リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●13 朽ちたコンクリートジャングル





「……トっ! ハル……ト……ハル……!」

 どこからともなく、フリムの声が聞こえた気がした。その声は不思議と近付いてきたり、遠ざかったりしている。おかげで声の発生源が判然としない。……僕を呼んでるの……?

「――ハルトッ!」

 いきなり耳元で大声。

「ッ!?」

 ビックリして一気に目が醒めた。

「……あ……?」

 気を失っていたらしい。目を開いた途端、視界いっぱいにフリムの顔が映った。僕の両頬を手で挟み込んで、ものすごく心配そうな表情を近付けている。全身がずぶ濡れ状態で、艶のある黒い髪が額や頬に張り付いていた。

「よかった……目ぇ覚ましたわね……」

 フリムが露骨なほど表情筋を緩めて、安堵の息を吐く。

「フリム……?」

 僕は反射的に〝SEAL〟の時計を確認した。支援術式のタイマーがまだ生きている。ということは、意識を失ってからほとんど時間は経っていない。

「気が付いたら失神してたから、頭でも打ったのかと思って肝が冷えたわよ……」

 はーよかった、と呟いて、フリムは僕の顔から手を離した。四つん這いで僕に覆い被さっていた体を起こし、どたりと傍らに腰を下ろす。服は〈アンチリキッド〉の効果であまり濡れていないけど、彼女の自慢のツインテールが水を吸ってぺったんこになっていた。

 フリムが視界からいなくなると、何故か空の蒼が見えた。

「……ここは……? 僕達、一体……?」

 眩しさに顔を顰めながら、上体を起こす。……あれ? 太陽……?

「……外……?」

 ルナティック・バベルの中にいたはずなのに、と思いながら周囲を見回した。もしかして、さっきの空間から外へ放り出されてしまったのだろうか?

 目に映った光景に愕然とする。

「――外、だよね……?」

 思わず震える声で、誰にともなく尋ねてしまった。

 防水術式が効いているとはいえ、服の隙間から入り込んだ水まではどうにもならない。服の中が濡れそぼつ不快な感触を、しかし僕は忘れて立ち上がる。

 草の匂いが鼻腔をくすぐった。

「…………」

 そこは、長い年月が経ちすぎて半ば森と同化しつつある廃墟の街――とでも言うべき場所だった。

 一体どれほどの月日を風雨に晒されてきたのだろうか。かつては整然と立ち並んでいたであろうビルの群れは、至る所に苔が生え、蔦が絡みつき、全体が緑に覆われている。

 どれもこれも経年劣化によって全体が罅割れ、子供が暴れて壊したジオラマみたいに、折れて、傾き、倒れて、崩れている。ガラスが割れ砕けた無数の窓は、まるで蜂の巣みたいだった。

 あちこち砕けて引っ剥がされたアスファルトの路面、隙間から生えた無駄毛のような雑草や野花、ところどころ剥き出しになった地面と無秩序に広がる芝草。

 人の気配どころか、他の動物すら影も形もない。

 死んだ街。

 かつて人々が住み、そして自然に戻った土地が、僕の目の前に広がっていた。

 そんな場所を、雲一つ無い蒼穹から降り注ぐ陽光が、やけに優しく照らしている。

「……ここ、どこ……?」

 呆然と呟いた僕に、横に立ったフリムが明快に答えた。

「アタシにもわかんない」

 僕の隣に立った彼女は、自慢のツインテールの片房を両手で握り、染みこんだ水を絞り出していた。思いがけず大量の水滴が足元の芝生に落ちて、染みこんでいく。

「アンタのこと抱えたまま流されて、気が付いたらここに転がっていたのよ。目を閉じていたから、何がどうなってこんな所に来たのか皆目見当がつかないわ。どっかに穴が空いていて、そこから落ちてきた――って感じでもないし」

 穴。

 そうだ、僕とフリムはあの闇が固形化したような暗くて深い穴を、激流に浚われて落ちてきたはずだ。僕は慌てて頭上を見上げ、自分達が落ちてきたであろう巨大な穴を探す。が、ここはどう見ても外だ。そんな穴、どこにも見当たらない。ビルの輪郭に切り取られたギザギザの空しか見えなかった。

 というか、そもそもどの方角を向いてもルナティック・バベルが見つからない。もしかしたらここは、フロートライズですらないのかもしれなかった。

「しかもほら、あそこ見なさいよ」

 残るもう片方のツインテールを絞りながら、フリムがとある方向を顎で指し示した。そちらへ視線を走らせると、

「あ」

 果たしてそこには、僕達より先に黄緑のゲートをくぐって落ちていったはずの四人組が、各々おかしな体勢で転がっていた。

 そういえば僕もフリムも、直前にかけた〈プロテクション〉のおかげか傷一つない。彼らもまた、投げ飛ばす際にかけていた防御術式の効果が残っていたのか、どうやら全員無事なようだった。とはいえ、今のところ一人として目覚めていないようだけど。

「あと、あっちにも一人」

 と、予想外なことを言って、フリムが背後を指差した。

「え?」

 僕らと四人組以外にも? と不思議に思って振り返ると、確かにそちらにも一人、長い髪の女性らしき人影が倒れていた。僕達と同じように水に流されたのか、全身びしょ濡れである。

