リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●26 仲間と、みんなと一緒に





 あまりの高速移動によって自慢の髪がほぼ水平にたなびき、フリムは文字通り後ろ髪を引かれる思いで走っていた。

 合理的な判断の結果とはいえ、アシュリーに重すぎる負担を強いてしまった。それも、本来ならばこちらから頭を下げるべきところを、彼女の口から言わせてしまった。

 生きて戻れたらエアバイク代の半分を出してもらう――などと嘯いていたが、あれはおそらく本心などではなく、彼女なりの激励だろう。だが本当に街に戻れた日には、半分どころか全額払ってやっても構わない。それほどまでにフリムはアシュリーに感謝していた。

 だから。

「――ハルトぉぉぉぉぉっ!」

 今なお内側から破壊が続けられているヒュドラの本体部へ直行しながら、そこにいる弟分の名前を叫ぶ。

 何が何でも、絶対、この上なく、必ず、あの少年を正気に戻してみせる――!

 それこそが、アシュリーの献身に報いる唯一の結果だった。

『SSSSHHHHAAAAA!!』『SSSHHHRRRRRRRRR!!』

 フリムの急接近を察知したヒュドラの首二本が、金色の眼を瞬かせ、くん、と鼻先を向けた。

 うるさい、すっこんでいろ。むしろ今からお前達を助けてやろうと言うのだ。邪魔をするな。

「サティ! ダブル・マキシマム・チャージ!」

『ママキシマム・チャージ』

 白銀の長杖に自身のフォトン・ブラッドを呑み込ませる。長杖を握る手袋は、ブーツと同じく真っ白な霜に覆われていた。オーバーフローを防ぐため、ドゥルガサティーにも〈アイスブランド〉を発動させているのだ。両手がかじかみ手放しそうになる点については、〈ハーデンペトリフィ〉で固着させている。凍傷を除けば、問題は一切なかった。

『スヴァリンシールド』

 紫の流体が渦を巻き、ドゥルガサティーの先端から拡散する。出来上がるのは、巨大な傘のようなシールドだ。それを前面に押し出し、大気の抵抗をものともせずフリムはスカイレイダーに更なる加速を命じる。

『SSSSYYYYYYAAAAAAAAAAAA――!!』

 二条の熱閃が発射された。ほぼ真っ正面から放たれた怒濤のごとき熱波に、しかし少女は構うことなく突っ込んだ。

『ジェット・ファイア』

 ブーツの靴底から膨大な噴射炎。高速移動中に、さらに尻を蹴っ飛ばされたかのごとき急加速。

「邪魔――す る な ぁ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ っ ! ! 」

 叫び、スヴァリンシールドで大型車両すら軽く呑み込むであろう規模の熱閃を切り裂きながら突き進む。

 突破した。

 熱と光の障壁を越えた先で視界が広がり、ヒュドラの本体部を近くに捉えた。〝眼球〟を取り囲むドーム状の装甲が無惨に切り裂かれ、あちこち内部機構が露わになっている。毒色の装甲の内側からは今なお破壊音が連続しており、ポップコーンが弾けるようにそこかしこが破裂して中身が飛び出してくる。

 その破壊の密度が高い場所に、弟分の少年がいるはずだった。

『――出てきなさいハルトッ! お姉ちゃん命令よッ!』

「とっととツラ見せなさいハルトッ! アタシ怒ってんだからね!」

 ルーターの念話と肉声の双方で呼び掛ける。すると一瞬、ヒュドラの内部から響いていた音が止んだ気がした。

 突如、半壊した〝眼球〟のすぐ近くが大きく破裂した。

「――!?」

 開いた穴からまず巨大すぎる剣――〈鬼包丁〉の切っ先が顔を覗かし、続けて刀身、剣柄、深紫の戦闘ジャケットを着た少年と、順に姿を現す。

 素直に出てきたところを見ると、とりあえずこちらが何を言っているのかは理解しているらしい。そういえばさっきの会話も、短くてつっけんどんではあったが、受け答えはしっかりしていた。

 要は、極度に戦闘に集中する余り、それ以外のものに対する配慮を全て忘却したような状態なのだろう。フリムはそう推測する。

 ――なにしてんのよッ! ほんとにもおっ! アンタも――アタシもッ!! っんとにもおおおッ……!

 沸々と湧き上がってくる怒りは、無論一部は少年に対するものも含まれているが、実際には自分自身に対するものが大半を占めていた。

 そもそもの発端は、フリム自身が危機に陥ったところにある。そこを少年に救われ、その結果――経緯はわからないが――彼はあんな状態になってしまったのだ。

 何がトリガーになったのかはわからない。だが、こんな飢えたように戦いを求める少年を見るのは初めてだ。

 今こうして目の前にしても思う。こちらを見つめる黒い――否、〝SEAL〟の輝紋が眼球内部にまで浸透して、双眸が深紫に輝いている――視線がひどく無機質だ、と。

 未だに信じられない。彼が、自分をこんな無感情な目で見つめてくるなんて。

 魚のような、こちらを見ているようで見ていない、そんな少年の瞳。

 その冷たさに、かなりイラっときた。

「――アンタちょっとこっち来なさいッ!」

 一直線。ドゥルガサティーの『スヴァリンシールド』を解除し、左手を前を突き出して一気に接近。少年のすぐ側を通り抜け様、その首根っこを引っ掴む。

 正気でないのはわかっている。とにかくヒュドラから引き離し、戦いの挙げ句、ヘラクレスに止めを刺した時のような自爆攻撃をさせないようにしなければ。

 そう考えて少年をヒュドラの攻撃が届かない場所へ連れて行こうとしたところ――ガギンッ! と猛烈な抵抗が生まれる。フリムの左肩が引っこ抜けるかと思うほど、ビン、と腕が張った。

 何事かと思って振り返ると、少年が毒虫色の装甲に〈鬼包丁〉を突き立て、フリムの引っ立てに抵抗していた。

「ちょ――アンタねぇッ!?」

『はなして。たたかう』

 頑なな声が頭の中に響く。戦うことしか考えていない戦闘機械――それこそ、フリムの作ったドゥルガサティーやスカイレイダーの合成音声のような口調だった。

 ふと見れば、少年が握る〈鬼包丁〉は見る影もなくボロボロになっている。黒帝鋼玄の〈大断刀〉ほどではないが、それでもかなり頑丈に打たれた武器だというのに。それを見ただけで、少年の見境のない暴れぶりがわかろうものだった。

「――!」

 故に、絶対に引き剥がす、というフリムの意志はさらに力を増した。

「――レイダー、オクタプル・マキシマム・チャージ!」

『ママママママママキシマム・チャージ』

 馬鹿でかいフロアマスターの頭を粉々にぶっ飛ばした時と同じ出力を、スカイレイダーに呑み込ませる。少年の首根っこから手を離し、今度はこちらに背を向けている彼の腰に素早くしがみついてやった。絶対に離すまい、と全力で力を込める。そして、その状態で足裏を進行方向とは逆に向けた。

 さっき誓った通りだ。

 何が何でも、絶対に、この上なく、必ずや、この少年を正気に戻す。

 その為なら力も惜しまないし、手段も問わない。

『バーニング・ジェット・ファイア』

 先程の数倍にあたる噴射炎がスカイレイダーの靴底から溢れ出た。

「「!?」」

 加速などというレベルではなかった。バットに打たれたボールがごとく、打ち上げられた花火がごとく、戦車砲から放たれた砲弾がごとく、フリムと少年は【吹っ飛んだ】。

 あまりの衝撃に、早くもガタがきていた〈鬼包丁〉の刀身が半ばからへし折れた。

 瞬間的に二人の体にかかった荷重は測定不能なほどで、フリム自身、支援術式によって身体能力が二倍になっていなければ間違いなく失神していただろうと確信する。

 一気にヒュドラから百メルトル以上も離れた場所に落下した二人は、くっついたままサッカーボールよろしく地面の上を跳ねた。そのまま十メルトル以上も転がり、そこでようやく慣性を使い果たして停止する。

 止まってすぐ、最初に動いたのは少年のほうだった。当たり前のようにむくりと身を起こし、立ち上がろうとする。だが腰にフリムが抱き付いているせいで上手くいかない。

「はなして。フリム」

 抑揚のない口調で言って、腰に食い込む姉貴分の腕をはずそうとする。が、直前でその手が止まった。〝アブソリュート・スクエア〟状態でそんなことをしたら、下手すれば彼女の腕の骨を粉々にさせかねない――無意識にそう察したのだ。

 これに激発したのはフリムだ。

「――アンタねぇっ! これでもまだ目ぇ醒めてないわけっ!?」

 まだクラクラと揺れる頭を無理矢理我慢して、ついに残っていた右側のツインテールまで解けてしまった少女は、少年の背中に額をくっつけたまま怒鳴りつける。ヒュドラの攻撃から助けて貰った時と、今のとを合わせて、服も髪もすっかり泥だらけだった。

「ごめん。はなして。たたかう」

 一瞥もせず少年は告げる。その視線は真っ直ぐ敵――ヒュドラへと真摯に向けられている。

「だからダメって言っているでしょ! ちょっとは落ち着いて冷静になりなさいよ!」

「はなして」

 腕は振りほどかないまでも、少年は圧倒的な膂力で立ち上がり、もはやフリムを引き摺ったまま歩き出す。

 まるで話にならない。

 むしろ、こっちを邪魔者扱いである。こちらの言葉は、戦いの虜となってしまった少年には〝馬の耳に念仏〟というより、〝のれんに腕押し〟であった。声は届いてはいるが、全く聞き入れる様子がない。

