リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●15 一難去ってまた一難去ってまた一難






 落ちゆく先にいくつものビルを水没させた湖があったのは、単に幸運だったからか、それともアシュリーさんの手腕によるものだったのか。

 どちらにせよ助かったことに変わりはなく、なおかつこの状況を活かさない手はない。

 まだ殺しきれてない慣性によって深い水底へ沈んでいきながら、僕はかっと目を開いた。

 よかった。着水の衝撃でエアバイクのバーは手放してしまったけど、寸前に掴んだアシュリーさんの手だけは離していなかった。彼女は未だ強く瞼を閉じ、厳めしく蹙めた顔で僕と一緒に水底へ向かって沈んでいっている。

 少し離れたところに、同じく体の至る所から泡を生じさせながら沈没していくフリムもいた。両脚の戦闘ブーツの重みで、僕達より深く沈んでいる。

「――!」

 この状況で二人を助けられるのは僕しかいない――直感的にそう思った。

 こんな時こそエンハンサーの出番だ。

 僕はまず支援術式〈ダイバーラング〉、〈アンチリキッド〉を発動させ、自分とフリムに水中での呼吸と服の防水効果を付与した。〈アンチリキッド〉の効果は既に水を吸っている衣服にも意味があって、染みこんだはずの水を吐き出させる効果がある。これで泳ぐ際、服に邪魔されることはなくなるはずだ。

 頭から突っ込んだせいで上下逆になっていた体勢を正常に戻し、

『フリム、大丈夫!?』

『な、なんとか、ね……色々と助かってるわ、アンタのおかげで』

 ぐっと親指を立てるフリムと、スイッチを介して念話を交わす。支援術式がかけられていることは、彼女の〝SEAL〟にもARメッセージとして表示されているはずだ。直前にかけた〈プロテクション〉も含めてのお礼だろう。

 僕は支援術式〈イーグルアイ〉を発動させ、上方――水面へ向けて深紫の鳥を発射する。そうしながら辺りを見回し、

『――フリム、このままあっちに行こう、上のドラゴン達をやりすごさなきゃ』

 水底方向にある、水没したビルの下部を指差す。透明度の高い水と水面から差す陽光のおかげか、百メルトルほど先にあるそこまでもがよく見通せた。

『りょーかい――って、その子は?』

 僕と手を繋いでいるアシュリーさんを、フリムは人差し指で示す。

『これから接触回線で支援術式をかけさせてもらうよ。だから、フリムは先に行ってて』

『オッケー、何かあったらすぐ呼びなさいよ』

 片手で了解のサインをつくると、フリムは俊敏に泳ぎだした。動きに合わせて水中に躍るツインテールが、まるで魚のヒレのようにも見える。

 いくら〈ダイバーラング〉を使って呼吸が可能と言っても、流石に水中で声を使った会話は出来ない。ので、僕はアシュリーさんの体を引き寄せると、その肩を軽く二回叩いた。

「――?」

 リスみたいにほっぺたを膨らませているアシュリーさんが、うっすらと片目を開いた。湖に突っ込んだ際の衝撃でどこかへ飛んで行ってしまったのだろう、髪留めを失った長い髪がクラゲの足のように広がっている。

 僕は直接接触している左手を通じて、アシュリーさんの〝SEAL〟にメッセージを送信した。

『水中でも呼吸ができる術式をかけます。ポートを開いてください』

 途端、アシュリーさんは両眼を開き、数瞬、瑠璃色の瞳を右から左へ走らせた。彼女の〝SEAL〟が視界に移したARメッセージを読んだのだ。

 いくら直接接触していても、相手のポートが開いてなければ支援術式も治癒術式もかけられない。これがハヌだったらもう僕専用のポートを設定しているから普通に接触するだけで〝SEAL〟の接続ができるけど、他の人はそうもいかない。

「――――」

 アシュリーさんが、こくり、と頷くと、僕の視界にも双方の〝SEAL〟がリンクした旨を示すメッセージが現れた。すぐさま彼女にも〈ダイバーラング〉と〈アンチリキッド〉をかける。

