リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●12 天を穿つ龍の牙




 浮遊島フロートライズに点在する八つの龍穴ボルテックス。その直上に展開する直径二メルトルほどの〈コープスリサイクル〉のアイコンから、次々とSBが再生リサイクルされていく。

 現在、『ヴォルクリング・サーカス』が所有するコンポーネントは二〇万以上。ドラゴン・フォレスト付近の換金センターを襲撃し、ありったけを強奪してきた。

 しかし、〈コープスリサイクル〉はその全てを一気に顕現させられるわけではない。術式と術者の処理能力、龍脈から時間単位で供給されるエネルギー量の限界から、自然と再生速度は制限されてしまう。

 一ミニトにつき約一二〇体。つまり、一セカドにつき二体。それが今の〈コープスリサイクル〉の平均再生速度であった。

 龍穴の数は八つ。一二〇の八倍は九六〇。これにさらに六〇を掛ければ、一時間アワトにつき五七六〇〇体。

 二〇万以上のコンポーネントを全てSBとして再生するには、どんなに早くとも三時間から四時間がかかる計算になる。

 もっとも、そこまで再生するまでにフロートライズが壊滅する方が、よほど早いのかもしれないが。

 膨大な数のコンポーネントを八つに分け、しかしそれでも個人の〝SEAL〟に格納できなかった大半が携行ストレージに収められている。『ヴォルクリング・サーカス』のメンバーは各々の手持ちの情報具現化コンポーネントを、次から次へと元のSBへと戻していく。あたかも圧縮ファイルを解凍するかのごとく。

 簡易なコマンドすら入力されず、本来の〝侵入者を攻撃せよ〟というアルゴリズムのみを持って再生したSBは、自らがいる場所を守護するべき遺跡内と誤認し、与えられた使命を果たすべく動き出す。

『PPPPPYYYYYYYRRRRRRYYYYYYY!!』

『VRRRRAAAAAAAAOOOOOOOOOWWWWW!!』

『UUUUUUURRRRRRRRRRRRRYYYYYYYY!!』

『GGGGOOOOOOOOWWWWWWWWWW!!』

 甲高い咆吼を上げ、空を飛べるものは宙を翔け、地を這うものは大地を蹴って駆け出した。

 攻撃するべき敵を求めて。

 放たれた弓矢のごとく、獲物へ食らいついていく。

 そこには、慈悲も容赦も無く。

 例え相手が、遺跡に入ろうともしない非戦闘員であろうとも。

 怪物達の進撃がフロートライズを蹂躙していく。

 奴らの数は時が経てば経つほど増えていく。

 この時、守る側、迎撃する側にとっては、時間さえもが敵だった。





 テーブルを挟んで向かいに立っていたロゼさんが、いきなりスカートの裾を翻して片足を跳ね上げた。

「「――!?」」

 ロングスカートを履いていたため気付かなかったけれど、絶妙な曲線を描くその脚は、黒いストッキングと濃い茶の編み上げロングブーツに包まれていた。

 片足の末端、硬い靴底がテーブルを打って強い音を立てる。

 彼女はそのまま、女優が舞台に上るようにテーブルの上へと飛び乗った。

 そして跳ぶ。

 隣に座っていたハヌが今は僕の膝上にいるため、その分の空間が空いていた。そこを狙われた。

 藍色のロングスカートがヴィリーさんと通話中のARアイコンをすり抜け、テーブルから飛び降りざま、ロゼさんが僕達のすぐ横を通り過ぎる。

 本当に一瞬のことだった。

 風圧が僕とハヌの髪が揺らし――すぐに、バン、と背後で扉が荒々しく開かれる音。

 駆ける足音が廊下へ飛び出していく。

「――って、ちょっ!? ロゼさん!?」

 想定外すぎて即座に反応することが出来なかった。

 一陣の風のごとく部屋を出て行ったロゼさんを、視線で追うことすら叶わなかった。完全に背中も見えない状態になってから、驚きの声を上げるという始末である。

「いかんラト! あやつ一人で行くつもりじゃぞ!」

「う、うん! 追わなきゃ!」

 ハヌが素早く膝の上から降りて、僕も椅子から立ち上がる。まだ階段を下りていく足音が聞こえている。今ならまだ間に合うはずだ。

「ロゼさん!」

 僕はハヌを置いて一足先に部屋を出て、階段に向かって走る。階段の降り口に差し掛かったところで、アッシュグレイの長い髪が一階の廊下、右の曲がり角へ消えていくのが見えた。

「っの――!」

 ちんたら階段を降りてちゃ追い付くものも追い付けない。僕は気合一発、スピードを緩めないままコンバットブーツで床を蹴った。

 階段を一気に飛び降りる。

 ダン、と音を立てて着地すると同時、膝を曲げて衝撃を殺す。それからロゼさんが走って行った方向へ体を向け――

「きゃああああああああああああッッ!?」

 逆方向から甲高い悲鳴。

「――ッ!?」

 思わずそちらに反応して振り返ってしまった。

 途端、僕の視界に飛び込んできたのは、『カモシカの美脚亭』の店内で複数のSBとエクスプローラー達とが戦っている姿だった。

 ありえない光景に一瞬、頭がくらっとした。

 見慣れた店内を背景に、見慣れた怪物がいる。だけどその両者が交わることは無かったはずなのに。

 気付けば壁のあちこちに大きな穴が空いていた。あそこからSB達は侵入してきたのだ。

 悲鳴の主は看板ウェイトレスのアキーナさんだった。ちょうど店内に居合わせたエクスプローラー達に守られ、部屋の隅にいたところを、しかし後続の新手に襲われたらしい。

 四の五の言っている余裕なんてなかった。考えるより先に体が動いていた。

 全身の〝SEAL〟を猛然と励起させ、

「〈ドリル――!」

 剣術式の起動音声を口にしながら、支援術式〈ストレングス〉〈ラピッド〉〈プロテクション〉〈フォースブースト〉のフルエンハンスを三つずつ重ねて発動。計十二個のアイコンが弾け、強化係数を八倍に。

「――ブレイク〉!」

 屈んでいた状態から弾かれたように跳躍。右足を前に突き出して、剣術式を発動。爪先にアイコンが浮かび、右足全体に閉じた傘のようなディープパープルのドリルが展開する。背中から推進用のフォトン・ブラッドが噴き出した。