「――――。」

 ふと、その態度に滅茶苦茶カチンときた。

 ぶち、とフリムの頭の中で何かの切れる音が響く。

「あー……そう……そうね、そういうことね……」

 ぞっとするほど低い声をこぼし、ズリズリと引き摺られながら黒髪の少女は深い溜息を吐く。

「……わかったわハルト。ちょっと止まって。手ぇ離してあげるから」

 そう言うと、声だけはしっかりと聞こえている少年はピタリと立ち止まり、腰に絡まった腕がほどけるのを待つ体勢に入った。戦うことを優先するあまり、そこに利することならば、何でも素直に受け入れてしまう状態なのだろう。

「――あと、アタシが手ぇ離したら、一回だけこっちに振り返りなさい。そしたら、もうアンタが戦うの邪魔しないであげるから」

「わかった」

 これもまた拍子抜けするほどあっさり受け入れた少年に、フリムは隠れて、にやり、と笑った。

 果たして、フリムが地に足をつけ腕を離すと、少年は約束した通り一度だけこちらに体を振り返らせた。

 フリムはにっこりと、天使のごとき笑みを浮かべた。小首を傾げ、鈴を転がすような優しい声音で告げる。

「――一言だけ言わせて?」

「?」

 何? という風に少年が一度だけ瞬きをした。

 次の瞬間、フリムは野獣のごとく猛然と少年につかみかかった。

 ガシッと両手で少年の頭部を挟み込み、笑顔の仮面をかなぐり捨て、キス寸前の距離まで、眉間にこれでもかと皺を寄せた獰猛な顔を近付ける。

 そして、遠雷にも似た重苦しい声で、

「弟なら【お姉ちゃん】の――」

 くんっ、と少年の頭を掴んだまま身を大きく仰け反らせ、

「言うことを――」

 反転。

 人形のように無表情でいる少年の額めがけて、

「――ちゃんと聞きなさいッッッ!!!」

 【全力で頭突きをぶちかました】。



 釣り鐘を撞木で突いたような、凄まじい音が響き渡った。



 あまりの威力に、ぶわ、とフリムの黒髪が跳ね、翼のように広がった。毛先まで衝撃が突っ走ったかのようだった。

 音の余韻が長く伸びる。

 やがてそれもフェードアウトしていき――沈黙が下りた。鳥が羽を畳むように、フリムの髪が垂れ下がる。

「…………」

「…………」

 二人とも、微動だにしない。

 しかし、片や支援術式の重ね掛けで強化係数一〇二四倍の少年。

 片や、強化係数二倍ぽっちのフリムである。

 どちらに軍配が上がるかなど、知れていた。

 ふらり、と少女の体が揺れた。途端、両の膝が折れ、そこから崩れ落ちる。

 力を失った肢体が背後に傾き、このままでは地面に後頭部をぶつける危険な倒れ方を――

 しなかった。

 咄嗟に腕を伸ばした少年が、フリムの腰を抱き止めていた。

「――あれ……?」

 と呟き、〝SEAL〟の励起が収まった漆黒の瞳をパチパチと瞬かせる。

「……フリム……? あ、わっ……!?」

 慌てて崩れ落ちるフリムの体を強く抱きしめ、ゆっくりと地面に下ろし、腰を据えさせる。

 それから少年はしばし呆然とし――ふと夢から醒めたような顔で、

「――えっと……あれ……? ――もしかしてコレ、現実……?」

 と独りごちた。





 ■





 ずっと夢の中で戦っているようだった。

 全身に分厚い膜がかかったまま、ゲームのデモ画面でも眺めているかのような気分だった。

 意識はあるはずなのに、頭はぼーっとして何も考えられず、体が勝手に動いて戦っていた。

 だから、夢だと思っていた。

 起きたら消えてなくなる幻だと思っていた。

 なのに。

 幼馴染の少女の頭突きが額に決まった瞬間、その全てが吹き飛んだ。

 五感にかかっていた断熱材が全て取り払われて、いきなり寒空の下に放り出されたみたいだった。

 視覚も、聴覚も、触覚も、嗅覚も、味覚も、何もかもが鮮烈になった。

 あまりにも唐突に目が覚めたものだから、今自分がどこにいて、何をしているのか、さっぱりわからなくなってしまった。

 頭の中が真っ白になっていた。

「――もしかしてコレ、現実……?」

 咄嗟に抱きとめたフリムを地面に下ろした後、僕は呆然と呟く。

 突き抜けるような空の青さも、吹き荒ぶ風の音も、体のあちこちが痛いのも、鼻の奥がツンとするのも、口の中が鉄の味で一杯なのも、どうしようもなく鮮烈で、明瞭だった。

 状況からして、感覚からして、夢から醒めたであろうことは頭のどこかでわかっていた。

 だけど、てっきり夢だと思っていた光景がいきなり現実と化してしまい、その事実をにわかに受け入れることが出来なかったのだ。

「……もしかしてもなにも、現実以外のなんだっていうのよ、このおばか……」

 僕の腕の中でぐったりとしていたフリムが、思いがけずはっきりした声で言った。はっとして見ると、彼女は少しだけ口元を綻ばせて、僕をアメジストの瞳で見上げていた。

 その手がすっと伸びて、僕のおでこをツンツンと突っつく。

「……思った以上に石頭だったわね、アンタ……」

 くしゃ、と顔を顰めて笑うその顔を目にした瞬間、僕は何もかもを呑み込んだ。

「……!」

 爆発的に実感する。

 さっきまで見ていた夢は、全て現実のことだったのだ――と。

 度し難いことに、一部始終をちゃんと覚えていた。

 正気を失い、フリムの制止もアシュリーさんの諌言も全て無視して、本能の赴くがまま暴れ回っていた――その顛末まるごと。

 こうしてフリムが身を挺して止めてくれるまで、僕は全く何も気付かなかったのだ、と。

「フリム……ご、ごめん、僕……」

 謝ろうとした僕のおでこを、フリムの手がすりすりと優しくさすった。暖かい掌の温度が、頭の中まで染み渡ってくるかのようだった。

「……目、醒めた? 体は大丈夫? 痛いところがあったら、ちゃんとアタシに言いなさいよ……?」

「ッ……!」

 微笑みながら僕を心配する彼女の額こそ、ぱっくり割れて、キラキラと紫に輝く血が流れ出ていた。そのくせ僕が首を横に振ると、

「そ、よかった……」

 なんて言って嬉しそうに目を細めるものだから、僕は堪らず目頭が熱くなってしまう。

「――ごめんっ……ごめんなさいっ……!」

 それだけしか言えなかった。勿論、すぐに〈ヒール〉を発動させて彼女の傷を塞ぎにかかる。

「でも、無茶だよ……僕、めちゃくちゃ硬くなってたのに、ど」

 うして、と問おうとして、はっと気付く。そんなの聞くまでもない。巡り巡れば、最終的には僕のせいなのだ。僕を止めるため、正気に戻すために、フリムは文字通り体を張ってくれたのだから。

 にゃは、とフリムが自嘲気味に笑った。

「……何言ってんのよ、あったり前でしょ? アンタが危ない時に【アタシ】が体張んないで、誰が体張るっていうのよ。……っていうか、無茶だとか、アンタにだけは言われたくないんだけど……このおばか」

 こつん、とフリムの緩く握った拳骨が、また僕のおでこを軽く突っついた。

「うん……うんっ……ごめん、ごめんねっ……!」

「もう、なに泣いてんのよ……男でしょ? 全く、相変わらず泣き虫ハルトなんだから……」

 そう言って、僕の【お姉ちゃん】はまた笑う。傷はとっくに治っているけれど、さっきのは大岩に全力で頭を打ち付けたようなものだ。内部に浸透したダメージは、流石にそうそう抜けるものではない。今になっても、フリムの四肢にはほとんど力が戻っていなかった。

 それにしても、不思議な一撃だったと思う。

 僕は〝アブソリュート・スクエア〟状態で、それこそ鉄壁の防御力を有していたはずなのに。フリムの、しかもただの頭突きだなんて、虫に刺されたほども感じなかったはずなのに。

 魂の一撃、とでも言おうか。物理ではなく、それ以外の【何か】が額を貫通して、頭の中心部に届いたかのような――そんな一発だった。

 考えてみれば、すごい威力だったと思う。

 シャボン玉が弾けたみたいに目が醒めて、ついでに〝SEAL〟で動いていたプロセスもその大半がぶっ飛んだ。

 そういう意味では、あれほど致命的な一撃はそうもないだろう。まぁ、そのおかげで、力余ってフリムの背骨を折る羽目にならなくてよかったのだけど。

「――ごめん、ハルト……アタシ、ちょっとだけリタイア。アンタは先に戦いに戻ってて。アシュリーが待ってるはずよ」

 僕の胸を押してフリムがそんなことを言い出したので、僕は思わず声を高めてしまう。

「で、でもっ……!」

 自分でも彼女の言うことが正しいとわかっていながら、つい感情的になって出てしまった否定の言葉。

 すると今度は、ごつん、と強めにおでこを拳骨で殴られた。

「デモもストもないわよ。アシュリー一人じゃ耐えきれるわけないでしょうが。一応あのヴァカも生きてはいるみたいだけど、全然反応なしだし。このままじゃ全滅しちゃうわよ」

