リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●3 勇者をデートに誘うメソッド





「デートのお誘いよ、ラグ君」

「へ……?」



 突然のことだった。

 その日のエクスプロールを無事に終え、僕らの拠点であるマンションの部屋へ戻ってきたところ――何故かそこに、ヴィリーさんが来訪したのだ。

 もうこの時点で意味がわからないのだが、ちょっと聞いてほしい。

 そう、それは、みんなで晩御飯の支度をしている時のことだった。

 インタホンが鳴り響き、たまたま玄関の一番近くにいた僕が対応に出たのである。

「はーい?」

 果たして開いたドアの向こうに、大きな花束を抱えたヴィリーさんが立っていた。

「――!?」

 その姿を目にした瞬間、全身に凄まじい電流が駆け巡ったのを覚えている。

 刹那、僕の思考速度は神速の域へと達した。

 ――ヴィリーさん? どうしてここに? というか何故に花束? あ、もしかして先日言っていた『お詫び』とはこのことだったのだろうか? なるほど、わざわざ足を運んでくれるだなんてヴィリーさんらしい礼儀正しさである。流石はあの剣聖ウィルハルトの愛娘であり、デイリート王国の大貴族フレデリクス家の御令嬢だ――

 瞬き一つ程度の間にそこまで考えた。けれど、相変わらずコミュニケーション能力の低い僕の口は上手く動いてくれず、

「あ……ヴィ、ヴィリーさん……!?」

 と、泡を食った感じの声と言葉しか出てこなかった。

 トレードマークである金色のポニーテールはそのままに。服装は『蒼き紅炎の騎士団』の制服ではなく、丈の長い純白のふわふわしたニットセーターと、黒のレギンスパンツに、銀のネックレス。

 空恐ろしいことに、柔らかそうなセーターの丈がちょうど股下あたりで止まっていて、見ようによっては扇情的なミニスカート姿のようにも見える。

 ドキリ、と僕の胸が妙な鼓動を打ったのは言うまでもない。

「こんばんわ、ラグ君」

 深紅の両目を弓なりに反らせて、ヴィリーさんが微笑んだ。きゅっ、と口角が吊り上がった桃薔薇の蕾みたいな唇に、吸い込まれるように目を奪われてしまう。

「――――」

 どうしよう。ヴィリーさんの抱えている花束だって、きっとすごく高価で、とても綺麗なはずなのに。

 それなのに。

 僕はどうしようもなく、圧倒的に――ヴィリーさんの方が美しく、煌びやかで、可憐だと思ってしまう。

 もはや、花束が色褪せてしまうほどに。

「今、お時間は大丈夫かしら?」

 微笑を浮かべながら小首を傾げるヴィリーさん。動きに合わせて砂金を流したかのごとき髪が、さらりと肩口を滑り落ちる。そんな些細な所作一つとっても、心奪われるほどに典雅で、優美だった。

「…………」

 僕は微動だに出来なかった。思えば、こんな至近距離でヴィリーさんと対峙したことなんて殆どない。溢れんばかりの豪奢なオーラにあてられて、僕は金縛りにあっていた。

「……ラグ君?」

 呆然と硬直する僕に、ヴィリーさんがキョトンとした。身を屈め、下から覗き込むようにして怪訝そうな顔を僕に近付けてくる。

 なんなのだろうか、この人は。本当に人と人の間に生まれた存在なのだろうか。もしかしてハヌみたいに現人神だったりしたりはしないのだろうか。むしろ、実は美神と闘神の間に生まれた神の――あれ? 顔が、近い?

「どうしたの? 顔が赤いけれど、熱でもあるのかしら?」

 ぴとり、と無造作にヴィリーさんの繊手が僕の額に当てられた。思いがけずひんやりとした感触が生まれ――

「――ひょえっ!?」

 ビックーン! と身体が痙攣したみたいに弾けた。思わず仰け反り、一歩後ろへ飛び退き、ヴィリーさんの掌から身を離してしまう。

「あら?」

 我ながら怯える小動物みたいな動きをしてしまった僕に、ヴィリーさんがちょっとだけ残念そうな声を漏らした。けれど、今の僕にはそんなことに頓着する余裕など微塵もない。

「ヴィッ、ヴィヴィヴィ、ヴィリーさん!? どっ、どうどうどう、どうしてここへっ!?」

「うふふ、スクラッチみたいな喋り方をするのね。上手よ」

 慌てふためく僕のどもり方がそんなに可笑しかったのか、ヴィリーさんは額にあててくれた手で口元を隠し、上品に笑った。

 ひとしきり笑うと、ヴィリーさんは口元の手を下ろし、くい、と花束を抱え直した。

「実はね、今日はあなたを誘いに来たの」

 不意に、強い花の芳香が僕の鼻腔を満たした。何かと思えば、それはヴィリーさんが僕の胸元に花束を差し出したからであった。

 そして。

 絶世の美女がにっこりと微笑み――驚天動地の台詞を放ったのである。



「デートのお誘いよ、ラグ君」

「へ……?」





 ■





 ノックの音が響くと、カレルレンは誰何するまでもなく扉の開錠コマンドをキックした。

 この時間に来客があるのは予定の内だ。

「失礼します。アシュリー・レオンカバルロです」

「ああ、待っていた。入ってくれ」

 彼ら『蒼き紅炎の騎士団』が一時の拠点としている高級ホテルの一室。カレルレン・オルステッドに割り当てられた部屋に、赤金色の髪を持つ少女が足を踏み入れた。

 リビングと寝室が別になった、広い部屋である。

 この部屋の仮の主であるサンディブロンドの青年は、設えられたソファの一つに腰かけたままアシュリーを出迎えた。

 ホテルの一室とはいえ自身に割り当てられた空間であるにもかかわらず、カレルレンは一分の隙もなく『NPK』の制服を着込んでいた。

 団員お揃いの色でもある鮮やかな蒼の戦闘コート。二の腕部分には、蒼く燃える太陽を赤く染め抜いた腕章が飾られている。コートの内側にライトアーマーこそ着用していないが、その姿は見るからに臨戦態勢であった。

 彼の翡翠のような瞳に宿る眼光も鋭く、今この場がプライベートな空間ではなく、パブリックなものであることを示している。

 対するアシュリーもまた、カレルレンと同じ色合いのロングジャケットを身に着け、硬質の雰囲気を纏っていた。

「よく来てくれた、アシュリー。まぁ、そこにかけてくれ」

「はっ。失礼いたします」

 醸し出す空気とは裏腹に、カレルレンはやや砕けた態度でアシュリーに向かいのソファを勧めた。瑠璃色の双眸を刃のごとく尖らせた少女は、まさしく切り裂くような鋭さで敬礼をしてからそれに従う。

