リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●幕間2 蠢動




 ヴォルクリング・サーカス事件。

 後にそう呼称されるテロ災害の犠牲者は、優に二万人を超える。

 人口四〇〇万以上を擁する浮遊都市フロートライズにおいては、相対的には小さな数字かもしれない。しかし、被害者二万人以上という絶対値は、世界中の人間を心胆寒からしめた。

 これほどの犠牲を出したテロの発端が、ただ一人の男の欲望であったことは、まだ一部の者しか知らない。

 その男は今、とある部屋に【安置】されている。

 そう、拘留でも収監でも投獄でも禁固でもない。

 人としてではなく、物としてそこに置かれていた。

 便宜上の名は『シグロス・シュバインベルグ』。

 ハンドラークラスタ『ヴォルクリング・サーカス』の二代目リーダーを務めていた、元人間である。

 瓦礫の塊と半融合している状態ながら、それでもなお生きている怪物。

 薄暗い空間でフォトン・ブラッドの活性化を抑制する装置デバイスに囲まれている【それ】は、今や呼吸する奇怪なオブジェであった。

 念には念を入れ、外科的にも〝SEAL〟の活動抑制処理を施してあるが、それでも安心できないのが〝神器保有者セイクリッド・キャリア〟という存在であることを、この場にいる剣嬢ヴィリーと氷槍カレルレンは知悉していた。

 この無機物と有機物の混合物の置き場には、とある貸し倉庫の一角を拝借している。復興に向けて動き出している街には他に適した場所もなく、正式な留置所に連れて行くには形状が形状だったため、やむなく断念した。

 だが、ヴィリーとカレルレンにとっては僥倖であった。

 おかげで都市長からは『蒼き紅炎の騎士団』にシグロスの『管理』を一任され、こうして他者の目を憚ることなく〝神器保有者〟に近付けるのだから。

「起きなさい」

 音を反響させた壁に霜が降りるかと思うほど冷たい声を放ち、ヴィリーは抜き身のリヴァディーンの峰で瓦礫の塊を軽く小突いた。

 甲高い、しかし濁った音が細く長く響く。

「――ぁ……」

 眠っている間に瓦礫に食べられてしまった風にも見える男は、死んだ魚のような目を薄く開き、虫食いのごとき虚ろな口から微かな声を漏らした。あるいはそれは、体内に響いた音が行き場を求めてようやく出て来たような、声のような音だったのかもしれない。

 意識があるのか、ないのか。それすらも判然としない。

 この男を回収してから既に四半日が経過している。だが神器の影響からか、自我が不安定になっているらしく、まるで話にならなかった。時折、意味のある言葉を発することもあるのだが、それとて前後が明確でなく、まるでノイズだらけのレディオ音声データを受信しているかのようだった。

「目は覚めているはずよ。こちらの質問に答えなさい」

 それでもなお、ヴィリー達には知らねばならないことがあった。故に彼女は、辛抱強くシグロスを聴取に掛けることを諦めない。

 次にヴィリーの隣に立つ、こちらも愛槍ニーベルングを握ったカレルレンが問い掛けた。

「確認する。お前の名前は『シグロス・シュバインベルグ』で間違いないな?」

「――し……ぐ、ろ……す……?」

 だが、反応は鈍い。寝ぼけているかのごとく、男はかけられた言葉の一部を復唱した。

 シグロスの身柄を確保した際、彼に『ロルトリンゼ』と呼ばれていた少女――彼女との話が終わった後からだ。この男が廃人同然になってしまったのは。

 直後は罵詈雑言を喚き散らしていたが、あまりに喧しかったのと安全確保の為、ヴィリーが剣の鞘で殴り、意識を刈り取った。それから『NPK』の団員を集め、瓦礫の塊ごとここへ移設させたのだ。

 しかし次にこの男が目を覚ました時、見ての通りの心神喪失状態に陥り、会話もまともに出来なくなっていた。

 殴ったせいではあるまい、とヴィリーは考えている。これまで幾度となく人を殴り飛ばしてきたが、【こんな壊れ方】をする奴は初めて見る。間違いなく、他に原因があるはずだ。

 当初は街の復興作業が急がれたため、とりあえずシグロスにはフォトン・ブラッド抑制装置を取り付け、ナイツの数名に見張りと〝SEAL〟抑制の外科処置を命じ、後回しにした。

 それから諸々の作業が一段落し、ようやくヴィリーとカレルレンはここへ戻ってきたのだが――シグロスの状態は何ら変わっていなかった。

「――やはり、聞いた話から察する通り、人格崩壊を起こしているようだな」

「……〝融合ユニオン〟の神器、ね。神器をオーバーロードさせると碌なことにならないと聞いてはいたけれど……ひどいものね」

 現在この場には、ヴィリーとカレルレン、そしてシグロスしかいない。それ故カレルレンの口調は、団長に対する副団長のそれではなかった。

 他の団員は倉庫の外に控えさせ、何があろうと決して入ってこないよう厳命している。

 なにせこれからすることは、例え身内であろうと決して見せられるものではない。目撃者は少ないに越したことなかった。

「おそらく、俺の〝生命ビビファイ〟もこれに近い末路だろうな。手当たり次第に周囲のものを同化して取り込み、自我の境界が曖昧になって、自分が誰かも忘れて膨張していく――そんなところか。まぁこの男と違って、その状態でも俺は全体が【生命体】として在るだろうが」

 ひどく冷静に、カレルレンは分析の結果を口にした。翡翠の瞳に動揺の色は見られない。この程度のことならとっくの昔に覚悟している――そう言いたげだった。

「そうね……私の場合はどうなるのかしら?」

 同じく、ヴィリーもまた落ち着き払った様子で、軽く疑問を提示した。

「さて、材料が足りないから何とも言えないが……〝実在イグジスト〟は形のないものに質量を与える神器だからな。わけのわからないものを実在化させすぎて押し潰されるか。あるいは、逆に君自身が非実在化……つまり、消滅するか。そんなところだろう」