 狙いはアキーナさんを襲おうとしている、三つ首の魔犬ケルベロス。

 僕は飛び蹴りの体勢で、刹那、背中を蹴っ飛ばされたような勢いで撃ち出された。

 放たれた矢のごとく、ドリルの先端がケルベロスの脇腹に勢いよく突き刺さる。そのまま一気に貫通し、黒い体躯をすぐ近くにあった壁へと縫い付けた。

『――PRRRRRRYYYYYYYYY!?』

 突然の奇襲に驚いたのか、痛みのためか、あるいはその双方か。〈ドリルブレイク〉に貫かれたケルベロスが悲鳴を上げる。

 右足のドリルでガリガリとケルベロスの腹と壁を削りながら、僕は構うことなく攻撃術式を追加発動。

「〈エアリッパー〉〈エアリッパー〉〈エアリッパー〉!」

 三つのアイコンを左手に集中させ、一挙に発動する。

「はあっ!」

 風の刃を纏った手刀を一閃。ケルベロスの三本の首を続けざまに斬り飛ばした。

 三つの犬の頭が時間差を置いて宙を飛ぶ。

 頭を全て失ったケルベロスの体が薄まってコンポーネントへと戻っていく中、右手側に剣呑な気配を感じる。

『UUKKKKKKYYYYYYYYY!!』

 甲高い電子音に視線を向けると、そこには鋭い爪を振りかざしたクロードモンキーが一体。床、壁、天井を縦横無尽に飛び回り、こちらへ襲いかかってくる。

 そう認識した時には右腕を掲げて、

「――〈ドリルブレイク〉!」

 指先から肘の辺りまでを包む紫の衝角を生成。五本のナイフと言っても過言ではないクロードモンキーの爪を、高速回転するそれの腹で受け止めた。

 ギャリリリリッ! と火花を散らして鬩ぎ合うドリルと五爪を前に、僕は左手の五指を鳥の鉤爪のように構え、

「〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉!」

 指先に攻撃術式を装填し、〈フレイボム〉の照準光線を獰猛な顔つきをした猿の額に集中させ、起爆。

 腹に響く爆音。

 悲鳴をあげる暇もなく、クロードモンキーの首から上が吹き飛んだ。まだ完全に消えていないケルベロスを追って、こちらも活動停止シャットダウンシーケンスに入る。

「――大丈夫ですか!?」

 アキーナさんに背中を向けて周囲への警戒を怠らないまま、僕は彼女にそう声を掛けた。さっきは咄嗟過ぎて出す暇すらなかった白虎をストレージから具現化させ、抜き放つ。

「は、はい……あ、ありが……と、ご、ござ…ぃ…ます……」

 アキーナさんの全身が恐怖に強張っているのが、声だけでわかった。無理もない。一般人の中には、遺跡に出没するSBを一度も目にすること無く人生を終える人だって多いのだ。僕もSBを初めて生で見た時は体が竦んでろくに動けなかったから、気持ちはよくわかる。

 ケルベロスとクロードモンキーのコンポーネントを〝SEAL〟に回収しつつ、周囲を見渡す。他のエクスプローラー達が店内に侵入してきたSBの殆どを活動停止シャットダウンさせたのを確認すると、

「ここは危険です! 早く避難場所へ行って下さい!」

 アキーナさんにそう言い置いて、僕は改めてロゼさんの後を追った。

 出入り口から通りへ飛び出し、ロゼさんの背中を探す。

 残念ながら、とっくにロゼさんの姿は影も形も残っていなかった。だけど、その事実以上に僕を打ちのめしたのは――

「……なに……これ……」

 いや、わかっている。わかっているけど、そう口に出さずにはいられなかった。

 街の風景が激変していた。

 雲の上に位置するフロートライズはいつも気持ちの良い快晴で、どんな場所から見上げても綺麗な青空が見える。

 けれど今は、そんな風光明媚な空間を、黒煙と悲鳴が汚していた。

「――……」

 唖然とするしか無かった。

 空を埋めつくすような飛行型SBの群れ。

 建物の屋根という屋根に陣取っている軽量型SB。

 通りのあちこちを我が物顔で闊歩する重量型SB。

 そして、それらに襲われる街の人々。

 破壊されていく街並み。

 僕は――地獄というものは、もっと暗くて、赤黒くて、ドロドロしたものだとばかり思っていた。

 だからそれが、こんな風に陽の光に照らされて煌めく、爽やかな空気の下でも生まれるものだなんて、考えたことも無かった。

 だから、これは現実。

 夢にも思わなかった光景だからこそ、これは、どうしようもなく現実の出来事だった。

 全方位からSBの発する電子音と、逃げ惑う人達の叫び声と、緊急警報が混じり合って聞こえてくる。

 こう思わずにはいられなかった。

 ――もう、こんなの、どうしようもないじゃないか……

 冷たく重い、鉛のようなものが腹の底に生まれた。足元にぽっかり穴が空いたような気分だった。ヘラクレスが再生してパワーアップした時よりも、なおひどい。

 僕が一呼吸する毎に、どこかで誰かが死んでいく。殺されている――そう思った。

 灼熱の砂漠で水の入った容器を割ってしまったような、取り返しのつかない絶望感。

 僕がその場に立ち尽くしていたのは何セカドだっただろうか。

「――ラト! ロルトリンゼはどうした!?」

 不意にハヌの声が背中を叩いた。それではっと我に返る。

「ハ、ハヌ……ご、ごめん、見失っちゃって――」

 振り返った瞬間、顔の両側を拳大の水晶球が唸りを上げて掠め過ぎた。

「へ?」

 ボッ、と大気を穿った水晶球の風圧が僕の髪の毛をかき乱す。

『PPPGGGGGGGYYYYY!?』『GGGGGGGRRRRRRRAAAAAA!?』

 頭の後ろで上がるSBの悲鳴と、続く活動停止シーケンスの収斂音。首だけで振り返ると、そこには薄くなって消えていく双頭の魔犬オルトロスと、牛頭人身のゴズキの姿があった。どちらも体の中央に大きな風穴が空いている。

「ラト! 何をぼさっとしておるか! ここはもう戦場じゃぞ!」

 カラコロカラコロとぽっこり下駄をけたたましく鳴らしながら、正天霊符の護符水晶を宙に浮かべたハヌが駆け寄ってきた。彼女の頭上にプカプカと浮かび、移動に追従する水晶は三つ。先程僕の至近を通り過ぎた二つを合わせれば、合計五つだ。どうやらハヌは、順調に正天霊符の扱いに慣れてきているらしい。