「……………………うん……」

 ニエベスについては頭の隅っこで何かが引っかかった気がしたけど、フリムに額をぐりぐりされている内にその感覚を忘れてしまった。

 にゃは、とフリムは笑って、

「アタシなら大丈夫よ。ここならそうそう攻撃も届かないし、ちょっと休めば動けるようになるから。――それよりもアンタ、わかってんでしょね? あいつの倒し方」

「……うん。それなら大丈夫」

 ちら、とヒュドラの一瞥しながらの念押しに、僕はしっかと頷いた。

「九つの頭全部と、本体。全部一気にやっつける」

 そう答えると、フリムはにっこり微笑んだ。

「オッケー、それがわかっているなら上出来よ。……でも、ほんとに大丈夫? ちゃんと一人で出来る?」

 だけど最後の質問で急に声を低め、彼女は僕の顔を下から覗き込みながら聞いてきた。

 その時、その声音に不安そうな響きが隠れているのが、僕にはわかってしまった。

 本音を言うと、かなりの無茶だと思っている。あれだけの大きさを誇るフロアマスターを相手に、九本もの首を首を潰してから、ほぼ時間差なく堅固な防御シールドを持つ本体を撃破――改めて考えるだに、途方もない所業だ。

 しかもそれを、ほぼ僕一人で成し遂げなければならない。本体部のシールド除去ないしは撃破をアシュリーさんにお願いしたいところだけど、ドラゴンの相手もあるからそれは難しいだろう。これは、フリムが戦線に復帰したところであまり変わらない。あの時、フリムの『ライトニング・グラビトン・ドリル・クラッシュ』は短い接触時間だったとは言え、シールドを破れなかった。あの青白い防護膜は、並大抵の攻撃では貫けないのだ。

 でも。

 だからって、ここで『無理』とか『出来ない』なんて、言えるわけがない。

 だから僕はこう返した。

「大丈夫だよ、フリム。絶対に成功させるから」

 笑顔というのは人間の数ある表情の中でも一番【作りやすい】ものだ――という話を聞いたことがある。笑うときに使用する表情筋は十数本しかないのに、怒りの形相のときは、その三倍ぐらいの本数が必要になるのだそうだ。

 だから、人は嘘をつくときには笑うのだという。それが一番、誤魔化しやすくて、浮かべやすい表情だから。

 ――本当にその通りだった。



「僕は三ミニトの間だけなら、世界最強の剣士だから」



「――――」

 アメジスト色の瞳が、びっくりしたように僕を見つめている。

 多分、これが嘘だっていうのはバレているだろう。強がりだっていうのは、いくらなんでも隠しようがない。特に長い付き合いの彼女には、どうしようもなく見え透いてしまっていることだろう。

 だから。

「……って、こう言わないと、こういうときは無理でもそう言いなさいよ、って怒るでしょ? フリムは」

 と僕は補足した。ちょっとだけ、冗談めかすように。

 すると彼女は、目をぱちくりとさせて、言葉を失くしてしまった。

 やがて、長い沈黙の果てに――

「…………………………ぷっ」

 と噴き出す。どうにも堪えきれなかった、という風に。

「あはっ――あっはっ、あははっ、あはははははははっ♪」

 そこからは堤防が崩れるかのようだった。こんな状況だっていうのに、フリムは大口を開けて、空に向かって高らかに笑い始めたのだ。

 ――って、いやいや、

「ちょ――い、今の笑うところじゃないよっ!? ぼ、僕、そんなにおもしろいこと言ってないつもりなんだけどっ!?」

「あっは! あはははっ! ご、ごめんごめん――ぶふっ! っくく……あっははははははっ♪」

 一度は我慢しようとしたのに、やっぱり耐えきれずに再び噴き出す。体調が万全だったら地面でも叩きまくっていただろうか。それぐらいの勢いでフリムは笑っていた。お腹が痛いのか、体をくの字に折って身を震わせ、目尻には涙まで滲んできている。

 ひどい話があったものだった。

 フリムは目の端から零れ落ちそうな涙を、右手の指先で拭いながら、

「はー、ごめんごめん、あんまりにも――あっはっ♪ いや、あんまりにも似合わなかったもんだから……ぷくくっ……!」

「……いい加減にしてくれないと、流石にちょっとへこんでくるんだけど……」

 割と本気で落ち込んできたので、それを素直に言葉に出した。戦意ごと萎えてきそうなので、結構本気で勘弁して欲しい。

 というか、こんなやりとりをしている場合ではないである。

 真面目な状況で真剣な話をしていたのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。

「ごめんごめん――だからごめんってば。悪かったわよ。アンタらしくもなく格好いいこと言うから、つい……ね? あ、ほらアンタ、武器はあるの? ないならコレ持って行きなさいよ」

 ようやく笑いの発作が落ち着いてくれたフリムは、出し抜けに手に持っていた白銀の長杖――ドゥルガサティーを僕に差し出した。

「え? でもこれは……」

「いーのよ。アタシにはレイダーがあるし。っていうか、生半可な武器じゃアンタの戦闘機動についていけないでしょ? あの〈鬼包丁〉ですら保たなかったんだから」

「あっ……」

 そういえば、と気付かされた。意識が朦朧とする中、祖父の形見の中でも一番大型の武器を取り出し、ヒュドラの内部で暴れ回った挙げ句、あっという間に摩滅させてしまったことを思い出す。

 確かにフリムの言う通りだった。あの武器より頑丈なものは、僕のストレージには入っていない。

「これをこうして――こう。よし」

 フリムはストレージから取り出した銀色の筒をドゥルガサティーのスリットに差し込み、カチリ、と音を立てた。

「はい。仕組みはあのヴァカに貸したクラウソラスと一緒よ。多分『ナギナタブレード』ならアンタの使い慣れた形になると思うから、そっちがお薦めね」

「あ、ありがとう……」

 おっかなびっくり、パーツが追加された長杖を受け取る。スリットに挿入された銀色の筒は、彼女のフォトン・ブラッドが内包されたエネルギーカートリッジだ。長杖の所々に氷が付着しているのは、何かの術式の名残だろうか。

 ドゥルガサティーは〝SEAL〟からコマンドを直接送って操作すると聞いている。扱い方なら問題はない。

 僕はゆっくりとフリムの身を支えていた腕を離し、白銀の長杖を手に立ち上がった。

「――じゃ、フリムはここで待ってて。すぐ、アイツを倒してくるから」

 そう宣言すると、従姉妹の少女はにやりと笑った。

「アタシの分も残しておいて――って言いたいところなんだけど、まぁしょうがないか。じゃ、行ってきなさい、ハルト」

 ぐっ、と握りしめた拳を持ち上げ、僕に差し出した。

 応えるように僕も笑って、こつん、と拳を突き合わせる。

「――行って来ます」

 そう告げて、駆け出そうとした瞬間だった。

 突然、空が、光った。

 スミレ色に。

「――!?」

 動き出そうとしていた体が、驚愕に固まる。

 一体何が起こったのかわからぬまま、けれど事象は僕のことなど構うことなく進行する。

 空一杯に広がったスミレ色に輝く巨大なアイコン。その中心部と思われる空間へ視線が吸い込まれ――

「!?」

 そこから巨大な風の牙が飛び出した。

 向こうの景色が歪んで見えるほど巨大な力の塊――個体空気の砲弾が、ヒュドラの本体部へと直撃する。

『SSSSSSHHHHHHHRRRRRRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――!?』

 多頭蛇の悲鳴はここまで聞こえてきた。巨躯のさらに頭上から落ちてきた、空に棲む神獣の爪牙がごとき一撃に、一瞬にしてフロアマスターの全身がズタボロになる。

『SSSSSHHHHRRRRR!!』『SSSSHHHAAAAAAAAA!!』

 傷ついた機械の体を再生しながら、生き残った首が空に向かって熱閃を吐き出した。光の柱が幾本も空を切り裂き、スープをかき混ぜるような動きで躍る。

 そんな閃光の隙間から、一羽の鳥が飛び出した。

 ――まさか……

 スミレ色の光線で形作られた、ワイヤーフレームの鳳。

 群がるヒュドラの熱閃攻撃を、時に巧みに、時にダイナミックに避けながら、まっすぐこちらへと飛翔してくる。

 ――まさか、まさか、まさか。

 その鳳の姿は見る見る間に大きくなっていき、すぐにもその背中に乗っている二人の人物の輪郭が見えてきて――

 ――嘘……本当に……?

 陽光を七色に反射する銀色の小さな頭が、

 風になびく長いアッシュグレイの髪が、

 近付いて、

 綺麗なヘテロクロミアが、



「ラトぉ――――――――――――――――――――ッッッ!!!」



「――ッ……!」

 ずっと、心の奥底で、ずっとずっと――ずっと聞きたいと思っていた【その声】が、耳の奥に染み込んできて、

「ハ……」

 我知らず肺腑から声が昇ってきて、

 じわりと目に涙が滲んで、鼻の奥がツンとして、

 だから、

「ハヌ――――――――――――――――――――ッッッ!!!」

 僕も全力で叫び返した。

 あっという間だった。

 高速で飛翔する鳳が急降下してきたかと思うと、その背中から蒼と紅の鎖が飛び出し、僕とフリムの体を巻き取る。次の瞬間には一気に大空へとかっさらっていった。

「わっ――わぁあああああああああああっ!?」

「きゃあああああああああああああっ!?」

 二人して悲鳴を上げながら、瞬く間に上昇していく際の強風に全身をなぶられる。

 そして、ふっ、と風が止んだかと思うと、その時にはもうかなりの高空に浮かんでいた。地上のヒュドラが、人形か何かのように見えるほど小さくなっている。

 ものすごく驚いたけれど、しかしロゼさんの放った蒼銀のレージングルと紅銀のドローミは、そのまま意外なほど優しい手付きで僕らを鳳の背中へと誘ってくれた。

「――ご無事で何よりです、ラグさん、フリムさん」

「ロゼさん……!」

 そっ、とワイヤーフレームの鳳――ハヌの正天霊符による〝酉の式〟の背中へ降ろされると、まずロゼさんの涼しい顔が迎えてくれた。相変わらずの鉄仮面だけど、それがむしろほっとする。

