リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●12 開かずの階層




『あなたに勇者を名乗る資格はない』

 不意にアシュリーさんの言葉を思い出した。

 そうだ、先日と同じ轍を踏むわけにはいかない。ここは知恵を絞って、どうにか穏便に済まさなければ――

「道理でどっかで見たような後姿だと思ったぜ……! テメェ! この間はよくも俺達に恥をかかせてくれたなァ!」

 激昂したニエベスが口角から泡を飛ばす勢いで怒鳴った。気のせいか、前回よりも怒りの度合いが大きい気がする。一体フリムと彼らとの間に何があったというのだろうか?

 一方、あちらが失礼なことを言えば言うほど、フリムの周囲の気温は下がっていく。今や氷点下などとっくに超えて、周囲にダイヤモンドダストを幻視するほどだ。

 顔だけはニコニコとしたまま、フリムの毒舌が振るわれる。

「こっちの質問に答えないどころか、初対面の人間に『クソ女』だの『テメェ』だの言いたい放題ね? 礼儀知らずの野良犬には手荒い調教がよく効くっていうけど、本当かしら?」

「だ・か・ら! 初対面じゃねぇって言ってんだろぉぉぉぉッ!」

 もはや赫怒より切実さを感じさせるニエベスの叫びである。

「あ、あの女マジで俺らのこと忘れてんのか!?」「あり得ねぇだろ……! どんな神経してんだ!?」「いいや、あの女なら有り得る……! 俺を蹴り上げた時のあの顔……毛虫でも見るかのような目だったからな……!」

 傍らの赤コート、鼻ピアス、ノッポ達もが揃って戦慄に身を震わせる。いや、本当に何があったんだろうか。聞くのが怖い気もするけれど。

「ね、ねぇフリム、本当に知り合いじゃないの……?」

 腫れ物に触れるかのように質問した僕に、フリムは振り向きもしなかった。

「ごめんハルト、ちょっと黙ってて? 今アタシすんごいイラついてるから」

 遠雷の音かと思うぐらい、めちゃくちゃ低い声だった。不機嫌なんてものじゃない。理性と本能が一髪千鈞を引くバランスを保っていた。

 蔓延する険悪な空気の中、いきなりニエベスが長剣を抜き放ち、猛然と吼えた。

「――ああああクソクソクソッ! どいつもこいつも! もう俺らのことを覚えていようが忘れていようが関係ねぇ! むしろ好都合じゃねぇか! ぼっちハンサーと一緒にブッ倒してこの間のツケを払わせてやらぁ! おい! 行くぞテメェら!」

「「「お、おおっ!!」」」

 抜き身の剣を振り上げたニエベスの号令一下、赤コート達が若干腰が引けつつも短い雄叫びを上げた。各々が武器を構え、臨戦態勢をとる。

 一気に緊張が高まる中、それでもフリムは彼らをせせら笑う。

「へぇ……? 抜いたわね? アンタ達、ちゃんとわかってんの? ここは遺跡レリクスよ?」

 フリムの笑みの質が変化した。氷細工のように綺麗なそれから、人間を魂ごと凍りつかせる雪女にも似た気配に。

 ルナティック・バベルに限らず、世界各所にある遺跡の内部は無法地帯だ。どこの国の法もそこでは意味を為さない。故に、例えエクスプローラー同士が諍い、殺し合いをしたところで、それが犯罪として扱われることはない。

 フリムの凍えた雰囲気はつまり、これから命のやり取りを行うことを暗に示していた。

 殺し合いを目前にして流石に肝が冷えたのか、ニエベスは舌で唇を湿らせ、やや落ち着いた調子で返す。

「へっ、当たり前じゃねぇかクソ女……テメェこそビビってんじゃねぇのか? 言っとくけどよ、この間は俺達が油断してたからテメェは勝てたんだからな。今日は最初から本気だ。なぁおい、泣いて謝るなら今のうちだぜ?」

 フリムを睨みつけ凄みを利かせるニエベスだったが、僕としては二日前に彼が失禁しているところを見ているせいか、あまり迫力を感じられなかった。

 とはいえ、この状況はまずい。

 このままでは冗談抜きで、死人が出る事態になってしまう。フリムが負けるとも思えないが、相手側のニエベスは少なくとも『蒼き紅炎の騎士団』の一員になれるほどの猛者だ。手加減できず、勢い余って殺してしまうかもしれない。

 自分の従姉妹がその手を汚すところなんて、見たいわけがなかった。

「泣いて謝るのはどっちかしらね? 言っておくけど、アタシだって相当キテるんだから。人の弟分に手ぇ出しておいて、まさかタダで済むとは思ってないわよね?」

 玲瓏な声が響き渡ったかと思うと、途端に吹雪のごとき殺意が吹き荒れる。背筋が凍るかと思うほど尖った気配だ。フリムの〝SEAL〟が勢いよく励起し、幾何学模様の輝紋から純粋な紫色の光が溢れ出る。

 ――ダメだ、このままじゃ……! いや、落ち着け、冷静に、冷静にだ。アシュリーさんも言っていたではないか。『勇者、英雄と呼ばれる者ならば頭を、知恵をこそ使うべきなのです』って。だから考えろ、落ち着いて冷静に考えろ、頭を冷やして考えるんだ――

「……サティ、レイダー、マキシマム・チャ――」

 ドゥルガサティーを構え、何事かコマンドを発しようとしたフリムの右腕を、僕は無造作に掴んだ。

「――逃げよう、フリム!」

「は――?」

 きっと思いも寄らなかったであろう僕の行動に、フリムが気の抜けた声をこぼして振り向いた。

 そうだ。冷静に考えれば、ここで事を構える必要なんてどこにもない。この間のアシュリーさんみたいに、殺し合いに発展させることなく収めるのが最善なのだ。

 だから、まずは僕だけでなく、フリムの頭も冷やさせなければ――!

