リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●28 突然サプライズ~エピローグ~



 振り返ってみれば当たり前の話だった。

 支援術式の重ね掛けをはじめ、運動量や肉体への負担、敵から喰らったダメージなどを総合して考えれば、限界なんてとっくに超えていたのだ。

 ただ、ちょっとした神様のきまぐれで奇跡的なバランスが保たれていて、本当なら壊れて動かないはずの機械がかろうじて動いていた――そんな感じだったに違いない。

 回復術式で表向きの傷や怪我などは治っていたけれど、体内の深部に致命的な損傷を負っていた僕は、気の緩みからかついにその神がかり的なバランスが崩れ、ぶっ倒れてしまった。

 担ぎ込まれた病院のお医者さん曰く、「天国の扉が開く瞬間ぐらいは見えたでしょ?」とのことで、どうやらかなり不味い状態だったらしい。

 僕の昏睡は約二日ほど続いたそうだ。そうだ、と伝聞形なのは、目が覚めてからハヌにそう教えてもらったからである。

 僕自身の感覚としては『気が付いたら意識を失っていて、目が覚めたら体の調子が良くなっていた』ぐらいだったので、後になってから事の深刻さに驚いたほどである。

 だから、これから語る話は、僕が見た夢かもしれない。

 でも、確かに聞いたのだ。この耳で。

 次のような会話を。



 扉の開く音。

「失礼します」

「あ……いらっしゃい、ロゼさん。来てくれてありがと」

「いいえ、これはクラスタの仲間として当然のことですから」

 おそらく部屋に入ってきたであろうロゼさんと、それを迎えるフリムの声。声の発生源が少し遠のき、ビニールのこすれるような音や、硬いものをテーブルに置いたときみたいな音が続く。多分、ロゼさんが花を買ってきて、それを花瓶に移し変えているのだろう。

「ラグさんの容態はいかがでしょうか?」

「……まだ目、覚まさないの……お医者さんは必要な治療術式は施したって言ってたんだけど……」

 ロゼさんの問いに、思いがけず沈んだフリムの声が答える。

 続いて、衣擦れと椅子が軋む音が二つ。ベッドの横にある椅子に二人が腰掛けたのだろう。

 この時の僕は、意識が半覚醒で体が動かず、それ故に目も開けられず、ただ聴覚が動いているだけという状態だった。思考能力もほとんどなく、外界から与えられる音という刺激をひたすら受け取っていただけのように思える。

「……小竜姫は?」

「そこにいるわよ。ハルトの隣。添い寝状態」

「ああ、あの膨らみですか」

「ハルトの手をずっと握ってて、何言っても離さないし……結局そのまま寝ちゃって。何度揺すっても起きないから、ついでにベッドに入れたの。体もちっちゃいし。あれなら風邪もひかないでしょ?」

 今になって思い返してみれば、なんとなくだけど、声が聞こえてくる方角とは反対方向――左半身が妙に暖かった気がする。あれはハヌの体温だったのだろうか?

「かなり動揺していましたから、小竜姫は。ラグさんがこうなったのは二度目……とも言ってました」

「そうみたいね。だから『妾は絶対にラトから離れぬ』って喚いちゃって。落ち着くまでちょっと大変だったわよ……」

「お疲れ様です。……しかし、それはお姉様も同じなのでは?」

「え?」

「目の下にクマが」

「あ……」

「一度休まれた方がよいかと。よければ、その間は私がラグさんについておりますが……」

「……うん……ありがとね、ロゼさん……」

 肯定も否定もしないフリムの言葉を最後に、沈黙が訪れる。

 この時の僕の時間感覚なんて当てにならないだろうけど――しばらく経ってから、不意に、ぐすっ、と鼻をすする音が聞こえてきた。それは、ぐすぐす、と連続して、音の発生源が泣き出す寸前なのを教えていた。

「……アタシね……ほんとは、知ってたの……」

 涙に濡れたフリムの声。何となく想像できてしまう。椅子に座って、長いツインテールをしょんぼりさせて、項垂れている彼女の姿が。

「……知っていた、とは……?」

 突然の告白に、けれど困惑の色を隠してロゼさんが問い返す。

 フリムは泣きながら、何の事情も知らないロゼさんに説明を始めた。

「この子が……ハルトがね、エクスプローラーとして活躍して、勇者ベオウルフとか、怪物って呼ばれてたこと……アタシ、ちゃんと知ってて、だからこの街に来たの……」

「…………」

 フリムの話を、ロゼさんはじっと聞いているようだった。

「あの時、アナタに言われたでしょ……? ハルトを『愚弟』って呼ばないで、って……うん……わかってたの……ちゃんとわかってた……この子が、いっぱい頑張ってたことは……むしろ、知らないわけないじゃない……アタシのたった一人しかいない、弟なんだから……」

 泣きながら半笑いをするという、器用なことをフリムはした。

「でもね、アタシ嘘ついちゃった……ハルトの前じゃ、全然何も知らない振りしちゃって……だって、だってね? 腹が立つじゃない? この子が出て行ってから、ずっと……ずっとずっと心配してたのに……いつまで経ってもアタシのこと、ブロックリストから外さないんだもの……なのに、いざ顔を合わせたら、『忘れてた』って……なによそれ、って……」

 ここで大きく鼻をすすり、はー、と息を吐く。

 こぼれる涙をどうにか止めようしているのが、何となくわかった。

「ブロックされたってことはね、されたその日にわかっていたの……でも、敢えて何もしなかったわ……だって、あの泣き虫ハルトが一大決心して、出て行ったんだもの……アタシや師匠をブロックリストに入れたのだって、自分の甘えを絶つためだってことぐらい、すぐにわかったもの……」

 喉が痛かったのだろう。ここでフリムは軽く噎せ、何度か咳をした。

「……でもね、ネットでゲートキーパーと戦ってるところとか……この間の事件でボロボロになっているところとか見たら、アタシ、もういてもたってもいらんなくなって……!」

 感情が高ぶってきたのか、再び声の芯が小刻みに揺れる。

「ずっと我慢してたんだけど……ほっといたらまた無茶するんじゃないかって、心配になっちゃって……気が付いたら師匠の所に行って、武器の修理名目で行かせてもらうようお願いしてて……でも……でもっ……!」

「お姉様……」

 一言一言話すごとに、フリムの涙声の揺れ幅が広がっていく。見ていられなくなったのか、ロゼさんが気遣わしげな声をかけた。

 やがて嗚咽を吐き出し始めたフリムは、けれど言葉を止めず、

「……結局、アタシがついていても、ハルトの無茶は止められなくて……! むしろ、アタシを助けるためにこの子が傷付いて、ボロボロになっちゃって……!」

 ひうっ、と喉がしゃくりあがり、フリムが息を呑む。

 そこから、堤防が決壊したかのごとく、フリムの感情が一気に溢れ出た。

「――アタシの……せいだ……っ……!」

 全身の神経が痛むのを堪えるような、そんな絞り出すような声だった。

「アタシのこと庇ったから……アタシが、危ないことしたから……! ううん……それ以前にアタシが、ハルトをちゃんと守れていたらっ……! そもそも、あのバカ達と喧嘩なんてしていなかったら……! もしかしたらっ……もしかしたら、こんなことにならなかったかもしれないのにっ……! あんな変なところに行って、この子が傷だらけになることも、なかったかもしれないのに……! アタシが……アタシが……っ!」

 懺悔の言葉が、嗚咽とともに幾度も吐き出される。

「ぜんぶっ……アタシの、アタシのせいでっ……!」

 今にも過呼吸になってしまいそうなほど息を乱し、フリムは呻く。何度もしゃっくりを繰り返し、

「……どうしよう、ロゼさん……! もし……もしハルトが、このまま目を覚まさなかったら……アタシ、どうしよう……!」

 親とはぐれた子供みたいに、むせび泣く。こんなにも心細そうなフリムの声なんて、初めて聞いた。彼女が僕のためにこんなに泣くだなんて、夢にも思わなかった。

「ごめんっ……なさいっ……! ごめんなさいっ……ごめんなさい……ごめん、なさい……っ……!」

 ついには両手で顔を覆ってしまったのだろう。べちゃべちゃだった声がくぐもり、発生する位置がやや下方へと移動していく。

 誰に対して、何に対してなのかわからない謝罪を繰り返すフリムを、隣のロゼさんが抱き寄せたようだった。椅子の軋みや、衣擦れの音でそう察せられた。

「大丈夫です、お姉様」

 いつも淡泊なロゼさんの声が、この時ばかりはひどく優しげな響きをしていたと、僕には思われた。

「ラグさんはきっと目覚めます。この方は、とても強い人です。あなたや、私達を置いて先に逝くことは有り得ません。ですから、絶対に大丈夫です」

 静かに、けれどはっきりと断言するロゼさんに、不思議とフリムの泣き声がほんの少しだけ収まった。

「……なん、で……? どうして……そんな風に、言い切れる、の……?」

 まるで未来でも見てきたかのように語るロゼさんに、フリムは首を傾げているようだった。

 ロゼさんはその質問に答える。

「私の時も、ラグさんは約束を守ってくれましたから。『また後で』……この方は、そう言ってシグロスとの戦いに赴きました。そしてその言葉通り、本当に戻ってきてくれました。ですから、私は信じています。今回も、ラグさんはきっと戻って来ると」