「……え?」

 服装に見覚えがありすぎた。蒼いロングジャケットに腕章。そして、ほどけて扇状に広がっているけど銅線にも似た髪の色。気を失っているのか、長い睫毛に縁取られた瞼は閉じられていて目の色は確認できない。けれど、僕の見間違いでなければ、そこには瑠璃色の綺麗な瞳が収まっているはずだった。

「――ア、アシュリー……さん……!?」

 くたりと力なく仰向けに倒れているのは、僕とニエベス達の私闘を仲裁した、あのアシュリー・レオンカバルロさんだった。

「ど、どうしてこんなところに……!?」

「なに、知り合いなの?」

「い、いや、知り合いというか何というか――って、フリムには話したじゃないか! あの人だよ、僕とあっちの四人の喧嘩を止めてくれたのは!」

「ああ、例の『蒼き紅炎の騎士団』の……って、なんでそんな人がこんな所にいるわけ?」

「そ、それは……わかんない、けど……」

 むしろ僕が聞きたいぐらいである。ニエベス達四人ならともかく、どうしてアシュリーさんまでもがここにいるのか。

「――あれ?」

 と、不意に僕は気付いた。

「? どうしたの?」

「いや……そういえばあの人達、濡れてないよね?」

 芝生の上に、めいめいベッドから転がり落ちたような不格好な体勢で四人組を指差す。フリムはアメジスト色の瞳を彼らに向け、パチクリとさせた。

「あ、本当ね。でも、それがどうしたのよ?」

「僕達は濡れている。あっちのアシュリーさんも濡れている……ということは……?」

「……落ちてきたタイミングが、アタシ達と同じだった、ってこと?」

 やっぱりそう思うよね、と僕は頷く。が、それはそれで、今度は別の疑問が浮かび上がってくる。

「……見えてなかったけど、アシュリーさんもずっと僕達と一緒にいた……?」

 つまり、先日と同じように姿を隠して僕らを見張っていた、ということだろうか。だけど、どうしてまた? いや、前もそうだったけど、そもそも彼女は何故、僕を監視しているのだろうか?

 もしかして、ゼルダさんもいたりするのだろうか? と思って再度辺りを見回してみるが、それらしき人影は見当たらない。今日はアシュリーさん一人だけなのだろうか。

 ふと、どこからか水の流れる音が聞こえていることに気付いた。どうやら意識の表層で聞き流してしまっていたらしい。水が高いところから落ちる音も混ざっているので、おそらく近くに滝があるのだろう。これだけ緑が生い茂っているのだ。水源があって当然だった。

 同時に、これはきっと幻影などではなく現実なのだ――とも実感させられた。

 整合性がとれない状況なら、幻か夢かの可能性がまだしもあったのに。

 ――一体、何がどうなってるんだろう……?

 ここがどこなのかもわからなければ、何がどうなってここにいるのかもわからない。

 何もかも、わからないことばかりだ。

 一瞬だけ、途方に暮れてしまう。

「さて、どうしたものかしらねー」

 額に張り付く前髪をかきあげ、蒼穹に浮かぶ太陽を見上げながら、フリムがまるで他人事のような調子で言った。

 それではたと我を取り戻した僕は、懸命に思考を回転させる。

「え、えーと……まずはここがどこかを調べて、いやその前にハヌ達と連絡がとれるかを試して、それで元の場所へ戻る方法を探して……」

 僕がうんうん唸りながら指折り数えると、フリムは、はぁぁぁぁ、とそれはもうとてもとても深い溜息を吐いた。

「よねー、そうなるわよねー……あーあ、めんどくさぁ……」

「ええー……」

 こんな状況だっていうのに心底うっとうしげに呟いた幼馴染に、僕はもはや言うべき言葉が見つからない。とはいえ、無闇に深刻ぶられるよりは全然いいので文句はつけないでおく。

 急にパンパンと乾いた音が鳴ったと思ったら、フリムが自分の両頬を叩いて気合を入れていた。

「――よっし! じゃあまずはあいつらも起こして、全員で情報共有からね。もしかしたらさっきの黄緑のゲートとか、ここのことを知っている奴もいるかもしれないし。アタシ、あの四バカ起こしてくるから、ハルトはあっちのなんとかさんを起こしてきて」

「アシュリーさんだよ、フリム……」

 言うだけ言ってスタスタとニエベス達の方へ歩き出した背中に、一応は訂正の言葉をかけておく。穴に落ちる前にストレージへと収納していたドゥルガサティーを再び取り出し、何故かヒュンヒュンと回転させながら四人組へと近寄っていくフリム。

「あ、あまり乱暴しちゃダメだよー……?」

 言っても聞かないだろうことがわかっているだけに、声は小さくならざるを得なかった。まぁ、流石のフリムも気絶している人を殴ったり蹴っ飛ばしたりはしないだろうから、そこは信頼しているのだけど。

 僕も、なんとなく冬眠中の熊に近付くような気分で、そろりそろりと静かにアシュリーさんに歩み寄ることにした。見た感じ気絶しているのはわかっているし、目が覚めた途端暴れだしたりすることもないとは思うのだけど、彼女に対する苦手意識がそうさせた。

 僕が目を覚ましたのは、かつてはスクランブル交差点だったであろう場所の真ん中あたりだ。そこから四人組は北側、アシュリーさんは南側に十メルトルほどの位置に離れていた。

「し、失礼します……」

 芝草を踏み踏み近付いていくと、前回会った時に抱いた剣呑なイメージとは裏腹に、意外と――なんて言ったら失礼になるけど――あどけない寝顔が見て取れた。後ろでシニヨンにしていた髪がほどけて広がっているせいもあって、ほとんど別人に見える。

「アシュリーさん? だ、大丈夫ですか?」

 すぐ近くに立って声をかけるが、ピクリともしない。ざっと見たところ外傷は見当たらず、出血もない。胸の辺りを見ると規則的に上下しているので、息はある。

 僕は屈みこみ、口の横に掌を立ててもう一度呼びかけた。

「ア、アシュリーさん、大丈夫ですか? き、聞こえますか?」

 駄目だ。まるで反応が無い。ま、まさか頭を打って昏睡状態とか――!?