 僕は大きな声で彼女を急かす。

「いいから早く! ほら!」

 ぐい、と力強くフリムの腕を引く。僕相手には完全に油断していたのだろう。それだけでフリムの体勢が崩れ、たたらを踏んだ。

「えっ、ちょ、ちょっとハルト――ま、待ちなさいよ! アタシはちゃんとアイツらに、」

「駄目!」

 僕はフリムの顔に、ぴしゃりと強い声を叩き付けた。

「……!?」

 珍しいことに、フリムが僕の前で吃驚して目をパチクリとさせた。

 そこに、僕は魔法の言葉を放つ。

「僕はいつもフリムのわがままを聞いているじゃないか! こういう時ぐらい僕の言うこと聞いてよ! 【お姉ちゃん】!」

「――!」

 最後の呪文の効果は、まさに覿面だった。

 虚を突かれたフリムは息を呑み、僕の口から出た『お姉ちゃん』という言葉をあっさり腑に落とした。

「――あ、うん……ごめん……」

 途端に殊勝になり、素直に頷いてくれた上、謝ってまでくれた。そう、フリムは普段は『アタシがお姉ちゃんよ』と偉ぶっているくせに、いざ僕がそう呼ぶと、急に大人しくなってしまうのだ。おそらく『お姉ちゃんと呼ばれたからにはそれらしく振舞わねば』という意識が働いているのだろう。ちょっとズルイ方法かもしれないけど、今は四の五の言ってられる状況ではなかった。

「ほら、早く!」

「え、ええ……」

 僕が腕を引いて走り出すと、フリムも合わせてぎこちなく駆け出した。

 逃げる。

「……あっ!? テ、テメェら待ちやがれぇッ!」

 僕達が逃げ出したことにすぐに気付かなかったのか、一拍どころか三拍以上も遅れてニエベスが怒声を上げた。その頃には僕とフリムの駆け足には速度が乗っている。途中でフリムの手を離し、僕らはニエベス達に背を向けて白亜の通路を併走した。

 背後から四人組の足音が追い縋ってくるのが聞こえる。

「待てゴラァ! 逃げてんじゃねぇぞオラァアアアア!」

 走っている最中に声を出せば余計疲れるだけだろうに、ニエベスは腹の底から咆哮しながら追っかけてきた。

「――ねぇちょっと。ハルト、これって大丈夫なの?」

 いざ走るとなれば、スカイレイダーからパワーアシストを受けていると見えるフリムは僕よりも断然足が速い。僕はほぼ全力疾走だけど、彼女は何てことない余裕の顔で問うてきた。

「え、な、何がっ?」

「何がって、遺跡の中で逃げるってことは、つまりポップしたSBも放って行くってことでしょ? そんなことしたら――」

「……あっ」

 フリムの指摘に、遅ればせながら僕も気付いた。と同時に、噂をすれば影がさす――というわけでもなかろうが、駆け行く前方に無数の青白い光が生まれた。

 僕は自分の顔色がそれらの光と同じ色に変化していくのを自覚しながら、隙間を縫うように走り抜ける。

 その直後。

『――GGGGAAAAAOOOOAAAAAA!!』

 背後でコンポーネントがSBセキュリティ・ボットへと変化し、無数の甲高い電子音を響かせた。

『うお、おおおおおおおおっ!?』

 間髪入れずニエベス達の悲鳴も轟く。

 駆けながら肩越しに後ろを確認すると、具現化した八体のレッドブルと、それらの間を慌ててすり抜ける四人組が見えた。

「テメ、待てっ、待てコラッ――待てっておいぃぃぃいいい!?」

『GGGGGGGGOOOOOOOAAAAAAAA!!』

『うわぁあああああああああああああ!?』

 追いかけっこの追いかけっこが始まる。

 僕らはニエベスらに。ニエベスらはレッドブル達に。僕らは数珠繋ぎになって一〇八層の通路を疾駆する。

 すると、またもや前方に青白い輝きがいくつも生まれ――

「ほら、こうなるでしょ?」

「わ、忘れてたぁああああああっ!」

 トレイン。

 それは、戦闘から逃げ出したエクスプローラーが行く先々でSBをポップさせ、あたかも列車のごとく長い行列を作りながら移動することを指す。

 これを終わらせるには、意を決して立ち止まり戦いを再開するか、あるいは他の誰かに押し付けてさらに逃げるか、もしくは安全地帯まで逃げ切るか、の三つしかない。無論、SBの群れに呑み込まれて死ぬ、というのも一つの方法だが、それを積極的に選ぶわけにはいかなかった。