 こぽぽ、とアシュリーさんの唇から気泡がこぼれ、上昇していった。恐る恐る、本当に呼吸ができるのかを確認しているらしい。

 僕は身振り手振りを交えて、先にフリムが行った方角を指差した。通じないようならメッセージに切り替えようかと思ったけれど、聡明なアシュリーさんはそれだけで理解してくれたらしい。もう一度首肯すると、逆に僕の手を引いて泳ぎだした。察しのいいことに、ストレージから愛用のショーテルを一振り取り出し、片手に握る。これによって自重が増え、僕達はさらに水底へ沈んでいく。

 ふと、進行方向からちょっと左へずれたところに、さっきまで乗っていたエアバイク〝ゼーアグート〟が頭から湖底に突き刺さっているのを見つけた。一瞬、アシュリーさんの動きが硬直する。それも致し方ない。彼女の愛車は、目も当てられないほど損傷していた。多分、メインフレームから完全に崩壊している。あれでは修理どころではなく、きっと新しいものを買い直すしかないだろう。

 少なからざるショックを受けているのだろう。アシュリーさんが泳ぐ動きを再開したのだけど、どこかぎこちない。状況が状況だったから仕方ないとは思うけど、後でフリムと一緒に謝らなきゃ……

 と、ここで僕は水上へ飛ばした〈イーグルアイ〉の視界へと意識を振り分けた。

 水面から飛び出した小さな鳥はそのまま空へ向けて上昇していた。サイズがサイズなのであまり高くは飛べないけど、敵の動きを見るには充分な高度まで行ける。

 なんと、十体のドラゴンは既に湖の真上まで来ていた。その場でホバリングして、じっと湖面を見つめている。途轍もない移動速度だった。

 心臓の鼓動が早まる。もし奴らがこのまま湖にブレスを撃ち込んだら――と想像してしまったのだ。少なくともアイスブレスとサンダーブレスだけで、僕らは一網打尽にされてしまうだろう。ぞっと背筋に悪寒が走る。

 だけど、ドラゴンだってSBだ。SBは搭載されたセンサーに生体反応が得られなければ、自動的にコンポーネントに戻って消えるはず。湖に入ってこない限り、奥底へ逃げようとしている僕らを見つけられないのだから、このまま上手く隠れおおせれば、きっと――!

 ――気付くな……消えろ……消えろ……消えてくれ……頼む……!

 アシュリーさんに手を引かれて泳ぎながら、僕は必死に祈った。

 すると、どこかにいる神様が僕の祈りを聞き届けてくれたのか、最初に赤色の竜二体がコンポーネントに回帰し、そのまま消失した。次いで、茶色の竜二体、緑色二体と、続けざまに姿を消していく。

 ついには黄色の竜がコンポーネントとなって掻き消え、さぁとうとう残るは蒼のドラゴン二体だけだ――と思った時だった。

『GGGGGRRRRRRR――』

 唸った。サファイアのごとく透き通った鱗を持つドラゴンが、真下の湖面を睨み付け、何かの予備動作のごとく。

「……!?」

 胸の鼓動が早鐘を打つ。頭の中で警告音アラートが鳴り響く。まずい、何をする気だ、まさか、まさかまさかまさか――!?

 胸騒ぎが加速する。僕自身の両眼は先を行くアシュリーさんの後頭部を見ているはずなのに、〈イーグルアイ〉が送ってくる視覚情報しか目に入らない。

 起こって欲しくないことほど、えてして起こってしまうのは何故なのか。

『――RRRRRAAAAAAAA!!』

 嫌な予感が的中した。二体同時に氷竜が獰猛な顎門を開いた。

 ――やばい!

 僕は咄嗟にフリムへ念話を飛ばす。

『氷のブレスが来る――! 逃げてフリム!』

『――ぇえぇえっ!? ちょっまっどどどこによ!?』

『とにかくどこかに! 早く!』

 我ながら無茶を言っているのはわかっているけど、他に言いようがなかった。

 支援術式を複数同時発動。まず手を繋いでいるアシュリーさんに〈プロテクション〉×10を重ね掛けした後、自分に〈ストレングス〉と〈ラピッド〉を最大まで。自分への〈プロテクション〉はまだ残っているから、これでフルエンハンス――強化係数一〇二四倍。

〝アブソリュート・スクエア〟。

 次にアシュリーさんの腕を引き寄せ、背後から彼女の頭を胸の辺りで抱きかかえた。

「!? !?」

 突然の行為にアシュリーさんの体が強張った。混乱しているのがわかるけど、今は説明している暇なんてない。

 アシュリーさんの体を両腕でしっかりホールドすると、僕は全力で足をばたつかせて加速する。背後の水が爆発的に泡を吐き出した。

 ――ぬぁあああああああああああああああああっっ!!

