お兄ちゃんがお母さんで、妹が甘えん坊なお話

ただのものかき

気のせいかなあ…誰かに見られてたような気がしたんだけどなあ…

「ん?」



美鈴の自宅である柊家に遊びに行って、これでもかと言うほどに美鈴含む柊家の面々に可愛がってもらうこととなった日の翌日となる日曜日。

この日は、ほぼ丸一日自宅にいなかったことで、これでもかと言うほどに寂しい思いをすることとなってしまった妹、羽月のお願いで、兄妹水入らずでお出かけをすることとなった。



もっとも、涼羽が自宅に帰ってきた途端に羽月は最愛の兄である涼羽に泣きながらべったりと抱きつき、ずっと涼羽が家を空けていたために、父、翔羽も仕事で不在だったため、寂しくて寂しくてたまらなかったなどと、恨みがましくねちねちとぶつけ続け、そんな妹を見て懸命に頭を下げる涼羽のことを押し倒して、思う存分に甘えて、可愛がって…

恥ずかしすぎていやいやをする兄にさらに詰め寄って迫って、お願いを聞いてくれないともっと恥ずかしいことをする、などと言って無理やり嫌がる兄の首を縦に振らせる、などという行為をお願いと言えるのかは、非常に疑問となってしまうのだが。



この日曜日はずっと兄、涼羽を独り占めにしたい羽月のお願いという名のわがままで、いつもの羽月から比べると結構な早い時間から起きて、休日と言うことでゆっくりと眠っている父、翔羽を置き去りにするかのように自宅を出てきたのだ。



もちろん、そんな父のためにも、いつも通りの早起きから朝食と昼食の作り置きをきっちりとしている涼羽なのだが。



まだ商店街も、ほとんどの店が開いていないという時間帯で、しかも休日ということもあり、もともと閑散としていて、都会の喧騒とは縁遠い町中が、まるで山中にでも入り込んだかのような静寂さを感じさせている。

当然ながら、人通りも高宮兄妹の二人から見ればまるでない状態であり、そんな町中を、兄妹二人がまるで会いたくて会いたくてたまらなくて、それでも長い年月会えなくて、その末にようやく会えた恋人のように仲睦まじく歩いている。



そんな時、ふと何かに気づいたかのように、妹である羽月にべったりと寄り添われた状態の涼羽が、その視線を首ごと、自らの背後に向ける。

一戸建ての住宅が密集していて、その隙間をなぞるかのようにされている道。

だが、視線を向けた先にも涼羽が気にしたものの姿は、その視界に映ることもなく…

何かが出てくる気配さえもない。



「?どうしたの?お兄ちゃん?」



そんな兄、涼羽の動作が気になったのか、羽月がきょとんとした表情を浮かべながら問いかける。



「気のせいかなあ…誰かに見られてたような気がしたんだけどなあ…」



妹の問いかけに、涼羽は背後に向けた視線をそのままに、まるで独り言のような返しをしてしまう。



周囲を見ても、誰もいないと断言できるほどに閑散とした、見慣れた道筋なのに…

なぜか感じてしまう、視線のようなもの。

大好きで大好きでたまらないお兄ちゃんと一緒にいられて、独り占めすることができて、その幸せを目一杯堪能している羽月には、それが感じられていない様子。



羽月はもともと見られることに対して過敏と言えるほどに敏感なのだが、この兄のそばにいられるだけで、それがまるでなかったかのように無防備になってしまう。

それだけ、この兄のことを信頼しており、この兄がいてくれたら、自分は何も怖くなんかないと、本気で思っているのだ。



涼羽の方は普段から天然じみた反応や行動、思考も多い為、他人からの思いや好意に関しては非常に鈍感なのだが…

意外にも、こと自身に向けられる視線に関しては、周囲が思っている以上に敏感だったりする。



そんな涼羽の感覚が察知した何か。

それが何なのかが気になっているのか、その場を動かず、じっと視線を感じた方向を、何かを探るかのように見つめている。



「ねえ、お兄ちゃん。早く行こ?わたし、お兄ちゃんと一緒に遊びに行きたいの」



先ほどの問いかけにも反応らしい反応も返さず、まるで処理待機中のプログラムのようにぴくりとも動かなくなってしまっている兄、涼羽の、自分の胸元にぎゅうっと抱きしめている右腕をくいくいと引っ張って、早く先へ進もうと促す羽月。



