リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●17 卑怯者―カワード―



 眩い光の中からゲートキーパーが具現化する。



『WWWWWWOOOOOOOOOOOOOOOOOOO――!!』



 具現化している最中にも関わらず、腹の底を揺るがす雄叫びを上げ、空間を引き裂き、世界にその身を捻り込むかのごとく怪物は顕現する。

 高熱を放つ褐色の装甲が大気を焦がし、しゅうしゅうと白い煙を立ち昇らせる。大きく強靭な両脚が力強く大地を踏みしめ、重厚な音が響いた。両目から放たれる輝きは、かつての青白いものではなく、ロゼのフォトン・ブラッドと同じマラカイトグリーン。

 そうして出現したのは、全長六メルトルにも達する、太古の英雄を模した機械型のSBだった。

 ルナティック・バベルにおいて史上最強と言っても過言ではないゲートキーパー。

 コンポーネントに刻印された真の名こそは――〝ハーキュリーズ〟。

『UUUUUWWWWWWWOOOOoooォォォオオオオオオオオオオオオオオオオ――!!!』

 轟く怒号が次第に、神器の力によって使役されたSB特有の音へと変化していく。

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 ついに完全再生を果たしたハーキュリーズは、さらに豪快な咆哮を上げ、ビリビリと大気を震わせた。その叫びに籠もっているのは、果たして再誕の喜びか。それとも眠りを妨げた愚か者に対する憤怒か。

 その威容は、全身から放たれる威圧感が物理的な力となって周囲の空間を捻じ伏せているかのようだった。風も無いのに土煙が立ち昇り、全身から放たれる陽炎によって周辺の風景が蜃気楼のごとく揺らめいている。

 右手には両刃の剣ブロードソード、左手には円形の盾ラウンドシールド。そして赤黒い鎧を纏った黒髪褐色肌の英雄の背中を、ロゼは万感の思いと共に見上げる。

 思っていた通りだ。ハンドラーとしてリンクしている今なら、心の底から確信できる。

 このゲートキーパーは、怪物中の怪物だ。

 胸の前に掲げた両掌の間にあるARのハンドル・コントローラー・アイコン。それと連動している〝SEAL〟にフィードバックされる情報量が半端ではない。流石は、神器の力で超過駆動オーバードライブさせた〈リサイクル〉でも再生できなかった難物だ。ロゼは言霊によるブーストでそこを無理矢理【こじ開けた】のだが、それだけに今は制御セッションの維持だけで精一杯だった。

 少しでも気を抜けばすぐに【持っていかれる】。下手にフィードバックを受け取れば、逆にこちらがハーキュリーズの影響を受けて暴走してしまいかねない。

 ――けれど、この程度……!

 常人では扱い切れないほど膨大な制御コマンドをロゼは全身全霊で捌ききる。今にも弾け飛んでしまいそうな手綱を力尽くで押さえ込む。

 負けるわけにはいかなかった。

 ロゼの父のみならず、己が目的の為に多くの人命を奪った男――シグロス。

 あの悪性の塊のような人間が、生きて再び地上に足を下ろす日が来てはならない。ここで、この浮遊島で、確実に息の根を止めなければならない。

 その為に、自分はここにいるのだ――!

「――ブレイクシール!」

 裂帛の気合と共に、ロゼはハーキュリーズに設定されている封印解除のコマンドを叫んだ。

『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――!!』

 ハーキュリーズの体表でマラカイトグリーンの輝紋が光を放ち、電子音声が生まれる。分厚い胸板の前に、比率的には笑えるほど小さなアイコンが灯る。

『POWER UP』

 もはや遠慮も手加減もいらない。

『SPEED UP』

 当然、慈悲も無い。

『DEFENSE UP』

 初っ端から全力全開だ。

『ARMS EXPANSION』

 奴を倒す。それだけに全てが集約される。

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォ――!!』

 吼えるハーキュリーズの両肩と両脇から新たな腕が生え出た。続けてそれら腕の先に槍、斧、棍棒、ブラスナックルが出現する。既に持っていた盾からはスパイクが飛び出し、攻撃力、防御力、速度の上昇に加えて、六本の腕と武器を持つ怪物が誕生した。

 モード・ターミネーター。

 元来からハーキュリーズに設計されている最終形態。目の前の全てを打ち砕く、破壊の化身にも等しい姿。

 さらに、

「〈リインフォース〉!」

 ロゼはオリジナル術式を発動。神器〝超力エクセル〟から作成した術式は、己が使役するSBに更なる強化の力を与える。

 ハーキュリーズの全身をマラカイトグリーンの装甲が覆った。剣、槍、斧、スパイクシールドはそれぞれの刃が伸長し、棍棒はさらに太さを増し、ブラスナックルは打撃部の面積が広がる。

 身体強化に、形態変化。そこに装甲強化と武器強化が加わった。

 今や眼前に立つ巨人に勝る存在などいない――そうロゼは断言できる。ただでさえ強大な力を持つ存在を、己の神器由来の術式で強化したのだ。今のハーキュリーズなら、かつてのベオウルフにも負けはしないだろう。

 故に、シグロスとて例外では無い。

『へえ』

 近付いてきたシグロスの、ハーキュリーズを見た第一声がこれだった。

 隠す気もない嘲笑の波動。己の優位性を微塵も疑っていない。窮鼠猫を噛む――だが畢竟、猫に勝てる鼠など存在しない。一矢報いた後、無残に殺され喰われるのが末路だ。奴はそう思っている。

『何かと思ったらそういうことかなるほどなぁそのゲートキーパーをあてにしてこの浮遊都市まで来たのかお前』

 いくつものSBの特徴が混じり合った醜悪な異形が、息継ぎも無く一気に喋る。せせら笑うその声に、ロゼは返す言葉を持たない。

 先に話し合いを放棄したのは、シグロスの方なのだから。

「――アタック!」

『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオォ――!』

 ロゼのコマンドに応じたハーキュリーズが鬨の声をあげ、地響きと共に駆け出した。六本の腕が広がり、それぞれの武器が陽光を鋭く反射する。

 巨体に見合わない猛スピードで接近するハーキュリーズは全長六メルトル。対するキメラSBのシグロスは四メルトル。比率としては大人が子供に襲いかかるようなものだが、シグロスにもその劣勢はわかっていたのだろう。

『〈ミングルフュージョン〉』

 突如、キメラSBの表面にクロムグリーンのラインが駆け巡り――体が【膨張】した。

 さらにコンポーネントを追加して、融合したのだ。

 シグロスの全身がスライムのようにうねりながら一挙に七メルトル近くまで膨れ上がり、どことなく現在のハーキュリーズに似た形状へと変化する。

 ベースはトロル。ずんぐりむっくりした体のあちこちから突き出た色の違う八本の腕。おそらくは亜人型のそれらには、剣、槍、斧、棍棒、モーニングスター、ハンマー、曲刀、鎌が握られている。下半身は白金に輝く八本足の馬――チョコレート・マウンテンに現れる〝スレイプニール〟の首から下だった。全て従来のサイズの何倍もある。

