リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●4 恐怖の大王






 呆然と未曽有の光景を眺めていた僕達の背後で、不意に硬いノックの音が響いた。

「……失礼します」

 ノックの音からさほど待たずに入室してきたのは、赤金色の髪をシニヨンにまとめた女性――『NPK』のアシュリーさんだった。

 沈痛な面持ち。

 悪いニュースに決まっていた。

「――あ、ちょっ、ちょっとアシュリー! なによコレどうなってるのよ!? なんでハルトがここにいるってバレてるわけ!?」

 アシュリーさんの顔を見た途端、自失から回復したフリムが足早に詰め寄る。

 後ろ手に扉を閉めたアシュリーさんは、眉根に深い皺を刻んだまま、申し訳なさそうに瑠璃色の視線を下に落とす。

 ぎゅっ、と唇を噛み締めてから、絞り出すように謝罪を始めた。

「……申し訳ありません。こちらの不手際です。おそらくですが、我がナイツの一員が、この病院にベオウルフがいることを外部に漏洩させました。外の騒ぎはそのせいです」

「はぁっ!? なによそれ!?」

 端的に告げられたひどい話に、フリムが激昂して声を荒げる。刺々しい声音を受け止めるアシュリーさんは、痛みを堪えるような顔で目を伏せた。

 怒るフリムの気持ちもわかるけど、この場で一番辛い気持ちを抱いているのは多分、仲間の裏切りを報告しなければならなかったアシュリーさんだろう。

「ま、待ってフリム、別にアシュリーさんが悪いわけじゃ……」

「そりゃそうだけど! それぐらいわかってるけどアタシだって! ――ああもう!」

 持って行き場のない苛立ちに、フリムは自分のツインテールを両手で掴んで上下に振る。

「――いえ、部下の不始末は私の管理不行き届きです。そして、大本の原因も我らの団長にあります。フリムの怒りはもっともです。止める必要はありません、ベオウルフ」

 神妙な姿勢で首を横に振るアシュリーさんに、むしろフリムのブレーキが強まった。

「――~ッ! ああもうわかったよ! 八つ当たりしてこっちこそごめんなさい! ちょっと待ってて!」

 鬱憤を発散させるように大声で喚いてから、フリムは深呼吸に入る。すー、はー、と大仰に繰り返すこと数回。

「……っし、落ち着いたわ。んで? 詳しい説明はしてくれるんでしょうね?」

「勿論です」

 まだ底の方で火が燻っているのか、照れ隠しなのか。じろり、とアシュリーさんをねめつけるフリム。一方、〝絶対領域ラッヘ・リッター〟の異名を持つ双剣士は実直に頷いた。

「不幸中の幸い、というわけでもありませんが、既に犯人の目星はついています。現在ジェクトが容疑者を尋問しているところです。まだ推測の域は出ませんが、原因はやはり先程の配信映像でしょう」

「まったく、まさか天下の『蒼き紅炎の騎士団』に獅子身中の虫がいたなんてね。随分と軽率な真似をしてくれるじゃない。【上も】下も」

 直接アシュリーさんに向けているわけではないにせよ、フリムの舌鋒は鋭い。殊更に強調した『上』がヴィリーさんを指していることは言うまでもない。

「……ご迷惑をかけている身です。理解して欲しいとまでは言いません。ですが」

 低く抑えめだったアシュリーさんの声音に、やや尖ったものが混じった。きっ、とまなじりを吊り上げ、フリムを睨み返す。

「ヴィクトリア団長は私達にとって、剣を捧げた主です。同時に、私達はあの方の忠実な騎士であり、剣です。我らが全てを捧げた団長が、部外者にあのような行為をなさったのです。心が千々に乱れるのは致し方のないこと。こちらも非常事態なのです。少しは〝自分達が逆の立場だったら〟とは考えられないのですか?」

 この瞬間、バチッ、と二人の視線の間で火花が散る様子を、僕は幻視した。

「――はぁ? 逆の立場って何よ? うちのハルトがアンタんとこのヴィリーさんにキスするってこと? ないない、あるわけないじゃないそんなの。されて気絶しちゃうぐらいなんだから、自分からした日にはその場で鼻血吹いて悶死するわよ絶対」

 はっはーん、と鼻で笑うフリムに、カチン、とアシュリーさんのスイッチが入る音が聞こえた。

「……そうですね、そういえばそうでした。ベオウルフはその気になれば実に英雄的な行動を取ることのできる御仁ですが、普段はポヤヤンとした女々しい人間でしたね。無意味な仮定でした。今のは忘れてください」

 ――えっと、あの……ちょっと待って? 二人が口喧嘩を始めたのもどうかと思うのだけど、どうしてダメージを受けるのが僕一人だけなのかな? おかしくないかな? フリムもアシュリーさんも攻撃の対象を間違えていないかな?

 と、内心では首を傾げてしまうのだけど、現実の僕は仲裁に入るタイミングを取りあぐねて、狼狽することしかできない。

「あ、あの、二人とも、今は喧嘩してる場合じゃ――」

 ずい、とフリムがアシュリーさんに顔を近付ける。

「はっ、相変わらずのツンデレ堅物女ねぇアンタは。ハルトは可愛い子がお好みみたいよ? たまには美少女らしく可憐に振る舞ってみたらどうなの? もしかしたらアンタにキスしてくれるかもよ?」

 ニヤニヤと明らかに小馬鹿にした態度を見せるフリムに、ずい、とアシュリーさんも生真面目な表情を近付けた。

 がつっ、と音を立てて二人の額がぶつかり合う。

 ――ひぇっ……!?

「はっ、何をわけのわからないことを。そんなことをされた日には私が気絶してしまうではありませんか。その瞬間を思い浮かべただけでも蟻走感を覚えます。イチャイチャするならあなたとベオウルフでやりなさい。このブラコンツインテール」

 いやだからあの、やっぱり僕一人だけが一方的にダメージを受けているような気がするのですが、その……

「――言ってくれるじゃない。っていうか、そういえば前にもそんな呼び方してくれたわよね、ブラコンツインテールって。ええ? ツインテールは自慢だから認めるけど、なによブラコンって……!」

「あなたこそ、誰がツンデレ堅物女ですか。私も堅物なことは認めますが、しかし断じてあなたにデレたことなど一度もありません……!」

 ぐぐぐっ、と額を押し付け合ったまま真っ向から睨み合うフリムとアシュリーさん。どちらも段々と平静さを失い、威嚇する猫みたいに牙を剥き出しにしてしまっている。

 ――このままじゃマズい……!