「ご、ごめん……ありがとう……」

 僕の不甲斐なさに憤っているのではなく、こちらの身を案じて喝を入れてくれているのがわかったので、素直に謝ってお礼を言う。さっき一歩――否、半歩間違えれば護符水晶が僕の頭に炸裂してトマトみたいに弾け飛んでいたかと思うと、胸のドキドキが止まらないのだけど。

 と、こんな風に落ち着いている場合ではない。僕はジタバタと身振り手振りを交えて、

「――って、ど、どうしようハヌ!? ロゼさんが、ロゼさんが出て行っちゃって、見失っちゃって! ま、街はこんなだし、ひ、人がいっぱい――たくさん! まずいよ、ど、どうしよう!? ねぇどうしよう!?」

「……ラト」

 急にハヌが神妙な声を出して、短い指先で地面を、ちょいちょい、と指し示した。

「……?」

 これはいつもの『妾の前で膝立ちになって目を合わせよ』の合図である。パニック寸前の僕は、条件反射的にその通りにしてしまう。

 すると突然、ハヌのちっちゃな両手が、ぺちん、と僕の両頬を挟み込んだ。

「っ――!?」

 特に痛くは無かったけど、意表を突かれて面食らってしまった。

 ずい、と蒼と金の妖瞳が息が掛かるほど間近に迫り、ハヌが僕と目を覗き込む。ふわり、と彼女の匂いが鼻腔をくすぐり、何故だか急に気持ちがすっと落ち着いた。

「――案ずるなラト。何も恐れる必要などない。おぬしには妾がおる」

「……ハヌ……」

 頼もしいその言葉は、驚くほどするりと僕の胸の奥へ忍び込み、一番深いところまで降りてきた。

 染み渡る。

 こつん、とハヌが僕と額をくっつけ合う。接触している箇所から、ハヌの体温が流れ込んでくるかのように感じる。

「ゆめ忘れるな。妾が、妾こそが、おぬしの最大の味方じゃ」

 力強く、彼女は断言する。まるで我が子にものを教えるお母さんのように。

「そしてラト――おぬしが、おぬしこそが、妾の最大の味方じゃ」

 そう言い切って、ハヌはいつものように、くふ、と不敵に笑った。小さな唇が、猫みたいに口角を吊り上げる。

「故に妾とラトが揃えば、それは最高のコンビじゃ。よいか、その事を絶対に忘れるでないぞ?」

「――――」

 不思議なことに、さっきの戦闘による昂ぶりも、ロゼさんを見失った焦りも、現状に対する絶望感も、もう全て収まっていた。あたかも額から額へ、余計な感情をハヌに吸い取ってもらったかのごとく。

「……うん。忘れない、絶対。約束する」

 返事は自然と口を衝いて出ていた。

「うむ」

 ハヌは額を離し、表情を凜としたものに切り替え、けれど距離は近いまま話を続ける。

「よいかラト。所詮、妾らは人、体は一つしかない。それ故、出来ることは限られておる。まずはそれを飲み込むのじゃ」

「うん」

 頬の両側に手を添えられたまま、僕は視線を外さずに頷く。

「この状況じゃ。全ては救えぬ。力の及ぶ限り、例え全身全霊を掛けようとも、失われたものは返ってこぬ。その覚悟を決めよ」

「……うん」

 生唾を飲み込むようにして、心に力を込める。すると、ふっとハヌの表情が柔らかくなった。

「――じゃが、おぬしと妾が力を合わせれば、必ずやこの苦難を乗り越えることが出来よう。臆するな、ラト。おぬしと妾が揃えば、敵うものなどどこにもおらぬ」

「――が、頑張るっ」

 流石にそこまで開き直ることは出来ないけど、でも、ハヌと一緒だったら何だって出来る気がする。どこにだって行ける気がする。

 うむ、とハヌは頷いた。

「よかろう。では、優先順位を決めるぞ。まずはロルトリンゼじゃ。当然、妾らは妾らの仲間を最優先とするべきじゃろう。よって他の者はその次とする。――異論はあるかの?」

「――ううん。大丈夫。わかってるよ、僕達は僕達の出来ることを、だもんね」

 何もかもを救おうとして何も出来ないよりは、本当に大切なものを見据えて動いた方が、まだしも良い。それぐらい僕にだってわかる。そして、今の僕達にとって最優先にするべきは、新しい仲間であるロゼさんだ。

 クラスタ『BVJ』の唯一絶対のルールは、何があろうと仲間を絶対に見捨てないこと。その信念を、早くも曲げてしまうわけにはいかない。

「さっきも言った通りだよ。何が何でも、ロゼさんを助ける。ハヌこそ、異論は無いよね?」

「無論じゃ。リーダーの言には従わねばならぬからの」

 そう言って、くふ、とハヌは笑う。まさに今、リーダーっぽいことをしているのはハヌの方なのに。さっきから確認するようなことを言うのは、きっと僕の意志を尊重するためなのだ。

 と、そこに、

『PPPPPRRRRRRRRRRYYYYYY――!!』

 四方八方からSBの咆吼が轟いた。ハヌの両手に顔を挟まれたまま、それでも目の動きだけで視線を巡らせると、そこには犬型SB〝シルバーハウリング〟の群れ。その名の通り白銀の体毛を持つ狼が一〇体、僕達を取り囲もうとしている。

 シルバーハウリングはルナティック・バベルの第一二〇層あたりに出てくる中級SBだ。下位同種のレッドハウンドとは比べものにならないほど強い。俊敏な動き、鋭い牙と爪が特徴で、ひとかたまりで動く群れの姿は『プラチナの風』とまで言われている。

 なのに。

「――よい、ここは妾に任せよ」

 咄嗟に立ち上がって戦おうとした僕を制し、ハヌは右手で腰の帯に差していた扇子リモコンを取り出すと、滑らかに開いた。

 僕の頭上で、漆黒の扇を右から左へさっと一振り。

 その瞬間、彼女の側に浮いていた五つの護符水晶が猛威を振るった。

 ハヌの意を受けた一つの護符水晶が急激に動き、一番近くにあった別の護符水晶に高速で激突した。二つの水晶球は澄んだ音を立て、凄まじい勢いで互いを弾き合う。それが連鎖した。

