だけどゲーム開始だ。精々生き残ってクリアを目指すといいよ』――って言い出しやがった。ああ、そうだ間違いねぇ。一言一句覚えてるぜ。で、気がついたらここにいた、ってわけだ」

 男か女かわからない――その情報だけで、声の主がエイジャの声だったことは疑い得ない。

「深ぇ森の中に、何故か俺一人だけ。ウジャウジャいたはずの手下どもの姿は影も形もねぇ。すわ神隠しかとも思ったが、その割には天狗も奴隷商人も現れねぇときた。で、ただ突っ立っていてもにっちもさっちもいかねぇもんだから、とりあえず森の中を歩き始めた。すると、途中でやけにデカい猛獣どもが出てきてやがってな。そいつらをぶっ殺しつつ進んでいくと、あっちから水の匂いがするじゃねぇか。しめた、と思って近寄ってみりゃ、こんなところで野営の準備をしている奴がいるときた。なぁ?」

 今度は人差し指を僕に向けて、にやり、と笑う。

「だがよ、ゲームだか何だか知らねぇが、こんなわけのわからねぇ状況だろ? 迂闊に接触するよりは様子を見てから……って考えるのが定石だと思わねぇか? ん?」

 自分が出てきた藪を顎で示し、ハウエルは同意を求める。だけど僕は頷きもしない。

「まぁよ、隠れて覗き見していたのは悪かったと思うぜぇ? だがこの通りだ。そこについては謝るからよ、どうか許してやっちゃくれねぇか? なぁ?」

 まるで他人事のように、髭面に愛想笑いのようなものを浮かべて、ハウエルは右の手刀を立てる。当然ながら、その態度に謝意というものは一切感じられず、形だけの謝罪でしかないのは明らかだった。

 この胡散臭さ――わざとやっているのでないとすれば、相当なものだ。

 というより、この男は根本的に勘違いをしている。藪に隠れて気配を消していたことはもちろんのことながら、僕の態度を硬化させているのは、そもそもの話なのだ。

「――許すも許さないもない。さっきも言ったはずだ」

 僕は努めて声音を低くして、告げる。

「お前は『探検者狩り』で、僕の前で人質をとるという卑怯な真似をした。それだけでお前を信用しない理由は十分すぎる」

 忘れられるものか。ハウエル達に刃を向けられた『放送局』の人達の怯えきった顔。他人にあんな表情をさせておいて、それをなかったことにするなど許されるわけがない。

 僕の強い言葉を受けたハウエルはしばし沈黙し、やがて、ふぅーっ、と大きな溜息を吐いた。

「ああ、わかってるぜ、〝勇者〟の。お前さんの言いたいことはな。そりゃあ道理だ。俺も仕方ねぇことだと思う」

 うんうん、と頷きながら腕を組んで、僕に迎合する素振りを見せる。しかし、この後に逆接続詞が出てくるのは容易に推測できた。

「――だがよ、考えてもみてくれや。こんなわけのわからねぇ場所で、お互い一人ぼっちってぇのは流石に非効率すぎるとは思わねぇか? ここはよ、過去のことはバーッと水に流して、手を取り合って協力するべき状況なんじゃねぇのか? 違うか、〝勇者〟の? 俺ぁおかしなことを言っているか? ええ?」

 やはりだ、と僕は確信する。

 ここにハヌがいないのは本当に僥倖だった。期せずして、彼女が水浴びに行ったのは最高のタイミングだったのである。

 ハウエルはハヌのことを知らない。ここにいるのは僕一人だけだと思い込んでいる。

 これは好都合だ。ハヌと二人でいるのは心強いけれど、同時に、僕達はお互いこそが【弱点】となり得る危険性を抱えている。

 ハウエルがハヌの存在に気付いていないのなら、これを活かさない手はない。ここはとにかくハヌが戻ってくる前に話を切り上げて、奴には『ここにいるのは僕一人だけ』という認識を与えたまま追い払うのだ。