「――あーもうっ! ストップストップふたりともっ!」

 放っておいたら互いに武器を取り出しかねない雰囲気だったので、慌てて二人の間に腕を突っ込んで引き剥がした。

「い、いまは喧嘩してる場合じゃないでしょっ? ほ、ほら外の騒動! あれをどうにかしないとっ!?」

 空いた隙間に自分の体を突っ込んで、フリムとアシュリーさんの緩衝材になる。ガルルルッ、と唸りを上げる犬みたいな双方に顔を向けて、冷静になるべきだと訴える。

「……ったく、ダメね。今のアタシがアシュリーと話すと、どうしてもヒートアップしちゃうわ。ごめんハルト、アンタに任せた……」

 はぁ、と深い溜息を吐いてフリムが肩を落とす。どうやら熱くなりすぎている自覚はあるらしい。

「……いえ、こちらこそ失礼しました。言い訳にしかなりませんが、私も動揺しているのです……」

 同じく、アシュリーさんも頭が冷えたのか、額に手を当てて俯いた。

 それから、んんっ、と咳払いを一つ。

「外の騒ぎですが、どうやら配信された映像を見た団長のファンが抗議デモを行い、その動きを察知したベオウルフのファンが駆けつけ、病院前の大通りで激突しているようですね。既に自警団本部などにも連絡は入れていますので、後は沈静化を待つだけ――と、ど、どうしたのですか、ベオウルフ……?」

 再び冷静さを取り戻して説明を始めたアシュリーさんが、けれど途中で驚いて僕に声をかけた。

 何故かというと、僕が目を皿のようにして、ぽかん、と口を開けていたからである。

「………………………………え?」

「え? ではありません。私の話をちゃんと聞いていましたか?」

 怪訝そうに眉根を寄せて、アシュリーさんが僕の顔を覗き込む。瑠璃色の瞳に映る僕の顔は、『間抜け』という単語をそのまま形にしたような状態だった。

「え……あ、はい……い、いえ、その……………………えっ?」

「なんですか。気になることがあるのなら、はっきりと言いなさい」

「えっと、その……」

 気のせいだろうか? 僕の耳がおかしくなったのだろうか? それとも頭の方が? だって――

「――い、いま、誰のファンと誰のファンがって……?」

「? ですから、ヴィクトリア団長のファンと、あなたのファンが騒動の中心です。それが何か?」

「……へっ?」

 信じられない単語を詰め込まれて、僕の頭はクラッシュした。

 あなたのファン。

 アナタノファン。

 アナ、タノ、ふぁん。

 ――あー、なんかそういうブランド名のファンとかありそうだなぁ、回る方のファンで……

「……もしかして知らなかったのですか、あなた? 自分のファンクラブが存在しているということを?」

「――へぁッ!?」

 危うく現実逃避しかけた思考に冷水をぶっかけられて、僕は変な悲鳴を上げてしまった。いきなり目の前がスパークしたのかと思った。

 ――【ファンクラブ】!? 僕の!?

「へぇ? あるんだ、そういうの?」

「そこそこ名の売れたエクスプローラーであれば大体は。もちろんフリム、あなたのもありますし、憚りながら私のも存在しています。無論、直接関わってはいませんが」

 心底から感心したような声を出すフリムに、アシュリーさんはてらいもなく応じる。

「……ベオウルフ、あなた自分がどれだけのことをしているのか自覚はなかったのですか? 遺跡のキリ番階層のゲートキーパーを撃破した上に、『ヴォルクリング・サーカス事件』の首謀者を取り押さえたのですよ? さらには先日の決闘です。あなたの名前はとっくに世間に広まっているのですから、相応の自覚を持ちなさいと何度言えば……ベオウルフ? 聞いてますか、ベオウルフ? ベオウルフッ!」

「――はっ!? す、すみません、いまちょっと意識が飛びかけてました……!」

「言っているそばから……」

 アシュリーさんの大声に我を取り戻した僕は、それでも俄かに信じられなくて聞き返してしまう。

「で、でもでもでもっ、そんな、う、嘘ですよ、ほ、本当なんですかっ!? ぼ、ぼぼぼぼぼっぼっぼっぼぼぼぼ「落ち着きなさいってば」ぼふんっ!?」

 動揺のあまり唇の動きがおかしくなった僕の後頭部を、ずびし、とフリムがはたいた。でも僕はすぐに再起動して、

「――僕のファンクラブがあるって!? いやそれ以前にファン!? ファンがいるんですか!? 僕なんかに!?」

 驚天動地である。前代未聞である。古今未曾有である。

 かつては〝ぼっちハンサー〟などと揶揄されていた僕に、ファンなんて、そんな存在がいるわけ――

「何度同じことを言わせるつもりですか。あなたにはそれだけの功績があるのです。何の不思議がありますか。といいますか、なるほどわかりました。あなたはそんなことだから、いつまで経っても自覚が持てないのですね」

 瑠璃色の瞳をジト目に変えて、アシュリーさんが僕を見据える。

「ならその目で御覧なさい。既に耳には聞こえているでしょう。あなたを擁護するために戦う【女性達】の声が」

「ちょっ、えっ、ちょっ……!?」

 アシュリーさんは僕の二の腕を掴んで、力尽くで窓の近くへと連れて行く。

 再び目の当たりにするのは、無数の人々が押し詰め状態で口々に叫んでいる光景。けれど言われてみれば確かに、中心線から右側は男性の比率が高く、左は逆に女性が多いように見えた。

「あちらが団長のファンクラブ連合、ないしはそれに連なる人々です。そしてこちらがあなた、ベオウルフのファンクラブと――フロートライズの市民団体、と言ったところでしょうか」

 アシュリーさんがまずは群衆の右側を指差し、次いで左側を示しながら言った言葉に違和感を覚える。

「フロートライズの市民、団体……?」

 僕がオウム返しにすると、これまたアシュリーさんはつまらなそうに嘆息した。もはや僕の方を見ることもなく、病院前に集まった人々へ視線を向けたまま、

「そうくるだろうと思っていました。もちろんあなただけではありませんが、ベオウルフ、あなたもこの都市を守った英雄なのですよ? 特にあなたを〝雷神インドラ〟や〝雷刃王らいじんおう〟と呼ぶ人々は、別にあなたを弄ぶつもりでそう名付けたわけではありません。『ヴォルクリング・サーカス事件』であなたが空に刻んだ〝Z〟の文字は、避難していた人々にとってはまさに【救いの光】だったのです。だから『雷の神』と書いて〝雷神インドラ〟と、あなたをそう呼ぶのです」

「…………」

 それはまさに、不意打ちと言う他なかった。

 ファンクラブの存在を知った時とは別種の驚きが、僕の胸を占めていた。

 いや、正直に言うと、鼻の奥がツンと痛んで、涙が込み上げてきていた。

 ずっと悔やんでいたのだ。

 あの時、僕は何の役にも立たなかった――ずっとそう思っていた。

 何もかもが終わった後、ハヌに泣きつきながら、僕は誰も救えなかったことを激しく後悔した。

 あの死体の山は、自分の力不足が招いた結果だと。

 自分は結局、誰も助けることができなかった、と。

 だけど――そうじゃなかった。

 そうじゃなかったのだ。

 僕が知らなかっただけで、僕は誰かを救えていたのだ。

 神様と、そんな大仰な名前をつけてぐれるぐらい、誰かに感謝されるようなことをしていたのだ。

 こうして、僕を擁護するために集まってくれるほどに――

 そう思った瞬間、得も言えぬ感情が胸を衝き、喉が詰まってしまった。

「まぁ、それでも女性比率が高いのはあなたが男性だからでしょうか。しかし、これでよくわかったでしょう。ベオウルフ、あなたの味方は、あなたが思う以上に多いので、す……よ……?」

