リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●24 Give a reason~エピローグ~






 後になってから聞いた話である。

 僕達が三人揃って仲良く気を失ってから、すぐだったという。カレルさんの派遣してくれた救護班の人達が駆けつけ、僕らを然るべき場所へ搬送してくれたのは。

 肉体的ダメージが一番重かったのは僕だけど、最終的には、〝SEAL〟に大きな異常をきたしていたロゼさんが一番重症だと判断された。

 僕の傷は医療用ポートを通じての治癒術式でどうにかなったけれども、ロゼさんの〝SEAL〟はそうもいかなかった。専門家による本格的な治療が必要な状態だった為、至急、被害のない大きな病院へと再搬送された。

 この為、夕方に目を覚ました時、僕らとロゼさんは離れ離れになってしまっていた。

 ちなみにハヌは軽いフォトン・ブラッドの枯渇イグゾースト症状と、疲労による昏睡だった。

 気がつくと僕とハヌは、臨時の救護広場の隅っこに敷かれたマットレスに、二人揃って寝かされていた。

 目が覚めた時、体の具合はあらかた良くなっていて、〝SEAL〟にカレルさんからのネイバーメッセージが届いていた。

 その中にはロゼさんの安否と、どこの病院にいるのかという情報。そして、僕達が気を失った後の事件の経緯が記されていた。

 ハイマルチキャストによって配布された暗号コードにより、都市内に出現していたSBの群れは完全に無力化。残党は自警団とエクスプローラー達によって粛々と活動停止シャットダウンされ、また、全ての龍穴の〈コープスリサイクル〉が強制終了させられた。これにより龍脈からのエネルギー供給を受けられなくなったSB達は自然消滅していくはずだけど、現在は念のため、取りこぼしが無いか慎重に調査中とのこと。

 また、シグロスを含む『ヴォルクリング・サーカス』のメンバーは、総勢十二人中四人が捕縛され――この内二人は降伏したそうだ――残り八人が死亡した。生き残った四人については、リザルクの街を滅ぼされたパンゲルニア政府との関係もあり、色々と高度な政治的やりとりが生じるらしい。どこで、誰が、どう裁くのか。それが問題なのだという。

 そうは言っても、しでかした事がしでかした事なので、最終的に全員が極刑に処されるのは間違いないだろう――とカレルさんは記していた。

 カレルさんのメッセージによると、ロゼさんの緊急手術は無事に終わっているとのことだったので、僕はひとまず眠っているハヌを背負い、彼女のマンションへ連れて行くことにした。

 靴が片方無くなっていたので、ストレージから予備のコンバットブーツを具現化して、履き直す。

「お世話になりました。ありがとうございます」

 近くにいた救護班の人達にお礼を言って街中に出ると、あんなことがあったというのに、夕暮れの陽に照らされた街は活気に溢れていた。

 否、あんなことがあったから、だろうか。大勢の人々が所狭しと走り回り、急ピッチで壊れた街の復興作業にあたっている。

 ハヌを背負って歩きながら〝SEAL〟でコレクティブ・シンクロニシティ・ネットをチェックしてみると、どうやら世界各国から続々と復興支援チームが派遣されてきているらしい。特に建物や器物に関しては、相応量の情報具現化コンポーネントと専門の技術者がいれば、すぐにでも修復が可能だ。もちろん、その相応量の情報具現化コンポーネントにお金がかかるので、金額的には全く簡単ではないのだけど。ただ、そこは色んな方面から寄付が集まってきていて、どうにかなっているようだった。

 また一方で、あちこちに残る種々様々な色合いの血痕が生々しい。おそらく遺体はどこか一箇所に集められて、身元の確認や遺族捜しが続けられているのだと思う。犠牲者の具体的な数は後日にでも公式発表されるだろうけど、それは決して少なくないはずだ。

 失われた命、その数にまつわる悲しみの連鎖を思うと、もうそれだけで気持ちが憂鬱になった。



 早くも復活に向けて動き出している街を抜けて、ハヌの入居しているマンションへと向かう。

 中央区に位置するそこは、幸いなことに綺麗なままだった。あるいは被害を受けたけど、高級住宅だけに優先的に修復されたのかもしれない。

 僕はハヌから預かっていた電子キーと物理キーの合い鍵二つを使って扉を開け、部屋に入った。一番奥の寝室まで進み、ナイトライトを点灯させ、その近くにある大きなベッドに小さな身体を横たえる。

