リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●23 心の境界線




 シグロスの成れの果てが落ちてきてすぐ、都庁からハイマルチキャストが届いた。

 内容は、〈コープスリサイクル〉を無効化する暗号エンクリプションコード。これを〝SEAL〟に登録すれば、街中を跋扈しているSBの攻撃対象外になることが出来る――とメッセージが添付されていた。

 それはつまり、戦いの終焉を意味していた。

 フロートライズ全域に配布されたこのハイマルチキャストによって、住民のほとんどがSBの非攻撃対象になるだろう。それはすなわち、〈コープスリサイクル〉そのものが無効化されるということだ。

 フロートライズ自警団とエクスプローラーの混成軍は、無力化されたSBを残らず駆逐して、すぐにでも〈コープスリサイクル〉の術者を追い詰めるに違いない。チェスで言うところの、王手チェックメイトがかけられたのだ。

 趨勢は決した。後は終息に向かって動くだけである。

 こんなものをどうやって入手したのかは気になったけれど、さしあたり、僕の興味は目の前に転がる【異形】へと向かっていた。

「――まだ、生きています」

 ぽつり、とロゼさんが呟いた。〝神器保有者〟同士、通じる何かがあるのだろうか。声の響きに迷いがなかった。

「……こ、これで……生きているん、ですか……?」

 それでも半信半疑で僕は聞いてしまう。

 だって、どう見たっておかしい。

 人間と瓦礫の融合体。本来なら交じり合うはずのないそれらが溶け合い、一つの形を成している。

 四肢のいくらかが瓦礫と融合している――だけならまだわかる。けれど、今のシグロスは全身の四分の三ほどが瓦礫と一体化してしまっていた。むしろ、【瓦礫が人間っぽい何かに変化している途中】と言った方が適切かもしれない。

「――あ、ま、待ってくださいロゼさん、今カレルさんに連絡しますからっ……」

 ここに今回の件の首謀者がいる――遅まきながらその事実に思い至り、僕は〝SEAL〟でダイレクトメッセージを作成し、カレルさんへ送信した。

 事件の首謀者、『ヴォルクリング・サーカス』の〝シグロス・シュバインベルグ〟を取り押さえた旨。また、僕とロゼさんの負傷具合や、居場所の座標。特に、シグロスという人物への注意事項などを箇条書きにして。

 反応はすぐだった。

 ネイバーからのダイレクトコール。

 僕の頭の中にだけ響き渡るコール音と、ARの着信アイコン。それを念でタップして、通話回線を開く。

『――勇戦奮闘、流石だな。〝勇者ベオウルフ〟』

 通話アイコンの中に現れたカレルさんは、開口一番、からかうようにそう言った。

『やはり、あれは君達だったんだな。先程の稲妻で書かれた〝Z〟と、巨大なアイコンは。こちらからでもよく見えたよ。全く……団長ではないが、君には驚かされてばかりだな、ラグ君。これでまた君の――いや、【君達】の二つ名が増えてしまうな』

 呆れたように、けれどカレルさんは微笑んだ。が、

『――いや、すまない。こういった話は全て終わった後に限るな。早速だが、本題に入ろう』

 咳払いを一つ。僕が恐縮する暇もなく、『NPK』の副団長はあっさり話を切り上げて表情を改めた。一瞬にして空気が張り詰める。

『君のメッセージにあった、首謀者のシグロスという人物はどこに?』

「え、ええと……」

『拘束はしているのか? 詳しい状況を教えて欲しい』

 真面目に質問してくるカレルさんに、何て言えば良いのかわからなくて困る。今のシグロスの状態をそのまま説明したら、多分、頭のおかしい奴だと思われてしまうだろう。となると、まずは〝神器〟という御伽噺みたいな代物が実在するということから話さなければならない。けど、僕だってこの目で見るまで信じられなかった話だ。何て説明するべきだろうか。

 僕がああでもないこうでもないと迷っていると、カレルさんはさらに言葉を継ぎ足した。

『ああ、大丈夫だ。君も疲れているだろう。急がなくてもいい。ゆっくり話してくれ。まずはそちらに救護班を送ろう。至近のを動かす。すぐに着くはずだ』

 何とも的確な判断である。ありがたいと同時に、事を上手く説明できない自分の不甲斐なさが申し訳なくなる。

「――カレルよ。おぬしに一つ聞きたいことがある」

 僕の左肩に身を凭れかけさせていたハヌが、不意に手を伸ばして、通話アイコンを自分の方へと向けさせた。そういえばハヌは僕と接触しているから、カレルさんとの通話に介入が可能だったのだ。そこではたと思い至り、一応スイッチでリンクしているロゼさんにも会話が聞こえるよう設定を変更する。

『小竜姫か。無事に合流できたようで何よりだ。それで、聞きたいこととは?』

 ここで何故か、ハヌは体の向きを変え、またもや僕の左ほっぺたに自分の右頬を、ぴとっ、とくっつけた。僕達は首を並べて、通話アイコンのカレルさんと向き合う形になる。ハヌはこうしないと会話にならないと思い込んでいるのかもしれない。

 体温の高いハヌは、けれど硬くて冷たい声音でカレルさんに質問を放った。

「おぬしは〝神器〟という言葉を聞いたことはあるか?」

 単刀直入だった。僕の心配など杞憂とばかりに、薄い紙よろしく突き破られてしまった。まぁ、いつもの事なのだけど。

 しかし案の定、通話アイコンのカレルさんは眉を蹙めるのを我慢するような表情を見せた。

『――神器……? ああ、【聞いたことはあるが】……それが?』

 何故その単語がここで? とでも言いたげに、カレルさんは声に困惑を含ませている。

 こくり、とハヌは頷いた。頬の触れ合っている部分がふにふにと動く。

「よかろう、知っているのならば話は早い。そこに転がっておるシグロスという輩はな、その〝神器〟を持っておるのじゃ」

「…………」

 ひどく珍しいことに、あのカレルさんが言葉を失ってしまったみたいだった。唇を少し開けて、唖然とする。けれど、それはほんの一瞬だけのことで、彼はすぐに心の体勢を立て直した。