 不意にこちらを振り向いたアシュリーさんの語尾が、尻すぼみで消えていった。やがて、瑠璃色の双眸が軽く見開かれ、驚きを露わにする。

「な……何を泣いているのですか!? い、今の話に泣く要素が一体どこに……!?」

 猿から生まれたエイリアンでも見たようにアシュリーさんが慄き、震える。

「な、何か気に障ることを言ってしまったのであれば謝罪します、しかし今の話のどこで――」

「ご、ごめんなさ、い、ぼく……えっと、その……!」

 顔を蒼くして狼狽するアシュリーさんに、僕は慌てて目尻に溜まっていた涙を服の袖で拭う。それから、無理矢理にでも笑顔を浮かべて、

「な、何でもないです、何でもないので、気にしないでください。僕こそごめんなさい」

「し、しかし、私は何か悪いことを言ってしまったのでは……?」

「ち、違います違いますっ! そんなことはないので、気にしないで――」

 必死に両手を振って否定していたところ、病院前の群衆から一際大きな声が上がった。

『いたぞ! ベオウルフだ!』『マジか!? おお本当だー!』『出てこいこの野郎!』『かかってこいやぁーっ!』『俺たちのヴィリー様からうらやましいことされやがって!』『ぶっ殺してやるッ!』

 どうやら窓際にいるところを見つかってしまったらしい。

 僕から見て右側の集団、ヴィリーさんのファンが昂るのと同時に、

『そんなのただの嫉妬でしょーが! 何を偉そうに言ってんのよ!』『おお雷神様じゃあ! 拝め拝め!』『剣嬢から無理矢理キスされたんだから、あの子は悪くない!』『逆恨みは醜いぞ男どもー!』『俺はお前になら抱かれてもいいぞー!』『きゃー! ベオ君こっち向いてー!』『あたしを見てー!』『俺達はお前の味方だぞ、ベオウルフー!』

 左側、アシュリーさん曰く僕のファンの方々とフロートライズ市民のみなさんとが、反論したり応援の声を上げてくれたりする。

 ――うん? なんかいくつか変な声も混じっていたような……?

「あーあー、大騒ぎねぇ……コレ、本当に収拾つけられるの、アシュリー?」

 僕の肩越しに強まった騒動を眺めやりながら、フリムがアシュリーさんに問いを投げかける。

「ええ、いまヴィクトリア団長自ら都市長に掛け合って、自警団を動かしてもらっています。時間的にそろそろ到着するはずなのですが……」

 気まずそうにアシュリーさんが言葉を濁した、その瞬間だった。

 突然、ズグン、と凄まじいまでの異物感が胸を圧迫した。

「――!?」

 冗談抜きで、誰かに心臓を鷲掴みされたかと思った。

 それほどの衝撃だった。

 一瞬だけ、完全に息が止まる。

「な――に、これ……!?」

「これ、は……!?」

 フリムもアシュリーさんも同じ感覚を得たらしい。僕らは三人して両手で胸元を押さえ、各々の顔を見合わせる。

 エクスプローラーなら、この感覚には覚えがあるに決まっていた。

 術力アルターフォースだ。

 術式を発動させる際、フォトン・ブラッドから抽出される現実改竄のエネルギー。

 一体どこからなのか、それがとんでもない規模で放出され、距離を超えて僕達の身体を圧迫したのである。

「ま、さか……!?」

 心当たりしかなかった。

 そもそも自己の内側にある術力を察知するのが精々で、他人のそれなんて滅多に知覚することなどない。

 その出力を他人に感知させるだけでも珍しいのに、ここまで強力な術力とくれば、思い浮かぶ候補なんて一人しかいなかった。

「ハヌ……!?」

 術力の【波動】は窓の向こうから流れてきたように思え、僕は窓枠から身を乗り出して彼女の姿を探す。

 気付けば、病院前で騒いでいた群衆も水を打ったように静まり返っていた。

 そして、誰もが大通りの向こう――僕から見て前方、人々から見て後方へ顔を向けていた。

 僕はその方角へ目を凝らし――果たしてその小さな人影を見つけた。

「こ、これが小竜姫の……!?」

 今朝一緒に戦ったはずのアシュリーさんですら驚愕を声に載せ、息を呑む。

 さもありなん。一番付き合いが長いであろう僕でさえ驚く規模の術力なのだ。あの合体ゲートキーパーを一撃で葬った術式の時と比べても、軽く百倍以上の術力を扱っているのではなかろうか。

 まったく、ハヌの力は本当に底が知れない。

 手で触れそうな存在感――というのはいつか修辞表現で使った言葉だけど、今この瞬間、この場に満ちている術力は、比喩ではなく本当に物理的な力を伴っていた。

 とても人間が放つスケールではない。

 しいて喩えるなら、ドラゴン――それも伝説の『皇帝類カイゼル』であれば、これほどの存在感を放つであろうか。

 そう。彼女は誰あろう、極東の現人神。その力が人間の枠内に収まるはずもなかったのだ。

 今、この場にいる全員が感じているもの――それは紛れもない、〝怪物〟の気配だった。

「ど、どうしてこんな……!?」

 僕は〝SEAL〟の視力補正機能を使って、群衆の向こうに立つ人影をズームアップした。それでも離れすぎていて詳細はわからないが、横に並んで立っている人影は二人。きっと小さい方がハヌで、大きい方がロゼさんだろう。

 二人は手を繋いで、ゆっくり病院に向かって歩いて来ていた。

 何のてらいもない動きだ。そこにある人の群れなどまるで見えていないかのように、変な言い方だけど【普通】に歩いている。

 やがて、群衆とハヌとロゼさんとの距離が縮まってくると、それに合わせて、見えない手で押されるようにして人混みが左右に分かれ始めた。

 当然だ。ハヌが近付くにつれ、その身から溢れる術力の影響はいや増す。

 これだけ離れているのに、心臓を直で握られているかと思うほどの圧力なのだ。至近距離にいたら、それこそ内臓が破裂してしまいそうな感覚を覚えるに違いない。とてもその場に留まれるものではなかった。

 ハヌとロゼさんが歩を進める都度、タイミングを合わせたように人の海が割れていく。そこにいるのが猛獣か何かのような反応で、誰もが顔を蒼褪めさせ、強張らせている。

 一方、外套をすっぽり被ったハヌの表情は杳として知れず、ロゼさんはやはり仮面をつけたかのように無表情のまま。何事もないかのごとく悠然と進んで、こちら――病院へと向かってくる。

「…………」

 僕もフリムもアシュリーさんも、あまりのことに言葉もなかった。

 ハヌとロゼさんはそのまま、誰に邪魔されることなく二分された人垣の間を通り抜け、病院の門前まで辿り着いた。

 が、ピタリ、とそこで立ち止まる。二人申し合わせたように。

『――?』

 無言のまま進行したこの状況で、きっと誰もが疑問に思ったことだろう。

 これまで周囲を完全に無視して歩いていた二人が、ここで足を止めた理由を。

 その答えはしかし、次の瞬間には知れる。



「 ここで何をしているか 下郎ども 」



『――!?』

 静かな、だけど濃密な言霊の籠められた強い声が響いた。

 今、この数キロル圏内の大気はハヌの術力で満ちている。そんな空間で言霊を籠めた声を放てば、通常より反響し、聞いている者の精神へ直接干渉するに決まっていた。

 異様な事態に、人々が一斉にどよめく。距離に関係なく、頭の中に直接声が響いたのだ。驚くのも無理はなかった。



「 何をしているのかと聞いておる 」



 繰り返し響いた重苦しい――もはやハヌのものとは思えないほどの――声に、騒ぎかけた群衆が再び押し黙った。

 得体のしれない恐怖が、皆の喉の奥に詰まったのだ。



「 ここをどこと心得る 」



 外套を被った小さな影が、背中に時を溜めるようにして振り返った。

 たったそれだけの動きで、尖った恐怖が電流のように一斉に広がるのを感じた。

 怯えている。

 客観的に見れば、どう見ても子供でしかない小柄な影に、この場にいるほとんどの人間が、肌が粟立つほど慄いていた。



「 く去ね ここは貴様らの来るところではない 」



 言葉を重ねるごとに、ハヌの全身から溢れ出る術力の量が増えていく。それがどこか、高まっていく彼女の内圧を表しているように思えて、更なる怪物が目覚めようとしていることを予感させた。