昨日はほぼまる一日家を空けていて、妹である自分と一緒にいてくれなかったことに非常に不満を抱いているため、羽月はその翌日である今日は、とにかく涼羽と一緒にいて、涼羽と一緒に遊んで、涼羽のことを自分だけが独り占めしたいとずっと思っており、とにかくそれしか頭にない状態なのだ。



幼く可愛らしい容姿の二人が、本当に仲睦まじく寄り添う姿は、歳相応の無邪気な、子供らしい恋愛を楽しんでいるかのように見えたりもしてしまう。

ただ、二人共本当に顔立ちがそっくりで、兄、涼羽の方は本当に穏やかで可愛らしい美少女にしか見えないこともあり、とても仲良しな姉妹が寄り添いながら歩いている、という風に見えるのが大多数なのだが。



「はいはい…じゃあ、早く行こっか」

「うん!」



自分にべったりと抱きつきながら、先へ進もうと促してくる妹、羽月が本当に可愛らしく思えて、涼羽は先ほど感じた妙な感覚に身構えるような表情だったのが、すぐに穏やかで優しげな笑顔が浮かんできている。

そんな妹、羽月にそんな風に急かされては、自分が感じた些細なことなどどうでもよくなってしまい、まるで幼い娘を包み込んで慈しむ母親のように、妹である羽月の頭を優しく撫でながら、止めていたその足を再び動かし始める。



そんな兄、涼羽の、今となっては日常茶飯事と言える行為にまた幸せを感じてしまうのか、大好きで大好きでたまらないお兄ちゃんである涼羽に、天使のように無邪気で愛らしい笑顔を向けて、羽月は嬉しそうに涼羽と共にその足を動かしていく。



しかし、涼羽が感じたその感覚…

悪意などはかけらたりとも感じないが、非常に執着に満ち溢れていて、どろりと濁っているかのようなその視線。

それをわずかながらに感じ取った涼羽の感覚が決して間違いではなかった、ということを、幸せ一杯の仲良し兄妹として、周囲にその幸せをおすそ分けするかのように仲睦まじく歩いていく二人には、知る由もなかったのだった。







――――







「……ああ…なんて可愛い…我が愛しの姫…」



先ほど、涼羽が向けた視線の先。

その細く、先は行き止まりとなっていて、建物に光が遮られて朝方なのに薄暗い、まさにデッドスペースと言えるその場所。



そこに、先ほどまでの涼羽と羽月の様子の一コマ一コマが、鮮明に切り取られてつなぎ合わせられた動画を、その画面の二人におすそ分けされる幸せに浸るかのように身悶えしている、一人の男がいる。

