リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●19 勝利のご褒美




 ラグディスハルトの勝利が確定した瞬間。

 その時、ハヌムーンは大きく万歳をしながら飛び跳ねた。嬉しすぎて自分でも何を叫んだのかよくわからなかった。

 その時、ロルトリンゼは隣のフリムに抱き付かれ上下に揺さぶられながらも、ARスクリーンを見上げてわずかに微笑んだ。自分が笑っていることに、自覚はなかった。

 その時、ミリバーティフリムは隣に立っていたロゼに飛びつくように抱き付き、奇声を上げながら何度もジャンプした。頭のどこかの冷静な部分が、ロゼの肉感的な肢体について『ナニコレ柔らかすごっ!』と驚いていた。

 その時、アシュリーは両手で拳を作り、全力でガッツポーズをとった。だが大声を上げるのははしたないと思ったのでどうにか我慢した。

 その時、ゼルダは大口を開けて『ほえ~』と息を漏らした。まさかの逆転劇に、割と本気で驚いていた。

 その時、カレルレンは隣のジェクトに肩を叩かれ、反射的に振り向いた。いわゆる『ドヤ顔』を見せつけてくる部下に、彼は微苦笑を返すだけにとどめた。

 その時、ヴィリーは胸の中にあった不安の重石を遠くへ放り投げ、空いた隙間に、審判役を全うした満足感を押し込んでいた。少年の勝利を信じてはいたが、胃が痛くなるような展開が終始続いていた。深呼吸して吐き出した息は、まるで鉛か何かだったかのように、吐けば吐くほど身が軽くなっていくようだった。

 誰もが歓声を上げ、興奮していた。

 遺跡のゲートキーパーが撃破された時にも等しい騒ぎだった。何百もの拳が突き上げられ、遠吠えのような雄叫びが轟き渡っていた。

 だが次の瞬間。

 突如、水を打ったような静寂が場を満たした。

『――!?』

 世界から音という概念が消え去ったかと思うほど、唐突すぎる沈黙だった。誰もが口を閉ざし、動きを止めていた。

 そして、時の流れが凝固したようなこの現象を観測できたのは、ほんの一握りの人間だけだったた。

「……なんじゃ、何事じゃ?」

 突然の異変に、ハヌムーンは上げていた両腕を下ろしながら、蒼と金の瞳で周囲を見回した。

「……フリム、さん……? これは……」

 ロゼは自分に抱き付いたまま硬直してしまったフリムに、首を傾げる。長いツインテールを振ってはしゃいでいた少女は、ピタリと動きを止め、虚ろなアメジスト色の瞳で何もない空中を見つめていた。

「――あの男っ……!」

『放送局』のブースで審判用ARスクリーンの前にいたヴィリーだけが、いま何が起こっているのかを最も正確に理解している人間だった。

 ロルトリンゼとカレルレンは距離的に察知できなかった。だが、よりセキュリティルームに近い場所にいるヴィリーだけは、ロムニックが神器を最大出力で発動させたことを感知できたのだ。



「……ベオウルフを、殺せ……」



 誰かがそう呟いた。

 途端、その言葉は波紋が広がるように人々の間を伝播する。

「……ベオウルフを、殺せ……」「……ベオウルフを、殺せ……」「……ベオウルフを、殺せ……」「……ベオウルフを、殺せ……」「……ベオウルフを、殺せ……」「……ベオウルフを、殺せ……」「……ベオウルフを、殺せ……」「……ベオウルフを、殺せ……」

 囁き声が連鎖して、波のようにうねる。そして、

「……ベオウルフを、殺せ……」

 フリムの唇からも、他の者たちとまったく同じセリフが漏れ出た。

「――! フリムさん? フリムさん!?」

 流石に尋常ならざる事態が進行していることを察したロゼが、本来の彼女なら絶対に吐かないはずの言葉を口にしたフリムの肩を掴む。呆然と同じ言葉を繰り返すその身を揺すって、正気を取り戻させようとするが、効果はない。

「……ベオウルフを、殺せ……」「……ベオウルフを、殺せ……」「……ベオウルフを、殺せ……」「……ベオウルフを、殺せ……」

 あちこちから譫言にも似た声が生まれ、少しずつ重なっていく。

 まるで一つの巨大な意思が、この場にいる人々の精神に感染していくかのごとく。

「……ふむ。どうやらこの場で正気を保っておるのは、妾とおぬしだけのようじゃな、ロゼ」

「小竜姫……これはいったい……」

 熱狂していたはずの観客が、総じて夢遊病患者のごとく静まり返り、のっぺらぼうな声で『ベオウルフを殺せ』と繰り返す。

 異様な光景だった。

「面妖な……もしや、あやつの神器の力か?」

「ええ、ここからは感知できませんが……おそらくは。属性はわかりませんが、これだけの規模で、かつこれだけの人数の精神に影響を及ぼす力は、神器以外には思いつきません」

 冷静に状況を把握しようと努めるハヌムーンとロゼの視線の先で、セキュリティルームの扉が開きつつある。勝者となったラグディスハルトがゲートを解錠したのだ。

 そんな中、観客席から上がる上がる声がさらにまとまり、あまつさえ熱を帯び始めていた。

「ベオウルフを殺せ」「ベオウルフを殺せ」「ベオウルフを殺せ」「ベオウルフを殺せ」「ベオウルフを殺せ」「ベオウルフを殺せ」「ベオウルフを殺せっ」「ベオウルフを殺せっ」「ベオウルフを殺せっ」「ベオウルフを殺せっ」「ベオウルフを殺せっ」「ベオウルフを殺せっ」「ベオウルフを殺せッ!」「ベオウルフを殺せッ!」「ベオウルフを殺せッ!」「ベオウルフを殺せッ!」「ベオウルフを殺せッ!」「ベオウルフを殺せッ!」「ベオウルフを殺せッ!」

 この場にいるほぼ全員の声が重なり、高らかに殺意を連呼する。その中には、少年の従姉妹であり幼馴染みの少女も混ざっていた。

「フリムさん、お気を確かに、フリムさん!」

 他の者達と同じく片腕を突き上げてがなり立てるフリムを、ロゼは制止しようとする。だが彼女のアメジスト色の双眸はこちらを一顧だにしない。何者かに――否、間違いなくロムニックの神器に、操られてしまっている。