 だが、誰も動かない。

 否、動けないのだ。

 蛇に睨まれた蛙のごとく、誰もが体を硬直させて息を詰めている。ハヌの放つ術力――あまりにも膨大な【存在感】に呑まれてしまっているのだ。

 しばらくの間を置いてから、ハヌが再び口を開いた。



「 よかろう それほどまでに消し飛ばされたいか 貴様ら 」



 怒りも露わな声音だった。



「 そういえば誰ぞが言っておったな 〝ぶっ殺す〟と 」



 まだ尽きないのか――そう叫んでしまいたくなるほど、さらにハヌの術力が膨れ上がっていく。

 今やその濃度は吐き気を催すほどだった。



「 ここにおるのは妾の唯一無二の親友じゃ 知ってか知らずか それを〝ぶっ殺す〟とはよくも言えたものじゃな 」



 今更のように両手で耳を塞ぐ人も現れ始めるが、無駄だ。

 言霊は距離を超える。物理的な障害など存在しないに等しい。



「 【殺す】と口にしたからには よもや【殺される覚悟】もなく ここへ来たとは言わせぬぞ? 」



 外套の下から小さな手が現れた。

 短くて細い指が複雑な印を組み、そして――



「 ラトの敵は 妾にとっても敵じゃ よって――妾みずから貴様らを〝ぶっ殺して〟くれようぞ! 」



 勢いよく啖呵を切ったのと同時、ハヌの全身からスミレ色の輝きが迸った。

「あっ、ちょっ――!?」

 流石に素で声が出た。思わず意味もなく窓の外へ腕を伸ばす。

 こんなところでハヌの術式が発動したら、本当に冗談じゃ済まなくなる――!

 だが、当たり前だけど届くはずもないし、間に合うはずもなく。

 巨大すぎる術式アイコンが一瞬で展開した。

 それが大空を覆い尽くし、フロートライズ全体を傘下に置いた瞬間、

『う――うわあぁああああああああああああああああああああああああッッ!?』

『きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――ッッッ!?』

 とうとう悲鳴が上がった。

 最初の数人がきっかけとなって、そこから一気に連鎖崩壊が引き起こされた。

 あんなに密集していたというのに――偶然の賜物だと思うけど――よくもここまで統制の取れた動きが出来たものだ、と感心してしまう。

 変な言い方だけど、ある意味整然と、しかして蜘蛛の子を散らすかのごとく、病院前に陣取っていた人々は潰走を始めた。

 こうなっては敵も味方も関係なかった。

 僕に悪意を向けに来た人も、反対に擁護に来てくれた人も、そんなことは忘れたように逃げ惑っていた。

 さーっ、と潮が引くようにして病院前の大通りから人の姿が消えていく。

 三十秒も経った頃には、ぽつん、とハヌとロゼさんだけ残して、そこには無人の空間が広がっていたのだった。





「まったく情けない!」

「はい……」

 自警団の到着を待つことなくデモを蹴散らしたハヌの一喝に、僕は首をすくめて相槌を打つ。

 場所は僕が運び込まれた病室、そのベッドの上である。

 僕とハヌはその上でお互い正座で向かい合っていた。

「おぬしは一体何度同じことを繰り返せば気が済むのじゃ! 女人に触れられるのがさほどのことか! いい加減慣れるのじゃ、ラト!」

 外套を脱ぎ捨て、ご自慢の典雅な着物姿を露わにしたハヌは、腕を組んで厳しく僕を叱責する。

「な、なんというか……うん、本当に仰るとおりで……」

 返す言葉もございません。

 病院前に押し寄せていた人波を退散させた後、返す刀でこの病室まで戻ってきたハヌは、僕が目覚めているのを見るなり、

「そこへなおれ、ラトぉ!」

 さらなるキレっぷりを披露したのである。

 どうやら僕がヴィリーさんのキスで二度目の昏倒をしたことが、相当気に喰わなかったらしい。

「そもそもじゃ! おぬしにも隙があるのが悪い! ヴィリーの女狐めがなんぞ仕掛けてくることなど自明であったろうが!」

 ピクッ、と僕の左側で尖った気配が立つのは、敬愛する上司を『女狐』呼ばわりされたアシュリーさんだろうか。

 現在、彼女とフリム、そしてロゼさんはベッド脇に折り畳み椅子を並べて、僕がハヌに怒られている光景の観客となっていた。

「ラト、おぬしはあやつを超えた世界一の剣士になるのであろうが! それがあの様に軽くあしらわれていてどうするのじゃ!」

 怒髪衝天しているハヌは、歯に衣着せぬ物言いでビシバシ正論の鞭を振り下ろす。

「はい……ごめんなさい……」

 まったくもってハヌの言う通りなので、僕はしょんぼり項垂れて、謝ることしかできなかった。

 時折、ぷっくく、と笑いをこらえきれずに噴き出したような声が聞こえてくるのは、絶対にフリムだ。間違いない。

 憤懣やるかたないハヌの小言は、それからもクドクドと続く。

 やれ、やはりおぬしには精神鍛錬が必要じゃ――と。

 やれ、せっかくの才能がもったいなかろう――と。

 やれ、何より腹が立つのはあのヴィリーめの態度じゃ――と。

 やれ、明日相まみえた時には〈エアリッパー〉で消し飛ばしてくれる――と。

「――いやいやいやいや、それはやりすぎだからねハヌ!?」

 お小言が徐々に愚痴へと変わっていき、しまいには物騒なことを言い出したので僕は慌てて制止をかけた。

 エクスプロールする前に仲間割れするなんて、とんでもない話だ。

 しかし身振り手振りを交えて待ったをかけた僕に対し、カッ、とハヌの金目銀目から二色の火花が飛び散った。

「なにがやりすぎじゃ! あやつは妾の親友をわざと気絶させたのじゃぞ! 相応の報いを受けて当然じゃ!」

「そ、それはその……確かに、アレがわざとだったのは僕も間違いないと思うけど……」

 耳に蘇るのはヴィリーさんの囁き声。

『――だから早く私のモノになりなさい、ラグディスハルト』

 思い出しただけでも背筋がゾクゾクした。

 だけど、ふとした拍子に疑問が脳裏をよぎる。

 ――あれは一体どういう意味だったのだろうか?