 柔らかそうな枕に小振りな頭を載せると、

「――ん……」

 ハヌが小さく呻き、瞼が小刻みに動いた。すぐに収まるかと思ったけど、そうはならず、色違いの目がうっすらと開かれていく。

「……らと……?」

 焦点を結ばずぼんやりしていた瞳が、不意に僕の顔を捉える。すると、ハヌは安心したように口元を緩め、何だか嬉しそうに笑った。

「……ごめん、起こしちゃったね……」

 まだ眠そうに目元を擦るハヌに謝罪した僕の声は、自分でも驚くほど力が入っていなかった。……あれ、どうしたんだろう? おかしいな。何だか、上手く喉に力が入らない。

「んぬ……ここは……?」

 やおら上体を起こして周囲を見回すハヌに、僕は簡潔に説明する。

「ハヌの部屋だよ……あの後ね、救護班の人達に回収してもらって、治療が終わったから、ここに帰ってきたんだ……」

 やっぱり上手く声が出せない。何だか喉の奥に丸い瘤ができたみたいに、妙な異物感があった。

「……ロゼさんはね、手術が必要だから別の病院にいるよ……でも、無事に終わったらしいから、明日、一緒にお見舞いに――」

「ラト……おぬし、何故泣いておるのじゃ?」

「えっ……?」

 僕の声を遮って放たれた、予想もしなかった問いに吃驚してしまう。

 泣いてる……? 僕が……?

 そんなはずはない。試しに頬に触れてみたけど、別段涙が出ているわけでもない。ハヌは何を言っているのだろうか?

 僕が戸惑っていると、ハヌはベッドの上で膝立ちになり、身を寄せてきた。僕もフローリングに膝立ちになっているので、この状態だとハヌの方がちょっとだけ目線が上になる。

 小さな両手が伸びて、そっと僕の頬を包み込んだ。ハヌの愁いを帯びたヘテロクロミアと、目が合う。

「……随分と悲しげな顔をしておるではないか……どうしたのじゃ? 何かあったのなら、妾に話してみよ」

「ハヌ……」

「暗くてよく見えぬが、それでもラトが辛そうにしておるのはわかるぞ? 言うたであろう。妾は、おぬしの最大の味方じゃ。ラト、ここには妾しかおらぬ。人目を憚る必要は無い。さぁ、話してみよ。何がそんなに悲しいのじゃ……?」

「――あ……」

 何が何だかよくわからなかった。

 だけど。

 何が何だかよくわからなかったけど、ハヌのその言葉は、不思議と僕の深いところに強く大きく響いた。

 不意に、体の奥底から堪えきれない震えが来る。喉の異物感がさらに増した。

「――わから、ないよ……」

 小さく震えながら、痛む喉を動かして、そう言った。だけど口を動かした途端、目の涙腺が壊れたみたいに涙が溢れ出した。視界が滲んで、そこに映るハヌの顔がよく見えなくなる。頬を伝う涙が、そこにあるハヌの手を濡らしてしまっているのがわかった。