 挙げ句には、群衆達は声を上げるだけでなく、各々の得物をストレージから取り出し、戦闘態勢をとり始めた。フリムも例外ではなく、既に身につけていたスカイレイダーには火が入り、その手には白銀の長杖――ドゥルガサティーが握られてしまう。

 何をするかなど聞くまでもなかった。

 現在進行形で扉が開いているセキュリティルームへと突っ込み、中にいるラグディスハルトに襲いかかろうというのだ。

「いけません、フリムさん!」

 ――などという悠長かつ無駄な言葉を、ロゼは発しなかった。

 琥珀色の瞳に決意の光を漲らせた少女は、ただ二言、己の得物の名を呼ぶ。

「レージングル、ドローミ」

 ロゼのバトルドレスの背中から蒼銀と紅銀の鎖が勢いよく飛び出した。無数の鈴を一斉に鳴らしたような音と共に、二色の鎖が若鮎よろしく跳ね上がる。

 延々と溢れ続ける蒼と紅の蛇は高速で宙を泳ぎ、周囲にいる者らの体へと絡みついていく。拘束し、動きを止めるために。

 四肢をロゼの鎖に縛られても、誰も真っ当な反応をしなかった。両手両足の自由が奪われたことにも気付かず、ただ頭に植え付けられたベオウルフへの憎悪に従って、怨嗟の声を上げ、セキュリティルームへ向かおうとする。

「……!」

 反射的に、フリムも含め近くにいる数十人の動きを封じたが、こんなものは焼け石に水でしかない。この場には数百人――否、下手をすれば千を超える人間がいるのだから。その程度のことはロゼも知悉していた。

 故に、ここで鎖を切り離し、誰よりも速くセキュリティルームへ飛び込み、元凶であるロムニックを倒す――それが最善手に思えた。

「――小竜姫、ここは私が、」

「よい、案ずるな」

 覚悟を決めて言いかけたロゼの言葉を、しかしハヌムーンは軽い調子で遮った。

 多くの人間が一様に操られ、口を揃えてベオウルフ憎しと叫ぶ中、現人神の少女はそれでも泰然自若としていた。だが、今のロゼにはその余裕が理解できない。

「――? いえ、しかし、」

 既に一部の者達がセキュリティルームへの突撃を始めている。あれらの中には、同様に精神を支配された『蒼き紅炎の騎士団』も混ざっているかもしれない。いくら正気でないとはいえ、その戦闘力は軽視できなかった。

「捨て置け。なに、じきに終わる」

「終わる……?」

 くふ、と笑ってARスクリーンを顎で示すハヌムーンに促され、ロゼもまた視線を上げた。

 内部ではまだ〈エア・レンズ〉が稼働していて、セキュリティルームのゲートを開錠したであろう少年の背中を撮影している。

 辞書に満身創痍の一例として掲載できるほどの姿だ。戦いが終わり、戦意が衰えたせいか、心なし背が縮んだようにも見える。

 だが次の瞬間。

 小柄な体から、深紫の稲妻が迸った。



 ■



 殺意が飛び交う。

 憎悪が伝播する。

 ロムニックから放射されたドス黒い感情はあっという間に広範囲へ及び、少なくとも直径五〇〇メルトル圏内の人々へ強制的な〝共感〟を促した。

 神器〝共感〟は持ち主の感情を他者に押し付ける。その出力が高まれば、相手の心理障壁などものともせず押し入り、頭の中を染め変える。

 単にベオウルフを殺すだけなら、彼に対して『自殺したい』という感情を植え付けるのが最も効率的だったろう。しかし、そんなマイナスの感情を心の底から抱くことなどロムニックにはできない。この力は心の鏡映し――ロムニックが持てる本気の感情しかアウトプットすることはできないのだ。

 故に、彼は殺意と憎悪を広げた。己を責める気持ちは皆無だが、他人を憎む感情ならいくらでも湧いてくる。それこそ無限大に。

 ベオウルフを殺せ――と。

 神器の過剰駆動オーバードライブは〝神器保有者〟自身が力に呑まれる危険性を孕んでいる。神器の力を扱うのであれば低出力、ないしはオリジナル術式を介し、マイルドに制御するのが上策だ。神器を素のまま、しかも全力全開で使うなど以ての外である。

 だが今のロムニックには、そんなことはどうでもよかった。

 今、やらなければ。

 全てが終わる。

 輝かしいキャリアが。

 栄光の未来が。

 台無しになってしまうのだから。

 その為には、

「死ねッ! 死ねベオウルフッ! ゲートを開けたのが運の尽きだ! 今からここに来る観客全員がお前の敵だッ! 数の暴力に潰されろォッ!」

 モスグリーンの目を見開き、血走らせてロムニックは咆吼する。もはや誇りも矜持も見境もなかった。勝つためなら手段は選ばない。何があろうと、最後に立っていた人間が勝者なのだから。

「お前を殺してッ! ここにいる全員の記憶を書き換えてッ! 記録も塗り潰してッ! 世界を変えてやるッ! 勝つのは俺だ! いや――【勝った】のは俺なんだァァァッ!!」



『馬鹿かお前は』



「――は……?」

 聞こえてはいけないはずの声が聞こえた。

 ロムニックは今、一切の手加減なく神器の力を解放している。その射程圏内にある人間は、例えこれから殺されるベオウルフ本人ですら精神を侵食され、ロムニックの感情に〝共感〟する――させられるはずだ。むしろ半ば暴走している神器の影響を受けずにいられる人間がいるとすれば、それはロムニックと同じ〝神器保有者〟か、あるいは――

