リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●幕間4 脈動






 いきなりだけど、結論から言ってしまおう。

 フリムが〝神器保有者セイクリッド・キャリア〟になった。

 ――ただし、半分だけ。

「……特に何も変わった気がしないんだけど……?」

 神器〝共感アシュミレイト〟の片割れを受け取ったフリムは、長い黒髪ツインテールを揺らしながら自分の手足を見回した。

 これに対し、ヴィリーさんがくすりと笑う。

「それは当然よ。分割した状態の神器は、それだけじゃほとんど意味をなさないわ。良くも悪くも、異常はないはずよ」

「ふぅん……?」

 何かド派手なことでも起きると思っていたのだろうか、僕の幼馴染は。少し残念そうに――否、つまらなさそうに相槌を打ち、ついさっきまでヴィリーさんの掌が当たっていた胸の中央を、自分の両手で押さえた。

「――ああ、でも、【何かある】ってのはわかる感じなのね、これ」

「はい。〝神器保有者〟になると、新たに特殊な感覚器官が生まれます。それによって自身の中にある神器の存在や、他者の放つ力の波動を感知することが出来るようになります」

 初めての感覚に軽い戸惑いを見せるフリムに、ロゼさんが淡々と解説する。へー、とフリムがどこか他人事みたいに感心した。



 さて、順を追って説明しよう。

 現在、僕達が何をしているのかというと――

 ロムニックから回収した神器〝共感〟。その所有権についての話し合いである。

 いや、さらに正確に言えば、その前段階だろうか。

 僕がロムニックとの決闘に勝利してから――つまり僕がヴィリーさんのキスで気絶してから――既に二日が経過している。

 それはエクスプロールに出発する直前、朝一番のことだった。ヴィリーさんから突然、『ロムニックから神器を譲り受けたので、直接会って話がしたい』との連絡が入ったのは。

 完全に寝耳に水だった。

 ヴィリーさんの目的がロムニックの神器であることは察していたけれど、それは事前の約束通り、二人の決闘の末に譲渡されるものと思っていたからである。

 僕とロムニックが決闘することが決まった際、ヴィリーさんは奴にとある条件を突き付けていた。もし僕が勝利した暁には、ロムニックは後日でも構わないのでヴィリーさんと決闘するべし――という、一見すると奇妙な条件を。

 聞くまでもなく察せられたから敢えて聞かなかったけど、あれは多分、まっとうな決闘によって神器の所有権を貰い受けようという算段だったはずだ。

 だから、いずれロムニックが回復すれば、再び決闘が行われ、予定調和的にヴィリーさんが勝利するものと思い込んでいたのだけど――

「幸い、話し合いだけで片がついたの。戦えないのは少し残念だけど、面倒がないのはいいことよね」

 とは、僕達の拠点ベースへ来訪したヴィリーさんの弁である。ただし、彼女の言う『話し合い』が僕の思う話し合いと同一のものであるかどうかは、甚だ疑問ではあるけれど。

 とにもかくにも、神器はそこにある。

 あの日、取り急ぎロムニックが収容された病院へ向かったのは、やはり次なる決闘のルール確認、および逃げ出さないよう監視するためだったらしい。

 緊急病棟に担ぎ込まれて丸一日。上級の治癒術式によって肉塊寸前だった状態からどうにか回復したロムニックは、しかしその時すでに精神に変調をきたしていたという。

 何と言うか、その――本当に僕が言うのもアレなのだけど。



 トラウマになったらしい。



 多分、最後の連打ラッシュが決め手になったのだろう。

 時間にすればほんの一瞬だったはずだけど、僕が降らせた拳の雨は、ロムニックの心に深い深い傷を刻み込んでしまった。その結果、ロムニックは戦闘そのものに猛烈な拒否感を示すようになり、さらには戦いを彷彿させるもの全てを拒絶するようになってしまったという。

 そのため、当然ながらヴィリーさんとの決闘の約束はご破算となり、それどころか『神器なんて恐ろしいものは喜んで渡す』とまで言ったらしい。

「とても見ていられない有り様だったわ。あれだけ自信満々だった人間が、まるで別人のようになって。悲鳴じみた喋り方で一方的に主張したかと思えば、後は焼くなり煮るなり好きにしろと背中を向けてしまって……」

 ええい近寄るな神器なんかくれてやるとっとと持っていけそしたら二度とその面を見せるなわかったか絶対だぞわかったな早くしろさっさとあっち行け――と、小さな子供の癇癪ぐらいの勢いで喚き散らして部屋の隅で丸くなったロムニックから、ヴィリーさんとカレルさんは二人で協力して神器を抽出したという。

 これは初めて知ったことなのだけど、神器は概念であるため、条件さえ揃えば分割することが可能なのだそうだ。聞けば、シグロスが有していた〝融合ユニオン〟も同様の処理をして、現在はヴィリーさんとカレルさんが分割所有しているらしい。

 記憶を掘り返してみれば、ヴィリーさんは以前、確かにこんなことを言っていた。

 フリムの『っていうか、そのシグロスの神器って今どうなってんのかしら?』という疑問に対し、

『【ここにあるわよ】。半分だけ、だけれど』――と。彼女はそう答えたのだ。

 今回、ヴィリーさんが何故わざわざ僕達の拠点までやって来たかというと、

「まず、〝共感〟の半分をあなた達に渡すわ。神器の所有権についての話はその後にしましょう。それが公平フェアというものだもの」

 欲する欲さないは別として、神器の所有する権利は決闘に勝利した僕、および譲渡交渉と受け取りを実施したヴィリーさんにある。これは二つに分けられるとはいえ、実際的には一つにまとめなければ意味のないものでもある。改めてどちらが所有するか話し合いで決めたいが、その前に互いに公平な状況を作るため、まずは〝共感〟の半分を受け取って欲しい――以上がヴィリーさんの言い分だった。

 これに対し、僕達は総じて難色を示した。

 なにせ神器である。しかもロムニックの持っていた〝共感〟。いくら半分だけとはいえ、その本領が発揮されれば他人の五感や思考、記憶まで読み取れるというとんでもない代物だ。いくら強力な武器になるとは言え、

「……気になるって言えば気になるけど、流石に他人のプライバシーが覗けるっていうのはねぇ……」

 興味はあるが若干引き気味のフリムに、

「私は結構です。〝超力エクセル〟だけでも十分すぎる力ですので」

 すんなり身を引くロゼさん。

 僕もどちらかというとフリムと同意見で、他人の心が見える力などというものは、巡り巡って逆に大切なものをなくしてしまいそうな気がするのだった。

 となると残るは、僕の膝上にいるハヌだけになるのだけど。

「……ハヌ?」

 顎のすぐ下にあるちっちゃな銀色の頭へ呼び掛けると、くるり、と蒼と金のヘテロクロミアがこっちを見上げた。

「ラト。おぬしならば聞かずともわかるであろう?」

 くふ、と笑う金目銀目に瞬くのは、やっぱり拒絶の光。

「あー……えっと。その、ヴィリーさん? 大変申し訳ないのですけど、僕達はちょっと遠慮したいといいますか……」

 ストレートに『いらない』が言えない僕は遠回しにお断りしようとしたのだけど、ヴィリーさんはヴィリーさんで頑固な御仁だった。

 ヴィリーさんは首を横に振って、金色に輝くポニーテールを揺らす。

「駄目よ、それじゃ私の気が済まないわ。それに、半分だけと言っても神器は神器よ。例えば先日ロムニックが神器を暴走させた時だけど。これさえあれば、あの力に影響されずに済んだはずよ。それは重要なことじゃないかしら?」

 ヴィリーさんは深紅の視線をフリムに向けた。途端、ぴょん、と黒髪のツインテールが兎の耳みたいに反応する。

「――! ちょっと、それ本当?」

「ええ、本当よ。実際、私とカレルレンは影響されなかったもの。ロゼさん、あなたもそうでしょう?」

「はい、それは確かに。〝神器保有者〟は神器の力に対して、常人より強い抵抗力を有します。ただ――二つに分割した片割れでもその力があるのかは、私には断言できませんが」

 そういえば、と思い出す。ロゼさんがシグロスに神器〝超力エクセル〟を奪われそうになった際、怯えて立ち竦んでいた僕がそれでも間に合ったのは、きっとその抵抗力のおかげだったのだろう。

「そこは間違いないわ。実際、私とカレルレンは都合1.5個の神器を保有しているわけだけれど。他の神器に対する抵抗力が上がっているのは、身を以て実感しているもの」

 ヴィリーさんの断言に、フリムのツインテールがピンと張った。

 ――まさかとは思うけど、実はあの髪、既にフリムが開発した武具に入れ替わってたり、もしくは改造されてたりしないよね……?

「はい! はいはいっ! それなら話は早いわっ。ちょっとでもこないだみたいなことが防げるんなら、アタシ喜んで受け取るわよ、その神器の半分!」

「よかった。あなたならそう言ってくれると思っていたわ、フリムさん」

 いきなり乗り気になって挙手したフリムに、ヴィリーさんがにっこりと微笑む。

 やはりと言うか何というか。ちょっと前から思っていたのだけど、ヴィリーさんってスポーツチャンバラの時みたくおっちょこちょいなところもありつつ、でも基本的には結構な策略家というか、何だかんだで計算高いというか――そう、意外にしたたかな人なのだ。今のだって、フリムが『放送局』にクレームを入れている場面を見ていたからこそ、彼女を狙い撃ちするみたいな言い方をしたに違いないのだし。

 流石はトップ集団の一角を担うクラスタのリーダー、と言ったところだろうか。

 ヴィリーさんのミドルネーム『ファン』は、剣王国と名高いデイリートの門閥貴族であることを示している。それだけに清廉潔白を旨としているイメージがヴィリーさんにはあるのだけど、そんなのはただの思い込みに過ぎなかったと痛感させられる。

 考えてみれば当たり前の話で、やっていけるはずがないのだ。エクスプローラーの世界は魑魅魍魎が跋扈する魔窟。生半可な覚悟ではやっていけない鉄火場だ。そんな中を、若い身空で生き残っていこうというのなら、やはり並大抵ではないメンタルが必要になるに決まっている。

 打算的にもなるはずだった。

「じゃあ、あなたに神器〝共感〟の半分を譲渡するわ。こちらへ来て、フリムさん」



 というわけで、冒頭のやりとりへと繋がる。

 神器の移譲は、拍子抜けするほどあっけなく終わった。

 ヴィリーさんがフリムの胸の中央に右掌を当てると、ゆっくりと二人の〝SEAL〟が励起した。アイスブルーとピュアパープルの輝きが、それぞれ幾何学模様を描いて二人の皮膚を走る。やがて二色の光が呼吸するように明滅を繰り返したかと思うと、

「……はい、これで終わりよ」

 あっさり。ヴィリーさんのその一言が、譲渡完了の合図となった。時間にして数十秒。心のどこかで期待していたような派手なエフェクトは、終ぞ見られなかった。

「――これさぁ、自分の中に神器があるってことは何となくわかるんだけど、他人の奴ってどんな風に感じるものなの? あ、ロゼさん、悪いんだけどちょっと試させてくれない?」

 珍しい玩具を手に入れたみたいな感じで、フリムがロゼさんに『ちょっと神器を使ってみてくれ』と振る。

「はい。これでよろしいですか?」

 ロゼさんが〝SEAL〟を励起させた。孔雀石色の煌めきが、仮面のような無表情の表面をさっと撫でる。

 厳密に言えば神器の力は〝SEAL〟と関係なく、極端な話、今の僕みたいに輝紋が麻痺している状態でも使えるらしい。が、ロゼさん曰く、不思議なことに神器の力を発動させると、自然と〝SEAL〟も動いてしまうのだとか。要するに、あれみたいなものだろうか。手の小指を動かそうとしたら、薬指も何故か一緒に動いてしまうみたいな。

「……あー、なるほどね。これね、うんうん、わかるわかる、この感じね。……うーん……不思議な感覚だわ、この……なんて言うの? 肌感覚というか、匂いというか……こう、体の内側に響く感じ?」