「――すまない、念のため、もう一度確認させて欲しい。それはつまり……〝神器保有者セイクリッド・キャリア〟が今回の件の首謀者――『ヴォルクリング・サーカス』のリーダーだった……ということなのか?」

「そうじゃ」

 然り、とハヌは首肯する。カレルさんは口元を手で覆い、翡翠の瞳を左下へ逸らして考え込む素振りを見せた。

「……ということはつまり、ラグ君のメッセージにあった『特殊な能力を持っているので要注意』というのは、その〝神器〟だったと……?」

「信じられぬか?」

 率直に聞いたハヌに、カレルさんは視線を戻した。蒼と金のヘテロクロミアと、翠緑の双眸が目を合わす。

「――いや、そういうわけではないが……ただ、君達は何を以て〝神器〟の存在を信じているのか。それを聞かせてもらえるだろうか?」

 実に論理的な、カレルさんの確認だった。俄に信じがたい話なら、根拠を求めるのは当然のことである。

 だけど、ハヌはこれに首を横に振った。

「信じられぬのなら、無理に信じる必要はなかろう。じゃが、見よ。ラトのこの姿を」

 ハヌは右手を持ち上げ、くっつけ合っているのとは逆の方の、僕の右頬を掌でペチペチと軽く叩いた。見よ、と大威張りで言ってくれてるけど、当の僕は全身泥だらけ、かつ自分とロゼさんの血で汚れていて、非常にみすぼらしい状態である。ちょっと恥ずかしい。

「あのシグロスという輩は、ラトをここまで梃子摺らせよった。それだけでも、あやつが只者でないことは明らかであろう? 生半可な者では御しきれぬやもしれぬ。誰ぞ来させるつもりならば、人選は心せよ。妾が言いたいのはそれだけじゃ。真偽の程は、後でおぬし自身の目で確かめるがよい」

 百聞は一見にしかずじゃ、と宣ったハヌに、カレルさんはもっともらしく頷いた。

「……なるほど。確かにそうだな。では、こちらの保有する最高戦力をそちらへ送ろう。そちらも救護班と前後してすぐに到着するはずだ」

 そこで話はまとまり、カレルさんは事後処理があるためか、ではまたな、と言葉を残して通話を切った。

 カレルさんの言った『最高戦力』は、それからほとんど間を置かず、すぐに現れた。

 空から突然、蒼い炎の鳥が舞い降りたのだ。

「――ッ!?」

 ヴィリーさん以外の何者でもなかった。質量を持つ蒼い炎、それを以って〈フェニックスレイブ〉のように翼の大きな鳥を形作り、ここまで飛翔してきたのだろう。いきなり落雷みたいに降ってきたので、ちょっとビックリしてしまった。

「ヴィ、ヴィリー……さん……?」

 僕らから五メルトルほど離れた場所に稲妻のごとく着地したヴィリーさんは、しかし全身に纏った猛火を解除もせず、こちらを振り返る。

「――首謀者はどこ?」

 炎が鳥の形状を解き、火の勢いはやや小さくなったが戦闘態勢のまま――というヴィリーさんが、挨拶も抜きに硬い声で問うた。

 こちらを射抜くような深紅の瞳に慄いてしまって、僕は反射的にシグロスの方に視線を向けてしまう。

「そう……【そいつ】ね」

 全身から炎を放っているというのに、グラスの氷が擦れ合うような冷たい声で言って、ヴィリーさんは鋭い視線を瓦礫の塊に突き刺した。

「待ってください。迂闊に近寄るのは危険です」

 いざ歩き出そうとしたヴィリーさんを、冷静な声が呼び止めた。

 ロゼさんである。

「既に聞き及んでいるかもしれませんが、その男は〝神器保有者〟です。下手に近付けば、いくら同じ〝神器保有者〟でも【取り込まれる】危険があります」

「貴方……」

 冷静に言葉を紡ぐロゼさんが血だらけなせいだろう。ヴィリーさんは虚を突かれたように息を呑み、ロゼさんを見つめる。けれどすぐに眦を決し、硬質な声で聞き返した。

「――では、どうしろというの? 指をくわえて黙って見ていろとでも?」

 ヴィリーさんの体を覆う蒼炎が、彼女の心情を表すように大きく揺らめく。気が立っているのだ。戦闘がほぼ終わり、事態は収束しつつある。だけど、大勢の人が亡くなったのだ。その怒りが首謀者であるシグロスへ向けられるのは、至極当然の話だった。

 それこそ熱線のような視線を向けられたロゼさんは、しかし平然と答える。

「いいえ、そうではありません。見た限りでは、どうやら力を使い果たしているようにも見えます。ですが彼の場合、それが罠である可能性も捨てきれません。まずは確認が必要です」

「そう、確認ね。で? それはどうやってするのかしら?」

「私がやりましょう。一度戦っていますから、間合いもわかっています。……それに、聞きたいこともありますので」

「……聞きたいこと?」

 訝しげに顔を顰めた――それでも綺麗なのだから美人ってすごい――ヴィリーさんには応えず、自ら危険な役を買って出たロゼさんは、杖代わりの鉄棒を突いてシグロスに近づき始めた。

