リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●8 知りたいこと 知らないこと 知って欲しいこと






 鼻血が出た。

 ほんの数瞬だったはずだ。僕が〝アブソリュート・スクエア〟を使ったのは。

 だけどハヌが予見した通り、そしてエイジャの見立て通り、強化係数一〇二四倍という無茶は僕の命そのものを削っていたらしい。

 ほんの一秒ぐらいしか使用していないというのに鼻から血が出て、しかも足にきた。

 治癒術式〈ヒール〉で出血は止められるけど、体の深いところに負ったダメージはそうそう回復しない。

 ひとしきり泣いて、謝って、慰め合って、仲直りした僕とハヌは、そのまま木陰で大休憩をとることにした。もちろん、僕が爆発四散させた虎の死骸があった場所からは離れたところで。

「すまぬ、ラト……使うなと言うておきながら、妾自身が使わざるを得ない状況を作ってしもうた……」

 大きな樹の足元にシートを敷いて座り込んだ僕に、ハヌが浮かない顔で謝罪する。彼女は懐から正天霊符の扇子型リモコンを取り出し、それで僕を煽ってくれていた。

 しょんぼりと肩を落とすハヌに、僕は、あは、と笑う。

「ううん、違うよ、ハヌ。やっぱり感情的になっちゃった僕自身の責任でもあるし……それになにより、おかげでハヌが助かったんだから、僕としては本当によかったと思ってるよ」

「ラト……」

 そよそよと微風を送ってくれながら、ハヌが気遣わし気な目で僕を見つめる。

 今ならその視線の意味もわかっている。だから僕は頷きを返し、

「うん、わかってるよ。これからはもう、出来るだけ使わないようにするね。正直、僕自身がちょっと舐めていた部分もあるから……まさか、こんなほんの少ししか使ってないのに、ここまで反動があるだなんて……エイジャの言う通り、もしかしたら僕の寿命は……」

 その先を続けるのが怖くなって、僕の声は尻窄みになって消えた。

 ――僕の寿命は、もう残り少ないのかもしれない。

 考えてみたら当たり前の話で、これまで僕は幾度も〝アブソリュート・スクエア〟を使って戦ってきた。『放送局』のカメラの前で語った通り、いくら筋力や敏捷性、耐久力が向上したところで、体力だけは素のままなのだ。だから少しずつ、少しずつ、体の奥深いところに反動が蓄積し続けてきたのだろう。

 ただそのダメージ量が、僕が予想したよりも遥かに多かったのだ。

 多分もう、使えて二度三度といったところだろうか。〝ミドガルド〟での戦いの後は目や耳から血を流して昏倒してしまったし、ロムニックの時だってわずかな時間しか〝アブソリュート・スクエア〟状態になっていなかったのに、直後には気絶してしまった。

 おそらくだけど、ミドガルズオルム戦のように長時間〝アブソリュート・スクエア〟を使った場合は、僕は今度こそ死んでしまうかもしれない。否、かもしれない、ではなく、ほぼ確実に死ぬのだろう。今更のようにそれが実感できる。

 でも。

「……でもね、ハヌ。本当に危ないことはわかってるんだけど、それでも僕は……もし、ハヌやみんなが危険な状態だった時は……その……」

 我ながら愚かしいことに、僕には自重している自分自身が想像できなかった。ハヌやロゼさん、フリムの窮地を見たら、僕は衝動的に動いてしまうに違いない。必ず。絶対に。後先も考えず、その時に出来ることを全力でやってしまうはずだ。

 きっと、ハヌと交わした約束すら忘れて。

「――まったく、仕方のない奴じゃの……」

 扇子型リモコンで僕を煽ぎつつ、周囲にふよふよと正天霊符の護符水晶を浮かべているハヌは、くふ、と笑った。

 ちなみに結界として展開させている護符水晶はもちろん、先程の二の轍を踏まないための対策である。僕もいつ襲撃があってもいいよう、ストレージから取り出した黒玄と白虎を脇に置いて、いざという時に備えていた。

「よかろう。妾こそラトの頑固さを失念しておったわ。おぬしはいつもそうじゃ。大人しそうに見えて、実はとんでもなく強欲な男子おのこじゃからの。止めようと思うた妾が阿呆じゃったわ」

「ハ、ハヌ……」

 全てを悟ったように、そしてどこか楽しそうに語るハヌの言葉は、さりげなく辛辣であった。

「あいわかった。もはや妾はラトを止めようなどとは思わぬ。どうせ言っても聞かぬのであろうからな。じゃが……」

 ピタ、と風を送る手を止め、ずずい、とハヌが前傾姿勢になって僕に顔を寄せた。いじめっ子っぽい軽いジト目と『U』の字型になった唇が間近に迫り、僕は、ぎょっ、とする。何を考えているのかわからない、底の見えないハヌの表情に、内心でかなり焦る。

「……勝手にするのはラトだけではないぞ? 当然、妾も好きなようにやらせてもらうが……よもや否やはなかろうな?」

「え? そ、それって、どういう意味……?」

 意味深な台詞を意味ありげな顔で言うものだから、僕の不安はさらに増大する。顔を強張らせて具体的なことを聞き返す僕に、くふふっ、とハヌはまたミステリアスに笑って、ゆっくり上体を引いた。

「なに、知れたことよ。ラトだけが妾を守るのでは、いささか不平等というもの。ならば妾も、ラトの身を守ってしかるべきであろう? さすれば、おぬしが危ないことをする可能性も少しは下がろうというもの。そう先程、妾自身が言うたことをそのまま反転させればよい」

 すっ、と扇子型リモコンを持ち上げて口元を隠すハヌの金目銀目は、誰がどう見てもいたずら小僧が『いいことを思いついた』と考えている時の目付き以外の何物にも見えず、そういえばこういう時のハヌって大抵ろくなこと言わないよなぁ、と付き合いも長くなってきた僕は思うのである。

「まずもって、妾をそのような危機に晒さぬようにする――まさにこれじゃ。これを言い換えれば、【ラトが危険なことをしなくてもよい状況を作り出せばよい】、ということになろう? つまりじゃ――妾がラトを制御すればよい。そうは思わぬか?」

「へっ……?」

 制御――つまりは〝コントロール〟。

 しれっと吐かれた、何気に恐ろしい言葉に戦慄が走る。

「え、えと……ハヌ? あのハヌさん? それってどういう……」

「うむ。ようく聞け、ラト」

 パタパタと、とうとう自分の顔を扇ぎ始めたハヌは上機嫌に言葉を紡ぐ。

「妾はもうラトに『妾を守れ』とは言わぬ。むしろ、これからは【妾がラトを守ってやろう】。ほれ、あれじゃ。いわゆる〝ばっくあっぷ〟というやつじゃ。以前、ロゼが仲間になった頃に練習したであろう? 今こそあの時の成果を示す時じゃ。唯一無二の親友たる妾とラト、その絶妙な〝連携ぷれい〟によって一心同体、二人で一つの生き物となり、まさに向かうところ敵なしの――」