 五つの水晶がビリヤードの球のように互いにぶつかり合い、直線的かつ複雑な軌道を描いて飛び回った。その速度といったら、まさしく電光石火だった。

『PPGGGGYYY!?』『PPGGGGRRRRRRYYY!?』『PPPRRRRRRRRRRR――!?』

 僕の拳ぐらいはある水晶球が稲妻のごとく宙を疾り、シルバーハウリングを紙か何かのように貫く。何度も、何度も。往復を繰り返して。白銀の狼達は、まるで瓦礫を孕んだ竜巻に巻き込まれたように、体のあちこちに大穴を空けられていく。磨り潰されていく。

 そんな風に、僕であれば支援術式による強化が無ければ手こずってしまうような相手を、しかし手軽に鏖殺しながら、ハヌは溜息交じりにこんなことを言う。

「全く、これではおちおち話もしておられんな」

 そのままSBの排除を正天霊符に任せ、とんでもない術力の持ち主は平然と話を戻す。左手を僕の頬に添えたまま、

「――しかしな、ラトよ。先程はああは言うたが、ロルトリンゼもなかなかの強者じゃ。そう簡単に死ぬほど柔では無かろう。それでの、ちと【寄り道】をしようと思うのじゃが、どうかの?」

「寄り道?」

 オウム返しにした僕に、ハヌはにやりと不敵な笑みを見せた。そこにちょうど活動停止したシルバーハウリングのコンポーネントが彼女の〝SEAL〟に吸収され、仄かに顔を下からライトアップするものだから、何とも言えない凄みが滲み出る。

「というわけでじゃ――聞いておったか、カレルよ?」

『……それは、少しは手を貸してもらえる、と理解していいのかな、小竜姫?』

 話の矛先がいきなりずれて、しかも会話が成立したものだから、僕は一瞬だけ呆気にとられてしまった。

「……え? あれ?」

 まさか、と思って視線を彷徨わせると、視界の端の方に、まだヴィリーさんとの通話アイコンが残っていた。確立したセッションを維持したまま戦闘に入ったため、自動的に端っこへ追いやられていたのだ。

 ただ、メインの通話相手だったヴィリーさんの姿はもう無い。アイコンには何の映像も映されておらず、下部に表示されている名前もカレルさんのみとなっていた。おそらくヴィリーさんだけが、通話を切って戦場へ向かったのだろう。

 通話セッションが継続されていた。ということはつまり、これまでの会話は全部あちらへ筒抜けだったわけで。

 しかも一部始終を聞いていたのはヴィリーさんではなく、カレルさんだったわけで。

「――~ッ……!」

 何故だろう、別におかしなことも怪しいこともしていなかったのに、無性に恥ずかしくなってしまうのは。

 カチンコチンに固まってしまった僕を他所に、ハヌとカレルさんの話は続く。というか、ハヌが僕の顔に手を添えていたのは、接触回線を維持するという意味もあったのだろう。

「答えよカレル。今、化生と戦っている者らの士気はどうなっておる?」

 ハヌの質問に対して、カレルさんはノータイムで答える。

『正直、芳しくはない。来る事を予測していたとはいえ、タイミングとしてはやはり奇襲だ。どこも浮き足立っている。住民の避難はまだ順調に進んでいる方だが、残念ながら既にいくらかの犠牲者が出ているようだ。正直、いつ【崩れて】もおかしくない状態だ』

 劣勢を告げる口振りですら、この人は冷静沈着なのだから本当にすごい。神経という神経に金属コーティングが施されているのかもしれない。

 ハヌは小さく頷き、

「やはりの。特に下々の者の混乱はひどかろう。無理もない話じゃ。そも、どこから攻めてくるかわからぬ敵に完璧に備えることなど出来ぬ。話を聞くに、おぬしらはそれでもよく対応している方じゃろうて」

『お褒めの言葉として受け取っておこう。しかし小竜姫、今はとにかく時間が惜しい。話を進めよう。そちらの言う【寄り道】とは?』

「ふむ。つまりじゃの――」

 ハヌは実に好戦的な表情を浮かべて、

「――この妾自ら、おぬしらの士気を【鼓舞】してやろうと、そう言っておるわけじゃ」

 なにやら途方も無いことを言ってのけた。けれど、それが大言壮語でないことは、僕が一番よく知っている。

 これまで間髪入れずに応答していたカレルさんが、この時、数瞬の間を空けた。

『――この状況でこんなことを言うのは何だが、本当に良いのか?』

「? これはまた異な事を言うのう、カレル。おぬし、本当に何を言っておるんじゃ?」

 先程は時間が惜しいと言っておきながら、今度は妙な質問を返してきたカレルさんに、僕もハヌも揃って首を傾げた。質問の意図が全く見えない。本当に良いのか、って――?

 カレルさんはその理由を語る。

『……小竜姫――正直なところ、君には我々を【見捨てる】権利がある、と俺は考えている。何故なら先日、第二〇〇層のゲートキーパー戦において、俺達は君を【見殺し】にしようとしたからだ』

「……ほほう」

 すっとハヌのヘテロクロミアが細められ、声が硬さを纏った。

『それ自体は恥ずべき事だが、しかし、誰も君に謝罪はしていないし、しようとも思わないだろう。それほどあの場に置いて、君を含めたセキュリティルーム内の人間を【見殺し】にすることは、エクスプローラーとして正しい判断だった。事実、ラグ君一人があそこにいなければ、今、君はそこに立っていないはずだ』

「……確かにの。それはまさしくその通りじゃ。ラトがおらねば今の妾は存在し得ぬ。今頃は冥府の奥底におったであろうな」

『それだけに、君には我々を【見殺し】にする権利がある、と俺は考える。自分を見殺しにしようとした連中を、それでも助けなければならないという道理はないだろう。やられたからにはやり返す権利があるはずだ。君が何もしなくとも、少なくともあの場にいながら何もしなかった――いや、何もしようとしなかった人間に文句を言う筋合いはない』

「なるほどのう、そういうことか」

 カレルさんの言うことは、僕にも合点がいった。やられたことをやり返してもいいのなら、確かにハヌには、自分を見殺しにしようとした人達を見捨てる権利があるはずだ。あの場に居合わせた人がそうであるならば、中継映像で間接的に見ていた人だって同罪だ。あの瞬間、世界の全てから見捨てられたハヌには、同じ事を仕返す資格がある。

 今、その権利を行使しなくていいのか――カレルさんはそう言っているのだ。

 けれど、

「――つまらぬことを抜かすな、小物が」

 傲然と吐き捨てるように、ハヌは言った。その声音には強い怒りが満ちていた。

「妾を誰と心得る。そのような瑣事を根に持つほど、妾の器が小さいと申すか、この痴れ者が。次に似たような事を言ってみよ、その時は『妾を見捨てた罪』では無く、その侮辱による罪でこの世から消し飛ばしてくれるわ」