『大丈夫です。危ない真似はしません。どうか見ていてください』

 思わず制止の声を上げようとした僕の頭の中に、先んじてロゼさんの声が響いた。スイッチのリンクによる念話だ。僕の考えることはお見通しだ、とばかりに琥珀の瞳がこちらを一瞥する。

 何も言えなくなった僕の視線の先で、ロゼさんは瓦礫の塊となったシグロスから、二メルトル程離れた位置に立ち止まった。

「――足りない……食い足りない……もっとだ……もっと、もっと、もっと、もっと……もっともっともっともっと……食べて……飲んで……吸って……」

 さっきからずっと、何やら小声でブツブツ言っている醜悪なオブジェと化したシグロス。その姿を強いて例えるなら、瓦礫のベッドに食べられた男、とでも言おうか。仰向けになったシグロスの体の殆どが、瓦礫の寄せ集めとほとんど溶け合うように融合してしまっている。肩や二の腕、太股あたりはどうにか確認できるが、そこから先は完全に瓦礫と同化してしまっていている。背中も後頭部も気持ち悪いぐらいスムーズに融合していて、【どこからどこまでがシグロスなのか】、はっきりとわからないほどだった。

 普通に考えたなら、あの状態ではまともに動けないはずだ。それに、神器の力を使ってあの姿を解かないってことは、ロゼさんの言う通り力を使い果たしている可能性は高い。だけど、それでも楽観視できないのがシグロスという男だった。

「――貴方に聞きたいことがあります」

 少し離れているせいか、ロゼさんは声を張って瓦礫の男に話しかけた。

 途端、ぴたり、とシグロスの呟きが止まった。

 ライトブルーの瞳が左右まったく違う動きでグリグリと蠢き、ロゼさんの行方を捜す。やおら奴にとっては左方向にいるロゼさんを見つけ、蛇みたいな瞳孔に彼女の姿を映した。

 次に上がったのは、哄笑だった。

「クヒ――クハ、ハハハハハハ、アハハハハハ! ロルトリンゼェェェェ……!」

 嬉しくてたまらない、という風に、地獄の底から呼び掛けるかのごとくロゼさんの名を口にする。得も言えぬ光がライトブルーの双眸に宿り、鬼火のように輝いた。

 己自身が尋常ならざる状態のくせに、シグロスは余裕のある口調でロゼさんに語りかける。

「――なぁ、どんな気分だ? んん? そんな風に僕を見下ろす気分ってのは? ――おいおい、お行儀のいいロルトリンゼお嬢様さぁ? 父親を殺した仇が無様にも目の前に転がってるんだぜ? もっと嬉しそうな顔をしたらどうなんだい? ほら、さっきのあの綺麗な顔をもう一回見せてくれよ。怒りと憎悪に塗れた、滅茶苦茶【そそる】あの貌をさ……! ヒヒッ、イヒヒヒヒヒヒ、アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」

 好き勝手なことを言って下卑た笑い声を響かせるシグロスに、ロゼさんは無表情を貫く。むしろ、端で聞いているだけの僕の方が腸が煮えくりかえる思いだった。歯を食いしばって奴を睨み付けると、僕の右頬に触れているハヌの掌がすりすりと撫でるように動いた。

「落ち着くのじゃ、ラト。あやつの作戦かもしれぬ。己を見失ってはならぬぞ」

「……うん」

 ハヌに宥められて気持ちを落ち着かせると、ロゼさんとシグロスを見守るヴィリーさんが視界に入った。彼女もまた、嫌悪を隠さない目付きで瓦礫の塊を見据えている。既に鞘から抜き放たれている蒼い剣は、いつでもシグロスを斬れるよう切っ先を奴に向けていた。

「……私の声は聞こえていますか? そこに転がっている貴方に聞いています。私は、貴方に聞きたいことがあります、と言いました。今、貴方は質問に答えられますか?」

 ひどく冷静なロゼさんの声。ヴィリーさんみたいに凍えているわけでもなく、かといって柔らかくもない。ただただ、石膏のように堅苦しい声音。まるで、見ず知らずの他人に接しているかのような。

 これに対し、シグロスはつまらなさそうに鼻で笑う。

「――ハッ、お上品なことだなロルトリンゼ。何だよ、何が聞きたい? お前の父親を殺した時のことか? どんな情けない死に様だったか知りたいのか? それとも断末魔の悲鳴がどんなだったかとか? ああ、もしかして、お前の名前を何回呼んだか、とかかな? いやまぁろくに覚えてないんだけどな? ククッ……というかお前さ――クヒッ――虫けらをいつ、どうやって、何匹殺したとか、いちいち覚えてるか普通?」

 次第にくつくつと含み笑いを混ぜて重ねられる暴言に、流石に堪忍袋の緒が切れそうになった。

「あいつ……ッ!」

「いずれ沙汰を下す。それまでの辛抱じゃ、ラト……」

 流石のハヌも腹に据えかねてきたのか、僕を諭す声に力が籠もっている。見ると、蒼と金の目をすがめて、汚物でも見るかのような視線をシグロスに送っていた。

 そんな中、どこまでも平坦に、ロゼさんはその質問を口にした。



「貴方は、どこの誰ですか?」



 一瞬、時間が凍りついたかのようだった。

 場の空気が一変した。

 ――えっ……?

 これまでの全てをひっくり返してしまうような質問に、唖然とするしかない。

 ロゼさんは何を言っているのだろうか。

 質問の意図がさっぱりわからない。貴方はどこの誰って――そこにいるのは、シグロス・シュバインベルグのはずではないのか……?