 だけど、どうしてこんなに涙が出てしまうのか――自分でも理由がよくわからなかった。

「……本当に……わから、ないんだ……どうして、だろう……なんだか、すごく……むねが、つらいんだ……!」

 僕は泣きながら、喉の奥から迫り上がってくる嗚咽をこらえた。鼻水がたくさん出て来て、みっともなく鼻を啜ってしまう。鼻の奥がつんと痛んだ。

 その時だった。脳裏に、昼間見た死体の山がフラッシュバックしたのは。

「……!」

 屍山血河。そう言う他無いカラフルな光景。男の人も、女の人も。若い人も、歳をとった人も。それこそ、小さな子供からお爺さんお婆さんまで。

 たくさんの人が殺された。

 決して楽じゃない、ひどい死に方をした。

 いっぱい、いっぱい、いっぱい――本当にいっぱい。

 死んだ。

 死んでしまった。

 急激に思い出された光景に心臓を握り潰され、僕はようやく悟る。

「……たすけ……られなかった……」

 自分が何故、こんなにも悲しいのかを。何故、こんなにも胸が痛いのかを。

「……たくさんの、ひとが……しんだんだ……ぼくは……ぜんぜん……やくにたたなかった……」

 ぽつり、ぽつりと、力の入らない声で呟く。

 無力だった。何も出来なかった。誰一人救うことが出来なかった。

 多分、帰る途中に見た血痕のせいで思い出してしまったのだろう。さっきのさっきまで、戦いに夢中になりすぎて忘れてしまっていた。あまりにも膨大な数の死を。

「……たすけたかったのに……まもりたかったのに……なにも……なにもできなかった……ぼくは、やくたたずだった……」

 声がどうしようもなく震える。涙に濡れている。寒さに凍えるように、歯がカチカチと鳴るのを止められない。

「ラト……」

 ハヌの沈痛な声。憐憫の瞳が、僕を見ている。

 わかっている。わかってはいるのだ、僕だって。

 あんなの、僕一人の力でどうにか出来る規模じゃない。それこそ神様でも無ければ、全員を救うなんて夢のまた夢だ。

 大体、自分の力だけでどうにかしようと思う方が、間違いなのだ。どうにか出来ると考える方が、傲慢なのだ。

 だけど。

 それでも。

「……くやしい……!」

 声に出すと、それは嗚咽になった。

 もう歯止めがきかなかった。僕は心に思い浮かんだ後悔を無秩序に、涙と一緒に吐き出していく。ぼたぼたとこぼしていく。

 悔しいのは、大勢の人を助けられなかったことだけじゃない。

「……それに、ぼく……あのとき……なんども、あきらめた……あいつ、つよかったから……なんどもなんども……もうだめだって、あきらめた……ハヌがあぶないときも、もうむりだって、めをつむってた……」

 シグロスは強かった。今思い出しても、背筋に寒気が走る。

 怖かった。心の底ではずっと怯えていた。

 だから何度も諦めかけたし、実際、二度も心が折れた。

 一度目は、地面に叩き付けられて止めを刺されそうになった時。

 二度目は、ハヌが瓦礫の塊に呑まれそうになった時。

 命を諦め、心の中で別れの言葉を作った。ハヌがやられそうになっているのに何も出来なくて、目の前の光景から目を背けてしまった。

 守らなきゃいけなかったのに。

 ああいう時こそ、何が何でも動かなきゃいけなかったのに。

「……なさけないよ……!」

 悲しみと共に湧き上がるのは、怒りだった。あまりにも弱い自分への憎しみだった。

「……ぼくはよわくて、なにもできないだけじゃなくて……こころまでよわいんだ……! ロゼさんや、ハヌがいなかったら、きっといまごろ、ぼくはここにいない……!」

 戦闘ジャケットの裾を強く掴んで、力一杯握り締める。情けない自分への憤怒で、全身が弾け飛んでしまいそうだった。

 なんて惨めな奴だろうか。

 助けたかったくせに。守りたかったくせに。

 怯えて。

 震えて。

 諦めて。

 逆に助けられて。守られて。

 なのに、シグロスを殺しきることも出来ず。

 多くの人の無念も晴らせず。

 そのくせ、後になってから『ああすれば良かった。こうすれば良かった』なんてことばかり考えて。

 何も出来なかった自分を恥じて、泣いている。

「……どうして……どうして、ぼくは……ぼくは……っ!」

 それ以上はもう言葉にならなかった。次から次へと湧き上がってくる嗚咽が喉を満たし、僕はみっともなく噎び泣いた。

 心の中がグチャグチャだった。

 こうしてハヌの前で泣いている自分が、情けなくて、かっこ悪くて、心の底から悔しかった。こんな自分の弱さが、本当に惨めで、浅ましくて、殺してしまいたくなるくらい許せなかった。

 僕が嗚咽を噛み殺しながら泣いていると、ふと、ハヌの両手が頬から離れた。

 次いで、ハヌの匂いが近付いてきたと思ったら、頭を両腕で抱えられていた。抱き寄せられ、僕の顔がハヌの胸元に密着する。

「――まったく……おぬしは本当に【強欲】じゃのう、ラト」

 頭の上から、ハヌの声が降りてくる。優しい口調ながら、どこか責めるような言葉が意外で、思わず詰まる喉を動かして聞き返してしまう。

「……ごう……よく……?」

 僕が……?

「そうじゃ。まったくもってそうじゃ」

 くふ、と笑いながらハヌは肯定する。僕の頭の上に乗った手が、ペットの毛並みを整えるかのように優しく髪を撫でる。

「前々から思っておったが、やはりラトは欲張りじゃ。現人神であった妾ですら鼻白むほどのな。自覚はないようじゃが」

 僕の頭をゆるやかにさすりながら、ハヌは言う。

「のう、ラト……おぬしは何も出来なかったと申すが、妾はそうは思わぬ。なにせ、おぬしはシグロス――此度の件の首謀者を倒したではないか。誇りこそすれ、悔やむことなど何もないはずじゃぞ?」

 違う。それは違う。

 それは、僕の功績じゃない。

「……ちがうよ、ハヌ……あのとき、ぼくはロゼさんがいなかったら……ううん……それだけじゃない……それに、あいつにとどめをさしたのは、ハヌだよ……」

 僕はシグロスを追い詰めはしたけれど、結局は仕留めきれなかった。最後の最後にあいつを吹っ飛ばしたのは、ハヌの〈エアリッパー〉だったのだ。

「――ふむ……なるほど。おぬしが引っかかっておるのはそこか……」

 そう言ってハヌはまた、くふ、と笑う。

「……のう、ラト。あのシグロスという輩は強かったであろう? うむ。皆まで言わずともわかっておるぞ。おぬしをあそこまで追い詰めたのじゃ。あやつは強かったに決まっておる。じゃが、それもそのはずじゃ。あやつは神器という面妖なものを持っておった。一筋縄ではいかんはずじゃ」