『何回だって言ってやる。馬鹿なのかお前は』

 こちらへ背中を向けている少年の全身から、〝SEAL〟が励起する光が噴き上がった。雷電のようなスパークが、天を舞う龍のごとく四肢に絡みつく。

『いいや断言してやる。お前は本物の馬鹿だ』

 背中に時を溜めるようにして、少年が振り返る。

 怒りに燃える深紫の視線が、ロムニックの全身を射貫いた。

『いいか、【もう決闘は終わった】んだ』

 灼けた鉄板の上に大量の水をぶちまけたような激しい音がする。何かと思えば、それは少年の〝SEAL〟が発する音だった。

 そして、黒と紫の戦闘ジャケットの表面に浮かぶ輝紋が――首を落とされた蛇のように躍りながら、【空中へと伸びた】。

「――ひっ……!?」

 あまりのことにロムニックは息を呑む。有り得ない光景だった。〝SEAL〟は神経網と同じく、人間の体内に張り巡らされた生体コンピューターだ。【体外に出るはずがない】。

 しかし、ロムニックの目の前でベオウルフの輝紋は体表を越えて何もない中空へとその身を伸ばし、幾何学模様を描いて広がっていく。

『馬鹿なお前にもわかるように繰り返してやる。いいか、【決闘はもう終わった】。つまり――』

 蝶の羽根にも似た形に展開した深紫の輝紋が、一際強く光を放った。稲妻が奔るように光輝が煌めく。

 数十にも及ぶ支援術式のアイコンを一斉に表示させて、ベオウルフが告げた。



『僕を縛るルールは、もうない』



「あ……」

 当たり前と言えば当たり前のことに、しかしロムニックはようやく気が付いた。

 そうだった。

 決闘が終われば、ルールも何もない。

 そして、ここは遺跡の中。どこの国の法律も適用されない無法地帯。

 そこで自分は彼に対し、敵対行動を取った。

 それは決闘ではない〝私闘〟を始めるに、十分すぎる理由であった。

『こういう時に殺されないよう、たくさん『身代わりの加護』を用意してきたんだろう? いいよ、それが全部なくなるまで殴りまくってやる。知ってるか。命の身代わりになる加護は、命が助かる代わりに――』

 いくつものアイコンが星屑のように弾け、消失した。

 何の術式を発動させたのかなど、確認する必要はない。

〝アブソリュート・スクエア〟。

 強化係数一〇二四倍の極限状態。

『――撲殺されるときは、めちゃくちゃ痛いらしいぞ?』

「ヒィァ――!?」

 自ら地獄への片道切符を差し出してしまったことに気付いたロムニックは、気道をせりあがってきた恐怖に喉を潰され、不格好な悲鳴を漏らした。

 次の瞬間、少年の姿がディープパープルの閃光と化した。



『お前にはもう、一ミニトだってもったいない』



 ■



 支援術式〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉を一気に一〇個ずつ発動させた僕は、さらに回復術式〈ヒール〉を畳み掛けて、最優先で左拳の治癒を進めた。

 これからアイツを殴り潰すために、絶対に必要なものだから。

 次いで、スカイウォーカーの機能で大気を貫き、瞬間移動みたいにほんの一刹那で彼我の距離をゼロにする。

 ロムニックの目の前で減速なんて勿論しない。

 膝立ちになっているそいつの顎下を、右足の蹴り上げでぶち抜いてやった。決闘の序盤でやられたことの意趣返しだ。

「!?!?!?」

 目にも止まらぬ速度と威力にロムニックは悲鳴も上げられない。

 本当なら首が引っこ抜けて頭と胴体が泣き別れになるところだろうけど、奴が仕込んできた『身代わりの加護』が致命傷となるダメージを肩代わりする。だけど叩き込まれた慣性までは殺せない。

 ロムニックの体はサッカーボールみたいに斜め上方向にかっ飛んだ。

 発射された砲弾みたいな勢いでセキュリティルームの出入り口――そのすぐ上に激突する。

 当然、僕は同じ速度で空中の階段を駆け上がり、追いかけていた。

 肉薄。

 流石はルナティック・バベルの建材だった。ロムニックが大の字になって張り付いている箇所には、罅ひとつ入っていない。加護の力がなければ、ロムニックの肉体など四散五裂していたに違いない勢いだったというのに。

 右拳と、回復術式でまともな形を取り戻した左拳とを全力で握りこんだ。ギチギチと手袋が軋む感触が返る。

 壁にぶつかった際のあまりの衝撃に指一本動かせないロムニックは、どこか標本の昆虫にも似ていた。

 これ以上はない絶好の的だった。

 その的の前で、僕は獣と化した。

「――――――――――――――――――――――ッッ!」

 全開で駆動する四肢が容赦なく拳の雨を降らせる。奴にとってそれは、大瀑布の滝壺に落とされるより非情な仕打ちだっただろう。

 ロムニックの体が、まな板の上で叩かれる牛肉のように次々とひしゃげていく。

 拳打は全てロゼさんに教えられた通りに――とはいかなかった。煮え滾る感情が幾度も不格好な拳を打たせた。やがては両手に加えて両足も駆使して、僕はマシンガンのごとき殴打をロムニックの全身に叩き込んでいく。

 きっと連続する落雷よりもひどい爆音が轟いていたことだろう。

 それぐらい僕はロムニックに殴る蹴るを繰り返した。

 奴の両手両足――といっても片腕はないのだけど――はもちろんのこと、頭も顔も顎も喉も胸も肘も腕も掌も腹も肩も腰も股間も太股も膝も臑も踝も、指の先に至るまで嵐のように挽き潰した。

 全てが終わるまで、時間にして一セカドもかからなかっただろう。だけど僕にとって、その一秒は一〇〇〇秒に匹敵した。

 ロムニックの身を包んでいた衣服が全て引きちぎれ、その下に張られていた『身代わりの加護』を付与された護符が跡形もなく吹き飛び、ほとんど丸裸になったところで僕はどうにか理性を取り戻した。

 最後の拳を、ロムニックの鼻先に触れるか触れないかのところでピタリと止める。

 そこで集中が途切れ、時間の感覚が元に戻った。

「…………」

 言うまでもなく、ロムニックの意識はとっくに砕け散っている。白亜の壁に張り付いている、肌色と紺青色のそれは、ゆっくりと剥がれ、やおら下へと落ちていった。

 べしゃり、と水っぽい音を立てて【ギリギリで死んでいない】ロムニックは床に叩き付けられる。

 よく見れば人間に見える【それ】は、死にかけの魚みたいにピクピクと震えていた。

 多分、脳とか内臓とか、命に関わるようなダメージは全て護符が身代わりになったはずだ。だからすぐに病院へ連れて行くか、この場に腕のいいヒーラーがいれば、きっと死にはすまい。まぁ、全快するまで三日以上はかかると思うけど。

