リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●17 胸の奥の聖域





『本当に、本当にあなたが馬鹿な勘違いをしてくれて助かりましたよ、ベオウルフ。いやぁ、大変でした。あまりにも見当違いのことばかり考えているので、正直たまらなかったんですよ。もう可笑しくて可笑しくて――ここに来るまで、どれだけネタバレしてやりたかったことか。しかし、あなたを丸裸同然にするまで、何が何でも我慢しなければならなかったのでね。頑張りましたよ。……ああ、そうそう、そうです。ようやくわかりましたか? ここまでの間、どうして私がほとんど笑みを絶やさずにいたのか――その理由が』

 ニタニタと笑いながら、ロムニックは己の体を検分しつつ、不思議な声で話しかけてくる。手足が正常に動くかどうかを確認しているのだ。

『筒抜けだったんですよ、全部。あなたの心の声がね。いま何を考えているのか、これから何をしようとしているのか――全てお見通しだったわけです、この私には』

 ははは、と肉声ではなく頭に響く音で、ロムニックは器用に笑った。

『傑作でしたよぉ、あなたの勘違いは。未来予知? いやはや、惜しかったですねぇ。そんなに凄い力があれば、私は今もきっと無傷のままですよ。あなた程度に、ここまで追い詰められることもなかったでしょう。そう――〝SEAL〟が麻痺して、まともに術式の使えない今のあなたになんてね』

「……!」

 まるで自らの言葉を証明するように、ロムニックは奴が知り得るはずのない情報を言ってのけた。

『言ったでしょう、全部わかっていると。あなたの頼みの綱だったチャージブレイクの弾数も、あの妙なスティックがスタングレネードであることも、攻撃の軌道もタイミングも、何もかも。なにせ、あなた自身が全て教えてくれたんですから。垂れ流しの思考でね』

 嘲笑の波動が直接頭の中に流れ込んでくるようだった。水溜りで溺れてあがいている虫でも見るような目を、ロムニックは向けてくる。その右手が、幾分か僕の血に染まった白槍を、ゆるやかに構えた。

『まぁ、正確には【心を読む】というより、【何を考えているかが理解できる】という力なんですがね。私の中の神器――〝共感アシュミレイト〟は』

 武器を構える姿に、違和感はない。四肢に残った傷の痛みは、やはり無視できるレベルのようだった。

『ええ、まだ痛みは残っていますがね。さぁ、まだ少し疑っている様子ですから、改めて私の力を証明しましょうか』

 僕の心の声に勝手に返事してから、

「こうして黙って突っ立っていても、観客が退屈してしまうだけですから――ねっ!」

 ロムニックが床を蹴って飛び出した。もうすっかりお互いの血で汚れてしまった元純白の姿が、瞬く間に近づいてくる。

「ッ!」

 僕は素早く前方へ飛んだ。そこに落ちている中刀の柄を引っ掴みながら床の上で前転。一回転の後、迅速に立ち上がってロムニックを迎え撃つ。

 ボッ、と大気を貫く繰り突きが放たれた。それを左の中刀で弾いて軌道を逸らし、右の小刀を――

『はい、左下から逆袈裟』

 テレパシーのような声が短く言うのと同時、槍が俊敏に引き戻され鞭のごとく僕の右腕に叩き付けられた。

「うぁっ!?」

 幸い穂先ではなく柄の部分だったが、強打の衝撃に腕が痺れて僕は小刀を取り落としてしまう。ならば、残る左の中刀を――

『右、水平ですね』

 またしても槍が奴の胸元に引き戻され、対処された。横一文字の軌跡を描くはずだった白銀の刃が真上に跳ね上げられてしまう。

『その無理な体勢から蹴り? 無茶ですねぇ』

 奴の腹に爪先――そう考えた瞬間、小馬鹿にするような笑みの気配が。

 同時、上げようとした足を思いっきり踏んづけられた。

「――!?」

 両手に続き片足を封じられ、僕は完全に死に体と化した。そこへ、

『はい、心臓へ一突き』

 宣告通り、胸の中央へ突き刺さる衝撃。だけどそれは槍によるものではなく、ロムニックの肘打ちだった。

「がはっ――!?」

 冗談抜きで呼吸が止まり、僕は後方へ吹っ飛ぶ――はずが、足を踏みつけられているせいで、勢いそのまま床に叩き付けられるようにして転倒する。

『これが槍なら死んでましたよ、ベオウルフ』

 軽い調子で言って、ひょい、とロムニックが飛び退いた。軽く距離を開けて、僕が立ち上がるのを待つつもりらしい。

『どうです? 為す術もなく叩きのめされる気分は?』

 僕は衝撃に痺れる体を起こしつつ、落とした武器を拾い上げた。弱々しく立ち上がる僕に、奴は嗜虐的な目を向けてくる。だがそのモスグリーンの双眸が、ふと不機嫌そうに歪んだ。

『……まったく、あなたは本当にしつこくて無駄な悪足掻きをする相手でしたよ。私はね、一度でも直接接触したことがある相手の思考や感覚を、自分の中でエミュレートできるんですよ。けれどね、逆に言えば相手の中にあるもの以外のことはわからない。……先程の電撃や放り棄てた剣を呼び寄せる攻撃には、正直肝が冷えましたよ』

 その言葉を聞いた瞬間、僕の中で全てが符合した。

 ――ということは、つまり……

『ええ、そうです。最後のスタングレネードに仕込まれていた電撃をあなたは知らなかった。だから私にもわからなかった。そして、あなた自身が繰り出す剣撃なら軌道も速度も狙いもわかりますが、あなたにも予測のつかない角度から飛んでくる剣の動きだけは私にもわかりません。まったく……ただの偶然でしょうが、私の〝共感〟の盲点を突く攻撃方法を二重に用意してきているとはね。心底、想定外でしたよ。念入りに準備してきたからよかったものの、危うくネタばらしの前に敗北するところでした。といいますか、普通そこまで頑張りますか? どう考えても〝SEAL〟が麻痺した時点で諦めるでしょう。常識的に考えて』

 呆れたように溜息を吐くロムニックは槍の切っ先をこちらへ向けて、いつでも刺し貫ける体勢をとる。再び、口元に酷薄な笑みを刻み、

「さぁ、もうわかったでしょう。これが最後の勧告ですよ、ベオウルフ。死にたくなければ、無様に這いつくばって命乞いをしてみなさい。私の機嫌が良ければ、もしかしたら助かるかもしれませんよ?」

「……誰が……っ!」

 傲岸なロムニックの態度に、反射的に頭に血が上る。けれど同時に、頭の冷静な部分が高速で現状の把握に努めていた。

 ――予想は外れていた。奴の神器の力は未来視ではなく、テレパシーもしくはリーディングのようなものだった。しかも〝共感〟という名称といい、奴の口振りといい、どうやら『心の声が聞こえる』というチャチなものではないらしい。

 戦闘中に抱いた疑問が、次々と氷解していく。

『一度でも直接接触したことがある相手の思考や感覚を、自分の中でエミュレートできる』――ロムニックはそう言った。つまり、自己の内部に相手そのものを〝仮想化させる〟能力、ということか。だから奴は、相手の思考だけでなく、知識や感覚までもをトレースすることができる――と。

 確かに、納得してしまう。奴のこれまでの動きは、その説明だけで筋が通ってしまうのだ。

 死角からの攻撃に完璧に対応できていたのも、初めてスティックを投げつけた時に目を閉じ耳を塞いでいたのも、視覚と聴覚を潰していたにも関わらず僕の攻撃をこれ以上ないタイミングで回避できたのも、全ては〝共感〟の神器の力に依るものだったのだ。

 なにせ奴の感覚は自分自身のものだけじゃない。【僕の五感】をも共有していたのだ。畢竟、死角は死角でなく、閃光も轟音も意味を成していなかった。

 我ながら『未来予知』と勘違いしたのも無理はない。僕が何をしてくるのか、何を狙っているのか、全てダダ漏れだったのだ。ロムニックにとっては、未来が視えているも同然だったに違いない。

 故に、僕のチャージブレイクは予定調和的に外れた。直撃できたものは、たまたまの偶然にしか過ぎなかった。

 つまり、意識すればするほど、あいつには筒抜けになって攻撃は当てられない。だから無意識の産物か、あるいは自分自身でも知覚できない――そう、さっきの電磁閃光発音弾みたいな――攻撃でなければ、奴の不意を打つことはできないのだ。

 ――ということは、僕は何も考えずに戦わなければならないのか……? いや、そんなのは不可能だ。僕に仙人にでもなれっていうのか……!