 この時、ロゼさんはどんな表情をしてそう言い切ったのだろうか。目が開かない僕には、確認しようもなかった。

「ですから、大丈夫です。どうか安心してください」

「…………」

 フリムが呆然としているような間。

 驚いているのか、呆れているのか。

 だけどやがて、くす、と小さく笑う気配が生まれた。

「そうね、それなら安心ね……きっと大丈夫だわ……ふふ……」

 根拠にならない根拠で断言するロゼさんの不可思議な自信にあてられたのか、フリムの笑い声がちょっと大きくなる。落ち着いた美人が無表情で荒唐無稽なことを言うのが、可笑しかったのかもしれない。

 ひとしきり笑いの衝動を堪えたフリムは、ふぅ、と息を吐き、

「……ロゼさん、アナタって本当にいい人ね……アタシ惚れちゃいそうよ」

 まだ涙声ではあったけれど、少しだけ軽くなった口調でそう言った。

「お姉様こそ。あなたのような素敵な姉弟分がいて、ラグさんが少し羨ましく思えます。私にも腹違いの兄がいましたが、お二人のような関係は築けませんでしたので……」

「あら、そうなの? ……よかったら、ロゼさんもアタシの妹になる?」

 場を和ませようと発せられた軽口に、ロゼさんは真面目くさった声で答えた。

「いいえ、それは遠慮しておきます。私は、ラグさんの愛人になる予定ですので。妹分と弟分が愛人関係になってしまっては、お姉様も色々と具合が悪いこともあるでしょう」

「……………………えっ?」



 少し落ち着きを取り戻したフリムの軽口に、ロゼさんがとんでもない爆弾を放り投げたあたりで僕の記憶は途切れている。

 一連の会話が本当にあったことなのか、それとも、僕が混濁した意識の中で見た夢幻なのか。それを確認する術はない。

 現実のことだったとしても、面と向かって問い質すことは出来ないだろう。

 今だからこそ僕は無事に目を覚まし、事なきを得ているわけだけど、当時は本当に峠を越えられるかどうかわからなかったらしい。

 そんな極限状況で漏れ出た、フリムの本音。

 それを、耳をそばだてて盗み聞きしていたと、どうして言えようか。

 それに、もしあの音声が全て僕の見た夢でしかなく、ただの捏造された記憶だったとしたら、それはそれでとても恥ずかしい。

 故に、誰に聞きようもなく、確かめようもない。

 だけど、ただ一つだけ、わかっていることがある。

 この記憶が本当か嘘かなんて、そんなことは関係ない。

 どっちであろうと、同じことだ。

 僕はいつか必ず、それもごく近いうちに、ブロックリストに入れたまま忘れていたことを、誠心誠意をもって謝らなくてはならない。

 僕はまだ、フリムにちゃんと謝罪していないのだから。

 考えてみれば当たり前の話で、フリムの性格からして一年間も音沙汰ないはずがなかったのだ。僕にブロックされていたことなんて、とっくに気付いていたに違いないのだ。

 だけど彼女は、この街に来るまでブロックされていたことには気付かなかった、と言った。

 そんなの嘘だ。

 あれが夢だったのだとしたら、きっと僕の無意識がそのことに気付かせるために見せたものだったのだろう。

 だから、いつかどこかで、出来るだけ早めに、僕はフリムに謝らなくてはいけない。そして、お礼を言わなければならない。

 心配かけて、ごめんなさい。

 いつもありがとう、【お姉ちゃん】――と。





 ようやく目が覚めた後も、僕は引き続き三日も入院することになった。

 今回、僕が受けた傷はヘラクレス戦の時よりも深刻だったらしく、二度目と言うこともあって、念入りに検査した方がよいとお医者さんに言われたのだ。

 僕の意識が戻ってからは、それまで片時もベッド脇から離れなかったハヌもマンションに帰るようになったし、ロゼさんと一緒に、一日一回はお見舞いに来てくれるようになった。

 フリムはというと、

「じゃ、今のうちにアンタの武器新調しておくわね! 材料はたっぷり揃ったわけだし!」

 そう宣言してからは、中央区のレンタル工房へ籠もりきりになって、お見舞いにも来なくなってしまった。一応「何かあったらすぐ連絡するのよ! 絶対よ! ロゼさんにもお願いしてるから、嘘ついたらすぐわかるんだからね!」と言い残してはいったけれど。

 そう、お見舞いと言えば、ヴィリーさんやカレルさん、アシュリーさんとゼルダさんも別々で来てくれたのだ。

 すでに今回の顛末は伝わっているらしく、ヴィリーさんとカレルさんは揃って頭を下げて謝罪してくれた。

 事の発端にアシュリーさんとゼルダさんの行動が絡んでいたこと――つまり、あの二人が隠れて僕を監視していたことの無礼。そんな勝手な行動を許してしまった自らの管理不行き届きや、団員が僕に対して妙な先入観を持つようになってしまった流れに対しても。

 病室に入ってきたヴィリーさんはベッド脇に立つと、輝くような金髪をさらりと流して、深く頭を垂れた。

「ごめんなさい、ラグ君。うちの子達が迷惑をかけてしまったわね。本当に申し訳ないわ。この通りよ」

「あ、い、いえ――そ、そんな! あ、頭を上げてくださいヴィリーさん!」

「いいえ、これはけじめよ。それに……一緒に、お礼も言わせてちょうだい」

「え……?」

「私の可愛い団員を救ってくれて、本当にありがとう。あの子達が生きているのは、全てあなたのおかげよ。心から、感謝しているわ」

 優しく微笑むその美貌に、危うく魂を持って行かれそうになった。それほど、ヴィリーさんの顔は魅力的だった。冗談抜きで、十セカドほど見とれていたかもしれない。

 カレルさんも同じく謝罪とお礼の言葉を口にした後、思いがけない情報を提供してくれた。

「ラグ君、あの黒い空間――第一一一層なのだが、どうやら他の階層と同じくエクスプロールが可能なようだ。ただ……」

 戦いの後、怪我人を街へ送り出してからもカレルさんは無事なメンバーを引き連れて、例の〝開かずの階層〟を探索したらしい。そこで何かを見つけたのかと思いきや、徐々に声のトーンを落とし、言葉尻を濁す。

「た、ただ……?」

 僕がオウム返しにすると、カレルさんはくすんだ金髪を揺らして頷いた。

「ただ、通路はともかく、各部屋には鍵がかかっていてな。どうも個人認証らしく、我々ではどうにも出来なかった。おそらくだが、あの階層のゲートキーパーを倒した君になら、あの鍵を開くことが出来るかもしれない。体が快復した暁には、是非とも試してみて欲しい」

 話を聞くだに、中にはアーティファクトないしルームガーディアンがいると思しき扉には認証ロックがかけられていて、誰が試しても『違う。あなたではない』という旨のメッセージがAR表示されてしまったらしい。

 きっと何かしらの暗号コードが必要なのだろう――というのがカレルさんの予想だった。

 多分、アシュリーさんから色々と話を聞いた上での結論なのだろう。翡翠の瞳には、自分の仮説が正しいと思って疑わない光があった。

「お詫びと言っては何だが、もし戦力が足りないようであれば、我々も手を貸そう。無論、手に入ったものは全てそちらに渡すという条件で。今回は我々の大切な仲間を助けてもらい、本当に感謝している。ありがとう、ラグ君……いや、勇者ベオウルフ」

 これに横槍を入れたのはヴィリーさんだ。

「そうよ、カレルレン。それだけじゃ全然足りないわ。ラグ君、今回のお詫びについてはまた別の形でもさせてもらうわね。退院したら、私までネイバーメッセージを送ってくれるかしら?」

「は、はいっ、わ、わかりましたっ」

 何度会っても緊張のあまり背筋を伸ばしてしまう僕に、うふ、とヴィリーさんが笑う。

「ありがとう。楽しみにしていてちょうだい」

 そう言い残して、二人は帰って行った。

 その後、入れ替わる形でやって来たのはアシュリーさんとゼルダさんである。

「失礼します。お加減はどうですか、ベオウルフ?」

「お邪魔するです! 自分はゼルダ・アッサンドリなので、よろしくであります!」

「ゼルダ、声が大きすぎます」

 入ってきて早々、赤金色の髪をきっちりシニヨンに結ったアシュリーさんが、元気よく自己紹介しながら入室してきたゼルダさんを窘めた。まるで漫才である。

 事前に、上司であるヴィリーさん、カレルさんの二人からこってり絞られていたのだろう。彼女達もまた謝罪から入り、お礼を言ってくれた。僕としてはアシュリーさんがいたからこそ助かった点も多々あるので、恐縮しっぱなしだったけれど。

 それから、気絶していた僕が知り得なかった情報を教えてくれる。

「そういえば、ニエベス達四人組ですが、彼らにはこの病院のことは伝えてありません。何をするかわかったものではありませんから」

 ニエベスも、廃トレーニングジムに残してきた三人も無事に救出され、今では全員が元気になっているらしい。なにやら僕がハヌの前で血を噴いて倒れたとき、他の人達は彼らを捜し回っていたのだそうだ。広大な廃墟の街から、無味乾燥なルナティック・バベルの中に戻ったせいで、どこにいるのかわからなくなってしまったのである。