 僕はハウエルの鉛色の瞳に視線を固定したまま、首を横に振る。

「――協力することは出来ない。いつ裏切るかわからない相手と手を結ぶ馬鹿はいない。今すぐここから立ち去れ。さもないと……!」

 僕は全身の〝SEAL〟を一斉に励起させた。露出している肌――顔や袖を捲り上げたシャツから出ている腕などに深紫の光線が走り、幾何学模様を描く。

 バチバチバチッ、と音を立てて爆ぜるフォトン・ブラッドの輝き。僕の戦意に応じるように黒玄と白虎の光刃もまたノコギリのように形を尖らせた。

 その様子を見て取ったハウエルが、素早く両手を上げ、一歩だけ退く。

「おおっと、こいつはおっかねぇな。見た目に依らず、意外と好戦的じゃねぇか〝勇者〟の。そのあたりは〝剣嬢〟のとそっくりだな。これだから最近の若ェもんは怖いぜ」

 言葉ほどには怖がっている様子は微塵もない。

「仕方ねぇ。じゃあ、こういうのはどうだ?」

 パチン、と太い指を鳴らして、なおもハウエルは食い下がる。

「休戦協定だ。どっちにしたって、こんなチンケな島に一緒にいるこたぁ変わらねぇわけだからな。お前さんが俺を警戒するってんなら、俺だってお前さんを警戒して然るべきだろう? なにせ――【敵同士】になる、ってことだからな」

「――っ!?」

 ずあっ、と出し抜けにハウエルの存在感が膨れ上がり、僕は戦慄を禁じ得なかった。

 ――殺気……!? いや、違う、これは……!?

 こちらに殺意を向けているわけでもないのに、全身を痺れさせるようなこの感覚は、どこかヴィリーさんの放つ剣気にも似ている。だけどヴィリーさんの剣気は、まさしく刀身の持つ冷たさを孕んだものに対し、ハウエルの放つこの気迫は――じんわりと熱い。

「敵は殺す。それが自然の摂理だ。なぁ、〝勇者〟の?」

 いつの間にかハウエルの口元からは笑みが消え、鋭く尖った双眸が僕を見据えていた。

「確かにお前さんの言う通り、なんだったら今ここで殺し合うのも乙なもんだぜ? だが、俺ぁこう見えても慎重派でな。こんなわけのわからねぇ状況で、無駄にリスクを負ってもうまみなんざねぇ。まぁ、こう見えても今のお前さんに勝つぐらいの自信はあるがな」

 真っすぐ僕の目を見据え、無頼漢のリーダーはそう嘯く。

「だから【休戦】ってことにしようぜ、〝勇者〟の。ここで俺達が争ったところで益はねぇ。だがお前さんが拒絶する限り、手を組むこともできねぇ。なら、お互い不干渉でいることが妥協点だと思うんだが、どうだ」

 それは問いかけではなく、ただの確認だった。

 お前が拒否するなら今すぐおっぱじめるぞ――言外にそう言っていた。ハウエルの全身を覆う空気が、声高にそう主張している。

「……!」

 まだ剣も抜いていないというのに、凄まじい重圧だった。

 口では『休戦』だの『妥協』だのと言っているくせに、大柄な体躯から迸るオーラはむしろ全くの正反対。

 今すぐ戦え、お前が断れば殺し合う理由になるぜ――そう喚いているかのようだった。

 僕が硬く身構えたままでいると、ハッ、とハウエルが嗤う。

「ちょうどこっちは島の南側みてぇだしな。お前さんはこっち側。俺ぁ、あっち側――北側を縄張りとして行動するってのでどうだ? で、互いのシマは荒らさねぇ。お前さんは南半分でサバイバルするなり、脱出の方法を探すなりすればいい。ま、気が向いたら接触して情報交換、ってな。その気になったら声をかけてくれてもいいぜ。俺ぁ、あっちで脱出用の筏でも作ろうかって考えているところだ。お前さんはどうするね?」