 と、その時、下方からいくつもの声が聞こえてきた。

「――あ? なんだここ?」「あれっ? なんで俺らこんなところに――ってうおおおっ!?」「な、なんだありゃあ!?」「ひ、人? いや人だあれ! グチャグチャだ!」「待てよあの色――あれ、さっきまで決闘してた片方じゃないか!?」「そ、そうよ、あの血の色! 間違いないわ!」「ちょっ、なっ、なんだよ!? 何が起こったんだよ!?」

 ああ、ロムニックが僕を殺させるために呼び寄せた人達か――と何となく理解した。

 何だか頭がぼーっとする。

 僕は支援術式をオールキャンセル。通常状態に戻って、その感覚に意識をチューニングしながら、スカイウォーカーで不可視の階段を降りていく。

 さっきまでの反動か、妙に頭がクラクラしていた。疲れだろうか。いや、よく考えたら結構な量の血を失っている気がする。何だかお腹が苦しい。いや、違う。これは――空腹感、だろうか?

 床に靴底がついた時、ぐうぅ、とお腹が鳴った。

 ああ、やっぱりだ。お腹が減ってるんだ。でも、おかしいな。朝ご飯はちゃんと食べて



    きた



                 のに





            へ  ん        





          だ







                         なぁ…









      …





 ■





 後で聞いた話によると、僕はいきなりぶっ倒れてしまったらしい。

 らしい、というのは、当の僕自身にはまったく自覚も記憶もなくて、気が付いたらハヌの膝枕で床に寝っ転がっていたからである。

 意識が急浮上して眼が開いた時、まず視界に現れたのは、真っ白な天井と、同じくらい白くて小さなおとがいだった。

「――お、ようやく目を覚ましたか、ラト」

 途端、上下逆さまになったハヌが、くりっと色違いの目を大きくさせて僕の顔を覗きこんできた。

「……あれ……? ハヌ……?」

 まだ頭に靄がかかったような状態で、記憶のつながりに違和感がある僕は、ちょっと混乱しつつ彼女の綺麗なヘテロクロミアを見返す。

 ――なんか、ちょっと前にもこれと同じことがあったような……

 そんなことを思いつつ、体を起こそうとすると、またもや額をちっちゃな掌でぴしゃりと叩かれた。

「こりゃ、ならぬぞラト。おぬしはもう少し寝ておれ。いずれロゼとフリムが戻ってくるはずじゃ」

 いつかのように頭を押さえられて、僕はそれだけで身動きがとれなくなってしまった。

 けれど、前回と比べて後頭部にあたる感触がやけに柔らかい。どうやらハヌの膝と僕の頭の間には、薄いクッションが挟まれているようだった。そういえば僕が血を噴いて倒れてしまった際も、実は足が痺れてすぐにはちゃんと動けなかったと聞いている。流石はハヌ。高い学習能力から対策はバッチリだった。

「……えっと……あれ……? ここって……? っていうか、僕、どれぐらい寝てたのかな……?」

「ここは、おぬしが戦っておった決闘場じゃ。時間は……ふむ。あれから一時間アワト弱は経っておるかの?」

 ハヌの鈴を転がすような声がよく響いて聞こえる。それぐらい周囲は静寂に満ちていた。

「……なんだか静かだけど……他の人達は……?」

 そう聞いた途端だった。

 何故かハヌは、はふぅーっ、と深くて大きい溜息を吐いた。

「……ラト。おぬし、少しばかりやりすぎたのう……」

「――えっ……!?」

 いきなり変わった話と深刻な声音とに、思わずギクリとして身を固くしてしまう。

 見上げる僕の視線の先で、ハヌはさも残念そうに頭を振って、綺麗に切り揃えられた銀髪と髪飾りとを揺らした。

「おぬしが倒したあの決闘相手のことじゃ。ロムニック、とかいうたか? あやつ、幸いにも死んでこそおらなんだが……それでもあれは目も当てられぬ状態でのう……たまたまこの中に観客共が踏み込んできたのもあって、あれから妙な騒ぎになってしもうたのじゃ」

 そういえば、と僕は思い出す。

 ロムニックが最後の最後にあまりにも馬鹿なことをしようとしたものだから、理性の箍が外れて滅茶苦茶なことをやってしまった気がする。

「――あ……」

 いや、気がするってものじゃない。

 した。

 思いっきり酷いことをしてしまった。

「無論、決闘は生死を問わぬもの。故に敗者が死のうが生きようが関係ない――はずなのじゃが……それも、あやつが【人の形】をしておればこその話じゃ」

 さーっ、と潮が引くように、自分の顔から血の気が失せていくのがわかった。

 どうしよう。僕、怒りに任せてとんでもないことをしてしまった。

 朧気な記憶を省みれば、ロムニックの最後の姿は、どう見てもまともな人型をしていなかったように思える。

 なんというか、紺青色の血に塗れた肉塊から、触手のようなものが三本生えているような――

 いや、むしろ、よくアレで死んでいなかったものである。本当に。

「あやつの無惨な有り様を見た観客の一部が、突然『なんとむごいことを』と騒ぎだしおってな? しかも面倒くさいことに、ことが起こった際は観客共の意識は神器に奪われておった。故に誰も、何故ラトがあやつをあそこまで叩きのめしたのか全く理解できなんだ。つまり凡百の目には、決闘を終えた途端、ラトが隙を突いてあやつを亡き者にしようとした――そう見えたわけじゃな」

 何というか、色々と思うところはあるけれど、よく考えれば仕方のない話だとも思う。

 ロムニックが発動させたのは、目に見えない神器の力だった。しかも奴の言葉を信じるなら、ロムニックはこの場にいた全員の意識どころか、記憶まで書き換えようとしていたのだ。あの時はそこまで頭が回らなかったけど、他者から見れば僕が卑怯者として目に映るのは、ある意味当然の話ではあるのだ。