 くは、とトロルの顔が醜く歪んだ。

『何しても無駄だよロルトリンゼお前は俺に勝てっこない昔からそうだっ――』

 ただろう? と続くはずだった言葉を、

「昔はそうだったかもしれない」

 終わり際に声を被せて、ロゼはシグロスの語尾を遮った。

「でも――」

 突撃するハーキュリーズの背中越しにシグロスの姿を見据え、今にも正気を失ってしまいかねない量のコマンドを制御しながら、ロゼは力強く断言する。

「――【今】もそうだとは限らないっ!」

 ハーキュリーズとシグロスとの相対距離がほぼゼロになった。

『――オオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 刹那、瀑布が飛沫を散らすがごとく無数の光が虚空に閃いた。

 時の流れが凍ったように思えたのは、錯覚だっただろうか。

 時間そのものが切り裂かれたかのようだった。

 一瞬で何十と輝いた光が全てハーキュリーズの攻撃だったと、使役しているロゼでさえすぐに理解できなかった。

 思い出したように大気が破裂して、音速を超えた動きに水蒸気が爆発した。

『――な……!?』

 心の底から驚愕しているシグロスの声など、ロゼは初めて耳にした。

 シグロスの全身はとうに八つ裂きにされていた。否、【八つ】などではない。十を超えるパーツに切り裂かれ、一部は棍棒とブラスナックルの打撃によって吹き飛び、一部はスパイクシールドの棘に突き刺さって【持って行かれていた】。

『……ああああああああああAAAAAAAHHHHHH――!?』

 自らの状態を認識したシグロスの喉から――否、首も切断されているため本来なら出せるはずのない奇怪な悲鳴が上がる。

 まるで予想だにしていなかったのだろう。

 自分が追い詰められることなど。ましてや、【負けるかもしれない】、などとは。

 ロゼは内心で彼を蔑む。ハーキュリーズと似たような姿をとって、それだけで互角に戦えるとでも思ったのか。どうせろくに知りもしなかったのだろう。大した事がないと高を括って調べもしなかったのだろう。このゲートキーパーがどれほど規格外の存在なのか。その傲慢、その侮りこそがお前の敗因なのだ――と。

『――ッざけるなよロルトリンゼェ!』

 神器の力だろう。なます斬りにされたシグロスの全身がさらに膨張し、残ったパーツだけでもと再融合し修復されていく。奴の体内にあるコンポーネントは、まだ尽きていないのだ。

 しかし、

『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 そんなことは先刻承知の上だ。

 ハーキュリーズの真髄は、実は堅固な装甲でも強烈な破壊力でも六本の腕による手数の多さでもない。

 速度だ。あのベオウルフが強化係数を数百倍以上に引き上げてなお、ハーキュリーズは彼と互角のスピードで戦っていた。速すぎて閃光にしか見えない斬撃こそが、このゲートキーパーの一番恐ろしいところなのだ。

 斬られた箇所をすぐさま再結合して修復する端から、反射光でしか動きを追えないハーキュリーズの攻撃がシグロスの巨体を断裂し、打ち砕いていく。シグロスとて全力で再生を試みているのだろうが、わずかに追い付いていない。まるで巨人が大きすぎるゼリーを切り刻んでいるかのごとき様相だが、じりじりと確実にキメラSBの体が削られていく。

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 ハーキュリーズが雄叫びを上げ、両眼からマラカイトグリーンの光を強く放った。さらに六本腕の回転速度が上がる。攻撃術式かと見紛うばかりに完璧な統制のとれた連続攻撃。豪風を巻き起こし陽光を反射する武器の煌めきはまさしく流星雨だ。

『うああああああああAAAAAアアアアアあああアアアAAAAAAAAA――!?』

 次第にシグロスの再生が追い付かなくなる。あられもなく情けない悲鳴を上げて、キメラSBの体積が徐々に減っていく。

 ――勝った。

 頭のどこかで、ひどく冷静に、ロゼはそう確信した。

 あの男の体内にどれだけのコンポーネントが蓄えられているは知らない。知る必要も無い。どれだけ数を揃えていようが、必ずハーキュリーズがその全てを削り取る。

 もはや形勢は確定した。後はこのまま、ただシグロスを【殺しきる】のみ――



『――なーんちゃってな?』



「――!?」

 切り刻まれている最中、一体どこから出しているのか、実にふざけた声が周囲に響き渡った。

 さっきまでの焦燥が嘘かのように明るく、軽い声だった。

 今なおズタズタにされているキメラSBの背中から、ぺっ、と人間大の塊が足元に弾き出された。粘つく液体の塊だったそれは、地面に転がりながら変化し、やがて人の形をとる。

 膝を突いて止まった姿は、大きさシルエットからして、間違いなくシグロスの【本体】だった。どういうつもりか、自ら生成した融合SBから抜け出したのだ。

 途端、核を失ったトロルベースのキメラSBが、ハーキュリーズの嵐のごとき連撃によって爆散した。とろみのある液体として弾け飛ぶが、すぐに情報具現化が解け、活動停止シャットダウンと同じプロセスで消失していく。

「いやぁ、すごいじゃないかロルトリンゼ。驚いたよ。こいつは予想外だ。いいものを持ってるじゃないか」

 右手でオリーブグリーンの制帽を押さえ、左手を路面について屈んでいるシグロスの表情は、実に軽薄だった。ライトブルーの瞳に好奇心の光を湛え、じっとハーキュリーズを見つめている。

「よく考えたよ。俺はまだゲートキーパーは吸収できない。しかもそいつは吃驚するぐらいの高性能で、お前の神器術式でダメ押しの強化付きときた」

 体についた土汚れを払いながら立ち上がり、いっそ爽やかな笑顔さえ浮かべて、シグロスはロゼを称賛する。

「俺も調子に乗りすぎたかな。危ないところだったよ。というか、おかげで一気に頭が冷えた」

 右の人差し指で側頭部をトントンと突き、くは、とシグロスは笑う。その顔には確かに、先程までの狂熱は感じられない。だがそれは――獲物を嬲ることを止めた、捕食者の表情でしかなかった。

「流石に調査不足は否めないな。そいつのことを知っていたら、俺ももう少し慎重に事を進めたんだけど――いや、【まぁいいか】。なぁに、【報酬が一つ増えたと思えば儲けものじゃないか】。なぁロルトリンゼ、そいつも俺にくれるんだよな?」

