リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広 仙戯

●9 甘い甘い悪意




 血の匂いが立ち込めている空間に。

 くっちゃくっちゃ、と不味そうに物を食む音が響いている。

 不機嫌そうな咀嚼音を作っているのは、寂れたバーのカウンターに座っている痩身の男だ。

 薄暗い照明の下、灰色の頭にオリーブグリーンの制帽を載せ、黒いコートを肩に羽織っていた姿がぼんやりと浮かび上がっている。

 カウンターテーブルの皿にはローストビーフの切れ端。

 適当な手付きで右手にフォークを持っている男――シグロス・シュバインベルグは、味の抜けたガムを噛むかのように肉を咀嚼し、まるでそれが義務であるかのごとく、ごくり、と音を立てて嚥下した。

 途端、最低限の礼儀は果たしたと言わんばかりにフォークを皿に放り投げ、甲高い音を立てさせる。ウィスキーが注がれたグラスを左手に握り、噎せ返るような血の匂いが漂う中、ぐいと呷る。

 一息に飲み干すと、突然、空になったグラスを壁に叩き付けた。衝撃でクリスタルガラスが砕け、破片が飛び散る。煌めく欠片のいくつかが、臙脂の絨毯に転がっている死体へとパラパラと降りかかった。

「……ふん」

 シグロスはその光景をつまらなさそうに吐き捨てる。

 彼が来るまでは、場末のここは寂れていても、少ない常連客とマスターがいつものやりとりを行っていた。

 しかし、今やこのバーで呼吸しているのは、シグロスただ一人だけ。

 全員、彼が殺した。

 シグロスはこの店に足を踏み入れてすぐ、テーブル席にいた常連客四人を血祭りに上げ、次いで、カウンターの向こう側にいたマスターには食事と酒を用意させてから、代金がわりに死を与えた。

 フォトン・ブラッドに進化したと言っても、血液が持つ匂いは旧人類の頃からさほど変わっていない。鉄にも似た生臭い臭気は、今や火を点ければ爆発しそうなほど店内に充満していた。

 じとり、とライトブルーの瞳が、先程まで食べていたローストビーフに恨みがましい視線を送る。寂れた店だけあって、看板メニューとやらの味もひどいものだったようだ。

 ぺっ、と唾を吐きかけて二度と口に入れない意思表示をした時、出入り口のドアベルが鳴り響いた。

 首を巡らして闖入者の顔を見て取った途端、シグロスは軽い調子で声をかけた。

「――遅かったじゃないか。こんなにも待たせるなんて意地の悪い奴らだな」

 ドアを開いて店内に入ってきたのは、三人の男だった。全員がシグロスと同じ、オリーブグリーンの軍服めいた服を身に纏っている。

 宵闇からバー内に踏み込んですぐ、血の匂いに気づいて彼らは三者三様に顔を顰めた。先頭に立つ男が店の片隅に座っているシグロスの姿を認め、

「――シグロスさん、無用な殺しは困りますと何度言えば……」

「無用じゃあないさ。必要だから殺した。それだけさ」

 互いに顔見知りである彼らは、数日振りの再会にもかかわらず、挨拶も抜きに会話を始めた。

「……しかし、この店で落ち合うことにしたのは、リーダーである貴方ではありませんか。何も店にいる人間を殺してまで合流場所を確保しなくとも……」

「なんにせよ拠点は必要だろう? 俺だって考えなしにここを選んだわけじゃないさ。まず人目の付かなさや龍穴ボルテックスとの距離だろ? それに【殺しても良い奴が多いか少ないか】、あと酒の有無」

 最初の条件二つまでならともかく、それ以降はシグロス以外には納得のいく理由にはならなかった。指折り数えるクラスタリーダーに、部下である男達は揃って渋面を作り、静かに溜息を吐く。

 彼らがいる懐古的なデザインのバー『レコンキスタ』は、浮遊島フロートライズの北地区――別名、サンダウン・ゲットーとも呼ばれるスラムの一角にある。

 浮遊都市とも空中要塞とも異名をつけられるフロートライズは、空港のある南側から発展していった歴史がある。その為、開発の遅れた北側は貧民層が寄り集まって治安が悪化してしまい、現在もなお、そのまま放置されていた。

 バー『レコンキスタ』が位置するのは、例えて言うなら北地区の【入り口】付近。日陰者が真っ先に軒下を求めてやってくる場所である。これより奥は紛う事なき【魔窟】であるため、余程のヤクザ者でもなければ先に進むことは無い。