まるで手入れをしていないことが、一目で分かるボサボサの、無造作にくるくると巻いた髪。

見ているだけで暑苦しさを感じさせる、ぽてっとだらしなく膨らんでいる頬と体型。

身長は二十台の男性の平均よりはあるものの、特別高いというほどでもない。

脂分の多い肌が、そのデッドスペースにわずかに入り込んでくる光が反射しててかりを見せていて、それがまた、見る人の不快感を煽るものとなっている。



その狐のような細い目が見つめるのは、先ほど撮っていた動画に映る涼羽の姿。

妹である羽月に対し、少々困ったような顔を見せながらも、結局は幸せそうな笑顔を浮かべているその姿。



そんな笑顔を、常に自分だけに向けていて欲しい。

そんな風に、常に自分だけに寄り添っていて欲しい。



その、まるで涼羽は自分だけのものだと言わんばかりの、欲望という名の濁りに満ち溢れた執着。

自分の世界が、まさに自分と涼羽だけ、と言わんばかりに、その濁った欲望と執着が涼羽にのみ、向いている。



「…ああ…いつ見ても可愛い…まるで、この世に舞い降りてきた天使のようだ…」



男のスマホには、この日撮影したものだけでなく、ここ数ヶ月前からずっとこっそりと撮りためているものもあり、その動画に映るその日その日ごとの涼羽を見て、まるでこの世の幸福を全て独り占めしているかのような感覚を覚えてしまっている。



その脂でてかった、脂肪の塊と化している膨れた顔には、傍から見れば思わず誰もが引いてしまうような、醜悪さに満ち溢れた不気味な笑顔が浮かんでいる。



「…この世には、あんなにも可愛くて、心の綺麗な子がいるんだなあ…」



涼羽との出会いを思い返し、その時の幸せを振り返りながらも、涼羽へのストーキングを続けるこの男。

彼が、涼羽のストーキングを始めるきっかけとなったのは、ちょうど数ヶ月ほど前のこと――――







「…うう…現実なんて…」



醜いと評され続け、自分でも自覚のある容姿がとにかくコンプレックスとなってしまい、他人との関わりをうまくすることができず、とにかく現実に対して絶望感しか抱くことができなかったこの男。



もうすでに三十歳を超えているにも関わらず、ろくに定職に就くこともできず、家族からは冷ややかな目で見られ続けている。

しかも、男の両親がなまじ高給取りということが、自分が無理して働かなくても、という思いをより増長させてしまっており、実際ニートとなっている今の状況でも、冷ややかに蔑まれること以外は、ひたすら自分の好きな二次元の世界に閉じこもっていられるため、そこから抜け出そうとするどころか、ますますそこに入り浸ってしまっている、そんな状態であった。



そんな中、ちょっと買い物に行こうと外に出てみると、まるで自分以外の全ての人間が、自分のことを蔑んでいるかのような感覚に陥ってしまう。

ずっと、自分の中にずっと廃棄物を投げ捨てられるかのように増長しているコンプレックスが、とにかく彼に卑屈で惨めな思いをさせてしまう。

他人の何気ない視線が、まるで自分のことをあざ笑っているように思えてしまい、本当に現実に自分の居場所がない、などという思いが日に日に強くなっていっている。



それを払拭するには、自力で今の自分を変えないことにはどうしようもない。



それは、誰もが分かっていることであり、誰もが言えることだろう。

しかし、それを聞いて受け入れられるかどうか。

それを受け入れて、すぐにでも行動に移せるかどうかはまた別の話。



特に、彼のようにひたすら家族含む人からの悪意を向けられてきて、その心の闇を大きくしてきた人間には、そんな当然と言える正論こそ、もっとも心をえぐるものになってしまう。



それができないからこそ、苦しんでいるのだから。

それができないからこそ、人から蔑まれているのだから。



それをしようと思っても、どうしても心が、身体がそうしてくれない。

そんな永遠とも思える負の連鎖が、ずっと続いていた彼の心は、もうどうしようもないほどに打ちのめされており、もはや自分を変えようという気持ちさえ、起こらなくなってしまっている。



