お兄ちゃんがお母さんで、妹が甘えん坊なお話

ただのものかき

高宮君への、慰労だよ…

「…………」
「…………」
「…………」

一つの会社の中の、一つの部署のスペース。
整然とデスクやオフィス用品が並べられた、そのオフィススペースの中。
その部署の長である、高宮 翔羽。
この会社の役員である、専務と常務の二人。

その三人が、お互いに無言のまま、視線を交錯させている。

ただし、専務と常務の二人が、余裕のある穏やかな笑みを浮かべているのに対し…
翔羽の方は、あからさまに不機嫌な…
むしろ、敵意すら抱いているような、睨み付ける目つきをしている。

「(う…うわ…なんだこの状況…)」
「(部長…めっちゃ怖い顔してるんだけど…)」
「(めっちゃ張り詰めた空気になってる…誰かなんとかして~!)」

そんな、一触即発の空気に翔羽の部下達は戦々恐々の状態。
気がつけば一瞬で自分の首が落とされてしまいそうな、その張り詰めた緊張感の中。
その場から逃げ出したくても、まるでその身体が言うことを聞いてくれない状態となってしまっている。

現状、彼らにできるのは、一秒でも早くこの状況が終わってくれるのを願うことのみ。

この状況を打破してくれる、ヒーローを待つ思いで、ひたすら、この状況に耐え続けることと、なってしまう。

「…(ふむ…よほどあのことが、彼の中では許せないものとなってしまっているようだな…)」
「…(他にあの状況のあの拠点を救える人材がいなかったとしか、こちらからは言えないのだが…それでは、彼には納得してもらえないだろうな…)」

かつて、翔羽が最愛の妻を失った直後に出した辞令。
それが、翔羽にとって、最も許せない出来事になってしまっていること。

そのことを、この役員二人も重々承知はしている。

そのおかげで、翔羽は十数年もの間、家族と離れ離れで暮らすことになってしまったのだから。
そのおかげで、翔羽は十数年もの間、ただ仕事に全てを捧げるだけの人生を送ることとなってしまったのだから。

実際にその辞令を出したのは、この二人ではなく…
ただただ、自身の見栄のためだけに、己の権力を行使していた、別の役員なのだが。

ちなみに、その役員は、その大きすぎる野心が災いとなってしまい…
翔羽が転勤してから間もなく、解雇されることとなってしまった。

ただ、実際に辞令を出した人物がそんな人物であったこともあり…
翔羽にとっては、会社全体がそんな風に腐ってしまっている、という認識を、抱くこととなってしまった。

この代わりなどいないと言える、非常に稀有で稀な存在。
その存在に、この会社に対する、拭う事のできない不信感を植え付けることとなってしまった。

これでは、いつこの存在が、この会社から離れてしまってもおかしくない。
翔羽が、実に責任感が強く、途中で投げ出すということを知らない性質であったからこそ…
拭う事のできない強烈な不信感を抱きながらも、どうにかここまで続けていくことができたのだ。

だが、それもまさに薄皮一枚でギリギリ保っているような状態であり…
今また、少しでも彼の不信感を煽るようなことがあれば、今度こそ…
この、会社にとってなくてはならない存在は、ここから姿を消してしまうことになるだろう。

それだけは、何が何でも避けなくてはならない。

かつての腐った人材が犯した間違いを、正していかなくてはならない。
かつての腐った人材が犯した罪を、償っていかなくてはならない。

だからこそ、魑魅魍魎が集う、とまで言われている役員達の中で…
社内でも評判の人格者として常に振る舞い、実際に行動し…
時には、盛大にこの会社の膿を吐き出すことも実施していき…

とにかく、この会社そのものを正していこうと、専務、常務の二人は、日々社内の是正に取り組んできたのだ。

今更こうしていったところで、翔羽が本来得られるはずだった…
最愛の家族との、何物にも代えがたい、触れ合いの時間が戻ってくるはずもない。

時間は、何をどうしようとも、過ぎてしまったら、取り戻せないのだ。

ゆえに、もう翔羽のような会社の理不尽による犠牲者を出したくはない。
そうすることが、後に社にとっての不利益をもたらす出来事に結びつくのは、火を見るより明らかだからだ。

