ぼっちの俺、居候の彼女

川島晴斗

act.26/1人の女

 なんだかんだで早くも訪れた土曜日。
 俺と輝流は電車で1時間もかかる都心の街で、わざわざ市民プールにやって来た。
 金を多めに持って来させたのはこの為だろう、地元だと話せない事だから遠くまで来たのだ。
 事前予約とかやってたらしく、輝流のおかげですんなりと入場できた。

 着替えのために一旦別れると、やっぱりアイツは女なんだなって、実感が湧いた。
 クラスメイトの男子がホントは女だった、なんて、漫画かアニメだけの話だと思っていたが、現実であり得るからアニメや漫画でもあるんだよな。
 自分の考えが上書きされながら、俺は学校指定の水着に着替え、タオルを持ち、どうせ泳がないから上にシャツを着て場内に入った。

 夏だから当然だが、それなりに客がいる。
 ガラスの天井から降り注ぐ陽光は水面を煌かせ、人の騒ぐ声がどこからともなく耳につく。
 そのウザいぐらいの声の中から、彼女の声だけは鮮明に聞こえた。

「とーしーあーきーくーんっ!」

 というか、普通にうるさかった。
 大声で俺を呼ぶ方に目を向けると、そこにはブンブンと手を振る輝流が居た。
 彼女は普段の男装ではなく、大して胸が豊かでもないくせにビキニタイプの水着を着ていて、その上からオレンジ色のパーカーを着ていた。

 少しだけ目で見てわかる胸の曲線、男なら少しぐらいあるだろう下腹部の突起もなく、彼は間違いなく女の子だった。

「思ったより可愛いな」

 輝流のもとまで歩み寄り、なんとなく言ってみる。
 目の前の少女は不服そうに顔を渋らせた。

「戸籍上、男なんだけど……?」
「でも女なんだろ?」
「うん、ボクは女の子だよ。なんなら、確かめてみる?」
「触っていいなら触るけど?」
「死ね」

 短くそう言うと、彼女はくるりと身を翻してプールサイドを歩き出す。
 俺も彼の行く道を倣い、ヒタヒタと裸足で歩いて行った。
 やがて空いているベンチを見つけると、輝流が指差して、そこに俺たちは腰を掛ける。
 座って一息つくと、輝流は話し始めた。

「利明くんさ、妹が居るって言ったよね?」
「おう、可愛い妹が居るぞ」
「そう……。でも、ボクは兄弟が居なくてさ、一人っ子なんだ」

 何でもないように彼女は言って、空を見上げた。
 眩い天井だ、この楽しい空間に光を降り注ぐそれは希望に見えた。
 しかし、輝流が話すのは、正反対の絶望だった。

「ボクの父親は、それはそれは野心家でね、ウチの企業を急成長させ、上場企業になった。でも、父親はこの程度で終わらせるつもりはないらしくて、幾つも子会社を従えるような大企業を作りたいみたい。それを成し遂げるには時間がなかった。父親は、もう結構な歳だからね。だからボクに継がせようとしたんだよ。女より男の方がいい、そんな理由だけで、ボクは出生届に男と書かれ、男として生きてきた」
「…………」

 重い話だった。
 自分の女としてのあらゆるものを捨て、男として振る舞う1人の女優。
 それが秋宮輝流の全てだったのだ。

「……ボクは小学校に行ってない、って言ったよね? アレはボクが男子トイレに入って、男子用小便器の存在に疑問を思ったりすると、世間にボクが女だとバレる可能性があったからなんだ。中学生になったボクなら自分の立場やすべき事がわかる。だから学校に行けるようになったんだ」
「……でも、なんで公立なんだ? 金持ちなら、公立の学校なんて行かなくてよかったんじゃねぇの?」
「私立だと電車通学になっちゃうから、それが嫌だったんだ。大して行きもしない中学のために、僅かだろうと定期代を払いたくないからね。それに――」

