リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●27 決着と代償




 その結末は、外野でドラゴンの群れと戦っていたアシュリーらにとってはまさしく青天の霹靂だった。

 突如、黄金の煌めきから白銀の流星群が放たれ。

 その隙間を縫うかのごとく、目も醒めるほど鮮やかな紫の彗星が急降下し。

 直後、深紫の雷光が天地を貫いた。

「な――!?」

 光量、そして音量ともに凄まじく、例え背を向けていたとしても気付いたに違いない凄絶さだった。

 視界の端で起こった出来事に、アシュリーは思わず弾かれたように振り返る。

『蒼き紅炎の騎士団』の皆とともに、ベオウルフの仲間――小竜姫とアンドロメダがこの空間へ来ていることはゼルダから伝え聞いていた。否、むしろ彼女らについていく形で、仲間達があの怪しさ満載のゲートを抜けてきたとも。

 この空間へ入ってからは別行動をとっていたそうだが、彼女らも当然ながらベオウルフとの合流を優先したはずだ。彼らが合流すれば、その旨をルーターを通じて連絡してもらえるものと思っていたが――

 その予想は大いに外れた。

 事態はアシュリーの予測など遥かに超える次元へと突入していたのだ。

『VVVVRRRRROOOOOOOOOOOOOOOOOOOOWWWWW――!!』

 いくつもの輝きがほぼ同時にヒュドラに襲い掛かった直後、大地に激震が走った。

「「――ッ!?」」

 ゼルダと二人してバランスを崩し、たたらを踏む。戦闘中に有り得べからざる隙――だったが、しかし体勢を乱されているのはアシュリー達だけではなかった。

 側にいた駆竜の群れも揃って重心を崩し、立ち止まっている。

 それどころか、

 ――違う……!?

 揺れているのは地面だけではない。空を翔ける飛竜ですら、動揺したように宙を旋回している。

 この空間全体が震動しているのだ。

 ――一体、何が……!?

『VVVVVRRRRRRRRRRRRROOOOOOOOOOWWWWWWWW!!!』

 再びヒュドラから凄まじい咆哮が迸り、揺れの激しさが増した。

「こ、これは――!?」

「グルルルァ!?」『な、なんなんでありますですかぁっ!?』

 もはやアシュリーにしてもゼルダにしても立っていることすらおぼつかず、堪らず膝を突く。咄嗟に剣を地面に突き立てることで、どうにか転倒だけは免れた。

 そして、アシュリーは目にする。

 九つの首を全て消し飛ばされ、身を守る防御シールドすら剥ぎ取られ、炸裂するディープパープルの稲光に抗うヒュドラの本体部――その真下の地面が、山のように迫り上がってくる光景を。

 まるで活火山が隆起するがごとく、ドーム状の本体部の下から【何か】が現れようとしている――そう感じた。

 刹那、電撃的な閃きが少女の脳裏を駆け抜けた。

 フロアマスターと戦闘に入る直前、祭壇に記されてあった文字列を思い出す。

 ――『天地の主、蛇の王ここにあり』

「――まさか……!?」

 もし、もし仮に、あの碑文がそのままの意味だったとしたら。

 天地の主――即ち、【この空間そのものがフロアマスターである】と考えれば。

 この異常な状況にも説明がつくのではないか?

 有り得ない――いや有り得る。感情的には否定したい推測を、しかし理性が間髪入れず肯定した。

 この【思考】と【嗜好】は、確かにルナティック・バベルの設計者のそれと合致する。

 そう。有り得ない話ではないのだ。

 双頭のウロボロス。九つ首のヒュドラ。

 ヘラクレスの時もそうだった。追い詰めた、と思った瞬間に隠し球が出てくる。

 ヒュドラの【次】がないと、どうして言い切れようか。

『VVVVVRRRRRRRRRRRR――!!』

 大地の隆起が収まらない。地面がジグソーパズルのように罅割れ、広がる亀裂が一瞬にしてアシュリー達のいる場所にまで届いた。

 ――勝てない。

 絶望が目の前を真っ暗にした。

 これから出てくるであろう新たな怪物は、あのヒュドラよりもさらに強大なものであるに違いなかった。

 確かに、ナイツの皆やベオウルフ達と力を合わせれば、それでも何とかなるかもしれない。

 だが――本当にそこで終わりなのだろうか?