 少し慌てて、僕は屈みこみ、アシュリーさんの肩を掴んで揺すった。

「アシュリーさんっ? アシュリーさんっ!?」

「……んっ……」

 どことなく艶かしくも聞こえる呻きが、ピンク色の唇から漏れる。よかった、反応があった。僕はほっと胸を撫で下ろす。

「大丈夫ですか、アシュリーさん?」

「…………」

 ピクピクと瞼がひくついて、うっすらと開いた。隙間から瑠璃色の瞳が姿を覗かせる。きっと太陽が眩しいのだろうと思って、僕は体を動かしてアシュリーさんの顔に影を落とした。

「……なんですかユリウス……あなた、また勝手に人の部屋へ――」

「え?」

 寝ぼけて見間違えたのか、むにゃむにゃと眠たそうな声音で違う人の名前を呼んだアシュリーさんに、僕は思わず首を傾げてしまう。

「――誰、ですか……?」

 すると人違いに気付いたのか、眉根を寄せ顔を顰めた彼女は、ぐしぐしと目をこすり、どうにか瞳の焦点を合わせようと僕を睨んだ。

「……? ――ッ!?」

 現状を正しく認識できたらしい。ラピスラズリにも似た双眸が見開かれ、アシュリーさんは大きく息を呑んだ。ビクン、と全身の筋肉が緊張して軽く跳ねる。

「あ、あの……?」

「ベ――ベオウりゅフっ!?」

 噛みつつ叫んだ瞬間、すごいことが起こった。アシュリーさんは地面に横たわった状態で猛然と足を振り上げ、そのままダンゴ虫みたいに体を丸めて後転。その際、装甲靴の爪先が僕の顎先をかすった。凄まじい勢いで立ち上がったかと思ったら、さらに後方倒立回転跳びをスクリューのごとく繰り返し、一気に遠ざかっていく。最後に後方宙返りをして着地を決めたときには、両手に蒼い刀身のショーテルを二本握っており、完全に戦闘態勢を整えていた。

 まるで追い詰められた獣みたいな、一連の動きだった。

「……え、えっと……」

 正直、予想外すぎる展開に僕は目を丸くするしかない。

「――な、なぜっ、なぜあなたがここにっ!?」

 先日の冷静沈着な姿からは想像もつかない、ひどく錯乱した叫びがアシュリーさんの喉から迸った。

 彼女は十メルトル以上も離れた位置から必死の形相をこちらに向け、ぜぇぜぇはぁはぁと息を荒げている。激しい動きで乱れに乱れまくった、腰に届くほど長い銅色の髪先から、ポタポタと断続的に水滴が滴り落ちている。

 どうやらまだ寝ぼけているらしく、ここを自室だと思っているようだ――と僕は推察した。

 軽く両手を上げ、敵意が無いことを示す。

「あ、あの、落ち着いて下さい、僕は……」

「しゅっ淑女の寝室に押し入るなどっ! それが仮にも勇者と……よば……れ……る………………?」

 威勢良く吐かれんとした気炎が、けれど中途で失速し、尻窄みに消えていく。吊り上がった瑠璃色の瞳が左右に泳ぎ、徐々に現状を理解していくのが見ていてわかった。

「…………」

 最終的にアシュリーさんは硬直し、呆然と僕の顔を見つめるだけになる。ポタリ、と顎の先から一滴の雫が落ちて、割れたアスファルトの上で黒いしみになった。

 全てを悟ったアシュリーさんの変化は劇的だった。

「――……ッ!?」

 白皙の肌が一瞬にして真っ赤に染まった。ヴィリーさんの深紅の瞳より赤いんじゃないかってぐらいの勢いで、耳の先から喉元まで、瞬く間にその色が広がっていく。

 かしゃーん、と両手のショーテルが落っこちて甲高い音を立てた。さっきまでそれらを握っていたはずのアーマーグラブは、月並みな言い方だけど、生まれたての子鹿みたいに震えている。

 気を失っている時は桃薔薇の蕾かと思うほどたおやかだった唇が、今は大きく開いてわなわなと戦慄いている。目の端にある水滴は、髪から滴った雫か、それとも涙か。

「あ、あはは……」

 色々と思うところはあるけれど、アシュリーさんの立場になって考えてみると、この状況は流石に恥ずかしすぎる。というか、痛々しすぎて見ているこちらが辛くなってくる。なので、僕は僭越ながら適当に誤魔化してあげることにした。

「だ、大丈夫ですか? あの、け、怪我とかありませんか? と、ところで、すみません……ええと、さっきなんて仰ったのかよく聞こえなくて……その、もし大事なことだったらごめんなさい……」