 僕の頭を抱き締めるハヌの力は、強くもなく、弱くもない。僕の顔を受け止める胸は――こんなことを言うと怒られるだろうけど――起伏には乏しくて、正直ちょっと硬い。

 だけど、不思議と暖かくて、何だかすごく安心する。

「あの男を放っておけば、間違いなく今以上の被害が出ておったはずじゃ。こう考えてみよ。ラトはそんな輩を食い止め、妾が来るまで足止めしておった。確かに止めの一撃を打ったのは妾かもしれんが、そこまでお膳立てしたのは、ラト――おぬしなのじゃ。むしろ、ラトがおらねばあやつは倒せんかった。……じゃからの、何も出来なかったなどと己を責め、卑下するでない。おぬしはよくやった。それは妾が知っておる」

 ハヌは優しい。言葉を尽くして、僕を慰めてくれているのだ。

 だけど、頷けない。相手がハヌでも――ううん、ハヌだからこそ、僕は嘘がつけない。つくわけにいかない。納得がいかないことに納得しているふりなんて出来ないし、絶対にしたくなかった。

「…………」

 僕は涙目で鼻をすんすんと鳴らしながら、唇をへの字にして黙り込む。すると、顔は見えていないはずなのに気配だけで僕の頑なさを感じ取ったのか、ハヌが小さく嘆息した。

「――じゃが、そうじゃの。ラトは男子おのこじゃ。こういうときは、存分に悔しがった方がいいのかもしれぬの」

「……え……?」

 頭を撫でていたハヌの手が、今度は、ぽんぽん、と軽く叩く動きに変わる。

「ラト、おぬしは悔しいのであろう? 情けないのであろう? 守りたかったものを守れず、満足できる結果を出せなかった己が、許せないのであろう?」

「うっ……」

 ぐさり、ぐさり、ぐさり、とハヌの言葉は僕の痛いところを的確に抉った。今度は別の意味でぐうの音も出ず、黙り込んでしまう。

 だけど、ハヌは笑った。

「その意気やよし、じゃ。結構なことではないか。つまりはおぬし、己はまだまだ出来ると信じて疑っておらんということじゃ。もっと己に力があれば、もっと良い結果が出せたと。己はさらに高みへ行けると、心の底では思っておるわけじゃ。故に満足が出来ぬ。納得がいかぬ。悔しくて、情けのうて、泣いておるのじゃ。そうであろう?」

「…………」

 正直、よくわからない。僕は別に、そこまで深く考えていたわけではないし、そんなつもりもなかった。だけど、ハヌの言うことには妙な説得力があって、彼女がそういうのならそうなのかもしれないとも思う。

「ならばの、ラト。おぬしは強くなれ」

 何てことないかのように、ハヌは言った。

「三ミニトだけでなく、いついかなる時も最強の男になるのじゃ。それこそ、あの剣嬢ヴィリーをも超える世界一の剣士にの。さすれば、おぬしの支援術式は文字通り千人力――まさしく世界最強の剣士が千人おるに等しいじゃろ? そうなれば守れぬものなど何もない。おぬしの望みは全て叶う。どうじゃ、単純明快であろう?」

 くふ、と笑って、ハヌはまた僕の頭を撫でた。優しく、いとおしむように。

「まぁ、妾とラトが揃えば無敵なのは、とっくじゃがの?」

 なんて軽い冗談を飛ばしてから、ハヌは声のトーンを落とす。

「――じゃが、今は泣くがよい。こう見えて妾は、なりは小さくとも心は天のように広いからの。ラトの涙ぐらい、いくらでも受け止めてやろう。我慢などせずともよい。ラトが泣き虫なのは、もう知っておるからの」