「あいや待って待ってハヌ待って?」

「――なんじゃ、せっかく気分よう語っておったというのに」

「あー、うん。あのね? ……それってもしかして、僕達とロゼさんの三人でエクスプロールを始めた頃、連携が全然上手く行かなくて、主に僕がボロボロになるまで被害を受けた時の話をしているのかな? かな?」

「……ほ? そうじゃったかの?」

「それ以外に何があったのかな!? っていうかどうして同じ当事者である僕とハヌでこんなにも記憶に食い違いがあるのかな!? かなっ!?」

 ごく自然に小首を傾げるハヌに、僕は思わず声を高めた。

 いま思い出しても恐ろしい出来事である。

 僕とハヌ、そしてクラスタに加入したばかりのロゼさんの三人で、初めてエクスプロールした時のことだった。

 あの時、初めて――入団テストを除けば――まともに三人で連携戦闘をしようとした僕達は、結果として、目も当てられないほどのグダグダっぷりを披露してしまったのである。

 ハヌは正天霊符の操作を誤って僕にぶつけてしまうし。

 ロゼさんは鎖の扱いを間違えて僕を雁字搦めにしたり、そのまま敵陣の中へ放り込んでしまったりして。

 今でこそ各々の立ち位置が確定し、同じような失敗は繰り返さなくなったけれど、あの時は本当に大変だったのだ。

 何故なら――

「覚えてないの、ハヌ? 僕がハヌの護符水晶をぶつけられてたのって、大体ハヌが僕のことを『援護する!』って言った直後が多かったんだよ……?」

「さ、さようか? そ、そう言われてみると、そうじゃった気もするかのう……」

 つつーっ、と視線を逸らしながら、パタパタと自分を煽ぐ手を速めるハヌ。これは覚えていない。これは絶対覚えてない反応だ。

 この件については、珍しく僕がジト目を送る側になる。

「ハヌ……それなのに〝今こそあの時の成果を示す時〟って言われても……」

「――い、いまは違うぞ!? 聞けラト、こう見えて妾とて日に日に成長しておるのじゃ。これを見てみよ、最初は二つしか扱えんかったが、今ではこの通りなのじゃ……!」

 慌てたハヌは扇子型リモコンに術力を注入し、スミレ色の光を灯させる。僕とハヌを囲むように浮遊している護符水晶の数は、なんと十二個。正天霊符に属する全てである。

「ほっ」

 軽い声掛けとともに扇子型リモコンを振ると、ハヌの意を受けた護符水晶が宙を滑るように動き出した。

 僕達を取り囲んで踊るようにクルクルと回ったり。かと思えば、稲妻のごとく鋭い切り返しを繰り返してジグザグに動いたり。と思った次の瞬間には、気持ち悪いほどスムーズにウネウネと空中を泳いだり。

 十二個の護符水晶すべてがまるで生きているかのように、そして一糸乱れぬ動きで宙を舞った。

 一通り動かし終えるとハヌは、くふ、と僕に笑いかける。

「どうじゃ、ラト? あの時よりだいぶ上達したであろう? もう失敗などせぬ。妾はしかとおぬしを守ることができるぞ。安心せい」

 シートの上に正座したまま、ハヌは両手を腰に当て、ふふん、と胸を張ってドヤ顔をする。

 僕は半ば呆れつつ、半ば可笑しくなってきて、軽く苦笑しながら、

「……うん……覚えてないみたいだから言うけど、あの時のハヌも『もうこやつの扱いには慣れた。妾に任せよ』って言ってたんだよね……」

「――なん……じゃと……!?」

 胸を張ったポーズのままで愕然とするハヌ。その反応があまりもおもしろかったので、僕は思わず噴き出してしまった。

「あっはははっ! それも覚えてないんだね、ハヌ」

「うぬぅ……じゃが、じゃが今度こそは大丈夫じゃ! 妾がラトを守る! 守ると言ったら守るのじゃ!」

 むきーっ、と両手を上げて主張するハヌを、僕は無意識に頭から爪先までさっと眺め、

「あはははっ。それに、日に日に成長しているって言っても、ハヌはまだちっちゃ――はっ!?」

「…………」

 少し気分が高揚したせいか口が滑り、迂闊な失言をしかけたところで我に返った。

 だが、全ては手遅れだった。

 ハヌの表情が『無』になっていた。

「――ラト」

 別人のような声音で、ガラス玉のようになった蒼と金のヘテロクロミアが、空虚な視線を投げ掛けてくる。

 大きな穴が空いた――そう感じた。

「い、いやあのハヌちょっと待って!? ち、違うんだ、今のはちょっと口が滑った――じゃなくてちょっそのっあのっ僕は別に悪気があったわけじゃなくてだからその誤解なんだよ誤解っ!?」

「ほほう? その割には〝小さい〟と言う前に一瞬だけ妾の身体の大きさを確認しておったようじゃが……? 妾は見たぞ。おぬしの視線の動きを。じゃというのに、何をもって〝誤解〟だと言い張るつもりじゃ?」

「うっ……!」

 鋭い指摘に返す言葉もない。

 無機質な瞳をしたまま、ハヌが、かくん、と小首を傾げた。その動きはどこか、操り人形めいていてひどく不気味に見える。

「ちっちゃい? 今、ちっちゃいと言うたか、ラト?」

「ひぇっ!? い、いやいやいやいやっ!? だ、だからその、ちっちゃ――ちっちゃくても頑張ってるしそういえばよく見たら前より大きくなってるよね成長期だねって言おうと思ったんだよ!? 本当だよ!?」

 大慌てで両手を振り、ボディランゲージも交えて僕は必死に誤魔化す。

 そう、ハヌに『ちっちゃい』とか『小さい』とか『チビ』といった言葉は絶対に禁句なのだ。どうやら、唯一無二の親友たる僕と背丈で並べていないのが悔しいらしく、自分が小柄であることを認識させるような言葉をとことん嫌うのである。

 僕も知り合った最初の頃は、そんなハヌの心の機微に気付けなかったものだけど、段々と仲良くなるにつれ、特に彼女が率直に怒ってくれるようになってからは、背丈に関する話題は口にしないよう気を付けていたのだ。

 だというのに。

「ほう……その割には、前の言葉が〝日に日に成長しているって言っても〟じゃったが、繋がりがおかしくないかのう?」

 抑揚の薄い口調で、目からはレーザーのような無機質な視線。

 怖い。

 めちゃくちゃ怖い。

 ハヌは賢い子だ。僕の失言なんてとっくに見破っているに違いない。なのに、こうして遠回りにチクチクと揶揄してくるのは、さっきの喧嘩が尾を引いているからなのだろうか。それとも今回を好機と見て、僕が二度と同じような軽口を叩かぬよう、徹底的にお灸を据える算段なのだろうか。