 歯軋りして睨み返す僕を見たロムニックは、

「そうですか、まだ拒絶しますか。いやはや、もう策は尽きたというのに負けず嫌いですねぇ。いやでも、嫌いではないですよ、そういうのも。ですが――」

 ふん、と鼻で笑い、

「――ここからは一切の反撃は許しませんよ。私が一方的にあなたを嬲ります。いくらでも、好きなだけ我慢すればいいでしょう。ですが……心が折れたその時は、せいぜい情けなく泣き喚いて、そこに額を擦りつけてくださいね? なにせ――」

 サディスティックな劣情に塗れた声で、ロムニックはうっとりと囁いた。

「――もはや〝下克上〟は成りました。いまやあなたは、私に完全に【凌駕】されているのですから」

 くくく、と楽しげに体を揺らす。

 奴の言った通り、チャージブレイクを撃ち尽くし、牽制用のスティックも使い果たし、切り札を切った僕は丸裸同然だった。単純な地力差をもって僕を叩きのめすことなど、奴にとっては赤子の手を捻るようなものだろう。

 だが。

 それでも――!

「……たまるかっ……!」

 自然と唇が動き、言葉を紡いでいた。全身を駆け巡る熱は、まだわずかも冷えていないのだ。

「はい? 何か言いましたか?」

 ロムニックがわざとらしく右耳を向けてくる。それに対し、僕は己を鼓舞するがごとく、大声を張り上げた。

「――僕は諦めないっ! 諦めてたまるかっ! 最初に言ったはずだ! お前が神器保有者〟だろうが何だろうが、僕には関係ないっ! どんな力を持っていても必ず倒す! ――僕が勝つッ!」

 瞋恚の炎を燃やし、僕はロムニックを力の限り睨め付ける。火を噴くような視線を奴のふざけた面構えに突き刺した。

「何度言われようと無駄だ! 命乞いなんて絶対にしない! 神器の力も、お前の強さも、観客の反応もどうだっていい! 勝つのは僕だっ! 例え殺されようとも――僕の仲間を馬鹿にしたお前だけは、絶対に許さないッ!!」

 激情の赴くまま気炎を叫び、僕は両手の武器を構えた。

 奴の口から――否、神器の力によるテレパスからもたされたのは、絶望的な事実だったかもしれない。

 だけど状況が絶望的なのと、僕が絶望するかどうかは、別の話だ。

 僕は絶望しない。絶対に諦めない。希望を捨てない。俯かずに前だけを見る。

 負けた時のことなど微塵も考えない。ヘラクレスや、シグロスや、ミドガルズオルムと戦った時と同じだ。

 必ず勝つ――それだけだ!

「強情ですねぇ。何があなたをそこまで突き動かすのかは知りませんが、しかし……そう、そんなあなただからこそ、壊れる瞬間もまた格別なんでしょうねぇ……? ええ、ええ、いいですとも。せいぜい私を楽しませてくださいね……?」

 ずるり、と長い舌を出して舌なめずりするロムニックに、僕は全身から迸るほどの戦意を込めて息巻く。

「僕は、僕の仲間を侮辱した奴を絶対に許さない! それが――」

 スカイウォーカーへコマンドを送り、全速力で駆けろを命じる。戦闘ブーツは紫のラインから光を放ち、任せろ、と応じてくれた。

 大切なものがある。守りたいものがある。

 だから僕は、絶対に負けられない。

「――それが僕の【流儀】だッ!」

 走る。



 ■



 気付けば戦闘はひどく単調なものと化していた。

 少年が攻め、ロムニックが跳ね返す――その繰り返し。

 少年の薄気味悪くなるほどの執拗さに、やがてロムニックは唇を歪ませる。

 大口を叩いた割には、少年の行動には工夫が見られない。

 がむしゃらに突っ込んできては、神器〝共感〟の力が故に見え見えの攻撃をいなされ、カウンターを受けては吹っ飛び、床の上を無様に転がる。そして立ち上がり、武器を構え直しては、また突撃をしかけてくる。

 もう何度、同じような攻防を繰り返しただろうか。

 だが。

 例え槍の穂先で肩を、太腿を、脇腹を抉られても。

 例え石突で頭を、腕を、腹を殴られても。

 例え柄で足を、腰を、首を打ち払われようとも。

 少年は必ず起き上がり、再び立ち向かってくるのだ。

 ひたむきに。一途に。

 気持ち悪いほど、真っ直ぐに。

「…………」

「がっ――!?」

 今また、武器を両手に突っ込んできた少年の顔を装甲靴の底で蹴り飛ばした。あの戦闘ブーツで立体機動を行い、こちらの背後へ回ろうとすることはわかっていた。だからタイミングを合わせ、すかさず後ろ回し蹴りを叩き込んでやったのだ。

 硬い靴底によるカウンターを喰らった少年は、鼻血を吹きながら後ろへ倒れた。勢いそのままゴロゴロ転がっていくかと思いきや、バネ仕掛けの玩具みたいに跳ね起き、またしても愚直に突っ込んでくる。

 顔中、否、身体中が血塗れだった。少年が動き回る都度、その四肢から深紫の血が飛び散る。満身創痍、そう言っても過言ではない状態だ。なのに。

「……ッ!」

 目が死んでいない。

 その黒い瞳は、飢えた獣のように爛々と輝き、ロムニックを捉えて決して離さない。

 そこに宿る光には諦観など微塵もなく、ロムニックから見れば有り得ないことに、少年は未だ己の勝利を信じているようだった。

 つい先程大言壮語した通り、本気でロムニックに勝つつもりでいるのだ。

「…………」

 馬鹿馬鹿しい――男は心の奥底からそう思う。

 愚劣だ。阿呆だ。間抜けにして、どうしようもない暗愚だ。

 この状況で、何を思えば勝機が見出せる?

 どう考えても無理だ。不可能に決まっている。

 ロムニックの体内に宿る神器〝共感アシュミレイト〟は、その名の通り、他者と『同調』できる力を持つ。

 ルーターやスイッチで〝SEAL〟を繋げている者同士で行える念話のように、心の声を聞いたり、届けたりするなどはまだ序の口。

 その気になれば現在の気分、心の傷、どんな言葉を求め、どんなことを言われれば不快になるか――他者の精神のありとあらゆることを把握することが可能になる。

 事の発端に荷担してくれた彼ら――『ベオウルフ・スタイル被害者の会』の連中もそうだった。彼らには負い目があり、そして同時に救いを欲していた。〝共感〟の神器を持つロムニックには、彼らの抱える心の隙間が手に取るようにわかった。

 故に、彼らの心をコントロールするのはひどく簡単だった。

 精神的に追い詰められた人間の意識は視野狭窄に陥り、盲目的になるものだ。そんなダイビングマスクよりも狭い視野に、お好みの肖像画を置いてやれば、まず間違いなくそれを己の自画像だと思い込んで歓喜する。

 ロムニックが『被害者の会』の連中に見せたのは、復讐者、という幻影だった。

 あなたの不幸は、あなた自身のせいではない。その不幸の裏側には真の黒幕が存在しており、全ての責任はその者にある。だから、あなたは何も間違っていないし、それどころか、黒幕に報復する正当な権利を有しているのだ――ロムニックはそのようなことを、ウェディングケーキをデコレーションするような丁寧さで『被害者の会』メンバーの耳へと吹き込んでいった。

 おもしろいほど上手くいった。

 どいつもこいつも何の疑いもなく納得した。ベオウルフ・スタイルを模倣したのは己や、死傷した当人の責任だというのに、他人から『あなたは間違っていない』と言われただけで、あっさりと受け入れてしまったのだ。

 人間は、己が悪であるという認識に耐えられない生き物だ。それ故、他者から肯定されるとすぐそちらへ逃げてしまう。自分は間違っていない、正しかったのだ――と。

 心の奥底では、己が間違っていることを知りながら。

 そう、〝共感〟を持つロムニックにはわかる。『被害者の会』のメンバー達も、頭のどこかでは自らの理不尽さに気付いているのだ。しかし、直視できない。直視すれば、全てが己の過ちとして圧し掛かってくるから。だから目を背ける。

 実際、ベオウルフと最初の接触をした際も、幾度か彼らの良心が目覚めかける場面があった。正論をもって言い返されたり、圧倒的な迫力によって怖気付かされたり。

 だがその都度、ロムニックは補正を入れた。神器の力で彼らの心の中にある『今一番言ってほしい言葉』を探り、それを告げたのだ。そうすることによって萎えかけた憎悪も怒りも、油を注いだように燃え盛った。いくらベオウルフが、剣嬢ヴィリーが『被害者の会』の心根を変えようとしても、ロムニックが彼ら好みの主張を呟くだけで、メンバーたちはそれを追い風として一貫性のない主張を貫き続けた。

 それだけではない。〝共感〟の力は一方的なものではなく、受信は勿論、送信とて可能だ。つまり、ロムニックの感情や感覚を『被害者の会』メンバーへ送りつけることも出来るのである。ロムニックはその力を用い、常に彼らの怒りや不快感を煽り続けた。悪いのはベオウルフだ、全ての責任はベオウルフ・スタイルなどというものを流行らせた奴にある、我々は純然たる被害者なのだ――と。

 何もかもが上手くいった。多少の想定外はあったが、それでも概ね想定内の展開へと持ち込めたと言える。最終的にベオウルフは挑発に乗り、決闘の申し出を受け入れたのだから。しかも『支援術式禁止』という、こちらに一方的に有利なルールまで呑んで。