「――ッ!」

 口が減らないとは正にこのことだった。どこまでも調子の良いことをほざくシグロスに、ロゼは容赦なくハーキュリーズを差し向けた。

『オオオオオオオオオオオオオオッ!』

 前へ一歩。ハーキュリーズの巨体であればそれだけで間合いを詰められる。六本の武器が唸りを上げ、雷霆のごとく足元のシグロスへ叩き込まれた。

 しかしシグロスは時間差で襲い掛かる六重の攻撃を、風に吹かれる狼煙のようにひらりとかわした。川面を跳ねる石よろしく素早く飛び退り、一息で間合いの外へと逃げる。

 軽快にステップを踏みハーキュリーズとの距離を離しながら、シグロスは楽しげに語る。

「話ぐらい聞けよロルトリンゼ。いくらお前のゲートキーパーが速くても、逃げの一手に徹すればまだ何とかなるさ。なぁロルトリンゼ。俺の〈ミングルフュージョン〉は図体をでかくすればするほど、パワーが大きくなって鈍重になる。そういう意味ではお前の戦術は本当に良いところを突いてたよ」

 ロゼとて他人のことは言えないが、シグロスはとてもハンドラーとは思えない身のこなしで跳躍し、傍らの二階建ての屋根上に飛び乗った。

「けれどな? 図体が大きければ遅くなるけど、逆に小さく――そう、小さくだ。濃密に凝縮してやったらどうなると思う?」

 意味ありげに、シグロスは不気味な笑みを浮かべる。キメラSBと化していた時と違って、枯れ枝のように細い腕。その先の掌に、なにやら黒い球体が握られていた。

 黒曜石のように鋭く日光を照り返す、漆黒の水晶。大きさは情報具現化コンポーネントとほぼ同じだが、見るからに密度が違う。情報密度が高すぎて、外殻が物質化しているのだ。

 ――ぞくり、とロゼの背筋に悪寒が走った。

「!? それは……!」

 ハンドラーであれば知らないはずが無い。半物質化したコンポーネントなどという代物は、世界中を探してもそうは見つからない。

 そう、あれは――

 ――将星類ジェネラルドラゴンのコンポーネント……!

 数多くあるSBの種類の中でも、一際精彩を放つのが幻想種ドラゴンだ。『下兵類トルーパー』と呼称される身体の小さいレッサードラゴンでも各遺跡のゲートキーパーに次ぐ力を持ち、最上級の皇帝類カイゼルに至っては、倒したという記録が『伝説』の中にしか存在しない。

 中でも、人の手によって倒された公式記録があり、さらに半物質化するほど濃密なコンポーネントから成ると判明しているのが、『将星類ジェネラル』と呼ばれるクラスのドラゴンだった。

 もはやその力はSBでありながらゲートキーパーに勝るとも劣らず、その上多くの下兵類ドラゴンを率いて現れるため、討伐は至難と言われている。

 現在、公式に記録されている将星類の討伐数は七。〝星石〟とも呼ばれるそのコンポーネントは国宝級の扱いを受け、全てが各国の博物館や国庫に保管されている。無論、その背景に多くの戦士の犠牲があったのは言うまでもない。

 そんな物が何故、シグロスの手にあるのか。想像もしていなかった事態に、ロゼは動揺を隠せなかった。

「何だ、切り札を持っているのが自分だけだと思っていたのかお前? 馬鹿だなぁ、本当に馬鹿だなぁ。ちょっと考えればわかるだろう? 俺だって同じ〝神器保有者〟相手に無策で突っ掛かったりなんかしないさ。当然、それなりの準備ぐらいしてるに決まってるだろ?」

「……そんなものを、どこで手に入れたのですか」

「はははは、ロルトリンゼ、やっぱりお前は優等生だなぁ。いいか、良いことを教えてやるよ――〈ミングルフュージョン〉」

 シグロスは己の神器術式を発動させ、漆黒の星石を体内に取り込んだ。そう、ドラゴンはゲートキーパーではなく、あくまでSBの一種。その為、今のシグロスの術式でも理論上は融合が可能なのだ。

 ふと、シグロスの姿が掻き消えた。

 かと思えば、突然目の前に現れた。

「ッ!?」

 瞬間移動のような速度だった。

 驚きに身を硬くしたロゼの顔の、ほんの数セントル先にシグロスがいた。〈ミングルフュージョン〉の効果で顔の右半分が黒い甲殻のようなものに覆われ、両目が赤熱した鉄のように輝いている。半分だけでもわかるほど邪悪な笑みが、息がかかりそうな至近からロゼを見つめ、馬鹿にするようにこう囁いた。

「悪いことをするとな、正しさ以外なら何でも手に入るんだよ」

 くは、と笑ったその声に、驚きで埋め尽くされていたロゼの頭が我を取り戻した。

「――ハーキュリーズ!」

『オオオオッ!』

 その場から大きく飛び退くと同時に攻撃コマンドを送信。六本腕の英雄が即応して、振り返りざまシグロスめがけて槍を投擲した。

 閃光が煌めき、爆音が轟いた。唸りを上げて飛来した巨大な槍が地面を抉り、破裂させたのだ。しかし、直撃する寸前、シグロスの姿が再び消えるのをロゼは見た。

 ――どこだ、どこにいった……!?

 もうもうと広がる土煙の中、ハーキュリーズのセンサーも総動員して行方を捜す。

「――お前のゲートキーパーはでかくて強い。普通じゃ敵わない。なら俺は、小さく鋭くなるしかない。簡単な理屈だろ? とはいえ、出来れば【コレ】は使いたくなかったんだけどな。〝SEAL〟のプロパティがグチャグチャになるから、後が大変なんだよ」

 驚くべきことに、声は背後からした。速すぎる。信じられない速度でシグロスは動いている。

「――!」

 そう認識してからのロゼの決断は早かった。ハーキュリーズとのリンクにおいて、自身の制御率をぐんと下げる。例えるなら、手綱から片手を離したようなものだ。その結果、ハーキュリーズの自律行動の度合いは高まり、動きの殆どがロゼのコントロールから離れた。しかし、これでいい。今のシグロスの動きはもうロゼには知覚できない。ならば、知覚できる奴に処理を丸投げしてしまえばいい。

『ウォオ――オオオオオオオオオオオッッ!!』

 ハーキュリーズの咆吼がさらに力強くなった。セミオートで稼働するゲートキーパーは内蔵FCSを駆使して敵の姿を探し求める。ロゼはそのフィードバックだけを受け取る。

 見つけた。

 ハーキュリーズにとってのマスター、つまりロゼの後方、十一時の方向五メルトル。巨人の足なら三歩で殺せる距離だ。

 今やハーキュリーズはセンサーで得た情報をマスターであるロゼの〝SEAL〟を介さず、直接処理している。コンマ数セカドの違いだが、高速の世界ではそこが勝負の分かれ目となる。

『オオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 まず一歩を踏み出し、斧と棍棒を投擲した。センサーで感知した敵影を左右から挟むように。これで退路を二つ塞いだ。相手はこちらへ向かってくるか、さらに遠のくしか選択肢が無い。

 なればこそ、とさらにスパイクシールドを相手にとっての後背へ投げつけた。これで三方が潰れる。敵はその場に立ち尽くすか、真正面から突出して戦うしかない。

 ハーキュリーズの戦術回路ではどちらでも構わないと判断したのだろう。あと二歩で距離を詰め、右腕の両刃剣で叩き斬る。それだけなのだから。

 投げた三種の武具が彗星のごとく地面へ突き刺さり、派手な土煙を巻き上げた。

 大きすぎる歩幅でマスターの頭上を飛び越え、巨体からは想像もつかない猛スピードで二歩分の間合いを消し、ハーキュリーズは剣を大きく振りかぶった。

『オオオオッッッ!』

 神速。夜明けの一条が空を切り裂くように、大上段からの振り下ろしが土煙の中にいるシグロスへと叩きつけられた。

 金属音。

 ナイフで金属ボルトを斬りつけたような、ガギン、という硬い音がロゼの鼓膜を不快に引っかいた。

「な――!?」

 ――止められた……!? 【あの】斬撃を……!?