 よく見ると目の前にいるロゼさんも、鳳の頭の上に立つハヌの小さな体も、蒼と紅の鎖によってスミレ色の鳥の背に固定されていた。道理でこちらへ来るまでの高速機動で振り落とされなかったわけである。

「ラトよ、色々と積もる話もあるが、全て後回しじゃ! まずはあのでかい化生を滅殺してから、詳しいことを聞かせてもらうからの!」

 僕らに背を向けて〝酉の式〟の操縦に集中しているハヌが、いつも通りの威風堂々とした声で言い放った。正天霊符の扇子型リモコンを右手に、左手で刀印を作って大きな鳥の細かい操作に腐心している。

 それに対し僕が『何がなんだかよくわからないけど、とにかく来てくれてありがとう』的なことを言おうとしたタイミングで、

「――話は後じゃ! 舌を噛むでないぞ!」

「へ?」

 ハヌが鋭く言い放った瞬間、ぐるん、と視界の上下が反転した。

「――!?」

 鳳がバレルロールを行ったのだ。

 そのまますごい勢いで目の前の光景がグルグルと回転する。

「――ッ!」

 喉から出掛けた悲鳴を噛み殺す。

 僕やフリムは、自分自身が〈シリーウォーク〉やスカイレイダーで似たような戦闘機動をすることがあるから慣れているけど、そうでなければ、今頃は絶叫の唱和が生まれていたことだろう。それぐらい激しい挙動だった。

 おそらく以前見た時よりも大きい――正天霊符は使用者の術力によって発動の規模を変えられる仕様だから――サイズの鳳が、豪快に風を切って見事なマニューバを披露した。

 地上からこちら目掛けて発射されたヒュドラの熱閃を、余裕を持って回避しつつ、同時に空中を旋回して敵から離れすぎないよう距離を調節する。一体いつの間にこんな技術を――と思うほど、ハヌの操縦は神がかっていた。

 グルグルと回転しながら縦横無尽に空を飛翔するスミレ色の鳳。激しく揺さぶられるその背中で、しかし至極冷静にロゼさんが話を進める。

「小竜姫。ラグさんをしてここまで傷だらけということは、あの怪物は一筋縄ではいかない相手ということでしょう。最低限の情報共有は必要かと」

 左手で長いアッシュグレイの髪を押さえながらの言葉に、おお、とハヌが得心する。

「確かにの。言われてみれば、妾の術も大して効いておらぬようじゃ」

 色違いの視線が見下ろす先には、壊れた端からウネウネと再生していく多頭蛇の巨体がある。ハヌの〈天剣槍牙〉は実にヒュドラ本体部の八割以上を吹き飛ばしていたのだけど、早くもそのダメージのほとんどが回復しつつあった。やはり本体部だけでなく、九つ首にあるコアカーネルも一緒に破壊しなければならないのだ。

「のうラト、あの化生はどう退治すればよい? ちょうどよくクラスタ全員が揃っておるのじゃ、おぬしが指揮をせい」

「えっ、し、指揮!?」

 いきなりの振りに思わず声が高まってしまった。

「え、えーと、えと、えーと……!」

 ヒュドラのコアカーネルが複数あること、それを一気に撃破しないと活動停止させられないこと、アイツの付近には共闘しているアシュリーさんやニエベスがいるだろうこと――そんな情報が頭の中でこんがらがって、どうにも上手く言葉に出来ない。

 すると、

「――残念だけど、あの化け物にはコアがいくつもあるみたいなのよ。多分、九個の蛇の頭と、真ん中に目ン玉がついてるでかいところ。あの十箇所をほとんど同時に潰さないと倒せないわ」

 フリムがロゼさんに体を寄せて、僕の代わりに簡潔に説明してくれた。

「ついでに言うと、アイツの近くにはアタシ達の味方がいるわ。出来ればそっちと連携して、どうにかしないと――ってのが今の状況よ。あと、アタシ今すんごく疲れてるから、もう少し休まないと戦力にならないかも。ごめん。そんな感じ」

 まだダメージが抜けきっていないのだろう。フリムの口調は淡々としていて、喋り終えた後にはひどく疲れた感じの溜息が続いた。

「……ふむ。なるほどのう」

 鳳を急上昇させながら、ハヌが頷く。

 僕からでなく幼馴染みの従姉妹からの説明だったけれど、彼女は特に文句を言うこともなく呑み込んでくれた。珍しい気もするけど、それだけ状況が逼迫していることを理解してくれているのだろう。

 と思ったら。

 続く台詞はやっぱりハヌだった。

「――ならば、妾の術式で一気に殲滅してくれようぞ」

 にやり、と笑ったに違いなかった。こっちに背中を向けているから見えないけど、絶対そう笑ったはずだ。間違いない。僕にはわかる。

「あ、あのね、ハヌっ」

 それはダメなのだ。下手をしたらアシュリーさん達をも巻き込んでしまう恐れがある。まずは避難を促して――っていやいや、その前にここはルナティック・バベルの中のはずだから、ハヌの術式を使った日にはえらいことに……!

「しかし小竜姫。こうして飛翔したまま、あの天龍の術式を発動することができるのですか?」

 僕がハヌの極大術式を発動させた際のことを想定していると、ロゼさんがそもそもな指摘をした。

 これに対しハヌは、

「ほ?」

 その発想はなかった、みたいな声をこぼした。

「…………」

 鳳が旋転を繰り返し、視界の端を幾本もの熱閃が通り過ぎていく中、ハヌの沈黙はやけに長く感じられた。

 やがて、ぽつり、と彼女は言う。

「……………………難しいのぅ……」

「やはりですか」

 飛翔と並行しての攻撃は無理だが、やはり妾のこの手で吹き飛ばしてやりたいと思いつつ、しかしどう考えても二つ同時は難しい――という葛藤の挙句に搾り出された不満そうな声に、ロゼさんがさもありなんと頷いた。

 それもそうだ。ハヌの極大術式はその場から一歩も動かず集中する必要がある。その間は完全に無防備になるからこそ、彼女はいつも僕に「妾を守れ」と言っているのだ。

 ロゼさんは琥珀色の瞳で熱閃が飛んでくる方向――ヒュドラを一瞥した。

「この状況では、小竜姫の術式が発動するまで一所に留まるわけにはいきません。それ以外の方法で同時攻撃するしかないでしょう」

 立ち止まれば、そこにヒュドラの攻撃が雨霰と降り注ぐ。かといって奴の射程外まで離れると、こちらの攻撃だって届かなくなる。ここが外の世界ならともかく、ヒュドラの射程圏外から攻撃するほどの出力ともなると、今度はルナティック・バベルそのものが崩壊する恐れがある。

 確かにロゼさんの言う通り、ハヌの術式以外での決着が望ましかった。

「ふむ……ならばどうする? 口振りからすると、おぬしには何か考えがあるようじゃが」

 ここ数日コンビで行動することが多かったからだろう。ロゼさんの口調からその意図を汲んだハヌが水を向けた。

 ロゼさんは、然り、と首肯する。

「ええ、私に妙案があります。お任せください」

 恬淡と、だけどはっきりと断言したロゼさんに、僕もフリムも驚きの目を向けてしまう。

 二人はまだこの空間に来て間もないだろうし、ヒュドラの情報も今さっきフリムが渡したばかりなのだ。だというのに、もうあのフロアマスターを撃破する算段がついたというのか。

 耳を傾けると、ロゼさんの【妙案】とやらはある意味彼女らしく、非常に単純明快なものだった。

「私が九つの首全てを落とします。ラグさんはタイミングを合わせて、中央の〝眼球〟の撃破をお願いします」

 しれっと、そう言い放った。

「――え!? ひ、一人で全部ですか!?」

 仰天のあまり思わず声が裏返ってしまう。

 瞠目する僕に、こくり、とロゼさんは頷いた。

「はい。ですが、正確に言えば一人ではありません。私には、あなたからお預かりしているハーキュリーズがあります。――今は詳しく説明している暇はありません。どうか私にお任せください。必ずや、仕留めてみせます」

 真摯にこちらを見つめる琥珀色の視線に、僕は胸を突かれたような思いを抱く。

 私を信じてください――そう言われている気がした。

「…………」

 僕は息を呑み――だけど、迷う必要なんて微塵もなかった。

 僕の中に、ロゼさんを信じないという選択肢は存在していなかったのだから。

「――わかりました。お願いします」

 轟々と風の唸り声が聞こえる中、僕はロゼさんの双眸を見つめ返し、はっきりと頷いた。

 そうだ。地上では今もアシュリーさんがドラゴンと戦っているはずだ。あたら時間を無駄にするわけにはいかない。

 僕の返答を受け取ったロゼさんは、次いでハヌの背中へと顔を向ける。

「では小竜姫、敵との距離を詰めていただけますか。適当なところで私は降ります。その後、ラグさんを攻撃に最適な位置までお願いします」

「あいわかった。ならば――ちと揺れるぞ?」

 快諾したハヌがそう注意を告げた刹那、鳳の飛行がさらに速度を上げた。合わせてスミレ色の鳳が描く軌跡も、よりダイナミックなものへと変化する。

 空を旋回していた軌道が一転して、地上のヒュドラを目指す直線コースへと乗った。

 もはや刃のごとく大気を切り裂いて飛翔する鳳の背で、ロゼさんは静かに目を伏せると胸に両手を重ね、厳かに呟いた。

「〈リサイクル〉」

 マラカイトグリーンの〝SEAL〟が励起する。青緑の輝きがロゼさんの皮膚上を駆け巡り、幾何学模様を描く。術式が立ち上がり、両手と胸の隙間から青白い光が溢れ出す。

 さらに、

「〈オーバードライブ〉」

 ロゼさんにしか使えない術式が発動した。彼女の〝SEAL〟――否、その内部に秘められているコンポーネントが脈動するかのごとく、孔雀石色の光が強く瞬く。

 そして、



「 世界を守護する清けき精霊よ 我が心に応えよ 」



 ロゼさんの唇から、言霊が紡がれた。

 フリムの顔に一瞬だけ驚愕が浮かぶけれど、僕はもう驚くことはない。この光景なら一度見たことがある。

「 其は禁忌なる力 其は封印されし力 」

 アッシュグレイの髪が風に乱され、旗のようにたなびく。こんな不安定な足場で、しかも豪風を浴びながら、極度の集中力を要する詠唱を続けるロゼさんの精神力は、まさに鋼鉄の一言に尽きた。