 もう片方の手が、許しを出すかのように僕の背中を、ぽんぽん、と軽く叩いた。

「………………………………うん…………」

 情けない僕は、かっこ悪い僕は、鼻水を啜りながら小さく頷いてしまう。ハヌの言う通り、彼女の前では虚勢を張っても意味がない。既に手遅れなのだ。

 ジャケットの裾を掴んでいた手を、ハヌの背中に回す。手触りのいい着物を、震える両手で、ぎゅっ、と握り込む。感情が高ぶっているせいで、あんまり手加減が出来なかった。

 僕は涙で潰れた声で、心の裡をそのまま吐き出す。

「……ぼく……つよくなりたい……っ……!」

「うむ」

「……もっと、もっとつよくなって……きょうみたいなことが、あったとき……だれも、しなせたくない……っ……!」

「うむ。ラトなら出来るぞ」

「――あんなこうけいも……こんな、こんなつらいきもちも……もうたくさんだよ……っ……!」

「そうじゃな……辛かったのう……」

 ハヌが僕の弱音を受け止めてくれる度、胸の奥にあった、どうしようもなく頑なだった気持ちがほぐれていく。けれどそのかわりに、目の奥からはどんどん涙が溢れてくる。ハヌの着物を濡らしてしまうのを申し訳なく思いながら、少しも止められなかった。

 ――強くなりたい。

 今よりももっと強くなって、守りたいと思った全てを守り抜きたい。

 もう二度と、あんなに大勢の人が死んでいるところなんて見たくない。

 世界全てを平和にしたいなんて贅沢は言わない。

 だけどせめて、僕の手が届く範囲、いや、目が届く内にあるものは全部、自分で守れるだけの力が欲しい。

 想いを言葉にすればするほど、感情の箍が外れていく。いつしか僕は、幼い子供のように体を震わせ、ハヌの小さな身体にしがみつくようにして泣きじゃくっていた。

 もはや呂律が回らず、口にすることがまともな言語になっていない僕に、ハヌが小さな声で言う。

「……ラト、おぬしは自分を役立たずと言うがな、それでも妾はこう思うぞ……?」

 子供をあやす母親のように、頭を撫でて、優しく――

「――おぬしは本当によう頑張った。最後までよく耐えた。立派じゃったぞ……妾は、おぬしを心から誇りに思う」

「……!!」

 ハヌのその一言が、僕の中にあった何もかもを決壊させた。

 ありとあらゆる感情が混ざり合い、行き場を失い、爆発的に膨張した。

 僕は息を呑み、ぶるぶると震え――だけどすぐに耐えきれなくなって、

「――う……うぇ……うぇえええええ……!」

 もう駄目だった。歯止めなんて全然利かなかった。

 本当に子供みたいにみっともなく、僕は声を上げて泣くしかなかった。

 ハヌのちっちゃな体に抱き付き、悲しみも、悔しさも全部、言葉にならない声にして吐き出した。

 二人しかいない部屋に、僕の泣き声だけが響く。

 ハヌは僕が泣き止むまでずっと、優しく頭を撫で続けてくれた。





 ■





 あれから、あっという間に三日が過ぎた。



 翌日からは街の復興に協力するため、僕らもヴィリーさんやカレルさんを通じて協力活動を開始した。

 と言っても、僕達みたいなエクスプローラーに手伝えることなんてあまり多くはなかったのだけど。

 例えば道路の清掃だったり、瓦礫の撤去だったり。僕とハヌはそういった、専門分野でないことを主に行った。もちろん、修復に必要なコンポーネントの寄付なんかも。

 ちなみに、ほとんどのエクスプローラーはコンポーネントの寄付による協力を選択していた。

 大部分のパーティーやクラスタは、態勢を整え次第すぐにルナティック・バベルでの探検エクスプロールを再開し、そして、回収してきたコンポーネントの一部をまた寄付するという、実にエクスプローラーらしい復興協力をしていたのだ。

 僕達もそれが出来ればよかったのだけど、残念ながら黒玄も白虎も壊れている状態では、危険なエクスプロールは断念せざるを得なかった。予備の武器がないわけではなかったけれど、安全性を考えたらあまり賢い選択ではない。それに、それだとハヌ一人に負担がかかってしまう。ハヌは「妾は別に構わぬぞ?」と言ってくれたけど、それは単純に僕が嫌だった。

 自分で言うのも何だけど、ちっぽけなプライドである。

 それから、ロゼさんのお見舞いにも忘れず行った。

 事前に聞いていた通り、ロゼさんの緊急手術は無事に成功していて、顔を出しに行くと彼女は病院のベッドで安静にしていた。

 可変ベッド上で体を起こして、物憂げに窓の外を見つめているロゼさんの姿は、それだけで妙に絵になっていた。色々と終わったせいもあるのだろう。ロゼさんの横顔はどこか透明度が高く、これまでと同じ無表情でも、何となくスッキリしているように見えた。

 僕とハヌが揃って声をかけると、ロゼさんはやっぱり笑いもせず挨拶を返してくれた。そして、「〝SEAL〟が使えないため、ネットにも接続できず、機械の操作もできないので、ひどく退屈です」と本当に退屈そうな顔で言った。昔の人達はこんな状態でどうやって過ごしていたのでしょうか、とも。