 撃破したところで、また次が出てくるのではないか?

 そんな最悪の予想が、アシュリーの四肢から力を奪っていく。

 ――どこまで。本当にどこまで……!

 アシュリーは、ほんの少し前にエンハンサーの少年が抱いたものと同じ思いを得る。

 この軌道エレベーターの設計者は、きっと悪魔以上に悪辣な【何か】であるに違いない――と。

 しかし、そんな少女の戦慄を裏切るかのように、予想だにしない光景が生まれた。

 爆発。

 刹那、小型の太陽が生まれたかのような輝きが瑠璃色の目を灼いた。

「ッ!」

 思わず顔の前に剣を握ったままの手を翳し、光を遮る。

 轟音。

 腹の底を揺るがす重低音が連続した。

 指の隙間から透かし見えたのは、数珠のごとく連なる光爆の連鎖だった。

 見覚えのある爆裂だった。あれはベオウルフがよく使う〈フレイボム〉の光だ。飛竜の群れを一掃したときも、あんな風に光の爆撃が数珠繋ぎになっていた。

 だが、あの時とはまるで規模が違う。

 あの時の〈フレイボム〉の連発が流星雨だったとすれば、いま目にしている【これ】は、もはや超新星爆発スーパーノヴァだ。

 連なって広がる攻撃術式の爆撃は、あっという間にヒュドラ本体部の全容を覆い尽くし、呑み込んでいった。

 泡ぶくように生まれては消えていく爆発。絶望に染まりかけた視界を、その輝きが上塗りしていく。

 綺麗な花火を見ているかのようなその光景を――己が置かれている状況の何もかもを忘れ――美しい、とアシュリーは思った。

 思った次の瞬間には、光爆は唐突に終わった。

 目に焼きついた眩しさが、朱色のフィルターとなって視野に残る。

 だが、彼女は見届けた。

 大きく盛り上がった地面。ついさっきまでヒュドラの本体部が確かに存在していた空間。

 そこに浮かぶ、巨大な青白いコンポーネントを。

 その周囲で消えていく青白い流体の残滓は、もしかしなくとも活動停止シャットダウンシーケンスに入っているヒュドラの破片だった。

「……終わっ……た……?」

 呆然と呟く。顔の前に掲げていた掌を下ろし、周囲を見回すと、アシュリーとゼルダを取り囲んでいたドラゴンの群れもまた、一斉にコンポーネントへと回帰していた。

 この空間の主が死に、奴らもまた、その役目を終えたということなのだろう。所有権の書き換わっているものは二人の〝SEAL〟へ吸収され、そうでないものは大気に溶けるようにして消失していく。

「……ガルァ?」『な、何が起こったのでありますか……?』

 事情を知る由もないゼルダが、獣人形態のまま首を傾げた。

 しかしアシュリーはそんな彼女の疑問の声など聞いてはいなかった。

 急速に静まっていく空気の中、彼女は空を飛ぶ一羽の鳥を見ている。

 自然のそれではない。薄紫色の光線で組み立てられた、人工の鳳だ。

 その鳳は颯爽と宙を滑空していたかと思うと、いつの間にやら現れていた巨人――どう見ても第二〇〇層のゲートキーパー〝ヘラクレス〟にしか見えない――に近付き、その肩に乗っていた人影を鎖のようなもので拾い上げた。同時、巨人の背中が幻か何かだったように掻き消える。

 鳥は速度を緩めぬまま旋回すると、今度は宙に舞い上がっている二つの人影に向かって飛翔した。鳳の嘴がそちらに向くまで、アシュリーはそのあたりに人が浮かんでいることにすら気付いていなかった。

 またもや鳳から、二本の鎖が生きているかのごとく伸び上がり、おそらくはフリムとベオウルフと思しき人物の身柄を続けざまに回収する。

『NPK』の仲間にあのような鳥を使役する者はいないので、消去法でアレが小竜姫――『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』であることが察せられた。