「ふぅん……そういう可能性もあるのね」

 残酷な予測を、映画のストーリーでも予想するかのようにカレルレンは並べ立てた。それに対し、ヴィリーも普通に相槌を打つ。

 カレルレンはそんな彼女を横目で一瞥し、

「まさかとは思うが、臆病風に吹かれてないだろうな、ヴィリー?」

「あら、誰に向かって言っているのかしら? 斬るわよカル」

 カレルレンの皮肉をピシャリと撥ね除け、ヴィリーは端正な口元に笑みを刻んだ。深紅の瞳から蠱惑的な流し目を向け、わざとらしく殺気を放つ。

「私、そういう冗談は嫌いよ?」

「知っているさ。長い付き合いだからな。今更どうした?」

 刺々しい気配を風に吹かれる柳のごとく受け流し、カレルレンもまた微苦笑を浮かべた。互いに先端を丸めた針で突き合うような会話を経て、話を本筋に戻す。

「――この男から、何かしら情報を引き出すのはもう無理なのかしら?」

「いや、決め付けるのは早計だな。何事にも【失うことで蘇るもの】がある。今は話が出来なくとも、この状態が神器由来のものならば、神器を失うことで回復する可能性はゼロじゃない」

「――ゼロじゃないだけ、なんでしょう? どうせ」

「嘘でも『絶対に大丈夫だ』なんて言えばお気に召してくれるのかな? 君の好きな伝説の勇者や英雄のように」

 カレルレンがそう言うと、ヴィリーは小さく吹き出した。

「そうね、あなたには似合わないわね」

「わかってもらえて何よりだ。なら、無駄話はこれぐらいにしておこうか」

「ええ」

 二人は頷きあうと、それぞれの立ち位置を変えた。カレルレンがシグロスを迂回し、反対側へと回る。ヴィリーとカレルレンの二人でシグロスの両側に立ち、武器を持って挟み込む形をとった。

 カレルレンは油断なくニーベルングを構え、ヴィリーへ告げる。

「ヴィリー。この男には〝SEAL〟の活動を抑制する処置を施しているが、もとより神器の力は世界の道理から外れている。言うまでもないが、油断は禁物だぞ」

「カル、あなたこそ気をつけなさい。いざという時、私の間合いにいたら、あなたごと斬ってしまうわよ」

「……自分の心配をしてくれ、と俺は言っているんだがな……」

 助言に対して強気に言い返してくる、幼馴染みでもあり剣の主でもある少女に、カレルレンは呆れの微粒子を混ぜた声で呟く。彼は肩を竦めようとして、しかしやめた。油断するなと言った人間が余計な動きをしては、説得力がない。

「いくわよ、カル」

「ああ、呼吸を合わせよう」

 二人は同時に、武器を握っていない方の掌を、瓦礫と同化したシグロスに向けた。

 蒼と紅の〝SEAL〟が、互いに呼応し合うかのように励起する。

 それぞれの露出した皮膚に、アイスブルーとルビーレッドの輝紋が浮かび上がった。活性化した両者のフォトン・ブラッドが、〝SEAL〟の幾何学模様を描いて全身を駆け巡る。〝SEAL〟の抑制装置は出力部をシグロスに向けて囲んでいる為、二人には何の影響も与えない。

 薄暗い倉庫内が、蒼と紅、そして二色の混ざった紫に淡く照らされた。

 その時だった。



「――迎えに来たのか?」



 突然、やけに明瞭な声がシグロスの口から生まれた。

「「――!」」

 ヴィリーとカレルレンの緊張感が一挙に極限まで上昇する。二人は瞬時に両手で武器を握り、身構えた。ほんの僅かでも不穏な動きがあれば殺す。そのつもりだった。

 極寒の冷気のごとき殺気に挟み撃ちにされたシグロスは、しかし気付いていないのか意に介していないのか、調子を変えずに言葉を続ける。

「お前ら、あの黒い奴のパシリだろ。わかってるぞ。俺を迎えに来たんだろ?」

「黒い奴……?」

 思わずだろう、ヴィリーがシグロスが言った単語の一つを繰り返してしまう。カレルレンに向けられた視線には「誰のことかしら……?」という戸惑いが混じっていた。

 カレルレンはヴィリーの目線に頷きを一つ返し、シグロスに話しかける。

「――察しが良いな。どうしてわかった?」

 当然ながら、カレルレンにもシグロスの言う『黒い奴』が何者であるかまではわからない。だからこそ彼は逆に、敢えて話を合わせにかかったのだ。

 はっ、とシグロスは鼻で笑う。

「気付かないとでも思ったのか? お前ら二人とも〝神器保有者〟だろ。そんなレアキャラが揃って俺の所まで来てるんだ。わかりきったことじゃないか」

「……なるほどな」

 否定もしなければ、肯定もしない。それが話を合わせる際のコツの一つだ。カレルレンは自分達の情報は一切与えず、シグロスから出来る限り情報を引き出そうとする。

「神器の反応で気付いたのか。流石だな、シグロス・シュバインベルグ」

「そういう見え透いた世辞は虫酸が走るなぁ。気持ち悪いぞお前?」

 褒める振りをして名前を確かめたカレルレンを、シグロスは、くは、と嗤って嘲った。

 その様子からカレルレンは状況を推察する。どうやら現在、彼の意識は『シグロス』その人であるらしい。覚醒したきっかけは、おそらくヴィリーとカレルレン、両者の神器の発動だろう。多くの他人と融合し混ざり合った意識の中、神器の反応を縁に、拡散していた『シグロス・シュバインベルグ』としての人格が再び収束したのだ。それこそ、レディオのチューニングが合うかのごとく。

 とはいえ、記憶は混濁しているはずだ。なにせ、自分を殴って気絶させたヴィリーが近くにいるというのに、まるで気付いていない。

「――で? どっちが俺を助けられる力を持ってるんだ? とにかく窮屈なんだ。早くどうにかしてくれよ」

 ニタニタといやらしい笑みを口元に貼り付けて、シグロスは尊大に言う。どうやら、完全に味方が助けに来たと思い込んでいるらしい。

「自分の力でどうにかならないのか?」

「ああ? あのな、どうにかならないから言っているに決まっているだろ? バカなのかお前? ――ああくそ、あいつだ、あのガキのせいだ。思い出したぞ。あのガキの攻撃を受けてから神器が全然反応しない。どうなってるんだクソッ!」

 カレルレンの質問に腹を立てたかと思えば、そのまま一気に激昂する。意識はどうにか『シグロス』としてまとまったが、精神状態は不安定なようだ。

「――あのガキ、というと?」

「あのガキはあのガキだ! 名前なんざ知ったことか!」

 憤怒に燃えるシグロスは、質問したカレルレンに噛み付くように唾を飛ばした。血走った目で睨み付けられながら、カレルレンは思考を巡らせる。

 状況から察するに、あのガキというのはおそらく勇者ベオウルフ――つまりラグディスハルトだろう。だがしかし、もしシグロスの言っている事が本当だとするなら、これは由々しき事態だ。