 そして、これを途中にいる他のパーティーやクラスタに押し付けて逃亡することを『トレイン・パス』という。先日ハヌとロゼさんが仕掛けられたのが、まさにこれだ。

 トレインは始まったが最後、ほぼ際限なく追いかけてくるSBの数が増え続けるという悪手中の悪手だ。走り出した場所こそがゴールであり、走れば走るほど、最善から遠ざかっていくという恐怖のレースだった。

「うぉおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 流石は元トップ集団にいた男ということか。ニエベスが短距離走よろしくのフォームで全力疾走し、僕らの横に並んだ。

 一方、残りの三人はというと、

「くそがぁああああ! 〈韋駄天脚〉ゥゥゥゥ!!」

 ノッポが走りながら赤コートと鼻ピアスの腰を両脇に抱え上げ、さらに格闘系と思しき術式を発動させた。途端、やけに長い脚の回転速度が猛烈に上昇し、加速する。その勢いで彼らも僕らに追い付いた。

 そういえば、格闘術式には〈ラピッド〉にも似た足捌き専用の術式があると聞く。おそらくノッポが使ったのもその一つだろう。

『GGGGGGGOOOOOOOOOOO――!!』

『PPPPPRRRRRRRYYYYYYYY――!!』

 甲高い咆吼と地響きを轟かせ、レッドブルの群れとさっき追加された犬型SB〝ダーティハウンド〟の集団とが揃って僕らを追い立ててくる。

 ――ロゼさん、ごめんなさいっ……!

 僕も堪らず支援術式を発動した。〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉の身体強化術式を二回ずつ。強化係数四倍の感覚に意識を合わせ、足がもつれないように気をつける。

 加速。

 必死に動かしていた足に余裕が生まれ、僕は走りながらもほっと息を吐く。

「テ、テテテテテメェらよくもぉぉぉぉッ! なんつうことしてくれてんだコラァァァァ!」

 少し距離を置いて右側に並んだニエベスが、全力疾走しながら必死の形相で文句をつけてくる。これに対し、フリムが猛った。

「アンタ達が文句言えた義理じゃないでしょうが! 誰のせいでこうなったと思ってんのよ!」

「テメェらが逃げるからだろうがクソがァ!」

「だからなんで逃げたと思ってんのよバカッ!」

「知るかボケェェェェ!」

「……ハルト、こいつトレインに蹴りこんでやってもいいわよね?」

「……やめとこうよ……気持ちはわかるけど……」

 どこまでも自分勝手な言い分しか吐かないニエベスに、フリムが再び殺意の冷気を漂わせる。僕はそれを止めつつ、これから先の話をした。

「それよりも、確かこの先に上層への階段があるはずだから! まずはそこまで――」

 そう言いかけた時、後方から一際大きい地鳴りと雄叫びが聞こえてきた。

『HHHRRRRRRRRRRRRYYYYYY!』

 つい最近どこかで聞いたような嘶きに、僕は嫌な予感に突き動かされ、背後を振り返った。

「え――!?」

 この目で見たものが一瞬だけ信じられなかった。けれど、その黒い小山のごときシルエットといい、他のSBのものを吹き飛ばすほど重苦しい足音といい、間違いない。

「――ニ、ニエロ・スレイプニールッ!?」

『HHHHHHHRRRRRRRRYYYYYYYY!』

 あり得ない。あいつは一九五層以上からじゃないと出現しないはずなのに――!?

「ちょ、ちょっと……なによアレ!? あんなデカイのが出るなんて聞いてないわよ!?」

 流石のフリムも驚愕して声を高めた。

 最後尾に現れたニエニールは六体。でかすぎる図体を二列縦隊に並べ、雷神の唸りがごとき腹に響く轟音と共に僕達を追いかけてくる。

「ま、まさか――『奇跡の遭遇ミラクル・エンカウント』!?」

 こんな時に限って!

 屈強な体躯に八本の足を誇る漆黒の巨馬は、もはや他のSBを踏み潰しながら迫り来る。当たり前だがめちゃくちゃ速い。

「くっ、クソがぁああああああああッッ!!」

 ニエベスが喉から絶叫を迸らせ、さらに速度を上げた。これが火事場の馬鹿力というものだろうか。追い上げてくるニエニール達に負けないほどの速さで廊下を駆けていく。

 一方、身体強化状態の僕とフリム、また加速術式を使っているノッポはそれ以上のスピードで先行し、とにかく前へ前へと逃げ続けた。

 と、ここでふと気付く。

「――フリム! 〈バンクマイン〉でどうにか出来たりしないかな!?」

 僕の提案に、フリムはチラリと後方のニエベス達四人と、さらに後ろにいるSBの大群を一瞥し、難しそうな顔をして唸る。

「うーん……出来ないこともないんだけど……」

「け、けど!?」

「アタシ達はこのまま先行して距離を取れば巻き込まれずに済むんだけどね? でも、この状況だとアイツらもまとめて吹き飛ばしちゃうわよ? いいの?」

 微妙な顔で、くい、と右手の親指で背後を指し示し、逆にそう聞いてきた。

「ええっ!?」

 言われて見ると、全身全霊で走っているニエベスも、加速術式を使っているとはいえ大の男二人を脇に抱えているノッポも、ギリギリ追いかけてくるニエニール達に距離を縮められないぐらいの速度だ。ここからスピードを落とすことはあっても、上げられるとは到底思えない。