 単純に、腕利きのエンハンサーとしての僕が欲しい、という意味なのだろうか。

 それとも、まさかとは思うけれど、一人の男として――

「――ラトぉ?」

「ひょえっ!?」

 ふと思索にふけりかけた瞬間、気付けば目と鼻の先までハヌの顔が近付いてきていた。

 ぺたり、と両の頬に温かい感触。急接近してきたハヌが両手で僕の顔を挟み込んだのだ。

 蒼と金のヘテロクロミアが、僕の内心を探るようにジト目を向ける。

「……おぬし、いま妾の声を無視して考えごとをしておったな?」

「うぇっ!? そ、そんなことは――」

 バレてた!? と図星を指された僕は、慌てて否定しようとして、

「――あります……ごめんなさい……」

 結局はその愚を避ける。

 ハヌに嘘はつけない。ついちゃいけない。

 僕は素直に目を伏せて謝った。

 すると、ふぅ、とハヌは嘆息する。

「まったく……こうして妾が触れたときは何ともないくせに、何故にあの女狐じゃとおぬしはおかしくなるのじゃ?」

 ぺしぺし、と片方の手で僕のほっぺたを軽く叩きながら、ハヌは不思議そうに首を傾げる。

「お言葉ですが小竜姫、それはあなただけの特権です。私もそうですが、フリムさんが抱きついた時も、ラグさんは挙動不審になることが確認されています」

「ほ? そうなのか?」

「ロ、ロゼさんっ!? な、何を言って……!?」

 出し抜けに話に入ってきたロゼさんにハヌが振り返り、僕はおかしな方角に話が逸れたことに焦る。

 そこへ、悪魔フリムが食いついた。

「あ、そういえば、アタシが『昔みたいに一緒にお風呂入る?』って聞いた時も顔真っ赤にしてたもんねぇ、アンタ?」

 にまぁ、と絶好の獲物を見つけた悪魔そのものの笑みでとんでもないことを宣うフリム。

 ――わっ、ちょっ!? なんでこんな時にそんな話を……!?

「――ふ、ろっ!?」

 と、驚きの声を上げたのは――しかし僕ではなく、何故かアシュリーさんであった。

「……えっ?」

 呆気にとられる。

 ヴィリーさんに送るメッセージを作成していたアシュリーさんが、居眠りが見つかった学生のような動きで顔を上げ、しかもおかしな声を出したものだから、全員の視線が自然と彼女に集中してしまう。

 常の鉄仮面のような表情はどこへやら、熟したイチゴのように真っ赤な顔がそこにはあった。

「? どうしたのよアシュリー?」

 すぐ隣に座っているフリムが、さっきまでの展開を忘れたように素で問いかける。

 すると、バッ、と鋭い衣擦れの音を立ててアシュリーさんがそちらに振り返った。

 そして、

「あ――あなた達は一緒に風呂に入る仲だったのですか!? 本当の兄弟でもないのに!?」

「え、そこなの?」

 これまたフラットなテンションで聞き返すフリム。

「け、結婚前の男女が風呂を共にするなどあり得ません! それも、歳の近い男女二人が!」

 見た目の印象通り実に生真面目なことを言い出したアシュリーさんを、フリムは軽く笑い飛ばす。

「なによ大袈裟ねぇ。子供の時ぐらい、男女なんて関係なくお風呂入るでしょ? ほら、アンタのところのユリウス君? あの子とかどうなのよ。一緒にお風呂入ってあげたりしてないの?」

 なんだったらアタシが一緒に入ってあげてもいいんだけど――という心の声が聞こえたような気がするけど、それはスルーしておこう。前にも言った通り、フリムは両性愛者であり、男女関係なく可愛い子や美人には目がないのだ。

 アシュリーさんはただでさえ真っ赤だった顔をさらに紅潮させて、猛然と反論する。

「あげたりするわけないでしょう! ユ、ユリウスはもう子供ではないのですよ!? 一緒に入っていたのは去年までの話です! 今はもう別々です!」

 びっくりした。語るに落ちるとはまさにこのことだった。

「――……ッ!?」

 思いっきり断言した直後に気付いたのだろう。アシュリーさんは額をデコピンされたみたいに、ハッ、表情を変えた。

 だけど、悪魔フリムが今の失言を見逃すはずもない。

「――あら? あらあら? あらあらあらぁ?」

 出た。ものすごいいじめっ子なオーラ。わざとらしく口元を掌で隠して、フリムは興味深そうにアシュリーさんの顔を覗きこむ。長いツインテールがその心情を表すように、ピョンピョン、と小さく跳ねる。

「なによアンタ、人のこと言えないじゃな~い♪ あんな小さい子と一緒にお風呂に入ってただなんて、イケナイお姉ちゃんねぇ~?」

 プークスクスクスといやらしく笑うフリムに、アシュリーさんは椅子を蹴って立ち上がる。

「ち、ちがっ――違います! なにを破廉恥なことを考えているのですか! 去年までのユリウスは性的興味を持たない純粋無垢な子供だったのですよ!? 一人で風呂に入れないと言っていたのですから世話係だった私が一緒に入るのはごくごく自然なことで少しもおかしくはありませんっ!」

 力説である。顔を真っ赤にして汗をかきながら必死の抗弁である。だけど握った拳の力強さとは裏腹に、痙攣したように震えている頬肉や、逃げ惑うように宙を泳ぐ目が、その説得力を台無しにしていた。

「へぇ? 性的興味を持たない子供【だった】? じゃあ今は、その性的興味を持つようになっちゃったから別々で入るようになったんだ? ねぇ、いつ? いつユリウス君からエッチな目で見られているって気付いたわけ?」

 ニマニマと底意地の悪い笑みを浮かべて、フリムは上目遣いで根掘り葉掘り聞き出そうとする。

「――~ッ!?」

 さらなる失言に気付いたアシュリーさんは言葉にならぬ声を発し、全身をブルブルと震わせた。

 多分、そこが【傷跡トラウマ】だったのと思う。

 去年まで一緒にお風呂に入るのが当たり前だったユリウス君から、ふと気付けば受け慣れない視線を向けられていた。アシュリーさんとしては、それはとてもショックなことだったのだ。

 だから、僕とフリムが小さい頃一緒にお風呂に入っていた話に過敏に反応してしまった――のだろう。多分。

「――ふむ。風呂、か……」

 アシュリーさんへの助け舟、というわけでもなかろうが、このタイミングで僕の前にいるハヌが、ぼそり、と小さく唸った。

「? どうしたの、ハヌ?」

 今の話のどこに反応したのだろうか。僕が尋ねると、じっ、と蒼と金のオッドアイがこちらを見た。

「……ラト。妾は前々から、おぬしには精神鍛錬が必要じゃと口を酸っぱくして言ってきたであろう?」

「う、うん……進歩が遅くてごめん……」

「いや、今は責めておらぬ。謝るでない」

 お説教する時とそうでない時は切り分けているらしいハヌは、しょんぼりする僕の頬を優しく撫でてくれた。

「じゃが、おぬしの女人への免疫の無さはやはり看過できぬ問題じゃ。考えてもみよ。先日の決闘、もしロムなんとやらが女だったとしたら、おぬしはどう戦った?」

「お、女の人だったら……?」

 思いも寄らぬ問いを投げ掛けられて、僕は困惑する。

「ラト、おぬしは手心を加えることなく戦えたか? あやつを殺すことに、躊躇いを覚えることはなかったか?」

「そ、そんなこと言われても……」

 ハヌが言うところ『ロムなんとか』ことロムニック・バグリーは、言っては何だけどひどい性格の持ち主だった。自分で言うのもどうかとは思うけれど、気の弱い僕が、それでも本気で怒って、全力で暴力を振るってしまったほどである。

 ――でも、もし彼が【女性】だったら、僕はあそこまでやれたのだろうか……?