 若い燕のごとく軽やかに飛翔する姿を見るともなしに見ていると、不意にヒュドラの巨大コンポーネントが動き出した。

 所有権が、フロアマスターを撃破したベオウルフへと書き換わったのだ。直径八メルトル近くはある光球が宙を滑るように上昇し、大空を舞う鳳めがけて高速で飛んでいく。

 青白い球体とスミレ色の鳥が接触した瞬間、巨大コンポーネントはブラックホールに吸い込まれるようにして、そこにいるだろう少年の〝SEAL〟へと吸収されていった。

「……勝った……のですね……ベオウルフ……!」

 そう呟いた瞬間、胸の奥底から怒涛のごとく安堵感が溢れ出てきた。コンポーネントが消失して初めて――むしろようやく――勝利の実感が湧き上がって来たのだ。

 先程の絶望とは別の意味で、アシュリーの全身から力が抜けた。膝を突いた体勢からへたり込み、地面に腰を下ろす。

「――だ、大丈夫ですアシュリーっ? 怪我とかしてませんですっ?」

 同じく戦闘が終わったことを察したゼルダが変貌ディスガイズを解き、人の身に戻ってから肉声でアシュリーに声を掛けた。

「ええ、ゼルダ……ありがとうございます。私はこの通り無事です。心配するのなら、私よりむしろ――」

 ペルシャンブルーの瞳に振り向かせた顔を、再び静寂を取り戻した蒼穹へと向ける。

 そこには、雄雄しく舞う一羽の鳳。

 アシュリーは眩しそうに目を細め、口元に微笑を浮かべる。

 赤金色の髪を持つ少女は、瑠璃色の双眸に尊敬の色を宿し、こう告げた。

「――あそこにいる、【英雄】の身を案じてあげてください」





 やはりというか何というか。

 防御シールドを張ってさらに距離を取ってなお、爆発の衝撃で僕の意識はヒュドラと一緒に吹っ飛んでしまったらしく、気が付いた時にはハヌの膝枕で地面に横たわっていた。

「……………………あれ……?」

「ほ? 目が覚めたか、ラト?」

 うっすらと瞼を開くと、視界の上の方から、くりくりと大きな金目銀目が僕の顔を覗き込んできた。膝枕をしてもらっていることはすぐに理解できて、なるほど、道理でハヌの顔が逆さまに見えるわけだと……ん?

「――ハヌ……?」

 なんでハヌがここに? と記憶が混濁している僕は一瞬だけ疑問に思い、

「ん? なんじゃ、ラト?」

 くふ、と微笑むハヌの顔を見て、爆発的に記憶が蘇った。

 ヒュドラ。フロアマスター。戦闘。

「――ッ!? て、敵は!? 僕はなんで――!?」

「まてまて落ち着くのじゃ」

「ふぐふっ!?」

 慌てて起き上がろうとした出足に、ペチン、とハヌの小さな掌で額を叩かれた。非力なはずの彼女の手によって僕の起き上がりはあっさり撃沈され、再び後頭部が少し硬い膝の上に落とされる。言ってはなんだけどハヌの肉付きは少々薄いので、頭に骨が当たって微妙に痛い。

「敵はおぬしが倒した。怪我は治したがおぬしは消耗しておる。じゃから今はゆっくり寝ておれ――まずはこの三つを呑み込むのじゃ。よいか?」

 そう言い含めながら、トン、トン、トン、とハヌの人差し指が三回、僕の額を軽く突っついた。

「う、うん……」

 ジト目で見下ろしてくるヘテロクロミアに、僕は若干気圧されながらもどうにか頷いた。反駁してはいけない気配が、何となく感じられる。

「うむ。重畳じゃ」

 僕の額に乗せられていない方の手が、まるでペットを可愛がるみたいに頬っぺたを撫でてくれるけど、下手に逆らうとこの手が何をしてくるかわかったものではなかった。

 僕は視線だけを動かして、周囲の様子を確かめる。

 気を失う直前まで、廃墟の街のど真ん中にある自然公園で戦っていたはずだ。けれど、いま僕が横たわっているのは土や芝生の上ではなく、真っ黒な硬い素材の床。

 よく見れば、床だけではなく天井も壁も黒で統一されている。

「……ここは……?」

「ふむ。ラトがあの化生を退治してからしばらく経つと、こうなりおった。なんぞロゼやフリムらは、仮想空間の解除されただの、通常空間に転移させられただのと言うておったが……わかるか、ラト?」

「う、うん、なんとなく……」

 この場所には既視感がある。あの謎の空間へ繋がっていた黄緑のゲート――あれがあった場所に似ているのだ。つまり、普段は白一色のルナティック・バベルの内装が反転して、漆黒に染まっていたあそこに。