 過日、クラスタ『スーパーノヴァ』のメンバーが装備していた一級品の鎧をバターのように切り裂いた光景は、映像を見ただけのロゼでもよく覚えている。それほど印象的だった。支援術式によって強化していたベオウルフの〈大断刀〉ならいざ知らず、それ以外にハーキュリーズの剣を受け止めるものなど存在しないと錯覚すらしていた。

 土煙が晴れ――果たして必殺の一撃を受け止めた男の姿が現れる。

 別人かと思うほど、変貌したシグロスがそこにはいた。

 先程のキメラSBと違い、サイズはあまり変わっていない。とはいえ、それでも全体で五〇セントルほどは身長が伸びているだろうか。

 一見では、漆黒の全身鎧を纏った騎士のように見えた。頭の天辺から足の爪先までが、光を吸い込む色の甲殻に隙間無く覆われている。その内部にあるのもまた、元の学者然としていた痩身ではなく、筋骨隆々とした偉丈夫だった。

 そんな巨漢が、頭上で両腕を交差させ、ハーキュリーズの剣を真っ向から受け止めていた。手甲と思しき部分に入った細かな罅と、地面にめり込んだ両足とが、その威力の程を物語っている。

「――あれは……」

 艶の無い黒の甲殻で形成された全身鎧に、どことなく見覚えがある。甲殻の形状、パターン――そう、ロゼの記憶に間違いが無ければ、あれは将星類ドラゴンの一種〝蟲竜インセクト・ドラゴン〟に雰囲気がよく似ている。

 否、その予想はおそらく間違っていないのだ。シグロスは将星類ドラゴンの星石を体内に取り込み、融合したのだから。つまりはそういうことだ。しかし、それにしてはあの【サイズ】は何なのか。

 小さく鋭く、濃密に凝縮する――確かシグロスはそう語っていた。将星類のインセクト・ドラゴンともなると、全長三〇メルトルは下らないはずだ。なるほどつまり、その力を全て、あのサイズに濃縮させたというのか。

 ただでさえ神器による融合は未知の部分が多い。このような運用がどういった効果を生むのか、ロゼには全く予想がつかなかった。

「おいおいロルトリンゼ。俺が言うものなんだけどな、こいつは【チート】って奴じゃあないのか? この図体でここまで動ける上、この馬鹿げた威力――やってくれたよ。硬さには自信があったんだけどな。少しヒヤっとしたぜ。いや本当にこんな化け物――【手に入れるのが楽しみでしょうがないじゃないか】」

 竜と人の融合体――〝竜人〟とでも呼ぶべき姿のシグロスが、にたぁ、と生々しくもいやらしい笑みを浮かべた。頭を覆っているのは、蟲竜の顔を模したフルフェイスの兜などではなかった。正真正銘、甲殻に覆われ変化したシグロスの顔そのものだったのだ。

 赤い目を仄暗く光らせて、竜人が交差させた腕に力を込める。艶の無い甲殻の表面を、クロムグリーンの幾何学模様が駆け巡る。まさしく、全身鎧に見える甲殻でさえ、シグロスの体の一部なのだ。

 拮抗している。あの巨人と。いや、それどころか上方から体重を掛けているはずのハーキュリーズの剣を、わずかずつだが押し返していく。例え人間大であっても、あの肉体には確かに将星類の凄まじい力が凝縮されているのだ。

 手甲――否、腕の甲殻に入っていた罅が消えていく。再生しているのだ。竜人の全身から溢れんばかりの術力を、ロゼは感じた。なにせ将星類ドラゴンを丸ごと一匹だ。膂力だけでなく、フォトン・ブラッドにも何かしら変化が出ていると見るべきだった。

「――LLLUUUOOOOOOOOOOO……!」

 シグロスが異形の喉から人外の声を漏らし、少しずつ、少しずつ、打ち下ろした剣が押し上げていく。

 だが、ハーキュリーズにそれを黙って見ている理由はない。

『――ォオオオオオオオオオオッ!』

 剣とブラスナックル、それしか無くなってしまった六本腕の先に、新たな武器が具現化する。投擲したものの具現化を解き、再生成したのだ。

 残り五本の腕にしっかと握られた武器が、眼下の竜人へ一斉に襲いかかる。

 風を裂いて迫る五手同時攻撃が炸裂する瞬間、シグロスの全身から、カッ、とクロムグリーンの輝きが強く迸った。

「――!」

 これまでハーキュリーズの攻撃を見ていたせいか少しは眼が慣れてきたらしく、そのおかげでロゼは刹那の攻防を視認することが出来た。

 とにかく高速だったが、まずシグロスの背中から三対の薄い翅のようなものが飛び出したことはわかった。半透明のそれが上空から降り注ぐ攻撃に対して半球状の防御膜となり、曲面上を滑らせることによって威力を受け流した。次いで、仄かに七色に光を反射する翅が大きく広がり、シグロスが溜め込んだ力を一気に爆発させるような形でハーキュリーズの剣を弾き飛ばした。

 そこから以降は、展開が速すぎてやはりロゼには見ていることしか出来なかった。

 ハーキュリーズの半分もない身長のシグロスが跳躍――否、背中の翅で飛翔した。漆黒の四肢にクロムグリーンの光が集中し、ロゼの使用する〈烈迅爪〉や〈裂砕牙〉にも似た格闘武装が形作られる。だが、それぞれのリーチはかなり長い。手足の先端から二メルトル以上はあった。

 空中のシグロスがぐっと身を撓め――

 激しい打ち合いが始まった。

『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――!!』

「LLLLLUUUAAAAAAAAAAAAAAAAA――!!」

 ハーキュリーズもシグロスも共に鋭い雄叫びを上げ、全身を駆使して各々の武器を振るった。高密度の金属同士が連続で激突し合い、尖った音が雨音のように幾重にも連なり響き合う。