 あの少年は、【神器を抑制する力】を持っているかもしれない――というのだ。

 そもそも、現在のシグロスが神器の力を思うように使えないという時点でおかしいとは思っていた。確かに制御が難しく、基本的には術式と絡めなければそう易々と使えない力ではある。だがある程度熟練すれば、例え術式による補助が無くとも神器の属性は発動できるものなのだ。実際、カレルレンもヴィリーもその気になれば、〈ブラッドストリーム〉や〈ブレイジングフォース〉抜きでも神器の効果を発揮させることが出来る。

 つまり、シグロスが万全の状態であれば、〝SEAL〟の働きを抑制していても彼はこの瓦礫との融合状態を解除できるはずなのだ。それ故に、油断するな、とカレルレンはヴィリーに説いたのである。

「――ああ、そうか。そうだな。そうだ、【アレ】があるじゃないか。持ってきてるんだろ? なぁおい」

 不意に落ち着いたかと思えば、シグロスは急に何かを求め始めた。否、声の大きさこそ収まったが、そのライトブルーの瞳に宿った狂熱は一ケルビンも減じてはいない。

 ただ、何かよからぬものを欲していることだけは、よくわかった。

「……【アレ】とだけ言われても困るな。そちらと違って、俺はよく察しが悪いと言われる。何が欲しいのか、はっきり言ってくれないか」

 突然の要求に焦ることもなく、カレルレンはあくまで冷静沈着にそう返した。

 もとより、精神的に不安定な人間からの情報に期待を持ちすぎるのは危険だ。裏を取るまでは信憑性は低いものとして扱うべきであり、取得に躍起になるものでもない。カレルレンはそう考えている。故に、無理にシグロスを誘導する必要性もまた感じなかった。

 薬物中毒者のような顔で、シグロスは笑う。

「焦らすなよ、【アレ】は【アレ】に決まってるだろ……! アイツ、あの黒い奴の血だよ……! ああそうさ、わかってるんだよ俺の神器にアレが混じってるってことはさぁ! アレを飲めばまた動くんだろこの神器はよぉ!? なぁおい! 早くしろよこの役立たず共がぁッ!!」

 またしてもいきり立つシグロスに、カレルレンは湿度の低い翡翠の視線を向けた。

「役立たずついでに聞きたいんだが、さっきからお前が言っている『黒い奴』というのも、ちゃんと名前で言ってもらえないか? さっきも言った通り、俺は察しが悪い。シグロス・シュバインベルグ。お前は【誰の血】が欲しいと?」

「しつこいぞいい加減にしろッ! 名前なんざ知ったことかッ! とっとと――」

「覚えてないのね、名前を」

 スッ、と剣で切り裂くように、ヴィリーがシグロスの言葉を遮った。

「――――」

 瞬間凍結したかのごとく、シグロスの動きが凝固する。表情も能面のような形で硬直しており、その内心を顕していた。

 図星を指されたのだ。

 人格は復帰しても、過剰な融合によって混線した記憶の整合性は回復しなかった。シグロスは今でも、自らの出生すら忘れた『名無しの権兵衛ジョン・ドゥ』だったのだ。

 もはやこの男に、情報源としての価値は無い――そう断じるには充分すぎる状況だった。

 失望と幻滅の溜息を、ヴィリーは隠さなかった。

「役立たずはお前よ。ようやくまともに喋ったかと思えば、曖昧な情報ばかり。肝心なところは覚えていないくせに、それを隠そうとしてハッタリで誤魔化す。最悪ね」

 容赦のない痛罵に返す言葉もないのか、シグロスは黙り込んだまま動かない。

 カレルレンもまた、失意の吐息をつく。

「拍子抜けだな。いくつか有意義な話も聞けたが、お前の精神状態では信憑性に欠ける。それなりに裏を取らなければ使い物にならないな。つくづく、残念だ」

 豹変した二人の態度に愕然とするシグロスは、ゆっくりと視線を動かし、ヴィリーとカレルレンの顔を交互に見た。怪訝そうに顔を歪め、

「――お前ら、何者だ……?」

 ようやく現状を正しく認識できたのか、今更過ぎる疑問をシグロスは口にした。

 だが、とうに手遅れである。

「お前に聞かせる名前なんてないわ」

「教える必要もないな」

 申し合わせたかのごとく続けざまに言って、二人は再び、それぞれの片手をシグロスに向けた。

「いくわよ」

「ああ」

 かけ声と共に、改めて二人の〝SEAL〟が励起する。輝紋の光が強まり、間に挟まれたシグロスを蒼と紅と紫に照らし出す。

 手甲に包まれたヴィリーとカレルレンの腕が蛇のごとく素早く空を貫き、ほぼ同時にシグロスの胸に手を載せた。

 接触する。

 途端、シグロスの喉から悲鳴が迸った。

「――ぉぉおおおおおおおおあああああああああああああッッ!?」

 シグロスの〝SEAL〟もまた励起を始め、クロムグリーンの輝きを放つ。瓦礫と同化した全身を激しく痙攣させて、目を限界まで見開いた。

 抑制処理を施され、さらにはフォトン・ブラッド抑制装置に囲まれているシグロスに、自身の〝SEAL〟を励起させることは不可能だ。つまりこれは、外部からの操作――即ち、ヴィリーとカレルレンによって強制的に稼働させられている状態に他ならない。

 無理に励起させられたシグロスの〝SEAL〟から、電光にも似た捻れた輝きが弾け散る。強烈な負荷が掛かり、輝紋がスパークしているのだ。

 それが激痛を呼ぶのか、今まさに焼き鏝でも押し当てられているかのごとくシグロスは絶叫する。

「ああああああああッ! おおああああああッ! ぎぁあああああああああああああああッッ!!」

 目玉が飛び出すかと思うほど両目を剥き、動かない体で身悶える。

「――テッ、てめぇらぁあああああああッ! な、に、を――! ナニヲしてヤガルゥゥゥゥッッ!!」

 痛みに悶え苦しみながら、シグロスが怨嗟に塗れた声を上げる。

 逆に、答えるヴィリー達のそれは、凍えるほど冷ややかだった。

「見ての通りよ、お前から神器を取り上げているの」

「抵抗しても無駄だ。二対一、単純な計算ぐらいは出来るだろう?」

〝神器保有者〟同士の物理接触。これにより神器の保有権の移譲が可能となる。それ以外では、〝神器保有者〟が死亡した際にアトランダムで転移する神器を【偶然】受け取るしかない。だがそんな偶然に頼るのは、砂漠で一粒の砂金を探すよりも望み薄だ。