『GGGGAAAA!』

 その瞬間、上空でブレスが発射された。巨大な氷塊を含む指向性の冷気が真っ逆さまに落ちてくる。

 二条の青白い柱が湖に突き刺さった。

 二本ともあっという間に湖底まで突き刺さり、それから周囲の水を一斉に凍結させていく。

 拡散はまさに電光石火だ。

 氷が軋む音を幾千幾万と重奏させ、冷気が触手を伸ばすように透明な水を白く凍らせていく。

 広がっていく。

 凍結の波が壁のごとく僕らへ迫り来る。

『フリム!』

『ハルト!』

 僕は魚雷よろしく水中をぶち抜き、ほんの一瞬で目指していたビルの下部へと辿り着いた。そこで既に浮上に入っていたフリムと合流する。

 刹那、何も言わずともフリムが僕の後ろに回り、腰のベルトに両手をひっかけた。僕は勢いそのままビルの壁を蹴っ飛ばし、上昇に入る。水面に出れば奴らに見つかってしまうけど、ここで氷漬けになるよりはよっぽどマシだ。

 全力全開のバタ足。僕の両脚からロケット噴射のごとく気泡が溢れ出し、膨張する。〝アブソリュート・スクエア〟状態での僕のバタ足はきっとどんなスクリューよりも速い。

 ――でやぁあああああああああああああああっっ!!

 アシュリーさんを抱きかかえ、フリムを腰に引っ掛け、矢のように水中を上昇する。

 左にビルの壁面、右からは凍結の壁が押し寄せてくる。

 揺れる水面まであと十メルトル前後。ビルの壁面と迫る氷壁との間はもう三メルトルもない。

 あとほんの一息、たったそれだけの時間があれば水上へ躍り出ることが出来る――のに。

 ――間に合わ……ない!?

 水面を突き破る直前、無慈悲にも凍結の波が僕らに襲い掛かった。

 視界が真っ白に染まる。





 凍りつき、固体化することによって容量を増して膨れ上がった湖を、二体の氷竜はそれこそ冷ややかに見下ろしていた。

 元より生命のない水溜りであったろうが、先程よりいや増して死の気配漂う氷結湖に満足がいったのか、青い鱗持つ超生物達は先だってコンポーネントへと回帰し世界の裏へと戻っていった仲間達を追うように、その姿を消した。

 途端、廃墟の街は静けさに包まれる。

 やがて陽光の熱で溶け始めた氷が、ボコン、ボゴンと音を鳴らし始めた。それ以外には、何も聞こえてこない。

 しかし。

 真っ白な凍気たゆたう静寂の世界に、突然、ガギン! と鋭い音が響き渡った。

 音の発生源は、巨大な氷塊と化した湖から半身を突き出した朽ちたビルの一つ。その足元であった。

 白く凍った氷面に突如として亀裂が走り、そこから蒼い剣の切っ先が飛び出す。大きく湾曲した刀身が激しく前後に動き、バキバキと氷を割れ砕いた。

 十二分に広がった穴。そこに満ちた水から、ざぶっ、と三本の腕が突き出た。

 ――とまぁ、〈イーグルアイ〉視点からもったいぶった説明をするのはこれぐらいにしておこう。

「――ぷはぁ……っ!」

 水面を突き破り、僕とフリム、アシュリーさんは一斉に顔を出した。水中呼吸していた肺が、数ミニトぶりにまともな大気を吸い込む。

「……た、たすかった……!」

 這々の体で呟き、僕とフリムとアシュリーさんは揃って穴から上半身を出して、氷の上に這い上がった。ずぶ濡れで凍結した湖面に立つと、濡れたコンバットブーツの底が白い氷の上でキュッと鳴る。