 我ながらひどくぎこちない笑みを浮かべて、我ながらひどく白々しい台詞を吐いた。

 けれどアシュリーさんにはそんな余裕もないらしく、なおもプルプルと震えている。もしかすると僕の声が届いていないのかもしれない。

「……あ……わ、わた、し……わたし、は……」

 言葉にも態度にも困窮したアシュリーさんが、それでもどうにか声を絞り出そうとした。

 その時だった。

 突如、空から大岩が落ちてきたような轟音と衝撃が走った。

「「!?」」

 僕もアシュリーさんも驚愕に肩を跳ねさせ、何事かと反射的に発信源へと体を振り向ける。僕の背後――フリムが四人組を起こしに向かった方角だ。

「あ……」

 ある意味、予想通りの光景がそこにはあった。

 こちらに背を見せているフリムを中心に、アスファルトと地面が大きく陥没していた。直径十メルトル前後ぐらいだろうか。蜘蛛の巣のごとく広がった罅割れの上で、ニエベスら四人が腰を抜かして座り込んでいる。

 よく見ると陥没したアスファルトの中心点は、腕を組んで立っているフリムの右足だった。くるぶし辺りまでが地面に埋没してしまっている。多分、スカイレイダーの能力で【何か】したのだろう。ろくに話を聞こうとしなかったであろう、四人に対する威嚇として。

「あーあ……」

 結局は実力行使に出てしまった従姉妹に嘆息すると、僕はアシュリーさんに向き直り、引きつった笑みでこう提案した。

「と、とりあえず、情報交換をしませんか? 僕達も、ここがどこかもわからなくて、困ってるんです。えっと……と、ともかく、まずはこの状況をどうにかしませんか……? ね? ねっ……?」

「…………」

 これで色々と誤魔化せたはずである。

 一応は。





 フリムの冷ややかな笑顔とそこに秘められた凶暴性の片鱗を見せ付けられた四人は、不承不承ながらも情報交換に応じてくれることになった。

 無論、僕が合流したときには「テメェェェェさっきはよくもぉぉぉ……ッ!」と怒りが再燃しかけたのだけど、ゴンッ、とフリムがドゥルガサティーでアスファルトを叩くと、雷撃に打たれたかのように全身をビクつかせ、あらぬ方向に視線を逸らし、

「……チッ!」

 と負け惜しみにしか聞こえない舌打ちをして大人しくなったのだった。

 その一方で、アシュリーさんは先刻の失敗が尾を引いているのか、きまり悪そうに情報交換に同意してくれた。恥ずかしそうに乱れた髪を撫で付け、それをカーテンのようにして俯き、表情を隠した状態で、

「――わかりました」

 とだけ言って。

 僕からはわずかに、悔しそうに唇を噛み締めているのが見えたのだけど、それは見なかったことにした。

 僕とフリム、四人組とアシュリーさん。総勢七人はスクランブル交差点だった場所の真ん中に集まり、現状の確認を行った。

 まず結論から言うと、ここがどこであるかは誰も知らなかった。

「つうか、俺らルナバベの中にいたはずだろぉ? なんで外にいんだよ?」

 苦虫を噛み潰したような顔でニエベスが愚痴る。これに対し、声音だけは張りを取り戻したアシュリーさんが答えた。

「ここが本物の外界とは限りません。よく出来たシミュレーターの可能性もあります。古代人の叡智は、現代の我々には及びもつかない高みにあるのですから」

 ゆるくウェーブのかかった赤金色の髪を左肩の前に集め、両手でまとめている彼女は、険のある視線をニエベス達四人に突き刺していく。フリムだけでなくアシュリーさんに対しても苦手意識があるのだろう。彼らは揃って居心地悪そうに顔を背けた。

「でも、これだけ広い空間よ? 全部が幻ってあり得るの?」

「古代文明はルナティック・バベルのような堅固な建造物、SBやアーティファクトなど、無数の超技術を擁した文明です。空間を歪ませて『クラインの壷』のように『有限でありながら果ての無い』世界を作ることも不可能ではないでしょう。あくまで、私の個人的な推論ですが」

 蒼穹を掌で指し示しながら発したフリムの疑問にも、アシュリーさんは淀みなく応じた。知性に満ち溢れたその声は、聞いているだけで不思議と安心する。予想以上に協力的な態度も含めて、正直とても心強かった。

「…………」

 僕は足元の地面をコンバットブーツの底で蹴り擦ってみた。じゃり、と砂を噛む感触と音。これがシミュレートされたものだとはとても思えないけれど、実際、遺跡ではコンポーネントがSBという怪物に変化し、エクスプローラーに襲いかかってくるのだ。それを考えれば、アシュリーさんの言う限定空間のシミュレートぐらい何てことはないのかも、とも思える。

「実際、〝SEAL〟による外界との通信は断絶されたままです。スイッチやルーターなどの指向性が強い通信手段なら通るかもしれませんが……誰か、この場にいない人間と繋がっている方は?」