 よって、確実に神器を手に入れるためには、持ち主と物理接触し、譲渡、もしくは強奪するしかない。

 神経にヤスリをかけられるような激痛にガクガクと身を震わせながら、それでもなおシグロスは笑い、吐き捨てる。

「――は、はっ! し、知らないのか……!? 神器を、複数持つっ、にはっ! ほうっ、そくがぁああぁぁああぁあああッッ!?」

 顔の上を走る深い緑色の幾何学模様が、シグロスの表情と共に大きく歪む。

 彼の胸に押し当てた手から融合の神器を吸い上げるヴィリーは、圧倒的優位にいながら、ほのかに笑みを浮かべることすらしない。

「ええ、知っているわ。神器には相性がある。相反する神器を同じ肉体に同居させると、拒絶反応で持ち主は死亡する。そうでしょ?」

 カレルレンに至っては、斧槍ニーベルングの切っ先をシグロスの喉元に突き付けている。油断は微塵も無い。彼はヴィリーの言葉の続きを担った。

「そのため、複数の神器を所有するには【順番】が肝要になる。これが神器を揃えにくくしている要因の一つだ。その中でも、お前が持つ〝融合〟は破格の神器だ。なにせ、【どの神器であろうと融合して一つになればいい】のだからな。神器の集めのアドバンテージとしては最上だ」

 二人の返答を聞いたシグロスは、歪めた唇から、くひ、と下卑た笑みをこぼし、痛みを忘れたように叫ぶ。

「――なら、死ねッ! テメェら二人とも爆死しろッ! 俺の神器は受け取るのは万能でも、逆は違うだからなぁッ! ざぁーんねぇーんだったなぁああああッッ!! 仲良くあの世に逝けぇええええっ!!」

 突き付けられた刃に見向きもせず、血反吐を吐くようにぶちまけられた恨み言を、しかしカレルレンは冷酷に否定した。

「それはない」

 シグロスを見下ろすドライアイスのごとき瞳が、鏡のように磨かれた斧槍の黒い穂先に映っている。

「――何故今、お前の全身に激痛が走っていると思う? 通常、神器の移植にそこまでの負担はかからないはずだ。だというのに、お前が苦しんでいるのは何故かわかるか?」

 教師が生徒を試すように質問をしてから、カレルレンはそのまま返答を待たず解説を始める。

「――俺達が【二人いる意味】を考えろ。【二人同時に神器の移行をしている意味】をな」

「……ッ!? ま、さか――!?」

 ライトブルーの瞳に理解の色が広がっていく。

 一人では決して思い付かない方法。〝神器保有者〟が二人揃って初めて、可能となるやり方――

 その先は、ヴィリーが受け継いだ。

「【分割】しているのよ、あなたの神器を。二つに分かつことで神器は機能を失うわ。そうすれば、相性や個性なんて関係なく受け入れることが可能なの。残念だったわね、私達を道連れに出来なくて」

 剣嬢の一言一言が、鏃となってシグロスの心に突き刺さる。

「――う……そ、だ……ろ……?」

 この瞬間、彼は理解してしまった。

 何もかも凌駕されている――と。

 何者かわからないこの二人は、こちらの手の内を全て見越した上で行動に出ている。

 つまり、彼らに逆らっても全ては無駄だ。

 一方的に踏み躙られるしかない。

 自分はこのまま、たった一つの優位性すら失い、無様に神器を奪われるしかないのだ――と。

 そう絶望してしまった心に残されたのは、ただひたすら続く苦痛だけだった。

 シグロスは口を大きく『あ』の形に開き、断末魔の悲鳴を木霊させる。さほど広くもない倉庫内に悲痛な叫びが反響しては消えていく。

 この後、一ミニト以上に渡って彼の阿鼻叫喚は続いた。





 つつがなく〝融合〟の神器を二分割し、それぞれに吸収したヴィリーとカレルレンは、輝紋の光を緩めながらシグロスから手を離した。

 シグロスは微動だにしない。だが、まだ死んではいないだろう。あまりの苦痛に意識が焼き切れたのだ。

「――少し、ハッタリが過ぎたかもしれないな」

 一仕事を終えたカレルレンは、微苦笑と共に呟いた。それを聞いたヴィリーは、しれっとこう言う。

「いいんじゃないかしら? 同情の余地があるわけでもなし」

 実の所、神器を分割する際に激痛が生じるというのは、真っ赤な嘘である。

 おそらくは瓦礫と同化しているシグロスの神経、それが〝融合〟の神器を失うことで正常に機能し始め、これまで感じていなかった痛覚を蘇らせたのだ。

 つまりは自業自得であった。

 こうなるであろうことは容易に予測できたので、カレルレンはそれを最大限利用しただけに過ぎない。

 このどこの誰でもない男が次に目を覚ました時には、再び地獄の苦しみが彼を苛むことだろう。だが、二万人以上の命と天秤にかければ、この程度の罰はまだ軽いと言わざるを得なかった。

 たとえこの男の内部で何が起こっていようと、多くの人間を虐殺した罪は消えない。死よりも辛い責め苦の中で生き続けなければならないというなら、それこそが報いなのだ。

 またこの男は、いくつかの国の上層部が処遇が決めるまで、決して殺されることはない。いずれ死刑に処されることは疑いないが、逆に言えば刑を執行するその瞬間まで、何があっても生き永らえさせられることになる。

 そう。彼の償いは、まだ始まったばかりなのだ。

 カレルレンはニーベルングをデータ化してストレージに収納しつつ、話題を変える。

「ところでヴィリー、君が言っていたもう一人の〝神器保有者セイクリッド・キャリア〟の話なんだが」

 まだ詳細を聞いていなかった件について、彼は水を向けた。彼女は激務の合間にこう言ったのだ。「もう一人、シグロス以外にも〝神器保有者〟がこの街にいる」――と。

 ヴィリーもまたリヴァディーンをストレージに戻し、前傾姿勢をとったせいで肩の前に出ていた金色のポニーテールを片手で払った。

「ええ、彼女ね。横で話を聞いていた限りだと、『ヴォルクリング・サーカス』の関係者のようだったわ。名前は確か……ロルトリンゼ、と言ったかしら。そう、きっとフルネームは〝ロルトリンゼ・ヴォルクリング〟ね」