「その上さらに『これはルール違反ではないのか』と誰ぞが喚きだしよっての。じゃが、考えるまでもなくおかしな話じゃとは思わぬか? 決闘中に殺すのは問題ないというのに、決闘が終わった途端、殺すのは掟破りじゃというのは? とはいえ、じゃ。確かに、あのロムニックとかいう輩の姿がそう思わせるほど惨かったのもまた事実じゃ。とりあえずあやつの治療が始められる中、それらの物言いについて議論が巻き起こっての。せっかく決着がついたというのに、むしろ決闘中よりも場が盛り上がっておったわ」

 はふぅ、とハヌはちっちゃな肩を竦めてアンニュイな息を吐く。

 その時の僕は意識を失っていたわけだけど、当時の状況を想像しただけで胃が縮まり、肝が冷える思いだった。

 エクスプローラーの〝掟破り〟がどのような末路を辿るのかは、知っての通りだ。勿論、ハヌが言うように厳密に言えば僕の行動はルールの範囲内ではある。だけどそこにクレームがつけられ、OKとNGの境界線上に乗せられたというだけで、まるで知らず知らずの内に薄氷の上を渡っていたかのごとき薄ら寒さを僕に感じさせたのだ。

「実際、一触即発の空気じゃったぞ。というかの、あれ以上ラトに文句がつくようなら、妾が全員消し飛ばしていたところじゃ」

 何てことないような口調でハヌがそう言ったので、僕の背筋に悪寒と戦慄が同時に走り抜けた。

 いやしかし、ハヌがこう言っているということは、最終的には天龍は現臨せずに済んだというわけで。

「そ、それから、どうなったの……?」

 恐る恐る聞いてみるとハヌは、うむ、と一つ頷き、

「じゃがの」

 逆接続詞を強めて言ってから、くふ、と笑った。

「僥倖にも、決闘が終わった後もおぬしらの撮影は続けられておった。さよう。そこにはあの愚物が、決闘が終わったにも関わらずラトに何ぞ仕掛けようとする姿が克明に映っておったわけじゃ」

「あ……」

 空中をプカプカ浮かんで映像を記録する〈エア・レンズ〉。あれは音声も録音することが出来るから、ロムニックが肉塊にされる直前、何を言っていたのかもちゃんと収録されていたはずだ。

「まぁ、記録された映像を見返すよう提案したのはヴィリーじゃったがの。記録映像を改めた結果、あやつの言動に問題があったことが認められての。そのおかげでラトを糾弾する声は消え、見事に騒ぎは収まったというわけじゃ」

 さもありなん。朧気な記憶ではあるけれど、ロムニックが叫んでいた内容はかなりひどかった。むしろ先にこちらの隙を突こうとしたのはロムニックであって、ルール違反として弾劾されるべきはあちらなのである。

「そもそも勝者であるラトが、決闘が終わってからあやつを殺すというのもおかしかろう。しかも、あやつの意図を証明するように観客の大半が意識を失っておった。そのあたりも含めてヴィリーが拡声器で説明したところ、どいつもこいつも水を掛けられた焚き火のように静まり返りよったわ」

 ふん、と溜飲が下がったようにハヌは鼻を鳴らした。よほど腹立たしかったらしい。彼女の十八番の極大術式が発動しなくて本当によかったと思う。

「じゃが、実際あやつが何をしようとしていたのかと言えば、神器のことをそのまま説明しても通じるはずがあるまい? じゃからそのあたりを上手く誤魔化すために、ヴィリーらはこの部屋の外で『放送局』の連中と話をしておる」

 なお観客の人達は、勝敗のジャッジが覆らないと判明した時点でゾロゾロと解散していったそうだ。それでも『ベオウルフ・スタイル被害者の会』と思しき集団が最後の最後まで残っていたらしいけど、彼らもロムニックが病院に搬送される段になると、そちらについていったのか姿を消したという。

「よ、よかった……って、あれ? じゃあ、ロゼさんとフリムは?」

 このあたりががらんとしている理由はわかったけれど、それはそれとして、何故かこの場にいない二人について問う。

「あやつらもヴィリーと一緒に『放送局』のところへ行っておる。特にあやつ――フリムが怒り心頭での。ロゼはそのお目付役じゃ」

 意外な展開に目を丸くしてしまった。

「フリムが? どうして?」

「それがのう……妾とロゼはあやつの神器に操られなかったのじゃが、フリムの奴は見事に引っかかってしまっての」

 ここでハヌは両手の人差し指を、頭の両側に持っていった。それは鬼の角なのか、それとも怒髪天を衝くフリムのツインテールなのか。

「真相が判明して、ロゼに当時の状況を尋ねてからは『このアタシに何てこと言わせんのよ!』と大激怒じゃ」

 話を聞くと、ロムニックの神器〝共感〟の支配下に置かれた人達は、口々に『ベオウルフを殺せ』と叫んでいたらしい。当然、フリムの口からも同じ言葉が発せられ、実際に武器を握ってこの部屋へ突入しようとしていたそうな。

「姉貴分としてのプライドが許せないだの何だのと喚いての。『絶対あっち側のペナルティにしてやるわ!』と勢い込んで飛んで行きおったわ。それで万が一にも暴力に訴えぬよう、いざという時の制止役にロゼが名乗り出て、追いかけていったというわけじゃ」

「な、なるほど……」

 今頃セキュリティルームの外で『放送局』の人達に食って掛かっているであろうフリムの姿が、容易に想像できてしまう。まぁロゼさんやヴィリーさんも一緒にいるから、上手く取り成してくれるだろうけど。