 柔らかいソファに、しかし背筋をピンと伸ばして座る少女の姿は、まるで抜身の剣がそこに置いてあるかのようだ。

「定期報告に参りました」

 こくり、とカレルレンは頷く。

「いつもすまない。ああ、だが少し待ってくれ。今、茶を入れる。そろそろ湯が沸く頃合いでな」

「御厚情、痛み入ります」

 機械のように正確にアシュリーが首を垂れると、カレルレンは立ち上がり、部屋に備え付けのケトルへと歩み寄った。

「ちょうどよかった。いい茶葉が手に入ったところでな」

 壁際のテーブルに既に準備されていたティーポットを用いて、手際よく茶の用意をしていく。その背中に、

「そんな、カレル様。私にはもったいありません」

 アシュリーが淑やかに謙遜すると、カレルレンは、ふっ、と微笑んだ。

「何を言っているんだ、君にはいつも俺の身勝手な頼みを聞いてもらっているんだ。これぐらい当然だろう」

 慣れた手つきで二人分の香茶を入れたカレルレンは、それらをソファの間に置かれている足の短いテーブルへと運んだ。

「君の口にあえばいいんだが」

「滅相もありません。いただきます」

 洗練された優雅な手つきでソーサーを手に取ると、アシュリーは白磁のカップに口をつけた。

 しばし、カップとソーサーが立てる硬質な音が響く。

「――改めて、申し訳ないな。幹部の君にスパイまがい……いや、スパイそのものなことをさせてしまって」

「い、いえ。お気になさらないでください、カレル様。私が望んで引き受けたことです」

「そう言ってもらえるとありがたい。だが、くれぐれも団長には内密に頼む。先日は口止めもしていなかったのに上手く誤魔化してくれて、本当に助かった」

「いえ……流石に私としても、ありのままをヴィクトリア様に報告することは出来ませんでしたから」

 カップをソーサーに置き、アシュリーは小さくかぶりを振る。



「――カレル様の密命で、ベオウルフの身辺を調査していた、などとは」



 いざ口にすると、それはアシュリー自身にも想像できなかったほどの重さを有していた。それが突如として双肩にのしかかり、我知らず、少女はカップの中に写る自分の顔へと視線を落とす。

「……君が気に病むことではない。俺がお願いしたことだ。何かあった時は、俺が全責任をとる。安心してくれ」

「いえ、私はそのような……」

 事の始まりは『ヴォルクリング・サーカス事件』の直後である。

 あの戦いの折、小竜姫が顕現させた〝龍〟を目にした時から、カレルレンは心に決めていた。

 何を置いても、最優先でベオウルフと小竜姫について詳しい調査を行う――と。

 だが、素直に調査を実施したいと言ったところで、あの剣嬢ヴィリーが首を縦に振るわけがない。

 それがわかっていたが故に、カレルレンは秘密裏に動くことにした。

 それが彼女の信頼を裏切る行為であることは、重々承知の上で。

 自身が影に徹することを、カレルレンは己に課している。

 光である剣嬢ヴィリーに付き従う影。あらゆる意味で彼女の〝死角〟を見聞きし、決して汚されてはならないあの繊手の為に、この手を汚泥に浸す。

 それが彼女のために必要なことであるならば、カレルレンに躊躇や迷いは微塵もなかった。

 しかしながら、彼自身が直接動くのはやはり得策ではない。カレルレンは自らの行動が周囲に及ぼす影響を、しかと知悉している。

 思案の結果、白羽の矢が立ったのは、彼の腹心であるアシュリー・レオンカバルロだった。

 赤金色の髪と瑠璃色の瞳と〝絶対領域〟の異名を持つ少女は、タイプ的にカレルレンとよく似ている。戦闘力が高いのは『蒼き紅炎の騎士団』の上位にいる者として当然のことだが、それだけでなく、彼女にはコマンダーとしての資質があったのだ。それ故、カレルレンはこれまで幾度となくアシュリーを参謀として重用してきた。

 そんな彼女であればこそ、己の抱く危惧を理解してくれるだろうと判断したのである。

 結論から言えば、その決断は正解だったと言えるだろう。

 確かに悶着はあった。ルナティック・バベルの『開かずの階層』に囚われるという、予想だにしていなかったアクシデントにも見舞われた。

 だが、【ベオウルフに接近する】という目的は、これ以上ないほど達せられていた。

 なにせ彼女は【二人きりで特訓する間柄】にまで、ベオウルフと親睦を深めたのだから。

 細かい手法について指示したことはない。カレルレンはただ一言『ベオウルフの調査を頼みたい』と告げただけである。

 つまり、アシュリーがゼルダと組んでベオウルフを尾行したことも、『開かずの階層』から救助された際にヴィリーから『どうしてこんなことになったの?』と尋ねられて『個人的にベオウルフに興味があったからです』と答えたのも、礼と詫び代わりにあの少年の剣術指南を買って出たのも、全ては彼女の独断であった。

 ここまで順調に話が進むとは、正直カレルレンも思っていなかった。

 彼の思う以上に、アシュリー・レオンカバルロは優秀だったのである。

 ――無論アシュリーにしてみれば、半分以上がただの成り行きであり、全て計算尽くどころか、ほとんど行き当たりばったりで状況が推移していったことを、正直に告白できるわけもないのだが。

 しかし経緯はどうあれ、アシュリーはベオウルフの剣術指南役という、定期的に会うための口実と、彼の戦う姿をつぶさに観察出来る絶好の機会を得た。

 欲を言えば、さらに小竜姫についても調査が出来ればなお良しなのだが、焦りは禁物である。まずは外堀から埋めるべきだ。比較的組みし易いベオウルフから調べ上げ、しかる後に彼から小竜姫の情報を得ればよい。カレルレンはそう考えていた。

 ――以上のような経緯から、アシュリーは定期的にカレルレンの下を訪れ、調査の定期報告を行っているのだった。

「それで、ベオウルフについて何か新しくわかったことはあるかな?」

「はい。若干ながら」

「聞かせてくれ」

 浅く頷く忠実な部下に、『NPK』副団長は掌で話を促した。

 アシュリーはいったんソーサーをテーブルに戻し、語り出す。

「やはりベオウルフ――ラグディスハルトは、類い希なる才能の持ち主だと言わざるを得ません。ここ数日、約束通り彼の剣術指南を行っていますが……正直、あの成長速度は異常です」