 一拍遅れて、クハッ、とシグロスが吹き出した。

「……おいおいロルトリンゼお嬢さぁん? とうとう頭がイカレちまったかぁ? ああ? 全然おもしろくないぞ、その冗談? ――いやいや、それにしても意外じゃないか。お前みたいな真面目ちゃんが、この場面で冗談を飛ば――」

「冗談ではありません。心の底から聞いています。〝貴方は、どこの誰ですか〟――と」

 揶揄するシグロスの言葉を、ロゼさんは冷酷なほどバッサリ切り捨てた。

「どうやら貴方は、私の知っている〝シグロス・シュバインベルグ〟ではないようです。だから聞いています。――貴方は、どこの誰ですか?」

 ゆっくり含めるように、ロゼさんはその質問を繰り返した。

「は……?」

 ここまで来ると、流石にシグロスも混ぜっ返す気も失せたのか、何の芸も無く単調に聞き返すだけになる。表情がやや引き攣っているように見えるのは、きっと気のせいではあるまい。

 僕にはわかる。正真正銘、ロゼさんは本気であの問いを口にしている。冗談でも皮肉でもなく。

 あの他人行儀な口調は、気のせいではなかったのだ。ロゼさんは心底、あの瓦礫の塊をシグロスではない【他人】として扱っている。

「貴方はこれまで、何人を〝呑み込んだ〟のですか? 体内に取り込んだのは、私の父だけではないでしょう。何人……いえ、何十人と〝融合〟してきたのではないですか?」

 淡々と、ただ事実だけを指摘するように、ロゼさんは質問を重ねる。

「あなたの言動の乱れ。SBと融合する前の身体能力。不可解な点は多々ありますが、【そういうこと】なら納得がいきます。しかし――その結果、貴方の【シグロスだった部分】はどれほど残っているのですか? 今の貴方は、本当に〝シグロス・シュバインベルグ〟その人と言えるのでしょうか?」

 聞いた瞬間、思わず『なるほど』と唸ってしまいかけた。

 言動のおかしさについては元々の人格を知らない僕には何とも言えないけど、奴の身体能力については頷けるところがいくつもある。

 あの針金のような見た目からは想像もつかない格闘戦能力。ほんの一瞬の接触で僕の〝SEAL〟内の〈フレイボム〉の領域をクラックした上、ネイバー情報まで抜き出した情報処理能力。無数のSBと無秩序な融合しておきながら、柔軟に対応する適応能力。

 あれが複数の人間と融合して得た力だと言うなら、なるほど、得心が行く。僕はシグロス一人と戦っているつもりだったけれど、実際には複数の人間を同時に相手取っていたようなものだったのだ。

 それに、そういうことであれば、奴の尋常ではないしぶとさも理解できる。自分で言うのも何だが、僕の攻撃はシグロスを十回殺してもお釣りがくるほどのものだったはずだ。なのに、奴は今もこうして生きている。

 複数の肉体、複数の〝SEAL〟、複数の命を持つのならば、戦った時の手応え全てに筋が通るのだ。

「――あのさぁ、さっきから聞いてれば好き勝手言ってくれてるけど、アンタふざけてんのか? いい加減にしろよ。アタシは馬鹿にするのは好きだけど、馬鹿にされるのは大嫌いなんだよ」

 とうとう張り詰めた声で、【シグロスが】怒りを露わにした。

 淡い青色の瞳でロゼさんをじっと睨め付けるその姿には、自身の発言がおかしかったことに気付いている様子はない。

 気付いていないのだ。自分の口調がおかしくなっていることに。

「……元々、おかしいとは思っていたのです。シグロスが何故、父を殺し、〈コープスリサイクル〉を奪い、大勢の命を奪う暴挙にでたのか……」

 ロゼさんは静かに足を踏み出した。鉄棒を杖のように突いて、シグロスとの距離を縮めていく。

「確かに【あの人】は、何を考えているのかよくわからない人間でした。私は極力近付かないようにしていましたし、彼も私を避けているようでした。なにせ、私の前では一切術式を使わなかった程ですから。なのに……何故ですか? 何故、貴方は私にそこまで固執するのですか?」

 ロゼさんとシグロスの距離は約一メルトルまで狭まった。もしシグロスに力が残っていれば、何か仕掛けるには十分な間合いである。

「元々の貴方は、私にさほど興味はなかったはずです。それとも、あれは演技だったのですか? 本当は、心の底ではずっと、私に対し憎悪の念を抱いていたのですか?」

 恬淡でありながら、どこか訴えかけるような響きを交えた問いに、シグロスは退屈げな目付きをくれた。

「ああ、そうだな。お前の事は前々から気に喰わなかったぜ? いつも澄ました顔をして、一匹狼を気取っていたからな。いつかその綺麗な顔を滅茶苦茶にしてやろうって思っていたさ。まぁ勿論、それはもののついでだけどな。メインの目的はテメェの中にある神器と、その派生術式に決まってんだろ? ハッ――憎悪の念ってお前、ちょいと調子乗りすぎじゃねーの? お前がそれほど大した存在かよ。お嬢さん、勘違いも過ぎるとガチうぜぇから。引っ込んでろようっとうしい」

 もはや自身が置かれている状況すら理解できないのか。それとも、敢えて無視しているのか。追い詰められているにも関わらず、シグロスの発言は徹頭徹尾、上から目線だった。

「――では、父や私に特別な感情はなかったと? 単に、あなたが欲しいものを持っていたから、殺し、付け狙ったと……そういうことですか?」

「しつこいな、いい加減に――」

「残念ですね。やはり、貴方はもう〝シグロス・シュバインベルグ〟ではないようです」

 シグロスの返事を最後まで聞くことなく、ロゼさんは断言した。

「な……」

 意外なことに、シグロスが言葉を失ったようだった。目を見開き、愕然とロゼさんを見上げている。考えてみれば、他人から【自分自身であることを否定される】というなんて経験、普通はない。返す言葉がないのも、当然といえば当然かもしれなかった。