現に、翔羽の社に対する不信感は、何をしても取り返しのつかないところまできてしまっている。
これでは、いつ彼がこの会社からいなくなってしまってもおかしくないし…
そうなったとしても、誰も文句を言えない。

「(…まだまだ、是正が足りないな…私達は…)」
「(言い訳は一切いらない…結果で彼に伝えないと、意味がない…)」

魑魅魍魎共の中で、社内の是正をしていくこと…
その膿を出し切っていくこと…
それがどれほどに大変で、終わりの見えないことか。

膿を出しても出しても、次から次へと新しい膿が溜まっていく。
次から次へと、つまらない小悪事で私欲を満たそうとする輩が後を絶たない。

それでも、やりきらなければいけない。
それでも、結果として、それをやりきらなければいけない。

そうしなければ、いつまでたっても同じ負の連鎖が、繰り返されることとなってしまう。

もはや、言葉では翔羽には伝わらない。
それは、もはや言葉では受け入れてもらえない。

だからこそ、結果で伝えるしかない。

今の翔羽の自分達を見る目を見ても、いまだ自分達の行動が、自分達の望む結果に結びついていないことが、よく分かってしまう。

「(一体何を考えているのかは分からんが…俺はこれ以上、この会社にいいように使われる気はないからな)」

当時は結婚してまだそれほどの時間が経っておらず…
社内の立場も、一般の社員というものだった。

子供も二人目が生まれた直後ということもあり…
最愛の妻を失った直後の転勤という、非情とも言える辞令を断ることができなかった。

ひたすらに、家族を置いて遠方での激務に追われる日々となり…
休暇らしい休暇を取ることもできず…
気がつけば、子供達に会うこともできないまま、過ぎてしまった十数年。

戻ってきた時には、長男、涼羽はどこに出しても恥ずかしくないほどに…
もはや父である自分を必要としないほどにいい子に育っていた。

長女の羽月は、兄である涼羽に非常に依存しているものの…
やるべきことはちゃんとやる、兄思い、親思いのいい子に育っていた。

一番手のかかる、可愛い盛りの時に一緒にいてやれなかったこと…
親にとって、一番甘えてもらえる時に、時間を共にできなかったこと…

翔羽にとって、そのことが一番の後悔となってしまっている。

目に入れても痛くないと豪語できる最愛の子供達との触れ合いの時間…
その大部分を、会社に奪われてしまった…

翔羽は、そう思っている。

ゆえに、能力を求めた。

沈没確実の拠点、その中での激務に追われる日々…
それらを、全て糧とし、自らの能力を磨き上げるための時間とした。

できることをとにかく増やし…
今後のために学んでおくべきことを少しでも多く学び続け…

いざとなれば、どこに行こうとも通用するであろう…
いざとなれば、自らが独立していけるであろう…

それを可能とする能力を、手に入れるために。

単身赴任中の翔羽は、まさに仕事の鬼と化していた。
そして、それ以上に己に厳しく課題をかし、それをクリアしていく…
いうなれば、修行僧のような禁欲的(ストイック)さをもって…
ただひたすら、己に課す修行として、ひたすら仕事に明け暮れた。

その背中を見続けていた転勤先の拠点の人間達は…
闇の中に一条の光を見たかのような、そんな思いにかられた。

この人についていけば、どうにかなるかもしれない。
この人と同じように取り組んでいけば、今のどうしようもない状況を変えられるかもしれない。

少しずつ、少しずつ、社員一人一人の意識が、翔羽のその仕事に明け暮れる姿…
そうして、山積み状態の問題を一つずつ解決していくその姿を見て…
今の状況と向き合い、どうにかしていこうという、前向きなものへと、変わっていった。

それでも、もともと抱えていた問題が非常に大きすぎたこともあり…
全てを解決して、後を後進に託すようになれるまでに、十数年以上もの歳月を費やすこととなってしまった。