「――――」

 正直、積極的に助けたいとは思わなかった。おそらく、ここで僕らが彼らを見捨て、SBもろとも爆破したとしても、それを責める人はほとんどいないはずだ。

 そう、ほとんど。

 だけど、それを責める人間が、一人だけいる。

 ――僕だ。

「……もう少しで昇降口につきます! それまで頑張って!」

 僕は少し速度を緩め、近付いてきたニエベスとノッポを激励した。

「あ、ぁあ!?」

「お、おおっ!?」

 よほど意外だったのか、両者から面食らったような反応があった。

 先日は暴力を振るわれたし、理不尽なことも言われたし、危うくひどいムービーを拡散されてしまうところだった。

 けれど。

 僕を殺そうとしていたわけではないし、実際、誰も死んでいない。

 だから――あの程度のことで彼らの命を見捨てるような狭量な人間には、なりたくなかった。

 そうだ。僕はハヌやロゼさんと肩を並べられる、立派なエクスプローラーになるのだ。

 ここで見捨てちゃ、男が廃る――!

「――僕が引っ張ります! 足をもつれさせないように気をつけて!」

 ニエベスとノッポに声をかけてから、僕は前を向いたまま彼らの胸倉へ手を伸ばした。服の胸元をしっかり握りしめる。

「なっ――!?」「お前何を――!?」

 二人の驚きをまとめて無視して、僕は気合を入れた。

「――づぁああああああああああっ!」

 加速する。

 ニエベスとノッポの胸ぐらを掴んだ腕がピンと突っ張る。けど構うことなくそのまま加速を続ける。

「「うお――ぉおおおおおおあああああああッッ!?」」

 無理矢理に速度の上限を超えさせられたニエベスとノッポの口から、悲痛な悲鳴が上がった。限界以上のスピードを維持するため、彼らは全力以上に足を回転させることを強いられる。

 そうしながら、僕はさらに勝手な指示を出した。

「赤コートの人! 〈プロテクション〉は使えますか!?」

「お、おおおっ!? お、おうっ! つ、つつ使えるぞぉぉ!?」

 全力以上で走るノッポの脇に抱えられているせいか、上手く呂律が回っていない返事をする赤コート。けど、答えは是であった。なら、やるしかない。

「じゃあ、あなたも含めた仲間全員に目一杯〈プロテクション〉をかけてください! それが終わったらすぐ言ってください! ――早く!」

「――お、おおっ!?」

 途中、僕の言っていることの意味がわからなさそうな顔をしていたので、思わず大声で急かしてしまった。

 そうこうしている内に、白亜の廊下の奥に昇降口が見えてきた。観音開きの純白の扉。あそこに飛び込めば、とりあえずは何とかなるはずだ。

「――で、できたぞぉぉぉ! プ、〈プロテクション〉っ!」

「はいっ!」

 僕はずっと前を向いて走っていたから、ちゃんと支援術式のアイコンが表示されていたかどうかはわからない。だから彼の言うことが本当かどうかも判別できない。

 でも、手加減する余裕なんて無かった。

 僕は自分に対してさらにフルエンハンスを二回。強化係数を十六倍に引き上げ、一応は宣告した。

「――今からあなた達をあっちに投げます! 上手く受身を取ってください!」

「「「「――はぁああああああああああああッッ!?」」」」

 いっそ小気味いいほど綺麗に四人の声がハモった。けれど頓着などしていられない。僕は彼らの抗議を完全に黙殺した。

「フリム! 道を空けて!」

「はいはーい! なによもー、ハルトにしちゃ面白いこと考えるじゃなーい♪」

 やけに上機嫌な様子で、先頭を行くフリムが通路の脇に寄ってくれた。それもそうか。こういう乱暴なやり方は、むしろフリムの好むところである。彼女は基本、ドラスティックな手法が大好きなのだ。

 僕だって出来ればこんな方法はとりたくないけれど――しかし彼ら四人には、あの場で、この暴虐な従姉妹の手にかかっていたよりはマシだったと、そう思ってもらうしかなかった。

「まずは右から!」

 と宣言して、ノッポの胸倉を掴んでいる右腕に力を籠める。通常は非力な僕でも、これだけ筋力を強化していれば大人を三人まとめて投げることだって難しくない。

「「「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいマジかぁぁアアアアアアアアアァッ!?」」」

 これまた仲良く三人で同一の台詞を叫んだ彼らを、一瞬だけ足を止め、僕はオーバースローでぶん投げた。我ながらちょっと無慈悲かなとも思う。

「「「――ッ!?」」」

 もはや悲鳴もなかった。ノッポと、その両脇に抱えられた赤コートと鼻ピアスが石像のように硬直して、空中をかっ飛んでいく。

 そんな彼らが扉に激突するよりも速く、

「――次は左ッ!」

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!?」

 断末魔にも似たニエベスの絶叫をBGMにして、僕は続けて左腕を大きく振りかぶった。

「ヒィァ――!?」

 変な声を残し、ぎゅおん、と勢いよく大気を貫いたニエベスの体が、素晴らしい速度で先に行った三人組を追いかけていく。先日殴られたこともあってか、ほんのちょっとだけ三人よりも強めに投げてしまったかもしれない。