 何百発もの花火を同時に打ち上げたような音と衝撃が大気を震わせた。

 速い。もはや細かい動きはロゼの目では追えない。ただ両者の間でハーキュリーズの武器の銀、シグロスの四肢のクロムグリーン、互いの衝突によって生じる火花の朱が弾けて消えていく光景しか目に入らなかった。

 信じがたいことに将星類と融合したシグロスは、機甲化したハーキュリーズと互角に渡り合っていた。

 薄い三対の翅で宙に浮いている状態でありながら、ハーキュリーズの連撃に吹き飛ばされることなく真っ向から迎え撃っている。岩を削るような耳障りな音がずっと響いているが、シグロスの甲殻はまるで傷付いていない。

 あれではまるで、映像で見たベオウルフと同じだ。

 たった一人、巨大なゲートキーパーと対峙し、対等以上に鬩ぎ合う――それがどこか、紫色の戦闘ジャケットを着た少年の姿と被って見えた。

 しかし、ロゼの中に恐れはない。何故なら――

 一髪千鈞を引く生死のやりとりの中、十セカドにも満たない時間で千合以上も打ち合った両者だったが、

『オオオオオオオオオッッ!』

 咆吼一閃、踏み込み深く、ハーキュリーズの斧が全身ごと叩き込まれた。これには流石にシグロスも弾き返せず、まともに受けてしまう。

「!!」

 十字交差させた腕で猛烈な衝撃に一瞬だけ持ちこたえるが、次の瞬間、張り詰めた糸が切れたように吹っ飛んだ。

 が、その最中に竜人は体の至る所からクロムグリーンに輝く矢を放った。術式ではなくインセクト・ドラゴンとしての能力として撃ち出されたフォトン・ブラッドの矢は、優に五〇本を超えていた。その全てが空中で軌道を修正し、捻れた残光を曳きながら吸い込まれるようにハーキュリーズへ殺到する。

 着弾した。

『――ッオオオオオ!』

 全力で武器を振るった直後ではさしものハーキュリーズも対応出来なかった。為す術もなく全ての矢が全身に突き刺さり、衝撃と共に爆ぜた。

 遅れて竜人が斜めに突き刺さるようにして大地へ叩き付けられる。そのまま大量の噴煙を撒き散らしながら地面を滑った。路面を抉り、長い爪痕を刻みながら慣性を使い切るまで転がり続け、果てには通りの端にある建物へ激突して諸共に爆発する。

 巻き込まれた周囲の建物もまとめて崩れ落ちた。

 互いに煙に巻かれた両者だったが、最初に姿を現したのはやはりハーキュリーズだった。

『ウオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』

 我ここに在り――そう叫ぶ彼の姿は全くの無傷。

 元より堅牢な装甲をロゼの〈リインフォース〉によって更に厚くしてある。かつてハーキュリーズの身体が傷つけられたのは、ベオウルフによる重複〈フレイボム〉と、神業のように連鎖した〈ドリルブレイク〉の先端のみ。それとて、今の機甲ハーキュリーズに通用するかどうか。

 一方、シグロスはというと――

 うずたかく積もった瓦礫の山が爆散して、中から半透明の翅を拡げた竜人が飛び出した。先程の攻防では気付かなかったが、振動する三対の翅から、ヴヴヴヴ……、と羽虫特有の音が生まれている。

「おいおいおいおいおいおいおいおい……こいつは質の悪い冗談だ。ロルトリンゼ、まさかと思うがお前、俺より先に悪魔と契約して魂でも売ったのか? 有り得ないだろ、こいつは」

 地面から五〇セントルほどの高さに滞空する竜人には、しかし先程までの威勢はなかった。心なしか、声にも危機感が滲んでいる気がする。

 どうやらあちらにも傷はない。あったとしても再生したのだろう。ただ、体のあちこちが土に汚れ、全体的にみすぼらしい姿となっていた。

 そんなシグロスに、ロゼは感情を見せない声音で告げる。

「あなたに勝機はありません、シグロス・シュバインベルグ。このハーキュリーズには一対一であれば、皇帝類すら打倒し得る力があります」

 ここまで来れば、彼にも彼我の力量差はわかっていることだろう。故に、ロゼはただ事実だけを述べればいい。

「あなたも私も〝神器保有者〟。しかし、所有する手駒は将星類ドラゴンの星石と、皇帝類に匹敵するゲートキーパー。あなたもハンドラーならわかるでしょう。この差は歴然です」

 シグロスの持つ漆黒の星石は確かに予想外ではあったが、盤面をひっくり返すには足りなかった。むしろロゼの方こそ、シグロスが何をしてこようとも揺るがない力を求めて、この浮遊島へ来たのだ。そして、その目論見は見事に結実し、今や父の仇へ手が届きつつある。

「もはや雌雄は決しました。今更、大人しくしろとも諦めろとも言いません。ただあなたは殺しすぎました。報いの時が来ただけです」

 ここまで来られたのは、なにも自分一人だけの力ではない。今も背後で自分を見守ってくれているだろう少年、ベオウルフ――否、ラグディスハルト。彼が力を貸してくれたからこそ、シグロスの挑発によって熱く煮えたぎっていた頭は冷静になり、悲願としていたハーキュリーズの力が手に入った。

 ロゼの胸の裡に、温かい水のような思いが満ちていく。

 ――仲間だと言ってくれた。自分は彼をたぶらかそうとした上、差し伸べてくれた手を何度も何度も振り払ったのに――それでも仲間だと言ってくれた。ひたむきに、真摯に。己が自覚すらしていなかったSOSに気付いてくれた。独断専行した自分を、心配して助けに来てくれた。

 彼がいなければ、自分は今頃シグロスに何もかもを奪われ、殺されていたに違いない。それだけは確信できる。

 だから今は、心の中に感謝の念しかない。

 不思議な気分だった。父の仇であり、大勢の命を奪った男をこれから裁くというのに、自分でも驚くほど心の水面が凪いでいる。こんな気持ちは初めてだった。

「――オープン・オール・インブレッシャーズ」

 胸の前、両掌の狭間にあるコントローラーに、ハーキュリーズへの最終コマンドを入力する。

 ゲートキーパーには必ずと言っていいほど、〝奥の手〟が用意されている。最近確認されたゲートキーパーで言えば、ボックスコングのローリングラリアット、海竜型ゲートキーパーのタイダルウェイブなどがそれに当たるだろう。

 当然、エクスプローラーからヘラクレスと呼称されていたこの破格のゲートキーパーにも、それは設定されていた。かつての戦いでは、それを披露する前にラグディスハルトが彼を撃破してしまったのだ。

 古代術式による性能強化と腕の増加は、ハーキュリーズにとってはリミッター解除にしか過ぎない。

 彼の真の力は今こそ、ここに解放される。

 ハーキュリーズのコンポーネントに登録されたその能力名を、ロゼは音声コマンドとして口にした。



「〈インバルナラブル・キラー〉」



 ハーキュリーズを開発した古代人は、やはり超古代の伝説に則ったのであろう。

 ハーキュリーズの六枚の掌から突如、全ての武器が消失した。代わりに現れたのは――あまりにも、あまりにも巨大な弓。身の丈六メルトルもあるハーキュリーズと、ほぼ同程度かそれ以上の大きさを誇る強弓であった。