「それで、ハヌだけが残って僕を看ていてくれたんだ?」

 そう聞くと、ハヌは誇らしげに大きく頷いた。

「うむ! 当然じゃ。妾とラトは唯一無二の大親友。こういう時こそ傍におってやらねばな。じゃろう?」

 くふ、と悪戯っぽい視線が僕を見る。ハヌの柔らかい両手が僕のほっぺたに触れ、むにむにと頬肉を揉み始めた。

 釣られて僕も、あは、と笑う。

「……うん。いつもありがとう、ハヌ」

 お礼を告げながら、ふと気付いた。そういえば、気を失う前は全身を苛んでいた激痛が、今は全部消えている。こういった決闘の場には『放送局』が手配して、高ランクのヒーラーを常駐させていることが多い。きっと僕の怪我も、眠っている間に治療してもらえたのだろう。

「それでは、改めて褒めてつかわすぞ、ラト。よくぞ勝利した。見事な勝ちっぷりじゃったぞ」

「う、うん、ありがとう……な、なんか、こうして面と向かって褒められると、ちょっと照れちゃうね……」

 ははは、と照れ隠しに笑いつつ、ハヌからお褒めの言葉を授かる。

 が、しかし。突如、優しげに笑っていたハヌの顔から、すとん、と感情が抜け落ちた。

「――じゃが、此度も随分と無茶をしたものじゃのう?」

「うっ……!?」

 ぐさり、とハヌの言葉が胸に突き刺さる。頬を揉んでいたハヌの手が何かの前触れかのように停止した。冷たいガラスのような金目銀目が、じぃっ、とジト目で僕の顔を見つめてくる。

 どぱ、と毛穴という毛穴から汗が噴き出した。

「え、えっと、あの、あ、あれ? で、でも、た、戦う前に無理してもいいって、ほら、約束したし……し、したよね? 約束してたよね僕っ?」

 両手を上げて意味もなくわたわたと動かしながら言い訳すると、それでもなおハヌは僕をじぃぃぃぃぃっと見つめ続け――

 くふ、と笑った。

「――冗談じゃ。わかっておる、ラトは約束した通り五体満足で戻ってきたのじゃからな。しかし、とは言ってもじゃ。ここで甘い顔ばかりしておっては、おぬしまた無茶をしでかすであろう? 念のため、先に釘を刺しておこうと思うてな。悪く思うでない」

「ハ、ハヌ……し、心臓が止まるかと思ったよ……」

 僕はいつの間にか強張っていた体からくたっと力を抜き、安堵の息を吐いた。ああよかった、ほんの一瞬だったけど生きた心地がしなかったよ……

 くくく、と楽しげに笑いながら、ハヌが僕の頬をさわさわと撫でる。

「すまぬすまぬ、そう臍を曲げるでない。おぬしを心配してのことじゃ、許してたもれ。……どれ、約束を守ったえらいラトには、妾から褒美を授けてやろうではないか。さぁ、何がよい? 何か欲しいものはあるか? 何でもよいぞ?」

「ほうび……?」

 思わぬ提案を受け、僕はハヌの顔を見ながらちょっと考えてみた。

 勝利のご褒美。今、僕が欲しいもの。それは――

 ぐぅぅうううううううううううう。

「ほ?」

「あ……」

 何か思い浮かべようとする前に、僕のお腹が盛大に声を上げた。

 狙い澄ましたようなタイミングに、思わず赤面してしまう。

 キョトンとした顔でハヌが小首を傾げた。

「……ラト、おぬし腹が減っておるのか?」

「……うん……というか、むしろ今回は、お腹が減りすぎて倒れちゃったのかもしれない、僕……」

「なんと……!」

 心配して損をしたわ――なんて言われるかと思ったのだけど、予想に反してハヌは天井を仰いで大笑いした。

「あっはっはっはっはっ! おぬしという奴は――まったく大した奴じゃのう!」

「うう……」

 恥ずかしい。この間みたいに深刻なダメージを受けて倒れるのもどうかと思うけど、今回のように空腹が極まって気絶するというのも相当情けない話だ。というか、どうして僕はこんなにもお腹が減っているのだろう。朝食はちゃんと食べてきたはずなのに。年齢的に成長期だと言っても限度があるだろうに。

 でも、

「――あ、ハヌ。思いついたよ、ご褒美」

「うん? 何じゃ? 好きに申してみよ」

 まだ軽く肩を揺らして笑っているハヌに、僕は左手を唇の横に添え、右手でちょいちょいと手招きをする。

「?」

 不思議に思いつつもハヌは僕の意図を了解して、こちらの口元に左耳を近づけてきてくれた。

 こういうことを大きな声で言うのはちょっと――いや、かなり照れくさい。だから僕は、目の前に近付いてきたスズランの花みたいにちっちゃな耳に、こう囁いた。

「……僕、ハヌと一緒に美味しいもの食べに行きたい」

「…………」

 ハヌは無言。聞こえていないはずはないから、反応に困っているのかもしれない。

 そして、図らずも生まれてしまった沈黙に対し、僕も困惑してしまう。

 ――あ、あれ……? せっかくハヌがご褒美をくれるって言ってくれたのに、つまらないお願いをしちゃったかな……?

 と不安になっていると、ハヌが頭の位置を元に戻しながら、むにぃ、と僕の頬肉を多めに摘まみ、軽く引っ張った。

「……ばかもの」

 ハヌのちょっと低い声。怒っちゃったかな、と戸惑いつつハヌの顔を見上げると――

 そこには、とても嬉しそうな笑みを浮かべている女の子がいた。

 込みあげてくる喜びを、どうしても堪え切れなかったみたいに。

 その笑顔を見た瞬間、僕の胸に生まれた不安が、陽光を浴びた雪のように溶けていった。

 そして、弾んだ声で彼女は言う。



「それでは、妾への褒美になってしまうではないか」



 ■



 それからしばらくして、むくれっ面のフリムと、相変わらず平静な様子のロゼさんとが戻ってきた。

 セキュリティルームへ足を踏み入れたフリムは、両足のスカイレイダーの靴底でズカズカと床を鳴らしながらやってくる。

「ああもう本当に腹立つわねっ! 勝手に人のこと操るとか何度思い返してもはらわた煮えくり返りまくりよっ!」

 僕の幼馴染はまだ溜飲が下がらないのか、今なお長い黒髪ツインテールの先っちょまで怒気を漲らせている。その後ろには、冷静沈着をそのまま擬人化したようなロゼさんがついてきていた。