 高速で空中を吹っ飛んだ四人は、ほぼ同時に昇降口の扉に衝突した。二枚合わせのドアは奥に向かって開くタイプだったらしく、バン! と猛然と押し開かれ、彼らを飲み込んだ。

 直後、ずどん、と凄まじい音が鳴り響いた。ニエベスら四人がさらに奥の壁に激突したのだ。

 間を置かず、僕とフリムも昇降口に飛び込んだ。三メルトルほど直前からブレーキをかけて、減速しながら踵を返す。

 言葉もなくフリムと目を合わせ、アイコンタクトだけで意思を共有。僕は右の、彼女は左の扉に手をかけ、

「「せぇーのっ!」」

 息を合わせて一斉に扉を閉めた。再び、バン! と音を立てて跳ね返ろうとするドアを、僕もフリムも体当たりをかますように押さえ込む。閉じる寸前、細い隙間からこちらへ殺到するSBの大群が一瞬だけ見えた。

「――~ッ!」

 まるで数え切れなかった。視界に映る通路の端から端までを種々多様な怪物が埋めつくしていた。しかも、その全てが殺気立って押し寄せてくるのだ。

 あんなの、いくらほとんどが一〇〇層前後の奴らばかりとはいえ、呑み込まれた時点でおしまいだ。しかもそこに上層のニエニールが六体も混じっているのだ。

 この扉は絶対に開けられてはならない。

「フ、フリム!?」

「わーってるわよ! ――〈ハーデンペトリフィ〉!」

 閉めきった扉に対して、フリムが付与術式を発動させた。八〇セントルほどの直径を持つ紫色のアイコンが現れ、弾け飛ぶ。

 人体に影響を与えるものが多い支援術式と違って、付与術式は原則的に物体へと作用する。フリムの必殺の基である〈バンクマイン〉しかり、炎や冷気などを武器に付与する〈ファイアブランド〉や〈アイスブランド〉といったブランド系しかり。

 今発動させた〈ハーデンペトリフィ〉は物体を硬化、固着させる効果をもつ付与術式だ。簡単に言えば、閉じた扉をそのまま固定化させたのである。鍵でもかけるかのように。

 術式が発動した次の瞬間だった。

『GGGGGRRRRRAAAAA!』『PPPPPRRRRRYYYYY!』『HHHRRRRRRRRRRRRYYYYYY!』

 扉の向こうから凄まじい衝撃が伝わり、僕とフリムは揃って吹っ飛んだ。

「うわあっ!?」

「きゃっ!?」

 後ろへ数歩よろめき、たたらを踏む。

 SBの群れが一丸となって、扉に激突したのだとすぐにわかった。フリムの〈ハーデンペトリフィ〉があと一セカドでも遅かったら、今頃どうなっていたことか。

 固着された扉がミシミシと軋む音を聞きながら背後を振り返ると、上層へ繋がる階段近くの壁際に、先程投げた四人組が転がっていた。

「う、うがぁぁぁぁ……く、くそがぁぁぁぁ……!」

 床に這いつくばったニエベスが怨嗟の声を響かせると、

「し、死ぬかと思った……」「げほっ! ぅげほっがほっがはっ!」「プ、〈プロテクション〉が無かったら、全員死んでたぞこいつぁ……」

 赤コートが九死に一生を得たと呟き、鼻ピアスが激しく咳き込み、ノッポが今にも気を失いそうな弱々しい声でぼやいた。

「ハルト、ぼやぼやしている暇はないわよ! 〈ハーデンペトリフィ〉も一ミニトしか持たないんだから!」

「う、うんっ!」

「アンタ達もほら! さっさと立ちなさい! せっかくハルトが助けてあげたんだから、ここで死んだら承知しないわよ!」

 フリムは倒れ付しているニエベス達にも容赦なく叱咤を浴びせる。

「く、くそが……誰のせいだと思って――」

「アンタ自身のせいよ! このおバカっ!」

 歯の隙間から恨み言をもらしつつ、震えながら体を起こそうとするニエベスに、フリムの辛辣な叱責が叩き込まれた。

『GGGGGRRRRRRAAAAA!』『URRRYYYYYYYYYYYYYY!』『UKKKKKYYYYYKKKKKYYY!』

 術式で固定したとはいえ、制限時間は一ミニト。それだけでも短いのに、扉の向こう側からは今も間断なく激突音が連続している。術式の固着力にも限界がある。下手をすれば制限時間前に力尽くで破られてしまうかもしれない。