 容態について尋ねると、「肉体的なダメージは回復術式で治癒できたので、あとは〝SEAL〟の状態が安定したのが確認できれば、すぐにでも退院できるそうです」と答えてくれた。

 実際、最初の二日でロゼさんの〝SEAL〟は問題なく稼動するようになり、残り一日は念を押しての様子見だったという。

 だから僕達は帰る際にロゼさんと、

「じゃあ退院したら、改めて僕達と――」

「はい。クラスタの一員として、エクスプロールに参加させていただきます」

 という約束を交わしていた。

 それから瞬く間に二日が過ぎ――今日がその日である。



 僕とハヌは今、前回も待ち合わせに使った場所に立っている。

 ルナティック・バベルから歩いて五ミニトもかからない、噴水広場の一角。

 時刻はお昼ちょっと過ぎ。エクスプロールに行くにはのんびりし過ぎだけど、今日はロゼさんの復帰第一弾ということで、あまり無理をせずリハビリがてら体を動かす方針だ。まぁ、僕の装備が間に合わせだという事情もあるけれど。

 ちなみに、待ち合わせの場所と時間については、昨晩ロゼさんから退院を告げるネイバーメッセージが届いたので――これが即ち〝SEAL〟が回復した証に他ならない――、お祝いの言葉と一緒にリプライへ併記しておいた。

 だから、何事もなければ、問題なく合流出来るはずだ。

 そう、何事もなければ――

「……ね、ねぇ、ハヌ」

「? 何じゃ、ラト?」

 どうにも落ち着かない気分で話しかけた僕とは正反対に、幼いながらも泰然としているハヌが、伊達眼鏡をかけた顔で振り向いた。

 ハヌはいつもの変装モード。ただ、今日は髪型だけが普段と違う。大きな帽子の下から、束ねた髪の房が左右にぴょこんと飛び出たツインテール。陽の光を受けると七色のプリズムが弾ける銀髪は、真っ赤なリボンで結わえられている。ちなみに、この髪型を整えたのは僕だ。実はその際にちょっとした一悶着があったのだけど、それはまた別の話である。

 赤縁の伊達眼鏡の奥から僕を見上げてくる蒼と金のヘテロクロミアに、僕は内心の不安を吐露する。

「く、来るかな、ロゼさん? 本当に来てくれるかなっ?」

 僕の質問を受け取ったハヌは、何か考えこむように視線を左上へと逸らした。

「……ふむ。さて、どうじゃろうな? あやつ、ロルトリンゼは当初の目的であったヘラクレスのコンポーネントを手に入れ、仇である男を再起不能にまで追い込んだわけじゃからのう……今更、妾達のクラスタに入る理由はないのではないか?」

 今頃は空港で飛行機を待っておるかもしれんの、と冷静に言うハヌに、僕は思わず抗議めいた声を上げてしまう。

「えぇぇえええええ――!? そ、そんな……!」

「落ち着けラト。来たら来たらで良し。来なければ来なければで、それも良しじゃ。あやつの中に【理由にならぬ理由】が出来ておれば、放っておいても自ずと来る。そうでないならば、縁が無かったということじゃ」

 ハヌは腕を組み、もっともそうなことを言って一人うんうんと頷く。何だか納得しているみたいだけど、僕はそうはいかない。

「で、でも、でも、ほら、約束したんだし――」

「守られることもあれば、破られることもある。それが約束というものじゃのう」

「――し、信じようよ、ロゼさんを……! く、来るよ、きっと来てくれるよ……!」

「そうじゃの。信じておるならば、もっと悠然と構えよ。取り乱したところで仕方あるまい」

 ことごとく論破されてしまって、僕は口を閉ざすしかなかった。くふ、と笑って僕を見つめるハヌの瞳には悪戯っぽい輝きが踊っている。多分、ハヌには既にロゼさんが来るかどうかの結末が見えているのだ。全部わかっていて、僕をからかっているのだ。

 でも、僕は本当に不安なのだ。

 ハヌの言ったことには一理どころか百理も千理もあるような気がしてならない。実際、ロゼさんがここ、浮遊都市フロートライズまで来た目的は全て達せられたのだ。僕達のクラスタに入ったのもヘラクレス――もとい、ハーキュリーズのコンポーネントを入手することが魂胆だったのだから、今となっては仲間になるメリットなんて一つもない。

 そういえば、ハヌは『理由にならぬ理由』がどうとか言っていたけれど、理由にならない理由って一体なんなのだろう?