 うん、フリムが何言っているのか、僕にはさっぱりわからない。

「? おぬしは何をわけのわからぬことを言うておるのじゃ?」

 僕が思っていたことをハヌがストレートに言っちゃった。

「何よもー仕方ないでしょー、説明難しいんだからー」

 揃って同じ方向に小首を傾げている僕とハヌの方へ振り向き、フリムが唇を尖らせる。

「先程も言いましたが、特殊な感覚器官ですので、〝神器保有者〟以外の方にはわからなくて当然です。それに、感じ取り方も人それぞれだと聞きます。先程フリムさんは〝肌感覚〟と〝匂い〟と仰られましたが、私の場合はどちらかというと〝聴覚〟や〝視覚〟、あと〝触感〟――肌に感じる熱によって神器を感知しています。勿論、嗅覚や味覚も多少は感じていますが」

「奇遇ね、私も特に〝音〟と、ロゼさんとは逆に〝冷感〟で感じる方だわ。小さな鈴みたいな音が聞こえて、肌寒くなってくるの」

 ロゼさんの解説に、ヴィリーさんが便乗する。蒼い炎を操るヴィリーさんが冷たさによって神器の存在を感知するとは、なかなか皮肉の利いた話である。

「熱? 冷感? んー……アタシのはちょっと違うわね。なんかチクチクする感じだし、音も……波の音? みたいな?」

「なんじゃ、てんでバラバラではないか。それで神器とやらの存在が本当にわかるものなのか?」

 はぁ、と呆れたように吐息して、ハヌが身を後ろへ倒し、後頭部を僕の胸に預けた。さしずめ僕は座椅子扱いである。まぁ、僕としても懐がポカポカするので満更でもないのだけど。

「複数の反応が同時に五感を刺激するため、全体として見れば〝違和感〟の一言に尽きます。日常生活では決して感じない感覚ですから、結果としてそれが神器の力だと、自然に認識できるようになるのです」

 僕に格闘技の修行をつけてくれる時と同じように、ロゼさんは淡々と、それでいて理路整然とした説明をしてくれる。

 そんなロゼさんのふわふわしたアッシュグレイの髪に、何故かフリムが鼻を近付け、

「そうなのよねー、今はいつものロゼさんとは違う匂いがするもの。すごく甘ったるくて、でも気品があって……高価い香水って買ったことないけど、こんな感じなのかしら?」

 くんくん、と犬みたいにロゼさんの頭の周りを嗅ぎ回る。どうやらフリムは、嗅覚が一番鋭敏に神器の力を捉える傾向にあるらしい。ロゼさんも平然と為すがままにされているので、何だかちょっとシュールな光景にも見える。

 ――フリムのツインテールってそこそこボリュームがあるから、見ようによっては犬の耳に見えなくもない……のかな?

 などと、ぼんやり考えていると。

「……ちょっと、アンタさっきから何も言わないけど、顔見りゃ大体何考えてんのかわかんのよ、ハルト?」

「えっ?」

 突然、きっ、とアメジストの吊り目がこっちを見たので、僕は虚を突かれてびっくりしてしまう。

「犬みたいで馬鹿っぽい、とか思ってたでしょ、今?」

「え、えっ!? い、いやあの僕はその、」

 あ、あれ、なんで? フリムの中にある〝共感〟は半分だけだから、心を読む力は使えないはずなのに――!?

 ハヌを膝上に乗せているが故に身動きのとれない僕は、内心アタフタする。ハヌを下ろして逃げるわけにもいかずまごまごしていると、フリムがずかずかと近付いてきて、ご自慢のツインテールの片房を手に持ち、

「ていっ」

 ぺちん、と黒髪を鞭のようにして僕の顔に叩き付けてきた。

「あいたっ」

 大して痛くもなかったのだけど、やけにいい音が鳴ったので思わず声が出てしまう。

 フリムはそのまま長い髪をロープのように両手で握り、手慣れた動きで流れるように僕の首へと巻き付ける。

「まったく……せっかくお姉ちゃんがこれからのことを考えて行動しているっていうのに、弟分のアンタがそんなんじゃ――んっ?」

 黒髪で僕の首を締め上げようとしていたフリムの動きが、不意にピタリと止まった。

「……?」

 紫水晶の目をパチパチと瞬かせて固まるフリムに、僕もキョトンとしてしまう。

「どうしたのじゃ、フリム?」

 ハヌもおかしいと思ったのだろう。おとがいを上げて、石像みたいに固まったフリムを見上げた。

 僕の従姉妹は怪訝そうに眉を顰め、低い声で呟く。

「……なんか、匂うわね……?」

「えっ?」

 聞き捨てならない台詞にドキリとして、僕も硬直した。

 フリムが僕の頭に顔を近づけ、すんすん、と鼻を鳴らす。

「な、ちょっ――」

「なんか、アンタから変な匂いがするのよね……なにかしら、これ……?」

 最初は頭の上あたりで匂いを嗅いでいたかと思うと、耳やうなじ、喉元へと次々に顔を移動させて、フリムは何かを嗅ぎ取ろうとする。

 僕は焦るしかない。

「え、え、えっ、ぼ、僕、そんなに変な匂いがするの? で、でもちゃんと毎日お風呂に入ってるし、服も――」

 洗濯しているんだけど、と言うより早く、

「ねぇ、ロゼさん、ヴィリーさん。ちょっと悪いんだけどこっちに来てくれる?」

 僕の肩に鼻をくっつけながら、ちょいちょい、とフリムが二人を手招いた。

「「――?」」

 手つきはぞんざいながらも声だけは緊迫しているフリムの呼びかけに、ロゼさんとヴィリーさんは束の間、お互いの顔を見合わせた。

「何でしょう?」

「どうしたの、フリムさん?」

 けれどフリムの雰囲気から何かを察したのか、二人はソファから立ち上がってこちらにやってくる。

 ――え、いや待って? 待って待って待って!? もしかして……もしかしてもしかしてもしかしてっ!? ま、まさか――!?

「何だかよくわからないんだけど、ハルトから妙な匂いがするのよね。神器みたいな、そうでないような……二人もちょっと確認してみてくれない?」

「え――ぇえええええええぇっ!?」

 従姉妹で幼馴染みのフリムにこうして嗅がれるだけでも相当恥ずかしいのに、この上さらにロゼさんとヴィリーさんにまで!?

「や、いやっ、きっききき気のせいじゃないかなフリム!? 僕昨日ちゃんとお風呂入ったし!? まだエクスプロール前だから汗もかいてないし服もちゃんと洗ってるし!?」

「おバカ、そういう問題じゃないのよ」

 さっきロゼさん達を手招きした掌が、ぽん、と慌てふためく僕の頭に乗せられる。そして気付いた時には、僕は三人の女傑に囲まれてしまっていた。

「それではラグさん、失礼致します」

「ごめんなさいね、ラグ君」

 フリムを含め三方向から、年上のお姉さん三人が僕に顔を近付け、くんかくんかと匂いを確認し始めた。

 ――うわぁああああああああぁっ!? なにこれなにこれなにこれぇええええっ!? ああああ汗臭くないかな変な匂いしてないかなしまったちゃんと気をつけていればよかったぁあああああああっ!?

 とんでもない勢いで頭が沸騰していく中、今度は膝上のハヌがもぞりと動く。

「どれどれ、妾も……」

「妾も!? なんで!?」

 何故かハヌまでもが膝上で反転し、僕の胸元で鼻を鳴らし始めた。すんすん、と子犬みたいにちっちゃな鼻を動かして、

「ふむ……特に変わらず、いつものラトの匂いじゃの?」

「そりゃそうだよっていうかハヌは神器持ってないから変わらなくて当たり前だよね!?」

「うむ。じゃがいつも通り、よい匂いじゃぞ? 妾はおぬしの匂いを嗅ぐと、安心する」

 僕を見上げる蒼と金の瞳が弓なりに反って、にぃ、とハヌが嬉しそうに笑った。

「ぇぅっ……」

 真っ直ぐ見つめられてそんなことを言われてしまったら、僕は何と返したものかわからなくて――その、非常に困るわけで。

「……フリムさん、特にこれといった香りは感じませんが……」

「えーうそー? なんかちょっと、ほんのり匂ったりしてない?」

「私も特に感じないわね。神器なら、薔薇の香りとして認識できるはずなのだけど」

「うーん……アタシの気のせいなのかしら?」

「いえ、どうやらフリムさんは嗅覚が特に鋭敏なようですから、そうとも言い切れません。もう少し調べてみましょうか、ヴィリーさん」

「そうね。もっと近付いたらわかるかしら?」

 僕の体のあちこちに鼻を近付けて匂いを嗅いでいた三人が、さらに距離を詰めてきた。というか、むしろ密着してきた。

「――~ッ!?」

 フリムが、ロゼさんが、ヴィリーさんが、そしてハヌが。

 頭やら、首元やら、胸元やら、背中やら、あちこちに鼻をくっつけて。

 僕の匂いを嗅いでいる。

 もっと生々しく言うと、僕の体臭を吸っている。

 今のこの気分を言い表す言葉を、僕は知らない。

 ただただ、とんでもなく恥ずかしくて。わけがわからなくて。でも、ちょっと満更でもない自分もどこかにいて。そんな自分がよくわからなくて。

 つまり、僕は混乱の極みにあった。

「あ、あの……あ、の……あの……っ!」

 視界が滲んできた。涙目になった僕はこの状況に抗する術を知らず、嵐の夜のリスみたいに震えることしかできなかった。

 ――あ、ダメだ、このままだとまた気を失っちゃうかも……

 四方八方から聞こえる、すんすん、と鼻を鳴らす音。頭や腕や胸や背中に添えられた掌の感触、体温。僕の匂いを嗅ぐために集まってきているはずだけど、僕からすればみんなの匂いがこの場に集中しているわけで。何が何だかよくわからないけど、とにかくやたらといい香りが充満していて。

 頭の中が真っ白になって、胸の動悸が激しくなって、視界がぐるぐると渦を巻き始めて――

 ふーっ……と意識が遠ざかろうとした瞬間だった。

 フリムとロゼさんとヴィリーさんがほぼ同時に、ピクッ、と何かに反応した。

「あ、ほら……!」

「これは――」

「……ええ、今、微かだけど……」

 言いながら、三人が少し離れてくれる。

 それだけで、僕は水面から顔を出したように安心する。数人のちっちゃな天使に連れ去られようとした意識が、どうにか体の中に戻ってきた。

「なんなのこれ? さっきロゼさんから感じた匂いとよく似てるんだけど、でも微妙に違くて。しかもかなり薄いのよね」

 真剣な顔で語るフリムに、ロゼさんが浅く頷く。

「はい、私も微かに……他の神器から漂う〝肉の焼ける匂い〟に近いものを感じました。本当に、ほんのり、ですが」

「かなり集中していないとわからないぐらいの匂いね。でも、三人も〝神器保有者〟がいて、それぞれが違う香りを嗅ぎ取っているということは……」

 そこでヴィリーさんが言葉尻を濁し、口籠もった。

 不意に訪れる沈黙。

 静寂の冷たさに、沸騰して蒸発しかけていた僕の意識は一気に結露した。

「――え……?」

 ハヌ以外のみんなが難しい顔をして黙り込み、じっと僕を見ている。

 彼女らは互いに目配せあい、やがて代表するように正面――ハヌの背後――にいるフリムが、とても言い難そうに質問を発した。

「ねぇ、ハルト……【なんでアンタから神器の匂いがするのか】、心当たりある……?」



 ■



 今回の事件――ロムニックとの決闘のそもそもの元凶となった『ベオウルフ・スタイル被害者の会』についても、やはり触れておかねばなるまい。

 当然ながら決闘の結果は、彼ら彼女らにも波及する。何故なら、僕が勝利した際は『ロムニックを含めた被害者の会からの謝罪、および生卵をぶつけたことで汚れた服のクリーニング代と弁償』という条件を、ヴィリーさんが取り付けてくれていたからである。

 そう。何よりも一番腹が立ったのはロムニックの言動だったけれど、いきなりリメイクしたての戦闘ジャケットを汚されたことや、被害者ぶった彼らの不躾に過ぎる罵詈雑言を、僕は許していない。

 ある意味、あの人達も被害者であることはわかっている。ロムニックに誑かされ、被害者の会を結成し、あんな行動に出てしまったのだと。

 でも、やったことはやったことだ。あの時、生卵を投げつけた彼らの手は、実際にロムニックの操り糸によって動かされていたわけではない。あの人達は唆されたとは言え、自分の意思で卵を手にし、僕にぶつけたのだ。そして、数々の罵声をその口から吐き出し、僕に浴びせたのだ。