 輝流は視線を落とし、俺の目を見た。
 いつものように笑顔を作り、呟く。

「――君達に会えた。ボクが女だと知っても君達はまるで驚きもせず、話を聞いてくれる。仕事の中で人と接触するにしても、やっぱり寂しかった、ボクにさ……」
「最初に話しかけて来たのはオメーだろうが」
「……そうだね。利明くん、君に声かけて良かったよ」

 ポプンと、俺の肩に輝流の頭が乗った。
 肩枕とかいって、恋人とかがやるやつだったと思う。
 でも、輝流はただの寂しがり屋だから……俺は黙って肩を貸した。

「……なぁ、一弥は知ってんのか?」
「とっくの昔に知ってるよ。彼は、君と違って洞察力がいいからさ」
「洞察力無くて悪かったな」
「……いいよ。君はそう言う鈍いところも魅力なんだから」
「うわ、俺の魅力とか語り出しやがった。惚れたか?」
「惚れるなら一弥に惚れるよ。高身長でイケメン、付き合いもいい。将来有望過ぎるでしょ」
「なんだよ、結局外観が7割じゃん。はぁーあ、やっぱり輝流も女だな」
「…………」

 俺の言葉をどう受け止めたのか、彼女は目を閉じて優しく微笑んだ。
 その顔のままスッと立ち上がり、閉じた俺の足の上に、向かい合うように座った。

「……利明くんは、ボクのこと好きなの?」

 手の輪っかを俺の首にかけ、優しく笑って問いかけてくる。
 そんな事より緩んだビキニの胸元が気になるんだが、できるだけ見ないようにした。

「お前の事は嫌いじゃねーよ。ていうか、女という事を武器に揶揄からかうのはやめろ」
「えー? ライオンは豚をからかったりしないよ? だってほら、相手にする価値ないもん」
「ふざけんな、俺は肉食獣だぞ。虎かそこらだ、豚じゃない」
「はいはいわかったわかった。というか君、ホント鈍いんだよね。どーしてこんな風に育つかなぁ?」

 そんなこと聞かれても俺が知りたいが、そろそろ足が痛いので降りてもらいたい。
 思ったより尻が柔らかいな〜、なんて思うぐらいじゃ済まないぐらい痺れてきた。

「……肉食獣とか言いながら、女の子が目の前で裸で立ってても襲わないような草食系なんでしょ? 臆病者〜」
「襲わんけど、特にお前は襲わねーから。後が怖過ぎるし」
「……ふーん」

 俺の足から彼女は立ち上がり、また俺の隣に腰を下ろす。
 コイツ今日はやけに自然な笑みを見せるが、それが本当の、女としての姿なんだろう。

「やっぱり可愛いな、お前」
「……何、突然? 惚れた?」
「いや、男として無理に振る舞うより、今の方が良いと思っただけだ」
「…………」

 コツンと、またしても彼女の頭が俺の肩に触れる。
 しかし、今度は胴体に手が回され、抱きつかれているらしかった。

「ううっ……ぐずっ…………」

 輝流は静かに泣いていた。
 俺のシャツの裾を濡らして、声を殺して泣いていた。
 泣きながらも、一言だけ彼女は、俺に伝えた。

「ボクを……女として見てくれて……ありがとう……」

 嗚咽交じりで力のない声だったけれど、途方も無いエネルギーのある感謝の言葉だった。
 承認欲求――女としての自分が認められたかったのだろう。
 男として生き振る舞うことに、今までどんな苦悩があったのか計り知れないし、それはこれからも続く事だろう。
 しかし――今この瞬間だけは、輝流は間違いなく、女の子だった。



 ○○○



「おい揚羽! 遅刻するぞ!」
「兄さんが朝からツイスターゲームしようって言い出したんでしょ!? 2人でやっても大して盛り上がらないし!」

 全滅したテストも終わり、夏休みを迎えるも、それはあっという間に過ぎ去った。
 夏休みは輝流や一弥と会う機会も減り、揚羽と遊んだり曲を作ったり、まぁ兄妹の時間が取れてそれなりに充実していたと言えば間違いない。
 そんなわけで俺たちは9月1日の朝、猛ダッシュで玄関を飛び出した。