「……?」

 ――いかだ? どうして筏なんか作るんだ? そんなものを作ったって……

 と、そこまで考えたところで気付く。

 そうか、ハウエルは知らないのだ。ここが大空に浮遊する小さな島であり、海の向こうは断崖絶壁にも等しい滝になっていることを。

「――おっと、顔色が変わったな、〝勇者〟の。俺ぁ何かおかしなことを言ったか? ん?」

 目敏く僕の表情の変化に気付いたハウエルが、眼光を鋭くさせて問うてくる。

 ――どうする? この浮遊島の情報は、支援術式が使える僕だからこそ手に入れられたものだ。せっかくのアドバンテージをむざむざと捨てるのは、少々もったいないのではないか?

「一瞬だが不思議そうな顔をしたな、お前さん? どういうことだ? こんな小せぇ島から脱出するのに、筏を作る以外に別の方法があるってぇのか?」

 ハウエルは僕の態度から、着実に情報を得つつある。わずかな変化からそこまで読み取れるのは、流石は元エクスプローラーの熟練者ベテランと言ったところか。

 彼がこのまま筏を作って海に出れば、遠からず水と共に大空へ散ってしまうことになるだろう。地形を知っているが故にわかる、あまりにも当然な結果だ。

 相手は『探検者狩り』のリーダー。慈悲なんてかける必要などない――そう理性ではわかっているけれど……

「……この島は空に浮いている。海に出てもそのまま下に落ちるだけだ。少なくとも【島の外】に脱出口はない」

 気が付けば僕はその情報を口にしていた。ハウエルが無残に死なないように。

 ハウエルが太い眉の片方を跳ね上げて、半笑いの表情を浮かべる。

「へぇ? マジか。そいつは驚きじゃねぇか、〝勇者〟の。お前さんがこの状況でジョークを飛ばすユーモアを持ち合わせていたとはなぁ、ええおい」

 ハッハァッ、とドレッドヘアを揺らして笑い飛ばすハウエルは、どうやら僕の言葉を信じていないようだった。

 確かに、軌道エレベーターの中にいたというのに、いきなり無人の浮遊島へ連れてこられたというのは、あまりにも奇想天外すぎる話である。

 こうやって転移させられたことだけでも信じ難いのに、しかもそこが、フロートライズ以外の浮遊島だなんて。

 僕だって出来れば信じたくない話だ。

「……信じられないのなら信じなくてもいい。ただ、情報は渡した。後はそっちの好きにすればいい」

 敢えて冷たく突き放すように、僕は言った。

 そうだ。僕はハウエルが無駄死にしないよう、必要な情報を公開した。目の前で失われる命をみすみす見逃すのは、僕の信条に反するからだ。だけど、相手がそれを聞き入れないのならもうどうしようもない。

「…………」

 鉛色の瞳がまじまじと僕を見つめている。まるで僕が言った言葉の意味を、改めて吟味しているかのように。

 やがて、

「……嘘を抜かしている目にゃ見えねぇな? てぇことは……マジのマジか。ここが浮遊島ってか……へぇ、なるほどねぇ……」

 周囲の風景をぐるりと見渡し、ハウエルは嘆息する。彼にとっては確認しようのない情報だ。やはり俄かには信じられないのだろう。

「……まぁいいさ。せっかくの情報だ、信じさせてもらうぜ、〝勇者〟の。あーところで、ついでに聞いておきたいんだが……お前さん今〝脱出口〟とか言ったな?」

 唐突に早口で、ハウエルは切り込んできた。有無を言わせぬ口調でもって。

「なるほど、こうして野営の準備までして、随分と手慣れた様子じゃねぇか。さては〝勇者〟の、お前さんこれが初めてじゃねぇな? 前にも似たような経験をしているか……もしくは、ここがどこか本当は知ってるんじゃねぇかぁ? ええおい?」