「……なるほど。確か記録にあった『ヴォルクリング・サーカス』の初代リーダーの名は、オーディス・ヴォルクリングだ。同姓ということは、クラスタ創設者の親族だろう。娘か、姪と言ったところか」

「――娘よ、きっと。そういう話をしていたもの」

 ヴィリーは、シグロスと少女が異母兄妹であることを意図的に伏せた。たとえ相手がカレルレンであろうと、おいそれと吹聴していい話ではないと判断したのだ。

 カレルレンはそっと息をついた。

「そうか。……だがその〝神器保有者〟が、よりにもよってベオウルフと小竜姫の新しいクラスタメンバーだったとはな……つくづく、本当に『ジョーカーズ』とはよく言ったものだ」

 このぼやきに対し、ヴィリーはわざとらしく唇を尖らせた。拗ねた子供のように言う。

「もう。だから言ったのよ、あの子達をうちのナイツに入れようって。そうしていれば、今頃は彼女ごと新しい神器が手に入っていたんじゃなくて?」

「そうやって結果論で語られると、俺はもう何も言い返せないな」

 おどけるように両手を挙げて、カレルレンは降伏を宣言した。彼とて、ヴィリーが本気で言っているわけでないことぐらいわかっている。

 実際問題、『BVJ』の二人を『蒼き紅炎の騎士団』へ加入させていたとして、そのまま都合よくロルトリンゼという少女を神器ごと手中に納められていたかと言えば、答えはノーである。

 世の中はそれほど単純ではない。

 それがわかっているからこそ、ヴィリーも冗談めかして言ったのだ。

「――だが、どうする? 相手がベオウルフの関係者となると、君としてはやりにくいんじゃないか? ヴィリー」

「あら、どうして?」

 心配するカレルレンに、剣嬢はキョトンとした顔を見せた。次いで、くすっ、と彼女は笑う。小悪魔が天使の肉体を手に入れれば、こんな表情をするかもしれない――そういう笑い方だった。

「何も奪うだけが神器の手に入れ方ではないでしょう? 話し合いで譲ってもらえるのならそれが一番だし、話せばわかるだろう相手が〝神器保有者〟だったのは幸運なことよ。あなた、頭は良いのに時々考えが硬いわよね、カル」

「――そういう君は随分と楽観的だ」

 やれやれ、と肩を竦めながら、カレルレンは呆れる。彼の剣の主は意志が強く清廉潔白なのが魅力だが、時折浅慮が目立つのが玉に瑕だ。

 愚かなのではない。ただ、本気で信じているのだ。ロルトリンゼ・ヴォルクリングがベオウルフの仲間であるのなら、間違いなく話し合いに応じ、神器を譲ってくれるものと。

 一度信じた相手は決して疑わない――それが剣嬢ヴィリーの美点ではあったが、だからこそカレルレンは倣うわけにはいかなかった。ヴィリーの死角に立ち、彼女に見えないものを見る。それが彼の役割なのだから。

 しかし。

「だがヴィリー、もしベオウルフ達が俺達と同じく神器を求めていたらどうする? 最悪、彼らと対立することになるかもしれないが――その時は当然、戦う覚悟は出来ているんだろうな?」

 もしも話し合いが成立せず、力尽くで奪い取るしか術がなくなった場合――いざとなった時にどうするか。カレルレンとしては、それだけは確かめておかねばならなかった。

「何よ今更」

 語調を強めたカレルレンの詰問を、金髪の女剣士は軽く笑い飛ばした。

「大丈夫よ、安心しなさい」

 ブラッドルビーのごとき深紅の瞳で幼馴染の腹心を見やり、剣嬢ヴィリーは嘯く。

「本気で私の前に立ち塞がるなら、たとえ相手があなただったとしても容赦なく斬ってあげる。――どう? これなら文句ないでしょ?」

 満面の笑みを浮かべて剣呑な台詞を言ってのけたヴィリーは、くるりと踵を返し、倉庫の外に向かって歩き出した。

「さ、まだまだやるべき事はたくさん残っているわよ。ラグ君も小竜姫も、〝神器保有者セイクリッド・キャリア〟の彼女もどうせ逃げはしないわ。その件はまた今度にしましょう」

「……ああ、大丈夫だ。安心したよ。心の底から、な……」

 喉の奥から絞り出したような嗄れた声で言って、カレルレンは彼女の後を追う。

 どっと吹き出した冷や汗が、彼の背中を伝い下りていた。

 たとえ相手があなただったとしても容赦なく斬ってあげる――そう言われた瞬間、その言葉そのものに本当に斬られたのかと思った。そう錯覚するほどヴィリーの声は何気なく、さりげなかった。

 下手に情感を込めて言われるより、よほど凄味を感じた。

 幼馴染みであり、腹心であり、神器を求める唯一無二の相棒だというのに――そんな自分をあっさり、何の気も無しに斬ってみせると彼女は宣った。

 長い付き合いなのに、本気か冗談かすら判別できなかった。

 情を移しすぎるなと忠告するはずが、逆に震え上がらされてしまったのだ。

 わずかに垣間見た底知れ無さに一抹の恐怖を覚えながら、それでもカレルレンは奇妙な満足感と手を繋ぎ、こう確信する。

 やはり彼女に剣を捧げた自分の判断は、間違ってなどいなかった――と。

 その時だ。

 ふと、背後から声ならぬ声が聞こえた気がした。

「――?」

 立ち止まり、振り返る。

 視界の中にそれらしきものはない。瓦礫の塊と化したシグロスもぐったりして沈黙したままだ。意識を取り戻しているようには見えない。

「――? どうしたの、カル?」

「……いや、何でもない」

 気のせいか。そう結論づけて、カレルレンは意識の表層に引っかかった気配を無視した。

 先を行く、左右に揺れる金のポニーテールを追いかけながら、カレルレンは意識を切り替える。

 神器の件はさておくとしても、剣嬢ヴィリーの片腕として、これからやるべき事はいくらでもある。

 さしあたっては今回の事件の後処理が、山を成して二人を待っていた。



 ――くひ、と誰かが笑った。



 ■





 透き通るような蒼穹の下で、小さな子供達がボール遊びに興じている。

 四人でボールを蹴ってはしゃいでいる子供らがいるのは、住宅地の片隅にある小さな公園だ。全員、小学生ぐらいの年頃に見える。大人達は街の復興作業に忙しいのだろう。どうやら彼ら彼女らを見守る保護者はこの場にいないようだった。