 ――なんて考えていたら、

「お、来たのう」

「えっ!?」

 思わず弾かれたように顔を上げてしまう。キョロキョロと視線を巡らせて――見つけた。

 藍色のツーピースに身を包んだロゼさんが、両手を前で組み、しずしずと歩いてきている。アッシュグレイの髪に縁取られた顔は、柔らかい陽光を受け、どことなく穏やかに見える。とはいえ、特にこれといった感情が出ている風ではなく、僕の目の錯覚かもしれないのだけど――

 とにかく、ロゼさんは来てくれたのだ。

「ろ、ロゼさんっ!」

 コツ、コツ、と石畳に硬い靴音を立てて近付いてきたロゼさんは、けれど、僕達から近すぎず遠すぎない絶妙な位置で立ち止まった。

「――お待たせしました。勇者ベオウルフ、小竜姫」

 突然、他人行儀な呼び方でそう言って、ロゼさんはカーテシーをした。スカートの裾を摘まみ、片足を斜め後ろに引き、深々と頭を下げる。

 それが終わるとロゼさんは面を上げ、再び両手を身体の前で組み、透明度の高い表情でこう言った。

「本日は、改めてお願いに参りました」

 その言葉を聞いた瞬間、僕の胸によぎったのは嫌な予感だった。

 改まってのお願い。それはもしかして――クラスタへの加入を辞退させて欲しい、という話ではないか。ふと僕の脳裏に「この話を無かったことにして欲しい」とスカウトの件を白紙に戻したカレルさんの顔が蘇った。そうだ、この空気。あの時もこういう【匂い】がしていた気がする。

「ロ――」

 呼び掛けようとした僕を、ハヌの手が制した。僕の戦闘ジャケットの裾を引っ張って、ロゼさんに真摯な目を向けている。言葉でなく態度で、これは遮らずに最後まで聞くべきじゃ、と言っているようだった。

 不安に心を掻き乱される僕の前で、ロゼさんの言葉は続く。

「……ご存じの通り、私は未熟者です。ずっと一人で戦ってきたので、他のエクスプローラーと一緒に遺跡に入ったことはほとんどありません。そのせいで、きっとお二人には迷惑をかけてしまうでしょう」

 どう聞いても、クラスタへの加入を断る理由を並べ立てているようにしか思えなかった。

 そんなこと関係ないです。一緒に頑張りましょう――そう言いたかったけど、ハヌが最後まで聞けと示唆するなら、そこにはきっと理由があるのだ。だから僕はぐっと我慢して、喉元まで迫り上がってきた言葉を呑み込む。

「自分で言うのも何ですが、私は他者とのコミュニケーションが得意ではありません。無愛想とも、何を考えているかわからないとも、よく言われます。また、戦闘スタイルも一般的ではなく、特殊な部類に入ります。さらに言えば〝神器保有者セイクリッド・キャリア〟でもありますので、シグロスのこと以外にも色々と込み入った事情を抱えております」