「 我が神なる器の名において 今ここに誓わん 」

 言の葉を重ねる毎に、胸から溢れる青白い輝きが激しさを増していく。どこからかハムノイズに似た音が生まれ、唸りを上げながら大きくなっていく。

「 我と汝が力と心を合わせ 全ての敵に破滅を与えんことを 」

 言霊の籠められた声はよく透る。ほんの囁き程度の声量しかないだろうに、何故か風の音を貫いて耳朶へ入ってくる。

『SSSSSHHHHHRRRRRRRAAAAAAAAAAAAA――!!』

 ヒュドラの甲高い咆吼が聞こえる距離にまで来た。連射される熱閃の束を、ハヌの操る鳳が巧みにかいくぐっていく。

 今やロゼさんの胸を中心として迸る輝光は、直視出来ないほどにまでなっていた。

 ワイヤーフレームの鳳がまたしてもバレルロールを行い、視界が逆転した。

 その時だった。

 ロゼさんの体を固定していた紅銀のドローミだけが【するり】とほどけた。

 僕達を固定している蒼銀のレージングルはほんの少し緩まったけれど、しかし完全にはずれることなくその場に残る。

 だから、ロゼさんだけが落下した。

 眩い光を抱きかかえたまま、頭を下にして落ちていく。

 だがそんな状態にあってなお、彼女は詠唱を続けていた。

「 目覚めよ 」

 力強い凄烈な声が響き渡る。

 もはや青白いコンポーネントの輝きは、ロゼさんの全身を呑み込むほどまでに膨張していた。

 一個の光の球が、地上へまっすぐ落下する。

 間もなく地表へ激突する、その寸前。

 最後の言霊が、高らかに、雄々しく紡ぎ上げられた。



「 其が真名 〈ハーキュリーズ〉 」



 光が爆発する。

 目眩く輝きの中から、卵の殻を破るように一体のゲートキーパーが具現化していく。

『WWWWWWOOOOOOOOOOOOOOOOOOO――!!』

 雄叫びとともに情報世界から現実世界へと爆誕した巨人は、風を巻き起こしながら両手足を広げ、大地に立った。

 顕現したその威容は、いきなり六本腕の最終形態だ。

 モード・ターミネーター。封印を解除された、ハーキュリーズ究極の姿。変わったのは見た目だけではなく、古代術式によって力も防御も速度も格段に跳ね上がっている。

 正真正銘、怪物中の怪物だ。

「〈リインフォース〉」

 そんな機械型巨人の右肩に立つロゼさんが、さらに術式を畳み掛けた。マラカイトグリーンの光で形作られた鎧兜がハーキュリーズの全身を覆っていく。

 しかし一方で、六本の腕は全て徒手。

 この時点で、僕はロゼさんが何をしようとしているのかをたちどころに悟った。

「――ハヌ! このまま敵の真上までお願い!」

 身を乗り出し、小さな体の肩越しに目的の場所を指差す。銀髪と二色の瞳を持つ現人神の少女は、すぐに頷いてくれた。

「うむ! しっかり掴まっておれよ!」

 クン、と鳳の嘴が引き起こし、そのまま釣り竿に釣り上げられるような勢いで上昇していく。僕とフリムは鳳の胴体に巻きついている蒼銀の鎖を握り、振り落とされないよう一生懸命踏ん張る。

 直後、地上で黄金の光が煌めいた。

 視線を向ければ、そこには明けの明星がごとき輝きを手にしたハーキュリーズの勇姿がある。

 その六本の腕でつがえられている強弓こそ、かのゲートキーパーの必殺武器――〈インバルナラブル・キラー〉。

 元より強力な遠隔武器であるそれに、さらにロゼさんの〈リインフォース〉による強化が加えられていた。左腕三本に握った黄金の剛弓に、右腕三本で番えた捻り束ねられた九本の銀矢。

 その輝きを背に受けながら、ハヌとフリムと僕は高空へ向かって力強くぐんぐんと上昇していく。もう既に街にあるどの高層ビルよりも高い位置にいるけど、ヒュドラの熱閃の追撃は止まない。螺旋階段を昇るような軌跡を描きながら、さらに上へ。

 その最中、出し抜けにフリムが言った。

「――じゃあハルト、アタシが先にあいつのシールドぶち破るから、アンタはその次ね」

「うん、わかっ…………ええっ!?」

 至極自然にあっさりと言うものだから、危うく普通に頷くところだった。

 どう見てもまだ顔色が悪いって言うのに、何を言っているのだ、この幼馴染みは。

「なっ、そんっ――む、無茶だよフリム! さっき自分で戦力外だって言ってたじゃないか!?」

 僕が目を剥いて声を高めると、フリムは額を押さえながら、けれど首を横に振る。

「確かにまだ頭はクラクラするけどね。でも、【ただ下に落ちるだけなら】、この状態でも大丈夫よ。問題ないわ」

 挙げ句には茶目っ気たっぷりに片目を瞑って、サムズアップまでしてみせる。でも、表情のそこかしこに無理しているのが見え見えだった。

「い、いや、だからってそんな――!?」

 流石に『はいそうですか』と受け入れられるわけもなく、僕は必死に食い下がる。すると、フリムはアメジストの瞳をジト目に変えて、唇を尖らせた。

「うっさいわねー、ここまで来てガタガタ言うんじゃないわよ。今まであれやこれや隠し要素ばっかりだった相手よ? まだ何か隠してるかもしれないじゃない。それ考えたら、アタシがシールド破ってからアンタが突っ込むのが最善手なのよ。それぐらいわかるでしょ?」

「そ、それは……」

 理屈としては正しいその言い分に、一瞬納得しかけてしまう。だけど、やっぱり彼女の無茶を認めるわけにはいかない。

「――で、でもさっきはダメだったじゃないか! それじゃさっきと同じで、また危ない目に遭うだけだよ絶対ダメだよ!」

「……今度こそしっかりぶち破るわよ。お姉ちゃんなめんな」

 さっきまでどこか軽い口調だったフリムの声が、不意に低まった。本気で怒っているような目が、僕を睨む。もしかしたら僕の言葉でプライドを傷つけてしまったのかもしれない。あまりの迫力に、うぐっ、と僕は言葉に詰まってしまう。

「――ってか、時間が無くて言い争ってる場合じゃないんだから。とっとと覚悟決めなさいよ。ほら、行くわよ」

 ガチャガチャと音を立てて、フリムが体に巻き付いた鎖を解き始める。僕は何とか止めなくてはと思い、慌てて、

「で、でも――ほ、ほら、ロゼさんの攻撃だって結果がどうなるかわからないんだし!?」

 どうしてもフリムを制止したいがために、僕の口から心にもない言い訳がこぼれ出た。途端、フリムがピタリと動きを止め、わざらしいほど目を丸くする。

「あら、何よアンタ? ロゼさんのこと信じてないわけ?」

「え、い、いや!? そ、そんなことはない、ないんだけど……!」

 そんなことはない。絶対にない。というか、そうではない。そうではなくて――

「でしょ? アンタが信じた人なら、アタシも信じられるもの。あの目を見たらわかるわ。絶対何とかしてくれる、って」

「――――」

 しれっと出てきた言葉に、逆に僕がフリーズしてしまった。

 それが、さも当然かのごとく。

 ロゼさんは、僕の信じている人だから。

 僕の仲間だから。

 だから、そんなロゼさんを、自分も信じる――と。

 フリムはそう言ったのだ。

 その何の迷いもなく放たれた台詞に、僕は――不覚にも――感動してしまった。

「……!」

 言葉もなく、じーん、と身を震わせる。

 するとフリムの左手が伸びて、こつん、と僕の額を軽く小突いた。

 彼女は、にゃは、と笑い、

「だから、アタシ達も絶対にキメるわよ。――でも、無茶はしすぎないこと。いいわね?」

 急に真顔になって、ぴっ、と人差し指で僕の顔を差し、そう言い含める。

「う、うん……」

 突っつかれた額を手で押さえながら、僕は半ば無意識に頷いてしまった。

 結局のところ、僕は情にほだされる形でフリムの参戦を受け入れてしまった。

 何故ならそれを止めることは、彼女が僕に、そして僕を通してハヌやロゼさんに寄せている信頼を、頭から否定してしまうような気がしたから。

「小竜姫――だったかしら? 悪いわね、アタシまで連れて来てもらっちゃって。助かったわ。街に帰ったら何か美味しいものでも奢らせてもらうわね」

 フリムはハヌの背中へ向けて、以前喧嘩した相手とは思えないほど殊勝な態度でお礼を言った。

 それを受けてハヌは、鳳の操縦に専念したまま、

「気にするでない、礼などいらぬ。ラトは妾の唯一無二の親友じゃ。その親友の姉貴分ともなれば、妾とて信用するに値しよう。無論、助けるに吝かではない。……ちなみに、おぬしの言う『美味しいもの』には、甘い菓子は含まれるのかの?」

