リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●14 冷たい料理




 一夜が明け、ついに決闘当日。

 僕らはルナティック・バベルの第一階層のセキュリティルーム前にいた。

 現在ではセキュリティの設定変更によってSBがポップするのは三階層から上となっているが、かつてはこの一階層も情報生命体の魑魅魍魎が跋扈する魔窟だったという。当然、セキュリティルームもあれば、当時はここを守護するゲートキーパーだって存在した。まぁ一番最初だけあって、相応に弱かったらしいけど。

 危険な怪物が現れないこともあって、一階層と二階層のセキュリティルームは一般人でも入場できる会場として利用されることが稀にある。頻繁に、というわけでもないのは、やはり遺跡内が無法地帯であることが理由だろう。

 決闘開始の二〇ミニト前。

 どこから聞きつけたのか、あるいはロムニックおよび『ベオウルフ・スタイル被害者の会』という何も考えずに名称を決めたような集団が言いふらしたのか、既に結構な人数の観客が集まってきていた。

 ロムニックが呼んだ『放送局』もとっくに準備を整えている。事情を知らない人が見れば、これからここでどこぞのパーティーやクラスタがゲートキーパーに挑戦するのかと誤解したかもしれない。

 解放されている大扉の上部には、幾重にも連なるARスクリーン。その下に設置された実況や解説の席。ポールとロープで区分けされた観戦スペース。

 今回、セキュリティルーム内に足を踏み入れるのは僕とロムニックだけとなる。僕ら二人が入ると、室内のコンソールを使って出入り口の扉を閉める手筈になっているのだ。お互いそんなつもりは微塵もないだろうけど、いざという時に逃げられないようにするためである。また、こうすることで第三者の介入や邪魔を防ぐことも出来る。

 正真正銘、一対一の決闘のためだけの空間。

 決闘の様子はいつものゲートキーパー戦と同じく、浮遊自動カメラ〈エア・レンズ〉が撮影する。ルーム内に複数放された小型カメラが全方位から映像を撮り、室外のARスクリーンへとリアルタイム配信するのだ。観戦に来た人々は生映像を見ることが出来るし、そうでない人は、後に『放送局』がネット配信するムービーによってこの決闘の様子を視聴できる。

「……部外者として端から見ているときは何とも思わなかったけど、こうして当事者になってみると、割と悪趣味な光景よね、これ」

 僕の右隣に立つフリムが、セキュリティルーム前の様子を見て顔を顰めた。いくらSBがポップしない安全地帯と言っても、万が一に備えてドゥルガサティーやスカイレイダーなどを身につけている戦闘装備だ。トレードマークのツインテールは、今日は左右のバランスもバッチリである。というか、この髪を結ったのは僕なのだけど。

「ゲートキーパーに挑戦する戦士を応援するのではなく、彼らは私闘の観覧に来ているだけですからね。しかも一般人も含まれているとあれば、品性が下がるのも無理からぬことです」

 後ろに立つロゼさんが、フリムの言葉に同意した。

 確かに、観戦スペースにいる人々の顔ぶれは、いつか見たゲートキーパー戦のそれとは趣を異にしている。本来なら、少なくとも出現するSBを活動停止させられるだけの実力を持ったエクスプローラーしかおらず、観客は落ち着いた様子を見せているのだけど……

 今日の観客は、既にザワザワと騒がしいどころか、中には酒を片手に笑っている人までいた。というか、驚いたことに少し離れた通路の空きスペースにはケータリング業者が軒を並べていて、そこかしこに行列が出来ている始末だ。仄かに食べ物の良い匂いが漂ってくる。さらによく見ると、観戦スペースの隙間を、商品の載ったワゴンを押して回っている売り子さんまで。

 これじゃお祭りか何かだ。

「他の決闘の時もそうなんだけど、片っぽが死ぬかもしれないって時に暢気にお酒飲んだり、御飯食べたり……いい気なものよね。何が楽しいのかしら、あれ。グロ映像が酒のさかなになるっていうの?」

「なるのでしょう。昔からよく聞く話です。チョコレート・マウンテン近くのヴェーデルの街では、今も地下闘技場があるとまことしやかに噂されているぐらいですから。自らに関係ない他人の殺し合いは、大衆の遊興となり得るものです」

 呆れて肩を竦めるフリムに、ロゼさんが一般論を唱える。その煽りを受けてなのか、僕の左横にいたハヌが彼女にしては低い声で呟いた。

「……今こやつらを消し飛ばしても、文句をぬかす輩はおらぬよな、ラト」

「だ、駄目だよハヌっ、この人達は直接は関係ないんだからっ……!」

 顔にスミレ色に輝く〝SEAL〟の幾何学模様を浮かべたハヌを、僕は慌てて押し止める。だけど、小さな体躯から堰を切ったように術力が溢れ出たせいで、周囲の雰囲気がガラリと変わってしまった。

 ピン、と空気が張り詰める。

 開演前のライブ会場のように賑わっていた観客達が、にわかに声を潜め、静まり返った。

「お、おい……あれ……」「ああ、今日の主役とその仲間のお出ましだな……」「つか、なんだこの術力……もしかして〝破壊神〟が……?」「ピリピリしてんなぁ、仕方ないことだろうけど」「にしても、すごい術力だわ……今にも爆発しそう……」「お、おい、怖いこというなよ……ここだと洒落にならないんだからよ」

 気楽に騒いでいた人達の一部は、ここが遺跡の内部だったことを思い出し、肝を冷やしたようだった。その反応を見て多少は溜飲が下がったのか、ハヌは〝SEAL〟の励起を解除する。

「ふん……物見遊山のつもりか知らんが、下世話な奴らじゃ」

 鬱陶しそうに吐き捨てて、ぷいっ、とそっぽを向いてしまった。

 現在、僕達が位置しているのは観客スペースよりも手前。『放送局』の手によって用意された控えスペースだ。ハヌが術力を解放するまで気付かれなかったのは、ARスクリーンのある扉から見て、僕らが観客より後方にいたからである。