自分が醜いから。

自分がまともに仕事もできないから。

自分が、人と比べて何もかも劣っているから。



だから、今の自分は変われなくて当然なのだと。

だから、自分が今のままでいるのは当然なのだと。



どん底にいる自分の心。

それを、誰も分かってくれない。

誰にも、分かってもらえない。



そもそも、それを伝えたくても伝えられない。



「…!う…わ!…」



ろくに運動もせず、ただただ、食べて現実逃避をして寝るだけの生活を繰り返し、醜く肥え太り、歩くこともままならないほどに運動機能も衰えているその身体。

それを支える膝が悲鳴をあげてしまい、ついに転んでしまう。



「うう…」



その身体を、大きく天下の往来に投げ出す形となってしまい、男の惨めさがより増長してしまっている。

そんな男を見ても、何の反応も示さない者が多く、誰も手をかそうともしない。

それどころか、男を見て失笑さえ漏らす者もいる。



そんなささやかな失笑さえ、男の耳に鮮明に届いてしまう。

そんなささやかな失笑さえ、男の心をより壊してしまう。



すがるものも何もない。

ただ、自分は何の為に生きているのか、そればかりを考えている。

二次元のキャラに浸っていても、心が晴れるわけでもない。



世界の全てが、自分の敵のように思えてならない。



そんな絶望感にとらわれている、まさにその時だった。







「大丈夫…ですか?」







自分にとって、救いの女神と呼べる存在と出会えたのは。



「!………」



まさにこの世に舞い降りてきた天使と、そう断言してしまえるほどの、可愛らしく美しいその容姿。

その顔には、人を助けることが使命であると、そして、喜びでもあると言わんばかりの優しくも可愛らしさ満点の笑顔。

その誰もが見惚れるであろう笑顔を浮かべながら、そっと差し出されるその小さな手。



どこからどう見ても、非の打ち所のないほどの美少女にしか見えないのに、男子の制服を着ているということにはまるで気がつかず、ただひたすら、下界に降りてきた神を崇めるかのような、そんな表情で彼は、目の前の救いと言える存在を、見つめていた。



「…………」

「よいしょ、っと」

「!わ!……」



体格からして、自分の半分もないであろう美少女が、その差し出した手を自分がとった途端に、その可憐な容姿からは想像もつかないほどの力強さで軽々と引き上げ、地べたにはいつくばっていた自分を、まるで奈落に落ちたところを引き上げられるかのように立ち上がらせてくれた。



そして、こんな醜い自分を見ても、嫌な顔一つするどころか、こんな自分を救えたことにただただ、喜びと嬉しさを感じているかのようなその笑顔。

気がつけば、自分の視界に映るのは、その笑顔を浮かべている目の前の存在のみとなっていた。



「お怪我は、ありませんか?」

「!え…え…あ、の…そ、そ…の…」



自分の視界を全て奪っている、その笑顔のまま、目の前の女神は自分に優しく問いかけてくれた。

まともにその顔を見ることもできず、滑稽にどもっている自分のことを、少しも蔑むことなく、ただただ、見守ってくれた。

救いなどないと思っていた現実に、こんなにも身近に救いがあったのだと…

本当に心が救われていくかのような、それでいて目の前の美少女に心を奪われていくのを実感することができる。



そして、それがとても心地よくて…

この少女にもっと関わっていたい。



「…あ…の…だ…だい…じょう…ぶ…で…す…」



これまで、ずっとできなかったこと。

自分の思いを、自分以外の人に言葉として伝えること。

それを、初めてできたことに、また心が感動を覚える。



「そうですか、お怪我がなくて、よかったです」



そして、怪我がないという自分の言葉に、こんなにも嬉しそうに微笑んでくれる存在が、またしても自分の心を奪っていく。



結局、この後すぐにこの少女と別れることとなり、連絡先どころか名前も聞けないままとなってしまった。

しかし、自分が転倒した場所を、もしかしたらよく通るのかも知れない。

そう思って、勇気を振り絞って外に出て、その場所まで行ってみた。



そうしたら、あの少女とまさかの再会を果たすことができた。

向こうは急いでいたのか、男に気づくことはなかったのだが…

それでも、その再会は男にとって神の天啓のように思えた。



以来、彼はひたすら涼羽に恋焦がれ、名前も知らないまま涼羽をストーキングするようになってしまった。

まるで、自分が涼羽を護るといわんばかりに。



その使命に準ずるがごとく、彼は、ただひたすらに涼羽のことを幸せな笑顔で追い回すので、あった。

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