 勿論、神器の力も使った。〝共感〟の力でベオウルフの逆鱗を探り、無遠慮に逆撫でし続けたのだ。怒りという感情ほど、理性的な判断を押し流すものはない。憎しみという感情ほど、道理を超えるものはない。

 案の定、少年は怒りに我を失い、正常な判断力を投げ捨て、感情の赴くままロムニックの手を取った。

 その瞬間から彼の敗北は決まっていたのだ。

 だというのに――

「だぁああああああああッッ!!」

 どこからそんな力が湧いてくるのか。なおも少年は雄叫びを上げて躍りかかってくる。傷だらけの全身に渾身の力を込めて、両手に握った白銀の刃を振るって。

 だが、その心の声はロムニックに丸聞こえだった。

『右のフェイント』『左のフェイント』『どっちもフェイントでさらに右のフェイント』『そこから視界の外へ逃げて背後へ回る』

 ――つまり全部フェイントで、後ろが本命ですね。

 右だの左だのは相手の主観なので、相対するロムニックからすればそれぞれ反転して考えなければならない。つまりロムニックの視点からは、最初は左のフェイント、次に右のフェイント、そこからさらに左のフェイントの挙げ句、戦闘ブーツの機動性にものを言わせて背後をとる――それがベオウルフのやろうとしていることだとわかる。

 神器が教えてくれるのは相手の思考だけではない。〝共感〟の力は『共感覚』をも呼び起こす。例えば、ベオウルフがこれから放たんとしている斬撃の軌道は『光の線』としてロムニックの目には映る。光線にはそれぞれ色がついており、フェイントであれば水色、当たっても問題ない場合は緑色、致命傷となる場合は赤色となって見える。

 また、感情には匂いがつきものだ。敵意や害意といったものは饐えた匂いがする。匂いがきつくなれば、それは敵が近付いてきている証拠だ。

 さらに、視線には重みがある。やはり怒りや憎悪の視線は尖っているので、相手がどこを狙っているのかが即座にわかる。

 そして、ロムニックはその気になれば相手の五感に【ただ乗り】することも出来る。

 これらの情報があれば、例え死角からの奇襲であろうとも恐れることはない。

 だからロムニックは正面にきたベオウルフには何もせず、彼の望み通りそのまま背後へと回らせた。

 少年は素直に連続フェイントを演じ、疾風のごとくロムニックの視界から消え去る。

『背後に回っても防御されるだろうからさらに正面に回って意表を突く。でもそれを読まれているだろうからさらに背後に回って裏をかく。とにかく速度を上げて心を読まれても対処できないほどのスピードになったところで攻撃を入れる』

 そんな馬鹿みたいな本気の思考を受信した。

 ロムニックは唇の端を釣り上げ、やれやれ、と鼻息を吐く。

 ――【また】ですか。誰も彼も、似たようなことばかり考えるものですねぇ……

 確かに、他はともかくあのスピードだけは厄介だ。体が小さく俊敏で、神器を持つ前の自分ならそれなりに手こずったかもしれない。

 だが、目にも止まらぬ速度というわけでもない。あの程度であればいくらでも対処のしようはある。

 大体からして、御粗末な考えなのだ。

 今回は引き受けた仕事だからこそ〝共感〟のテレパシー能力を使ってベオウルフに種明かしをしたが、実はこれが初めてというわけでもない。これまでの決闘相手にも何度か、戯れに神器の力を明かしてみたことがある。無論、誰も心から信じはしなかったが。

 しかし、決闘相手から『私はあなたの心が読めるのですよ』と言われると多少は気になってしまうのだろう。神器の力を告げた相手は例外なく、己の思考をコントロールしようとした。当然、そのような付け焼刃が上手くいくはずもなく、得てして彼らは次のような結論に辿り着く。

『例え来るとわかっていても、回避も防御もできない攻撃を』――と。

 例えば今のベオウルフと同じく、スピードで撹乱しこちらの読み取り能力を飽和させ、隙を突こうとする者。

 真っ直ぐ一直線でぶっ倒す――それだけで脳内を満たして突っ込んでくる者。

 何も見ずに済むよう、目をつむって突撃してくる者。

 攻撃の軌道を読ませないため、手持ちの武器を全て投げつけてくる者。

 他にもいくつものパターンがあるが、結局、どれもこれも陳腐としか言いようがない。

 ――あなた達が即席で思いつくようなことを、私が想定していないはずがないでしょうに……

 ロムニックからすれば、笑うしかない。

 しかし勿論、彼らの思いつきは正しいと言えば正しい。来るとわかっていてもどうにもならない攻撃というものは、確かに存在する。

 例えば、支援術式を駆使して〝アブソリュート・スクエア〟状態になったベオウルフなどは、まさにそれだ。

 全身体能力の強化係数、千倍超。そこまでとなると、もはや思考と行動の間には寸分の差もあるまい。おそらく、ベオウルフが『やる』と考えたのと同時にロムニックはやられていることだろう。

 そういった意味では、例え支援術式禁止のルールがあろうとベオウルフは恐ろしい相手だった。なにせ、彼がその気になればロムニックはひとたまりもないのだ。ルール破りには相応の報いがあるが、しかしベオウルフがそれを受け入れることを覚悟し、ロムニックを必ず殺すと決意したそのときは――間違いなく一瞬で殺される。〝雷神〟の異名は伊達ではない。彼が本気になった瞬間、稲妻のような速度で、ロムニックの体は剣に刺し貫かれることだろう。

 だからこそ準備には万全を期した。一撃で殺されぬよう、ありったけの装備に『身代わりの加護』を付与させ、同時に『治癒の加護』もたっぷり用意した。例えベオウルフが本気になったとしても、逃げ切るだけの猶予を得るために。

 だが、蓋を開けてみればどうだ。心の声を聞く限り、今のベオウルフは〝SEAL〟が麻痺して支援術式どころか、攻撃術式も剣術式も使えず、あまつさえストレージから愛用の武器すら取り出せないというではないか。

 天恵としか思えなかった。これで万が一の可能性すらなくなった。完膚なきまでにベオウルフに勝ち目はなく、この決闘の勝利者はロムニック以外に存在しなかった。

 そう、これまでの決闘がそうだったように。

「――――」

 過去の決闘を思い出し、ロムニックは密かにほくそ笑んだ。

 相手の考えていること、これからやろうとすることさえわかれば、多少の実力差など容易にひっくり返せる。相手が上位のエクスプローラーであろうと、その力が万全でなければ意味はない。寡兵をもって大軍を討つがごとく、敵に全力を振るわせず、己の本領を発揮させることが出来れば、負ける道理はないのだ。

 それもこれも、神器を入手する以前から毎日のように積み重ねてきた鍛練の賜物であった。

 神器〝共感〟を得る前のロムニックは、目立たぬ中堅どころのエクスプローラーだった。

 極論を言ってしまえば、この世界では才能がものを言う。その意味では、ロムニックは才能に恵まれない男だった。

 だがそれでも、己を鍛えることだけは怠らなかった。師の教えを忠実に守り、時に血反吐を吐こうとも、地道に槍の腕を磨いて磨いて磨き抜いてきた。例え天才と呼ばれる――そう、あの〝剣嬢〟のような――エクスプローラーに届かずとも、彼ら彼女らに次ぐ【秀才】にはなれるはず。そう信じて。

 やがて弛まぬ鍛練の果てに、ロムニックは達人級の槍さばきを手に入れた。それは才能に頼らず、戦闘理論を突き詰めた先に得た確かな力だった。

 研ぎ澄まされた技術は、時に大きな力をも凌駕する。決闘相手がどれほど強大であろうとも、神器〝共感〟の力と、この手に染みついた槍術さえあれば、総合評価ランクの差などたやすく飛び越えられた。

 痛快だった。己の才能に寄りかかって一流エクスプローラーと呼ばれていた連中が、ロムニックの前では為す術もなく嬲られ、打ち倒されていくのだ。

 強者の意図に先んじて、己が槍技で封殺し打倒する――その勝利のなんと心地よいことか。

 下克上――嗚呼、これほど素晴らしい響きが他にあるだろうか。

 そう、これまで自己を鍛え、磨き上げてきたのは、ひとえにこの昂揚感を得るためだったに違いない。自分よりも圧倒的強者を挫き、地面に這いつくばせる――これほど胸のすくことはないのだから。

「――自慢のスピードも、こうすれば意味がありませんよ」

 既に〝共感〟の力でベオウルフが走ろうとしている軌道コースは見えている。ロムニックはそこに槍を突き入れ、彼の進行を阻害した。

「――ッ!?」

 それだけでベオウルフは驚いた猫のように跳び上がった。何もない空間を蹴って、上方へ逃げる。急激な進路変更によって速度がガタ落ちになった。

 ロムニックは舌なめずりをする。

 なんにせよ、今日の決闘もいつもと同じだ。相手の心が折れるまで嬲り、命乞いをさせるか、惨めに倒れ伏すまで傷つける。相手のプライドを粉々に砕き、屈服させる――それがロムニックの描いた筋書きシナリオだった。