「ほ、ほら、ハヌって最近よく食べてるよねっ!? お菓子もそうだけど普通のご飯とか!? それもあって最近はほんと身長が伸びてきたんじゃないかなーって思ってたんだよ!? そ、それにここのところ膝に載せたらちょっと重いというか骨にくるっていうか、体重も増えているよね!? あっいやっこっこれは別に太ったとかそういうわけじゃなくてっ!? 僕は純粋にハヌの成長を喜んでいるっていうかねっ!? あのごめん僕なんでこんな話してるんだっけ!? 段々わからなくなってきたよ!?」

 慌てふためきすぎて、自分が何を言っているのかわからなくなってきた。そして、そんな僕の弁解を聞くハヌの瞳はあくまでも氷点下を維持しており、その色違いの双眸からいつ冷凍光線が飛び出すものかと――

 いきなり地面が揺れた。

「「――!?」」

 ドォン! と足元から突き上げてくるような強烈な衝撃。

 どれほど強力だったかというと、小柄とは言えハヌの体が一瞬宙に浮いたほどである。

「「――~ッ……!?」」

 唐突過ぎる地震に、僕達二人は同時に息を呑む。

「――ハヌっ!」

「――ラトっ!」

 僕は咄嗟にハヌへ手を伸ばし、ハヌもまた僕の腕の中へと飛び込んできた。

 僕はハヌの小さな体を覆うようにして抱き締め、周囲を警戒する。

 思い出したように、森のあちこちから鳥の群れが一斉に羽ばたいた。

「な……!?」

 視界が揺れる。

 かなり大きな地震だ。僕達が身を寄せた大樹もガッサガッサと枝を鳴らし、パラパラと葉や樹皮の欠片を落としてくる。もし大きな枝が折れて落ちてきようものなら、支援術式〈プロテクション〉を使って僕とハヌの防御力を上げなければ――

「おっ、おおっ、おおおおおおっ!? な、なんじゃこれはぁっ……!?」

 無意識にか、僕のシャツの胸元をぎゅっと両手で掴んだハヌが困惑の声を上げる。

「わっわわわ、わかんない! で、でも、こんなのって……!」

 普通に考えたら有り得ないことだ。

 ここは浮遊島。フロートライズと同じく大空に浮かぶ、土くれや石くれの寄せ集めなのだ。それが外部の力もなく、独りでに動くだなんて――

「は、激しくなってきたぞラト!? こ、このままここにおっても大丈夫なのか!?」

「だ、大丈夫! ここは外だから、樹でも倒れてこない限りは問題ないはずだけど……!」

 時を経るごとに地震の揺れはその激しさを増していく。まるで島の内部で怪獣か何かが暴れているかのようだ。

 ――ここ、ただの浮遊島じゃない……!?

 わかってはいた。ここはルナティック・バベルの内部。生半可な場所でないことぐらい理解していた。

 だけど――まさか【こうくる】とは。

 ――もしかして、このままひっくり返って天地が逆転しちゃうんじゃ……!?

 いくら待っても収まる気配がない揺れに、刹那の思考が閃く。

 あり得ない、だけど【ここ】ならあり得ない話じゃない――そんな予感に背筋がブルリと粟立った。

 あまりにも揺れが強くなりすぎて、とうとう樹に背中を預けていても立っていられなくなった頃。

「……っ! ごめんハヌ、いったん空に逃げよう!」

 僕は緊急避難の決断を下した。

「ラ、ラトに任せるっ!」

 信頼して身を任せてくれたハヌの体をさっと抱き替え、いわゆるお姫様だっこに。その状態で支援術式〈ストレングス〉〈ラピッド〉〈プロテクション〉を五つずつ発動させ、フルエンハンスの強化係数を三十二倍へ。もちろんハヌにも〈プロテクション〉×5を忘れずに。

 次いで〈シリーウォーク〉を発動させると、僕は疾風のごとき速度で一気に不可視の階段を駆け上った。

 つい先刻、島の全景を確認した時と同じように高い位置まで上昇し、駄々をこねる子供のように暴れる浮遊島を眼下に収める。

「お、おお……これは面妖な……」

「うわぁ……」

 激しい揺れから解放され、上空から落ち着いて眺めることでわかるこの異常さ。

 もはや地震というレベルではない。島の内部で連鎖爆発でも起こっているのか、上下左右あらゆるベクトルでランダムに動いている。こうして高い場所から見下ろしていると、まるでバイブレーション機能が付いた石ころみたいに見えた。

「よ、よもやこのまま爆散したりはせんじゃろうな……?」

「ええっ!? そ、そうなったら僕達どこに着地したら……!?」

 僕の首に腕を回したハヌが、呟くように怖いことを言い出したので目を剥いて驚いてしまう。もし島が爆発して木っ端微塵になってしまったら、僕達は寄る辺をなくしてしまう。残った欠片に浮遊の力が残っていればまだ助かるけど、完全に四散五裂して消滅してしまったら、僕達はいずれ術力が切れて真っ逆さまに落ちていくしかない。

 だが、幸いなことにそれは杞憂だった。

 激しく震動していた浮遊島はどうにかひっくり返ることもなく、徐々にその勢いを減じ始めた。内部で起こっているエネルギー爆発の頻度が減ってきた、とでも言おうか。残弾が尽きた拳銃のように、終わりは唐突に訪れた。

 最後に一際大きな揺れを起こすと、後はそのままフェードアウトするように震動が収まっていく。

「……お、終わった……?」

「ふむ……どうやらそのようじゃな。見よ、ラト。森の中の動物どもが動き始めたぞ」

「あ、本当だ……」

 鳥達は僕らと同じように大空へ退避したみたいだけど、森に住む動物達はじっとねぐらに身を潜めていたらしい。地震の余韻が完全に消え去ると、申し合わせたように外へ出て活動を再開していた。

「……随分と慣れた様子だね、動物のみんな……」

「うむ。ということは、今のような揺れは日常的にあるということか。住みにくい土地じゃのう……」

 ふと島の縁を見ると、海水は変わらず滝のように垂れて大気中に散っている。ああいった構造だから、地震後の津波も起こりようがないのだろう。まるで何事もなかったかのように、早くも島の状態は地震が起こる前へと回帰していた。

「よし、ラト。いったん下へ戻るのじゃ。ここでこうしておっても、汗で体がしぼんでしまうだけじゃからの」

「う、うん、わかった」

 確かに太陽に近くなっているだけ、頭上から降り注ぐ陽射しの熱も洒落になってない。異常事態だったということもあるけど、僕もハヌも全身汗だくになっていた。

 そういえば前回の〝ミドガルド〟での反省も踏まえて、ストレージには非常用の携帯食料や飲み水を常備するようになっていたのだけど、この調子では少なくとも水はすぐ底をつくに違いない。

「――じゃあ、あの川のあたりに降りるけど、いいかな?」

「うむ、妾もそう言おうと思っていたところじゃ」

 浮遊島に一本だけ存在する河川を示すと、ハヌは同意してくれた。

 今日一日でここから脱出できないのであれば、今晩は野宿することも考えなければならない。となれば、やはりあの森と川の近くあたりがキャンプには最適だろうか。

 ――確か、大分前にストレージにちっちゃなテントを入れておいた気がするんだけど……アレまだ使えるかな……?