 シグロスが言った通り、この時間、この場所で酒を飲む人間というのは、大概が【ろくでもない】連中である。その事自体は、部下達も強く否定できなかった。

 部下三人の顰め面を見て見ぬ振りをして、シグロスはストレージから一本のシガリロを取り出した。何も無い空中に突如としてクロムグリーンの光が凝縮して、一〇セントルほどの焦げ茶色の葉巻が現れる。シグロスは学者然とした手でそれを摘まみ、

「――で。首尾は?」

 口の端に咥えながら、素っ気の無い声で三人に問うた。左手の人差し指に小さくライターの術式アイコンを表示させ、シガリロの先端を火で炙る。

 三人の中では立場が一番上である先頭の男が、生真面目な声で答えた。

「街の八方にある龍穴ボルテックスにそれぞれ人員を配置しました。いつでも作戦を開始できます。しかし……」

「しかし?」

 言葉を濁した部下に、シグロスは紫煙を吐きながら胡乱な目を向ける。何を考えているかわからない、得体の知れないライトブルーの瞳を向けられ、男は居心地悪そうに報告の続きを口にした。

「それが……どうも街の様子がおかしいんです。至る所に警備らしき人間が立っていて、特に重要拠点はやたらとセキュリティが厳重になっているようで――」

「当たり前だろ、馬鹿かお前は」

 にべもないシグロスの声が、男の舌を石化させた。カウンターチェアに腰掛けたままのシグロスは、葉巻を口から離すと、ぷぅ、と馬鹿にするように煙を吐く。重く甘ったるい薫香が血の匂いを圧して室内に充満していく。

「――あのな、俺達『ヴォルクリング・サーカス』がやった事はとっくにニュースになってただろう? チェックしてなかったのか? どこの街だって警戒ぐらいするだろうさ、普通なら。というか、その程度の情報なら先に潜伏していた俺の方がよくわかっているに決まっているだろ? もう一回聞くけど、馬鹿なのかお前は?」

 先程までの軽薄なものから打って変わって、低く押し殺した声音で叱責された男は、顔に脂汗を浮かべ、それでも抗弁する。

「……し、しかしシグロスさん、その警戒の度合いが尋常では無いんです。情報を収集してみた所、どうやらこの街のエクスプローラー達も警備に絡んでいるようでして……」

「フロートライズの上層部から協力要請が来たんだろ? ちょっと頭の回る奴が上にいるなら、その程度の対策ぐらいすぐに思い付くだろうさ」

 またしてもすげなく一蹴された男は、ついには露骨に声を尖らせて反駁した。

「……コンポーネント換金センターに、どう見ても百人以上のエクスプローラーがたむろしていました。しかも、おそらくはトップクラスの奴らが。明らかに我々がこの街を標的にしていることが見透かされています! 情報が漏洩したのか、それとも嗅ぎ付けられたのかはわかりませんが……危険です! 今回の計画は見直すべき――」

「さっきから気になってたんだけどさぁ」

 不意にシグロスが椅子から降りた。右手にシガリロを摘まんだまま、声を荒げる男に向かって歩き出す。ツカツカと容赦の無い歩調で歩み寄ったシグロスは、唇の端から紫煙を漏らしながら一気に肉薄し、大して背丈の変わらない男の顔に自分のそれを近付ける。

「――いや、実を言うと、割と前から気になってはいたんだけどさぁ」

 最後の、さぁ、で大きく口を開いて濃密な煙を男に吹きかける。堪らず男が咳き込むと、その首元にシグロスの左手がぬっと伸びて、服の襟をむんずと掴み取った。

「なんかお前、俺に反抗的だよね?」

「うぐぁ――!?」

 優男風のシグロスの片腕に、明らかに彼よりも体重が勝るであろう男が軽々と吊り上げられた。男の足が床から離れ、ジタバタともがく。

「シ、シグロスさん!」「リーダー!?」

 他の二人が慌てて制止の体勢を取るが、シグロスは歯牙にもかけない。左手一本で部下を掴み上げた彼は、右手のシガリロを口に含め、芳香を楽しむようにしばし瞼を閉じる。

 じっくりと味わうように煙を吐きながら、彼は目を開け、視線を頭上にある部下の顔へと向けた。

「――なーんかさっきから引っかかる言い方してるよな? 【リーダーである貴方】、とか? その割には俺のことを『リーダー』とは呼ばないで、意固地に前と同じ『シグロスさん』呼びだよなぁ? ――ああ、それはそっちのお前も同じか?」