 おそらくだけど、僕がフロアマスターであったヒュドラを倒したことにより、あの空間を形成していたシステムもシャットダウンして、第一一一層が本来あるべき姿に戻ったのだ。もしくは、あそこが完全な亜空間だったのなら、提示された条件を見事にクリアした為、ここへ還ってくることが出来た――という感じだろうか。

「えっと……そのロゼさんやフリムは? ここにはいないみたいだけど」

「なにやら探し人がおると言うておった。妾がここでラトを見ておるから遠慮せず行ってこいと言うと、あちらの方角へ向かって行ったぞ」

 ぴっ、と人差し指で僕の足裏が向いている方を示す。

 少し頭を上げてそちらを見てみると――フリムやロゼさんだけでなく、なにやら大勢の人影がかたまっているのが見て取れた。結構な距離があるらしく、顔の判別はつかないし、会話も聞こえてこないけど――

「あれ……? あの服……?」

 だけど、着ている服の色ならどうにかわかった。あれは、アシュリーさんが着ていたロングジャケットと同じ色合い。それが、どう見ても十人以上はいる。

「おお、あやつらか」

 僕の疑問にハヌが答えてくれた。

「まだ言うておらんかったの。あれはヴィリーの部下共じゃ。妾らとともにおぬしらを助けに来たのじゃぞ」

「一緒に……?」

「うむ。先刻の戦いにおいても外野でトカゲもどきと戦っておったらしい。あやつらには徒歩しかなかったからの。妾とロゼはあの通り、酉ですぐ駆けつけられたわけじゃが」

「ドラゴンと……戦闘……?」

 そう聞いた瞬間だった。

 ふふん、とドヤ顔を浮かべるハヌを他所に、僕は猛然と跳ね起きた。

「ほ?」

 がばりと振り返り、勢いよくハヌの両肩を掴んで顔を近付ける。

「――け、怪我人は!? あ、いや、っていうか僕達以外の人はどうなったの!? アシュリーさんとかあの四人とか!? みんな無事なほおふへっ!?」

 我ながらすごい剣幕でまくし立てようとしたところ、いきなりハヌに頬っぺたの両側をつねられてしまい、言葉が変になってしまった。

「……落ち着け、ラト」

 嘆息したハヌの、憮然とした視線が僕の顔に突き刺さる。これ以上騒ぐなら本当に怒るぞ、と蒼と金の双眸が言っていた。

 ぴた、と思わず体を硬直させてしまった僕の頬から手を離し、ハヌは語る。

「誰のことを言うておるかは知らぬが、ヴィリーらにもほぼ損害は出なかったと聞いておる。つまり、犠牲者もおらぬ。わかるか? 【死者は一人もおらぬ】。怪我人はおったかもしれぬがの」

 ぺちぺち、とハヌの両手が言い聞かせるように僕の頬を軽く叩いた。

「まぁ仮に怪我人がおったとしても、とうに治療されているであろうな。むしろ、一番の重傷者がおぬしだったのじゃぞ、ラト。そんなおぬしに他人の心配をしている余裕が――」