 ふと、一人の蹴ったボールがあらぬ方向へと跳んでいった。

 ボールは公園を囲む背の低い垣根を飛び越え、運悪く、ちょうどそこを通りかかった男の腰あたりにぶつかった。

「――おや?」

 さほど痛くもなかったはずだが、男は立ち止まり、ボールが飛んできた方向に振り向く。

 見るからに怪しい男であった。

 なにせ全身が黒尽くめである。

 ごく普通のドレスシャツにネクタイ、スーツ。それらの上にロングのトレンチコートを着込み、顔にはサングラスをかけている。癖のついた髪は長く、耳が隠れてしまっているほど。

 シルエットとしてはごく普通だった。しかし異様なのは、それら全てが黒一色で統一されている点である。

 誰がどう見ても堅気の人間には見えず、よってボールを追いかけて走ってきた子供の一人も、彼の姿を見て石膏のごとく固まってしまった。

 加えて、男はかなりの長身だった。小さな子供の視点からは、そら恐ろしい巨人に見えたことだろう。男児の顔が見る見るうちに恐怖に染まっていく。

「……ご、ごめ――ごめんな、さ……!」

 軽装で吹雪の中に放り込まれたかのごとくガタガタと全身を震わせながら、それでも子供は謝罪の言葉を口にしようとした。

 サングラスに隠れて視線の動きがわからない男が、ゆっくりと頭を上下させた。

 男はまず、足元でテンテンと跳ねるボールを見て、次に子供の顔に視線を移したようだった。

 それからようやく、事態を理解したように声を上げる。

「……ああ、なるほど。これはあなたのボールですね? いえいえ、大丈夫ですよ、怒っていませんから。そんなに怯えないで下さい」

 意外なほど穏やかな口調で言って、男はその場に屈み込み、ボールを両手で挟み持った。立ち上がり、

「はい、どうぞ」

 あは、と朗らかに笑って、キョトンと自分の顔を見つめている子供に向かってボールを差し出す。

 泣き出す寸前だった子供は予想外の事態に小首を傾げ、男の顔をじっと見つめた。それから、ごく自然体にこんな質問を繰り出す。

「おじちゃん……悪い人じゃないの……?」

「おじっ――!?」

 男は『悪い人』よりも『おじちゃん』呼ばわりに強いショックを受けたようだった。

「あー……」

 おほん、おほん、とわざとらしい咳払いを繰り返してから、慈悲を求めるような声音で男は言う。

「あの、実はですね? こう見えて私、肉体年齢はまだ二十代半ばだったりしまして……」

「――? おじちゃん、でしょ……?」

 子供とは無邪気で残酷な生物である。情け容赦のない言葉のナイフがグサリと男の胸に突き刺さり、彼は「あう……」と呻いた。

「……ええ、はい、悪い人じゃないですよー? ちょっと見た目は怪しいかもしれませんが、怖くないですよー? というわけで、はいどうぞ」

 色々と諦めたのか、どこか無理矢理な感じのする、しかし落ち着いた優しい声で言って、男は改めてボールを差し出した。

 子供はその声音に納得したのか、とてとてと男に歩み寄り、垣根越しにボールを受け取る。

「ありがとー、おじちゃん」

「……………………どういたしまして……」

 声がちょっと泣きそうになっていた。

「またねー」

 小さな紅葉のような手を振って、子供は背を向けて走り去ろうとする。が、

「――あ、ちょっと待ってください」

 出し抜けに男が呼び止めた。

「?」

 駆け出してすぐにピタっと立ち止まり、子供は不思議そうに振り返る。

 男は黒い皮手袋に包まれた指で少年の右膝を示し、

「君、怪我をしているじゃないですか。治してあげますから、ちょっとこちらへ来てくださいな」

 ちょいちょい、と手招きをした。

 遊んでいる内、転んで擦り剥いたのだろう。膝小僧に薄緑の血を滲ませていた子供は、その申し出に、ぱぁぁ、と顔を輝かせた。

「――うんっ!」

 大人なら誰しも回復術式が使える――子供ならではの短絡的思考で、彼は疑いもなく男の提案を受け入れた。

 再び垣根の向こうに立つ男に歩み寄り、怪我をしている膝を前に突き出す。

 男は少し屈み込み、垣根の向こうから右手を伸ばす。そのまま人差し指の先を、子供の膝の少し上に、ぴと、と触れさせた。

 男の〝SEAL〟が励起する。

 だが、よほど注意して見ていなければ、その変化には気付けなかっただろう。

 黒尽くめの男の輝紋は、やはり黒かった。コールタールにも似た漆黒が露出の少ない皮膚上を走り、幾何学模様を描く。

 回復術式〈ヒール〉が発動した。

 息をふっと吹きかけたら傷が消えた――そんな手品のような鮮やかさで、膝の擦り傷が跡形も無く完治する。

 しかし、想像していたはずの派手な光景――色鮮やかに〝SEAL〟の輝紋が浮かび上がり、目が眩むような閃光が瞬く様を期待していた子供は、またしてもキョトンとして小首を傾げる。じっ、と自分の顔が映っている漆黒のサングラスを覗き込み、火を点けたのに燃えない蝋燭でも見たかのようにこう聞いた。