だが、沈没確実だった一つの拠点を再生することに成功し…
さらには、そこから業績は右肩上がりとなるまで、状況を好転させることができた。

それは、その拠点にいた社員達に、決してあきらめない前向きさ…
逆境にもひるまない、強い心…
そして、少々の問題などものともしない、問題解決能力。

それらを、与えることとなった。

一体なぜ、状況をそこまで好転させることはできたのか…
その詳細、そして秘訣を聞きたがる他部署、他拠点の社員は非常に多く…
今では、社内研修でも使われる模範拠点とまでなっている。

そして、その拠点の社員は、他の社員に秘訣を聞かれた時には、声を揃えてこう言う。



――――高宮さんのおかげで、ここまで変わることができました――――



と。

そして、その声が本社まで届くこととなり…
社内で、高宮 翔羽と言う名の社員の認知度が非常に大きくなることとなり…
さらには、その稀有な実力まで、正当な評価をされることとなっていった。

部長に昇進したのも、転勤から戻ってからのこと。

昇進する前は、係長だっただけに、まさに異例の昇進と言える。

もちろん、この昇進を提言したのも、今ここにいる専務、常務の二人によるもの。
社としては、これほどの有能の人材を得ることができた、と…
非常に喜んでおり、非常に重宝している。

その反面、いつこの人材が社内から流出してしまうのか…
その不安に、常に上層部は苛まれている。

特に危機感を抱いているのが、今ここにいる役員の二人。

だから、翔羽の頑なな心を溶かすためにも…
その翔羽の愛する家族が一緒に来る、というこの千載一遇の機会を逃すわけにはいかない。

「君の予約している店には、連絡を入れておこうではないか」
「何もわざわざ店でする必要もないだろう」

この機会に自分達も加わり、どうにか翔羽との対話の機会を持ちたい。
そして、その家族とも面識を持ち、今後の関係を良好なものとしておきたい。
ゆえに、二人も必然的に、このカードを切ることとなる。

「?それは…どういうことでしょうか?」

二人の発言の意図を掴むことができず、思わず呆気に取られた、という表情で…
少し、間の抜けた感じで聞き返してしまう翔羽。

当然ながら、この間も、他の社員達は固唾を飲んで、成り行きを見守っている。

「店としても、せっかく用意してくれているのだから、無駄にするのも忍びない」
「だから、店にまで伺うことができない、という代わりに、その準備してもらったものを、こちらまで持ってきてもらおうと思っている」
「!!…そ、それは…」
「大丈夫、あそこは私にとっても行きつけであるからね。店主にも顔は利くし、少々の融通は聞いてもらえるような関係構築は、してあるんだよ」
「距離的にも、徒歩で数分ほど、となれば、配達するにも、労力は最小限にできるしね」
「無論、急遽こんな形にしてしまったということで、迷惑料として、代金に色はつけるがね」
「当然、それは言いだしっぺである私達が出そう」
「それどころか、今回の食事会の代金全て、私達が負担しよう」

今回、翔羽が予約している店は、確かにデリバリーも行なっているところ。
加えて、専務、常務の二人がそこの店主と顔なじみになっていることも事実。

現に、以前もこうして融通をきかせてもらったこともある。

さらには、今回の食事会の料金全て二人で負担するという言葉まで出してくる。

「!い、いいんですか!?専務、常務」
「ああ、いいとも」
「この高宮君率いる部署は、社内でもトップクラスの成果を上げているからね」
「そんな君達に対しての、私達からのささやかな慰労だと思ってもらって構わない」
「あ、ありがとうございます!」
「うわ~、マジかこれ!?」
「俺ら、高宮部長の部下で本当によかった~!!」

その言葉に、他の社員達は手放しで喜びの表情となる。
他部署から見ても精鋭揃いと評価されている、翔羽の部署の社員達。
その優秀な社員達への慰労、などという言葉までつけられては…
社員達の喜びもまたひとしお、と言えるものとなってくる。

「今日は私達が許可するから、食堂でも会議室でもどこでも使って、慰労会としなさい」
「ただ、その場に私達も加えてくれれば、それでいい」
「もちろんですよ!専務!常務!」
「うわ~、話に聞いてた以上に人格者だ~」
「マジすげ~」