「だ……大丈夫、なのよね……?」

 ツインテールの先からボタボタと水滴を落とすフリムが、頭上を仰いで聞いてきた。

「また出現した場合は、今度こそ腹をくくるしかありませんが……」

 同じく赤金色の髪にたっぷりと水を吸い込んだアシュリーさんが、前髪を掻き上げながら空を見上げた。

 全員、肩で息を繰り返している。体力を消耗したというより、あわやという所で死にかけた緊張感からくる疲労だった。勿論、僕自身は〝アブソリュート・スクエア〟の反動による疲労もあったけれど。

「だ、大丈夫……だと思う……一度は消えたのを確認したから、また条件を満たさないことにはポップしないはずだけど……」

「っていうか、なんでいきなり出現してんのよアイツら!? 別にアクティブアクションは取ってなかったでしょアタシ達!?」

「大きな声を出さないでください。パッシブで現れるSBも、少ないですがいないわけではありません。あのドラゴン達もそちらのタイプだったのでしょう」

 ようやく一息吐いたからか、突然すぎるドラゴンの出現に今更ながらフリムが気炎を吐き、それをアシュリーさんが冷静に諭す。

 そういえばお礼を言わなければ、と気付いた。僕らがこうして凍結した湖から這い出て息をしているのは、アシュリーさんのおかげなのだ。

「――ありがとうございます、アシュリーさん……おかげで助かりました」

 僕のお礼の言葉に瑠璃色の瞳を振り向かせたアシュリーさんは、何故か急に頬を赤らめ、すぐに視線を逸らした。

「いえ、私こそ……そもそも、礼ならばこち」

 へくちっ、と折悪しくフリムがくしゃみをした。アシュリーさんの唇がピタリと止まって、言葉が途切れる。

 ぶるぶるぶるっ、とフリムが猫みたく大げさに体を震わせた。

「ね、ねぇちょっと……さ、寒くない……? とっとと移動しましょうよ」

 自分で自分の体を抱いて、ずずっ、と鼻を啜り、フリムは僕らにそう提案した。唇が目と同じ色になっている。

 確かに全身びしょびしょな上、辺りには凍った湖の冷気が充満している。このままでは体調を崩してしまうかもしれない。

「……では、とりあえずこのビルの中へ入りましょうか。おそらくですが、あのドラゴン達も建物内部では出現しないでしょうから」

 アシュリーさんがそう言って、すぐ近くにある窓を顎で示した。





 幸運も二度続けば奇跡と呼んでいいものだろうか。

 凍結の白い波が全身を包み込もうとした時、冗談抜きで死を覚悟した。ただ身動きがとれなくなる程度なら術式でどうにかなるけれど、一瞬で体内まで凍りついてしまったら流石にどうにもならない。

 だけど、今際の際かと思った刹那、アシュリーさんの手に握られた蒼い曲刀が閃き、不思議なことが起こった。

 僕達三人を取り込もうとしていた冷気が、まとめてショーテルの刀身に吸い込まれたのだ。

 その結果、僕達の周囲のみが凍結を免れ、先述のように氷上へ出ることが叶ったのである。

「あれは私の剣、〝サー・ベイリン〟の特殊能力です」

 ビルの上層階まで昇り、空いている部屋に設置した赤い熱源の前で、アシュリーさんはそう語った。

「……本来ならば、あまりクラスタ外の人間に語ることではないのですが、あなた方は恩人でもあります。特別に説明しましょう」

 氷結湖の冷気が届かぬよう、また陽の光が近いようと考え、僕達はビルの最上階まで上がってきた。おかげで寒さはだいぶましになったけれど、それでも冷え切った体は一度暖めなおさなければならない。フリムが部屋の真ん中で付与術式〈ボンファイア〉を発動させ、僕らはその赤い輝きを取り囲んで暖をとっていた。

 余談だが、床や壁などに付与して発動させる〈ボンファイア〉は、名前の通り焚き火の代用となる術式だ。擬似の炎と本物の熱を発生させるこの術式は、意外に細かくカスタムできるのが特徴である。炎の色を変えたり、熱の強弱を調整できたり、煙演出のありなしを選べたり――なんだったら光と炎と煙のない『熱だけ』というものも可能だったりする。これは隠れて暖をとりたい時などに便利なのだとか。逆に言えば、熱のない『炎だけ』というのも可能で、これは見た目重視の演出の際に使用されるとのことである。