 肩越しに軽く振り返り、くふ、と口角を吊り上げながらの言葉に、フリムもまた、にひ、と笑った。

「いいわね、アタシも甘いもの大好きよ。今度この街のいいところ教えてよ」

「よかろう。絶品の甘味処を知っておる。そこに案内してやろう」

 これが『雨降って地固まる』というやつなのだろうか。お互いに不敵な笑みを浮かべ合う彼女達は、なにやら僕のよくわからない次元で通じ合っているようだった。

「ほれ、そろそろあやつの直上じゃ。好機を逃すでないぞ!」

「オッケー、任せて!」

 高速で飛翔する鳳が、おそらくはヒュドラの真上にきた瞬間にトンボを打った。上下がひっくり返り、

「じゃ、締めは頼んだわよ、【勇者ベオウルフ】♪」

 長い髪がお化けみたいに垂れ下がったフリムが、まるでこれからジェットコースターにでも乗るかのような調子で言って、僕の肩を軽く叩き――その身に絡む鎖の中からするりと抜け出た。

 落ちる。

 返事をする暇もなかった。別離はほんの一瞬だった。

 ハヌの操るスミレ色の鳥はあっという間にその空域を飛び去り、僕の幼馴染は重力に引かれて見る見るうちに小さくなっていく。

「――しかし、此度はいつもと逆じゃな、ラト」

 とうとう二人だけになった時、鳳の上下を元に戻したハヌが嬉しそうに言った。

「え……?」

「いつもはラトが妾を支えてくれておる。じゃが、此度はその逆であろう? 真打はラトで、妾はこの通り脇役じゃ。ちと珍しいと思うての」

 要領を得られないで聞き返した僕に、くふふ、と小さな背中が笑った。華美な着物の袖が、風でバタバタとはためいている。

「そう、あの時以来じゃな。ラトが妾を助けにくれた、あの時……ついこの間のことじゃが、不思議と遠い昔のようにも思えるのう」

 穏やかに語りながら、けれどハヌの操る鳳の機動は苛烈を極めた。右へ左へ鋭く旋回を繰り返し、螺旋を描きながら上昇し、ヒュドラの熱閃を回避しつつ再び奴の真上をとろうとしている。

「ならば妾は、あの時と同じことをおぬしに言おう」

 そう言ってハヌは、しかし今度は振り返ろうとはしなかった。

 背中を見せたまま、いつかと同じ言葉を告げる。

「ラト、妾は聞きたい話も言いたいことも山盛りじゃ。あともう少しなら待ってやるからの、さっさとあの化生を片付けてこい」

 それはきっと、信頼の裏返しだ。

 今更、顔を合わせて言うまでもないのだ。今更、目を合わせて聞くまでもないのだ。

 だから、僕が返すべき言葉はたった一つしかない。

 あは、と笑って応える。

「うん、わかった。すぐ終わらせるから、ちょっとだけ待ってて」

 朝食のコーヒーを淹れるみたいに軽く言って、フリムから託されたドゥルガサティーを強く強く握り締めた。

 よかろう、と小さな頭が小さく、確かに頷いた。

「その意気やよしじゃ! 一気に行くからの、途中で振り落とされるでないぞ!」

「うん!」

 上へ上へと飛んでいた鳳がいきなり一八〇度の急速反転。一回転して嘴を真下――地上へ向け、撃ち出された弾丸のごとく加速した。重力加速度も借りて、流星よりも速く早く落ちていく。

 僕はロゼさんが残していってくれた鎖を体からほどきつつ、左手から手放さないよう強く握り締め、右手のドゥルガサティーにコマンドを送った。

『ナギナタブレード』

 〝SEAL〟から発せられたコマンドを受け取った白銀の長杖が、女性っぽい合成音声を吐き出し、変形を開始する。挿し込まれたカートリッジからフリムのフォトン・ブラッドを吸い上げ、先端から紫色の流体を勢いよく放出した。アメジスト色に輝く光の束がうねり、伸長し、長大な刃を形作る。

 出来上がるのは、黒玄のモード〈大断刀〉よりも長大な武器だ。なにせ二メルトル前後の長杖に、それに倍する大きさの緩やかに反った光刃である。長さだけなら〈大断刀〉の倍はあった。

 合わせて、全身の〝SEAL〟を全力全開で励起。

 支援術式を発動。

 フルエンハンス。〈ストレングス〉〈ラピッド〉〈プロテクション〉〈フォースブースト〉をそれぞれ十個ずつ発動させていく。

 一気に〝アブソリュート・スクエア〟まで引き上げた。

 最大にして限界の強化係数、一〇二四倍。

 四肢の輝紋から深緑の閃光が迸り、雷光のようにねじくれる。

 ナギナタブレードを直突きに構え、視線を真っ直ぐ前方――天頂方向から見れば真下にいるヒュドラへと射込む。

 先行してヒュドラの本体部に突っ込んでいくフリムが、点のように見えた。

 視界の端には、ロゼさんのハーキュリーズが放つ黄金と銀の煌めきがある。

 きっとこれが最後の攻撃――最後の交錯だ。

 そう思った時に、ふと気付く。

 ――あれ、僕……一人じゃない……?

 思えば、ヘラクレスの時も、シグロスの時も、こういった瞬間は一人ぼっちだった気がする。

 一人で立ち向かって、一人で飛んで、一人で突っ込んでいって――

 だけど、今はそうじゃない。

 ハヌがいて、ロゼさんがいて、フリムがいる。

 手を取り合って、助け合いながら、一緒に共通の敵を倒そうとしている。

 一人ぼっちではないのだ。

 そう気付いた途端、不思議な暖かさが胸骨の奥に満ち始めた。

 なんて――なんて心強いのだろうか。

 一緒に戦ってくれる仲間がいる。ただそれだけで、こんなにも恐怖が遠のき、勇気が溢れるものなのか。

 なんだか体の奥底から、ものすごい力が湧き上がってくるようだ。

 視界の中のヒュドラが見る見るうちに大きくなり、近付いてくる。

 負ける気なんて全然しなかった。

 にやけていく口元を、止めようだなんて微塵も思わなかった。

「――ここじゃラト! ゆけいっ!」

「うんっ! いってきますっ!」

 ハヌが合図とともに鳳を急速旋回させて、背中の僕を放り投げるような機動をとる。僕もそれに合わせて鎖を手放し、ワイヤーフレームの力場を全力で蹴っ飛ばした。

 飛び出す。

「――!」

 タイミングはバッチリだった。

 千倍以上に強化した脚力でカタパルト発進した威力は計り知れず、ハヌの操る鳳が、見えない壁に激突したかと思うほどの勢いで跳ね返り、大空へ向かって吹き飛んでいった。

 竜巻に翻弄される木の葉のごとく跳ね上がる、ワイヤーフレームの鳥。

 だけどその頭上にいるハヌは、しかと僕を見つめて笑ってくれていた。構うな、ゆけ――そう言っているのがわかった。

 だから僕は躊躇することなく、そのままヒュドラめがけて突っ込んだ。

「〈ドリル――」

 剣術式を発動。一気に一五重掛け。ナギナタブレードの刀身に合わせた大きさのドリルが、積層状に連なっていく。

「――ブレイク〉――――――――――――――――――――ッッッ!!!」

 背中から膨大なフォトン・ブラッドを噴出。アフタバーナーのようにも蝶の翅のようにも見えるそれに蹴り飛ばされて、空気の壁をぶち破り、無音の真空へ飛び込む。

 僕はディープパープルに輝く、一条の閃光と化した。





 ■





 ロルトリンゼ・ヴォルクリングには悔恨があった。

 かつて自身が当事者であった『ヴォルクリング・サーカス事件』において、自分は何の役にも立てなかった、という忸怩たる思いが。

 父の仇であるシグロスには敗北した。

 せっかくラグディスハルトからハーキュリーズのコンポーネントを借り受けておきながら、まともに使役できなかった。

 結局ロゼがしたことと言えば、暴走したハーキュリーズを止めるという、自らの不始末にケリを付けただけのただの独り相撲。

 自分は救いがたい愚か者だ――とロゼは思っている。度し難い間抜けで、どうしようもない馬鹿だとも。

 だが、この身を覆う汚辱を、ついに雪ぐときがきた。

「オープン・オール・インブレッシャーズ」

 今がその時だ。

 ロゼは己が使役するゲートキーパーの右肩に乗り、その装甲に直接ドローミを巻き付け、さらには手を触れさせている。これにより制御セッションを効率化させ、怪物の手綱を決して離さぬよう、フィードバックされる情報の洪水を捌ききっているのだ。そのやりとりの激しさを物語るように、彼女のマラカイトグリーンに輝く〝SEAL〟は、唸りと熱を上げて勢いよく励起していた。