「ハァ、ハァ……妹よ、お前……なんでそんな体力が……」
「私運動部だし。……もう遅刻でも良いよ、歩く?」
「お前は……優等生だろ。遅刻せんで、よろしい、ハァ……」

 ゼェハァ言いながら俺たちは歩き、幾ら俺が言っても揚羽は走って行かなかった。
 俺はシスコンだが、揚羽はブラコンなのだった。
 いつも一緒だから仕方ない。

「遅刻者はっけーん♪」
「のわっ」

 道行く道を歩いていると、急に背後から抱き付かれる。
 背後を見れば、そこにはいつも通り男子用の制服を着た輝流が居た。

「オメーも遅刻か。悪ガキも3人集えば文殊の知恵、遅刻の理由考えようぜ」
「そんなの、ボクが教師黙らせるから良いよ。それより、そっちの子は妹さん? 可愛いね〜、よろしく」
「あっ、どうも……」

 パッと俺の元から離れ、許可もなく彼女は揚羽の手を掴んで無理やり握手する。
 揚羽から見れば、ただの女っぽい男だろう。
 でも輝流のハイテンションにはついていけてなかった。
 輝流は遠慮もなしに揚羽のポニテ頭をベタベタ触る。

「うわー、ホント可愛い〜。利明くんの妹だなんて信じられないね!」
「だろ? 俺も可愛すぎて困ってるんだ、風呂上りの髪下ろして頬の染まった顔がまた格別でな……」
「わかった! わかったから歩いて! ただでさえ遅刻なんだからーっ!」

 そんなわけで揚羽に催促され、俺たちは3人になって中学へ向かった。
 通学中は輝流がずっと揚羽に質問し、たまに俺が答えたり、揚羽も楽しく談笑してて、変な感じだった。

「輝流お前、揚羽みたいな平凡な奴とも話せるんだな」
「きみ今とても失礼な事言ったからね? 自覚ある? 脳検査受ける?」
「いやだって、初めて会った時は俺みたいに、他人なんて姿形の似てる猿にしか思ってないんじゃないかと思ってたし」
「兄さん、それ私を猿って言ってるの?」

 質問しながら既にローキックをキメてる揚羽さんとても素敵です。
 お兄さんは太ももが超痛いので跪きました。

「ぐぬぅっ……おのれ揚羽め、今日のパンティーの色は黄色か」
「……死にたい?」

 片膝ついてると揚羽のパンツが確認できたので報告すると両耳を引っ張られる。
 でも揚羽の顔は赤く染まり、羞恥の顔も可愛いのでご褒美だった。

「あぁ、揚羽は可愛いなぁ。お前が居れば彼女いらねーわ」
「ツッ!? 兄さんって誰にでもそう言うよね。ホントやめた方がいいよ、私とか言われてもどうしたらいいかわかんないし……」
「結婚しようぜ!」
「もう家族だから……」

 冷静にツッコミを受け、俺は頭を離される。
 やっと立ち上がると、輝流は1人で先に行ってしまっていた。
 どこまでもマイペースな奴め……。

 俺たちは遅刻して辿り着きながらも、校門で会った先生に輝流がスマホを見せると、黙って通してくれた。
 何を見せたのかは聞かないし、きっと知らない方がいいだろう。
  
 揚羽とは別れ、俺と輝流は2年の教室に入った。
 整然と並ぶ机に着く生徒達、その中で1人、先生と並んで教壇に立つ女の子が居た。
 黒髪のブロンドヘア、はだけたワイシャツの胸元、短すぎるスカート。
 マスカラというやつを使ってるのか、まつ毛は長く遊びの多い姿だった。

 そういえば、夏休み明けに転校生が来ると聞いていた。
 それが、彼女なのだろうか――?

 黒髪の彼女は俺たちの方を向き、艶やかに笑う。
 その笑みはどことなく不気味で、俺は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなるのだった――。

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