 やったことには責任が生じる。

 特に今回の決闘は『放送局』が関与していたのだから尚更だ。人知れずひっそりと遺跡の中で私闘したというのならともかく、公衆の面前で映像を記録しながらの決闘だったのだ。

 ダインの時もそうだったが『放送局』が関わると、途端にエクスプローラーの掟は強制力を増す。関わる人の数が多くなればなるほど、面子やら何やらの問題が出てくるからだろう。

 無論、お金だって動く。

 僕は知らなかったのだけど、『放送局』が関わる決闘ともなるとその規模に応じたファイトマネーが発生するらしい。実際、ロムニックに勝利した僕には後日、かなりの額のお金が支払われることになっていた。その一部は当然ながら、被害者の会の負担になるという。

 こうなると『ベオウルフ・スタイル被害者の会』は逃げたくても逃げられない。大きなお金が動いているし、各々の面目がある。僕が勝者になった際の約束は『放送局』も知っているから、彼らはその遂行に力を貸してくれるはずだ。きっと、それがまた新たなお金や価値を生むのだろう。

 そして僕が気絶してハヌの膝枕で眠っている間に、ヴィリーさんやフリムが『放送局』と協議して、ロムニックと被害者の会メンバーの謝罪は会見という形で動画配信されることが決まっていた。

 聞く所によると『被害者の会』はネット上に公式サイトまで設立していたらしく、謝罪会見の映像はそこにもアップロードされる予定なのだそうだ。

 彼らの行く末については、フリム曰く、

「ま、順当に行って自然消滅するんじゃない? 実質上のリーダーだったロムニックが頭アレしちゃったんでしょ? 求心力を失った集団なんて空中分解まっしぐらよ。ま、もし馬鹿が多かったら、誰が次のリーダーになるのかどうかで内輪揉めして、これまた自然消滅ね。逆恨み集団の末路なんてそんなものよ」

 とのことで、僕もそうなるんじゃないかと予想している。というか、切にそう願う。あんな無意味な会は早々に解散して、早いところそれぞれの人生の本道に還って欲しいものだ。まぁ、エクスプローラーを続けるのは、色々な意味で難しいだろうけど。

 合わせるように〝ベオウルフ・スタイル〟に対する世論も、掌を返しつつある。僕がロムニックに勝利したことで風向きが変わったのだろう。

 ベオウルフ・スタイルは余人に真似できるものではない。また、ベオウルフの強さもそのスタイルに由来するものでもない――と。そういった声が大きくなりつつあるのだ。

 当然、中には決闘に対して『なんだよあれ? その気になれば一瞬で終わってたんじゃね?』『あれあれ、いわゆる〝舐めプ〟ってやつな』『わざと負けている振りをして感動的な勝利を演出? ふざけてんのか』『自作自演の勇者ベオウルフ乙』『茶番すなぁ』といった声も混ざっていて、別の意味で批判の種は増えた気もする。

 ついでの話だけど、僕がよく使う〈フレイボム〉の評価も最近見直されつつあるらしい。元はと言えば、僕のご先祖様である英雄セイジェクシエルが、ルナティック・バベル第一〇〇層のゲートキーパー〝アイギス〟を撃破するために生み出した術式である。タイミングはシビアだけれど、条件さえ揃えば低コストで強烈な威力が発揮できる、とても優秀な攻撃術式なのだ。なので〈フレイボム〉が再評価されることは僕にとっても嬉しく、そして誇らしい話だった。もしかしたら改良の手が入って、さらに使いやすく、さらに強力な汎用術式へと進化するかもしれない。その時は何を置いても購入したいところだった。

 そうそう、変わったことと言えばもう一つ。

 あくまで世間の目が変わっただけなのだけど――僕の推定総合評価ランクが激変した。

 なんと、驚きの『Aランク』である。

 むべなるかな。僕が決闘で下したロムニックは、世間的には推定総合評価Bランク。ここ最近ついた異名の〝下克上アプセッター〟の由来を考えれば、間違いなくAないしSランクにあたる。そんな相手に、〝無限光フリム〟謹製の武装に頼ったとはいえ、支援術式なしで勝利したのである。

 それは、これまでロムニックがやってきた〝下克上〟とは比べものにならないほど盛大な番狂わせだった。

 これによりエクスプローラー業界に激震が走り、地殻変動が起こった。

 その結果、これまで眉唾物とされてきた僕の実力が今回を機に再評価され――あくまで推定ではあるけれど――総合ランクが『Dランク』から『Aランク』へと急上昇を果たしたのである。

 とはいえ、僕自身の身体性能スペックが大幅に変わったわけでもない。今回の勝利はヴィリーさんやアシュリーさん、そしてロゼさんとハヌ、四人との猛特訓によって培われた技術の向上、およびロムニックの油断や慢心、神器を持つが故の心理的陥穽によってもたらされた辛勝であることを、決して忘れてはならない。

 特に、神器〝共感〟こそが鍵だった。むしろロムニックが〝神器保有者〟だったからこそ、こちらに勝利が転がり込んできたのだと言っても過言ではない。

 本来なら対戦相手の思考なんて知りようがない。だけど〝共感〟は不可能を可能にしてしまった。結果としてではあるが、ロムニックは神器の力に頼り切り、己が持つ本来の力をないがしろにしてしまった。きっとロムニック自身が言っていたように、〝共感〟が彼を『特別』にした力だったからこそ、ああまで執着してしまったのだろう。

 けれど――自分で言うのも何だけど――今回は相手が悪かった。他人の思考や五感をエミュレートする〝共感〟の力は、言い換えれば良くも悪くも相手の心の動きに付き合わざるを得ないものだ。例えるなら走る車の上に取り付き、窓から中を覗き込むような行為である。だけど、もしその車が暴走したら? あるいは事故を起こしたら? もしくは――そもそも、車ですらなかったとしたら?

 自分で言うのも何だが、僕の思考回路は少々常人とは異なる。自覚的に制御しているわけではないけど、高速並列思考なんて真似、普通の人はまず出来るまい。僕の異名の中に〝怪物ジ・モンスター〟なんてものがあるが、ロムニックにとって僕の頭の中はまさしくモンスターマシンだったはずだ。

 途中で止めればよかったのだ。なにも無理して神器の力を使い続ける必要なんてどこにもなかったのに。神器を使わず普通に戦ってさえいれば、それだけで奴は僕を圧倒できただろうに。

 僕に勝因なんてなかった。ロムニックに敗因があっただけである。僕はただ、奇跡的に勝ちを拾っただけに過ぎない。

 結局の所、ロムニックは僕の思考という暴れ馬に翻弄され、それでもしがみついた挙げ句、振り落とされてしまったのである。

 惜しむらくは相性だったと言えるだろう。ロムニックの〝共感〟は、こと僕という人間を相手するにあたっては最悪の神器だった。これさえなければ、ロムニックがどれほど手を抜こうと、勝負はひっくり返らなかっただろうに。

 もはや言っても詮無きことだが、彼は手を抜くべきではなかった。無駄に僕をいたぶろうとせず、最初から攻撃術式も駆使して、早急に決着をつけるべきだったのだ。

 なのに功名心に取り憑かれ、野望に目を眩ませ、欲をかいたのが裏目に出た。うなぎ登りだった奴の名声は地に落ち――あちらとしては僕をそうさせたかったのだろうが――汚泥に塗れた。図らずも僕が植え付けてしまったトラウマも相俟って、もはやロムニックはエクスプロールを続けられまい。

 被害者の会の面々と合わせて、これからの人生において再会することがないよう、切に祈るのみである。





 そういえば、奴の神器、および資金源についてはカレルさんが調べてくれた。

 ネイバー間で利用できるダイレクトコールにて。

『ロムニック・バグリーに、力尽くでも決闘の場へ連れて行って剣嬢ヴィリーと戦わせるぞ、と脅したら、いくばくかの情報が手に入ったよ。と言っても、奴の精神状態がひど過ぎて、さほど有力な情報は得られなかったんだが』

 と言いつつも、カレルさんはそれでも重大な情報を語ってくれた。この時、僕達『BVJ』の四人はいつものように拠点ベースのリビングに集まって、カレルさんのバストアップが映るアイコンを取り囲んでいる。

『まず前提から話そう。通常、神器とは【いきなりやってくるもの】だ。前保有者の死亡、もしくは廃棄によって、神器は次なる所持者の中へとランダムに転移する。何故そうなるのかは俺にもわからない。とにかく【そういうものだ】と納得して欲しい』

 そのあたりは、以前にもロゼさんから聞いて知っていた。だからこそシグロスはロゼさんをすぐに殺さなかったのだし、ヴィリーさんも迂遠ながらロムニックに決闘を申し込んだのだ。

〝神器保有者〟を無闇に殺害すると、肝心の神器がどこの誰ともわからぬ人間のところへ転移してしまう。それでは神器が手に入らないどころか、もう一度捜し直す羽目になる。相手の殺すのが主目的ならともかく、神器を目的としている場合は〝神器保有者〟を殺害するのは下策もいいところなのだ。

 僕も最後の最後で理性が働いてロムニックを撲殺しなかったのは、頭のどこかにそのことがあったからかもしれない。

『だがロムニックは、〝共感〟を何者かから譲ってもらった、と証言した。その何者かが誰であるかまではわかっていない。残念ながら、特徴しか聞き出せなかった』

 その特徴も、悲しいかな、ほとんど意味のない情報だったという。

『〝黒い男〟――奴から引き出せたのは、それだけだ』

 なんと、たった一言である。そこから得られる情報は二つ。色が黒で、性別は男。たったそれだけの、あまりにも断片的すぎる証言。しかも、一口に黒と言っても肌のことなのか、髪のことなのか、目のことなのか、服のことなのか、はたまた別のことなのか。さっぱりわからない。

『それ以上のことはわからなかった。いや、ロムニックが頑として口を割らなかったわけじゃない。早く話を打ち切りたがっていたせいか、むしろ協力的ですらあった。だが――』

 元より硬めの表情をしていたカレルさんが眉根を寄せ、さらに難しげな顔を浮かべる。

『――【覚えていない】んだそうだ。〝黒い男だった〟という印象だけが残っていて、それ以外には名前も、顔も、声も、身長も、話し方も何もかも……霞がかったように記憶が曖昧で、思い出せないらしい』

 記憶操作。真っ先にその単語が脳裏を過ぎった。催眠術か、もしくはそれ以外の技術か。もしかしたら未だ知らぬ神器の力かもしれない。ロムニックはその〝黒い男〟なる人物から何らかの干渉を受け、口封じならぬ【記憶封じ】をされてしまったのだ。

『だが、幸い……と言うべきかどうかは難しいところだが、ちょうど似たようなケースに心当たりがある。実は君達も知っているあの男――『ヴォルクリング・サーカス事件』の首謀者、シグロス・シュバインベルグなんだが』

 その名称が音となって空気を震わせた時、ロゼさんが無表情のまま、けれど確かに反応した。長い睫毛が僅かに動き、琥珀色の瞳が微かに揺れる。

『既に聞いているとは思うが、私とヴィリー団長は奴が持っていた神器〝融合〟を奪取し、分割所有している。その際、私達はシグロスに対して尋問を行ったのだが……やはりあの男にも記憶の欠落が見られた』

「……? いえ、あれは違うのではないですか? 彼の――シグロスの記憶の混乱については、神器による過剰融合が原因と思われますが」

 この件については自信、いや、確信があるのだろう。真っ先にロゼさんが反論した。

 カレルさんは、然り、と頷く。

『それは確かにそうだろう。シグロス・シュバインベルグは、記憶どころか人格すら定かでない状態だった。だが、彼は私達を見るや否や、開口一番こんな言葉を口にしている』

 カレルさんはそこでいったん口を閉ざし、アイコン越しに僕達全員の顔を見回した。それから、記憶の抽斗からそっと取り出すように、その台詞を告げる。

『〝お前ら、あの黒い奴のパシリだろ。わかってるぞ。俺を迎えに来たんだろ?〟――と』

 その場にいた全員が、鋭く息を呑んだ。

「黒い男に、黒い奴……」

 無意識にだろう、フリムが二つの呼び名を囁くように繰り返した。

 ロムニックの言う〝黒い男〟。そして、シグロスの口から出た〝黒い奴〟。これはもしかして――

『――同一人物である可能性は高い、と私は見ている。それで聞きたいんだが、〝銀鎖の聖女アンドロメダ〟。君はシグロスの神器の出所については……?』

 カレルさんの問いに、ロゼさんは首を横に振る。

「いいえ、何も聞いていません。ですが、あの人――シグロスの言動がおかしくなったのは、間違いなく神器を手に入れてからです。つまり私とは違い、彼はつい最近〝神器保有者〟になったはず。偶然、彼の中に神器が転移してきた可能性もゼロではないでしょうが、ロムニックの証言との整合性を考えれば……」