社内でも評判の人格者の、二人の役員。
その評判の人柄を、目の前で直に見せられて、感動の色を隠せない社員達。

「もちろん、これは最も社に貢献してくれている高宮君への慰労、という意味合いが一番なのだから」
「そうだよ。だから、遠慮せずに受け取って欲しい」

そして、その裏などない、素直な二人の役員の思い。
それを言葉として、翔羽の方へと送る。

「…ありがとう、ございます…」

その言葉を贈られた翔羽の方は、釈然としない表情ではあるものの…
二人に対して、ぎこちなくも感謝の言葉を返す。

「スッゲー…やっぱ高宮部長…スゲー」
「実質の社のトップ2から、直にあんな風に賞賛してもらってるんだから…」
「そりゃあ、あの実力と実績からすりゃ、当然なんだろうけど…」
「でも、改めてみるとマジでスゲーって思っちまうな」
「マジで俺ら、高宮部長の部下でよかった!」

そして、そんな風に実質の社のトップ2から賞賛される、自分達の上司の姿を見て…
ますます、翔羽への尊敬と憧れの思いが強くなる社員達。

そんなやりとりが繰り広げられている中だった。

「失礼します。高宮部長にお客様が来られていますので、直接こちらまでご案内させて頂きました」

普段からこの本社ビルの顔として活躍してくれている、受付嬢の声。
それが、この翔羽の部署のオフィスに、響き渡る。

「ほら、どうぞ。お父さん、ここにいるわよ」

そして、フランクで、それでいて弾んだ声で、ここまで案内してきた客にオフィスに入ることを促す。

コンピュータによる業務がメインとなるのと、社でペーパーレスによるコスト削減および業務改善活動が実施されているため…
重要書類というものはデスクの上にはまるでなく、業務用の端末も、この日は全ての業務を終えているため、すでにシャットダウンされている状態なので、外部の人間に見られて困るものは何もない状態ではある。

これも、部長である翔羽の教育が浸透しているといえる。

そこに、姿を現した二人の人物。
その二人を見て、翔羽の顔が一気に明るくなっていく。

「おお!涼羽!羽月!」
「お父さん、来たよ」
「えへへ♪お父さん!」

非常に小柄で、小学生くらいに見える、幼さの色濃い童顔ではあるが、非常に整っている顔立ちの美少女。
その少女がべったりと抱きついている、おっとりとした印象で良く似た顔立ちの…
やはり童顔ではあるものの、非常に整っている顔立ちの、これまた美少女。

その二人と、翔羽の反応を見て、社員達がざわめいていく。

「え?あの子達が、部長のお子さん達?」
「うわ~…ちっちゃい方の子、子供っぽいけど、マジ美少女」
「もう片方は…お姉ちゃんかな?あの子、マジ正統派の美少女じゃん」
「二人共、マジ可愛いんだけど」
「うわ~、子供ちゃん見てからの部長の顔…分かりやすいくらいにゆるゆるになってる」
「いや、だってお前…あれは絶対にそうなっちまうって」
「だよな…あんな可愛い子供達が、あんな顔で『ただいま』とか言ってくれたら、絶対その日の疲れとか、ふっとんじまうって」
「どっちも可愛すぎるくらいに可愛いけど…俺は…あのお姉ちゃんの方が好みかな」
「俺も…そうだな、あのお姉ちゃんの方だな」

ここまで、その話題すら上がってくることのなかった、高宮 翔羽の子供達。
その子供達を実際に目の当たりにして、実の父である翔羽と同じように、顔をゆるゆるにしてしまう男性社員達。

「ほう…あの子達が…高宮君の…」
「…見るからに、いい子そうじゃないか…」

この食事会の目的の一つである、翔羽の子供達と面識を持つこと。
その対象を見て、役員の二人も、思わず顔を緩めてしまう。

いろいろと、周囲がざわめいている中…

翔羽は、いつも通り自分の子供達をいとおしげに抱きしめる。
そんな父に、涼羽は周囲の目を気にして、思わず顔を赤らめ…
羽月は天真爛漫で無邪気な笑顔を浮かべて、喜んでいる。

そんな親子三人の触れ合いに、しばらく目を奪われることとなる、社員達なので、あった。

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