『…………』

 火を点ければ燃え上がりそうなほど怒りを露わにするハヌに、カレルさんは返す言葉もないのか、無言だった。その隙間に、さらにハヌが舌鋒を突き刺す。

「それにカレルよ、おぬしは一つ思い違いをしておる。あの時、おぬしらが見捨てたのは妾だけではなかろう」

 ハヌは右手に持っていた扇子リモコンを閉じ、先端で僕を示す。さっきまで僕達を取り囲んでいたシルバーハウリングはとっくに活動停止させられて、ハヌの〝SEAL〟に吸収されていた。

「ラトじゃ。おぬしらは、妾を守って戦うラトをも見殺しにしようとしたではないか。それを忘れるでない」

 ハヌは正天霊符のリモコンを帯に差すと、再び両手で僕の頬を挟む。それから金目銀目で通話アイコンを睨み付け、ハヌは続ける。

「しかしの、その件についてラトが一言でも触れたか? おぬしらに文句を付けたか? いいや、あるまい。それどころか、おぬしらに礼を言うたぐらいじゃ。病院まで運んでくれてありがとうございます、とな」

 何だか僕の話になっているので記憶を掘り起こしてみたけど、特にこれといった場景が思い浮かばなかった。確かにヴィリーさんとカレルさんにお礼は言った気はするけど、それは当たり前のことすぎて気に留めるほどではなかったし。ハヌが言うほどには、僕の記憶は曖昧だった。

 ハヌは右掌でぺちぺちと僕の頬を叩く。

「とんだお人好しじゃ。度が過ぎておる。つまり、気にしておらんのじゃよ、こやつは。全く、一切、これっぽっちもな。むしろ、そのような損得勘定など夢にも思わぬ。これを愚鈍と呼ぶか、大器と見るかは人によりけりじゃろうがな」

 ここで何故かハヌは、はぁ、と盛大な溜息を吐いた。

「そも、先程妾がラトに優先順位について説いたのも、そうでもしなければこやつは、【全てを救う】とも言い出しかねんからじゃ。こやつ、自覚は無いが相当の〝欲張り〟での。他人を助けるという観念が義務感ではなく、〝欲望〟から来ておる。要するに『助けなければならないから助ける』ではなく、『助けたいから助ける』というわけじゃ。カレルよ、おぬしはこれをどう思う?」

『うちの団長と似ているな。困った性分だ』

「であろう? しかし、権利の話をするのであれば妾にもラトにも『好きにする権利』があるはずじゃ。また、ラトが望むことならば、妾の望むところでもある。そう、おぬしのいう『道理』など関係ない。妾とラトはやりたいことをやる。それだけじゃ。何か文句があるか?」

 どこか自嘲するような響きを声に込めて、ハヌはそう言った。

 すると、姿が見えないけれど、ふっ、とカレルさんが笑う気配があった。

『――悪かった。どうやら愚問だったようだ。無礼を赦して欲しい、小竜姫。大人の心、小人知らず……以升量石だな。俺としたことが浅はかだった』

 降参だ、という言外の声が聞こえてきそうな口振りだった。

『だが、そういうことなら遠慮無くご助力願おう。力を貸して貰えるのは素直にありがたい。よろしく頼む』

「うむ。よかろう。大船に乗ったつもりで任せるが良い」

 ふふん、と誇らしげに胸を張るハヌを見て、僕は不意に気付いてしまった。

 そういえばヴィリーさん率いる『NPK』と初めて邂逅した時も、似たような事がなかっただろうか?

 そうだ。あの時のヴィリーさんとカレルさんのやりとり。新人さんの言動に怒ったヴィリーさんがカレルさんを呼びつけ、説教した――ように見えた、あのパフォーマンス。

 もしかしなくても、この逼迫した状況であんな話を持ち出したのは、カレルさんの作戦だったのでは? いや、具体的にどういう意図だったのかは、今すぐにはわからないけれど――

『ラグ君、この通信セッションを維持したまま、小竜姫のアカウントも追加を頼む。これから、何かとやりとりが必要になるだろうからな』

「……え、あ、は、はい!」

 急に指示を振られたので、僕は半ば自動的にそれに従ってしまった。現在、僕との接触回線を通じて通話に参加しているハヌを、個別アカウントとして接続させる。

『さて小竜姫、こちらでする必要のあることはあるかな?』

 カレルさんの問いに、ハヌは視線を頭上に向けて、しれっと答えた。

「今から妾の術で、空にいる化生共を吹き飛ばしてくれる。天が綺麗に晴れれば、他の者達の士気も上がるであろう。もしおぬしらの中に飛んでいる者がいるならば、すぐに退避させよ。器用な手加減など出来ぬ。一緒に消してしまうかもしれぬからの」

『了解した。緊急用のハイマルチキャストで全域に通達しよう』

 カレルさんの仕事は早かった。いくらもしない内に、新たな緊急メッセージが視界にポップアップされた。

『緊急連絡 空を飛ぶな危険 〝小竜姫〟が暴れます』

 いやあのちょっと。意味は伝わるけど、よりにもよって〝暴れます〟って。わかりやすいと言えばわかりやすいけれども。

「……ふん。何が〝小竜姫〟じゃ、舐めおってからに。どうせなら〝大竜姫〟か〝超竜姫〟とでも呼べばよいものを。今日という今日こそは目に物見せてくれるわ」

「え、そこ?」

 僕と同様に〝SEAL〟でARメッセージを受け取ったハヌが、不愉快そうに目を細めている。そういえばハヌ自身が〝小竜姫〟という二つ名に言及したことはなかったけれど、この様子だとあんまり気に入ってなかったらしい。

「え、えーと……ハヌ? 僕、正直何が何だかよくわかってないんだけど……い、一体何するつもり、なのかな……?」

 僕がそう尋ねるとハヌは再び、くふ、と不敵な笑みを見せた。蒼と金の瞳の奥に剣呑な光が宿る。

「わからぬか? ここは外じゃろう。あの狭い塔の中ではない。ということはじゃ、妾もさほど手加減することなく術を撃つ事が出来るということじゃ」

 普段ルナティック・バベルの中では、ハヌの術式はあまりに強力過ぎて使うことが出来ない。彼女の言葉を信じるなら、本気でやればルナティック・バベルをも壊しかねないからだ。