 またぞろ悪さをするかもしれないから――という理由で彼らには僕が入院している場所は教えていない、とアシュリーさんは語った。

 けれど次に、彼女は意外なことを僕に伝えてくれた。

「……しかしながら、ニエベスが改めてあなたへの面会を希望しています。殊勝なことに、これまでのことをきっちり謝りたい――と。当然、嘘である可能性はありますが」

「へ……?」

 あまりにも意外すぎて、僕は多少面食らってしまった。あまりにも鮮やかな変わり身の早さに、どう判断すればよいものかわからず、返事を保留してしまう。すると、アシュリーさんはこう続けた。

「こうしましょう、ベオウルフ。退院して、その気になったのなら私に言ってください。私が仲介して、彼と引き合わせましょう。ですが顔も見たくもないのであれば、そのまま放置しておいて構いません。彼にはそのように伝えます。もっとも、また遺跡内であなたを尾行する可能性もありますので、背後には気をつけなければなりませんが」

 そこでいったん言葉を切ると、んん、とアシュリーさんは咳払いをした。

「……しかしながら、迅速に連絡をとる為にはお互いネイバーになる必要があります。それでもし……もしお嫌でなければの話ですが――いえ勿論あなたには拒否する権利がありますし、謝罪したとはいえ失礼千万な振る舞いをした私です、殊更に許しを請うつもりはありませんが、もしあなたが寛容な心でもって「ベオさん、アシュリーはベオさんとネイバーになりたいと言ってるでありますよー」してくれりぅッッ!? ゼ、ゼリュダあなた何をッッ!?」

 なにやら長々と言い訳がましいことを並べ立てていた口上を遮り、ゼルダさんがストレートすぎる翻訳をしてくれた途端、アシュリーさんの顔がすごい勢いで真っ赤になって声もひっくり返った。動揺するあまり、呂律も怪しくなっている。

 はーやれやれといった風にゼルダさんが肩を竦め、縁側でくつろぐ猫みたいな顔をした。

「もー、アシュリーってばマジ遠回りしすぎでありますよー。ささっと最短距離でいいじゃないですかーと自分は思うんでありますがー。ベオさんだってもう怒ってないと思うですしー」

「お、おおお黙りなさいッ! 物事には順序と段取りというものあるのですッ! それをよくも台無しにっ……!」

 焦りか怒りのあまりか、アシュリーさんは目尻に涙を浮かべながら歯噛みする。僕が呆気にとられて二人のやりとりを見ていると、はたと我を取り戻したアシュリーさんが、頬を紅潮させたまま再び、んん、と咳払いをした。

「……失礼しました。つまり、その……そういうことです。ベオウルフ。わかりましたね?」

「えっ?」

 いきなり同意を求められて、僕はキョトンとしてしまった。すると、ずい、と切羽詰まった瑠璃色の瞳が近付いてきて、

「わ・か・り・ま・し・た・ね!?」

「は、はいっ!?」

「声が大きいでありますよー、アシュリー」

「誰のせいだと……!」

 結局、僕はえらく強引に押し切られる形でアシュリーさんと、ついでにゼルダさんともネイバーになった。

 つつがなくネイバー情報の交換が終わり、流石に落ち着きを取り戻したアシュリーさんが改まって話を始める。

「ベオウルフ、ヴィクトリア団長やカレルレン副団長から聞いているとは思いますが、私達『NPK』はクラスタとして、正式にあなたがた『BVJ』にお礼とお詫びをするつもりです。ですが、私とあなたとの間にあったことはあくまで個人的なものです。組織に関係なく、私は私としてあなたにお礼とお詫びをするつもりですので、それをお忘れなく」

「え、で、でも、僕は別に……」

 流石にそこまでしてもらうのは申し訳ない。ヴィリーさんやカレルさんからも約束してもらっているし、何事も貰いすぎはよくないだろう。そう思って謝絶しようとした僕を、アシュリーさんの掌が待ったをかけた。

「勘違いしてもらっては困ります。自らの不明に責任をとらねば、私はレオンカバルロの家名に泥を塗ることになります。これはあなたがどう思うかではなく、私の矜持の問題なのです。つまり、要するに……あ、あなたのためではないことを理解してください。誤解してはいけません」

「あの、アシュリー……? お礼とお詫びをするという話なのに、その論法はどうかと思うのですよ……?」

「え?」

 流石にゼルダさんが呆れた感じで突っ込みをいれると、アシュリーさんは目を瞬かせて『あれ? どこで間違えた?』みたいな顔をした。

 またもや綺麗な顔が紅潮して、声のトーンが乱れに乱れる。

「と、とにかくそういうことですからっ! 詳細が決まった折には連絡しますのでそのつもりで! それではこれにて失礼いたします! 行きますよゼルダ!」

 しゅばばばと必要最低限なことを告げると、アシュリーさんはものすごい勢いで頭を下げて病室から飛び出して行った。

「ああっアシュリー待って下さいですよぅ!」

 その背中をゼルダさんが咄嗟に追いかけようとして、でも直前で踏みとどまり、彼女はビシッと鋭い動作で右拳で胸を叩く形式の敬礼をした。

「それではベオさん、ここらで失礼いたしますです! 良かったら自分とも今度、楽しくお話しをさせてくださいでありますね! でわでわっ! ――ちょっと待って下さいですよぉもうアシュリーっ!」

 にかっ、と犬みたいに人懐っこい笑顔できっちり挨拶してから、ぴゅう、と風みたいにゼルダさんも廊下へ駆け出して行った。

 ちょっとしてから、遠くから看護士さんの「お静かに! 廊下は走らない!」という怒鳴り声が聞こえてきて、僕は思わず苦笑いをする。

 僕ほどではないにせよ、アシュリーさんもやっぱり難儀な性格をしているなぁと思う。

 あのフリムをして『ほんとアシュリーって〝ツンデレ〟よねぇ』と言わしめるのだから、筋金入りだ。

 勿論、ああいうところが彼女の魅力でもあるとは思うのだけれど。





 三日後。

 入院の日々は検査に次ぐ検査で、あっという間に過ぎていった。

 光陰矢のごとし。

 早いもので、今日は待ちに待った退院日である。

 荷物をまとめてロビーに出ると、ハヌとロゼさんが迎えに来てくれていた。

「待っておったぞ、ラト。無事に退院できて何よりじゃの」

「ご退院おめでとうございます、ラグさん」

 ハヌは蒼と金の瞳をキラキラさせて。ロゼさんはいつもの無表情ながら、どことなく微笑の雰囲気を伴って。

 三日前、僕が目覚めた時、一番最初に目にしたのは憔悴しきったハヌの顔だった。元凶である僕が言うのも何だが、あの時のハヌは本当にひどい顔をしていた。泣きすぎて真っ赤に腫れ上がった目に、ろくに寝ていなかったのかすごいクマが出来ていた。後で聞いた話によると、昏睡している僕の手を握ったまま片時も離れず、ほとんど飲まず食わずで、泣き疲れて眠っている時以外はずっと涙を流していたそうだ。

 当然、僕の目が開いたことに最初に気付いたのはハヌで、僕の意識が回復したと知った彼女はメチャクチャ喜んで、メチャクチャ泣いて、メチャクチャ怒った。

 僕の首にぎゅうぅぅぅと抱き付き、何度も「ゆるさぬぅ! ゆるさぬぞっ! このつぎはもうぜったいゆるさぬからなぁ!」と怒鳴りながら大泣きしていたのを、ついさっきのことのように憶えている。

 綺麗なはずの銀髪がボサボサで、柔らかいはずの肌がカサカサになっていた。僕の意識不明がハヌにどれだけストレスを与えてしまったのかを、その姿が如実に物語っていた。

 それが今や、ツヤツヤのテカテカである。安心して熟睡できただろうし、ちゃんと食事もとってお風呂にも入ったのだろう。僕の目の前にいるハヌは、いつもの可愛くて元気な女の子だった。

「しかしラトよ、本当に今からエクスプロールに行ってよいのか? 体調は問題ないのじゃろうな?」

「うん、大丈夫だよ、ハヌ。むしろ体が鈍っているぐらいで、早く動かしたいぐらいなんだ」

 じっ、とヘテロクロミアから心配そうな波動を放射するハヌに、僕は力こぶを見せるポーズで嘯いてみた。二日間も寝たきりで、目が覚めた後の三日間は毎日怒濤の検査だったのだ。自分で言うのも何だけど、若い肉体が躍動を求めてウズウズしていた。

「ですがラグさん、くれぐれも無茶は禁物ですよ」

「は、はいっ!」

 抑揚の薄いロゼさんの声に注意されて、僕は自然、ピン、と背筋を伸ばしてしまった。

 というのも――これは昨日のことなのだけど――実はロゼさんにも今回の件について叱られてしまったのだ。



 その日は何故か、昼前に一度ハヌと一緒にお見舞いに来てくれたロゼさんが、夕方になってから再び姿を現した。

 病室に入ってきたロゼさんは挨拶もそこそこに、いきなりの登場に小首を傾げている僕へツカツカと歩み寄ってきた。かと思うと、突然こちらの頬を両手で挟み、顔を寄せてきたのである。