『ああ、シグロスもまた〝黒い男〟なる人物と接触し、彼から神器を譲渡されたものと見るべきだろう。そして〝融合〟の影響か、あるいはそれ以前から〝黒い男〟の手によって記憶の消去、ないしはブロックが施されていた……二人とも〝黒かった〟という印象しか残っていないところが、逆説的に意図的な隠蔽が行われたことを示唆している』

 そういえば、と思い出す。

 ロムニックは〝共感〟の力を流用し、他人の記憶が読めると明言していた。事実、奴は決闘中に『ラト』と『ハヌ』という、僕達二人の間でしか使われない特別な愛称を口にした。まぁ、それがきっかけで、僕は肺腑が燃え尽きるかと思うほどの怒りを覚え、思考を暴走させることになったのだけど――それはさておき。

 以前、ヴィリーさんが『神器=特権』なる持論を展開させていたけれど、今回に限ってはそのことを強く意識せざるを得ない。

 神器〝共感〟は、人間の精神に干渉する権限そのものだ。他人の思考を読み取り、五感をエミュレートし、記憶を漁り、あまつさえ己の感情を押し付けることすら出来る特権。

 本来なら、人間が持たざる異能の力。

 進化の過程で得た〝SEAL〟とフォトン・ブラッドによって、人類は現実を改竄する力を手に入れた。物理法則をねじ曲げ、本来なら起こり得ない現象を起こせるようになった。

 けれど、そこに他人の心を操る力なんてものは含まれていない。あくまで手を加えられるのは〝世界〟に対してのみで、同様の力を持つ他者に対しては間接的に攻撃することは出来ても、直接的な干渉は不可能だったのである。

 でも、神器は違う。直接的に他者の精神へ干渉し、情報を改竄する――つまり、非物理的な手段によって脳、もしくはそこに宿る魂へのインターフェイスを形成するのだ。それこそまさしく、神にも等しい力――権能けんのうである。

 幸いなことにロムニックは、その力を己の栄達にしか使わなかった。けれど使い方を誤れば――否、むしろそちらの方が正しいのか?――シグロスのように街の一つや二つ、ともすれば一国すら容易に破滅へ導いてしまうのが、神器の力なのだ。

 だというのに件の〝黒い男〟なる人物は、そんなものを二つも他人に譲った上、シグロスとロムニックの記憶に細工までしている。どう考えても彼もまた〝神器保有者〟であるに違いなく、ということは〝黒い男〟なる人物は神器を三つ、ないしはそれ以上の数を所持していたということに他ならない。

 世界にたった十二個しかないと言われている神器を、だ。

「――ッ……!」

 ゾクリと背筋に悪寒が走った。ふと底知れぬ深淵を覗き込んでしまったような気がして、僕は身の毛がよだつ思いに囚われる。

 ――一体、何者なんだ……!? どう考えても普通じゃないぞ……!?

 多分、同じことを考えたのだろう。フリムとロゼさんも、崖で足を踏み外しかけた時みたいな表情を浮かべていた。唯一、ハヌだけがいつものように涼しい顔をしている。

「その〝黒い奴〟って、いくつ神器を持ってんのかしら……?」

 まぁ、わかりようがないんだけど――とでも言いたげにフリムが呟くと、意外にもカレルさんが答えを返した。

『少なくとも、まだ二つ以上は持っているはずだ。記憶を操作できる神器と、もう一つは……おそらく〝複製レプリケイト〟の神器を』

「――ほう? 何故そう言い切れるのじゃ?」

 確信の籠もった声で断言したカレルさんに、ハヌが興味深そうに問うた。僕も同感だったので、カレルさんの声に耳を傾ける。

『先日の決闘を見ていて、一つ不可解なことがあってな。それについてロムニックに質問したところ、得られた推察だ』

 そう前置きしてから、カレルさんは語った。

『奴は〝身代わりの加護〟が付与された装備を無数に所持していた。だがラグ君との戦いを見る限り、その数は尋常ではなかった。常識的に考えて、ロムニック程度のエクスプローラーに用意できる量ではない。あれでは金がいくらあっても足りないはずだ』

「あ、それは僕も思いました」

 思わず同意してしまう。あの戦いで、僕は何回ロムニックを【殺した】だろうか。即死クラスの致命傷を叩き込んだのは一度や二度ではない。それこそ両手の指どころか、足の指を含めても数え切れないほど、僕はロムニックを【殺した】はずだ。なのに奴は、それでも生き残った。

 冷静になってみれば、友達や仲間を馬鹿にされただけで相手を殺すだなんて空恐ろしい話なのだけど、あの時の僕は怒り心頭だったし、何より決闘の場に漂う〝空気〟がそうさせたとしか言い様がない。相手から命を狙われれば、こちらもそれなりの対応をとるしかないのだ。根本的な理由からではなく、時にはその場の雰囲気や成り行きで命の奪い合いをすることがあるのだから、人間は怖い。僕が言うのも何だけど。

『だろうな。戦った君が一番違和感を覚えたはずだ。一つにつきルーター二つか三つ分は値が張る加護を、軽く百個以上は身につけていたわけだからな。いくらラグ君がルールを破り、支援術式を使ってくることを危惧していたとは言え、あれは流石にやり過ぎだった』

 そう、やり過ぎ。まさしくその一言に尽きる。ロムニックがどれだけ慎重で用心深い性格をしていたとしても、あれだけの数の『身代わりの加護』や『治癒の加護』を用意できるわけがない。カレルさんの言う通り、かかる金額が並ではないのだ。あれだけの準備が出来る資金があるのなら、最初からエクスプローラーになどならず、遊んで暮らすことだって出来たはずなのに。

『そのあたりについて質問したところ、奴はあれらの大半が貰い物だったことを明かした。一部は自分で用意したものだが、特に服の下に何重と張り付けていた護符については、全て〝黒い男〟から譲って貰ったものだ――と』

 神器どころか、そんなものまで――と、謎の人物の莫大な資金力に戦慄を禁じ得ない。

「ふむ。してカレルよ、それと〝複製〟の神器とやらが、どう関係するのじゃ?」

『ああ。ロムニックは〝黒い男〟から、それこそ使い切れないほどの量の護符を受け取っていた。だが余った実物を確認させてもらったところ、その全てが複製品であることが判明した。何せ筆跡、材質、経年劣化の痕までが全く同じだったんだからな。間違いない』

 実に大雑把な説明ではあるが、『加護』というものは付与術式使いエンチャンターが物質に一定の属性アトリビュートを付与することを示す。武具作製士クラフターであれば原則的に武器防具にそれを施すわけだけれど、当然ながら例外はある。

 それが護符だ。

 原料は紙、それと特殊なインク。紙はどんなものでもいいし、何色でも構わない。だけど、インクについては必ずエンチャンター自身のフォトン・ブラッドを加工した特別製でなければならない。何故なら、そのインクこそが属性――つまり『加護』を付与するための媒介となるからである。

 紙に描かれる文字は基本的に自由だ。『身代わりの加護』なら身代わりと、『治癒の加護』なら治癒と書く人もいれば、自分のシグネイチャー――フリムであれば〝無限光アイン・ソフ・オウル〟を意味する『000』など――を記す人もいる。その辺りは個々人の匙加減一つで決まるのだけど、それ故、筆跡が似たものは多々あれど、【全く同一の護符】というのはまず存在しない。同じ人間が同じ文字を書いたとしても、それが鏡映しのように完全一致するだなんて、普通は有り得ないからだ。

 それに、護符は機械的に量産することが出来ない。特殊インクに術力を籠めながら、紙に刻むようにして『加護』を付与する必要がある。そのため、カレルさんの言う『筆跡、材質、経年劣化の痕まで全く同じ』なんてものは、理論上存在し得ないのだ。

『偶然だろうが、元となった護符には右下のあたりに小さな傷がついていてな。そこが決め手になった。気付かなかったのか、どうでもいいと判断したのかわからないが……そのまま複製されたおかげで、ロムニックの手元に残っていた百枚前後の護符全てにまったく同じ傷がついていたよ』

 見た目だけなら、何かしらの手段で護符のコピーを作ることは可能だ。だけど、それは見せかけだけのハリボテでしかない。護符としての機能、すなわち『加護』を持ち合わせつつ、見た目も全く同じ物を作り出すためには――

『――そう、こんなことは神器の力でもなければ不可能だ。それに〝複製〟の神器については以前、風の噂で聞いたことがある。噂の出所が〝黒い男〟本人なのか、あるいは他の〝神器保有者〟なのかはわからないが……現状は奴が神器〝複製レプリケイト〟そのものを、もしくは保有している人間を味方につけていることだけは間違いないだろう』

 ロゼさんの〝超力エクセル〟、ヴィリーさんの〝実在イグジスト〟、カレルさんの〝生命ビビファイ〟、シグロスが持っていた〝融合ユニオン〟、そしてロムニックの中に宿っていた〝共感アシュミレイト〟――既に十二個中の五個がこの浮遊島フロートライズにあるというのに、さらに二つ以上の神器がまだ近くにあるかもしれない、とカレルさんは言う。

 これは一体どういうことなのだろうか。どう考えてもおかしい。世界に十二個しかないものが、一つの地域にここまで集中するだなんて。神器同士が引かれ合う性質でも持っていなければ説明のつかない事態だ。

 よもや僕達の知らない世界の裏側で、何かよからぬことが起こっているとでもいうのだろうか?

 己のあずかり知らぬ場所で、何やら大きな陰謀めいたものが策動しているような気がして、僕は言いようのない不安を覚える。

 そんな胸の内を見透かしたかのように、

『これは異常事態だと言ってもいい』

 カレルさんが声を低くしてそう言った。

『ヴィリー団長も言っていたが、ここ最近のルナティック・バベルやフロートライズ近辺はやけにきな臭い。第二〇〇層のゲートキーパー撃破に始まり、『ヴォルクリング・サーカス事件』、『開かずの階層』の解放、そして今回の決闘……こんなことはあまり言いたくないが、遠慮しても詮無きことだから言わせてもらおう。ラグ君――いや『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』、これらの中心には、必ずと言っていいほど君達がいる。単なる偶然なら構わないのだが、それでも気をつけて欲しい。【また次がないとは限らないのだから】』

「――――」

 ぐさりときた。カレルさんとしては釘を刺したつもりなのだろうけど、僕としては胸に杭を打ち込まれたような気分だった。

 言われてみれば確かにそうなのだ。敢えて抗弁するなら『全ては偶然なんです』と言い張りたいところだけど、我ながら説得力のないこと甚だしい。

 この偶然に次ぐ偶然のドミノ倒しがどこから始まったのかと言えば、やはり僕とハヌが出会いからになるのだろうか。

 ハヌがいたからこそ、僕はルナティック・バベル二〇〇層のセキュリティルームへと飛び込み、ヘラクレスと戦った。そして、僕がヘラクレスのコンポーネントを持っていたからこそ、ロゼさんはこの浮遊都市へとやって来た。また、そんなロゼさんをシグロスが追ってきたことによって『ヴォルクリング・サーカス事件』が引き起こされた。

 さらには、『ヴォルクリング・サーカス事件』で僕が目立ったからこそ、フリムはこの街にやって来た。そのフリムがニエベス達四人といざこざ――まぁ僕も無関係ではなかったのだけど――を起こした結果、みんなして『開かずの階層』の『隠しステージ』に飛び込む羽目になったのである。

 他にもある。アシュリーさんやゼルダさん、ミドガルズオルムとの戦いに、そのコンポーネントがキーになっているであろう『開かずの階層』のルーム群。先日のロムニックとの決闘に、まだまだエトセトラエトセトラ。

 あれよあれよの内に様々なことが関係して、広がって、連鎖して――現在いまへと至っている。そう、全て繋がっているのだ。ロマンチックに言うなら、【運命の糸】とでも呼ぶべきもので。