 後ほど、このスペースから出て、僕とロムニックは観客スペースに設けられた〝花道〟を通り、セキュリティルームへ入る流れとなっている。

 通常ならすぐ近くにロムニックらの控えスペースもあるはずなのだけど、今回は何某かの配慮がなされたのか、彼らはどこか別のところにいるようだった。とりあえず、僕らのいる控えスペースから姿は見えない。

「じゃ、そろそろ準備するわよ、ハルト」

「あ、うん」

 今の僕は自前の〝SEAL〟のストレージが使えないため、装備品はフリムが運搬してくれていた。純紫の光が瞬き、昨晩も見た武具がズラリと床に並べられる。

「昨日は軽くしか触れなかったんだから、今のうちに少しでも重さに慣れておきなさい。ほら、背中こっちに向けて」

「手伝います、フリムさん」

 大中小とある武器の内、一番大きいのを手に取ったフリムが〝アキレウス〟の背面にあるホルダーに取り付けてくれる。ロゼさんも手を貸してくれた。

 背中に大を二本、脇腹の両側に小を二本、腰の後ろに中を二本、黒と紫に彩られた太刀を装着していく。また、両腕には皿のような円盾を取り付け、両脚には戦闘ブーツを履いた。最後に特殊効果が封じられたスティックをベルトに取り付けたら、準備完了である。

 フリム曰く〝フルアーマー・ハルト〟が完成したちょうどその時、スペースの外から声がかかった。

「どうやら準備は万端なようね、ラグ君。調子はどうかしら?」

「あ、ヴィリーさん、お、おはようございます」

 控えスペースに近付いてきたのはヴィリーさんだった。その後ろにはアシュリーさんと、そして意外なことにカレルさんも一緒にいる。三人とも、油断なく戦闘装備を身につけていた。

 僕は自分の手足を見ながら、ヴィリーさんの質問に答える。

「えっと、体の方は問題ありません。よく眠れましたし、ちゃんと疲れも抜けてる……と思います」

「そう、それはよかったわ」

 にっこり、と相変わらず女神みたいな微笑を浮かべるヴィリーさん。

 そんな彼女の隣に、戦闘コートを纏い漆黒のハルバードを手にしたカレルさんが立った。

「……ラグ君。この度はうちの団長が世話になっている。面倒をかけてしまってすまない」

 いきなり頭を下げ、くすんだ金髪を揺らすものだから度肝を抜かれてしまった。

「え!? あ、いえっ、そんな、お世話になっているのは僕の方で……!」

「いいや、今回の件については、団長が君の不利に大いに加担してしまったと聞いている。俺からも謝らせて欲しい。団長の失態は、我々『蒼き紅炎の騎士団』全員の失態なのだから」

「…………」

 真摯に謝罪するカレルさんの隣で、ヴィリーさんがものすごく複雑な表情を浮かべている。それを見て、なんとなくわかってしまった。カレルさんは、僕に謝る振りをしてヴィリーさんを叱っているのだ、と。

「大切な合同エクスプロールの前に、こんなことになってしまって本当に申し訳ない。何の慰めにもならないかもしれないが、今日はナイツの全員が君の応援に来ている。どうか頑張って欲しい」

「や、あのっ、そ、そんな……! こ、これは僕の意地で受けた決闘ですし、ヴィリーさんは何も悪くは――」

「はいそこまで」

 身振り手振りを交えて弁解しようとした僕の口を、フリムの手が塞いだ。アメジスト色の瞳がこちらをジト目で見て、

「あのね、ハルト。折角この人が大人の対応でことを収めようとしてくれてるんだから、余計なことは言わなくていいの。ありがとうございます、って言っておけばいいのよ。ちょっとは空気を読みなさい、もう」

「…………」

 他でもないフリムに『空気を読め』と言われたことについては非常に納得し難いものがあったのだけど、それこそ空気を読んで黙っていることにした。

「……それで、ベオウルフ。あなたの〝SEAL〟の調子はどうなのですか?」

 ヴィリーさんとカレルさんの後方に控える形になったアシュリーさんが、神妙な声で尋ねてきた。

 途端、場の空気がずしんと重くなる。顔を曇らせたのは僕だけではなく、ハヌ達も一緒だったからだ。

「……その顔を見るに、聞くまでもないようですね……」

 アシュリーさんは溜息を我慢するようにして、瑠璃色の目を伏せる。

 そう。残念ながら、期待をかけていた〝SEAL〟の回復は、どうやら間に合わないようだった。今朝ベッドから起きた時も、そしてこの控えスペースへ来た際も、一縷の望みをかけて励起させようとしたのだけど……やはり〝SEAL〟はウンともスンとも言わない。

 今もなお、僕の〝SEAL〟は麻痺したままである。

 重い空気の中、さらに気まずい沈黙が下りそうになったその時、

「……ま、一応そういうことも想定して装備を用意しておいたんだから、別に不安になることはないわよ、アシュリー。ありがとね、うちの弟分を心配してくれて」

 にゃは、とフリムが笑った。かと思えば、不意にアシュリーさんへ近付き、何故か彼女の耳元に唇を寄せ――ふーっ、と息を吹きかけた。

「ひぁっ――!?」

 落胆に目を閉じていたアシュリーさんはフリムの急な接近に気付かなかったらしく、心底仰天して、喉から素っ頓狂な悲鳴を上げて体を跳ねさせた。

「な、ななな――フ、フリム!? あ、あなたいきなりにゃにをっ!?」

 動揺すると舌がもつれる癖は相変わらずらしい。片耳を押さえて慌てふためくアシュリーさんは、にひひ、と意地悪く笑うフリムの顔をきっと睨みつけ、不躾な行いを糾弾する。

「だから、お礼を言っているんだけど? ありがと、って」

「も、問題はそこではありませんっ! あ、あなたはいつも言っていることとやっていることのギャップが激しすぎるんですっ!」

 顔を真っ赤に染めたアシュリーさんが、完全にいじめっ子モードに入ったフリムへ猛然と噛み付く。だけど、この黒髪ツインテールの幼馴染みと長い付き合いである僕から言わせてもらえれば、それはまこと悪手であった。