 じろり、と淡い青色の視線が、まさに先程『シ、シグロスさん!』と声を上げた部下を突き刺す。まるで蛇のような不気味な眼光に、部下は堪らず「ひっ――!?」と悲鳴を漏らして射竦められた。

 シグロスは三人の部下の顔を、地べたを転げ回る死にかけの虫でも見るような瞳で見回すと、突然、くは、と笑う。

「なに? なんなのかなこれは? 気に食わないのか? 俺がお前達のリーダーってことがさ? え? 文句があるなら言ってみてもいいんだよ? むしろ、はっきり言ってもらえた方が俺もすっきりするしさ? 言ってご覧よ。んん?」

「ぐっ……ぁ……っ……!」

 シグロスの左手がギリギリと男の喉元を締め上げる。言ってみろ、と口では言うが、これでは声の出しようも無い。

「――ほぉら、言ってみろよ。わかってるんだよ? お前らの考えていることぐらいさ。つまり、こうだろ?」

 一人で勝手に話を進めるシグロスの双眸に、魚類の鱗にも似た、ぬるりとした光が宿る。バーの薄暗い照明の下にあってなお、ライトブルーの両眼は、それ自体が仄かに発光しているかのようだった。

 皮膚の裂け目のように開いた唇の端から、瘴気よろしくシガリロの紫煙が溢れ出る。

「お前らはさぁ、ぶっちゃけ俺が気にいらないんだろう? 前のリーダー――クラスタメイカーのオーディス・ヴォルクリングを殺したってだけで、新しいリーダー面している俺がムカツくってんだろう? ええ? そうなんだろう?」

 楽しそうに、どこか歌うように、そして呪うように、シグロスは言う。芝居がかった所作で首を横に振り、

「けど残念だなぁ……大いに残念だ。俺は悲しいよ。お前達だって共犯だろ? だっていうのにさ、俺だけに責任を押し付けようなんてさぁ……いやまぁ、直接手を下したのは確かに俺だけど――ね?」

 凄惨な内容を、しかし事も無げに言い放ったシグロスは、いきなり左腕を大きく振って部下の体を壁に投げつけた。

 ボールでも放り投げるような、無造作な動きだったはずである。

 だというのに、響いた音はひどく重かった。

 壁と望まぬ抱擁を強いられた男の体は、いつまで経っても床には落ちなかった。砲弾のごとき勢いで叩き込まれたその身は、半ば以上を罅だらけの壁に埋もれさせていた。無論、男の息の根はとうに止まっている。

「「――~ッ……!?」」

 仲間の一人があっさり殺されたことに対して絶句する、残りの部下二人。

 シグロスはシガリロを一口吸うと、悠然と二人に体を向ける。

「わかるよぉ? 前の体制だとオーディス師匠が一番、その次が俺。そのさらに次がお前ら三人だったもんな? しかも年齢だってお前らの方が若干上だし? あわよくば――なんて考えちゃうのも無理はないよなぁ?」

 答えを確かめる気もない問いを繰り返す。それが、シグロスが本気で怒っている時の癖であることを二人は知っていた。

「ま、待ってください、リーダー……、落ち着いてください。わ、私達はそんなつもりは……」

「ははは、今更リーダーって呼ばれてもなぁ? ほら俺、殺しちゃったよアイツ?」

 懸命に事態の収拾を図ろうとした一人を、シグロスは壁に埋まった男をシガリロの先端で示して笑い飛ばす。

 もうお前らだって殺す――そんな意図を、二人はどうしようもなく汲み取ってしまった。

「――ど、どうして、突然こんな……!?」

 あまりの急展開に上手く頭が回らないのか、もう一人がシグロスにとってはつまらない質問を口にした。

 彼は、くは、と笑い、

「どうしたもこうしたも。もうお前らには用がないからに決まってるだろ? というか、『ヴォルクリング・サーカス』だってここまで来たら用済みさ。もう俺の目的はロルトリンゼだけなんだからさぁ?」