 アシュリーさんの問いに、けれど手を挙げる人はいない。

 遺跡レリクスの内部は原則的に、グローバルネットを介しての外部への連絡が出来ないようになっている。何故か、と問われても理由はわからない。ただ、どこの遺跡においてもこれは共通していて、〝SEAL〟と人類の集団無意識を媒介にした〝コレクティブ・シクンクロニシティ・ネットワーク〟が、外界と内部で断絶されてしまう仕組みになっているのだ。おそらくは古代人の設計による妨害措置――というのが有力な説だけど、コンポーネントの自動発生と同じく、原理不明の超技術の産物であるのは間違いない。

 アシュリーさんの言った通り、現状、外界――すなわち街への通信は繋がらない状態だった。よって、ここは遺跡の内部である可能性が高い、と推測されるのである。

「えと、僕とフリム――あ、そこの彼女なんですが――はスイッチで繋がっているだけで……他の階層にいる他の仲間もスイッチを使っているはずなので、連絡はとれないですね……」

 グローバルネットから切り離された遺跡内部でも接続したままでいられるのが、ルーターやスイッチを用いたローカルネットだ。もちろん相対距離が離れれば離れるほど通信強度は弱まっていくけど、無いよりは断然いい。

 もしも僕ら『BVJ』がルーターを所持していれば、他の階層にいるハヌやロゼさんと連絡がとれ――いや、流石に一一一階層と一九〇階層あたりとでは遠すぎて、まともな通信は出来なかっただろうか。しかし、緊急信号ぐらいは届けられたかもしれない。そう考えれば、やはりクラスタが貧乏というのは考えものであった。

 数セカド、俯いて何事か考え込んでいた風だったアシュリーさんは、不意に顔を上げる。

「私はゼルダ――いえ、ルーターで繋がった仲間が一人だけルナティック・バベル内にいるはずですが、やはり現在は通信が出来ない状態です。一応緊急信号を出してはいますが……残念ながら、届く可能性は限りなく低いと見るべきでしょう」

 この冷静沈着ぶり、どこかで見たような気がすると思ったら、他でもない彼女の上司、カレルレン・オルステッドさんに似ているのだと気付いた。朱に交われば赤くなるとは言うけれど、あのドライアイスみたいに冷徹犀利な人と行動を共にしていれば、こんな非常事態でも自然と落ち着いた思考や行動ができるようになるのだろうか。

 アシュリーさんの予測を、はっ、とニエベスが捨て鉢気味に吐き捨てた。

「ここがどこかもわかんねぇ、助けも呼べねぇ、この状態で何をどうしろってんだ、ああ? つか、誰がこの責任とんだよ? ええ? ――なぁおい聞いてんのか、ぼっちハンサーくんよぉ?」

 憎々しげな眼差しを僕に向け、ぺっ、と地面に唾を吐く。どうやら彼の中では、ことの全責任は僕にあるらしかった。

「やめなさいよ」

「およしなさい」

 制止の声は即座に、そして二つ同時に発せられた。フリムとアシュリーさんである。二人は声が重なったことに気付くと、お互いの顔を見合わせ、やがてアシュリーさんからフリムに「どうぞ」と発言権を譲った。

 その様子を見て、

「な、なんだよテメェら! 息を合わせやがって気色悪いな! お、俺のどこが間違ってるってんだよ!? こうなったのは、ぜ、全部そこにいるぼっち野郎のせいじゃねぇか! そいつが逃げ出してトレイン作らなけりゃ、こんなことにはならなかっただろうがよ!」

 二人の女性から攻撃的な目線を向けられたニエベスは、途端にあられもなく狼狽した。僕を指差し、声を高めて糾弾する。

「そ、そうだそうだ! いくら多勢に無勢だからって、トレイン起こすこたぁねぇじゃねえか!」「しかもあんなメチャクチャな勢いで投げられたんだぞ! 下手すりゃ死んでるぞゴラァ!」「あの野郎が逃げなきゃこんな妙なところに迷い込むこともなかったんだからよォ!」

 追随して赤コート、鼻ピアス、ノッポも口々に僕を批判する。

 そんな彼らに対し、フリムはつまらなさそうに嘆息した。

「あのね。さっきも言ったけど元はと言えばアンタ達の自業自得なのよ? 事の発端は何だと思ってるわけ? まず、アンタ達がくだらない理由でうちのハルトに因縁つけたからでしょ? ある意味、当然の結果が出ただけじゃないの。こうなったのは誰のせいでもないわ、アンタ達自身のせいよ。それを他人に責任転嫁するなんて、アンタ達ダサいにも程があるわよ? ま、馬鹿にはお似合いのダサさだと思うけど」

「ぐっ……!」

 フリムの言葉は辛辣というより、もはや混じりっ気の無い毒素だった。呵責のない舌鋒が振るわれ、圧倒的な火力を以て四人組を打ちのめす。

 そこへ、ウルトラマリンの瞳に冷たく鋭い光を宿したアシュリーさんの追撃が加わった。

「そもそもの動機が情けないと思わないのですか、あなた達は。ベオウルフが調子に乗っている? 彼に恥をかかされた? 己自身のことは棚上げですか。今のあなた達が、どこの誰に見せても恥ずかしくない言動をしているとでも? 彼に暴力を振るい、笑いものにしているとき、あなた達の羞恥心は一体どの方角を向いていたのですか?」

「ぐぐっ……」

 これまた容赦など一切ない口撃が次々とニエベスら四人を貫いた。グサグサと突き刺さる言葉の数々に、彼らは総じて顔を俯かせて黙り込んでしまう。

「あ、え、えっと……あの……」

 二人に擁護されている側の僕だけど、流石にこの状況で険悪な雰囲気というのもどうかと思う。だから、どうにか止めようと声と手を挙げてみたのだけど、それでも彼女らの舌は止まらなかった。