 にまにまと笑みを絶やさない自称〝僕の姉貴分〟は、アメジストの双眸を小悪魔のごとく細める。

「えーだってぇ、アンタ暗かったからぁ。ほら、ちょっと元気づけたくなっちゃってー♪」

「ですからっ! どうして私を元気づける行為が今のような破廉恥な行動に繋がるのか全く理解できないと言っているのですっ!」

「感じた?」

「か」

 かひゅっ、という形容し難い呼気を発したアシュリーさんは、一瞬、時が止まったかのように硬直した。

 やがて、ただでさえ紅潮していた顔がさらに赤味を増して、熟れすぎた林檎のごとく変色していく。

 手で口元を押さえた僕の幼馴染みは、うぷぷ、と実に、本当に、全く以て、いやらしい笑みを洩らした。

「感じちゃったんだ?」

「――~っ……!?」

 物凄い形相でプルプルと小刻みに震えるアシュリーさんが、声ならぬ絶叫を上げる。感情はとっくにピークを越えていて、本当なら今すぐにでもフリムに掴みかかってどうにかしてやりたいのだが、近くにヴィリーさんとカレルさんがいるから実行に移すわけにはいかない――そんな事情が顔に書いてあるかのようだった。

「例え〝SEAL〟の回復が間に合わなくとも、短い期間内で出来る限りのことはしたはずです。後は、ラグさん次第でしょう」

 フリムとアシュリーさんのやりとりを完璧にぶった切って、ロゼさんが折れていた話の腰を元に戻した。

 全員が一斉にロゼさんを見る。

「? 何か?」

 自らに集中した視線を、本気で不思議そうに小首を傾げるロゼさん。この人は本当、繊細なのか神経が図太いのか、時々わからなくなる。

「……どう、ラグ君? 私もアシュリーも出来るだけの協力はしたつもりだけど……正直、勝算はありそう?」

 ヴィリーさんが、僕に核心的なことを問うてきた。

 勝算――あると言えば、きっとそれは嘘になる。

 だから僕は素直に首を横に振った。

「……わかりません」

 相手の地力は確実に上。しかも、未知の神器を有している。それに、あれだけ的確に僕を怒りを煽ったのだ。間違いなく僕の情報を集めるだけ集め、研究を重ねて対策だって講じているに違いない。

 それに引き替え、僕は支援術式どころか攻撃術式、剣術式も使えず、あまつさえストレージから愛用の武器すら取り出せない始末。ロムニックの奴が狙い定めたとまでは思わないが、今回の決闘は考え得る最悪のタイミングで持ち込まれたと言っていい。

 確かに、これ以上はないってほど絶望的な状況だけど。

「……でも、絶対に勝ちます」

 幾本もの不安そうな目線を前に、僕は自然と宣言していた。

「少なくとも、負けることは考えていません。これは、その……自分でも不思議なんですが……」

 軽い驚きに翡翠の目を見張るカレルさん、という珍しいものが見られたことに戸惑いつつ、僕は言葉を綴る。

「みんなに力を貸してもらって、いっぱい特訓して、たくさん武器を用意してもらえて……だから、今は一つのことしか考えられないんです」

 こういう時に笑みが浮かんでしまうのは、もしかしたらフリムの影響かもしれない。僕はほとんど意識することなく、次の言葉を放っていた。

「どうやってアイツを後悔させてやろうか――って」

 僕は右手を握りこみ、拳を作る。

 この決闘には、みんなの名誉がかかっている。

 僕の意地もかかっている。

 だから、負けるつもりなんて全然ない。

 負ける気なんて微塵もない。

 必ず勝って、奴を後悔させてやるのだ。

 他でもない、僕の大切な仲間を――【友達】を馬鹿にしたことを。

 その決意だけが、僕の中で業火のごとく燃え上がっていた。

「……少々、気の毒になってきたな、そのロムニックという男が」

「えっ?」

 苦笑するように告げられたカレルさんの言葉に、どういう意味か、と聞き返してしまう。

「ラグ君……いや、〝勇者ベオウルフ〟がそんな顔をして、そこまで言うんだ。よほど無遠慮に、君の逆鱗に触れたんだろう。今の君と戦うのは、俺ならどんな有利な条件でも遠慮したいところだな」

「か、顔……?」

 そんな怖い顔をしていたのだろうか、と頬に手を当ててみる。すると、カレルさんが爽やかに笑った。

「いや、別に君が怖い表情を浮かべていたわけじゃないさ。ただ……」

「た、ただ……?」

 変に間を空けて溜めるので、僕はごくりと生唾を嚥下してしまう。カレルさんは、まるで眩しいものでもみるかのように目を細めた。

「……優しそうに笑いながら、対戦相手に『後悔させてやる』という言葉を使う人間を、俺は怖いと思った。それだけさ」

「あ……」

 微苦笑を浮かべて肩を竦めるカレルさんに、僕は言葉に詰まってしまった。我ながらチグハグなことをしていたことに気付かされ、羞恥を覚える。

 カレルさんの隣のヴィリーさんが、うふ、と小さく噴き出した。

「まぁ、意気込みが十分なのはいいことだわ。それじゃラグ君、私達は審判役の準備があるからそろそろ行くわね」

「観客席で君の勝利を祈っている、ラグ君」

「御武運を。ベオウルフ」

 各々激励の言葉を残して、ヴィリーさん達はセキュリティルームの出入り口付近にいる『放送局』の方へと去って行った。

 三人の背中が見えなくなった頃、くい、と〝アキレウス〟の裾が引っ張られた。何かと思い振り向くと、そこにはちょっと不安そうなハヌのヘテロクロミア。

「……ラト。勝負を逸ってはいかんぞ? あまりに早く終わっては興が削がれるからの」

 これに続いてフリムが。

「そうよハルト。いくらアタシの作った武器が優秀だからって、一瞬で終わらせたら見せ場がないでしょ? 〝無限光〟ブランドの宣伝、よろしく頼むわよ」

 しまいにはロゼさんまで。

「後悔させるには半殺しでジワジワが一番です。殺してしまっては元も子もありませんからね、ラグさん」

 心配するどころか、何故か僕がロムニックを瞬殺する前提で話をするので、もはや苦笑いしか出てこなかった。

「は、はは……あ、ありがとう、がんばります……」



 準備を整え、体を暖めるために柔軟運動や屈伸をしている間に、開幕の瞬間は着実に近付いてきた。

「失礼します、勇者ベオウルフ。そろそろお時間ですので」

 やがて『放送局』のスタッフが控えスペースへやって来て、所定の位置へ移動するよう求めてきた。僕は頷き、ハヌ達に振り返る。

「それじゃ、行ってきます」

 きりっ、と顔を引き締めて言ったのだけど、それを台無しにするかのように、このタイミングでハヌがちょいちょいと手招きをした。

「? ど、どうしたの、ハヌ?」

「ラト、ちこうよれ」

 有無を言わせぬ口調で呼び寄せられて、僕はいつものようにハヌの前で膝を突いて目線の高さを合わせる。すると、やっぱりちっちゃな両手が僕の頬を挟んで、こつん、と額と額がくっつけられた。