 けれど、これは難しい問題だ。意図してのことでないだけに、対処のしようがない。そのあたりはカレルさんも理解してくれているのか、それ以上は言及することなく、彼はがっしりした肩を竦めてこう嘯いた。

『――しかし、それを言えば我々『蒼き紅炎の騎士団』も似たようなものか。それだけに、あまり偉そうなことは言えないんだが』

 その一言で、カレルさんの纏っていた尖った空気が少し和らいだようだった。言われてみれば、さっき挙げられた事件の全てにヴィリーさんら『NPK』も深く関わっている。『開かずの階層』の仮想空間においては、『NPK』の幹部――〝カルテット・サード〟の一人であるアシュリーさんと、肩を並べて戦ったぐらいだ。これもまた偶然なのか、それとも――

『何にせよ、神器を集め、悪用せんとしている連中がいるのは確かだ。狙いはわからないが、我々が〝神器保有者〟である限り無関係ではいられないだろう。今度の合同エクスプロールではお互いに気をつけよう』

 奴らにとっては絶好のチャンスだろうからな――と、カレルさんは不穏な未来を予言するように告げた。

 確かに神器奪取が目的だとするなら、〝神器保有者〟が勢揃いしている『開かずの階層』エクスプロールは、〝黒い男〟にとってまたとない機会となるだろう。

 けれど、腑に落ちない点がいくつかある。

 本当に、あちらの目的は神器なのだろうか? という疑念だ。

 思い返してみれば、シグロスは明らかにロゼさんの〝超力〟を狙っていた。でも、あれは組織として欲していたのではなく、個人的な欲求に突き動かされての行動だったのではなかろうか。それぐらいシグロスの欲望は直線的だった。

 それに比べて、ロムニックはどうだったか? 彼は特に神器を欲しているようには見えなかった。というか、僕に決闘をふっかけてきた時点で色々と間違っているのだ。彼が神器を求めるのなら、狙うべきはヴィリーさんかカレルさん、あるいはロゼさんだったはずだ。なのに何故、〝神器保有者〟でない僕に狙いを定めたのか。それに彼は、ヴィリーさんとの決闘をむしろ忌避していた。その点を鑑みても、やはり神器を求めていたとは考えにくい。

 おかしなところはそれだけではない。

 どうして彼らは力を合わせなかったのか?

 あの二人がフロートライズへやって来た時期は完全にズレている。おそらくだけど、ロムニックがこの浮遊都市へ来たのは『ヴォルクリング・サーカス事件』が終わってからのはずだ。

 せっかく同じ〝黒い男〟から神器を譲渡されていたというのに、二人は何故お互いの手を組まなかったのか? シグロスとロムニックが一人ずつ行動するのは、いかにも非効率だ。

 無計画――不意にそんな単語が脳裏を過ぎった。そう、計画的では全然ないのだ。むしろ衝動的といってもいい。ことの中心に神器が絡んでいるのは確かだけれど、それでも〝黒い男〟の魂胆は神器の奪取というよりも、まるで――

「――どうやら、争乱を好む輩がおるようじゃな。己が悦楽のためだけに世を乱す、不埒者が」

 僕の思考を先取るように、膝上のハヌがつまらなさそうに吐き捨てた。僕の胸に後頭部を預け、傲然と細っこい腕を組んだハヌは、ふん、と鼻で息を吐き、

「カレルよ、ことはおぬしが思うておるより単純かもしれぬぞ? いや、ことによっては複雑なのかの?」

『……? 何か知っているのか、小竜姫』

 怪訝な顔をする通話アイコンのカレルさんに、ハヌは僕の胸にぐりぐりと頭を擦りつけるようにして、首を横に振る。

「いいや、知らぬ。そやつらのことは何も知らぬ。じゃが、この世には神を崇め奉る者もおれば、同時に神を否定する者もおる。それと同じように、世の太平を尊ぶ者がおれば、反対に混沌を望む者も存在しよう。そやつらの願望は至極単純……いわゆる【乱世】というやつじゃ」

 乱世――秩序を失った、混乱した世界。例えるなら――『ヴォルクリング・サーカス事件』の時のフロートライズのような。屍が山と積まれ、流血が河のごとく溢れる、地獄絵図。そんな光景が僕の脳裏にフラッシュバックした。

「世の乱れをよしとする輩にとって、神器などさほど重要なものではあるまい。それこそ鉄砲玉のごとく使い捨て、なくなってしまえばそれもまたよし。水面に石を投げ入れれば波紋が生ずる。あやつらが見たいのはその波紋なのじゃ。石がなくなれば、それだけ波紋をつくれたと喜ぶだけのこと」

 現人神と同じように『神』の名前を冠する神器を、よりにもよって石ころ扱いしたハヌは、くふ、と不敵に笑う。

「そんな輩の思惑など考えるだけ無駄じゃ。隙あらば獣のごとく食いついてくるじゃろうし、逆に気分が乗らず大人しくしていることもあろう。気に病むだけ徒労というものじゃよ」

「ですが小竜姫、それでは……」

「そうよ、じゃあどう対処すればいいっていうのよ?」

 あんまりと言えばあんまりなハヌの物言いに、流石にロゼさんもフリムも難色を示した。

 これに対し、むしろハヌの方がキョトンとした。

「どうすればよいのか――じゃと? 潰せばよかろう、そんなもの」

「へっ?」

 捨てればよかろう、そんなゴミ――みたいにしれっと言ったので、思わず僕が変な声をこぼしてしまった。

 ちっちゃな銀髪の頭が、僕の顎の下で小首を傾げる。

「降りかかる火の粉は払わねばならぬ。じゃが、そこらを飛び回る羽虫を絶滅させるのは骨が折れよう。ならば、見つけ次第潰していく他あるまい?」

 平然と言ってのけるハヌの声の温度で、僕らと彼女とで何が違うのかがようやくわかった。

 ハヌは恐怖を感じていないのだ。神器を、〝黒い男〟をまったく脅威と見なしていない。言葉通り、飛んで火に入る夏の虫ぐらいにしか考えていないのだ。この場合、火とは僕達『BVJ』のことを指す。

「どこから湧くか知らぬが、あやつらの目的はこの世を混沌に陥れることじゃ。じゃがいくら羽虫とはいえ、妾達に触れる度に叩き潰されようものなら、いずれは己が分を弁えるようにもなろう。恐れ戦き、二度と近付いてはくるまい。この程度のことは自明ではないか。おぬしらは一体何を臆しておる? 逆に問うが、それ以外に何か有用な策でもあるのか?」

 いつかの故ダイン・サムソロではないが、ハヌの言い分は実に『シンプル・イズ・ベスト』だった。相手を対等の存在と見なしていないその理屈は、まさしく強者の理論である。

 ハヌの言葉を要約すると次のようになる。曰く――『身の程知らずは殴って黙らせちまえ』。

 負けるどころか苦戦することすら考慮にないハヌの主張に、しばし呆気にとられるような沈黙が下りた。

 次に口を開いたのは、いつもの無表情のまま、琥珀色の瞳をパチクリとさせたロゼさんだった。ただ事実だけを述べるように、淡々と言う。

「……そう言われてしまうと、身も蓋もありませんが」

 全くである。ハヌの言い分は単純すぎて反駁のしようがない。けれど、身も蓋もないということをそのまま言ってしまうロゼさんもまた、身も蓋もなかった。

 場に変な空気が生まれる。

 途端、ぷっ、とフリムが吹き出した。

「あはっ――あははっ、あはははははははっ♪ ちょっともー何よ二人ともー、コントみたいなことして笑わせないでよねー♪」

 ソファの上でツインテールを揺らしてケラケラと笑う僕の幼馴染みは、目尻に滲んだ涙の小粒を拭いながら嘯く。

「――でもま、その通りっちゃあその通りね。おかげで目が醒めた気分だわ。そうよ、相手の正体も居所もわからないんだし、対策としてはそれしかないわよね。近付いてきた不埒な連中は全力でぶっ倒す――ある意味これまで通りじゃない。わかりやすくて上等だわ」

 なにやら闘争心に火が点いたのか、さっきまでの大人しい雰囲気はどこへやら。フリムはやにわに好戦的な表情を浮かべ、気炎を吐く。

「ハルト、アンタもそんなに不安そうな顔しないの。小竜姫の言う通り、要は相手の狙いが神器だろうが何だろうが丸ごとぶっ潰しちゃえばいいだけの話よ。仮にも勇者の看板背負ってんだから、むしろリーダーのアンタがこれぐらい豪語しなきゃダメなのよ?」

「え――ええっ!?」

 従姉妹の無茶振りに僕は思わず抗議の声をあげる。無理難題をふっかけるのは大概にして欲しい。確かに僕は『BVJ』のリーダーということになっているけど、先程のやりとりを見ての通り、実質的なトップはハヌなのだ。むしろハヌの現人神であるが故の豪毅さが、僕達全員の精神的支柱となっていると言っても過言ではない。実際、今もハヌの言葉によってフリムは戦意を向上させているのだし。

『……やれやれ。言葉こそ違えど、女性のエクスプローラーというのはどこも気丈なものだな』

 カレルさんの嘆息が耳に届いたので、通話アイコンへ視線を向けると、くすんだ金髪の美丈夫は『やれやれ』と言わんばかりに肩を竦めて、微苦笑を浮かべていた。

 不意に翡翠の双眸と目が合う。お、という感じで僕の目線に気付いたカレルさんは、ややシニカルに口元を歪めてみせた。

『実は、こちらの団長も今の小竜姫と似たようなことを言っていてね。〝何者かは知らないけれど、目の前に出てきたら斬り捨てるだけよ〟――と。ああ、〝わざわざ神器を持ってきてくれるのだから、むしろ好都合じゃない〟、とも言っていたな』

「あ、あは、あはは……」

 いかにもヴィリーさんが言いそうな台詞が飛び出したので、僕は何とも言えない顔で笑うしかなかった。

『こう身内に女傑が多いと、お互いに苦労するな、ラグ君』

「……………………はい……」

 同意を求めてきたカレルさんに、僕はしばし迷った挙げ句、深く深く思いを込めて首肯したのだった。





 ■





 浮遊都市フロートライズは、島の南方に広大な国際空港を擁している。

 人と物資の行き来が盛んな南側から発展していった歴史のあるこの浮遊島だが、それだけに南地区の街並みは他所と比べればやや古臭い。耐用年数を過ぎた建物の率も年々上がってきており、その対策が現在の都市長の悩みの種の一つとなっている。

 元はと言えば南の空港から始まり、最終的には北端に新たな空港を建造するのが当初の都市計画だった。北地区に新たな空の出入り口さえできれば、再び南の国際空港から街作りをやり直す――その予定だったのだ。

 しかしながら予算や利権といった政治的横槍が入る内、開発の遅れた北地区には貧民層が集まり、スラム化してしまった。しかも『サンダウン・ゲットー』とも呼ばれるその区画からは『裏会』を自称する組織犯罪集団が生まれ、今ではフロートライズの西半分を実質的に支配してしまっている。『東の都庁、西の裏会』と巷では有名で、これまた尽きない都市長の悩みの種の大きな一粒であった。

 フロートライズは空中に浮かぶ島であり、中央に遺跡レリクスを持つ土地柄がある。地上に根を張っていないためどこの国にも属しておらず、姉妹都市も存在しない。いわば自由独立都市国家である。

 世界にはフロートライズの他にも――特に遺跡が存在する土地においては――独立している自由都市がいくつかある。遺跡、およびそこで収集される情報具現化コンポーネントを中心として経済が回るが故の自然な帰結だ。自由都市だから市場が潤うのではなく、市場が潤っているからこそ自由都市として独立するのである。

 しかもフロートライズは『ヴォルクリング・サーカス事件』という大災害に見舞われながらも、一ヶ月も経たずに復興している。人、物、金の流れを血流に例えるなら、それらの流れる量が多く、速度が速く――すなわち血管が太く、その本数が多ければ多いほど、傷の治りが早いのは自明の理であった。