 この場に当人がいれば恐縮して身を小さくしたであろう称賛を、しかしアシュリーは淡々と口にする。

 カレルレンはわずかに瞬きの間を短くしたが、その内心を決して表情には出さなかった。

「――というと?」

「はい。当初は剣の腕も低く、武器に振り回されているような有り様でした。所詮は支援術式に特化した剣士未満なのか、と思っていたのですが……とんでもありません。あれは、おそらく擬態だったのでしょう」

「擬態?」

 奇妙な単語に、カレルレンはやや目を見張った。彼の知る限り、あの少年には似つかわしい言葉のように思える。

 アシュリーは顎を引くように頷いた。

「ええ、擬態です。それも本人ではなく、その教育者――彼が言うところの『師匠』なる人物が施したカモフラージュかと。事実、貧弱かと思えた彼の肉体は、実際には凄まじいまでの完成度を誇る【素体】でした。あれこそまさに【純然たる基礎】と言っても過言ではないでしょう。私が授ける技術のことごとくを、乾いたスポンジのように瞬く間に吸収していくのです。それも、ただ真似るのではなく、【自分のもの】として」

 冷静に話そうとしていたのだろうが、徐々に熱と力がアシュリーの口調には籠もっていく。それほどまでに、少女は〝勇者ベオウルフ〟と呼ばれる少年の才覚に戦慄していた。

 しかし。

「……なるほど。いや、しかしある意味では想定の範囲内だな」

 彼女の上司であるカレルレンは腕を組み、少女の報告を鷹揚に受け止めた。

 彼はその根拠を語る。

「なにせ〝アブソリュート・スクエア〟を使いこなす人間だ。あれだけの集中力を持っていて、戦士としての才能がないはずがない。むしろ何故、彼がヘラクレスを撃破するまで周囲から不当な扱いを受けてきたのかが不思議だったんだが……今の話で納得がいった」

 つまり、とカレルレンは要約する。

「今までベオウルフの才能は開花していなかった――というわけだ。いや、アシュリー、君の予測が正しければ、正確には【敢えて花開くことのないよう封印されていた】……ということになるのか。その意図は不明だが」

 アシュリーは視線を、カレルレンとの間にあるテーブルの上へと落とした。

「……執拗なまでに均整のとれた体幹バランスに、無駄のない筋肉の付き方、種類を問わず武器全般を扱う器用さ……この目で見ておきながら、未だに信じられません。カレル様、彼は……【アレ】は一体何なのでしょうか? 何をどうすれば、あんな風に人は成長できるのですか……?」

 武術の世界には〝純然たる基礎〟という迷信がある。

 それは、どんな技術であろうと即座に習得可能な下積みが既に成されている、究極的かつ理想的な状態。もしくはそれを持つ弟子のことを指す。

 無論、空想の産物であり、実在など一切信じられていない。理論上はともかく、現実に存在するはずもないと思われていたものだ。

 だがアシュリーはその実物を目にしてしまった。ただ隣で戦うだけではわからない。技術を授けようとして初めてわかる、あの無限の可能性を持った【素体】を。

 確かに人材としては素晴らしい。技術を指南する側からすれば、あれほど育て甲斐のある逸材は他にあるまい。

 だからこそ、逆に恐ろしい。

 何故なのか。何故、あそこまで下地を整えておきながら、彼の『師匠』は何もしなかったのか。あれでは、いわば料理の下拵えを念入りにしておきながら、結局は調理しなかったも同然ではないか。

 何が目的で、あの少年を幻とまで言われた〝純然たる基礎〟へと昇華させたのか。何を目論んで、見る者が見れば垂涎ものである究極の逸材に一切手を付けなかったのか。

 中途半端な放置が、ひどく不気味だった。

 アシュリーの問いに対し、カレルレンは答えるべき正解など持っていない。よって、彼は軽く肩を竦めてみせた。

「……彼が何者かを探るための調査で、さらに何者かわからなくなるとは思わなかったな」

 予想外かつ皮肉な結果に、カレルレンは自嘲気味に苦笑する。

 テーブルから自分のカップを取り上げ、湯気を立てるルビーを溶かしたような液体に口をつけた。香りもさることながら、この茶葉の出す色をカレルレンは気に入っていた。己のフォトン・ブラッドに似ているからか、それとも、ヴィリーの瞳を連想させるからか。

「――だが、これで一つわかったことがある。アシュリー、君が話してくれたベオウルフの暴走についてだ」

 湯気越しにアシュリーを見つめながら、以前の報告で聞いていた話の一つをカレルレンは持ち出した。

 先日の『開かずの階層』の仮想空間において、ベオウルフはフロアマスターとの戦いの最中、異名の由来まさしく狂獣士ベルセルクめいた一面を見せたという。

 声は届けど話は通じず。彼らしくもなく冷酷に容赦なく、フロアマスターへ苛烈な攻撃を繰り返していたあの姿――今になって思い出しても寒気がします、とアシュリーは語った。

「その『師匠』と呼ばれる人物に、ベオウルフは【何か】を仕込まれたに違いない。そして、その【何か】は君が言うところの〝純然たる基礎〟であり……おそらくは、あの仮想空間における〝暴走〟の要因でもあるはずだ」

「【何か】を……仕込まれている……?」

 呆然と繰り返す部下に、カレルレンは然りと首肯する。

「意識を失おうとなお戦わんとする、純粋な闘争本能の塊――所謂『修羅』は、戦いに明け暮れた歴戦の猛者であってもそうそう会得できるものではない。我らが団長でさえ、そこまで戦いに飢えているかどうか。それがあの若さで、しかも支援術式を除けば三流エクスプローラーだったであろう彼に備わっているのは、はっきり言って異常だ。自然と身につけたものでないのならば、第三者による【刷り込み】があったと考えるべきだろう」

「し、しかし、一体何の目的で――」

 思わずアシュリーは声を高めた。あんなにも純朴で大人しそうな少年に、何故そんなものを植え付けたのか。カレルレンの言う『第三者』に抗議したい気持ちが、少女の胸の内に生じていた。

 カレルレンは首を横に振る。

「それはわからない。だが、妙な【作為】は感じるな。これは第二〇〇層の時にも感じたことだが」

 堅固な装甲を持つゲートキーパーに、術力制限フィールド。まるで支援術式を使って攻略するよう誂えたかのようなキリ番階層のセキュリティルーム。

 そこにちょうどよく現れた、超人的な術式制御によって支援術式を駆使するエンハンサー。

 そして、それから間を置かず発見された『開かずの階層』――第一一一層。

 そこで待ち受けていたのは、ヘラクレスなど問題にならないほど強大なゲートキーパー――否、〝フロアマスター〟だった。

 その力、その周囲を取り巻くドラゴンの大群は、どう考えてもヘラクレスを容易に撃破できる【軍勢】を想定していたとしか思えない。第二〇〇層の突破が『開かずの階層』の解放条件であったことは、状況から見ておそらく間違いないであろう。

 古代技術によって創造された仮想空間――そこでは、年若い少年であるはずのエンハンサーに、『修羅』と呼ばれる業が備わっていることが新たに判明した。

 それだけではない。しかも、仮想空間を総べていたいたと思しき巨大なフロマスターを、彼はそのままの勢いで撃破してしまったのである。

 ――この流れは、何もかもが出来すぎてはいないだろうか?