「第一、アンタ達いくつなのよ? ハルトやアタシよりもかなり年上なんじゃないの? それが何よ。よってたかって大の大人が情けない。しかも『投げられて死ぬかと思った』? あのね、わかってないみたいだから教えてあげるけど、アレってアンタ達を助けたのよ? それなのにトレインガートレインガーって……あんなのアタシとハルトだけならすぐ逃げ切れたし、アンタ達さえいなかったら何てことなかったのよ。そうよ、こっちにしてみればアンタ達をわざわざ助けたばっかりに、こんなおかしなところまで来ちゃった感じなのよ? そこんとこちゃんとわかってんの?」

「うぐっ……!」

 言葉のナイフがニエベス達の胸をなます斬りにしているようだった。無慈悲で遠慮など微塵もない譴責の刃が、端で聞いているだけの僕の心までもを抉ってくる。

 これだけでも充分に致死量だというのに、

「畢竟、あなた達は何がしたいのですか? ベオウルフを辱め、その地位を貶めることですか? それはそれで結構ですが、それをしたところで、残念ながらあなた達の地位が向上するわけではありませんよ? そのことには気付いていますか? むしろ表沙汰となった場合、あなた達への評価はさらに下がるだけです。何一つ益はありません。――改めて聞きますが、あなた達は一体何がしたいのですか?」

「…………」

 さらに繰り出された、死者に鞭打つがごときアシュリーさんの問いに、もはや四人は呻くことすら出来ず、地面と見つめ合うだけになってしまった。

 どこからか、バキバキと心の折れる音が聞こえてきたような気がする。

「――ま、まぁまぁ! こ、この話はこれぐらいにして、と、とにかく今は現状をどうにかすることを考えませんか!? ね!? ねっ!?」

 あまりの残虐さに、僕は思わず四人を庇うように間に入ってしまった。多分、というか間違いなく、彼らを庇ってあげるような義理も道理もないとは思うのだけど、情け容赦なく四人の心を砕きにいく女性陣には、ありがたいという気持ち以上に戦慄を禁じえなかった。

 ここいらで僕が止めるだろうと予測していたのか、フリムは無言のまま目を伏せ、肩を竦めてみせた。一方、アシュリーさんは小さく息を吐き、

「ええ。現状はいがみ合うよりもこの場にいる全員で協力し、脱出を図るのが得策ですね。私はそれもあって彼らの牙を抜いておこうと思った次第です。――ベオウルフ、あなたに言われるまでもありません」

 むしろニエベス達を責めるときよりも感情の籠もった声音で言って、ぷいっと顔を背けられる。もしかしなくても、さっきの寝言の件がまだ尾を引きずっているらしかった。

「そうね、今は小競り合いより協力が必須な状況よね。生き延びるにはそれが最善だわ」

 フリムが相槌を打ち、天使みたいな笑顔でうんうんと頷いた。

 刹那、ゾッと背筋に悪寒が走る。

 不自然なほど完璧な笑顔。白い冷気を幻視するほど綺麗なそれを浮かべるとき、フリムが心の底から笑っていないことを僕は知っている。

 ――ま、まさか……!?

 嫌な予感に戦きながら視線を向けた先で、腕を組んだフリムのアメジストの瞳が、アシュリーさんに一瞥をくれた。

 口元は微笑んでいるくせに、目はこれっぽっちも笑ってなかった。

「なら、アシュリーさん、だっけ? アンタにも弁明しなきゃならないことがあるんじゃないかしら?」

 氷塊に音叉を当てたような、めちゃくちゃ硬くて冷たくて怖い声だった。

「何が、でしょうか」

 間髪入れず、アシュリーさんがアイスピックみたいに尖った声で問い返した。

 いや、これは問い返したと言っていいのだろうか。敢えてニエベス風に言うならば、響きとしては間違いなく『なに勿体ぶって意味深な言い方してんだコラ何か文句でもあんのか言ってみろよまぁ言ったら絶対許さねぇけどな』的な意志が込められているとしか思えず、先刻よりも数段張り詰めた空気に僕は息が詰まって窒息してしまいそうになる。

 フリムは、にゃは、と氷片が剥がれ落ちても不思議ではない声音で笑った。綺麗なカーブを描いて吊り上がった眉と双眸が、悪魔的な流し目をアシュリーさんに送る。

「白々しいとぼけ方するわねぇ? ネタは上がってんのよ。アンタもそこのバカ四人組と同じで、陰からコソコソとハルトのこと覗き見してたらしいじゃないの」

「姿を隠して観察していたことは否定しませんが、彼らと同じ扱いを受けるのはひどく不愉快ですね」

 剣で切り裂くように鋭く、アシュリーさんは言った。フリムの言及に一切の溜めなく返答できるのは、頭の回転が速いからだろうか。その堂々たる佇まいは、どこか鋼鉄の城を思わせる。