「は……? な、なんですかそれは……!? 何を言っているんです!? よ、用済みというなら――ど、どうして、この街の襲撃計画を――」

「そ、そうです、あの新術式の効果を知らしめて、最終的にはどこかの軍に売却するという話だったではありませんか!?」

 全く理解できない、という文字を顔に浮かべて、部下達は声を荒げる。

 無理からぬ事であった。

 彼らにとっては、こんなはずではなかったのだから。

 そう、こんなはずではなかった。

 現在の『ヴォルクリング・サーカス』のリーダーを名乗る男――シグロス・シュバインベルグが、前リーダーのオーディス・ヴォルクリングを殺害し、完成間近だった新開発の術式を強奪した時は――こんな事になるなど、誰も予測していなかったに違いない。

 当時、開発中だった術式のコードネームは〈コープスリサイクル〉。

 それは文字通り、一度は撃破されコンポーネントに回帰したSBセキュリティ・ボットを、遺跡内と同じように『大量に』、そして『低コスト』で再生リサイクルするという画期的な術式だった。

 これが完成すれば、使役SBだけで構成された軍団コープスを作ることが出来る。そうなれば、今は冷遇されているハンドラーに陽の光が当たり、エクスプロールにも革命的な変化が起こる。もはや、遺跡内でエクスプローラーが戦う必要すらなくなるかもしれない。もう誰も、戦いで死ぬこともなくなる――そのはずだった。

 しかし、術式がもう少しで完成するというところで、オーディスは『開発を打ち切る』とメンバーに宣告した。

 当然、メンバー全員が反対した。膨大な年月と予算、努力に次ぐ努力が注がれた研究だったのだ。今更中止してどうするというのか。

 理由はこう語られた。

『この術式が悪用されれば、間違いなく多くの犠牲者が出る。それは決して赦されないことだ』

 オーディスは強い口調でそう言った。それが研究を打ち切るに足る理由である――と。

 だが、誰も納得などしなかった。そも、攻撃術式のように何かを傷つけるために存在する術式だってある。現存する使役術式とて、使い方を違えれば、いくらでも人を殺す事が出来るのだ。

 ――今更すぎる。そんな事は最初からわかっていたではないか。

 クラスタのサブリーダーであり、術式開発においてもハンドラーとしてもオーディスの一番弟子であったシグロスを筆頭に、メンバー全員がオーディスに抗議の声を上げた。

 ――愚かにも程がある。考えずともわかるような理由で、今になって研究を潰えさせるなど。この期に及んで臆したか。

 不満を爆発させた部下達に、オーディスはこう語った。

 ――それは違う。気付いたのだ、悪用された際の危険性に。この術式は当初の想定以上に、あまりにも効率的に大量のSBを使役することが可能になってしまう。危険すぎる。

 危険性を説くオーディスに、しかし誰も引き下がらなかった。むしろ、リスクが大きいからこそリターンも大きいのだ、とまで宣う者まで現れた。

 これに対して、オーディスはこうも言った。

 ――研究を打ち切る理由はそれだけではない。この〈コープスリサイクル〉を完成させる為には、まだまだ多くの予算が必要だ。しかし、もう金が無い。ここはスポンサーから融資を得るため、新たな研究企画を立ち上げるべきなのだ。

 いっそ清々しいまでの暴露であった。オーディスは全ハンドラーの悲願とでも言うべき研究を破棄して、しかも金を得るためだけに、金持ちの食いつきが良い新しい企画を立てろと言ったのだ。

 この時を境に、メンバーの不満は完全に飽和してしまった。

 故に後日、シグロスがオーディスを手ずから殺めた時も、メンバーの誰もが驚きでは無く、納得と共にその事実を受け入れた。

 それから――今まではその天才を隠していたのか――シグロスは未完成だった術式〈コープスリサイクル〉をあっと言う間に完成させ、『ヴォルクリング・サーカス』最大の目的であった【使役SBの大量再生】を現実のものとした。

 術式を完成させるためには予算が足りない――とオーディスは語ったが、それはどうやら研究打ち切りに反対するメンバーを諦めさせるための方便だったらしい。

 いくつかの煩わしい準備や条件が必要ではあるが、とにかく〈コープスリサイクル〉というハンドラー究極の術式は完成した。

 シグロスは他のメンバー全員を集めて、こんな提案をした。

 ――そろそろハンドラーが舐められる時代を終わりにしようか。【コレ】さえあれば、世界がひっくり返せる。全人類を見返してやろうじゃないか。

 否やを唱える者は一人としていなかった。

 彼らは世界中にハンドラーの威光を広めるため、またこれまでの汗と涙の結晶に匹敵する対価を得るため、その手を汚す事を決意したのだ。

 クラスタ『ヴォルクリング・サーカス』が、テロリスト集団に堕した瞬間であった。

 こうして新生『ヴォルクリング・サーカス』のメンバー総勢十五名は、まずは拠点であったパンゲルニアの地方都市リザルクで〈コープスリサイクル〉を発動させ、瞬く間に壊滅へと追い込んだ。