 責めるような物言いに、ぎくりとする。

 ハウエルこそ見た目に依らず、随分と目の付け所が鋭い男だった。

 こういった観察眼を持っているからこそ、『探検者狩り』として生計を立てられるのだろうか。

 しかし。

「――知ってても、それを教える義理はないと思う」

 はっきり言った。

 ハウエルの言う通り、ここがエイジャの用意した仮想空間であろうことや、以前に迷い込んだ〝ミドガルド〟で似たような経験をしていること。そして、あそこではフロアマスターであるミドガルズオルムを活動停止させることで脱出できたのだから、この浮遊島でも似たような条件でそれが可能になると推測できること。そういった事柄を情報として渡すことはいくらでも出来るけれど、僕とハウエルの関係はほぼ【敵同士】なのだ。

 命に関わるかもしれなかったから、ここが浮遊島であることは教えた。でも、それ以上となると流石に世話の焼き過ぎだ。

「義理はねぇと【思う】、ねぇ……ハッ、そりゃそうだな。仕方ねぇ、そのへんをほじくり返すのは勘弁してやらぁ」

 僕が返答を拒絶することを半ば予想していたのだろう。ハウエルはあっさり引き下がると、

「つーわけで、休戦協定は成立ってことで構わねぇな、〝勇者〟の? まぁもしだ、もし万が一にでも俺と連絡をとりたい、力を合わせたいと思ったときは、ひとつ狼煙でも上げてくれや。こんな場所に二人しかいねぇんだ、遠慮なんざ必要ねぇ。いざとなったら助け合おうぜ。なっ?」

 にかっ、と大男が笑うと、どこか剽軽な空気が漂う。異相だけに人懐っこい笑顔を浮かべると、その意外過ぎるギャップに驚き、思わず心のガードを下げてしまいそうになるのだ。

「…………」

 ダメだ、油断するな――僕は自分に言い聞かせる。

 何故ならハウエルの言動からは、いつかどこかで嗅いだある種の〝匂い〟がするからだ。

 それは――欺瞞の匂い。

 かつて故ダイン・サムソロが、あるいはロムニック・バグリーが漂わせていたような、きな臭さ。

 ハウエルのあれはポーズだ。真っ赤な嘘だ。本当は助け合おうなどとは全く思ってないし、いざとなればこちらを踏み台として利用するつもりでいるに違いない。そう断言できる。