 そんな都市のとある一角を、奇妙な二人連れが歩いている。いや、片方は赤い和傘を椅子に見立てて座り、宙に浮いているため、厳密には連れ立っているとは言い難い。

 浮遊都市フロートライズ南地区のやや北寄り、細い小路が複雑に入り組んだエリアを、黒と赤のチグハグな二人組は進んでいた。

 片や、長身を漆黒のスーツ、シャツ、ネクタイで包み、両手にも革手袋をはめた黒尽くめの男。

 片や、深い紅の生地に金と銀の刺繍がふんだんに施された着物を、まるで遊女のように着こなし、両肩を露わにしている幼い少女。

 コツコツと足音を鳴らして、黒の革靴で石畳の道を進む男が独り言のように言う。

「いやぁ、それにしても今回は本当によかったですね。こんなところまで来た甲斐があるというものです。とてもおもしろいことになってきました」

 上機嫌である。全身黒尽くめの男の声音には、堪え切れぬ喜びが満ちていた。

 その隣で折り畳んだ朱色の和傘に腰かけ、ぼんやりと宙を滑りながら相伴していた銀髪の少女が、やにわに首を傾げる。その拍子に、無造作に結ったが故のおくれ毛がふわりと揺れた。

「? 何がどすん? うちには、どう考えても失敗続きやったとしか思われへんのやけど……?」

 さもありなん。結果だけを見れば、投入した人材や物資に比べて戦果は芳しくない。期待通りの効果が得られなかったのであれば、今回の遠征は失敗だったと結論づける他ないはずだ。

 実際、現在の自分たちのこの移動は、ほぼ敗走のようなものだというのに。

「シグなんちゃらに任せた仕事は、すぐ止められてご破算になってしもうたし、こないだの勇者なんちゃらにちょっかい出したんも、結局は上手くいけへんかったやおまへんの、勾邑はん」

「わかっていませんね、アグニール。今回は一見、その〝勇者ベオウルフ〟に徹頭徹尾邪魔をされた形にはなりますが――」

 黒尽くめの男――勾邑が漆黒の皮手袋に包まれた右手の人差し指を立てようとしたところ、その台詞を切り裂くように、

「形になる、やのうて、まんま邪魔されたんどす」

「――。」

 ずばり、と少女――アグニールが断言してしまい、男は歩みすら止めて凍り付いた。

 ピタリと静止した勾邑に合わせて、空中を浮遊するアグニールも和傘の進行にブレーキをかける。

 しばし硬直していた勾邑はやおら再起動し、ピンと立てるはずだった右の人差し指で、目元を隠すサングラスのブリッジを押し上げた。

「――相変わらず厳しいですねぇ、アグニールは。ええ、はい、そうですね。そこは認めましょう。素直に、ええ」

「…………」

 目から表情が読み取れないことをいいことに取り澄ました所作で誤魔化す勾邑を、アグニールは色違いの瞳でつまらなさそうに見つめた。蒼穹にも似た澄み渡った青の右目と、夜に咲く薔薇のごとき艶やかな赤の左目から、じとっ、と怪訝な視線を向けられた男は、んんっ、とわざとらしく咳払いをする。

「ですが――そう、【ですが】、ですよ? 失敗は成功の母と言うではありませんか。七転び八起き、わざわいを転じて福となすです。今回の失敗には、ちゃんと意味があったのですよ」

 逆接続詞を強調して繰り返す勾邑を、アグニールは怪しぶように見やってから、

「へえ、意味? どんな意味なんどす?」

 意地悪くそう問い返すと、勾邑は調子を取り戻したように歩みを再開した。アグニールも彼の歩幅に合わせて和傘を発進させる。

「それはもう、渦中の人〝勇者ベオウルフ〟君ですよ。喜んで下さい、アグニール。【彼は私達の仲間になってくれるかもしれませんよ】?」

「――! へえ? ほんまに?」

 少し興味が湧いた。アグニールの青赤のオッドアイに好奇心の光が微かに煌めく。だがその直後、アグニールは左の人差し指を顎下に添え、んー、と宙を睨んだ。

「……せやけど、その勇者はんはあの小娘と行動を共にしてるんやないの? ほら、〝剣嬢ヴィリー〟とかいう神器持ちの」

 然り、とこともなげに勾邑は頷く。

「ええ、そうですね。勇者ベオウルフと【あの二人】はなかなかに仲良しのようです。今度、一緒にエクスプロールするらしいですよ? あと、確か剣嬢ヴィリーさんが〝実在〟、その相棒のカレルレン・オルステッド君が〝生命〟の神器を所有していますね」

「せやせや。そんで、その子らはどちらかいうと『守護者レギュレーター』側の要素が強いて、前に言うてはらんかった? せやったら、その勇者はんもあっち側に行ってまうんとちゃいますん? 勾邑はん」

 勾邑の立てる硬い靴音以外に音はなく、また小径であるが故に周囲は薄暗い。まだ昼過ぎだというのに、周辺一帯には人気がなく、静寂に満ちていた。

 それもそのはず。この辺りはかつては人口密度の高い住宅街であったが、今となっては打ち捨てられた廃墟が群れを成す過疎地と化している。北地区と違ってまだスラム化は進んでいないが、いずれはそうなっていくであろう区画であった。

 故に、勾邑は声を憚ることなく嘯く。

「ええ、そうですね。特に剣嬢さんは正義感の強いお人柄のようですから、私達『破壊者ヴァイオレーター』の仲間にはなってくれそうにありません。ですが、その相棒のオルステッド君については、割と才能が感じられますよ?」

 くす、と楽しげに笑う長身の男に、アグニールは首を傾げる。

「そりゃまた、なんでそう思いはるん? 何ぞ根拠でも?」

「ええ。実を言いますと、シグロス君に仕込んでおいた【虫】が、どうやらオルステッド君の中へ移ってしまったようなんですよ。しかも若干ですが、私とのリンクが成立しています。あちらは気付いていないようですが」

 これには少々驚き、銀髪の少女はやや目を丸くして驚いた。

「あらまぁ、そんなカラクリまで仕込んではったん?」

「ええ、用意周到でしょう? まぁ、これが剣嬢さんだったらリンクは確立できなかったでしょうが……少なくともオルステッド君には【こちら側へ来る可能性】が残っているということなんでしょう。要するに、まだどちらへ転ぶかはわからない、ということです」

「ふぅん……そんで、それと勇者はんと何の係わりがあるんどす?」

 少し自慢げにしかけた勾邑の振りを完全に無視して、アグニールはにこやかに問いを重ねた。しかも、

「――あぁもぅ、ややわぁ、勾邑はんは話が上手うて長い間耳を傾けてまうから、うち楽しくて仕方ありまへんわぁ」

 パタパタと手を振りながら、にっこり、と満面の笑みを見せる。

 当然のことながら本心ではない。なかなか本題に入らず、求める答えを口にしてくれない勾邑への皮肉である。無論、それがわからない勾邑ではない。

「つれませんねぇ、アグニール。長い人生、時には遠回りするのも乙なものですよ?」

「ええからはよ話しぃなぁもう」

 素が出た。にこやかな顔立ちから一転、苛立たしげに低い声で吐き捨てた少女に、ひょい、と男はわざとらしく肩を竦めてみせる。

「まぁ、剣嬢さんとオルステッド君を含め、あの『蒼き紅炎の騎士団』については今のところ捨て置きましょう。なにせ、【神器が十二個しかないと思い込んでいるほどの情弱っぷりですからね】。そんなことより〝勇者ベオウルフ〟君です」

「そや、その勇者ベオなんちゃらおす」

「はい真面目に聞いて下さいね、アグニール。ベオウルフです、ベオウルフ。本名はラグディスハルト」

「ラグ、ディ……? なんや、どっちにせよ長くてとっちらかった名前やねぇ。覚えにくいわ」

「ええ、姓名が一緒くたになった特殊な地域の出身のようです。確か地図で言うと、遠い東の方の土地になりますかね。『極東』の一歩手前というところですか。あのあたりの有名な偉人というと……セイジェクシエルですかね?」

「あ、その名前やったら知ってますわ。ちっちゃい頃に聞いたことがあるんどす」

「ちっちゃい頃……ですか」

 何か言いたげにサングラス越しの視線が、ふよふよと宙を往くアグニールへと向けられた。目付きからではなく語調からその意図を汲んだ少女は、音もなく男の腰辺りに和傘を近寄らせると、菩薩のような笑みを浮かべながら、げしっ、と軽く蹴りをいれた。

「ぐっふ」

「勾邑はん、今何か言わはった? ん?」

 朗らかな声音から猛烈なプレッシャーが放たれる。背後に潜む鬼気迫る迫力に、しかし勾邑は涼しい素振りを崩すことなく、もう一度サングラスのブリッジを指で押し上げた。

「……いえいえ、それより続きと参りましょうか。えー、長い名前なのでラグディス君としましょう。そのラグディス君、どうやら神器ととっても相性のいい血筋のようなんですよ、これがまた」

「相性のええ血筋?」

 そんなものがあるのか、と声を高めて繰り返すアグニールに、勾邑は頷きを返す。

「ええ、そうです。まぁ神器は物ではありませんので、相性がいいという言い方は本来正しくないのですが、そこは言葉の綾ということで。彼の出身地から考えると、おそらくですが〝ロイヤルブラッド〟と、我々の中で呼ばれている血筋になると思われます」

「へえ、ろいやるぶらっど? そりゃまた御大層な名前が出てきたもんどすなぁ」

「まぁ、古来より神器とは王族が守護し奉るものですからねぇ。そこから〝ロイヤル〟という名称が与えられたのでしょう。そうそう、これをご覧くださいな」

 勾邑は己の〝SEAL〟からとある配信映像を表示させた。パン屋のトレイほどの大きさのARスクリーンが二人の視界に浮かび上がり、前方に展開する。男の〝SEAL〟が表示するスクリーンは、自動的に相対位置座標が固定され、彼の歩行速度に合わせて宙を滑るように移動していく。

「これ、なんどすん?」

「先日のロムニック君とラグディス君の決闘の映像です。あなたにも共有しましたけど、どうせまだ見ていないのでしょう?」

 勾邑の邪推をアグニールは、うふふっ、と笑い飛ばした。

「ややわぁ、見損なわんといてくれはります? ちゃんと最初と最後の部分だけは確認してますよってに」

「世間一般ではそれを、ちゃんと見た、とは言わないんですよ、アグニール」

 苦笑しながら訂正する勾邑が映像を再生させる横で、少女はすかさず、ぷふっ、と吹きだし、

「【世間一般】て。勾邑はんにだけは言われとうないんどすけど」

 ちくり、と彼の台詞に小さな棘を突き刺した。

 既に映像の見所にマーキングしていたのだろう。勾邑が再生した映像は、決闘の後半部分から始まった。

 場面はラグディス少年の戦闘ジャケットが異様な変形を始め、これまで一切励起させてこなかった〝SEAL〟を深紫に輝かせつつ、双剣でもって乱舞しているところだった。ちょうどこのあたりから、常に優勢に立っていたロムニックの動きから精彩が欠け、形勢が逆転していくのだ。

「ほら、見て下さい、この色。彼のフォトン・ブラッドを」

「へえ、随分と濃ゆい紫おすなぁ」

 見たままの感想をアグニールは口にする。実際、少年の放つ血の輝きは、ともすれば漆黒に見えないこともない。それほど彼のフォトン・ブラッドは暗い色をしていた。

「そうです。古来、紫は高貴な色と云われていました。〝ロイヤルブラッド〟もその一つです。血に貴賤があるわけではありませんが、この系統の血が流れる一族は昔から特殊な力を持つことが多かったと言われています。特異体質であったり、特別な才能を持っていたり。神器との親和性が高いのも、その一つですね」

 他の動物と同じく、人間という生物もいくつかの種に別れており、それぞれに血統がある。フォトン・ブラッドの色はまさにそれを示しているのだと勾邑は言う。

 文字通り十人十色のフォトン・ブラッドは、混ざり合うことによって新たな色を生むこともあれば、どちらか優性になった方が表出することもある。全てはランダムの確率だ。そうやって人類は古代から、そして新人類へと進化した今になっても、遺伝子の旅を続けているのである。

「さらに言えば、この色の濃さ。統計データはありませんが、昔から明るい色は善性、暗い色は悪性を示すというオカルトがあります。それを念頭に置けば、どうですかこの暗さは。もうほとんど真っ黒に近いではありませんか。いやぁいい、とてもいいですよこれは。逸材です。百年に一人の才器と言っても過言ではありません」