「ほうら、体勢が崩れましたよ」

 立体機動中に無理な制動をかけたベオウルフの矮躯が、無防備に宙に浮いた瞬間を狙った。既に少年の深紫の血に染まっている穂先を奔らせ、彼の左脇腹へと突き立てる。

「ぐぁっ!?」

 身につけている戦闘ジャケットの防護機能がわずかに抵抗したが、それを貫いて肉を抉る手応えがあった。傷口から少年のフォトン・ブラッドが噴き出し、雨のようにロムニックへ降りかかる。

 傷口が深くなるのを避けるため、ベオウルフは自ら体を回転させて穂先から逃げた。が、姿勢制御も甘くなり、そのままロムニックの頭よりも高い位置から床へ落下してしまう。べちゃり、とスタンプのごとく大きな血痕を残して、ゴロゴロと横に転がった。

「さっきの啖呵を切った威勢はどこへ行ったんですか?」

 すかさず追撃をかけた。

 駆け寄り、寝転がっているベオウルフめがけて槍を突き下ろす。

「くっ……!」

 ロムニックの動きに気付いた少年は、自ら転がる回転を上げて逃げた。ほんの一瞬前までベオウルフがいた位置に槍が突き刺さり、硬い音を立てる。ロムニックそのまま、ガチン、ガチン、と槍の穂先が硬い床を噛みながら転がる少年の体を追いかけた。

「ほらほら、早く逃げないと刺さってしまいますよ? というか今のあなたすごくかっこ悪いんですが、恥ずかしくないんですか?」

 死にかけの鼠をいたぶる猫のようなことをしながら、嘲弄と挑発を忘れない。

 まだだ。まだ足りない。ベオウルフにはもっと足掻いてもらわなければ。未だ勝てるつもりでいるのは少々腹立たしいが、それはそれ。彼には醜く抗い、全身全霊の力を一滴残らず絞り出して、その挙げ句に負けてもらわなければならないのだ。

 その為に必要なのは、怒りの感情だ。

 この決闘を受けさせた時もそうだったが、憤怒と憎悪こそ、人の醜い本性を暴き立てる感情だ。真なる激情に支配された者は、もはや獣と等しい存在と化す。

 だが、凶暴さを増す一方で、その状態の心はひどく無防備にもなる。全力を尽くすあまり、衝撃に弱くなるのだ。

 心の底から怒り狂い、それでもなお敵わない――そう察した時、戦士の心は音を立ててへし折れてしまう。その音が、〝共感〟の力を持つロムニックにはしかと聞こえる。

 耳に心地よい音というのはいくらもあるが、人の心の壊れる音はまた格別だった。

 その甘美な音が響いた時こそ、完全勝利の時なのだから。

「――――」

 その瞬間を心待ちにしながら、適度に手を緩めベオウルフを逃がしてやる。ある程度の距離が空いたのを確認すると、少年は俊敏に身を起こし、左手で脇腹を押さえながら立ち上がった。

「……はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 荒れた呼吸を繰り返しながら、苦痛に顔を歪め、黒い瞳でこちらを見据えてくる。今また手傷を負わされたというのに、その目に宿る勝利の決意はいささかも翳らない。

 やはりこの状況でまだ勝てると思っているのは気に喰わないが、しかし、逆に言えば最高のコンディションとも言える。落差ギャップが激しければ激しいほど、ダメージは大きくなるのだから。

 この少年が勝負を諦めた時、一体どれほど美しい破砕音を聞かせてくれるのか。それを想像しただけで、ロムニックの背筋には震えが奔った。

 ――では、そろそろ尻に火を点けるとしましょうか。

 ひとくさり笑うと、ロムニックは少年に念話を送りつけた。

『ところでベオウルフ、私の話を聞いてこうは思いませんでしたか? この〝共感〟という神器、しかし神器という割りにはあまり大した力ではないな、と』

 そう問い掛けると、少年は無言のまま返事をしなかった。しかし、心を読めるロムニックには表層的な反応など無意味である。思考というものは正直だ。人は覚醒している限り、何かを考えずにはいられない。戦闘中ともなれば尚更である。

『どういう意図の質問だ』『本当に僕の心が読めるなら聞くまでもないだろ』『確かにロゼさんやヴィリーさんの神器に比べたら大したことはない』『対人戦では有利だろうけど、でもそれだけだ』『SBやゲートキーパー相手じゃきっと何の役にも立たない』『そうか、だからこいつは決闘ばかりを』『いや違う、そうじゃない。構うな。惑わされるな。奴の口車に乗っている場合じゃない。僕が今考えるべきはこんなことじゃないだろ』

 一つ言葉を投げかけると、心の水面には波紋が広がる。水底から上がってくる泡のように、ほぼ自動的に浮かんでは弾けて消えていく少年の思考。その一つ一つを吟味するわけではなく、全体の流れをこそロムニックは見る。

『そうですね、確かにSB相手にはほとんど意味がありません。他の神器のように物理的なパワーがあるわけでもないので、エクスプロールには不向きな力です。ですが――』

『うるさい』『聞いていられるか』『その口を利けなくしてやる』

 話の途中でベオウルフが武器を構えて駆け出した。

 ――思念で話しかけているので、別に口を動かしているわけではないんですがねぇ。

 敢えて指摘はせず、餓狼のごとく馳せてくる少年を迎え撃つ。

『左』『右上』『左下』『上』『回転』『突き』『挟み撃ち』『切り上げ』『踏み込む』『蹴り』『と見せかけて足を踏む』

 搦め手が通じないとくれば、今度は真っ向からの連続攻撃だ。子供だから仕方ないとはいえ、単純すぎてロムニックは笑ってしまう。

 支援術式による強化のないベオウルフの身体能力では、極めた技術の粋を結集するまでもない。察知できる攻撃の全てを力尽くでいなし、弾き返せばいいだけだ。

 だからそうする。

「がっ!? ぐっ、かはっ!? あうっ!?」

 こっちの足を踏みつけようとする黒と紫の戦闘ブーツを避けるのと同時、槍の石突きで少年の側頭部を殴り、逆に足を引っかけてやった。おもしろいぐらいあっさり転んだところへ、腹部へ装甲靴の爪先を一発。ボールのように蹴っ飛ばしてやる。

「――ぁ……ぐぁあぁっ……!」

 どうやら偶然、先程えぐった左脇腹にも当たっていたようだ。全身を駆け抜ける激痛に、少年は床に転がったまま、死にかけの芋虫のように悶える。

『人の話は最後まで聞くことですよ、ベオウルフ。それとも、動けないようにしてから聞かせて欲しいのですか?』

 これだけ痛めつけても剣を手放していないのは、敵ながら天晴れというものだ。プルプルと生まれたての子鹿のように震えながら、いっそ健気に立ち上がろうとする少年にロムニックは続ける。

『繰り返しになりますが私の〝共感〟は、対人戦でのみ大いに輝く、最強にして最弱の神器です。しかし、その力はただ相手の心理を読み取るだけではないんですよ』

 そこでいったん言葉を切り、ベオウルフの反応を見る。

『痛くない、こんなの全然痛くない』『考えろ考えろ考えろ、奴の裏の裏をかくにはどうすればいい』『対人戦じゃ最強? じゃあ僕はSBにでもなれば勝てるっていうのか?』『いや、そんな仮定に意味はない。僕は僕のままだ』『さっきからベチャクチャと。こいつは何が言いたいんだ』

 ほとんど予想通りの思考に、ロムニックは目を細め、空いている手で前髪を掻き上げた。手袋越しに己の灰褐色の巻き毛が絡みつき、とっくに乾いて固まっていた紺青色の痂皮かさぶたがパリパリと音を立てて砕け落ちる。

『先程も言いましたが、原則、私の神器が作用するのは直接接触した相手のみ。しかし、一度でも触れ合ってパスを作ってしまえば、後は時間を経る毎に同調の度合いは深まっていくんですよ。しかも、それは物理的な距離が近ければ近いほど加速度的に』

 手を振って手袋についた痂皮の欠片を落とし、ロムニックは告げる。

『同調が深まればどうなるか? それはですね――【相手の記憶まで読めるようになるんですよ】』

「――ッ!?」

 今回ばかりは明確な反応があった。少年は目を剥いて、息を呑んだのである。

『嘘だ』『まさか』『そんな』『有り得ない』『有ってはいけない』『有って欲しくない』『やばい』『まずい』『どうしよう』『嫌だ』

 動揺する思考がダイレクトに伝わってくる。わかりやすい慌てぶりに、ロムニックは湿度の高い満足感を覚えた。

『嘘ではありませんよ。そろそろあなたの記憶も読み取れる頃合いでしょうから、ちょっと試してみましょうか?』

「――~っ……!」

 ベオウルフがこちらを睨み、悔しそうに歯噛みする。

 人は誰しも、覗かれたくない記憶というものを持っている。心の奥底に封じ込めた、辛い記憶。あるいは本人ですら意識していなかったような、精神的外傷トラウマ。誰にも触れられたくない、大切な思い出。