 こいつは、この男は、絶対にそういうタイプの人間だ――と。

「……ったく、手強いねぇ、お前さんは。余程、俺みたいな人間を相手に苦労してきたんだろうな。やれやれ」

 僕が無言で睨んでいると、降参の意を示すようにハウエルは後ろへ一歩退いた。

「それじゃあ退散させてもらうぜ。ああ、脱出口が見つかったら、その時は是非教えてくれ。お礼に宝の山の端っこぐらいは譲ってやっからよぉ」

 ボロボロの戦闘コートの裾を翻し、踵を返す。そのまま、悠然と背を向けて立ち去っていくかと思いきや。

 数歩進んだところで突然振り返り、

「――おおっと、忘れてたぜ。そういやお前さんに一つ聞きてぇことがあったんだ」

 忘れ物を思い出したらしく、気軽な口調でこう言った。

「お前さん、もしかして繧ケ繝ゥ繝?ぅ繧ー繝ヲ繧ヲ繝ェの諱ッ蟄じゃねぇのか?」

「――?」

 意味がわからなかった。出し抜けにハウエルの言葉の所々がノイズのように変化して、何を言われたのかさっぱりわからなかったのだ。

「おいおい、何を呆けた顔してやがんだ。聞いてんだろ、お前は鮟偵>髢??の蟄蝉セなのかよってよ」

「…………?」

 まただ。また、肝心なところで雑音が響いて、上手く聞き取れなかった。何か質問をしているようだけど、一体何を聞かれたのか全然わからない。

「……チッ、わかったわかった、答えたくねぇつーんだな。まったくケチくせぇガキだぜ」

 はーやれやれ、と肩を竦めると、ハウエルは今度こそ背を向けて去って行った。

 僕の胸に、一抹の不安だけを残して。



 ■



 ハウエルが立ち去ってから三十分ほどの間を置いて、ハヌが水浴びから帰ってきた。

 驚いたことに、裸身に僕が渡したバスタオルを巻いただけの姿で戻ってきたので、ちょっとした騒ぎになった。

「――ちょっ!? ハヌっ!? な、なんでそんな恰好で……!?」

「仕方なかろう。水浴びした後に、汗で汚れた服をまた着たくなかったのじゃ」

 僕の驚愕を平然と受け流すハヌの手には、水に濡れたノースリーブワンピースやクラシックパンツ。話を聞くと、水浴びのついでに軽く洗濯してきたらしい。汗を吸って気持ち悪かったから、と。

「それに、他に見ておる者などおらんじゃろ? 恥ずかしがる必要などない」

「そ、そんなアバウトな……あ、あっ、ちょっと待って、今すぐロープ張るから、服を吊るすやつ! あ、それとすぐこれに着替えて!」

 僕はストレージから自分のTシャツを一枚取り出し、ハヌに手渡した。僕のサイズだとハヌにはぶかぶかだけど、ひとまずはこれで当座の凌ぎにはなるだろう。

「うむ、ありがたく借りるぞ、ラト」

 何故か嬉しそうに、くふ、と笑うと、ハヌは木陰に服を着替えに行った。



 ――とまぁ、そんなこんながあったので、ハヌの留守中にハウエルが現れたことを話したのは、五分ほど後になってからのことだった。

「――ほう? あの愚物共の頭がここにのう……」

 オーバーサイズの黒いTシャツを着たハヌは、ハウエルの名前を出した途端に難しい顔をする。

「うん。一応、ここには僕しかいない風に誤魔化したけど……油断はしちゃ駄目だよね。どんな卑怯な手を使って来るか、わかったものじゃないから……」

「ふむ……じゃが、あやつの方から休戦協定を持ち出してきたのであろう?」

「それはそうだけど……信用しちゃいけない気がするんだ。というか僕の場合、そういうのを頭から信じて失敗すること多いし……」

 過去のことを思い出しつつそう言うと、ハヌが呵呵と大笑いした。

「はっはっはっはっ! なるほどのう、ラトも成長しておるということか。そうじゃな、あれだけ激しい戦いを繰り返しておるのじゃ。多少は精神鍛錬になってなければおかしいというものじゃな」

「……というか、人の悪意に触れすぎて、そういうのに敏感になっちゃったのかも……」

 脳裏に次々と浮かんでは消えていく、シグロスやニエベス、ロムニックといった男達の顔。彼らが僕にぶつけてきた悪意は本当に醜悪で、吐き気を催すほどだった。

 あまりに衝撃的過ぎて、当初は足が震えたり、腰を抜かしそうになったりしてしまったものだけど――今となっては、先程のハウエル相手に一歩も引かず、ああやって言い返したり追い返せるようになった僕である。

 これを成長と呼ぶのか、はたまた〝慣れ〟と呼ぶのか、判断が難しいところなのだけど。

「じゃが、その場で戦わずに場を収めたというのは見事な判断じゃな。以前の事例に鑑みれば、またぞろ頭数が必要な事態があるやもしれぬ。愚物と言えど囮ぐらいには使えよう。泳がせておくのが得策じゃ」

 僕を褒めてくれるハヌの思考は、けれど幼い女の子とは思えないほど冷徹である。相変わらずハヌの思考の冴えというか、頭のキレは大人顔負けだ。地頭がいいのもあるのだろうけど、現人神として育った特殊な環境も影響しているのだと思う。

 ――そういえばさっきの変な様子は、現人神だった頃のことや、そこから逃げるようにフロートライズへ来たことと何か関係あるのかな……?