 閑話休題。

 窓のないコンクリート剥き出しの部屋の中。フリムが床の上に生成した幻の炎の赤に顔を照らされたアシュリーさんは、今も傍らに置いてある一振りのショーテル――〝サー・ベイリン〟の柄に手を置いたまま、説明してくれる。

「この剣の素材は、ヴィクトリア団長の〝輝く炎の剣リヴァディーン〟と同じものです。確か、エーテリニウム、と言ったでしょうか。かなり昔に、グレート・ブルーゲートで見つかったアーティファクトだと聞いています」

 僕らはずぶ濡れになった装備品を脱ぎ、それぞれストレージに格納してあった私服に着替えている。脱いだ服や装備は、現在焚き火の近くに置いて乾燥させているところだ。支援術式〈アンチリキッド〉の効果で水を吸ってはいないので、短時間で乾くはずである。なお、乾燥を少しでも速めるため、〈ボンファイア〉の温度は高めに設定してもらっている。

「この金属の特性は、現実改竄現象のエネルギー――いわゆる術力を吸収・放出できるところです。先程の凍結もドラゴンブレスによる現象でしたので、もしかしたらと思い……咄嗟の判断だったですが、上手くいって何よりです」

 最後の一言を静かに呟き、アシュリーさんはどこか愛おしそうに指先で剣柄を撫でる。

 その説明を聞き、僕は先日のことを思い出した。

「あ、だから攻撃術式を……」

 アシュリーさんがニエベスの〈フレイムジャベリン〉を切り払った姿は、今も脳裏に焼きついている。何かしらの術式を発動させていたわけでもないのに、無造作に剣で弾き飛ばしたものだから、ひどく驚いてしまったのだ。

「ええ、この剣の性能によるものです。ヴィクトリア団長の〝リヴァディーン〟でも同様のことが可能ですよ」

 それを聞いて想起するのは、いつかのゲートキーパー戦だ。ゲートキーパー〝ボックスコング〟へのとどめの一撃――ヴィリーさんの最強攻撃と名高い剣術式〈ディバインエンド〉。そういえば確かにあの術式は、ヴィリーさんの纏っていた蒼炎を剥ぎ取るようにして吸収し、破壊力へと変換していた。その際、術式の媒介となったのが彼女の愛剣〝輝く炎の剣リヴァディーン〟である。

 ツインテールをほどき、赤いオーバーサイズのTシャツと黒のステテコというラフすぎる格好の上から茶色の毛布を巻きつけたフリムが、ふーん、と鼻を鳴らした。

「なるほどねぇ。術力を吸収・放出できるんなら、確かに跳ね返すことも受け流すことも可能だわ。――ってことは、さっきの冷凍攻撃のエネルギーはまだその剣に……?」

「はい。放出しない限り、吸収したエネルギーは残留します。と言っても、あまり溜め込みすぎるとそれはそれで不具合があるのですが」

 黒のワンピースにダークグレーのカーディガンという、自身の髪の色がよく映える私服姿のアシュリーさんは、逆接の接続詞を出しながらもそこで言葉を切った。流石にこれ以上は、仲間でない人間には言えないということなのだろう。それがわかっているだけに、僕もフリムもそれ以上の言及を避けた。

「何にせよ、アンタのおかげで助かったわ。あと、エアバイクの件は悪いことしたわね。宣言通り、これだけは謝っておくわ。ごめんなさい」

 座ったままで礼儀もへったくれもない謝罪だったが、珍しいことにあのフリムが素直に頭を下げた。彼女の気性を知っている者としては、流石に瞠目せざるを得ない。

 これに対し、アシュリーさんは小さく首を横に振る。

「いえ、あの状況では致し方ありません。それに、あなたとベオウルフの力添えがあってこそ、こうして逃げ切ることができたのですから。どうかお気になさらず。むしろ、こちらこそお礼を言わせていただきます。ありがとうございました」