「!? ロ、ロゼさ……!?」

 出し抜けに精巧な人形のようにも思える美貌がキス寸前の距離まで近付いてきて、僕の心臓がタップダンスを踊る。何ともいえない芳香が鼻腔をくすぐった。

「……実を言いますと、言うべきか言わざるべきか迷っていたのですが、やはり私の信条として、これだけは言わせていただきます」

 息が掛かるほどの近距離からそう前置きして、ロゼさんは琥珀色の瞳に強い光を宿らせた。

「もうあのような無茶はおやめください」

「……!」

 声は静かだったけれど、その眼力の激しさに僕は思わず息を呑んだ。

 目は口ほどにものを言う――とは言うけれど、ロゼさんの瞳はまさにそれを体現していた。

 眼前にあるトパーズにも似た彼女の双眸から、秘められた感情が流れ込んでくるようだった。

 悲しみと――苛立ちだろうか。僕に対するそれらが、ヒシヒシと伝わってくる。また、僕の両頬を包む掌もじんわりと暖かくて、けれど小刻みに震えていた。

「小竜姫の手前、敢えて何も言わずにきましたが……私とて、倒れたあなたの姿を見た時は、この胸が張り裂けそうでした……呼吸が止まり、全身の血が冷水になったかと思いました……」

 どこまでも平坦に聞こえる口調だったけれど、ほんの僅かな抑揚が、ロゼさんの内なる激情を表していた。

「詳しい事情はお姉様……フリムさんから聞いています。あの時、あの場合なら、確かにあなた以外に状況を打破できる人間はいなかったでしょう。ですが」

 声の芯が、ほんの僅かに震えた。涙の匂いがする、と思った時にはロゼさんがさっと動き、気付けば僕は頭を抱きかかえられていた。

「え、あ……!」

 目の前が真っ暗になったかと思うと、顔全体が何か暖かくて柔らかいものに包まれ、さらに奥へと埋まっていく。

 ――こ、これってもしかして……!?

 ロゼさんの香りが強くなる。額や頬に押し当てられる柔らかいながらも弾力のある感触に、かぁっ、と全身が熱くなった。

「ラグさん。あなたの命は、もうあなた一人のものではありません。むやみやたらと、己の身を投げ出すような真似はしないでください。こんなことを続けていては、それこそ命がいくつあっても足りません」

 抱きしめる力に、僕は色んな意味で抗えない。言ってはなんだが筋力的には普通にかなわないし、そんな単純な物理的な理由以外においても抵抗するわけにいかなかった。

 ただ出来たのは、口で答えることだけ。

「で、でも……その……」

 くぐもった声でどうにか弁解しようと思った僕に、ロゼさんはすかさずカウンターを繰り出した。

「私の命はあなたのものです。あの時、あなたに救われていなければ今の私はありません。ですから、あなたが死ぬとき、それは私の死ぬときです」

「――!?」

 予想外すぎる言葉に度肝を抜かれ、僕は硬直した。ビクッ、と腕の中で跳ねた僕を、ロゼさんはさらにきつく抱きしめる。

「もしあなたが死んでしまったときは、私もすぐに後を追いましょう。必ずです。絶対です。例外はありません」

 はっきりと断言するロゼさんに、僕の体温は一気に急低下した。それこそさっきロゼさんが例えたように、血管に氷水を注ぎ込まれたかのごとく。

 僕は、どうか馬鹿なことは考えないで欲しい、と言おうと思って、だけど舌が震えて上手く喋れなくて、

「――そ、そんな、ロゼさん、そんなことっ……!」

 僕が全て言い切る前に、ロゼさんはかぶりを振ったようだった。僕の体に振動が伝わる。

「いいえ聞けません。こればかりはいくらラグさんの仰ることでも聞き入れられません。いざその時が来たなら、私は迷いません。あなたに拾われた命です。あなたに捧げずしてどうしろというのですか」

「で、でも――!」

 なおも反駁しようとした僕の頭を離し、ロゼさんは再び僕の頬に両手を添えた。少し高い位置から頑固そうな琥珀色の目が、まるで目線を射込むように合わせてくる。

 今にも泣き出しそうな潤んだ瞳が――

「ですから、これだけは言っておきます。無礼な言い方になりますが、今だけはお許し下さい」

 そう宣言してロゼさんは束の間、目を伏せた。

 次に瞼を開いた時には、眦を決し、決然とした眼差しがそこにはあった。



「あなたが死ねば私も死にます。次に捨て身になる時は、どうか【私を殺すつもり】でおやりなさい。――いいですね?」



 それは疑問形をしていながら、しかしまったく質問になっていなかった。あくまで確認であり、問いではなかったのだ。

 鋭い眼光には、絶対にノーとは言わせぬ迫力が込められており、僕のとれる選択肢なんて一つしかなかった。

「……は――はい……」

 真剣。

 その一言しかないロゼさんに圧倒されて、僕は素直に頷いてしまった。

 正直、心配をさせてしまって申し訳ないとか、まさかそこまで重く考えられていたなんてとか、ロゼさんの想いの深さに感動したとか――そういった気持ちよりも遥かに、僕はただ純粋に驚いてビビっていたのだと思う。

 メチャクチャ怒られている気がしたし、多分、今になって思えばまさにそうだったのだろう。

 ロゼさんは危ないことをした僕のことを怒っていたのだ。

 いや、ロゼさん【も】、か。

 ハヌも怒ってたし、フリムにも怒られた。

 僕の選択はきっと――否、確実に間違っていたのだろう。

 たまたま運が良かった――それが今、僕がまだ生きている理由なのだと思う。

 この身に変えても、なんてすぐに思うのは僕の悪い癖なのだ。

 僕の返答を聞くと、ロゼさんは「よろしい」とばかりに点頭した。

「ご理解頂けて何よりです。過ぎた言葉をどうかお許し下さい。……それでは、明日は小竜姫とともに迎えに来ますので、今日はこれにて失礼いたします」

 声が震えるのを無理矢理押し殺したような声で言って、あくまでも落ち着いた動きで、ロゼさんは背中を向けて足早に病室を出て行った。

 けれど、姿が見えなくなる直前、アッシュグレイの髪がふわりと舞い上がり、僅かに赤くなった耳が見えた気がした。

 見間違いではない、と思う。



 というわけで、釘というか杭というか、何だかえらいものをぶっ刺された僕は、ロゼさんに「無茶は禁物ですよ」と言われただけで自然と身が引き締まってしまうようになってしまったのである。

「? どうしたのじゃラト、急に改まりおって。ロゼはそんなにおかしなことを言うたかの?」

「いいえ、小竜姫。私はごく真っ当なことを言ったつもりなのですが」

 しれっと嘯くロゼさん。変化のない表情からは何を考えているのか不明だけど、多分わかっててとぼけているに違いなかった。一瞬、目をほんの少し泳がせたのがその証拠だ。

「い、いや、な、なんでもないよ? そ、それより、ちょっとお願いがあるんだけど……いいかな?」

 小首を傾げるハヌを誤魔化すため、僕はちょっと強引に話題を転換した。ハヌはちょっと不可解そうにしていたけど、最終的には快諾してくれた。

 それから『ちょっとしたお願い』について説明をして、僕は二人を連れてフリムが長期レンタルしている工房へと足を向けた。

 実は今日の明け方、フリムからダイレクトメッセージが届いていたのだ。

 黒帝鋼玄と白帝銀虎の修復と改造が終わったわよ――と。

 どうやらこの三日間、ぶっ通しで作業を進めてくれていたらしい。

 だけど、かなりの突貫工事だったようで、メッセージの後半には『もしアタシが寝てたら遠慮なく起こしていいからー』と記されていた。多分、徹夜で仕上げてくれたのだろう。

 せっかくそこまでしてくれた武器なのだ。やはり、エクスプロールへ行く前に受け取るのが筋というものだろう。

 送られてきた座標を地図アプリに突っ込むと、果たしてフリムが一時的な工房としているレンタルピットはフロートライズ中央区の東側――通称『アーバンエリア』と呼ばれる区域の一角にあった。

 形式としては、以前カレルさんが幹事として借りていたレンタル会議室に近い。

 巨大なビルの中に沢山レンタルピットがあって、まるでホテルかマンションのように部屋単位で貸し出してくれるのである。

 僕らはフリムからのメッセージに記載されていた番号の部屋へと赴き、AR表示されているインターカムのコールボタンをタッチした。

「…………」

 が、反応なし。

「……出てこぬの?」

「うん……やっぱり寝ちゃってるのかな?」

「どうしますか、ラグさん?」

「えっと、確か鍵の解除コードが添付されていたはずなので……」

 いつまで経っても金属製の扉が開く気配がなかったので、僕は仕方なくメッセージに添付されていた暗号コードを使って鍵を解除した。

 解錠に成功する。

 音もなく左へスライドした扉の向こうは、案の定というか何というか、照明の落とされた真っ暗の空間だった。

 送られてきたコードで鍵が開いたということは、間違いなくここはフリムが借りたピットのはずだけど……

「フリム……? いる……?」

 恐る恐る室内へ足を踏み入れると、途端に照明が点灯した。どうやら出入り口にセンサーがあったらしい。

 明るくなったピットの内部は想像以上に広かった。ホテルで言えば、せいぜいでもツインルームぐらいかと思っていたのだけど、実際には車が二~三台入るほどの大きさがあった。