 ほっぺたとおでこ。触れ合っている箇所から、ハヌの体温が直に流れ込んでくるかのように感じる。僕もハヌも、自然とお互いに目を閉じていた。

「昨晩も言うたがの、ラト。妾も、ロゼも、フリムも、おぬしの勝利を信じておる。少しも疑っておらん。じゃから、これから言うのは余計な心配じゃ」

「う、うん……?」

 僕にしか聞こえないレベルの声量で、ハヌは囁く。くふ、と笑って。

「五体満足で戻ってこい。もし万が一、億が一にも負けてしもうたとしても、おぬしが生きて還るのならば、妾はそれだけで十分じゃ。じゃからな、いつものような無茶はするな。今回は妾も、おぬしの近くにはいてやれんのじゃからの。――わかるか?」

「うん、わかる」

 いつものことながら、こうしていると、ハヌの言葉がすっと胸の奥まで入ってくる。文句なしに納得できる。まるで、彼女の気持ちが肌を通して伝わってくるかのように。

 僕も小さな声で囁き返す。

「ありがとう、ハヌ。……でも、ちょっとだけ……ううん、ちょっとだけじゃないけど……僕のわがままも聞いてもらっていい?」

「うん……? ……ふむ。おぬしにしては珍しいの。まぁ、此度の件はラトにしては珍しいことばかりじゃが」

「……うん、我ながら自分でもそう思う。今回に限って言えば、全然僕らしくないな、って。でも、だからこそ……無理をさせて欲しいんだ」

 ハヌにこんなことを言っている自分がいる――それが、自分でも驚きだった。

「…………」

「本当の本当に、どうしてもって時は降参リザインするよ。でも、それまでは……ギリギリのところまでは、足掻いて足掻いて、最後の最後まで足掻き抜きたいんだ。……駄目、かな……?」

「…………」

 黙りこくるハヌは、迷っているようだった。だけどやがて、ふぅ、と小さな吐息が漏れて、

「……まったく、本当の本当に、珍しいこともあるものじゃな……いや、ラトもやはり男子おのこじゃった、ということかの?」

 くふ、とどこか嬉しそうに笑った。額から伝わる体温が、暖かみを増したように思える。

「よかろう。妾がここまで言うても、おぬしがそう望むのならば致し方あるまい。もはや、妾は親友としてラトを応援するだけのことじゃ」

「……うん、ありがとう、ハヌ」

 僕の望みを受け入れてくれたハヌに、僕の唯一無二の親友に、深く感謝する。

 そのやりとりを最後に、僕らはどちらからともなく額を離し、目を開けた。宝石みたいな金銀妖瞳と目が合う。

 くふ、とハヌが笑って。

 あは、と僕も笑った。

「じゃ、改めて……行ってきます、ハヌ」

「うむ。行ってこい、ラト」





 ラグディスハルトとハヌムーンが決闘前の最後のやりとりを行い、少年が手を振って決戦の場――セキュリティルームへ続く花道へと歩いて行く。

 そんな彼の背中を見つめながら、ロゼは独り言のように隣のフリムに囁いた。

「……正直、先程の言動には私も驚きました。まさかあのような朗らかな表情で、あれほど不敵な発言をされるとは……〝氷槍〟ではありませんが、私も正直肝が冷えました……」

 ロゼと同じく、花道を往く少年の後ろ姿に視線を固定しているフリムは、腰に両手を当て、小さく吐息する。

「そうね……まぁ、ああ見えて、昔から執念というか執着心というか、そういうのが強い奴なのよ、ハルトって。諦めが悪いっていうか」

 その声はロゼに合わせてか、隣の彼女にしか聞こえないほど小さい。

「……そういえば、アシュリーには話したことあるんだけど」

 と前置きしてから、フリムは語る。

「昔……といっても、アタシもハルトもかなり小っちゃかった頃の話なんだけど。近所の悪ガキ共が、アタシに意地悪してきたことがあったのよね」

 予想もしなかった話に、ロゼは数回、琥珀色の目を瞬かせた。

「それは……現在のフリムさんのイメージからすると、非常に珍しいことのように思えますが……」

「まぁねー。ハルトも小っちゃい頃から泣き虫だったけど、アタシも小っちゃい頃からガキ大将体質でねー。ま、意地悪してきたのは対抗派閥の奴らだったんだけど」

 アメジストの色の瞳で遠くを見つめて、ツインテールの少女は思い出を掘り起こす。

「今思えば、なんてことない意地悪なんだけどね。ほら、当時はやっぱり子供だったから、泣きじゃくりながら家に帰ったのよ、アタシ。そしたらハルトがやって来て『どうしたの?』って聞くから、弱ってたアタシはつい素直に、誰それに意地悪された、って話しちゃって」

 ここで、くす、とフリムは口元に笑みを浮かべた。少年の背中を見送っていたロゼも、気になって彼女の方を振り返る。

 フリムはくつくつと笑いを噛み殺すようにして、長いツインテールを揺らした。

「それからどうなったと思う? ――アイツ、何も言わずにものすごい勢いで飛び出していってね。それも、見たこともないような怖い顔して。その時のアタシも、そりゃあもう驚いちゃって。ポカーンって見送っちゃったわ。――で、しばらくしたら、ハルトが悪ガキ共の首根っこ掴んで帰ってきて……後はわかるでしょ?」