「あらそう? じゃあお互い様ってことで。悪いけど弁償とかは勘弁してね?」

 けろりと即座に掌を返して、にゃは、と笑ったフリムに、アシュリーさんが軽く目を見張った。

「――――」

 少しは柔らかくなったかと思っていた物腰が、急激に硬さを取り戻した。瑠璃色のジト目がフリムに向けられ、

「……確かに、気にしないようにと言ったのは私ですが……あなたは少々気配りを覚えるべきですね。そこまで露骨な言い方をされると、正直不愉快です」

「あらごめんなさい。ちょっとタイミングが早すぎたかしら?」

 わざとらしく掌で口元を隠して、目線を泳がせるフリム。それでも吊り上がっている口角が隠し切れていないから、笑っているのがバレバレだ。

「っていうか、今更『あなた』なんて他人行儀な呼び方しなくてもいいのよ? さっきはアタシのこと親しげに『フリム』って呼んでくれたじゃない? ねぇ、【アシュリー】?」

「な……!? あ、あれは咄嗟のことでしたから……!」

 どうやら意表を突かれたらしく、アシュリーさんが目に見えて狼狽した。そういえばドラゴンから逃げるとき、思いっきり『フリム!』って呼び捨てにしていたなぁ、と思い出す。指摘されて動揺しているということは、アシュリーさんも意識していたのだろうか?

 おほん、と仕切りなおしの咳払いをして、

「ベオウルフがあなたのことをフリム、フリムと呼んでいたので、咄嗟にその名が出ただけです。呼び捨てにして失礼致しました。【ミリバーティフリムさん】」

 馴れ合うつもりはありません、と言わんばかりにフリムの長ったらしい名前を強い語調で言い切るアシュリーさん。ツンケンする彼女に対し、フリムは蠱惑的な流し目を送る。

「なによう、そんな他人行儀な呼び方することないじゃないアシュリー? アタシ達、少なくともここを出るまでは一緒に力を合わせるんでしょアシュリー? だったら仲良くしましょうよ、ねぇアシュリー?」

「な、馴れ馴れしく何度も何度も……お、お黙りなさい!」

 うわぁ。容赦なく弄りにかかるフリムもフリムだけど、馬鹿正直にリアクションするアシュリーさんもアシュリーさんだなぁ、と僕は自分を棚に上げて思ってしまう。

「はいはい、悪いわねっと」

 終いには拳をぶるぶる震わせ大きな声で怒鳴ったアシュリーさんに、フリムはポーズだけは首を竦めて見せた。片目を瞑って舌を出しているので絶対に反省なんてしていないだろうけど。

「それにしても、いきなりドラゴンとはねー。予想の斜め上をいかれたわよねー」

 挙句に、しれっとした顔で話を変えてしまった。我が従姉妹ながら末恐ろしい人物である。

 これ以上真面目に突っ掛かる愚を避けたのか、意外にもアシュリーさんはフリムの急な話題転換に応じた。

「……ええ、何も出てこないかと思えば……いえ、それすらも用意されていた心理的な罠だったのかもしれません。それに、そもそも周囲の森を見たときに気付くべきでした」

「……? 何を、ですか?」

 森に何か気付くべき特徴的なものでもあっただろうか、と思って質問した僕に、アシュリーさんは鋭く釣り上がった蒼い瞳を向け、その名を口にした。

「おそらく――ここは〝ドラゴン・フォレスト〟です」

「あ……」

 その名の響きは、意外なほどすんなりと腑に落ちた。なるほど、と納得してしまう。

 古代人の残した遺跡レリクスの一つ――竜の棲む森。

 実はルナティック・バベルのような建造物ではなく、一つの土地を指して〝ドラゴン・フォレスト〟と呼ぶので、正確に言えば【遺跡】と呼ぶにはちょっと語弊があるのかもしれないけれど。

「いえ、より正確に言えば、〝ドラゴン・フォレスト〟を模した空間、と言うべきでしょうか。実際にこのような場所がドラゴン・フォレストにあるかどうかは定かではありません」

 以前までロゼさんがエクスプロールの拠点にしていたというドラゴン・フォレスト。最奥、つまり中心部には最強のドラゴン――皇帝類が棲まうと言われている、超がつくほど広大な森だ。例え空から中心部の様子を見ようとしても、先程のような飛竜の集団がやってきてしまうため、未だその全容は掴めていないという。

「あそこに行ったことがあるの、アンタ?」

「ええ、短い間ですが『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』としてエクスプロールしたことがあります。思い出してみれば、この空間の雰囲気はあの場所とよく似ています」