「ふぅん……?」

 珍しく興奮して早口になる男の横顔を、アグニールは退屈そうに一瞥する。サングラスのおかげで表情の全容まではわからないが、身振り手振りと口元を見れば、ある程度なら推察できる。

 基本的には冷静沈着、応用的には慇懃無礼。それがアグニールから見た勾邑の性格だ。そんな彼がここまで何かを――否、【誰か】を褒め称えるのは非常に珍しい。

「ほんで、それがその、勇者ベオはんがうちらの仲間になってくれるかもしれへんと思はる理由なんどす?」

 それにしては信憑性が薄く、説得力がない――そんな思いを込めながらの問いに、勾邑は今度こそはっきりと、はは、と笑い返した。

「ええ、それはもう。それどころか、【彼は私の後継者になってくれる人かもしれません】。どうです、すごいでしょう?」

「後継者……?」

 決定的な単語が飛び出した矢先、アグニールはようやく自分の中で低気圧が発達していることに気が付いた。

 気に喰わない――いつの間にかそう思っていたのだ。

 何故だかわからないが、この男が別の誰かを褒めているのを見ると、無性に苛々する自分がいる。

 ARスクリーンに映し出される映像では、ラグディス少年がもはや完全にロムニックを圧倒していた。何が恐ろしくなったのかロムニックはけたたましい悲鳴を上げ、熟練のランサーとは思えぬほど無茶苦茶な動きで槍を振り回している。一方、ラグディス少年はこれまでの劣勢ぶりが演技か何かだったように、洗練された動作を見せていた。その鋭さたるや、一流の剣士もかくやである。死神の装束にも似た歪な全身鎧を身に纏い、身体の各所から深紫の輝きを稲妻のごとく迸らせるその姿は、なるほど『破壊者』の名に相応しいかもしれない。

「……へえ、後継者どすか……勾邑はんの。それって、もしかして〝黒血〟の?」

 自然と声も低くなった。喉の奥がゴロゴロとしていて、ひどく気分の据わりが悪い。

 だがアグニールの不機嫌そうな態度に気付いていないのか、勾邑は対照的に上機嫌な調子で続けた。

「ええ、彼こそまさしく次の〝器〟に相応しい。嬉しいですねぇ、こんなところで出会えるだなんて。望外の、そのまた望外の幸運です。今回、わざわざ現地まで足を運んだのは無駄どころがまさしく僥倖でしたね。次からは可能な限り、作戦現場には足を運ぶことにしましょうか」

「…………」

 完全にこちらのことを気にしていない――そう悟ったアグニールは、もう表情を取り繕う必要すら感じず、憮然とした態度で告げる。

「せやったら、こんまま帰ってしまってもええんどす? そのベオはんと話つけるか、拉致ってしまはったらええんとちゃいますのん?」

 溜息交じりの投げ遣りな指摘に、勾邑はパタパタと漆黒の手袋に包まれた掌を振る。

「いえいえ、それは流石に厳しいですよ。何だかんだと長居してしまいましたし、これ以上は閲紙翁けみしのおきな邪神酒やみきさんも許してはくれないでしょう。ここはいったん拠点に戻って、色々と打ち合わせをしなければ」

「ふぅん……」

 唇をへの字に曲げたアグニールは気のない返事をした。それでもなお気付かず、勾邑はARスクリーンを指差す。

「ほらほら、ここですよ、ここ。最後のコレです。見て下さい、ラグディス君の〝SEAL〟が皮膚から離れて、周囲の空間まで浸食しているでしょう? これ、〝変貌者ディスガイザー〟の一種なんですよ、おそらく。自分の肉体ではなくて、周囲に影響を及ぼすとても珍しいタイプです」

「さよでっか」

「ええ、さよですよ――と……おやおや? アグニール、もしかしてご機嫌ななめですか?」

 やっと気付いたらしい。今までスタスタと遠慮なく歩いてた長い脚が、ピタリ、と止まった。

 今更遅い。そう言うかのようにアグニールは無言のまま宙を飛ぶ和傘の速度を落とさず、先へ先へと進んでいく。

「……おや? 私、何か悪いことをしてしまったでしょうか?」

 独り言のように呟いて、黒い男は腕を組んで首を傾げる。が、そうこうしている間にも赤い着物を着崩した背中が遠ざかっていくので、勾邑は慌てて歩みを再開した。

「アグニール? アグニールさん? 待って下さい。私が何か粗相をしたのなら謝りますから。何が気に喰わなかったのですか?」

「…………」

 アグニールの眉根に深い皺が寄る。天然なのか、わざとなのか。勾邑の無配慮な発言は、余計に少女の神経を逆撫でにした。

 振り向かないまま、冷たい声で答える。

「別に怒ってなんかありまへんえ。そないなことより、うちらはどこへ向かっとるんどす? 空港に行くて言うてたのに、なんや途中で列車を下りてしまはれるし。うちも黙ってついてきたわけやけど、そろそろ教えてくれはってもええんとちゃいます?」

 細い路地は入り組んではいるが、動線は形成されている。勾邑より先行してもアグニールが迷わず進めるのはそのためだ。細い小径に入ってからずっと、勾邑は真っ直ぐ進んでいた。この薄暗い隙間の先に何があるのかは知らないが、おそらくはそこが目的地だろう。

「ああ、そういえば説明していませんでしたね。申し訳ありません。でも、そろそろ到着するはずですよ。確かニエ君から教えてもらった座標はこの近くですから」

 勾邑が言った直後、小径が途切れ、二人は拓けた場所に出た。

 急に視界が明るくなり、アグニールは眩しさに顔を蹙める。後続の勾邑は常用しているサングラスのため、影響はなかったようだ。

「……? なんやの、ここ?」

 目が慣れてきたアグニールは、和傘の進みを止めて呟いた。

 そこは住宅街のど真ん中に遺された、おそらく以前は噴水広場だったであろう場所だった。かつての面影を残してはいるが、敷き詰められた石畳は蜘蛛の巣のごとく割れ砕け、そこかしこからブラシのような緑の雑草が生えている。当然、中央にある噴水は、今では朽ちたオブジェと化していた。

「約束では、先に彼らが来ているはずなのですが……ああ、あちらにいますね」

 追い付いた勾邑がアグニールの左横に立ち、黒い手袋の指先で広場の奥を示す。意識した途端、そちらから届く騒音が耳に入ってきた。

 勾邑が指差した方角に、人間の男共が三十人ほど群れを成しているのが見えた。どうして今まで聞こえてこなかったのかと不思議に思うほど、大声で騒いでいる様子だ。おそらくは酒でも入っているのだろう。

 次いで、肉の焼ける匂いが漂ってきた。青空――この都市は雲より高い位置を浮遊しているため常に晴天だ――に立ち上っていく煙から察するに、男達が野外バーベキューパーティーを楽しんでいるのは疑うまでもない。

 何故、こんな辺鄙な場所でそんなものを催しているのかは知らないが、どうやら勾邑は彼らに会うためわざわざここまで来たらしい――とアグニールは理解した。

 勾邑が迷いのない足取りで男達に近付いて行くので、アグニールも仕方なく後ろをついていく。すると、こちらの接近に気付いた男の一人が体ごと振り返り、大きく手を振った。

「おーい旦那ぁー! こっちこっちぃー!」

 黒い服を着た、そこはかとなく軽薄そうな雰囲気の漂う茶髪の男だ。アグニールは小首を傾げ、勾邑に尋ねる。

「へえ、どこかで見た顔やね?」

「おや、覚えていませんか? アレがニエ君ですよ。ほら、ラグディス君とエクストラステージに行った、例の【駒】です」

 そっと耳打ちしてきた勾邑に、アグニールは、ぽん、と掌を叩く。

「ああ、あん時の小童こわっぱ。なんや、相変わらず勾邑はんの手駒は、ぱっと見ぃやと全然わからへんなぁ」

「褒め言葉として受け取っておきましょう」

 ニエ君と呼称されている茶髪の男がこちらへ駆け寄ってくる。身につけているのはTシャツにカジュアルジャケット、スキニーパンツにエンジニアブーツ。ファッションの方向性こそ勾邑とは正反対だが、それら全てが黒一色で統一されている点だけは一致している。

「……勾邑はんの手駒は、みんな黒い服が好きになる呪いでもかかっとるん?」

「さて? 元の人格の主体性が薄かったり、周囲の影響を受けやすい性格だとそういった節はあるようですが……どうなんでしょうね?」

 小声で囁き合う二人の元に、息せき切ったニエベスが到着し、満面の笑みを浮かべて歓迎の意を表した。

「待ってたっすよ旦那ぁ! 遅いんで心配しちゃったじゃないっすか! あ、こっちが噂の姐さんですか? ちわっす!」

 ベラベラと一方的に喋ったかと思えば、突然姿勢を正して一礼する男を、アグニールは小バエでも見るかのように眺める。

「……なんや妙に軽い男やね。こら素なんどす?」

「ええ、彼はいわゆる【哲学的ゾンビ】というものですから。中身はともかく、【外装】は元々の人格が持っていたものをそのままトレース――再現していますよ」

「??? 何の話っすかー?」

 勾邑とアグニールとの間で交わされる会話に、ニエベスは何の邪気もなく質問をする。

「いえいえ、ニエ君は気にしなくてもいい話ですよ」

「あ、そうっすか!」

 哲学的ゾンビ。見た目は普通の人間と見分けがつかないが、実際には意識クオリアを全く持っていない人間と定義される存在である。

 先日、道端で勾邑に喧嘩をふっかけたニエベスは、健闘虚しく〝黒血〟による〝汚染〟を受けている。その瞬間からニエベスは自我を奪われ、勾邑の手駒となっていた。

 いまや、ニエベスという人間の意識はこの世のどこにも存在しない。ここにいるのは、かつてはニエベスと名乗っていた人間の抜け殻であり、それを動かしているのは肉体に染みついた記憶である。意識を持たない彼は全ての行動において、これまで積み重ねてきた記憶から算出した『ニエベスという人間ならどうするか』というシミュレーション結果を再現しているだけに過ぎず、そこに意思や感情は存在しなかった。

 生きたロボット――それが今のニエベスを表す、もっとも簡潔な言葉である。

「それでニエ君、今日はどれぐらい集めてくれたんですかね?」

「ああ、そうっすそうっす! みんなに旦那と姐さんを紹介するんで、あっちに――」

「質問に答えてください」

 ニエベスの言葉を遮り、勾邑が強くはっきりとした声で告げた。

 途端、ニエベスの顔から表情が抜け落ち、マネキンのように固まった。のっぺらぼうな声が勾邑の問いに答える。

「三十五人です。俺達四人は『開かずの階層』の件で裏会の出世街道に乗れて、そこそこの地位と専属の部下を八人ずつ貰いました。今日はそいつら全員を親睦会って名目で呼び出してます。これが、今の俺に集められる最大人数です」

「そうですか。思っていたよりも多くて何よりです」

 満足げに頷いた勾邑は、ふと顔に突き刺さる二色の視線に気付き、視線を横にずらした。アグニールが問いただしげに、じっ、と彼を見つめていたのだ。

「ああ、説明がまだでしたね。今日はここ、フロートライズ用の手駒を増やしに来たんですよ。どうせならニエ君と同じタイプの方が手を広げやすいかと思いまして」

 にこやかに言い放たれた言葉を、アグニールは頭の中で要約する。つまり――既に手駒と化しているニエベスを利用して、その仲間を招集し、彼らも一緒に〝黒血〟で〝汚染〟するんですよ――と、勾邑はそう言ったのだ。

「へえ、道理で」

 わざわざこんな人気のない場所まで来たわけだ、とアグニールは得心する。なるほど、ことを為すならここ以上にぴったりの場所はあるまい。奥まっているため人目はなく、万が一にも第三者に見咎められる心配もない。しかも、集まっているのは裏会――つまりはやくざ者の集団――の所属員ばかりだ。実際に一人や二人消えたところで、誰も気にするまい。