 危険性は全員理解しているのか、ニエベス以外の三人もどうにか痛む体に鞭打って立ち上がった。

「上に行くわよ、ハルト!」

「わ、わかった!」

 四人が立ち上がるのを見届けると、フリムは僕の手を引いて走り出した。上へ向かう階段を一段飛ばしで駆け上っていく。

 上層に向かえば、流石にSBも追いかけてこないだろう――と思いたい。奴らはセンサーにしばらく生体反応が引っかからなければ、そのまま自動的にコンポーネントへと回帰し、姿を消す。僕らが感知できないほど遠くに逃げれば、トレインは消滅するはず――

 などと考えていた、その時。

 ドガン! と階下から扉のこじ開けられる大音声と震動が、僕の全身を襲った。

『GGGGRRRRRRYYYYYYY!!』『PPPPGGGYYYYYYYYYY!』『VRRRRAAAAAAAAOOOOOOOOOWWWWW!!』

「「「「ぎゃあああああああああああああああああああああッッッ!?!?」」」」

 同時、遮蔽物がなくなってクリアになったSBの電子音と、ニエベス達の上げる絶叫とが轟いた。さっきまでヨロヨロとふらついていたはずの彼らが血相を変え、とんでもない勢いで階段を駆け上ってくる。

 ――は、はやっ!?

「――もう破られたの!?」

 僕の心の声とフリムの驚愕とがシンクロする。

「上がれ上がれ上がれぇえええええええっ!?」

「「「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」」」

 半狂乱になって階段の上を飛び上がってくる四人の背後、階下から通路を埋め尽くす勢いでSBの大群が登ってくる。

『PPPPPYYYYYYYRRRRRRYYYYYYY!!』『VRRRRAAAAAAAAOOOOOOOOOWWWWW!!』『UUUUUUURRRRRRRRRRRRRYYYYYYYY!!』『GGGGOOOOOOOOWWWWWWWWWW!!』

 流石にあの数で昇降口内部は狭かったのか、扉付近では大渋滞が起こっていた。中には互いの自重に圧殺され、活動停止シャットダウンしていくSBもいる。だが、奴らは理性のない怪物だ。絡み合って転倒する同類すら踏み越えて、僕らを追いかけてくる。いまや扉は、SBという雪崩を素通りさせるだけのただの穴になっていた。

「あの出入り口なら大型の奴は入ってこれないはずよ! それに階段ならあいつらの速度も落ちるわ! このまま上に行って逃げ切るわよ!」

「わかってる!」

 本気を出すため、僕とフリムは互いの手を離した。階下に一瞥を送れば、泡を食って階段を駆け昇るニエベスらと、怒涛のごとく上がってくるSB達との距離は徐々に開きつつある。あの様子なら、さっきみたいに引っ張る必要はなさそうだった。

 ここから上層は、一〇九層、一一〇層と続くが、そこで階段は行き止まりだ。さらに上の一一一階層は別名『開かずの階層』と呼ばれている、本当に特殊なゾロ目階層なのだ。

 ずっと昔、一一〇層のゲートキーパーが撃破され、セキュリティが解除された時、何故か開いたのは第一一二層への道だった。各階層に無数にある階段も、全てが一一〇層で行き止まりになっており、そこから上層へ行くには中央エレベーターを経由するしかなかったという。

 つまり、ルナティック・バベルは第一一一層を境に、一度分断されているのだ。

 よって、一一〇層についたら昇降口から出て、そのまま中央エレベーター付近の安全地帯を目指すしかない。そこまで行けば、何故かSB達はエレベーターには近づけないよう設定されているようだから、トレインから逃げ切ることが出来る。

 だから僕は脇目も振らず、いくつもの踊り場で折り返し、ひたすら階段を昇り続けた。行き止まりに突き当たったら、そこが一一〇層だと思って。

 なのに。

「――えっ!?」

 突如として視界に飛び込んできた光景に、僕は思わず足を止めて呻いた。

「な、なによここ……く、黒いわよ?」

 同じく急ブレーキで立ち止まったフリムが、困惑の声を上げる。

 そう、黒いのだ。壁も床も、天井さえも。純白で統一されていたはずのルナティック・バベルの内装が、ある場所を境に、いきなり反転して漆黒に染まっていた。

 しかも。

「い、行き止まり……?」

 上へと続く階段があるにはあるのだが、ちょうど踊り場に差し掛かるあたりで、真っ黒な壁が行く手を塞いでしまっている。

 ということは、ここが第一一〇階層ということだろうか? しかし、この階層だけ内装が黒になっているなんていう話はついぞ聞いたことがない。

 少し遠くなったが、今なお階下からニエベス達の悲鳴とSBの大群の足音が近付いてくる中、僕はフリムに聞いた。

「ぼ、僕達どれぐらい昇ったっけ? ここ、何階層かわかるっ?」

 フリムは首をふるふると横に振って、ツインテールを揺らす。

「正確なところはちょっと……でも多分、三階層ぐらいは上がってきたんじゃない?」

 自信がなさそうに、彼女は感覚を語った。けど、何も考えていなかった僕の感覚よりかは遥かに頼りになるはずである。

「三階層ぐらい――ってことは、ここはもしかして……一一一階層……!?」

 開かずの階層――そんな……嘘っ!?