 ハヌが途中で言葉を切った。色違いの瞳が、不可思議そうに僕の顔をまじまじと見つめている。多分、僕の浮かべている表情のせいだろう。

「……よかった……」

 僕はどうにか、そう絞り出した。

 死者はいない――その言葉にほっとしすぎて、目に涙が浮かんでしまっていたから。

「……よかった……!」

 万感の思いに胸を衝き動かされて、喉が詰まる。

 ハヌの両肩を掴んでいる手どころか、体の奥底からおこりみたいな震えが湧き上がって来た。

 鼻の奥がツンとして、粘っこい水が出てくるのを感じる。

 慌てて俯き、ぐすっ、とすすり上げた。

「本当に……よかった……っ……!」

「ラト……」

 嬉しくてたまらないのに、涙が止まらない。

 ハヌの肩から手を下ろし、膝の上でぎゅっと拳を握り締める。

「だれも……だれもしななくて……みんな、ぶじで……ほんとに……よかった……!」

 我ながら情けないことに、僕は感情の昂ぶりを押さえられず、嗚咽を繰り返すことしか出来なかった。

 ぼろぼろと零れていく涙が頬を挟むハヌの手を濡らしているけど、まったく我慢がきかなかった。

「よかったよぅ……!」

 フリムや、アシュリーさんや、ニエベス達だけじゃない。

 助けに来てくれたハヌやロゼさん、そして一緒に来てくれたであろうヴィリーさんやカレルさん、『NPK』の人達。

 誰も欠けることなく。誰も犠牲になることなく。

 あの死闘を乗り越えることが出来た。

 シグロスと戦ったあの時みたいに、【ひどい光景】を見ずに済んだのだ。

 よかった――本当に、よかった……

「……まったく、本当におぬしという奴は……」

 くふ、とハヌが仕方なさそうに笑って、すりすりと掌で僕の頬を擦ってくれる。

 涙の勢いは全く衰えることなく、僕はまともに喋ることも出来ずにぐすぐすと泣きじゃくる。

 終いにはしゃっくりまで出てきて、どう見ても小さな子供みたいに噎び泣いた。

「……妾はまだ詳しい事情を知らなんだ。しかしの」

 優しい声でハヌが言って、くい、と顔が引っ張られた。体の内側から衝き上がってくる嬉し泣きの衝動に身を任せている僕は、そのまま導かれるようにして彼女の胸元へと顔をうずめた。