 僕の幼馴染みが冷たい笑みと共に向ける横目と、トップクラスタの幹部による氷の棘のごとき視線とが、間に挟まれた僕の前でぶつかり合い、不可視の火花を散らす。

「へぇ? その言い方だと何か大義名分があるみたいに聞こえるけど、それって一体どんなのかしら? 覗き魔にそんなものがあるのなら、の話だけど」

「あったとしても、それをあなたに話す義理や必要があるとは思えませんが」

 バジィ! と目に見えないはずの火花が一際大きく咲いたように思えた。ひ、と思わず喉奥から悲鳴が漏れそうになる。

 うふっ、と堪えきれなかったものがこぼれ落ちるように、フリムの唇が綻んだ。

「大変ねぇ、ないものをさもあるかのように見せかけるのも? 別に無理しなくてもいいのよ? アンタの上司――剣嬢ヴィリーとか言ったかしら? どうせそいつの差し金か何かなんでしょ?」

「あなたが何をわかったつもりでいらっしゃるのかは知りませんし興味もありませんが、下衆の勘ぐりで自己満足されるのは個人の自由だと考えます。どうぞお好きに」

 まるで互いの喉元にナイフの切っ先を突きつけあっているかのような緊張感だった。大気が帯電して、今にも爆発が起こってしまいそうにも思える。

 胃が痛くなってきた。

「下品な上司よねぇ、部下にこんな薄汚い真似をさせるなんて。美人には性格ブスが多いって聞くけど、剣嬢さんとやらも綺麗なのは顔だけで、中身は相当ドブ臭いのかしら? ハルトにはそんなクソ女には近付かないよう、よーく厳命しておかないといけないわねぇ」

「――私はともかく、それ以上ヴィクトリア団長を愚弄することは許しません。これ以上みだりに囀るなら、たとえベオウルフの身内であろうと容赦しませんよ」

「――へぇ? うちのハルトを遠慮なく『最低』とか罵ったアンタがそれ言う?」

「私は本人に直接言いました。あなたのそれは陰口といいます」

 両者の戦意が瞬く間にレッドゾーンにまで膨れ上がった。もはやフリムの顔からは笑みが消え、アシュリーさんの冷静な仮面も弾け飛び、二人とも両目に怒りの炎を灯していつの間にか真正面から睨みあっていた。

 ここまできたら、流石にもう黙って見てなどいられなかった。

「――ま、待って待ってフリムもアシュリーさんも待って!? い、今はケンカしている場合じゃな」

「アンタは黙ってて!」

「引っ込んでいなさいベオウルフ!」

 本当は仲がいいんじゃないかってぐらい、二人は阿吽の呼吸で僕の仲裁をぴしゃりと一蹴した。しかも、双方共に僕の方を見ることもなく。

「――。」

 彼女達の迫力に気圧された僕は、あっけなく言葉を失ってしまう。額をぶつける直前まで顔を近付け合った二人の間に、もはや入り込む隙間はなかった。

「ということは何? うちのハルトをコソコソと付け狙っていましたけど理由は言うつもりはないし謝罪する気もないってこと? ――ふざけんじゃないわよ! アンタがさっき言ったことそっくりそのまま返すけど、アンタこそ一体何がしたいのよ!」

「うちのうちのと繰り返していますが、ベオウルフは随分と過保護にされているのですね。道理で勇者の名前にふさわしくない女々しい人間が育つわけです。理由が聞きたいのならあなたが代弁するのではなく、本人が直接聞きに来るのが道理ではありませんか?」

「話逸らしてんじゃないわよ! 隠れてこっそり盗み見してた奴が説明も謝罪もないのよ!? いくらこんな状況でも、そんな怪しい人間を信用するわけにはいかないって言ってんのよ!」

「ならば結構、私は一人で自由にさせていただきます。むしろ足手まといがいなくて清々します。どうぞ、あなたとベオウルフはそこの愚か者四人と一緒に力を合わせて脱出を図ってください。どうか私のことはお構いなく!」

「…………」

 段々とヒートアップしていく二人の口論に、とうとう僕の中で、ぶちん、と音を立てて何かが切れた。

 ――ここがどこかもわからなくて、元の場所に戻れる保証もなくて、とにかくみんなで力を合わせないといけないこの時に――よりにもよってこんな時に、内部分裂を引き起こしかねない喧嘩をする?

 いや、意味がわからない。

 それも、僕より賢くて度胸もあって行動力もあるはずの、この二人が?

 ますます意味が分からない。

 というか――駄目だろ、そんなの。

 この瞬間、色々な意味で心の堰が切れてしまった僕は、普段なら絶対取らないであろう大胆な行動に打って出た。

 すぅ、と大きく息を吸う。そして、



「ストォォ――――――――――――――――プッッッ!!!」



「「――っ!?」」

 全身全霊をかけて張り上げた大声に、睨み合っていたフリムとアシュリーさんが背中をビクつかせて振り返った。ついでに打ちひしがれていたニエベス達も弾かれたように顔を上げる。

 僕の大音声が空に吸い込まれるのを確認してから、まなじりを決し、まず驚きに目を見開いて硬直しているフリムへ強い視線を射込んだ。

「言い過ぎだよフリム! 理由を聞く前から悪者扱いしてたら、アシュリーさんだって頑なになっちゃうに決まってるじゃないか! それにアシュリーさんには色々と言われたけど、結果的には助けてもらったってちゃんと話したじゃないか! 僕のために怒ってくれてるのはわかっているけど、君は【お姉ちゃん】なんだから! もっと冷静に話をしてくれないと弟分の僕が困る!」