 あの場所にベオウルフが足を踏み入れたのは、本当に偶然だったのだろうか?

 もしや、何者かによって意図されたことではないだろうか?

「…………」

 全知全能の神たりえないカレルレンとしては、例え全てが混じり気のない偶然だったとしても、疑念を抱く余地はいくらでもある。考えれば考えるほどキリのない問題だとわかってはいても、しかし考えないわけにはいかなかった。

「……カレル様……?」

 視線を下げて固まってしまった青年に、アシュリーがおずおずと声をかける。

 それを受けたカレルレンは面を上げ、吐息を一つ。表情を和らげ、頷いた。

「いや、すまない。とにかく、君には彼の身辺調査を続けて欲しい。可能なら彼の『師匠』の素性など、手掛かりになりそうな情報を掴んでくれれば幸いだ」

 例えカレルレンの想定する陰謀が存在しなかったとしても、あの少年とその仲間たちは存在そのものが脅威的だ。調査を打ち切るという判断は有り得ない。

 だがこの指示に対し、アシュリーは表情を曇らせた。

「……それなのですが、カレル様……本当に、彼らの調査は必要なのでしょうか……?」

 可能性だけは考慮していた展開に、カレルレンは驚く振りをした。訝しそうに目を瞬かせ、表情をさらに引き締める。

「……どうしたんだ、急に? 君らしくもない」

 そう問うた途端、アシュリーは常になく慌てふためいた。

「い、いえ、その……」

 冷静沈着にして氷の槍のごとき――とはカレルレンに与えられた令聞ではあるが、アシュリーはそれに次ぐとの定評を得ている。そんな彼女がここまで動揺するのは、カレルレンの目にはやけに新鮮だった。

 狼狽えている自分に気付いたアシュリーは、両手を胸を当て深呼吸をし、己を落ち着かせた。

「……少し、疑問に思ってしまいまして。私が話した限りでは、能力はともかく、性格的にはベオウルフが我々の敵となる可能性は非常に低いように思われます。言ってはなんですが、彼はお人好しに過ぎます。報告申し上げました通り、土壇場での度胸や判断力は大したものではありますし、暴走状態の戦闘力は背筋が凍るほどでした。ですが、逆に言えば普段の彼は……その……」

 頭の中にあるイメージを上手くオブラートに包むことが出来ず、アシュリーは言葉に迷った。悩んだ挙げ句に出てきたのは、

「……全く、怖くありません、ので……」

 自身の言葉の薄っぺらさを自覚しているのだろう。アシュリーの視線が徐々に下がり、声のトーンも落ちていった。

 気まずそうに俯くアシュリーを、カレルレンは冷静に見つめる。

「…………」

 情が移ったか、とカレルレンは察した。

 もしかしたら、とは思っていた。

 あの悪気のない性格、弱きを助け強きを挫くという騎士道精神をごく自然に身につけているところ――正しく付き合えば、彼に好意を持つのはある意味人として当然なことではある。無論、ケースバイケースではあるが。

 とはいえ。

 大したものだ、とカレルレンは驚歎せざるを得ない。

 ヴィリーならともかく、このアシュリーまでもがほだされてしまうとは。この少女であればその可能性は低いと見て、調査を依頼したというのに。アシュリーの性格からして、名声に比すれば情けないところも多いベオウルフを、蛇蝎のごとく嫌うものとばかり思っていたのだが。結果的には、カレルレンは物の見事に見誤ってしまったということになる。

「……カレル様のお考えを否定するわけではありません。確かに、可能性はゼロではないでしょう。彼にその気がなくとも、周囲の小竜姫や〝神器保有者セイクリッド・キャリア〟が、何か良からぬことを吹き込まないとも限りません。ですが――」

「わかっている。皆まで言わなくてもいい」

 カレルレンは片手を上げ、徐々に抑揚が大きくなっていくアシュリーの声を制した。

「…………」

 忠実な部下である彼女は、それだけでピタリと舌を止めた。まだ言い足らなさそうな表情こそ隠せていないが、無理を押して口上を続ける気はないようだった。

 カレルレンは硬めに保っていた表情を緩め、アシュリーに柔らかく微笑みかけた。

「……当然ながら、俺もそうであって欲しいと思っているし、おそらくそうなってくれるだろうと想定している。大丈夫だ、君の気持ちはわかっているし、俺も同じ気持ちだ」

「カレル様……」

 春の到来で溶ける雪のごとく、アシュリーの顔が和らいだ。

「ベオウルフは団長のお気に入りだ。彼のメンバー入りには反対だが、クラスタ同士で仲良くするのはむしろ大歓迎だと言っていい。『ヴォルクリング・サーカス事件』でそうだったように、味方であれば非常に心強い存在だからな、彼らは。それに、神器の件もある。可能な限りこのまま親睦を深めて、手堅く信頼関係の構築と行きたいところだ」

「はい、はい……!」

 安堵を露わにして、アシュリーはカレルレンの言葉に何度も頷いた。

 ふ、とカレルレンは微苦笑を浮かべる。

「すまないな、君には余計な心配をさせてしまった。ベオウルフが我々と敵対する可能性はとても低い。そのことをしっかり説明するべきだったな」

 カレルレンが謝罪を述べると、とんでもない、とアシュリーは大きく頭を振った。

「いえ、いいえ、カレル様は悪くなどありません。私の早合点でした。こちらこそ申し訳ありません」

「そう言ってもらえると、こちらも助かる。ありがとう、アシュリー」

 返礼とばかりに頭を垂れた部下に点頭すると、

「だが」

 とカレルレンは表情を改め、否定接続詞を口にした。

「これまで通り、ベオウルフについての情報収集は続けてもらいたいな。調査という名目が重苦しいなら、クラスタ間の交流の架け橋と言い換えてもいい。とにかく、彼とその周辺について出来るだけの情報が欲しい」

 ビクン、とアシュリーの肩が小さく跳ねた。

「――! で、ですが、」

 少女の抗弁をカレルレンは強い語調で遮る。

「わかっている。だが、こうも考えてみて欲しい。我々と彼らは近々、協力体制をとってエクスプロールに臨むことになっている。その時、味方の情報は多ければ多いほど効率がいいだろう? 特に戦闘時の連携において、無駄や危険を排することが可能になる。コマンダーとしては、双方の利益を重視したい。彼らの情報を得ることは、我々だけでなく彼らの為にもなるはずだ。そうだろう?」