 ロゼの琥珀色の瞳に、決意の炎が揺らめいている。

 今度こそ――という思いがあった。

 今度こそ必ず、あの少年の役に立つのだ。

 受けた恩を、この手で返すのだ。

 いくら返しても返しきれないだろう恩義を、しかし少しずつ積み重ねて。

 自分はあの優しさに、応えなければならない。

 今が、その第一歩なのだ。

「〈インバルナラブル・キラー〉」

 必殺の名をロゼは口にした。

 ハーキュリーズが雄叫びを上げ、その六本腕に黄金の剛弓と九本の銀矢が顕れた。巨躯が蠢き、輝く弓矢が威風堂々と番えられる。

 弓が引かれた途端、束ねられた銀矢が、ぎゅるり、と【捻れ】た。九本の矢が、イッカクの角にも似た一本の螺旋槍と化す。

 ロゼはハーキュリーズの内部システムと同調し、巨大な多頭蛇――ヒュドラを照準する。

 しかし、皮肉な話もあったものだ――と思わずはいられない。

 それとも、これは意図された運命なのだろうか。

 古代の神話において、大英雄ハーキュリーズは九つから百もの頭を持つといわれる水蛇ヒュドラを退治している。あの巨大なゲートキーパーの真名はわからないが、もし『ヒュドラ』そのものであるなら、やはりこの軌道エレベーターを設計した人物は件の神話に倣ったに違いない。

 ならば、ここで己の駆るハーキュリーズがあの多頭蛇を討つのも、また道理だろう。

 それぞれが自由自在に動く九つの首。ロゼはその頭部全てを一斉に照準し、一つ一つの未来位置を個別に戦闘演算する。

 不死身殺しの弓が煌々と輝きを増し、唸りを上げた。狙いをつけるにあたっては、ハーキュリーズ自身が持つ戦闘演算能力があってなお、ロゼの負担は大きかった。

 演算能力のほぼ全てを〈インバルナラブル・キラー〉の軌道計算に持っていかれる。神経が焼き切れ、鼻血を噴きそうなほど激しいコマンド制御を、ロゼはひたすら気合だけで処理しきった。

 刹那、こちらの攻撃動作に気付いた複数のヒュドラの首が振り向き、大口を開いた。

 熱閃が来る。

 しかし遅い。

 こちらの軌道計算が先に終わった。

「シュート」

 戦闘演算に満ち溢れた脳内から、ロゼはその一言だけを絞り出した。

『WWWOOOOOOOOOWWWW!!』

 コマンドを受けたハーキュリーズが、間髪入れず矢を放つ。

 発射。

 極太の光線にしか見えない螺旋矢が、迅雷がごとく空を貫いた。

 大気を引き裂く激しい音を空間に轟せ、奔る。

 いつかの時は、無意識に拡散コマンドを入力してしまい、標的だったシグロスを射抜くことが出来なかった。

 だが、あの時とは違う。

「――ッ!」

 眦を決し、ロゼはタイミングを見極める。

 ハーキュリーズの切り札〈インバルナラブル・キラー〉は、放たれてからが本番だ。束ねられた矢は弓から離れてもなお加速を続け、それでいながら制御を受け付ける。

 さながらロケット、もしくはミサイルのごとく飛翔し、敵性対象を必ず射貫く。

 ここだ。

 そう確信した瞬間、ロゼはハーキュリーズを介して螺旋矢に拡散コマンドを叩き込んだ。

 果たして、一本の槍が九条の光の龍に分かたれた。

 流星群にも似た銀色の牙が、それぞれ細やかな軌道修正を行い、ジグザグに空間を切り裂き駆け抜ける。もはやその速度は測定の埒外だ。

 いっそ〝アブソリュート・スクエア〟状態のラグディスハルトよりも速く、〈インバルナラブル・キラー〉の九矢はヒュドラの九つ首へ襲いかかっていく。

 穿て。

 爆ぜろ。

 そんなロゼの戦意を乗せて。





「〈アイスブランド〉」

 真っ逆さまの落下が始まると同時、自慢のツインテールがすっかりざんばら髪になってしまった少女は、小声でそう呟いた。

 体表の〝SEAL〟が励起。輝紋の幾何学模様がピュアパープルに煌めき、全身を駆け巡る。

 付与術式〈アイスブランド〉が発動し、再度スカイレイダーの表面に純白の霜が降りた。

 これから放つ攻撃は、この漆黒の戦闘ブーツがオーバーロードすること前提の一撃だ。故に、少女はまず冷却から入った。

 重力に引かれ、地表のヒュドラへ向かってまっしぐらに落ちていきながら、フリムは自身が作り上げた武具に語りかける。

「……ごめん、レイダー。悪いけど、アンタ一回死んでくれる?」

『That's my wish(それこそ我が本懐なれば)』

 不穏な発言に、しかし機械であるスカイレイダーは端的に答えた。

 その潔さに、くす、と少女は微笑む。無論、その小さな気配は豪風にかき消され、誰に届くこともない。

「ありがと。でも全部終わったら、すぐに復活させてあげるからね。むしろ、今よりも断然パワーアップさせてあげるから。それで勘弁してちょうだい」

『It's so wonderful(恐悦至極に存じます)』

 人工知能であり、単語の組み合わせによる簡易な言語体系しか使えないが、彼――スカイレイダーの性格は実に皮肉屋かつ紳士的なものだった。こちらの指示に応じる言葉の端々から、そんな性格が見え隠れする。アトランダムの神が設定したパラメータだが、フリムは存外に気に入っていた。

 にやり、と不敵な笑みが少女の口元に刻まれる。

「――それじゃあ一丁派手にぶちかますわよ、レイダー!」

『Sure, Leave it to me(是非もありません、お任せあれ)』

 頼もしい返答を受け取ったフリムは、次いで攻撃に必要な語句を告げる。

 武器の限界を超える壮絶な一撃を放つための前振りであることを思えば、その声音は意外なほど静かで、優しかった。

「ディカプル・マキシマム・チャージ」

『ママママママママママキシマム・チャージ』

 そっと囁くように宣言されたコマンドに、スカイレイダーは淡々と応じた。

 最終にして最大の十連続チャージ。

 少女の〝SEAL〟から紫の閃光が何十と迸り、戦闘ブーツへと吸収されていく。真っ白な霜に覆われた漆黒の表面に、紫色の幾何学模様が浮かび上がり、鮮烈な光を放った。霜を透過してなお眩しいその輝きをまとった少女の体が、くるりと回転する。

 頭を上にして、爪先を下に向けた。

 戦闘ブーツがこれから行う攻撃を宣言する。

『ライトニング・グラビトン・ジェット・バーニング・ドリル・ペネトレイター・クラッシュ』

 アメジスト色の輝きが爆発的に膨張する。畳み掛けた攻撃属性を全て解放し、スカイレイダーが獣の咆吼じみた駆動音を轟かせる。

 少女は紫に輝く光の瀑布を身に纏い、弾丸のごとく撃ち出された。

 刹那、フリムの視界の端で銀色の光がいくつも瞬いた。それはロゼが使役するハーキュリーズが放った〈インバルナラブル・キラー〉の輝きだ。

『SSSHHHHHAAAAAAAAAAA――!!』『SSSSHHHRRRRRRRRRRRRRRR――!!』『SSSSHHAARRRRAAAAAAAAA――!!』

 ヒュドラが吼え叫び、しかしそのどれもが中途で断ち切られたように消えていく。

 光の矢が蛇頭に命中し、蒸発させるかのごとく消滅させているのだ。

 だがそれを意識することなく――そんな余裕もなく――高速で飛来する銀矢の雨の隙間をすり抜けるように、フリムとスカイレイダーは加速する。

 稲妻を帯び、超重力をまとい、ブーツの両サイドから猛火を噴出し、ドリルを回転させ、針のごとく収斂し、真っ逆さまに。

 ――今度こそッ!

 巨人の鉄槌のごとく。

 尖ったドリルの先端が、ヒュドラの本体部へと叩き落とされた。

 しかし予想通り、食らいつく直前で青白い防御シールドが発現し、少女の進撃を阻んだ。

 グラインダーが鋼を研磨するがごとき削音が轟く。紫のドリルと薄い青のフィールドが鬩ぎ合い、火花を狂い咲かせる。

 止められる。

 そう察した瞬間、カッ、とフリムの目が見開いた。

「――レイダー! もっかいディカプル・マキシマム・チャージッッ!!」

 応答はなかった。そもそもスカイレイダーの構造上、【十連続チャージに十連続チャージを重ねる】という運用は想定外なのだ。故に、そのための合成音声など存在しない。

 ただ、少女の輝紋から無数の光が飛び出し、戦闘ブーツへ吸収された。大量のフォトン・ブラッドが、貪欲に、吐き気を催すほどの勢いで。

 全身全霊をかけて叫ぶ。

「つッらッぬッけッえッぇえええええ――――――――――――――――――――ッッッ!!!」

 これに対し、スカイレイダーは一言だけこう答えた。

『Of courseもちろん





 音のない世界。

 空気を切り裂いた空間。

 真空。

 落雷のように真下のヒュドラへ突撃しながら、僕はその光景を目にする。

 ロゼさんのハーキュリーズから撃ち出された〈インバルナラブル・キラー〉が、ヒュドラの九つ首をことごとく射貫き、それぞれの胴体の半ばまでをも巻き込んで消滅させていく。