 改めて周囲を見回す。白が黒になっているところを除けば、基本的なレイアウトは他の階層の昇降口と同じだ。

 否、違う。

「――ハルト、アレ……何だと思う?」

 フリムも僕と同じものを発見したらしい。すごく嫌な予感がするんだけどアタシ――と続けたそうな声で尋ねてきた彼女に対し、僕はごくりと生唾を飲み込んだ。

 本来なら階層内部に入るための扉がある場所。そこに、不思議な光の膜が張られている。

 見た感じ、キリ番階層のセキュリティルームにあったバリアーに似ている。あちらは青白い半透明のものだったけれど、今見えているのは黄緑色に光っていて、向こう側が見通せない。サイズも、こちらの方が一回り以上小さかった。

「もしかして……あそこから中に入れる、とか……?」

「というか、そうじゃなきゃ逃げ道ないわよ……?」

 聞こえてくる音から察するに、既にニエベス達もSBも、すぐ下の階層を越えて階段を昇ってきている。今から引き返して、直下の階層に入るのは無理だ。あと十セカドもすれば、まずはニエベス達がここに到着し、それから少しの間を置いてSBの大群が押し寄せてくるだろう。

 もう後戻りは出来ない。

 そして、ここにいれば怪物の波に呑まれて死ぬ。

 ――どうする……!?

 他に手はないか思考を巡らせるけど、決定打がまるで思いつかなかった。

 そうこうしている内に、

「「「「――――――――――――――――――ッッッ!!!」」」」

 もはや言葉もなく、全身から汗を迸らせた四人組が僕らのいる場所まで駆け上がってきた。

「!」

 一瞬だけ、彼らも白から黒へ変化した風景に度肝を抜かれたような反応を見せた。だけど、肉体的にも精神的にも余裕がないのだろう。ニエベスがすぐさま黄緑色に光るバリアーを見つけ、右手の人差し指で鋭く指差した。

 あそこだ、と。

 アイコンタクトで頷き合った彼らは止める暇があればこそ、揃いも揃って一直線に飛び込んで行ってしまった。

 とぷん、とまるで水面か何かのように黄緑色の光の壁が波打ち、四人組を呑み込んだ。

「――別に、悲鳴とかは聞こえてこないわね……」

 ニエベス達の背中を見送って一拍、フリムが言った。あのゲートの向こう側に何があるのかはわからないが、とりあえず彼らの驚愕や恐怖の声が聞こえてこないあたり、入ってすぐどうこうされるような罠の類ではなさそうだ、と判断できた。

『GGGGGRRRRRAAAAA!』『PPPPPRRRRRYYYYY!』『HHHRRRRRRRRRRRRYYYYYY!』『GGGGRRRRRRYYYYYYY!!』『PPPPGGGYYYYYYYYYY!』『VRRRRAAAAAAAAOOOOOOOOOWWWWW!!』

 ごちゃまぜになりすぎて、ひたすら耳障りでしかない電子音と、気を抜けば転んでしまいそうな震動とが一斉に近付いてきた。

 階下から、逆巻く瀑布のごとくSBの大群が押し寄せてくる。もう迷っている暇はなかった。

「――お、思い切って行こう、フリム! 多分、ここにいるよりマシだから!」

「……よね。それしか無いんだから、行くしかないわよね……」

 溜息混じりに頷くと、急にフリムは、ぺしっ、と片手で軽く僕の肩を叩いた。

「全く……どれだけ有名になっても変わらないアンタのお人よしが、嬉しいやら面倒くさいやらで、お姉ちゃんちょっと複雑よ」

 そう言って、にゃは、と笑った幼馴染は、左手に持ったドゥルガサティーを肩に担ぐと、右手で僕の手を握った。

「ま、安心しなさいハルト。何かあっても、アタシが守ってあげるから♪」

 片目を瞑り、フリムはウィンクを一つ。

「行くわよ、ついてきなさい!」

「え、ちょっ、ちょっと!?」

 ぐい、と腕を強く引っ張られて僕は軽くつんのめった。フリムは構わずそのまま駆け出し、一気に加速。僕は足がもつれないように気をつけながら、どうにかついていく。

 そして僕らは一息に、蛍光グリーンに輝くゲートへと飛び込んだ。

 全身を覆う、蜘蛛の巣を抜けるのにも似た手応え。

 反射的に瞼を閉じてバリアーを通り抜けた僕らを襲ったのは――唐突な浮遊感だった。

「へ?」

「あれ?」

 二人して間抜けな声をこぼして、目を開く。

 穴。

 開いた目に飛び込んできたのは、あまりにも大きく真っ暗な穴だった。

「えええええええええええええええええええッッ!?」

「きゃあああああああなにコレなにコレなにコレぇえええええええっっ!?」

 落ちる。

 予想もしていなかった文字通りの落とし穴に、僕とフリムは悲鳴をあげながらも、即座に打つべき手を打った。

「レ、〈レビテーション〉っ!」

 僕は浮揚術式を発動し、

「ス、スカイレイダー!」

『certainly(承知しました)』

 フリムはスカイレイダーの〈シリーウォーク〉に似た機能を発揮させ、空中に張り付いた。繋いだ手を互いに強張らせて、穴を見下ろす。

 この階層が丸ごと穴になっているのか、対岸がめちゃくちゃ遠くに見える。しかも、穴は底なんて見えないほどに深い。ニエベス達の姿は当然なく、もしかしなくても悲鳴もあげられないままこの穴に落ちていってしまったのだろうか。