 よしよし、とちっちゃな手が僕の頭を撫でてくれる。

「ラト、おぬしが此度もよう頑張ったことだけはわかるぞ。よかったのう、念願が叶うて」

「……うんっ……うんっ……!」

 僕は喉の痛みを堪えながら、ハヌの腕の中で何度も何度も頷く。

 あの時からずっと、ずっと心に引っかかっていた負い目。

 たくさんの人が死んでしまった、殺されてしまったあの日。

 何も出来なかった自分。

 無力だった自分。

 ――だからこそ。

 今度こそ、あの時のように誰かを死なせたりしない――手の届く範囲、目の届く内にあるもの全部を守り切りたいと、強く願った。

 二度と諦めないという決意。

 もうあんな惨めな思いをしたくないという祈り。

 絶対に強くなるという誓い。

 だけど結局は、たまたまだったのかもしれない。

 偶然に偶然が重なっただけかもしれない。

 運が良かっただけなのかもしれない。

 何もかもが僕のおかげってわけでは絶対にない。

 それでも。

「……よかった……ほんとに、よかった……!」

 なんにせよ。

「まもれた……ちゃんと、かてた……!」

 結果が出せた。

 願いを叶えられた。

 だから。

「うむ。本当に重畳じゃったの、ラト」

 僕の頭を抱き寄せてくれたハヌが、ぽんぽん、と背中を優しく宥めてくれる。

 そして、まるで僕の心を見透かしたように、こう言ってくれた。

「おぬしの努力の賜物じゃ。おぬしの想いが、報われたのう」

「……!」

 その言葉が、ゼリーが滑り込むように僕の奥底まで一瞬で届いた。思わず喉がしゃくりあがり、息を呑む。

 努力が報われた――そうだ。きっとそうなのだ。

 この想いは。

 胸を熱くするこの気持ちは、きっと――

「――うんっ……! よかったっ……!」

 喜びだ。

 僕は再び滂沱と涙を流しながら、ハヌに頷いた。喉や鼻が詰まっているせいで濁音が混じってしまうけれど、それでも強く、はっきりと。

「よかった……! ぼく、がんばって……いっぱいがんばって……ほんとうに、よかった……!」

 手前味噌かもしれない。

 自意識過剰かもしれない。

 だけど、僕は自分なりに、たくさん頑張ったつもりだ。

「よかったよぉ……っ……!」

 どんなに痛くても、どんなに怖くても、どんなに逃げ出したくても――目だけは絶対に逸らさなかった。

 立ち向かい続けた。

 諦めかけた心を奮い立たせ、傷だらけの体を酷使して、最後の最後まで戦いきった。

 そしてなにより、ハヌが、ロゼさんが、フリムが力を貸してくれた。

 その結果、誰も死ぬことなく、みんなが助かったのなら。

 ちゃんと、いい結果が残せたのなら。

 頑張って、本当によかった――と。

 最後まで諦めず、死力を尽くし、頑張り抜いて、本当に本当に【よかった】――と。

 心の底から、そう思えたのだった。

「うむうむ。よかったのう」

 子供をあやすお母さんみたいに、ハヌは僕の頭を撫でさする。そのうち、ぽんぽん、と後頭部を軽く叩き、くふ、と笑った。

「……しかし、その泣き虫なところはなおらぬのう、おぬし。誰ぞにこのようなところを見られでもしたら、またしても文句をつけられてしまうのではないか?」

「えぐっ……ご、ごめっ、ん……」

 ひっく、ひっく、としゃっくりを繰り返しながら、僕はゆっくりハヌの胸から顔を離した。

「もうっ、すこっし……おちっ、ついたら……だい……あれ……?」

 ぐしぐしと服の袖で涙を拭っていると、何だか妙な違和感があった。

 仕方ないのう、と苦笑しているハヌの顔。その下にある、さっきまで僕が顔を埋めていた胸のあたり。

 そこが、深紫色の液体で汚れていた。

「…………?」

 何となく予感するところがあって、さっきまで涙を拭っていたジャケットの袖を見ると、元々ディープパープルだったそこが、さらに色濃く濡れている。

 まさか……?

 スンスンと鼻を鳴らしながら、両手で目元や鼻水を拭ってみる。それから掌を広げて見てみると――

「あ……」

 深紫色の血で、べっとり濡れていた。

「ラト……?」

 俯いている僕の様子がおかしいことに気付いたのだろう。ハヌが下からこちらを覗きこみ――鋭く息を呑んだ。

「――ラトっ!? な、何じゃ、ど、どうしたのじゃおぬし!?」

 血相を変えて叫ぶハヌ。それもそのはずだ。なにせ、彼女が見たものは、目と鼻からフォトン・ブラッドを垂れ流す僕の顔だっただろうから。

「……わ、かん、ない……なん、だろ……?」

 自分はずっと涙を流していると思っていた。鼻の奥から出てきているのは鼻水だと思っていた。

 でも本当は、ずっと血を流していたのだろうか?

 ハヌが僕の体に飛びつき、あちこち触りながら、

「い、痛くないのか!? 何が、何があったのじゃ!? 大丈夫なのか!?」

「……えっと……」

 何だろう。血が足りなくなったのだろうか。上手く頭が回らない。この状況、自分としてもかなり驚いているつもりだ。涙だって引っ込んでしまった。いや、最初から流していなかったのだから、引っ込むも何もないのかもしれないけれど。

 頭がぼけっとして、上手くリアクションがとれない。

「……けが、なの、かな……?」

 とりあえず治癒術式〈ヒール〉を発動させるけど、あまり変化は感じられない。

 そうこうしている内に、頭がくらりと揺れた。

「あれ……?」

 心が世界から切り離された――そう感じた。

 体から急速に力が抜けて、視界が大きくブレる。どうやら僕は膝立ちのまま左へ倒れたらしい――と、目に映る風景の変化から察せられた。ごつん、と即頭部を床にぶつけるけど、何だかあんまり痛くない。まるで自分の体が、自分のものではなくなったかのようだった。

 ――なんで、僕……?

「ラトっ!? 大丈夫かラトっ!? しっかりするのじゃ! ――ロゼッ! 聞こえるかロゼッ!? ラトが、ラトが倒れたっ! はようきてくれ! ――わ、わからぬっ! 血が……血が止まらぬのじゃ! いいからはようッ!」

 ほとんど半狂乱になったハヌの声が聞こえる。どうやら彼女はスイッチを介してロゼさんと連絡をとっているらしい。そうしながら、横倒れになった僕の顔に手を触れさせ、何度もラトと泣き叫ぶ。そうしていなければ、自分の心臓が止まって死んでしまうかのように。

「ラト、ラトっ! 目をつむるでない! ラトぉっ! 妾がここにおるぞ! ラ」

 すぅ、と声が遠くなった。僕とハヌの間に音を吸収する壁が現れたみたいに、呼びかける声が急速に遠ざかっていく。気付けば、視界も真っ暗になっていた。

 朦朧とする意識の中、ハヌにものすごく心配をかけさせていることだけは理解できていた。

 なのに、体がまったく動かない。指一本どころか、声さえ出ない。

 ――ごめん……

 水底から浮かび上がってくる泡のような、そんな思考。

 ――心配かけて、ごめん……ハヌ……

 もう見えないけれど。もう聞こえないけれど。今もあの子は僕の体を揺さぶり、僕の名前を叫び続けてくれているだろう。

 それが本当に申し訳ない。

 そんな慚愧の念を抱えながら、僕の意識は闇の底へと呑まれていった。



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