「思い返せば返すほど、余計に苛立ちが募るだけですよ、フリムさん。それより、どうやらラグさんの意識が戻っているようです」

「え、嘘? あ、ほんとだわ」

 ロゼさんの言葉を聞いた途端、フリムの声音が素に戻った。そこから、二人して小走りで近づいてくる。

「ハルト、アンタ大丈夫なの? 怪我は治ってるはずだけど、どこか調子が悪いところとかない?」

「ラグさん、決闘お疲れ様でした。見事な戦いでしたよ」

 僕の心配をしてくれるフリムに、健闘を褒めてくれるロゼさん。

 僕はハヌの膝枕から頭を離して、ゆっくり上体を起こす。

「うん、大丈夫。お腹が減ってるけど、それ以外は何ともないと思う。――えっと、あの、ありがとうございます。でも、勝てたのはロゼさんや皆さんのご指導あってのことですから」

 前半はフリムに、後半はロゼさんに返しながら、僕は自然と微笑んでいた。

 今更のように実感する。

 そうか。僕、ロムニックに勝ったんだ。

 決闘に、勝ったんだ。

「――――」

 じわじわと込み上げてくる勝利の手応えが、胸の鼓動を高鳴らせる。

 思えば、無謀すぎる戦いだったのだ。

 支援術式禁止のルールに加え、僕の〝SEAL〟が不調だったせいで他の術式も使えなくて。素の状態での互いの実力差は天と地ほどの隔たりがあって。しかも奴の持つ神器は〝共感〟――つまり他人の心を読んだり操作したりするもので。フリムが用意してくれた武器や道具は奥の手までさらけ出しても決定打にならなくて。

 即興でやった高速分割思考でロムニックが動揺して、なおかつ土壇場で僕の〝SEAL〟が力を取り戻していなかったら、この勝利はなかったかもしれない。

 そう考えると、圧倒的に見えて実はギリギリの勝負だったのだ――そう気付いた途端、背筋に怖気が走った。

「……む? ヴィリー達はどうした? まだ話をしておるのか?」

 二人の姿しか認められないことを怪訝に思ってか、ハヌがそう質問する。けどこれに対し、フリムはふるふると首を横に振った。ひょい、と首を竦めて、

「それがちょっと事情が変わっちゃって、『放送局』との話はもう終わったんだけど、あっちの人達は何か先に帰っちゃったのよ。あ、一応ハルト宛に言伝を預かってるわ。えっと――」

 フリムは、んんん、と喉の調子を確かめると、ヴィリーさんっぽい声と喋り方で伝言を告げる。

「『ごめんなさい、ラグ君。少し急ぎの用事ができたから、私達は先に席を外させて貰うわ。あ、そうそう、後でお祝いに行くから、楽しみに待っていてちょうだい』――ですってよ。どうも話の流れから察すると、アンタの対戦相手のところに行ったみたいだけど……」

「対戦相手って……ロムニックの?」

 何だろう? お見舞い……なわけはないだろうし。そんなことをする義理はヴィリーさん達にはない。となると――

「おそらくは、神器絡みの用件でしょう」

 ロゼさんが端的に言った。僕も多分そうだと思う。

 僕が決闘に勝利した際の条件の中には、ヴィリーさんとロムニックの決闘をセッティングするという約束があった。おそらくだけど、その件についての念押し、ないしは決闘ルールの相談に行ったのだと思われる。

 でも、奴は入院してしばらく動けないだろうし、そんなに急ぐこともないと思うのだけど……何か僕達の知らない特別な事情でもあるのだろうか?

「何じゃまったく、事の片棒を担いでおきながら挨拶もなしに帰るとは。礼儀がなっておらんの!」

 ぷんすか怒りながら膝上のクッションをストレージに収納し、カランコロンとぽっこり下駄を鳴らしてハヌが立ち上がる。見ると、お尻の下にも薄い座布団のようなマットが敷いてあった。ハヌはそれもストレージに回収すると、僕の肩をぽんぽんと叩いて、おぬしも立て、と促す。

「ま、まぁまぁ、きっと重要な用事があったんだよ、だから、ね?」

 ハヌの催促に応じて立ち上がりながら、僕は膨れっ面をする彼女を宥めた。

「でもまー、お祝いってのはいいアイディアよね。もういい時間だし、アタシ達もどこかで勝利のお祝いしましょうよ……って、でもその前に――ちょい、ハルト?」

「うん?」

 フリムが砂山に穴を掘るような動きで手招きするので、僕は特に疑問を抱くことなく素直に身を寄せた。すると、

「――よく頑張ったわね。えらいわよー♪」

 僕を呼び寄せた掌が、そのまま頭を撫でる手へと変わった。ペットか何かにそうするように、フリムはニコニコしながら僕の頭の上を撫でさする。

 ――え、なにこれ……?

「……う、あ……え、えっと……その、あ、ありがとう……?」

 この歳になって頭を撫でられて喜ぶというのも何だか気恥ずかしくて、反応に困ってしまう。視線の置き所がない僕は、たまらず目を泳がせてしまった。

「べ、別に、無理してお祝いなんかしなくても……」

「あら、何言ってるのよ。弟分がちゃんと頑張ったんだから、それをきちんと褒めるのも姉貴分の務めよ? いいから、アンタは本当によく頑張ったんだから。胸を張って褒められておきなさい♪」

 最初は片手だったのが残りの手も参加して、なでりなでりとフリムは両手で僕の頭を磨くようにさすりだした。手の動きも口調も律動的で、それだけで〝お姉ちゃん〟が滅多にないほど上機嫌なのが見て取れる。余計なことを言ってこの気分を反転させるのも怖いので、僕は強く抵抗することが出来なかった。

 そうして為すがままにされていると、ようやく満足したのかフリムが手を離し、

「あ、そだ。アンタ達のことだから、小竜姫にはもう褒めて貰った後でしょ? じゃ、次はロゼさんね」

 と、またぞろ変なことを言い出した。ロゼさんの方に向き直り、茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せる。