 ロムニックの神器はそれらを赤裸々に暴き立て、網羅することできる。あたかもライブラリーデータを読み取るかのごとく。

 ロムニックは己の〝SEAL〟を励起させた。紺青色の輝きが全身を駆け巡り、幾何学模様を描く。輝紋の浮かび上がった顔を愉悦に歪め、〝神器保有者〟の男は独自の術式を発動させた。

「〈リコレクションピィプ〉」

 ただ漫然と相手の思考を拾うだけなら、ただ神器の力を発動させているだけでいい。しかし、読み取り能力に指向性を持たせ深く潜るためには、術式による縛りをかけ、方向性を絞る必要がある。その為、ロムニックは知り合いのプログラマーを抱き込み、オリジナル術式を開発させていた。当然、支払いはゼロ。神器の力で恐喝したのである。

「――!?」

 ロムニックの唇から紡がれた起動音声に、ベオウルフは顔を顰めた。痛みに耐える覚悟を決めたような表情で、歯を食いしばる。

 ロムニックとベオウルフの精神は、神器〝共感〟の力によって、スイッチやルーターとは違ったロジックに基づき接続されている。

 故に、抵抗は無意味。ロムニックのフォトン・ブラッドはそのルートとポートを通じ、少年の〝SEAL〟へとその不躾な手を伸ばした。

 触れる。

 ほんのり淡く、麻痺しているはずのベオウルフの〝SEAL〟が紺青色の光を灯した。

「…………」

 一回目の記憶の読み取りは、ほんの数瞬で終わった。

「――へぇ、なるほどですねぇ。あなたと小竜姫は、そういう馴れ初めで知り合ったのですね」

 軽く記憶の上澄みを掬っただけだが、それだけに持ち主にとって印象的なものが汲み取れる。

 その中に、おそらくこれだろうという決定的なキーワードが混ざっていた。

「素敵ですねぇ、ベオウルフ。これはとても素晴らしいボーイ・ミーツ・ガールです。いえ、〝勇者ベオウルフ〟だなんて無粋な名前で呼ぶのはやめておきましょうか。ねぇ――」

 これから屠殺する家畜に刃を振り下ろす――そんな気分で、ロムニックは【その名】を舌に載せた。

「――ラト?」



 ■



「――。」

 その単語が耳に入った瞬間、背筋が冷たく凍りつき、信じられないほど膨大な悪寒が僕を襲った。

 気持ち悪いなんてものじゃなかった。

 目が回るほどの吐き気を覚えた。

 いつかの『ヴォルクリング・サーカス事件』で、SBに食い散らかされた死体を見た時よりも、なお激しい嘔吐感が込み上げてきた。

 生理的嫌悪感も、極まれば人を殺すのかもしれない。

 そう思うほど虫酸が走った。

 まるで思いもしなかった。【その呼び名】を、ハヌ以外の誰かが口にしただけで、こんなにもグロテスクな響きになるだなんて。

 肌が粟立つ。鳥肌が治まらない。蟻走感が四肢の端々まで及び、発狂してしまいそうなほどの苛立ちが頭の中で弾け散った。

 目の前が真っ白に染まった。

「……こ…………!」

 言葉にならない。自分でも何が言いたいのかわからない。だから言葉にしようがない。

 これは怒りでも、悲しみでもなかった。そのどちらでもなく、そして、そのどちらよりも巨大な【何か】だった。

「可愛らしいですねぇ、【ラト】。短くて呼びやすい名前です。そして【ハヌ】。いやはや、こちらもシンプルで素晴らしい。実にキュートです」

 臓腑が焦げ付きそうなほど燃え上がっていた。目の前が真っ赤になっていた。今なら口から火が吹けると本気で思う。赤熱した肋骨が胸を突き破り、今にも外へ飛び出すかのようだった。

 ねっとりと、汚らしくて、おぞましい声が、またしても大切な名前を口にする。

「おやおや、随分と怖い顔になりましたねぇ、【ラト】。そんな顔をしていたら【ハヌ】に嫌われてしまいますよぉ? ふふふっ」

 靴底で踏みにじるとか、糞尿に塗れさせるとか、そんな次元ではなかった。

 もっと酷く、もっと辛く、もっとえぐい――それは蹂躙だった。

 もはや、奴の軽佻浮薄な顔しか目に入らない。

 奴の甲高く、妙にざらついた声しか耳に入らない。

 それ以外のものは完全に断ち切られ、感覚の外へと弾き出されていた。

 意識野には奴に対する激情しかなかった。今が決闘の最中であることすら、頭から蒸発していた。

 やめろ。

 黙れ。

 その名を汚すな。

 それはお前なんかが口にしていい名前じゃない。

 今ならわかる。

 あの時――僕とハヌが初めて出会ったあの日。

『NPK』の新人だったニエベスが『ラト』という名を口にした瞬間、激昂したハヌの気持ちが。

 こんな気持ちだったのだ。

 こんなにも不愉快な思いは、生まれて初めてかもしれない。

 ロムニックは僕達の聖域を土足で踏みにじった。

 そこに綺麗に積もっていた、誰の足跡もない新雪を、無遠慮に汚したのだ。

 僕をラトって呼んでいいのは、ハヌだけなのに。

 あの子をハヌって呼んでいいのは、僕だけなのに。

 それを。

 奴は。

 ――許さない。

 怒りとも悲しみともつかない、体内で荒れ狂う獰猛な感情の正体に、僕はようやく気が付いた。

 ――絶対に許さない……!

 これは憎悪だ。

 どす黒くて、ドロドロしていて、荒々しい猛獣のような衝動。腹の中にもう一つ心臓が生まれて、激しく鼓動を打っているかのようだった。

 抑えられない。抑えきれない。

 抑えるつもりもない。

 僕は甘かった。あいつを後悔させてやろうだなんて、何なまっちょろいことを言っていたのだ。

 これが後悔させた程度で済むはずがない。済ませられるはずがない。済ましていいわけがない。

 そんな生温いことが、許されるはずがない。

 この男には後悔するよりも、もっとふさわしい末路があるはずなのだ。

 そう、後悔するなんて軽いものではなく――もっと酷くて、惨くて、惨憺たる何かが。

 上手く言葉で言い表せられないけど――そうだ、もっと【どうにか】してやらねば、きっと僕の気は治まらない。

 だから、落ちてしかるべき地獄に、叩き落としてやるのだ。

 この手で。

 必ず。

「――――」

 ロムニックの唇がまだ動く。間延びした時間感覚の中、その動きがつぶさに見て取れる。奴の口が『あ』の形をとったとわかった時、僕は本能に突き動かされて床を蹴った。

 全力全開だった。



 ■



『ラト』と『ハヌ』。

 この二つの略称がベオウルフにとって宝石よりも価値のあるものだということは、記憶を探ればすぐにわかった。

 故に、彼の怒りを呼び起こすには最適なキーワードだと思えた。

 否――最適すぎた。

 二人の間でしか使われない特別な呼び名――これを出した途端、文字通り少年の血相が変わったのだ。

 ――おやおや、そんな顔ができたんですねぇ。

 むしろ感心してしまうほどだった。ベオウルフはこれまでとは別人のような顔付きでロムニックを睨むと、無言のまま弾かれたように飛び出した。

 爆発的な加速。

 おそらく今日一番の速度だったろう。完全に頭に血が上ったベオウルフは稲妻のごとく、しかし馬鹿正直に突っ込んできた。折角の立体機動も生かさず、真っ直ぐ、真っ向から。

 ――見え見えですよ。

 いくら少年の機動が速くとも、目で追えないレベルではない。それに、彼の体のあちこちから伸びる光の線が、耳に届く心の声が、これから何をしようとしているのかを如実に教えてくれる。

『右』『左』

 両手に持った長短二本の剣によるワンツー。激情のあまり複雑な駆け引きが出来なくなっているのだ。狙い通りである。この程度なら、難なく捌くことが出来る。

 風切り音。二連撃。

「――!?」

 ギギン! と金属音が鳴り響いた時、ロムニックは若干驚いていた。剣速が思ったよりも速い。しかも威力も重い。

 後者は感情の昂ぶりによって筋力のリミッターが解除されたと思えば、特段不思議ではない。だが、剣閃の速度が上がったのには頭を捻ってしまう。

 ――そういえば、斬撃の『出』が見えませんでしたね。

 神器〝共感〟のおかげで、白刃がどのような軌道で近付いてくるのがわかっていたため問題なく防御できたが、実際の攻撃が出てくる瞬間は視認できなかった。これまではテレフォンパンチのように、わかりやすい前振りがあったのだが。