 ロゼさんは目を伏せ、深い溜息を吐いた。

「――質問を変えましょう。貴方は、自分の父親の名前を覚えていますか?」

 奇妙な問いだった。どうしてここで奴の父親のことが出てくるのだろうか。ロゼさんの真意が、未だによくわからない。

 シグロスはロゼさんを睨み、低く押し殺した声で言った。

「……そんなもの、お前に何の関係がある」

 さっきまでの威勢が嘘だったかのように、まるで拗ねた子供のような返答だった。

「もう覚えていないのでしょう?」

「関係ないと言っている」

 意固地な声に、ロゼさんはまた、そっと溜息を吐く。

「やはり覚えていないのですね」

「――黙れッ! お前には関係ないと言ってるだろうがッ! いい加減にしやがれ! テメェは俺をどうしたいんだ!?」

 ついにシグロスが激昂した。唾を飛ばして喚き散らし、ロゼさんに凄んでみせる。と言っても、体勢のせいか全く迫力はなかったのだけど。

 次にロゼさんが紡いだ言葉は、氷が軋む音のように、ひどく冷たく響いた。

「忘れているのなら思い出させてあげましょう。貴方の父親の名前は――【オーディス・ヴォルクリング】といいます」

「なっ――!?」

 真っ先に驚きの声を上げてしまったのは、僕だった。驚愕のあまり、堪らず喉が動いてしまったのだ。

 ――オーディス・ヴォルクリングって……え? ロゼさんのお父さんの名前……だよね……? え、でも……シグロスはシュバインベルグで……えっ? あ、あれ?

 僕が勝手に混乱する一方、シグロスとてロゼさんの言葉に衝撃を受けていないわけではなかった。彼は彫像と化したかのように硬直し、無言でロゼさんを見つめている。

 ややあってから、シグロスの口元が、へらっ、と緩まった。

「……おい……おいお前、頭は大丈夫か? 父親を殺されたショックでおかしくなっ」

「ですから、覚えていないのでしょう? こんな大事なことさえも。かつての貴方は――〝シグロス・シュバインベルグ〟だった貴方なら、この事実を知っているはずです。そして私が知っていることにも、気付いていたはずです」

 あくまでも冷静に、ただ厳然たる事実だけを並べ立てるように、ロゼさんは告げる。

「私とシグロスは、腹違いの兄妹です。事実、かつての貴方は――そう、少なくとも神器を保有するまでの貴方のフォトン・ブラッドは、【父や私と同じ色をしていたではありませんか】。もう、覚えていないとは思いますが」

「…………」

「シグロスは、父と血が繋がっていることを知っていましたし、だからこそ私の前では絶対に術式を使いませんでした。私もそれとなく気付きながらも、近寄ることはしませんでした。余計な衝突など不毛だと思っていましたし、一人でいるのは性に合っていましたから……だから『ヴォルクリング・サーカス』には所属しませんでしたし、他のメンバーも全てを察した上で私を誘おうとはしませんでした。またシグロスもどうやら、私が気付いていることに気付いていたようです。いつだったか、珍しく貴方が話しかけてきた時、貴方が私に言った言葉を覚えていますか?」

「…………」

「――『お嬢さんも、私に何も言ってくれないんですね』……です。あの時は意味が理解できませんでしたが、今ならなんとなくわかります。父もまた、シグロスに――いえ、義兄に、何も言わなかったのでしょうね……」

 シグロスを見つめるロゼさんの瞳に、憐憫の揺らぎが浮かんだ。どこか可哀想な生き物でも見るような、いっそ優しげな視線が、シグロスの顔を撫でる。

「――ですから、本物のシグロスが、父や私を憎んでいたというのなら……それは仕方のないことだと考えます。その末で父を殺し、私を辱めようというのなら……少なくとも、納得がいく話でした」

 もはや、シグロスは無反応だった。ひたすら愕然とした表情で、ロゼさんを凝視している。

 ロゼさんはそんなシグロスを見下ろし、父親の仇を相手にしているとは思えないほど静かな声で続ける。

「ですが、貴方は何故かこの事実を持ち出しませんでしたね? このことを突き付ければ、貴方は私をさらに傷つけることが出来たはずです。なのに、そうしなかった……それは何故ですか? もう貴方の中に、その記憶が残っていないからではないのですか?」

 きっと今、ロゼさんは心の中まで血だらけのはずだ。だってこんなの、人前でする話なんかじゃない。それを敢えて断行しているロゼさんの胸の奥は、今なお想像を絶する痛みに晒されているに違いないのだ。

「だから――私は問います。貴方はどこの誰なのですか、と。私が知っているシグロスとは思えない言動。常軌を逸した行為。自らの出生すら忘れている穴だらけの記憶。元の色から暗く濁ってしまったフォトン・ブラッド……もはや貴方がシグロスであることを証明する方が、難しい状態なのですから」

「……おい……やめろ……違うだろ……知らないぞ……俺は……」

 か弱い掠れ声が、ゆっくりと首を横に振るシグロスの喉から漏れた。それは、石山の隙間を風が通る音にも似ていた。

 ロゼさんは歩みを再開し、じっくり距離を削るようにシグロスへ近付く。

「そういえば、先程も言葉が乱れていましたね。一人称や二人称が支離滅裂です。神器の力の乱用と、ラグさんから受けたダメージで、自我の境界が曖昧になってきているのではありませんか?」