 ちょっと考えてみるけど、とんと要領を得ない。

「え、えと……?」

 これは根本的な問題だ。

 どうしても【女になったロムニック】というものが想像できないのである。

 そのおかげでイメージが漠然としてしまい、上手く言葉にすることが出来なかった。

 中空に視線を彷徨わせて黙り込む僕に、ハヌが苦虫を噛み潰したような顔をする。

「……ならば、ヴィリーならばどうじゃ? おぬし、あやつを超える剣士になるのであろう? であれば、いずれあやつとも戦い、打ちのめさねばならぬぞ。その時は容赦なく戦えるのか?」

「ヴィ、ヴィリーさんと……!?」

 さらに夢にも思わなかったことを言われ、僕は心底仰天した。

 しかし、同時に深く納得もする。

 そうか。ヴィリーさんは剣号を持つ剣士。いわゆる『剣士』という枠組みの中では最強の一角だ。

 いつかハヌに言われた言葉が脳裏をよぎる。

『ならばの、ラト。おぬしは強くなれ。三分だけでなく、いついかなる時も最強の男になるのじゃ。それこそ、あの剣嬢ヴィリーをも超える世界一の剣士にの』

 ヴィリーさんをも超える、最強の剣士。

 もし、と仮定しよう。

 もし、いつかの未来。僕が本当にそうなった時、世界一の剣士になった時――それを証明する方法は、たった一つしか存在しない。

 それは――ヴィリーさん本人と戦い、そして打ち勝つことだ。

 けれど、僕はつい先日のことも合わせて思い出す。

 ヴィリーさんに連れられて行った、スポーツチャンバラでの出来事を。

 あの時、僕は本気で戦えていただろうか?

 圧倒的な力量差があることは無論わかっていた。でも、それは些細な問題だ。

 当時の僕は、それでも勝つ、という強い意志を持って、あの試合に臨んでいただろうか?

 ――答えは否だ。僕はたとえ安全なスポーツチャンバラであろうと、ヴィリーさんに勝てるとは微塵も思っていなかった。

 むしろ――負けて当然、そんな考えがどこかにあったように思う。

 言い訳にしかならないが、それほどヴィリーさんの剣の冴えは凄まじかったのだ。

 たとえ支援術式を最大まで使って〝アブソリュート・スクエア〟へ移行しようとも、なお勝てる気がしなかったほどに。

 だけど――それじゃダメなのだ。

 あの時、僕は『勝ってみせる』と思わなければならなかったのだ。

 その意志を持たずして辿り着けるほど、【最強】の座は甘くない。

 そして、もし――そう仮に、もしヴィリーさんが〝男性〟だったら、僕はどう考えていただろうか。

 勝ちたいと――いや、そこまでいかずとも、せめて一矢報いたいと、そう思っていたのではなかろうか。

 ヴィリーさんが〝女性〟でなければ。

「…………」

 結果として、ハヌの質問に、僕は沈黙を返すことしか出来なかった。

 はふぅ、とハヌは困ったように深い溜息を吐く。

「……やはりの。思った通りじゃ。ラト、おぬしは女に甘すぎる。妾が言うのも何じゃが」

 左の頬に触れていた手が離れ、僕の頭上へと移行した。ポンポン、と軽く叩いてから、犬の毛並みを整えるかのような動きで撫で始める。

「おぬしのその優しさは美徳じゃ。事実、妾もロゼもそれに助けられたと言っても過言ではなかろう」

 褒めてくれてはいるけれど、その声は硬い。きつい言葉の前振りであることは、なんとなく察せられた。

「じゃがの」

 予想通り、逆接続詞が紡がれる。

「敵にまで向けてしまうのであれば、それは〝優しさ〟ではなく〝甘さ〟じゃ。長所が反転して弱点にもなり得る、危うさの大元じゃ。是が非でも矯正せねばならぬ」

 真っ直ぐ僕の目に射込まれるのは、ハヌの真剣な眼差し。

 心から、僕のことを心配してくれている瞳だった。

「のう、ラト。はっきり言うてしまうが、おぬしは〝甘い〟。特に女人が相手となるとそれが顕著じゃ」

「う、うん……」

 ハヌの言うことはもっともだ。だから僕も素直に頷くしかない。

「その〝甘さ〟はいずれ命取りとなろう。特に敵が女人で色仕掛けでもされようものなら、おぬしはひとたまりもないはずじゃ」

「う、うん……」

 ハヌの言うことはもっともだ。だから僕も素直に頷くしかない。

「なればこそ、おぬしはその〝甘さ〟を克服せねばならぬ。相手が誰であろうと、変わらず戦う意思を継続できるようにの」

「う、うん……」

 ハヌの言うことはもっともだ。だから僕も素直に頷くしかない。

「よし。ならばラト、おぬしは今宵、妾とともに風呂に入るのじゃ」

「う、うん……えっ?」

 ハヌの言うことはもっともだ。だから僕も素直に頷くしかな――

 いわけなど全然なかった。

「――ぇえええええええええええええええええええっっっ!?!?!?」

 思わず大声を上げてしまった。

 理解不能な言葉を捻じ込まれた脳みそが大量のエラーを吐き出す。

「な、なんて!? 今なんて言ったのっ!?」

「これ、大きな声を出すでない。ただ妾と風呂に入れと言っただけじゃ」

「なななっ、なななななななんでぇぇぇぇっ!?」

 混乱の坩堝に叩き落とされた僕とは正反対に、ハヌは何でもなさそうに普通に受け答えする。僕にはその落ち着きの理由がさっぱりわからない。

「いやまって!? まってハヌちょっと待って!?」

「待っておる。急いでもおらん。おぬしこそ落ち着け」

「な――なんでそうなるの!? どうして僕とハヌが一緒にお風呂入るって話になるの!? 僕それがわからないんだけどっ!?」

「じゃから言うたであろう」

 呆れたように吐息してから、ハヌは言い含めるようにして告げる。

「ラト、おぬしは女人に対する免疫を付けねばならぬ。つまり、女に触れられることに慣れなければならぬということじゃ。わかるか?」

「う、うん、そ、それはわかるよ!? そこは納得だよ!?」

「であれば、まずは刺激の少ないところから反復して、徐々に慣れていくしか手はあるまい。そうであろう?」

「そうだね!? 確かにそうだね!?」

「ならば、まずは妾と風呂に入るところから始めればよい」

「まってぇぇぇぇぇぇぇっ!? いますっごい勢いで話が飛躍したからぁぁぁぁ――――――――っっ!?」

 三段論法っぽく説かれたハヌの超理論に、僕の理解がまるで追いつかない。

「まったく、ここまで言ってもまだわからぬのか」

 困った奴よのぅ、みたいなノリで肩を竦めるハヌに、僕は宇宙人でも見るような目を向けてしまう。

「ラト、今のところおぬしが触れられても問題ないのは妾だけであろう? ほれこの通り、かようにくっついておいてもおぬしの挙動はおかしくなっておらぬ」

 ぺたぺた、と僕の頭や顔を触った後、さらに顔を近づけて、こつん、と額と額をくっつけたりもする。

「う、うん……それはだって、ハヌだし……」

 普段から手を繋いだり、座る時には膝に載せたり、場合によって抱き上げたり背負ったりもしているのだ。今更この程度のスキンシップでドギマギするほど、僕も初心ではない。

 くふ、とハヌが嬉しそうに笑う。

「であろう? 従姉妹のフリムとくっついても赤くなるおぬしじゃ。ラトと一番親密なのは、唯一無二の親友たるこの妾で間違いない。故に、まずは妾から慣れるのが一番であろう。違うか?」