 以前キアティック・キャバンでエクスプロールしていた頃に購入した野営セットのことを思い出しつつ、僕はハヌを抱きかかえたまま、キラキラと陽光を反射する川縁に向けて疾走した。

 ――それにしてもさっきの地震はいったい何だったのだろうか? 何が原因であんなことが起こったのだろうか? もしかして、その究明こそがこの不思議な空間を脱出するとっかかりになるのかな……?

 何はともあれ、ひとまずのヒントは得た。本当に手掛かりになるかどうかは調べてみないとわからないけれど、とりあえず目先の目標として地震について調査するのがいいだろう。

 今度こそちゃんと腰を落ち着けて休憩したら、地震についてハヌと話し合おう。

 内心でそう決めると、僕は思考を切り替えて野営に必要な手順を脳裏に思い描き始めたのだった。



 ■



「ほっ、と……これで出来上がり、かな?」

「おお……おおっ……!」

 僕が組み上げたパップテントとタープを見上げ、ハヌが金銀妖瞳ヘテロクロミアを輝かせて感動の声を上げる。

 大したものではない。駆け出しの頃――と言っても今も似たようなものだけど――に中古で買った、どこかの軍の払下げ品である。当時は意欲は十分なれど懐が寂しかったので、格安だったこれらをまとめ買いしたのだ。

「ラ、ラトっ! ラトよっ! こ、これはなんじゃ、もしやアレかっ? ひ、秘密基地とかいうものではないのかっ? 聞いたことがあるぞっ! と、友達同士が作るという、あの伝説のっ……!!」

 しかし、ハヌにとっては初めて目にするものなのだろう。こんな状況だというのに、子供のように――というか見た目相応の無邪気さで、初となる野営にワクワクと心躍らせている様子だった。

 それにしてもストレージに色々と物を入れておいて、我ながら本当にグッジョブだったとしか言いようがない。

 先述の通り、エクスプローラーを志した当時、きっといつかは必要になるだろうと思って、それっぽいものを手当たり次第に買い込んでおいたのだ。

 さもありなん。ルナティック・バベルではまずないことだけど、他の遺跡レリクスでは内部で野営をすることがよくあるのだ。よくある、と言っても僕はパーティーが組めなかった人間なので、キアティック・キャバンでは日帰りするのが常だったけれど。

 それはともかく。

 ルナティック・バベルは人工物で軌道エレベーターだけに、行き来に便利な設備が整っている。けれど、〝惑星ほしのへそ〟と呼ばれているキアティック・キャバンや、〝海王のねどこ〟と名高いグレート・ブルーゲートなんかは、半ば天然の迷宮ダンジョンである。

 非人工物だけあって当然ユーザビリティは低いし、その特徴を簡潔に言い表してしまうなら――【深い】、と言う他ない。

 特に後者は海の遺跡なだけあって、特殊な潜水艇――いわゆる〝トランスポーター〟と呼ばれる専用機がなければお話にならないのだとか。あのあたりのエクスプローラーは、そういった生活空間を擁した潜水艇に乗って、何日もかけて深い海の底を目指すという。

 ――そういえば、あの〝追剥ぎハイウェイマン〟ハウエルも、グレート・ブルーゲートを根城にしているってヴィリーさんが言っていたっけ……

 『探検者狩りレッドラム』と呼称される忌まわしき彼なのだから、行うのは神秘を求めるエクスプロールではなく、そのために遺跡に訪れたエクスプローラーの襲撃だ。きっと〝狩り用〟のトランスポーターなんかも存在して、様々な設備を駆使して無辜――とは言い切れないだろうが――のエクスプローラーを襲うのだろう。まさしく〝海賊船〟ならぬ〝海賊【潜】〟と言ったところか。

 閑話休題。

 グレート・ブルーゲートが海に空いた大穴なら、僕が最初のエクスプロール先に選んだ遺跡――キアティック・キャバンは大地に空いた大穴だ。

 そう、〝鉱穴都市ランダルギア〟のど真ん中にある直径四キロトルを超える超巨大な縦穴――それが『混沌の洞穴キアティック・キャバン』なのである。

 風の噂によると、あの巨大な縦穴は惑星の中心部にまで繋がっているのだとか。また一説には、『地獄』なる異界への扉が隠されている――なんて話もある。

 どれもこれも、ルナティック・バベルが月に繋がっている、とか、天井楽土への扉が隠されている、とかいった噂と同レベルのものなので、もちろん論評には値しない。

 そんなキアティック・キャバンでは、トップを走るクラスタやパーティーは遺跡内部で野営するのが常識となっていた。理由は当然、一日だけでは最大深度――ルナティック・バベルでいうところの最前線――にまるで届かないからである。

 ネットから入手した情報が確かなら、現在のキアティック・キャバンの最大深度は一万二千メルトル前後。そこから先は新人類にとっては未踏破領域であり、古代人が遺した神秘や危険に満ち溢れた混沌の空間である。

 確か一日で行ける平均深度が三千から四千メルトルと聞くので、出発してから最高深度まで到達するには、早くても丸三日かかる計算となる。その間、洞穴内で適当な空間を見つけ、そこで野営して休息を挟みながら、エクスプローラー達は地の底を目指すのだ。

 だから僕も、いずれはそういった生活になるものと思い、あれやこれやとキャンプ道具を買い込んだのだけど……結果は知っての通りだ。買い集めた道具はまったく使われることなく、今という時を迎えたのである。

 そもそも、順調に行っていれば僕が浮遊都市フロートライズに訪れることもなかったし、ハヌと出会って友達になることもなかったので、そう考えると皮肉な運命にも感謝するべきなのかもしれなかった。

「のう、ラト、ラトっ! これは何じゃ? どう使うのじゃっ?」

 テント内にマットを敷いていた僕に、好奇心を抑えきれないハヌが質問してくる。ちっちゃな右手が上下に動きながら指差すのは、とりあえず組み立てたトライポッドである。

「あ、それはね、ファイアクレードルっていう……焚き火台? 下の耐火メッシュの上で火を熾して、鎖のフックにお鍋とかを吊るして温めたりするんだよ」

「ほう、焚き火か! つまり〝きゃんぷふぁいやー〟というやつじゃな! 話には聞いておったが、直に見るのは初めてじゃ! いつじゃ!? いつ火を点けるのじゃ!?」

 興奮冷めやらぬハヌは、今すぐ火を点けようぞ、と言わんばかりに身を乗り出してきた。その両手は胸の前で拳を握りしめていて、それだけで彼女の熱中ぶりが見て取れる。

「ま、まだ火を熾すのは早いよ……ほら陽は高いし、今も全然暑いし……」

 川縁の森、その木陰に拠点を築いているため辺りは薄暗い。だけど一歩でも陽の下に出れば、未だそこは殺人的な熱光線に晒される危険地帯である。気温的に火を点ける意味は全くないどころか、さらに汗が噴き出して熱中症になってしまうまであった。