「違う……ふざけるな……捏造だ……そうだ……嘘だ……嘘だ! 嘘に決まってるッ!」

 互いの距離がほぼゼロになった時、シグロスが目を剥き、叩き付けるように叫んだ。

「ロルトリンゼェェェ! お前が言っていることはデタラメだ! 適当なことをほざくな! その程度で私を騙せると思ったか! 図に乗るなよこのクズが! 死ね! いいや殺す! 殺して喰ってやる! お前も取り込んで糧にしてやるぞッ!」

 またも口調が変わり、シグロスは瓦礫と一体化している肉体をそれでも無理に動かそうとして、無様に足掻く。

 首輪に繋がれた犬が吠えるがごとく口角泡を飛ばすシグロスに、ロゼさんは容赦なく【口撃】を加え続けた。

「今にして思えば、貴方は神器を手に入れた頃から人格が変わり始めていましたね。そう……あの時から既に、貴方は〝壊れ〟始めていたんです。残念なことです……本当に――」

 心の底から残念がるように、ぽつり、とロゼさんは呟いた。

「――まさか……父の仇が【もう存在しない】とは、思いもしませんでした……」

 その途端、怨嗟に塗れたシグロスの声が突き上がった。

「ロルトリンゼェェェ……! ふざけるなよ……! ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなァァァッ! 俺は俺だァッ! シグロス・シュバインベルグだッ! 融合のし過ぎで自我が不安定になっているだと!? この俺がか!? 舐めるなよクソ女が! 誰がアンタなんかと兄弟だ! そんなわけがあるかァッ! 妄想も大概にしろッ! そもそも、お前程度に好き勝手言われる筋合いはないんだよォッ!」

 これまで余裕や嘲弄の波動を漂わせて笑っていた男が、今や必死になって怒声を張り上げている。むしろシグロスが激情に駆られれば駆られるほど、奴の精神が追い詰められていることが露呈し、滑稽に見えてきた。負け犬の遠吠えという言葉がこれほど似つかわしい場面もそうはあるまい。

 噴き上がる炎のようなシグロスの怒罵に、ロゼさんはなおも鉄火面のごとき無表情を貫く。

「――ではさらに一つ、貴方に問いましょう。貴方が名乗っているその『シュバインベルグ』という姓は、どこから来たのですか?」

 ロゼさんがそう聞くと、ぴたり、とシグロスの動きが止まった。

「せめてもの情けです。選択問題にしてあげましょう。一番、貴方の母親の旧姓。二番、貴方の母親の再婚相手の姓。三番、貴方が独自につけた適当な姓。――さあ、どれですか?」

「――――。」

 シグロスは固まっている。脂汗を大量にかきながら薄い青の双眸を見開き、どうにか記憶の抽斗をひっくり返して答えを探しているようだった。

 愚かと言う他無かった。そうしている時点で、もう結果は出ているというのに。

 ロゼさんはこれみよがしに深い溜息を吐いた。

 続いた言葉は、冷たいと言うより、ただ無慈悲だった。



「貴方、本当にどこの誰なんですか?」



 その問いかけを最後に、ロゼさんはその場から一歩退いた。鉄棒を突き、踵を変え、シグロスに背中を向ける。

「――シグロスでない貴方に、用はありません。精々、自分の犯した罪に応じた罰を受けて下さい。それでは、さようなら」

 無感情に言い置くと、そのまま僕とハヌのいる方に向かってゆっくりと歩き出した。

 その背中に、身動きの取れないシグロスが声だけで追い縋る。

「ま、待て――待てっ! 待てよロルトリンゼッ!」

 焦りに満ちたその呼び掛けに、ロゼさんが一時、足を止めた。けれど、彼女は振り返ろうとはしない。ただ、立ち止まっただけだ。

 シグロスは苦渋に顔を歪ませ、視線を逸らし――やがて絞り出すように、

「……答えは……何だ……」

 プライドを捨て、教えを請うた。己自身のことを他人に問うという屈辱に、薄い唇が震えている。

 だけど、ロゼさんはにべもなかった。

「貴方が本当にシグロスなら、聞くまでもないことでしょう?」

「……!」

 痛烈な皮肉に、シグロスは声も出なかったらしい。愕然と引き攣った顔が、徐々に張り付いたような薄い笑みへと変貌していく。

「――そ、そうだ……俺は……いや、僕は……? シグロス・しゅばいんべるぐ……いや、私……? ち、違う、俺は――そう、オレは、オレで……自分は……しぐろす……いや、あいつが……?」

 ライトブルーの瞳から、悟性の光が消失していく。代わりに爛々とギラつき出したのは、狂気の輝き。再び、意味のわからない独り言をブツブツ呟き始め、自分一人の世界へと閉じこもっていく。

「……ああ、そうだ……あたしがシグロス・ヴォルクリ……違う……シュバイン……しゅば……? ううん、ロルトリンゼ……オーディス……?」

 そこまでボソボソと言ったかと思うと、突然、喉が張り裂けんほどの悲鳴をあげた。

「――ぁああああああああああッッ!! 違う! 違ううううッッ!! 俺は俺だァッ! シグロスだッ! シグロス・シュバインベルグだぁあああああ――――――――ッッ!!」

 自分自身に言い聞かせるように迸る絶叫を、ロゼさんは一顧だにせず、また嘲笑すらも浮かべず、背中越しにこう告げた。

「ええ。そう思うのならそうなのでしょう。――貴方の中では」

 今度こそ本当に、その言葉を最後にして、ロゼさんは歩みを再開した。よろめく足取りで、シグロスの傍から去っていく。

「待てぇぇぇぇ! 待てよォッ! じゃあ誰なんだよ!? 俺は一体どこの誰なんだよ!? ああッ!? テメェ知ってるんだろうが! 教えろォ! 教えろよォ――――――――ッッッ!!」