 これは実家にある祖母の工房と同じか、下手をするとそれより大きいかもしれない。レンタル工房だと聞いていたので、もっと手狭な空間を想像していたのだけど。

 本来なら整理整頓されている空間なのだろう。だが、今は見る影もなく大いに散らかっている。何かの図が描かれた紙やら、武具の資料らしき本とか、お弁当の空き箱とか。足の踏み場もないってほどでもないけど、一時的にレンタルしている人物がここを綺麗に使おうと思っていないことだけは確実だった。

 部屋の端には、ここが武具作成士クラフターの工房である所以たる大型生成機ジェネレーターが鎮座ましましている。

 ちょうどその足元に、部屋の一時的なオーナーが寝袋に入って転がっていた。

「……んー……?」

 照明が点灯したのと、僕らが入室した気配を察知したのか、もぞり、と寝袋が動いた。

「……ん……う……ぅん……んん……」

 もぞもぞとしばらく蠢いていたかと思うと、ようやく夢の国から意識が戻ってきたのか、寝袋が芋虫のように起き上がり、鎌首をもたげてアメジスト色の瞳をこちらへ向けた。少し疲れた顔のフリムが、低く濁った声を吐き出す。

「……あー……意外と遅かったわね……待ってたわよ……ふぁ……~っ……!」

 寝起き頭で僕達を見て、〝SEAL〟の体内時計を確認して、大きな欠伸をするまでが一続きだった。

 もそもそと寝袋から抜け出し――Tシャツにステテコという完全に部屋着姿だ。髪も下ろしている――フリムは生成機の近くにあるテーブルに歩み寄った。

 テーブルの上には、大人が両手で抱えられるぐらいの大きさの金属箱が二つ置かれていた。フリムは、ぽん、とその一つの上に手を置いて、

「はい、これ。こっちが黒帝鋼玄で、そっちが白帝銀虎ね」

 と無造作に言い放つ。意識と一緒に身体も目覚めてきたのか、さっきよりも滑舌がよくなっていた。

 にゃは、と含み笑みを見せた彼女が、ちょいちょい、と手招きをするので、僕は導かれるままテーブルへと近付いた。後ろからハヌとロゼさんの足音がついてくる。ちなみに出入り口のスライドドアは、全員が中に入ったタイミングで自動的に閉まっている。

 全員がテーブルの周りに集まるのを確認してから、フリムが、おほん、とわざとらしい咳払いをした。

「はーい、じゃあミリバーティフリム謹製! ラグディスハルトのニューウェポン、ごーかーいーちょーおー♪」

 右手を振り上げ、パチンと指を鳴らした。

 途端、二つの金属箱がプシューと空気を解放する音を立てて、ひとりでに開き始める。

「わっ……!?」

「おお……!?」

「…………」

 僕とハヌは思わず声をあげて、ロゼさんは無言ながらも興味津々な瞳で、ゆっくりと開いていく金属箱にかぶりついた。

「物が物だけに、箱からこだわってみました」

 何故か司会者っぽい口調で言って、てへっ、と舌を出すフリム。そうこうしている内に箱が開き切って、内容物がその全貌を現す。

「――――」

 ようやく目にしたそれは、僕の知っている黒玄と白虎とは全く異なる姿をしていた。

 ――というか、どう見ても武器の形をしていなかった。

「……えっと……?」

「……何じゃ、これは……?」

「……剣の柄、でしょうか……?」

 僕らは三人揃って首を傾げる。

 なるほど、言われてみれば確かに剣の柄に見えないこともない。全体のフォルムは長方形で、中央がくり抜かれていて、見ようによっては鍔があって、握りがあって、護拳があるように見えなくもない。

 けど、肝心の刃は? 刀身はどこにいったのだろうか?

 右の箱のそれは漆黒で、左のものは純白。色だけ見れば、おそらく黒玄と白虎であるのは間違いないのだろうけど――

 ふふん、とフリムがドヤ顔で微笑んだ。

「流石ねロゼさん、当たりよ」

「えっ!? 当たりなの!?」

 フリムの賞賛に、僕は反射的に声をあげてしまった。

 その通り、とフリムが大仰に頷く。

「そう、これは剣の柄よ。っていうか、それ以外の何に見えるっていうのよ?」

「え? ……いや、あの……そう聞かれたら返答に困るんだけど……い、いやそうじゃなくて! そんなことより刀身は!? これじゃ武器にならないんじゃ――あっ」

 言っている途中で気がついた。

 刃のない武器。僕はそれを見たことがある。

 僕の浮かべた驚きの表情に、にやり、とフリムが笑った。

「気付いたみたいね。そう、これが最新のトレンド! この天才フリムちゃんが発明した特許出願中の新技術! それは使い手のフォトン・ブラッドを刀身に変える驚異のメカニズム! 人工〝SEAL〟の技術を取り込んだ、その名も〝フォトン・オーガン〟! サティやレイダーにも搭載されているメチャクチャすごいシステムよ!」

 拳を握りしめ、フリムは実に誇らしげな顔で高らかに自画自賛した。面の皮が一メルトル以上あるんじゃないかってぐらいの勢いで。

「しかも今回のは、この間の戦闘で得たデータや経験を活かして改良した最新型! この二本に搭載されているフォトン・オーガンは吸収したフォトン・ブラッドを消費させるんじゃなくて、内部で循環させてるの! これによってフォトン・ブラッドの燃費が劇的に改善されて、なおかつ刀身の硬度や制御のしやすさも向上! アタシみたいな特殊体質じゃなくても十分に使いこなせる進化型よ!」

「え、えーと……」

 何を言っているのかさっぱりわからない。いや、所々はわかるのだけど、細かい理屈がよくわからない。が、とにかくすごいってことだけは伝わってくる。

 僕も含めて、自分以外の全員がキョトンとしていることに気付いたのだろう。フリムははたと我に戻り、キョロキョロと僕達の顔を見比べてから、うん、と一つ頷いた。

「ま、論より証拠よね。ハルト、とりあえず持ってみなさいよ」

「う、うん」

 僕は右手に黒玄、左手に白虎を取った。どっちも似たような形状をしているけど、細部は微妙にデザインが違う。大きさも、僅かながら黒玄の方が大きいようだった。グリップと思しきところに掌を合わせ、握り込むと――

「――わっ……これ……!?」

「うふふ、でしょ? ピッタリでしょ? なにせアンタの手に合わせたんだもの、ピッタリに決まってるじゃない」

「う、うん……! すごいよ、これ……!」

 剣のグリップが、まるで吸い付くように手に馴染んでいた。そこにあるのが当たり前のように――否、僕が生まれてきた頃からそこに填まるのが運命だったかのように、寸分の狂いもなく掌の内に収まっている。グリップと手が一体化した――そう言っても過言ではないほどの密着感だった。

「アンタ、戦闘ログだと最近もっぱら二刀流でしょ? だから、それをベースに調整してあるわ。じゃあ次は刀身を出してみて。やり方はこの間貸したサティと一緒よ。あ、向きには気をつけるのよ?」

「う、うんっ」

 僕は念のためみんなに背を向けて、まずは〝SEAL〟から黒玄にコマンドを送った。同時、右掌から軽く術力を吸われていくような感触。

 次の瞬間、仕込みナイフが飛び出すように、鍔から深紫色の光刃が伸長した。

「……!」

 我知らず、息を呑む。刃渡りは一メルトル前後だろうか。色こそドゥルガサティーとは違うけれど、確かに同質の光の剣がそこには顕れていた。

「おお……これは〝気〟を刃にしておるのか」

「なるほど、こういうことですか」

 ハヌとロゼさんも感嘆の声を漏らす。ぼんやりと燐光を放つ光刃を見上げて、口を『O』型にしていた。

 にゃは、とフリムが自慢げに笑う。

「刀身を形成するために吸収されたフォトン・ブラッドは、解放したら戻って来るわ。だから実質的には消耗ゼロよ。もちろん、無理して折れたり砕けたりした時はその限りじゃないけど」

 あとついでに、と彼女は語る。

「実体剣が欲しいって言い出すかと思ったから、そっちもオプションで用意してるわ。なにせ【材料】だけならたっぷりあったわけだし。他にもおもしろいパーツたくさん作ったから、一つずつ試してもらうわよ。あ、あと〈大断刀〉とか〈如意伸刀〉とか歴代のモードも一応残ってるわ。使いたいときには使えるから安心しなさいよ。それと――」

 ペラペラペラペラとよくもまぁつっかえることもなくフリムは喋り続ける。よほどの自信作で、精一杯作ってくれたであろうことがしみじみと伝わってきた。

「――そうそう、〈大断刀〉といえば、ちょっとおもしろいギミックを入れてみたのよ。試しに黒玄と白虎、合体させてみてくれる?」

「へ? 合体?」

「そうよ、ほら」

 フリムは僕の背後に回ると、こちらの両腕を取って誘導する。

 黒玄を上に、白虎を下にして組み合わせた。カチリ、と音が鳴った瞬間、左手の白虎にも術力を吸われる感覚が生じる。次いで、二つの武器が自動的にギンヌンガガップ・プロトコルを使って追加パーツを具現化させて、それぞれの形状を変化させていった。

「あっ……!」

 出来上がったのは、大剣のそれに匹敵するサイズの剣柄だ。さらに、そこから伸び上がる光刃もまた、柄の大きさに合わせて幅と長さを増幅させる。

 両手剣モードとでも呼べばいいのだろうか。二つの剣柄を合体させて、一本の大型武器にしたのである。

「これが合体モードね。この状態だとフォトン・オーガンの出力が二倍どころか二乗になるわ。覚えておきなさい」

「……うん……」

 まるで支援術式みたいだ、なんて感想を抱きつつ、僕は半ば呆けたように頷く。

 何だか、すごい。

 明らかに、想像以上の代物が出来上がってきた。

 祖父の形見であった基本形状を捨て。

 僕のためにフォームチェンジされ、チューンナップされた黒帝鋼玄と白帝銀虎。

 世界に一つしかない、ワンオフの武器。

 そう。

 僕だけの、僕専用の、逸品――!