「――……あ、う、うん……ご、ごめん……」

 ライオンの咆哮を上げた兎でも見るかのような目で僕を見て、何だかよくわからないけど勢いに押されてつい、という感じで謝る。珍しいことに若干腰が引けていた。

 次にアシュリーさんへと目を向ける。彼女は森でくじらにでも出会ったかのような顔をしていた。目を点にして、半ば呆けたように僕を見つめている。

「アシュリーさんも冷静になってください! ついさっき、いがみ合うより協力するのが大切だって言ったのはあなたじゃないですか! 今ここで誰よりも冷静で頭が回るのは間違いなくアシュリーさんなんですから! こんな時だからこそ落ち着いてくれないと困ります! それはそうと僕の従姉妹が大変失礼いたしました! すみません!」

「……い、いえ……こちらこそ……その……私も、口が過ぎました……」

 腰を折って深く頭を下げた僕の背中に、ぽつん、と戸惑いつつ呟く声が落ちた。

 ふぅ、と僕は内心で安堵の息を吐く。よかった、どうやら二人とも落ち着いてくれたようだ。口喧嘩から本格的な争いへ発展してしまうような、おかしな事態にならなくて本当によかったと思う。もし、こんな右も左も分からない場所でそんなことになってしまったら、街への帰還なんてきっとおぼつかない。

 とにもかくにも、二人とも沈静化してくれて本当になにより――

「――へ?」

 安心しながら顔を上げると、フリムとアシュリーさん、そして四人組が揃って僕を変な目で見つめていた。例えるなら、牛がヒヒーンと鳴くところを見てしまったかのような――あるいは、いきなり現人神の女の子から『妾の友達となれ』と告げられてしまった時みたいな表情をして。

 得も言えない重い空気に、僕は慌てた。

「え、えっと……ご、ごめんなさい……大きな声、出しちゃって……?」

 驚かせてしまったのだ、と思った僕は、思わず首を竦め、全員に目を配りながら謝罪した。

 けれど、誰も反応しない。珍獣でも見るかのような六対の瞳が、ひたすら僕を凝視している。

 思えば、今のは我ながら過激な発言だったかもしれない、と気付く。ストレスのせいか、少々遠慮の精神が欠けていたようだ。これはもしかして、ハヌの影響だろうか? 僕にしては珍しく、言いたいことをそのままズバっと言ってしまった気がする。

「そ、そのっ、す、すみませんっ、ぼ、僕、こんな時に喧嘩なんてダメだってっ、その、思っちゃってついっ……!」

 今更になって自分の言動の遠慮の無さに気付き、動揺した。大慌てで弁解の言葉を並べ立てるも上手くいかず、我ながらしどろもどろな喋り方で何を言っているのかわからなくなってしまう。

「――まったくアンタって子は……」

 とっかかりのない空気の中、最初に硬直から回復したのはフリムだった。幼馴染みとして僕の性格を知悉しているからだろう。思い出したように、ぷっ、と吹き出した彼女は、やれやれ、とわざとらしく肩を竦めて見せた。

「悪かったわよ、確かにアタシのミスね。ちょっと先走りしすぎたわ。――別に謝るつもりもないけど、とりあえず盗み見の件については街に戻るまで保留にしてあげる。アンタもそれでいい?」

 潔く自らの手落ちを認めて、フリムは悪戯っぽい視線をアシュリーさんに向けた。

 先程よりは若干クールダウンした雰囲気を纏うアシュリーさんは、再び顔の感情を隠すカーテンを締め切り、落ち着いた所作で頷く。

「構いません。あなたと同じく、こちらも謝罪するつもりはありませんので。ここから出るまでの短い間ですが、どうぞよろしくお願いします」

 慇懃無礼な対応ではあるけれど、さっき宣言した通り、フリムはもう彼女に突っかかる気はないようだった。軽く頷くと、続けてニエベス達に水を向ける。

「アンタ達も文句ないわよね?」

「――お、おう……」

 にっこり、と見た目だけは天使にしか見えない笑顔を前にして、ニエベスとその背後にいる三人は、鉛を喉に詰められたような表情で首肯した。

 とりあえず、これで即席の協力態勢が整ったわけだけど。

 僕は改めて、この場にいるメンバーを見渡してみる。

 幼馴染みで従姉妹のフリム。

 ヴィリーさんが率いる『蒼き紅炎の騎士団』の四人いる第三席〝カルテット・サード〟の一人、アシュリーさん。

 元『NPK』の新人だったニエベスと、その仲間――だと思うのだけど詳しくは分からない――赤コート、鼻ピアス、ノッポの三人。

 そして、僕。

 正直、協力態勢と呼ぶには心許ないというか、精々が『争わない』『情報共有をする』程度ぐらいしか出来る気がしないのだけど、それでもこんな状況である。

 生きてハヌとロゼさんの元へ帰るためには、何とかするしかなかった。

「じゃ、とりあえず自己紹介から行きましょうか。ああ、大丈夫よ。正直アタシも気が乗んないから。ま、こんな状況じゃ仕方ないわよね」

 フリムが明るく提案した直後に、言わなくてもいいことを付け加える。

 アシュリーさんは静かに瞼を伏せ、ニエベス達と僕は揃って『うげぇ』という顔をして『それ言うか普通』という目でフリムを見た。

 どう考えても前途は多難だった。




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