 喚き散らして狂乱するシグロスを完全に無視して、ロゼさんは後方に控えていたヴィリーさんに近寄る。

「見ての通り、あれだけ挑発しても何もしてきませんでした。ほぼ間違いなく、力を使い果たしていると見ていいでしょう。危険はありません。どうか、後をお願いいたします」

 偵察の結果を報告する斥候のように淡々と言って、軽く頭を下げた。

「………………わかったわ」

 やや長い、何か言いたげな沈黙の果てにヴィリーさんは頷いた。返事を受け取ったロゼさんはその横を通り過ぎ、再びこちらへ――僕とハヌのいる所へ歩いてくる。

 もうまともな言葉になっていないシグロスの喚き声を背景に、血塗れのロゼさんがゆっくり近付いてくる。何度も倒れてしまいそうになりながらも、足を引きずるようにして。

 だけど目の前まで来た瞬間、とうとう膝から崩れ落ちた。

「ッロゼさんっ!?」

「おおっと」

 体が動かない僕の代わりにハヌがさっと動いて、前のめりに倒れようとするロゼさんの身体を抱き止めた。手から離れた鉄棒が、カラン、と音を立てて地面に転がる。

 肉体の限界なんてとっくに超えていたのだろう。さっきまでのはっきりした滑舌が嘘だったかのように、ロゼさんは低く籠もった声でハヌに謝罪する。

「……もうしわけ、ありません……小竜姫……」

「かまわぬ。気にするでない……と、言いたい、ところ、じゃ、がっ……! わ、妾には、ちと、きつい、かも、しれん、のっ……!」

 涼しげに返そうとしたハヌの台詞の後半が、段々と力んだものへと変わっていく。受け止めたはいいが、ハヌの小さな身体では支えきれないのだろう。ましてや枯渇イグゾースト寸前なのだ。両手を広げた体勢でプルプルと震え、今にも一緒になって倒れてしまいそうになっている。

 こうなっては、僕も体が動かないからといって甘えて任せているわけにはいかない。

「ぐっ……!」

 僕は痛む身体に鞭打ち、膝立ちで移動する。ずりずりと膝小僧を擦りながら二人に近付き、ハヌの背中に覆いかぶさるようにしてロゼさんの両肩を抱き支えた。

 この時、全身の筋肉に鋭い痛みが駆け巡ったけど、意地でも声は漏らさなかった。

 目を開ける気力も尽きてしまったのか、ロゼさんが瞼を閉じたまま唇を動かす。

「……ありがとう、ございます……ラグさん……」

「い、いえ……で、でも、大丈夫ですか、ロゼさん? 傷はふさがっているみたいですが……」

「はい……おかげさまで……ですが、少々……神器の力を、使いすぎたようです……」

 ロゼさんの呼吸が大きく乱れている。両手に伝わる彼女の体温は熱く、まるで悪い病気にかかっているかのようだ。魘されているときの寝言のように、ロゼさんは俯いたまま囁く。

「……神器の、力は……使いすぎると……いけませんね……【彼】を見て……思い、しりました……」

 【彼】というのは言うまでもなく、シグロス――否、【シグロスだった人物】を指しているはずだ。僕は思わず件の人物の方を見てしまう。瓦礫と一体化して動けなくなっている彼は、今もなお、ロゼさんに対してありとあらゆる罵詈雑言を撒き散らしていた。

 不安と恐怖の裏返しなのだろう、と思う。自分が自分でない――これまで『自分』だと信じていたものが崩れ、根底から覆されていくというのは、どれほどの恐怖だろうか。自分で自分のことが信じられない……まるで足元にぽっかりと穴が空いたような――そんな感覚を想像して、背筋にぞっと怖気が走った。

 もしも僕が、『ラグディスハルト』という人間の人格と記憶を【被った】だけの偽物だったとしたら――?

 本当は別人なのに、自分を『ラグディスハルト』だと思い込んでいるだけだったとしたら――?

 想像するだに恐ろしい。ちょっと思い浮かべてみただけでも、その恐怖の片鱗を垣間見た気がする。

 自己同一性アイデンティティの崩壊。

 そんな、さっきまで泰然自若かつ天衣無縫だった人間が、ああやって錯乱するほどの恐怖を、ロゼさんはあの男に与えたのだ。

 だけど――

「――良かったん、ですか……? あれで……」

 思わず、そう聞いてしまった。

 父親の敵討ちだったはずだ。ロゼさんにとって、あそこにいる男は何度殺しても足りないほどの怨敵だったはずなのだ。それなのに、あれ以上のことをしなくてもいいのだろうか――と。

 僕の主語の曖昧な質問を、ロゼさんはちゃんと汲み取ってくれた。途切れ途切れに、答える。

「……はい……あれで、いいのです……私には、【彼】の命を……手にかけることが……どうしても、出来ません、から……ですから……代わりに、【心】を、と……これが、私なりの……〝復讐〟、です……」

 そう言いながら、ロゼさんはうっすらと瞼を開き、琥珀色の瞳を見せた。

「……〝自分〟を見失った、【彼】に……安寧は、ありません……それに……あの男は……罪を重ね、すぎました……もう、私の手には、負えません……それよりも……ありがとう、ございます……ラグさん……貴方の、力添えが無ければ……ハーキュリーズに、勝てませんでした……」