「むぅ……では寒くなったら火を熾すのか?」

「そうだね。フロートライズは大きいし、色々な仕組みがあるから気温を一定に保ってられるけど、ここにそういうものはないだろうし……砂漠みたいに、日中は暑くても夜は寒い可能性は高いというか、多分だけど放射冷却現象が……あれ? でもあれって湿度が低くないと起きないんだっけ? いやでも放射冷却自体は普通に起こるはずだから、寒くなっちゃう可能性は十分に……?」

「……? ラトが何を言うておるのか、妾にはさっぱりなのじゃが……」

 僕が難しい顔をして脳内の知識を検証していると、ハヌが眉根を寄せて、拗ねたように唇を尖らせた。

「あ、ごめんね、ハヌ。とにかく、気温が下がってきたら火を熾すから楽しみにしててね。あ、そうだ。よかったらハヌが火を点けてみる?」

「……! うむっ! 是非もなしじゃ!」

 喜んでやってくれるかもと思っての問いだったけど、予想通りハヌは機嫌を直して、うんうん、と熱心に頷いてくれた。

「じゃあ、悪いけど見える範囲に落ちてる枝を集めてきてもらえるかな? この気候だから湿気てるかもしれないけど、固形燃料も持ってきてるから何とかなると思うし」

 僕が木々の間に落ちている枯れ枝を指差してお願いすると、ハヌは、くふ、と笑った。

「うむ、よくわからんが任せよ! まったくラトは頼りになる男じゃのう! 妾はこういったことはようわからぬ! 委細よろしく頼むぞ!」

 テンションの高いハヌは快諾しつつ、勢いよく僕を褒めると、そのままの勢いで枝拾いへと駆け出して行った。もちろん正天霊符の護符水晶をゾロゾロと引き連れて。

 当たり前だけど、褒められて悪い気はしない。僕はハヌを見送った後、人知れず口元を緩めてしまう。

 しかし焚き火というと、どうしても思い出されるのがフリムの存在である。彼女の付与術式〈ボンファイア〉さえあれば、こんな風に焚き火台を用意することはおろか、燃料となる薪すら必要なかったのだけど……いや、ここでないものねだりをしても仕方ないか。

 ――というかロゼさんとフリム、大丈夫かなぁ……

 ハヌには『他人の心配より自分のことを』とは言われたけれど、やっぱり気になってしまうものは気になってしまう。今の状況で僕があの二人のことを心配しても詮無いことは理解しているけれど、せめて無事を祈るぐらいは許されてもいいと思う。

 などと、頭の隅でそんなことを考えつつ、樹の間に張ったロープを利用して張ったタープの下に、これまたキャンプ用の椅子とテーブルを用意する。毎度のことながら、こういったアイテムを重量なしで持ち歩けるギンヌンガガップ・プロトコルの便利さには、どれだけ感謝してもし足りない。これがなければ、世のエクスプローラーの大半が廃業を余儀なくされてしまうことだろう。

 一応、食事用の小型バーベキューコンロも取り出し、トライポッドの横に設置する。それが終わったら、今度は各アイテムの固定だ。

 ハヌとも軽く話したのだけど、どうやらこの島に起こる地震は日常的なものらしい。ちょうどハヌにお願いしている薪拾いでも顕著だが、地面に落ちている落ち葉や枝の数が半端ではないのだ。

 おそらく毎度毎度、先程のような大地震が起こっているのだろう。その度に木々が葉や枝を落としているため、根元の腐葉土の厚みがものすごいことになっていた。

 そんなわけだから、『地震は起こって当然のもの』として対応するべきだ。よって、テントやタープはもちろんのこと、コンロやトライポッド、椅子やテーブルなんかも一つ一つを紐とペグで固定していく。さっきも言った通り腐葉土が積み重なっているから、ハンマーで深く沈み込ませるように叩き込んでいった。

 それが終わったら、次は頭上からの落下物対策だ。地震の影響で太い枝が折れて落っこちてくるかもしれない。それを防ぐため、〈シリーウォーク〉で高い位置まで昇り、木々の間に蜘蛛の巣のようにロープを張り巡らせる。これで完全にとは言えないが、大き目の折れ枝は防げるだろう。もちろん、樹の幹にナイフで深い切り込みを入れて、ロープを引っ掛けるのは忘れずに。

 ナイフと言うと、先日ヴィリーさんからプレゼントしてもらったエーテリニウム製のものを思い出す。もちろん、あんな高価なものをキャンプの準備に使うなんてあり得ないので、今握っているナイフは祖父から譲り受けたコレクションの一つである。

 流石は希少金属を加工した超高級武器だけあって、あのナイフには銘がつけられていた。

 その名も〝モンデンキント〟――またの名を〝月光がっこう〟。

 プロパティを調べてみると、製作者はリオン・タチバナという武具作成士クラフターさんで、同業者のフリムによると『オンタチぃ? ああ、自称〝光り輝く翼ヴェルンドの直弟子〟とか嘯いてるオッサンでしょ? 知っている知ってる、つーかアタシの敵よ敵。商売敵! だっておばあちゃ――じゃなかった、師匠の愛弟子はこの〝無限光アイン・ソフ・オウル〟ミリバーティフリムたった一人だけなのによっ!? ちょーっと教えを受けただけで直弟子気取りとかほんともう何様!? 絶対ぶっ潰すッッ!!』とのことで、随分と気に喰わない様子ではあったけれど、あのフリムがあそこまでライバル視するということは、とにかく技術に関しては一級品だということがわかる。

 作者のオンタチ氏――あだ名らしい――の作風で、彼の作成する武具には必ず銘が二種類つけられているのだとか。故に、ヴィリーさんがプレゼントしてくれたナイフには〝モンデンキント〟と〝月光がっこう〟の二つの名前があった。僕としては黒玄や白虎に語感が似ている月光の方が呼びやすいので、以降はそう呼称したいと思う。

「ふぅ……こんなものかな? 長いロープ買っておいてよかった……」

 テントの上空を覆うようにロープで編んだ網を張り巡らせた僕は、数歩離れた空中からその様子を眺めて一息つく。

「ラトー! 枝を拾ってきたぞー!」

 足元からハヌの声。見下ろすと、トライポッドの近くに折れ枝の山を作ったハヌがこっちに向かって手を振っていた。

「わかったー! いま戻るねー!」

 口の横に手を添えて返事をすると、僕は最後にもう一度だけロープを引っ張って問題ないのを確認すると、ハヌの下へと駆け下りた。

「……あれ?」

 近付くにつれ、ハヌの姿に微妙な違和感を覚える。僕は枝拾いをお願いしたはずだけど、その割には両手に握っているものの形がおかしい。あれはそう、まるで兎の耳を引っ掴んでぶら下げているような……?