「……まさか、喧嘩して勝ってきた、と?」

 驚きにやや瞠目するロゼに、もう堪らない、といった風にフリムは噴き出した。

「そうなの。いつもはいじめられる側で、いっつも泣いて帰ってきてたアイツが、同じように泣きながら、でもアタシに意地悪した悪ガキ共を連れてきて『さぁ、フリムに謝れ』って。アタシ、もう驚きっぱなしで涙も引っ込んじゃってね。悪ガキ共も喧嘩で負けたっていうより、三対一だったのに全然降参しないで、ずっと喧嘩を続けようとするハルトが不気味になってきたらしくて、なんか気持ち悪そうに謝って帰って行ったわ。執念の勝利、って奴ね」

 はーおかしい、と自らの思い出話にオチをつけて、フリムは深呼吸する。目の端に浮かんだ涙の粒を、指で拭い取る。

「……でもアイツ、昔からそうなのよ。自分のことは気にならなくても、他人のことは当の本人以上に痛がって、怒っちゃって。優しいのか、感情のスイッチが変なところにあるだけなのか、それはわかんないんだけど……とにかく、付き合いの長いアタシだから、これだけは言えるわ」

 セキュリティルームへ向かう少年以外に、戦闘服を身につけた男が観戦スペースの間に形成された花道に現れ、周囲の歓声が爆発した。あの純白の武器防具を身につけたエクスプローラーこそが少年の決闘相手――ロムニック・バグリーなのだろう、と少女達は推察する。

 あれがハルトの対戦相手かぁ……と、既にネットの情報で見知っていたロムニックの顔を確認しつつ、フリムは断言した。

「今日の――ううん、今回のハルトは、これまでにないレベルで【ブチ切れてる】わよ」

「…………」

 ロゼは驚きで喉が詰まったかのごとく、無言を返した。フリムの視線に釣られて、彼女もロムニックに目を向ける。

「それにね、ロゼさん。ちょっと思い返して欲しいんだけど……アイツ今日までずっと、基本的に対戦相手については【とにかくぶちのめす】しか言ってなくない?」

「――!」

 はっ、と夢から醒めたような反応をロゼはした。

「……言われてみれば、確かに……」

 記憶を辿れば、今日の決闘や、その相手であるロムニックに対する少年の発言は、次のようなものしかない。



『でも……今回ばっかりは譲れないんだ。これは、僕の怒りだから。僕の、意地だから。――だから、直接、僕がぶつける』

『絶対に許さない』

『後悔させてやるんだ。必ず』

『うん、頑張る。〝小竜姫〟の唯一無二の親友は伊達じゃないって、必ず証明せてみせるから』

『……でも、絶対に勝ちます』

『少なくとも、負けることは考えていません』

『だから、今は一つのことしか考えられないんです』

『どうやってアイツを後悔させてやろうか――って』



 思い返すだに、彼らしくもない、前向きな台詞ばかりだった。否、むしろ【前しか見ていない】勢いに、ロゼは戦慄を禁じ得ない。

 ふーっ、とフリムが小さく吐息して、

「あれは相当【キテ】るわよ。というか、アタシもあんなハルトを見るのは初めてだわ。あの手のタイプって、本気で怒らせるとああなるのね……笑顔で『どうやって後悔させてやろうか』とか……流石にアタシもゾクッて来たわ……」

 そう言って笑い飛ばそうとして、フリムは失敗した。つい先刻、背筋に走った薄ら寒さを思い出し、身を震わせる。

「……そういえば、この三日間の訓練はいやに積極的だった気がします……いえ、積極的でした。これまでの鍛練時は時折、弱音にも似たことを洩らしていたのですが……ここ数日は、むしろ自分からより激しい訓練を望んで、自らの体をいじめ抜く勢いで。これまでは、よほど決闘に負けたくないものと思っていたのですが……」

 昨日までの特訓の様子を振り返り、ロゼは絶句する。

「負けたくないどころか、どうしても相手をぶっ飛ばしたかった――むしろ、それしか考えてない、って感じだったわね」

「ええ……しかし、本人に自覚はあるのでしょうか? あの様子では……」

「ないと思うわよ、十中八九。アイツ、自分がガチでキレてることに気付かないぐらいキレてるわ。……カレルレンさんじゃないけど、アタシもちょっとだけ対戦相手が気の毒に思えてきたわね……」

 セキュリティルームの出入り口の上部に展開している大型ARスクリーン。そこに映し出されているロムニックの、いかにも爽やかそうな作り笑いに、フリムとロゼは視線を向けた。

 若干の哀れみを込めて、フリムは呟く。

「可哀想な奴……何にせよ、今日のハルトは死ぬほどしつこいわよ……」





 大歓声が総身に響く。

 そこら中から聞こえてくる怒号のような、咆吼のような音の波を、耳ではなく皮膚や腹で感じながら歩く。

 いや、この身を揺らす振動は、本当にこの花道を彩る観客の声なのだろうか?

 今の僕には、判然としない。

 何故なら、耳が機能不全を起こすほど胸の動悸が激しかったからだ。

 早鐘を打つ心臓の鼓動が、体の内側から強く鼓膜を揺らしている。

 高いところから飛び降りている最中のような、内臓が浮かび上がるような感覚。

 胸の高鳴り。

 これはつい先程、ロムニックの顔を見た瞬間から生じていた。

 奴の薄ら笑いを見た刹那から、体のあちこちが馬鹿になったみたいに言うことを聞いてくれない。

 僕は今、奴と隣り合って歩いている。決戦場であるセキュリティルームへ続くこの花道を、一緒になって進んでいる。

 左隣を歩くロムニックは、声援――だと思う、多分――を送ってくる観客に対し、笑顔で手を振って応じていた。

 一方僕は、まっすぐセキュリティルームの出入り口を見ることしか出来ない。

 頭が真っ白になりかけている。足元がフワフワしている。表情筋が強張ってしまって、おそらくまともな表情は浮かべていないだろうと思う。

 さっき奴は、ロムニックは僕と目を合わせた瞬間、薄ら笑いを浮かべていた。何も言わず、ただ目線だけで僕を馬鹿にするように、せせら笑ったのだ。

 その時から、僕は今のように落ち着かない状態に陥ってしまっていた。

 マイクを持った『放送局』の司会進行役が、忙しなく何事かを喚いている。彼が言葉を切る都度、歓声が大きくなる。きっと観客が盛り上がるような、あることないことを叫んでいるのだろう。