「そ――れは、そう、ですが……」

「これまでのように無理に探らなくてもいいんだ。日常会話の中で、たまたまあちらが洩らした情報を持って帰ってくれるだけでいい。何なら、特に意識することなく、ベオウルフの剣術指南に集中してもらっても結構だ。それならいいだろう?」

「……はい……」

 そこまで譲歩されてしまっては、もはやアシュリーに首を横に振る理由はない。なにせカレルレンは、これまで通りの流れをそのまま続けろと、そう言っているのだから。

「かといって、無理にベオウルフと仲良くなれとも言わない。そのあたりは君の好きなようにやって欲しい。ああ、とはいえ、彼と愛し合って恋人同士になられても困るが――それはないだろう?」

「な――!?」

 くす、と小さく笑いながら飛ばされた冗談に、アシュリーは意表を突かれて面食らった。表情を激変させて、前のめりになる。

「そ、そんなことは有り得ませんッ! 絶対にッ! 断じてッ!」

「わかっているさ。そうムキにならないでくれ。ああ、声は少し抑えようか」

 大慌てで否定の言葉を叫んだ少女を、カレルレンは笑って軽く受け流す。アシュリーの大声で、カップに残った香茶の水面に波紋が生じていた。

「し、失礼しました……申し訳ありません……」

 思わず飛び出した怒鳴り声に彼女自身が一番驚き、その無礼さに恥じ入って身を縮こませた。

「彼のことが嫌いなら、無理に接近しなくてもいい。何なら剣術指南の約束を反故にしてくれても構わないと、俺は思っている。ただ少し、ほんの少しでいい。もしこれからも続けていくつもりなら、俺のお願いを頭の片隅に置いてくれないか。本当にそれだけなんだが……いいだろうか、アシュリー?」

 そんな風に問われてしまっては、やはりアシュリーの返事はイエスしかない。

「……はい……カレル様が、そう仰るのであれば……」

 ずるい言い方だ、とアシュリーは思う。先程から彼は、アシュリーがノーと答えられない質問ばかり繰り返し、最後の最後にお願いをしてきた。初歩的な話術であり、アシュリーもそのことには気付いていたが、どうしようもなかった。

 相手は〝氷槍〟と呼び称されるほど冴えた頭脳の持ち主。頭の回転では一枚も二枚も上手なのだ。そもそもナイツの中で席次の劣るアシュリーが、会話術で敵うはずもなかったのである。

「ありがとう、助かる。君のような部下がいて、俺は本当に幸せ者だな」

 満足げに頷き、少女の上司にあたる青年はにっこりと優しそうに微笑んだ。





 ■





「だ、大丈夫? ねぇラグ君、大丈夫っ?」

 失神していたらしい。

 ヴィリーさんの「デートのお誘いよ、ラグ君」という一言で無音の爆弾が投下され、僕の意識は千々に砕けて吹き飛んでしまったのだ。

 気付けばヴィリーさんに両肩を掴まれ、僕は身体を揺すられていた。

「――はっ!? だ、大丈夫です!?」

 意識を取り戻した瞬間、ヴィリーさんに触れられているという衝撃的な事実に総身が震え、僕は全力で飛びずさ――ろうとして出来なかった。

「……あれ?」

 僕の両肩を握っているヴィリーさんの手が、まるで巨岩か何かのごとく微動だにしなかったのだ。つまり、さほど太いわけでもない彼女の腕によって僕は完全にホールドされていたのである。

 だというのに、

「急にどうしたの? もしかして体調が良くないのかしら? さっき触ったときは熱はないようだったのだけど……」

 何でもないことのようにヴィリーさんは僕のことを心配して、こちらの身体のあちこちを見回している。僕が飛び退こうとしたことすら認識していないようだった。

 さもありなん。考えてみればもっともな話で、相手は誰あろう剣嬢ヴィリーさんである。僕みたいな弱小エクスプローラーとは鍛え方が違う。ロゼさんと同じように生体限界はとっくに突破しているだろうし、言ってしまえば低級SBであれば素手で活動停止されられるぐらいの膂力を持っているはずなのだ。

 そんな人に掴まれていて、僕が逃げられるわけもなか――って顔近ぁっ!?

「だっ!? だだだだだいだい大丈夫ですっ! じょぶじょぶ大丈夫ですからっ!」

「そう? でも明らかに顔が赤いようなのだけど……」

「すっすすすすぐ収まりますからっ! と、とにかく手をっ! は、離してくださ――!」

「? ? ?」

 ヴィリーさんの美貌が目の前にありすぎて動悸がやばい。何か良い匂いがするし、長い睫毛に縁取られた深紅の瞳が不思議そうにこちらを見ている。濃く淹れた香茶みたいな、けれど透き通った目で見つめられていると何だかこう胸の中央がぎゅうっと締め付けられたみたいになって呼吸が乱れてしまう。僕は一生懸命に顔をあらぬ方向に向けて、とにかくいったん離してもらうようにお願いした。

 しばし僕の挙動不審に小首を傾げていたヴィリーさんだったけど、僕が雷鳴に怯える子リスのように震えていると、やがて肩を掴んでいた手を離してくれた。

 僕はばっと身を翻し、失礼と思いつつヴィリーさんに背中を向けると、暴れ馬みたいに跳ね回る心臓の鼓動を収めにかかった。

「……本当に大丈夫なの、ラグ君?」

「は、はいっ! しょ、少々お待ちくださいっ!」

 危なかった。もう少し同じ状態が続いていたら、どうなっていたことか。僕のことだ、再び失神していたかもしれない。

 深呼吸を繰り返していると、背後でヴィリーさんが床に落ちた花束を拾い上げる気配がした。そうだ、ヴィリーさんは僕のことを心配して駆け寄ってくれたのだ。

「あ、あの、あ、ありがとうございますっ。ご、ご心配をおかけしてごめんなさいっ……!」

 すると、くすっ、とヴィリーさんが笑う息遣いが聞こえた。

「いいのよ、突然お邪魔したのは私の方なんだから。こちらこそ、驚かせてごめんなさいね」

「そ、そんな、そんなことは」

 ないです、と言いかけたところで、部屋の奥からとてとてと軽い足音がやってきた。

「……ラト? おぬし、さっきから何を騒いでおるのじゃ?」

「あ、ハヌ……」

 僕の叫び声が気になって出てきたのだろう。晩御飯の支度中だったため三角巾とエプロンという格好のハヌが、不思議そうにこちらへと近付いてきた。

「ほ? 来客か? 珍しいのう」

 いつもの和装の上にエプロンをつけているので、普通ならチグハグな感じになるはずなのに、ハヌの場合だと違和感がないどころかやけに可愛らしく見えてしまう。ちなみに色が水色でデザインがどことなくお姫様っぽいのは、フリムのセレクションだからである。