「……あの、ハヌ? それって……?」

「うむ! ラトの言う通り枝を拾っておったところ、こやつらが木陰から飛び出してきての! ちょうどよいと思うて狩っておいたのじゃ!」

 ハヌは自信満々に胸を張り、ずい、と両手にぶら下げたものをこっちに突き出した。

 見間違いではなかった。ハヌが握っていたのは紛うことなき二羽の野兎だったのである。

「このような事態になったのじゃ。食料は必要であろう? まさに飛んで火にいる夏の虫じゃ。出てきたところをこやつで、ちょちょい、とな。安心せよ、苦しませてはおらぬ。一瞬で気絶させたからの」

 こやつ、というのは彼女を守護するように宙に浮いている護符水晶のことである。正天霊符は使い手の術力によって威力が変わる武器だ。ハヌの術力なら気絶どころか木端微塵にしてしまいそうなものだが、どうやら本当に微妙な力加減ができるほど熟練したらしい。妾がラトを守る、というのは見栄でもハッタリでもなかったようだ。

「う、うん、それはそうなんだけど……」

 だけど、僕が驚いているのはそういうところではない。

「――? どうしたラト? 何を驚いておる?」

 キョトン、と小首を傾げるハヌ。

「えっ? い、いや、あの、その、」

 これは僕の思い込みというか、勝手な先入観だとは思うのだけど、

「べ、別におかしいってわけじゃないんだけど……」

「なんじゃ? はよう言うてみよ。そうやってウジウジと言いたいことをすぐに言わぬのが、おぬしの悪い癖じゃ」

 僕の態度に焦れたハヌが、兎の耳を掴んだまま両手を腰に当てて頬を膨らませる。自分でも自覚している悪癖を突かれて、僕は心に若干のダメージを受けた。

「あ、うん……じゃあ言うけど……ハヌは【そういうの】平気な方なんだなぁ、と思って」

「? そういうの、とはどういうのじゃ?」

「えっと……ほら、僕の中だと現人神って、みんな宮殿の奥に隠れるように住んでいて、あまり外を出歩かないというか……だから狩猟とかにも縁がないのかなぁ、って思ってたんだけど……」

「ふむ。まぁ、確かにの。こやつらのことは知っておったが、生きて動いているのをこの目で見たのは初めてかもしれぬ。肉になったものは何度も喰うたものじゃが」

 右手に持った野兎を持ち上げて、マジマジと見つめるハヌ。だけど、その色違いの瞳に宿っているのは、普通の女の子が見せるような『兎可愛いー!』という感情は一切なく、それこそ焼き魚や鶏の丸焼きにでも向けるようなものだった。

「僕は一応、師匠というかお祖父ちゃんに連れられてキャンプに行ったことがあるし、そこで兎とか鳥とか、場合によっては猪や鹿を狩ったこともあるんだけど……」

「ほう! それはすごいではないか! 道理で手際がよかったわけじゃな」

 驚き、褒めてくれるハヌはやっぱり満面の笑顔を浮かべる。

 それだけに、次の質問は切り出しにくかったのだけど。

「……その、ハヌは怖くなかった……? 僕は初めての時、怖くてあんまり上手くできなかったんだけど……」

「――? 怖い? いったい何を怖がる必要があるのじゃ?」

 思いも寄らぬことを質問された、という風にハヌが困惑の表情を見せる。

 やっぱりかぁ、と思いつつ、僕は当時の自分が感じたことを説明する。

「えっと、ほら……人間は他の動物や植物を食べないと生きていけないけど、その為には命を奪わないといけないでしょ? 自分が生きていく為とは言っても、やっぱり最初は、せっかく一生懸命生きている動物をこっちの都合で殺すことに抵抗があったというか……」

「…………」

 我ながら恥ずかしい話をしているな、と照れ臭くなってきて、僕は俯いて右手で頭の裏を掻く。

「それに、狩った後も血抜きとか解体とかあるでしょ? あれも怖かったり気持ち悪かったりで、本当に苦手だったなぁ……あはは……」

 照れ隠しに笑ってみるけど、ハヌは不思議そうな瞳で僕を見つめているだけだ。はっきり言って、だだ滑り感が半端ない。だから、

「あ、で、でも今はもう大丈夫だよ? もう大分慣れたし、怖いってこともないし……まぁ、別に好きになったわけでもないんだけど……」

 誤魔化そうとして、いつものように失敗する。どうして余計な一言を付け加えてしまうのだろうか、僕という奴は。

「だ、だからねっ? 今日が初めてだったのに全然怖がってないハヌはすごいなぁ、って思って。僕、みんながみんな最初は怖がるものとばかり思ってたから、ちょっとだけびっくりしちゃったんだ。それに正天霊符の扱いも上手になったし、前から思っていたけどハヌってすごい才能の持ち主――」

「やめよ」

「――えっ?」

 ようやく驚いた理由を語ることが出来て、ついでに、いつも内心ですごいと思っていることを吐露してハヌを褒め称えようとしたところ、唐突に遮られた。それも硬く強張った声で。

「やめよ、ラト。もうやめてたもれ」

 気がつけば、いつの間にかハヌは深く俯いていた。

「ど、どうしたの、ハヌ?」

 突然の変調に驚き、僕はハヌの顔を覗きこもうとする。すると、彼女は首をゆっくり横に振りながら、

「褒めるでない。さようなことを褒めんでくれ……妾は……妾は……」

「ハヌ……?」

 微かに震える声音。滲む涙の微粒子。何だかよくわからないけど、何か地雷を踏んでしまったような雰囲気に、はっ、となる。

「ご、ごめん、ハヌ、僕なにか悪いことを言っちゃったみた――」

 謝ろうとした瞬間、しかし急にハヌが、ばっ、と顔を上げた。

「――――」

 目に映る予想外すぎる表情に僕は舌を止め、絶句する。

 にっこり、と笑っていたのだ。さっきまでの声が嘘だったかのように。

 くふ、といつものように微笑んでから、ハヌは白い歯を見せる。

「どうじゃ? 驚いたか? 騙されよったか、ラト?」

「え……? あ、え、あ、あれ……?」

 再びの急激な変貌に、僕は目を丸くするしかない。

 ――え、嘘? 冗談? もしかして僕、まんまと騙されちゃった……?