 全弾命中だ。はずれなどただの一つもない。

 完璧な結果。

 そこに、先行するフリムが突っ込む。

 全身からフォトン・ブラッドの輝きを撒き散らして、当人が巨大なドリルそのものになったかのような勢いでヒュドラの本体部に激突した。

 きっと、ものすごい音が響いていることだろう。

 ヒュドラの防御シールドが展開して、フリムの攻撃を押し止めた。

 拮抗。

 だけど次の瞬間、彼女の纏う輝光が爆発して、さらにドリルの出力が跳ね上がった。

 桁外れの上昇だったはずだ。

 ヒュドラの防御シールドはわずかも保たなかった。狼に食い破られるかのごとく青白い膜が引き千切られ、四散五裂した。

 弾け飛ぶ。

 シールドを破壊した反動でフリムの体が真横に吹っ飛んだ。

 いや、意図的だったのかもしれない。

 僕の視界から消える寸前、彼女がこちらに振り向き、ぐっ、と親指を立てて笑顔を見せたのだから。

 こうしてヒュドラは、残すところ本体部のみとなった。

 どうしようもない隙。

 ロゼさんと、フリムと、ハヌのおかげで、目の前に転がり込んできた絶好の機会。

 この好機を逃して、勝利は有り得ない。

 だから僕は、十五重〈ドリルブレイク〉をまとったナギナタブレードを構え、間髪入れず無防備になった本体部のど真ん中――〝眼球〟めがけて突っ込んだ。



「ッぁぁぁああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」



 ぎょろりと蠢くそこに、極大の螺旋衝角を突き刺す。

 気持ちの悪い目玉ごと貫通し、これで一気に破壊

 するはずが、

『VVVVRRRRROOOOOOOOOOOOOOOOOOOOWWWWW――!!』

「!?」

 もう頭もないはずのヒュドラが、なおも雄叫びを上げた。しかも、これまでとは全く違った波長の電子音で。

 唸りを上げる〈ドリルブレイク〉の先端に、硬い手応え。

 加速に加速を重ね、身体強化に身体強化を重ねた、一撃必殺だったはずなのに。

 止められる。

 噴水みたいな火花が飛び散り、だけど〈ドリルブレイク〉がそこからまったく動かなくなった。

 馬鹿な、有り得ない。

 さっきは〈鬼包丁〉でも容易く切り裂けていたのに。

 再び凄まじい咆吼が耳を劈いた。

『VVVVVRRRRRRRRRRRRROOOOOOOOOOWWWWWWWW!!!』

 それは悲鳴ではなく、聞き違えようもなく憤怒の叫びだった。

 巨大な〝眼球〟に血走ったかのような赤黒い光の線が浮かび上がり、ギロリ、と僕を睨んだ。

「――!」

 そう――明らかにこっちを【視た】のだ。

 その瞬間、ほとんど直感で察した。

 違う。こいつのコアカーネルは複数あったわけじゃない。

 一つのものを、十個に分割していたのだ。

 首を全て失った今、コアカーネルの欠片は全て本体部に集中している。それ故、装甲が強化され、僕の〈ドリルブレイク〉を受け止めるほどの硬度を確保しているのだ。

 そして――これはもっと早く気付くべきだった。

 目、なのだ。

 今、僕の前にあるのは、目玉なのだ。

 普通、生き物の目は【一つだけではない】。

 つまり――

『VVVVVRRRRRRRRRRRR――!!』

 巨大なドームのようにも円盤のようにも見える、ウロボロスが渦を巻いた形の本体部。

 その周囲の土が、ぼこり、と盛り上がった。

 大地の中から【何か大きなもの】が迫り上がってくる――!

「――――――――ッ!!」

 そうだ。ここに〝眼球〟が一つあるのならば、【もう一つがどこかになければならないのだ】。

 まだだったのだ。

 こいつの本領は、まだ隠されていたのだ。

 ――どこまで……!

 本当にどこまで、隠し球を残しているのか。

 一体全体、こんなことをあと何回繰り返せば、終わりに辿り着くのか。

 そう思った時、沸々と胃の腑の底からマグマのような怒りが衝き上がってきた。

 ――ふざけるな。

 ――いい加減にしろ。

 ――お前はもう終われ。

 ――僕が潰す。

 ――塵も残さず吹き飛ばしてやる。

「〈フレイボム〉」

 すぅっ、と頭の中が白く染まっていく中、僕はぼそりと呟いた。

 猛烈に回転するドリルと〝眼球〟の装甲が鬩ぎ合って、鮮血のように火花を噴いている。そんな光景も視界から消え去り、やがて僕の瞳に映るのは奴の目玉のみとなった。

 時が止まったかのような、不可思議な感覚が僕を包みこむ。

 【まだ】といえば、こっちだって【まだ】なのだ。

 こいつのコンポーネントは、【まだ】そこにある。これから新しく、そしてさらに強大な本体を露わにするつもりだろうが、そうはいかない。

 させるものか。

 逃がすものか。

 みんなが――僕の仲間が作ってくれた、最高にして最大の好機なのだ。

 今ここで、絶対に殺しきってやる。

「〈フレイボム〉」

 一言ごとに十五個の〈フレイボム〉を〝SEAL〟のスロットへ装填し、起動させる。これで三十個。

 発動場所は、ナギナタブレードの切っ先。〈大断刀〉や〈如意伸刀〉と違って、このドゥルガサティーの刃はフォトン・ブラッドの塊だ。壊れる心配がない――ではなく、壊れても構わない部位だ。

 だから問題ない。

「〈フレイボム〉」

 四十五個。四メルトルもある紫の光刃の先端に、それ以上の大きさの〈フレイボム〉のアイコンが幾重にも重なって表示される。十メルトルにもなる馬鹿でかいアイコンが、一ミリのズレもなく皿のように連なっていく。

「〈フレイボム〉」

 さらに追加。六十個。端から見れば、極大の〈ドリルブレイク〉とヒュドラの〝眼球〟との隙間に、コースターのような〈フレイボム〉の丸形アイコンが挟まっているように見えただろう。

 まだ足りない。

「〈フレイボム〉」

 拡散だ。

「〈フレイボム〉」

 もっと広範囲を。

「〈フレイボム〉」

 焼き尽くして。

「〈フレイボム〉」

 焦土と化して。

「〈フレイボム〉」

 何もかも。

「〈フレイボム〉」

 消滅させてやる。

「〈フレイボム〉」

 消し去ってやる。

「〈フレイボム〉」

 そして、

「〈ドリルブレイク〉」

 最後に剣術式を重ね掛けした。

 三十重のドリルが巨大化し、獰猛に回転数を上げる。

 少しずつ、少しずつだけど、〈ドリルブレイク〉の先端が〝眼球〟に沈みこみ始めた。

 このままだ。このまま奥深くまでナギナタブレードの刀身を埋め込み、そこで起爆させてやる。

 木っ端微塵にしてやる。

 何なら僕の体の半分だろうが、この命だろうが、存分に持っていくがいい。何にせよお前はここで殺す。ここで潰す。絶対にここで終わらせてやる。

 歯を食いしばり、鼻っ面に獰猛な皺を寄せて、僕は獣のごとく吼え猛った。

「がぁああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 粘土に指を沈めるような感覚で、ドリルが〝眼球〟を穿ち、ナギナタブレードの刀身がゆっくり埋没していく。

 今ここでこいつを倒せるのなら、自分の体なんてどうなったってよかった。頭の中が戦意に埋めつくされ、もはや自爆するつもりで〈ドリルブレイク〉と〈フレイボム〉の術式制御に集中する。常識外の演算処理に頭の中がスパークして、鼻から深紫の血がボタボタこぼれていることも全然気にならなかった。

 後二メルトル。

 一メルトル。

 後もう少し、もう少しだ。あともう少しだけ入ったら、一斉に起爆を――



 こつん、と何かが額を小突いた。



「――――」

 きっと幻だったはずだ。

 気のせいだったはずだ。

 だって今の僕に――時間の流れが遅く感じるほど集中している僕に、どんなに小さいものだろうが、近付いてくるものが見えないはずがない。気付かないはずがない。

 だけど、でも、確かに――額を軽く小突く感触があったのだ。

 それは緩く握った拳骨だったのかもしれない。

 あるいは、魂のこもった頭突きだったのかもしれない。

 ――フリム……?

 そうと気付いた時には、僕の手と〝SEAL〟は半ば自動的に動いていた。

 生き残るために動いていた。

 防御術式〈スキュータム〉×十五を発動。さらに浮揚術式〈レビテーション〉を重ねて、自分の体が上空へ昇っていくよう設定する。

 次いで、両手に握っているドゥルガサティーにもコマンドを送信。

 ――何故そんなことが出来ると思ったのか、自分でも不思議だった。少なくとも、こんなことが可能だという話をフリムから聞いていたわけではない。何となく――本当に何となく、できるかもしれない、と。そう思ったのだ。

 何をしたのかって?

 ドゥルガサティーの先端から、ナギナタブレードの刀身だけを切り離したのだ。

 光刃そのものがフォトン・ブラッドで形成されていたからだろうか。あるいは、近しい血族のものだから、というのも要因の一つだったかもしれない。僕が発動させていた術式は、そっくりそのまま刀身へと引き継がれた。

 剣術式〈ドリルブレイク〉と攻撃術式〈フレイボム〉。百数十個の術式を満載したブレードが、僕の背中から噴き出していた噴射光を受け継ぎ、引き続きヒュドラの本体内部へと埋没していく。

 ふわり、と上昇が始まった。強化された術力で作った薄紫の術式シールドが眼前に広がり、僕と奴とを遮断する。

 視点が上昇していくにつれ、戦場となっていた自然公園が全体的に盛り上がっていることに気付いた。おそらく、この真下にはさらにヒュドラの本体――もしくは〝ファーヴニル〟とか、いかにもドラゴンを統べていそうなドラゴンが眠っていたのかもしれない。

 だけど、そうはさせない。

 主観的にはゆっくり。客観的には矢のように上昇しているだろう僕は、新たな形態になろうとしているフロアマスターへ向けて、最後にこう呟いた。



「しつこい」



 起爆した。





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