「……おじちゃん、ひからないの?」

 すると男は困ったように、あは、と笑った。

「はい、残念ながら私のは光らないんです。地味でびっくりしました?」

「……うん。ぼくのパパとママのはちゃんとひかるよ。おじちゃん、へんなのー」

 子供特有の遠慮の無さでズバリと言う。だが男は言われ慣れているのか、口元の笑みを崩さない。

「そうです、変なんです。ですから、みんなに知られちゃうと恥ずかしいので、私のことはパパとママには秘密にしてくださいね?」

 術式を使った人差し指を唇の前に立てて、しー、という仕種をする。

 秘密、というワードに反応したのだろう。子供の顔に喜色が満ちた。この年頃の子供には、秘密はただそれだけで宝物になる。彼は力強く頷いた。

「――うん! やくそくする!」

「ありがとうございます。さぁ、お友達が待っていますよ。戻ってあげて下さい」

 黒い手が公園内の子供達を示すと、彼は一度振り返り、また男の顔を見上げた。

 にぱ、と明るく笑う。

「ありがとう、おじちゃん!」

「はい、どういたしまして。それでは、怪我には気をつけてくださいね」

「ばいばーい!」

 元気よく別れの挨拶を口にして、子供はボールを持って走り去っていった。

 小さな背中がさらに小さくなり、友達らと合流するのを見届けてから、男は踵を返し、歩みを再開した。

 乾いた靴音を立て、歩道を行く。

 と、そこに、

「――見てましたえ、勾邑はん。優しおすなぁ」

 右斜め上という奇妙な方角から、幼い少女の声がかけられた。

 勾邑まがおうと呼ばれた男は首を巡らし、声が聞こえてきた方角にサングラスを向け、朗らかに口元を緩める。

「ああ、おかえりなさい、アグニール。いや、これは恥ずかしいところを……あ、空からの様子はどうでしたか?」

 勾邑が見上げた先にいたのは、宙に浮かぶ少女だった。

 竹と紙で出来た朱色の傘を折り畳み、横にして優美に腰掛けている。実際に浮いているのは少女自身ではなく、所謂『和傘』と呼ばれるそれであった。

「へえ、随分と綺麗になってましたわ。あれから二日と経ってへんていうのに、えらい手際のええことで」

 勾邑の質問に答える少女――アグニールは傘の高度を落とし、ちょうど目線が合う高さにまで下りてきた。勾邑の右隣にプカプカと浮き、進む速度も彼の歩調に合わせる。

 アグニールは黒一色の勾邑とは正反対に、やたらと煌びやかな少女であった。

 太陽の光を浴びて七色のプリズムを生む銀髪。背中へ届くほどのそれを、無造作にアップで束ねている。だが大雑把な結い方にも関わらず、その様には不思議な気品が漂っていた。

 両目に収まっているのは、左右で色の違う瞳。右目が空のような青、左が薔薇のごとき妖艶な赤のオッド・アイ。見るものに不安を抱かせる色合いの双眸が、どこか意地の悪そうな形をして勾邑を見ている。

 身に着けているのは極東の服飾文化の象徴でもある『着物』。深い紅の生地に金と銀の刺繍がふんだんに施された、ひどく派手な仕上りだ。だが、正しく着付ければさぞ上品に見えるだろうそれを、アグニールは遊女のように着こなし、肩を露にしていた。

「建物はもうほとんど元通りですわ。明日明後日には完全に復興してるんとちゃいます?」

 彼女は空から見た街の復興具合を報告し、こう続ける。

「そうはいうても、流石は浮遊都市やいわれとるだけあって、空の便も多かったですわ。えらい息苦しいというか、あちこち配達の人らが飛んではって、空が狭いこと狭いこと。ほんま堪忍やわ」

 自分はこれだけ頑張ったのだ、とアピールするアグニールに、勾邑は構うことなく合理的に返した。

「復興作業で荷物やデータの往来が増えているのでしょうね。仕方ないですよ。しかし、確かに手際が良すぎますね。正直、事件そのものがもっと長引くと思っていたのですが……」

 こんなに早く解決されてしまうとは、という言葉を呑み込んだであろう勾邑に、アグニールは悪戯っぽい流し目を送る。

「なんや、事件発生から半日ともたんかったて聞いておますけど……流石の勾邑はんも予想外やったんちゃいます?」

「ええ、三日四日ぐらい掛けて、じわじわと都市が崩壊するものと」

 穏やかな口調で壮絶な予想を口にする勾邑に、アグニールは、うふ、と笑う。

「――せやけど、そこまでの被害は望んではらんかった。せやから急いでここまで来た。ちゃいます?」

「ええ、まぁ。私達の目的に犠牲はつきものですが、別にそれが多ければ多いほど良い、というわけでもありませんから。適当なところで【彼】の暴走を止めようと思っていたのですが、まさかこの街に〝神器保有者セイクリッド・キャリア〟を止められるほどの猛者がいたとは……驚きでしたねぇ」

 それは異常な光景だ。

 黒尽くめの男が歩きながら、先程のボール遊びをしていた子供より二つか三つ上程度の幼い少女と、まるで世間話でもするかのように『ヴォルクリング・サーカス事件』について語り合っている。それも、自分達が当事者のような口振りで。

 勾邑は革手袋をつけた人差し指を、ぴっ、と立てて続ける。

「それだけじゃありません。あなたが言った通り、事件後の終息速度もすごい。まるで誰かが、【こうなることを事前に察知していたかのような】手際の良さです。どうやら時機が悪かったのでしょうね。この街には優秀な人材がたくさんいるようです。誤算に次ぐ誤算。大失敗でした」

 真面目に、しかもどこか嬉しそうに考察する勾邑に、アグニールは眉根を寄せた。

「いうて、言葉ほどには落ち込んでへんようどすけど? まったく、相も変わらずようわからんお人でおすなぁ。――ほんで、もう失敗とわかってはりながら、この街をわざわざ彷徨く目的は何どすん? まさか、ほんまに復興具合を気にしてはったんとちゃいますやろ?」

 思惑が外れて落ち込むかと思いきや、後ろ向きな発言を繰り返しつつも妙にあっけらかんとしている黒い男に、アグニールは呆れたように息を吐き、問いを投げかける。

 この浮遊都市で期待していた結果が出ず、計画が失敗したのなら、もはや留まる理由は何一つないはずだ――

 そう主張する銀髪の少女に、勾邑はのんびりと散歩するように足を進めながら、こう答えた。

「情報収集ですよ、アグニール。気になるじゃないですか。どこの誰がどうやって、【彼】――〝融合〟を持っていたシグロス君を止め、この街を救ったのか。そして、この超高速の復興を、何者が手引きしたのか」

「……そんなん、ネットでいくらでも調べられるんとちゃいますん?」

「わかっていませんね、アグニール。情報の鮮度、精密さは直に肌で感じてこそですよ? ネット越しの情報にはノイズが多いですからね。あまり信用できません」

 講義をする教授のように宣う勾邑に、これ以上言及する意義を見失ったのだろう。アグニールは、ふぅん、と唇を尖らせ、投げ遣りに相槌を打つ。

「そういうもんどすか」

「ええ、そういうものです」

 楽しげに頷く勾邑の様子は、どう見ても情報収集より、久々の遠出が楽しくて仕方がないという風にしか見えない。そも、今歩いている場所からしておかしいのだ。情報が欲しいのなら然るべき場所があるはずで、こんな住宅地に用などあるわけがない。