 そんなはずがない。

 馬鹿を抜かすな、ラグディスハルト。

 ハヌはこんなことをする子じゃないだろ。僕をからかったり茶化したりすることはあっても、嘘を吐いてまで僕を騙そうとする性格じゃないはずだろ。

 だけど――

「――ふぅ、それにしてもここは暑いのう。おお、そうじゃ。ちょうどよくそこに川があるのじゃ。妾はちと水浴びをしてくるぞ、ラト」

 僕が何か言うよりも早く、あるいはそれを牽制するように、ハヌが野兎を地面に置いて、川の方に振り向きながら早口で言った。

 ますます怪しい。こんな誤魔化すような態度をとるハヌなんて初めて見る。

「え……? ちょ、ちょっと待ってハヌ、まだ、」

「お? ラトも一緒に水浴びするのか? よいぞ。前に言っておった精神鍛錬じゃ。フリムが準備しておった水着はないが、なに、妾達は唯一無二の親友じゃからな。裸の付き合いもよかろう」

 くるりと振り返り、ワンピースの胸元を両手で広げながら、ハヌはコケティッシュな流し目を僕に向けた。身長差によって上目遣いの角度となるそれは、幼い女の子とは思えないほど蠱惑的で、僕は一瞬ドキリとしてしまう。

「――うぇえぇっ!?」

 そしてハヌの言葉が頭の中に染み込んでから、僕は驚愕の声を上げた。ぶんぶんぶん、と勢いよく首を振り、

「そ、それはダメ! 絶対にダメ!」

「そうか? 別に妾は、水着がなくとも構わぬと前から言っておるのじゃが」

「ダメダメダメダメダメ、ダメったらダメぇ! い、言ったでしょ!? 水着着用ならオッケーだけど全裸はダメ! ダメ絶対っ!」

「ならばラトだけ水着を着ればよかろう。妾は気にせぬぞ?」

「僕が気にするんだよぅ! だから水着が届くまでは絶対にダメっ! 一緒に水浴びもお風呂も禁止っ! 禁止ったら禁止ぃっ!」

 両腕で『X』の字を作って、僕は必死に拒絶する。

 最初の頃と違ってハヌと手を繋いだり、頬や額をくっつけたり、膝に載せたりしてももう何も感じなくなったけれど、やっぱりそれとこれとでは話が違う。というか次元が違う。

 いくらハヌが子供で仲良しと言っても、嫁入り前の女の子の裸を見るなんて絶対にいけないことなのだ。

「ふむ、仕方ないのう。ならば妾一人で行ってくる。留守は頼んだぞ、ラト」

「えっ!? あ、ちょっ――!」

 すんなりと話を打ち切って背を向けたハヌに、慌てて手を伸ばそうと瞬間、

「おっと忘れるところであった。ラト、タオルはどこにあるのじゃ?」

 またくるりと振り返って、ちっちゃな手が差し出された。

「え、タオル? タ、タオルは、えっと……あ、はい、これ」

 慌ててストレージからタオルとバスタオルを具現化させ、ハヌに手渡す。

「うむ、確かに。では、ここは任せたぞラト」

 やけに俊敏な動きでひったくるようにタオル類を受け取ると、ハヌはそのまま、今度こそ振り返ることなく行ってしまった。

「い、いってらっしゃい……」

 ぽつん、と彼女の勢いに取り残された僕は、なす術もなくその後ろ姿を見送ってしまう。

 はたと我に返ったのは、ハヌの小さな背中が見えなくなってからであった。

 ――しまった……すっかり誤魔化されてしまった……

 明らかに、ハヌの様子はおかしかった。

 どう見たって、いつものあの子ではなかった。

 絶対、何かがあったはずなのに。

「……話したくないこと、だったのかな……」

 ハヌの対応はどう考えても、僕が気付いていることに気付いているようだったし、その上で話の腰を無理矢理折ったとしか思えない。

 大体にして、いきなり『水浴びがしたい』だなんて、あまりにも不自然すぎる。

「…………」

 僕はその場に屈み込み、ハヌが置いて行った二羽の兎の耳を両手で掴む。これはこれで折角の食糧だ。適当な檻を作って、そこに入れておこう。もし目を覚ましたとしても、解体前に極低出力の〈ボルトステーク〉で気絶させればいいだろう。可哀想だけど、これも自然の摂理だ。

 ――そういえば僕、ハヌのことあんまり知らないな……

 今更ながらに気付く。

 僕はハヌのことをほとんど知らない。

 現人神で、人目を忍んでいて、エクスプローラーになりたくて東の最果ての地から浮遊都市フロートライズへとやって来た――それは知っている。

 だけど、それ以上のことは知らない。聞いたことがない。

 聞きたいとは思っているのだけど、彼女と友達になった際に言われた『それは秘密じゃ』という言葉が、今も僕の中で蓋になってしまっていた。

 だって、いくら唯一無二の親友だと言っても、互いの家族ってわけじゃあない。言えない秘密の一つや二つはもちろんあるだろうし、あっていいはずだ。

 だから、僕はこれまでハヌに深入りしてこなかった。

 ハヌだって、僕に深入りはしてこなかった。

 そう、僕にだって他人においそれと話せない事情がある。両親に関することにだけ認識が乱れる――この謎の症状のこととか。

 以前ヴィリーさんには聞かれたから教えたけど、実はハヌにはまだ話していなかったりする。だから、フロートライズでこのことを知っているのは、フリムとヴィリーさんの二人だけだ。

 もちろん、いつかは話そうと考えていたし、ハヌには僕のことをもっと知って欲しいとも思っている。

 でも、これまでその機会に恵まれなかったのだ。

 何故だろう? と遅ればせながらに考えてみると、僕は多分、怖かったのだ。

 僕の認知障害は、いわば頭の病気。それも物理的なものではなく、精神的なものだとお医者さんは言っていた。

 これは、とても遠慮のない言い方をしてしまうと――【頭がおかしい】、ということになる。

 こんな話を、好き好んで〝友達〟に話す人間がいるだろうか?

 少なくとも僕はそう思わない。

 ハヌだったら絶対にそんなことはないとわかりきっているし、かなりの確信があるけれど――やっぱり、彼女の僕を見る目が変わりそうなのが怖いのだ。

 可哀想な奴だ、と思うかもしれない。

 こんな欠陥を持っているとは思わなかった、と思うかもしれない。

 両親のことを丸ごと忘れるなんて薄情な奴だ、と思うかもしれない。

 いや、そんなはずがない。ハヌだったらそんなこと絶対にない。そう断言できる。

 ――でも、もしかしたら、彼女だってそんな風に考えることも、あるかもしれない。

「――――」

 矛盾している。

 僕の思考は明らかに相反している。

 ハヌは絶対そんなこと考えないと自信を持って確信しているくせに、心の奥底から湧き上がってくる不安が尽きることもないし、抑えることもできないのだ。

 これは例えるなら、バンジージャンプ、あるいはジェットコースターに例えてもいい。

 あれらが安全で、まずもって事故が起こることがなく、最終的には何事もなく無事に帰ってこられることはわかっているのだ。

 だけど、怖い。

 僕が感じている恐怖とは、つまりはそういう類のものだった。

 自分の頭はおかしいのだ、と。

 僕は精神に欠陥を持った人間なのだ、と。

 そう告白することが、どうしようもなく、そして途方もなく恐ろしい。

 特に、ハヌにそれをする時のことを考えただけで、全身に怖気が走る。

 前にヴィリーさんに話せた時は、あるいはあの人をハヌほど大切に思っていないから、だったのかもしれない。

 多分きっと――否、間違いなく。

 他の誰よりも。

 ハヌに話すことを、一番恐れているのだ、僕は。

 万が一にも、億が一にも、あの子に拒絶されるかもしれない――そんな可能性が存在するということに。

 ――もしかして、ハヌもそうだったりするのかな……?