「ど、どうしてまた、そんなことを……?」

 そんなことを、というのは、何故ルナティック・バベルの中に敢えてドラゴン・フォレストに似せた空間を作り上げたのか、という意味である。

 アシュリーさんは静かに首を振る。

「それはわかりません。何かしら、この遺跡の設計者の意図があるものとは思いますが……現時点では何とも」

 もしここにロゼさんがいれば、この謎の空間がドラゴン・フォレストに酷似していることもすぐにわかったのだろうか。とはいえ、何故そんな模倣をしたのか、についてはやはり推察できなかっただろうけれど。

「うーん……ここはルナティック・バベルの中で、でもドラゴン・フォレストに似てて、実際にドラゴンが出てくるわけで……」

 フリムがブツブツ呟きながら目を閉じ、思考を巡らせる。

「何かの演出……? 第一一一層ってことで、何か特別なことがしたい……? だとして、アタシだったらどうする……?」

 何やら遺跡を設計した人物になりきって、その目的をトレースしようとしているらしい。

「…………」

 主に会話していたフリムが沈思に没頭してしまったため、僕とアシュリーさんとの間に、ぽつん、と沈黙が生まれてしまった。

 とにもかくにも、服が乾くまではここにいないといけないし、このままずっと黙ったままというのも何だか気まずい。何か、何か話題は――

「――あ、えっと……そ、そういえば、さっきはすみませんでした、アシュリーさんっ」

「……なんですか?」

 頭をこねくり回した結果、謝らねばならないことを思い出して頭を下げた僕に、アシュリーさんはきょとんとした。

 今のように私服を着て髪を下ろしている状態でそんな顔をされると、とてもニエベスの耳を切り飛ばしたり、僕に氷のごとく冷たい目を向けてきた人と同一人物だとは思えなくなってしまう。

 というか、なんだろう。すぐ近くにいる比較対象がフリムだからというわけでもないけど、そこはかとなく全身から上品さというか、高貴さが滲み出ている気がする。ちょうど、彼女の上司の剣嬢ヴィリーさんのように。

 僕はアシュリーさんの顔を直視できず、堪らず床に視線を落とした。

「そ、その……さっき水の中で、い、いきなり体に、ふ、触れてしまって、その……」

「……っ!」

 僕の説明に、アシュリーさんが息を呑む気配がした。先程、アイスブレスによる凍結から逃げる際、僕は無断で後ろから彼女を抱きしめ水中を突き進んだのだ。あの時は必死だったからよく覚えてないけど、それだけに変なところを触っていたかもしれない。事前に一言あるべき行為だったのに、あの時の僕にはその余裕がなかった。

「……いえ、先程ミリバーティフリムさんにも言いましたが、非常時でしたし、あなたの判断は的確でした。私を助けるための行動だったと理解しています。謝る必要はありません」

 優しい言葉ながら、その声に硬い尖った何かが含まれていることに気が付いた。僕は顔を上げ、アシュリーさんの顔を見てしまう。

「ですが」

 強い声を発した彼女もまた、僕の顔を真っ直ぐ見据えていた。

 その表情が示すのは――微かな嫌悪感。まるで傷の入った美術品を見るかのような、そんな何とも言えない顔付きで瑠璃色の目をすがめている。

「――やはり私は、あなたのそういった態度が好きになれません。あなたは、どうして【そう】なのですか」

「え……」

 浴びせられた痛烈な批判に、僕は言葉を失った。彼女の言う『そういった態度』が、一体どういうものなのか。それがわからない。

 自分の何が相手の気に障ってしまったのか、上手く理解できなくて戸惑っていると、ふぅ、とアシュリーさんが嘆息した。

「……そういえば、先程はドラゴンが現れたせいで話が途切れてしまっていましたね」

 このビルへ逃げ延びる直前の出来事を、アシュリーさんは掘り返した。そうだ、あの時、アシュリーさんは『僕を勇者として認めたくない理由』を話そうとしていたのだ。だけど、突然現れたドラゴンたちのせいで中断されてしまっていた。

 赤く輝く疑似の炎の光が、揺らめきながらアシュリーさんの横顔を照らしている。幽鬼が躍るかのような陰が僕らの間でたゆたう中、深い蒼の双眸が真っ直ぐ僕を見つめ、こう告げた。

「話の続きをしましょう。あなたには、どうしても言いたいことがあります」



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