「え、ええっ? い、いやだから、そ、そんな、いちいちみんなで何かしてくれなくても――」

「そうですね、是非私にもあなたを褒め讃えさせてください。ラグさん」

「――へっ?」

 フリムの突飛な提案を、しかしロゼさんはすんなりと受け入れてしまった。

「さぁ、こちらへ」

 無表情のまま何故か両腕を広げ、僕を誘う。どう見ても抱擁される予感しかしないだけに、僕は躊躇するしかない。

「い、いえ、こ、こちらへ、って言われても……」

「はい、そう言うと思っておりました。では私から行かせていただきます」

「えええええぇっ!?」

 散打における駆け引きみたいな速度で、ロゼさんが受け身から攻めへと転じた。一気呵成、疾風迅雷。そう言っても過言ではない勢いの、けれど距離感を狂わす歩法でふっと間合いに入られ、気付けば僕はロゼさんの豊かな双丘に顔を埋めさせられていた。

「む、むぐぅ――――――――っ!?」

 むにゅう、と未知なる柔らかさの海に溺れる。僕はその体勢のまま石像のごとく硬直した。

 何だかよくわからないけどいい匂いがして、何だかよくわからないけど身体の前面から伝わってくる生の体温があったかくて、何だかよくわからないけどトテモイケナイコトをしているような気分になってきて――

 とはいえ、この状態から無理に逃げ出したら、ロゼさん自身を拒絶したようにとられかねない。いやまぁそんなことを考えている間にロゼさんの両腕が後頭部と背中をホールドしてとっくに逃げられなくなっているのだけど。

「ラグさん、いつものことですが私は不器用な女です。あなたを称賛するのに、これといって上手い言葉も思いつきません。ですので、こうして私の気持ちをお伝えいたします」

 ぎゅっ、と背中を抱きしめる力がちょっとだけ強まる。後頭部に添えられた手が、フリムに比べれば大分控えめな動きで髪を撫でてくれた。

「本当に、お疲れ様でした。おめでとうございます」

 慈しむような囁きが耳朶をくすぐり、僕は胸の奥がくすぐったいようなむずがゆいような感覚を得る。小さく抑えられた声は、むしろ耳から頭の中へ染み入るように響いた。

「……あ、あり……ありがとう、ございます……」

 どうにかお礼の言葉を絞り出す。

 ロゼさんはそのまま、しばらく言葉にできない思いを肉体で表現し続けてくれた。その間、僕は終始カチンコチンになったまま、ロゼさんを抱きしめ返すどころか、そんな発想すら持てなかったのだった。

 長いような短いような抱擁が終わると、僕はいつの間にか止めていた息を、はぁぁぁぁ、と吐き、早鐘を打つ胸を両手で押さえた。危なかった。あともう少し長引いていたら、いつものように失神していたかもしれない。ロゼさんの褒め方は僕には刺激的過ぎた。

 ふと、ジャケットの裾がくいくいと引っ張られる。

「――え?」

 何かと思って振り向くと――半ば予想していたけれど――ハヌの色違いのジト目がこちらに向いていた。

「あ、や、ハヌ!? いやあのこれは違くて――」

 低い声で責められるかと思った刹那、ハヌはジトっとした目線はそのままで、口元を、にゅい、と子猫のように綻ばせた。くっふっふっ、と笑いながら、意地悪な声でこんなことを言う。

「随分と顔が赤いのうラト? 前々から思っておったが、おぬし――いわゆる、【むっつり】、とかいう奴なのではないか?」

「むっつ――!?」

 あまりにも予想外すぎる単語に、僕は落雷の直撃を受けたかのごとき衝撃を受けた。慌てて両手を振って否定する。

「ちっ、ちがっ――違うよハヌ!? そ、そんなことない、そんなことないよ!? っていうかそんな言葉どこで覚えたの!?」

 さらには首も大きく横に振っているところに、

「ああ、アンタそういえば――」

 にやり、と笑う悪魔フリムの楽しげな声が差し挟まれた。アメジスト色の双眸がいやらしい目付きでこっちを見て、

「――アタシが冗談で一緒にお風呂入ろうって言った時も、顔を真っ赤にして慌ててたわよねぇ?」

「なぁっ――!?」

 思いも寄らなかった死角からの攻撃に、僕の余裕が一気に蒸発した。

「ちっちちちちがっ、ちっがうよアレはそうじゃなくて――!」

 焦りすぎたせいか舌が上手く回らなくて、僕は壊れた音声ファイルみたいに噛みまくってしまった。

 そんな僕にハヌとフリムが、二人揃っていじめっ子な顔と目を向けてくる。

「あの時のアンタ、実はちょっと本気にしちゃったんでしょ? じゃないとあそこまで赤くならないはずだもんねー?」

「そういえば、ロゼにアイジンケイヤクを持ちかけられた時も、妾には黙っておったしのう?」

「え、ええええええぇっ!?」

 ニヤニヤ笑いながら、二人して僕の反応を楽しむハヌとフリム。

「えっとえっとえっと、いやだからそのえっと――!?」

 オロオロと上手い返しが思いつかない僕は、救いを求めるように傍に立つロゼさんへと視線を向けた。

 だけど――表情の変化に乏しいロゼさんは、やっぱりいつものポーカーフェイスで僕の目を見返し、何故か小首を傾げていた。それから、あっ、と何かを思いついたように唇を小さく開く。

 その琥珀色の瞳に悪戯っぽい光が躍るのを見た瞬間、僕は心の底から愕然とした。

 ――ま、まさか……!?

 そして微かに――本当の本当に、ほんの微かに。でも確かに――くす、と口元に笑みを浮かべて、ロゼさんがこう言った。

「……愛人契約、結びますか?」

「な……!?」

 まさかの三人目だった。新たないじめっ子の登場に、僕は顔を真っ赤にして二の句が継げなくなってしまう。

「――~っ……!」

 逃げ場を失い完全に追い詰められた僕は、もはや爆発するしかなかった。

「むっ、結びませぇぇぇぇ――――――――んっっっ!!!」

 広い純白のセキュリティルームに、本日の勝者である僕の悲痛な叫びが隅から隅まで響き渡るのだった。






「リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く