 なんて素晴らしいのだろうか。

 思い描いていたものとは大分違っていたけど、それだけに――否、だからこそ、予想以上の素晴らしさだった。

 新しい武器に見入ってしばらく。

「……………………はっ?」

 と気付くと、合体武器をキラキラした目で見つめている僕を、女性陣が揃って生暖かい目で見守っていた。ハヌとフリムなんかは口元をニヤニヤさせながら、意味ありげな目線を向けている。

 いつの間にやら一人の世界に入ってしまっていた。僕は慌てて、言い訳をしようと、

「あっ、やっ、その……ちょ、なんていうか、その、ちょっと感動しちゃって……!」

「よいよい、気にするなラト。おぬしも男じゃ。そういうものに夢中になるのも致し方あるまい」

「そうよー、気にしなくていいのよー? そんなに喜んでくれるなら、アタシも頑張った甲斐があるってものだしー」

「う、ううっ……!」

 そんな風に言われると、短時間とはいえ自分の世界に入り込んでいたことが無性に恥ずかしくなってくる。

「と、とにかくありがとう、フリム! すごいよ、コレすごく強そうだよ! これから早速使わせてもらうね!」

 こればかりは心の底からの本心で、僕は笑顔でお礼を言った。

 するとフリムはキョトンとして、

「え? アンタ、もうエクスプロールに行くの?」

「う、うん。入院で身体が鈍っちゃってるから、一応低層でリハビリって感じに考えているけど……」

 一瞬『無茶はやめなさい』と怒られるのかと思ったが、フリムは意外にもあっさり受け入れてくれた。

「あら、そうなの。じゃあちょっと待ってて。アタシも着替えて撤収するわ。ここのレンタル契約、今日までなのよね」

 そう言って急にパタパタと動き出した。

「ここ高いのよ。奮発して一番いい生成機ジェネレーターのところ借りたから。ちょっとでも延滞したら追加料金すごいのよね」

 そこらに転がっている紙やら本やらに手を触れさせ、〝SEAL〟のストレージに放り込んでいく。残念ながら僕らにはどれがフリムの私物で、どれがレンタルピット付属のものなのかわからないので、手伝いようがなかった。

 しかし、少々急いでいたせいだろうか。また、身長差がありすぎたせいもあるだろうか。もっと言うと、一方の視界がフードで制限されていたのも要因の一つだろう。

「あ――!」

 と、声をあげたときには遅かった。

 軽く走り回っていたフリムが、ハヌの存在に気付かないまま衝突してしまったのである。

「っきゃ!?」

「のわっ!?」

 フリムのお腹とハヌの頭がぶつかって、二人は揃って転倒する。どてててっ、と軟質素材の床から震動が伝わった。

「あたたた……ご、ごめんなさい小竜姫、怪我はな――」

 折り重なって倒れたフリムが、謝りながら身体を起こそうとして、不意に凍結する。

「うぬぅ……い、いきなり何なのじゃ……?」

 いきなりのことに目を回しているハヌが、床で打った頭を手で押さえながら、起き上がろうとした瞬間だった。

「――かわいい……」

 ぼそっ、とフリムが呟いた。

「……ん?」

 それはハヌの耳にも届いたのだろう。ただごとならぬ響きに、彼女はゆっくりとフリムの方へヘテロクロミアを向ける。

「――ッ!? な、何じゃ!?」

 びくっ、と猫みたいにちっちゃな体が跳ねた。

 フリムがハヌをガン見していた。

 というのも、ぶつかって転がった拍子に、ハヌの顔を隠していた外套のフードが外れてしまっていたのである。

「……え、なにこれ……めちゃくちゃかわいくない……?」

 紫色の瞳を大きく見開いて、フリムが誰にともなく呆然と問いかける。

 そういえば――多分だけど、フリムはこれまでハヌの素顔を直視したことがない。初めて顔合わせしたときは、ハヌはずっと外套をすっぽり被っていたし。先日のヒュドラとの戦闘の際は、さすがにフードを下ろしてはいたけど、じっくり顔を見ている余裕なんて全くなかったはずだ。

 故に、フリムは今初めて、ハヌの目鼻立ちを至近距離で目撃したのである。

「あ……」

 しまった。

 僕は重大なことを失念していた。

 フリムに、ハヌの素顔を見せるべきではなかったのだ。

 何故なら――

「――なにこれかーわーいーいーっ! かーわーいーいーなーにーこーれぇぇぇぇーっ!」

 嫌な予感がする――と思った次の瞬間には的中してしまった。

 フリムの黄色い叫び声が室内に響き渡る。

 ――出てしまった……!

 本当に、今更すぎて本当に申し訳ないのだけど――僭越ながら言っておくと、僕の従姉妹は【可愛いもの】に目がなかったりする。

 動物、アクセサリー、女の子――それらの枚挙に暇はなく。

 気に入ったものを見つけると、その瞳がまさしくアメジストのごとくキラキラと輝きだし、テンションが青天井で上がっていくのだ。

「人形!? 生きてる人形!? え、小竜姫!? アナタ本当に小竜姫!? え、ちょっごめんよくわかんないだけど――とりあえずひしっ!」

「ぬぁあぁっ!? な、何じゃ何じゃ!? なんなんじゃあぁーっ!?」

 フリムがハヌに飛びついた。勢いそのまま後方へごろんと転がり、錯乱したハヌの悲鳴がピット内に木霊する。見るからにそれは、大型犬に懐かれ押し負ける子供の図であった。

 目をハート型にしたフリムは嫌がるハヌを抱き竦めて、ぷにぷにのほっぺたに目一杯頬ずりしまくった。

「なにこれかーわーいーいーやわらかーいきんもちいいー♪」

「な、な、なぁあぁあ!? や、やめい! は、はなさぬか! お、おぬしは一体なんなんじゃあーっ!?」

 驚き叫ぶハヌに、嗚呼、と僕は居たたまれない気持ちになる。

 何だろう、あの情けない姿は。僕の【お姉ちゃん】はどこへ行ってしまったのか――いや、それは言い過ぎかもしれない。思い返せば僕も一九七層の海竜を撃破したとき、あんな風にハヌに抱き付いて転げ回った記憶がある。

 そうか、直接的な血の繋がりはないけれど、やっぱり僕達は生まれた頃からずっと一緒に育ってきた姉弟なのだなぁ――としみじみ考えていると、

「あーもーすんごいかわいいー! めちゃくちゃかわいいー! ちょーぜつかわいいー! かわいいかわいいー! ――あっ! ねぇ小竜姫! アンタよかったらアタシの妹にならない!? こんなに可愛いならハルトが気に入るのも仕方がないわ! 納得よ! ねぇねぇアタシの妹になりましょうよ! それが嫌ならアタシの嫁でもいいわよ!? 嫁!」

「なにを言うておる!? なにを言うておる!? わ、わからぬ……お、おぬしは、おぬしは一体何を言っておるのじゃ……!? え、ええいラトっ! なにをしておるかっ! はよう妾を助けよっ! こ、こやつ――ほんとうにわけがわからんのじゃあーっ!」

 とうとうトンチンカンなことを言い出したフリムに、ハヌの混乱が極みに達する。ジタバタと暴れてもフリムの腕から全然逃れられないハヌは、ついには涙目で僕に助けを求めてきた。

「……ラグさん……あの……【アレ】は?」

 流石のロゼさんも少々顔を強張らせて、奇怪な言動を始めたフリムに腰を引かせていた。ロゼさんをして明言を避け、【アレ】と表現するしかなかったことに、僕は非常に申し訳ない気持ちになる。

「……あの、すみません……言い忘れていたんですが、実はフリムは無類の可愛いもの好きで……えっと、その……しかも、【どっちでもいける】人みたいで……」

「……はい?」

 僕のぼかした言い方に、ロゼさんが首を傾げる。その反応から、オブラートに包んでいてはいつまで経っても通じないと判断し、僕はストレートな表現を口にする。

「その……男も女も、どっちも好きになれる人、なんです……」

「……!?」

 非常に珍しいことに、ロゼさんがありありと驚愕の表情を見せた。背景に稲妻でも轟きそうな勢いで愕然とする。

 そう。フリムは所謂『両刀使い』と呼ばれるタイプで、もっとわかりやすく言うと、両性愛者、バイセクシャルという言葉になるだろうか。

 男女どっちも、というより、性別を気にすることなく他人を愛することが出来るのである。

「なるほど……ということは……つまり……あの時は本当に、そちらの意味で……?」

 ロゼさんが俯き、口に手を当てて何やらボソボソと呟いた。何の話かはわからないけど、多分、何か心当たりがあるのだろう。ロゼさんほどの美人を、フリムが気に入らないわけがないだろうし。