 次なる目標は、天然の要塞――浮遊都市フロートライズ。ここを力尽くで占拠すれば、『ヴォルクリング・サーカス』の英名は世界中を駆け巡り、遠からず何処かの軍事国家から招聘がかかるはずであった。

 そのはずだった。

 そんな展開になるはずだったのだ。

 なのに。

 愕然とする部下二人を、シグロスは救いがたい愚か者だと言わんばかりに嗤う。

「――そんな適当な計画、嘘に決まっているだろ? どうしてと聞かれたら、お前らを騙すためとロルトリンゼを炙り出すため――とでも言えばいいのかな? お前らってさ、地位と名誉と金、それさえ手に入るんなら何でもするってタイプだったろ? 長い間抑圧されてきて劣等感を拗らせてるタイプだったからなぁ、お前ら全員。どいつもこいつもチョロかったよ本当。騙しやすいにも程があったというか」

 可笑しくて堪らない、と言った風にシグロスはくつくつと嘲笑する。

「あとさ、ロルトリンゼだけど。アイツのことだからさ、絶対出てくると思うんだよね。自分のいる場所で、大量虐殺とか起こったらさ」

 新生『ヴォルクリング・サーカス』において唯一の気掛かりは、オーディスの一人娘であるロリトリンゼ・ヴォルクリングだった。

 彼女は術式開発においては父オーディスに師事していたが、クラスタの一員では無かった。ソロのエクスプローラーとして近場のドラゴン・フォレストで活動する、ある意味では一番ハンドラーらしいハンドラーだった。

 彼女はオーディスの死が発覚した直後、シグロス以下クラスタメンバーが何かしら手を打つ前に、その行方をくらました。恐らく――否、間違いなく父親のオーディスが暗殺されたことを察しての行動だろう。

 シグロスは、いっそ爽やかとも言える笑みを顔に張り付かせて、シガリロを一服。ぽかり、と紫煙の輪っかを口から吐き出す。

「間違いなくこの街にはいるはずなんだよなぁ、集めた情報から判断すると。地元であれだけ騒ぎ起こしても出てこないと思ったら、空港に渡航ログが残ってるんだもんなぁ。行動速すぎだよ、アイツ。それにしたって一体何が目的でこんな――」

「――ま、待ってください……待って下さい!」

 部下の一人が大声でシグロスの口上を遮り、慄然と見開かれた瞳を向ける。ぶるぶると震える指先でシグロスを指し示し、重い声を絞り出した。

「ま、まさか……リザルクで〈コープスリサイクル〉を発動させたのも、次の目標をここにしたのも……た、単にロゼお嬢さんを見つけるためだけだったんじゃ……!?」

「そうだけど?」

 あっさりとシグロスは肯定した。

 信じがたい事実に絶句する部下二人に、シグロスは途端に興が醒めたかのごとく落ち着いた声で言う。

「ようやく気付いた? 俺が欲しいのは、アイツが開発していた【特級SBを使役する術式】だけさ。それ以外は本気でどうでもいい。お前らはその為の手駒だったってわけ」

「……な、なら、もしここに……フロートライズにロゼお嬢さんがいなかった時は……?」

 当然と言えば当然の質問に、シグロスはライトブルーの視線をあらぬ方向に向けて、しばし考え込んだ。

「……その時は――そうだな、その時はもう、ロルトリンゼが這い出てくるまであちこと壊して回ろうか。それか、どこかのメディアで『お前の親父を殺したのは俺だー』って吹いて回ろうか。なんにせよ、アイツが俺を殺しに来るように仕向けて、そこを……ああ、そうか。最初からそうしておけば良かったのか? 何だ、無駄な手順を踏んじゃったな」

 シグロスは妙案を思い付いたという風に、それでいて、こんな簡単な事にも気付かなかったのかと照れるように、苦笑した。

「まぁいいか。お前ら全員の間抜けっぷりを眺めるのも楽しかったし。いちいち反抗的な奴ら――ああ、お前ら三人のことな?――はちょっと腹が立ったけど、それはそれでスパイシーだったって考えれば。うん」