 ふと、そんな疑念が脳裏を過ぎる。ついさっき、ハウエルが現れるまでは『ハヌとちゃんと話し合おう』と思っていたところだけど、流石に今は切り出すタイミングではなかろう。

「とはいえじゃ。この島におるのが妾とラトと、その男の三人だけというのであれば、一人増えたところで大した違いはないかもしれぬがの」

 腕を組んで、ふぅ、と嘆息するハヌ。所作そのものはどこか大人びているけれど、着ているものがぶかぶかのTシャツなので貫録も何もあったものではなかった。

 ただ彼女の意見には同意しかなかったので、僕は頷きを返し、

「うん。じゃあ、とりあえず僕達はこの島の南側を重点的に調べよっか。前と同じなら、きっとどこかにわかりやすい目印があるはずだよ。石像とか、建物とか」

「うむ、それがよかろう」

 僕の提案に、くふ、とハヌが笑う。だけど、すぐにそれを引っ込め、

「……のうラト、ところでおぬし、椅子があるのならばさっさと座らぬか。ほれ」

 と、何故か突然、近くのアウトドアチェアを指差した。

「え? あ、うん、そうだね……?」

 そういえばせっかく椅子を用意したのに全然使っていなかったな、と気付く。まだ周辺に簡易地雷や警報センサーを設置する作業が残っているけど、それ以外のことはほとんど片付いているし、ちょっと休憩するのも悪くないだろう。

「よいしょっ、と」

 狙いがずれないよう慎重に腰を下ろす。ぎしり、とアウトドアチェアのフレームが軋むほどに体重を預けた途端、今更のように四肢が疲労を訴え始めた。

 そういえばこの空間に来てからというもの――さっきの地震前の休憩を除けば――、ずっと動きっぱなしだった気がする。ハヌを助けた時の〝アブソリュート・スクエア〟の影響も完全に抜けたとは言い難い。これなら、ちょっとぐらい休んでも――

「――って、ハヌ? 何しようとしてるの?」

「うむ。まぁ見ておれ」

 一息つこうと思ったところ、何故かハヌが僕に近付いてきて、くるりと背中を向け、後ろ向きのまま膝の上に手を載せるではないか。何事かと思えば、

「ほっ、とな」

「わっ」

 ぴょん、と兎のように軽く跳ねると、ハヌの小さな体が僕の上に飛び乗ってきた。無防備に受けると腹に強打をもらいそうだったので、慌てて両手で細い腰を掴んで威力を弱らせる。ぽふ、と僕の腰の上に着地するハヌのお尻。

「ハ、ハヌ?」

「うむうむ。思った通りじゃ。これはなかなかの座り心地じゃな」

 すっぽりと懐に収まってしまったハヌが、僕の胸に後頭部を預け、満足げに笑う。

 今回、僕が取り出したアウトドアチェアは、折り畳みの出来るいわゆる『ハンモックチェア』というものだった。その名の通りハンモックのように布を張った椅子で、背もたれが深く、腰かけると身体が結構上を向く。そのまま空を見上げながら、昼寝でも出来てしまいそうなほどの角度まで。

 そこにハヌが乗っかってきたので、僕達はまるでラッコの親子のような状態になっていた。

 僕というベッドに身を横たえたハヌは、くふふ、と楽しそうな笑みを漏らす。

「この椅子を見た時から思うておったのじゃ。このようにすれば心地よかろう、とな。思うた通りじゃ。少々暑苦しいが、なに、川風も吹いておる。悪くない心地じゃぞ」

「うーん……急に座れって言うからおかしいとは思っていたけど……ってあれっ!? あの、ちょっと待ってハヌっ!? 確かシャツの下に下着とか着てなくて素っ裸じゃなかったっけ!?」

「ば、ばかもの! 肝心なところは触れぬようおぬしの服を間に挟んでおるわ! 恥ずかしいことを大声で叫ぶでないっ!」

「ご、ごめんっ!?」

 思わず反射的に謝ってしまったけれど、よく考えてみなくても割と理不尽な話である。さっきは『見ておる者などおらんじゃろ』と平気で半裸でいたのに、今度は聞く人もいないのに恥ずかしがるだなんて。女心と秋の空、とはよく言ったものである。