 アグニールとしては、見え見えの嘘がおもしろくない。

「……ほなまぁ、勾邑はんならその情報収集もすぐ終わりますよって。とっとと済ませて、さっさと帰りまひょ」

「え? な、何故です?」

 あからさまに早く帰りたい気持ちを表に出してきたアグニールに、勾邑は少し気まずそうに聞き返す。

 すると少女は、青と赤のヘテロクロミアからジトッとした目線を向けた。

「――言いましたやろ? 見てましたえ、って。さっき、お子さんの怪我を治してはったやおまへんか。よぉやりますわ。【実の親でもお医者はんでもないのに】、お子の〝SEAL〟に干渉して回復術式かけるなんて。流石は勾邑はんやね?」

「あー……ははは……」

 いたぶるように遠回しな言葉を選ぶアグニールに、勾邑は乾いた笑いで誤魔化そうとする。

 通常、他人の〝SEAL〟に干渉し、そこから肉体へ影響を及ぼすためにはいくつかの手順、もしくは道具が必要となる。

 エクスプローラーであればスイッチ、もしくはルーターによるリンクによって共通プロトコルを作成し、これを成す。

 また医療関係者であれば『リノベイター』と呼ばれる機器を用い、患者の〝SEAL〟にあらかじめ設定されている医療用ポートを通じて回復術式を使用したり、プロパティに干渉したりする。

 例外的に、近親者――基本的には両親――は子供が生まれた際にルート権限を設定していることもあり、特殊な器機が無くとも物理接触から術式を使うことが可能である。

 しかし、先程の勾邑の行為は、このどれにも当てはまらない。

 痛いところを突かれて狼狽する勾邑を見て、多少は溜飲が下がったのか、うふ、とアグニールはほくそ笑む。

「あんさんのその力――〝汚染〟やなんて卑下してはるけど、それさえあれば情報収集なんてすぐでっしゃろ? つまらんことは早う済ませて、すぐに帰ったらええやおまへんか」

「いやはや、参りましたねぇ」

 拙い嘘が看破されたと知り、勾邑は腕を組んで唸った。だが、やがて観念したように彼は鼻の頭を掻き、本音を語る。

「いやまぁ、正直言うと、少しのんびりしたかったんですよ。浮遊都市フロートライズと言えば、世界有数の観光地でもあるわけじゃないですか。ちょっとぐらい遊んでも、バチは当たらないと思いませんか? ねぇ、現人神様?」

 わずかな毒を含んだ皮肉に、アグニールは目を弓なりに反らせて、笑みを深めた。

「へえ、ちびっと遊ぶぐらいなら構いまへんえ? ほんまにちびっとだけ、どすけど」

 現人神と呼ばれた彼女は、意味深な眼差しを勾邑のサングラスに突き刺し――あ、せや、と思い付く。

「せやったら勾邑はん、次の計画でも練りながらがええんとちゃいます? そしたら、帰ったときにどやされることもあらしまへんやろ?」

「ああ、それは名案ですね。いただきましょう」

 アグニールの提案に、勾邑は一も二もなく飛びついた。彼とて、言い訳の材料を探していたのだろう。

「せやけど、次はどうしますん? うちはおもろいことが好きなんどすけど」

 悪戯の計画を練る悪童のようにアグニールが含み笑いをすると、勾邑もまた、観光の予定でも立てるかのようにこう言った。

「そうですね――次はこの浮遊島を落とす、なんていうのはどうでしょうか?」

 このアイディアに、アグニールは青と赤の目を輝かせ、声を高めた。

「へえ、それは楽しそうでおますなぁ! ――あ、せやけど、そんなんどうやるんどす?」

「おそらくですが、アレ」

 と勾邑は黒い指先で、都市の中央から宇宙へと伸び上がるルナティック・バベルを指し示す。

「あの塔が無くなってしまえば、この島を一定の高度に保っている力のバランスが崩れるはずです。そうすれば、よほどのことでも無い限り、この島は地表へと落ちていくでしょうね」

 その破滅的な光景を想像したのだろう。アグニールは嬉しそうに、うふふふ、と笑って、宙を飛ぶ和傘の軌道をクネクネと蛇のようにくねらせる。

「おもろそうどすなぁ……! もう次はそれでええんとちゃいます?」

「いえいえ、流石にすぐには無理ですよ。今回の件で、ここは【守護者】の皆さんに目を付けられてしまったでしょうしね。しばらくは大人しくしていないと」

 勾邑がそう言うと、アグニールは一転して唇を突き出した。和傘の動きも意気消沈したように大人しくなる。

「なんや、しょーもない……うちなら、あんなん一発で消し炭にしたるのに……」

「まぁまぁ、アグニールの実力はよく知っていますから、ちょっとの間だけ我慢してくださいな」

 勾邑は、和傘の高度が下がりすぎて自分の胸辺りまできたアグニールの頭に片手を載せ、暴れ馬を宥めるように優しく撫でた。

 対比的に大きな掌に頭を撫でられたアグニールは、

「……その計画やるときなったら、絶対うちにまかせてくれはります……?」

 甘えた声で言って、じっ、と上目遣いに勾邑を見つめる。その眼差しだけは見た目の年齢に依らず、ひどく妖艶な【女】のそれであった。

「はい、勿論。約束しますよ」

 にこやかに頷くと、勾邑はアグニールを撫でていた手を離し、今度は友好と約束の証とばかりに差し出した。

 アグニールは数瞬、黒い革手袋に包まれた手を見つめ、

「――へえ、信用してますよって。裏切ったら承知しまへんえ?」

 うふ、と微笑み、その小さな手で握手を交わした。

 長身の男と、和傘に乗った少女が進む道の先には、フロートライズ中央区がある。

 ひとたび刻まれた傷は、完治する前の過程で必ず細胞が活性化し、患部が盛り上がる。それは街とて同じで、被害のなかった閑静な住宅地とは正反対に、壊滅的ダメージを受けた中央区は、まさしく蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 遠く、盛り上がる喧噪がここまで届いてくる。

 奇妙な男と少女は手を繋ぎ、そんな復興中の街の中枢へと入っていくのだった。




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