 ハーキュリーズは黄金に輝く剛弓を左の三本腕で持った。弓全体が鎧を纏ったかのように厳めしい形状をしている。ハーキュリーズ専用の武器として明白なのは、上部、真ん中、下部にそれぞれ持ち手が用意されているところだ。人間など軽く握りつぶせる大きさの手が、三つの持ち手を力強く握る。

 次いで、右の3本腕の先に矢が具現化された。一本の腕につき三本。合計九本の銀色の矢だ。ただ、鏃の先端が毒々しい紫に染まっている。

 ハーキュリーズは九本の矢を三本の腕で以て束ね、まとめて弓に番えた。その瞬間、九本の銀矢が束ねられたまま、ぎゅるり、と【捻れた】。濡れた布を絞り上げるように、自らの力で身を捻り螺旋を描いた九本の矢が、ねじくれた一本の槍と化す。

 かつて英雄ハーキュリーズは、九つの頭を持つ怪物ヒュドラを射殺し、さらにはその毒血を塗った弓で不死身のケンタウロス・ケイローンを死に追いやったという。自ら作成したゲートキーパーに英雄の名を刻印した制作者だ。この〝奥の手〟もまた、その英雄譚から引用したのだろう。

 だが、そんなことはロゼにとってはどうでもいい。

 肝要なのは、この弓矢には不死身の存在さえ屠るほどの威力が込められているということ。真実、不死身の存在がいたとして、それを本当に仕留められるかどうかは疑問だが、威力に自信がなければ『不死身殺しインバルナラブル・キラー』などと名付けはすまい。

 ロゼには確信がある。この一矢は、必ずや竜人の装甲すら打ち破り、シグロスを滅ぼすものであると。

 左の三本腕で弓を握り、右の三本腕で限界まで螺旋矢を引き絞るハーキュリーズ。今の彼に言葉はない。雄叫びもなく、ただ静かに、はち切れんほどの戦意を矢に込めて、黄金の弓と銀の矢を構えている。

 鏃の先には、宙に浮く竜人シグロスがいる。

 琥珀の瞳でその姿を見据え、彼にとっての死刑宣告を、ロゼは告げた。

 静かに、囁くように。

「シュート」

 猛烈な力がハーキュリーズの番えた螺旋矢に収束する。キィィィィン、と甲高い音が鳴り響く。

 ハーキュリーズの弓矢から目が潰れるほどの輝きが迸った。銀色の螺旋矢が、やはり銀色の閃光と化した。

 極限まで力を溜め込んだ一撃が、ついに放たれる。

 その瞬間、



「やめてくれ、ロゼ。私だ、父さんだ」



 光り輝く矢の先にいる竜人が、いつの間にかロゼの父、オーディスの姿へと変貌していた。全身丸ごと、ご丁寧に服まで再現して、瓦礫の上に降り立っている。

 愚かな、とロゼは内心で吐き捨てた。またしても、それか。今更そんな見え透いた手に引っかかるものか。構わない。撃ってしまえ。

「違う、誤解だ、私は生きている、シグロスの中で生きていたんだ!」

 父の顔と声がもっともらしいことを喚く。必死の表情だ。オレンジの髪は脂汗で頬に張り付き、琥珀の目は真っ直ぐ、ハーキュリーズではなくロゼに向けられている。

 馬鹿馬鹿しい。大根役者とはこのことだ。情けない。父の姿で惨めな醜態を晒すのはやめて欲しい。もういい。もう終わりだ。いっそ、あの姿が吹き飛んでしまえば自分の中でも踏ん切りがつくかもしれない。

 そうだ。消えてしまえ。

 決意を固めたロゼは今度こそ全力でハーキュリーズに攻撃キャンセルのコマンドを送信し、シグロスの姿が吹き飛ぶ瞬間を待った。

 ――……え?

 今、ロゼの中で、何かが【ズレ】た。

 どうしようもなく致命的なズレだった。思いも寄らなかった現象に、自己の内部で生じた矛盾に、ロゼは瞬間的に目眩がするほど驚愕し、混乱した。

 ――な……なに、を……? 今、私は……何を……した……?

 ハーキュリーズの構えた〈インバルナラブル・キラー〉から煌々と放たれていた光が、ふっと消えた。昂ぶっていた音響もまた、空気に溶けるようにして小さくなっていく。

 コントローラーを通じて送られたコマンドは間違いなく機能していた。間違えたのは、ハンドラーであるロゼの方だった。

「……わかってくれたか、ロゼ! そうだ、父さんなんだ! お前の父、オーディス・ヴォルクリングだ!」

 寸前まで死神に手を引かれていた男の顔が、喜色に溢れる。露骨なまでの安堵の表情で、オーディスに変身したシグロスが声を上げる。

「――違う……!」

 ロゼはそんな彼の姿を視野に収めたまま、ゆっくり頭を振った。おかしい。こんなつもりはなかった。逆に攻撃の手を緩めるまい、と決意したのだ。父の姿ごと、全ての遺恨を消し去ってしまおうと思ったはずなのだ。

 なのに、そう決めた心とは別の所で、もう一人の自分が勝手に動いたようだった。

「違う……私は……!」

 父の命はもうない。生きているはずがない。例え神器といえど、死者を蘇らせることなど不可能だ。よって、あれは紛うことなくオーディスの振りをしているシグロスなのだ。そうだ、わかっている。自分はちゃんと、わかっているのだ。

「――ハ、ハーキュリーズ、オープン・オール・インブレッシャーズ! 〈インバルナラブル・キラー〉!」

 動揺を隠せず、ロゼは震える声で叩き付けるように叫び、〝奥の手〟の再起動にかかった。

 しかし、どうしたことか、反応が無い。音声コマンドはともかく、肝心の制御コマンドが送れていないのだ。この操作は難しいことではない。自らの〝SEAL〟から使役ハンドル用の信号を出すだけだ。術式によってリンクしているハーキュリーズならば、指先を動かすのと同じ感覚で操れるはず――なのに。

「……そんな……」

 出来なかった。後はもう引き金を引くだけの状態だったのに、ロゼにはそれが出来なかった。まるで痺れて指が動かないように。

 巨大な弓矢を構えたまま、間抜けに固まっているハーキュリーズの足元で、ロゼは美貌を絶望に染め、立ち尽くす。

 自分の身に何が起こっているのか、全く理解できなかった。自分のやっていることが、自分で信じられなかった。スイッチを押すように攻撃コマンドを送って、〈インバルナラブル・キラー〉でシグロスを消滅させる――こんな簡単なことが何故出来ないのか。

 突然、足元に穴が空いてしまったかのような脱力感に襲われた。自分の足場が失われた気がした。心と体が相反する自分ほど、頼りにならない存在はいないと思った。

 愕然とするしかなかった。

 自分の中にある、自分でも知覚できない心のブレーキ――もし本当に父が生きていたら? もし、父を取り戻せる可能性があるとしたら? あれがもしシグロスの演技ではなく、本物の父だったとしたら?