 しかし、今みたいに外にいるならば。

 小さな唇をにんまりとさせて、ハヌはやおら周囲を見回す。眉の上で掌のひさしを作り、どうやら建物の高さを測っているらしい。

 けれど、このフロートライズにはどうあっても高さを測れない建造物があるわけで。

「……ふむ。やはりあの塔が邪魔になるのう。しかし、あれを吹き飛ばしてはいかんのじゃろう?」

 むしろ面倒くさいから吹き飛ばしてしまおう的な感じで言うので、僕は慌てて声を張り上げた。

「あ、当たり前だよ!? そんなことしたらこの街のエクスプローラー全員が仕事できなくなっちゃうよ!? というか世界遺産だからね!? こ、こんな状況だけど流石にそれはマズイよ!?」

「仕方ないのう。ならば、やはり詠唱に三ミニトほど必要か。となると――」

 ちらり、と流し目を僕に向けるハヌ。

 もうこの時点で、次に彼女が何と言うかが予想出来てしまった。

 くふ、とハヌが笑い――そして、いつか聞いたことのある台詞が再び紡がれた。

「――ラトよ、妾を守れ」





 ハイマルチキャストによる緊急連絡はすぐさま都市全域に届くけど、その対応が即座に出来るわけではない。

 空中戦が可能なエクスプローラーが安全な場所に降りてくるまで、少し時間がある。僕とハヌはその時間を使って、『カモシカの美脚亭』から一番近い公園へと移動した。

 布陣する。

 言霊を練るハヌを中央に。その前方に僕が立ち、支援術式〈リキッドパペット〉×15と〈イーグルアイ〉×10を重複発動。

 ヘラクレス戦の時と同じように作った自律型デコイを、まずは五つある公園の出入り口に一体ずつ立たせて、見張りとする。誰か人がやってきても公園に入れないようにするためだ。

 また、周囲の視線からハヌを隠すため、残りの一〇体で円陣を組み、壁を作った。両手を拡げて立ちはだかる十個の【僕の背中】が、僕とハヌを取り囲んでいる。

 そして、本体である僕の頭上にも〈イーグルアイ〉を五つ。四方と真上、全方向を俯瞰で監視し、もしSBが入り口以外から公園に侵入してきたら、これを攻撃術式で迎撃する体勢だ。

「 あまねく大気に宿りし精霊よ 我が呼び声にこたえよ 」

 ハヌの詠唱が始まった。同時に、僕自身に支援術式〈ストレングス〉〈ラピッド〉〈プロテクション〉〈フォースブースト〉のフルエンハンスを五つずつ重ねて発動。強化係数を三十二倍まで引き上げる。

「 其は魔を滅する絶対の牙 邪を破る堅固な鱗を持つものよ 」

 ゆっくりと、じっくりと、言葉そのものに力を込めて、ハヌが特別な術式を編んでいく。海竜の時もそうだったけど、詠唱に時間がかかるというのは別段、祝詞が長いわけではない。一言一言に術力を込めるため、例え祝詞が短くとも多くの時間がかかってしまうのだ。ましてや、今のハヌは手加減をするために微妙な調整を加えている。術式制御には自信のある僕だけど、それでも彼女が〝SEAL〟内でどういった処理を術式に施しているのか、さっぱり想像できない。

「 その身が踊るは宴 その身が舞うは天 」

 外套を身に纏い、頭だけを露わにした小さな女の子は、瞼を閉じ、一心不乱に言霊を紡いでいる。右手の扇子リモコンは閉じたまま水平に構えられ、前へ差し出されている。その手前には、祈りを捧げるように指を揃えて立てられた左手。

 全身の〝SEAL〟を励起させ、輝紋からはスミレ色の光が煌々と輝く。右手に持った正天霊符のリモコンからも同じ光が漏れている。

 彼女の周囲を取り巻くのは、まだ緩い風の流れ。肩の辺りで切り揃えられた綺麗な銀髪が、その風と戯れるように揺れている。さらにその周縁に浮かんでいるのは、陽の光を反射して煌めく正天霊符の護符水晶。その数、なんと上限の十二個。

 今こそ、正天霊符こと〝正対化霊天真坤元霊符〟の真骨頂であるオートディフェンスモードを使うときだった。後方型を支援するための護身武具である正天霊符には、術者を自動的に守護する機能が備わっている。これを発動させれば、護符水晶は術者に近付く敵性オブジェクト全てに対し、完全自動で攻撃を加えるようになるのだ。公園の出入り口に人が入ってこないよう〈リキッドパペット〉を置いたのはこのためだ。勿論、ハヌとスイッチでリンクしている僕は非敵性対象となるため、近くにいても問題は無い。また、ロゼさんの言う〈コープスリサイクル〉と違って、正天霊符のオートディフェンスモードはいつでも任意で解除できるため、欠陥品と呼ぶには値しない。だからこそ、お値段もべらぼうに高かったのだけれど。

「 悠久の光を呑み 永久の闇を貪り 万物の根源から来よ 」

 公園の外からは、断続的に戦いの音や逃げ惑う人々の悲鳴が聞こえてくる。その度に助けに行きたくなって体のあちこちが痙攣したように反応してしまうけど、どうにか我慢する。

 今の僕の役目は、ハヌの守護だ。それを放り出すわけにはいかない。

 一句唱える毎に十セカド以上の間を置きながら、ハヌの詠唱が続いていたところに、

『――GGGGRRRRRRYYYYYYY!!』

 上空からSBの雄叫び。〈イーグルアイ〉の視覚情報から、ペリュトンを始め、ガルーダ、ハーピー、ペガススなどの飛行型SBがこちらに向かってきているのがわかる。

 ハヌの放つ強大な術力に惹かれてやって来たに違いない。

 ざっと見た総数は軽く百体以上。しかも、どいつもこいつもルナティック・バベルで言えば一五〇層以上の高レベルSB。

 この瞬間、僕は〈フォースブースト〉を更に五つ発動させ、術力の強化係数のみ一気に1024倍まで上昇させた。

 来るなら来い。

 例え相手が何であろうと、ハヌには絶対近付けさせない。

 この子は、何があろうと僕が守り切ってみせる。

「〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈エアリッパー〉〈エアリッパー〉〈エアリッパー〉〈エアリッパー〉〈エアリッパー〉〈ボルトステーク〉〈ボルトステーク〉〈ボルトステーク〉〈ボルトステーク〉〈ボルトステーク〉――」