「こんばんわ、小竜姫。お邪魔しているわよ」

「ぬ。おぬしか、ヴィリー」

 ヴィリーさんの姿を認めた途端、ハヌの声から暖かみが抜けた。じとり、としか形容できない目線で高い位置にあるヴィリーさんの顔を睨め付け、足を止める。

「何用じゃ? よもやおぬし、まだラトのことを諦めておらなんだか」

 蒼と金のヘテロクロミアに剣呑な光を宿して、ハヌは唇を尖らせる。

 うふ、とヴィリーさんが笑った。

「そうね。それもあるけれど、今日は別件よ」

「別件じゃと?」

 訝しむハヌに、ヴィリーさんは何だか妙に弾んだ声でこう答えた。

「ええ、今日はデートのお誘いに来たのだもの」

 ひい、と僕は声にならない悲鳴を呑み込んだ。

 そうだ、そうだった。僕が気を失ったのはこの『デート』という恐ろしい響きのためだったのだ。

 ――僕とヴィリーさんがデート!? あ、有り得ない……! 有り得ないにも程がある!

「……? でぇと……?」

 ヴィリーさんの台詞を聞いて怒り出すかと思いきや、そもそもハヌはデートの意味を知らなかったらしく、しかめっ面のまま腕を組んで首を傾げた。

 その隙を狙ってか、

「はい、ラグ君。これを受け取ってもらえるかしら?」

「え? あ、えっ!? ええっ!?」

 ひょい、と花束を差し出され、僕は反射的に両手で受け取ってしまった。

「あ……」

 とある国の風習で、花束を受け取る=デートの誘いを承諾する、というものがある。主にヴィリーさんのような貴族筋の人々に伝わる習慣なので、これはきっと、いや間違いなくそういう意味の花束のはずだ。と言っても、僕が知っている知識だと、原則的に男性から女性に花束を渡すはずなのだけど……

 にっこり、とヴィリーさんが女神様みたいな微笑を浮かべた。

「ありがとう、受け取ってくれて。それで、ラグ君の次のオフはいつなのかしら? あなたの都合に合わせて私も休みを入れるから、是非教えてちょうだい」

「え、あ、え、えっと――あ、明日が一応お休みで、」

「明日ね。ちょうどよかったわ。それじゃあ早速だけど合流場所と時間を決めましょうか」

 連続斬りのごとくヴィリーさんは凄まじい勢いで話を展開させていく。

 ダメだ、このままじゃ流されてしまう。明日は大切な約束があるのだ。

「あ、で、でも、明日はそのハヌと約束が――」

「小竜姫と? それはどんな約束なの? どうしてもはずせない用事?」

 どうにか激流に逆らい謝絶しようとしたら、またしても僕の言葉は斬り落とされ、連続突きのような質問が放たれた。

「……? 一体何の話をしておるのじゃ?」

 デートの意味を知らないハヌは話の要領が得られないらしく、まだ頭に疑問符の花を咲かせて首をひねっていた。

「あ、ハヌ、えっとね、デートっていうのは、簡単に言えば二人で遊びに出かけることで――」

「うなっ?! なんじゃとぉ!?」

 反応は劇的だった。説明した途端、ハヌは金目銀目を剥いて仰天し、大声で叫んだ。

「お、おぬし! 妾に断りもなくラトと二人だけで遊びにいくつもりか!?」

 びしっ、と右の人差し指でヴィリーさんの顔を指す。

「ええ、そうよ」

 花束を手放して身軽になったヴィリーさんは、すい、と僕の横を通り抜け、玄関に入った。そして、ハヌと目線の高さが合うように屈み込み、

「悪いわね、小竜姫。そういうことなの。断りもないってのが気に喰わないのなら断るわね。あなたさえよければ、是非とも明日のオフはラグ君をお借りしたいのだけど、いいかしら?」

 しれっと悪びれる様子もなく言い放った。

 当然、ハヌが激怒しないわけもなく。

「――ゆっ、許さぬ! 絶対に許さぬぞ! 明日は妾が! この妾がラトと一緒に遊びに行くのじゃ! 何人たりとも邪魔することは許さぬぞ!」

 だだだだっとヴィリーさんに向かって歩を進め、ハヌは猛然と食ってかかった。いつかどこかで見たように、二人は額がぶつかる寸前まで顔を近付け合って、至近距離で火花を散らす。

「あら、別にいいじゃない。あなたとラグ君はいつも一緒にいるのでしょう? たまの休みぐらい私に譲ってくれても構わないのではなくて?」

「ふざけるでない! 妾が先にラトと約束していたのじゃ! おぬしなんぞに譲る筋合いなどどこにもないわっ!」

 くわっ、と鬼神のごとくハヌが吼え猛る。対してヴィリーさんはくすくすと笑い、

「本当に仲良しなのね、あなた達。じゃあ、代わりにちょっと聞かせてもらえるかしら?」

 と言って、何故か目の前にいるハヌに向かって、ちょいちょい、と手招きをした。

「?」

 臨戦態勢のハヌはその手の動きに訝しげにしつつも、ヴィリーさんの意図を察してゆっくり左耳を差し出す。

 ヴィリーさんは、そのちっちゃくてちょっと赤い耳に唇を寄ると、何事かをささめいた。すると、

「――うにゃっ!?」

 ハヌが変な声をあげて、ビックーンと小柄な身体を飛び跳ねさせた。まるで電流を流された猫みたいな反応である。

「な、ななななな……!?」

 火が点いたみたいに、ぼっ、と音を立ててハヌの顔が真っ赤に染まる。蒼と金の瞳がバラバラに宙を泳ぎ、大きく開いた口があわあわわと激しくわなないた。

「にゃにほっ!? はにほいふてほふっ! おふひっ!」

 すごい。こんなにも動揺しているハヌを見たのは初めてだ。完全に呂律が回っていなくて、何を言っているのかさっぱりわからない。多分だけど『なにをっ!? なにをいうておるっ!? おぬしっ!』だろうか?