 ともかく、いったんフリムを落ち着かせねばならない。一度冷静になれば、あとは普通に戻るだろうから。

 僕は、はぁぁ、と溜息を吐き、しっちゃかめっちゃかになっている二人へと近付く。

 ハヌに頬ずりしているフリムの肩を、後ろからぽんぽんと叩いた。

「はい、そこまでだよフリム。ハヌが嫌がってるからもうやめようね」

「ええー? なによ邪魔しないでよハルトー。あとでちゃんと返すんだからー」

「はいはい、ハヌは物じゃないよ。ほら、早く。――【お姉ちゃん】」

 犬がお気に入りの玩具を手放したくないみたいに、ぶー、と唇を尖らせたフリムに、僕は少し声を低めてそのキーワードを放った。

 途端、ピタリ、とフリムの動きが止まる。

 こう呼び掛けると自分自身を客観視できるようになるのか、昔から一発で正気に戻るのだ。

「……わかったわよ……」

 むすーっとした声で言って、フリムはハヌから体を離した。密着状態が解けるや否や、ハヌはぴゅうと旋風のように飛び起きて僕の背中へと隠れる。そのまま僕の陰に隠れた状態から「フーッ! シャーッ! フシャーッ!」と猫みたいにフリムを威嚇する。

 それを完全に無視して、フリムは天井を仰いで溜息を吐いた。

「あーあー、せっかくこの街に来てから最高級に可愛い子を見つけたのに。……ハルトのいけず」

「だから、僕の友達を物扱いしないでくれるかな、フリム」

 ジト目で言ってやったのに、つーん、と顔を背けるその態度に反省の色は見られない。それどころか、ポン、と手を叩いてキラキラした顔を振り返らせたかと思ったら、

「――あ、ねぇハルト、思ったんだけど、アンタと小竜姫が結婚したら自動的にその子はアタシの妹になると」

「思わないよ!? いや思わないでね!? っていうかだから僕とハヌは友達であってそういうのじゃないって何回言ったらわかってくれるのかなっ!?」

 またぞろ馬鹿なことを言い出したので全力で突っ込みを入れてやった。

「そうじゃそうじゃ! 妾とラトは唯一無二の親友じゃぞ! 不埒なことを言うでないわ! ばかもの!」

 ――あれ? なんだろう? なんだかハヌの援護射撃に文字通り背中を撃たれたような気が。どうしてだろう?

「じゃあ、やっぱりアタシの嫁になる? そしたらアンタとハルトは義兄妹でさらに絆が深まるんじゃないかしら?」

「じゃ、じゃから阿呆かおぬしは!? わけのわからぬことを申すでないわぁっ!」

 どうやらハヌは本気でフリムの言動が理解できないらしい。もしかすると両性愛者に会うのが初めてで、その概念を知らないのかも。これは後で説明しておかなくては、と頭の片隅にメモをとっておく。

 パン、と乾いた音が鳴った。

 風船が破裂したかと思うほど大きな音だったので、何事かと思って振り向くと、そこには両手を合わせて立っているロゼさんがいた。

 彼女は能面のような無表情で一言。

「時間も時間ですから、雑談はそこまでにして、そろそろ参りましょうか」

 ばっさりだった。

 今の騒ぎを雑談と斬って捨てた冷静すぎるロゼさんに、僕達は言い返す言葉を持っていなかった。





 フリムが手早く工房内を片付け、ささっと着替えを終わらせると、僕達は改めてルナティック・バベルへと向かった。

 道中はなにやら女性陣で話が盛り上がっているらしく、僕が一人で先を歩いて、気付けば鏃のような陣形になっていた。

 いきなりのスキンシップに仰天してフリムを警戒していたハヌだったけど、フリムの衝動が落ち着いたことがわかったのか、今はもう普通に話している。フリムもいきなり抱きついたりして驚かせてしまったことを、ちゃんと謝っているようだった。

 僕は僕で、一人ぼっちではあったけど、ストレージに収納した新しい黒玄と白虎のことを考えていた。

 フリム曰く、最新型の機構メカニズムを搭載したニューモデル。しかもオプション多数。

 僕の戦闘データから作成した、専用武器。

 とにかく早く使ってみたくて、胸の奥がウズウズしていた。

 ――とりあえず肩慣らしと試し斬りを兼ねて、低い階層でエクスプロールしてみよう。修行も止まっていたし、色々と試しながらどんな戦い方が出来るのか模索するのだ。

 そんなことを考えながら歩いていると、道すがら、ふとフリムが結構な距離を着いてきていることに気付いた。

 もうルナティック・バベルも近くに見える位置だ。

 ちょっとおかしいなとは思いつつ、きっと入口あたりまで見送ってくれるのだろうなと思い直し、僕は何も言わずにいた。

 そうこうしている内にルナティック・バベルのゲート前まで来たので、僕は後ろのフリムに振り返り、

「あ、じゃあフリム、僕達は夜までには帰るから、それまで――」

 と喋っている僕の隣を、フリムはハヌやロゼさんと談笑しながら、すっ、と通り過ぎた。

「――へ?」

 あれ? と思って振り返ると、三人はそのまま白亜のゲートを通り、軌道エレベーターの中へと入っていくではないか。

「え、あ――あの、ちょ、ちょっと待って!?」

 理解できない光景に、思わず片手を伸ばして大声を上げてしまう。

 すると三人は揃って立ち止まり、僕を振り返った。

「何じゃ、ラト?」

「どうしたのよ、ハルト?」

「どうかされましたか、ラグさん?」

 三人が三人とも、僕の制止の意味がわからないという感じの顔をしている。

 あれ、何だろう……この感じ。もしかして、僕の方が何か間違っているのだろうか?

 急に不安になって内心で焦りつつも、僕は三人に質問した。

「あ、えっと……その……な、なんでフリムまで、一緒に遺跡に入るのかなー、って……?」

 僕はてっきりこのあたりで分かれて、フリムは部屋に一人で戻り、二度寝なり何なりをするものだと思っていたのだけど。

 そう尋ねた途端、鳩が豆鉄砲を喰ったような顔が三つも並んだ。

 外套を被って顔を隠しているハヌが、隣のフリムを見上げる。

「何じゃ、おぬしまだ言うておらなんだか?」

「え? いや、アタシはずっと工房に籠もりきりだったし、てっきりアンタ達の口から伝わっているものだと思っていたんだけど……」

「いいえ。大切なことですので、私達こそフリムさん自身がおっしゃられるものかと」

「ええーっ!? じゃあ誰もハルトに何も言ってなかったってわけ!?」

 反応を見るに、どうやら女性陣の間には共通プロトコルがあって、話が通じ合っているらしい。

 つまり、僕だけ仲間はずれである。

 心の洞を隙間風が通り抜けていくようであった。

 よもや、友達が出来てクラスタまで作ったのに、再びぼっちの気分を味わうことになろうとは。

「もー、しょうがないわねー……」

 ついさっき結ったばっかりのツインテールを手で払い、フリムだけが僕の立っている位置まで戻ってきた。

 ゲート前は広い上に、他のエクスプローラーはとっくに中へ入っている時間帯なので、こうして突っ立っていても邪魔になる心配はない。

 おほん、とフリムは咳払いをして、

「その……まずは、悪かったわね。結果的にそうなっただけなんだけど、アンタには黙っていた形になるものね。ごめんなさい」

「う、うん……」

 いきなりらしくもなく殊勝なことを言い出したので、面食らってしまう。彼女は居心地悪そうに僕の前へ立つと、両手を後ろに回し、はにかむように視線を左下へと向けた。

「……アタシね、この間、師匠に相談したのよ。これからもっと自分の技術というか、得意分野を研ぎ澄ましていきたい、って。そしたら、あなたには実践が足りません、ってアドバイスされちゃってね?」

「? う、うん……?」

 予想外すぎる出だしに、これまた頭を捻ってしまう。クラフターとして修行することと、遺跡に入ることの間に一体どういう関係があるのだろうか。

 手持ち無沙汰っぽく、フリムは左手で自分のツインテールの一房を弄り始める。

「でもほら、アタシって性格とか戦い方とかアレじゃない? だから、地元だとなかなか実践ってわけにはいかなくてね?」

「ああ、うん……」

 実践というのが何の話で、彼女の言う『アレ』というのがどんな言葉を指しているのかはよくわからないけど、とりあえずろくでもない単語であることだけはなんとなくわかった。

「それで、小竜姫とロゼさんにも相談してみたのよ。そしたら、なんだか話している内にお互い仲良くなってきて……一応ダメ元でお願いしてみたら、意外にも二人とも快諾してくれてね?」