 三種類の攻撃術式を五つずつ〝SEAL〟の出力スロットへ装填していく。まだだ。まだ距離が充分じゃない。両手を空に向ける。十本の指先と手の平、両肩と額に攻撃術式のアイコンが表示される。どのアイコンも大きさは五十セントルから七十セントル程度。いくら〈フォースブースト〉で術力が強化されているとはいえ、一つの術式にあまり力を入れすぎると、すぐにフォトン・ブラッドが枯渇イグゾーストしてしまう。幾重にも重なったアイコンが、雨の日の水溜まりに出来る波紋のようにも見える。

 高まっていく緊張感。はち切れてしまいそうな神経。意識が研ぎ澄まされ、関係の無い音がすうっと遠ざかって――

「――ここだぁっ!」

 SBの群れが射程内に入ったと判断した刹那、僕は全ての攻撃術式を発動させた。

 爆裂を起こす光線が、固体化した風の刃が、稲妻の槍が、天空に向かって一斉に撃ち放たれる。

『GGGGGRRRRRRYYYYYY!!』『PPPPPGGGGGGYYYYYAAAAA!!』『KKKYYYYEEEEEEEEAAAAA!!』

 甲高い奇声を迸らせ、集い来るSB達が戦意を剥き出しにする。攻撃術式の直撃を受けた奴はそのまま空中で活動停止シーケンスに入るが、群れ全体の動きは止まらない。どんどん迫ってくる。

 僕はさらに喉を嗄らし、〈フレイボム〉〈エアリッパー〉〈ボルトステーク〉を連呼した。誰だ、攻撃術式に起動音声なんて余計なセキュリティをつけた奴は。面倒くさいにも程があるじゃないか。

「〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉――!」

 僕は人間砲台と化した。〈イーグルアイ〉で視認した敵を照準しては、攻撃術式を繰り出す。空中からも、地上からもSBは次々と近寄ってくる。前もって配置しておいた〈リキッドパペット〉は立派な囮として機能してくれたし、〈イーグルアイ〉は全方向から接近してくる敵を一体たりとも見逃さなかった。

「〈エアリッパー〉〈エアリッパー〉――〈エアリッパー〉〈エアリッパー〉〈エアリッパー〉――!」

 それでも僕達の元へ集まってくるSBの数は加速度的に増加していった。いくら強い術力に惹かれて集まってきているにしても、度が過ぎていた。いや、何せ総勢は二十万なのだ。時が経てば経つほど、密度は濃くなっていくに決まっていた。

 だけど文句も弱音も吐けない。ここで僕達が敵を引きつけている間は、襲われる人の数が減るはずなのだから。

「はぁっ、はぁっ――〈ボルトステーク〉――〈ボルトステーク〉〈ボルトステーク〉――〈ボルトステーク〉……〈ボルトステーク〉……!」

 やがて、僕とハヌを取り囲む〈リキッドパペット〉の円陣までSBが押し寄せた瞬間――ハヌの周囲に浮遊していた正天霊符がその真髄を見せた。

 十二個の護符水晶が荒れ狂う。

 円を描きながら奔るその姿は、さながら閃光のごとく。囮で作った最終防衛ラインに触れたSBを、ただの一撃で打ち砕いていく。

「 あらゆる物を裂き あらゆる物を砕け 其は絶大なる者 我は意志と力を持つ者 敵は我らが理に叛する者 」

 気が付けばハヌの詠唱も終端が近付いてきていた。僕は気持ちを奮い起こし、さらに攻撃術式を連発する。

「――ッ、〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレ――えっ?」

 起動音声を口にしていると、不意に小さな違和感を覚えた。

 ――あれ? 今、まだ四回しかセキュリティ外してないよな? え? でもなんで?

 なんで、もう〈フレイボム〉が【五つ】起動しているんだろう?

 炸裂する爆発。腹の奥まで揺るがす大音響が飛行SBを連続して吹き飛ばす。活動停止したSBのコンポーネントが雨みたいに降りかかってくる。

「〈エアリッパー〉〈エアリッパー〉〈エアリッパー〉〈エアリ――ッ!?」

 まただ。また、僕の音声と〝SEAL〟内でのセキュリティ処理がズレた。今度は二回分。三回しか起動音声を口にしていないのに、【五つ】分の発動セキュリティが解除されていた。まるで、一回の起動音声で、二つの鍵が外れているかのように。

 ――まさか……?

 自身の内側で起こっている奇妙なズレに困惑しながらも、敵は悠長に待ってなどくれない。僕はすぐさま装填した〈エアリッパー〉を発射する。敵の数が多すぎてどこを狙っても当たる。

 次は意識的に【ソレ】をやってみた。

「――〈ボルトステーク〉」

 起動音声が一つ。〝SEAL〟の出力スロットに装填される術式――【二つ】。

「……〈ボルトステーク〉!」

 さらに起動音声を一つ。セキュリティ解除――【三つ】。

 たった二回の発声で五つの攻撃術式のセキュリティを解除して起動させた僕は、しかし躊躇わずに攻撃を続行した。今はとにかく狼狽えている場合ではない。SBの増え方が半端じゃない。もう空の蒼さえ見えない。少しでも気を抜けば、いつ押し潰されてもおかしくないのだ。

 どういうカラクリで攻撃術式の音声セキュリティが同時に解除できるのか、自分でもよくわからない。けど、迎撃の手が早まって困ることはない。〝SEAL〟の処理ズレは気になるけど、何もかも生き残ってからでないと話にならない。

 爆竹のように三種類の攻撃術式を撃ちまくって、僕のフォトン・ブラッドがとうとう枯渇する寸前になった頃。

「 我らが手を合わせ 息を合わせ 心を合わせれば 全てはただ滅するのみ 」

 やっと、長い長い三ミニトが終わった。

 カッ、とハヌが両眼を見開き、ヘテロクロミアから鮮烈な輝きを放った。

 鋭い衣擦れの音を立て、ハヌがその左の掌を天空に向ける。

 その瞬間、掌の先からスミレ色のアイコンが輝きながら生まれ――一気に膨張する。

 円形のアイコンは凄まじい速度で上昇しながら、瞬く間にその面積を拡げていく。その拡大は止まることを知らず、中央区を覆い、さらに東西南北の区画もカバーし、それでも速度を落とすことなく広がり続け――