 そんなことはどうだっていい。

 周りの音が耳に触れて、けれど頭の中に入ってこないまま、僕ら二人はゲートをくぐってセキュリティルーム内に入る。途端、体中にまとわりついていた音の波が、背中の方へと遠ざかっていった。

 広い、純白の空間。

 僕とロムニックは歩行速度を合わせて、そのまま部屋の一番奥へと進んでいく。かつてはゲートキーパーのコンポーネントが鎮座していた空間へ踏み込み、そこにあるコントロールパネルを起動させる。

「それでは、ゲートを閉じますよ」

 扉を閉める操作はロムニックが行った。もう何度も似たようなことをしているのだろう。もはやお手の物と言わんばかりに、ロムニックは淀みなく閉鎖処理を実行した。

 大きな音を立てて、飛行機の格納庫にも似た扉が閉まっていく。

 ゲートが完全に閉まり切る前に、僕らはセキュリティルームの中央へと移動し、一定の距離を空けて向かい合った。

 僕とロムニックが足を止めたのとほぼ同時、重苦しい音を響かせてついに扉が閉まる。

 途端、観客の喧噪が完全に遮断され、静謐の天使がこの場に舞い降りた。

「――よくぞ逃げずに、この場に現れてくれましたね、勇者ベオウルフ。いやはや、流石と言っておきましょう」

 出入り口が閉鎖された余韻を、足元に揺れとして感じる。そんな中、ロムニックがニヤニヤしたまま口を開いた。

 奴を見て真っ先に、おかしな格好をしているな、と僕は思った。

 ロムニックの出で立ちは、上から下まで白一色という異質なものだったのだ。

 服も鎧もマントも武器も、頭の天辺から足の爪先まで完全に、それぞれ質感の違う白に染まっている。それ以外の色彩と言えば、灰褐色の巻き毛と、モスグリーンのいやらしい双眸と、妙に血色のよさそうな肌色だけだ。純白の空間であるルナティック・バベルの中では、ともすればカメレオンのごとく風景に溶け込んでしまいそうに見える。

 そういえば、ヴィリーさんが集めてくれた決闘の動画でも、奴はこれと似たような格好をしていた。しかし僕の記憶が確かならば、マントや服が純白だったことがあっても、何もかもが白一色ということはなかったはずだ。

 ――もしかして、今日の決闘用に用意してきたのか?

「ああ、この格好ですか? ええ、そうです。今日の決闘のために、特別に用意いたしました」

 僕の視線から疑念を察したのか、まるでこちらの心の声を聞いたかのように、ロムニックは問うてもいない質問に答えた。

 優男風に整った相貌を嗜虐的な笑みに歪める。

「私は白という色が大好きでして。いえ、正確には――相手の返り血に染まる白、ですかね」

 左手に握っていた白い槍を右手に持ち替えつつ、奴は僕に流し目を向ける。

「ほら、人の血――フォトン・ブラッドは十人十色で多彩でしょう? 私はね、真っ白なキャンバスが色鮮やかに染まっていく様が大好きなんですよ。ですが、こういった色合いの武具は非常に珍しいものでしょう? 普通は無骨な黒や灰色に落ち着きがちですからね。なので少しずつお金を貯めて、一つずつ特注で作っていたんですよ。それで先日、めでたく貯金が目標金額に達しましてね。これはもう晴れの舞台に間に合わせるしかない、と思いまして。懇意にしている武具作製士クラフターにお願いしたところ、こうして完全に白一色の装備を整えることが出来たわけです。いかがでしょう、似合っていますかねぇ?」

 感想を求めてくるが、当然知ったことではないので僕は無言を貫いた。しかしロムニックは懲りずに舌を動かし続ける。

「んっふっふっ、そうですよねぇ、これから私と戦うあなたにとっては、知ったことではありませんよねぇ。これは失礼しました」

 僕がわかりやすい顔をしているのか、それとも奴が他人の感情の機微に聡いのか、ことごとくこちらの胸の裡を言い当てるようにしてロムニックは言葉を紡ぐ。失礼しました、という言葉から謝意は全く感じられない。

「しかし、今日は舞台ステージも素晴らしい。ええ、実に最高です。なにせ、このルナティック・バベルは一面の白。私の服や鎧のように純白の空間。いやぁ、全く以て私好みの決闘場ではありませんか。ねぇ、ベオウルフ?」

 くつくつと酷薄に笑って、ロムニックは唇の片側を大きく歪ませる。

「ここと私の服が、あなたの返り血で汚れていく……その光景は、さぞや美しいんでしょうねぇ?」

「…………」

 呆れ返るほど理解不能な嗜好に、僕はやはり沈黙を返した。

 口振りから察するに、どうやら奴は自らの勝利を一片も疑っていないらしい。大した自信だ。確かに、ロムニックはそう自負するに足るものを所有しているのだろうが。

「ああ、そういえば、私のことは調べていただけましたか? 自分で言うのも何ですが、最近は飛ぶ鳥を落とす勢いでしてね。ネットを探ればすぐに出てきたのではありませんか?」

 楽しそうに、自慢げに、白尽くめの男は自画自賛する。

 ぬっふ、と気味の悪い笑い声を洩らし、

「それで、どうです? もう私の強さはわかったのではありませんか? 自慢ではありませんが、私の実績は本物。こうして〝下克上アプセッター〟、もしくは〝決闘者デュエリスト〟という過分な異名までいただいております。ええ、実に実に光栄なことです」

 よくもまぁ、自らを褒め称えることにこれだけ舌が回るものである。謙遜する素振りを見せてはいるが、それとて畢竟、自らの威光をより輝かせるための方便に過ぎない。

「だからこそ、今日この場に現れたあなたの勇気はとても素晴らしい! 何もかもを投げ打ち、尻尾を巻いて逃げるという選択肢もあったというのに、あなたは勇気を振り絞ってここへやって来た!」

 いきなり声を張り上げ、ロムニックは舞台に上がった俳優のごとく大仰な身振りまで交えて、今度は僕を褒め称え始めた。しかし内容をよく聞けば、むしろ僕を煽るつもりでしかないのは明白だ。