「……え? な、なにを?」

 なかなか主語を出さないものだから、ついストレートに聞き返してしまった。

 すると、ぴたり、とフリムの髪を弄る手が静止した。

 はぁ、と呆れたような溜息を吐く。

「……まったく、相っ変わらず察しの悪い弟分ね、ほんと……」

 ぼそっと呟いたフリムが、不意に一歩、前へ出た。

「――?」

 肉薄。

 フリムはほとんどこちらのの目と鼻の先に立ち、さっきまで髪をこねくり回していた人差し指で僕のおでこを、つん、と突っついた。

 僕は反射的に身を逸らしつつも、後退しないようその場でどうにか踏みとどまる。

 じぃっ、と紫水晶の瞳が僕の目を覗き込み、少々ご機嫌ななめの視線を射込んできて。

 こう言った。



「天才クラフターでスーパーエンチャンターのアタシが、アンタ達の仲間になってあげるって言ってんのよ。何か文句ある?」



「――――」

 フリムの指先がそのまま脳天を貫いたかと思った。

 それぐらい衝撃的だった。

 同時に、あっという間に理解できてしまった。

 【なるほど】――と。

 それなら確かに色々と辻褄が合う。

 きっと、僕が眠っている間、もしくは入院している間に話は進んでいたのだろう。

 フリムが加入を打診し、ハヌとロゼさんがそれを受け入れ――僕ならきっと否やはないだろうと思って――自然と決まってしまったのだ。

 彼女が僕達のクラスタ、『BVJ』のメンバーになることが。

 後は、さっきの会話の通りだ。みんながみんな、誰かが僕に伝えるだろうと考え、結果的にはお見合いになってしまった、と。

 時に驚愕というのは、時間を置いてから爆発するものである。

「――って、ぇえええええええええっ!?」

 僕は何拍も隙間を空けてから、大口を開けて叫んでしまった。

 堪らずよろめき、一歩後ずさってしまう。ぶるぶると震える指で彼女を指し、

「な――なんで、フリムが、なんで!? え、でも、というか、ぶ、武器の改良が終わったら帰るんじゃ――!?」

「あーもー、だからさっき説明したじゃない。直に武器を使う現場で実践経験を積んで、もっと修行を重ねたいの。出来ればアタシの武器の使い手と一緒に。まったく、ちゃんと人の話聞いておきなさいよね」

「だ、だってだって、そんなこと一言も――」

「だからそれもさっき謝ったでしょ。結果的にアンタにだけ話が通ってない形になってごめん、って」

「で、でもでも、それだったら何も僕達のクラスタじゃなくても――」

「アタシの戦い方って基本的に派手で危ないから、地元じゃ誰もパーティーに入れてくれないのよ。多分、それはこの辺でも同じだと思うわ。武具の作製依頼は来るんだけどね。それにほら、アタシって協調性がアレだし」

「えっ自覚あったんだ!?」

「あっなによそれ!? 真っ先に驚くところそこなわけ!? 今のは流石にカチンと来たわよハルト!」

「ご、ごめんなさいっ!」

 顔を赤らめて、ぐぐっ、と拳を握り締めたフリムに、僕は慌てて謝る。

「ったく……」

 するとブツクサ言いながらも、彼女はすんなり拳を下ろしてくれた。再び、行き場を失ったようなその手で髪を弄りだし、

「……でも今回、そんなアタシでも受け入れてくれるっぽいところが見つかったわけじゃない? ほら、小竜姫にしてもロゼさんにしても、アタシと同じかそれ以上に派手な戦い方するでしょ? だから――【ここ】なら、アタシみたいなタイプでも受け入れてくれるかもって……そう思ったのよ。アンタが作った、このクラスタなら……ね」

「フリム……」

 僕を褒めるみたいな台詞が照れくさかったのか、フリムは視線をあらぬ方向に逸らしながらそう言った。

 けれど。

「――大体ね」

 一瞬だけ、しおらしい表情も出来るんだなぁ――などと考えていた僕の顔に、出し抜けに訝しげな視線が突き刺さった。

「武器の改良が終わったら帰るんじゃ――じゃあないわよ。アンタ、新しい黒帝鋼玄と白帝銀虎のメンテはどうするつもりだったのよ?」

「え……? そ、それは……いつものお店で……ほら、フリムと再会したあの――」

「無理よ」

「へっ?」

「だから、無理よ。だって、アタシが開発した新技術が搭載されているんだもの。アタシ以外の誰にも整備できないわよ、それ」

「――ええっ!?」

 思わず声を挙げてしまったけど、しかし考えてみれば確かにその通りだ。特許出願中とか言っていたし、それが本当なら今の黒玄と白虎の機構メカニズムはフリムにしか整備、調整できないということになる。

 にゃは、と僕の幼馴染みは不敵な笑みを浮かべた。

「わかる? どっちにせよ、アンタのこれからのエクスプロールは、アタシがいなきゃ成り立たないのよ。それがわかったならとっとと降参しなさい」

「こ、降参って……」

 何と言えばいいのだろうか、この感覚は。

 嫌というわけでは、勿論ない。フリムは従姉妹で、幼馴染みで、大事な家族で、僕の姉貴分だ。だから一緒にいることを嫌がるなんてことは絶対にない。

 だけど――エクスプローラーの仲間としては。しかも正式な同じクラスタのメンバーともなれば、何というかこう、妙に面映ゆいものがあるわけで。

 昔、フリムと一緒に通っていた学校で同じクラスになった時のことを思い出す。周りが他人だらけの中で、僕達二人だけが家族みたいなもので。そのせいで周囲から妙に浮いていたというか、からかわれていたというか、理由もなく無性に恥ずかしかったというか――そんな感じがあったことを。

 まさに当時の感覚が今、まざまざと蘇ってきていた。

「……ああ、そうそう。安心しなさいよ」

 すっ、とフリムが急に間合いを詰めて、掌で口元を隠しながら耳打ちしてきた。

「……?」

 安心、という謎のワードに耳を傾けながら、僕は頭に疑問符の花を咲かせる。

 くすくすと楽しそうに笑いながら、フリムは僕の耳にこう囁いた。

「アンタがあそこで、アタシとアシュリーの裸を見たってことはあの二人には黙っててあげるから♪」

「なっ――!?」

 それは、忘却というパンドラの箱に封じこめたはずの、忌まわしき記憶だった。

 ガッチーン、と石像みたいに硬直した僕の耳朶に、フリムはさらにこう吹き込む。

「あと、久々に【お姉ちゃん】の裸を見た感想、今度聞かせてよね。楽しみにしてるわ」

 何て恐ろしいことを言うのか。

 喉元まで迫り上がってきた、ひい、という悲鳴を僕は必死に押し殺した。

 にひ、という笑い声が耳の奥にこびりつくようだった。

 それを最後にフリムは少し身を引き、楽しげな目でニマニマと僕の顔を見つめる。僕は表情筋という表情筋を引き攣らせたまま見つめ返し、涙目で、それだけはやめてください――と訴えた。

 すると、一体何が彼女の心の琴線に触れたのか。

 隙あり、という感じでフリムの両手が僕のほっぺたを挟んだかと思えば――なんだか最近、他人によく顔をこうされてばかりの気がする――何故か僕の額へと唇を近付け、



 ちゅっ



 とついばむように口付けた。

「…………」

 突然のことに頭が真っ白になった。

 くすっ、とフリムが笑って、鼻息が前髪にかかる。

「じゃ、これからも末永くよろしくね、世界最強の剣士様♪」

 小悪魔的な声で囁くと、彼女はパッと身を離して背中を向けてしまった。長いツインテールがその動きに追随して、蛇のように宙を躍る。

「ほら、二人が待ってるわ。さっさと行くわよ、ハルト」

 威勢良く言い放って離れていく後ろ姿を、僕は呆然と見送る。

 ――え、いや、ちょっと待って欲しい。

 何だろうか、フリムにキスされた場所が妙に熱くて、全身が火照ってきたような――い、いやいや! そんな馬鹿な。フリムは従姉妹で、幼馴染みで、姉貴分で、この間なんて一緒のベッドで寝たような間柄なのだし、今更こんなことをされて照れるなんて絶対におかしい――

 とそこまで考えた瞬間、頭の中にいる別の自分が「あ、やっぱり自分は照れてるのか」と冷静に自覚してしまった。

 ――あ……

 認識してからは早かった。

 ボッ、と顔から火が出るほど熱くなって、思考回路がショートした。

 僕の体は意志に反して、素直すぎるほどの反応を見せた。

 くらり、と視界が揺れる。

 背を向けて歩み去っていくフリムの向こう、こちらを静かに見守ってくれていたハヌとロゼさんが慌てたように走り出し、口を開けて何かを叫んでいる。その声が届いたのか、フリムも弾かれたように振り返った。

 だけど、もう手遅れだ。

 目に映る光景がひっくり返り、鮮やかな蒼穹が目に飛び込んできた。

 もう三度目ともなれば、慣れたものだった。

 いつだって浮遊都市フロートライズの空は快晴だ。

 浮遊島の中心にそびえ立つ純白の軌道エレベーターも、毎日変わらずそこにあって、長大な身を宇宙へと伸ばしている。

 そんな蒼と白のくっきりしたコントラストが綺麗だな――なんて思いながら、僕の意識はゆっくり消失していったのだった。



 新作武器のお試しは、また明日。









 第三章「天才クラフターでスーパーエンチャンターのアタシが、アンタ達の仲間になってあげるって言ってんのよ。何か文句ある?」





 完




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