「……あー、でも確かに、風は涼しくなってきたよねー……」

 落ち着いて現状に身を委ねると、途端にまったりとしてしまう。相変わらず陽射しは強いし、湿度もそれなりなのだけど、今の僕達は木陰にいるし、ハヌが言った通り川から吹く風がかなり気持ちいい。ハヌは体温がちょっと高いから胸からお腹にかけてはじんわり汗ばむほどなのだけど、それを補って余りある川風の涼しさである。

「…………」

 試しに瞼を閉じてみると、ずしーん、と重さを伴った疲れが、額の裏から頭の芯まで降りてきたような気がした。

 ――あ、ダメだこれ。このままだと寝ちゃうやつだ……

 そう思うけれど抗いきれず、ズルズルと意識が体の奥底へと引き摺り下ろされていく。

「……あ、だめ、だよ、ハヌ……センサー、設置しなきゃ……」

 本当に危ないと思って、どうにか瞼を半開きにしてハヌに声をかける。さっきの虎みたいに森に住む獣がいつ来るかわからないし、ハウエルの奴だっていつ戻って来るかわかったものではないのだ。このまま無防備に昼寝なんてしてしまったら、まさしくエクスプローラー失格である。

「ほ? まだやるべきことがあるのか、ラト?」

「うん……警報センサーとか、弱い地雷を置いて……何かが近寄って来ても、大丈夫なように、しないと……」

 かなりの眠気を堪えながら、何とか説明する。でも、既にこうやって舌を動かすのも億劫で、まともな言葉を紡ぐのにも苦労した。ちょっとでも気を緩めたら、生の思考をそのまま垂れ流してしまいそうなほどである。

「? なまのしこう、とは何じゃ?」

「……はれ……? ぼく、くちにだして……?」

 しまった、知らないうちにたがが外れてしまっていたらしい。無意識に舌を動かしていたみたいだ。

 自分で自分にびっくりしていると、ハヌが、くふっ、と笑う。

「なんじゃ、眠いのか、ラト?」

「……うん……でも……せんさー、じらい……」

「わかっておる。じゃが、少し待っておれ。どうせなら妾の服が乾いてからでもよかろう? この天気じゃ、すぐ乾く。それまで少し休んでおればよい」

 ハヌが川で水洗いしてきたワンピースは、ちょうど陽の当たる場所に干してある。今の太陽の熱と川風の勢いなら、小一時間もせずに乾くはずだ。

 眠気でぼーっとしている僕にとって、ハヌの提案はあまりにも甘美すぎた。

「……ん……じゃあ……ちょっと、だけ……」

「うむ。なに、何者かが現れた場合は妾が対処しておくぞ。言うたであろう? 妾がラトを守る、とな。これがその先駆けじゃ」

 くっふっふっ、と含み笑いをしたハヌは、彼女の双肩にかけていた僕の両手を掴むと、ぐい、と引っ張って胸の前で交差させた。ちょうど僕がハヌを抱きすくめるような形になる。

「それにほれ、この通り、正天霊符の自動防御も発動させておる。もし妾がラトにつられて眠ってしもうた時は、こやつが守ってくれるであろう。安心して眠るがよい」

 この通りと言われても、僕の瞼はとっくにシャッターのように落ちていて、改めて開く気力すらも失われている。

 ――そっか、正天霊符のオートディフェンスモードが発動しているなら、何も問題はないかなぁ……

 後で考えてみれば全然問題ありまくりだったのだけど、この時の僕は、眠気に引き摺られて物事の正誤の判断がまともに出来なくなっていた。

 多分、色々とあって疲れていたのだろう。わけのわからないことが立て続けに起きていたし、気が張っていたのだと思う。

「……よろ……しく……ね……」

 我ながらか細い声でそう言い残すと、僕はすんなり意識の手綱を手放した。

 吸い込まれるように眠りに落ちていく。

 しかし、後悔先に立たずとは言うけれど、眠る前に〝SEAL〟の目覚ましアプリをセットしておくべきだったのだ。



 当たり前のように寝過ごした。



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