「ね、ねぇ、ちょっと……コレっておかしくない……?」

「う、うん……」

 フリムの疑念に、僕は同意した。震えながら頷く。

 おかしい。どう考えたって、これはおかしい。

 だって、ここはルナティック・バベルの中のはずだ。

 各階層の高さは約五メルトルから一〇メルトル。一一一層の下には、もちろん一一〇層があるはず。

 なのに、【見えない】。

 これだけ大きいのに【底が見えないほど深い穴があっていいはずがない】。

 照明が暗いわけじゃなかった。実際、僕とフリムは互いを視認できている。光源はある。なのに、【穴の底が見えない】のだ。

「ここは……!?」

 ふと気になって頭上を見上げると、そちらも天井が見えないほど真っ暗だった。しかも、僕らが入ってきたはずの黄緑のゲートがどこにも見当たらない。

「く……空間が歪んでる……?」

 天井も床も見えない。何百メルトル、下手したらキロトル単位で上下に広がっている空間。空間が広すぎて、風の唸る音が微かに聞こえている。何らかの要因で空間が歪んでいるのでなければ、さっきのゲートが瞬間転移装置か何かだとしか考えられなかった。

 ――まさか、ルナティック・バベルにこんな場所があったなんて……

 街に戻って報告したら、すぐにでもグローバルニュースに掲載されるであろう大スクープだ。

「……と、とりあえず、下に降りないと……」

 驚きと恐怖で早鐘を打つ心臓を宥めながら、僕はそう提案した。

「そ、そうね……底があれば、の話だけど……」

「や、やめてよ、変なこと言うの……」

 フリムが不安になるようなことを口にするものだから、背筋に悪寒が走って全身が震え上がってしまった。

 その時だ。

「――!?」

 さっきから微かに耳に聞こえていた風の音が、急激に増大した。豪、と猛烈な突風が吹き荒れる。

「えっ、な、何!?」

「す、吸い込まれてないコレ!?」

 僕もフリムも突然の状況の変化に狼狽する。長いツインテールを翻弄されている彼女が言ったとおり、吹き荒ぶ風の流れは原則、上から下へ――つまり、見えない穴底へ向かって動いていた。

 強い。まるで下に巨大なバキュームポンプでもあるかのような吸引力だ。風速は時間を追うごとに強まっていき、終いには巨大な竜巻が発生した。

「ハルト!」

「フ、フリム!」

 片手だけでは引き離されるかもしれない。そう思って僕達は互いの肩を抱き寄せ、荒れ狂う風の中で耐え忍んだ。けれど真下からの吸引力はあまりに強く、僕らは術式によって宙に立っているにも関わらず、徐々に力負けし始めた。

「くっ……ぅうううううう……!」

「何よコレ、つ、強すぎるっ……!」

 もはや互いに抱き合い術式に術力を籠めて持ちこたえようとするけど、なおも烈風の強さは天井知らずで上がっていく。

 ――ま、まずい、このままじゃ……!

 引き寄せる力が術式のキャパシティを超えてしまう。

 こんな勢いで風に流され、深い穴底に叩きつけられでもしたら、きっとただではすまない。

 こうなったら身体強化を一気に〝アブソリュート・スクエア〟まで引き上げて、壁に取り付いてでも――!

 そう考えて術式を起動させようとした時だった。

 頭上で突如、ゴバア! と波濤が岸壁を打つような凄まじい音が生まれた。

「「!?」」

 強風の中、フリムと一緒に弾かれたように面を上げ、上空を見上げる。

 一瞬にして周囲に充満した湿気に、僕はこれから何が落ちてくるのかを悟ってしまった。

 ――水!?

 ダムが決壊したかのごとき大質量が一気に。

 この空間全てを洗い流すかのような巨大すぎる激流が、暴風と共に落ちてきた。

 ――そんなっ……!?

 逃げ場も無ければ、抵抗する力も余裕も無かった。

 呑み込まれる前の数瞬、僕とフリムはそれぞれ別の悪あがきを試みた。

「――ハルトっ……!」

 フリムは軽く跳び上がり、僕の頭を抱え込むように抱き付いてきた。上方へ背を向けて、まるで――否、まさしく僕を庇うために。

 そんなことをしても、大差ないことぐらいわかっていただろうに。

「……っ!」

 僕は僕で、彼女の胸の谷間へ強制的に顔を埋めさせられながら、〝SEAL〟の出力スロットに術式を同時装填した。

 フリムへの支援術式〈プロテクション〉×10。

 自分自身への〈プロテクション〉を三つ。

 そして残る二つのスロットに、水中で呼吸が出来る〈ダイバーラング〉、服が水を吸って重くならないよう防水効果のある〈アンチリキッド〉を装填。

 一気に発動させる。

 深紫に輝く十五個のアイコンが弾けて消えた直後。

 僕とフリムの体は、葉っぱか石ころのようにあっけなく、渦巻く大瀑布に呑み込まれた。





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