「君も含めて四人のリーダーがいるわけですね。どれですか?」

 勾邑が問うと、ニエベスは夢遊病者にも似た手つきで、広場の奥にいる仲間たちを指差した。

「赤いシャツを着ているのがマナッド。金髪モヒカンででっけぇ鼻ピアスをつけてるのがアーカム。ノッポでゴツイのがルーク。どいつも俺の大事な友達です」

「――へえ……大事な」

「お友達、ですか」

 淡々と告げられた『大事な友達』という言葉に、勾邑もアグニールは二人して失笑を禁じ得なかった。

 三人の仲間を大事だと言わせたのは、あくまでニエベスの記憶であり、その発言にはもはや言霊の欠片すら宿ってはいない。友人を大切に思う感情はとうに揮発しており、ニエベスは――否、【ニエベスだったもの】は、ただ体内にある情報を読み上げただけに過ぎなかった。他でもない、彼自身の唇を使って。

 その痛烈な皮肉を、二人は嘲笑わらったのだ。

「そうですか。よかったですね、これからもずっと一緒に居られますよ」

「肉体だけ、やけれどね」

 うふ、とアグニールが笑うそばで、勾邑が黒い手袋に覆われた手でニエベスの肩を軽く叩く。すると、モードが切り替わったかのように再びニエベスのテンションがもとに戻った。

「――じゃあいつらに紹介しますんで、旦那も姐さんもこっちへ、ほらどうぞどうぞ!」

 もとより強者にへつらう性質があったのだろう。ニエベスはわざとらしいほど明るく振る舞い、勾邑とアグニールを仲間達の下へと案内する。

「おーニエベっちー! 戻って来たかー!」「何してんだよ、もう肉焼けてっぞ!」「おっ? その人がテメェの恩人っていう旦那さんか?」「え、マジ? その黒い人がニエベっちの恩人?」「あっヤベっ肉食ってる場合じゃねぇ! おいテメェら! 全員こっち並べ! ニエベスの恩人さんが来たぞ!」

 ニエベスを先頭に近付いていくと、まず先程の紹介にあった赤シャツ、鼻ピアス、ノッポの三人が気付き、バタバタと立ち上がった。次いで号令によって他の全員が呼び集められ、彼らの部下――いわゆる舎弟がずらりと整列して背筋を正す。

 そんな彼らの前でニエベスがドスを利かせた声を張り上げた。

「おいテメェら! こちらの旦那と姐さんは俺の人生の恩人だぁ! 誠心誠意こめて挨拶しろぃ!」

 次の瞬間、ニエベス以外の全員が一糸乱れぬ動きで勢いよく腰を折り、深々と頭を下げた。

『大変お世話になってますッッッ!!!』

 完璧なまでに重なった声がビリビリと大気を震動させる。どうやら彼らの生きる世界では上下関係が徹底されているらしい。清々しいまでの一体感であった。

 そんな彼らの姿が余計に滑稽に思えて、アグニールは艶然と笑みを深める。

 これからどうなるかも知らずに――と。

「旦那! うちのニエベっちがいつもお世話になってます!」「今日はありったけの肉を買い込んできました! どうか食べてやってください!」「そちらのお嬢さ――いえ、姐さんにも美味しいジュースやお菓子を用意しました! お楽しみください!」

 赤シャツ、鼻ピアス、ノッポの三人が頭を下げたまま、連携して挨拶する。どう見ても幼い少女にしか見えないアグニールに対しても、必ず『姐さん』と呼ぶのだから大したものだ、と感心する。

 はぐれ者ではあるが、根っからの悪党というわけでもないのだろう。仲間の恩人――そう情報操作しているだけだが――である勾邑に敬意を払い、礼儀を尽くす。褒められた身分ではないが、その姿勢は下手な一般人よりも折り目正しいと言えた。

 しかし、だからこそアグニールの愉悦は深まる。思わず、あっは、と笑い声が漏れてしまった。

「――みんな、ええ子達ばっかりやねぇ。うち、たまらんわぁ……」

 少女とは思えぬほど艶やかな声音に、何人かが驚いて顔を上げた。色香すら漂う響きとは裏腹な、やはり幼い少女の姿をそこに見出して、狐につままれたような表情を浮かべる。

「ご丁寧な挨拶ありがとうございます、皆さん」

 踏ん反り返ってしたり顔を浮かべるニエベスの背後から出て、勾邑が頭を下げたままの三十五人に歩み寄った。両手を広げて、歓迎に感謝の意を表すかのごとく。

「では、早速ですがお願いがあります」

 男達へ近寄っていく長身の背中を見つめながら、アグニールは和傘の上でほくそ笑む。ああやって密集しているのは、どうにも具合がいい。あれではきっと【一網打尽】だ。

「あなた方には主に〝勇者ベオウルフ〟こと、ラグディスハルト君という少年の動向についての監視、調査を行ってもらいます。また、必要があれば直に動いてもらうこともあると思いますので、その時はどうぞよしなにお願いしますね」

 さらりと一方的な通告を放った勾邑に、頭を下げていた全員が驚いたように面を上げ、訝しげな眼を見せる。男達の大半が意味を理解できず、呆気にとられているようだった。

「は、はい……?」「え、あ? お、おい、何だ今の?」「い、いや、知らねぇよ……ニエベスの野郎が聞いてんじゃねぇのか?」

 赤シャツら三名が首をひねりつつ小声で言い交し、自然とニエベスに視線を集中させる。が、既に勾邑の傀儡と化している青年はどこ吹く風だ。

 さざ波のごとく男達の間に動揺が広がり、空気がざわつく。

 くす、と勾邑が笑った。

「ああ、疑問に思う必要はありませんよ。すぐ気にならなくなりますから」

 朗らかに言った瞬間だった。

 黒尽くめの男の足元――割れた石畳とその隙間から生えた雑草を覆っていた黒い人影が、突如として円状に広がった。

『――!?』

 否、それは影と呼ぶには暗すぎた。コールタールのように粘つく、それは【闇】だった。一瞬で半径十メルトル近くも拡大したそれは、男達の足首あたりまでを一気に呑み込み、ごぼり、と同心円状に波立った。

「なぁ――!?」「うおっ!?」「な、なんだこりゃあ!?」「う、うわぁぁぁぁっ!?」

 突然のことに驚愕し、混乱の悲鳴を上げる男達。出し抜けに現れた闇は、まるで奈落へと繋がる穴のようにも見えた。

 さらに言えば、足元を浸す闇は、厚みが判別できないほどに漆黒だった。光の全てを吸い込んでいるため、【そこにある】とは認識できず、逆に【そこに何もない】と認識することで、かろうじて観測できるほどだ。

 それだけではない。【闇】は生き物のごとく蠢いていた。水のようにチャプチャプと。軟体生物のごとくヌルヌルと。

 やがて、浸食が始まる。

 触手を伸ばすように、闇色の糸が男達の足を這い上がっていく。足首から膝へ、膝から太腿へ、太腿から腰へ――

 狂乱の絶叫が幾重にも轟いた。誰もが力の限り声を張り上げて叫んでいた。体が動かないのだ。闇の触手が絡みついた箇所から感覚が消失していき、肉体が溶けていくかのようだった。痛みもなく、苦しみもない。ただただ【喪われていく】――それがより一層の恐怖を誘った。

 何故、どうして、いきなりこんなことに――!?

 混乱の最中、状況を理解できない男達が口々に叫ぶ。唯一の例外は、こうなる元凶を連れてきたニエベスだけだった。彼はバーベキューを楽しむ仲間を見つめるのと同じ眼差しで、闇に喰われる友人や部下を眺めていた。

 次に、広がった闇の縁が盛り上がり、逆巻く瀑布のごとく空へと伸びた。上昇した漆黒の膜は高く伸びるにつれて中央へと集まっていき、ついにはドーム状の屋根を形成する。

 陽光が遮られ、辺りは真っ暗闇に包まれた。

 失われた視覚に、さらなる金切り声が響く。そこには切った貼ったの世界に生きる男の矜持はなく、目に見えぬ幽霊に怯える幼子がごとき軟弱さしかなかった。

 だが、それも長くは続かなかった。全身の感覚を奪われるにつれ、声を出すことすら出来なくなってきたのだ。

 悲鳴や怒号が次第に収まっていき、静寂が支配領域を広げていく。

 大した間も置かず、閉鎖空間の中は、しん、と静まり返った。

 静謐で濃密な闇の中、勾邑の声が、いっそ優しげに囁いた。

「さぁ、どうぞ」

 耳鳴りがしそうなほどのしじま、その声はやけに透って響く。

「私色に染まって下さい」





 ■





『かぁん――ぱぁぁぁぁぁぁいっ!! イェエェ――――――――ッ!!』

 人気のない廃墟の街の一角である。

 周辺に住人がいないのをいいことに、大人数の男がバーベキューコンロを囲い、昼間から大いに盛り上がっている。

 酒盛りだ。

 三十人強の男が互いに笑い合いながら、焼いた肉や野菜をつまみ、プラスティックグラスに注いだ麦酒や蒸留酒を呷っている。

 仲間内だけでのパーティーなのだろう。誰もが気の置けない関係で、随分と楽しそうに見えた。

 彼らの中心にいるのは、四人の男だ。

 軽薄そうに見える茶髪。決して趣味がいいとは言えない真っ赤なシャツ。派手なモヒカン頭に大きすぎる鼻ピアス。巨人の子供かと思うほど大柄な体躯。そんな特徴を持つ四人組が、どうやら男達の中で上位に位置する存在であるようだった。

 仲の良い四人を中心として場は盛り上がり、彼らの楽しげな声は途切れることがない。

 だがその中に、黒尽くめの男と、深紅の着物を着崩した少女の姿はない。

 そして真の意味で、心の底から楽しんでいる人間もまた、ここには存在しない。

 ここにいるのは、空っぽの人形だけ。

 意識クオリアを持たず、培われた記憶と経験から行動を算出する、生きたロボット。そんな存在だけがこの場に集まり、酒盛りをしている。

 誰も気付かない。

 誰も指摘しない。

 誰も気にしない。

 ここで行われているのは、親睦会という名の茶番。誰に見せるわけでもなく行われる演劇。

 何も感じない、何も思わない自動人形達が、計算結果だけを頼りに、笑い、歌い、喰い、飲み、騒いでいる。

 観客はいない。

 それでも、この醜悪な人形劇ファルスは続く。

 どこまでも。

 いつまでも。





 ■





 改めて空港へ向かう道すがら、アグニールはかねてからの疑問を勾邑にぶつけてみた。

「なぁ、勾邑はん。うち前からいっぺん聞いてみたかったんどすけど」

「はい、なんでしょう?」

「あんさんの血で〝汚染〟しはると、みんな黒い服着るようになりおすやろ? さっきの小童みたいに」

「ええ、不思議なことに。何故でしょうかね?」

「へえ、理由はどうでもええんやけど。それで、うち思ったんやけど……」

 じっ、とそこで一拍溜めてから、アグニールは、うふ、と笑い、その問いを口にした。



「――ここにいるあんさんは、ほんまに【本物の勾邑はん】なん?」



「ええ、そうですが、それが何か?」

 さらりと。

 一瞬の躊躇もなく、男は答えた。口元に微笑さえ湛えて。

「……ふぅん……?」

 アグニールの笑みもまた深くなる。青と赤の瞳を弓なりにそらせて、勾邑に流し目を送る。

 勾邑は、呼吸をするように嘘を吐く男だと少女は知っている。

 それこそつい先刻、多くの男の魂を地獄へ送ったばかりなのだ。その言葉を真に受けるほど、アグニールは純真ではいられなかった。

「ほんまの、ほんまにぃ?」

 うふふ、と堪えきれない含み笑いをこぼしながら、意地悪く念押しを入れる。

 だが、勾邑も飄々としたものだった。肩を竦め、軽く首を横に振る。

「疑われてますねぇ。私はそんなに信用がありませんかね?」

「自分の胸に手ぇ当てて考えてみたらよろしおす」

 先を丸めた針で突くようなアグニールの返答に、勾邑はわざとらしく両手を胸に当て、それでもわからないと言わんばかりに小首を傾げて見せた。

 アグニールは、最後の言及をする。

「――んで、ほんまのところはどうなんどす?」

 もはや適当にはぐらかすだけでは納得させられないと悟ったのか、勾邑はこれ以上話を誤魔化すような愚は冒さなかった。

 ただ右手の人差し指をピンと伸ばし、唇の前に立てる。

 そして、茶目っ気たっぷりの声音で囁くように、一言。

「内緒、です」

 サングラスに隠された目は、もしかしたらウィンクをしていたかもしれない。

 これに対し、アグニールも笑いながら一言だった。

「きっも」






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