『右』『左』

 ベオウルフは懲りずに左右から剣撃を放った。力任せの、軌道が見え見えの、しかし鋭い連続攻撃。

 少年は吼えない。もはや声もないほど激発しているのだ。餓狼のごとき表情で一心不乱に剣を振る。

『右』『左』『右』『左』

 斬撃の速度が徐々に上がっていく。単調な繰り返しだが、それだけに回転効率がよく、波に乗りやすい。

『右』『左』『右』『左』

 ロムニックは激流のような連撃をバックステップで威力を殺しながら弾き返し、防御に徹していた。後先考えずに全力全開で攻撃してきているのだ。早々に体力が尽きるのは目に見えている。いずれ手足を動かす力すら無くなった時、少年の敗北は確定する。その瞬間、彼の心は絶望に染まるのだ。

『右』『左』『右』『左』

 だが、さらに鋭さと重さと速さを増す剣閃に、ロムニックも流石に手を焼き始めた。

 ――? これはもしや……

 気付く。ベオウルフの攻撃モーションから、徐々に無駄が排除されていっている。大振りだった攻撃が、小さくコンパクトに。腕に鉄の芯でも入ったかのごとく、一撃一撃の重さが増して。斬撃と斬撃との間の隙が少しずつなくなっていき、循環する水流を受け止めているような錯覚さえ感じるようになっていた。

 怒りに任せて暴れているように見せかけて、その実、少年はその戦闘技術をこれまで以上に研ぎ澄ませていたのだ。

『右』『左』『右』『左』『右』『左』

 まだ上がる。もっと鋭く、もっと重く、もっと速く。やがて剣閃が完全に連環し始め、途切れ目が消えた。剣撃を受ける槍に、それを支える腕に、衝撃が重く響く。

 先程ロムニックの全身を貫いた剣の傷は、完全に治癒されたわけではない。傷口はどうにか塞がったが、皮膚下の損傷はまだ残っている。故に、ベオウルフの攻撃を防御する度にわずかな痛みが走っていた。それが段々と、無視できないレベルにまで上昇していく。

『――随分と調子が出てきたではありませんか、ベオウルフ。そんなにも【ラト】と呼ばれるのがお嫌でしたか?』

「――ッッ!!」

 神器の力を使って話しかけると、さらに斬撃の圧が増した。ロムニックには全く以て理解しがたい。一体どこからこんな力が出てくるのか。不思議でならなかった。

『ですが無駄ですよ、無駄。言ったでしょう、あなたの攻撃は全て【視えている】んです。こんな単調な攻撃をいくら続けたところで、私にはもう髪の毛一本分の傷すらつけられませんよ』

『右』『左』『そう思いたければ』『右』『左』『勝手に』『右』『左』『そう思え』

 攻撃の思考に混じって、ベオウルフが心の声で返事を返してきた。いや、返答したというよりは、半ば無意識に浮かび上がった思考なのだろう。少年は引き続き、我武者羅に剣を振り続けている。

『右』『左』『僕の心を読みたいなら』『右』『好きなだけ読め』『左』『いくらでも見せてやる』『右』『左』『右』『ただし』『左』『お前がついてこられるのならな』『右』『左』

 ロムニックは竜巻のごとく繰り出される連続攻撃のことごとくを弾きながら、ふっ、と鼻で笑った。

 ――ここにきて何を調子づいているのだ、このガキは。今のお前は、いわば燃え尽きる寸前の蝋燭に等しい。力を使い切った暁には、惨めに命乞いするか、無様に死ぬかの二択しか存在しないというのに。

「おやおや、よもやこの状況で慢心できるとは……まったく、その心意気だけは大物ですよ、あなたは」

『しかしながら、これから小物に成り下がるわけですがね』

 肉声と思念の両方で告げた瞬間だった。

『み右』『左』

「――?」

 一瞬、ベオウルフの思念と剣の軌道を表す光線がブレた――気がした。ロムニックは思わず目を瞬かせて、再確認する。

 問題はない。いつも通りだ。

 しかし。

『右ぎ』『ひ左』

「――!?」

 今度は左右両方がブレた。今度こそ見間違えなかった。少年の心の声と、こちらを狙う剣の軌道が、ほんの僅かだが、確かに二重に【揺れて】見えたのだ。

 愕然とするロムニックの眼前で、その不可思議な現象は連発した。

『み右』『左り』『右ぎ』『ひ左』『み右ぎ』『ひ左り』

 切れかけのネオンサインよろしく、フェイントの水色、防具で跳ね返せる緑色、致命打となる赤色の光線が、二重もしくは三重に分身し、明滅する。

「……!?」

 何だこれは。何が起こっている。有り得ない。思念というのは糊塗しようのない心の発露だ。隠しようのない剥き出しの意思だ。

『みみ右』『ひ左りり』『み右ぎぎ』『ひひ左り』『みみ右ぎぎ』『ひひ左りり』

 なのに何故、こいつの思念と斬撃軌道はこんなにも乱れて、不安定なのだ――!?

 なおも激しさを増す連環撃。非力な少年の全力で打ち込まれるそれを、しかし受け流すロムニックの槍が動揺で鈍る。最適な角度と力で受け止め弾いていたのが、いやに手こずるようになってきた。

「くっ……!」

 落ち着け。頭を冷やせ。驚くようなことじゃない。思考や剣閃の軌道を示す光線が多少ブレようとも、本質的にはさっきまでと同じだ。相手の考えていることがわかる。だから先読みが出来る。状況は何も変わってはいないではないか。故に、焦る必要などどこにもない。

 そう自分に言い聞かせようとした刹那だった。

『み』『ぎ』『ひ』『だり』

「――ッ!?」

 ――待て待て待て待て待てっ!?

 今、致命的なまでに【何かがズレた】。明らかにベオウルフの思考が分断され、視界の左右に【四本】の光線が現れたのだ。

 ――あ、有り得ない有り得ない有り得ないっ!?

 見えないハンマーで頭を殴られたような衝撃に、ロムニックは瞠目する。神器の力を頼みにここまできた男にとって、この不可解な現象は己の根幹を揺るがす大事件だった。

 ――そんな馬鹿な、神器の力に間違いなどあるわけが……!?

 錯乱するロムニックにしかし、ベオウルフの怒濤の連続攻撃ラッシュは止まらない。

「――おっ、ぬぉっ!?」

 光線による予測が当てにならないため、慌ててベオウルフの振るう白刃を肉眼で視認した。これまでと同様、斜めに振り下ろされる刀身を槍の柄で受け止め――しかし最適なタイミングを外す。クッションのように受け止めて威力を殺すはずが、真っ正面からぶつかってしまい強い衝撃が弾けた。

「ぐ……ぁっ……!」

 ロムニックの四肢に激痛が走る。癒えきってない傷に響いたのだ。こうならないために、剣の軌跡と角度とタイミングを先読みしていたというのに。

 不意に、視界の端に深紫の光が入り込んだ。

「な……!?」

 何かと思えば、ベオウルフの顔だった。

 わずかに――ほんのわずかに、少年の顔に輝紋が浮かんでいる。その光は、輝きと呼ぶにはまだ弱く、注意して見なければ皮膚下の血管と見間違えそうだ。しかし。

 唸るようにフォトン・ブラッドの光が瞬く。麻痺しているはずの〝SEAL〟が蘇らんとしているのか、ディープパープルの輝きが明滅を繰り返した。それはロムニックの視界に映る、ベオウルフの攻撃を示す色とりどりの光線とも相まって、目の前をうるさく染めた。

 ――ま、まさか、このタイミングで回復してきたと……!?

 驚きに次ぐ驚き。乱れた呼吸に喉が喘ぐ。予想外のことが立て続けに起こり過ぎて、ロムニックの余裕はすっかり磨滅してしまっていた。

「お――ぉおおおっ!」

 吼える。全身に力を込め、少年の斬撃を【本気】で受け止めた。金属音。衝撃。焦りと興奮のあまりか、手足に走る激痛すら忘れた。

 まずい。まずいまずいまずい。このままではベオウルフの〝SEAL〟が復活する。そうなったら攻撃術式や剣術式――いや、逆上している今なら支援術式すら使ってくるかもしれない。そうなったら一巻の終わりだ。

 猛烈な焦慮が肋骨の内側を焼く。ロムニックは余裕綽々たる態度をかなぐり捨て、必死の形相を浮かべた。

「この――ガキがぁッ!」

 渾身の力で迫る白刃を弾き飛ばした。ベオウルフの左手から武器が離れ、明後日の方向へ吹っ飛んでいく。

 ――今ならまだ間に合う。こいつの〝SEAL〟が完全に回復する前に殺さなければ。もはや命乞いをさせようとしている場合ではない。そんなことに拘泥していたら自分が死んでしまう。例えルール上だけ決闘に勝利したところで、命を失くしては何の意味もないのだ。