 シガリロを口の端に咥え、両手を空にして、

「――それじゃ、そろそろ茶番は終わりにしようか。というか、お前らのしょうもない顔は見飽きたし」

 右掌に深い森の色をしたコンポーネントが現れる。シグロスの血色の悪い肌に、クロムグリーンの輝紋が浮かび上がった。幾何学模様を描く〝SEAL〟にフォトン・ブラッドが駆け巡り、励起する。

「「――!?」」

 シグロスが何をするつもりなのか、それを即座に察知して、二人の部下も咄嗟に動いた。彼らもまたハンドラーだ。それぞれの手に、己が所有するコンポーネントを取り出す。

 右の男はルナティック・バベルで回収できる青白いものを。

 左の男はキアティック・キャバンで手に入る薄紅色のものを。

 三人の男の声が同時に重なった。

「「「〈リサイクル〉!」」」

 三色のアイコンが同時に弾け、三つのコンポーネントが具現化を開始する。

 しかし、シグロスの起動音声には続きがあった。

 紫煙をくゆらせながら、彼は楽しげに呟く。

「――〈ミングルフュージョン〉」

 刹那、ライトブルーの双眸が、溶鉱炉のごとき真紅に染まった。





「これでよし、と」

 血の匂いが立ち込める空間に、軽い声が空虚に響く。

 またしても、今やこのバー内で呼吸しているのは、シグロスただ一人だけ。

 全員、彼が殺した。

 犠牲者は皆、色取り取りの血液をぶちまけて転がっているか、壁に埋まっているか、豚とも牛ともつかないただの肉塊となっているか。

 もはや店内は、かつての見る影も無く荒れ果てていた。出来たばかりの破壊痕が、全体の八割以上を占めている。

 噎せ返るような鉄の匂いと、重く甘ったるい燻煙が充満する中、シグロスは運良く無傷だったソファに腰を下ろして、自身の〝SEAL〟からダイレクトメッセージを一斉送信していた。

 この街の八方にある龍穴ボルテックス――〈コープスリサイクル〉を発動させるための条件が揃った土地に待機しているであろう『ヴォルクリング・サーカス』の面々に、指示を送ったのだ。

 彼の視界に浮かぶARスクリーンには、作戦開始時刻が表示されている。それは、一番人出が多いであろう昼の時間帯を示していた。

 これで十数アワト後には、リザルクと同じような阿鼻叫喚の地獄がこの浮遊島に顕れるだろう。

 オーディス・ヴォルクリングの危惧は、確かに正しかった。悪用された〈コープスリサイクル〉は、あまりにも多くの犠牲者を生む。

 【だからこそ】、シグロスは彼を殺したのだ。

 そう。〈コープスリサイクル〉が発動すれば、面白いほど簡単に命は散っていく。

 それはもう、花園を軍靴で蹂躙するかのごとく。

 そんな遠くない未来の場景を想像して、シグロスは口元を綻ばせた。

 誰も彼も、自分の役に立たない奴は死んでしまえばいい。生きているだけ邪魔だ――シグロスは心の底からそう思う。

 例えば、コンポーネントを集めてくるエクスプローラーの奴らなら、自分の役に立つ限りは特別に生かしておいてやろう。しかし、逆らう者、不愉快な者、どうでもいい者はどんどん死んでいけばいい。

 ロルトリンゼだってそうだ。

 大人しく術式を渡すなら良し。

 渡さない時は――葬式に参加する事すら出来なかった父親の顔を、すぐにでも見られるようにしてやろう。

 自分と再会した時、あの表情の変化に乏しい小娘は、一体どんな顔をするだろうか。どんな感情を見せてくれるだろうか。

 燃える炎のような怒りだろうか。萎れる花のような悲しみだろうか。それとも、煮詰めた毒のような憎悪だろうか。

 なんにせよ、あの綺麗な顔が歪むのが楽しみでしょうがない。

 嗜虐的な妄想に耽りながら、シグロスは新しく棚から取り出したグラスに酒を注ぎ、シガリロの芳香と共に一気に喉へと流し込んだ。

 鬱陶しい奴らを片付けたおかげだろうか。

 とても喉越しが良くて。

 胃に収まる酒精は、天使の涙を直接舐め取ったかのような、とても甘い味がした。



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