「そんな……僕は、仲間として当然の――」

「信じている……そう言ってくれた事……とても……嬉しかった……です……」

 僕の返事を聞き終える前に、ロゼさんは言葉を続けた。まるで、僕の声が聞こえていないかのようだ。

 そこに、より彼女に近い位置にいるハヌが質問を投げ掛ける。

「のう、ロルトリンゼ。一つ聞きたいのじゃが」

「……なんで、しょうか……」

 よく見てみると、ロゼさんの目は焦点を失い、虚ろだった。既に半分、意識が飛んでいるのかもしれない。

「答えたくなくば答えずともよいのじゃが――先程、おぬしがあやつに言ったこと。あれは結局、まことのことなのかの?」

 どうやらハヌも気になっていたらしい。

 ロゼさんとシグロスが異母兄弟であったこと。

 シグロスのフォトン・ブラッドが昔はロゼさんと同じマラカイトグリーンで、何かが原因でクロムグリーンに黒ずんでしまったこと。

 何より、シグロスが融合のし過ぎで昔の記憶を失ってしまったということ。

 何だか色々と唐突すぎて上手く呑み込めていないのは僕も同じで、さっきからずっと気になっていたのだ。

 肉体に受けたダメージのせいか、シグロスの精神は不安定な状態にあった。言葉遣いや人称がブレていたのは確かだけれど、だからといって、それが即『融合のし過ぎで自我の境界が曖昧になってしまった』という結論に達するのかどうかは、正直疑問が残る。

 もしかしてロゼさんは、情緒不安定なシグロスに付け込み、適当な嘘を吹き込むことによって精神的苦痛を与えたのではなかろうか?

 それはそれで一つの〝復讐〟の形だと思うので構わないのだけど、やっぱり真相が気になってしまう。

 僕とハヌの視線が集中する中、ロゼさんの唇がゆっくり動く。

「ああ……それですか……それは……」

「「それは……?」」

 僕とハヌの声が重なった瞬間、すうっ、とロゼさんの瞼が閉じられた。

 次いで、がくん、と首がうなだれ、長いアッシュグレイの髪がカーテンみたいに顔に覆いかぶさる。

 それっきり、動かない。

「…………」

 改めて確認するまでもなかった。気を失ったのだ。

 ロゼさんの身体を全身で抱き支えていたハヌが、首だけで僕の方を振り返った。くりんとした色違いの双眸と目が合う。ハヌは最初は少し驚いたような顔をしていたけど、すぐに、くふ、と笑って、未だ喚いている男の方を一瞥した。

「ふむ……流石に起きた後に改めて聞くのは無粋じゃのう……まぁ、仕方あるまい。聞いても詮無きことじゃ。この件は忘れるとするか。のう?」

 ラトもそう思うじゃろ? とハヌが猫みたいな目で見上げてくるので、僕も笑って頷いた。

「――うん、そうだね」

 ハヌの言う通り、ロゼさんが目覚めた後にこの話を蒸し返すのは、とても無神経な行為だと思う。ロゼさんの話が本当か嘘かはやっぱり気になるけれど、今回はいったん忘れた方がいいだろう。それに、ロゼさんは僕達の仲間――クラスタのメンバーになるのだ。いずれまた、真偽を聞ける時も来るかもしれない。

 などと考えていたら、不意に僕の胸に、とん、とハヌの後頭部が預けられた。

「――? ハヌ?」

 どうしたのだろう、と上から顔を覗き込むと、何のことは無い。ハヌもまた、瞼を閉じてスヤスヤと寝息を立てていた。

「……もしかして、寝てるの……?」

 前回は二発連続で〈エアリッパー〉を撃ったせいですごい顔色になっていたけど、今回は一発だったおかげか、普通に疲れて眠っているだけのようだった。

 安らかな寝顔を見た瞬間、何だかホッとしてしまった。

 張り詰めていた緊張の糸も、ふんわりと緩んでしまう。

 急激に身体にのしかかってきた疲労感に、僕は空に向かって、ふぅ、と息を吐いた。

 そうか、終わったんだ――とりあえず、戦いは。

 今更ながら、じんわりと震えが込み上げてくる。そうだ。一歩間違えれば、死んでいたかもしれないのだ。

 でも、どうにか生き残れたなぁ……よかったなぁ……などとぼんやり考えていたら、僕も少し眠たくなってきた。頭に靄がかかったみたいに、思考が朦朧としてくる。

 僕も、ハヌも、そしてロゼさんも。三人とも、みんなボロボロで、クタクタだった。

 ――おや? そういえば妙に静かだな、と思ってシグロスの方を見やると、あまりの五月蝿さにうんざりしたのだろう、ヴィリーさんが奴の口に剣の鞘をぶち込んで黙らせていた。

 もがき苦しんでいる呻き声が、遠く聞こえる。

 それを聞くともなしに聞いていると、段々、眠気が増してきた。

 肩から両手に伝わるロゼさんの体温と、胸元を暖かくするハヌのぬくもり。それらが何だか心地よくて、頭がくらくらして、ああ、もう、駄目だ――

 ぶつん、と糸が切れるみたいに、僕の意識も眠りに落っこちていく。

 ハヌを間に挟んだまま、僕はロゼさんの右肩に額を載せた。するとロゼさんの頭も僕の左肩に乗っかかり――僕らは三人でバランスを取って抱き合う形になる。

 瞼を閉じる直前、最後に、ヴィリーさんのいる方角から「まったく……本当に仲の良い子達ね……」という声が微笑の気配と共に聞こえてきたのは、果たして現実のことだったのか、夢の彼岸だったのか。



 何だか暖かくて、幸せな夢を見たような気がする。


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