「いつまでも――調子に乗るんじゃあないッ!」

 右手の小太刀一本だけになったベオウルフへ、ロムニックは手加減抜きの諸手突きを繰り出した。しかし。

 ギャリン、と擦過音と共に――【突きがいなされた】。

 ベオウルフは小太刀の峰に左手を添え、柄に刃を当てることによって槍の軌道を横へ逸らしたのだ。

『馬鹿か』『僕が何度その突きを見たと思っている』『舐めるな』『調子に乗っていたのはお前の方だ』

 モールス信号のように〝SEAL〟の幾何学模様を点滅させる少年の思考が、直接ロムニックの胸に突き刺さる。

 思いがけず至近距離で目が合った。

「――――」

 剣の切っ先がごとく鋭い眼光を放つ黒い瞳――その奥で、深紫の光が迅雷のごとく煌めいた。

『お前は調子に乗りすぎた』『自分の手の内をベラベラと』『それが致命打だ』『最大の失敗だ』『もう終わりだ』

 ベオウルフの左腕が無造作に伸びて、ロムニックの前髪を鷲掴みにした。

「!?」

 視えていたはずだった。わかっていたはずだった。

 なのに【避けられなかった】。

 むんずと前髪ごと頭を引っ張られ、さらにベオウルフの双眸が眼前に近付いてくる。少年の顔が、目と鼻の先まで接近した。

『思い知れ』

 漆黒の眼の奥で紫紺の火花がバチバチと散っていた。比喩ではない。顔の皮膚上を走る輝紋が眼球にまで及び、エンジンを点火するかのごとく〝SEAL〟が励起しようとしているのがわかった。

『ここからは――【僕がお前を凌駕する】』

「!?」

 頭突き。

 ロムニックの前髪を掴むベオウルフが、そのまま額を叩き込んできた。

「がっ――!?」

 パッ、と目の前が真っ白に弾ける。鼻の頭に膨大な熱を感じる。骨が軋む嫌な音がした。鼻骨が砕けたかもしれない。

「――~っ!」

 ロムニックの頭の芯で怒りが弾ける。もう傷を癒すための装備はない。きっと大量の鼻血が出るだろう。そんな姿を『放送局』の〈エア・レンズ〉に撮られてしまう。なんという失態、なんという屈辱だ。

 視力が戻った時、しかしベオウルフの姿は目の前から掻き消えていた。背後に足音、そう気付いて鼻を押さながら振り返ると、そこには床に落とした武器を拾っている少年の姿があった。

 両手に持つのは、持ってきた中でも一番サイズの小さい小太刀が二振り。何よりもスピードを重視したのだろう。すぐ近くに大きなものや、中ぐらいのものも転がっているというのに、ベオウルフが選択したのはその二本だった。

『さぁ行くぞ』『僕の心なんていくらでも読め』『全部見せてやる』『いくらでも』『大量に』『膨大に』『抱えきれないほど』『理解しきれないほど』『高速で』『全力で』『叩き付けてやる』『喰らえ』

『ぼ』

『く』

『の』

『し』

『こ』

『う』

『を』

「……!」

 幾つもの思念が殆ど同時に流れ込んできた。速いなんてものではない。多重人格かと思うほどの思考速度だ。少年は並列処理でいくつもの思考を同時に進行させ、己の心の声を【敢えて】ロムニックに聞かせているのだ。

 ベオウルフが足を踏み出した。黒と紫の戦闘ブーツが輝き、少年の小柄な体を弾丸のように撃ちだした。

 突っ込んでくる。

『右』『左』

 まず聞こえてきたのは真っ当な思考。そして両手から走る二本の赤い光線――確実にこちらの息の根を仕留めようする斬撃。

 ほぼ反射的にロムニックは槍を構え、防御の型をとった。しかし、それは悪手であった。守りを固めるのではなく、打って出るべきだったのだ。

『上』『下』

 ベオウルフが攻撃を放つ前に、さらに光線が増えた。しかも、色は致命の赤。だがそれよりも、驚くべきはその二線が発生したことにより、先に見えていた左右の線が【水色にならない】ことだった。

 ――どれもフェイントではない、だと……!?

 それどころか、

『右下』『左下』『右上』『左上』

 なお増えた。新たに四本の光線が生まれ、ロムニックの額や喉、心臓や鳩尾へと吸い込まれていく。

 そして、やはり色は全て赤。急所を狙う八つの斬撃を、ベオウルフは全て放つ気でいるのだ。心の底から本気で。

 ――馬鹿な、あり得ない、そんなこと出来るわけがない……!

 ロムニックは必死に否定するが、しかし彼の中に宿る神器の力は正常に働いている。〝共感〟は確かにベオウルフの思考を読み取った上で、耳に思念を、視界に光線を、鼻にツンとするほどの刺激臭を与えていた。

 ――ど、どれだ!? どれが本命の線だ!?

 今日まで、全ての決闘を神器を頼りに切り抜けてきたロムニックは、あられもなく狼狽した。冷静に考えれば圧倒的な実力差があるのだから、落ち着いて見ればベオウルフの攻撃など容易く見切れるはずだった。しかし、今の彼はそんなことにすら気付けなかった。

 ――一度に八回も斬れるわけがない! どれか二つが本命で、それ以外は絶対にフェイントのはずだ! 教えろ! 早く! お前が本気で出そうとしているのはどれだ!?

 ロムニックはあくまで神器から与えられる共感覚に拘った。今は八本全てが赤に見えても、実際に斬る時にはどうしても残り六本は捨てるしかない。その瞬間、必ずやフェイントの線は水色に変わる、ないしは消えるはずだ――と。

 果たして、その予測の半分は当たっていた。

「だぁあああああッ!」

 ベオウルフが肉薄し、双剣を閃かせる直前、確かに本命の二本以外の光線が消えた。だが、

『蹴り』『膝』『殴る』『頭突き』

 それと同時に、また新たな思念と赤の光線が生じたのである。

「!? !?」

 あまりの切り替えの速さに混乱した。古い線と新しい線の入れ替わりが高速すぎて、時間が飛んだのかと思えたのだ。

「う――おおおおおっ!?」

 ロムニックの防御は粗末もいいところだった。結局は共感覚ではなく、行き当たりばったりで槍を押し出し、閃く二つの剣撃を受け止めたのだ。当然、受ける角度が甘く、硬い衝撃が四肢に走る。忘れたはずの痛覚が蘇り、ロムニックの神経をしたたかに打ち据えた。

「ぐぉ……おおッ!」

 そこからは乱戦だった。金属音が連続で打ち鳴らされる。

「はぁあああああああああああああああッッ!!」

「ふざけるなぁああああああああッ!!」

『右』『左下』『右上』『左』『右下』『左上』『下』『上』『蹴り』『足を踏む』『後ろ回し蹴り』『背後へ回る』

 瞬く間にベオウルフの思考が切り替わり、その都度ロムニックの共感覚が惑わされる。

 ――くそくそくそくそくそっ! なんだこれはぁぁぁぁっ!?

 さっきまで見えていたはずの赤線が気付けば消えている。水色だった光線が赤に変わった、かと思えばまた水色に戻る。饐えた匂いが左から背後へ回り込もうするのを感じるのと同時、右耳に足音――少年がそちら側へ移動しようと画策しているのを示唆している――が届く。

 もう滅茶苦茶だった。全ての共感覚が狂っていた。どれが正しくて、どれが間違っている情報なのかがわからない。ロムニックは半ば無意識に、これまで培った技術の恩恵にすがることによって、どうにかベオウルフの攻勢を凌いでいた。

 だが、何合か打ち合っている内にわかってきた。ロムニックの神器がおかしくなったのではない、と。

 双剣使いであるベオウルフから二本以上の攻撃線が現れるのは、少年が本気でそれを放とうと考えているからだ。

『ひひ左しし下たた』『みみ右ぎぎう上えええ』

 こんな風に心の声がだぶって聞こえるのは、実際に複数の思念が重なっているからなのだ。信じがたいことに、ベオウルフは己の思考能力を複数に分割し、同時にいくつもの攻撃パターンを想定している――そうとしか思えなかった。

 故に、実際の攻撃が放たれるまで他の線は消えない。そして、その全てが【本気で致命傷を狙っている】からこそ、色も赤いままなのだ。

 だが。

 ――有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない、有り得ないッ!

 理屈では納得がいっても、感情が理解を拒む。

 錯乱の嵐の中、ロムニックは目を白黒させながらベオウルフの攻撃を防ぎ続け、今にも発狂しそうな意識の手綱をどうにか手放さずにいた。

 思考を複数に分ける? そんなこと出来るわけがない。馬鹿げている。まともな頭でやる芸当ではない。異常だ。こんなもの、もはや病気か何かではないか。そう、これではまるでコンピューターのマルチタスク――

「――っ!?」

 気付いてしまった。そう、数日前にロムニック自身がこう口にしていたではないか。

〝あなたのそれ――すごいですよね、まぁ仮に『マルチタスクスキル』とでも呼びましょうか?〟――と。

 複数の術式同時制御。あれがもし、〝SEAL〟の制御技術が天才的なのではなく――【ベオウルフの脳内そのものが異常であるが故の産物】だったとしたら?

 この状況にも、筋の通った説明ができるのではないか?