 そんな蛍の光のように儚い希望が――未練たらしい〝迷い〟こそが、ロゼの心を雁字搦めにし、最後の一線を前に身動きをとれなくさせていたのだ。

 出来ると思っていたことが出来ない。それどころか、これ以上はない好機に、まるで役に立たない自分自身――相次ぐ驚愕に混乱。これまで心の中に積み重ねてきた自信が、脆くも崩れ去っていく。

 今やロゼの顔は強張り、膝は小刻みに触れ、腰は今にも抜けてしまいそうだった。

 不意に視線の先にいるオーディスが俯き、ぶるぶると身を震わせ始めた。やがて、声が漏れ始める。

「……く、くく――くは、ははは、はははははははっ!」

 笑い声。それも、父のものとは思えないほど、下品な。

「――はははは、あはははははははっ! あーあ、やっぱりなぁ? 結局はそうだよなぁ、そうなるんだよなぁお前は? そうそう、そうなんだよ、これでわかったか? お前はどうしようもなく【そういう奴】なんだよロルトリンゼ?」

 やはりも何もない。当然の帰結として、【オーディスの顔をしたシグロス】が邪悪に相貌を歪め、ロゼの滑稽な姿を嘲笑っていた。これこそ、どうしようもなくわかりきっていた結末だった。

 くは、くははは、と笑い声を立て、シグロスは言う。

「だから言ったろ? 〝やっぱりお前は優等生だなぁ〟――って? 力の差がどうあれ、【お前に俺は殺せないんだよ】。俺の師匠――お前の父親がここにいる限りな? ――ンン? なぁ考えてみろよ? 実際出来るのか? 出来ると思うのか? くひっはははは! ――いいや出来ないね! 死体とわかっていても出来ないさ。実の父親の遺体をグチャグチャになんてさ? やーさしい優しいロルトリンゼお嬢さんには出来るわけないだろぉ? というかさ、誰よりお前が知ってなきゃいけなかったんだぜ? 敵討ちなんて出来るわけないってことをさ? なのに、【誰よりお前がわかってなかった】んだもんなぁ! 傑作すぎて鼻水が出ちまうよ! ははははははははははは!!」

 なおもオーディスの姿をとったまま、シグロスは哄笑した。それを蒼い顔をしたロゼと、微動だにしないハーキュリーズとが見つめている。

 父の顔と声で笑い狂う。その行為が、ロゼの胸に新たな火を灯した。シグロスの言動は、消えかけた火に油を注ぐ所行に他ならなかった。

「――ッ!!」

 瞬間的にロゼは激昂した。この悪辣なる男に、これ以上父の姿をとらせてなるものか。一気に燃えたぎった怒りの勢いに任せて、今度こそ消滅させてやる――!

「――ぁあああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 自己を鼓舞する為に、ロゼはありったけの声量で叫んだ。

 今度こそコマンドが送れた。ハーキュリーズの〈インバルナラブル・キラー〉から再び目を灼くような輝きが放たれた。音叉のように共鳴する音が高まっていく。

「消えろぉおおぉ――――――――――ッッ!!」

『――!』

 喉も裂けんばかりのマスターの声を受けて、ついにハーキュリーズが矢を放った。

 銀色の閃光と化した杭のごとき矢が奔る。高速で空を裂いて進む力に大気が吼える。

 その瞬間でさえ、シグロスはオーディスの顔に笑みを張り付かせながら、自らに迫る柱のように太い光を見つめていた。

 しかし。

 極太の光線にしか見えない〈インバルナラブル・キラー〉が、シグロスを呑み込もうとする寸前だった。

 突如、光の矢の先端が九つに割れ、分散した。

 束ねられていた九本の矢が解れたのだ。分かたれた九本の矢はそれぞれ生きているかのごとくあらぬ方向へ逸れ、まるでシグロスだけを避けるように、周辺のあちこちへ突き刺さった。家を二つ三つ吹き飛ばすほどの爆発が、九回連続して生まれる。破壊の衝撃が次々と周囲の建造物を消し飛ばし、シグロスの半径五〇〇メルトル内を一瞬にして焦土に変えた。

「…………」

 瞬く間に展開したその光景を、爆風に吹かれ衝撃に身を揺らすロゼは、唖然と見つめていた。

 呆然としたまま、〝SEAL〟でハーキュリーズの戦闘ログを参照する。無意識の仕業だったとしか言いようがなかった。ロゼの意識の奥底、本能に近い部分が、条件反射のように〈インバルナラブル・キラー〉に拡散コマンドを送っていた。我知らず、攻撃がシグロスを避けるように操作してしまったのだ。

「……あ、あ……」

 今度こそ、もうダメだった。

 自らの心が折れる音を、ロゼは聞いた気がした。

 自分では、奴を殺せない。父の亡骸ごとあの男を消す勇気が――覚悟が、自分にはないのだ。情が深いとか、優しいとか、そんな綺麗事ではなく。

 これは弱さだ。

 自分には結局、傷付く勇気がないのだ。父の死を乗り越える強さも、自ら手を汚す覚悟もないのだ。だから、直前で躊躇ってしまう。為すべき事が目の前にあるのに、完遂することが出来ない。

 なんて情けない人間なのだろうか。

「――な? 言っただろ? 悪いことをすれば、正しさ以外なら何でも手に入る、ってさ?」

 突然、目の前が真っ暗になり、思いがけず近くからシグロスの声がした。

 視界が黒く染まったのは自分が感じる絶望のせいだとロゼは思っていたのだが、それは勘違いだった。黒い竜人の姿に戻ったシグロスが、目にも止まらぬ速度で彼女の目と鼻の先に現れたのだ。

 ドス、という音が胸の真ん中からした。五本の棒のようなものが、そこに突き刺さる感触をロゼは得た。衝撃に体が揺れる。

 見下ろすと、甲殻に包まれたシグロスの右手の五指が、ロゼの鎖骨のすぐ下あたりに突き刺さっていた。

 かつての兄弟子の声が、優しく諭すように、耳元で囁く。

「逆に言えば、そうじゃないお前には正しさ以外の何も手に入らない。――〝優等生の甘ちゃん〟じゃあ、俺には勝てないんだよ、ロルトリンゼ」

 ――吸われる。

 そう思った時には手遅れだった。

 ロゼとシグロスの〝SEAL〟が、物理的に直結した。双方の輝紋がそれぞれのフォトン・ブラッドの色に輝き、全身を駆け巡る。

〝融合〟の神器の力を用いたシグロスが、ロゼの中から情報を吸い取っていく。ロゼの〝超力エクセル〟は奪うのに時間がかかると判断したのだろう。まず先に、ゲートキーパーを使役するための術式とその情報をコピーしているのが直感的にわかった。