 淡々と、自分自身のデメリットを列挙していくロゼさん。

 だけどその琥珀色の瞳は、真っ直ぐこちらへと向けられている。その事に気付いたとき、僕の中にあった不安は、不思議と小さくなっていった。

「……本当に私は、あなた方には相応しくないかもしれません……」

 どこか寂しげにも聞こえる声音で、ロゼさんは言った。

 けれど。

 決然と眦を決し、瞳に強い意志の光を漲らせ、

「こんな私ですが――それでも、お願いします」

 彼女は希う。

「私の名はロルトリンゼ・ヴォルクリング」

 礼儀正しく、頭を深く下げて。



「格闘技が得意という歪なハンドラーですが、どうかあなた達の仲間に入れて下さい」



 世界から音が消えたかのように、しん、と静まり返った。

 それは僕の錯覚だったかもしれない。

 だけど、そんな静かな世界の中、僕は右隣のハヌに顔を向けた。ハヌもまた、僕の方へ振り向いていた。

 お互いに喜びの顔を浮かべていたと思う。

 僕達は同時に、うん、と頷き、二人して頭を下げているロゼさんに歩み寄った。この距離は、僕達の方から埋めなければいけないと思ったから。

 まずはハヌが、左手を差し出した。

「妾の名はハヌムーン・ヴァイキリルじゃ。少し前まで片田舎で神をしておった。よろしくの、ロルトリンゼ――いや、ロゼ、と呼んでいいかの?」

 続けて、僕も右手を差し出し、名乗る。

「僕はラグディスハルトです。支援術式が得意です。これから、末永くよろしくお願いします」

「――――」

 顔を上げたロゼさんは、まず僕達の手を見て――それから視線をゆっくりと上昇させた。僕達の顔を交互に見る琥珀の双眸には、隠しきれない喜びの色が揺らめいていた。

 ロゼさんの視線が彷徨い、何だか恥ずかしそうに動く。

「……私は、不器用な人間です。こういう時、どうすればいいか、何を言えばいいか、わかりません……ですが、はい。どうか私のことは、ロゼ、とお呼び下さい」

「ならばこの手を取れ、ロゼ。それだけでよい」

 くふ、と笑ったハヌが、差し出していた手をさらに、ずい、と近付けた。

 ロゼさんは目をやや見開き、

「――はい……!」

 だけど神妙に頷いて、両手を上げた。僕とハヌ、高さも大きさも違う手を握り、三人で握手を交わす。

 僕もハヌも、嬉しさで笑みを深める。

 この瞬間、ロゼさんは本当に僕達の仲間になったのだと、心の底から確信した。

「不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」

 やっぱり平坦な口調でそう言ったロゼさんの表情が、けれど――ほんのわずかに微笑んでいるように見えたのは、きっと気のせいなんかではない。

 微笑を浮かべたロゼさんの顔は、いつも何百倍も美人に見えた。





 ――と、ここで話が終われば、我ながら綺麗だったと思うのだけど。

 残念ながら、世の中はままならない。

 話は順調にまとまり、僕達は三人揃ってルナティック・バベルに向けて出発した。

 その時だった。

「ラグさん、少しよろしいでしょうか?」

「はい?」

 ロゼさんに呼び止められて、僕は足を止めた。

 彼女は僕の顔を下から覗き込み、ちょいちょい、と手招きしている。

 僕は素直に従って、ロゼさんに近付いた。

「お耳を」

 すると、ロゼさんはもう片方の手を口元にやり、耳打ちの体勢をとった。

 何か言い難いことでもあるのかな?

 何の疑いもなくそう思って、僕はロゼさんに左耳を差し出した。

 すっ、とロゼさんの口元が近付き、掠れた声が囁く。



「愛人契約の件、私としてはまだ【アリ】ですので、その気になったらいつでも言ってください」



「――――」

 石になる、というのはまさしく今の僕のような状態を言うのだろう。

 耳から入ってきた情報をうまく処理しえず、僕の思考はフリーズした。

 ロゼさんの顔を見返すどころか、身動き一つとれない。というか、今ロゼさんの顔を見たら、多分何かとてつもなく恐ろしい事が起こるに違いなかった。

 そんな風に硬直していたら、ふぅ、と耳にロゼさんの甘い吐息が吹きかけられた。

「――~ッ……!?」

 瞬間、背筋にゾクゾクしたものが走った。得も言えぬ感覚が全身を駆け巡り、ビリビリと手足を痺れさせる。

 次いで、くすっ、とロゼさんが笑った。そう、顔は見えなかったけど、確かに聞こえたのだ。小悪魔っぽく笑う、その息遣いが。

 ――あ、ダメだ……

 僕は直感した。全身を襲うこの感覚には、覚えがある。

「――ラグさん? どうなされたのですか、ラグさん?」

 流石におかしいと思ったのだろう。ロゼさんが心配そうに声をかけてくる。

 だけど、僕にはもう返事をする余裕はなかった。むしろ、ロゼさんの声は遠くにいるかのように響いていた。

 何度だって言うが、僕は所謂『ヘタレ』という人種なのだ。

 ヴィリーさんからダイレクトメッセージをもらったり、ハヌにほっぺたにキスされた程度で失神してしまう小心者なのである。

 そんな僕が、ロゼさんみたいな美人にあんなことを言われた挙げ句、耳に吐息をかけられたのだ。

 どうしようもなかった。

 一朝一夕でヘタレが治るなら、僕だって苦労しない。

 どう足掻いてもダメだから、ヘタレはヘタレなのだ。

「――ん? どうした、ラト、ロゼ? 何をして――なっ……!? ラ、ラト!? ロゼ、おぬしまさか――!?」

 遠くから、驚くハヌの声が聞こえる。

 嗚呼――頭がクラクラとする。顔が熱い。視界が揺れまくって安定しない。

 不意に空が見えた。

 雲一つ無い、フロートライズの透き通るような青空だ。

 その空の中心に向かって、ルナティック・バベルという白い巨塔が吸い込まれるように伸びている。

 ――この光景、つい最近も見たような気がするなぁ……

 なんて考えながら、僕の意識はやっぱり消失した。



 悪い気分じゃなかったとは、流石にハヌには言えない。













 第二章「格闘技が得意という歪なハンドラーですが、どうかあなた達の仲間に入れて下さい」







 完



「リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

  • ノベルバユーザー240863

    今までに無いようなストーリーの構成でとても面白く、ラノベには珍しい感動要素がまたたまらなくいいです

    7
  • 10969K

    比べるのは失礼だと思いますが、世界観とか他の方のものとは違って凄く面白いです!

    7
コメントを書く