 何のことはない。既にそこいらには、宙に浮かんで撮影を始めている〈エア・レンズ〉がある。奴はセキュリティルームの外にいる『放送局』や観客に向かって、パフォーマンスをしているのだ。

 僕が舞台の演出家なら『過剰すぎる』とダメ出ししたであろう勢いで、ロムニックは白々しい演技を続ける。

「嗚呼、怖かったでしょう。恐ろしかったでしょう。昨晩はよく眠れなかったのではありませんか? もしや命乞いの練習などしてきたのではありませんか? もしそうならすぐに言ってくださいね。練習の成果を見せていただけるなら、この決闘は私の不戦勝ということで片付けますから」

 よくぞそこまで他人を馬鹿に出来るものだな、と心底思う。初めて会ったときにも思ったが、こいつは人の神経を逆撫でにする天才だ。もしシグロスがロムニックと知り合っていれば、きっと仲の良い親友になっていたことだろう。

 だけど、怒りに燃える僕の意志に反して、何故か手足が小刻みに震え始めた。何かの熱病にかかったかのように、体の芯からくる震えが収まらない。

 それを見たロムニックが口元を手で隠して、ぷぷぷ、と笑う。

「――おやおや、震えているじゃないですかベオウルフ。今までずっと我慢されていたんですか? お利口さんですねぇ。でも、もういいんですよ? 楽になってしまいましょうよ。今謝れば、少なくとも命は持って帰れるのですから。ね?」

 戦う前に降参を呼び掛けてくるロムニックの声は、しかし慈悲の要素など分子一つ分すら含まれておらず、ただひたすら僕を馬鹿にする要素しか詰まっていなかった。

「…………」

 僕は自分に問う。

 この体の震えは、奴が言うように恐怖からくるものなのか――と。

 奴と戦うことで、殺されるかもしれない可能性があるからなのか――と。

 ――否、違う。

 絶対に、違う。

 断言できる。

 これは決して、恐怖からくる震えではない。

「馬鹿を言うな」

 僕はここにきて、初めて口を開いた。両の拳を強く握り締め、ロムニックを睨みつける。

「怖い? 誰がいつそんなことを言った? 命乞いの練習? どうしてそんなことをしなくちゃならないんだ?」

 心臓の早鐘が一向に収まらない。それどころか、胸の高鳴りはさらに加速して、今にも爆発してしまいそうだった。

「――――」

 僕の言い返しに、ロムニックがやや笑いを潜めた。モスグリーンの目を細め、探るような視線を向けてくる。

「お前のことなら調べたさ。これまでの決闘の記録も全部見た。だけど、それがどうした。お前が〝神器保有者〟だろうが何だろうが、僕には関係ない」

「……!」

 ロムニックがさらに目を細め、鋭く尖らせた。口元を手で覆ったままだが、あの小憎たらしい笑みも鳴りを潜めているはずだ。

「……ほう、これは異なことを仰いますねぇ。私と戦うのが怖いのでなければ、あなたのその震えは一体何だというのです?」

 薄着で極寒の雪原に放り込まれたかのごとく小刻みに揺れている四肢を、ロムニックは鬼の首を取ったように指摘した。

「これは……」

 そこまで言ったところで僕は震える右手に視線を下ろし、また自問自答する。

 ――何故ここまできて、自分はこんなにも震えているのか。確かロムニックの顔を見るまでは、いつも通りだったはずだ。

 怖いわけでも、逃げたいわけでもない。

 むしろ、ずっと心待ちにしていたのだ。今日、こうして奴と向かい合う日を。一対一で戦う瞬間を。

 なのに何故――と考えたところで、不意に天啓のごとく答えがわかってしまった。

「――――」

 顔を上げ、再びロムニックの顔を強く見据える。



「これは、武者震いだ」



 言った。己が裡にある感情を自覚した途端、今まで意味がわからなかった肉体の反応全てが整合した。

「楽しみにしていたんだ。ずっと、この瞬間を」

 ロムニックの顔を見た途端スイッチが入ったのも。感情が昂ぶるあまり頭の中が真っ白になりかけているのも。手足が言うことを聞かないほど歓喜に躍るのも。恋する少女のように胸が高鳴るのも。

 全て、この瞬間が待ち遠しかったからだ。

 そういえば、この感覚には覚えがある。子供の頃、とても欲しかった玩具を祖父や祖母が買ってくれたとき、家に帰るまでの時間がひどく長く感じられた。ようやく家に着いて、プレゼントの梱包を破り、まさに中身を取り出す瞬間――あの、吐き気を催すほどの昂揚感。

 体の中身がひっくり返って、一歩踏み間違えれば発狂しそうなほどの期待――まさしく『わくわくする』としか言いようがない感覚。

 僕の肉体は今、凄まじいまでのそれに支配されていた。

「言ったはずだ。絶対に後悔させてやると」

 復讐という料理は冷めてから食べた方が美味しい――とは誰が言った言葉だっただろうか。僕の心境はちょうど、待ちに待った御馳走が目の前に現れ、あられもなく垂涎し、腹の虫を盛大に鳴らしているような状態だった。

 戦意の昂揚から来る震えを楽しむように、僕は再び拳を握り締める。意図せず、笑みが込み上げてきて、僕は口の端を吊り上げた。

「楽しみでしょうがなかったんだ。お前をこの手で倒す日が来るのが。自分でも吃驚するぐらい。こんな感情が僕の中にあるだなんて、今まで知らなかった。思いもよらなかった」

 今にもはちきれそうな期待感。理性の箍がギチギチと音を立てて軋んでいる。手綱を放したら、この爆発しそうな暴力衝動は、僕をどこまでも荒々しい獣へと変貌させるだろう。

 思いっきり奴をぶっ飛ばせ――心と体が口を揃えてそう叫んでいた。

「だから、お前なんか全然怖くない。これっぽっちも。それに神器だとか、お前の強さだとか、着ている服の色だとか、そんなことだってどうでもいい。僕はただ、僕の仲間を馬鹿にしたお前を許さない――それだけだ」