「な、なるほど……なの、かな……?」

 確かにハヌの言う通りではある。世界中探しても、今の僕がぴったり肌をくっつけあっても問題ないのは、きっとハヌだけだ。

 でも――

「――だ、だからと言って、一緒にお風呂はやりすぎだと思うんだけどっ!?」

 そうだ、そこに尽きる。

 お風呂である。

 入浴である。

 裸の付き合いなのだ。

 確かに僕達の拠点ベースであるマンションには、無駄かと思えるほど豪華なバスルームがついている。二人どころか三人、いや四人で入っても余裕があるだろう。

 だからと言って――いやいや、違う、そうではない。

 この話は、可能か不可能かの問題ではなく――

「? 何故じゃラト。おぬしは、そんなにも妾と風呂に入るのが嫌なのか?」

 キョトン、と首を傾げて無邪気に聞いてくるハヌに、僕は眼を剥くしかない。

 わかってない、この娘は自分が言っていることの重大さをまったくわかっていない。

「い、いやだから、嫌とかそういう問題じゃなくて――!」

 僕とハヌの間に渡っている大きな溝。それを埋めようと言葉を尽くそうとしたところ、

「――なるほど。それはいいアイディアです、小竜姫」

「へっ?」

 ロゼさんが実に真面目ぶった口調で同調した。反射的に振り返ると、やはりそこには仮面のように真面目な表情があった。

 琥珀色の瞳が、じっ、とこちらを見据える。

「ラグさんの女性への免疫のなさは私も危惧しておりました。これまでも私との鍛錬において躊躇が見られましたし、それは先日のヴィリーさんとアシュリーさんを交えたものでも見受けられました。敵に回るのがいつも男性とは限りません。女性対策はいずれしなければならないと私も思っておりました」

 ロゼさんは僕の格闘技における先生だ。当たり前だけど、組み手の際に抱くわずかな躊躇いを見抜かれていたらしい。

「ですので、小竜姫の案に私も賛成です。小竜姫に慣れた後は、私とも一緒にお風呂に入りましょう」

「だからなんでそうなるんですかぁぁぁぁぁ――――――――っっっ!?!?!?」

 終始真面目ぶった調子で話すものだから、てっきりハヌを止めてくれるものと思ったのに――!

「あ、ちょっと待ってよロゼさん。それだと順番がおかしいわ。親密度の段階で言ったら、小竜姫の次はアタシじゃない?」

「フリムまで何言ってるのぉう!?」

 加速度的にややこしくなってくる事態をさらに混沌とさせんとする幼馴染みに、僕は頭をめちゃくちゃに掻き回したい思いで抗議する。

 にゃは、と楽しそうに笑った自称『お姉ちゃん』は、隣で赤くなってそっぽを向いているアシュリーさんに向かって、

「あ、それじゃロゼさんの次はアシュリー、アンタが適任なんじゃない?」

「「なぁっ――!?」」

 予想外すぎる発言に、僕とアシュリーさんの驚愕の声が重なった。

「あ、あななな、あなったっ!? あっあなたっフリムっあなたはなにをっ一体なにをっ……!?」

 アシュリーさんは動揺している。普段の鉄仮面の面影は微塵もなく、そこには初心な乙女な姿があるだけだ。

 その様子をニヤニヤ笑いながら見つめるフリムの目は、さながら翅をもいだ蝶の様子を眺める悪童のそれだった。

「なぁに恥ずかしがってるのよ、別に初めてってわけでもないんでしょ? ユリウス君とは最近まで一緒に入ってたわけだし、ハルトと大差ないじゃない。それにほら、こないだのシャワーし「「わぁああああああああああああああああああああ――!?」」

 フリムがクリティカルなことを口走ろうとしたので、再び僕とアシュリーさんの悲鳴が重なった。

 シャワー、あたりで大体のことは察せられたのだ。

 彼女が口を滑らせようとしたのは他でもない、件の『開かずの階層』であった悲しい事件の一つである。

 僕が勘違いをして、フリムとアシュリーさんの入っているシャワー室へ飛び込んだという――あの忌まわしき記憶。

 みんなには黙ってる、って約束したはずなのに。

 ――ダメだこのフリム、早く何とかしないと……!

 この時、僕とアシュリーさんの思いは完全に同調シンクロしていたに違いない。アシュリーさんがフリムに向けている視線と同質のものを、僕も向けた。

 途端、危うく失言するところだったことに気付いたのだろう。『あ、やばっ』という感じで口元を手で隠し、てへっ、と笑うフリム。

 誤魔化されるものか。後でアシュリーさんにちゃんと説教してもらおう――そう僕は心に誓う。

「――と、とにかく! 嫌とかそういう話じゃなくて、ダメ! 絶対にだぁーめっ!」

 僕は胸の前で両腕をクロスさせ、バツ印を作った。

 そりゃ僕だってハヌのことは大切な親友だと思っているし、変な距離は取りたくない。それに、この提案だって僕のことを思ってのことだということは、痛いくらいにわかっている。

 でもそれより以前に、僕は男で、ハヌは女の子なのだ。

 いくら歳が離れていて、ハヌが子供だと言っても、引くべき線は引かねばならないのだ。

 少なくとも僕は、祖父母からそのように育てられたのである。

「……なぜじゃ? なぜ、だめなのじゃ……?」

「……えっ……?」

 出し抜けに湿った声を聞かされて、僕はいつの間にか閉じていた瞼を開く。

 目の前に、今にも泣きそうなハヌの顔があった。

「うぇっ!? ど、どうして泣いてるのハヌ!?」

「おぬしは……ラトは……そんなに、いやなのか……? わらわと、ふろにはいるのが、さように、たえがたい、ことなのか……?」

 ちっちゃな体がプルプルと震えている。それは僕の頬や頭に触れている手からも如実に伝わってくる。

 ハヌは泣き笑いの表情で、

「……もしや、わらわのていあんは、めいわくじゃったか……? らとに、いやなおもいを、させてしもうたか……?」

「あっ、あっあっ――ち、ちがっ、だからそのっ、僕はそのっ……は、ハヌっ!? 落ち着いてハヌっ!?」

 じわりじわり、とハヌのヘテロクロミアの両端にたまった涙の粒が大きくなっていく。僕はそれを目の前に、あわあわわと戸惑うことしかできない。

 一生懸命両手を振りながら、

「い、いやじゃないよ!? ぼく全然いやじゃないよ!? いやじゃないんだけど――!」

「……いやでなければ、なんじゃ……?」

 ぐすぐす、と鼻を鳴らしながらハヌは悲しげに問う。

「……もしや、ふろをともに、したいと、おもうて、おるのは、わらわだけ、なのか……? らとにとって、わらわは、まだ、そのいきに、たっしておらぬと、いう、こっ……とっ……うぇ……!」

「わぁあああああああああ泣かないで泣かないで泣かないでぇぇぇぇぇっ!?」

 言葉を口にしている内に感極まって来たのか、唇をワナワナと震わせて、吃音交じりで喋っていたハヌの目尻から、ついに涙が溢れ出る。そのまま大声を上げて泣き喚く気配を察知して、僕は崖っぷちに追い詰められたかのごとき声を上げてしまう。