 ニヤニヤと笑うヴィリーさんが、悪戯っぽい流し目をハヌに向ける。

「あら、いいじゃない。必勝法を授けてあげたのは私なのだから、結果を聞かせてもらうぐらいの権利はあるでしょう?」

「にゃにゃにゃにゃいっ! な、ないっ! しょ、そ、そのようなけんりなじょないぞ! ひゅっ、ふ、ふざけるでないわぁっ!」

 何度も噛み噛みになりながら、ハヌはどうにかそれだけ言い返した。最後の『ふざけるでない』が、最初のそれよりも全然迫力がなかったので、虚勢を張っているのがバレバレだった。

 ――一体全体、何の話なんだろう? 耳打ちしたってことは、僕は聞いちゃいけない内容なんだろうか。

 ヴィリーさんは右掌を自らの頬に、左掌を右肘に当てて、困ったわね、とでも言う風なポーズをとる。

「あら、そう? じゃあ良いわよ、教えてくれなくとも。それなら明日はラグ君とどうぞ楽しんできなさい? 私は次のオフの日にデートの約束をして、その時、ラグ君から直接話を聞かせてもらうだけのことだから」

「のぉっ――!?」

 またしてもハヌの喉から得も言えぬ呻きが上がった。金目銀目を白黒させて――って言い方も変だけど――ビキン、と石像になったみたいに硬直する。

「え、僕……?」

 どうやら、ハヌがここまで狼狽することには僕が関係しているらしい。直接話を聞く、ってことは、僕も知っていることなのだろうか。

「にゃ、な、ならぬっ! ならぬぞ! 断じてならぬっ! そのようなことは絶対に許さぬっ! こ、この鬼畜め! 極悪人め! 人でなしめーっ!」

 さらに声を大きくして叫ぶハヌは、もはや涙目だ。身振り手振りも交えて、激しくヴィリーさんを非難している。

 こうなるとヴィリーさんの笑みが俄然、小悪魔めいたものに見えてくる。ちょっとフリムっぽいかも。

「あら、どうして? 流石のあなたにも、私とラグ君が話すのを止める権利なんてないでしょう?」

「ダメじゃダメじゃダメじゃあぁぁぁーっ!」

 ぶんぶんぶん、と頭を振ってヴィリーさんの言葉を拒絶するハヌ。駄々っ子みたい――というか、駄々っ子そのものだ。

「どうするつもりじゃ!? そんなことを聞いてどうするつもりなのじゃおぬしは!?」

 ものすごく必死な――いやもうほとんど泣きかけのハヌが、とうとうヴィリーさんの服の襟を掴んで訴える。

 流石に直接触れてくるとは思っていなかったのか、ヴィリーさんはちょっと驚いてやや笑みを引っ込めた。

「いいえ、別にどうもしないけれど……あ、じゃあ、こういうのはどうかしら?」

 何を思いついたのか再び微笑を浮かべ、ぴっ、と人差し指を立てたヴィリーさんは提案する。

「明日のラグ君のお休みを私にゆずってくれたら、この話は忘れてあげる。勿論、都合のいい時だけ蒸し返したりなんかしないわ。もう二度と話題にしないし、ラグ君にも根掘り葉掘り聞いたりもしない――どう?」

「ぐぬっ……!」

 泣訴していたハヌが動きを止め、苦しそうに呻いた。口をへの字にして、悔しげにヴィリーさんを睨みつける。刺すような色違いの視線を、その名も高き剣嬢は平然と受け止め、悪戯っぽくウィンクしてみせた。

「私は別にどちらでも構わないわよ、小竜姫?」

「ぐぬぬぬっ……!」

 小さな体をぶるぶると震わせて屈辱と憤怒に耐えるハヌ。流石に見かねて、

「あ、あの、ハヌ……?」

 と声をかけたところ、ふとこちらを見たハヌのヘテロクロミアと、ばっちり目があった。

 ぼふん、と再びハヌの顔が耳の先まで茹でタコみたいになったのはその時だ。

「――くっ……! 業腹じゃが、致し方あるまいっ……!」

「ええっ!?」

 ハヌは苦渋に満ちた顔を下方へ背け、ヴィリーさんの提案を受け入れてしまった。僕と目線を合わせた直後だったので、余計に吃驚してしまう。一体何が決め手になってしまったのだろうか。

「賢明な判断ね。じゃあ約束通り、この話はなかったことにしてあげるわ」

 嬉しそうに笑んだヴィリーさんが片手を上げ、ハヌの頭を撫でようとした。が、その手が照明を七色に反射する銀髪に触れる寸前、べしん、と小さな掌がそれを打ち払う。

「ふんっ! 気安く触れるでないわ、この不届き者め! ……お、憶えておれよ、いつの日か、いつの日かおぬしに目にものみせてくれるからな……!」

 ぐぎぎぎ、とハヌは歯を食いしばってヴィリーさんを睨みつけ、いつか必ず復讐するぞと宣言する。だけど、顔はのぼせたように真っ赤だし、くりんとした瞳は涙目だし、憎々しげな表情といい口上といい、こう言っては申し訳ないけれど――それは完全に負け犬の遠吠えだった。

「まったく……あなたも大概可愛いわね、小竜姫。今回はラグ君とだけれど、次はあなたともデートしてみたいわ。どうかしら?」

 結構したたかに手を撥ね退けられたにも関わらず、ヴィリーさんは笑みを消すどころか、そんなことを言ってのけた。

 ――って、今度はハヌとデート……?

「へっ?」

「戯れ言を抜かすでないっ! 誰がおぬしなん……ぞ……と……」

 僕の疑問符と、ハヌの激発した声がほぼ同時に上がったのだけど、しかし僕の親友の言葉は中途から徐々に失速し、ついには沈黙した。

 かと思ったら、しゅばっ、とハヌが素早くその場から飛び退き、ヴィリーさんと距離を取った。細っこい両腕でエプロンを纏っている自らの身体を抱くように身構え、ハヌは怯えた小動物みたいな目をヴィリーさんに向ける。

「……よ、よもや、おぬしもフリムの奴と同類ではなかろうな……?」

 わかりやすい誤解をハヌはした。けどまぁ、仕方のない話だとは思う。最近のハヌは、隙あらばフリムに抱きつかれては『あー小竜姫ってばやっぱり可愛い可愛い可愛い癒されるわー♪』攻撃を受け、げんなりとしているのだから。

「? フリム……? ああ、そういえば、あなた達のクラスタに入った新しいメンバーね? 話は聞いているわ。ロルトリンゼさん共々、是非ご挨拶したいと思っていたところよ。今いらっしゃるのかしら」

「あ、えっと、フリムは今レンタル工房へ出かけていて……」

「ロゼは夕餉の支度中じゃ。手が離せん」

 幸いにも、またぞろ面倒なことになりそうな人物がこの場にいなかったことに、僕はこっそり神様に感謝した。フリムのことだ、ヴィリーさんほどの美人を前にしたらどんな行動に出るかわかったものではない。