 これからやることを言葉にした途端、マグマのごとく煮えたぎっていた頭が、すぅ、と徐々に冷えていく。合わせて、体の震えも少しずつ小さくなっていく。

 僕の心が、意識が、戦意が――目の前の仇敵に向かって収斂していく。研ぎ澄まされた刃のごとく。

 そのくせ口からは、あは、と軽い笑いが出た。

「――僕は今、支援術式が禁止されていてよかったと思っている。どうしてだかわかるか?」

 質問ばかりしてきたロムニックに、今度は僕から問いを投げかけてやる。どうせ答えは期待していないから、奴が答える前に自分で答えてやった。

「お前を後悔させるのに、三ミニトだけじゃ短すぎる」

 ロムニックが口元を覆っていた手を下ろす。そこにはもう、笑みの欠片も残っていなかった。冷たく軽蔑するような両眼と、固く結んだ唇で、僕の言葉を受け止めている。初めて見る表情だった。

 ふっ、と興醒めしたようにロムニックは鼻で笑った。

「……なるほど、よくわかりました。いいでしょう。とにかく、命乞いどころか降参もしないということだけは理解しました。結構なことです。まぁ折角用意した舞台ですから? 集まってくれた観客に肩透かしさせるのも何ですしね――」

 右手に握った純白の槍を持ち上げ、まっすぐ天井に向けて突き上げた。にやり、といやらしく唇を歪める。

「――その威勢、最後まで続くといいですねぇ?」

 奴の動作が合図だったのか、突然、僕らの周囲を浮遊していた複数の〈エア・レンズ〉から、外の実況役の声が響き渡った。

『オッケィ! 双方準備は万端らしいな! さぁ! 観客の皆様! そして配信をご覧になっている方々! ここで改めて今回の決闘のルールを説明しよう!』

 どうやらこの〈エア・レンズ〉にはスピーカーまで搭載されているらしい。新型なのだろうか。よく聞けば、声の背景には歓声やどよめきがノイズとして混じっている。

『ルールは簡単! 生きるか死ぬかのデッド・オア・アライブ! ここは遺跡内だからな! 例え決闘相手を殺しても罪には問われねぇぜ! それだけにルールも単純明快だ! 戦いを無駄に長引かせるだけになる回復術式は使用厳禁だが、それ以外には卑怯だの反則だのという言葉は存在しねぇ! 基本的には何でもありだ! ――おっと忘れてた! だが今回は特別! 例外的に一つだけ〝ベオウルフは支援術式を禁止〟って特殊ルールがある! これを破れば即時、ベオウルフ側が反則負けとなって決着がついちまうぜ! そこんとこ気をつけてくれよな勇者様! よろしくぅ!!』

 僕だけ支援術式が使えないという点を除けば、実にオーソドックスなルールだ。ヴィリーさん他、審判役は外で〈エア・レンズ〉を介した映像と音声を元にして判定を行う。今回、ロムニック側も一人しか審判役を用意していないので、都合二人の審判が僕達の戦いを監視することになる。

『勝利の条件は、相手を殺すか、もしくは戦闘不能にすること! もしくは降参を宣言するか、口が利けない場合はジェスチャーで表し、それを審判員が受領すればそこで決闘終了だ! 超わかりやすい簡単ルールだろ! 間違えようがないぜっ!』

 以前にも言ったが、エクスプローラー同士の決闘は、呼び名を変えたただの殺し合いだ。ルールなんて有って無きに等しい。目潰しだろうが金的攻撃だろうが騙し討ちだろうが、本当に何でもありだ。

 詰まる所、相手を殺して最後に立っていた者が勝利者なのである。

『ぉおしっ! ルール説明も終えたんで、そろそろ決闘開始だ! それじゃカウント行くぜぇっ! みんなも声を合わせてくれよな! ――五!』

 ついにカウントダウンが始まった。

『――四!』

 スピーカー越しではよくわからないが、きっとあちらでは観客の声が重なって、耳を聾する音圧になっているのだろう。割れた歓声が僕とロムニックの間に流れる。

『――三!』

 僕は両手を上げ、背中の大刀を二本同時に掴んだ。〝アキレウス〟の背面ホルダーに装着している鞘は自動開閉式なので、〝人工SEAL〟からコマンドを送信した。刀身を包んでいた鞘が、魚の干物のごとく開く。

 一気に引き抜いた。

 黒地に紫のラインが入った柄に、すらりと伸びる白銀の刃。大刀と言っても他と比較して大きめだからそう呼んでいるだけで、刀身の長さは約六〇セントルほどだ。訓練で使っていた柳葉刀に比べ、一〇セントルほど長い程度である。

 右足を引いて、半身の体勢をとる。

『――二!』

 向かいに立つロムニックも動いた。緩く白槍を構え、腰を落とす。小馬鹿にするような視線が、こちらへ向けられた。

 外では大盛り上がりなのだろう。カウントダウンを告げる声は、徐々に大きくなっているようだった。

『――一!』

 緊張感が高まる。ピークを越えてレッドゾーンへ突入する。全身の骨という骨が引き締まる思いがした。

 踏み出す足に力を込める。

 やっと戦える――そう歓喜する心が今にも爆発しそうで。

 ドクン、と心臓が一際大きく鼓動した。

『――ゼロ!』

 スピーカーから飛び出す合唱を聴いた刹那、頭の中が真っ白に弾け飛んだ。

 全力で床を蹴る。

 放たれた矢のごとく飛び出す。

 ロゼさんに教わった歩方。効率的な加速が出来る走法で僕は一直線に突進した。

 高速移動で一挙に視野が狭くなる。もう対戦相手の姿しか目に入らない。

 ロムニックは動かない。ただでさえそう遠くもなかった相対距離を一気に削り取った。

 肉薄。

「――――――――ッ!!」

 昂ぶる感情にもはや声も出ない。僕は歯を食いしばり、最小動作、最短距離、最大効率のお手本とも言うべき動作で二振りの大刀を振りかぶり――

 全力で叩き込んだ。

「!!」

 甲高い金属音が小気味よく響く。

 双刀と白槍が激突し、火花を散らす。

 ぱっと咲いた赤い花弁を挟んで、僕とロムニックの視線がかち合う。

 にやり、とモスグリーンの瞳が嘲笑う。

 それが、戦いの始まりだった。





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