「……!」

 優男の顔が苦渋に歪む。

 ロムニックは、気付いてはいけないことに気付いてしまった。考えるべきではなかったのだ。理解するべきではなかったのだ。

 目の前にいるのが普通の人間ではなく。

 ――〝怪物ジ・モンスター〟と呼ばれる、【本物】であるということに。

「お――ぉおおおおおおおおッッ!?」

 恐怖が喉を震わせた。戦慄に突き動かされ、ロムニックは闇雲に槍を突き出した。しかし、そのことごとくがベオウルフの振るう白刃の上を滑っていく。

 恐るべきはベオウルフの集中力だった。ロムニックとて素人ではない。いくら衝動的な攻撃だったとはいえ、その手に染みついた技術は盤石だったはずだ。それを、少年はこともなく正確に捌いていた。

 ディープパープルの煌めきをたたえた黒い瞳が、じっ、と冷静にこちらを見つめている。

 見切られているのか――ぞくりとした悪寒が、ロムニックの背筋を駆け抜けた。

『右左』『上下』『ひ』『だり』『み』『し』『ぎ』『た』『ひひ左ううう上ええええ』『あ』『たま』『眼』『耳』『ああ顎ごご』『ひひひひりりり左』『あああ足ををを』『引っ』『かけ』『膝』

 混線したような思念の波がロムニックの五感を襲う。整合性のまったくない、壊れた機械のような思考回路。四方八方へ乱れ飛ぶ攻撃の気配。次にどう出るのかどころか、何を考えているのかすらわからなくなってくる。

 深紫の光。明滅を繰り返すベオウルフの〝SEAL〟の輝きが、徐々に強くなってきた。

「――!」

 ロムニックの胃が不可視の手に掴まれ、絞り上げられるように痛む。

 ――どうしてこうなった? 自分は優位に立っていたのではなかったか? ついさっきまで、ほんの少し前まで、こちらが優勢だったはずだ。趨勢は圧倒的にこちらへ傾いていたはずだ。なのに何故、自分はこんなにも追い詰められている? いったいどこで、何をどう間違ってしまったのだ?

 呼吸するように点滅を繰り返すベオウルフの輝紋は、その光が強すぎるのか、それとも戦闘ジャケットに搭載された機能なのか、腕や胸といった内部の輝きすら透けて見えていた。

 さらには、フォトン・ブラッドの唸りに呼応するかのごとく、戦闘ジャケットの各所が蠢き始めた。つい先刻、首元の襟あたりがフルフェイスの兜に変形した時も、このような変化をしていたように記憶している。布であるはずのジャケットの生地がウネウネと動き、液体金属のように形状を変化させていく。

 何かよくないことが起きる――刹那、ロムニックの直感が囁いた。ビクッ、と首の腱を引き攣らせ、鼻の穴を大きくして息を呑む。

「――〈トルネードスピナー〉ァァァ!」

 咄嗟に飛び出したのは槍術式の起動音声だった。己の槍に紺青のフォトン・ブラッドが纏わり付き、猛烈な回転を始める。

 ――もういい殺す! 今すぐ殺す! 絶対に殺す! 何が何でも殺す!

 そうして必殺の意志を込めて放った回転突きに対し、ベオウルフは左腕を差し出した。そこに装着している食器の皿程度の円盾が、穂先を受け止め――紫光の爆発を放った。

「ぐおぉおぉっ!?」

 予想だにしなかった衝撃に槍が跳ね上げられ、ロムニックの体が大きく泳ぐ。刹那、頭に流れ込むベオウルフの思考。

『ただ防御するだけじゃ防げない』『数回分のエネルギーを一気に爆発させて』『吹き飛ばした』『使用回数は激減するけど』『これなら確実に防げる』

 冴え冴えとした冷静な対応だった。怒り狂っていたのではないのか、と驚愕する思いと、心が読めているはずなのに奴の思惑が全く理解できない、という焦燥感とが、ロムニックの精神に爪を突き立て引き裂かんとする。

「……お前は……!」

 ベオウルフの戦闘ジャケットが、ボロ布のように爆風に裾を翻させる。否、あのジャケットにはそれほどの裾丈はなかったはずだ――違う、気付けば裾の長さが伸びている。いや、裾だけではない。袖も、襟元も、至る所が伸長して、黒と紫の生地が少年の全身を包み込もうとしていた。

 暗い布地に頭からすっぽり覆われ、不気味な影のような姿に変じた少年は、それでも両手の剣を止めない。体の各所から電弧のごとく捻れた深紫の光を迸らせ、ついにはロムニックには理解不能な思考を垂れ流す。

『う』『ふ』『え』『さ』『た』『せ』『つ』『に』『み』『き』『ぎ』『な』『か』『ひ』『る』『り』『き』『た』『し』『け』『う』『ぜ』『だ』『り』『む』『い』『っ』『て』『き』『は』『い』『ご』『へ』『こ』『ま』『わ』『る』『り』『ざ』『む』『ぶ』『い』『っ』『こ』『ろ』『す』『ゆ』『る』『さ』『や』『い』

 難解さのレベルが一気に跳ね上がった。

 複数、それも二桁以上に分割された思考が、順序も整合性もなく高速で、しかし確かな敵意として放たれていた。

 目に映る光景も荒唐無稽だった。何十本もの色取り取りの光線があちこちへ飛んでいる。もう色の違いによる意味の差違すら読み取れない。空にかかる虹の中へ顔を突っ込ませたように、目の前が七色に染まっていた。

「――お前は、一体……!」

 歯噛みする隙間から、我知らず声が漏れる。

 鋭い攻撃が止まない。どの斬撃が本命なのかがわからない。目についたものを、ただひたすら脊髄反射で防ぐ。それしかできない。

 異臭が鼻を衝く。敵意を表す饐えた匂い、怒りの硝煙の香り、殺意の獣臭――他にもたくさんの匂いが鼻腔を冒し、ロムニックは吐き気を覚える。

「――一体、何を……!」

 このままでは埒があかない。そう思って、ロムニックは神器の力でベオウルフの五感情報を共有した。少年の見ているもの、感じているものを知ろうとする。

 すると、まるで理解できない世界が見えた。

 一言で言えば――それは【地獄】と呼べるものだったのかもしれない。

 いや、そんな生易しい言葉では到底言い表せない。

 そこにあるのは地獄よりもおぞましい――【何か】だった。

 迷いなく断言できる。これを理解した時、自分は正気を失うに違いない。気が狂ってしまうに違いない。

 五感に纏わり付く、フォーマットの全く違う情報データ。極彩色に染まった視覚情報、ノイズしか聞こえない聴覚情報――何もかもがデタラメだった。

 少年と自分とでは、世界を理解するプロトコルが違いすぎる――そう思った。

 しかし、だが。

 それこそが――目の前にいる〝怪物〟の見ている世界だった。

「――な、何をぉ……!」

 おどろおどろしい黒い影が躍る。白銀の刃を縦横無尽に奔らせる。

 いまや伸張した戦闘ジャケットは、ベオウルフの全身をほぼ覆い尽くしていた。しかし、所々に穴がある。防具内で予期せぬエラーが発生しているのか、あるいは武装変形を完成させまいとする意思が働いているのか。穴を閉じようとする力と、そうはさせまいとする力とが鬩ぎ合っているようだった。

 ちょうど左目のあたりも、そんな風に穴の空いている箇所だった。

 僅かな隙間から覗く少年の瞳は、いまやほとんど深紫に染まっていた。輝くフォトン・ブラッドの光がベオウルフの動きに合わせて残光を残し、流星のごとく尾を曳く。

 支離滅裂な思考を撒き散らし、黒い影のような姿で、荒々しくも研ぎ澄まされた動きで、双剣を振り回す少年の姿を――

 悪魔のようだ、とロムニックは思った。

 そしてとうとう、ベオウルフから感知出来る思念が、まともな言語の体すらとらなくなった。



『谿コ縺呎ョコ縺吩ス輔′菴輔〒繧よョコ縺咏オカ蟇セ縺ォ谿コ縺吶?縺」谿コ縺呎ョエ縺」縺ヲ雹エ縺」縺ヲ蛻?▲縺ヲ蛻サ繧薙〒蜿ウ縺九i蟾ヲ縺九i荳翫°繧我ク九°繧峨ヰ繝ゥ繝舌Λ縺ォ蜈ォ縺、陬ゅ″縺ォ縺励※莠比ス薙ヰ繝ゥ繝舌Λ縺ォ縺励※蝪オ縺ォ縺励※蜊??繧翫↓縺励※繧ー繝√Ε繧ー繝√Ε縺ォ縺励※蜿ゥ縺肴スー縺励※縺ィ縺ォ縺九¥谿コ縺?』



「――ッ!?」

 ひぅ、と喉が痙攣した。

 猛烈な悪寒が全身を貫いた。

 見ている世界がまるで違う。

 思考回路が根本から異なっている。

 こんな存在には、今更どんな言葉をも通じはしないだろう。

 故にロムニックは、悲鳴交じりにこう叫ぶしかなかった。



「――お前はいったい何を考えているんだぁあぁあぁ――――――――ッッッ!?!?」



 神器〝共感〟を持つ男は恐怖に負け、涙目で絶叫した。






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