 こうなったら仕方がない。毒を食らわば皿まで、肉を切らせて骨を断つ、だ。

 僕は無理矢理な笑顔を浮かべると、ハヌに向かって何度も頷いた。

「――わ、わかったから! もうわかったから! お願いだから泣かないで! ――い、一緒にお風呂入るからっ! ねっ!?」

「……まことかっ!?」

 僕が了承した瞬間、ぱっ、と花開くようにハヌの顔が明るくなった。宝石みたいな金目銀目を大きく見開いて、嬉しそうに僕を見る。

 変貌があまりにも一瞬過ぎて、要求を受け入れたことをちょっとだけ後悔してしまった。

「……う、うん……………………だ、だから、もう泣かないで? ねっ?」

 僕がそう言うと、ハヌは、にひ、と泣き笑いを見せた。

「無論じゃ! 妾はラトの唯一無二の親友じゃぞ! おぬしならそう言うじゃろうと思っておったわ!」

 すごい掌の返しようである。今泣いたカラスがもう笑う、とはまさにこのことだ。

「あ、あは、あはは……」

 ここは立ち直りの早さに感心するべきなのだろうか。それとも、今のは嘘泣きだったのでは、と疑うべきところなのだろうか。

 だけど、そんなことより先に僕には言うべき言葉がある。

「で、でも、一つだけ条件を付けさせてくれる、ハヌ?」

「ほ? 条件、とな?」

 満面の笑みで喜んでいたハヌに、僕は右の人差し指を立てて付け加える。目をパチクリとさせる彼女に、僕はどうしても外せない条件を提示した。

 そうだ。【こう】でもしなければ、いくらなんでもハヌと一緒にお風呂なんて入れやしないのだ。

「……お互い【水着着用】で、お願いします……」

「……? みずぎ……?」

 聞きなれない単語に、ハヌが首をかしげる。

 ここが好機。そう見て取った僕は、頬と頭にあったハヌの両手を掴み、距離を詰めて一気に畳み掛けた。

「そう、水着。じゃないと無理。これだけは無理。絶対。何があっても無理。何が何でも無理。だからお願い。水着。僕もハヌも水着。それなら……それなら、なんとか……! なんとか大丈夫だから……!」

 祈るように懇願する。いくら何でもいきなり全裸はダメすぎだ。慣れる以前に致命傷を喰らってしまうに違いなかった。

「お、おおう……わ、わかったのじゃ……?」

 一気に形勢が逆転してしまったことに戸惑ったのか、僕の切実な気迫に圧されたのか、ハヌは最終的にぎこちなく頷いてくれた。

「……よ、よかったぁ……」

 どうにか言質を取ることに成功して、僕は天井を仰いで脱力する。

 そんな僕の耳に、

「……なるほど、それは名案です。確かに、いきなり全裸というのはラグさんにとって刺激が強すぎるでしょうし」

 傍聴席のロゼさんから、思わぬ助け舟が届いた。

 僕の起死回生の策を、まさかこの絶好のタイミングで支持してくるなんて。

 よかった、ロゼさんは本当に僕のことをちゃんと心配してくれていたんだ……

「ロゼさん……」

 込み上げてくる喜びに、思わず名を呼んでしまう。

 唇に右手の人差し指をあてて考え込んでいる風のロゼさんは、視線を病室に床に向けたまま、けれどこう続けた。

「そういうことであれば、早速水着を購入しなければいけませんね。小竜姫と私と、フリムさんとアシュリーさんと……近くのデパートに置いてあるでしょうか? 検索してみましょう」

「ロゼさぁんっっ!?」

 ぜんぜん違った――!

 無表情だからわかりにくいけど、どう見てもノリノリな様子で〝SEAL〟を使って水着のお店を探し始めたロゼさんに、僕の悲痛な叫びが響く。

「は、ハヌだけですからねっ!? 僕がオッケーしたのはハヌだけですからねっ!?」

「おっ、おおおお待ちなさい! 私は関係ないでしょう、私は!? 水着なんて着るものですか!」

 僕のツッコミに被さって、アシュリーさんの抗議が室内にこだまする。その一方で、

「はーん、ほーん……なるほどねぇ、考えたわねハルト……やるじゃない! そういうことならみんなの水着はこのお姉ちゃんが見立ててあげるっ! 楽しみにしてなさいよっ!」

 何をどう納得したのか、フリムが親指をグッと立ててウィンクした。いやもう本当、余計なことは金輪際やめてほしい。

「大丈夫です、ラグさん。まずは水着の小竜姫、次に水着のフリムさん、そして水着の私と慣れさせていけば、きっといつかは全裸で混浴することも可能になるはずです」

「違いますよね!? そこまで行くことが目的じゃないですよね!? 当初の目的見失ってますよね!?」

 見た目は冷静なまま力強く断言するロゼさんに、後のない僕は全力で突っ込みを入れる。

 そこからはもう滅茶苦茶だった。

 ハヌだけが上機嫌でニコニコしている中、僕の悲鳴のような抗議が響き、だけどロゼさんもフリムもまともに取り合ってくれない。唯一、僕の味方になってくれるであろうアシュリーさんは何故か挙動不審で、いつもの頼もしさはどこへやら、まるで頼りにならない。

 結局、なし崩しにこの場にいる全員と水着着用で混浴することになってしまったけど、そこはそれ。

「――じゃ、じゃあ今度! 今の合同エクスプロールが全部終わってから! その時になったらまた考えるからっ!」

 と、強引に時期を曖昧にして僕は逃げることに成功した。

 もちろん、合同エクスプロールが終わった後も何かと理由をつけて先延ばしにする気である。

 だって、想像してみても欲しい。

 この僕が。

 いくらハヌが相手とはいえ、女の子と。

 水着着用とはいえ、一緒にお風呂に入るだなんて。

 自分で言うのも情けないけれど。



 ――死ね、と言っているようなものではなかろうか?





 余談ではあるが、この日の出来事により、またしてもハヌに新しい異名がつけられた。

 その名も――〝恐怖の大王メガセリオン〟。

 どうやら集まった人々の前で行った示威行為パフォーマンスがよほど効いたらしい。

 なるほど確かに、かつてはフロートライズを救った風の龍がハヌの手によるものであることは周知の事実である。

 それが今回、人々に対して牙を剥いたのも同然なのだ。

 その時に付けられた〝破壊神ジ・デストロイヤー〟がさらに進化して〝恐怖の大王メガセリオン〟となるのも、まぁ無理からぬことであった。

 ただ、このおかげで僕らを取り巻く状況はさらに一変した。

 よくよく考えてみれば、正体不明のウィザード〝小竜姫〟。

 そんな不可解な人物が僕、ベオウルフの傍にいて、しかも親友同士であることが明らかになったのである。

 ――ベオウルフには近付くな。〝恐怖の大王〟の逆鱗に触れたら、今度こそこの浮遊都市ごと消し飛ぶぞ――

 そんなまことしやかな風説が、ネットを通じて世界中を駆け巡った結果、拍子抜けするほどあっさり、僕達に近付いてくる人達はいなくなった。

 実を言うと、今回のような暴動というかデモ行為は、エクスプローラー業界的にも非常に珍しいものだったりする。

 それだけにヴィリーさんの人気のほどがうかがえるというものだけど、逆に言えば、それだけのエネルギーを、ハヌは文字通り力尽くで抑え込んだのである。

 こうして図らずも〝勇者ベオウルフ〟の悪名が広がるのと同時に、破壊神であり恐怖の大王である〝小竜姫〟の【祟り】もまた、〝剣嬢ヴィリー〟の勇名ともに長く語り継がれることになったのであった。

 まったくもって、嬉しくない話である。



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