 川のほとりへ行ってしまった小さな背中を探すけれど、もちろん見当たらない。

 僕とハヌは、この世界で唯一無二の親友だ。

 でも、僕はハヌのことをよく知らない。

 ハヌもまた、僕のことをよく知らない。

 お互いの認識は、性格的なことを除けば、ルナティック・バベルで〝友達〟になった時から、ほとんど変わっていない。

 僕は一介のエクスプローラーで。

 ハヌは極東の現人神で。

 ――でもそれって、本当に〝友達〟って呼べるのかな……?

 そう思うけれど、ハヌの他に友達のいない僕にそれを判じられるはずもない。ハヌだって、それは同じだろう。

 僕達は互いを〝友達〟だと認識しているくせに、そのどちらもが、肝心の〝友達〟がどんなものかをまったく知らないでいるのだ。

 ――本当に、考えれば考えるほど、知らないことばっかりだなぁ……

 よくもまぁ今まで友達付き合いが出来ていたものだ、と我ながら呆れてしまう。

 いや、逆に考えれば、お互いのことを全く知らなくてもなれるもの――それが〝友達〟なのかもしれない。

 友達は、家族ではないし、恋人ではないし、ましてや夫婦でもない。

 ただ一緒にいて、時間を共有する存在。相手がいればそれだけでよくて、それ以外のものは決して必要ではない。

 そういった意味では、逆説的に、僕とハヌはどうしようもなく〝友達〟であったと言えるだろう。

 しかし。

 ――だからって、それでいいのかな?

 ふと脳裏に過ぎったその疑念をもって、僕は自身の気持ちを知る。

 違う。いいのかな、ではない。

 僕はもう、それだけでは満足できなくなってきているのだ。

 知りたい。

 僕はもっと、ハヌのことを知りたい。

 そして、知って欲しい。

 ハヌにもっと、僕のことを知って欲しい――と。

 そう思うからこそ、現状に疑問を持ち始めたのだ。

「…………」

 二羽の兎をとりあえず余ったロープで縛り付け、同じく余ったペグやポールを利用して小さな檻を作る作業に入る。そうしながら、僕は考える。

 ――話そう。ハヌに、ちゃんと。

 僕のこと。両親のことについて、あの子に知ってもらおう。

 まずはそこからだ。

 無理強いだけは絶対にしたくない。だから、僕からちゃんと話をして、ひとまずはそこで満足しようと思う。

 もしかしたらハヌも色々と話してくれるかもしれないし、逆に、これまで通り話してくれないかもしれない。

 どちらでもいい。ハヌが話したくないことは、やっぱり無理に聞き出すべきではないだろう。だから、その時はすっぱり諦めよう。

 とにかく、僕の事情をつまびらかにする。それだけだ。そこから、始めよう。

「……よしっ」

 決めた――そう意思を固めた瞬間、目の前が、ぱっ、と明るくなった気がした。

 ――じゃあ、ハヌが水浴びから帰ってきたら、ここを中心として半径三百六十メルトルのところに簡易地雷と警報センサーを設置していかないといけないから、一緒にそれをしながら話を……

 と、次の段取りを考え始めた瞬間だった。

 がさっ、と近くの藪から物音が立った。

「――ッ!?」

 全身に電流が走った。痙攣したような動きで飛びのき、ベルトのハードポイントに下げていた黒玄と白虎の柄を掴む。

 間違いない。今の音は人間大か、それ以上の大きさのものが動いた音だった。

 何者かが藪に潜んでいる。

 さっきの大虎みたいな猛獣か。それとも――

「…………」

 ゆっくり、音を立てないよう黒玄と白虎をハードポイントから外し、深紫の光刃フォトン・ブレードを具現化させる。同時に、支援術式〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉、〈フォースブースト〉を五つずつ発動させ、強化係数を三十二倍に。また〈イーグルアイ〉を五つ発動させ、視覚情報を拡張。音がした藪を六つの視点から監視して、どんなわずかな変化も見逃さないようにする。

「――――」

 そのまま十秒以上待っても何も起こらない。

 だが確信がある。物音を立てた何者かは、息を殺して藪の中に潜んでいる――と。それがわかってしまう。

 不思議な感覚だ。ロゼさんやアシュリーさんとの訓練で「気配を察知するのです」と何度も言われていたけれど、これがそうなのだろうか。五感以外の感覚が、あるいはその全てが〝そこに敵がいるぞ〟と警鐘を鳴らしている。

「……そこにいるのはわかってる。出てこい」

 僕は気配だけを頼りに声を出した。

 これで相手が獣だったりしたら、言葉が通じないのだから間抜けな行為ではある。

 しかし、そうではない予感が僕の中にはあった。

 ――ただの獣なら、ここまで気配を殺せない……

 小動物ならとっくに逃げ出しているだろうし、猛獣だったら唸り声の一つぐらい洩らしているはずだ。

 なのに、最初の物音以降は完全なる無音。

 この藪の中にいる何者かは、意図して音を立てないでいるのだ。

「――五秒だけ待つ。それでも出てこないなら全力で攻撃を叩き込む」

 敵か味方かわからないけれど、こう宣言しても出てこないなら敵で確定だ。僕は攻撃術式〈ボルトステーク〉×15を無発声で一斉起動。雷針のアイコンが、僕の前面に水たまりに振る雨の波紋のごとく展開する。

「五、四、三――」

 ゼロになったら躊躇なく発射する。その覚悟を決める。

 なにせ、ここはどことも知れぬ無人浮遊島。しかも現状、僕とハヌだけの【二人ぼっち】。藪の中の人物がロゼさんやフリム、ヴィリーさん達でないなら、それは紛うことなき敵だ。

 容赦するな。

 油断したら死ぬのはこっちだぞ。

「二、一――」

 カウントダウンが進む。

 やはりダメか。出来れば素直に出てきて欲しかったけれど。

 ――だったら、やるしかない……!

 息を吸い、最後のゼロを口にしようとした瞬間、

「――仕方ねぇ、俺も随分と鈍っちまったもんだ」

 藪の中からザラついた声が響いた。

「――っ!?」

 もはや顔を見るまでもなかった。その強烈な印象を刻む特徴的な声音は、未だ耳にこびりついて離れていなかったのだから。

「お前さんみたいな小僧に〝隠形〟を見破られるなんてよぉ」

 ガサガサと大きく藪を揺らし、やがて出てくる大柄な体躯。

「……よう、〝勇者〟の。悪いが邪魔するぜぇ」

 浅黒い肌に、彫りの深い異相。褐色のドレッドロックスに、濃い髭。そして海賊風の出で立ち。

「お前は――」

 考え得る可能性の中で最悪の目が出た――その事実に内心だけで歯噛みしつつ、僕はその名を口にする。

「……〝追剥ぎハイウェイマン〟――ハウエル・ロバーツ……!」

 今ここで一番会いたくない人間――『探検者狩りレッドラム』のリーダーが、そこにはいた。

「おうともよ」

 鷹揚に頷いた大男の眼光が、ギラリ、と剣呑に輝く。





「リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く