 ほんの一セカドで、浮遊島フロートライズ全域を傘下に置いてしまった。

 高さは、都市の中でも一番高い建物――都市長のいる都庁の十メルトル上ぐらいで固定されている。島にいる僕達にしてみれば、ちょうど頭上に【蓋】をされてしまったような状態だ。

 それでいながら、ハヌのアイコンは器用にルナティック・バベルのある空間だけ穴を空けて、おそらくは被害が及ばないような形になっていた。

 遠くからこの島を眺めれば、それは奇妙な風景として人の目に映ったことだろう。

「ふむ、【これぐらい】でよいかのう? 我ながら絶妙な力加減じゃ」

 飄々と軽い調子で、空に手を上げたハヌが言う。その口振りから、これほどの巨大なアイコン、大量の術力ですら、彼女の〝本気〟ではないことが察せられた。

「よく耐えてくれたな、ラト。これで空の化生共は――」

 それでも髪の毛が汗で頬に張り付いていて、先程までの詠唱がどれほど大変だったかを窺わせるハヌは、くふ、と楽しげに笑うと、高らかにこう宣告した。

「―― 一網打尽じゃ!」

 ぐっと掲げた左手を握り込み、威勢良く最後の言霊が紡がれる。



「 〈天龍現臨・天穿龍牙〉! 」



 風が吹いた。

 浮遊都市の大地全てを撫で、ゴミや塵を空へ巻き上げるような動きの風だ。

 それらの風は全て、空を覆うスミレ色のアイコンに吸い込まれていく。

 地上から集められた風はアイコンをすり抜けた途端、力を持つ流れとなり、収束していく。

 まず最初に生まれた風の束が、ルナティック・バベルに巻き付くように伸長した。その姿はまるで棒に絡む蔦か、あるいは獲物に巻き付く蛇かのごとく。

 荒れ狂う風の束を纏った軌道エレベーターが一回り太くなったように見えたかと思うと、さらにアイコンから巨大な竜巻が生じた。一本、二本、三本――どんどん増えていく。森の木のごとく林立していく。

 空を見上げられる位置にいる誰もが――暴れ回ることしか能の無いSBですら、その光景に釘付けになっていた。システム上、危険度の高い現象には反応してしまうのが奴らの習性だった。

 密集した竜巻は、やがて近くのもの同士が合体し、まとまり――一つに束ねられていく。

 こうして、浮遊島の中央から宇宙へと伸び上がるルナティック・バベルを中心に、あまりにも巨大すぎる竜巻が誕生した。

 遠い場所から見れば、それは逆さにした灰色の漏斗に見えたかもしれない。真下から見上げる者達にとっては、大きさのあまり現実味が一切感じられず、中には天蓋の彼方に棲むという伝説の悪魔が現れたのだと、本気で信じるものまでいた。

 吹き荒ぶ風の音に、時折まじる雷鳴。そして――SBの放つ電子音。

 中央区の直径と同じ太さを持つ竜巻は、もちろんのこと空中を飛行していたSBを呑み込みながら荒れ狂っていた。直接の範囲内にいなかったものですら、吸引力に負けて引き寄せられていく。どれだけ翼を羽ばたかせようとも、抗えるものは一体たりともいない。

 不意に、巨大な竜巻が【うねった】。

 生き物のような生々しい動きに見えた。

 それもそのはず。

 空の彼方、天蓋すら貫いて宇宙へと飛び出していても不思議ではない巨大竜巻の【先端】が、超高空で身を折り返して【戻って】きたのだ。

 それは――誰がどう見ても『龍』の顔だった。

 そう。『竜』ではなく『龍』。ドラゴン・フォレストにいる幻想種の『ドラッヘ』ではなく、龍脈や龍穴のように観念として扱われる『ルン』の方だ。

 竜巻から変化した、巨大な風の龍。

 そう認識した瞬間、同時に理解もした。

 そうか。これがハヌが言っていた化身――〝天龍〟なのだ、と。この世と塵界とを繋ぐ超常の存在。圧倒的な力。

 ハヌの術式の、真の姿。

 もはや語るべき言葉などない。

 天の王と呼んでも過言ではない巨龍は、その身をうねらせ、山一つを軽く飲み込んでしまうほどの顎門を開き、空を舞った。

 それだけでフロートライズの空域を埋めつくしていた飛行型SBが、羽虫よりもあっけなく消滅していく。

 攻撃だとか、天災だとか、そういうものですら無かった。

 ただただ、削除デリート

 味も素っ気も無い、作業のような光景。蝋燭の火を消すよりもあっけない。

 現人神が何故、人の身でありながら神と呼ばれているのか――僕は今、その一端を垣間見ている。

 天龍はぐるぐると三周ほど浮遊島の上空でとぐろを巻き――それだけで飛行していたSBは全て呑み込まれていった――ふと鎌首を下方へもたげた。

 天龍自身が現れ出でた術式のアイコン。スミレ色の紋章に頭を突っ込み、その中へずぶずぶと沈んでいく。まるでそこが湖面か何かであるかのように。

 しばしして、尻尾――と言って良いのだろうか――がルナティック・バベルの表面から剥がれるように、空の彼方へ消えていく。しかし、それもどこか目に見えないほどの高空で折り返して、巨大なアイコンへ流れ込む一本の流れとなる。

 それはちょうど、蛇が巣穴に帰って行く姿にも似ていた。

 天龍の体、というか巨大竜巻が全てアイコンに吸い込まれると、スミレ色の意匠もまた、大気に溶けるようにして消失した。

 しん、と音が消え、静寂が満ちる。

 後には、ただひたすら明るい蒼穹だけが残った。

 それから思い出したように、空中を漂っていた情報具現化コンポーネントが、新しい所有者となったハヌの下へと移動を開始する。

 コンポーネントの移動速度は、距離が離れていれば離れているほど、加速がつく。どういった法則かはわからないけれど、その加速度は重力のそれと近似値らしい。

 つい先程まで日光を遮るほど空を埋めつくしていたSBの数は、一体どれぐらいだったのだろうか。少なくとも、万は下るまい。

 今、その全てがハヌへと集中していく。

 殺到していく。

 流星雨のごときコンポーネントを一身に集める彼女は、身の回りに星屑にも似た煌めきを幾千幾万もばらまきながら、呆然とする僕を見て無邪気に笑った。

「どうじゃラト、これでもう誰も妾を〝小竜姫〟などと呼べぬじゃろう? 次はどんな名がつくか、楽しみじゃのう」

 そう嘯くハヌは、やっぱりいつものハヌだった。



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