「あら、そう。残念ね。なら、挨拶はまた今度にさせてもらおうかしら。ところでラグ君?」

 すっくと立ち上がり、ヴィリーさんが僕に向き直った。輝くような金のポニーテールが蛇のように宙を躍る。彼女は腰に片手をあて、自信満々としか形容できないポーズで、

「聞いての通り小竜姫の了解は得たわ。花束も受け取ってくれたのだから返事はわかっているのだけど、私の勘違いだったらいけないし、念のため聞かせてくれる?」

「へ……?」

「明日のデート、OKかしら? 返事を聞かせてちょうだい」

 にこっ、と満面の笑みで問うてくるヴィリーさん。

「――~っ……!?」

 再び顔どころか全身が火照って息が詰まる。僕は花束を抱きかかえたまま、意味もなくわたわたと両手を動かして、

「え、えと、えとえとあのあの――と、というか、ど、どうして僕なんかと……!?」

 咄嗟にそもそもな質問が出た。自分で言っておいて、今更のように気付く。そうだ、そこが重要だ。何故ヴィリーさんが僕なんかをデートに誘うのか。

 ヴィリーさんの返答は簡潔だった。

「あら、そんなにおかしいことかしら? 大きな合同エクスプロールの前に、双方のリーダーが顔を合わせてしっかり打ち合わせをする……よくあることよ?」

 それをわざわざ『デート』と呼ぶ必要がどこにあるのだろうか。そうは思うけれど、口には出せない。

 僕が陸に上がった魚のごとく口をパクパクさせていると、不意にヴィリーさんが表情を曇らせた。やや目を伏せ、

「もしかして……迷惑だったかしら……?」

「――そっ、そんなことはありませんっ! 絶対にッ! 断じてッ!」

 即答した。せざるを得なかった。知らないうちに拳を握りこんでしまうほど全力で否定した。

「そう、それならよかったわ」

 途端、ヴィリーさんの顔がパッと輝いた。すると、さっきまで照明が消えていたのかと思うほど、この場が明るくなったように感じた。

「――――」

 僕は思う。嗚呼、この人はきっと存在そのものが煌びやかなのだ――と。夜、街灯に羽虫が群がるように、ヴィリーさんには人を引きつける【光】があって、人々はそれを求めて寄ってくる。そして、集まる群衆が作る影によって【光】はさらに飾り立てられ、存在感をいや増す。だからこそ、この人はこうして存在するだけでこんなにも眩しいのだ――

「じゃあ、明日はお付き合い願えるのかしら?」

「……はい……」

 得も言えぬ魔力に吸い込まれるように、僕は半ば無意識に頷いていた。

 ヴィリーさんの笑顔がさらに輝きを増す。

「ありがとう、ラグ君。それじゃあ、食事時にお邪魔してしまったようだから、私はこれで失礼するわね。場所と時間は後でメッセージするわ。じゃ、明日はよろしくね」

 それから背後のハヌを肩越しに振り返り、深紅の一瞥をくれる。

「安心しなさい。約束は守るわよ、小竜姫。これであの話はチャラね」

「当然じゃ。少しでも約束を違えてみよ、その時は……」

「わかっているわ。これは私とあなたの間だけの、ひ・み・つ、ね」

 むすっとした表情で眼光と唇を尖らせるハヌに、ヴィリーさんは左の人差し指を唇に当てて、内緒話の仕種をする。次いで片目を瞑って見せたところが、とても〝剣嬢〟などと硬い二つ名で呼ばれているとは思えないほど、茶目っ気に溢れていた。

「それじゃ二人とも、おやすみなさい」

 そう言い残すと、ヴィリーさんは僕の横を通り抜け、サラリと立ち去っていった。

 律動的な歩調で金色のポニーテールを揺らす後ろ姿を見送ると、僕はしばし【ぽかん】としてしまう。

 ――一体、何だったのだろうか。

 突然やって来たかと思えば、僕なんかをデートに誘い、話が終わればすんなりと帰ってしまった。

 まるで突風みたいな人だった。

「ふん、女狐め。まったく小賢しい真似をしおって……」

 塩でも持っていたらそこら中に撒き散らしただろうか。両手を腰に当てて薄い胸を張ったハヌが、ぶつぶつと恨み言を呟き、唇をつんと突き出した。

 ヴィリーさんがいなくなったので、ああそうだ、と僕はさっきから気になっていたことを聞いてみた。

「あの、ところでハヌ? さっきヴィリーさんとしていた話って――」

「――ぬにゃあっ!?」

 ビックーン! とさっきと同じ反応が起こった。すぐ背後から大声で驚かされたみたいな動きでハヌが僕に振り返り、真っ向から目が合った。

 ものすごく恥ずかしいところを見られてしまった――そんな表情だった。

 そういえば、最近どこかでこれと同じような顔を見たな――と思ったら、それは例の仮想空間で僕が勘違いでシャワールームへ突入した際のアシュリーさんだった。

 イメージが重なる。頬を紅く染め、目どころか瞳孔までも大きく見開き、口が『わ』の形になって、唇をプルプルとわななかせ、鋭く息を呑む女の子の姿。

 嵐の夜の小鹿みたいに体を震わせるハヌが、じわっと両目に涙を溜めて、

「よ……!」

「よ……?」

 と、ようやく絞り出したその一言が、堤防を一気に決壊させた。

「――よりにもよっておぬしがそれを聞くでないわぁぁぁぁっ!! ラトのばかものおぉぉぉぉ――――――――ッッ!!」

「いいっ――!?」

 凄まじい大音声が僕の耳を劈くと、ハヌは竜巻みたいな勢いで踵を返し、ずだだだだとエプロン姿のまま自分の部屋へと走り去ってしまった。

「――え、あ、あれ!? ちょっ、えっ、ハヌっ!?」

 思わず手を伸ばした僕の視線の先で、フォン、とスライドドアが勢いよく閉められる。慌てて駆け寄ったところ、パネルに手が届く寸前で内側からロックをかける音が鳴ってしまった。

「ちょちょちょ、ハ、ハヌ!? い、いきなりどうしたのハヌ!? え、あ、ご、ごめんね!? き、聞いちゃいけなかったんだよね!? あの、えっと、ごめん! ぼ、僕が悪かったから、あ、謝るから! で、出てきてよ! ねぇ! ハヌ!?」

 軽くドアを叩きながら呼びかけるけど、返事は全くない。

 完全な籠城状態であった。

 結局。

 それからどれだけ謝っても、ハヌはうんともすんとも言ってくれず、部屋に籠ったまま出て来てはくれなかったのだった。




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