 抵抗するべきだった。例えこの手で殺せないにしても、これ以上この男には何も与えるべきではない。そう頭では理解していた。

 けれど、体が動かなかった。諦めと絶望の鎖が手足を縛り、ロゼを無気力にさせていた。

 このまま何もかも奪われ、死んでいく――何の役にも立てなかった自分には、むしろお似合いの末路なのかもしれない。頭のどこかでそう思うロゼがいた。

 三セカドとかからずオリジナル術式の全てがコピーされ、あまつさえハーキュリーズの使役権までもが奪われた。

 それから、とうとう、シグロスはロゼの中にある神器へとその手を伸ばす。

「――いいなぁ……いいなぁ、その顔。ロルトリンゼ、お前、今とんでもなく【そそる】顔をしているぜ。さっきみたいな怒った顔も良かったけど、そういう絶望が極まった顔も最高だ」

 術式や情報のコピーと違い、神器の移行にはそれなりの時間を要する。そのせいか、シグロスは至近からロゼの顔を覗き込み、くひ、と異形の喉から笛が鳴るような笑い声を洩らした。

 堪えきれなくなったのだろう。シグロスは顔を天に向け、弾けたように哄笑する。

「――ィヒッ、イヒイヒヒヒハハハハハハハハハ! 見たかったぜぇその顔が! その最高級に間抜けな顔が! なぁわかるか! つんと澄ました顔ばっかりだったお前が、自分の無力さと惨めさを知って、涙目になる時を! この俺がどれだけ楽しみにしていたか! アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」

 この男は――一体何なのだろうか。どうしてそこまで、自分に固執するのだろうか。ロゼにはそれが不思議でならなかった。

 確かに以前からいけ好かない人物ではあったが、これほどまでに偏執的な性格を拗らせているとは思わなかった。それに、師匠を同じくとし、兄弟子ではあったが、接点はそう多くなかったように思う。何が原因で、この男は自分をこうまで嫌うようになってしまったのか。ロゼにはさっぱり心当たりが無かった。

「――。」

 上手く回らない頭で、それでもロゼは考える。

 このまま神器が全て移行してしまえば、きっとシグロスは虫でも潰すようにロゼを殺すだろう。それから、残った街の人間全てを虐殺して回るのだろう。それも、ロゼから奪った〝超力〟の神器や、ハーキュリーズを利用して。そんな未来図が、容易に想像できてしまった。

 ――駄目だ。それだけは、赦してはいけない。

 鉛でもくくりつけられたかのように重い両腕を、ゆるゆると持ち上げ、ロゼは己の胸に突き刺さっているシグロスの手をとった。

 ふと、竜人の哄笑が収まる。

「――あ? なんだ、まだ抵抗する気力があったのか? くひっ。いやもういいよ、見たいものは見れたんだから。イヒッ、邪魔だからさぁ鬱陶しいからさぁ――いーからお前はもうここで終わっておけよバーカははははははハハハハハハハハハHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!」

 最初は苛ついたような態度をとっていたシグロスだったが、すぐまた壊れたように笑い出した。いや、本当にもう壊れているのかもしれない。この男の笑いに、もはやロゼは意味を感じなくなっていた。

「……そうは……いきません……!」

 気力を振り絞り、ロゼはシグロスの手を引き抜くため――ではなく、【固定するため】に全身に力を込めた。そうだ、このまま終わるわけにはいかない。戦いの前に決意したでは無いか。例え差し違えてでも、この男は地獄へ連れて行かねばならないのだ――!

 シグロスの〝SEAL〟と直接繋がり、神器の移行をしている今だからこそ使える手がある。この状態で神器〝超力〟を全力で稼働させ、シグロスの〝融合〟も巻き込んで暴走させれば――

 天井知らずで荒れ狂う力の奔流で、二人とも消し飛ぶに違いなかった。

「――あなただけは、絶対にお父さんと同じ所へ連れて行く……!」

 事ここに至り、ロゼが悲壮な決意を固めたその時だった。

 少年の鋭い声が、ロゼとシグロス、二人の耳を劈いた。



「〈ドリル――ブレイク〉ゥ――――――――――――ッッッ!!」



 声はロゼから見て右斜め後ろ方向から突っ走ってきた。

 同時、深い紫色に輝くドリルがロゼとシグロスの間に割り込んでくる。

「――ッ!?」

 咄嗟の反応だろう。いきなり飛び込んできたディープパープルの光に見過ごせない何かを感じたのか、シグロスはロゼの胸から右手を引き抜き、身体の前で両腕を交差させた。

 間一髪の差で、防御態勢をとったシグロスの腕にラグディスハルトの〈ドリルブレイク〉の先端が突き刺さった。

「!!」

 凄まじい擦過音。高速回転するフォトン・ブラッドのドリルが、漆黒の甲殻を猛烈な勢いで削る。鮮血のように火花が飛び散った。

 しかし、シグロスの甲殻は押し付けられた運動エネルギーを全て拡散しきってしまった。やがて剣術式の効果時間が切れ、ドリルが消失する。

 気付けばロゼの目の前に、ラグディスハルトの背中があった。白い脇差しを両手で握り、シグロスの腕の装甲に突き立てている。自身の体を入れ込む隙を、彼は自分の力でこじ開けたのだ。

「……なんなのかなお前は? せっかくいいところだったのに。ひねり潰すぞ?」

 竜人の顔が憤怒に歪んでいる。奇襲を受けたのだから、当然と言えば当然の反応だ。ラグディスハルトは脇差し――白虎を突き出したまま俯いているため、彼からは顔が見えない。

 後頭部に竜人の赤い視線を突き刺された少年は、〈ドリルブレイク〉を打ち終わった体勢のまま、動かない。いや、よく見れば、その身体は小刻みに震えていた。

 恐怖だろうか。無理もない、とロゼは思う。彼もまた、ハーキュリーズとシグロスの戦いを目の当たりにしたはずだ。恐れないわけがない。

「……うな……!」

 ぶるぶると瘧のように全身を震わせる少年が、絞り出すように声を出した。

「ああ?」

 竜人が不快そうに聞き返す。あまりにも小さすぎて、シグロスどころかロゼにも何を言っているのか、聞き取れなかった。

 すると、少年は俯いたまま、同じ台詞をもう一度繰り返した。

「――笑うな……!」

 今度は聞こえた。はっきりと。

 ばっと衣擦れの音を鋭く立て、ラグディスハルトが面を上げる。

 ロゼからは後頭部しか見えない彼の全身から、熱波のような空気が吹き出した。〝SEAL〟から放たれる紫紺の色が、服を透かして見えるほど強く輝いた。

 怒りに燃える声が、力強く叫ぶ。



「僕の仲間を――笑うなぁっ!」







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